ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第142話「始りへの開口」

 

―――帝都陸軍本部庁舎地下総司令部。

 

『現在、旧首都外縁の要塞群の崩壊率58%を超えました。アウトナンバーに残留する時空間変動による局所的なアウトブレイクによって時空間崩壊現象が各所に出現中!!』

 

『観測結果の一次解析が終了!! アウトブレイク中の空間から半径300m圏内においては時空間変動による干渉で凡そ400倍から10万倍までの時間の変動が確認されました』

 

 総司令部に届く映像はまるで地獄だった。

 

 先日の東部で顕現した炎獄が圧倒的な分かり易さならば、今大陸最大の要塞が一つの組織に向けて造られた場所では経戦中の部隊による緩い包囲陣が展開されつつある。

 

 数時間前の時点で強大なアウトナンバーが複数個体出現し、即応した師団とドラクーンが連携した事で犠牲者は最小限度にしつつも壊滅的な被害を受ける寸前まで追い詰められたのだ。

 

 火砲と武装と人間の血潮と化け物の残骸で埋め尽くされた戦場の最前線は辛うじて人間の死体を回収して後退出来たが、時間変動が周囲を呑み込んだおかげで戦闘域内の時間差は怖ろしい事になっており、最初から諸々の物資の生産補給が可能な人員を詰めさせていたからまだ崩壊はしていなかった。

 

『ゼド機関による矯正領域内部で凡そ300倍まで落としていますが、このままでは時間の変動に耐え切れず要塞線が風化します!!?』

 

 映像の中では巨大な半透明な時間障壁が消し飛んだ跡の激戦で一つの館の周囲が完全なる更地になっており、その周囲3kmの上空が猛烈な空間の崩壊をあちこちに出現させ、その内部から次々に緑炎光を溢れさせていた。

 

 光すらも遅くなる世界において薄暗い領域が形成され、その最中には何故か館のみがハッキリと見えるという状況は異様だろう。

 

『各要塞戦に詰めている者達との通信途絶から30分……現在、時間が早まったと思われる領域内部では三か月以上が進行しているようです』

 

『食糧生産、浄水プラントを内蔵し、その全てを自己完結、修理出来る人員と物資だけで纏めていましたので恐らくはまだ持ち堪えられると思われますが、100年単位となると生存の保障は……』

 

『姫殿下が例の高高度突入体を使用するとの事だ。続けて、ウィシャス殿が続くと。他の後詰となる者達は無し……』

 

『あの方は再び大陸を御救いになるおつもりか。あれほどの力持つ精鋭を大陸の各地に分散……集中運用さえ出来れば、お力になれるはずだと言うのに……』

 

『我らの使命はあの方が後方を気にせず。盤石たる面持ちで自らの仕事を終えられるまで、決して心配させぬ事……嘗て先達達に言われた通りだったな……』

 

『大言を吐ける程度には準備した。そして、その結果があの方の御心を痛める結果ならば、我らの努力はまったく足りなかったという事だ』

 

『損耗した人員のリストは後20分後には……』

 

『研究所より入電。再突入体の発射態勢に入りました。3分後に打ち上げると!!』

 

『まったく、全てあの方に任せ切りか……ッ』

 

『もしも、あの方が支援砲撃をして下さらなければ、現地の師団は壊滅していたかもしれん。もし、あの方が通信で的確な指示を現場指揮官達になされなければ、我が方の精鋭たる師団はあの場で時の流れの中に呑み込まれて消えていた。もしも……我々が有能であれば!! あの方の命を落とした者達への哀しみの声を聞かずにいられた』

 

『ああ、我らは無力か。大勢の家族を……悲しませる事になる……』 

 

『今は全てよい。力は仕事に注げ……』

 

 総司令部に入って来る諸々の情報から正確な状況を把握し、的確な指示を与え、現場の混乱を治めて堅実に対処し続けていく将校達の視線は一様に仕事をしながらも小型端末内部に浮かぶ研究所からのライブ映像に注がれていた。

 

 世界最大の研究機関。

 

 聖女の臣下と呼ばれる者達の庵。

 

 その最中にある庭の一角が開いていく。

 

 宇宙開発を進めるリセル・フロスティーナ。

 

 その一部門が研究開発し続けていた一つの可能性。

 

 ロケット。

 

 それも燃料を使わないゼド機関のみを用いた高速飛翔体。

 

 ミサイルは兵器転用する事を公にはされていない貨物運搬用技術の一つだ。

 

 全てリセル・フロスティーナにおいては人類の敵となった存在にのみ使われる時間や人員が足りない地域へ使う兵器扱いだが、公然の秘密としては兵器を載せる事が可能である事は知られている。

 

 だが、ソレは元々星の外に人員を乗り込ませて送り届ける為の乗物の一形態である事を多くの大陸民は知らない。

 

 嘗て、50年前の構想においては片道だけでも高速で目標地点に突入する事を考えて造られたのが大陸においてのロケット、ミサイルの始りである。

 

 つまりは聖女当人と載って戦える人員だけを積む特攻兵器。

 

 実質的には死出の旅路用。

 

 これがゼド機関の開発によって従来の船を宇宙船として開発する事に舵を切って、事実上この構想は聖女当人がいない事も相まって路線変更されたわけだが、今も聖女用のロケットが研究所でひっそり造られている、なんて軍の将校達以外は知らない事実である。

 

