ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

519 / 631
第131話「煉獄を裂く者達ⅩⅣ」

 

―――帝国農協機関帝都本部庁舎内。

 

「あ、アリガドウゴザヴィマズウウウウウウウ!!!?」

 

 滂沱の涙を流している農家のおじさんおばさんと握手してから部屋から送り出した後、お茶を頂く。

 

 帝国の各地で作っている産品だ。

 

 お茶請けの菓子に使われるほぼ全ての食材が帝国内でサプライチェーンを完結し、多数の国に売り込まれている。

 

 その為、今や帝国は世界最大の農業輸出国でもある。

 

 帝都での大会議終了後。

 

 一斉に要人と会って現状に詳しい人間を説明に当てて、世界の危機をアピールした後の事だ。

 

 残す帝国内の幾つかの懸念と問題を潰す為に朝から農協の本部へと来ていた。

 

 農協機関は日本にあったものを真似た組織なのだが、実質的には研究所による生命科学分野における生物資源活用の実験組織だ。

 

 バルバロスとその遺伝資源を用いて農業の能力を限界まで強化し、来る人口爆発期における食料供給を担う世界の人口制御に直結する重要機関でもある。

 

「ありがとうございました。姫殿下」

 

 頭を下げたのは白衣の老人だった。

 

 もう120歳を過ぎているはずだが、未だ40代にしか見えない。

 

 ロマンスグレーには少し遠い程度の痩せぎすの眼鏡の男。

 

 それは嘗て自分が見ていた時と左程に違いが無い。

 

「彼らが帝国最優の農家であり、彼らによって遺伝資源が適切に育てられている以上、彼らもまた計画の重要人物でしょうから、当然でしょう」

 

「どうぞ。こちらに……」

 

 男に付いて行くと途中で農協の職員達の一部が白衣を着込んだ様子で合流する。

 

 多くは30代から50代だが、若者もちらほらと含まれていた。

 

 白衣の男達と共にエレベーターで本部の地下へと向かう。

 

 エレベーターの先の通路にはドラクーンが数名常駐していた。

 

 嘗て、食品加工場に偽装して生命倫理に抵触する生物実験を行う部署を置いたのだが、バルバロスを自在に生成出来るようになってからテコ入れしようと思っていた矢先に50年経っていたのだ。

 

 しかし、当時の食品加工の工場地下にあったグアグリスと鼠さんの楽園は廃墟になった。

 

 農協を作って高度化し、統合されたからだ。

 

 自分の死亡時の準備の一貫として計画書を残していたのだが、それに従っての事らしい。

 

 最終的に帝国内の農協支部は全て帝国と親帝国領域内で発見されたマッド・サイエンティストなパラノイア達の楽園となった。

 

 彼らはドラクーンの機能を司るグアグリスの改良と鼠のようなげっ歯類、グアグリスを用いて複製した脳以外の臓器などで諸々の実験を繰り返し、常に帝国の防衛力の強化を行ってきた。

 

「御帰還の際に此処へ全てのグアグリスの分体を集めておきました」

 

「ご苦労」

 

 通路の一角から奥。

 

 50m四方はあるだろう巨大な水槽の中には小さなグアグリスが無数にフワフワしている。

 

「この50年で特異変質したグアグリス全9000種が納められています」

 

「ドラクーンが過去の数倍強くなってるわけだ……」

 

「ええ、まぁ、どちらかと言うと強くなり過ぎないよう与えられた能力そのものを抑えております。定期的な薬物投与による自己制限機能の維持、退官後のドラクーンへの一律の能力増強も行っています」

 

「民間戦力が増えるのは良い事だ。連中が悪党に為らない限りは……」

 

「ははは、ご心配なく。悪党になったら即死ですよ。貴女がそう定めたように……」

 

 軍装のまま水槽に触れて、物質制御で硝子を波打たせながら内部に入る。

 

『おおぉ!? これが姫殿下の……研究所からの情報では知っていたが、蒼力の物質制御を此処まで見事に……リバイツネードの局長達もここまで精密には……』

 

『いやはや、君はそう言えば、姫殿下がいなくなった後に入って来たんだったな。我らの姫殿下の力に驚いていたら、幾つ体があっても持たんぞ?』

 

 騒がしい白衣連中の3分の1くらいはどうやら新規雇用なパラノイアさんらしい。

 

「……来い」

 

 グアグリスに命じた瞬間。

 

 全てのグアグリスがこちらに殺到し、次々に腰から出して前に展開していたグアグリス製の尻尾に連結、同化されていく。

 

 すぐに終わったので尻尾を吸収して水気もなく水槽の外に出る。

 

「それで? 呼んだ以上は出来たんだな?」

 

「はい。こちらの奥です」

 

 数名の白衣の男女と共に更に地下に続くエレベーターらしきものに乗る。

 

 降っていく途中に上の声が聞こえて来た。

 

 能力過剰な肉体なのでいつもは控えているのだが、基本的に危ない連中と一緒にいる時はずっと五感に関しては能力を研ぎ澄ましている。

 

『あれが姫殿下……ああ、分かる。分かるぞ……そうか。あの方は我々と同じ部分を持ち合わせているのか。なるほど……道理であの人間を止めた方々が敬うわけだ』

 

『君はまだ甘いな。人間を止めた程度であの方を分かった気になった連中が今までどうなって来たと思う?』

 

『どう、とは?』

 

『新しい聖女を創るだの。聖女の力を越えた私が世界を統べるだの。聖女を複製しただの。面倒な思想に染まって研究を悪用しようとした連中の末路がそこにあるだろう?』

 

『……水槽?』

 

『あの方のシステマティックな組織の創り方は芸術だ。嘗ても今もな。そして、我々はあの方がそうであるように人社会など何とも思っていない。いや、だからこそ、絶対者への服従はそう軽いものではない』

 

 パチリと上の何処かで音がした。

 

 施設の一部が稼働する音。

 

『―――これはこれは……これが我々の“先輩”ですか?』

 

『知恵が回る。頭が良い。利口である。全て別の力だ。彼らは聖女殿下を越えたと嘯いて、そういう違いが分からずに逆らい。システムに殺された者達。いや、生きてはいるのだがね。刑期を終えたら死んでもいいと言い渡されている』

 

『成程……結局、人間は人間という事ですか』

 

『君も気を付け給えよ。姫殿下が我ら最古参を従えた時、我らはあの方の力に勿論平伏した。だが、それは一つの要因に過ぎない。姫殿下に我々は敵わないから、こうして今もあの方の下に付いている事を忘れるな。あの方の御心に敵う人間など、いや……人間を止めてすら、そんな存在を我らは一度とて見た事が無い。もしかしたら、神に力は劣れど、あの在り様だけは超えているのかもしれんな』

 

『……我ら狂人の守護者は狂人を超える狂人と。ふふ、久しぶりに姫殿下の紙芝居でも見て来ようかという気分ですね。ああ、あの方の体を少しでも弄繰り回せたなら、命程度捧げても良いという方が大勢なのも納得です』

 

『それは君ぃ。誰だとてそうだろうとも。あの方が我らを囲った時の言葉を教えよう。『オレを超えたならば、オレを好きにしていい。だが、それまでは大人しく白衣の狂人をしておけ』……ふふ、ふふふ、無限の時間があっても、この星が終わっても、あの方に届くかどうか……いや、愉快で幸福な人生だなぁ』

 

『『あははははははは』』

 

 聞けば、げっそりしそうな狂人達の会話であるが、聞かなかった事にしよう。

 

 ちなみに自分がいない間に連れて来たパラノイアが何かしらの事件や重大な犯罪を犯した場合はもれなく人体実験に付き合って貰う旨は制約していたのだが、リージによるとそういうのはこの50年で10人もいなかったらしい。

 

 大抵は人体実験よりも生命倫理違反が酷かった連中なのは報告書で読んだ。

 

