ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第150話「春来る」

 

―――帝都【勝利の学び舎】入学式。

 

「諸君。親愛なる子供達諸君。初めまして。私はドラクーン1423番を拝命する者。名をオーラント・マルクリス。年齢74歳。性別女性。君達が通う学校の校長を兼任する者だ。まず、此処で在った事は全て部外秘。帝国の機密であり、例え親や恋人、子供にだろうとも言えば罰される事をお伝えする」

 

 静まり返った講堂内。

 

 初めて親元から離れてやってきたドラクーン見習いの試験を突破した少年少女が凡そ500名。

 

 彼らのいる中央講堂は半地下で円形議場のように多数の座席に囲まれており、周辺には数千人単位のドラクーン見習い達が詰めて座り、彼らの後輩となる子供達を360°の全方位から歪曲した長椅子や長机の先から見守っていた。

 

 凡そ100m四方の円形の中央部は最下層。

 

 子供達の手前にはまだ20代程だろう女性にしか見えない赤毛の女が貴族風の礼服を身に纏って自己紹介している。

 

「私は見ての通りの貴族出で人間を止めている上位層のドラクーンの1人という事になるだろうか。君達の中には貴族が一体何なのかを未だ理解していない子もいるだろうから、予め言っておこう」

 

 女性は壇上でにこやかに微笑む。

 

 言っている事は何処か軍人的なのだが、その若さと微笑みは少なからず少年少女達には優し気に見えた。

 

「貴族とは貴重という意味で尊き者。嘗て、国家を護る戦いにおいて様々な戦闘の為に大勢の人達を導いて来た者の末裔。それが今に続く貴族や王族の成り立ち。しかし、君達【聖女の世代】においては単なる金持ちや偉い人くらいに思ってくれればいい」

 

 そう言いながらもマルクリスの笑みに何処か違和感を覚えた新入生もいただろう。

 

 目が笑っていない、と。

 

「私の生い立ちを話すとすれば、簡潔だ。私は貴族の家に生まれて、初めて姫殿下がドラクーンの前身である竜騎兵の部隊を創設する際に立てられた養成学校。グラナン校の第2期生だ。当時、私は子供で我らの総大将フォーエ殿とは顔見知りの初期勢という事になるだろうか」

 

 歴史的な偉人の名前を聞いて、少年少女達が少しだけざわめく。

 

 ドラクーンの総大将。

 

 フォーエという名はドラクーンのトップという意味であり、同時にたった一人の女性の騎士という意味で語られる。

 

「今のドラクーンは竜に殆ど乗らない。代りに空を飛ぶ乗物を幾らか操縦し、飛行する鎧を身に纏う。だが、そうなるまでは多くが竜を移動手段にしていた」

 

 彼女の背後の虚空に嘗てのドラクーンの装備や光景を描いた絵画の類が3D投影で無数に浮かび上がる。

 

 ホログラム内には正しくドラクーンのあらゆる装備が書き込まれていた。

 

「ドラクーンとは竜騎兵の意味だ。しかし、今のドラクーンは竜に乗る者ではなく。自身が竜になる者と呼べるだろう。巨大な竜の如き力を持つ者。それが今のドラクーンの意味となる」

 

 まだ小さな手に汗を握る少年少女達は多い。

 

 彼らは非公開ではあるが、実際の倍率だけで1000倍以上、多くの人間の中から選抜された者ばかりだ。

 

「当時、我らの上には大人だけで姫殿下が組織したドラクーンがいて、我々はその後の教育でドラクーンとして鍛えられた。つまり、学校出という事になる」

 

 懐かしそうに女性が目を細める。

 

「そして、姫殿下の御活躍が終わり、あの緑の空が世界を覆い尽してから、我ら学校出のドラクーンはその力を以て世界中で戦う事になった。アウトナンバーとの死闘の始り……当時の同級生達の7分の1がこの数十年の戦いで命を落とした」

 

 初めて他者から語られるドラクーンが死ぬという事実を前にして子供達の誰もが僅かに額へ汗を浮かべる。

 

「ある者は時空間を操る敵と相対して、ドラクーンの新装備が来ない数年もの時間を戦い抜いて死んだ。背後の大勢の人々がいる街を護り続けて、最後は塵になって消えた」

 

 周囲はマルクリスの声だけが響いており、静まり返った講堂には汗の伝わる音さえ響きそうな程の沈黙が下りている。

 

「ある者は負けると分かっていた戦いに身を投じ、数十万の人間の退路を確保するまでの時間を稼いでアウトナンバーに同化され、最後には仲間達の手によって葬られた」

 

 ゴクリと子供達の中には唾を呑み込む者もある。

 

「ある者は姫殿下が必ず帰って来ると信じて、無限にも等しい時間をアウトブレイクした地域の中で過ごし……戦い続けた。彼は近頃生還したが、連続戦闘による精神摩滅によって心を失い。今は10万年ぶりの故郷で療養中だ」

 

【―――】

 

 あまりの言葉に多くの子供達の背中には汗が浮いた。

 

「ドラクーンは人々を護る兵隊だと言う者がいる。ドラクーンは人々を護った英雄だと言う者がいる。ドラクーンは人々の剣であり、盾であるという者がいる。どれも正しい。だが、どれも正確ではない。ドラクーンの本質は―――」

 

 僅かに言葉が区切られる。

 

「ドラクーンの本質は身を投げ出しても戦う者だ。君は、君達は、10万年も戦い続ける事が出来るか? 君は死ぬと分かっている戦場に両親や恋人、大人になっていれば、我が子が出来て尚、赴けるか? 君は自分に罵声を浴びせて石を投げている者を背に庇って死ねるか? 敵に体を貪り食われ、敵そのものと化し、愛する人の手で殺される事を良しとして人生を閉じられるか?」

 

 子供達の誰もがその壮絶な“真実”なのだろう言葉に背筋を凍らせる。

 

「子供達……よく考えるんだ。君達は戦う必要が無い。今はまだ……だが、ドラクーンになるという事は戦うという事だ。世の理不尽と不合理を前に仲間と自分の背後にいる者達の手を借りて、自分の番が来る事を理解しても逃げ出さないという事だ。ただの兵隊は逃げていい。単なる親や子供としてなら、戦いに赴く事を止めたっていい……」

 

 まっすぐに子供達を見て、彼女は告げる。

 

「今ここで約10分後に会場の電源を落とす。その時、この場は真っ暗だ。だが、君達の目にはちゃんと出入り口が見える。もしも、君達が自分を大事にしてくれる人の元に帰りたいなら、逃げなさい。それは恥じでも何でもない。誰かの言葉も気にする必要は無い」

 

 彼女はまっすぐに子供達へ自分の言葉を紡ぐ。

 

「君の人生だ。可愛いと君を愛した誰かを悲しませない事もまた君達にとって大切な仕事だ。人間が生きるという事は誰かを悲しませないという事。笑顔にするという事だ。怒られてもいい。親に失望されたくないとか。そんな事を考える子がいても今だけは子供として無茶も我儘も言いなさい。それを許さない親など、我が校の生徒の親には相応しくないと逆に私が叱ろう」

 

 彼女の目は笑っていない。

 

 それは哀しみを湛えていたから。

 

「名誉、お金、誇り、憧れ、君達がこの為に此処へ来たならば、そんなものは単なるおまけに過ぎないと私は真実を語ろう。此処は命を投げ出しても誰かの為に戦える馬鹿な人間達の集まりに過ぎない。自分が死ねば誰かを泣かせると知っていてもそうする。そんな馬鹿をやらかす者の溜まり場だ。名誉もお金も誇りだって手に入るだろうが、それは全て些細なものだ」

 

 ファサリと彼女が上着を脱いだ。

 

 上半身裸となって子供達の前に立つ。

 

 だが、その体は女性らしいものとはまったく無縁だった。

 

 何故なら、鋼とクリスタルが入り混じる体が半ば透けた内部の内蔵をチラチラと見せており、内臓すらも大量の支柱らしきもので支えられていた。

 

【?!!】

 

「私の体の7割は機械に置き換わって久しい。超重元素製のクリスタルと蒼力で何とか延命しているが、脳もこの有様だ」

 

 彼女の手が自分の頭を取る。

 

 そこにはクリスタル製のカバーに覆われた頭部が、機械が半ば埋まっているような脳と共に見えていた。

 

「私は生きている。だが、君達が思っているよりも苦しいし、哀しい。自分がこんな事になって、情けなく思う。女の人としての体だって本当は取り戻したいし、こんな頭の機械は取ってしまいたい」

 

 子供達の瞳には涙が浮かぶ。

 

「子供達……私は機械ではまだ無いつもりだ。でも、アウトナンバーと戦ったせいでコレはもう私が死ぬまで外せない。こうなってしまったが、何の悔いもない。なんて、言えない……君達には私のようになって欲しくないし、先程まで言っていた私の同期達のようには為って欲しくない……」

 

 カツラが元に戻され、服が着込まれる。

 

 そして、彼らは怖ろしくなる。

 

 自分の仲間達がそうなってしまった時、自分はどんな風に泣けばいいのかと。

 

 その哀しみを目の前の相手は耐えて此処にいるのだと。

 

「よく考えなさい。逃げる事は恥ではない。だが、ドラクーンとなれば、それは恥じだ。逃げた先に君達が逃げたせいで追ってくるかもしれない化け物や未知の敵が来るだろう。その時、君達よりも早く誰かは死んで、多くが息絶える」

 

 涙を流す子供達はそうしてようやく本当に瞳まで笑っただろう彼女を見る。

 

「さぁ、選びなさい。此処が君達の人生で初めての選択だ。子供だから選べない。子供だから分からないなんて無しだ。何故なら、君達は此処にいる。ドラクーンに為れる人間なのだから……その選択はどちらだとしてもこの場の誰もが祝福するだろう。在校生!!! 起立し、斉唱せよ!! 我らの門に辿り着いた者に恥じを掻かせるな!!」

 

 その言葉で一斉に立ち上がった在校生達が荘厳な程に織り上げられた帝国の新芸術、新芸能の偉人達が生み出した校歌を響かせる。

 

 それは泣き声もどんな無様な声も掻き消す音圧を伴った。

 

 そして、そのあまりにも長い英雄譚……たった一人の少女の行いを語る吟遊詩人達の大作の最中、灯りが消されて全ては闇の中に沈む。

 

 だが、少年少女達の目にはハッキリと自分達がやってきた出入り口が見えていた。

 

 此処でどんな無様な泣き顔で外に向かっても誰一人として文句は無いだろう。

 

 自分の心以外は……。

 

 こうして数分間にも及ぶ斉唱が終わった時。

 

 再び戻った灯りの下にいた入学者は300人になっていた。

 

 誰の目にも涙や涙の痕。

 

 あるいは堅く口を結んだ者や拳を握って自分の額を叩いて歯を食い縛って耐えた者もいた。

 

「……おめでとう。諸君らの入学を許可する!! これより君達は我らが同胞。そして、たった一つだけを誇れる人間だ」

 

 在校生が傍らに持っていた花束を残っていた子供達のいる中央部に投げ込んだ。

 

「逃げ出さなかった諸君は只今を以て最初の訓練の合格者である!! そして、逃げ出した者もまた己の愛する家族を哀しませなかった人間として讃えられるべき勇気ある者達だ。両者に帝国とあの尊きお方の祝福を!!」

 

【祝福在れ!!】

 

【おめでとう!!】

 

【これからよろしくね!!】

 

 子供達のいる場所に走ってやってくる在校生達がまるで兄弟姉妹達にするように笑顔で彼らの泣き顔を拭い、頭を撫で、立たせるやらお菓子をあげるやらしながら、連れ立って別の出入り口へと誘導していく。

 

 そうして、子供達にまた笑顔が戻った後。

 

 一人残された彼女がディスプレイで外を見やる。

 

 戻っていった子供達は親に泣きながら謝るやら、それを抱き締められて逆に泣かれるやらしながらも、在校生達の先導でパーティー会場へと向かって行き。

 

 ドラクーンではなくとも、また別の事で帝国には貢献出来ると適正毎に彼らに様々な分野のリクルーター達からのパンフレットやら入学願書やらが手渡されていく。

 

「……フゥ。嘘付は辛いな」

 

「君がそういう人だから任せておけるさ」

 

「フォーエ。来ていたのか。もう少し後に来るとばかり……」

 

 いつの間にか彼女の背後の階段からドラクーンの総大将がやって来ていた。

 

「彼女からちょっとだけ時間を貰って今着いたばかりだ」

 

「そうか。あの方はルイナスで今も?」

 

