ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
『ええ、では、さっそく投票を開始しましょう。この街区と外の領域にいる全ての奴隷種の皆さん。貴方達にちゃんと彼らは命乞いをしてくれたでしょうか? では、さっそく投票方法を発表しましょう。奴隷の皆さんはもしも彼らを助けたいと願うならば、手を1回だけ挙げて下さい。殺したい、どうでもいい、自分には関係ないと思うなら沈黙していて下さい。ちなみに黙っていた方々には後でちゃんとした衣食住を提供する事をお約束します』
その言葉で更に誰もが絶望に駆られていた。
『当たり前の生活。当たり前の毎日。誰かに叩かれる事なく。虐げられる事なく。差別される事なく。朝食をしっかりとお腹一杯食べられて、ちゃんとした服を着込んで臭い等とは言われず、多くの見知らぬ誰かから白い目で見られず、貴族種や商人種や技能種がやっているように遊んだりする事も出来て、家に帰れば、ふかふかな寝台で眠る事が出来る。素晴らしい日々をお約束しましょう』
そう言っている合間にも貴族種達は最後の時を迎えようとしていた。
今の今まで落下した先で適当に壁からの攻撃を避けさせ、余計な事が出来ないように疲弊させながら、滅びていく街区の人々が触手の上で涙も枯れ果てる様子を見せつけていたのだ。
手を着いた者達は次々に床に呑み込まれて消えていく為、正しく生き残りたいならば攻撃を回避しながら踊り続けねばならない。
それも緑炎光の限界まで低減した状態で。
『おのれぇ!? 卑怯だぞ!!? 卑怯だぞおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?』
『くそぉおおおおおおお!!? 何が選択だぁあああ!? 何が投票だぁあああああ!!?』
叫ぶ元気のある貴族種がいたので追撃する触手の数を1割くらい増やしておく。
『おやおや、どうやら貴族種の方達は今回の投票に何か不満があるようですね。何故、あんなに不満そうなのでしょうか?』
『餌で釣っておいて何て言い草だ!? 貴様が、貴様が誘導しているではないか!?』
まだ若い貴族種の1人が叫ぶ。
無論、全ての映像は触手経由で捕まえられた全ての人々が見ていた。
『これはおかしな事を言いますね。わたくしは皆さんの何一つ利益の無い命乞いに対して真っ当な利益のある事実を言っています。わたくしにはその力があるのですよ。今の貴方達の命乞いに今わたくしが言った以上の説得力と利益があれば、誰も貴方達の死を選んだりしないのでは?』
『な―――ぐ!!?』
此処で反論すれば、更に不利になると悟っている貴族種の言葉が詰まる。
『おかしいですねぇ? 奴隷種と言えば、商人種や技能種に動物のように飼われていて、鞭で叩かれ、今日の食べ物にも事欠くのに彼らの主よりも大変な肉体労働をさせられ、毎日毎日嘲笑され、憂さ晴らしに蹴り付けられ、竜の民よりはマシな生き物程度にしか思われず、臭い、汚い、寄るな、騒ぐな、お前らの為に薬なんざあるわけねーだろ。死ぬなら勝手にオレらの知らないところで野垂れ死ね。と、言われていると聞いたのですが、何か間違っていますか?』
『なぁ―――』
事実を此処でぶっちゃけられて、喰って掛った貴族種が顔を白黒させる。
此処で否定すれば、奴隷種達の反感を買うし、此処で肯定して開き直れば、更に心が離れるのは確定的なのだ。
どっちに転んでもどうにもならないという現実は人の思考を停止させる。
『どうやら、多くの奴隷種以外の方達には何やら心当たりがあるようですね。誰も彼も顔色が青いですが、どうかしたのでしょうか? 皆さんが奴隷種達に毎日良い主人である事をちゃんと心掛け、ありがとうと感謝の言葉を掛け、心配ないかと労りの心を持って接し、労働ご苦労様と労い食事を振舞う。その程度の事をしていたならば、何ら心配する必要もないはずでは?』
そういう人物は確かにいるらしいが、全体で見れば1%すらいるはずもなかった。
人々の間に絶望の沈黙が降りる。
『さぁ、奴隷種の皆さん。明るい未来はすぐそこです。皆さんの望む一票が皆さんの未来を造るのです!! 貴方の選択と言葉を聞かせて下さい。それでは1分の投票を始めます。是か非か!! 是か非か!! どちらであるかをお決め下さい!!』
その瞬間、大勢の商人種と技能種達が正しく命を賭けた様子で何も言わずに暮れかけていく空を見上げていた。
多くの奴隷種がもう何かを聞くのはうんざりだと言いたげに空を眺めていた。
青い空が夕闇に染まり、ゆっくりと落ちていく。
世界には懐柔する声があった。
『お、お前が望むなら後で幾らでも金をやる!! 食い物も!! 着るものも!! 住む場所も!! 何なら女も幾らでもやるぞ!!? なぁ、なぁ! こっちを向いてくれぇえええええええええ!!?』
世界には繕う偽証の声があった。
『あ、あなたを実は好きだったの!! ねぇ!? 聞いて!? 貴方の告白を知らなかったフリしたのはね!? ちゃんとお父さんとお母さんに訊ねてからにしようと―――』
世界には怒り狂う声があった。
『お前がぁああ!? 主人の為に尽くすのが奴隷だろおおおおおおおおおおお!!! 早く手を挙げんか!? 挙げろ!! 挙げろ!! 挙げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!?』
世界には怒号と絶叫と悲嘆と絶望が木霊していた。