 ちなみに人体実験も自分の技術で自分の体を使う場合に限っては許可していた為、今や自分の優秀さを挙げる為に自分を捧げるヤバイ人々が此処には大量だ。

 

「付きました」

 

 エレベーターの先にあるのは大きな10m四方の部屋だった。

 

 数人の男女が同時に部屋のあちこちの壁にポケットから取り出した鍵を差し込んで回す。

 

 すると、中央の床がせり上がり、円筒形の鉱物の塊が出てくる。

 

 それが左右に割れると中央に小さな複数の支柱をあちこちから伸ばされて支えられる小さな青黒い球体が出てくる。

 

「これがそうですか……ふむふむ。遺伝子結晶。有機物の結晶化技術。公に収集できる全てのバルバロスの遺伝情報集積体。よく造れましたね」

 

「人類及び全ての生物の遺伝情報の収集と保管。そして、自在の利用を行う為のツールとしてのグアグリス……全ての有用な遺伝情報の特定と抽出、継ぎ接ぎまでは終わりました。ですが、やはり既存科学の器具ではグアグリス程の自由度が無いというのが事実でしょう。これも専用に調整したグアグリスによる遺伝子の抽出で出来たものですし、遺伝創薬による薬物開発よりも手間取りました」

 

 玉を抜き出してゴクリしておく。

 

「確かに受け取りましたよ。貴方達の成果……50年間ご苦労様でした。引き続き、バルバロス以外の方に掛かって下さい」

 

 白衣の男女が恭しく頭を下げてくれた。

 

「これはわたくしの伴侶の方達の為に使わせて頂きます」

 

「光栄です。これで我らが叡智と成果は遥か後世まで残る。ああ、それでなのですが、一つ仕事を請け負って頂けませんか?」

 

 現農協機関の長たる男が傍に寄って来る。

 

「時間はあまりありませんが、それで良ければ」

 

「ええ、実は少し厄介な出来事がありまして」

 

「厄介な?」

 

「はい。ドラクーン用の表向きの薬のレシピが盗まれまして。姫殿下に対処して頂ければ……実は今世紀最大に愚かな帝国民が1人居りまして……」

 

「愚かな、ね……」

 

「ええ、愚か過ぎて、逆に可愛く思えてくるのだから、人間というのは不思議なものですねぇ……」

 

 どうやら、やるべき事は今日も増えたらしかった。

 

 *

 

―――帝国都市群東部第23秘密研究所。

 

「ぅ……」

 

 ドラクーンの1人が倒れ伏していた。

 

 地下30m下にある地下研究所の一角。

 

 最奥の部屋の前で倒れたドラクーンを背後に砕かれ、焼き溶かされた巨大な扉の先から出てくるのはドラクーンの全身鎧とも違うスーツに装甲を付けた代物だった。

 

 仄暗い青いクリスタル状の装甲の象形はスタンダードな騎士鎧にも見えたが、その内部に奔る回路が装甲が何かしらの装置であることを教えている。

 

 背後の大きな空間が崩落し、ドラクーンと共に地中に埋没していく。

 

「くく、はは、あはははは!! ようやくだ!!」

 

 暗く青い全身鎧の男の声は未だ若い。

 

 その腰には剣が一本に肩からはコート染みた装甲で構成される外套のようなものが垂れ下がっている。

 

「このオレが遂に王として君臨する日が来た」

 

 顔の見えない若い男の声。

 

 その手に握られているのは蒼い壊れ掛けた輪のようなものだった。

 

 しかし、それを掴んだ手が胸元の装甲の一部にソレを押し込む。

 

 すると、次々にビキビキと装甲が端から増設されてかのように鎧のスーツ部分を覆い。

 

 2m程だった男の体が膨れて完全に肉体を覆う。

 

「おぉ、これが帝国の始りの力か!! 時は来た!! 戴冠の儀を執り行わねばな」

 

 クツクツと男は自信満々の高尚を響かせながら通路内部で飛翔する。

 

 瞬間、頭上にある天井そのものを打ち砕き。

 

 男の肉体は遥か上空へと飛び出ていた。

 

 男の頭上にあったのは大きな食品加工場であった。

 

 今も操業しているが、その日は丁度操業停止中であり、屋内に所員は誰もいなかった。

 

 工場の一角が爆破されたかのように吹き飛び。

 

 上空に舞い上がった男が瞬時に帝国の中央に向けて加速した。

 

「雌伏の時は終わった。我らが一族の悲願!! 今こそ緋皇帝を打ち倒し、時代遅れの聖女とやらを下して果たしてくれる!!」

 

 野心に燃える男の名はウラクト。

 

 ウラクト・メスル・イオタ。

 

 ブラスタの血族。

 

 その中でも大貴族に列せられた者達イオタ家の長子。

 

 嘗て、帝国において反大公の最大勢力を誇った大派閥の末であった。

 

 50年どころか80年の昔。

 

 帝国の緋皇帝の代わりに君臨した時の悪虐大公と政治を二分したイオタ家はアルローゼン家の実質的な予備として対抗馬の立場を取る帝国のブラスタ貴族主義における飴。

 

 つまり、諸外国に対しての優しげに見える表の顔であった。

 

 その裏では時のアルローゼンの大公との権力争いに敗れ続けていたという事実こそあるものの。

 

 基本的には緋皇帝に認められた家である。

 

 だが、アルローゼン家の廃滅を願いながらも、裏からの工作に失敗し続けていたという点では少し残念なところがある。

 

 だが、アルローゼン大公に浮ついた話が無く。

 

 同時にまた表向き子供を儲けなかった事から、50年前の時点で将来を約束されたはずの一族でもあった。

 

(だが、我らの高祖父も祖父も父も誰もがあの女に屈した……)

 

 政治的な解決能力においては帝国でも重要な家であったイオタ家であったが、いきなりアルローゼン家に血族がいるという事実が明るみになった五十数年前。

 

 慌てて確認したら、母親らしき女が彼らの手の届かない国外へと逃がされた後。

 

 アルローゼン家には1人の赤子が彼らの怨敵と共に住んでいた。

 

 その赤子はたった数年で少女の姿となり、彼らがどういう事なのかと首を傾げている合間に北部を統一して同盟国として引き入れ、西部を改革後は独立国としながらも安定化させ、東部の戦乱を終わらせ、人々に奇跡を齎し、聖女と呼ばれ、数多くの改革を成功させる事となった。

 

 そう聖女の出現で彼らは正しく窮地に立たされたのだ。

 

(我らが一族の無念こそは帝国の正しき未来……)

 

 このまま最後まで勝てなかった大公が死ぬのを待っていれば良かった彼らの夢は儚く散って。

 

 その代わりに聖女による貴族派閥解体や地盤固めと同時に次々に彼らとも繋がりのある後ろ暗い関係者達が帝国中央から排除された。

 

 こうして勢力は強制的に縮小させられていった。

 

 それを何とか政治的に止めさせようと暗躍したが、大公のみならず。

 

 時の帝国陸軍大将の家を筆頭に軍の高官の多くがコレに乗らず。

 

 また、帝国改革の中で聖女を貶めようという勢力そのものが次々に潰されていく事で親族達は萎縮して従順となる事を選ぶ者が続出。

 

(本来の帝国はもっと力強く。惰弱なる者や奴隷を国民等と呼ばう事も無かったはずなのだ。それを……我らブラスタの血族の偉大なる血筋を何故に見知らぬ奴隷や移民共に分けねばならないというのか!!)