「うん。毎日毎日土建関係の人達に崇められる勢いで建設中だ」

 

「そうか……何事も無ければ、それでいい」

 

「それにしてもまだ治して無かったのかい?」

 

「あははは、実は存外気に入っている。現在のドラクーンの肉体へ使う先進技術のリミッター無しな代物だ。お前も使ってみないか?」

 

「遠慮しておくよ。というか、それに付いてなんだけど、姫殿下が用いるプロトタイプが完成した。技術実証躯体として技研は君にテストを頼みたいそうだ」

 

「……畏れ多い事だ。あの方の身に纏うものを未熟な私がとは……」

 

「今後、最上位層の肉体に組み込むものは全て使ってる。仕様は君が今使っているモノと比べても数千倍じゃ効かない。外宇宙での超長期活動用として事実上は無制限の能力使用と無制限のゼド機関の復元複製

まで許可される特注品だ」

 

「―――遂に四つの力との頂上決戦か」

 

「ああ、君が今まで緑炎光に侵された脳を用いた実験に協力してくれたおかげで彼女の齎したデータと定理を完全に生かせるエンジニアリングの基礎が出来ていた事は本当の意味で奇跡的な事だ。それ無くして恐らく僕らはアレらに勝てない」

 

「フン。好きでやっている事だ。頭の中のコイツはもう取り出していいのか?」

 

「ああ、もう必要なくなった。それと彼女から……」

 

 一粒の錠剤らしきものが渡される。

 

「これは……」

 

「『今まで辛い思いをさせて済みませんでした。そして、貴方の献身に感謝を……これからもどうか不甲斐ない我が身をよろしくお願いします』ってさ』

 

「―――勿体ないお言葉だ。ふふ……この歳になってまだ嬉し涙なんて出るものだとは……」

 

 彼女の瞳の端が指で拭われる。

 

「な、せ、セクハラだぞ? というか、私を振ったヤツがするな!?」

 

「ごめんごめん」

 

「フン……話は分かった。辞令は?」

 

「今日明日中に。2週間以内には調整済みで宙間戦闘試験をして欲しいって」

 

「了解した」

 

「あ、あとこれも……」

 

「?」

 

 彼女が手渡された書類を見やる。

 

「……合同お見合い会?」

 

「彼女に現在のドラクーンの恋愛事情を話していたら、物凄く責任を感じてくれたらしくて。自分はもう婚約したから、さっさとお前らも結婚しろって言われちゃって……」

 

「あはははは。でも、お前には縁が無さそうだな」

 

 彼女が思わず苦笑した。

 

「いや、出る事にした」

 

「―――どういう風の吹き回しだ? あの方一筋のお前が……」

 

「前から決めてた事だよ。自分の中でちゃんと決着が付いたら、ちゃんと諦めようって……」

 

「お前……」

 

「彼女はちゃんと責任を取った。僕の気持ちだってきっと知ってて……それでもちゃんと僕に婚約して幸せそうに見えるだろって。そう言ってくれたんだ」

 

「……何十年越しの失恋だな」

 

「これからも彼女が僕にとっての主だ。けれど、あの幸せそうな笑顔を見て、僕に抱かれて下さいとは言えない。そうである以上、自分の幸せもちゃんと考えなきゃ。そうしないと本気で怒られる。きっと……」

 

「答えを無限に保留しておいた女に今更それを言うとは面の皮が厚い奴め……」

 

 嘗て少年だった男はまだ20代にも見える女を前にして、きっと……人生で他の人間にする事は無いと思っていた言葉を紡ぐ。

 

「僕と御付き合いを前提に友達となって下さい。オーラント・マルクリスさん」

 

「……お前に恋した女は今や時間障壁内部にいた時も込みで七十代のババアだぞ。その上、体の7割は機械だ。ついでに言えば、下半身も残ってないと来てる」

 

「知ってる。君をその体にしても生かしたのは僕だ。僕が望んだ」

 

「……まったく。本当に……まったく……あの方に似て傲慢だ……だが、子供も産めんぞ?」

 

 彼女が泣きながら微笑む。

 

「帝国技研に頼んでた事があるんだ」

 

「何?」

 

「……君の躯体は女性として最高のものにして欲しい」

 

「―――」

 

「ゼド教授と他の教授の方達に頼んでいたものはもう出来てる。初めて権力を使った気がする……」

 

「………馬鹿者め」

 

 互いに男と女がちょっとだけ苦笑気味に泣いていた。

 

「ちゃんと子供だって産めるみたいだから、問題は無いよ」

 

「相手が生憎とまだいないな。何せ友達に成りたがるヤツしかいない」

 

「恋人になれるよう善処したいと思います……」

 

「そうしろ。この聖女フリークめ。浮気者め……ちなみにこの薬は?」

 

「彼女が君に対して体を取り戻せるように調整した薬だって聞いてる。躯体そのものを組み込む前にって……」

 

「そう、か。では、頂くとしよう」

 

 彼女がソレをゴクリと蒼った。

 

 その途端、彼女のものではない蒼力が体から迸ると彼女の脳裏には1人の少女の姿が浮かび上がる。

 

「『……貴女に何かを謝る事はきっと侮辱でしょう。ですから、祝福の言葉を送らせて下さい。この先どうなるとしても、何が有ろうとも……そこにいる頑固で健気な姉思いの元暗殺者は、わたくしの騎士だった者は貴女を護るでしょう。どうか、散った者達の為にも、貴女自身の為にも、彼の為にも、幸せになって下さい。人の世を支えた貴女に祝福を。それと……彼の秘密を一つだけ―――』」

 

 少女の言葉を脳裏で聞きながら、彼女は目を開ける。

 

 今までしていたカツラが落ちて下から同じ色合いの地毛が伸びており、まるで全てが夢であったかのように先程まで会場に晒していた体は久方ぶりに肌色を取り戻していた。

 

「今度……小麦菓子くらい焼いてやる。飛び切り甘いのを」

 

「えっと、それはスゴク魅力的だけど、君って料理は確か得意じゃなかったような……」

 

「馬鹿!!? 間抜け!? この大戯け!? 女から小麦菓子を貰ったら、炭でも食べろ!! この女誑しの屑野郎!?」

 

「ご、ごごご、ごめん!? 本当にごめん!? いや、食べる!? 食べるよ!?」

 

「後!! お見合い会は辞退しろ!!? いいな!?」

 

「は、はいぃぃぃぃ!?」

 

 嘗て少女だった彼女は頬を染めながら……怒声に思わず慄いた男が頷く様子に笑みを零して、まるで学童の頃に見たような相手の様子にご満悦の笑みを浮かべる。

 

 こうして、1人の聖女の騎士は数十年越しに新しい恋愛相手を得た。

 

 同時にまたスイッチの入りっ放しだった壇上のマイクからは施設内の新入生達がまだ入っていなかった校舎への放送が垂れ流され。

 

 翌日には全校生徒からの『校長先生。ご婚約おめでとうございます』なる昼の放送が大々的に行われ、当人は卒倒。

 

 彼女の半生が涙あり笑いあり感動あり恋愛事情ありで暴露される事になる。

 

 伝説の女ドラクーンの伝説が一つ増えて、ドラクーンの総大将御婚約なる秘密が関係者に共有された事でフォーエが居を置くアルクタラースには毎日のように関係各位から祝電とお祝いが届く事になるのだった。

 

 勿論、放送を聞いたドラクーンの少女達は涙をハンカチ片手に拭いこの世紀のドラクーン同士の恋愛模様をちゃんと年次会報にして学校の歴史に刻み。

 

 数多くの証拠をネットや各種の媒体で記念品として製作し、うっかり流出。

 

 電子空間上では帝国を弄る鉄板ネタとして末永く愛される事になる。

 

 ネット曰く。

 

―――聖女から聖女の騎士を数十年越しに寝取った超純愛最強女ドラクーン(70代)超絶美魔女として同人誌にされる、との事。

 

 その年の最大の同人誌即売会において数千の作家達の約7割が“そういう話”を“大人の本”として“帝国の聖女様”関連の本とセットでお出ししたが、これを帝国陸軍情報部は黙認。

 

『お願いだから出版を差し止めて下さいぃぃ……』

 

『申し訳ありません。本件に帝国陸軍情報部は話が抉れぬよう一切の干渉をするなとの姫殿下から事前の御命令でしたもので……お力には……裁判所に行っても無駄かと……それはともかくとして、おめでとうございます!!』

 

 当人の声はサックリと却下された。

 

 こうして聖女御婚約に次ぐおめでたい話に大陸社会はちょっとだけ明るくなったのであった。

 

 *

 

―――大陸最本端より3003km北東【北極点】周辺。

 

『こちら特務艦ルネルアーズ。極点観測隊応答せよ』

 

『こちら観測隊!! ようやく来たぞ!? 救いの手が!? 管制に報告!! 北極海全域において異常気象及び地軸の変動を確認!! また、大規模な空間歪曲による連絡遅延が起きている!! 現在、設置中のゼド機関合計17機の内の16機の敷設完了!! しかし、このままでは基地が歪曲空間に呑み込まれるまで時間が!! 直ちに基地隊員の救出と最後の設置を行えるドラクーンの派遣を求む!!』

 

『こちらルネルアーズ管制。状況を把握した。現在待機中のドラクーン全機発艦。第04-B行動計画に従い。直ちに行動を開始せよ』

 

 世界に一つの大陸。

 

 その北の先には巨大な氷の大陸が存在する。

 

 陸地が完全に存在しない北極海に浮かぶ氷の巨大さはこの30年程で完全に観測されて海底までも書き込まれた。

 

 が、その巨大な氷の地殻とも呼べるモノの真下に位置する海底は深度30kmにも及ぶ深さである。

 

 何度も調査出来るような場所でもない為、殆どはコンピューター制御の氷の上の基地の地下施設から無人機を用いて都度観測を行っている。

 

 そんなリセル・フロスティーナが置いた唯一の基地は現在、次々に巻き起こる異常気象と超常現象を前に放棄されようとしていた。

 

『データを送る。現在、北極海における風速は320m。歪曲空間内において何らかの恣意的な運動量の増加がほぼ確実と観測データより推論されている。また、北極海に撃ち込んだゼド機関による空間矯正が完全に効いていない事から、その何かは空間を曲げる能力を持った存在である事が予想される』

 

『こちらルネルアーズ管制。データを受信した』

 

『気温は―――く、また下がった!? 外部気温現在-193度!? ドラクーンの最新の標準耐寒気温が-230度だったな。このままでは……ルネルアーズ!! 全てのドラクーンの装甲表面を極耐寒装備にしたか!!?』

 

『問題無い。ドラクーン分隊がそちらを確認した。隊員は輸送コンテナ内か?』

 

『あ、ああ、もう全員が耐寒コンテナ内に避難済みだ!! 現在の基地内部気温は-120度!! 基地表層のヒートシールドを完全開放しているが、いつまで持つか分からない!!』

 

『基地の一次的放棄は確定している。耐寒コンテナを救出次第、ドラクーン分隊はゼド機関の設置に掛かれ!! 異常な気温低下現象の解析を急いでいるが、歪曲空間内部で局所的な熱量の収奪現象を確認。これは……光か? 相手は光波による分子静止能力を持っていると推測される!! 装甲表面をピュアブラックに変更せよ!!』

 

 巨大な氷床の上にある基地の周囲の猛吹雪というよりはもはや単なる巨大な氷の粒が混ざった白い壁を切り裂くように飛行していたドラクーンの装甲が通常の黒よりも更に濃密な光を一切反射させない暗黒と化した。

 

 途端、その体を上空から青白い光が照らし―――。

 

 その発射元に向けて蒼力の光弾が猛烈な弾幕として飛んだ。

 

 蒼力は物理事象を引き出す場からの干渉であり、出力は空間の距離に比例して落ちていく。

 

 逆に言えば、物理事象には左右されずに威力が出せる。

 

 青白い輝きの根本が瞬時に爆発したかと思うと時間でも巻き戻したかのように全ての輝きも運動エネルギーも嵐に呑まれて消える。

 

 だが、ただ消えたというのも違うのか。

 

 吸収された運動エネルギーをまるで自在に操るかのように風速が一気に30m以上増して分隊の軌道を捻じ曲げるかのように吹き荒び始めた。

 

『こちらD分隊。コンテナを回収するのに基地外殻を破壊する許可を』

 

『了解。管制権限でロックを外します。飛び込むと同時にコンテナを回収してそのまま撤収!! 退路を確保したB分隊とC分隊にコンテナ積載者以外は合流し、敵性物体の排除を開始して下さい』