だが、それも一分が終わろうという頃には嘆く声ばかりが増えて、今までの怒号は少なくなっていく。
誰の心にも後ろめたさがあった。
誰の心にも救ってくれるわけはないという諦観があった。
そう、彼らは自分でそれを知る程度には彼らを虐げていた。
その事実は誰よりも彼ら自身が知っていたが、そうでない愚かな人々は最後まで怒りに任せて絶叫し、周囲の人々を良い感じに絶望させていた。
しまいにはお前が黙れ、と。
罵詈雑言を怒りをブチ撒ける者達に叫ぶ者が大勢出て来て。
『もう黙れよぉおおおおおおおおお!!? クソ野郎!!』
『誰がクソ野郎だ!? 私は大豪商だぞぉおおおおおおおおおお!!!!?』
『お願いだからもう止めて!? 止めてぇええええええええ!!?』
叫び合いの喧嘩に発展し、そのあまりにも醜い人々の様子に殆どの奴隷が思わず唇の端を曲げて、苦笑か、嘲笑か、笑い声を上げる者さえいた。
そうして、混乱の中で制限時間が終了する。
『ええ、では、発表していきましょう。皆さ~~ん。自分の近くにある空を見上げて下さい。今から集計結果を発表しますよ~~。赤は皆さんが死ねと言われた数、青は皆さんに生きて欲しいと思った奴隷の数。グラフが高くなればなるほどに数が多いとお考え下さい。では、集計結果発表~~」
ドンドンパフパフの効果音を入れておく。
陳腐だが、そんなものでいいだろう。
所詮は茶番である。
二つの赤と青の棒グラフがゆっくりと積み上がっていく。
グラフの数がジリジリと上がっていく時にグラフの速度を少し弄って青のグラフを加速して結果が10秒早く出るようにしておいた。
人々の希望を抱いた瞳が次々に青のグラフが赤を追い抜いて高く積まれていく様子に僅かな希望を見出し、伸び上がる速度の遅い赤のグラフに上がるな上がるなと願いながら見守る。
そして、ようやくジャーンという効果音と共に蒼のグラフがとても長くなって止まった。
『や、やったぁああああああ!!? 助かる。助かるぞおおおおおおお!!?』
瞬間、街区も外の領域も大歓声が上がるかと思えたが、グラフの伸びを同じにした途端、彼らの顔がすぐに蒼褪めていく。
『ああ、済みません。グラフの桁の目盛りを変えますね。はい。これで大丈夫っと』
桁を況して速度を上げた瞬間。
赤のグラフが瞬時に突き抜けた。
『では、結果が出揃いましたので全ての奴隷種を100として何割の人々が貴方達の生存を願ったのか数えて見ましょう。おやおや~~~? 青い部分が殆ど見えませんねぇ~~9割9分9厘が赤とは』
触手に捕らわれた誰の顔色もまた土気色になっていた。
『いやいや、圧倒的過ぎてまったく笑い話です。皆さん。ご苦労様でした。皆さんにはしばらくはこの愚か過ぎる方々の行く末を見て頂きたいと思います』
もう怒る気力すら無くしたのか。
呆然と結果を見上げる者が殆どだ。
『元奴隷種の方々は何処かの家に入って下さい。食事などはそのままして構いません。この映像は皆さんの家の広間に映し出し続けておくので、是非見ていて下さいね。投票ありがとうございました』
そうして、肩を竦めて立ち上がる。
『では、さっそく刑を執行致しましょう。罪状は一つです。それは竜の民を殺した事でも苦しめた事でも嘲笑した事でも元奴隷種の方々を虐げた事でもありません。貴方達の罪は……』
しっかりと伝わるようにバイツネードの能力の一つで人々に囁くように伝える。
『貴方達が貴方達である事ですよ』
本当の差別とはそういうものだ。
誰もが言葉を失っていた。
『貴方達が竜の民を殺した時、見殺しにした時、そう言っていたようにね』
【――――――】
人々の脳裏にあるのは狩り入れ場に入った事のある者達が叫んだ言葉。
あるいは竜の民だと分かって、街区で彼らを殺すか。
もしくは殺されるのを見ていた時の言葉に違いない。
『はぁ? 助けるわけないだろう!! 竜の民は存在自体が罪なのだ!!? 死ねぇええ!!!』
『子供を助けて? 馬鹿馬鹿しい!! さっさと殺しておけ。お前ら!! 飯が不味くなるわ!!』
『お前らがお前らである限り、誰も助けちゃくれないんだよ。死ね!!』
『うわ。汚い……死に掛けてるの? 早く死んでよね。竜の民なんだから……』
『見ちゃいけませんよ。竜の民は殺されるべきなのですから』
彼らの内から悲鳴と絶叫が上がる。
『ああ、それと赤子の事は気にしないでください。貴方達が死んでも誰かが面倒を見るでしょう。面倒を見たいと貴方達が思わせる程に誰かに優しくあったなら、何の心配も要りませんよ?』
親として子供を育てて来た者達は赤子を震えながら抱きつつ、更なる絶望に顔を歪ませる。
『当然でしょう? 竜の民の赤子は竜の民であるというだけで生かしたままに連れ去られ、祭りの褒章と引き換えに焼き殺し、その炎で誰もが温まり、お金も名誉も手に入れたのでしょう?』
その当たり前過ぎる絶望を前にして人々は最後の最後までどうにもならない現実を前にどうにもならないから泣き叫ぶしかなかった。
『では、さようなら。皆さん。また、次の地獄でお会いしましょう。断頭処分です』
一千万近い人々が次々に体と頭を別れさせ、その光景に奴隷達の間で喝采が上がった。
だが、その喝采も長く続かず。
涙する者達が大勢である。
その涙は少なからず哀しみの涙では無かった。
世界の終わりを、世界の破壊を、彼らは目にしたのだ。
自分達を抑え付けていた社会の終焉を見たのだ。
