ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第135話「煉獄を裂く者達ⅩⅧ」

 

―――翌日。

 

「お父様!! ようやく狩り入れ場の準備が出来ました!!」

 

 その日、メイ・シル・イーレ。

 

 イーレ家の令嬢は年相応の顔で偉大なる父に自らの戦前の準備が終わった旨を鼻も高く報告しようとしていた。

 

 何故か、館にはいつもの門番達がおらず。

 

 また、出迎える者も無かったが、狩り入れ場の整える以外にも仕事は多い。

 

 貴族種ともなれば、それは必然であり、何処かに使いで出ているのだろうと彼女は自分の侍従すら出て来ないという事実に父のところにいるのだろうと納得して、静かな館に声を上げていた。

 

「お父様!! アズベルもそこにいるのですか!! 母上やイクルもいないようですが、一体何処に……」

 

 少女は父の寝室へと向かう道すがら、僅かにする鉄臭さに首を傾げ、扉を開いて寝室のカーテンが開いている事に気付く。

 

 その憎々しい青空の光の最中。

 

 彼女は笑顔のまま塊。

 

 目の前が眩んだ錯覚を覚え。

 

 明滅する意識の中で……ソレを見た。

 

 巨大な血溜まりだった。

 

 幼い妹。

 

 優しい母。

 

 優秀な侍従。

 

 偉大なる父。

 

 その体はまるで赤い池に沈んだかのように寝台の上に寝かされていた。

 

「お父様……お母様……アズベル、イクル……」

 

 彼女は目が零れそうな程に見開きながら、壁に地文字を見た。

 

 其処にはこう書かれている。

 

―――ようこそ新たなる世界へ。

 

―――終わらぬ悪夢の住人達。

 

―――我が名はフィティシラ・アルローゼン。

 

―――竜のねぐらにてお待ちしております。

 

 その日、街区の高貴な者達の寝所では絶叫と悲鳴と怒号と号泣が響き渡り。

 

――――――――――――――――――!!!!!!!!!!?

 

 その混乱によって街区全域は恐慌を来し、世界には憎々しい程の青空が晴れ渡り、人々はその慄く事実を正午の鐘が鳴ると同時に知ったのだった

 

―――後に【暗極の夜】と呼ばれる日の夕暮れ時。

 

「で? お前らは何も知らないと」

 

「はぃ……」

 

「ふむふむ。今まで竜の民を何人殺した?」

 

「五百人程」

 

「じゃあ、五百年くらい夢見て来い」

 

「はぃ……」

 

 お茶を啜りながら大貴族種の中でも取り分け強力そうな生首連中を揃えて、直に蒼力で脳内の情報を覗きつつ、処置していた。

 

 巨大な竜の鱗の大地の中心部。

 

 首が連なる大鐘楼みたいな状況になっている。

 

 その最中での事であった。

 

「悪趣味の極みって言ってたぞ。竜の民」

 

「仕方ないだろ。時間が無いから、処置の順番待ちなんだよ。そこらの貴族が並んでると思えば、何も怖くも悪趣味でもないはずだ。たぶん」

 

「いや、悪趣味でしょう。明らかに」

 

 ノイテにも突っ込まれた。

 

 生首の脳内情報を覗きつつ、今まで自分が犯してきた罪がどのようなものなのかを実感させて、今までの人生で築き上げてきた全ての価値観を真実の教育と同時に脳に臨床心理学や大脳生理学、蒼力による直接干渉で叩き込む作業中なのだ。

 

 基本的には殺した分だけ竜の民になって街区の人間から狩り殺される家族や仲間を見せつけて、精神崩壊させつつ、考えさせる精神の極限環境矯正である。

 

「それにしてもこいつらから情報出ないな」

 

「どういう事だ?」

 

「簡単に言うと王宮の事はどんな大貴族種も殆ど知らない。その内部から現れるメッセンジャーによってちゃんと統治しろって命令が出てるだけだ。それを疑問に思わなかったのは緑炎光の作用みたいだが、それを消せば、疑問が復活する感じだった」

 

「つまり、此処の皇帝は一切統治に関わってない?」

 

「そういう事だな。最初期の戦力化やアウトナンバー化以後、宮殿が出来てからは籠りっぱなしらしい。恐らく内部の人員も世代交代しながら仕えてるか。もしくはもう人間じゃないんだろ。外の事は殆ど知らないんじゃないか?」

 

「そんな事ってあるか?」

 

「相手の種類によっては在り得るな」

 

 触手で瞳と耳の神経に直接映像や音声を流し込みながら先程のように処置を施しつつ、蒼力で造った情報塊を脳の今まで緑炎光が宿っていた部分にブチ込む。元々、聖女の子供達と同じような器官が脳内にある為、それを改竄してこっちの電波だけ拾うようにした感じだろうか。

 

「ちなみに大貴族種の上位十名は全部終わった。強さ順的にはもうオレに嫌がらせ出来る連中はいないな。宮殿内部には数万単位でいるかもしれないが……」

 

「これで攻めてくる連中の戦力は半減したのか?」

 

「いいや、そもそも主戦力は貴族種じゃない。商人種や技能種だ。ついでに言えば、そいつらが主に竜の民を殺して回る連中だ。ドラクーンには貴族種が総出で抑えに回ってたわけだからな」

 

「じゃあ、どうして貴族種だけ?」

 

「指揮官のいない兵隊なんて頭の無い死体みたいなもんだ。軽く突けば、普通は崩れる。それが知的生命の類ならな」

 

「また悪い事考えてるぞ。その顔……」

 

「心外だな。今からやってくる連中の多くは怨みに駆られ、呪いに駆られ、理性を失くし、怒りに我を忘れて力を正常にも使えない。理性のある子ども一人の方が怖いってもんだろう」

 

「怒りで力が増幅してるじゃないですか」

 

 ノイテが溜息を吐く。

 

「織り込み済みだ。連中には世の中の残酷さと醜さと絶望を味わってもらう。勿論、死んで返さない。街区民や外の連中には8日で幸せになって貰おう」

 

「「………」」

 

 何か物凄い悪だくみをする悪人を前にして空いた口が塞がらない。

 

 みたいな顔をされた。

 

 だが、言っている合間にも外からアルジャナの声が響く。

 

「姫殿下!! 竜の国の斥候が各借り入れ場からの第一陣の侵入を確認しました!!」

 

「解った。全員下がらせろ。明日の朝まで此処を護り切れば、勝利だ」

 

「勝利?」

 

 外に出ると竜の民と呼ばれた人々の代表者達が恐々と生首の塔の周囲に集まって来ていた。

 

「フィティシラ・アルローゼン様。これより如何様に戦うのかお聞かせ下さい。民の多くが不安に思っております。我々ですら見た事のある大貴族種の首の列……我らが怨みは深い。この光景に指を咥えて黙って納得出来る程、我々は貴方様を知っているわけではないのです」

 

「最もですね」

 

 頷く以外に無いだろう。

 

「では、まず最終目標を提示しましょう。その上で貴方達が生き残り、勝利し、同時にこの140年という長き時間を清算する方法を教えましょう」

 

「清算する方法?」

 

「わたくしはこの地に詳しくありません。貴方達の怨みも痛みも苦しみも本当の意味では分からない。しかし、元々街区の人間が竜の民と同じ奴隷であった事は皆、知っているのですよね? 少なからず大人の一部と代表者となる者達は……」

 

「ええ、それは間違いなく……」

 

 50代程の代表者達の総代が頷く。

 

「ならば、全てを破壊しましょう」

 

「破壊とは一体……」

 

「街区を破壊するのです。この世界の常識を、この世界の法則を、この世界の決まりを、この世界の成り立ちを……」

 

 ゴクリと全員が唾を呑み込む。

 