 

 結果、貴族閥としての力の維持が出来なくなったイオタ家は事実上は位を維持してこそいたが、他貴族の勢いや聖女派と呼ばれる貴族達の台頭で相対的に力を失っていった。

 

 イオタ家の方針は明確だ。

 

 ブラスタ貴族制における絶対的な寡頭制と鉄血強国としての支配を確立する事。

 

 そういった思想を持つ者達の教育の精粋たる彼は正しく一族最後の期待の星だ。

 

 この50年で聖女派を駆逐するどころか負け続けたイオタ家。

 

 彼らは今や単なる企業経営をする商業貴族の一員にまで成り下がった。

 

 しかし、嘗ての威光と企業としての儲けは未だ根強く。

 

 貴族社会の顔の一つとしては成り立っている。

 

 帝国内の機密に接する立場と同時に一定の勢力を保ち続けた末に巡って来た機会。

 

 聖女の帰還という未知数はあったが、それでも計画は決行された。

 

 家に列なる者達による数十年前からの仕込みは完璧に機能した。

 

 そして、今の帝国議会を掌握する方策もまた法律面の話を含めても最終的には勝者が全てを得る為の陰謀が張り巡らされている。

 

 緋皇帝への合法的な決闘の申し込み。

 

 聖女への非合法の帝国への政治干渉に対する非難決議と拘束する為の各種法令違反の告発。

 

 帝国議会の議員団の一部はこれらを承諾済みであり、決して若さに逸ったわけではない。

 

 ウラクトはそもそも天才の名を欲しいままにしてきた神童でもあった。

 

 勉学をやらせれば、博士まで届き。

 

 スポーツをやらせれば、どのような種目でも世界大会最上位層に食い込む。

 

 幼い頃からの戦闘の修練は正しくドラクーン相手にも引けを取らぬ力を彼に与えたし、帝国の技術を学び取って来た彼は今や自らの家の所有する企業体の技術力と超重元素の組み合わせでドラクーンの鎧を自ら生み出し、改良を加える事すら出来る。

 

 最終的に帝国技研の一部機密情報を取得し、ドラクーンの力の一端すらも薬という形で事前に手に入れたのだ。

 

(蒼の欠片。彼の聖女が制御出来ぬと捨てた部位。時の陸軍大将の日誌を手に入れ知ったコレさえあれば、如何なる敵も倒し得る。そうだ……例え、聖女がどれほどに化け物であろうとも、神世の力を持っていたとしても、同じ力を以て相殺するならば、後の違いは自力のみ)

 

 彼は天才だ。

 

 そして、それを鼻には掛けるが努力を怠らぬ男だ。

 

 如何なる準備も怠らない。

 

 違法ではあったが、ゼド機関を小型化して自らの鎧に組み込み。

 

 空間と時間を超える槍や剣で武装する彼は正しくドラクーン相手にすら一騎打ちで勝つ程の実力。

 

 グアグリスによる遺伝的な強化すらも企業経由で手に入れた彼にとって、もはや過去の遺物など自分の覇道を塞ぐ壁でしかなかった。

 

「待っていろ。クリーオ……戴冠の暁にはお前を迎えに行く」

 

 親戚筋の彼とお見合いをした事のある少女。

 

 頭脳明晰にして彼に相応しい品格を備えた彼女。

 

 その名前を呟きながら、彼は更に帝国を我が物とする為に帝都中心部へと加速するのだった。

 

 *

 

―――帝国議会裏【緋皇帝の館】

 

 歳若い男女が嘗ての時代から変らぬ顔でこちらに頭を下げる最中。

 

 久しぶりに直に会う皇帝は乗馬用の衣装に身を包み。

 

 ワインを嗜んでいた。

 

 屋内にいる黒猫と対面しながら。

 

「マヲー」

 

「お前が此処にいるのか……」

 

 思わず本音が出た。

 

「ははは、よく来た。久しぶりだな。若き皇帝よ」

 

「まだ、戴冠もしてないのですが。というか、驚きましたよ」

 

「それなら重畳。馬鹿共が先に逝ってしまってからは此処に来る連中も消えて行って、今では連中の子孫が年末年始と誕生日に個人的な訪問をしてくれるだけでな」

 

「そのせいで暇を持て余した挙句。ドラクーンを毎日虐めているとか?」

 

 猫を掴んで肩に載せる。

 

「老人に優しくて助かるな」

 

「それで猫相手にお酒ですか」

 

「構わぬだろう? 尊きものが時折来ては進捗を教えてくれるのでな」

 

「進捗?」

 

「お前の話だ」

 

「………」

 

 ジト目で黒猫を見やると口笛を吹き出した。

 

「愉快愉快。それで皇冠の類でも貰いに来たか? そこの戸棚に転がっているが」

 

 部下達の顔が明らかに困った顔になっている。

 

「そんなものが欲しいなら、自分で作りますよ。陛下」

 

「それもそうか。ちなみに年寄りの冷や水くらいは帝都を護ってやるぞ? ん?」

 

「それはバイツネード侵攻時にお願いします。いないよりはマシですので」

 

「これで老後の楽しみが増えたな」

 

 ワインを口にした皇帝はニヤニヤしていた。

 

「何かそのような顔をされるような事がありましたでしょうか?」

 

「ようやく伴侶を得ると聞いたぞ。この黒猫に」

 

 ジト目で黒猫を見るとまた口笛で誤魔化された。

 

「ついでに愛人を十人以上程囲う予定です」

 

「帝国も安泰か」

 

「政体が変わっている以上、お世継ぎ問題みたいなのはありませんし、好きにさせて貰いますが、それでもそういう発想になりますか?」

 

「先の事は分からぬとしてもお前はそこらの王達のように血を分けた連中をおざなりに育てようなんて事もあるまい?」

 

「勿論ですよ。今なら40万人くらいなら普通の人生を送らせてやれるくらいの資金はありますし」

 

 こちらの言葉に部下達が逆に吹き出しそうになっていた。

 

「あっはっはっはっ!!? 愉快愉快。子孫繁栄もそこまで来れば、もはや本当に聖女の一族とでも言えるようになるな」

 

「この世界を引き受けると決めたのです。自分の血筋くらいはまともな人生を送らせるくらいの特典、有りでしょう?」

 

「好きにせよ。我らは去り行く老兵。今際に見る夢が良きものならば、ヤツらへの土産話も捗るというものだ」

 

「そう言えば、怪物卿と呼ばれたあの方に最後の贈り物を貰いました」

 

「ああ、ヤツが言っていたな。そう言えば……」

 

「未だ大陸で公式に発見されていない超重元素の塊でした。三つ……それもこの世界を超越した存在達の依り代になっていると思われる特別な物です」

 

「この黒猫のような? あるいはその腕に憑いているモノのような?」

 

「ええ、今回の時間変動を引き起こした存在の依り代と思われるものが一つ。更にわたくしが確認した限り、この手の侵食痕と同じと思われる物質が一つ。最後にアグニウムと似ている何らかの存在と関わっているらしきものが一つ。どれも今は研究所内の地下格納庫でドラクーンの最上位層に警戒させています」

 

「そこが一番安全だろうな。そう言えば、小指を失って研究所の連中に貰ったんだったか?」

 

「ええ、今後は指を失わなくても四つの力相手に戦えそうです」

 

「ふふ……ヤツも粋な事をする。若者に大問題を押し付けていくとはな」

 

「構いません。それが力になるかどうかは我々の実力次第でしょう」

 

 一杯やるかとワインの瓶を降られる。

 

 一献くらいは付き合おうかと思った時だった。

 

 空を高速で飛翔する物体が庭に面した部屋のバルコニーの外に見えた。

 

 庭に落ちて来たソレの衝撃で周囲が猛烈な突風に揺れる。

 

「どうやら来たな」

 

「どうです? 陛下から見て彼は?」

 

「そうだな……若い頃の副官になら欲しいタイプだ。だが、政治はダメだな。アレだと早晩帝国が滅ぶのが目に見えるようだ。精々、剛健の治世を強いても300年行かぬな」

 

「どうやら同意見のようで」

 

「どれ……年寄りが相手をして来ようか」

 

「そう言うだろうと思って此処に来たのでお年寄りは大人しく若者に道を譲っておいて下さい」

 

「五十年いなかった若者の含蓄とは思えんな。くくく」

 

