ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第145話「終末の船出」

 

「オムレツ、ハンバーグ、ナポリタン、コレで良し」

 

 厨房で人数分の食事の最後の一皿を出してメイドさん達に持って行って貰いながら、デザートを次々に造り始める。

 

 平均、一皿6分から10分程度。

 

 男はそれよりも少し早い。

 

 食べ終える時間と人数は計算していたのでジェラートを冷蔵庫の容器からナイフで瞬時に溶け易い繊細さで削った。

 

 その内側には溶け難い粒の大きい外側を空気を含ませつつ盛り付け。

 

 横には焼いたばかりの熱々のチョコレートケーキを添える。

 

 全員分を削り出して、名前順に出した皿が全て運ばれ終えたところで厨房の全員に頭を下げて感謝を伝え、食堂に向かう。

 

 すると、内部では近頃ようやく気絶はしなくなった面々が忘我の極地みたいな顔で無心に食器を動かしてデザートを堪能しているところに出くわした。

 

 それから数分待っているとハッとした様子の何人かがこちら側に戻って来る。

 

「う、うま……うま、い? 美味かった? う、うぅうぅ~~~スゴイ幸せな気持ちなのに何か損した気分だぞ!?」

 

 デュガシェスが記憶は飛んでいないのに何か無心過ぎて幸せな余韻しか感じられていない事に物凄く愕然とした様子で喚く。

 

「い、意識は保っているはずなのですが、記憶も飛んでいないのに直前の味が思い出せない? う……皿を舐めたくなる料理というのはよく聞きますが、コレは……毒ですね」

 

 ノイテがふにゃけた顔だった事も気付いていない様子で顔を横に振って皿から目を逸らす。

 

 どうやら麻薬か何かの類に近いと思われているらしい。

 

「ぅ~~昔作ってくれてた時も美味しかったけど、今も美味しいぞ!! シュウ」

 

 一人満足気にこっちにニッコリして頬にアイスクリームを付けた幼馴染が目をキラキラさせた。

 

 お子様ランチの内容だったが、中身の味付けはしっかり大人ランチである。

 

「美味かったなら良かった。全員、食べ終わったら引っ越しだ」

 

 あちこちから声が上がる。

 

 本日、いつものアルローゼン邸を出て旧皇国首都中央。

 

 バイツネードの本拠地跡に居を移す事になっているのだ。

 

 今まで此処に詰めていた殆どの人員は若年層を筆頭に新拠点へと移住。

 

 今まで住んでいた大人には残って貰い。

 

 こちらとの連携を取りつつ、帝都で手足として活動して貰う事になっていた。

 

 若者だけを連れて行くというのを最初は驚かれていたが、今後の組織的にはどちらが全滅しても生き残った者が現場で指揮を執るのだと説明した結果。

 

 誰もが頷いてくれた。

 

 結果として教導官役の大人を数名連れて行くのみで後はまだ得意な事も定まらない幼年層以外の50代までを全て連れて行き。

 

 残るのは老年の者と家族があり、帝都に仕事がある者だけとなった。

 

「はは、帰って来て一年も立たずに行っちまうとはねぇ……」

 

「こちらは任せます。主力となる現役世代を全て引き連れていくのです。可能な限りの事はさせてもらいます。ただ、それでも色々とこちらで教育する事になるでしょうが……」

 

 嘗てリバイツネードの本家だった女。

 

 今もまだあの頃の姿のまま。

 

 母としての貫禄を備えるようになった彼女。

 

 その姿は子供達を暗殺者に仕立て上げていた頃よりも何処か優しいかもしれない。

 

 いや、余裕があると言うべきだろうか。

 

「まぁ、好きにしな。親御連中だって文句は無いさ。今生の別れになるかもしれないと娘息子連中を甘やかしまくってたのも終わったみたいだしね」

 

