ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第127話「煉獄を裂く者達Ⅹ」

 

 ドラクーンの反乱事件から4日。

 

 後始末は終わったが、連日連夜アルローゼン邸の周囲には大量のマスコミが詰め掛けていた。

 

 一応、個人記者などにも内部の撮影は違法である事を明示したので外部からの盗撮をしようとする輩は軍警察の完全武装な小銃所持を見て、押し黙った。

 

 だが、一般報道単位でルールを守りながら、ギリギリを狙う輩は後を絶たず。

 

 結局、面倒になったゼイン達は全員がリーフボードでお買い物に行ったり、通販使ったり、空飛ぶ小型艇で出入りするようになったので報道はガッカリ……するかと思いきや。

 

 リーフボードを使うゼイン達の一族のパンチラ目当てなデバガメな人々は数こそ少ないが、それなりにいた。

 

 空飛ぶメイドさんなる言葉が電子空間上でも流行語になっている様子だ。

 

「うぅ、勝てなーい」

 

「勝てないでー」

 

「白旗だよー」

 

 朱理とエーカとセーカがこの数日で神様タッグにメッタメタにされて白旗を挙げたのだが、それ以外の古からの伝統的TRPGとやらをさせたらなんか普通に楽しそうにしているので対戦ゲームをさせるのが間違っていたと言うべきだろうか。

 

 ちなみに帝国のみならず。

 

 世界中の新聞と報道の事件翌日の紙面は1面から3面まで全て聖女特集……だったらしい。

 

 帰って来た聖女。

 

 という話は何か特大の爆弾だったらしく。

 

 テレビ報道局はこの数日ずっと聖女特集を組んでいる。

 

 まぁ、飽きるのも早いだろうと問題視していない。

 

 アルローゼン邸もしばらくすれば、人気も掃けるだろう。

 

「こんな感じか……」

 

 台所で試作していた料理。

 

 お菓子をモクモク食べて味見を終えた後。

 

 遊興勢へメイドさん達に持って行って貰い。

 

 研究所に詰めてる教授達や仲間達にも配送を依頼。

 

 リバイツネードで貰ったお面を付けて、外に出る事にした。

 

 ゼインから貰った外套は玄関先に掛けてあるが、一回外に行く毎に選択してくれているらしく。

 

 いつでも卸し立てのような感じだ。

 

 いつもの軍装に羽織ってメイド達に外に出てくると言い置いて出発する。

 

 時速800kmで瞬時に離陸するとあっと言う間にアルローゼン邸は後方に流れ去っていった。

 

 これなら報道も追い掛けては来ないだろう。

 

 OSの開発はこの数日で3割くらい出来ている。

 

 マシン言語を読み込みながら、この世界のプログラムも学んでいたりするので速度は遅い。

 

 が、常人230人が毎日22時間労働したくらいの成果は出ているので問題は無い。

 

 まぁ、仕事中のお部屋は触手と瞳と手が乱舞する魔境なのでゼインくらいしか今は出入りしていないのだが、このまま行けば、マガツ教授製の端末を使えるようになるのも時間の問題だろう。

 

 高速でリバイツネードの本部の敷地内のビル。

 

 一番高いビルに着陸すると。

 

 今日はゼエゼエしたシュタイナル隊長が待っていた。

 

「何故、息を切らしているのか訊ねても?」

 

「貴方がいきなり来るからと未来を見る連中に1分前に此処へ来るよう言われたからですよ……はぁはぁはぁ……1km先の喫茶店で紅茶を飲んでいた最中と言えば、ワカリマスカ?」

 

 相手の顔は引き攣っている。

 

「それは申し訳ない事をしました」

 

「それで今日はどのような御用件で? 世間では例の事件が猛烈に報道されてますが……」

 

「リバイツネードというよりもリバイツネードの敵に用があって来ました」

 

「敵? アウトナンバーですか……」

 

「ええ、捕まえた献体が地下に封印されて研究されてるとの話は聞いていたので、それの見学と中身を覗きに来ました」

 

「中身を覗く?」

 