 そこで庭から大音声が響く。

 

『そこに坐しますはアバンステア帝国皇帝。緋皇帝と大公家長女とお見受けする!!』

 

「見受けも何も我が家だが?」

 

「普通、陛下くらいになると大抵は影武者に生活させてますよ」

 

「本当か?」

 

「ええ、歴史書曰く。陛下のように悠々自適に過ごして、宮殿には影武者を住まわせる者も食わせ者には多かったとか」

 

「成程。この身はどうやら食わせ者には程遠かったようだ」

 

 喋っているとイラッとした波動がにわから伝わって来る。

 

『我が名はウラクト・メスル・イオタ!!! イオタ家アスラ・イル・イオタの息子!! 帝室典範第103条3項の適応を求めに来た!! 緋皇帝は帝国法に則り、我が決闘を受け入れよ!! この決闘の敗者は勝者へ帝国憲法によって皇帝の位を譲り渡すものである!! また、そちらの大公家長女には警察権力の私物化!! 帝国陸軍の私物化に対する弾劾訴追に同意する事を求める!!』

 

 皇帝は玩具がやって来たと言わんばかりに愉し気だ。

 

「おいおい。真っ当な事を言い始めたぞ!? あの小僧!! いやはや、時の俊英とはああも生きが良いものか♪」

 

「魚じゃないんですから」

 

 護衛達も溜息一つ。

 

「こちらで決闘は引き受けます。同意署名を」

 

「解った」

 

 テーブルの上に出した書類。

 

 帝室御用達の公式文書用の代物にサラサラと皇帝陛下がサインする。

 

 あちらは懐から書類を突き出していたので、こちらもこれで対外的な理由としては大丈夫だろう。

 

「では、失礼」

 

 バルコニーから跳んで相手の前に向かい。

 

 書類を片手で突き出す。

 

「帝室法第103条12項の適応確認を求めます」

 

『つまり、貴女が皇帝陛下の代理人として決闘に望むと?』

 

「ええ、今日はそのつもりで来たので……」

 

『なるほど、我らの動きを見通していたか。やはり、ドゥリンガムやガラジオンの連中と同じ能力を……』

 

「自分が持っているなら、誰かも持っている。そういうものですよ」

 

『聖女殿下。オレは帝国を取りに来た!! イオタ家はこれより帝国に君臨し、本懐を遂げさせて貰う!!!』

 

「ふむ。決闘に望む意気込みは買いましょう。ですが、貴方と戦うにはこの庭では狭過ぎます。あの広い射爆場を決闘の現場として所望するのですが、同意されますか?」

 

『いいだろう。何を仕掛けていようとこの決闘の勝者が帝国を導く事となる。如何なる手も我が力の前には無力と知って貰おう』

 

「解りました。では、承諾という事で」

 

 バルコニーの方を振り返る。

 

「陛下。今日はこの辺でお暇させて頂きます」

 

「我が酒の肴に期待する」

 

「文章で酒が飲めるというのですから、陛下は十分に食わせ者ですよ」

 

 明日の新聞にワクワクしている皇帝である。

 

 毎日、新聞を読むくらいにはお爺ちゃん気質らしい。

 

 テーブルには今日の朝刊がしっかり置かれていたりした。

 

「くくく、さて……それはどちらかな」

 

 肩を竦めたこちらとあちらのやり取りにまたイラッとした波動が感じられる。

 

 どうやら真面目系らしい。

 

『では、付いて来て貰おう。そちらは?』

 

「このままで構いません。自分で移動します」

 

 言っている間にも周辺にはドラクーンが集まって来ていたが、笑顔で首を横に振ると一礼してから下がっていった。

 

『フン。権力を私物化する者の何処が聖女だ』

 

「権力で理想を叶える王道な方にも解り易く言えば、信頼と実績です」

 

『……実績など幾らでも後から作ろう』

 

「信頼が無い事に対しての謙虚な姿勢は買いましょう」

 

 瞬時に相手が飛んだ。

 

 それに後ろから浮遊して相対速度を維持したまま付いて行くと更にイラっとされたらしい。

 

 凡そ数分で先日テレビ番組のネタにした巨大な大穴に着いた。

 

 中央にゆっくり降り立つと丁度昼過ぎの太陽が穴を大きく照らしていて。

 

 周囲には付いて来るドラクーンも無かった。

 

『ドラクーン共を予め下がらせていたな』

 

「ええ、不用な争いは好みません」

 

『次期皇帝から降りろ。貴様は帝国を軟弱にし、その血を穢した。我らの理想は帝国を今よりも強く。そして、同時にその思想はやがてこの星を強き者の楽園とするだろう』

 

「イオタ家。興国期にはその勇猛さで将軍職となったブラスタの血族の過激派。いえ、王道の貴族と言うべきでしょうか」

 

『その通りだ。今のような懐柔策で他国を従える生温い帝国に未来は無い。やがて、多くの国々が帝国に反旗を翻し、リセル・フロスティーナは瓦解する』

 

「良い線を読みますね。ふむ……悪くない現実の把握能力です」

 

『舐めているのか? このオレを……それにその言い草は……まさか、瓦解する事を見越して統一を……』

 

 肩を竦めて、蒼力で土から鉄の椅子を作って腰を下ろす。

 

「統一政体が作られた事そのものが重要なのですよ。それが崩壊しても出来たものはまた出来る。そういう事実の積み重ねが必要なのです」

 

『積み重ねだと?』

 

「これから幾星霜の時が立とうとも人類文明が滅んでいない限り、統一政体は如何なる時代にもまた造られる事でしょう。人々が覚えているならば、必ずそうなる。それが人類文明の発展に寄与するならば、組織の興亡など些細な話ですよ」

 

『ッ……スケールが違う。それが貴様の真意か。聖女』

 

「そもそもですが、何故大陸に統一政体を創ったかは分かりますか?」

 

『四つの力に対抗する以外にも意味があると?』

 

「ええ、根本的に人類というのは解り合えない人々が多い。それが多数派だった世界が嘗ての時代ですが、今はそれが逆になっている。その希少な時代に最低限のリスクで人類規模での規格を整えるのに必要だったからです」

 

『最低限……』

 

「単一思想による世界統一というのは基本的に圧倒的な内政力と軍事力が無ければ、維持するのが不可能なのですが、多数派を基礎とする民主主義国家の連合でもそれは基本同じ。ただ、多文化の統合ではなく。多文化の継ぎ接ぎを自然な改善として施せるなら、根本的に統一の労力が易く済みます。互いの文化の良いところを取り入れて文明を発展させるというのが理想ですね」

 

『易くだと? どの口が……帝国が移民や奴隷共を国民化するまでどれだけ国家予算を食われたか解って言っているのか?』

 

「やれやれ。不完全な合理性の罠というものですよ。それは……」

 

『不完全な合理性?』

 

「この世には完全な合理性は存在しない。しかし、不完全な合理性ならば、幾らでも存在する。適所でそれを使うのならば、多くの場合は成果を上げます。しかし、寡頭制を筆頭にして社会内部での歪んだ合理性の過剰適応は不完全な部分の弊害がとても多い。貴方の掲げる理想では最終的に今まで払われて来た資金や労力とは比べ物にならない代価が必要になります」

 

『………』

 

「貴方の言う合理性は奴隷や移民なんてブラスタの血族に加えるべきではないというのが結論ですよね? その方が美しいし、今の血統の美徳を保っていられるから」

 

『そうだと言ったら?』

 

「その場合、生物の適応淘汰は必ずしも優秀な血筋だけが残るわけではない。と、言えば解りますかね」

 

『何だと?』

 

「ブラスタの血族や他の国土内の民族の血筋的な能力は人工的に蒼の欠片で付与されたものですが、それを保護する意味は左程ありません」

 

『何を言っている!?』

 

「血統の力はそもそも血族の血の濃さで決まるモノではなく。その因子の保有限度量の限界で決まるからですよ」

 