 聖女当人の自己申告で耐え切れる限度の速度やGの数値が当時から更新され、今も研究開発が続くミサイルは数機の内の1機を今、皇国旧首都に向けて調整されていた。

 

『こちら帝都管制室。上空の航空貨物船の退避を完了した』

 

『了解。これより帝都全空域の戦闘時以外の離発着を禁ずる。航空管制は帝技研のシークエンス終了まで全ての観測を厳に』

 

 研究所内が右往左往しながらも発射台が地下から見え隠れするようになって、彼らの多くは仕事を止める事無く片手を胸に当てて僅か祈るに留めた。

 

 自分の仕事が世界を救う。

 

 そう説かれ、研究所で過ごしてきた誰もが知っていたからだ。

 

 全ては自分達の積み上げて来た上にある。

 

 それが飛ぶ事を疑う事は彼らの今までを疑う事だ。

 

 サイロ内に続く通路に軍装姿の少女が現れた時。

 

 それを見送る保安要員以外、その場の景色を見る者は無かった。

 

 飛翔体内部に続く通路が1人が乗り込んだ事でサイロ壁面の通路へと格納されて扉が幾重にも落とされる。

 

 それから五分せず。

 

 下部でゼド機関によって供給された電源を用いたパルスジェット推進のシステムが稼働し始め、たった一人用の座席に座ってベルトをした白い少女が1人。

 

『準備完了致しました。姫殿下』

 

『即時発射。目標バイツネード本拠地』

 

『了解!! 発射致します』

 

 通常の燃料を用いた燃焼式の推進機関とは違う。

 

 ゼド機関を用いた熱と電気を用いたハイブリットのパルス推進機関は大気圏内大気圏外兼用であり、同時に重さを感じさせない程に軽やかな加速を見せる。

 

 燃料タンクが不要であるだけではない。

 

 高速で飛翔する為だけにあらゆる部分でエンジンと呼ばれるモノがゼド機関に置き換えられたロケットの構造は極めてシンプルであり、内部外部からの振動や共振現象、様々な内燃機関を構成する機械に対する温度管理、制御装置諸々が省かれたスリムさは人が乗るにしても極めて小さいと言える。

 

 猛烈な加速の割に振動が無いせいで発射されたソレが天に昇っていく光景は轟音と言う程のものを帝都に響かせる事もなく。

 

 しかし、瞬時に加速が継続した躯体が断熱圧縮で焼け突きながら大気圏を突破していく様子は天に昇る一筋の光。

 

 未だ状況を正確に把握出来ていない民間人の多くは思わず光が見えた方角に何かを確信した様子で頭を下げるやら、胸元に手を当てて祈った。

 

 そんな事を未だ知らぬ殆どの人々は日常の中に違和感すら感じず。

 

 普通の毎日の夕暮れ時へと向かっていく。

 

 *

 

『君ぃ……此処の翻訳が間違ってるよ』

 

『え?』

 

 帝都の一角。

 

 文化輸出事業の一つ。

 

 娯楽作品の各国言語への現地化作業翻訳事業を行う人々が働く一角。

 

 彼らは夕闇に溶け込み始めた世界を窓から受けながら、今日の仕事の最後の詰めをしていた。

 

『どういう事でしょう? これで良いと先方からは……』

 

『はぁぁ、君は帝国人と帝国の意向を何も分かっていないな』

 

 一人の新人がデスクの傍で50代の上司に叱責されていた。

 

 その理由が分からずに彼は首を傾げる。

 

 先方……つまり、現地語のスペシャリストである彼に配給会社からの連絡で始まった作業はようやく終わろうとしている。

 

 此処一ヵ月掛けて造られた大作ゲームの現地語化の主任たる彼は上司の様子に首を傾げる。

 

『特に最終章の此処のフレーズは絶対にダメだ』

 

『……そう、でしょうか?』

 

『ああ、【君を愛す人がいないなら、君が愛す人になればいい】と主人公はヒロインに自分を愛する事を解くんだ。だが、君の翻訳は【君に愛する人がいないなら、僕が愛する事を教えよう】となっている』

 

『それは……先方の方から確か……』

 

 若者にしてみれば、相手側からの意向を聞きながらの作業だった。

 

 確かに変化してはいるし、意味合いも異なるが、前後の文脈においてはヒロインと結ばれる事が確定しており、ゲーム的にも齟齬が生じるという事は無い。

 

 だが、上司の目は静かに険しい。

 

『それ程にダメな訳、でしょうか?』

 

『ああ、翻訳がダメなのではないよ。あそこの国は未だに政治的に保守的過ぎて遅れているところがある。文化面からの侵略を嫌っての事だろう。これが男から女への文言ではなく。女から女への文言だから、解釈の余地を与えたに過ぎない』

 

『……では、どうして、ダメなのでしょうか?』

 

『君はこの世界が“一つの世界”である事を信じるか?』

 

『え……?』

 

 上司は暗闇に黄昏ていく世界の印影の最中に若者へ訊ねる。

 

『君は此処がどんな場所なのか解っているか?』

 

『?』

 

『翻訳する場所だ。文化事業の最前線だ。そして、公には言われていないが、多くの電子空間上では苦笑されているが、此処は……戦争の最前線だ』

 

『せんそう……?』

 

 本当に怪訝そうな顔で若者が呟く。

 

 ネットではそうかもしれない。

 

 だが、苦笑半分の戯言だと誰もが半ば半信半疑なくらいに眉唾だ。

 