気絶した首をグアグリスで回収しながら体は全てグアグリスの餌にして、もう首も残っていない広間に集まる数十万の人々を前に一礼する。
代表者である男達がこちらを見て、涙を浮かべながらお辞儀し返してくれた。
「感謝……致します……」
「いえ、当然の事をしたまでですよ。それに彼らの身柄はわたくしの手に委ねる。後は好きにして良いとの確約も頂きましたしね」
最初に首を寄越せと言って来た男の顔からは憑き物が落ちたようだった。
「貴女の言葉。この世界の真実……我々と彼らが同じ人間で緑炎光で考えを歪められ、力を与えられて、使役されていた事。何もかも……衝撃でした」
「でも、貴方達の憎悪は正当です。これで気が晴れる者もいれば、まだ憎み足りないと思う方もいるでしょう。ですが、わたくしの手は全てを壊すか護るか。そのような事しか出来ません。故にソレ以上を求めるならば、悪党ではなく。ただの人間として行い。その上で人間としてこの先の世界で裁かれて下さい」
「理解しています……長達が何故貴女を信頼していたのか。それがようやく分かった……貴女は人に為せぬ事をしながら、人として人を超えて尚、人の嘆きを聞く者だったのですね」
「さて、どうでしょうか。まぁ、彼らにはまだ地獄が残っている。全てを知るという作業と全てを理解するという罰がある。その先で何をするかは個人に委ねましょう。貴方達竜の民と同様に……」
「御心のままに。フィティシラ・アルローゼン姫殿下」
男達が全員頭を下げていた。
涙を零す者。
全てを終えたという気持ちに震える者。
まだ奴らは生きているが、今はどうにもできるわけではない。
そう理解して、己の内側で葛藤する者。
様々だ。
しかし、今は誰もが次にやるべき事を理解していた。
『これでこの世界に終焉が齎されました。しかし、貴方達にはまだ生き残るという仕事が待っています。それは自分の傍の人々と共にです。また同時に貴方達と同じように虐げられていた奴隷種の者達や敵対していたとしても罪のない残された赤子達と共にでもある』
反発はある。
だが、この状況を前にして仕事を受けないと言える程、竜の民は情に左右されていない。
『不満だろうと嫌だろうとそれこそ貴方達がこの世界の先へと向かう為の代価です。此処から先の命にはわたくしが全ての権利を主張し、全ての責任を持ちます。それがこの世界の果てにある新しい世界において社会によって抱かれるまで。わたくしが彼方達を護ります』
取り敢えず、それっぽく衣服を瞬間的にチェンジしてみる。
ペンダント効果である。
空間を歪めて内部に質量を無視して物体を保存するわけだが、空間の歪みを瞬間的に開放する時に相対位置に対して出す場所を地続きにせず、空間を僅かに断絶して物体を放り出すといきなり物体が相対座標に飛び出すらしい。
今までの服は瞬時にグアグリスで溶解すれば、瞬間的な衣装チェンジが可能であるわけだ。
アイドルのライブに使うか。
それとも軍事用途に使うか。
迷う仕様である。
いつもの軍装に外套を羽織った。
『おぉぉぉぉ……』
それと同時に化粧を剥いでおく。
『竜の民よ。140年に渡る永き間、貴方達を救えなかった事。許してくれとは言いません。ですが、貴方達を、この世界にいる全ての者達を救おうと命を投げ出し、多くを犠牲にした者達がいる」
それが事実だ。
「貴方達の長は……貴方達のみならず、この世界に生きる全ての者達を救おうと戦っていた。その気持ちをどうか覚えていて下さい。貴方達は決して孤独ではないのだと。どうか胸に留め置いて下さい』
泣き出す者もいれば、俯きながら胸に刻む者もいる。
『これより、我らは七日掛けて、この地より脱します!! その道は苦難と困難に溢れ、多くの者が辿り着けるかどうかは我々と貴方達の手に掛かっている。だからこそ、自らの手に誰かの大切な人々の命が載っているのだと心得て共に戦って下さい。我々が皆さんの剣であり、盾である限り、貴方達が進む世界を必ず切り開くと約束しましょう!!』
大歓声が上がった。
背後では何かまた人を誑し込んでるよ。
みたいな顔をしている仲間達が増えた気がするが構うものではない。
すぐに仲間達から竜の民に各作業班を造らせた。
子供や赤子の面倒を見る者や食料を調理する班。
諸々の雑用に竜の鱗の内部から大量の赤子を受け取ったり、元奴隷達を迎えに行く者達が編成されて、竜の民に忙しさを与える。
「さてと、街区を全部空にするのに何日掛かるやら……」
元奴隷達と共にこの世界の食糧を集めて世界の端に向かわせるのに恐らく3日。
街区や各地の領域から全員を集めるのに凡そ3日。
街区の中央にある宮殿域を落すのに1日。
やる事は山積みだが、今日に限っては面倒な対人折衝諸々を引き受けてくれる雑用の人達がいるので大丈夫だろう。
「後は任せたぞ。シュタイナル。クリーオ。アルジャナ」
三人が同時に額に汗を滲ませながらも覚悟を決めた様子で頷いた。
元々、2人だったのにアルジャナを増やしたのだから、褒めて欲しいところだ。
「デュガ、ノイテ、三人を頼む」
「また置いてけぼりか?」
「何処に行く気ですか?」
「ちょっとした威力偵察だ。お前らにも仕事はあるから気にするな。今回は暴れさせてやるから」
「信じたかんなー」
「解りました。各地の統制に入ります」
頷いて頭の上に目を向ける。
「フェグ」
「なーに?」
「オレと一緒に連中の強さを図るぞ。付いて来い。それと合図したらお前に与えた力を全力で使っていい」
「いいのー?」
「ああ、敵には容赦しなくてもいいからな」