 

『ロックが外れたのを確認した。扉を吹き飛ばすぞ!! 耐寒コンテナ内の者は耐衝撃防御!! 何かに掴まれ!!』

 

『ッッッ』

 

 繋がっていた音声を聞いた基地内の倉庫にある二十人が入れる六角形の長いコンテナの数十m先にあるハッチが外側から一斉に体当たりしたドラクーン3人分の質量で弾け飛んだ。

 

 積み上がったコンテナの山を崩して周囲に猛烈な劇音を響かせながら奥の隔壁へと扉が衝突。

 

 その合間に踊り込んで来たドラクーンの1人がコンテナを確認し、背中をコンテナの中央部に寄せた。

 

『こちらA分隊。ゼド機関を海中で確認。周辺の氷塊の排除と接地を開始する』

 

 ガチンという音と共に20mはあるだろう長いコンテナが音を立ててドラクーンと共に浮き上がった。

 

 内部では隊員達が周囲の突起に抱き着いたまま衝撃に備え続ける。

 

『回収完了。直ちに帰投する』

 

 出入り口から猛烈な勢いでドラクーンが1人でその馬鹿馬鹿しい質量差を物ともせずに時速数百kmという速度で現場から横に細長いコンテナを背負って離脱していく。

 

『こちらF分隊。極地観測の現地セッティング最終調整終了。回線安定。電算室解析どうぞ!! 3、2、1観測開始』

 

 巡洋艦の扱いとなるルネルアーズは局地戦仕様の航空母艦。

 

 300m級の宇宙仕様に改装が完了したばかりの船だ。

 

 その電算室に現場から流されて来たデータが艦中央艦橋裏に配置されたメインサーバー内で編纂され、次々に艦橋で表示されていく。

 

「これは……」

 

 艦橋でオペレートをしていた者達の目に入ったのは巨大なアンコウが大量に円を描くように忠臣から伸ばした体を無数放射状に配置したような何かだった。

 

「円盤型? やはり、新規バルバロス。四つの力の先兵か」

 

 艦長席で呟くのはドラクーンの鎧を着込んだままの男だった。

 

 メットもそのままだが、情報処理に特化された装甲は大きなバックパック型の電算機を積んでおり、即時の指示出しが可能だ。

 

「全長320m。だが、空間制圧系の機能が追加されているとすれば、対艦攻撃が必要だな。よろしい。あのデカブツに主砲を向けろ。副砲、主砲のみ。全艦空間歪曲の衝撃に備えろ。跳躍砲弾を使用する。半径2kmからで収束時の歪曲率を下限に設定しろ。艦砲による支援砲撃後、分隊は突撃。距離900で中距離戦闘を開始。オール・ウェポンズ・フリー……こんな事を言う日が来ようとは……アウトナンバーが滅んでも未だ我らは渦中か」

 

 リセル・フロスティーナの戦闘用艦船が積む武装の大半はアウトナンバーに対して有効打を与えられる武装であり、砲弾一発で街一つ消し飛ばせるような代物が大量に積まれている。

 

 大陸の上では危なくて限定使用が交戦規定によって定められているくらいだ。

 

 つまり、全武装の使用許可とは全力を出しても良いという……ある意味で兵器にしてみれば、本望だろうが、使用者にしてみれば、悪夢の始りを示していた。

 

 剣のように錐形の船首が嵐の中心へと向けられる。

 

 艦甲板上と側面に船体内部から僅かに露出した艦砲が砲口の位置を自動追尾しながら調整していく。

 

「………照準固定。艦長。いつでも撃てます」

 

「跳躍砲弾20連間隔4秒砲撃開始」

 

 メインオペレーターのコンソールの内側から出て来たセーフティーである砲撃のコマンドを手動入力するトリガーがカチリと押された。

 

 途端、火砲が火を噴く。

 

 実際にはマズルカフラッシュすら無いが、砲口内部で光が収束したかと思うと瞬時に砲口内部から直線状に風景が極度に引き延ばされたかのような三つのラインが世界に牽かれ、瞬時に着弾した何かが炸裂した途端。

 

 グワンッと音がしそうな程に嵐の中心域の景色がドーナッツ状に歪んだかと思うと瞬時に歪みが中心域に収束して―――。

 

「命中!! 命中!! 命中!!」

 

 次々に砲弾の命中報告が4秒毎に繰り返され、80秒後に歪曲した中心域からブワリと空間の波らしきものが周囲へと拡散。

 

 全ての領域が歪んでから元に戻っていく。

 

「全弾命中しました。空間障壁解除。艦ダメコンに反応ありません」

 

「全前衛分隊突撃」

 

 艦長の指示の下。

 

 猛烈な勢いですっ飛んでいく黒い流星のようなドラクーン達が嵐が吹き飛んだ中心領域に歪んで内部から血潮を溢れさせつつも再生を始めている先程とは違って球体状になった敵を睨んだ。

 

 触手染みて伸びて垂れ下がった斑模様の触手。

 

 その先端には青白い光を発している器官。

 

 これを隊員達が瞬時に切り落としつつ、蒼力による敵内部への直撃弾が爆発。

 

 敵内部から複数回炸裂して相手の体表がボコボコと膨れがっていく。

 

 更にその衝撃で大量の血液を漏らした敵が高周波の悲鳴染みた声を上げた。

 

 だが、斬り込んだ男達が背中のバックパックを引き抜くようにして展開した途端、速射された小銃からの弾丸が命中。

 

 次々に叩き込まれた部位から弾け飛んだ肉片が雨となって周囲に降り注ぎ。

 

 削り切られた表皮内部に追撃とばかりにランチャーから摘弾が撃ち込まれる。

 

 瞬間、巨大な図体の半分までもが完全に消し飛んだ。

 

 それでも未だ浮遊するソレの質量は膨大であったが、再生よりも早い質量の喪失していく様子はもう時間を待たずに敵の崩壊を予測させる。

 

 地表に零れ落ちた全ての血肉が蒼力の海、相手の再生を許さない輝きの中で分解されていく様子は勝利を如実に物語っていた。

 

 完璧に連携して見せた分隊が射撃を続けて数十秒後。

 

 質量の全てを虚空から削り切られた敵らしき物体は空間の歪みの中心で蒼力の光弾を最後に受けて完全に焼け朽ちて一片すら残されずに焼滅したのだった。

 

「敵構成質量0。構築分子の分解も確認しました」

 

「引き続き警戒に当たれ。各分隊にはゼド機関の設置完了後、直ちに帰投せよと」

 

「はい。艦長」

 

「回収した観測隊の隊員はそのまま隔離。検疫後、基地内での一時観察が終了した時点で元の部署に戻す。準備に掛かれ。戦闘データはもう本部に回したな?」

 

「はい。恙なく完了しました。総司令部より『ご苦労』との事です」

 

「素直に受け取っておこう。艦内状況を第三待機に引き下げ。手の空いている医療班から一名を選抜して隔離したコンテナに派遣。治療と聞き取りを開始。ああ、それと……」

 

「はい。何でしょうか?」

 

「我らが総大将殿に婚約おめでとうと電報を頼む。艦総員の名義でな」

 

「あ、はい。給わりました!!」

 

 メインオペレーターの女性が嬉しそうに頷く。

 

「部隊の撤収が終了次第。北極海を離れる。航路は同じものを使用しろ。何かあれば呼んでくれ。しばらく報告書を書かねばならん」

 

 オペレーター達が敬礼後、すぐに仕事へ掛り始めた。

 

 一連のオペレートが終了した事を確認した誰もが互いに顔を見合わせて、何処かホッとした様子になったのは未知なる相手を前にして勝ったという事実を噛み締めたからか。

 

 こうして北極海における戦闘が終了した事は一晩眠った聖女に翌日伝えられる事となった。

 

 彼らの後に残されたのは艦から投下された観測データを送信する海中用ドローンポットを複数機接続しているフラクタルな自動回遊型大型無人装置のみ。

 

 嵐の後の静けさと放棄された基地だけが晴れ渡る大地の上に残されたのだった。

 

 *

 

 巨大な人型の機影が次々に如何にも悪そうな凶悪なフェイスの機械巨人達に群がられ、装甲を破壊され、腕をもがれ、全身を罅割れさせて膝を屈する。

 

 炎と爆発の中に沈む主人公の顔が悔し気に歪み。

 

 何もかも終わりを迎えようとした時。

 

 闇夜と噴煙に隠された赤黒い空に天の果てから一筋の流星が流れ落ち。

 

 世界を埋め尽くすだろう巨人の群れが無限にも思える大地の果てから流星より照らされた光の中で砕けるように消滅していく。

 

「一体、あれは……」

 

 血に濡れた主人公が天を見上げた時、そこに飛来する流星は太陽より尚眩く輝き。

 

 その輝きの中に1人の少女の姿を露わにしていく。

 

 今まで誰も見た事の無い煌めきを迸らせる相手。

 

「貴女は―――」

 

 その言葉が呟かれる前にナレーションが入った。

 

『次回ラストミッション。帝国の女神は帰りて。最後の敵は女神様!?』

 

 次回予告が終了した時点で近頃流行りの帝国公営の動画サイトでは無限にも思える文字の弾幕が右から左に流れまくっていく。

 

 ―――最後の敵は聖女様かよ!?

 

 ―――いや、女神様だから……。

 

 ―――帝国被れは返ってどうぞ。

 

 ―――現実とアニメをごっちゃにするなイイ加減にしろ!!

 

 ―――その帝国のスタジオが造ってるアニメですから……。

 

 ―――決して、現実の人物、組織とは一切関係ありませんハイ。

 

 ―――ご本人が帰って来てから地上波で流すのか(困惑)。

 

 ―――アンジェー民としてはひ、非常に期待したいんゴ♪

 

 ―――すっこんでろヘンタイ書物収集家の民!!?

 

 ―――く、アンじぇーは帝国の病巣ハッキリ分かんだね。

 

 ―――今、確か聖女寝取りものが大流行するって大急ぎで書かれてるから。

 

 ―――もしかしたら急遽変更されたかもな。

 

 ―――今年の年末のミケは豊作だろうな……。

 

 ―――つーか、何割の作家がミケに出す作品聖女ものにするんだか。

 

 ―――全部、帝国陸軍情報部に差し押さえられなければの話な。

 

 ―――今期の覇権アニメみんな最後のラスボス聖女説……アルと思います。

 

 ―――いや、(ヾノ・∀・`)ナイナイナイ……いや、在るわ(今期覇権アニメ見ながら)

 

 ―――(*´Д`)ハァハァ、女神様ペロペロ。

 

 ―――情報部の人ウェーイ・ミテルー犯罪者がいるよ-。

 

 カチカチとマウスがクリックされる。

 

「人間の尺度で何事も進まないというのが多くの場合の現実だが、我らの現実すら尺度としてはもはやあの聖女にとっては小さいのだろうよ」

 

 半透明のクラゲ染みた蒼い衣服を着込む女が朧な影を現実の中に差し込む。

 

 彼女の周囲には彼女と同じくらいの人型の竜やら不定形の白金のような物体やら黒い獣やら、諸々百鬼夜行の如きバルバロスと見える者が多く屯している。

 

 彼らの誰もが半透明で人々はネットカフェ内の一角を認識していないかのように遠ざかっていく。

 

「初めて人が我らの尺度を超えた今回。四つの力はイレギュラーを受け入れた」

 

「然り。須らく永劫の刻限は区切られ、真なる絶望が舞い降りようとしている」

 

「次なる時代の復元を待たずして外なるモノが顕現した為か?」

 

「だが、黒と緑はあの個体に抑えられた。しかし、最後の赤が目覚めねば、白と化したアレがいても意味は無かろう」

 

「だが、あの個体は時代を進める気だ」

 

「一足飛びの進歩……だが、それは禁忌の―――」

 

 ざわつく多種多様な形の異形の者達。

 

 彼らを人はバルバロスと呼ぶ。

 

「月砕く指はもはや新たな軌道に入った」

 

「月に眠る【無限の輪】は新たなる主を欲したのか?」

 

「ならば、この世の中心たる【蒼の劔】が熾るまで幾何の時も無し」

 

「『黒の裁定者』は全てを滅する為の最終段階へと移行している」

 

「『白の賢者』は指をどうするべきか迷っている」

 

「『赤の隠者』は人の手に何を託そうとしているのか」

 

「しかし、『蒼の奏者』のみがあの個体に力を砕かれて以降、完全なる静観を見せている……これは今までなかった事だ」

 