 もはや、そんな時代ではないと誰もが知っている。

 

『侵略だよ。先程言ったな。アレは比喩ではない』

 

 その真面目な上司の顔を前に彼が何か別世界に迷い込んだような錯覚を覚える。

 

『嘗て、文化事業の殆どが人々に紙芝居として定着した頃。多くの国家はその侵略手法と本当の威力を知らず。そして、本当の意味で人を動かす、世界を動かす“あの方”の覇業を知らず。故に誰もが最後には……倒れた。王政、独裁、貴族主義、宗教原理主義者達すらもだ』

 

 青年は知っている。

 

 確かに帝国発の文化が多くの国々の若者に受け入れられ、その殆どの国家において“帝国式”が根付く土壌となった事を……だが、リセル・フロスティーナが発足している現状、そのような侵略なんて強い言葉を使うまでもなく。

 

 彼のやっている事は平和的な仕事でしかない。

 

『あの方は文化事業を起こした。あの方はその文化を侵略の手段とした。だが、あの方は……何よりも自由と人々の享受できるモノの多さを慈しまれた』

 

『姫殿下……帰って来た少女……』

 

 青年とて知っている。

 

 時代を創る人。

 

 現代社会の創造主とすら呼ばれる相手。

 

 世界最大の帝国。

 

 その最初で最後の大偉人。

 

 彼女の先に彼女程の偉業を為した偉人は無く。

 

 彼女の後に彼女程の偉業を為した偉人は無く。

 

 唯一人と称された一人の少女。

 

『君は何故、ヒロインが突き放されるかのような言葉を主人公が言わねばならなかったか。その裏をちゃんと理解しているか?』

 

『それは……本当に愛していればこそ……』

 

『そうだ。此処で甘い言葉にも思える事を女が女に言うのは不道徳だと未だ頑迷な地域の為政者や大人達は言うだろう。その餌にされるのが、この大作でいいのかね?』

 

『いや、さすがにソレは考え過―――』

 

『君は考えたか? 今までこの世界に幾多ある物語に誰の力が働き。誰の庇護の下で創作活動が否定されないよう守られていたか』

 

『………』

 

 青年は知っている。

 

 だからこそ、沈黙する。

 

『我ら帝国人は自由を愛する。我ら帝国人は規律を愛する。我ら帝国人は愛を愛する。だが、我ら帝国人が真に愛したのはあの方が目指し、共に願う事を許された世界なのだ』

 

『あの文豪の言葉ですか?』

 

『そうだ。帰って来たあの方に笑われぬ世界を。それが我らの先達の願い。そして、未だ平和と言われているのは今まで多くを積み重ねた先代達が築いてきた一部の隙すら無い環境を決して譲らぬという思いからだ』

 

『環境を譲らぬ思い……』

 

『人々の中に帝国式への反抗は未だある。だが、あの方が望む誰もが自由と規律を重んじる世界には旧来の価値観が消えていく事が必須だ』

 

『価値観が消えていく……』

 

 上司は大真面目だ。

 

『あの方が願う世界はあらゆるものが肯定され、その上でふるいに掛けられる世界。その時、人々の誰もが最大化された平凡を受け取れる世界』

 

 彼は思う。

 

 目の前の相手はこんなにも熱く。

 

 こんなにも狂人染みていたのだろうかと。

 

『君は今日と明日の食事に困った時、神や宗教や因習、現実を言い訳にして子供に食事を与えない事を正当化する大人をどう思う?』

 

『いや、それは……かなり、おかしいとは……』

 

『だが、それが嘗ての世界だった。嘗ての多くの人々だった。帝国ですらいただろう。それは悪だ。今、この世界においては悪なのだ。それは何故か? 誰もが帝国式を享受したから。誰もが帝国式を受け入れたから。誰もが帝国式を知っているからに他ならない』

 

『帝国、式……』

 

 青年は知っている。

 

 それは概念だ。

 

 多くの国で帝国式というのは先進的であるという事と同義語となっている。

 

 だが、実際にそれはいつの間にか広まっていたものであり、帝国が広げた文明が人々に受け入れられた故に始まったものだと思っていた。

 

 しかし、実際のところは……。

 

『嘗て、この事業の殆どは軍からの後援を受けていた。そして、最初期メンバーである先達は本当に実際の軍務として機密任務を請け負った』

 

『―――』

 

 その言葉に彼は呆然とするしかない。

 

 此処は平和の一丁目。

 

 文化と娯楽を多くの人々に届ける素晴らしい事業体。

 

 そうとしか、今まで知らなかった。

 

『公然の秘密だがね。此処は戦争をしている。今も……頑迷なる旧世界にお別れを。新たなる新時代に挨拶を。その最たる牙城、言語を操る我らの仕事は人々が遍く一つになる日まで続くのだ。平和と幸福は決してタダでもなければ、待っていてやって来るモノでもない』

 

『………………』

 

 青年は上司の瞳が理性に澄んでいる事にこそゾッとする程に冷たい汗を掻く。

 

 そして、それが帝国人だとすれば、自分はとんだニワカ帝国人だったのかもしれないとも思う。

 

『若者よ。君はこの奇妙な上司の戯言を真に受けなくていい。だが、覚えておけ。我らの下には何の比喩もなく人々の屍と自分の常識を諦めさせられた人々の不幸が埋まっている』

 

 まるで賢者の如く厳かに密やかに真実は囁かれた。

 

