ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第154話「カウントダウン」

 

 大陸における権威というのが50年前に崩壊して以降。

 

 世界が国家主義的な流れとなりつつも、その大半が民主主義と半独裁を用いる複合的な立憲君主制を取るようになった。

 

 この事は多くの場合、帝国からの要請であり、革新的な政治首脳部を置く革命後の政府の思想が『権威とは武力ではなく統治能力である』というものに置き換わった事が大きい。

 

 端的に言えば、あらゆる軍事力を帝国依存で自国の経済負担を引き下げる代わり、帝国の要請で経済発展と社会的な政策に対して大きく“帝国式”を受け入れる。

 

 これが各国の武力を背景にした王政や帝政を大きく変革し、人々の意識に文民統制の原則をゆっくりと根付かせていった事が今日の権威。

 

 つまり、民主主義的な寡頭制の先駆けとなったのである。

 

 故に嘗て政治を巧みに用いていた多くの権威者達はこの流れに乗らざるを得なかった。

 

 拒否しても時代の流れに取り残されて没落する未来しか帝国は用意していないと悟ったからだ。

 

 逆に断固最後まで戦おうという者達もいたが、それが単なる寡頭制の弊害たる傲慢さの表れならば、帝国は容赦なく王家、皇家と名乗る者達を旧時代の遺物として権威を取り上げ、庶民として生きる事を強制した。

 

 そこから帝国式の社会で這い上がって来られる実力があるならば、それで良し。

 

 それが不可能ならば、嘗て王だった者という最も権威者の誇りが傷付く人生を送らせるのみ。

 

 緑の空が広がって以降、この流れは変わらず。

 

 多くの権威者達が帝国の定める帝国式を受け入れて行った。

 

「さて、皆さん。このように人々が知る“帝国式”とは権威者達にとって正しく劇毒の類でした。ですが、何もそれは他の国にとってばかりではなく。帝国に取ってもそれそのものだった事を御存じでしょうか? では、今宵の歴史番組ヒストリアルにおいては帝国の中の帝国式に付いて覗いてみましょう」

 

―――50年前。

 

『オイ!! どうなってんだ!? 何で麦酒の値段が下がってんだよ!?』

 

『はぁ……それが帝国議会の要請でして。酒税法において高濃度の酒精には割合に応じて課税が始まっていて、逆に度数1%以下の酒は減税となっており』

 

『かぁ~~~姫殿下も粋だねぇ。でも、強ぇ酒程高くなるのか。こりゃ酔えない酒程安いってんなら、酒屋の連中は蒸留酒を薄めるかもな』

 

『ああ、いえ、そうなのですが、姫殿下が調味酒の作り方を各地域に降ろしていまして。どうやら高濃度の酒精は医療衛生用と工業用に買い取るそうです』

 

『はぁ~~今度は病院に酒屋が酒を収めんのか』

 

『ええ、今後は酒屋には衛生管理用の高濃度酒精の大々的な製造を行って貰うらしく……そちらは安いとか』

 

『マズイ?』

 

『止めた方が良いかと。死ぬほどマズく造られてます。飲んだら3週間くらい舌の上から生乾きの雑巾味が取れないくらい……』

 

『おぇ……』

 

 帝国において経済、医療、食物、などの他分野のニーズを満たす政策が無数に造られた事は50年前の時代で最大の改革の一つだった。

 

 特に身近なもので言えば、酒類に関する酒税法の改革一つで公衆衛生改善用の大量のアルコールが各地に出回り、劇的に食中毒及び疫病や傷病での死亡率、罹患率が下がった事は今日でも社会衛生学の権威達が賞賛する事実である。

 

 また、こういった法律にはお決まりの各種の利益団体が逆に喜ぶ結果になったというのも帝国が先進的な法規制や法整備の大陸での先駆けであった事を示していた。

 

『移民難民局の者です。お体は大丈夫でしょうか?』

 

『あ、は、はい。どうもすみません……このような体で……本来は働かねばならないというのに子供達の面倒まで……』

 

『いえいえ、子供達も待っていますよ。治ってから働いて下されば、それで十分ですので。言葉一つ取っても大人は子供よりも学び難いものです。ですが、帝国は待てる国家です。貴方が死ぬまでに帝国人となれるならば、我らに異論はないのですよ』

 

『ありがとう……ございます』

 

 嘗て、奴隷上がり難民移民上がりの帝国人が多数輩出された頃。

 