「白から赤へと流れた個体は今回にて消滅した。だが、問題はあの個体の情報全てが“アーカイヴ”より削除された可能性がある事だ」

 

「黒と緑。外なる者の力か。再生も復元も許さぬならば、終わりを運ぶという事なのか?」

 

「土神により意志途絶えぬ我ら百八種。しかし、復元前の破滅すらも人は新たなる時代の力にて防ぎ切ろうとしている」

 

「となれば、我らもまた滅びる定めに捕らえられるのかもしれぬ」

 

「者共静まれ」

 

 人型の竜の一声で化け物達の声がピタリと止まる。

 

「黄昏は近付いている。我らはもはや傍観者では要られぬ。ならば、再びの意志無き復元にて神の、四つの力の隷奴と成り果てるのも已む無し、とは誰も言えぬ」

 

 多くのバルバロス達が口を噤んだ。

 

「あの個体。フィティシラ・アルローゼンが新たなる可能性であるならば、アレは全ての存在の間に立つモノだ」

 

「神と人と人成らざる者と我ら異種。だが、それは人の身にて在り得るか?」

 

「本来何一つ決定権を持たぬ人の世が自らの力で動き出そうと言うのだ。となれば、ソレをブラジマハターと人が称した我らの長は黙って見ておれぬはず」

 

「消えた存在。何処かに在らんと言うか?」

 

「然り。この大地の中央、あの山の下には未だ【蒼の劔】に列なる施設が眠る。あれらならば恐らく見つけ出せるだろう。我らが長を……」

 

「赤に降って滅びたあの個体ならば、何か知っていたのかもしれんな」

 

「浅慮盲目なる人の世が我らと共に滅びんとすれば、我らとて立たねばならぬ。審判を下すのが如何なる色だろうとも、命たらんと欲すなら、意を示すのだ」

 

 人型の竜の声に半透明の異種達は何処かへと消えて行った。

 

 残っているのは不定形の白金と半透明の女と竜だけだった。

 

『ふわ~~ツチカミさんどうしたんだべか?』

 

『何じゃ? グランジルデかえ? 眠いのじゃが何かやかましいぞよ』

 

 何処からか声が聞こえて来る。

 

 それに目を細めた竜はイソイソと自分のねぐらに戻る事にした。

 

『何だ? 目覚めているのか? 何もしていないぞ我らは……エジェット!? エジェットはいるか!! 祖竜の様子を―――』

 

「……人の世は儘ならんな」

 

 人型の竜。

 

 聖女にアグニウムをポンとプレゼントしていた竜はイソイソとネットカフェの中から消えていく。

 

 残された者達も消えた後。

 

 客が今まで異種達が会合していた場所に陣取り……故障しているPCを見て、さっそく店員を呼んで文句を付け始めるのだった。

 

 *

 

「マヲ!!」

 

 指差し確認する黒猫が適当に出来上がった都市のあちこちに出没して、事故りそうな建設者達を軽くお助けするという猫神列伝的な都市伝説が広がるルイナス。

 

 その中央区画の最下層。

 

 ようやく天井に空を投影する機材が運び込まれたので朝と夜を蒼力で適当に再現せずに済む事になった邸宅。

 

 朝からは婚約者達のアクロバティックな寝相やら起きるのも一苦労な人口密集具合の中から抜け出して、まだ誰も起きていない時刻の空の下。

 

 地熱からの熱量供給と発電によって循環と浄化を続けるほぼ半永久的にお湯が供給され続ける岩風呂、温泉形式浴場に入る。

 

 ボイラー不用で地殻深部の熱量をそのまま供給して完成した風呂はついでに1月1回のフィルターの蒼力による浄化さえあれば、後は延々と使い続けられる代物だ。

 

 屋内の岩やらタイルやら建材・小物が全て光触媒式の抗菌滅菌仕様なので雑菌が繁殖する隙間は何処にもない。

 

「ふぅ……」

 

 今の風呂に入る人物の大半は帝都から引き連れて来たメイドと婚約者御一考様+関係者なので普通の人間で入るのは侍従オンリーである。

 

 婚約してから全員に飲ませた遺伝子薬は寿命を消し去るのみならず。

 

 脳の能力向上、新式の代謝まで行うドラクーンを作る薬の改良版。

 

 事実上は人類の不老化と超高耐久化を引き起こす代物だ。

 

 あらゆる代謝活動が蒼力とセット。

 

 ついでに本来再生しない部分も再生する。

 

 プラナリヤみたいに体の一部が人体模倣して化け物になる事は無いが、アポトーシスとネクローシスの完全制御と内部外部からの遺伝子汚染、エラー、疑似遺伝子化を完全修復する上に細胞の器質劣化と増殖限界も癌細胞染みて一定サイクルで完全にリフレッシュするというヤバイ仕様である。

 

 肝細胞由来のIPS超速細胞増殖能力は肉体の質量さえあれば、血を流す事無く即時復元に近い速度。

 

 蒼力を用いる第三の脳の生成と自己完結する分子制御、自己再形成能力は物理的な分子構造体としての人体を最盛期のまま永遠に保つ。

 

 永遠にフルスペックが発揮出来る人類みたいなものだ。

 

 垢は出ないし、各種の老廃物は蒼力による新代謝機能で再利用可能。

 

 排尿だけ自分でオンオフ出来るが、排泄は今後の宇宙開発を見越してオフにしており、内臓の方も色々と変化している。

 

 従来使っていた大腸や小腸は生理学的な排泄機能以外の能力はそのままに別の器官である生殖器へと置き換えられた。

 

 事実上、口から元肛門まで内蔵は繋がらくなっている。

 

 細胞強度がそもそも人間らしからぬドラクーン基準であり、体重は嘗ての自分よろしく約24倍になった事だけは謝るべきだろう。

 

 まぁ、物凄くジト目で溜息を吐かれて仕方なさそうに許してくれた婚約者達に当分頭は上がりそうもない。

 

 人体能力の向上そのもので道具などを破壊しないよう緊急時以外は握力その他の能力は全てフェグ基準で一定の生化学的なタンパク質と脳内物質と心理学応用のリミッターが掛ってもいる。

 

 緊急時には蒼力も用いられる為、自己崩壊するような出力も出ない。

 

「………」

 

 人間の細胞を遥かに超えた質量は超重元素を大量に取り込んだ故のものだ。

 

 ついでに各種の脳以外の臓器は1つだったものが2つずつ、2つだったものは4つで左右対称に収まるように設計されている。

 

 血管強度もまったく違うので心臓も2つとなった事から、常人とはまるで比べ物にならない身体機能だろう。

 

 とにかく、教授陣に頼んで体の形とか色合いとかは変わらないようにして貰ったので肌が白くなりました~という自分みたいな事は起きない。

 

 が、やっぱり色々と変化した肉体に戸惑う様子は見て取れた。

 

(結局、人間を半分以上は止めさせたに等しいからな……)

 

 女性なら来る月一の生理などは基本オフの状態であり、ホルモンバランスの傾きを蒼力によって制御する事で排卵が始まるようになっていたりするし、女性由来の病が消えたが、新しい脳は副次的に高次元や低次元からの干渉を受け易くなり、各種の精神汚染に対する対策などが必須にもなった。

 

(考えれば考える程、此処がネックなんだよな……)

 

 普段通りのように振舞っていても、人間らしい生活様式が減ったりするのは間違いなく精神に悪影響なので排尿と食事だけは欠かさないように指導している。

 

 ちなみに排泄物となるはずだった食料などは栄養と水分を胃で搾り取った後に恒常性の蒼力によって原子レベルで分解。

 

 土神の能力を遺伝子的に再現した機能で同じように質量を一定量肉体に保存する仕様である。

 

(諸々全部突っ込んだが、これでも何も安心出来ないのがまた……今度は現実改変能力者とか来たし……)

 

 本家の土神とは違って一定量を超えたら、蒼力で骨と髪の毛に質量が充填され、最後には伸びた髪の毛としてカットされる。

 

 ちなみに薬を飲んでからはザックリとムダ毛が消えて、ムダ毛処理は必要無くなったし、頭髪と眉毛、睫毛以外はさっぱりツルリである。

 

 髪の毛は自身に保存されている質量がある限りはほぼ幾らでも伸ばせるようにしておいた為、新しい髪型を試せると一部から好評を博していたりもする。

 

(胸は大きく為らんのかというお問い合わせもあったりしたが、そこは自己の成長制御と体積制御の機能まで積むかどうかだからな……)

 

 肉体の意図せぬ成長や過剰な暴走を起こさない為にミヨちゃん教授の知識の限りに安全策を講じて貰ったので肉体の成長に関しては色々と制限が掛っている。

 

 胸だけ大きくするのは可能だが、それは遺伝子的な話であり、個人の遺伝子の資質的な部分で増減の幅が在り過ぎて、実際試して腹が膨れましたとかウェストがーとか言われても元に戻すにはまた遺伝子を弄る必要がある為、やっていない。

 

(いや、難しい体になったからこそ安全策を取ると胸とか尻とか盛るのも一苦労だし……蒼力で無理やり再構築してもいいけど、あいつらの体の複雑さが増した以上、リスクはさすがに……)

 

 このような肉体の形成で特に問題なのは脳の容積が肥大化した場合、元の容積に戻すのが蒼力を使っても繊細過ぎる工程なので難しいという事実だ。

 

 結果、成長がある程度の状態で止まった後は小さくも大きくも為れないようにするしかなかった。

 

 それらを誤魔化したい時などには蒼力で見せ掛けたり、肉体の体積を異相に引き込んで減らしたり、少し増やしたりするリビルドを自力で出来るように教育する事になるが、それはまだ先の話である。

 

「まぁ、別に巨乳好きでもないしな」

 

「おっきいおっぱい好きじゃないー?」

 

「いや、好きなのは相手のおっぱいであるというのが基本的に正しい男性陣の回答だから……」

 

「……ふ~ん。えい」

 

「近頃物凄く気配消すの上手くないか?」

 

「へへ~~」

 

 フェグがいつの間にか何も身に付けない全裸スタイルで背後から近づいて来て、ムニュリと背後から大きなものを押し付けつつ、頭の上でダラダラし始める。

 

 本来ならば、乳白色の鱗のエンブレムでゴツゴツするはずなのだが、更に強くなった昨今……肉体を構成するバルバロスの鱗を完全に制御出来るようになったせいでしっとりプルプルで肌色に変色させる技まで身に付けた。

 

 結果、明らかに人体の肌の質感のまま抱き着いて来るようになったりしている。

 

「……フェグ」

 

「なーに?」

 

「ちょっとだけ抱き締めといてくれ」

 

「……ぅん」

 

 いつもはお菓子だ戦いだと姦しい少女もよく考えてみれば、この世界では生憎と不幸な生い立ちだ。

 

 それが幸か不幸か拾われた先で人間を止める嵌めになっている。

 

「お前には色々と迷惑を掛けたし、寂しい思いをさせた。利用したオレが言えた事じゃないが、命を掛けさせた事……後悔はしてないが、もっとやり用があったんじゃないかと思ってる」

 

「………」

 

「お前はそれなりに自分で生きられるだけの強さを手に入れたし、実際に大勢の人達からも慕われてるみたいだし、此処から先、絶対負ける戦いばかりの戦場に参加しなくたっていいんだ。本当のところ……」

 

「………」

 

「でも、お前の力が必要だ。互いにこんな体になってもまだ未来は見えない。いや、閉ざされてる」

 

「………」

 

「これだけやっても、やっぱりあいつらの死に顔が予測で見えると堪える。最後にお前が死んで……オレは負けてばっかりだ」

 

「………」

 

 ついばむように横合から額に小さな音がした。

 

「ご主人様……私のご主人様は1人だけだよ? ずっと一緒にいてね……もし全てが消えちゃっても、フェグは傍にいるよ。いつまでだって……」

 

「―――あいつらに見せられないな。こんな顔……」

 

「ダイジョーブ。護るから♪」

 

 背後から抱き締められてしまう。

 

「ブラジマハターとやらより、お前の方が千倍頼りになりそうだ」

 

「うん♪」

 

 浮気とやらなのだろう。

 

 だが、あの婚約者達に女々しい自分なんてやっぱり見せられはしない。

 

 あの自分を信じてくれて付いて来てくれた誰もに希望はあると胸を張って言えないならば、世界なんて救う必要は無いのだから。

 

「ん……」

 

 唇は少しだけ甘く。

 

 昨日の夜に渡したチョコレート菓子の味がしたのだった。

 

『………ばか』

 

『いいのですか? いつもみたいに怒鳴り込んでいかなくて』

 

『ノイテさん。シュ-はオトコノコだから……』

 