『な、に?』

 

 相手の声が初めて引き攣った。

 

「簡単に言えば、血統に組み込まれた遺伝子の力が薄れているのはそもそも遺伝子に働き掛けている力の限度量が遺伝子の中で最初期よりも低減しているから。後、3000年もせずにブラスタの血脈の能力は消えますよ」

 

『―――』

 

「そして、同時に優性遺伝的な部分での血統の能力が無いブラスタや他の二民族にとって今が血族の能力的には絶頂期だと思われます」

 

 色々と調べた結果である。

 

 当時は遺伝子的なものではなく。

 

 文献調査をしていたのだが、長年の生理学研究のような事は帝国でもなされていたらしく。

 

 それらを照らし合わせるとそういった結論になった。

 

「さて、生物は環境に適応する者が生き残る適者生存の原則によって種を保存しているわけですが、その能力に対しての差異というのは種の保存そのものに関わったとしても、必ずしも優秀な者が生き残れるわけではないという事実があります。まだ、この大陸には無い知識です」

 

『………ッ』

 

「優秀な方で助かります。まぁ、つまりですよ。必ずしも現実的な環境変動や生活環境の激変などに適応出来る種だけが残るわけではないのです」

 

『今の常識は―――』

 

「わたくしがその常識、学問を推し進めたのですが?」

 

『!!』

 

「例えば、巨大な大陸で絶滅が起きても小さな島程度の生活圏を維持出来る場所では絶滅した遺伝子を持つ生物、適応可能な因子を持つ生物が特殊な進化を遂げており、生物が多様に生き残っているとか。ありがちですね」

 

『それが何だと言うのだ!?』

 

「貴方が気付いた通り。今までの結論を繋げると種の保存、ブラスタの血脈の純度なんて言うものは単純に薄れていく程度のものでしかないし、種を保存する、血筋を残すのは生物の本能的な原則以上の範囲で思想の理論補強に使っても意味が無い。種の能力そのものを保存するのに必ずしも役立たない」

 

『そんな事は……ッ』

 

「優秀な個体が種を残すのと劣等な個体が種を残すのは同列とは言いませんが、必ずしも大きな視点で見た場合は残り易さの割合的なものでしかないし、それも限界環境下では確率の問題です」

 

『限界環境。そんなものはこの時代にな―――』

 

「有るでしょう? 四つの力が正しくソレですよ。その力による環境の激変によって片方が必ず全滅し、片方が必ず残るようなものではない。そういっているわけです」

 

『く……』

 

「今から巨大隕石が落ちて来て、私と貴方のどちらが死ぬのかを論じても、直撃するシェルターにいるか。隕石の影響がない場所にいるかという選択だけで適者生存の考えはひっくり返ってしまう」

 

『貴様は何が言いたい!!?』

 

「気付いている事を聞くのはルール違反ですよ。それでも聞きたければ、答えを述べましょう」

 

 相手の喉が鳴った。

 

「ブラスタと他二民族の能力は神の力の欠片を使っただけの種の能力とは違う紛い物。人類という種族で見ても1万年も残らない極限定的な人口ボーナス期や天才、秀才を多くを生み出すだけの代物に過ぎず。ブラスタの血族を他の人類と比べて生物的に永続した地位を確保する高等種族と見るのは無理がある」

 

『我々は実際にこの大陸に覇を―――』

 

 そこで押し黙るくらいには利口らしい。

 

「個人の利益を最大化するブラスタの血族はいても、種そのものの利益を最大化する血族は個人の思想や主義主張でしか発生し得ない。そして、わたくしはその後者にして、ブラスタなどという小さな集団ではなくコレを人類規模で始めた人間なわけです」

 

 全て今まで自分と周辺が働いて来た結果であって、ブラスタの血脈の能力は今までの成果と殆ど関係が無い。

 

 帝国が強大であるのは確かだが、それは下地として優秀であっただけで、別の場所でも同じような事をするし、時間は掛かってもそうなるように戦っているはずなのは間違いないのだ。

 

 そして、聖女の仲間は帝国人以外が多く。

 

 多種多様というのはよくよく言われているらしい。

 

 実際、紙芝居では人種なんてものは誰も気にしていない。

 

 それを相手が知らないわけもない。

 

「生き残るのは大枠での生物の特性と個体の優劣に起因、更に生存環境の違いに由来するものであり、同じ人類という点で見た限り、奴隷も移民もブラスタの血族との差は個人の優劣が少し上下する程度のものであり、一時代の台頭という点であれば、今までの人類史が辿って来た中で隆盛した種族や国家と然して変わるものではないのですよ」

 

 どうやら相手も理論武装してはいたようだが、切り口がそもそも違うので反論は出来なかったようだ。

 

「ブラスタの血族を保護する理由が優勢遺伝学的なソレであるならば、貴方のやろうとしている事はまったくブラスタの血族の為にならない。始めたものとして断言しましょう」

 

『理由を言え!!!』

 

「そんなの決まっているじゃないですか。わたくしがそもそもこの事実に何となく気付いてからブラスタの血脈や他二民族、ボーナス期を得た血族を大陸中にばら撒いて同化政策を行っているからですよ」

 

『な―――?!!!』

 

「移民政策、難民政策は国家条約に基いた国家間での相互政策だと知っておられますよね? その事実はわたくしからすれば、答えそのものであり、移民や難民を迫害したりするのはまったく不合理極まりない結論なのです」

 

『移民政策が同化政策だと!?』

 

「ええ、せっかく人類の意識や規格を統一し、戦争から解放しようという一大計画を創ったのです。それを貴方は逆に潰そうというのだから苦笑するしかない。これを浅はか、無智、蒙昧、愚かと言わずに何と呼べば?」

 

『こ、この―――!!?』

 

「無論、貴方が知らないだけでわたくしの支援者の方や後援者の方達の一部は知っています」

 

『こ、のッッッ?!!!』

 

 手を出し掛けて自制が働いたらしい相手が震わせた拳を握る。

 

「いいですか? 50年前にもう計画は遂行されました。帝国は今や世界最大の版図を誇る超大国で各国は帝国に移民する者よりも移民される事を歓迎しています。帝国最優層の流出は“問題にしておけ”と言っていたのですよ。一番初めの頃からね」

 

 現代、帝国における支配の弊害は帝国の優秀層が他国に流出する事。

 

 と言われて久しい。

 

 だが、現地で元帝国人が威力を振るって改革を推進する様子は人々から羨望の眼差しを受けているという事実でもある。

 

「これは血筋の輸出。そして、帝国の血が他国に入る事で人類の数を増やしながら、帝国への信頼を元にした大陸の全ての民族に対する“帝国式”の輸出でもある。正に一大事業でしょう?」

 

『………』

 

「本来、同化政策というのは自国内や属国内で行うもの。他国では通用しない。けれど、大陸最大の人口を誇る帝国が他国に善意と共に血筋を輸出する事はやがて最終的には3000年と掛からずに大陸人は帝国人であるという事実を人々が知らぬ間に実現する最良の侵略方法でもあります」

 

『侵略、だと?!』

 

「帝国式を実践し、現在の帝国人の優秀層と同じ能力があれば、別に統一政体のトップが何処の国から出ているかなんてのはどうでもいい話では?」

 

『それで納得するというのか!? 貴様は!?』

 

「混血化政策は同時に大陸の未来の女性達に対しての性的な能力のお裾分けであり、医療制度で賄えないブラスタの血族特有の資質とされる力で大陸の女性の悲惨な現状を改善し、出産時の死亡率の低減や性病への罹患率の低下を共有する事も含まれます」

 

『それは傲慢以上の何かだろうッ―――』

 

「ええ、でしょうね。ですが、実際に救われているのは数字で出ていますよ。ついでに言えば、多くの女性達が今や帝国式の正しい知識で嘗てのような死や女性特有の病や現実に悩まされる事は少なくなっている。3000年もすれば、その能力が消えても医療技術でそれらも賄えるでしょう」

