ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第139話「煉獄を裂く者達ⅡⅩⅡ」

 

 東部の一部地域に展開された複数の帝国艦隊が囲む半球状の時空間障壁。

 

 その最中から大量の人々が避難させられていく光景を目にしながら、時折溢れて何も無い虚空から落ちてくる化け物の群れを艦隊から排出されたドラクーンの群れが手硬く殲滅を繰り返して4時間程が経っていた。

 

 その指揮を執っているのはフォーエだ。

 

 旗艦となったアルクタラースの頭上にはドラクーンの頂点に立つ史上最強の男と言われる黒騎士。

 

 ウィシャスが竜に乗って状況の変化を見極めている。

 

『ウィシャス。最後の避難民が警戒範囲を出た』

 

『了解した。瓦礫の迎撃も間に合ってる。このまま何も無け―――在るみたいだ』

 

 猛烈な速度で周辺の艦が上空に僅か確度を付けて艦の副砲を放つ。

 

 途端、上空400m地点から降ってきた岩塊。

 

 300m程のソレが次々に猛烈な火力。

 

 アグニウムと気化爆薬の混合による数万度のプラズマ球に接触して溶けて行った。

 

 そのあまりの火力による空気の膨張と烈風が気圧偏差で周囲を巨大な乱流に呑み込んだが、余熱で1万度近い余波を受けている周辺領域が地獄のように炎上して、地表が灼熱地獄になっている。

 

 だというのに平然とドラクーンも艦内の者達も自らの仕事をこなし続けていた。

 

『次々来るぞ。各ドラクーンは破砕、蒸発させられなかった破片は20m級以下は無視して構わない』

 

 次々に艦砲が世界を覆い尽す如き岩塊を巨大な火球にて焼き払う光景は正しく最終戦争さながらの恐ろしき炎獄。

 

 それを8km以上先からでも解る程の数百度にも及ぶ熱量を車外に感じながらも、特性の報道車両に乗ったカメラマンとアナウンサーが全世界に向けて生で報道する。

 

『何という事でしょうか!! この時代にこんな光景があって良いのでしょうか!? 我々は知っていたつもりになっていたのではないかと思わされます!!』

 

 情報端末や街頭のテレビが映し出す凄まじい現実。

 

 それに大人も子供も仕事をしている者達すらも見入っていた。

 

『このような事が可能な戦力が大陸にある事を数字や字面の上では承知していたはずの我々が只管に圧倒されています!! あの巨大な落ちてくる岩塊が!! 一昔前ならば、国が亡びる災厄が!! 今、人の手で焼き払われ!! あのような叡智の炎によって退けられているのです!!』

 

 人々は知る。

 

 自分達を護っている者達は思っても見なかった程に強く。

 

 また、破滅を前に退かぬ不退転の決意を宿す者達なのだと。

 

 莫大な質量が蒸発する度に膨れ上がった大気が猛烈な速度で周辺の大気圏へと巻き上がり、その巨大な上昇気流の周囲に雨雲を次々に生んでいく。

 

 だが、溢れ続ける質量を原子単位や分子単位で気体に出来たとしても、冷えれば、やがては大気に混ざって猛烈な大気汚染を引き起こすのは必至であった。

 

 だが、彼らは見る。

 

『ご、ご覧下さい!! 今、猛烈な輝きが空間障壁があると思われる地点から立ち昇っております!! アレは何なのでしょうか!? アウトナンバーの光でも無いように見受けられ―――』

 

 空間障壁を現場で観測していた者達は理解していた。

 

 遂に空間が壊れる。

 

 内部が露わになる。

 

 最後の詰めの段階が行われているのだと。

 

 もしもとなれば、艦隊の主砲で全ての質量を吹き飛ばす手筈ではあったが、溢れ出した光はまったくアウトナンバーのものとも違い。

 

 さりとて、蒼力とも違うのが彼らには解っていた。

 

 だが、その黄金にも近しい白い輝きが次々に周囲から熱量や汚染された大気を奪い尽すかのように急激な“浄化”と言うべきだろう現象を引き起こしていく。

 

 その力の流れが空間障壁の中央上空だと気付いた時。

 

 彼らは地域そのものを呑み込む程の巨大な岩塊が空間に滲むように現れながら、次々に光の中で崩落して、溶け崩れて消えていくのを確認した。

 

 物質が光の玉のようになって削れ、現れた柱の内部へと取り込まれているのだ。

 