 多くの民達には無数の困難が降り掛かっていた。

 

 その最たるものが帝国に来るまでに発症した傷病における働き手とならない廃者と呼ばれる人々だったが、帝国はそれに対して手厚い看護と保障を行った。

 

 だが、同時に帝国の法と規則を護れぬ者の即時排除は帝国に取ってまったく呵責なく行われた実務でもあった。

 

『ど、どうしてだ!? どうしてオレが追い出されなきゃならねぇ!?』

 

『帝国では如何なる場合も就業中の宗教活動は支持されません。また、貴方が伴侶として申請した方の年齢も帝国では一切違法であり、虐待的な扱いをしていた事も含めて、極刑に処される可能性があります』

 

『きょ、極刑!?』

 

『はい。ちなみに帝国の難民移民に対する極刑の執行方法は“細挽刑”です。出国為されない場合は自動的に指名手配され、同時に以後どのような場合でも入国した時点で確保、最寄の刑場で執行が開始されます。ああ、裁判は行われません。犯罪発生時点で各種の裏付けが裁判所に証拠として提出されておりますので。ちなみに導入されたばかりの刑場が駅近くにありますよ? 行って見ますか?』

 

『こ、こんな国出て行ってやらぁ!? クソが!? ガキを返―――』

 

『いいか。異国人……此処は帝国だ。貴君が帝国人となれぬならば、この大地において貴君はこのようになる可能性がある。だから、我らは貴君に慈悲を掛けているのだ。良いか? 貴君に掛ける慈悲は二度までだ。一度目は伴侶と申請した少女への虐待に対する起訴猶予。二度目は即時極刑にしていない執行猶予。三度目は無い』

 

『―――ひ!? な、何だその絵は!?』

 

『これは写真と言うのだ。異国人……あの方を悲しませるような者はこうなるのだよ。貴君も近くに行って悲鳴を聞いてみるといい。人間が生きたまま潰されて挽肉になる時に上げる絶望の断末魔がどのようなものであるか。それを知りたいならばな』

 

『う、うぁあああああああ!!?』

 

『異国人。どうやら貴君は犯罪者ではあっても帝国人にはなれないようだ。猶予は三日。早く出ねば、貴君は何の痛痒も無い機械に掛けられるだろう』

 

 こうして帝国人が増やされていった実体は善悪の両面。

 

 否、双璧を為したと歴史家達は言う。

 

 この両極端の政策による帝国人の“増産”は移民難民達にとっては恐怖と祝福の二律背反であり、奴隷達にとっては福音であった。

 

 多くの奴隷達は解放されて尚、帝国という主に仕える最良の人生を歩む事を選択し、それに乗れない少数派の奴隷達もまた大半は帝国での生活を得る為に犯罪よりは自らの努力で以て居場所を確保した。

 

「帝国人とは帝国式を護れる人の事である。とは、多くの人々が聞いて来た、行って来た事でありますが、その真実には多くの諦めの悪い人々の涙があった事を忘れてはいけません。彼らは帝国人になるという、その支持不支持を問わず、怖ろしき現実を前にして古き時代に固執した人々だった」

 

 往々にして支配者が変われば、今までの既得権益や常識は崩れ去るものだ。

 

『わ、我が国の奴隷は人口の6割にも達しているのだぞ!? それを全て開放して有権者にしろというのか!? 幾ら何でも横暴過ぎる』

 

『貴君らは何か勘違いをしていないだろうか?』

 

『な、何?』

 

『奴隷を開放しろと言っているのではない。貴君らの代りになるかもしれない人々を貴君らが教え導けと言っているのだ』

 

『な、何を……一体、何を言っている!?』

 

『貴君らがそう出来ないのなら、人の上で椅子を尻で磨く仕事は似合わないと言っている。我らは奴隷と結婚しろとか。奴隷を今から恋人にしろと言っているわけではない。そんなに彼らと笑い合う努力というのは難しい事かね?』

 

『奴隷に頭を下げろというのか!?』

 

『ふむ。頭を下げられない。下げる事すら怯えなければならぬ程に酷く扱ったのか? それとも貴君らは奴隷にすら尊敬されない。自分達より知識も生活力も思想も無い相手に愚かな統治をして範も示せぬ無能なのか?』

 

『―――』

 

『よく考えてみるのだな。誰からも尊ばれるあのお方のように生きられぬ者にもうこの国を任せておく事は無い。それが帝国式というヤツなのだよ』

 