 

『ッッ』

 

「いいですか? 優秀で一国を治める程の帝国の思想が入った人間が多数の子供を儲けて、彼らが作り上げる他国の社会が成熟する。そして、純血の他国人よりも混血の帝国人が世界最大の人口を有し、彼らが其々の国で今の帝国と然して変わらない生活を送り、他の純血の人々と仲良く暮らし、同じような判断をする。そうなれば、それはもはや帝国と同列に語って良い存在なのでは?」

 

『それで、本当にそれでいいと言うのか!? 貴様は!?』

 

「何が問題なのでしょうか? 文明の主体とは人間で人間の中身に付ける名前に然して意味はありません」

 

『何ぃ!?』

 

「民族だの種族というものは変わっていくものです。そもそも帝国人も大本は北部と南部の混血人種が祖であるというのはこの五十年で学術的にも知られたこの世界ではスタンダードな見方だと聞きましたが?」

 

『くッ』

 

「何ならわたくしはその頂点に立つのが犬であろうと猫であろうとバルバロスであろうと受け入れますよ。彼らが今の帝国と同じく“まともに帝国をする”ならね?」

 

「マヲー?」

 

 『帝国式ってなーに?』みたいな声をさせた猫が未だ傍にるが、聞かなかった事にしておく。

 

 まだ神様な黒猫に帝国式は早いだろう。

 

『―――』

 

 もはや相手からの反論は無かった。

 

「これで貴方の優生学的な民族主義に付いての不合理の指摘は終えましょう。それで何なら貴方はわたくしに勝っているのですか?」

 

『……どうやら、見縊っていたのはオレのようだ』

 

「ですが、もう決闘は始まってしまった。貴方の準備不足は貴方が補うしかない」

 

『いいだろう!! ならば、貴様の言う神の欠片とやらを使って互いに決死の優劣を付けよう!!』

 

 思わず溜息が出た。

 

「貴方はどうやら天才で秀才で努力家のようですが、そこらの狂人達に愛されるくらいには苦笑される存在のようです」

 

『貴様の欠片の力は使わせん!! 今から鎧を取りに行こう等とは言わんな!?』

 

「ええ、勿論。生身でお相手しましょう」

 

『傲慢!! 我が鎧と欠片の力を前にして大増上慢か!!?』

 

「お先にどうぞ。ただし、都市に被害を出さぬ事。それが決闘の最低限のマナーですよ」

 

『何処までも舐めた女だ!! 解らせる必要があるようだな!! 女ぁ!!』

 

「女性には優しくというのは紳士の基本です。そうやって他者を見下し、女呼ばわりしているからお見合いで見限られるのでは?」

 

『貴様ぁ!!?』

 

「ああ、わたくしに関しては適応しなくて結構ですから」

 

 暗い青色の鎧がその場から飛び上がる。

 

 瞬時に上空を取った相手がこちらが余裕綽々で待っている様子にビキビキと青筋を立てて、最大威力の攻撃を使おうと胸元のレヴナント。

 

 神の残滓とも言われている“蒼の欠片に似せて作った紛い物”の能力を全開にした。

 

 瞬時に周囲の空が蒼い燐光で満たされ、その集約と共に蒼力と呼ばれている力が小型のゼド機関を内包した槍に集約し、正しく大地を貫く巨大な光の槍を形成していく。

 

 120mはあるだろうか。

 

 その力の集約による暴風雨が大穴の周囲で荒れ狂い。

 

 望遠レンズ付き双眼鏡で覗いているドラクーン達の半数程が騒めいていたが、半数くらいはお茶や菓子パンを片手に観戦している。

 

 片方は50年以降の新人で片方は50年前からいる古強者だ。

 

 その落差こそが全てを物語っていたが、同じモノを感じているはずのお坊ちゃんは気付かなかったらしいので仕方ない。

 

 舐めているというのはその通りなのだが、その理由を懇切丁寧に遠回しで教えたにも関わらず気付かないので相当頭に血が昇っているのだろう。

 

『避けられるものなら避けて見ろ!! 防御出来るならしてみるがいい!! 時空を捩じ切る機械槍【エテルニタス】!!! 貴様が嘗て使ったものを再現した代物だ!!』

 

 どうやら、いつの間にかそんな名前が付いていたらしい。

 

 資料でチラリと見た記憶はあるが、ゼド機関が付いた槍以上のものではないので個人的には名前は付けるに値しなかったのだ。

 

 男の鎧に翼が生えた。

 

 蒼力の燐光が集まった翼が燃え上がるように肥大して、その力を物理量、エネルギーとして槍に集約していく。

 

『おぉぉお!!!! あの傲慢なる女に裁きの一撃をッ!!! 【エテルニタス】!!! オーバーライド!!! 』

 

 蒼の翼が消えた瞬間、乗り移った蒼力が放たれた槍に乗って瞬時にこちらの頭上に迫る。

 

 正しく眉間ど真ん中。

 

 投擲の才能はあるらしい。

 

 そして―――光が世界を満たしたのだった。

 

 *

 

 世界は凪いでいた。

 

 昼間の血統は未だ僅か日が傾いたのみで続いている。

 

 しかし、世界は静まり返っている。

 

 静まり返っていた、が正しいだろう。

 

 大穴の遥か上空で皇帝になろうという男は喚かずにはおれなかったのだから。

 

『何を、貴様何をした女ぁああああああああああ!!!!?』

 

 大穴の中央で少女は指先一つ動かす事もなく。

 

 それどころかずっと上空の暗い青の全身鎧を見上げていた。

 

 全力。

 

 そう、初手で己の全ての蒼力と欠片の力を使って引き出した力を合わせて束ねてゼド機関一つを犠牲にして放たれたあらゆる空間を捩じ切り、どのような時間障壁も貫き、km級のアウトナンバーすらも一瞬で滅ぼすだろう槍の一撃が消え去っていた。

 

 正確には当たる寸前に分解されたかのように跡形もなく消滅した。

 

 その余波らしい蒼い燐光で穴の底は煌々と輝いていたが、少女を無傷だった。

 

 あまりの事に呆然として叫んだのも瞬間の事。

 

 瞬時に音速を越えて相手の懐に潜り込んだ鎧が残る剣を振りかぶって一刀両断しようと剣に蒼力とゼド機関の力を込めて振るい。

 

 アウトナンバーの時間変動や空間障壁すらも両断する一刀が振り下ろされる寸前でピタリと止まる。

 

『ぐッ―――何故だ!? 何故、動かんのだぁあああああああ!?』

 

「ふむ。これならお茶を持って来れば良かったですね」

 

『舐めるなぁああああああああああああああああ!!!?』

 

 蒼力が瞬時に練り上げられ、あらゆる物質を破壊するエネルギーへと転化して相手に向けられて、フッと消え去る。

 

『このぉおおおおおおおおおおおおおお!!?』

 

 だが、諦めない男が超接近戦で無防備な顔に拳を叩き込もうとしてビタリと拳がその寸前に止まる。

 

『何だ!? この力はぁ!? 何故、我が体が止まる!? 蒼力もゼド機関の反応も無い貴様が!? 何故、オレの力を止められると言うのだ!!?』

 

 力は持っているが隠蔽している。

 

 だが、聖女と呼ばれる彼女がそれを言うまでもなく。

 

 何もしてないのは事実だ。

 

「負け犬の遠吠えという言葉は知ってますか?」

 

『おのれぇええええええええええええええええええええええええええ!!!?』

 

 ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。

 

 心技体揃った猛烈な打撃のラッシュが少女の頬を打ち抜こうと迫り、腹を砕こうと迫り、胸を貫こうと迫るが、やはり全てが紙一重どころではない距離で止められて、その余波すらもまるで最初から無いかのようにそよ風の如く少女の軍装を揺らすのみだった。

 