「あんまり見ていて気持ちの良いものではないですが、一緒に来ますか?」

 

「今、此処から逃げ出して、また理不尽な移動命令が下るよりはマシだと思いたいですね」

 

「では、付いて来て下さい。局長に入る許可は頂いています」

 

 こうしてエレベーターで一階に降りて地下研究施設がある一角に向かう事にした。

 

 途中、やはりシュタイナル隊長と歩いてる軍装姿のこちらを見て、ヒソヒソする女子が大量であったが、根本的に人気者でモテるのだろう本人はげっそりしていた。

 

「付き合ってると噂になっていましたね。彼女や婚約者の方がいれば、申し訳なく思います」

 

「生憎と一人身です。戦闘技能を突き詰める青春に恋愛事情は一欠けらも入る余地がありませんでしたから」

 

「仕事が忙しい人達の病ですね」

 

「一番忙しいのは間違いなく貴女の護衛なのですが……」

 

「今後も幾らか来る事になると思います」

 

 溜息を呑み込んだシュタイナル隊長を連れて研究棟の一部に入ると白衣の男女が内部で歩いていたが、すぐにこちらを確認してダラダラ汗を流し始め、ビシッと最敬礼で通してくれた。

 

 事情はしっかりと理解してくれているらしい。

 

 屋内の中心部にあるエレベーターに乗って、指定の地下階に向かう為に階数を番号にしてポチポチとコードを圧すとガゴンッとエレベーターが真横に動いた後、別のレールに載せられて何か螺旋階段上のレールをクルクルと回って地下に付いた。

 

 扉が開くと左右には数名の白衣の男女が畏まった様子で頭を下げており。

 

「ご来訪。お待ちしておりました。姫殿下」

 

 そう、一番老いたているだろう老女が声を掛けてくれる。

 

「初めまして。フィティシラ・アルローゼンと申します。本日は急な来訪を受け入れて頂きありがとうございます。リバイツネード地下研究室の方々には感謝を……」

 

「いえ、我らの研究など今は観測ばかりで。アウトナンバーの構造や特性の解析は10年以上前から事実上頭打ちでしたので」

 

「では、さっそくで悪いのですが、献体を見せて頂けますか?」

 

「はい。ええと、そちらは確か……シュタイナル隊長でしたか。姫殿下に選ばれたというのならば、大丈夫でしょう。言わなくても分かっていると思いますが……」

 

「一切の口外無用は存じています」

 

「解りました。では、こちらに……」

 

 研究者達と共に地下研究所を案内されて、二分程歩く。

 

 すると、大水槽と掛かれた矢印の先に向かった。

 

 角を曲がると確かに大水槽と呼ぶに相応しい円筒形の巨大な水槽の周囲を回る回廊と研究設備が見えてくる。

 

 内部に捕らわれているアウトナンバーは未だに光を放っているようだが、その周囲を蒼い燐光が縛るように封鎖していた。

 

「【蒼力】を持つ者達が交代制で常に捕縛しています。今まで捕まえた献体は150体。五十年間で数える程と言っていいでしょう」

 

 老女が解説をしながら、資料を手渡してくれる。

 

「この大水槽が個体に反比例するように大きいのは時間変動に巻き込まれない為の処置です。現在、捕まえているのは10m級。最下級個体ですが、基本的に肉体に特別な『緑炎光(トゥールスチャ)』と呼ばれるものが取り憑いていない限りは単なるバルバロスに過ぎません」

 

「それも蒼力と同種。もしくは互いに干渉可能な力として扱えるわけですか」

 

「はい。場に干渉する事で相手の時間変動そのものへの干渉を不安定化させたり、打ち消したりするのが確認されており、根本は時空間変動内に特定の現象が起きるのを阻害する効力があると考えてよいでしょう」

 

「この献体は消費しても?」

 

「構いません。どのように扱うかは知りませんが、局長から好きに使えと」

 

「では、遠慮なく」

 

 土神の力を全身に巡らせて、そのまま水槽内部に入る。

 

『何と!? 土神の能力をそのように?!!』

 