 ニコリとしつつ、その背後でジト目になっているクリーオとジーク。

 

 更にはプルプルしているアルジャナにも微笑んでおく。

 

「それにまず必要なのは命の清算。貴方達の大切な人々を苦しめ、殺し、嬲り、焼き、貶めた大貴族種の首は此処にある」

 

 首の一つを掴んでグアグリスの見えざる触手から外す。

 

 その首に怨みがあるのだろう。

 

 男が1人、人のものとは思えぬ顔で憤怒のまま立ち上がる。

 

「まぁ、殺すだけならいつでも出来ます。ですが、それは清算ではない」

 

「なら、何が清算だと言うのだ!? フィティシラとやら!?」

 

「オイ!? 長に言われなかったのか!? 非礼を詫び―――」

 

「いえ、構いません。貴方にとって、この首の主は殺しても殺し足りない相手なのですね?」

 

「そうだっ!! そうに決まっているだろう!!? こいつらの指揮する者達がッ、父を!! 母を!! 姉を!! 妹を!! 我が親族すらも!!? 殺してやりたいに決まっている!! 殺して殺して殺して殺して殺し尽してやりたいに決まっているではないか!?」

 

「それは正しい感情です。誰もが持つ事のある気持ちでしょう。今まで貴方が辛かった事をわたくしは知る事は出来ますが、それを本当には理解してやれないでしょう」

 

「ならば!? その首を寄越せぇええええ!!?」

 

 すぐ傍まで来る40代の男は正しく人間だった。

 

 正しき復讐者は外にも大勢いる。

 

 代表者達がそれを理性の皮で覆い尽しても、彼らの心にある憎悪の炎は決して隠し切れない程の熱量で空間を埋め尽くさんばかりだ。

 

「お待ちなさい。ただ、殺すのならば、いつでも出来ると言ったのです。今、貴方達は滅び掛けているのですよ? そして、此処には力ある首がある」

 

「何が、何が、言いたい……!?」

 

 苦し気な彼の肩にポンと手を置く。

 

「復讐するのは結構。憎悪も正しいでしょう。でも、貴方達の後ろには何があるか。今一度見て下さい。全ての此処に集った竜の民の代表者として……」

 

 ハッとした様子で男達が後ろを振り返れば、今も不安そうな顔で竜の鱗の大地の上で食事を造ったり、家族を抱き締めたりと避難生活に疲労し始めた者達の顔が映る。

 

「今、此処で復讐の為だけにこの首を殺したいと思う者だけ前に出なさい。ただし、此処から先の話は背後の者達を護る決意無き者には必要ありません。好きな首を持ったら、彼らの輪に入り、大人しく我々に護られていて下さい。滅びを前にして合理性よりも感情を重んじる者に指導者となる資格はありません」

 

『―――ッ』

 

 誰もが沈黙する。

 

 確かにその通りだと納得したならば、彼らには……人々を護る為に戦い抜いて来た彼らには、首だけ持って帰る事など出来はしない。

 

「よろしい。ならば、貴方もまた並び立つ者。それではまずは貴方達が囚われた憎悪という病に利く処方箋を提示しましょう」

 

「病、だと?」

 

 苦し気に涙を零して顔を歪める叫んだ男の肩に手を掛ける。

 

「ええ、憎悪に眩んだ瞳では何も守れない。しかし、それは正しい以上晴らされなければならない。だから、わたくしは此処にいる指導者層の皆さんには悪党になって頂きたいと思います」

 

「あく、とう?」

 

「ええ、とても簡単な事ですよ。これから攻めてくる大勢の街区の人間達に心魂の朽ちる絶望を、如何なる容赦も躊躇も慈悲も無く……無限に等しい憎悪で叩き込むのです」

 

 何だかアルジャナがガクガクブルブル((((;゜Д゜))))していた。

 

「彼らが心から絶望した顔を見て、ようやく貴方達の目も澄む事でしょう。人の残酷を彼らが叩き付けて来た以上、次は貴方達の番。何も剣を取れというのではありません」

 

 首を一つ取って、その頭を撫でる。

 

「単純な事ではないですか。殺される以外にも人は絶望し、失望し、諦観し、どうにもならない現実を前に心は朽ちて腐敗する」

 

 何故か蒼褪める人々だったが、すぐに何か思い直したような顔になる。

 

「何を躊躇う必要もありません。わたくしが、フィティシラ・アルローゼンが指南致しましょう。貴方達がわたくしに付き従う限り、街区の人々は無限の暗闇に呑み込まれて顔を歪める事でしょう。さぁ……貴方の憎い首を取って下さい」

 

 傍にやって来ていた男がフラフラと首を受け取る。

 

「貴方が悪党ならば、化け物を地獄に落して彼らの背後すらも滅ぼすべきです。全ての世界を破壊するべきです。そうしてようやく、貴方達は何かを少しだけ護れる」

 

「オレが、集落の奴らを……護る」

 

「大丈夫、戦場が悲惨な事になり、化け物が涙し、化け物が苦しみ、化け物が慟哭し、化け物が必死に昔の貴方のように誰かを助けようとし、そして全てに絶望するだけの……そんな簡単なお仕事ですよ。皆さんの気持ちを少しは彼らにお返ししましょう。それでこそ復讐なのですから」

 

 ニコリとして

 

 目当ての首を男達に渡していく。

 

「さぁ、まずは恨み言を囁く事から。貴方の絶望を首に数時間はよく言い聞かせて? そうしたら、きっと素敵な地獄を彼らに送れるはずですから……」

 

 男達がフラフラしながら目当ての首を掴んではその場でブツブツと恨み言の内容を首に対して呟いて行く。

 

 さすがにこの状況を見ていられなくなったのか。

 

 クリーオが超絶渋い顔でこっちにやってきた。

 

「何をするおつもりなのですか?」

 

「人間、一番怖いのはな。絶望した後なんだよ」

 

「?」

 

「善人は絶望するか? イエス。悪人は絶望するか? イエス。絶望し終えたヤツは絶望するか? イエス。ならば、例え化け物だろうとも人だったならば、絶望するさ。少なからず、この世界を創ったヤツには教えておこう。今更化け物にしただけの人間でどうこうなる程、世の中は甘くないってな」

 

「―――ッ、ああ、そうでしたのね」

 

「?」

 

 何処か納得したように脂汗を浮かべた少女がこちらを睨む。

 

「確かに貴女は聖女なのでしょう。けれど、同時に化け物でもある。いえ、彼らの気持ちが解る狂人を超えた狂人……嘗て、とある研究者の方から聞いた通りに……」

 

「そうか? なら、そいつは一つ勘違いをしてる」

 

「勘違い?」

 

「人間はそもそも最初から狂ってるさ。合理主義を突き詰めたら、狂人扱いされる奴らがいるのはソレが人間の規範に沿ってないからであって間違ってるからじゃなかったりする事もある」

 

「ッ」

 

「そもそもオレの人生には最初から狂ってないヤツを見た記憶が無い。それはきっとオレの中の正しさが人の常識とは違うからなんだろうな」

 

「―――はぁぁ、聞かなかった事にしておきますわ。多くの人々の為に……」

 

「よろしく頼む。聖女どころか魔女呼ばわりされそうだし……」

 

「魔の女、魔女……今の姫殿下にはお似合いかもしれませんわね。で、何故あんな事を彼らにさせているのですか?」

 

「単純だ。誰だって自分の罪を、本当の憎悪を聞かされたら、人間償いたくなるんだよ。何せ人間だからな♪」

 

 ウィンク一つ。

 

 蒼力の宿った瞳で見つめながら、さっそく状態がこちらにとって良い具合に推移した首を一つ男達の1人から受け取って、グアグリスで体を復元させていく。

 

 一応、衣服は込みでだ。

 