『左様ですか……』

 

『誰かを導くなんて、本当は向いてないんだ。でも、放ってもおけないから……だから、どんなに苦しくても助けたい人の前で弱音なんか言えないの』

 

『あちらでも?』

 

『うん。どんなに苦しくても辛くても、私の事助けてくれた……色んな事を教えてくれた……本当は途中で私……シュウに自分の事を好きにしていいよって……言おうと思ってた……でも……』

 

『でも?』

 

『毎日毎日、面倒を見てくれるシュウが……頑張って頑張って……前を向いてる姿を見てたら言えなかった……だって……』

 

『………』

 

『シュウは自分の利益の為に頑張ってたんじゃない。私を助けようと必死になって……疲れてボロボロになるくらい働いて……私の体なんかじゃ少しも釣り合わないくらい沢山のものを与えてくれたの……」

 

『シュリー様……』

 

『あのね。此処にこうしていると説得力無いかもだけど、私の夢はシュウのお嫁さんになる事じゃないんだ』

 

『何となく解ります……』

 

『シュウが助けてくれただけ、助けられる人に……なりたいんだ……』

 

『きっと、誰もが思っていますよ。あの他人の為に働き続ける彼女を助けられるだけの人間に為りたい。それはきっと我々だけの思いではないはずです』

 

『ぅん……だから、今はいいの……いつか、シュウのお仕事が終わったら、その時にはちゃんとお嫁さんにして下さいって言えると思うから……』

 

『お互いまだまだ夜は人肌恋しい事になりそうですね……』

 

『ふふ、ぅん。ぁ、でも……幾らシュウが寝てても、もぅちょっと声は落した方が……』

 

『~~~ッ!?』

 

『ぇっと、その……結構、みんなのそういう……声、聞こえてて……』

 

『~~~~』

 

『だ、大丈夫!? ふ、普通だから!! こ、これでも詳しいから!!』

 

 世の中、何事も上手くイカナイ。

 

 癒されてしまう朝風呂なのだった。

 

 *

 

―――『全て帝国官僚に任せておけ。それだけでいい』帝国日誌より。

 

 おお、アバンステア帝国とは大陸の事である。

 

 とは、皮肉げに南部の国々が呟く実話だ。

 

 実際、リセル・フロスティーナ結成後の大陸統一までの道のりは帝国の強引さと文化侵略と緻密な経済侵略による非新興国の徹底的な教育が何より大きい。

 

 帝国官僚を止めた作家の書いた【帝国日誌】と呼ばれる政治官僚、経済官僚のバイブルは大ベストセラーとなって久しいくらいには帝国官僚は大陸の顔だ。

 

 事実、帝国官僚の超人的な働きはもはや当時他国の官僚の数千人に匹敵するとさえ言われた名状し難い単なる事実がある。

 

 汎ドラクーン的な肉体を薬によって獲得した彼らは高い志と現実的な感覚と広い視野と最先端の政経軍の情報通であり、退官後に新会社や新企業に入ってアドバイザーをしたりする事から始まり、新興国や低開発国に居を移して帝国閥の力を背景にして政財界と軍に多大な影響力を持つ組織集団を纏める長になった。

 

 怖ろしいのは帝国のバックアップがあって尚不可能と思われるような他国での懐柔策を熟知していた事であり、他国の人間が真に神様と崇めるに足る偉業と聖人君子染みた行為によって当事国の民から絶大な支持を集めている。

 

 彼らは誰よりも納税し、誰よりも他国の開発に献身し、誰よりも倫理と道徳を護った政財界での活動に勤しんだのだ。

 

「医療部門。薬剤の備蓄は完了しました」

 

「建設部門。居住区画の基礎終わりました」

 

「食料部門。狩猟計画策定と数日分の食糧確保終わりました」

 

 彼らの多くは一人身の者で伴侶もいないのが大半で、それは聖女に今も忠誠を誓っているから……なんて、言われているのも半ば事実だ。

 

 結果論的に言えば、その国の経済開発事業の7割近くは彼らが現地の人間を徹底的に教育した事で発生した代物であり、その弟子や養子、生徒なども含めれば事実上は8割以上が彼らの功績である事は間違いないとされる。

 

 完璧超人を絵に描いたような帝国官僚。

 

 だが、その母体となる官僚集団の大半は最初期の聖女の改革で生み出された人材であり、当時の若手官僚達であった。

 

「B-3区画の配送手筈整いました」

 

「他区画から人員回して、今日中に人数分の野営地を」

 

「ここらの植生的に食えるもんは少ない。絶対、喰う前に集めて確認だ!!」

 

「組織図出来ましたよ~」

 

 彼らを直接指導したのが聖女当人であり、その最大の成功者がリージ議長と今は言われる嘗ては帝国陸軍の将校であった軍人上がりの青年であった。

 

 以後、世界最大の帝国は移民難民出でも帝国人と認められる限り、全ての人間に官僚の道を開いており、その8次試験まである厳しい精査に合格した者だけが若くして官僚の道を歩み出す事になっている。

 

 だが、彼らに求められる能力の大半は殆ど最低限のものである事はよく知られた事実だろう。

 

 つまり、倫理的道徳的精神的能力的にバランスの取れた人材。

 

 最低値をちゃんと持っていれば、知識や技能そのものは後付けする体制が整っている為、最初から高スペックは求められない。

 

 だが、試験が厳しいというのは人間の本性を曝け出させるような怖ろしく手の込んだ試験企画……疑似的に官僚として登用し、数多くの人間を左右する立場となって実践をする試験が極めて重視されるからだ。

 

「探索班から連絡。補給物資があると思われる廃墟群を9km四方に七つ確認。どれもアウトナンバーに破壊された集落だという事です」

 

「引き続き周辺地形のマッピングを優先してくれと」

 

「了解しました」

 

「観測班より1週間分の天候予測出ました。生き残った衛星群の捕捉も完了したとの事で文明再建プロトコルの引き出しと現地集積は可能だそうです」

 

「各位の食糧配分を決定後、直ちに防衛班の内政組への割り当てを行う」

 

 この試験は毎年様々な場所で行われ、100人程の人間を何処まで官僚として動かせるかを訓練する。

 

 言わば、ストラテジーゲームのリアル版である。

 

 これは嘗て帝国上層部を教育したゲームが大本になっており、更新された情報を毎年使って人々を生き延びさせ、文化的で健康的な生活を送らせる事を目標とする。

 

 凡そ10万人にも及ぶ人間を民間から集めて100日を使った超大規模なリアルゲームは実際の官僚が必要とされる分野毎に割り振った新人達を数グループに纏めて疑似的な国家運営を任せるものだ。

 

 これはもしも文明が滅んでも迅速に少人数で人類文明の再起動を行うという現実に在り得る事態に対しての訓練でもあった。

 

「残存ドラクーンによる哨戒行動は継続を」

 

「やはり、最後に頼るのは彼らか……」

 

 そんな極限環境でも優秀な官僚がいなければ、生活は傾く。

 

 故に実際にやらせてみてダメそうなら落すわけだ。

 

 新規募集された国家官僚の道に入り込んだ人々が小規模な組織を政治的にまとめ上げ、様々な政策を通して多くに行動を強いる。

 

 その重さを文明再建の疑似体験で味わって貰おうという趣旨なのである。

 

 人類絶滅級の事態に遭遇した場合に対応する人材を育成するサバイバル人材教育の側面と官僚になる最後の試練として、彼ら官僚の卵は外界から閉ざされた場所で各種の報道から一方的に見られつつ、様々な状況に対応しなければならない。

 

「あの~~エルグレさん」

 

「はいはい。何だい」

 

「哨戒活動してる最中で悪いんですけど」

 

「?」

 

「エルグレさんてドラクーンなのに何かチンピラっぽいですよね」

 

「……く、あはははは、そうだな。うん」

 

「あ、怒らないんだ……鎧があればマシだと思うんですけど」

 

「装備全損設定で単なる鉄剣一つだから仕方ないとしか。まぁ、哨戒活動中に言われる事じゃないし、言う事じゃないが、的を射てるよ。その言葉……」

 

「え?」

 

「実際、この訓練に参加するの全員が最下級ドラクーンの最下位層だ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「ついでに言えば、中位層や上位層とは諸々育ちが違う連中が多い」

 

「育ち?」

 

「資質、努力、性格、大半良いヤツが上に行くのは何処も変わらん」

 

「はぁ、ドラクーンの世界もそんな感じなんですね」

 

「だが、純然たる能力不足で資質が無い以外はパーフェクトみたいなやつもいたりするのが最下位層の面白いところだ」

 

「へぇ~~民間軍事会社の自分達からすると雲の上の人達みたいに思ってましたけど、ドラクーンも案外……」

 

「意外に普通か?」

 

「は、はい」

 

「まぁ、これでも最初期勢なんだ。オレ」

 

「え? 実は物凄くご高齢だったり?」

 

「ああ、ついでに言えば、あの方に直接指揮されていた北部竜騎兵……」

 

「す、スゴイ!?」

 

「の、敵だった人間だ」

 

「あ、え?」

 

「ほら、物語であるだろ? 歴史書でも書かれてる南部皇国の侵攻ってのが」

 

「あ、はい。も、もしかして?」

 

「ああ、あの侵攻をやってた兵隊がオレだ」

 

「―――ド、ドラクーンになれたんですか!?」

 

「ああ、為れたよ。何故か、な」

 

「ビックリしました」

 

「ああ、オレもビックリだった。オレは姫殿下に毒煙を喰らって治療された一人だった。だが、当時の部隊長がオレ達の命を嘆願してくれてな」

 

「助かった?」

 

「ああ、助かった。その後、北端の港湾都市で南部皇国への反抗作戦の為に当時の反皇帝派の一角として戦う事になった」

 

「ドラクーンによる南部皇国侵攻……」

 

「そうだ。オレは顔もブサイクだし、水虫だったし、女にだらしなかったし、金の為に人殺しをして稼ぐ兵隊の屑だったわけだ。でもな」

 

「………」

 

「あの方に2度出会った」

 

「2度?」

 

「1度目は死に掛けたオレ達を隊長が救う為に帝国へ下った時。2度目は北部で検診を受けた時だ」

 

「す、すごいお話ですね」

 

「その頃のオレは『こんなゴミでも金さえ貰えれば、最後まで戦いますよ』と帝国の聖女なんて胡散臭い自分の半分も生きてねぇようなガキを前に診察して治して貰ってるってのに、粋がる横柄な男だった」

 

「お、畏れ多くありませんでした?」

 

「あっははは!! 今にして思えば、仲間を殺されて自分も死に掛けた事を根に持った反乱分子以外の何でもなかった。でもな……あの方は言っていたよ」

 

「―――な、何と?」

 

「金と女と美味い酒以外に誰かの為に何かを思える心があるならば、貴方は人間ですと。あの頃だぞ? 半世紀前の世界でオレは人間扱いされた事なんぞ無かった」

 

「………」

 

「オレは皮肉たっぷりにゴロツキの傭兵崩れを人間扱いして下さるんですか? と、言ってやった。は~~~今にして思えば、周囲の兵士共によく殺されなかったな」

 

「(ゴクリ)」

 

「そしたらな。続けて言われた。今も治療を受け、離れ離れになる仲間の為に敵国の指導者層に粋がって不敵に笑って見せる人間がどうして立派な兵でないと言えるでしょうか。貴方のような誰かの為に怒り、嘆き、悔しく思う人間にこそ、正しく力を使う権利がある。だってよ……」

 

「………」

 

「それで訓練したのさ。考えながら……そうしたら、帝国のドラクーンへの士官候補として採用試験を受けろって通知が来た」

 

「それでドラクーンに?」

 

「ああ、醜い顔の傭兵崩れのチンピラに何で世界最高の兵士の栄誉に与る可能性なんて出したんだか。そう採用面接官に聞いたら……」

 

「き、聞いたら?」

 

「全てのドラクーンより無能で何よりもこの世界の酷さを理解し、体現した貴方だからこそ、この世界を救う一助となれる。あの方は貴方のような世界を相手にしても傲岸不遜に戦い抗い逃げられ、誰かの為に何かをしようと思う……そんな“普通の人間”を必要としていると仰られた。我らには分からぬご聡明さの先に何を見られているものか。そう、肩を竦めて言われた……」

 

「姫殿下が……」

 

「泣いちまったな。オレを普通の人間だと。産まれてからずっと盗み脅し殺し、金の為に命を投げ出して戦ってたクズに……あの方は……」

 

「エルグレさん……」

 