「はーい」
こうして2人で触手に載せて貰って壁にめり込んで地表へと向かう。
周囲には大量の街区の人間の首が流れていた。
(ようやくスタート地点か。はぁぁ(*´Д`))」
人間の首チョンパで世界記録が取れてしまうのも困りものである。
脳髄の海馬に直接侵食したグアグリスによって、世界の真実と同時に竜の民の実体験と恨み辛みを個人によって耐えられる程度に流しながら、改心を待ちつつ、宮殿域へと向かうのだった。
*
「お邪魔しまーす」
宮殿域の頭上。
竜に変化させたフェグに乗って対空しつつ、ペンダントから取り出したゼロ距離カノン砲を構える。
基本的には140mmカノン砲を手持ち式にしたみたいな感じだ。
大砲を片手で打てる超人向け装備だが、機関部が1m強もあるので笑ってしまうくらいに不釣り合いな感じに見える。
まぁ、内部は高速連射用のシステムが詰まっている上にゼド機関による空間の歪曲で弾丸を内部で保存している為、それでもかなりコンパクトな仕上がりだ。
本当ならば、肩にアタッチメント化して使うのが良いらしいが、トリガー式で使う為、巨大な砲の根本に申し訳程度のグリップが付いた玩具に見えなくも無い。
宮殿域の人気が無さそうな場所に試射してみる。
途端、ゴインッというような音が宮殿域全体に響き渡り、ビシリッと宮殿の屋上に亀裂が入った。
「なるほど。基本は緑炎光を使うアウトナンバーと同じ防御方法で護ってるのか」
アウトナンバーの多種多様な防御手段が全部詰め込まれた宮殿は普通の耐久力ではないのだろうが、相手が悪かったと言うべきだろう。
超重元素製の弾丸に対アウトナンバー用の砲弾を速射出来るカノンが一発当たっただけで罅が入るような防御ではお話にならない。
取り敢えず、連射してみる。
砲弾の連続発射音が物凄く煩い以外は何の変哲も無い砲弾数十発の直撃。
撃ち終えたカノンをペンダントに付けて収納して完全崩壊した人気の無かった宮殿内部に降り立つと周囲には人影が次々に集まって来ていた。
まだ死人がいないのは解っていたが、それにしても悠長な連中なのは間違いない。
それなりの能力がある者ばかりだったが、彼らの背後からおっとり刀で駆け付けて来た老年の男が進み出て来る。
人の波を割った姿は何処か隠者にも似てローブを着込んだ姿は周囲のご立派な軍服や鎧に身を包んだ者達とは違って、南部皇国にいた者達と同じ様にも見える。
フードを剥いだ男は精悍で何処か野心に溢れた顔付き。
だが、今は僅かに流した汗から少なからずこちらとの地力の差は理解出来る賢さがあるのが見て取れる。
「これはこれは……北部の大国の聖女様では? 我らの宮殿に何用でしょうか?」
「威力偵察です。この封鎖された宮殿にまだ人間が残っているのかを確認しに来ました」
地表に降りると周囲の男女が物凄い目付きで睨み殺そうという顔になっていた。
その背後には更に上手なのだろう力の強い個体の者達が数人控えていて、恐らくは宮殿内部の部門毎のトップがその場には揃っている。
こちらを殺せるかどうかと思案する彼らと話し掛けて来た宰相役と思われる老年の違いは覇気があるかどうかだろうか。
年季という意味でならば、老年の男の方が事態を良く俯瞰出来ている。
「申し遅れました。わたしはグリンガルドと申します」
「ああ、南部皇国の皇帝側近ですか。名前は知っています。まだ、貴方は人間らしさが残っているのですね」
「はは、アウトナンバーと外では呼ばれていましたがね」
「それで貴方の主はもう人間を止めたのですか?」
その言葉に口を開きそうになった周囲に男が余計な事を言うなと睥睨した。
「申し訳ない。血の気が多い者ばかりで……」
「いえ、心まで化け物になった人間は人間扱いしませんので。貴方は最後まで人間扱いしてもいい。その点では一番話せるでしょう……」
「ふぅ……それにしてもやってくれましたね。140年ですよ?」
「時が来たという事です。外との時間の誤差は最小限度です」
「成程。我が主の力が急激に衰えているのは何故かと思えば、そういう事ですか」
「もうアレはこの世界に本体が存在しない。力の源を失えば、依存している存在の多くは弱体化して然るべきでしょう」
グリンガルドが肩を竦める。
「随分と久しぶりに主の声を聴きましたよ。それまでは完全にアレに取り込まれていたというのに」
「……4000人程の部下をアウトナンバーにして世代を重ねさせましたね?」
「然り。ご想像の通りに」
グリンガルドが皮肉げな笑みになる。
「この世界にアウトナンバーを受け入れる余地はありますが、それは主たる生物としてではありません。また、主要な社会の歯車としてアウトナンバーは認められません」
「でしょうな」
「彼らにわたくしが示せる選択肢は二つ」
「死ぬか隷属か。どちらも遠慮したいのですがね」
「隷属とは人聞きが悪い。人間の中で少数民族程度に勢力を留めるならば、生かしておく事はまったく人道的な措置では?」
「人道的、か……いやはや、世界の支配者は言う事が違う」
「支配などしていませんよ。支配者が支配するというのは単なる幻想です」
「では、貴方の背後の人々がそうであると?」
「ええ、本当の支配者というのはそもそも支配に興味など無い人間が多い。責任と義務を取り違えている者は多くない。貴方の主とて、俗物ではあったが、その支配というものの本質は解っていたでしょう。自分は偉いが能力があるわけではないという事を理解せずとも体現していたはずでは?」