 蒼力で縛られている獣型のアウトナンバーに近付いていき、頭に触れる。

 

 そして、一気に内部のものを引き抜いてソレがどういう状況下を確認した後、安らかに眠れるよう分解しておく。

 

『お、おぉ、まさか、バルバロス内部から取り出す事が出来るとは……』

 

 戻って来るとシュタイナルの顔が蒼褪めていた。

 

「あ、あれは……あれは……っ」

 

「基本的にバイツネードのバルバロスに関しては情報規制が敷かれています。当時、この事実に気付いた人間に対しても帝国が最重要機密指定と共に口を噤むよう通達を出しました」

 

「人間……」

 

「バイツネードが用いるバルバロスの一部は嘗ての超人を作る為の手法。人間にバルバロスの一部を移植するというのとは逆の事が行われていました」

 

「ッ―――バルバロスに人間を……」

 

「どうして、そのような方法を取っていたのか。今まで不明でしたが、この体で初めて確認してハッキリ分かりました」

 

「まさか、長年の疑問が解けたのですか!? 姫殿下!?」

 

 老女に頷く。

 

「バルバロスに人間を移植したというのは間違いなようです」

 

「は? どういう事でしょうか?」

 

 首を傾げる老女にバルバロスを指差して見せる。

 

「抜け殻……いえ、ですが、緑炎光も消えている?」

 

「もう少しで元に戻るでしょう」

 

「元に戻る?」

 

 獣型のバルバロスが水槽内部で血潮を噴出しながら、ゆっくりと体積を減らしていった。

 

 それが形を取った時、老女の目が見開かれる。

 

「―――そう。そういう事、ですか……何ともバイツネードというのは本当に怖ろしい相手なようで」

 

「どういう事です!? アレは……アレは……ッ」

 

 シュタイナル隊長が脂汗を流しながら絶叫した。

 

「アレは人間でしょう!!?」

 

「昔から不思議に思っていたのですよ。バイツネードの特異な技術と言っても、バルバロスに人間を簡単に移植して活動させるなんて出来るものなのだろうかと」

 

 人型を取ったバルバロスだったものがすぐに形を崩して血潮と細胞の残骸へと変化していく。

 

「ですが、五十年前に見ていた事が日常的に行われてたなら納得です。大襲撃時、帝都と大陸の上半分に向けて放たれた弾道弾。ソレは150万人の人間を使ったバルバロスの種だとあちらは言っていた……」

 

「聞いてはいましたが……つまるところは……」

 

 老女に頷く。

 

「ええ、バイツネードが用いるバルバロスの大半は恐らく人間をバルバロス化した後、それに人間の理性を載せる為に頭部を移植して使っていた、という事なのでしょう」

 

 シュタイナルが絶望的な顔で固まる。

 

「つまり、人造バルバロス。最初から自分で作っているならば、簡単に移植出来るのも納得でしょう。アウトナンバーは人間二人分の内の理性を残した頭脳に例の存在の一部が取り憑いて強化された個体……ついでに言えば、人間もアウトナンバーのような状況に成り得るというのが此処での機密……違いますか?」

 

 資料を捲っているとすぐにその項目に行き付いた。

 

「……御慧眼です。それに付いては更に機密保持の観点から局長からの話があると。此処で説明を受けたら来るようにと仰せ付かっています。それにしても……人造バルバロス。そんなものを作れる存在がいるとは……」

 

 資料を慌てて捲ったシュタイナルが更に研究所の機密内容を確認して思わずフラリと倒れそうな程に資料を握る手を震わせていた。

 

「四つの力は元々がバルバロスを産み出せる、そのようなものです。もっと早く気付くべきでした」

 

「アウトナンバーは結局人間だったわけですか。遺伝子検査ではバルバロスに変質したままだったのでまるで気付きませんでした。人間の頭部を引き抜こうとすると今までは生化学的な反応で爆発するようにされていた為、引き抜いた後の観察が出来ていなかったのですが……」

 

「疑問は氷解しました。五十年前の大襲撃で使われた150万の反帝国連合の兵士達がいきなり変容して液体状になったという話も恐らくはバイツネードによるバルバロス化前の準備段階なのでしょう。それをいきなり広大な面積で行えるとすれば……脅威ですね……」