 明度が上がった大気層にもそのような様子が見受けられ、一気に夕暮れ時の如く暮れていた世界に朝日が来たかのような閃光が滲み始める。

 

 落ちて来ない岩塊。

 

 いや、小大陸とでも言うべき質量が空の上で完全に解けた時。

 

 大陸全土にその黄金の滲む白色が波動として広がっていく。

 

『アレは……おぉ、アレはッッ!!!』

 

 彼らは見た。

 

 この世界において最も知られた顔を彼らは光の柱の中に見た。

 

 光が次々に収束し、少女の全身に吸収されていくのを彼らは見た。

 

 それは物理に詳しいものならば、喉を干上がらせる程の奇跡だった。

 

 莫大な質量を全てエネルギーに還元して、吸収しているのだ。

 

 それも小規模とはいえ、150km以上の幅を持つ巨大な質量をだ。

 

『どうやら、僕らの出番は無いらしい』

 

 艦橋で完全武装のドラクーンが呟く。

 

 肩を竦めて呟くしかなかった。

 

『そのようだ。他の子達と艦も車両も確認した』

 

『放射線も0だよ。どんな物理的な理由があれば、こうなるんだろう?』

 

『本人に言われても理解出来なさそうなのが玉に傷かな』

 

 その日、大陸に今一度【奇跡】は展覧された。

 

 その電子に乗った情報など見ずとも光は大陸を染め上げ、人々は知る。

 

 科学とか。

 

 信仰とか。

 

 断じて、そんなもので語る事の出来ない何か。

 

 ソレがこの大陸を導いた者なのだと。

 

「聖女の奇跡は未だ健在か」

 

 そう大陸中央の巨大な山間の街でディスプレイを見ていた男が呟く。

 

 犯罪都市と呼ばれて長い【無名山】。

 

 その路地にすら、街頭に出る違法受信器の報道が大量に為されているが、半数以上の通行人が脚を止めて、画面を食い入るように見て。

 

 大半は涙と共に何かを拝むかのように祈りの形に手を組んでいた。

 

『聖女の御力を今、大陸の誰もが見ています!! ああ!! 空に!! 空に!! 私は―――』

 

 感極まったレポーターが無言になる中。

 

 世界に静けさが戻った地獄だったはずの場所には硝子の大地が顕現し、その上空には無数の黒き騎士達が参じて列を組み。

 

 船へと戻る白い少女と彼女の周囲の誰もを護っていた。

 

 もはや、大陸は気付くしかなかった。

 

 此処に紙芝居の少女は帰って来たのだと。

 

 再び、人々を救う為に……。

 

 *

 

「はいはーい。今日からの予定を出すぞー。主に寝てる間にやっといてくれってものを決めて来た。しばらく、オレは寝る。中央の無名山への遠征は起きるまでやらなくていい。時間制限過ぎても起きなかったら好きにしてくれ。という事でこっちはマジで寝る絶対寝る。寝台は部屋毎アルクタラースに置かせて貰う」

 

 何か雑に眠そうな瞳の少女が全員に紙束をポンポン渡した後、フラフラしながら通路の先に消えていくのを呆然と眺めながら集められた東部攻略戦に集っていた部下達は互いに顔を見合わせた。

 

 アルクタラースの食堂での事である。

 

 艦長でもあるフォーエが溜息を一つ。

 

「という事らしい。昨日の奇跡のせいで我らの主は冬眠するクマのように眠り姫になった。軍事の事は僕とウィシャスで仕切るから、後の事は全員で其々にやっていこう」

 

 この数十年で仕切りが上手くなった元少年は朝から朝食をサクッと平らげてドラクーン達に設えさせた寝室に消える主の背中を後ろにして集まっていた面々の音頭を取る。

 

 歪曲空間内に突入していた艦に居を置いているマッドな2人組が通信回線でディスプレイ越しに情報を受け取っている様子でカメラ付きのドローンが座席に鎮座している以外は通常運転。

 

 あちこちで次々に話合いが持たれて食堂内がざわめきを増した。

 

 メイド達は諸々の予定の量に辟易した様子で溜息を吐きつつも顔をお仕事モードに切り替えたり、我関せずの戦闘組……寝返った宮殿域の男やらは紙束の分厚さに顔を引き攣らせ。

 

 ソレと戦ってシレッと最強レベルの能力を手に入れていたドラゴン的な少女は朝食を食べた後のデザート……バケツなプリンをスプーンで掬ってモクモクしていたりする。

 

「どうしろと」

 