「ははは……痛い事を言う。このグリンガルドがどれだけの労力の末に楽園を作ったものか。教えて差し上げたいところです」
「解っていますよ。そして、異文化交流の時間がやってきた。国家と国家があれば、決して摩擦が起きないわけもなく」
「……降伏条件を聞きましょうか」
その言葉で50代から20代や10代と幅広い年齢層の戦える個体が老年のグリンガルドに非難の視線を向ける。
「個体数の削減。上から強力な個体の中でも我々の考えに賛同出来ず、人格の矯正を拒絶した者の抹消。特殊な個体の能力の剥奪。全個体の登録と混血の禁止。後は人間への侮蔑や差別感情の撤廃。人社会の規範に対しての順応。まだまだありますが、こんなところでしょうか」
「……はぁぁぁ、隷属ではない。だが、自分を捨てろと言われて頷ける者は多くないのですよ」
「でしょうね」
「話は分かりました。わたしは主の下で待っています。貴方は力を示して下さい。結果として此処にいる者達が貴方を止めれば、話はこれまでという事でよろしいか?」
「こちらとしては数日中にこの領域を破壊する事になっているので。それまでには伺いましょう」
「了解した。戦えぬ者は一か所に纏めておきましょう」
「よろしい。理性的な方で助かりましたよ。グリンガルド殿」
「ふ、ふふ、いやはや……アレに毒されて我らも長いが、上には上がいるとは……」
「安心して下さい。貴方達のやった事に対しての罪は償って頂きます。勿論、人の社会に役立つよう……」
グリンガルドは首をやれやれと横に振って、頭を下げて一礼すると宮殿の奥へと下がっていく。
その背中を見送って、周囲に視線をやると今まで黙って聞いていた者達が唖然として裏切り者を見るような瞳でグリンガルドの背中に厳しい視線を投げていた。
「さてと。フェグ。人格の悪そうなのは全部倒していい。見ててやる」
わーいと今まで背後でウズウズしながら待っていたフェグがバサリと背中から生やした翼をはためかせつつ、周囲を見回す。
「グリンガルドめ!! 何が取りまとめ役だ!! 聞いて呆れる!!」
「殺せばいーじゃん。あたし、こういうやつ嫌いだし~」
「この場にいる我ら全員を相手に生きて帰れると思われている時点で心外だ」
「オレは逃げさせて貰う。ウチから余計な死人は出したくない」
どうやら一部の者達はスゴスゴと退散する事にしたらしい。
「腰抜けが……どのような力を持っているのかは知らぬが、外の有象無象共と同じにするなよ?」
「我ら緑炎光の民。真なる力、お見せしよう」
「……ふむ。行ったな。フェグ。終わらせろ」
「はーい」
フェグが翼を一振りする。
途端、自らの力によって変異した者達も含めて、逃げなかった全てのアウトナンバー……恐らくはkm級と呼ばれる者達の9割が砂塵のように風化して崩れ去る。
残った者達の半数は自分の体が6割以上、灰のように崩れたのを見て、獰猛に笑みながら再生を指向して領域から回避行動を取ろうとしたが、フェグの翼の一部が針のように伸びて頭部を消し飛ばした。
最後に残ったのは3人のみ。
それもそれなりに強そうなのばかりだ。
だが、彼らが呆然としている間に仲間だったモノが吹き込む風に散った。
「防御系の能力が高いのか。なるほど……ちゃんと事前準備をしてた事は褒めてもいいな」
残った三人は40代の細身の犬みたいな顔のおっさんと顔を引き攣らせて脂汗を流す10代の赤い髪の少女と自分の仲間達の惨状に呆然自失となっている30代の黒髪の女だった。
全員が何らかの能力を持っているようだが、解析して見れば、なるほどと思う。
攻撃型の多くが油断していたようだが、防御型の彼らはまず基礎部分的な面でほぼ30倍近い防御力、自らを護る力の密度が違う。
緑炎光の収束と時空間を強固に変動させ、物質的な干渉を殆ど受けないようだ。
「……あれほど、防御の修練は怠るなと言っていたのにやっている者が皆無とは嘆かわしい話だ」
ゴールデンレトリーバーみたいな顔のおっさんが溜息を吐いて、何処か哀し気に崩れ去った者達の舞い上がる体の一部を見た。
「何なのよ!? 一体、何なのよッ!!? どうして!? 何で!!? どうやったら、あたしらが全滅するって言うの!? こんな一瞬で!? どーしてよ!!?」
「あぁ……皆さん……何を……う、うぅ……」
混乱している少女は仲間の死よりもあっさりと崩壊した事実に慄き。
30代の女はどうやら仲間意識が強いらしく。
呆然とした様子でチリとなった仲間達を見ていた。
「元々、防御技能に長けた者。基礎資質がそもそも高かった者。仲間の力を吸収して生き残る者。成程……確かに攻撃型の連中には不可能な生存方法だ」
キッと紅い髪の少女がこちらを睨む。
「アンタ!! こんなことしてタダで済むと思ってんの!?」
「まったく。そもそも此処の戦える最高戦力がこの場に集まっていたのでは?」
「ッ」
「司令官、参謀、兵隊、そのほぼ全てがこのザマで戦おうというのは無謀と言うのですよ」
「―――ッ」
「止めろ。死にたいのか? 同僚を失くした事は惜しいし、長年の友人達が死んだのも辛いには変わりないが、実力差が違い過ぎる」
「ッ、このまま殺されろって言うの!!?」
「だから、お前は甘いんだ。エスカ」
犬のおっさんが少女の首筋をガシッと掴んだ瞬間にクタリと少女が気を失う。
「エーリス。エスカを頼む」
「あ、は、はい!?」
今まで呆然としていた女が慌てた様子で少女を抱いて上空に待避していく。