「だから、オレは生涯現役を目標にこうしてせっせとお仕事に励んでるわけだ。あの方がオレを人間にしてくれた。例え、どんな悲惨で無慈悲で救いようの無い死が降り掛かっても、オレは満足して死ねる。もう救われた命。もう死んでいたはずの命だ。例え、世界が滅んでもオレはあの方の為に戦うよ。それが……」

 

「―――」

 

「しがない無能でブサイクなチンピラの意地ってヤツなのさ♪」

 

「カ、カッコイイですよ!!」

 

「おう。結婚するかい? お嬢ちゃん」

 

「え、遠慮させて頂きます!!」

 

「そうか。仕方ない。オレも遠慮しとこう。生涯独身と決めてるんでな♪」

 

 ドラクーンが付随する官僚になる為の最終試験。

 

 それはつまるところ、どうドラクーンを使うかという事だ。

 

 そして、ドラクーンを使うという事はつまるところ単なるおざなりなサバイバルで終わらせられるものではないという事だ。

 

 指定区画に放たれた敵もまた存在している。

 

 例えば、数mはあるだろう人造バルバロスは脳髄が無いという以外は本物の脅威。

 

 侵入される、攻撃を拠点に行われると人的被害として計算され、官僚達が仕切る人々は脱落、そのまま区画から消える事になる。

 

 その為にドラクーンは正しく官僚達が使う最後の剣として1人の官僚に付き1人だけ使用可能な切り札であった。

 

 無論、ドラクーンが負けた場合、ドラクーンが失われた後には官僚を含めて民間人と多少戦える程度の人材しかいなくなる。

 

 それはつまり遠からず化け物に殺されて、100日を過ごす事も無く。

 

 全滅するという事でもあった。

 

「おっと、人間だけを殺すバルバロスさんのお通りだ。はっはー? 去年より強ぇじゃねぇかよ。まーた技研の本気でドラクーン潰してみた動画の餌にされるのか」

 

「え、何ですソレ!? というか、何もいませんよ!?」

 

「あ~~常人には見えないし、感じられない程度の偽装可能な中型だ。質量を僅かに浮いて誤魔化すが、樹木自体は傷付けちまうから、居場所が分かる。何も無い開けた場所なら攻撃まで透明な上、風切り音しか分からない遠距離攻撃してくる危ないヤツだな」

 

「え、えぇえ!? 何ですか!? 悪意に満ち満ちてません!?」

 

「今からおじさんは最底辺ドラクーンに勝てる化け物を量産した方が有意義とかいうプロジェクトを堂々と証明しようとしているサイコパス系狂人マッドの方々を泣かして来るから、野営地で待ってるといい。通常の通信まで妨害されてる」

 

「え、ええぇ!? お、おお、お気を付けてぇ!?」

 

「逃げ足速ぇなぁオイ!! あっはははははは」

 

 毎年毎年、多くのドラクーンの最下層が投入される官僚試験だが、一つだけ絶対に覆された事の無い記録がある。

 

 それは曰く。

 

「さ、ドラクーンらしく戦いますかね。500匹程度で何故オレ達が死ぬと思うのか。これが分からない。時空間も操れない、硬いだけ、速いだけ、隠蔽が得意なだけ、再生するだけ、攻撃が強いだけ、そんな“だけ”ばっかりの化け物が戦闘行動中のドラクーンに敵うわけないだろ。はぁぁ……」

 

 帝国技研が関連研究所からも応募を掛ける最下級ドラクーンを数で叩き潰せそうな人造バルバロス……つまり、遺伝子研究、生物研究、バルバロス研究の権威達が作り上げた完全に人類を滅ぼせそうな生物達の大半は脳髄が無いとはいえ、毎年全て全滅している。

 

 ある程度のレギュレーションに準じるとはいえ。

 

 本気でドラクーンが死にかねないだけの敵を量産して尚、ドラクーンが重症で離脱した事だけは一度も無い。

 

 それが官僚達に教えるところは一つだ。

 

 結局、聖女の剣……歩み続ける者達を前にしては嘗てならば、世界を滅ぼせるだろうバルバロスの軍勢とて、もう通常戦力と言われる程度の代物でしかないのだ。

 

 アウトナンバーとの凄絶な戦いの中で陳腐化した化け物達は単純な生命体としてだけの力ではもはやドラクーンの相手にならなかった。

 

 多くの報道関係者が望遠カメラで数多くの官僚達が構える野営地を撮影するドキュメンタリーは毎年恒例春から夏に掛けての人気番組であり、その目玉はドラクーンと人造バルバロスの激闘だったりする。

 

 こうして官僚志望者は官僚らしく裏でひっそり主役の座を奪われて人の役に立つというお仕事の悲哀を噛み締める事になるのである。

 

 *

 

―――ワールド内【始りの大陸】中央大聖堂。

 

「各ギルドマスター諸君。大会議の開催まで漕ぎ付けた事を嬉しく思う」

 

 巨大な教会にも見える講堂の最中。

 

 長過ぎるだろうテーブルの周囲にはズラリと大勢の人々が屯していた。

 

 数百名では利かないだろう。

 

「本日、ワールドマスターたる女王陛下はリアルが忙しい為、出席出来ない。此処は始りの王国に集うギルドマスターのみで纏めたいと思う」

 

 100m近い講堂内の6割にも距離を占めるテーブルの周囲にはみっしりと言うべきだろう密度で椅子に座る者と周囲に屯する者が集っていた。

 

 最も上座に座るのはのっぺりとした黒い肌の男だった。

 

 瞳は見えるが、口や鼻などの輪郭はない。

 

 だが、その体に纏う衣服は何処か古びれており、まるでビンテージ品の古い貴族用の衣装にも思える。

 

 蒼を基調とした金の刺繍が施された外套を羽織る彼は数多くのギルド長。

 

 少なからずゲーム内で姿を変化させて来たプレイヤー達の中では無個性かもしれないくらいには地味だ。

 

 何せ他のギルドの長達は派手だったり、豪奢な衣服を着込んだり、強者感マシマシな上に異形なものが半数を占めている。

 

 不定形生物から現実のバルバロスに似た種族まで人型と二分していると言っていいだろう。

 

 正しく機械仕掛けに等しいSF顔もあれば、魔法使いっぽい老人ばかりという顔すらその場では霞むような百鬼夜行ぶりである。

 

「さて、本日この会議を開催したのはこのゲームの副作用が現実で報告され始めた事に起因する。もうネット上では報告され始めているが、此処で強いプレイヤーが現実でも人体動作に関して影響を受け始めて、運動が得意になった。とか、その程度の話だ。その程度の話にしておければ、一番いいのだが……まぁ、そうはならないだろう。だから、君達は呼ばれた。報告すべき事がある」

 

 この世界に無料でログインしている彼らはこの世界で現実の知識や技能を元にしてゲーム内の疑似的な運営を行う組織集団として機能している。

 

 各種の政治経済から敵性物体。

 

 つまりはバルバロスのような姿の倒すべき相手への対処まで。

 

 ゲーム運営というものが存在しない場所では正しく彼らこそが生活インフラを支える人々だった。

 

「帝国技研はこのゲームに付いて一切ノーコメントを貫いている。事実上、何がどうなっていたとしても自己責任で無料のゲームを我々は遊ばせて貰っている。それが現実の憂さ晴らしだとか。あるいは単純な遊びとして面白いから我々はこの世界を今も開拓している。だが、それでは済まない事が起き始めている」

 

「騎士団長。始りの大地を守護する貴方達は一体何を言いたくて此処に我らを呼んだのです? 何やら知っているマスター達も複数人いるようですが、殆どの者は何故呼ばれたのか知らない様子でしたので」

 

 人型の竜というアバターを用いるマスターが手を上げて発言した。

 

「思っていたよりも、このゲームは深刻だ。身が危険というよりは現実に影響を及ぼすという点でな。紹介しよう。ウチの団員のフィオーサ嬢だ。年齢22歳、職業はリバイツネードの隊員だ」

 

「ご、ご紹介に与りました。フィオーサと申します」

 

 騎士団長と呼ばれた黒い男の背後から金髪の20代の女が恐縮した様子でペコペコしながら出て来る。

 

「取り敢えず、な、何が問題で集まって貰ったのか。に付いてなのですが……この世界での技能職であり、誰もが使う事が出来たりする魔法……これが蒼力に似ているというのは皆さんご存じかと思います」

 

「ああ、知ってるよ。ウチのギルドにもあんたみたいな子はいる」

 

 竜女の横にいる虎男が頷く。

 

「それでなのですが……厳密に測った上で他の隊員の子で同じくゲームをしている子達や大陸各地の知り合いの子達にもお願いしてデータを集めましたところ……」

 

 虚空に魔法でデータが表示される。

 

「こいつは……時間経過と何の数値だ?」

 

 右肩上がりに昇っていくグラフが全マスターの前に表示される。

 

「二つあるな。一つは緩やかだが、もう一つはかなり急だな」

 

「は、はい。それは個人的に集めて貰った蒼力の運用熟達に関するものです。前々から魔法は蒼力を大本に創作されたものであるというのは定説でしたが、帝国技研は何も言わなかった。そして、我々ワールドに入って魔法職をしている子達とゲームをしていない層で比べたグラフです」

 

 それに周囲がざわめく。

 

「つまり、蒼力が現実で強力に行使出来るようになった?」

 

「は、はい。これは単純な魔法の千差万別の型や運用方法を蒼力でも真似て取り入れるという域の話ではないのです。元々、蒼力はあのお方の力の一端であり、我々は第三の脳と呼ばれる器官でこれを操りますが……熟達した蒼力使いはそれこそあらゆる物質に干渉出来る万能性を誇る兵隊です」

 

「それが急激に強くなるって事はやはりワールドは帝国技研の兵器開発だったと判明した。という事でいいのかな?」

 

 マスター達からそれなりの事件ではあるなという感想が零される。

 

 だが、一部のギルドの者達は何やら言い難そうな顔のものが複数いた。

 

「それは一端でしかありません。このゲームを使っている殆どのプレイヤーが急激な速度でゲーム内で得た技能や知識、あるいは肉体を用いる行動が最適化され始めているというのが問題なのです」

 

「でも、帝国技研だしなぁ……兵器開発や人材開発用の電子空間上の訓練シミュレーターでしたーとか言われても違和感ないぞ?」

 

「まぁ、確かに……それはそうだな」

 

「問題はそれが表面的な変化に過ぎず。もっと、根本的な部分にあります」

 

「根本的?」

 

 騎士団長が彼女を下がらせる。

 

「此処からは私が……今言った通り、このワールドは現実の人々に影響を及ぼし始めている。だが、現実とこの世界の最大の違いである魔法や自身の能力開発。つまり、ステータスの向上に付いて現実で調子が良い。という事だけで済ませられない事態を知って貰いたい」

 

「一体、何が起こってるってんだ? 騎士団長様」

 

「……特に年齢制限の無いワールドだが、下限で3歳時から凡そ現在のプレーヤーの2%が幼児だ」

 

 彼らは騎士団長の言葉に何やら嫌な予感がした。

 

「そして、この子供達の7割に聖女の子供達と同様の第三の脳の発生や形成が確認されたとの話がある」

 

 さすがに周囲が騒めく。

 

「同時に今まで最高齢で121歳の方がプレイヤーとして参加されていたのだが、子供達と同じような状況が確認された」

 

 騒めきが大きくなる。

 

「つ、つまり、現実でも蒼力を使えるようになるって事なのか!?」

 

「……100歳を超えるご高齢の方はその1人だが、凡そ年齢別の相関図を作った。見てくれ」

 

 彼らの前に出されたグラフは正しく年齢とゲームへのログイン時間で割り出された若ければ若い程に第三の脳が形成されていくという事実だった。

 

「マジかよ。遂にやりやがったか。あのマッド白衣共……」

 

 一部のマスターは現実でも無茶苦茶な帝国技研の技術力を心底知っている様子でこれは超絶の国際問題だろうと溜息を吐く。

 

「問題は更にある。魔法を用いる際に使われる言語に付いてだ。ドクターお願いします」

 

 騎士団長からの言葉でアメーバ状の蒼い不定形が白衣を着込んだような存在が立ち上がる。

 

「医療ギルドを経営しているドダンというものだ。現実では言語学者をやっている。脳と言語の関連を調べる医師免許持ちって考えてくれ。さて、私が問題にするのは我らが日常的に使っている魔法言語だ」

 

「魔法言語。エル・グリフだっけか?」

 

 運搬輸送企業をワールドで経営する完全に白鳥みたいな見た目の存在がバサリと翼を膨らませて顎に当てた。

 

