ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第146話「夜明けの黄昏」

 

―――旧皇国首都現特別封鎖域【ルイナス】

 

「では、邸宅も立てましたし、此処から初めて行きましょう」

 

 地下というのは基本的に熱い。

 

 岩盤が地殻の下のマントルに熱されているし、膨大な圧力によって圧縮された物質に巨大な熱が封ぜられていたりもする。

 

 それが精々地下数百mも掘れば噴出し、地熱は数百度に達するのだ。

 

 数十km単位のバイツネード本拠地跡はクリスタル化した超重元素で固められていたが、現在は掘り起こされて機密指定区画とされた。

 

 その上に都市に初めて立つ居住地として一丁目一番地に帝都の邸宅を再現した家を置いたのだが、別に不動産云々の話ではなく。

 

 物理的な都市内部での移動距離を均等にする為であった。

 

 1区画100m四方の碁盤目状の都市の基礎は先日、宇宙の果てから貰った赤い超重元素製のクリスタルをこちらで改良、細工した代物を蒼力で無理やり形成したという曰く付きのものだ。

 

 虚空に浮かばせる感じで固定化して、区画毎の建設を始めたのが数日前。

 

 現在、大陸各地からリバイツネードの人材の中でも特に戦闘に向かない人々を動員させて貰って、急ピッチで蒼力による都市基礎と構造体の作製を行っていた。

 

 工事現場の作業員は蒼力を使うが、その上の監督者や都市設計、細かい施工、諸々は普通に土木事業のプロ達が務めている。

 

 彼らの指導の下で誤差無しの部品を末端に造らせる事から初めて今では殆どの聖女の子供達が自分達にこんな繊細な事が出来たのかと首を傾げるくらい順調に諸々の原料からの都市建材を形成。

 

 フヨフヨ浮かばせて現場で組み立て、15万人程が事務所とこちらで建てた簡易宿泊所を行ったり来たりしている。

 

 都市は区画を碁盤目にして階層を多重化。

 

 ほぼ球状のシェルターとして造形し、それを更に巨大な板に嵌め込むかのように大量に並べてハチの巣状のフラクタル構造にして丸い球体で更に丸い球体を作るという多重化階層構造にしている。

 

 都市の果ては見えないが、現在大穴の端からも球体都市が大量に並んで敷き詰められている最中である為、しばらくしたら大穴もペッタリと埋まるだろう。

 

 今現在、蒼力の輝きが天地に溢れ返っていて、何処かしこで緊急時の徴兵に等しい勤務をして貰っているリバイツネードの構成員達が働いていた。

 

 頭が下がる思いである。

 

「なぁなぁ、ふぃー」

 

「?」

 

 振り向くと澄まし顔のノイテの横でデュガが微妙な視線を向けていた。

 

「その恰好じゃなきゃダメなのか?」

 

「恰好? ヘルメットに安全靴。超重元素製のファイバーで編んだ安心安全な手袋と作業服。もしもの時の為に光を反射し易いラメ入りのラインまで入ってる。土建業に相応しい姿だと思うが?」

 

「……いや、やっぱ、イイデス」

 

「???」

 

 よく分からないが、どうやら恰好に違和感を覚えられているらしい。

 

 だが、こっちは昔から土建業バイトもしていた勤労青年である。

 

 土建業のお決まりは知っている。

 

 生憎とヘルメットに血液型は書けないが、どんな血液を入れられても人間やバルバロス程度の存在の代物なら問題無いとお墨付きである。

 

 だから、血液型は全部可と帝国語でマジックで書いたわけだが。

 

「今、オレが急に力を失って鉄骨。いや、超重元素製のクリスタル骨が落ちてきたら困るだろ?」

 

「はぁ……」

 

 やれやれとノイテが肩を竦めていた。

 

「蒼力で工事手伝ってるのに着る必要ないと思うぞ……」

 

 ボソッとツッコミが入った。

 