 

「やはり、バイツネードとの決戦計画は必須という事でしょうか?」

 

 老女に頷いておく。

 

「相手を逃がさず。こちらの構築した戦場で倒す。それが出来なければ、今の人類の総人口ほぼ全てがバルバロス化される可能性すらある」

 

「この結果を元に更に色々と調べてみましょう。こちらに何か出来る事はあるでしょうか?」

 

「人造バルバロスの戻し方は調べておいて欲しいところです……コレを」

 

 土神の能力と蒼の欠片の能力で掌に小瓶を生成する。

 

 その内部にはクラゲさんが浮いていた。

 

 遺伝子組み換え用の座位群を内包する万能薬。

 

 これを生成するグアグリスを適当な瓶と水と共に内部の質量から生成してから相手に手渡す。

 

「グアグリスです。育てて使って下さい」

 

「おぉ、これが聖女の、蒼の欠片のお力ですか。成程、バルバロスすらも生み出すとは……」

 

「人造バルバロスが人間ならば、遺伝構造を復元する事が出来るはず……これが創る万能薬で捕獲したアウトナンバーから人間を分離する前に元に戻せるか。同時に分離しながら人間に戻せるか。今後の被害を減らす為にも思い付く限り試して頂ければ」

 

「了解致しました」

 

「ちなみに先程のは頭部を分離する際に内部で劇的な変化を齎そうとする遺伝子の働きを阻害してみた結果です」

 

「何と!!? 万能薬以外の力で遺伝子の急激な組み換えまで行えるのですか!?」

 

「このグアグリスの万能薬にはその効能も付与しておきました。頭部を引き抜かれた後、一気に崩壊した事から見ても、何らかの仕組みが遺伝子以外にも分子化合物や体内器官として生成されている可能性があります。そこのところを重点的に調べて頂ければ」

 

「承りましてございます。姫殿下のお心遣いと自らのお力の一部をお貸し下さる慈悲に一同感謝を……」

 

「未来に貴方達の力がきっと必要になる。どうか、大陸の人々の為、よろしくお願い致します」

 

 頭を下げると白衣の男女もそれに倣った。

 

「では、わたくしはこれで」

 

 こうして地下研究室を後にして地表に戻って来るとシュタイナルの顔は蒼褪めていた。

 

「どうですか? 真実とやらを見た感想は?」

 

「……どうして、そのように平然としていられるのか。それが何よりも知りたいところです」

 

「自分の傍にいる人々にああなって欲しくないからですよ」

 

「その為なら人の感情すら捨てると?」

 

「感情を捨てたりはしません。ですが、怒りや哀しみは人の瞳を曇らせる。先入観や感情だけで世界を見るのは簡単ですが、それは自分の傍にいる人々に対して誠実とは言えないでしょう」

 

「誠実?」

 

「わたくしが彼らを導き。一番上に立っているのです。なのに、その人間が自分に出来る限りの事をしないというのは誠実とは言えない」

 

「出来る限りの事……それは感情で取り乱して、真実を理解しないという事ですか?」

 

「それもあります。ですが、最も重要なのは後悔しない事です。あの時、少しでもこうしていれば良かった、なんて思いながら絶望したり、死んだりするのは嫌じゃないですか」

 

「………」

 

 ニコリとしておく。

 

「アウトナンバーは幾らでも倒して来ました。小さいものから大きなものまで。ですが、それを今更人殺しだったと言われて……せめて隊長らしく取繕えない自分というのも情けない話です」

 

「他言無用は当然ですが、何よりも貴方が躊躇しない事です。例え、アウトナンバーが子供の声で助けを求めても断固として殺す。例え、アウトナンバーがどれだけ哀れな悲鳴を上げても決して容赦しない。今の貴方に求められているのは決して優しさではないとうのは覚えておいた方がいいですね」

 

「……そうでなければ、何も守れないと?」

 