 難民移民達の帝国への幻想は常に打ち砕かれた。

 

 それは国内でも国外でもそうだ。

 

 彼らの多くは帝国の移民難民奴隷の意味を履き違えていた。

 

 だが、同時にその新たなる“意味”を前にして真っ当に生きれば、真っ当に報われるという事実のみを以て嘗ての世界よりもマシな生活を送る為に懸命となった。

 

 鋼の如き過去の常識。

 

 これを帝国が叩いて砕くものであった事に拍手喝采した者は多い。

 

 だが、同時にその暴挙に泣いて諦める者はその同数以上いたのも間違いない。

 

「今残る帝国とは帝国式を実践出来る人々とその子孫であり、本質的に善悪は無く。現行の世界を肯定した者達しかいないのです」

 

 だからこそ、多くの分野でまったく嘗ての常識は破壊されていった。

 

「おお、偉大なる帝国と嘗ては酒場で国家を賛美したおべっか使いの吟遊詩人がいつの間にかテレビという現行の社会体制を築く電子情報機械のプログラム……現行番組の先駆けを作っていたと思えば、嘗て兵隊だった者達は国営の土木建築業者組合。現在の巨大建設企業の前身組織、その従業員ともなった」

 

 次々に帝国式という波に飲まれた人々の波乱の人生が映し出されていく。

 

「奴隷難民移民達は国民となる為に、帝国人となる為に、新たな時代の只中へと新しい服を着て歩いて行った。多大なるコストを支払い。嘗ての常識を破壊する破滅の使者そのものとして彼らは帝国のルールを広め続けた」

 

 だが、多くの人間には解っていた。

 

 古き時代の終わりに、自分達が必要とされない世界に向けて、新たな時代の子供達を送り出しているのだと。

 

「もしも、帝国を悪だと断じるならば、それはまったく以てその通りだと歴史家の多くは語りましょう。ですが、同時に帝国が現代そのものであると断じるならば、まったく以てその通りだと歴史の誰もが追認するでしょう」

 

 古い時代の常識が崩れ去った後。

 

 残された場所に都合よく置かれた帝国式という常識を人々は取らざるを得なかった。

 

 そのせいで多くの人間は自分達の世界を諦め。

 

 同時に多くの人間が救われて現代に至っている。

 

「悪の帝国という単語は反帝国連合の出したプロパガンダでしたが、帝国において語られる帝国式こそが悪と定義するに相応しいものでしょう。それは良し悪しの性格のものではなく。純粋に嘗ての世界、常識、人々の共有した風を全て叩き潰したという点において」

 

 次々に人類文明を進展させた技術と文化が現れた。

 

『テレビ』

 

「おお、家庭の吟遊詩人!! 帝国式の広報者」

 

『ネット』

 

「ああ、これこそが新しき国家!! 帝国式の新たなる大地」

 

『水道』

 

「井戸と川を往復する世界よ去らば!! 帝国式の技術の産物」

 

『電気』

 

「現代の火よ。遍く世界を照らす太陽よ!! 帝国式の夜の友!!」

 

『娯楽』

 

「果ては大人のお愉しみから、今や子供達の毎日に欠かせぬ力まで!! 正しく、我らが帝国。否、大陸が受け継ぎ、生み出し続ける文化!!」

 

 次々に世界を変革したあらゆる事象が紹介されていく。

 

「皆様もお気付きになられているでしょう。たった五十年前……人間の命はもっと安かった。人間の中身はもっと単純だった。全ての人々は劣悪な環境を良しとしていた。こんなにも現代に必要なものは何も無かったのです。正しく暗黒時代!!」

 

 全ては酷く酷く拙かった。

 

 嘗ての苦労を知らぬ世代が半数を占めて尚、過去の世界がどれだけ過酷で戻りたくない類のものであるか。

 

 子供だって体感で知っているのだ。

 

「道端を行く人々は物乞いをして、あらゆる孤児達は路地裏に溢れていた。売春で妊娠した子供達が子供を堕胎して麻薬を買う為に商売をすれば、良い齢をした大人達が敵兵や敵国の女子供を拷問し、火あぶりにする光景へ熱狂し、奴隷は人間ではなく、難民移民など唾棄すべき存在であり、幾ら虐めても殺しても集団で私刑にしても咎められる事すらなかった。それが帝国以外でも帝国内でも最底辺には少なからず付き物の常識だったのです」