「何事も細部に神は宿るんだよ。工事に携わらない人間は好きな恰好してていいが、やるヤツは帝国製の特別工事作業員用セットを使う。ちゃんと規律には従わないとな」

 

「はいはい……」

 

 現在、最下層中央部に位置する邸宅の上部にはもう数十枚近い階層構築用の区画の板が大量に並べられており、周辺にも球体状の都市を地表から支える下部の耐震用の装置が無数に備え付けられていた。

 

 あっちこっちで量子コンピューターを搭載した指揮システムの指示を受けた工事用の作業機械類が群れを成して働いている。

 

 機械による細かい作業が必要なのは蒼力の精密製作能力はかなり出来る人数がマチマチな上に精度もお察しだからだ。

 

 ハコモノの巨大な部分や骨組みは蒼力。

 

 後は機械で点検と検査というのが今はスタンダードだ。

 

「~~~」

 

 指を弾きながら事故が起きないように大穴の中で作業する全てのリバイツネードの構成員達に蒼力の支援を行いながら、使い方が上手くなるように負荷を掛けつつ、仕事は精度が出ていない区画などを手直しする。

 

 指揮棒を振っているようなものだ。

 

 指パッチン少女と呼ばれてしまうかもしれない。

 

 基本的に今は能力が封印中なので大そうな事は出来ないし、一気に都市を形成みたいな事も出力の問題で出来ない。

 

 だが、それでも部下を育てるのは順調にこなせるので問題は無かった。

 

「それにしても昨日来ていた工事の監督群の方々が驚いていたのも無理はない光景ですね」

 

 ノイテが呟く。

 

「そうか?」

 

「普通なら100年掛かる工事が此処では2時間で終わるそうなので」

 

「微妙な数字だな。オレの計算だと1時間で出来てないと最高効率じゃない」

 

「……そこまで行ったら、此処は神の国扱いされますよ。ええ、一夜で立った城か要塞か。いや、国だと誰もが呆れるでしょうね」

 

 周辺では無数の蒼白く変質したクリスタルの建材が浮遊しながら次々に移動、地平まで連結されて、あちこちの基礎を繋いでいた。

 

「此処もその内、暗くなるから、屋内用の日光照射器が必要だな。勿論、神の国的なエフェクトの無い普通の夕日や朝日を再現、照らしてくれるだけの代物だ」

 

「それがもう普通じゃない事は言っておきます。まぁ、帝都にはもう既に大量生産出来る上に超高寿命なものがあるそうですが……」

 

 ノイテが溜息を吐いて端末を取り出すと諸々の仕事の指示出しを始めた。

 

「なぁなぁ、ふぃー」

 

「何だ?」

 

「この都市で何するんだ?」

 

「空と地下への玄関口にする」

 

「地下?」

 

「この星の内部。中心核に何かある。ついでに言えば、月にも何かある。だが、それと同じようなのが無名山の地下にもあるみたいだな」

 

「へ~~あ、連れて―――」

 

「行かないぞ。危険過ぎてお前らが死ぬ」

 

「ぅ~~~」

 

「ちゃんと危険が無くなったら連れてってやるから……」

 

「ふぃーって信頼と信用は別物って思ってるよな絶対」

 

「当たり前だ。踏み込んだら十秒で死ぬヤツが大丈夫だ問題無いって言ったら、誰だって問題あるだろってツッコミ入れる」

 

「結構強くなってるんだけどなぁ……」

 

 デュガは一緒に行けない場所が多い事が不満らしい。

 

「お前にフォーエやウィシャスみたいな事が出来るか? ゾムニスのようにもしもの時に1人で百万年でも戦い続ける覚悟はあるか?」

 

「いや、それはさすがに……というか、あの3人ってそこまで出来るのか?」

 

「出来るからオレはあいつらを何処までも遠い場所で使い倒してるわけだ。お前がそう望むなら、そう出来るようにしてやってもいい。百万年間、戦闘以外しなくていいし、食事も排泄もお休みも無しだがな」

 

「意地悪だぞ……フィー」

 