 そして、人々は知るだろう。

 

 人の憎悪が如何に正しく。

 

 如何にも醜く。

 

 如何に力となるものであるかを。

 

 それを見ていた竜の民の者達が次々に大勢フラフラと近寄って来て、首を欲しそうに眺め出したところで集めた首の人気投票染みて憎悪を吐かれる首達を人々に無償提供する事にした。

 

 ドン引きする仲間達であるが、これが一番効率が良いので仕方ない。

 

 人々の恨み言は怨嗟となって世界に溢れ出さんばかり。

 

 多くの首達に注がれていく。

 

 それこそが人間を絶望させるに足る仄暗い熱量に違いなかった。

 

(待ってろ皇帝)

 

 第一陣が竜の鱗の作り出した迷宮で全滅したのはそれからすぐの事だった。

 

 勿論、殺したりするわけもない。

 

 いつでも人材と人的資源には限りがあるのだから。

 

 *

 

「何を、何をしているのですかぁ!? 何故、先遣隊が全滅するのです!! 大貴族ディーグリ様が率いていたはずでしょう!!?」

 

 狩り入れ場の一つで大貴族の子女が1人喚いていた。

 

 周囲には生き残った貴族種達がその通りだと言わんばかりに商人種や技能種の伝令役達をあちこちで叱り飛ばしている。

 

「しょ、詳細は不明です!! い、生き残りが1人も見当たらず!! 先遣隊の大部分が竜の鱗のような通路に出て迷路のように入り組んだ内部にて消息を絶った模様!!」

 

「何ですって!? あの錆びた鎧共はまだ出て来ていないの!?」

 

「は、はい!! 未だ鎧は確認出来ず!! また、下水道内の様相が様変わりしており、常に蔓延っていた化け物も見当たらず!! 現在、第二陣が慎重に全域を探索中との事であります!!」

 

「使えないわね!? 集落の位置は割れているのでしょう!!? その真上から入れなかったの!?」

 

「そ、それが通路自体が土で埋め立てられている様子であると!! 上からの侵入口を掘ると最終的には竜の鱗に行き当たり、こちらの攻撃ではビクともしていないとの話であります!!」

 

「もういい!! 諸兄らも共に進むぞ!! 我ら街区の貴族種の力を見せてやれ!! 我らの家族親族の怨み!! あの蛆虫以下の竜の民。いや、ミミズ共に思い知らせてやれ!!」

 

『ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 貴族種達の怒号が上がる。

 

 怒りに身を任せて全てを破壊したい衝動に駆られた彼らは誰一人として勝利を疑わない。

 

 竜の民を根絶やしにする。

 

 それ意外には冷静な判断力は消し飛んでいた。

 

 自らの伴侶、親、子供、友人、掛けがえの無い人々が一夜にして首を取られ、殺されたのだ。

 

 一人でも多く竜の民を駆逐する為、周囲の未だ冷静な商人種や技能種達が止めるのも構わず。

 

 鎧が出て来ないならば、その竜の迷宮とやらをブチ抜いてでも殺すと言わんばかりに愚かなる行軍を開始した。

 

 それに付き従うしかない雑兵達は下手な怒りを買う諫言を言う事も出来ず。

 

 竜の鱗。

 

 そう、乳白色で光を当てると黄金のようにも見える鱗の迷宮へと入っていく。

 

 分かれ道に入ると貴族種達は次々に肉体を変異させ、巨人になる者もあれば、獣、蟲、竜、人型のままにそういった造形を取り入れた怪人のような姿になる者もあった。

 

 その行軍は次々に竜の迷宮の壁を打ち壊し、取り払い、焼き潰し、細い隊列をそのままに突き進んでいく。

 

 だが、彼らは気付かない。

 

 彼らの知覚領域を遮断するように次々と竜の迷宮が変化して薄膜を張ったり、内部の知覚をミラーハウスのように錯覚や錯視を用いて光学的な騙し絵で変更し、商人種や技能種が次々に別の通路、細い通路、生きた迷宮染みたグアグリスの体内で彷徨いながら、ゆっくりと見えざる触手に侵食されつつ、脳髄に流し込まれる情報に溺れていく事を。

 

 脊髄から侵食するグアグリスの触手から場に干渉する脳の緑炎光の発生機関へ蒼力が流し込まれ、次々に打ち消し合う力に意識レベルが低下。

 

 更には彼らの頭には大量の今まで駆逐してきた竜の民の悲鳴、怨嗟、怒号、そのイメージが深く深く植え付けられていく。

 

 それは竜の民の記憶が想起された地獄の光景を大量の首に囲まれながら、少女が瞳で観測した脳内情報から再構築した記憶そのものであった。

 

 次々に映し出される光景は効率的に彼らの脳内で処理されて海馬に焼き付けられ、やがて彼らは自分が殺した竜の民の家族や親しい者達の記憶に行き当たる。

 

『逃げろォおお!!? 生きるんだぁあああああ!!?』

 

『はははは、竜の民を狩り入れろおおおおおお!!』

 

『ああ、体が面倒なら首だけでも構わんからなぁ』

 

『褒章は少なくなっても数があればいい!!』

 

『お父さぁああああああああん!!?』

 

『貴方ぁあああああああ!!?』

 

『女子供は高いぞぉ!! 囲んで殺せぇえええ!!』

 

『や、やめろぉおおおおおおおおおお!!?』

 

 いつの間にか。

 

 彼らは加害者ですらなく。

 

 殺される者達を無力に眺める父親や母親や子供や友人になっていた。

 

「が、ぐ、げ、幻覚だぁ。騙されるなぁ……」

 

 多くの者達が口からボタボタと唾液を零しながら、崩れ落ちるように両手を床に付き、膝を屈し、40万人にも及ぶ人間達の記憶に支配されていく。

 

『何でだ!? 何で母さんや父さんが死ななきゃならなかった!?』

 

『クソゥ!? 街区のやつらめ。街区のやつらがぁ。あ、ぁあぁあ、うぁああああああああああ!!?』

 

『お父さん何処? お母さん。あ、お母さんの手……お母さん……お母さん……良かった。おかあさ―――』

 

『誰もいないのかぁ!? 誰も!? 誰かぁ!? 返事をしてくれぇ!?』

 

 焼かれ、血の海に混じる肉片を子供達が蒼褪めた顔で探しながら、その欠片にニコニコとしてボロボロと涙を零しながら話し掛ける光景を前に彼らは思う。

 

 竜の民は殺さねばならない。

 

 それが街区の掟だと。

 

 そう、それが定めなのだと。

 

 だが、雑兵達はその痛ましい光景の最中、竜の民の子供の顔が自分の子供の顔にガリガリと書き換わっていく事に喉を干上がらせていく。

 

 今まで見知らぬ顔をしていたのにソレが母や父や恋人や家族や友人に変貌していくのをブルブルと震えながら彼らは見つめる事しか出来なかった。

 

『お父さん……お父さん……』

 

『お母さんどこ?』

 

『あなた、あなた……』

 

 生前の欠片を求める彼らの大切な人々。

 

 彼らは蒼褪めた笑顔で泣きながら、その自分の顔をした頭部を……。

 

「うぁあああああああああああああああああああああああああああ―――」

 

 次々に絶叫が響く。

 

 だが、それは誰にも届かない。

 

 何故なら、いつの間にか彼らは1人1人、狭い鱗に囲まれた空間に取り残されていたからだ。

 

 前方からの進軍停止の命令も出ないまま。

 

 一時間、二時間と地下に入り込む雑兵達の足は止まらず。

 

 奥に奥に向かう度、無限にも思えた兵隊達は鱗の内部へと呑み込まれ。

 

 こうして1日程が経った頃。

 