 

 誰もが畏れるだろう。

 

 今の時代ならば、誰もがそれはイケナイと止めるだろう。

 

 だが、嘗てはそうだった。

 

「あのお方が悪だとするならば、あのお方はそんな世界を滅ぼしたのです。悪い悪い世紀の大悪党でしょう。何故なら、50年前はそれに普通の人々は真顔で『何が問題なのか?』と訊ねる輩しかいなかったのですから……」

 

 世界が、常識が変われば、社会は変わる。

 

 それは誰が生み出したものであるのか。

 

「帝国式とは正しくそういった暗黒時代の無能の権威と常識から大勢の者達を救い。同時にそれを普通だと思っていた大勢の人々の心の傲慢や悪意を削り造られた理念なのです」

 

 それが多くの人々を豊かにして絶対的な幸福の総量を増やす事にもなった。

 

「我々現代に生きる者達は決して忘れてはいけません。いつか、50年前を知る世代が世を去った時、我々もまた新たな時代の只中で老いて消えていく時、語り継がなければならないのです」

 

 番組内で出て来た全ての映像が並べられた。

 

「古き時代の恐ろしき常識を!! それを打ち破って多くを救った世界の破壊者を!! 真なる悪がこの世に敷いた法ですらない真理こそが、帝国式と呼ばれている今だと!!」

 

 全ての映像が1人の少女の顔を形作る一部となる。

 

「おお、世は悪の帝国のものとならん!! なればこそ、我らは悪の民!! 古の時代を畏れる悪の帝国の臣民なのである!!」

 

 無駄に仰々しいナレーションと共に番組のスタッフロールが重苦しく重厚なオーケストラと共に流されていく。

 

 使われている映像は正しく現代文明の根幹を為す技術を今も使う人々。

 

 そして、帝国技研の顔を黒塗りにされた白衣の男女達であった。

 

 次々に使われている映像画像資料は正しく世を動かした技術が造られ、発表され、検証され、運用され、現実に利益として還元されるプロセスの一部始終。

 

 小さな文字で書かれる技術の誕生と確立。

 

 この多くが真に世界を動かした事はある程度の年齢ならば、誰だって知っている。

 

 最後に考証役に帝国技研の名が入り、プログラムが終了に近付く。

 

 終わりに出た絵画はたった一人の少女が大きな飛行船を前にそれを生み出した技術者達の手に口付けしている様子であった。

 

 誰もが知る話だ。

 

 技術と叡智を司る者達こそが未来を拓く。

 

 そう知っていた少女の最大限の敬意を代表者として受けた者達。

 

 彼らの名は知られておらずとも偉大なる技術者の先駆けとして多くの成果を世に残し、その全てが世界の為に使われている。

 

 そう歴史には書かれてあるのだ。

 

 何処のどんな教科書だろうと。

 

―――帝国北部第三市立小学校。

 

「はい。今日の授業が此処まで。面白かったかしら~~皆さんに少しでも分かり易い教材を探していたら歴史番組が出て来たので家からダビングして持ってきました~」

 

 教室では多くの生徒達がディスプレイに映し出された帝国陸軍歴史編纂室のプロパガンダ番組に思わず沈黙していた。

 

「……せんせー。ネットって帝国式なの?」

 

「ええ、そうよ」

 

「せんせー。ゲームも~?」

 

「ええ、勿論です」

 

「テイコクシキすげぇ……」

 

「誰が知らなくても誰かが貴方達の生活を支えているの。そんな誰かになる為に皆さんは今も勉強しているのよ。誰の為でもいい。自分の為でもいい。その行いが誰かの生活を他者として豊かにする限り、世界はいつでも愉しいものとなる。それが現代の流儀なんです」

 

 学校は自立、自尊、慈愛と共に能力を伸ばす場所として大陸基準において整備された。

 

 地域の実情を反映し、子供が労働力だった場合は子供の働きの無い自営業者などには商売上の優遇が行われたり、無料の学校給食から始まって自立しての食生活が可能なように調理と衛生知識を学ばせ、満足に喰えない程に貧困な家庭ならば、親に小銭稼ぎ程度の優遇措置を与えて、子供を半ば強制的に孤児院などでの一時預かりという名の誘拐で保護し、教育機会を確保する。

 