 後ろで渋い顔で溜息一つ。

 

「そういう事だ。出来るヤツが適材適所でやれる事をやればいい。それに……」

 

「?」

 

「あいつらにオレの恋愛相手が務まるか?」

 

「ッ―――そ、それはアレだな!! 今時で言う薔薇? 普通? いや、この場合どうなるんだろ……」

 

 何処か機嫌の良さそうな声が最後には首を傾げる。

 

 だが、そんなこっちを見ていたノイテが肩を竦めてヤレヤレなんて感じで首を横に振っているのがアリアリと脳裏に見えた。

 

「今日の工程作業の録画と各種の情報記録は完了。ノイテ、遠隔で観測機器のデータを各地のゼネコンに降ろしといてくれ」

 

「もう終わります。それにしても蒼力を土建業に使うというのがもう発想としてヤバイような気がしますね……」

 

「そんな事無いだろ。誰だって能力を道具化したら、それで同じような事が出来るようになる。場に干渉する脳内部の干渉の仕組みはもう解ってる。小型化して安全に使えるようにして制御部とリミッターを小型化するのに後1週間だ」

 

「一週間後には蒼力が誰でも使える凶器。いや、狂気になると?」

 

「政府公認でブラックボックス有りで指定領域以外じゃ使えないようにして大型機材は政府公認の特殊作業者以外には使えないようにしつつ、人体及び人体周辺の環境保護の為の設定まで組み込んである」

 

「……自作ですか?」

 

「仕組みを伝えたらマッドな皆さんがやってくれた。現在、大陸で最新鋭の製造設備とやたら高純度、超凝縮された超重元素合金のクリスタルを三次元回路化したら出来るから、量産用の施設が出来たら一日10万個くらい軽いな」

 

「聞かなかった事にしておきます。やたら、何でも出来る機械を渡されて、今の人間が堕落と退廃の限りを尽くさないか心配になるとは……」

 

「土建設備だって言い訳して大した代物じゃありません。精々、百年で出来る建築が半年で出来ますよ!! くらいに言っておく。用途別に作るから、安全度も段違いだしな」

 

「未来が心配になりますね。本当に……」

 

 ノイテが気苦労を増やしたらしい。

 

 だが、横から少し頬を膨らませたデュガがジロリと見ていた。

 

「何だ?」

 

「イチャイチャしてる……」

 

「「イチャイチャしてない!!」」

 

「ほら」

 

「「!?」」

 

 リアクションが被ったので咳払いしておく。

 

「とにかく、お前らはそろそろ戻ってろ。これか―――」

 

 周囲の景色が急激に絵画のように止まっていた。

 

「誰だ?」

 

「動じないか。さすが聖女殿と言っておこう。失礼」

 

 世界の最中にそいつがいきなり現れる。

 

 こちらの感知に掛からない。

 

 いや、どちらかと言えば、最初から存在していないものを相対座標に出現させる類の能力。

 

 黒い外套を纏った男だった。

 

 ソレが目の前に現れて浮かんでいた。

 

 白い全身を覆うツルリとした宇宙服染みた衣を内部に着込んでいる。

 

「無名山の代表。だったな?」

 

「その通りだ。現議長にして現無名山の部隊の総隊長を引き受けている」

 

 40代の白髪の男は痩せぎすで落ち着いた瞳の色をしていた。

 

「ラベナント・アルテール議長。不意の来訪は結構。政治的なプロトコルも無視していい。手土産を持たなくても構わない。一張羅にケチを付けるつもりもない」

 

「?」

 

「だが、他人の女に何かしたら、国が亡びる定めだと知っているか?」

 

「―――」

 

 自分でも思わぬくらいには冷たい声が出た。

 

「申し訳ないとまずは謝ろう。この方法は特定の事象以外を止めるものだ。元に戻す際には分子一粒、原子一個から全て問題無く動き出す。これは我が身命に誓って事実であると誓おう」

 

「……それで何の用だ? 今は見ての通り忙しい」

 