 あれほどにいた数百万もの兵士達は陣地を預かる者達以外、魔法のように暗い鱗の洞穴の内部へと消えてしまったのだった。

 

 だが、それに猪突猛進していた貴族種の殆どは気が付かなかった。

 

 背後を気にした者達もいた。

 

 だが、その思考を阻むように鱗で出来た竜の化け物が彼らに襲い掛かり。

 

 その度に彼らは自らの能力を駆使して、ソレを撃滅し、勝利に雄叫びを上げ、疲れを知らないアウトナンバーの能力のままに進軍し続けた。

 

 しかし、それがそもそもの間違いだと彼らは気付かない。

 

 化け物の体力であるからこそ、彼らは勝利しているからこそ、後ろに戻る選択肢を削り続けられ、その敵を倒したという高揚と快楽が勝利への猛進が、戦術も戦略も破綻させる。

 

 ワンパターンな敵がいないのもゲーム染みたダンジョン攻略をやっている者に飽きさせない仕掛けの内だ。

 

 竜の鱗の化け物の種類が多様であった為、彼らは少しずつ強くなる敵を倒せば、やがては最深部に辿り着くと勝手に勘違いしていた。

 

 それが誰に仕掛けられた誘導だとも気付かない。

 

 そして、この程度では疲れないからこそ。

 

 その熱狂は通常の人間よりも長く長く続く。

 

「我らの勝利だ!! 付いて来れない雑兵共など捨ておけ!! 敵の中枢は近いぞ!!!」

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』

 

 どうせ、弱小の敵に足止めを喰らっているのだろうと部下達を切り捨てて独断専行する貴族種しかおらず。

 

 通常ならば、戦略的にそれはマズイという事を指摘出来る人材の多くも子供や伴侶、友人達の死によって目は曇り。

 

 考えも何も無く怒り狂うままに進み続けていた。

 

 グアグリスによって無味無臭の薬物が通路内には散布されている。

 

 より精神の高揚を高めて快楽を得られるようにされている事なんて彼らは知る由も無かっただろう。

 

 そもそもの話。

 

 アウトナンバーとて物質的な存在である。

 

 そして、緑炎光を消費して化け物として行動する以上、ソレは有限だ。

 

 その上、様々な肉体の耐性が上がっていたとしても、自分の肉体にプラスな効果に対してはその干渉に対する耐性が上がらない。

 

 結果論として言えば、個体の能力を増大させる薬物には耐性が無い。

 

 通常の生物はどんな薬物に対しても耐性を自由に制御出来ないものだが、緑炎光による強化を受けた者はそれが生命体の仕様として向上する力は受け入れる方向で固定化されている。

 

 このような不自然な仕様からして、まったく聖女様的にはナンセンスな話なのだが、それ故に極めて誘導し易くて助かるだろう。

 

 薬物で感覚を鋭敏にさせて隠し通路を見付けさせ、強大な敵を自らの力と勘違いした薬物の増強で倒し、その高揚を高められて、戦略戦術行動も取らず。

 

 個人能力のスタンドプレーのみで突破していく様子は正しくFPSゲームの驕った高ランカーみたいなものだ。

 

 そうやって調教されているとも知らない内が正しく天国。

 

 貴族種数万の軍勢が中心部に近付き10時間以上。

 

 彼らは足を止めなかった。

 

 そして、その時は来るのだ。

 

 貴族種達は各方面から6方向から進軍していたが、その先頭部隊はようやく本当の中心部に程近い広大な空間に出る事となっていた。

 

 そのわざとらしく配置された壁の前には最深部で待ってるラスボスが座りそうな玉座がポツンと置かれており、その上には白い少女が座っている。

 

 そう、六方向に同じ部屋が存在し、同じ玉座に同じ少女が座っている。

 

 嘗て、50年前の海洋の最中。

 

 バイツネードに対して使われた肉の人形。

 

 それは今や比べるべくもない工作精度によって脳の無い劣化した分身みたいに造る事が出来る。

 

 だが、その肉体ですらも彼らには持て余すだろう戦力である。

 

「初めまして。貴族種の方々。わたくしはフィティシラ・アルローゼンと申します」

 

「……お前か。お前かぁああああああああああああああああああああああ!!!?」

 

 斬り掛かろうとした何人かの貴族種が変異したままにも関わらず両手両足を四方八方から飛び出した大量の鱗だけで出来た槍で突き刺されて縫い留められ、猛烈な電撃を流されて沈黙する。

 

 勿論、殺してすらいない。

 

 神経系を焼き切っただけなので、この程度ならしばらくすれば再生するだろう。

 

「今日は皆さんに会う為に彼らを此処に招待したのですが、どうやら大勢ご来訪して頂けたようで。嬉しく思っております」

 

 立ち上がった人形達が恭しく一礼する。

 

「では、本日の主賓の方達も来られたようですし、夜会を始めさせて頂きます」

 

 勝手な言い分を前に彼らがワナワナと怒りに震え。

 

 緑炎光を猛烈な勢いで吹き上げながら、相手を殺す為、刃を、爪を、牙を、剣を、槍を、斧を、あらゆる攻撃手段をたった一人の少女に向ける。

 

「死ねぇええええええええええええええええええええええええ!!!!!」

 

 メイ・シル・イーレ。

 

 戦端を切った少女の刃が、あるいは他の地点で最も先に白き何かを殺そうとした者達が、攻撃手段を少女の前でゆっくりと押し返されながら瞠目し、思考を停止した瞬間には弾き飛ばされ、背後に続いていた者達もまた止まっていた。

 

「おとう……さま? アズ……ベル?」

 

 60代の老年に差し掛かった男。

 

 そして、先日までメイの護衛をしていた侍従の青年が竜の鱗で造られた剣をクロスさせるようにして少女の剣を弾いていた。

 

 今現在、メイは黒い尻尾に角を生やして悪魔の如き様相をしている。

 

 だが、その顔はすぐに白い少女を見てハッとした様子になる。

 

「お前っ、お前ぇぇえええええええええ!!? お父様とアズベルをよくも侮辱したなぁああああ!!?」

 

 その言葉に少女が肩を竦めると同時に

 

 エルレ・シル・イーレ伯爵と呼ばれている男は苦しそうな表情で俯く。

 

「メイ。わたしの可愛い娘よ」

 

「ッッ!? お父様を模した人形がぁああ!? 愚弄は許さないわ!!?」

 

「昔、お前に小さなペンダントを買ってやった事があったな」

 

「?!!!」

 

 その言葉に本物しか知らぬ言葉の羅列に少女が本気で固まる。

 

「ええ、お嬢様はその時、喜びの余りに転んでしまわれました」

 

「アズベル……っ」

 

「御姉様はうっかりさんだものね」

 

「ッ、イクル……!!?」

 

 喉を干上がらせたメイは父達の背後から少女が小さな短剣を持って現れた事にカタカタと震え出した。

 

「メイ。私達は偽物ではないの……」

 

「お母様……」

 

 貴族種たる少女の顔は歪んでいく。

 

「何を、みな、何をっ、してっっ」

 

「メイ……我々は知ってしまった。そして、贖わねばならなくなった」

 

「何をっ……っっ」

 

 伯爵が剣を最愛の娘に向ける。

 

「お前達の為なのだ。お前達の……済まない……済まない……」

 

 涙を堪えた家族とも呼べる者達の手が一斉に少女に向けられる。

 

「お前か。お前がお父様をお母様をアズベルをイクルを操ってッッッ、許さん!! 許さんぞ!? フィティシラ・アル-ゼン!!!?」

 

 憎悪を燃やしたメイが白い少女を殺さんと剣を構えて立ち上がる。

 

「心外ですね。わたくしは彼らを直接操ってなどいませんよ? 彼らは皆が皆、自分の手で、自分の心で償おうとしているだけの事です」

 