 裏に表に家庭に恵まれない子供達の多くが国家規模のリクルーター達によって事実上の養育を受け、親帝国派閥に取り込まれていった。

 

 この事実上は心理的誘拐に等しいだろう行いに対し、各国は慈善活動としか見ておらず。

 

 教育に熱心な帝国からの支援を引き出す為の人材の受け入れと活動の許可を長年行って来た事は多くの国が帝国の本当の侵略活動に何一つ気付かず。

 

 あるいは気付いていても“単なる恵まれない子供”と“利益”が釣り合うとは思いもしていなかったという話だ。

 

 このあまりにもお粗末な思想を前に本当に子供達の事を護って来た良識者達の多くは権力者に対して自国の子供を任せるのは危険だと声を上げた。

 

 だが、その殆どが良識である故に多くの人間は耳を貸さなかった。

 

 自分達のいる世界の常識が、子供という次世代を通して消し去られていくという侵略を、ちゃんと理解出来て体感で分かる者の絶対数はあまりにも少なく。

 

 同時にまた多くの良識者達に無い実力と権力と資金力を前にその彼ら自身もまた帝国に屈する事を良しとし始めた事で全ての準備は、帝国式の布教はその時点で完了したのだ。

 

 帝国予算の年平均27%を喰ったのは国外への援助であり、その援助の内実はハコモノや計画的な経済侵略の為の工場よりも人材に対するリクルートと教育、養育に7割が充填された。

 

 その成果は正しく絶大であり、帝国に対して遅れに遅れた国家程に革命の果てに改革を為した親帝国閥すらも慄く程に……子供達は帝国人であった。

 

「さ、今日の授業は終わりです。皆さんもあまり寄り道せず。お家に帰ったらしっかり勉強をしてから遊ぶのよ~~子供は勉強と遊興に興じるべし。どちらも出来る子が本当の優等生ですから~」

 

 勉学一筋のような事を一切しない帝国式の教育はもはや芸術だろうか。

 

 文武両道は聞いた事がある者も嘗てならば多い標語だろうが、文武遊の三つの要素が帝国を成り立たせる子供達の標語だ。

 

 出来る事は出来る。

 

 出来ない事は出来ない。

 

 それはそれでいいが、勉強も運動も遊びも全力でしなさい。

 

 最低限度は何でもやれる。

 

 もしくは知っているようにと鍛えられる。

 

 同時にまた最低限が出来ないのならば、それが出来るように道具や方法論が、新しい教育が生み出され、人々によって選別されながら最適化されていく。

 

 そもそもの話として帝国人。

 

 いや、大陸のほぼ100%の民間人が遺伝病を患わない。

 

 万能薬が与えたのは基礎的な能力であり、遺伝による資質的な問題の殆どが克服されている事を人々の多くは知らない。

 

 努力、根性みたいな精神性。

 

 集中力の持続や極限環境への心理的な耐性。

 

 脳と資質に起因する大半の感情や精神的な素養は最低限が保障されている。

 

 サイコパスやソシオパス、パラノイアの類が未だに存在しているが、そういう者程に現代を生み出した者に惹かれ易い性質である事が多く。

 

 犯罪者になるのは極少数というのも知られてはいない話である。

 

 そのせいで研究者などになる者ばかりだが、彼らは幸せそうだったりするのだから、世の中は正しく随分と管理社会、ディストピア化が進んだと言える。

 

 この50年後にしてあらゆる病気と障害が大半克服された事実を以て、帝国の教育はそれに合わせて柔軟に指導要綱が改定され続け、高度な専門教育と脱落者を出さない抱擁性を併せ持つに至った。

 

「皆さんもワールドばかりやってないで現実の知識も好きなものからでもいいから、ちゃんと覚える事が肝心です」

 

「せんせー遅れてる~」

 

「え?」

 

「せんせー知らないの? 今、ワールド内に現実から情報を覚えて持っていった人達が本作ってるんだよ? 図書館も出来始めてて、現実の情報沢山だって」

 

「まぁ、そうなの? それは失礼……ああ、じゃあ、20倍勉強の時間が取れるという事と考えても?」

 

「―――あ、これ教えちゃいけないヤツだ」

 

「大丈夫よ~ちょっと校長先生に言って、課題や宿題が遅れた子にあっちで補講するのを提案しようと思ってるだけだから」

 

「や~め~て~~ワールドで遊べなくなっちゃう~」

 