「左様。エル・グリフは凡そ342種類の文字と数字と象形を用いた新しい言語、正確には言語ですらない表意形式である事はちょっと言語学を齧った事がある者からすれば、異様な事なのだが……そこは省いて根幹を語ろう。この言語は通常のコンピューター上ではまるで普通の超複雑な仮想言語なのだが……一部の有志が研究した結果」

 

 僅かに不定形のアメーバが沈黙する。

 

「まったく未知の量子的な重ね合わせを用いた量子プログラム言語の一種だと思われる。要は世界最高の頭脳が捻り出すにも千年掛かりそうな何かだ」

 

「はぁ? プログラム言語?」

 

「問題はそこじゃない。いや、それも問題なのだが……蒼力との関連やら実験で色々調べていたら、どうやらワールド内で魔法を奔らせる際に脳にフィードバックされる情報にこの言語が混じっているせいで蒼力の運用に変化が出て来ているようだと分かった」

 

「何だ? 言語を覚えたら蒼力が使えるようになるってのか?」

 

「色々と煩雑な説明も用意したのだが、君達にも分かり易く言えば、その問いにはハイとしか答えられない」

 

 周囲の誰もが更にざわついて行く。

 

「一体、どういう事だ? 帝国技研はゲームのプレイヤーを兵隊にしたいのか?」

 

「そうじゃない。そうじゃないんだ。問題はこの言語を誰が造って、どうしてこのゲームに組み込まれていて、この言語が怖ろしく……」

 

「何だ? 何が言いたい」

 

「怖ろしく通常の人間の脳では理解出来ない仕様になっているのかという事だ」

 

「あん?」

 

「いいかね? 普通の生物には理解、出来ない、複雑さなのだ」

 

 区切るように不定形のドダンが語る。

 

「勿論、人間もバルバロスも殆どの生物が理解出来ない。何故ならこの言語の多様な表わし方は無数のサンドイッチを重ねて食べるようなものでどの味が何の味なのか人間には区別が付かない」

 

「なるほど? 分からん」

 

「比喩的な表現でもダメか。もっと直接的に言えば、本来は量子コンピューターを用い……関数、様々な数学的な定理を踏まえて言語学の極めて高度な専門知識を得ていなければ、掴みどころの無い意味を取れない言語、のはずなのだ」

 

「はぁ、でも、ワールド内じゃ意味分かるぞ? 魔法奔らせてる時だけだけど。あ、知識上げる魔法使えばいけるか?」

 

 鳥の男が自分の頭上に知識を知能を底上げする魔法を展開する。

 

「は……? え、オレ……ん?!! 何だコレ? キモチワル?!!」

 

 そこで鳥男が声を上げて魔法を切った。

 

「ど、どうしたんですか!? マスター!?」

 

「いや、今の話チンプンカンプンだったのにいきなり理解出来てちょっと気持ち悪く……」

 

 その言葉で複数のマスターが何かに気付いた様子で顔を少し蒼褪めさせる。

 

「……そういう事だ。もっと具体的に言えば、君の頭は同じはずなのにどうして魔法を使ったら話が理解出来るようになるのだね?」

 

「―――な、あ、ど、マジでちょっと背筋が寒く。これどーいうことだ? スライムの旦那」

 

「いいか? このワールド内で上げた能力は現実に引き継がれない。これが普通の常識だ。だが、君という脳の能力が上がったわけでもないのにワールド内でステータスを上げたら、君はどうして私の言う事が理解出来るようになったのだ? おかしくないかね?」

 

「ぅ……」

 

 そこで誰もが思わず冷や汗を掻き始める。

 

「続けよう。エル・グリフを研究して分かった事がある。この言語が知的生物の脳髄で奔らされた時、そこに起こる重ね合わせの量子的、物質的な全てのパターン……総体的な頭部を形成する諸物理事象を脳内で変化させる事が確認された」

 

 思わず彼らはゾッとして今まで自分が使っていた魔法がすんなり自分の頭で処理出来ているという事実に鳥肌を立てる。

 

「つまりはこのエル・グリフが現実の物質に対して影響を及ぼす言語であるという事だ。遺伝的、蛋白質的、脳内情報や様々な脳内の神経伝達物質、グリア細胞、脳内の電磁気的なパターン、分子結合的な部分に至るまで……あらゆるものに強力に働き掛ける作用が確認された」

 

「マジかよ……そんなに危ないもんだったのか」

 

 多くの者達がさすがに顔を見合わせる。

 

「だが、な。この言語の最も優れていて空恐ろしいところは今も自動更新されているらしいという事だ」

 

「自動更新?」

 

「このゲーム内で実際に量子コンピューターを作って、各地の研究者や被験者にも協力してもらって計算したのだよ。するとだ。最初期の確認では300ちょっとしか無かったはずの言語が最新の昨日時点ではまだ多くが使っているわけではないのだが、凡そ400種類にまで増えていた」

 

「は、増えるって何?」

 

 鳥男が思わず突っ込む。

 

「これは最初からシステム内に入れられている言語が開放されたのか。と、我々は最初思っていた。だが、違った。そう断定出来るのはこの増えた言語を使える人間が言語を使い出した時を狙って、別の人間が遥か遠い場所で同じ言語を読むという実験をしたのだ」

 

「結果は?」

 

「読めた。ちなみにその時、初めて読まれた言語を読む側は宇宙空間だった」

 

「惑星脱出組まで使っての実験。それってつまりどういう事だ? システム内の情報を無意識に取り込んで読めるとかじゃないのか?」

 

「我々はこのワールド内で脳に流入するデータ量とデータそのものをある程度は魔法や技術を使う事で覗けるようになったのだが、結論から言うとこの言語そのものが伝わった様子は無かった。つまり、だ」

 

 ゴクリと唾が呑み込まれる。

 

「これは言語を理解する人間の脳の側の問題だ」

 

「それって……」

 

「以後、様々な検証をした結果。この言語が一部、量子的な効果を持った生物の脳を媒介にして増えていく性質のものであると結論した。しかも、量子テレポート的なネットワークを自己形成し、どんなに離れた場所でも発生と同時に言語共有者は同じ言語が読める」

 

「勝手に増えて、勝手に読める文字が増えるのか?」

 

「ああ、それも新規文字が一度でも存在を確定すると。それを用いたコマンド。つまり、その文字を使った魔法がゆっくりと社会全体で普及する。最初期の文字獲得者達と同じような状況で獲得され普及していくようだ」

 

「コマンド=エル・グリフ=魔法って事か?」

 

 ポツリと鳥男の取り巻きの少女が呟く。

 

「そうだ。このエル・グリフこそが魔法の根源だ。単なるゲーム内文字ではないのだ。何かを自分でする度に得られる経験や状況に応じて発現する自動生成型のコマンドを我らは魔法と呼んでいるが、システム内コマンドではなく。このエル・グリフそのものがゲーム内で処理されて、ゲーム内で魔法として発現しているのだ」

 

「つまり、単なるプログラムがゲーム内の魔法を生成してたわけじゃない?」

 

「その通り。しかも、魔法は同じものが発現する事はあまりなく。発現した同じようなタイプの魔法や同じものの亜種が大量、サブタイプが発生する事が特徴なわけだが、これが見事にエル・グリフの性質に似通っている」

 

「ええと、エル・グリフが人間を使って増殖するのは、魔法が産まれる方法に似てるって事か?」

 

「ああ、この言語を一度でも使った事のある人物は現実でもこの言語の恩恵を受ける。しかも、ソレを理解出来る機能を持った器官まで形成される」

 

「ッ―――それって蒼力を使う為の……」

 

「ああ、第三の脳はこの言語が発生の原因だ。逆説的に言えば、この言語を理解出来るのが第三の脳なのだ」

 

 その場に何とも言えない空気が漂う

 

「つまり、この言語は触れた存在によって自身を自己拡張し、生物としての生存能力を勝手に上げ、読める者を増やし、寄生先。つまり、情報取得者、宿主を生かそうと生存性を向上させる」

 

「まるで病原菌か……」

 

「一種の増殖型ウィルスのような性質を持っているという事だ。しかも、読める者は距離に関係なく増えた言語を用いる事が出来るようになり、蒼力はこの言語によって強化されている」

 

「発言よろしいでしょうか」

 

「ああ、魔法ギルドの……どうぞ」

 

 騎士団長が30代の法衣姿の女性に発言を促す。

 

「魔法ギルドのレムレッダです。実は個人的に色々を研究していたのですが、蒼力を用いる時にどうして強くなったのかの根本がもしもエル・グリフにあるとするならば、これらは恐らく……皆さんもよく知っている方が創ったものである可能性が高いです」

 

「どういう事だね?」

 

「実は……蒼力を使えまして。リバイツネードの上級幹部をしているのですが……先日、機密事項の出来事がありまして。その時、訓練中にコレを使って今まで脳内で判然と行っていた蒼力をコマンド化して使えと言われました」

 

「は? 誰に?」

 

「言えません。機密事項なので。ですが、誰もが知っている御方です」

 

「な―――まさか、この言語の開発者は!!?」

 

 不定形のスライム言語学者が驚く。

 

「あの方です。恐らく……」

 

「あの方ってどの方?」

 

 若い団員が首を傾げる。

 

「聖女殿下だ……」

 

 大人の団員達が呟いた。

 

「姫殿下が造られた言語? 生存能力を上げる。これって……」

 

 人々が互いに話し込み始めた。

 

 騎士団長が続ける。

 

「どうやら、色々と皆さんも分かって来たようだ。だが、そうなると……我らで実験していたというのもおかしな話だ。そもそもエル・グリフが生物の生存性を上げようとしている性質があるならば、それはつまり……」

 

 気付いた大人達の大半に重苦しい沈黙が立ち込める。

 

「どういう事ですか? 騎士団長」

 

 若手の団員が背後から訊ねる。

 

「この集まりには十代やそれよりも若い子もいるだろう。だから、あまり話したくは無かったのだが……このゲームが無料で大量に出回って誰でも楽しめる状況になっているという事は誰もがエル・グリフで生存性を高める事を求められているという事だと考えられる」

 

「そ、それって危険な事があるって事ですか?」

 

 その言葉に騎士団長が頷く。

 

「事実、我らの大陸はまた何度も滅び掛けた。あちこちの地域で聖女殿下が滅びを回避する為に最前線で戦っていたのを諸君らも見ているはずだ」

 

 それはこの数か月で実際に起こった出来事ばかりだ。

 

 西の秘密結社の討伐。

 

 東では別の空間に潜んでいた化け物に支配された王国から人々が救出された。

 

 そして、今は無名山と呼ばれる大陸中央を不法占拠している者達を相手に姫殿下から宣戦布告が行われた事が世間での話題の中心だ。

 

「誰もが戦える最低限度の能力が必要な時代がやってくるって事か……」

 

 今まで聞いていた虎男が総括する。

 

「そういう事だ。蒼力を使える人間を自動で増やすゲームを作っていたとすれば、それは間違いなく人々の為だろう。それを公にしていないという事は勧められないという事だ……何ともお優しい話ではないか」

 

「え?」

 

「つまりだ。このゲームをし続ければ、生き残る確率が上がる。だが、同時にソレは戦う力を得るという事。守られているだけでは済まなくなる。いいか。若手の子供達……これは恐らく聖女殿下が選択しろと言っているのだ」

 

「選択……」

 

「もしも、このゲームを公にやらせようとすれば、大陸では多くの反発があるだろう。誰もが戦うのは怖い。だが、このゲームは大まかには何をしてもいい。そして、多くは敵を倒し、自分の好きな事をして生きるゲームだ」

 

 そこで多くの若年層が理解出来た気がした。

 

「一度でもゲームをやれば、可能性は常に残しておける。もしかしたら、軍やドラクーンが負けた時、文明が滅びてしまった時、君達を護るのが君達だけならば、このゲームをしていたら、1%でも生き残る確率が上がる」

 

 それが必ずしも良い事ではないというのは騎士団長が今まで語って来た通り。

 

「だが、誰かを護る為に剣を取れば、君達は戦うべき敵を前にして逃げられんのだ。逃げれば、大勢が死ぬ。大勢が死ねば、君達は責められる。いや、全て滅びてしまえば、残った居場所すら失うというのが正しいだろう」

 

 そこでようやくゲームの仕様を理解した子供達が揺れた。

 

「いいか? 義務と権利はセットだ。これは帝国式の考え方そのものだ。そして、我らがこのような状況を理解する程度の事、あの方が考え付かないはずもない」

 

 そこで鳥男が大きく溜息を吐く。

 