 食堂で朝食を食べた彼。

 

 ペラペラと紙を捲っていた緑炎光の民の裏切り者。

 

 犬顔のジース・スタンデ・イーナは溜息を吐いた。

 

「あ、ジースさん。貴方を取り敢えず捕らえた彼らの長として扱うようにフィティシラからは言われてます。そちらで“貴方の民”は説得して下さい。期限は彼らが人を致命的に困らせるまで。それが出来なければ、彼らは処分扱いになるので出来れば早い方が良いと思います」

 

 ジースはフォーエの言葉に絶望というよりは諦観を浮かべて肩を落とし、トボトボと現在捕まっている領域から脱出した同胞を迎えに行く。

 

 彼が向かったのはアルクタラースの倉庫内だ。

 

 備蓄は置かれておらず。

 

 数千人の殆どの人物達が昏睡状態で棺桶のようなものに入れられ、その横には2人の女性陣が手枷足枷付きでソファーに座らされて、ふんぞり返っている。

 

 もう諦めの境地に達したらしい彼女達が開き直っている様子は正しく自分と同じような心情だろうとジースは感じたものの。

 

 それでもあの2人を納得させるのかという敵と戦うよりも余程に難題だろう事実を前に目の前が真っ暗になるのを感じたのだった。

 

 *

 

―――帝都の何処か。

 

「派手にやりましたねぇ」

 

「まったくだ。不動将と醜悪将が2人揃って唖然とするくらいにはな」

 

 自己批判と諦めの境地に達した2人の男はお茶を啜りつつ、自分達の前に山積みにされていく書類の束という束が4mを超えた時点で……一枚ずつ丁寧に見ていくという荒業に出た。

 

 すぐに処理しろという国家からの圧力は全て無視の型である。

 

「緑炎光の民の受け入れ準備……」

 

「崩壊してガラス化した大地の賠償と再開発……」

 

「帝国陸軍情報部を通した聖女直伝の情報操作……」

 

「各国に聖女の喧伝の為に更なる急進的な改革の断行の催促……」

 

 何から何まで彼らの元に集まった情報からして普通は退官した相手に渡すものではないのだが、いつの間にか2人には再任官通知というものが渡されており、聖女関連の軍事以外の意思決定機関として登用されていた。

 

「世界が滅びるから、改革は瑣事だと各国に呑ませろと……」

 

「議会を通さない裏工作は私達の仕事らしいですねぇ……」

 

「共通の標語は“貴方の働きが世界を救う”?」

 

「もはや、人々に滅びるか改革するか選べと迫るヤバイ奴ですよぉ。我々」

 

「ははは、はぁぁ……やろうか」

 

「ええ、そうしましょう。愚痴っていても終わりそうにないですしねぇ」

 

 2人が書類を決裁し始める。

 

「予算は……ああ、イゼリア嬢のせいで即時決済可能な資金だけはやたらあるのか」

 

「いやぁ、帝国年間予算40年分ですよぉ?」

 

「世界経済の30%くらいは彼女の匙加減一つとは知りたくない知識だ」

 

「こっちは北部で進めていた宇宙開発と人類脱出計画。他にも惑星間移民計画の為の人員確保ですか。う~~ん。我々も宇宙人になる時代ですかねぇ」

 

「ふむ。こっちは緑炎光の利用計画だな。アウトナンバーの無害化と利益化が可能になったから、技術開発に人員を突っ込めとのお達しだな」

 

「もう驚きませんよぉ? そのくらいじゃ」

 

「なら、こちらはどうだ? 月内部の探査計画だ」

 

「月面ではなく。月の内部を?」

 

「月内部に神に対抗する手段があるかもしれないからとな。例の石板の話の続きだ」

 

「それならウィシャスと連携を取れば、出来そうではありますねぇ」

 

「ああ、こっちは……ドラクーン単体での現時点での兵装最終案だ。姫殿下直筆のな……」

 

「どれどれ? ふむ。従来の恒星間武装構想の具体化案ですか? 惑星を両断出来る射撃武装に敵質量を変換してエネルギーに変える新型のエネルギーシステム? 超長期稼働、超長期活動用の外宇宙プラットフォーム建造とドラクーンの遠隔操作式武装。これは何かの物語でしょうかねぇ……」

 

「現実逃避とはらしくないな」

 