『何故だぁ!? クソォオオ!!? 貴様は神だとでも言うのかぁ!!? 何故、当たらん!? 何故、止まるぅぅ!?』

 

 それはまるでボクサーがシャドーボクシングをしているかのような。

 

 あるいは寸止めで遊んでいるかのような。

 

 そういった滑稽さすらある光景だった。

 

 だが、本気の本気の本気で自らの力を尽くして攻撃し続ける男の顔色は鎧の内部で蒼褪め、畏れの内に感情も今までの矜持も何もかもを呑み込まれていく。

 

『嘘だ!? 嘘だ!? 嘘だ!!? こちらの感知に何一つ掛からない防御方法など有るわけがない!!? この威力の集中がどうして解ける!? 何故、オレはこんなにも疲れてい―――』

 

 そこで男は気付く。

 

 気付いてしまった。

 

 自分が今までにない程に疲弊している。

 

 そう、今までの自分の実力ならば、絶対に此処まで疲弊していないはずなのにどうしてか。

 

『何だ……何だソレは!? 何を、貴様?!! オレに何をしたぁああああああああああああああああああ!!!?』

 

 さすがに内側から零れ落ちた恐怖。

 

 いや、畏怖に塗り潰された男が悲鳴のように絶叫を挙げた。

 

「何をした? おかしな事を聞きますね。全て“貴方がやった事”でしょうに。ね?」

 

 ニコリとされて、男が背筋に暗い何かを突っ込まれて魂を剥ぎ取られるような怖気に捕らわれる。

 

 いつの間にか。

 

 白い少女は黒猫をヨシヨシと肩の上で撫でていた。

 

「貴方はとても優しいのですね。わたくしに向けた槍を自分で壊し、わたくしに向けた拳を自分で止め、わたくしに向けた能力も威力も全て自分で打ち消す。貴方こそ紳士の鑑かもしれません。ふふ」

 

「マヲー♪」

 

『―――ッッッ』

 

 男は喉を干上がらせる。

 

 ようやく確信を得ていた。

 

『オレを操るだと!? 万死に値するッッ!!?』

 

「操る? まだ解っていないのですか。何とも……天才、天才ですか……狂人連中なら、この時点でとっくの昔に気付いているでしょうが、そこが彼らに愚か呼ばわりされてカワイイと称されるところですか。なるほど……」

 

『何を、言っているッ』

 

 男の声は震えていた。

 

 彼の視界は歪んでいた。

 

 汗に?

 

 いや、今もガタガタと震え出す彼は汗くらい自分で制御出来る。

 

 今、彼の内側から湧き上がるのは真なる絶望だった。

 

 周囲から天才と称され、それを現実として刻んで来た彼が今まで一度とて知らなかった感情。

 

 それは男を内部から矜持毎ズタズタにボロボロに引き裂いていく。

 

「聞いていなかったのですか? 先程、わたくしは言いましたよ。帝国の血脈。その力が如何なるものであるかを。それをどうして知っていると思いますか?」

 

『ッッ』

 

 男の顔に絶望が濃くなる。

 

 それは天才故の理知による理解だったが、あまりにも人間染みた絶望であった。

 

「勿論。普通に調べて普通に利用するだけ研究したからですよ」

 

『り、よう、だと……っ』

 

 その軽い言葉に込められた深淵を彼は覗き見た気がした。

 

「嘗て、わたくしが行った奇跡。グアグリスによる大診療は人々の命を繋ぐ為のものでした。ですが、それと同時にちゃんと生きられるようにある程度の改造を施すものでもありました」

 

『ッ―――』

 

「遺伝子レベルでの継ぎ接ぎですよ。そして、わたくしには人の心理を司る叡智と技術に覚えがあった。どのような人間が前頭葉の能力を低下させ、どのような人間がどんな心理誘導に掛かり易く。どのような人間が暗示を受け取り易く、どのような遺伝子を持つ者が、どんな心理的適性を持つものなのか。そういうあれこれに詳しかったのです」

 

 男の頬を初めて汗が伝った。

 

「専門家ではない貴方にも解り易く言うとですね。帝国で初めて遺伝子の存在に言及し、帝国で初めて研究し、帝国で初めて成果を出したのはわたくしです。グアグリスという遺伝子を好き勝手出来るツールがあってこそのものでしたが、それの利用はわたくしが力を手に入れた最初期から色々とやっていました」

 

 少女は微笑む。

 

「人々には冬場寒い地域に住まう者ならば、脂肪を蓄えつつも内臓脂肪が付かないように遺伝子を改造したり、寒暖差が激しい場所なら、外部気温に左右され難い肉体に改造したり、高度化する文明の中心地なら保存料や着色料、その他の健康被害を長期摂取で引き起こしそうな物質に対する薬物耐性や体内からの短期間排出、肉体の労働に対してのストレス軽減、他にも色々やりましたね」

 

 男を唾を呑み込む。

 

 もはや、攻撃する手は止まっていた。

 

「研究で知識が高度になってくると更に遺伝子を複雑に組み合わせて操作するとある程度の危険な状況での遺伝子の活性化による対応能力の底上げとかも出来るようになったりしたのです」

 

 少女はニコニコである。

 

「例えば、外傷を受けた場合の血が止まる作用を増進して、即死を免れるようにしたり。どう考えても即死の状況ならば、痛みを感じず瞬時に致命傷で事切れるようにしたり、水辺で溺れたら、瞬時に昏倒して酸素の消費量を抑えると同時に代謝能力を限界まで下げて、水を肺が吸い込まないように呼吸が制限されたり、火傷なら完全に修復されるようにケロイドが時間経過で治せるようにしたり出来ますね。内臓疾患とか。そもそもの病気に成り易い遺伝体質みたいなのを次世代に引き継がないようにしたりとか」

 

 少女はニコニコである。

 

「無論、大診療だけでは不可能でしょう。ですが、帝国にはグアグリスによる万能薬があった」

 

『ッッッ』

 

「帝国の万能薬の製造が未だに最重要機密なのは何でだか知ってますか?」

 

 男は知らない。

 

 それを知ろうとした者達の多くが秘密を知る前に牢獄へブチ込まれるか。

 

 もしくは国外追放になったからだ。

 

「簡単ですよ。帝国製万能薬は今言ったような遺伝子情報の変質を引き起こす上に生殖細胞内にその能力を遺伝させるように書き加える機能があるんです」

 

 男の膝が崩れ落ちる。

 

「これはわたくしが複製体として創ったグアグリスのオリジナルだけが持つ能力で分体には引き継がれません。そして、この能力の良いところは遺伝子改良による不具合がほぼ0な事です。これはグアグリスを創った方に感謝せねばならないところでしょうね」

 

 黒猫がいつの間にか消えて彼の目に今度は彼女の背後で幼女が首を傾げ、自分を見ている様子が映る。

 

「ただ、これの不具合に関して重大な欠陥が一つだけ。複製体のグアグリスはわたくしの能力で生み出したもの。そして、グアグリスが遺伝子を操作するのは基本的には本体を保護する為なのですよ。そして、この場合の本体とは……」

 

『………やめろ』

 

 それは懇願にも聞こえた。

 

「わたくしです。わたくしが本体である為、全ての帝国製万能薬を生み出すグアグリスは本体保存の原則によって必ず遺伝子薬に私を護る為のコマンド。この場合は各種遺伝子によって生み出される全ての蛋白質、全ての生態に対しての最優先命令を遺伝子そのものに権利として書き込むのです」

 

 いつの間にか。

 

 幼女の手にはメロンパンが握られており、モリモリと齧られている。

 

 その様子は栗鼠のように愛らしい。

 

「わたくしの存在はその後も変質し続けました。ですが、それでも不具合が解消される様子は無かった。遺伝子に刻まれたコマンドの複雑さはわたくしにも当時は読み取れませんでした。しかし、今ならそこそこ見えますね。要はわたくしの個人情報の塊みたいなものをコマンドとして遺伝子に書き込んで認証しているようです」