 生徒達の顔が引き攣るのもお構いなしにニッコリと女性教師は微笑む。

 

「どんなに出来が悪い生徒でも最低限出来るのが聖女の世代。ふふ、昔とは違うのよ~昔とは~~」

 

「はぁぁぁ……昔は良かったとか言わないもんね大人って。ズルイ……良いとこばっかり持ち出して、子供に今は昔と違って何でも出来るんだから~って」

 

「年の功というヤツです♪」

 

 人類が増え出して数十年。

 

 本来、人間の仕事など機械や様々な現代的施策を行えば、数十億人養うのも数億人働けば可能なくらいの効率化と大規模化があらゆる分野で行われたわけだが、高度人材の多くが職を得ており、暇を持て余すくらいには余裕のある生活をしている。

 

 その最たる理由が無限のエネルギーを手にしているからだとか。

 

 あるいは帝国式が大陸に根付いているからだとか。

 

 そうしたり顔で語る者は多いし、その通りではあるのだが、最たる理由は説明されていない。

 

 子供の教育。

 

 大人の教育。

 

 そして、教育成果による持続可能な創造物の総出量維持。

 

 要は生産物の消費と供給が需要に対して常に適正であり、数十億人が食えるだけの仕事が存在している事が何よりも大きい。

 

 これは需要という人間の心理的、感情的な介在の余地がある要求ではなく。

 

 数学的、合理的な見地からの“消費”が供給と対比されて、満たされているからだ。

 

 つまりは人間の愚かさや感情的な部分で余計に需要が産まれていても供給は決して変わらず。

 

 同時にソレが国家からの適正であるという暗黙の明示が人々に無智蒙昧な感情に根ざした需要を止めて、最低限必要な合理的消費を矯正している事に外ならない。

 

 これが何よりも生産物の需要と供給のバランスに対する不安定さを解消し、世界から飢餓や物価高を消し去った。

 

 安定した統治に人間教育が如何に重要であるものか。

 

 多くが実感しただろう。

 

 人を制御するのは人間の感情を制御するに等しいという論理が、心理的な矯正によって人類に行き渡った故の帰結こそ現代。

 

 真に合理的で感情に配慮した自由度と規律を両立した社会なのだ。

 

 徹底的な計画経済が破綻する理由は地球の共産圏を見れば、簡単に分かる論理であるが、市場経済もまた乱高下を激しくして、数多くの貧者を生み出す。

 

 だが、大陸において行われた帝国式を筆頭にした帝国経済の中身は常に大陸の人間の現状に対して事細かに調整を施す事で目標を達成して来た。

 

 人間の欲望や社会的な欠陥を克服したのが進んだ制度によってのみではなく。

 

 人間の感情、心理を制御する“内心の自由”に対しての一定の歯止めが教育に組み込まれているからであるという事実を以て、世界は帝国の世界経済政策を賞賛するのだ。

 

 このような現場で経済的な自由度に対して出現する“勝ち過ぎる個人”への規制を敷いて、大陸人をあらゆる面から均質化した事で経済格差、生活格差はどんな権力者と無職のニートでも30倍以内に収まるようになったのである。

 

 社会的な弱者や敗者にも最低限度の生活が出来て、娯楽があって、友人知人がいるならば、そんなに不満が出るはずもない。

 

 という……どう考えてもディストピアでユートピアな現代を作り上げた聖女様の頭の中の理想は具現化されたに等しい。

 

 法整備から始まって、全ての国家の事業や経済の内実を明らかにして、政策を3ヵ月単位で微細に制御、安定化させながらパイを増やして分割する。

 

 このあまりにも気が遠くなる仕事の成果を他国に押し付け続けた帝国の官僚こそが、現代の豊かさを作った。

 

 帝国経済界の女帝イゼリア。

 

 嘗て聖女に師事した数字の女神様は大陸経済……大陸の文明を支えた屋台骨として今も全ての官僚達から敬れている。

 

「………まったく、現物で世界の100年分の価値を勝手に創出する聖女様には困ったもんね。教育資金は出来る限り、どの階級の者相手でも落すなとか。宇宙船一隻でどれだけ金額動かせばいいのか知ってるのかしら……ポンとダース単位で船体まで作ってくれちゃって……まぁた予算余ってる……」

 

 学校の理事もしている彼女が各地の統治下の学校から吸い上げている全てのデータを綿密に積み上げた数字を数十枚の紙束から読み取りつつ、大陸資源と資金のリソースの分配を専用のプログラムで各部署に来年度予算案として積み上げていく。