「姫殿下。準備が出来た事をまずは伝えさせて貰いたい。そして、我らは一つの決断の下、貴方を我らのお山の下に案内する事となった」

 

「まるで誰かに頼まれたみたいに他人事な喋り方をする」

 

「……貴方に会いたいという相手がいる」

 

「為るほど。帝国の誰にも知られたくない隠し事、か」

 

「そういう事だ。本日の不意の無礼と非礼は心より謝罪させてもら――」

 

「まをー」

 

「ごじゃー」

 

 四つの瞳で左右から見られて、相手の顔色が内心で悪くなる。

 

「悪いな。此処で動ける連中は少なからず帝国に一匹と一人いるんだ」

 

「……左様か。覚えておこう」

 

「マヲーマヲマヲ」

 

「Hm値2000程度かーって言ってるでごじゃる」

 

 黒猫と幼女の神様コンビだった。

 

「バトルものの戦闘力じゃあるまいし。お前らは幾つだって言うんだ?」

 

「ごじゃ? 測った事無いでごじゃ~でも、確かウチの家族はお父様以外、大体平均2300万から10億くらいって言ってたでごじゃるよ。お母様達が」

 

「マヲ~~マヲマヲ!!」

 

「平均400乂無いと高次元や宇宙の外じゃ神名乗れないらしいでごじゃ」

 

「なるほど」

 

「マヲ!!」

 

 胸を張った黒猫はやっぱりヤバイ系らしい。

 

 その言葉を聞いて、顔色は変わらないものの内心が心神喪失レベルで真っ白になったらしい相手がチラリと一人と一匹を見てから、一礼する。

 

「それでは婚約者の方々の時間は御返しを。では、これで……」

 

 男が消えると同時に景色が動き出す。

 

 と、同時に館内部から大陸各地に散らばっている仲間達の安否を原子レベルで観測しつつ、何も無さそうだと安堵する。

 

「……そういう時だけ本気なんでごじゃるね」

 

「そういうもんだ」

 

「うお!? い、いきなり出て来たぞ!? ビックリするだろー!?」

 

「マヲ~?」

 

『ボク無害なネコだよ?』と首を傾げて惚ける猫神様はヒョイと持ち上げられ、デュガの手で館に連行されていく。

 

「ごじゃ~~れ~~~」

 

 仕事の邪魔はしないよう願いますと首根っこ掴まれた幼女もノイテに連れて行かれた。

 

「やれやれ……やれやれ系主人公は好きじゃないんだがな……」

 

『マヲ~ヲ?』

 

 遠くから『今更じゃね?』とツッコミを入れられた気がした。

 

 どうやらまだまだ自分は未熟らしい。

 

 瞬間湯沸かし器にならないように心掛けて今は無心にゲーム染みて都市開発に興じる事にする。

 

 まだまだ自分には悟るという境地は程遠いようだった。

 

 *

 

―――【帝国人とは人種ではなく生き方である】~帝国移民年代記より~

 

 わたしが帝国に移民としてやってきたのは丁度、世界が緑色の空に覆われた頃の事だ。

 

 この時期、帝国は大量の移民難民を受け入れていたが、その内実として最も割を食ったのは帝国人でも移民難民でもない。

 

 巨大な人口が流出した親帝国領域外の国家であった。

 

 帝国は帝国人となる権利を義務と責任を果たさない者には与えなかった。

 

 それは帝国で出生しても同一であり、また帝国で育っても同じだ。

 

 全ての難民移民に課されたのは“帝国人たれ”という標語と多くの規律と規則。

 

 そして、言語学習と試験だった。

 

 帝国は何よりも法律と規律を重んじられない人間を帝国人として見なさない。

 

 それは帝国で生まれた純粋な帝国の三民族ですらもであった。

 

 これが始まったのは正しく聖女の世代の前時代という事になる。

 

 帝国人であろうとする気概と気風無しに帝国人は名乗れない。

 