「大きな戦いや滅びが迫る大陸に人々を護る為にこそ、このゲームは無料で公開されているって事か……」

 

「意志ある者も意志無き者も誰が生き残るのか分からないからこそ、世論を分断するような導入は避けられたのだろう。でなければ、堂々とこういうゲームですと帝国が宣言してやるのを義務化すればいいのだから」

 

「そうしないって事は大陸の民の意志をある程度尊重し、同時に現実的な側面として無差別に可能性は残しておく……あのお方らしい……」

 

 竜女が呟く。

 

「諸君。これがもしも我らの想像通りの代物ならば、我らは初期勢という事だ。戦えるにしろ。戦えないにしろ。種は植えられてしまった。だが、この情報が広まれば、やる者とやらない者が別れる。つまり、我らは可能性だ。人が生き残る為の最低限の備えだ。此処にいると決めた者はこれから入って来る者達よりも責任を負うという事、蒼力が使えるようになる可能性が高くなるという事だ」

 

 騎士団長が声を響かせる。

 

「全てのゲーム内の者達にこの事実を知らせてくれ。そして、これから来る者達に教えてやってくれ。恐らく帝国技研は何を聞かれても答えぬだろう。それがあのお方の沈黙である以上はな。選択するのは我らだ。此処から先、このゲームに来る者達なのだ。あのお方は可能性を常に示す。ならば、我らはそれに答えを各々で出さねばならないだろう」

 

 こうしてギルドマスター達を集めた大会議はその後の様々な施策を詰めた後に御開きとなった。

 

 ゲームを去るか。

 

 ゲームに残るか。

 

 それは本人次第。

 

 矢の如く奔った情報はすぐ報道機関に持ち込まれ。

 

 帝国技研の生み出した戦える人間の可能性を芽吹かせる力として喧伝される事になるが、やはり各国大使や多くの人間の問いに帝国技研は沈黙を以て答えるのみであり、それを糾弾する声は殆ど無かった。

 

 生き残りたい確率を上げたいヤツだけやればいい。

 

 決めるのは当人。

 

 この風潮は大陸中に伝播し、多くの議論を呼んだが、大陸人口の7割近くが子供も含めて生き残る確率を上げる為に無料で配布されるデバイスを申請。

 

 最終的には各市町村の大型配布所で受け取る事になったのだった。

 

 *

 

「本件の議決を以て改正生物管理法は正式に全ての法改正を終えた旨をご報告させて頂きます。これにて大陸の全ての国家において動物愛護に資さない、適正な管理が為されない全ての動物の管理者に対しての完全なる重罰の実施が可能となりました。また、現在進行形で全ての動物を捨てようとする利益団体及び個人に対しての最高20年の懲役刑が可能になりました。金儲けの為だけに利用するだけ利用して捨てるというような罪から始まって飼えなくなったら捨てるという無責任な行為に至るまで、全ての方々には人類保全の為にも厳正に責任を取って頂く事になります。反対していた野党の方々に付いても今後、心理調査庁よりの派遣官による動物売買に関しての調査が行われる運びとなりました。何卒、嘘無くお答え頂ければ幸いです」

 

 とある大陸の端にある国家において、その日改正生物管理法が議決された。

 

 リセル・フロスティーナ結成以来、あらゆる生物がアウトナンバーに為る可能性があるという事実によって、利益目的の動物飼育の全面禁止と同時にバルバロスの適正生息数維持やら愛玩動物の極めて厳重な管理が多くの国では当たり前となった。

 

 特に哺乳類などの愛玩動物は完全に1人1匹制度が導入され、毎年健康管理義務報告と査察、生存確認報告、同時に死亡、逃亡した場合は検死書類及び数十万掛る追跡調査報告が必要となり、人間並みに動物の死は偽装し難いものとなった。

 

 この事で安易に動物を飼う者は消えた。

 

 だが、同時に多くの動物達を取引するブローカーなどが闇市場で幅を利かせるようになるとソレに対しての徹底的な重罪化と弾圧が加えられた事で動物取引市場は50年前と比べても2倍程度の伸びしか見せておらず。

 

 昆虫や魚などを筆頭にした節足動物や魚類他の多種多様な生物も繁殖許可証と立ち入り調査の実施が必ず行われる事から、生物の違法飼育状態は少しずつ消えていく事になった。

 

 広く国民教育として動物愛護と同時に動物の適正飼育の難しさと同時に動物そのものの生息地域の適正や全ての動物を無暗に殺さない、外来種にしない為の持ち込みや移動の制限も教えられる事になった。

 

 昨今では夏休みの自由研究の定番は昆虫一匹の適正飼育と観察などになったりもしている。

 

 これら全てがバルバロスという大陸に生息する人間よりも遥かに怖ろしい能力を持つ動植物達の違法な採取や繁殖を戒める為の土台である事は多くの人間が知っていた為、大陸の動物達の多くは文明が進んだ昨今だというのに大陸でも我が物顔で未開の地や山間部には多数生息し、自然界の生態系に組み込まれている。

 

「マヲー?」

 

 野良猫や野良犬が完全去勢されて管理され、国家規模では野生下で生息地を有していなければ20匹以下。

 

 愛玩用は管理下ですら100万人に対して1万匹以下、とか言う時代である。

 

 ルイナスと呼ばれる聖女の都市に出没する黒猫は正しく都市伝説。

 

 ついでに目撃者は幸運になるという噂からSNS上では完全に護り神様的な扱いだ。

 

 故にルイナスでは彼の黒猫は人気者になっていた。

 

 ちなみにルイナス居住者の2%が犬猫やら馬やら諸々何かしらの動物を飼っていると言われているが、ルイナスの野良猫は今のところ1匹しか確認されていない。

 

「マヲヲ~~」

 

 その一匹が確認されるのは大抵が工事現場とか。

 

 あるいは街中の食事処や甘味処。

 

 つまり、工事を護り、飯やオヤツを狙うお猫様である。

 

 さすがに餌付けして極めて高い罰金を払おうという猛者はいないが、歩けば人が猫に挨拶するやら手を振るやら、子供達が追い掛けるやら、カメラでパシャパシャ激写されるやら、人気には近頃拍車が掛かっている。

 

 特に広大なルイナスの開発現場の最中。

 

 特に未だ繋がっていない都市中央区画で関係者に目撃されている事や何か猫の癖に人語を介す反応をする事で新手のバルバロスであろうと言われてもいる。

 

 そのせいで黒猫が通るといつの間にか出来立ての菓子が手品のように消えたりする店舗は後を絶たないが黙認されていた。

 

 つまり、猫神様にも気に入られる店という箔が付くというのである。

 

「マゥマゥマー」

 

 イヌとネコ。

 

 この二種類の動物達が大陸においてそれなりの生存数を確認されたのはこの40年くらいの間の出来事である。

 

 大陸の未開地が開拓された事で多数が発見され大々的に飼育が開始された生物であり、今では人類の善き隣人として国家承認されたブリーダーによって飼育して増やされ、一般に出回る個体は最初から去勢済みである事から死ぬまでちゃんと面倒を見る多頭飼厳禁生物として大事にされている。

 

「カワイイ……」

 

「カワイイわね」

 

「カワイイわ~」

 

「マヲマヲ♪」

 

 あざとカワイイ黒猫は街中を通れば女性達やカワイイもの好き達のスターである。

 

 ついでに言えば、餌は貰えないが、写真は撮ってもいいので黒猫通りなんて出没する地域の通りに名前まで付けられ、黒猫の写真やモチーフの作品が真新しい店舗のショーウィンドウには飾られまくっている。

 

 おぉ、猫を崇めよ。

 

 と言わんばかりの黒猫最強伝説は毎日絶賛営業中なのだ。

 

「マァヲ~~~!!」

 

 こうして何処でも馴染む黒猫だが、その生態については保護者(帝国の聖女様)も知らない事だらけであり、追跡しても無駄なので放っておかれている。

 

 帝国技研にも出入りする黒猫の移動方法は今もって解明されておらず。

 

 その研究所の職員達が躍起になって移動方法を吐けと捕まえようとした事もあったが、あらゆる追跡技術を使っても捕捉不能な上に偉く強力な力を秘めており、殆どの軍事技術成果では足止めすら不可能だった為、遂には断念。

 

 猫パンチは超重元素製の篭すら砕き。

 

 猫キックは時空間制御式捕縛トラップを蹴り飛ばし。

 

 最終奥義、猫シャドーボクシングは研究者達が本気を出して設計した猫型遠隔式ドラクーン装甲端材製マリオネットをダース単位で薙ぎ払うのだから当然だ。

 

 完全に現在の技術でもどうにもならなくなった後、匙を投げた帝国技研の研究者達は最終課題と黒猫を呼んで、誰も彼も隣人として受け入れた。

 

 こうして、ソレがやって来たらオヤツとお茶を用意しておくという間柄に落ち着いたのである。

 

「あ、黒猫さん!!」

 

「マヲ?」

 

 そんな帝国技研に今日も顔を出していた黒猫は元技研の所長の娘。

 

 今は大河ドラマで聖女役をしている少女と仲良しだ。

 

 近頃、ヴェーナ以外の研究所の職員がゴッソリとルイナスに引き抜かれたせいで寂しくなった研究所であるが、新任の繰り上がりの研究者達が入って来ている。

 

 そんな彼らは不思議そうに黒猫を見やり、先輩研究者達にアレは何と訊ね。

 

 真実を告げられて冗談か何かかと首を傾げ。

 

 少女と戯れる黒猫に興味を失くしてイソイソと研究へと戻っていくという事が繰り返されていたりもする。

 

「フェグ様行っちゃったから、ちょっと寂しいな……黒猫さんもあっちに行ってるの?」

 

「マヲ~~」

 

 大きく頷く黒猫である。

 

 ついでにジェスチャーで少女と意志疎通までこなす。

 

「ふふ、色々あったけど、姫殿下が帰って来て、みんな忙しそう。あ、今日も演技見て貰ってもいい?」

 

「マーヲ」

 

 帝国技研の玄関口の談話スペースは今日も少女と黒猫の専用スペース染みて他に誰もいない。

 

「じゃ、じゃあ、今は北部諸国辺のラスト辺りだから、こほん……『フォーエ。征きますよ。この地の民の為、災いを打ち滅ぼしに……』」

 

 少女がキリッと台詞を読んで見せる。

 

 すると、黒猫は何処から取り出したのか。

 

 点数の付いた丸い部分が付けられた棒を片手で上げる。

 

「4.3……ぅ、厳しい」

 

「マヲマヲ。マゥヲゥヲ」

 

 ほぼ研究所に入り浸る年数=人生に等しい少女が黒猫のジェスチャーを読み解く。

 

「ええと、本物は、気楽に、お仕事するか。何も言わず、微笑んで、後ろに、全部、任せる?」

 

「マヲヲ~~♪」

 

 ピンポンピンポン大正解と言わんばかりに無地の〇が掲げられる。

 

「な、なるほど……た、タメになります。し、師匠」

 

「マーヲ♪」

 

 少女にとって幼い頃からの遊び相手であり、意思疎通出来る黒猫はまったく師匠呼びしてもいいくらいに恩人だ。

 

 そもそも聖女の役を貰う際には昔から黒猫に聞いていた聖女の話を大本に演技したら、一発合格だったのである。

 

「じゃ、じゃぁ……台詞は削っちゃうけど、こほん―――『……行きますよ。フォーエ』」

 

 今度は10点の棒が何処からか取り出されて掲げられる。

 

「こ、これでいいのかな。うん。確かにこっちの方が姫殿下っぽい気がする」

 

「マーヲ♪」

 

 こうしてまた帝国令嬢(異世界産)に詳しくなった少女は撮影現場で監督以下全ての人々がシナリオと台詞を変更する事に同意してしまうような演技を見せる事になるが、それはまた別の話。

 

「マファ~~~マヲ、ヲ?」

 

「どうしたの?」

 

「マヲゥヲゥゥヲ」

 

「えっと、これから、用事が、ある」

 

「マーヲ」

 

 黒猫が片手でテレビを指差した。

 

「あれで見られるって事?」

 

「まーを」

 

「そうなんだ。そう言えば、今日が無名山の人達と帝国の……」

 

 少女が次に振り返った時にはもう黒猫の姿は其処に無かった。

 

 そして、視聴率89%の大陸の命運を左右する戦場がやってくる。

 

 仕事をしている者、眠る者以外の全ての人々が観戦するだろう戦場が。

 

 世界の只中。

 

 ソレは空にある巨大な大地の上にあったのだった。


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