ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第55話「教授」

 

 青年が手を上げて近付いていく。

 後ろから付いていったのだが、相手側から撃たれる事は無かった。

 

 しかし、しっかりと照準されたライフルの銃口が背後からも無数見えて、冷や汗が流れたのは仕方ない。

 

 幾ら死なないらしいとはいえ。

 ライフル弾が身体の中に残ったらヤバイのは目に見えている。

 

 貫通した方が後腐れ無くていいのだが、うっかり心臓を貫かれた日にはまた即死。

 

 過去、幾度とあった死の瞬間の事はあまり覚えていないが、自分が危険な状態であった事は疑いようも無い。

 

 そんな時間を長く続けたい理由があるわけもなく。

 一分一秒でも早く。

 自分の前を往く軍人が決裂するにしろ。

 成功するにしろ。

 話を付けてくれるのを見守るしか無かった。

 どうやら顔見知りがいたのだろう。

 

 互いの顔が視認出来る距離になり、銃口を向けてきていた薄汚れた水夫風の荒くれ達が顔を僅かに驚かせ、何やら大型のバックパック……たぶんは携帯可能な電信設備のようなものを背負い込んだ男に何やら話し掛けている。

 

 そして、どうやら現場で一番偉いのだろう50代程の男が銃を数丁向けただけで他は周囲警戒に戻るよう伝えて、こちらへとやって来た。

 

「お久しぶりです。若君」

「……もしかして、フランツさんですか?」

 

「ああ、覚えておられましたか。ええ、お父君の片腕として働いていた男ですよ」

 

 男の風体は人相が悪いせいで正しく海賊と思えた。

 

 水夫と言えども、その体中に皮製のベルトの類が幾つもの袋と拳銃やナイフを覗かせている。

 

 しかし、その中身がかなり紳士的と言うか。

 穏やかな語り口であった為、ギャップに戸惑いが隠せない。

 

「お久しぶりです。貴方に銃の稽古を付けて貰った事、覚えていますよ」

 

「いや、懐かしいですな。ですが、そう昔を語らい合っている場合では無いというのが残念だ」

 

「ええ、父は何処に?」

 

「教えられません。ただ、今の貴方の立場はお父君もご存知です。ずっと、情報だけは仕入れていましたから」

 

「……津波被害の最中に火事場泥棒とは……海の民としての誇りは何処に落として来たのか聞いても?」

 

「耳が痛いですな。だが、政府の連中は我々を無視するどころか。排除しに掛かっていた。飲まず食わずでは無いが、さすがに腹を空かせて士気を下げるわけにはいかない。今回の襲撃は買出しついでに政府の強硬派要人邸宅と彼らの取り巻きへ対する牽制。偶然に津波が来て、こういう事態になっているが、何も当初の計画と代わりなく状況は進んでいる」

 

「つまり、そろそろ引き上げると?」

 

「最低限のドンパチは覚悟していましたが、警務局の人員に応戦しただけで済んでいる。とりあえずの好機。彼ら強硬派の私財と書類と資料は貰っていく事になるでしょうな」

 

「では、早々に人死にが出る前に立ち去って貰いたい」

 

「言われるまでも無く。警務局は強硬派のシンパが多い為、むきになって追って来ているが、我々とて愚かとはいえ同胞に死者は出したくない。後、数十分で引き上げます」

 

「それなら結構」

 

 青年が一応の話は付いたと自分に出来る最低限の状況を達成してホッとしているのが背中側からもよく分かった。

 

 その首筋には僅かな汗が流れている。

 未だ潮騒が街中から引かない只中なのだ。

 

 同国人同士で殺し合う不毛は正しく魚醤連合を弱体化させるだけだろう。

 

 いがみ合っているとはいえ。

 苦難を共にする国民同士。

 

 話していた男も胸を撫で下ろしているのは未だ彼らが人間性を捨てていない証だろう。

 

「お父君の事は詳しく話せません。ただ、これはあの方に仕える身としての配慮だと思って欲しい」

 

「何か父の事で?」

 

 男が気不味そうに視線を僅かに俯かせる。

 

「そう長くありません」

「―――ッ」

 

「ご病気が分かった頃から、今回の再戦を見越して色々と働かれていた為、治療の期を逃しました。最低限の医療は受けていましたが、それでも後一年持たないとドクターから言われたようです」

 

「あの男は……それで納得しているのか?」

 

 まるでそれは毒付くような言葉だった。

 

 何か苦々しいものを噛み潰したような、拳が白くなるまで握り締められる。

 

「帰っても、拘束されて獄中死。それならば、最後まで報国の徒として戦おうと言うのが、お父君の考えです」

 

「家族を捨ててて置いて、随分な物言いだ……」

 

 吐き捨てる青年に男は自分の上官が侮辱されていると分かっても黙っていた。

 

「話す事は?」

「出来ません」

「いる場所は?」

「お教え出来ません」

「ならば、言葉を伝えてもらおう」

「分かりました」

 