 あらゆる宗教、故郷での因習、あらゆる文化は帝国人の規範以下であり、これを犯した者はどんな聖人だろうが、どんな宗教家だろうが、どんな金持ちだろうが、どんな身の上だろうが、等しく帝国人の権利を享受出来なかったのである。

 

 わたしの父は正しく熱心な南部にある在野の宗教信仰者であった。

 

 だが、帝国に難民として入って以降、父は仕事と公的な場において実害がある優先的宗教行動は無いという事実を前に声を上げて見事に叩き潰された。

 

 帝国人として私人の時は好きなだけ宗教をやればいいという仕事仲間達と馴染めず。

 

 それ以降、苦悩しながらも帝国人の規範には添えないという現実と向き合いながら、最終的には帝国内の宗教に帰依する殆どの者が知っているような実害の無い一動作の祈り。

 

 これを勧めるようになったのである。

 

 多くの人々は父を認めなかった。

 

 そして、同じ気持ちを抱く仲間達を集めては見たが、多くは帝国から去っていった。

 

 だが、その彼らですら帝国が推し進める世界的な宗教世俗化計画によって熱心な宗教者程に白い目で見られて消えて行ったとされている。

 

 実害があった場合もあるが、それが同時に帝国法を基礎とした現代法の基礎を受け入れた祖国によって救済される場合が大半であったという話は正しく完全なる宗教の敗北だっただろう。

 

 世界が帝国になった時、宗教は人の心を救う以外のあらゆる政治的な能力を失ったのだ。

 

 これによって大陸に宗教分離政策が完全施行された事で世俗化出来ない原理主義宗教は絶滅したのである。

 

 話を戻そう。

 

 父は最後まで倫理的、道徳的には帝国人だと認められていたが、最後まで社会的には帝国人として見られなかった。

 

 父の日昼夜にある3回、10分の祈りは仕事中にしっかりと給料から天引きされていたし、仕事を首になる事もしょっちゅうの事であり、君はいつまで経っても帝国人になるまで惜しいところだと友人達に揶揄われていた。

 

 そして、父はわたしに自分のようにはならなくてもいいし、宗教的な面でも同じものを信仰しなくてもいいとは表面上言っていたが、内心は苦渋だったのだろう。

 

 父の晩年は厳しくも無かったが余裕があるわけでも無かった。

 

 人の話を聞くバーのマスターとして個人事業主になって以降は自分と同じような考えの人間を雇っていたが、その殆どの人々が父と袂を分かち、“帝国式”を身に付けていくのを雇っている当人が無言で見守っていたのだ。

 

 きっと、もう自分の信じているものが時代的に多くの人々にとって合わなくなってしまった事を悟ってしまったのだろう。

 

 そして、わたしが成人して父と同じ宗教を世俗的に信仰する事にした際は何も言わずにそうかと言うのみであった。

 

 父は十年以上前の帝都でのアウトナンバー騒ぎにおいて店に来ていた女性とその娘さんを護って塵になって死んだ。

 

 その時、帝国は父に勲章を送った。

 

 それを非難しようとする者はわたしも含めて親族にいなかったが、最後まで帝国人では無かった父に対して女性と娘さんが毎年墓参りをしてくれているのは救いだと思う。

 

 帝国における宗教とは世俗主義で許されるものであり、原理主義を厳に戒めた法は今も変わらず、同時にそれが世界のスタンダードとなった。

 

 それに文句を言う元原理主義系の方々は今もいるが、それは母数的に0に等しい事は間違いない事だろう。

 

 これは帝国を非難するのではなく宗教原理主義という一つの考え方が滅びた事実を記す個人的な記録である。

 

 だが、帝国が多くの難民移民に行った帝国化とは物質や精神的な充足と引き換えにして、今まで彼らが持っていた世界観を破壊するものだった。

 

 この事実は同時に新たな時代の到来を告げるものであり、多くの移民難民出の“帝国人”が知っておくべきものだろう。

 