「人を預かる以上、半端は無しです。例え、人類が全滅して一人になっても生き延びられるくらいの技術と知識と体を育てましょう。心は個人にお任せしますが……」

 

「まったく。冗談に聞こえないのが良いのか悪いのか」

 

 今までお子様ランチを平らげていた副首領。

 

 嘗て、そう呼んだ彼女が立ち上がる。

 

 周囲にいるメイドさん達が背筋を伸ばした。

 

「お前達……門出だ。今日明日好きにして来な。このお姫様がアンタらの人生を棺桶まで面倒見ると言う以上は引っ越し先だって第二の帝都になるだろうさ。それまでお別れする全てを好きなだけ堪能して来るといい。友人との別れ。親子水入らず。恋人や伴侶との一時。あるいは帝都のお菓子か遊園地か。想い出は必ず力になるだろうからね」

 

 メイド達が最敬礼したと同時にいつもの面々に頭を下げてから退室していく。

 

 最後の1人が出て行った後。

 

 廊下では無礼講という事で盛り上がる女系家族のガヤガヤとした団欒が聞こえて来た。

 

「と、言うわけだ。お前ら、皿くらいは自分で洗うぞ」

 

 言われて、男性陣が周囲の女性陣に視線を向けたり、メイド組みの少女達にちょっと情けない顔で教えて欲しいと言い始めた辺りで部屋を出る。

 

 副首領。

 

 もはや、そう呼ばれる事もない相手の顔は見事に吹き出しそうだった。

 

「あの男共の顔!! いやぁ、男女同権とは良く言ったもんだ」

 

「役割の問題ですよ。まぁ、出来るならやらせておくのが吉です。伴侶に先立たれた夫みたいになりたくなければ」

 

「カカカカ!! 言い得て妙だね。アンタが消えるよりはありそうだ」

 

「……頼みましたよ。こちらは」

 

「ああ、リバイツネードを護るのはこっちの仕事さね」

 

「取り敢えず、跡地の再開発は基礎を3ヵ月で終わらせます。研究所から人員を割いて貰った後は戦闘人員を補佐する為の各種商業地とインフラ整備に5か月。研究施設自体の設計が終わるまでは殆どは仮施設ですが、ソレが終わった後は4か月以内にはあの大穴の全てが建物で埋まっているはずです」

 

「お得意の蒼力かい? あの大穴を全てとは……百年掛かるのを数か月と言われちゃ、何も言えんさ。ちなみに移民を?」

 

「ええ、リセル・フロスティーナ預かりの特別自治区として軍総司令部の予備。最大のスペアとして使うつもりです」

 

「……空が元に戻って、世界が滅び掛けて、それでも暴動が起きない時代に戦争の最前線になると分かってる場所に向かうなんざ。よっぽどだよ?」

 

「解っています。今の政情下では左程、集まらないでしょう。ですが、それならそれで構わない。最低限度以上の都市機能さえあればいいので」

 

「……例の時間操作能力を用いるってやつかい?」

 

「ええ、数万人でも1日で数倍になるのならば、人口は問題無い。問題なのは時間経過に耐える社会設計と時間経過による社会の歪みの矯正。技術革新、技術開発を急激に進める点で諸々の準備が殆どであり、後は地球上での時間操作によるマス・シヴィライゼーション計画の叩き台。これは社会実験に近いと言えます……」

 

「不安定なもんを選ばざるを得ないって程に追い詰められてる、と?」

 

「ええ……ちなみに自然の人口増加策と同時に人間の変質や進化の方向性、それに伴う肉体精神、社会の変質に対しての機能維持、発展と抑制を同時にこなす必要があります」

 

「ふむ……」

 

「その上で開発された全ての技術と知識、人類の派生存在、派生知的生命の統合による新社会創造とサイクルの維持。その文明基盤を元にして惑星規模での統合開発。時間操作によるあらゆる問題の解決を即時行う問題解決プロセスの開発。一定水準に到達した後は地球外惑星への移住……」