「はぁぁ……というか。人類絶対防衛圏構想。太陽と本星及び星系の完全制圧計画。光年単位物体からのあらゆる干渉を跳ね除ける時空間停止領域? あらゆる物質的、時空間的な干渉を全て吸収する防衛圏外の防御設備の造営計画。これ一日で書かれたみたいなんですが?」

 

「またお強く為られたのだろう。下手な物語より現実味があって困る」

 

「ドラクーンによる星系封鎖と星系外探査計画。これら計画に必要なコア技術の開発完了? 何を言われているのか。さっぱりなレベルですねぇ。何で物語の技術が1日でポンと出来るんですかねぇ……」

 

「はは、それを言うなら蒼の欠片をリビルドしてこちらの手駒として大量増産、大量配備、星系外で運用するドラクーンとの混成大隊構想とか。軍の質を一気に惑星系を制圧出来るレベルに引き上げる為の具体的な手順まであるぞ?」

 

「……その為に星系内にある本星と太陽以外の惑星の質量を全て回収し、再出力、一気にシステムを建造する為に姫殿下を中核とした作業構築システムを開発……」

 

「電力と演算は全てご自分で為さるから、後はソレを実行する手足を作れとのお達しだ」

 

「どう考えても千年で足りないでしょう……」

 

「だが、姫殿下のお考えならば2年で準備が出来て、3ヵ月で星系を完全制圧出来る」

 

「これがあの方が直々に書いているものでなければ、単なる狂人の夢物語で済ませたんですが」

 

「生憎とそういうのは我々に許されていないな」

 

「……先日まで大陸内で戦争をしていた種族が一気に星の海で自らの星を越えて活動する時代。それどころか。惑星を幾つも自らの手で改造……ふふ、やっぱり物語ですねぇ」

 

「こういうのは男のロマンだろう?」

 

「はは、枯れて長いですが、こういうのを童心に帰るとは言わないと思いますよぉ?」

 

 男達が一息入れた。

 

 いつの間にか。

 

 会話している間に数十枚の書類の決裁が終了している。

 

「……そう言えば、玄孫はカワイイ盛りだったかな?」

 

「ええ、もう13人程になりますねぇ。子供達から御爺様は悪いヤツだったの?と聞かれる事の何と哀しくも苦しくも嬉しい事か」

 

「ふふ、家族くらい作っておくんだったな」

 

「そう思うならば、今からでも遅くないのでは?」

 

「この大仕事が終わったら考えよう。人類を救う為に嘘・大げさ・紛らわしいと言われる計画をどう導いたものか。全てはあの方の掌の上なのかもしれん」

 

 男達は山のように降って来ているのではないかと錯覚する書類の束がまた部下達の手で積み上がっていくのを眺めながら、昏睡状態になった主の帰還までには済ませようとイソイソ書類を読み込み始めるのだった。

 

 *

 

―――帝都アルローゼン・コンドミニアム展望室。

 

「ライナズ閣下。お待ちしておりました」

 

「聖女殿下が眠りに付いたとか」

 

「もう知っておいででしたか」

 

「ウチの婿殿から聞き及びました」

 

 リージが防諜設備の整ったホテルの最上階で北部王家の取りまとめ役をしている男を出迎えたのは主が奇跡の演出に疲れて寝ているという知らせを受け取った翌日の事であった。

 

 もう50年来の付き合いになるライナズ。

 

 嘗て、聖女の最初の敵として紙芝居にも描かれた男は齢を重ねた事で嘗ての父王の如き風格と老獅子の威厳を備えた王として成長していた。

 

「それでアウトナンバーの掃討は順調だとの話でしたが、呼び出された理由は?」

 

 ソファーに座りながら、気安い様子でライナズがリージに訊ねる。

 

 この五十年で北部の代表者となった男はリージとも公私共に友人としての付き合いがある。

 

「敵の推定での規模が確定した為、それに備える為の宇宙開発が一気に加速される運びとなりました。主に3ヵ年計画で本星及び本星系の完全制圧と星系の完全封鎖を意図した大宇宙開発時代に突入します」

 

「ははははは!! まったく、あの聖女殿は……いやはや、人員も装備も準備していたとはいえ、未だ惑星軌道上に衛星と居住区を揃えるので手一杯ですよ? こっちは……」

 

「これはまだ極秘情報の段階なのですが、緑炎光を技術化出来たとの話です。そして、それをエンジニアリング出来る科学者と技術者と技術そのものの現物があると」

 

「……例の三博士ですか」

 