『その事だけは忘れるな。我らは世界を変えて、人々を殺し、万人に自由と平等と規律を約束する帝国の一端。その小さな歯車の一つなのだと言う事を』

 

『……その、歯車が間違った仕事をしたら、どうしますか?』

 

『正すだけだ。そして、我らは我らの仕事を命と生活の危機が無い限りは真面目に愚直に遣り遂げ続けるだけでいい。それが為される限り、我らが失敗しても、我らの失敗を取り返す誰かが訂正してくれるだろう』

 

 青年にはもう目の前の上司が狂人だとしても暴論は言っていないように聞こえていた。

 

『帝国が世界となったのは仕事を愚直に素直に真面目に行う労働者……あの方が愛し育んだ我ら有ればこそ……その力は真実世界を動かした。今もな』

 

 彼は目の前の戯言を真に受けられる程に帝国が良い国だとは思わない。

 

 だが、同時に帝国の帝都という楽園以外で生きていけると思う程に非現実的でも無かった。

 

 確かに帝国は世界の指導者層が集まる最大の中心地であり、帝国の生産力が世界各地を支え、災害の復興は為されている。

 

 彼は帝都産まれの帝都育ち。

 

 だからこそ、帝都の外がどれだけ不便でどれだけ遅れていて、どれだけ娯楽が少なく、どれだけの人々が帝都を目指して膝を屈したか知っている。

 

 帝都に住まうモノは優秀でなければならない。

 

 隅々まで行き渡った帝都人の気質は正確であれ、冷静であれ、優秀であれ、権利は義務と同義である、というものだ。

 

 故に仕事が出来ない人間は帝都には住めない。

 

 税金から始まってあらゆる事が不自由に感じる事すらある義務を負うからだ。

 

 それが無し得ないのならば、帝都に住まう意味無しとすら言われる。

 

 これらが護れない、義務を背負えない、義務を蔑ろにしか出来ない者は例え生家があっても地方住まいを家族に進められるし、実際地方への移住は首都への一極集中の是正措置から優遇される。

 

 そうして初めて多くの帝都を出た人々は知るという。

 

 帝都が世界の中心であった事を。

 

 どれだけ帝都が洗練された世界であったかを。

 

(帝国の中ですら義務を背負える者は多くない……)

 

 だが、それを果たした時、得られる毎日は確かに最高に輝いているだろう。

 

 この非常識な程に自由と規律が両立された帝都にあって、彼はその狂気と真実を前にして腹を括る事にした。

 

 何せ彼には帝都以外で生きていける生活力は無い。

 

 食事は世界最高とも言われる種類を誇る外食、洗濯は如何なる衣服と汚れも厭わぬクリーニング店、風呂は世界最大と目される多目的総合娯楽施設としてテーマパーク化された公衆浴場、将来は帝都の少し高い老人ホームか一軒家で気楽に死ぬまで翻訳家をして生きるのが人生設計だったからだ。

 

 美人な伴侶だってきっと見つかるだろう。

 

 帝国の帝都に住まう者達が美男美女揃いなのは何も顔が皆良いからではない。

 

 美しく在ろうと生きようという者が多いからだ。

 

 それは生き方にこそ美容の秘訣があるとも称される人生観そのものだ。

 

 人生は順風満帆である。

 

 その環境は此処にしかない。

 

 死ぬ確率がアウトナンバーのせいで大陸の何処でも同じなら、彼は例えどんな狂気の沙汰が蔓延る場所だろうと此処が良かった。

 

 死ぬのならば帝都で死にたいと思った。

 

 彼は優秀で義務を負えて、生活の為に働く場と技能が有り、何よりも自分の好きな事を仕事にしていける意気と意志がある若者だった。

 

『……姫殿下の事は尊敬してます。でも、さっきのは聞かなかった事にしておきますね』

 

『よろしい。仕事に掛かれ。例え、今日死ぬとしても、仕事ある限り、我らはソレを為す。それが―――』

 

『帝国式……ですね?』

 

 僅かに若者はニヤリとする。

 

『ああ、仕事上がりに一杯やろう。まだ独身の内にな』

 

 上司が彼に笑い掛ける。

 

『そう言えば、ご家族の話は聞いた事ありませんでしたね』

 

『妻と娘がいる。貴族出身でな』

 

『道理で……』

 

 貴族社会が未だ存在する帝国内において貴族達の多くは不労所得どころか。

 

 現場主義で経営の神様染みた人徳者しかいない。

 

 というのは帝国ならば当たり前の話だ。

 

 そして、彼らの殆どは聖女病と称されるくらいには聖女殿下を信奉しているというのもやはり常識だったりする。

 

『今、娘はあの方の剣として戦う仕事をしていてね。少し暑苦しかったな。我ながら……』

 

『あはは……アウトナンバーへの対処をして頂いているなら、それだけで頭の下がる思いですよ。ちょっとくらいは上司の席に付き合うのも吝かではないくらいには……』

 

『ふ、言うな。では、飲みながら姫殿下の辞書の話で盛り上がろうか』

 

『ええと、大陸の現代言語の殆どは姫殿下の新語を取り入れて殆どの文面を形成している、でしたっけ? 大学では専門じゃありませんでしたが、聞いた事があります』

 

『君も翻訳していけば分かる。あの方は真なる言語学者でもあられる。新語を広める為の辞書、その原本はウチにあるのさ。あの方が創った“三つの言語”と共に……これも機密だがね』

 