 

「永い戦いになりそうだ……」

 

「最終目標は現時点で構想している星の自己完結型改造を元にして我々が最後に相対する相手と同等の力を手に入れる為の【河牽く船】の建造です」

 

「……本来、万年単位先の文明が手にする力を自分達の世代で手に入れようってのは明らかに後から面倒事になるよ?」

 

「それを限界まで問題無く進める為の下準備の下準備が現在帝都で進められている諸計画であり、新しく造ったロードマップ的にはまだ目標までの道のりで消化している工程は1%にも満たないですね」

 

「はぁぁ……あたしゃ、いつになったら死ねるもんか」

 

「まぁ、千年は掛かりませんよ。箱庭計画の殆どは新しい技術や知識、諸々の設計をブラッシュアップした後は部下に投げっぱなしです。下手をすると化石になるよりも永い話になるので今から考えるだけ無駄ですね」

 

「だろうとも……」

 

「でも、やるべき事をやってたら、ゴールは世界の果てにあっても、確かにいつかは辿り着きます」

 

「その合間に人類が滅んでなきゃね」

 

「その為の我々です。勿論、手伝ってくれる人間がいてこそと言っておきましょう」

 

「了解した……細々したのはやっとこう。面倒事は頼んだよ」

 

「頼まれるまでもなく」

 

 こうして相手と別れて食器を片付ける仲間達をちょっと覗いてから、男性陣の皿洗いの様子に苦笑しつつ仕事に出掛ける。

 

 大仕事で一番大事なのは些細な事であり、足元を固める事だ。

 

 帝国の各部署が忙し過ぎる中。

 

 お忍びで色々やる時間が出来た事は喜ぶべき事だろう。

 

 大勢に世界を守護れとアバウトに言った手前。

 

 やるべき事はやらねばならない。

 

 まずは自分の意識を投じる分体を作るところから始める事にした。

 

 *

 

―――月面裏軌道上ステルス先行偵察艇【オールド・ランス】船中。

 

 人類の一部が本格的に宇宙開発に乗り出して数年。

 

 事実上の宇宙船は未だ多くないが、それでも数隻の船型の宇宙船。

 

 帝国においては宇宙艇の呼び名を持つ鋼の船艇が惑星と衛星の軌道上では重要任務に就いている。

 

 特に月面探索をする上で中継基地となる人工衛星及び宇宙ステーションのような宙域での多目的用途に用いる基地を拠点として密かに先行偵察する部隊は小型艇を複数持ち。

 

 航路図の作製と星系の探索に当たっている。

 

 特に月面は重点的に調べられており、無限機関たるゼド機関と超重元素製の船体。

 

 そして、グアグリスを主体とした空気や蛋白質の生成と排泄物や有機物を資源化して用いるリサイクル・システムの開発によって超長期活動を可能としている。

 

 船内の気圧を1気圧に保ちつつ、1Gを作る事の出来る極めて優秀な宇宙船が量産されている為、生活は仕事場が無重力地帯である事以外は殆ど変わらないままに宇宙開発は進んでいる。

 

 居住区画を高速回転するドラム缶のような形状にして船体に組み込んで航行する船はまるで巨大なローラーを腹に括り付けられた魚みたいなフォルムだ。

 

 未だ直接的な重力制御用のユニットは船体に使えるような極小のものは開発されておらず。

 

 現行ではこれが精一杯。

 

 最新の船体ではドラム缶型の居住区が撤廃されて、巨大化した船体内部に重力発生用の超重元素製ミニブラックホール機関みたいなモノが各所の設置され、重力発生装置兼エネルギー発生装置としてブロック毎に自己完結した生態系を創出すると言われている。

 

「船長。こりゃぁ、マズイ事態ですよ」

 

「はは、姫殿下が戻って来られた以上の事なんぞありゃせんだろうがな」

 

「どうしやす?」

 