「はい。姫殿下が緑炎光の利用方法と知識化に成功した事で今までのゼド機関頼みだった時空間の一部制御がかなり簡便な制御方式に切り替えられるそうです。今回投入された技術を用いた宇宙開発用の各種ツールの設計が半年後までに終われば、後は人員の送り出しと開発は二年もあれば、可能だと言われました」

 

「……宇宙は広いですが、それを渡る外宇宙航行可能な船までも出来たと?」

 

「空間の膨張と収縮を使う事で疑似的に遠方の星までの距離を縮める事が出来るそうです。星系内へ高速で向かっても時間的なズレがほぼ無い方式での移動である為、時間的な制約も無きに等しくなったとか」

 

「地を駆けた馬が今では空飛ぶ船か。いや、本当に……急激過ぎる。だが、それが必要だと断じられている以上、時間は無いか……」

 

「ちなみに敵の規模は直径で超銀河団数百個分。無数の銀河の集合直径と同じくらいの“何か”だそうです」

 

「―――もはや、言葉もありませんよ」

 

 ライナズが苦笑して溜息を吐いた。

 

「支配領域ではなく。個体としてその大きさだとか。我らは正しく巨大なクジラに滴る水の中に住まう微生物みたいなものでしょう」

 

「だが、臆している様子もない」

 

「あの方がやれる限りはやろうというなら、やるだけです」

 

「互いにとんでもない女性に魅入られましたね」

 

「おっと、惚気は仕事現場に持ち込まないで下さい。ウチのが焼いてしまいますので」

 

「これは失敬」

 

 男達がお茶を酌み交わしながら、最上階から見える空の夕暮れ時に目を細める。

 

「矮小な人の身で大宇のような何かと戦う。ふふ、それを平然と唱えるのは狂人か。はたまた、聖女か……我らに出来る事は本当に少ないようだ」

 

 ライナズが微笑を浮かべながら帝都の夕暮れに感嘆の息を零す。

 

「幾らでも滅亡は時代に転がっていたでしょう。此処から先は我ら人類と一人が何処まで自らの為に戦えるか。それだけの単純な生存競争となるでしょう」

 

「一つの種の力が試される事など歴史に何度もあるものではないでしょうな」

 

「その断片として戦える事を個人的には嬉しく思いますよ」

 

 男達が両手を差し出して握る。

 

「これが生身で会える最後かもしれない」

 

「だとしても、悔いなく足掻きましょう」

 

 2人の男が頷き合う。

 

 そして、リージはライナズに書類の封筒を手渡した。

 

 加速する事態に対処するべく。

 

 男達は結束を深め。

 

 新たなる段階へと達した聖女の計画の先触れとして翌日から大陸中を飛び交う事となった。

 

 *

 

―――大陸北部リセル・フロスティーナ宇宙開発事業体本部。

 

「はーい。皆さ~ん。宇宙に行く御船はこっちですよ~~」

 

 子供達の社会見学が実施される仄々とした光景の横で鮮烈に彼らの目に焼き付くのは発射場で槍の穂先の如き鋭い尖端を天に向け、数多鎮座する巨大な船の群れ。

 

 いや、塔か城かという機影の列だった。

 

 凡そ50隻にも及ぶ発射台に備えられた艦船の全てが宇宙開発事業において最優先で軍事と共に開発された尖端技術の精粋である。

 

 男の子は目を爛々と輝かせ。

 

 それに興味もない女の子もまた威容に息を呑む。

 

 こんなにも巨大で壮観な光景があるだろうか。

 

 嘗て、石造の街並みが広がっていた地域の郊外。

 

 北部の雄として知られた国の首都から少し離れた一角に整備された宇宙開発事業体本部の様相は戦争前のソレであった。

 

 大量の電動車両が次々に船の後部ハッチへと荷物を運び込み。

 

 機械式のアームが大量にコンテナを整理する。

 

 馬鹿げた600m級よりも巨大な船が何処までも列なる場所には大陸中の資源と技術が結集しているのは何を知らない子供にも解るだろう。

 

「此処はリセル・フロスティーナの宇宙開発事業体本部です。皆さんのお父さんお母さんも此処で働いてるのよ~~スゴイでしょう? この場所は正しく次の時代を創る心臓部なのよ~~」

 

 光景に心奪われて聞いてはいない子供達が引率されながら施設内部へと入っていく。

 

「この五十年で人類は大きな進歩を遂げました。それは尊き方々が自らの身と心を削りながら人々と共に懸命に働いたおかげなの。そう、皆さんのご両親もその一人なのよ~」

 