「当然でしょう。バイツネードというのはそれこそ悪意の塊みたなところがあるので。その程度の小細工で1人殺せると知れば、貴方以外の誰にだろうと同じような事をするかもしれない。自分以外に死傷者を出すならば、隊長失格ですよ」

 

「それは……」

 

「いいですか? 例え、それが本当に助けを求める声だろうと、誰かの願いだろうと……己の傍にいる誰かに代えられたものではない。それを忘れないで下さい。全てを救う事は出来ない。しかし、せめて自分の傍にいる誰かくらいは救える人間であるべきです。人の上に立つならば」

 

 こちらの言葉に沈黙したシュタイナル隊長はどうやら考えさせられたらしい。

 

 だが、基本的に世界が優しくないのは現実でしかないので納得してもらうしかないだろう。

 

「………貴女程の力を以てしても、どうにもならないものですか?」

 

「わたくしが万能なら今頃バイツネードの本家を落していますよ」

 

 大きく息が吐かれた。

 

「解りました。その御言葉は心に留めておきましょう」

 

「今日はこれがメインでしたが、局長にも聞かねばなりません。恐らく、アウトナンバー化した人間の件をこちらに押し付けたくてうずうずしているでしょうから……」

 

「……まったく、今日は知らなくて良い事を知る日だ」

 

 同感だ。

 

 が、仕事は何も減ってないので結局やる事が詰み上がるのは目に見えていた。

 

 局長のところまで行くと様々な理由からアウトナンバー化した人間がいた事と同時にその被害者の大半が狂人と化して未だに大陸で問題行動を起こしている話が資料の束と共に寄越された。

 

 曰く、時間変動で送り込んだ戦力のいる現地と連絡が取れない。

 

 何処かの誰かさんがどうにかしてくれないかなぁ、という仕事を上司に丸投げする部下の鑑みたいな悪い顔のマルカスおじさまであった。

 

―――数日後。

 

「帰ったよ!! フィー」

 

「お帰りなさい。親友」

 

 邸宅に空から二人乗りのリーフボードで帰って来たのはブラスタ女碩学院の制服によく似たブレザーにスカート……昔より丈が短くなってるような気がするソレを着込んだ元生徒会長だった。

 

 朝食を終えた後に庭先から駆け寄って来る掌には何やらメモリらしきものが握られている。

 

「案外、遅くなったようですが、何か親族の方達とありましたか?」

 

「いや、違うんだ。えっと、在籍してた時に傍にいた子達を覚えてる?」

 

「ええ、顔も名前も分かりますが……」

 

「あの子達が今もサークルをしているって話で親族の人達と色々と今後の事を決めた後に皆が訊ねて来て、それでこの五十年で女学院がどうなったのかをお孫さんや娘さん達も交えて聞いてたんだ」

 

「それで泊まりになったと?」

 

「うん。あの大襲撃時から帝都でも学校の殆どは休校していたらしいんだけど、政情が安定した後は再会したんだって」

 

 差し出されたのは白い便せんが幾つも束ねられたものだった。

 

「手紙ですか?」

 

「うん。五十年越しの、ね……」

 

 背後からは興味津々な様子の少女達が食後のお茶を嗜んでいる。

 

「見せて頂いても?」

 

「君の為に持って来たんだよ?」

 

「解りました……」

 

 それから1時間程掛けて数十枚の手紙を庭先の東屋の下で読んだ。

 

 どれもこれも少女だった頃のような筆跡だったかもしれない。

 

 だが、その多くは感謝の手紙だった。

 

 ユイヌと共に消えてしまった為、当時は混乱を来した学園だったが、生徒達が自主的に講師達と学園の内実を立て直し、青空が戻る日を夢見て、沢山の卒業生を送り出したらしい。

 

 ユイヌの庭弄りは伝統となったし、時々生徒達に振舞っていたお菓子を今度は下級生に振舞う行事が出来たり、ユイヌと一緒の石像が今は庭には建てられている。

 

 その後もきっと帰って来ると信じて学籍をそのままにしてくれたり、貴族の子女としての在り方をユイヌやこっちをモデルとして倫理や道徳、その他の学校の気風として取り入れたり、聖女風の化粧として侵食痕を真似たものを代々の生徒会長や最優秀者は入れる権利があるとか。