 通常の宇宙活動を行う人間はリセル・フロスティーナの抱えるドラクーンを筆頭にした超人ばかりであったが、そのオールド・ランスと呼ばれた漆黒の船の最中。

 

 響いた多くの声は何処か荒くれ者のようにも聞こえた。

 

「無線封鎖は継続しとけ。この情報を一刻も早く本星へ。あの方へ届けるぞ」

 

「了解しやした」

 

「月をスイングバイに使って早めに帰る。例の腕があると思われる宙域は避けられるな?」

 

「へい。それは間違いなく」

 

 艦橋内部。

 

 最も高い艦長席に座った男はツバの付いた帽子を目深に被ったまま。

 

 手の中の携帯端末を見やる。

 

 男達は誰も彼も気密服は着ておらず。

 

 何処か古美れた大陸北部の防寒衣を兼ねる貫頭衣を纏っている。

 

「両舷微速前進。減速3時間前まで現行路を維持」

 

「ヨーソロー」

 

 巨大なドラム缶型の回る居住区を備えた船が月を迂回するようにして加速し始めた。

 

 数日後には本星へと向かう航路に乗って1週間も経たずに本星への衛星軌道上に戻っている事だろう。

 

 彼らが視認した観測対象。

 

 月の裏側には何かに圧し潰されたような跡と同時に巨大な山脈のようなものが横たえられていた。

 

 ソレが巨大な“指”である事を観測した者は彼ら以外におらず。

 

 同時にまた指の傍に巨大な青白い山脈のような刃の如き何かが月の内部から突き出している光景は新たな事件の始りとなる。

 

 宙に激震が奔る先触れは静かに始まっていたのだった。

 

 *

 

 帝都には色々な施設がある。

 

 今は封鎖された秘密施設の多くは協力的な一般人の中でも特に民間で働くエージェントに開放しているとされる。

 

 協力者のリストは全て頭に入っているが、それにしても未だ機密情報に携わる人間が10万人を超えない為、左程に記憶は苦労しなかった。

 

 ストラテジーゲームの中身を現実の人間に大量に読み込ませて処理する疑似的な歴史の追体験と対処能力を磨く施設。

 

 というのも最初は帝都の計画に携わる人間に開放していたのだが、50年で運用方針が変わって以降はリセル・フロスティーナ預かりとなる各国家の若手政治家の中でも有能な連中に使われているらしい。

 

 そんな施設を通り過ぎた本日の用事は一つ。

 

「………」

 

 その横に増設された泊まり込みの客の為にある機密区画内。

 

 その内部のホテルであった。

 

 リセル・フロスティーナは各所属国家の軍隊を完全統一しているが、その内実は司令官や指揮官を完全に実力主義で異動させる事で軍閥化を防ぐ帝国軍を中核とした連合軍だ。

 

 この為、殆どの軍人達は帝国軍での実地訓練や教育を受けた実践派の将校と内政者の組み合わせである。

 

 戦争を経験した世代と理論派の若手。

 

 これらの制服組みエリートで組んだ積み木に等しい。

 

 戦線での戦略、戦術研究。

 

 後方での兵站、数学的な後方戦略研究。

 

 どちらも重要視する彼らは言わば大陸の戦う知的労働者のトップである。

 

「皆様がお待ちです」

 

 史跡指定された商業施設横のホテルの地下へと案内された。

 

 エレベーターを降りると歩哨としてドラクーンが数名常駐している。

 

 彼らからの最敬礼を受けながら頭を下げて、正面の超重元素製の対爆気密ロックの扉が開く。

 

 内部はシェルターとなっており、巨大な監獄染みて中央の巨大な円卓とその周囲には複数段上の座席が数百以上存在してり、何処も満員御礼で立ち見まで出る始末である。

 

 帝国陸軍の現大将はウィシャスの義兄だ。

 

 彼以外は参謀本部の上級将校が一部列席している。

 