『聖女の辞書、三つの言語……伺いましょう。翻訳家として興味があります』

 

『ふふ、さすが期待の新人。なら、触りはそうだな……宇宙人相手にも通じる言語の製作方法……で、どうかな?』

 

 彼らは仕事をする。

 

 帝国人たるようユーモアに満ちて。

 

 あるいは帝国式と呼ばれる程に鮮やかな手並みで。

 

 人々は日常を過ごす。

 

 やがて、世界を驚かせるニュースが帝国発の情報として世界を駆け巡るまで。

 

 終わり無く……。

 

 *

 

―――大陸南部とある王宮の中庭。

 

 黒鎧。

 

 ドラクーンのトレードマークである機械式装甲。

 

 現代ではハイフォーマット・アームズと呼ばれる。

 

 俗称は黒騎士の鎧。

 

 そんな現代の最新兵器(ソレ)を着込んだ人物が数名の男女を前にして空を見上げていた。

 

「よろしいのですか?」

 

 秘書官らしいいで立ちのスーツ姿。

 

 女性の言葉が鎧を着込んだ背中に掛けられる。

 

『つまるところ。この日の為に生きて来たと言ってもいい。留学したのも、ドラクーンとなったのも、退官して祖国の王位を受け継いだのも、結局はこの為だ』

 

「存じております。ですが……」

 

『血筋は残した。良い伴侶と子供達にも恵まれた。別れは済ませてある。これ以上何も思い残す事は無い。此処にいる者達が最善を尽くせば、世界が滅ぶとしても誰か生きていると信じられる』

 

「……分かりました。御止め致しません」

 

『王都が黒騎士によって蹂躙され、同時に生まれ変わった50年前。一つの王国が滅び。蛮族と呼ばれた祖先達が息絶えた50年前。世界は暗黒に充ちていた』

 

 長い沈黙を通す背後の者達は静かに声へ聞き入る。

 

『そして、今またそれとは比べ物にならない闇が迫っている。あの方の下に参じて戦うはドラクーンとしての義務だが、こうして肩を並べて戦う者達の後ろから参じられる事を心の底から嬉しく思う』

 

「お気を付けて……」

 

『行って来る。50年掛けて雪いできた蛮族の汚名は未だある。しかし、新たなる統治が行き渡った日には我らもまた多くの国と同様に自らの国を誇れるようになるだろう。その先駆けとして、大義ある一戦に参じよう。我らの国を襲い救った破壊と救国の英雄たる黒騎士のように』

 

 誰もが頭を下げる中。

 

 ドラクーンを退官した一人の男は義務ではなく決意によって戦場へと急行する。

 

 嘗て滅ぼされた王城から黒騎士に抱かれて救われた赤子は今、一角の王となった。

 

 だが、何のドラマもなく。

 

 彼は戦場の歯車の一つとして立つ為に現地へと向かう。

 

 死ぬかもしれないし、死ぬより悲惨な現実に押し潰されるかもしれない。

 

 だとしても、彼は征く。

 

 他の大勢の退官済みのドラクーン達と同様に。

 

 最上位層や上位層のように戦えずとも一つの約束を果たす為に。

 

 それはたった一人の聖女と交わされた契約。

 

 本人とではない。

 

 だが、確かに立派になった事を示してこそ。

 

 彼の生きた王国は次なる時代へ進むのだ。

 

 その為の人の世を進ませる礎として立つ。

 

 その誇りと共に。

 

 今、数千にも及ぶ最下級の退官済みのドラクーン達は予期されていた戦場へと向かう。

 

 天を駆ける漆黒の鎧は空のあちこちに同胞を見た。

 

 そして、天に巨大な花が落ちて来るのを見た。

 

 まるで野花が天の神々から放られたように大陸中央へと落ちていく。

 

 巨大な花びらと彗星の如き光の尾。

 

 今、正に世界を左右する一戦へと参じた小さくも大きな背中を幻視して。

 

 彼らは速度を速める。

 

 鳥よりも風よりも早く。

 

 最新鋭の航空機にすら迫るように。

 

 *

 

―――アバンステア首都旧陸軍学校【勝利の学び舎】。

 

「いいか。生徒諸君。君達に我々が望む事は一つだけだ。例え、誰が死んでも生き残り、人類最後の1人となったとしても諦めるな。その志と鋼の心無くして、我々はドラクーン足り得ない」

 

 今、帝都の古びれた旧校舎の最中。

 

 黒板と木製の机しかない場所で最後の卒業を目前としたドラクーン養成校の子供というよりは青年と呼ぶべきだろう男女が軍服姿の男を前にして神妙なる顔で最後の授業を聞いていた。

 

「我々、ドラクーンはあの方の剣。そして、同時に全ての人々の模範であり、道を指し示して歩く者。君達もこの10年以上の教育で知ったはずだ。此処が何の為にあるのか」

 

 彼らはもう知っている。

 

 年頃の少年少女達が知らなくても良い事を彼らは気付いてしまっている。

 

「ドラクーンは全ての人の盾となり、剣となる。だが、同時に人々を護り切れなかった時、我が身の不甲斐なさで全てを失った時、それでも人という種を遺し、人の叡智と技術、心を次の時代へと残す箱舟でもある」

 

 嘗てのドラクーンが組織的な形を作られ始めた時から、人類の大量絶滅を絶対不可避の領域から引き上げる事は至上命題とされていた。

 

 誰が死ぬかは分からない。

 