「初めまして。まずは自己紹介を。我が名はジース。ジース・スタンデ・イーナ」
「イーナ……南部皇国の皇帝と一緒に消えた家の名前の一つですね」
「当代の当主だ。物語に聞きし、帝国の姫よ」
「詳しそうですね。この世界の事にも……」
「勿論だ。グリンガルド殿とは幼い頃からの付き合いでな。あの方が諦め切っている様子なのを見れば、そちらがどのようなモノなのかは想像が着く。近頃、この領域が不安定化したのも先程の話を聞けば、さもありなんと納得もしよう」
「それで? 貴方が最も生存能力の高い人物のようですが、どうします?」
「……嘗ての我々の祖先は悪辣を絵に描いたような者達だったとは知っている。今も我らの生まれて来る子供の3割は此処にいた者達と同じような闘争本能と歪んだ指向の持ち主ばかりだ」
「自己点検出来るとは優秀ですね……」
「だがな。これで戦わずして負けたのでは誇りも何もあったものではないだろう?」
「ふむ……いいでしょう。フェグ。相手をしてあげて下さい」
「強いよ? この人と戦う~?」
「ええ、人格者なだけはあるという事でしょう。アレは悪意の無い相手には捕捉が効き辛いですから」
「先程の力は人の感情に反応する指向性を持たせた蒼力だな? 我らの見えざる能力の殆ど全てを弾くとは……防御に回せていたなら、もう少しマシだったろうに……」
「ええ、でしょうね。攻撃方法は単純ですよ。人の細胞よりも遥かに小さな無数の細い細い分子の糸で周辺を攻撃し、細胞内部に入り込んで蒼力で直接緑炎光を打ち消しながら蒼力による物質制御で水分子を凝結、細胞を破壊しました」
言ってる傍から蒼力の力が溶けた塵からは大量の水が沁み出して、黒く変色した細胞片の粉と混じり合って泥状になっていく。
「……我らの天敵の話を聞く機会は幾らでもあった。だが、能力や基礎的な力の高さに溺れ。その対策もせず、防御能力を磨かなかった上に……その使い手がこの領域にいなかったというのは致命的だったわけか」
「相手ならいましたよ。今までどれだけ絶望的な状況下になっても持っていた蒼力を使わず。自らの血と肉と骨を捧げ、多くの犠牲者達に涙しながら懺悔する。そんな生き方を選んでも……未来を見続けた者達がいた」
「―――ふ、ふふ、ふははははは。あの鎧共め……貴族連中に任せておかず。自らの手で戦っていれば、あるいはまた違った未来もあったかもしれん」
「ですが、もう時間は戻らない」
「……この宮殿には未だ人ならざる者として生まれ落ちた旧世代の我らの祖先、安定化出来なかった化け物が大量に眠っている。グリンガルド殿が言っていたようにやれるならやればいい。だが、それは同時にこの領域全土にソレが溢れ出すという事だ」
「そうですか。後で全員で掃除しに来ましょう」
「勝手にしろ。それとあの2人の命を保障して貰いたい」
「能力を奪ったら、そうしましょう」
「助かる。では、やろうか」
フェグが待っている間に男の体が獣化というよりはバルバロス化した。
人型でありながらもキメラのような感じだろうか。
犬の顔は紅い竜の鱗に取って代わられ、角は悪魔の如く。
四肢は人型なものの。
太く鋭い爪とガントレット染みた鱗の手甲に覆われる。
各関節と急所部分も同じだ。
肉体内部に関しても変化して、何層にも渡って緑炎光と物理的な鱗の素材と同じ金属染みた層が張り巡らされ、その全てに別々のアウトナンバーの高等防御が種類毎にランダムな斑模様で継ぎ接ぎの上に多重となっている。
それでいて滑らかな動きをするのだから、まったく熟練のドラクーンが20人は必要な相手だろう。
「フェグ。お前も同じようにやってみろ」
「はーい」
フェグの瞳が金色に染まる。
と、同時に今までずっと自分と同じように相手を見ていたのだ。
同じような変化を自分でも行い始める事は朝飯前だろう。
この五十年の経験と研鑽。
そして、近頃渡した力が肉体を竜の鱗で覆って翼を生やし、衣服の下から完全に人型の竜を模した肉体が現れる。
胸元のエンブレムから侵食した鱗の鎧と肉体内部の変質。
更に蒼力を用いる事が可能になった今のフェグはドラクーンとリバイツネードのハイブリットな上で恐らくバルバロスの頂点に立つ存在に近しい力を持っている。
「これが蒼力か。いや、そもそもがバルバロスの力もあるな……」
最終的には顔を鱗で竜のように覆い。
金色にも見える鱗の鎧はドラクーンの鎧にも似た形態となっていた。
角の代わりに胸元のエンブレムから引き出されるかのように背部まで鱗が覆って翼は触手のようにしなやかなものとなっている。
シャリンッと音を立てて6対12翼が濡れた輝きのままに分裂して開かれた。
「まったく、この境地に立つまで随分と研鑽したものだが、そちらには更にあの鎧共よりも厄介な装備が五万とある。自力で埋めるのは骨が折れそうだ」
男が言い終わった時には2人の姿は消えている。
上空で蒼い光と緑の炎らしきものが撃ち合っていた。
インファイトによる打撃以外ではロクな攻撃が通らないと踏んだ防御型のジースは間違っていないと言えるだろう。
単なる肉体の変化である以上、その自力は細胞的な限界がある。
それを無理やり緑炎光で限界以上に力を底上げすると蒼力とは違って暴発よりも精神への侵食リスクが高くなる。
緑炎光そのものが基本的には負の側面が強過ぎる力なのだ。
精神状態を高揚させてバーサーカーのように戦えるアウトナンバーの多くは緑炎光が中和されると途端に物質的な負荷に耐え切れずに自己崩壊するのが殆どだ。