「何を償うだと!!? 竜の民ッ。いや、あの蛆虫共を殺すのに何を償う必要がある!?」

 

 メイが叫ぶ。

 

 だが、それに同意しようとした貴族種達は床から次々に現れる人影の顔と姿を見て、喉を干上がらせていった。

 

 それは彼らが怒る理由そのものだった。

 

 それは彼らが願う希望そのものだった。

 

 そして、貴族種達は知る。

 

 希望とは常に絶望の表裏であると。

 

 家族、友人、恋人、大切な誰か。

 

 その誰かが自分に刃を向けている。

 

 戦える者も戦えない者も老若男女が。

 

 赤子以外の誰もが。

 

 赤子すらも母に抱かれたまま戦闘に参加している。

 

「済まぬ。済まぬ………これしか、無いのだ」

 

 誰もが謝り始めた。

 

 今刃を向ける貴族種達に謝り始めた。

 

 その震える刃にブルブルと感情を込めながら。

 

「卑怯だぞ!! 卑怯だぞおおおおおお!!! 戦え!! 自分で戦えぇえええええええ!!!!」

 

 メイの言葉に白い少女は肩を竦める。

 

「戦っていますよ。そして、彼らもまた戦わねばならない。それが契約です。この契約が護られる限り、わたくしは彼らに約束を果たす事にしております。ただ」

 

 メイに白き少女は微笑む。

 

「手加減は為さらない方が良いですよ。彼らが余計に苦しみますから」

 

「な、に!?」

 

 言っている傍からメイに猛烈な速度で撃ち込まれた剣が彼女の剣に弾かれる。

 

「ひいさま。お許し下さい。いえ、許さずとも言い。ですが、どうか倒れて下さい。どうか!!」

 

 猛烈な回し蹴りがメイを吹き飛ばし、背後の鱗の壁にめり込ませる。

 

「がッ、ぐ!? 緑炎光を纏わずにどうしてこんな力が、ゲホッ!?」

 

 少女は自分の中から力の源である緑炎光が薄れていく事を感じつつ吐血し、他の場所でも次々に貴族種達が己の親しい者達の攻撃を受け、防戦一方となっていく。

 

「ひいさま。どうか眠って下さい。旦那様にこれ以上刃を向けさせないでください!! お願い致します!!」

 

「こ、このぉ!? アズベル!! どうしてよ!! どうして!!?」

 

「これが契約なのです。内容は言えませぬ。ですが、どうか」

 

「クソォ!? あの女ッ、あの女さえ殺せたら!?」

 

『父上!!? 何故ですかぁああ!? ぐぎゃぁあああああああ!!?』

 

『馬鹿な!? 緑炎光が弱まって消えていく!? こ、攻撃を受けるなぁああ!!? 殺されるぞぉおお!!?』

 

『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。あなた、あなた』

 

『お前!? 刃を降ろすんだ!? 負けるな!? 操られているんだお前達は!?』

 

『パパ。ごめんね? ごめんなさい!? う、うぇ、うぇぇぇ、でも、でも……これがパパの為なの!!?』

 

『愛する妻を!? 娘を!? 貴様あああああああああああああ!!!?』

 

 襲撃してくる者達の攻撃を受ければ、力が弱まり、倒されてしまう。

 

 しかし、相手を攻撃すれば、生きている大切な人を死なせてしまう。

 

 その板挟みとなった彼らが攻撃を躊躇した時だった。

 

 攻撃を躊躇された若い女性が絶叫を上げて棒立ちになって倒れ込む。

 

『何だ!? どうした!? だ、大丈夫かぁあああああ!!?』

 

 思わず刃を投げ捨てて駆け寄った男が己の伴侶を抱き起す。

 

『ダメなのです。貴方……全力でわたくしに攻撃して、下さい。そう、せねば、我々は死の痛みに蝕まれて……』

 

『な―――何だソレは!? 何だぁああああああ!!? ソレはぁああああああああ!!?』

 

 男の怒声と同じような声が各地の玉座の間では響き渡る。

 

 攻撃を何とか回避しながら相手に手加減していた者達の前で次々に相手が倒れ。

 

 そして、近寄っている者に真実を告げながら刃で貫く。

 

 という悲劇が量産されていく。

 

「だから、言ったのですよ。手加減しない方が良いと。彼らは親族や知人。つまり、貴女達に手加減されると絶命の痛みを受ける状態です。ちなみに人間の神経が何回か焼き切れるようなものですが、すぐに回復するので問題ありません。無論、契約がある以上、その状態でも貴方達をその刃で戦闘不能にするまで止まりませんし、止まれません」

 

『悪魔……この悪魔がぁあああああああああああああああああ』

 

 涙と絶望に染まる貴族種達が次々に倒れた者を開放した相手からの攻撃を受けて行動不能に陥っていく。

 

 普通なら刃を刺された程度で彼らは死ぬ事が無い。

 

 どころか傷など瞬時に回復する。

 

 しかし、彼らを襲っている者達の刃や体に触れた貴族種達は自らの力の源である緑炎光が極度に減って、消えていく事で能力を低減させられ、巨体のものは巨体を維持出来ず、変異したものは変異が解かれ始め、普通の人間並みの能力まで力を減んじさせていた。

 

 そうして、行動不能になった者達は次々に床に取り込まれ、そうした家族達と共に戦場から掃けていった。

 

「く、この!? アズベル!!? 何故なのよぉおおおおおお!?」

 

 幾度となく繰り出される突きを回避しながら、メイが叫ぶ。

 

「ひいさま。どうか、避けないで下さい!! お願いします!!! どうかッ」

 

「く、卑怯者!? 卑怯者ぉおおおお!!?」

 

 全力で緑炎光を使って薙ぎ払おうとした彼女が妹が侍従の傍まで寄って来た事で攻撃を躊躇した。

 

「お姉様!!? お願い!? 全りょ―――があああああああああああ!!!?」

 

「イクル!!? あああぁああぁああ!? 何よ!? 何よコレはぁああああああ!!!?」

 

 妹が死の痛みに倒れ伏している様子に呆然と涙して立ち尽くす彼女の背後から母親の刃が突き刺さる寸前。

 

『メイ様。こちらです!!? 今はどうか撤退指示を!!? このままでは全滅します!?』

 

 他の者達に助けられたメイは防戦一方で次々に絶叫が響き渡る戦場でようやく。

 

「クッッッ、撤退しなさい!! 撤退よぉおおおおおおおおおおッッッ!!!!」

 

 他の区域でも次々に手練れの者達が引き際だと死ぬより色濃い絶望に支配されながら、指揮を取って自分達に涙しながら刃で突き刺そうとしてくる者達を何とか退け、その全力を出せない躊躇による攻撃で誘発した大切な者達の死の痛みから来る絶叫にズタズタに精神を引き裂かれていく。

 

 こうして、たった20分。

 

 そう20分にも満たない貴族種達の本当の戦いは撤退を余儀なくされた。

 

 だが、背後にある通路の先にいつもなら詰めている者達が1人もいない事に気付いた者達は絶望するしかなかった。

 

 殿に残った者達が犠牲になって戦力を引く事は出来たが、走る者達の顔には極度の精神疲労でもはや怒っていた時の面影は一欠けらも無かった。

 

 正しく敗残兵と呼ぶに相応しい彼らは重い脚を引きずりながら終わらない悪夢に迷い込んだような気分で出口に急ぐ。

 

 だが、それも想定の内である事を彼らは知る。

 

『な、何だ!? 何なんだぁ!? それはぁあああああああああああ!!!?』

 

 彼らの来た道には小さな彼らの未来がズラリと並んでいる。

 

 赤子の並んだ見えざる壁。

 

 それが次々に通路を塞ぎ。

 