 もしかしたら、惑星すらも消え去るかもしれない。

 

 そんな時、真空の宇宙ですらも生存し、単体で種族を増やしていける存在が求められた事は先進的ですらなく狂気と呼べるものだっただろう。

 

 だが、今こそソレは可能になっている。

 

 先進技術の高まりは巨大な人工衛星を浮かべるに至り、ドラクーンの装備は超長期の生存を想定した代物として毎年バージョンアップと増産を重ねている。

 

「無論、先達が全てを解決出来たならば、それでいい。だが、そうはならなかった時、たった一人で人類の全てを背負える者が必要だとあの方は考えた。最善を尽くして尚ダメだった時の備えはしておかねばならないと」

 

 ドラクーン個人の装備と個人の知識には限界がある。

 

 だが、情報蓄積技術が発展し出した頃からはとにかく大量の知識を詰め込んだ総合情報演算装置、超重元素合金製の超長期情報保存媒体が積まれるようになった。

 

「先程、バイツネードの再侵攻が確認された。現在、世界の命運を掛けて、旧皇国首都の要塞群が戦闘を開始。詰めていたドラクーンによる初期対応が終了。通常戦力の師団が全滅寸前の被害を出した」

 

 緊張は走ったが、周囲にざわめきは起こらない。

 

 来るべき日はいつか来る。

 

 その覚悟を常にドラクーンはするべきとの教えは子供達にも受け継がれている。

 

「諸君。君達にはドラクーンとして最初の任務を与える。家族の下に帰り、その命を守れ。これは大げさではない」

 

 生徒達の誰もが僅かに驚く。

 

 今にも最前線に投入されるかと思っていたからだ。

 

「多くの人々が安定した暮らしを取り戻すまで、君達には後方防衛戦略として故郷である地域の守護を命じる。もしも、我らが破れる。もしくは我らの先達が不始末を犯した場合、後方地帯は最善の戦力がいない地獄と化すだろう」

 

『―――!!?』

 

 此処でようやく彼らは自分達が考えているよりも事態が深刻である事を悟った。

 

「これからは君達がドラクーンだ。聖女の剣にして、人々の盾たる若い君達が全ての人々と共に生き残れる事を祈る。教師陣からの餞別だ。校舎玄関口に最新の装甲を用意してある。全て、現在正式採用されいている装備の最新版だ。姫殿下が特別に仕立て上げ直した生存特化装備である。今はまだ使いこなすのは不可能だろう。だが、それは時間が解決する。君達は我々が時間を稼げる事を祈っていてくれ。解散」

 

 教師の声に立ち上がり、最敬礼を返した生徒達が駆け足で玄関に向かう。

 

 その先ではもう黒騎士スタイルな教師陣が大型のハンガーを玄関の左右に大量展開し、鎧の受け渡しと装着を見守るように詰めていた。

 

 敬礼した誰もが次々に一糸乱れぬ統率で、その超重元素製の薄緑色のクリスタルが幾何学模様に沿って埋め込まれた最新の鎧へと背後から乗り込み。

 

 装着されたら即座、玄関から校舎外に向かって走る。

 

 そのまま故郷に向けて出立していく背中を教師陣の誰もが見送った。

 

「行きましたな」

 

「ええ……行きました」

 

「我らの出番で止まってくれればいいが……」

 

「あの方が戦場に赴かれた。後は我々無能が後方を護り切るのみでしょう」

 

 彼らは既に最新の情報を取得していた。

 

 大陸中にドラクーンの中でも精鋭中の精鋭が散らばって待機状態に移行している。

 

 それ即ち、大陸級の緊急事案の発生が高確率で予測されている事と同義だ。

 

 本来、戦力的には彼ら教師陣が最新鋭のドラクーン装備を使う方が効率的だが、年齢を理由にこれを生徒達に与えて、自分達は旧式を使うというのは不合理ながらも教師陣の誰一人からも文句の出ない選択だった。

 

「残った在校生の守護は我らに任せて、残りは首都警備に」

 

「次なる守護者達が消えては立ち行きませんからな」

 

「我らが失職する程平和になるまで生きていて貰わねば……まったく、手の掛かる事の何と嬉しい事か」

 

 職員達が互いに最後になるかもしれないからと談笑を交わす。

 

「行きましたか」

 

「寮母監殿」

 

 彼らが一斉に敬礼する。

 

 60代の矍鑠とした白髪の女性が通路の奥からやって来ていた。

 

 その顔には皺が刻まれているが溌剌として不敵な笑みを浮かべている。

 

「坊や達、お嬢ちゃん達の巣立ちの日。喜ばしい事です」

 

 貴族出の優雅な所作で静々と教師陣の前に立った彼女はドラクーンが詰める寮の寮母の監督役であり、寮母監と呼ばれていた。

 

「あの方が前線に立った以上、次はすぐにでも大襲撃以上の事が起きるでしょう。皆、戻って来るのですよ。あまり、貴方達のご両親を心配させぬように……」

 

 その言葉に誰もが頷いた。

 

 彼らの第二の母とも呼べる女性。

 

 彼女の事を知らぬ帝都のドラクーン見習いはいない。

 

 帝都の全てのドラクーンが世話になる人とは彼女の事だ。

 

「嘗て、我が祖父を見送った時、あの方の力が無ければ、穏やかな最期は無かったでしょう。わたくしは……今、また一人の死人でもあの時のように心を痛めるだろうあの方の為、この身の限りに尽くす所存です」