 男が青年に頷いた時。

 付近で響いていた銃声が止んだ。

 

「どうやら撃退したようだ。それでは我々はそろそ―――」

「おおっと、待った待った?!」

 

 そう遠くから声が響く。

 それに振り向くと海賊達が慌てて道を開けていた。

 

 何やら小柄で40代程の男が僅かに無精髭を生やして、笑顔でこちらにやってくる。

 

 その姿は水夫のものだったが、人柄が滲み出ているおかげか。

 

 それとも愉快そうな顔と実際似合っていない衣服のギャップのせいか。

 

 コミックバンド。

 道化師役のような可笑しさが、その姿にはある。

 

「やぁやぁ、お久しぶりだね。ショウヤ君」

「貴方は?!」

 

 どうやら青年も驚かざるを得ない人物らしい。

 

「お頭……これは、その……」

 

 今まで青年と話していた男が少しだけ狼狽した様子となった。

 

「ははは、いいんだよ。いいんだよ。親子の話だ。そういうのはドンドンやっていい。こっちは教授職だった頃から、二人の事は承知している」

 

「済みません。後で報告書を上げさせてもらいます」

 

「ああ、では、彼の下に向ってくれ。どうやら、現地で死に掛けている子供達を発見して、助け出しているようだから」

 

「わ、分かりました。では!! おい!! お頭をお守りしろ!!」

 

 今まで話していた男が数人の手勢を引き連れて、何処かへと走り去っていく。

 

 それを横目に小柄な男。

 

 たぶんは海賊団の頭領なのだろう無精髭は何処かナヨッとした知識職特有の腕っ節の無さが垣間見える細い身体を大仰に開いて、青年を抱擁して人懐っこい笑みを浮かべた。

 

 男達が自分達の頭目の周囲へと移動し、周辺警戒を密にする。

 

「ん? 君はショウヤ君の部下か何かかね?」

「カシゲェニシと言います」

「カシゲェニシ……では、エニシ君か」

 

 その言葉に何故か再び違和感を感じた。

 偽名というか。

 その分割した本名を言い当てられたのは初めての事だ。

 

「はは、面白い子を連れているじゃないか。まさか、青き隻眼に黒い髪とは……いや、まったく」

 

「エービット・フィヨルド。彼は自分の知り合いです」

 

「そうか。君にお嬢さん達以外の友達が出来るか。カイの奴が酷く心配していたから、安心したよ」

 

「………」

「そう怖い顔をしないでくれたまえ。他意は無いから」

 

 緩やかにカールした亜麻色の髪を掻いて、男がバツの悪そうな顔をした。

 

「一つ聞いてもいいですか? 教授」

「ああ、私が君に答えれる範囲でなら」

 

「今回の襲撃と同時に起こった津波。まさかとは思いますが、貴方の仕業ですか?」

 

「ふむ。さすがにそれは飛躍し過ぎではないかな?」

 

 男が肩を竦める。

 

「遺跡開発の第一人者。西部域からの技術導入先駆者。国内最高の学術機関に所属し、最高顧問として軍事研究と産業発展に従事した連合最大の教育者。複数の学位を持った真の博識者《プロフェッサー》……教授と未だ呼び習わされる貴方に何が不可能かと思うのはおかしな話ですか?」

 

「持ち上げ過ぎだよ。君……僕はしがない研究職だ……ただ、少しだけ世界の真実とやらに気付いてしまって、こうして海賊の頭領などをしているがね」

 

 エービットと呼ばれた男が苦笑する。

 

「まぁ、いいでしょう。それで……早目に海へ帰って貰えると考えていいんですか?」

 

「約束しよう。この状況でさすがに我々も浮き足立っている。幾ら警務局が無能でも、海軍局が立て直すまでには帰るさ」

 

「分かりました……」

「あいつの事は聞かないのかい?」

「言ってどうにかなる事なら、そうしています」

「それはそうか。頑固なところは君も一緒だな」

 

「同じにしないで頂きたい。家族を護る事を放棄した男に似ているとは思いたくない」

 

「済まないな。僕らの企みに君とお母上を巻き込んでしまって……」

「今更、謝るのですか?」

 

 青年が僅かに視線を険しくする。

 

「いつモノが言えなくなるか分からないご時勢だからな」

「……貴方達は勝手だ。勝手過ぎる……」

 

「だが、そうする以外に道は無かった。今、こんな状況になって、自分の決意は間違ってなかったと確信するよ……やはり、共和国とは敵対関係になるべきでは無かったと」

 

 両者が瞳を交し、その互いの奥にある光を覗き込もうと無言で相対している時だった。

 

 空から何やら騒がしい音がやってくる。

 

「む?!」

 

 空を見上げた男が周辺の男達に向けて指を弾く。

 すると、双眼鏡らしきものを取り出した数人が四方を探し始めた。

 