 嘗て、滅びた世界にいた頑固な因習塗れの問題のある人達。

 

 だが、それもまた世界の一部ではあったのだ。

 

 それを絶滅させ切ってしまった帝国の手腕は正しくあらゆる戦争を勝利してきた帝国における究極の攻撃であり、それは人々の文化や思想すらも完全なる形で過去にした人類における文明戦争とでも言うべきモノを遂行した勝利者の行いだったのである。

 

―――帝国移民年代記8章末文。

 

 パタンと本が閉じられる。

 

「為るほど。タメになる本が多いな……」

 

 帝国最大の巨大図書館は同時に本の販売においても帝国最大手の書籍販売業者でもあるという事実は本好きには有名な話である。

 

 本の電子書籍化に伴う収蔵本の保管方法が巨大な磁気テープや巨大な超重元素の石板に超極小の精密工作機械による掘削による電子回路染みた転写になってもソレは変わらない。

 

「(この数週間通い詰めてもまだ足りない。此処は大き過ぎる!!)」

 

 男がアルローゼン聖大書堂に通い出して一ヵ月以上。

 

 それでも怖ろしく広い巨大な要塞兼図書館兼あらゆる店舗の複合施設は未だ回り切れていない上に未だkm単位の屋内を歩いて網羅出来ていなかった。

 

「う~~~いい話だよ~~~」

 

 彼の横では少女が顔を涙に塗れさせて漫画の頁を捲っていた。

 

「何をしているのかと聞くべきか?」

 

「だ、だってぇ……スッゴイ沢山送ったじゃん!!」

 

「1000冊近く送ったのは事実だけど」

 

 少女の横で少年は蒼力に付いての本をペラペラと捲っていた。

 

「目的の本は送ったとはいえ。それでもより良いものを探すくらいはしろ」

 

「こ、これ!! これだよコレ!! わ、私達みたいな子達が悪の大帝国を内側から変えて行って、侵攻を止めようと頑張る話!! だけど、帝国から追われて、仲良くなった子がいる国が滅ぼされて、次の侵攻は絶対食い止めるっていいところでお話が止まってるの!?」

 

 少女が近頃完結したばかりの売れ筋商材である帝国語の漫画を掲げる。

 

「はぁぁ~~~オイ。ちょっと、教育してやれ」

 

 言われた少年が微妙に嫌そうな顔になった。

 

「ソレ、帝国のプロパガンダ系の作品だよ」

 

「へ?」

 

「悪の大帝国が支配した領域で主人公達が逆に良い暮らしをしている人達を見て、絶望したり、そういう人間から逆に犯罪者として追われるって言うのが次の章からのストーリーだからね?」

 

「そ、そそそそ、そうなの!?」

 

「ついでに言えば、悪の大帝国に聖皇女様という新しいヒロインが出て来て、人気キャラになってる。帝国内で主人公達の代りに変えようと奮闘して、政略結婚させられそうになったり、暗殺されそうになったりするんだ」

 

「あ、詳しい? もしかして知ってる?」

 

「帝国のプロパガンダ作品は事前にリストにされてただろ?」

 

「え? そうだっけ?」

 

 思わず少年が溜息を吐く。

 

「はぁ、こんなのが沢山お山にいてくれたら帝国も大喜びだろうな……」

 

「な、何よ!? あたしは面白いものを面白いと思っただけだもん」

 

 少女が膨れる。

 

「それだけ帝国が上手という事だ。帝国の文化事業は完全に合法な侵略方法だからな。リセル・フロスティーナの加盟国の半分は文化で落とされたに等しい」

 

 男が溜息がちに愚痴る。

 

「お山がそうなるって事?」

 

「可能性の問題だ。今ですら帝国製の娯楽文化は多くの人間に帝国語と帝国の思想を布教中であり、それが“正しい”のが今の大陸だ。嘗ての“正しい”が滅ぼされた後に合理的で純粋に楽しみの多い帝国文化が浸透すれば、どうなるかは火を見るより明らかだな」

 