『フィティシラ・アルローゼン姫殿下のお越しであります。皆様、ご起立下さい】

 

 立ち上がる総員の中を進んで上座の席に腰を下ろす。

 

「皆さん。本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます。この小娘の拙い戦術、戦略にどうか肉付けし、空っぽの水差しに皆さんの叡智を注いで頂ければ幸いです。今日は皆さんにお土産を持ってきました。これに対する提出は半年後までにお願いします」

 

 言ってる傍から予め運び込んでいた紙の束が大量に渡される。

 

 そして、同時に彼らの横に大量の白衣の人物達が付いた。

 

「彼らは本件に必要な全技術に精通出来た研究所職員の一部です。あくまでほぼという但し書きが付きますが、彼らがこれから付きっ切りで皆様に分かり易く技術に付いてあらゆる教育、教導を行ってくれます。彼らが国家の席を開けるのはこの時期相当に痛いという事を理解して頂ければ、皆様に対してどれだけ期待しているかは分かって頂けるかと」

 

 静かに周囲を見回す。

 

「本来なら知識を脳に直接刻む事で情報を受け渡す事も出来ますが、何事も時間をちゃんと取るべきであるというのがわたくしのもっとーです。此処で覚え切れない。あるいは単純に量的な問題で無理な場合は最終的に残された部分に対して特定の知識を脳に直接焼き付ける薬を用意しています。安心して死ぬ気で考えて行って下さい」

 

 周囲の男達の額には微妙に汗が浮いている。

 

「では、お茶でも啜りながら始めましょうか。大丈夫ですよ。こうして皆さんは此処まで辿り着いた者達なのです。此処から先、人類の為に百億年先までも己の魂を差し出す覚悟はしっかりと受け取りました。まさか、結果も見ずに寿命で死ぬ輩はいませんよね?」

 

 男達は更なる汗を掻いたようだ。

 

「わたくし達が死んだ後の世代の事までは面倒を見ずに結構。けれど、今を生きる限り、貴方達と共に歩む全ての同胞たる人々くらいは自分達で面倒を見ましょう」

 

 ニコリとしておく。

 

「絶望しかない戦場でも、最後の1人になっても、貴方が生きている限り、我らの戦いは終わりません。疲れた、止めたい、苦しい、哀しい、もう嫌だ。いつか、貴方達がそう思ったら、わたくしの今から言う声を思い出して下さい」

 

 円卓へ静かに手を載せて軽く叩く。

 

 ドガンッッッと木製の円卓がそのままコンクリの床にメリ込んだ。

 

「希望来たらず、心魂朽ちる無尽の絶望だろうとも……諦めぬ者の眼前では風の前の塵に同じ……貴方の心が屈さぬ限り、貴方の体が死のうとも決して敗北はない」

 

『――――――ッ』

 

「これから始まる戦いに勝利の可能性は一欠けらもないでしょう。けれど、それで諦められる程に物分かりの良い方々でしょうか? あの怖ろしき緑の空の下を駆け抜けて来た貴方達が?」

 

『………………』

 

「敵が無尽の神ならば、我らは無尽の決意以外に相対する方法は無いのです。最良を、最善を、考え尽くし、やり尽くし、諦め掛けても必ず立ち上がり続ける。それだけが此処から先に向かう者に必要な力です」

 

 男達の顔にはしっかりと決意が刻まれていた。

 

「勿論、どうにかなると信じています。信じるとは極論、理性や合理とは真逆の事に過ぎません。だから、わたくしに見せて下さい。どのような理性も合理も届かない信じる者の力を……それを後押しする者達はまだ大勢いるのですから……」

 

 最敬礼が返される。

 

「わたくしも微力ながら手伝いましょう。婚約者達に叱られないよう適度にお休みを頂きながら、ね?」

 

 こうして敵の“推定戦力”が半ば公的な暗黙の了解の下で開示された。

 