「お頭!! 九時の方向から1機!! 西の連中の複葉機です!!」

「どうやら、連中もそろそろ本性を現してきたようだな」

 

「へい!! 各隊に通達!! 敵は襲来せり!! 繰り返す!! 敵は襲来せり!! 直ちに戦闘態勢!! これより、撤退に移る!!」

 

「一体、何を言っている?! 西?! 西部域の連中と敵対しているのか?! 教授!!?」

 

 ショウヤの声にエービットが済まなそうな顔をした。

 

「悪いな。話している暇は無い。連中の狙いは我々だ。君が元気そうだったとあいつには伝えておく。では、去らばだ!!」

 

 男達が集団で移動を開始しようとした時。

 確かに九時方向の上空に何かが見えた。

 

「散開陣形!! ルートを一部改変する!! 各隊は予め言っておいた通りに逃げろ!!」

 

 エービットの声とほぼ同時に複葉機が上空を通過した。

 

 しかし、その後、何やら大回りで旋回するのを見て、狙われているのは此処だと気付いた。

 

「行くぞ!! 諸君!!」

 

 海賊達が動き出す。

 

 しかし、それよりも早く複葉機がこちらに機首を向けていた。

 

「来るぞ!!」

 

 一斉に走り始めた海賊達だったが、空からの銃弾は撃たれる事なく。

 そのまま、機影が頭上を通り抜けて行く。

 それに思わずなのか。

 エービットが怪訝そうに瞳を細めた。

 

「あの機種ならば、機関銃は積んでいたはず……ッ、まさか?!!」

 

 ハッとしてその顔が頭上へと向けられる。

 

 それに釣られて上を向けば、遥か空の上に豆粒のような何かが見えた。

 

「マズイ?!! 走れッッ!!!」

 

 だが、その言葉は遅きに過ぎた。

 何かがヒューと風を切って落ちて来る。

 

 そして―――最も近い二階建ての建造物が爆砕した。

 

 爆風と煙が周囲に吹き荒ぶ。

 その中を混乱した様子ながらも男達が散り散りに逃げていく。

 こちらもとショウヤが動き出し、偶々エービットと一緒の方角になった。

 次々に風を切る音と共に爆発が辺り一面で巻き起こる。

 

 路地を疾走して海の方へ逃げ出したのだが、途中で泥沼のように海水でぬかるんだ一帯に出くわした。

 

「く?! 迂回をッ!!」

 

 そう、エービットが言った瞬間。

 至近の建造物が爆発した。

 同時に周囲の建物の一つが崩れて道に雪崩込んでくる。

 それが飛び退いたと同時にショウヤとこちらの間を寸断した。

 

 上がる土煙と爆煙が全てを覆い尽くし、このまま逃げられるかと思考したのも束の間。

 

 何やら崩れ落ちる音が背後から聞こえて、振り向けば……エービットが胸から飛び出す建造物の瓦礫の一つ……鉄の棒を見て、皮肉げな笑みを浮かべて崩れ落ちる。

 

 膝立ちとなり、前に倒れた瞬間に血塗れの棒が後ろへと押し出されて抜けた。

 

「オイ?! アンタ!?」

 

「……心臓、は……ギリギリ……だが、太い血管が……イッタ、ようだ……」

 

 ヒューヒューと気管から漏れ出す空気が音を立てる。

 

「逃げ、たま、え……」

 

「クソッ!! ファンタジーと思ったらSFで!! ミリタリーものとか!? いい加減、こういう死人出るのはうんざりだ!!?」

 

「ふ、ふふ……おも、しろ……い事を……」

 

「オイ!! 一つだけ訊く!! よく聞け!! アンタはまだ自分の命掛けてもやりたい事があるか!?」

 

 そのこちらの問い。

 

 突如、掛けられた声に男は血溜りに沈んでいく己を認識しながらも、確かに頷いた。

 

「………助けたい、子が……いる……」

 

 エービットの瞳には確かに確かな光がある。

 自分の死に際に別の誰かの名前を呼ぶだけの耀きが宿っている。

 それがどれだけの事なのか。

 

 人の死に際で人生の意味や価値が決まるとするのなら、男は本当にただ純粋な気持ちを言っているに違いなかった。

 

「―――ここから先はオレが勝手にやった事だ!!! アンタは何一つ見なかった!! いいなッ?!!」

 

 胸から抜けた鉄の棒の先端は尖っていた。

 

 腕を切るようにして先端で引っ掻き、ダラダラと流れ始めた血で濡れた腕を男の胸に押し当てる。

 

「な、に………を……」

「何も聞くな!! それと約束しろ!!」

「やくそ、く?」

「その子、助けてやれよ」

「―――ぁあ」

 

 その言葉だけで覚悟が決まる。

 

 人助けの結果。

 

 自分がどうなろうとも、少なくとも後悔は無いという事だけは……確定したのだ。


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