「ほら」

 

 少年が少女に本を渡す。

 

「これ何? 漫画?」

 

「ああ、そうだ。帝国製の未熟で不合理な文化が駆逐されていく歴史の事実を漫画形式にしただけの混じりっけ無しに誇張ゼロの歴史資料」

 

「……面白い?」

 

「帝国人の素養があるなら面白いかもね」

 

「何か投げやりじゃない?」

 

「見て見れば解るよ」

 

 そうしてパラパラと少女が少年に手渡された本を見始める。

 

 それを横目に男が歩き出した。

 

 これよりも更に聖女に付いての考察に使えそうな本を求めての事だ。

 

 ふと彼が視線を感じて振り向くと一人の女性を認めた。

 

「無名山からお越しの大使様でしょうか?」

 

 帝国ではスーツがフォーマルな礼服として定着して長い。

 

 タイトスカートにスーツ姿の金髪の若い彼女は少なくとも二十代。

 

 そう理解した彼は相手が何らかの諜報機関の者だろうかと当たりを付ける。

 

「ああ、図書館の方でしょうか? 無名山の人員として諸々の活動をしているのが何かしらの法規に触れるというのであれば、すぐに立ち去りますが……」

 

 その言葉に女性がニコリとする。

 

「いえ、姫殿下は何人にも書物庫は開かれているべきであると仰っていますし、我々は戦争や諍いのようなもので知識の習得を妨げません。どうやら、ご苦労されているご様子。姫殿下に関する書物をお探しならば、こちらからご提供差し上げる事はまったく問題無いのですが、楽しそうにしていらしたのでお声を掛ける間が掴めず。誤解させてしまったのなら申し訳ありません」

 

 女性が男の前にやってくると名刺を差し出し、互いに交換する。

 

「申し遅れました。わたくしは―――と申します」

 

「ッ」

 

 男が脳裏から名前が消えた瞬間、真顔になる。

 

「……そちらには何か“特殊な保安装置”をお使いになられていますか?」

 

「ああ、いえ、そうですか。聞えなかったという事はそういう事なのでしょう」

 

「どういう事なのか。こちらでは分かりかねますが……」

 

「すみません。我らは理の外側である為、無名山の下にある多くの隔離、収容、保護されている数多くのモノと違って定理の蓋然性を損なう場合があるのです」

 

「定理の蓋然性を損なう? それは……いや、まだ帝国にはソレの知識も技術も無いは―――」

 

 男が言い掛けて目の前の女性をよく見る。

 

 そして、名刺を見て、名前が認識出来ない。

 

 いや、認識という事象そのものが変質している事を悟って何かを諦めたような顔になる。

 

「貴女は我々の無名山の地下の存在を知る者ですか? 過去の先史文明。もしくは我ら以外の可能性……そんなものが帝国にもあるとは驚きですな」

 

「そういうややこしい存在では無いのですが、そういうものと同じような事が本質的にされてしまう事情を持った生命体だと考えて下さって構いません」

 

「……それで? 我々に情報を下さるというのはどういう意図があっての?」

 

「言った通りですよ。我々は姫殿下の司る国の臣下として立ち働いているのです。このあまりにも均一化された世界における例外として」

 

「それは我々が知って良い知識だろうか? 少なからず、無名山の地下において訓練した我々としては貴方の存在に対してかなり忌避感があるのですが……」

 

「申し訳ありません。取り敢えずケテルではありませんし、アノマリー止まりですよ。考え方によっては残骸にしか過ぎませんしね」

 

「……お話を伺いましょう。どうやら図書館の人間も掃けたようだ」

 

 いつの間にか。

 

 男は自分の周囲どころか。

 

 何処からも人の影が消えている事に気付いて“いつでも死ねるように”準備を整えた。

 

「そうお気負いなさらず。我らは過剰な知識も与えなければ、不足ある事実も申しません。我らは姫殿下をそっと影からお支えするだけの世界の端っこみたいなものですよ」

 