 引率の女性教師風のタイトスカートにスーツの20代女性が微笑む。

 

「せんせー!! トウトキカタって聖女様でしょ!! 聖女様!!」

 

「ええ、そうよ。聖女殿下、そう呼ばれるお方。フィティシラ・アルローゼン姫殿下の事よ」

 

「昨日テレビで見たよ!!」

 

「あたしもあたしも」

 

「キラキラ輝いてて“どらくーん”の人達が一杯頭下げてた!!?」

 

「わたし、いつか聖女様になるのが夢なんだ~♪」

 

「こ、これだから女は!! どらくーんの方がカッコイイだろ!!」

 

「いつか、聖女様をお嫁さんにするんだ。ぼく!!」

 

 ワイワイガヤガヤと騒がしくなる少年少女達に微笑みなら引率の女性が全員を従えて施設内部の見学ルートに入っていく。

 

「元々、大陸北部は何処も昔は戦争をしていたの。けれど、1人の女の子が現れて、その戦乱を沈めてしまったのよ~。誰か解るかしら~?」

 

『聖女デンカー!!』

 

 子供達が元気一杯に答える。

 

「そうね~~正解!! 当時、食べるものにも困る今なら信じられないような生活をしていた貴方達のお父さんやお母さん、お爺ちゃんやお祖母ちゃんはね。聖女殿下のお力で病やケガを治して貰ったのよ~。戦いを治め、諸国の王達を従えて列と無し、姫殿下は国々を御救い下さったの」

 

「ライナズ様をお手紙でオイサメしたんだよね?」

 

「ライナズ様やお嫁さんになったメイヤ姫様を仲間にしたんだよな!!」

 

「ええ、そうよ~そうして姫殿下は戦乱を治め、この北部で仲間を作ったのよ~」

 

「実はあのお話にウチのひい御爺様出てくるのよ!!」

 

「そういや、お前んとこ金持ちだもんなー」

 

「カイウンのユウだからね!! 聖女殿下の為に一杯建物作って、色んな船を造って、お買い物にもコーケンしたってお父様が言ってたわ!!」

 

 子供達が進んだ通路の左右には発展していく北部の歴史がリアルな人形を使って再現した労働現場や都市、地図の模型、様々な画像や絵画で説明された一角を通り過ぎていく。

 

 だが、元気だった子供達も少しずつ過去の現実を露わにしていく展示物の先。

 

 戦争をテーマにした部分に差し掛かると口数が少なくなった。

 

「当時はねぇ。食べ物の為に戦争をして、食べ物の為に大勢の人が奪い合い、殺し合っていたの。沢山の王達は誰もが自分達の領民を食べさせる為に必死だったの。けれど、それはこの地に帝国から一人の少女がやって来た事で変わった」

 

 戦争の終焉。

 

 その展示の先に広がるのは1人の少女の絵画が連なる区画だった。

 

 馬車から降りる少女。

 

 無数の兵士の最中で軍の将たる男に手紙を差し出す少女。

 

 バルバロスに襲われながらも、その襲撃者を退ける少女。

 

 その周囲には次第に誰かが増えていく。

 

 船に乗る少女。

 

 無数の船を前に1人小舟で向かう少女の背中。

 

 竜の背に乗る少女。

 

 そうして、最後に諸国の王が左右に列す中で微笑み。

 

 共に食事をしている少女。

 

 その一連の絵画の列は正しく紙芝居で見た事実を羅列していた。

 

「昔は食料もお薬も今の数百倍の値段したのよ~。でも、それを憂いた聖女殿下は巨大な道を敷いて各国を繋いだの。どんな道か解るかしら~~」

 

「はーい。テツドー!!」

 

「ええ、正解!! 他にも道路と空路もよ~。郵便屋さんがお空をリーフボードで飛んでくるような山間に住んでる子は知ってるわよね~」

 

「優しい郵便屋さんばっかりなんだよなー」

 

「聖女殿下の家臣団と呼ばれる人達が大勢此処でも働いているのよ~~。そして、鉄道、道路、空飛ぶ船やお家や工場……色々なものの設計図を造っていたのはその方達なの」

 

 引率しながら女性がニコニコしつつ、展示部屋を抜ける。

 

 すると、ガラス張りの通路に子供達が出た。

 

『―――!?』

 

 誰もが硝子の先の光景に目を奪われる。

 

「でっけー!!?」

 

 最初に声を上げたのは男勝りな恰好の短パンに野球帽をかぶった少女だった。

 