 この大宇に有っては小さな。

 

 けれど、確かに理不尽な事実を前に折れた人間が1人もいなかった事は幸いだろう。

 

 笑いもせず。

 

 冗談にもせず。

 

 事実を事実のままに受け入れて尚理性的に粛々と話し合いを継続する人間がもしも狂人だと言うのならば、正しく其処には狂人しかいなかった。

 

 だが、確かにソレは確かな一歩だと思えたお仕事の時間なのだった。

 

 *

 

「では、本件の技術審議会を開始致します。お手元の参考資料をご覧下さい」

 

 小さな白い会議室。

 

 その最中に20人の白衣の男女がいた。

 

 帝国技研。

 

 そして、大陸に散らばる大陸技術の権威達。

 

 その中にはオブザーバーが数名混じっており、四人の博士がいた。

 

 天雨機関と呼ばれた嘗ての現代から跳んで来た者達。

 

 一人は未だニィトからオンラインで画面越しに参加している。

 

「今回、第三回となりますが、本件が恐らく三つの技術中最大の懸案になるでしょう」

 

 彼らの手元にある資料には重力根幹研究と称されるファイルがあった。

 

「皆様にも分かり易く言えば、本技術研究はこの宇宙における重力の根幹を知識化した上で利用する為のものです。基礎理論となる大統一理論に組み込まれる次元重力論。その各要素は以下の通りとなります」

 

 資料が捲られる。

 

「重力の正体は光で認識出来ない次元の系で説明出来るものであり、重力とは宇宙が低次元下降する事によって起こる安定化現象である。これが簡潔な事実です」

 

 ファイル内の情報は専門用語も多かったが定理の具体的な文面が書かれたのみで後方に様々な数式が載せられていた。

 

「重力が根本的に時空間と物質に働く次元低下現象であり、重力子が存在しないというのはダークマターやダークエネルギーが光で観測出来ないというのと関連した事実です。また、我らの次元に食み出さない4次元内0次元以上の境界次元と名付けられた次元の階層内にも質量と場が存在する事はほぼ確定であり、ブラックホールがその最たる底になっているというのもほぼ確定」

 

 次々に資料が捲られていく。

 

「また、これらの次元を隔てる事で光で観測不能となった複数の力が4次元宇宙を外部から成り立たせているというのも姫殿下が齎して下さった神々の情報からも確定」

 

 解説役の白衣の老人が次々に資料を解説していく。

 

「結果だけで言えば、光で観測出来ないが、間接的な実験結果から全て事実だと確認出来る情報から我々は宇宙の真理の大まかな部分を理解したと言えるでしょう」

 

 お茶の啜られる音が室内に響く。

 

「これらに干渉する事が出来る能力が蒼力や緑炎光であり、その物質的なエンジニアリングのキーとなるのが物質の中で最も重く安定した上で高重力を発する事が可能な超重元素。これそのものである事は間違いなく天恵であり、我らはこれを使う準備が出来ている」

 

 彼らのいる部屋の壁が次々シャッターとなって上にせり上がると背後には複数の黒い鎧が据え置かれていた。

 

「ドラクーン及びリバイツネードに供給していた装甲。ハイフォーマット・アームズ。リバイツネードではアストリアルと呼ぶコレらの装甲を極限まで研究開発してきた我らには基礎がある」

 

 資料には歴史的とも言えるドラクーンの装備に使われる技術が羅列される。

 

「時空間を局所的に制御する事で得られる力。物質の構造予測から分子の製作から有機細胞における超重元素の取り込みから場を用いた脳を用いる高次物質製作能力、複雑怪奇の有機遺伝子改造能力。何なら何をしていないのかが分からない程の諸々の技術」

 

 ドラクーンの装甲の歴史は最初こそ超重元素の構造や合金が主であったが、1人の聖女が立てたロードマップと目標を達成するべく。

 