 次々に彼らの退路を断っていく。

 

『どうしたのです? 単なる赤子ですよ? 今まで竜の民の赤子を幾らでも殺してきたではないですか。何なら竜の民の赤子は蛆虫を駆逐した褒章としてとても高く買って貰えたのでしょう? 竜の民も街区の人間も赤子の時はカワイイものじゃないですか』

 

 誰もが喉を干上がらせながらブルブルと刃を持つ手を震わせる。

 

『竜の民の赤子ならば殺せたのでしょう? どうして、貴方達は全滅すると分かっているのに街区の赤子は殺せないのです? 同じ赤子なのに理不尽ですね』

 

 頭上から響く声に彼らの瞳に涙が溜まっていく。

 

『貴様ぁあああああああああああ!!?』

 

『あ、あぁあ!? 我が息子よぉお!?』

 

『娘だ!? アレは私の娘なんだぁ!?』

 

 次々に子供のいる者達が絶望した様子で膝を着く。

 

『早くしないと全滅しますよ? どうしたのですか? 竜の民の赤子を殺した時のように適当に焼くなり、裂くなりすればいいでしょうに……』

 

『う、うぁああああああああああああああああああ!!!?』

 

『止めろぉお!? 止めてくれぇえええええ!!? あれは私の娘なんだぁああああ!!?』

 

『が、ご、お、前ぇ!?』

 

『ち、違う!? そ、そんなつもりは!? そんなつもりはぁ!!?』

 

 どうやら自分の赤子がいたらしい男が剣を赤子の壁に振り下ろそうとした仲間を後ろから串刺しにしていた。

 

 各地で同じような光景が次々に発生し、貴族種の凡そ5分の1が赤子の壁を護ろうと他の者達と同士討ちしていく。

 

 その様子に赤子が泣き出して大合唱。

 

 泣き声の中で次々に崩れ落ちた者達が床の中に沈み込んでいく。

 

『くそぉおおおお!? 床に食われるだと!? 此処は化け物の腹の中かぁ!?』

 

 言っている間にも先程の4分の1が脱落したので赤子の壁は撤収しておく。

 

 勿論、本物から取った遺伝子で培養した脳も無い空っぽの人形に中央域にいる赤子の生体情報を受信させて上書きしただけのお茶目な罠である。

 

『ぎゃぁあああああああああああああ!!!? い、いげぇえ、いっでぐぇえぇ……』

 

 背後から来た大切な人々の刃が次々に後方の男達に突き立てられていく。

 

 勿論、ちゃんとマッチングしている為、問題無く大切な人にグッサリされている。

 

 血を吐きながら何とか押し留めようとする者もいた。

 

 が、床に倒れ込めば漏れなくグアグリスに吸い込まれているので相手からは喰われているようにしか見えないだろう。

 

『おや? 背後からの攻撃で更に数が減りましたよ。早く逃げないと全滅してしまいますね』

 

『クソォオオオオオオオオオオオ!!!?』

 

『メイ様!! 此処はもう危険です。おはぎゃ―――』

 

『ッ、撤退!! 撤退です!!!』

 

 何とか大勢を立て直そうと部隊が更に後方へと下がっていく。

 

 だが、その先にもやはり罠は置いてあるのだ。

 

『何だ!? 何なんだ!? 何なんだよぉおおおおおお!!?』

 

 絶叫と悲鳴が木霊する。

 

 次の罠は脳髄プールである。

 

 人間の理性と感情と合理性の限界を試すには良い話だろう。

 

『皆様。大変長らくお待たせしました。この水たまりに浮かぶのは勿論、貴方達の大切にしていた人々の頭の中身です。もしも、皆様が此処を抜けようとするなら此処で誰かを踏み付ければ、すぐにでもあちらに渡れる道が出来ますよ。勿論、踏み付けられた方は即死です』

 

 勿論、嘘である。

 

 単なる脳に見せ掛けた神経節の束をプニプニ加工して、脱落していない人々の大切な人達の顔を一緒に頭蓋もない頭部に顔面として張り付けているだけだ。

 

 まぁ、頭を開けられた大切な人達が絶望した顔をしていれば、彼らも畏れる以外無いだろう。

 

『大丈夫ですよ♪ 皆さんは竜の民の頭部でよく遊んでいたではないですか!! あの要領ですよ!! 玉遊びをするように踏み付けるだけで命が助かる!! なんて素晴らしい道徳心でしょうか。竜の民の頭部など貴方達にとっては正しくゴミだったのですから、自分の大切な人の頭部なんて正しくゴミよりもマシくらいのものなのでは?』

 

 此処に来て、心が折れた男達がガタガタと震えながら、自分の大切な人の頭部に開いた大穴と絶望した顔に震えながら手を伸ばしていた。

 

『お前は悪魔だぁ!? フィティシラ・アルローゼン!!? 何という事をッ!!? 何という!!?』

 

 メイがそう絶叫する。

 

『貴方達が竜の民にしてきた事と然して変わりませんよ。竜の民はゴミなのでしょう? 血統的に同じ血筋でありながら、人を人とも思わず虐げた者の末路。何も問題ありません。これは正当な復讐です。さぁ、選んで下さい』

 

『クソォオオオオオオオオオオ!!? っぐ、っっく!? あぁあぁあああ!!?』

 

『もう゛やめでぐれぇえええええええええええええ!!!?』

 

『たづげで!? たずげでくれぇえええええええ!!?』

 

 完全に心が折れて掌を床に着いた男達がグアグリスに引き込まれていく。

 

『踏み付ければいいじゃないですか? 貴方達はそうしてきたのですから。簡単簡単♪ 早くしないと死にますよ?』

 

 震えながら踏み出そうとした者達は先程の同士討ちを畏れて足踏みする。

 

 もはや、何が嘘で何が真実か。

 

 それが解らなくなる状況は正しくこちらの思うツボというものである。

 

『はぁぁぁ、残念ですね。がっかりですよ。貴方達には……心根は善人なのですか? 竜の民を今まで簡単に殺してきた者達が今更この程度の事で動揺し、喚き、叫び、無様に善人染みて許しを請うなど許される事であると? そんなに許して欲しいなら、まずは竜の民に謝罪しては如何でしょうか?』

 

 ガバリと床が正しく悪党を粛正する床みたいに開き。

 

 ついでに飛べる連中は翼を天井から降って来た竜の鱗の塊で潰され、叩き潰され、墜落させられていく。

 

 高々5mだ。

 

 しかし、接触時に流し込まれる蒼力によって力の弱まった男達は自重や鎧の重さで吐血し、自壊し、粉砕骨折で行動不能になっていく。

 

『がぁあああああああああああああああ!!!?』

 

『ぐ、ぎ、ぐぼぐぼごぼ!!?』

 

 込み上げてきた血で窒息していく者。

 

 もはや廃人の如く何も出来ずに感情を失う者。

 

 人々は様々だ。

 

 だが、そこもやはり罠である。

 

『次は命乞いをして貰いましょうか』

 

『な、に!?』

 

 メイが膝が折れた様子で倒れ込みながら顔を上げ、その光景に呆然とする。

 

 そこには地表の映像が映し出されていた。

 

 次々に街区の人間達が触手に捕まり、貼り付けにされながら、貴族種達の姿を触手が映し出す映像で見せ付けられていたからだ。

 

 絶望を深く刻まれた者達の顔は街区の外でも変わらない。

 

 街からは鱗の触手が溢れ出し、如何なる者の区別も無く。

 

 宮殿以外を蹂躙し尽くしていた。

 

『だ、だず、げて、きぞく、しゅさまぁ……』

 

 ボタボタと絶望しながら、自分達を見る無数の子供達の涙。

 