 皮切りにして次々に子供達の感嘆の声が上がる。

 

「これは姫殿下の座上艦になる事が決まっている船なのよ~。世界に二つとない名前はリセル・フロスティーナ!!」

 

 その言葉に少年少女が目を驚きに見開かせる。

 

 それは嘗て一人の聖女が載っていた人類で初めて空を飛んだ船の名前。

 

 そして、今や大陸そのものの名前。

 

「この名前は当代最強でも最速でもない。あのお方が乗る船にのみ付けられて良い名前なの。あの船の前身となった昔のリセル・フロスティーナには誰が乗ってたか。みんな知ってるわよね~?」

 

「はいはいはーい!! 黒騎士ウィシャス様!!」

 

「聖女の騎士を争った竜騎士フォーエ様だっていたよー!!」

 

「女性初の大碩学エーゼル様だって!!」

 

「姫殿下の御心に触れて改心した姫殿下の御忠臣ゾムニス様もいるわ」

 

「いや、此処は真っ先に姫殿下のそばでお仕えしてた女竜騎士ノイテ様と竜の国のお姫様だったデュガシェス様が出るべきだって!!」

 

「僕は現代測量技術や気象学の礎を作ったアテオラ嬢を推すね」

 

 急激に何かヲタク染みて言葉が達者になる子供達に女性教諭が汗を浮かべた。

 

「ま、まぁ、色々な人がいたのよ。でもね。皆さんが誤解しないように言うなら、リセル・フロスティーナは姫殿下にとって家だったの」

 

「お家?」

 

 キョトンとする少年少女である。

 

「姫殿下は今よりもずっと不便だった空の旅の中で何か月、何年と各地を飛び回って大勢の人達を助けたり、励ましたりしたのよ。大陸中部以南の国々との戦いにおいてご参加する事は叶わなかったけれど、数多くの問題を解決したのは本当」

 

 その言葉に子供達が静まり返る。

 

「南部では大勢の人の血が流れたわ。姫殿下に反抗する者も大勢いた。数多くの民を虐げていた多くの王侯貴族と制度はもう古い代物になっていた。その為に秩序はあっても人々は今とは比べ物にならないくらい過酷な生活を強いられていた」

 

『………』

 

「それを打破する時、黒き鎧の騎士達は人々を革命へと導き。大勢の旧体制の人々と戦い。実際に数十万人規模での死傷者も出た。けれど、殆どの国家において旧体制下の兵力以外。つまり、民間人には戦乱において死傷者が出なかった」

 

 歴史は語る。

 

 聖女が消えて以降。

 

 南部の国家で起こった無数の革命で大勢の旧体制の人々に死者が出た。

 

 だが、その殆どは体制の要人と戦力のみであったと。

 

「それは画期的な事だったのよ。民を戦乱に巻き込まず。あるいは巻き込んでも保護しながら彼ら黒騎士と呼ばれた人々は戦ったの」

 

 教諭は続ける。

 

「数多くの旧体制国家が折衝をする時、彼方達よりもずっと驚いた事でしょう。バルバロスでもないのに空を飛ぶ船の数々を見て、自分達の終わりを悟った事でしょう。人の歴史は聖女殿下の船を歓呼と絶望の二つで塗り分けた」

 

 歴史の教科書には事実しか書かれない。

 

 それすらも実際には稀有な話なのだという事実はまだ子供達には分からないだろうが、聖女の登場以降の歴史的な事実は極めて公正に記されている事が何処の歴史学者も認める事だ。

 

「けれども、帝国は帝国領ではなく。あくまで対等な国家として南部諸国家を親帝国閥として独立させ、リセル・フロスティーナへの道筋を作ったの」

 

 教科書には良い事ばかりが書かれているわけではない。

 

 当時から帝国が殺した旧体制派の人々の事も、その数も明確になる限り追跡調査させて、機密でない限りは全て載せられている。

 

「革命時に出た被害者の数はきっと本来の戦争で出るはずだった犠牲者に比べれば、とても少ないものだったでしょう」

 

 嘗ての革命という言葉は血で血を洗う内部闘争そのものだった。

 

 しかし、聖女と帝国が主導した南部の革命の多くは旧体制派の人々を諦めさせて取り込む事に重点が置かれており、死傷者は旧体制派ですらも戦う兵隊や指揮官でなければ出ていない。

 

「如何なる相手も帝国の航空艦隊を前にしては諦めざるを得なかった。その姿こそが勝てるとすら思わせない本当の帝国の切り札であり、多くの反帝国主義を掲げる王侯貴族が真に震え屈服した現実」