 

「寮母監殿……」

 

「死に抗うは人の性。そして、あの方は死を見送る己を振り返らない。何れ、全ての為に身を投げ打つでしょう。我らはそのあまりにも慈悲深き背中に護られたままではいけない」

 

『―――はい!!』

 

「さぁ、我が子供達……力を尽くす時です。あの方の背中に追い付き。やがて、追い越し手を引く時まで我々の仕事は終わらないのですから」

 

 その奮起への言に頷いた教師陣が一礼してから封鎖され始めた都市の各地へと跳躍して消えていくのを彼女は玄関先で見送った。

 

 未だ、守護者の卵達はシェルターで厳重に護られている。

 

 次世代を欠損させぬ事。

 

 それが彼女と教師陣の願いであり、可能な限りの情報を収集し、もしもに備えて集積して残す為に彼らは臨戦態勢へと入った。

 

 彼女の後ろからはスーツ姿の寮母達が次々に現れる。

 

「寮母監殿。準備完了致しました」

 

「よろしい。これより次世代戦力たる卵達の殻として我が身を用いる事になります。総員、蒼力を開放……全館戦闘態勢!! これは演習ではない!! 繰り返す!! これは演習ではない!!!」

 

 各地のドラクーンの卵達をシェルターに入れた寮母達が小銃と盾を片手にヘルメットをして、屋上の屋根に立ち始める。

 

 今はまだ“戦えるだけでしかない”卵を護るのは母の務め。

 

 彼女達の仕事はまだ始まったばかりだった。

 

 *

 

―――女碩学院校内地下大坑道内部。

 

「君達の事をまだ僕は知らない。けれど、君達が一角の覚悟を携えている事は分かる。だから、力無き代理人として君達に言える事は多くない」

 

 薄暗い巨大なトンネル最中。

 

 まるで一つの街の如く積み上がった巨大なコンテナの列。

 

 その最中で無数に自分を見上げる黒き鎧の騎士達に彼女は貴族の娘として両手を祈らせる。

 

「どうか、生きて共にあの今日も一番前で頑張っているだろう彼女に会おう。その時、君達の仕事を僕に自慢させて欲しい。こんなにも素晴らしい人達に君は支えられているんだと……だから……」

 

 聖女の盟友にして親友。

 

 真なる貴族の少女は全てのドラクーン達を前に胸に手を当てた。

 

「僕らの準備を化け物共に見せてやれ。まだ、帝国は……いや、人類は滅びたりしないと!!」

 

 その言葉に一糸乱れぬ統率のまま。

 

 暗い世界の瞬くカンテラの灯りよりも強く。

 

 蒼き光を身に帯びた男達が一礼した。

 

「総員!! 総合計画04Bに従って行動開始!! 各地の中継地点と連携し、大陸を護り切るぞ!!」

 

 彼らの多くが背後に10m四方のコンテナを一つ装着して巨大坑道内を加速して消え去っていく。

 

 嘗て、北部まで届いたトンネルは今や大陸南端まで延伸された巨大地下通路だ。

 

 世界各地へ秘密裡に接続され、国家の重鎮達しか知らない出入り口はドラクーン達によってもしもの時の大陸規模での避難先や物資の保管場所、他にも様々な用途に使う機密施設として設営されていた。

 

「……ダメだな。鼓舞してあげられるような柄じゃないみたいだ」

 

「そんな事はありませんよ」

 

 聖女の親友たる少女の横に50年前に聖女当人と一騎打ちを果たした東部の少女が微笑む。

 

「イオナス議長」

 

 アイアリアの現氏族長にして東端地域の少数民族の束ね役たる議長。

 

 嘗て、黒き力に振り回され、数百万の同胞を人形として蘇らせた少女が当時と変わらぬ年齢のままに何処か年長者として落ち着いたかのような風格の下、スーツ姿でニコリとする。

 

「彼らは解っています。そして、何よりも解っているからこそ、笑顔で任に当たれる」

 

「笑顔で? 済みません。僕に面の下までは……」

 

「ふふ、あの女の親友がそう卑下する事も無いでしょう。人は決して力強さだけで生きるものではない。あの当時、わたしにはそれが見えていなかった」

 

「……当人に聞いたわけではありませんが、今も……その……」

 

「恨んでいますよ。けれど、何よりも羨ましく思います」

 

「羨ましい?」

 

「あの女は己の行動のみで多くの者達に慕われた。私のような地位を家柄で継いだだけの女とは違う。そして、あの女に追い付こうとして初めて……本当の凄さが解る。身に染みる……」

 

 黒いスーツ姿の少女は軽く利き手の拳を握る。

 

「この50年。50年ですよ。努力しました。あの女を超えなければ、あの女に恩を売れないじゃないかと。けれど、その度に知るのです。あまりにも自分が無力で無智だった事を……」

 

 大きく。

 

 しかし、恨んでいるには何処か仕方なさそうな苦笑が零される。

 

「だからこそ、こんな力を受け取ってまで此処に来た。きっと、これは運命ではなく。必然と言うのでしょう。私はあの女に勝ちたいと切実に思います。そして、あの女に救ってやったと笑顔で言い返せるまで絶対に死なないと決めました」

 

「イオナス議長……」

 

「ごめんなさい。貴女の親友に対してあんまりな言い草だと思うかもしれませんが、これが私の今の偽らざる気持ちです」

 