逆に蒼力はそういった精神や肉体への負荷というよりは物質的な制御の難しさから緑炎光とは違って補助的な制御装置を使わないと難しい事が出来ない。
だが、逆に言えば、制御の困難さを克服してしまえば、残るのは単純に相手の力の根源を完全に打ち消して殴り勝てるという事実のみだ。
無論、出力にも因るが、基本的に聖女の子供達の類にはリミッターを掛ける薬が使われているし、自爆しないように最初期の子供達にも制限を掛けていた。
これが存在しないフェグは正しくリミッター無しの蒼力を使えるドラクーン以上の存在と言える。
そもそも遺伝子単位から自分と白衣達とミヨちゃん教授の力を用いたフルスクラッチに近い遺伝改造薬を飲んでおり、蒼力を使う事に為れさせ、ウィシャスとの戦闘経験も積ませた。
『押し、負ける、だと?』
空の上でジースの唇が僅かに動いた。
見えない打撃の応酬がゆっくりとその趨勢を傾けていく。
さもありなん。
理由は単純だ。
緑炎光は元々の性質が時間変動やそれに伴う腐食や崩壊であり、蒼力よりも威力が高い。
だが、蒼力は元々の性質が物質の制御であり、緑炎光よりも創造力が高い。
創造とは即ち、物質的な安定化であり、改変だ。
その殆どはまず何よりも肉体の維持に使われる。
つまり、殴り合った場合、相手よりも深い傷を負うのは蒼力を使う側だが、同時に相手より長く戦えるのも蒼力側なのだ。
逆に緑炎光側は打ち消されて破壊された場合には摩耗や消耗が激しいが復元するのはそもそも苦手であり、緑炎光を代替物のように使うのがメインになっていく。
この両者の違いを極めると初撃必殺、一撃、短期決戦で緑炎光側は相手は殺すしかない。
だが、最初に攻撃型の連中を全て潰したのだ。
防御型は長期戦を耐えられるが、そもそもの点で分が悪いのである。
「ッ」
「そーれ!!」
連打の撃ち合いで破壊され続けていたフェグの肉体だが、その破壊の痕跡は蒼力による修復が間に合い始めていた。
だが、逆に緑炎光を打ち消されてゆっくりと傷付いていく相手はようやく最初から勝ち目の無い戦いをさせられている事を悟ったか。
一気に勝負を付けようと大技を狙うものの。
そんな事を許す暇もなく。
同じ調子で攻められ続けて消耗を深くしていく。
凡そ1分にも満たない殴り合い。
だが、遂に相手が再び大穴に落ちて来たところで決着は付いていた。
グシャグシャに砕かれた肉体は真正面から見れば、拳の型が付いていない場所の方が少ない有様だった。
「カハッ?!!? ガ、グッ、ゴッハッ?!!?」
吐血だけならまだしも緑炎光そのもので砕かれた部位を補完していたのが仇となり、緑炎光が変じると途端に肉体の一部から崩落が始まる。
相手の能力は恐らくは長期戦に特化して敵に慣れて強くなるような類のものと見受けられたのだが、幾ら強く為ろうとも限界を超えて消耗していく肉体を補いながらでは正しく勝つ事は不可能だったようだ。
勿論、最初から攻撃型を潰していたのも大きいし、蒼力との初戦闘となっている事も大きい。
だが、どれだけ言おうとも現実は一つに収束する。
相手の肉体が傷付いたままに人間形態へと戻っていく。
「……勝負は……最初から、付いていたわけか……」
「その通りだ。事前の準備と今まで積み上げて来たものがお前らを破る。無論、単純にお前らが弱いわけじゃない。だが、もう一度をやらせる程、オレは甘くない」
「確かに……これでも長期戦ならば、最強だと嘯いていたが、このザマとはな」
「相性差だ。限界以上に能力を伸ばした奴程にソレが致命的になる。他で差が付けられない場合は特にな。何もかもをお前らに不利にしておいて負けたら聖女なんてやってられない」
ジースが仕方なさそうに溜息を吐いた。
「殺すか? それとも情報を引き出すか?」
「お前次第だ。お前の狂気は見定めた。“ソレ”はまだ許容範囲だ」
「はははは!! 永遠に戦いたいと望んだ我が身が一分足らずで敗北か。面白い……だが、お前がダメだと判断すれば、戦えぬ者だろうと容赦なくお前は奪っていくのだろうな」
「勿論だとも」
「フン。敗者の弁を述べさせて貰うならば……ああ、確かにグリンガルド殿は正しかった。逃げる連中も今の戦闘を見て、掛って来る者はいないだろう。だが、そうなれば、この世界の崩落と共に奴らもまた外に解き放たれる」
「生憎と想定済みで対策済みだ」
「いいだろう。好きにしろ」
「フェグ。今日はこれでお終いだ。ご苦労様」
「疲れたー。後でごはんー」
「ちゃんと作ってやるから。さて」
人間の形まで戻っていたジースの首を掴んで掲げる。
それと同時に蒼力を流し込んで緑炎光を駆逐しながら脳髄の発生機関を変成する。
すると、肉体の崩壊が止まり始めた。
その様子は外から見たら、薄く蒼い光で焼かれているようにも見えるだろう。
「なるほど。上位個体程に脳の器官が発達してるのか。お前には今後の実験に付き合って貰う。悪いが死ぬのはそれからにして貰おう」
「ふ……」
緑炎光による抵抗を完全に消滅させるまでに20秒程。
肉体が半分潰れた男が口元を歪めて気を失う。
それをフェグに背負わせて空からお暇する事にした。
*
「ジース様が負けた……?」
「悪夢だ。守備隊の主戦力たる9割が壊滅……これはもう……」
広大な宮殿内部。
逸早く危機を察知して退いていた守備隊の一部は緑炎光で時空間を歪めて外界を見やる術で戦闘映像を黴に映しながら絶望する事になっていた。
宮殿域の守護者の9割が死んだのだ。