 

 それを補佐する者達が数百名。

 

 無言で新しくなった端末。

 

 世界最高の性能を持つだろう小型端末から浮かび上がる3D投影式のホログラムで確認しながら、虚空に浮かばせたキーボードやらタッチパネル式のディスプレイに書類のサインをするやら、粛々と作業をしていた。

 

 常温常圧超電導から始まって量子コンピューターやモノポール技術まで完備したソレ一つで事実上は巨大なビル一棟丸々が買えそうな値段するものだ。

 

 ソレが帝国技研から雑な梱包で配送されてくれば、もはや笑い話。

 

 あらゆる品は創ればいいという帝国の心臓部の一つはそういう地味なところで割と魔法染みた事をしていたりする。

 

「ふぅ……」

 

 現在地は帝国北部の基地内部。

 

 帝国陸軍を動かす経済産業省の彼らが最重要と見なした地域内に張った仮設施設のだだっ広い区画内部での事である。

 

「(数十億人分のデバイスは絶対必要だからって各地の研究所群付きの工場を24時間操業で何とか揃えたけれど、工場が足りないと現実を言ったら、創ればいいじゃないとハコモノと原材料と機材用の部品を数万ダース用意してくれるとか。正しくあそこは聖女様を地で行く連中しかいないのよねぇ……)」

 

 現在、とある聖女様が人類の資金力と工作能力では絶対に短時間で造れない代物を物量も質も最高品質でとにかく何でも造ってくれているという事実を多くの人間は知らない。

 

 その最たるものがルイナスであり、ジ・アルティメットであり、帝技研付属の工場群だ。

 

 ワールドに向かう為のデバイス。

 

 その工場ではリバイツネードから特に蒼力に優れた者達が選出されて、世界最高水準のライン工とか言う訳の分からないモノにされ、流れ作業で生産され続けるゲーム用のデバイスの最終検品と調整を蒼力で行っている。

 

 他にも現行で造られていたゼド機関がいきなり数百倍の能力を持つ新型に置き換わったり、旧いゼド機関の貯め込んだ動力をそのままに新型に作り替えるという嘗てならば不可能だった事をサラッと日常生活を送りながら、自分に付随する異相空間で行っている聖女様のおかげで24時間ぶっ続けで大陸各地では交換作業が行われまくっている。

 

「(幾ら、設計は出来ても、ライン加工するには設備投資も設備そのものの設置も遅すぎるからって、生産性が低過ぎるからって、教授陣に短時間は無理と言われたからって、何で大陸年間予算1000年分の現物をポンとお出ししてくるんだか……)」

 

 ルイナスの工場という名の巨大物置に毎日数分でコンテナ付きで置かれるソレら新型ゼド機関を大陸各地に送り出す輸送船は列を為しており、ルイナスへの建材を運んでいるに違いないと常識的な人々の誤解を招いているくらいだ。

 

 まぁ、ルイナスには工場類が未だ建設中なのだから、おかしな話だ。

 

 が、誰も気付かない。

 

 それにしても様々な経済関連の書類を誤魔化すのは彼女でも骨が折れる。

 

 聖女様に造って貰いました(笑)では誰も納得しないから、納得出来る嘘を書類に帝国技研がやりましたと書き込むのが彼らの仕事の半分くらいを占めるようになってしまっている。

 

 都市の建材に関してもそうだ。

 

 全ての建材は大穴地下の浮遊式区画に毎日朝7時にはルイナス全土に張り巡らされた異相の道を通って積み上げられ、都市の各地に輸送される。

 

 結局、人類に今必要なものを聖女様が1人でせっせと裏で工作したものを帝国製と言って使っているのが現状なのである。

 

「(本来作るのに膨大な時間が掛かるものをたった一人のマンパワーで生み出してしまう暴力的生産性。これに人類の英知と数の力を加えれば、恐らく惑星の改造までは手が届く……)」

 

 無限機関の自己再生、自己再生産と同時に特定の質量を生み出し続ける物質精製能力までも備えたヤバイ何かが大増産されて何食わぬ顔で帝国製ですと言ってバラ撒いているのだ。

 

 これで惑星くらい改造出来なければ、人類は無能の集まりと謗られても仕方ない。

 

 個人携行用の武装に使うものはともかく。

 