「いえ、彼女はそれだけの事をしましたから。それにきっと笑って受けて立つと思います」

 

「ふふ、今は何処で誰を叱っているやら……五十年後も変わらない。こんなものをこの世界で一番自分を恨んでるかもしれない女に渡して……」

 

 目を細めたイオナスの手が、全身が滲むように黒く黒く変質していく。

 

「ソレが?」

 

「ええ、嘗て……私が求めた罪。そして、今はこの大陸を護る剣にして盾。【黒の裁定者】の一部を変質改良したものだそうです。一度でも使った人間にこそ相応しい。そう喧嘩を売られました」

 

「あはは……済みません。ウチの彼女が……」

 

「謝らないで。これはあの女と私の……些細な諍い。それを続けて行く為にも大陸くらい救って見せる……今度こそは大勢の同胞を……」

 

「議長……」

 

 黒い少女の瞳が紅く染まる。

 

 そして、クスリと笑みが零れた。

 

「それにしても……あの文豪の物語もまんざら嘘でも無いようです」

 

「え?」

 

「互いに好き合っているとか?」

 

「あ、え、ぅ、その……」

 

「その指輪。違います?」

 

「………はぃ」

 

「ふふ、素直ですね」

 

「正直。浮気者過ぎて困ってます」

 

「あら、それは良い事を聞きました。今度、相見えたら釘を刺しておきますよ」

 

「……程々にお願いします。アレでも繊細なので……」

 

 嘗て、黒き力に魅入られ、怨嗟の権化と化していた少女は今、1人の人間として今も生きる自分の同胞達の為……その力を開放し、黒き波動を周囲に拡散させながら、自らに出来る限りの事をし始めるのだった。

 

 *

 

―――大陸西部砂漠地帯。

 

「おお、遂に出来たのですな」

 

「王家からの迂回融資で何とか。姫殿下から最優先にと指示を受けまして」

 

「嘗て、帝国と我らが戦ったのが嘘のようだ……まったく、世は分からない事だらけですな」

 

「かもしれません。主教閣下」

 

 砂漠のど真ん中。

 

 巨大な大穴の其処。

 

 摂氏300度を超える蒸し暑い世界の只中で嘗ての大要塞の跡地に立つ1柱を前にして数十名の男達が立ち働いていた。

 

 周囲には断熱の為の金属製のシートが敷き詰められており、中央に聳える白銀の塔のような代物を中心にして僅かに空間が屈折しているのか。

 

 内部は外部の温度とは違って蒸し暑い程度に抑制されていた。

 

 その最中、最新型の大型ゼド機関を前にして2人の男が互いを横に塔の如きソレを見上げている。

 

「嘗て、父からは偉大なる聖女殿の話をよく聞かされました」

 

「左様ですか……それはこちらも同じですな。よく父から西部王家の聖女殿下に仕える為に旅立った王家の兄妹の話を聞かされました」

 

「ああ、先日帰って来たと言う?」

 

「ええ、我が父は当時の王の縁戚だったのですが、しばらく息子が帰って来るまで王位を預かっていて欲しいと頼まれたとか」

 

「では、それで王位を?」

 

「ええ、何れはそうするかもしれません。今はまだあの方のお傍で仕えねばならないからと断られましたが、妹君が大きくなってから本格的に検討をと言われていまして」

 

「なるほど。父はあの戦から帰って国を変えましたが……我が家の家紋が黄金の竜になったのはあの方への配慮。いや、憧れか。もしくは共に在ろうという気持ちからだったのかもしれません」

 

 思い出話に花を咲かせる六十代の男達は互いに苦笑する。

 

「随分と聖女殿下に振り回されていますな。我々の人生は……」

 

「だが、此処まで来れた。あの緑炎の時代を追い越して青空を再び見られた」

 

「それだけでも十分だと思っていましたが、人生の終盤に一仕事とは何とも心躍る」

 

「青空に泣く子供達の未来。必ず手にしましょう」

 

「ええ、我ら西部技術の精粋……この第一号基の起動が勝負の分かれ目となる」

 

「我らが此処に集う日にこの騒ぎ。これも運命なのかもしれません」

 

「だとしても、神にすら届くと創りし、コレは我々とあの方の努力の賜物」

 

「ですな……部下に予備の鍵を使われる事も無いとはコレもまた必然」

 

「この人の力があの方の一助とならん事を……」

 

「では」

 

「ええ」

 

 2人の男が鍵を取り出して、塔の根本にある台座に同時に突き刺した。

 

 周辺で次々に準備完了の報告が上がると同時に彼らはまだ自らの目で見た事の無い相手。

 

 その活躍を祈りながら、同じ言葉を口にした。

 

「「ゼド式異相高次通路。展開」」

 

 鍵が回された瞬間。

 

 白銀の塔が唸りを上げて人の耳にも聞こえる高周波の甲高い響きを発しながら、その高音を高めて聞えざる領域にまで引き上げていく。

 

 そして、一点を超えた時。

 

 ゼド機関を組み込まれた塔から放たれる光が薄く薄く砂漠の最中から世界中に広がるように投射されていった。

 

 それは薄らとした緑光に白金の混じる波動。

 

 砂漠において発された波動が世界を包み込んだ時。

 

 新たな争いの幕が上がる。

 

 それは少なからず矮小な人が神に挑み始めた最初の一歩。

 

 それを後に歴史は語るだろう。

 

 こうして人類を保全する為の箱庭計画の第一段階が開始されたのだった。


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