何も言う必要も無く自分達が絶滅寸前である事を彼らは知る。
大貴族種と呼ばれる者達すら彼らにしてみれば、赤子のような力しか持たない相手でしかなかったが、上には上がいる。
力の凝集がぶつかり合う竜の力を使う敵に対して護りと長期戦に特化していたはずの守護者の中でも最大の力を持つ数名に数えられるジースが敗北。
これはつまり彼らが蒼力と呼ばれる敵に対して安寧の上に堕落を貪っていた事の証明となった。
戦える者は最初からあの場にいた。
そして、それ以外は基礎的な能力はあれど、彼らより弱い。
つまり、勝てる要素が消失した緑炎光の民と自らを自称する宮殿の居住者達は支配者という座からたった一時間にも満たない間に転げ落ちたのだ。
「穏健派であるジース様の言葉をもっと聞いていれば……」
「防御を疎かにした方々が即死だった以上、あの方々に届かない程度の資質と能力では……」
宮殿域のあちこちで戦闘を見守っていた民の中に諦めムードが漂う。
宮殿の外の情報そのものは彼らも見ていたのだ。
そのあまりの様子に外の人間を単なる駒としか見ていなかった者達も鳥肌を立てて、恐れ戦いていたわけだが、自分達は大貴族種達とは違うと力の強さを糧に心の平穏を得ていた。
だが、それは脆くも崩れ去り。
貴人の恰好をしている彼らの多くが子供達にその光景を見せぬようにしながら、大人達だけで中庭で話し込む。
「グリンガルド様が陛下のいる区画に入って出て来ない以上、もはや我々は……」
その時、彼らは守備隊の者が2人中庭までやってくるのに気付いた。
「エーリス様!? エスカ様!?」
「エスカを休ませたいの。お願いします」
「は、はい!! オイ!! 何か敷くものを!!?」
庭の東屋の大きなテーブルの上に慌てて女性が敷布を持って来て敷く。
その上に未だに気を失っている紅い髪の少女エスカが寝かされた。
「事の次第は見ていました。ジースが破れた以上、我々には戦力が残っていません」
『―――』
男達が押し黙る。
彼らとて大貴族種並みの力はあるのだ。
だが、戦闘訓練をしていた者は殆どいない。
140年の安寧。
その上に宮殿内では戦闘意欲のある者とそうでもない者は二極化していた。
人口の9割は宮殿内で暮らす事に不満を持っておらず。
残りの1割が数百名の守備隊をしていたのだ。
「グリンガルド宰相が陛下のいる区画に消えて何も言って来ないという事は我々にはもう戦って倒れるか。敵の下に降るかの二択しか残されていません」
「ッ―――冗談じゃ、ない、わよ」
「起きたのね。エスカ」
少女が目を開いて、ゆっくりと上半身を起こす。
「戦いなさいよ!! アンタも!!」
「わたしの能力は生存特化で他者の犠牲がいる。貴方の能力は基礎的な力の高さ。歴代最高の能力はある。けれど、技能に対する才覚が無い。ジース様は練度だけであの位に昇りつめ、戦う事で強く為り続ける。けれど、短期で相手に競り負けた。相手との力の差が違い過ぎる」
「く……エーリス、あんた!?」
「解っているでしょう。どうしてジース様があの場で我ら2人を逃がしたのか」
「ッ……」
「残っているのは早々に引いたヒルデン様とエルメ様の部隊のみ。それも彼らは補給部隊よ? 能力的にもソレに特化している」
「どうしようもないって言うの?」
「敵は街区そのものを一日で壊滅させる化け物よ?」
「……どうにか、何とかする算段は立てられない?」
黒髪の彼女。
エーリスが溜息を吐く。
「3つよ。これ以外はどれも不可能という案が三つだけある」
「聞かせて」
「一つは逃げる事。この宮殿域と世界を捨てて……」
「な!?」
周囲の大人達もざわめく。
「先程の会話を聞いていたでしょう。恐らく陛下のお力が弱まったのは外にいるとされる我らの神が倒された。もしくはもうこの世界の外にも存在しないから」
「―――」
「こうなれば、我らは滅亡を待つのみ。活路があるとすれば、世界の外に逃げて、その先で奴らの追撃を巻いて何処かに隠れるしかない」
「可能なの?」
「補給部隊の人達の能力さえあれば、全員は不可能だろうけれど、ある程度の人数を……」
「後は見捨てろって事?」
「そうよ。二つ目は彼らの軍門に降る事。ジース様を生きて捕らえられた。あちらは恐らく蒼力がこちらにとって致命打になると理解したはず。緑炎光の加護を失う事になっても生きるのならば、ソレが最も確率が高い。ただし、それは我々が奴らの奴隷になるのと同義よ」
「く……三つ目は?」
「この場で自決。言うまでもないでしょう。どれを選ぶも自由よ」
「本当に……本当にそれしかないの……っ」
「この領域を破壊するという話もされていた。その期に乗じて私は逃げる事にするわ。民と残る者と逃げる者と戦う者に分けましょう。どれか一つに絞るよりは生存率も高いでしょう」
エーリスが男達を見渡す。
「子供達は逃がすように。また、残る者達には最後にやって貰いたい事があります。地下の封印された扉を開き。この領域が崩壊する直前にあの扉を開け放ち。中の者達を解き放つ。そうなれば相手もさすがに看過出来ないでしょう」
多くの大人達が項垂れていた。
彼らの世界は破壊されようとしていた。
そして、彼らにそれを止める術は無かった。
まるで、今まで自分達がやってきたかのように竜の民を殺すのと同様。
いや、それ以下の虫けらとすら言われずに殺される立場になって初めて彼らは自分達の現状を正確に理解しようとし始める。
それが幾ら遅いものであろうとも。
生きている限り、死は目前にあったのだった。