 貼り付けにされた彼らの頭部の上には凶悪な乱杭歯の生えた化け物のような触手の袋が大量に並んでいる。

 

『止めろぉ!? その子共達は関係ないだろぉお!!?』

 

 男達の1人が倒れながら叫ぶ。

 

『はぁ? 何を惚けた事を……子供すら知っているではないですか。竜の民は殺せ。竜の民の命乞いを許すな。竜の民の命乞いを聞いたら、嘲ってやれ。ではなかったのですか?』

 

『ッ―――』

 

『今更、それは通らないでしょう? そもそも、貴族種よりも商人種や技能種の方が竜の民を殺していますしね。彼らにはそれ相応の償いが必要です。では、1人目の方に命乞いをして貰いましょうか』

 

 言っている間にも竜の国の民の少年が1人薄暗い笑みで男達の前に映像で映し出される。

 

『さぁ、貴方の言葉を街区の人々に聞かせて下さい。貴方が何故彼らを恨むのか』

 

『オレのかーちゃんは街区の子供に蹴り殺された。お腹に妹がいたんだ……』

 

『―――』

 

 静かに話し始める少年を見た全ての者達が悟ってしまった。

 

 その少年を見ただけで解ってしまった。

 

 だから、ただただ蒼褪める事しか出来なかった。

 

『とーちゃんは狩り入れ場が立った時に死んだ。かーちゃんはオレが少し帰るのが遅くなったのを心配して……街区に行っちゃいけないって言われてたのにオレは……かーちゃんはさ。凄く優しくて良い匂いがしてあったかくて……これからは自分がアンタらを護って見せるって……オレ、街区の子と遊んでたんだ。嘘の首輪付けてさ……でも、かーちゃんはそうじゃなかった……』

 

 その映像を見る街区の者達も外の者達も同じように絶望する以外無かった。

 

 ああ、ダメだと思った。

 

 ソレがどんな感情なのか。

 

 ソレがどんな絶望なのか。

 

 そんなのは彼らには容易に解ったからだ。

 

 何故なら、それを踏み躙って来たのは彼らなのだから。

 

『オレが帰って、かーちゃんがいなくて……それで急いで戻ったら……かーちゃん……道の真ん中で死んでた……丸まって、お腹護ろうとして……妹がいて、踏まれて、ボロボロで……オレ、オレが、街区にいかなかったら……あんな奴らを友達と思って無かったら……オレは……オレは……』

 

 涙が一滴零れ落ちる。

 

『ありがとう。貴方の言葉は聞きました。では、そうですね。命乞いはまず大人達にして貰いましょうか? イエル・グエナさん。大貴族種のイエル・グエナさーん。さぁ、大切な未来の子供達の為に命乞いをして下さい』

 

 地下の男の1人が驚愕と絶望に顔を歪めていた。

 

 ガタガタと歯の根も合わぬようで唇を震わせる。

 

『貴方の区画の子供達が行った単なる微笑ましい竜の民の駆逐行為です。表彰までしたそうじゃないですか。なら、大切な子供達の為に命乞いくらい出来ますよね?』

 

『―――ッッッ』

 

『おや? それとも竜の民に謝まる事は出来ない? そうですか。とても残念ですが、どうやら子供達の命は要らないようですね。皆さん……残念ですが、貴方達の支配者は自分の民の命よりも自分の矜持を優先するそうです。では、執行し―――』

 

『待ってくれぇええええ!!? 待ってくれぇ!? 謝る!!? 謝らせてくれ!? だから、どうか!? 子供達の命だけはぁああああああああ!?』

 

『わたくしに言っても仕方ないじゃないですか。ほら、この子が納得する命乞いをして下さい。世界は誰にも優しくあったりはしませんよ? 竜の民にも、勿論、この街区や周囲の地域で生きる人々にもね?』

 

 真なる絶望を知る相手の前に男はまるで怯える子供のように歯を震わせていた。

 

『何でも、する。だから、どうか……ッッ、どうか、子供達の命だけはッッ!!? 償えと言うならッ、命は差し出してもいい!! 我が命でどうか子供達だけはッッッ!!?』

 

『なら、死ねよ』

 

 少年の怒りが降り切れていく。

 

『早く死ね。すぐ死ね。グチャグチャに踏み潰されて、血と内臓を吐きながら死ね!! かーちゃんや妹みたいに死ね!! お前の家族と一緒に死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね死ねシネシネシネシネシネシネシネ―――』

 

 ガクガクと全身を震わせながら、男が震える指で自らの刃を握り。

 

 しかし、血が流れるほどに刃を握っても恐怖のあまりに震えたまま自らに突き刺す事も出来ず。

 

『どうやら結論は出たようですね。さようなら。街区の子供達……ああ、子供は全員同じ方法で死ぬ事になっています。では、230万人くらいでしょうか。一斉にどうぞ』

 

『うぁ゛あああああああああああああああああ!!!!?』

 

『た゛づげでおがぁざぁあああああん!!?』

 

『いやいやいや、嫌だぁあああああああああああああああ!!?』

 

『殺さないでぇえええええええええ!!?』

 

『竜の子にあや゛ま゛るがらぁ!? やめでぇええええええええええ!!』

 

『やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお―――』

 

 少年は涙を零してにこやかに微笑む。

 

『死ねよ。街区の連中全員』

 

 その瞬間、全ての子供達が巨大な乱杭歯の袋の内部へと吸い込まれて猛烈な絶叫が響き渡り、ボタボタと血が滴り落ちていく。

 

 その死すら生温い絶叫が大人達を絶叫させ、世界が失意と絶望に沈み込んだ。

 

 そして、数秒後。

 

 その乱杭歯の袋から取り出された少年少女達が全身に紅い線を刻まれながらも血を流しただけで死ぬ事もなく糞尿を垂れ流す映像が周囲に沈黙を降ろす。

 

『冗談!! 冗談ですよ!! 竜の民は貴方達のように残酷ではありませんとも!! それにしても糞尿を垂れ流す程に怖かったのでしょうか? 自分達がしてきた事の方が余程に残酷で怖ろしいというのに……これは大人の教育が悪いですね。そう思いませんか?』

 

 横の少年に白い少女が聞いてみる。

 

『笑える。早く死ねばいいのに……でも、うん。ちょっとすっきりしたかも。ありがとう……フィティシラ様……2人の仇を取ってくれて……』

 

 死ねなかった男が絶望に完全に壊れた様子で咽び泣き。

 

 獣のように吠えていた。

 

『さぁ、こんなくだらない催しはもう見なくていいですから、自分に出来る事をして下さい』

 

『はい……』

 

 先程の笑顔が嘘のように少年は俯いて腕で目元をゴシゴシして、少しだけ凛々しくも苦し気な顔で駆け去っていく。

 

 それは少しだけ少年が大人になった瞬間であった。

 

『さて、次は誰に誰の命乞いをして貰いましょうか? 子供達はまだ冗談で済ませられましたが、大人はどう考えても冗談では済みませんね』

 

 感情の降り切れた街区の大人達が更に蒼褪める。

 

『そうだ。良い事を思い付きました。では、奴隷種の方々!! どうでしょうか!! 皆様に街区の人々が命請いをするというのは?』

 

 そこでようやく街区や他の地域でも捕まっていた者達が気付いた。

 

 奴隷種……彼らだけが今までの混乱の最中にも一切傷付く様子もなく蚊帳の外に置かれていたという事を……。

 

 次々に彼らの周囲には触手で映像が届けられる。

 

 それは彼らの傍にいた人々の顔だった。

 

『もしも、奴隷種の方々が貴方達の命乞いを受け入れるならば、助ける。受け入れられないならば、後で一斉処分とする。勿論、奴隷種の方々が許せば、助かるのですから。これはきっと助かる確率が高いに違いありませんね♪ だって、奴隷種は竜の民ではない。貴方達の大切な同胞なのですから……違いますか?』