 

 メロンパンには牛乳とばかりに小さなパックからストローで白い液体がちゅーちゅーされている。

 

「結果を言いましょう。この大陸において帝国製万能薬を1度でも使った人間及びその子孫の全てはわたくしに対しての間接直接のあらゆる害ある行動の実行に制限が付きます。同時にこの効能は当時心理学を用いていたわたくしの影響を受けて、人間の心理に作用する脳内環境を構築するホルモン、蛋白質の全ての遺伝子において即時発現するようです」

 

 メロンパンが無くなると今度はクリームパンが取り出されて齧られ、2人のやり取りを最前席で観戦し始める。

 

 その下にはビーチ・チェアまで備えられている徹底した観戦力を幼女な神様は発揮していた。

 

「まぁ、殆どはわたくしの前だけで発現しますが、緩い発動ならば、わたくしが伝えた常識や社会的な通念に関しても効くようだというのが研究所の見解ですね。ああ、最重要機密ですよ?」

 

 少女が膝を着いた男の前に屈む。

 

「ちなみに帝国がただ同然で配った帝国製万能薬一瓶200mlの12ダース1セットを1個計算で50年間輸出した量は出産前、出産後の乳児の状態保全の予備摂取以外だと傷病に使われたのが凡そ300億個分。寒村、農村、地方集落、大都市、何処でも今は常用されるレベルですが、基本的には重病者や遺伝病の患者。更に生活に支障を来すような症状に対して使われており、この大陸でそれを使った事の無い人類の子孫が生き残っている確率はほぼ0です」

 

 クリームパンがモッチャモッチャされる。

 

 背後に溜息を吐きたそうな少女が瞳を細めた。

 

『………不滅の、不滅の指導者にでもなったつもりか』

 

「馬鹿馬鹿しい。わたくしは自分が幸せだと思える生活を手に入れたら、自分のした事の責任は取りつつも指導者層からは降りる予定でしたよ」

 

『何?』

 

「それは今も変わりません。そもそもわたくしにとっての皇帝という位は当座の間に起こる各種の人類の滅亡案件を防ぐ時に使う肩書程度の意味しかない。緋皇帝陛下もそれくらい解っていますよ」

 

『……何だと言うんだ。五十年前に消えた女が今更、今更ッ!!』

 

「五十数年生まれて来るのが遅かったですね。敗北感に打ちのめされているところ悪いのですが、決闘に負けて頂けますか?」

 

 その言葉で遂に男は両手を地面に着いた。

 

 自分の意志とは言い難い程の誘惑。

 

 脱力、開放感への期待が次々に男に圧し掛かったのだ。

 

 早く手を付け、手を付けと。

 

 地面にそのような魔力があるとでも言わんばかりに。

 

『オレは……オレは……ッ』

 

「まずは自分を見直すところから始めてみるのをお勧めしますよ。多くの場合、その人の問題というのはその人自身の問題であるというのが人生の本質です」

 

 まぁ、よくある話だと少女は思う。

 

「完全にランダムな事件事故以外の問題は大抵がソレです。人間関係ですら、自分が被害者だと思っていたら加害者だったとか。自分が知らぬ間に問題の一端を担っていたというのは珍しくも何ともない話なのですから」

 

『………………』

 

「お昼も過ぎた事ですし、わたくしは家に帰って昼食にします。貴方はまず非合法活動をした事の責任を取った後、出頭するなり、権力で揉み消すなりして下さい。これは命令ではありません。貴方の人生への最初で最後のアドバイスです」

 

「揉み消すと言っておきながら、か……」

 

 呟く最中に鎧の兜が取られた。

 

 若いが、確かに貫禄のある顔。

 

 何処か歳若い猛獣を思わせる顔付きは獰猛な牙を抜かれたかのように絶望よりも尚深い深淵を見てしまったと言わんばかりに憔悴と畏怖に支配され、まるで老衰寸前の老人の如く相貌を疲弊させていた。

 

「責任を取るのが権力者。そして、権力を乱用するのは権力者の嗜みです。乱用の仕方が間違っていたり、おざなりなら石を投げられ、素直に殺される。まずはその覚悟からですよ。ウラクト・メスル・イオタ」

 

「く、くく、くくくく……ドラクーン共が静かなわけだ。クソゥ……ッッ」

 

「勘違いして欲しくないのですが、わたくしはわたくしを殺せる戦力をいつでも使えるように置いています」

 

「何だと!?」

 

「ドラクーンに使用する薬というのは肉体、遺伝強化だけのものではない。わたくしを殺す事が出来るようになるものでもあるのです」

 

「?!!」

 

「普通の人間に殺される程に弱くない以上、その代理人は必要でしょう? 彼らがわたくしを悪だと断じたならば、わたくしはいつでも石を投げられて死ぬわけです」

 

「―――自分を殺す力を育てていると言うのか!?」

 

「当たり前でしょう。政治的な思惑や社会の為に死なねばならない事もあるかもしれない。その時、死ねないのでは政治をしている意味が無い。死に方をちゃんと用意しておくのは50年前なら然して珍しいものでもない王侯貴族の嗜みです。亡国の王が煽る毒の代わりみたいなものですよ」

 

 嗤う男の瞳に涙が零れる。

 

 ガチガチと歯が震えていた。

 

「ああ、それとこれはおまけしておきましょう。泣くならせめてもっと綺麗な涙になさい。今の貴方のような見苦しい男の涙など何一つ動かせず覚悟にすらならない。女性の涙ならまだ一考の価値はありますが、生憎と女の武器で戦う男はいないでしょう?」

 

 完全に地面に頭を付けた男が絶叫し、投げやりな程に強く拳で地面を叩いた。

 

 その拳の力で僅かに地面が凹み。

 

 小さなクレーターが出来る。

 

 それを見届けて背中を向けた少女が穴の外に歩き出すと背後からは地面を叩く音が何度も何度も響き。

 

 それは少女が迎えに来たドラクーンに連れられて穴の外に出てからもしばらくは聞こえていたのだった。

 

『……何か可哀そうに思えて来たよ。彼が』

 

 迎えに来た完全武装のドラクーン。

 

 顔は分からないが声だけで解るだろう相手。

 

 フォーエの言葉に聖女と呼ばれる少女は微笑む。

 

「一度折れた天才の方が手強いかもしれないぞ?」

 

『完全敗北じゃないか。どうやったら、あの状態から立ち直れるのか僕には見当も付かない』

 

「ドラクーンの上位層になってれば、教科書に書いてあるだけの事実だけどな」

 

『彼、元々ドラクーン志望だったんだよ。まぁ、心理調査庁の人達に完全却下されたから、即日不可の烙印を押されてたけど』

 

「だろうな。ああいうのは本当に50年以上前にいて欲しい人材だ」

 

『君に人材呼ばわりされたら、発狂するかもね。いや、ドラクーンの上位層になる時は物凄く皆悩んでたけど。自分が聖女を殺す刃で良いのかーって』

 

「いいんだよ。オレが暴走した時に止められない戦力は求めてない。あの男も使えるか使えないかで言えば、使える人材だ」

 

『君ってやつは……はぁぁ(*´Д`)』

 

「かなり、必要な場面が限られるだけでストックしておくのは何ら問題無い。そいつが面倒な問題さえ起こさなきゃな」

 

『まぁ、だからこそ、ドラクーンは君に首ったけなんだけどさ……ドラクーンの独身率に一役買い過ぎじゃないかな。君のせいで告白したのに振られた女性を少なくとも100人以上知ってるよ?』

 

「それは本気で悪い事をした。今度聖女の名の下に合同の見合い企画でも進めよう。いや、マジで」

 

「覚えてたら、事務局に連絡しておくよ」

 

 部下の溜息を吐かれながら、本日のメインイベントを終了した少女はイソイソと自宅に戻っていくのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。