 

 教諭は胸に手を当てる。

 

「嘗て、帝国最大の船として造船された軍艦はその大きさと威容以外は単なるハリボテの空を飛ぶ風船のようなものだった。けれど、それが風船にされたのは姫殿下の御心があってこそだと聞いているわ」

 

「どーいう事。せんせー」

 

「あの方は消える前に造船に関してお言葉を残しているの。【人を諦めさせるものと人を虐げるものは違う道具であるべきだ】と」

 

 子供達に女性教諭がニコリとする。

 

「あの方は人を畏れさせる術を知っていた。そして、多くの王侯貴族を主体とした旧体制派は畏れさせるだけで良い相手だと分かっていた。けれど、本当に虐げる力は大げさなくらいに強そうに見えず、誰もが見て分かるような力ではなかった」

 

「ドラクーン……」

 

 ポツリと誰かが呟く。

 

「そう。姫殿下の人々を虐げる道具は今も戦う方々だった。けれど、出会った事がある子がいれば、分かるわよね。ドラクーンの人達は怖ろしいと思えるような人達だったかしら?」

 

 半数程の少年少女は顔を僅かに思案させていた。

 

 出会った事のあるドラクーンの多くが優しかったり、勇ましさの中にも笑みを浮かべてくれるような穏やかさを持っていたからだ。

 

「皆さん。船は人々に分かり易い象徴として使われたの。そして、象徴だからこそ、あの方が乗り、実用として化け物達と戦うもの以外は質素なくらいに多くの能力が削られているのよ」

 

 その言葉を少数の子供達はちゃんと理解していた。

 

 つまり、目の前にあるのは諦めさせるものではないのだと。

 

「これは帝国で五十年前に一度だけ造られた人々の畏怖と希望を集める象徴たる船であり、同時に実用として世界最高の軍艦。いつか、この船が宙に飛び立つ時、人の時代は大きく前に進むでしょう。それは貴方達が大人になるよりも先。もう少しだけ先の事なのよ。きっとね」

 

 子供達と共に教諭たる女は小さな車椅子姿の誰かと白衣の男女が船の傍にいるのを確認して、僅かに頭を下げた。

 

 そして、白衣の誰もが涙している様子を見て、時代が動き出した事を知った。

 

 その日、世界に暁光が降り注いで数日経った朝。

 

 一人の男がこの世を旅立ち。

 

 一人の聖女は旅立つ男の背中を夢に見た。

 

 自分が押した焼き印を背負い。

 

 遥か空に歩き出す男の背中に手を振った。

 

 そうして、今日も一日が始まる。

 

 子供達は見た。

 

 今、北部へと接岸するアルクタラースの威容を。

 

 そこから降りて来る男女が御伽噺の人々である事を理解した。

 

 遠目にも分かる。

 

「聖女の臣下……」

 

 子供だからこそ感じられる。

 

 いつも見ている人達とは違う。

 

 その気配が、その姿が、人目を惹かずとも解る程に彼らには感じられた。

 

 乱れも無く。

 

 笑顔でありながらも何処か感動してしまう程に自己を律した姿。

 

 世の陰りを払う者達の背中が普通の大人達より小さくても、何故か世を覆うようにも見えて。

 

 子供達は初めて、この世界に存在する本当の力ある者達。

 

 殉じる覚悟ある人の真実を感じた。

 

 そして―――。

 

「ぁ……」

 

 存外早く起きて、北部に駆け付けた一人の少女。

 

 その横顔を見た時、誰もが理解せざるを得なかった。

 

 僅かにこちらに気付いて目を細め。

 

 薄っすらと微笑んだ横顔。

 

 誰もが時間を止めたように静止した世界の最中。

 

 法衣姿で歩く背中。

 

 何かを背負っている様子もないのに世界の全てを背負ったかのように重く重く厳しくも美しい背中を彼らは知ったのだ。

 

 呆然と呆然と夢幻のように自分達が過ぎ去った屋内に消えていった存在。

 

 言葉は誰にも無く。

 

 ただ、搾り出すように女性教諭が帰りましょうかと言った時、子供達は頷く事しか出来なかった。

 

 自分達が邪魔になってしまったらいけないと誰もが考えてしまって。

 

 帰りの大型車両の中。

 

 手を組んで祈る子が大勢いて、誰もが彼らのいる場所を見ていたのだった。


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