 

『―――』

 

 再びの絶望に奴隷種以外の誰もが、全ての人々が絶句する。

 

 ちなみに狩り入れ場に入れるのは奴隷種以外だ。

 

 奴隷種は基本的に雑用係で何なら竜の民を痛ましそうに見ていても助けられもしないし、目を逸らす立場になっていた。

 

 だが、奴隷なのだ。

 

 どういう風に扱われていたのかはまったく50年前と変わるものではない事を白い少女は情報を集める中で確信していた。

 

『奴隷種の皆さ~ん。これから投票を行いたいと思います。初めての投票する議題は【奴隷種以外の貴族種や商人種や技能種は死ぬべきかどうか】でどうでしょうか? 勿論、皆さんの清き一票が人々の命を左右する。極めて合理的な投票行動ですよ~~』

 

 言われている事が詳しくは解らずとも誰もが何となくは理解しているだろう。

 

 今、自分達を虐げて来た者達の未来が自分の手にあるのだと。

 

『さぁ、では命乞いの時間を始めましょう。皆さん。しっかりと命乞いして下さいね。もしも、皆さんが奴隷種の方達にとって早く死んで欲しい人々ならば、皆さんの首から下は物理的になくなる事になりますので悪しからず。では、一刻程の時を与えましょう。頑張って下さいね』

 

 白い少女は広域の映像を切る。

 

「( ´ー`)良い仕事したな」

 

 一仕事を終えた様子で傍に持って来ていた水筒で水分補給して、テーブルの上からボリボリと小麦菓子を齧った。

 

 殆どは竜の民の子供達に与えてしまったので2個しかない。

 

『………』

 

 それを見ていた仲間達はもはやドン引きの様子だ。

 

 普通にケロリとしているのはフェグくらいのものだろう。

 

「どうかしたのか? ああ、ちょっと演出が温かったか?」

 

 頭に手を当てて大きな溜息を吐いたシュタイナルが白い少女の横で超絶全員が聞きたい事を聞く事にしたようだった。

 

「……最初の貴族種の家族達とはどういう契約を?」

 

「色々と真実を叩き付けて、今までやってきた事の意味と皇帝の正体を教えてやった。その上で理解出来るように竜の民の怨嗟を40万人分詰め込んだら、そりゃぁ正気に返るだろ。そして、正気に返った連中に償いをさせたわけだ」

 

「家族の延命の嘆願。その代価というわけですか?」

 

「そういう事だ。今までやってきた事への贖いが、命掛けたり、絶望したりしただけでどうこう出来るはずもないし、誰も納得しない。だから、絶望を絶望で厚化粧してみたわけだ」

 

「竜の民の殆どは途中から目を背けていましたよ?」

 

「だが、無視も出来ず声は聴いてるだろ?」

 

「………」

 

「赤子の壁は偽物だし、あの家族の床だって偽物だぞ? 本物使ってないから大丈夫大丈夫」

 

「大丈夫の意味が貴方と我々では違うのが解りました。はぁぁぁ……」

 

「だが、竜の民から不満は出てないだろ?」

 

「ええ、それは……不満には思っていないどころか。怖ろしい現実を前に表現に困る顔をしていましたが……それでも納得はしてくれているでしょうね」

 

「此処の闇は案外深いぞ。人間の醜さを煮詰めてみた感じだからな。本当の差別ってのはこういうところではよくある。常識の相違でもあるな」

 

「常識の相違?」

 

「要は同じ人間相手にでも後天的な学習によっては悪魔みたいな事が出来るわけだ。何の罪悪感もなく。何の躊躇も無く子供が人を殺して褒められる世界。正常だと思うか?」

 

「それは……」

 

「これは50年前以上の時代ならば、何処の奴隷がいた場所でも少なからず存在した現実の焼き回しに過ぎない。フェグだって、その程度の悲劇なら幾らでも知ってたし」

 

「しってるー」

 

 白い少女の上に戻って来てダラダラと幸せそうに頭にへばり付いた竜になれちゃう元奴隷少女が事実を告げる。

 

「そういう事ですか」

 

「お前らにも教えておこう。現実はこんなに甘くない。オレが知る限り、此処と同じようなところは大陸には正しく幾らでもあった。デュガやノイテは軍で行動して戦場にいたから、街中で起きてるこういうのはそんなに詳しくなかったんじゃないか? 戦争は悲惨だ。だが、悲惨であるからこそ、こういう日常的な場所で起きる差別の冷酷さと残酷さってのは案外理解し難いかもな」

 

 2人のメイド達が僅かに俯く。

 

「ん~~確かにそうかもなぁ」

 

「我々が世間を知らないというのはまぁ……頷いても良いところでしょうか」

 

 その言葉にクリーオとアルジャナが50年前の世界は一体どのような魔窟だったのだろうかと未だに青い顔のまま深呼吸する。

 

「それにしても彼らが可哀そうになりましたわ……」

 

「そ、そう、ですね。うぷ」

 

 金髪縦ロールなクリーオが汗をハンカチで拭いながら僅かに顔を俯け、アルジャナが口元をハンカチで覆って堪えていた。

 

「あの少年の話を聞いても?」

 

「そ、それは……」

 

「いえ、あれは、う……何と言えばいいのか……」

 

「それがもしも自分の家族に起きたと考えてみろ。あの子はまだ優しいぞ? オレが知る限り、奴隷があまりの横暴に耐えかねて、ああいう事をした相手を死ぬまで滅多刺しにしてバラバラにした事件は案外この数百年で1万件を超えてる」

 

「―――」

 

「人の闇が取り払われた。なんてのはプロパガンダって事だ。あの頃から大陸は左程変わってない。人間の心は特にな。お前らがこういうのを更に酷く感じるのはオレからするとかなり異常に見える」

 

「我々が異常だと?」

 

「社会の構築が上手くいったから、プロパガンダや多くの政策が功を奏したから、お前らみたいな価値観が産まれるんだ。帝国は良い国だよ。だが、その点で行くと地方の後進国にはオレや50年前の連中に近い価値観がある。デュガやノイテがお前らよりも衝撃を受けてないように帝国と低開発国じゃ感想もかなり違うだろうな」

 

「そうか? 案外、げっそりしたぞ?」

 

「ですね」

 

 白い少女のメイド達が肩を竦める。

 

「だが、クリーオ、アルジャナ、シュタイナル。お前らは顔を背けたくなるだろ? それは悪い事じゃないが、本質が違うからこその拒否反応だと思うぞ」

 

「本質が違うとは?」

 

「此処の連中と外の連中の価値観は違う。だが、どう違うかと言われれば、オレはこう答える」

 

 白い少女は軽く肩を竦めて呟く。

 

「結局、あの程度の罰で済むのか。そう思ってしまう程に日常の中、人の死が近い場所で生きていたかどうか」

 

「「「………」」」

 

「化け物と戦う時に悲惨な事があるのとは種類が違う。人生や日常の中にああいうのがゴロゴロしてるかどうかって事だ。その量は確かに価値観の違いに直結する。環境的な問題だな」

 

 白い少女は肩を竦める。

 

「さぁ、連中の世界を破壊するまでもう少しだ。頑張ってこの領域を滅ぼそう。破壊され尽した後からしか、ああいう連中は学ばないからな」

 

「世界の破壊……」

 

 シュタイナルが微妙にジト目で現在の主を見やる。

 

「正確には世界観の破壊だ。今まで白だったものが無くなれば、誰もが黒だと理解せざるを得ない。あのこちらに着いた貴族種達のようにな」

 

 こうして新たな伝説は紡がれる。

 

 巨大な街区に今、破滅の時が訪れようとしていた。


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