「世界の端っこ、ねぇ……」

 

 男が歩き出した気も無いのにいつの間にか図書館内を歩いている自分を認識して、マズイ状況になっているのを確認しつつ、逆らわずに相手の後を付いて行く。

 

「貴女はどういった存在なのですか?」

 

「そうですね。言わば、物語の中にいる黒子のようなものとお考え下さい」

 

「黒子……確か裏方のような意味合いでしたか」

 

「はい。姫殿下が大陸に齎した文化的な意味合いではそういう事になるでしょう」

 

 誰もいない巨大な要塞。

 

 図書館内部は外からの彩光を存分に行っている為、何処も鮮やかに明るい。

 

「姫殿下の事がお知りになりたい人間を招いて、よくこのように案内する事があるのです。そうですね。物語で言えば、行間の部分を担当しているとつたえれば、妥当でしょうか」

 

「行間?」

 

「そう、行と行の間。何も無い空白。けれど、それは何も無いのではなく。誰も認識していないだけなのです。空白が無ければ、文字は見えないものでしょう?」

 

「………なるほど」

 

 男が周囲を見回しながら、地下へと向かう通路へと誘われ、一つのエレベーター前の空間へと辿り着く。

 

「行きましょう」

 

 こうして彼が地下に向かう箱へと足を踏み入れる。

 

「我らと同じ叡智を握る存在。放っておくには危険過ぎますな」

 

 密室でも女は男に背を向けたままだった。

 

「ふふ、姫殿下にお伝えする事などこちらにはありませんし、その必要も無いでしょう。あの方は唯一の例外であり、“神届かぬ力”を持つ御方……我らの事など知らなくてよいのですよ」

 

「神届かぬ力? まるで四つの力を生み出した神を知っているような素振りで」

 

「貴方達の直接の上司であるO5の最終人員が我々の事を知れば、放って置けとしか言えないでしょう。そもそも貴方達と姫殿下の交渉事に我々が直接的に影響を及ぼす事はありません。まだ」

 

「………まだ、とは不安になる言い方だ」

 

 エレベーターが最下層に着いた。

 

 扉が開くと通路が延々と先に延びており、その左右には硝子で区切られた青空の広がる空間が広がっており、室内である事を忘れてしまいそうなくらいに長閑な放牧地が広がっている。

 

 だが、その内部で過ごしているモノを見て、男が怖ろしく緊張したのは仕方ない。

 

 あちこちにいるのは―――少なからず彼も知っているようなバルバロス及びバルバロスではないだろう奇妙な何かばかりだったのだ。

 

 何かとは何かだ。

 

 モザイクが掛っているような感覚で認識が阻害されていたのである。

 

「ああ、彼らを観測するのは精神的な健康に悪いので。こちらで対処させて頂いています」

 

「ミーム汚染……馬鹿げた数のコレがケテルではない? 管理されているだと?」

 

 思わず男が呟く。

 

「もはや力を持たない抜け殻のようなものです。まぁ、それでも大半の知的生命には致命的な事も多いですから、気を使っているのだと考えて下さい」

 

「【財団】の管理下ではない施設……まさか、他のオブジェクト管理組織がこの時代に?」

 

「彼らは自分達の意志で此処に住まっています。そもそも、どの先史文明期の時代でも一定以上の文明期にはこうして何処かに住んでいました」

 

「……まさか、オブジェクトがオブジェクト自身を管理下に置いているとでも?」

 

「はい。そのまさかですよ。だから、我々は貴方達的に言えば、ほぼ無害なアノマリーを名乗っているわけです」

 

「人を汚染するモノがそんなわけはないと此処で言うのは簡単だが……」

 

 女が歩いて行く通路の先。

 

 灰色の扉が鎮座していた。

 

 その扉の前には木製らしき玉座が一つ。

 

 座っているのは男にとっては知人にして最大の障害。

 

「待っていましたよ。鍵となる者達……」

 

 フィティシラ・アルローゼンの顔をした誰かだった。


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