 巨大な発電用の大型ゼド機関だけで数十万本近くがこっそりと最新型に置き換えられていけば、これは何処で造られたんだと本来ならば疑問にも思われるはずなのだが、帝国技研という特大のマッド集団がいるせいでどうせ連中が造ったんだろという誤解から誰もそれを疑問には思っていないのである。

 

「(問題はコレが自分達の実力だと奢る連中が出て来そうな事かしらね……)」

 

 今の人類には一本作るにも工場で10日掛かりですというものがこうもポンポン増産されていては帝国がまた誤解を受けてしまう。

 

 結果、あちこちのリセル・フロスティーナ所属国家から同じ民間用のゼド機関は出せないかと帝国には今も話が引っ切り無しだが、軍用ですという一言で切って捨てていた。

 

「(大陸人の質が機能的、精神的に幾ら向上したと言っても限界がある。精神性ならきっと神みたいなレベルの聖人君子を五万と揃えられる。でも、今の聖女様とやらに付いていけるのは恐らくあの子達だけ……)」

 

 だから、彼女は人類は人類でちゃんと進まねばとも思うのだ。

 

「………」

 

 イゼリアの手には一枚の紙がある。

 

 それは一つの装置を作る認可が欲しいというゼド機関そのものを作った教授と最愛の妹からの予算要求だ。

 

「ブラックホール機関を用いた“深淵物理学”アビス・フィゼィクスの探求。低次元化現象による概念上の真空の作製。更にその先の无の領域、零次元内部の観測とその先にいる“存在”の原理解明。帝技研の“出入り口”を用いた物理超越実験……神にすら為れそうなのにそんなのに興味が無くて助かるわ。ホント……あの子もまったく……立派過ぎでしょ……」

 

 彼女は直筆のサインをする。

 

 50年近く帝国の経済を動かしてきたのだ。

 

 その紙切れ一枚にサインするのがどれだけ重いものかは分かっていた。

 

 恐らくは人類が神を滅ぼす第一歩。

 

 あるいは神にすらなれる第一歩。

 

 もしくはあの神すら殺す聖女様に近付く第一歩。

 

 無論、それは破滅、滅亡への一歩でもある。

 

 だが、信じるしかないのだ。

 

 どの道、もう退路は無いと彼女の目にする書類には増加し続ける新規バルバロスや天文学者と宇宙観測機関からの緊急連絡が来ていたのだから。

 

【火星域で巨大質量の移動と思われる重力変動及び星間物質の爆縮による発光を確認。凡そ2年7か月後。四つの力の実働躯体の到来を予測。ただし―――敵が遠距離攻撃を行った場合、この限りではないと推測される】

 

 タイムリミットが定められた人類の足掻き。

 

 その始りにサインをする彼女は50歳も齢が離れてしまった妹の寄越した小さな手紙を見やる。

 

 紙一枚のメッセージ。

 

 一緒に贈られて来たのは『絶対、みんなを助けます』という一文であった。

 

 翌日、執行された予算によって、封鎖された帝国技研周囲には新たな要塞式の研究所群が設営される事になる。

 

 その新たに帝都で特大の神に至る実験を行う者達は幅広い分野の権威達であったが、誰一人沈んだ瞳をする者は無かった。

 

 笑顔、笑顔、笑顔。

 

 アルカイック・スマイルのマッドサイエンティスト達の群れは好奇心に喜悦する者ばかり。

 

 それを束ねる科学者の神の如く扱われる3人の白衣達と聖女の技術的な片腕としてエーゼルを加えた数十名は遂に封鎖された区画内部で大量のドラクーンを1人1人護衛に伴いながら、研究開発を開始した。

 

 彼らの目的は唯二つ。

 

 解明と運用。

 

 その世界の外に続く場所ですらも存在を担保する物質や構造の開発。

 

 それは正しく神の創造に外ならないだろう覇業。

 

 たった一人に託す為の力を人類の総力によって生み出す計画がどれだけの期間で遂行されるのか。

 

 研究者達当人ですら分からなかったが、誰もが予感を覚えていた。

 

 きっと、必要な時までには全てが終わっているだろうと。

 

「……エーゼル。あの聖女様を助けてやってね……」

 

 科学的な根拠も無ければ、予測や予見出来る知識があるわけでもない。

 

 だが、確信であった。

 

 どれだけの科学を信仰していようと其処にあるのはたった一人の未来を信じられるという感情だったのである。


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