 その後、大量の技術開発と共にあらゆる分野の叡智が取り入れられていった。

 

「姫殿下が齎した神の叡智とゼド教授を筆頭としたニィトの方々の叡智。その極限が今、こうして我らの元には揃っている。それを利用するだけの技術力もある。故に……」

 

 解説役の男は……今はエーゼルに所長職を明け渡した男は白衣達を見渡す。

 

「我らはあの方の希望に沿えるだけの真理の法を行使出来なければならない。そして、あの方が示した星の自己完結した自存能力。宇宙進出と共に天文単位物体の敵と戦う術。更にその先にある天動かす叡智を開発する事は義務である」

 

 男がファイルを閉じる。

 

「システムの開発は我らが行い。実際の最初期の建造にはあの方と多くの聖女の子供達やドラクーンによる蒼力の支援もある。規模拡大前の基礎の開発。正しく、その技術力が人造の神すら作れるものでなければ……我ら人に天凌ぐ敵と戦う資格は無い」

 

 そして、真っすぐに彼らを見やる。

 

「まず以て、重力の完全制御。これを第一として時空間、電磁力、光子力、またこれら物理事象のほぼ全てを量子化して運用、それを主軸として高次元領域、低次元領域での各種完全なる運用の為の観測と実験。平行して蒼力の物質製作能力と緑炎光の時空間操作能力の機能的完全なる機械化までがセットで行われるべきだ……」

 

 資料の頁が捲られる。

 

「これらを基礎としたマス・シヴィライゼーション。文明化領域の極大化。恒星間ネットワーク。恒星間連絡通路。恒星間航行技術。そして、それらを統合し、あらゆる惑星と広大な宇宙空間に存在する極限環境や現象、物質の利用技術。全ての成功を以てようやく【河牽く船】は完成を見る」

 

 それを聞いていたエーゼルが僅かに苦笑していた。

 

 あの人の考える事はいつでも自分の遥か想像の上を行くのだな、と。

 

「その第一歩はあの方の“万能”を“全能”にまで押し上げる装備の開発であるべきだと皆の意見は一致するはず。我らの極限をあの方に捧げてようやくスタートラインに立てる。その基礎となるべき鎧はゼド教授が既に開発済みであり、その機能の拡張をより高密度、低体積で行い。あらゆる現象に対処し得る力の付与を行いたい。大陸全ての技術者、科学者達の力の総動員に異論はないでしょう」

 

 白衣の男女が年齢も様々だが、大陸の頂点に君臨する叡智の化け物達だ。

 

 だからこそ、その言葉に唇の端を曲げる者は多く。

 

「これより技術開発の為、帝国技研は制限していた知識と技術のパテントを各分野に開放する。重力技術の開発成功までに課された時間は一年……叡智をあの方から賜る者達の奮起を期待します」

 

 こうして、その日の内に大陸のリセル・フロスティーナ内の国立と在野の研究所の全てに帝国技研が秘匿していた既存知識と超技術の内実が大半開示された。

 

 だが、それを利用出来る程に理解出来た者は知識を得た者達の4割に届かず。

 

 しかし、それでも明確に人類の生存の為という大義名分を掲げられた彼らは技術開発の為に奮闘していく事になる。

 

 一つだけ特異な事があるとすれば、それは技術の悪用を考える研究者がおらず。

 

 技術開発に伴う膨大な規約も甘んじて受け入れる者達しかいなかった事だろう。

 

 一人の天才にしか出来ない仕事もあれば、無数の凡人にしか出来ない仕事もある。

 

 そして、その全てがたった一つの目的の為に集約された時。

 

 大陸は確かに一つの事実へと帰結した。

 

 今、世界を救う者に力を……彼の者に我ら人類の総力を……。

 

 コレを以て宇宙進出時代の到来が始まった事を後の歴史家は語るだろう。

 

 それはたった一人の少女が拓いた絶望の海への船出であった。


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