 

 笑ってしまうような、あるいは涙すればいいのかという賢明さがそこには書き連ねてあった。

 

 見知った講師が聖女を育てた女教師として伝説になっていたり、彼女の一族の子女が代々学園に通って講師職を歴任していたり、時間の流れを感じずにはいられなかっただろう。

 

「……頑張ってくれていたのですね。皆さん」

 

「うん……僕達の館も毎年掃除したけれど、品物も何もかもそのままにしておいてくれてるって」

 

「そうですか。政治面でのゴタゴタはこの数日で片付けておきました。我々の戸籍や諸々の資産や遺産相続その他の法的な問題もリージが共に処理してくれたので、後は個人的な問題の解決に動ける状態です」

 

「ごめん。自分の事ばっかり……」

 

「いえ、わたくしの今までやってきた事に対する清算でしたから。今後も忙しくはなりそうですが、学院に顔を出すくらいはしましょう。館に置きっぱなしにしていた道具や諸々の資料も必要ですしね」

 

「僕に出来る事はある?」

 

「大将閣下亡き後の学園地下から続く大隧道の管理は現在、帝国陸軍が行っているようですが、今も機密指定されています。アレは大将閣下の資産として登録されていたらしく。管財人からは管理者の指定がわたくしと貴方になっていたとの事で……そちらの方をやって頂けませんか?」

 

「僕が?」

 

「ええ、後数か月経たず、バイツネードに対する攻勢の第一段として彼らが用いる歪曲空間と呼ばれる特殊領域への侵攻とアウトナンバーの掃討が開始されます。その戦力を一気に送り込むのに地表よりも地下が適しているらしく」

 

「もしかして……」

 

「ええ……今現在、大隧道の一部に資材を運び込み、基地化と同時に物資の集積を開始しています」

 

「それを僕に?」

 

「我々……いえ、わたくしの代理人としてこちら側で仕切る人間が必要なのです」

 

「うん。解った。つまり、基地の建設と雑務に君の意見を現地で反映させればいいんだね?」

 

「はい。通常の軍には任せられない部分もあるので。信頼出来る人間が現地にいないと何事も上手くゆかないでしょう」

 

「謹んで。その仕事受けるよ」

 

「ありがとう……その……それに際して貴方に受け取って欲しいものがあります」

 

 そっとユイヌに小瓶を差し出す。

 

「これは?」

 

「……後方とはいえ、軍事基地を任せる手前、何も準備させずにとは思いません。そして、貴方は普通の体です……」

 

「もしかして、これって……」

 

「ドラクーンの肉体を創る為の薬をこちらで改良したものです。肉体と精神の強化。ドラクーンとは違って寿命すら消える代物です。飲んだ場合は後から追加の薬も渡す事になります」

 

「寿命すら……」

 

「アウトナンバーによる時間変動が無ければ、そこまでしなくても良かったのですが、もしもとなれば、百年や千年、一万年では済まない誤差の可能性すらある為、仲間の誰かが事態に呑み込まれた際の事を考えて造った物です」

 

「それを、僕に?」

 

「貴女が1人目です。今後、仲間達に配る予定ですが、呑むかどうかは個人の判断にわたくしが従います……」

 

 こちらを見たユイヌが少し瞳を潤ませていた。

 

「……そう言えば、聞いてなかったよね。君は……人間を止めたって言うけど、それって……」

 

「事実上、人間らしい寿命は存在しません。もしかしたら、経年劣化で死ぬ可能性もありますが、少なくともそれは人間の寿命が追い切れるような間隔でない事だけは確かです」

 

「そっか……もう君の生きる時間は他の人達と違ってたんだ……」

 

「ユイ。決めるのは貴方です。これはとても意地悪な言葉でしょうが、自分の命の長さは自分で決めるべきであり、理由はともかくとしてその決断だけは悔やまな―――」

 

 小瓶が、煽られた。

 

「ふふ、馬鹿だな。君を置いて先におばあちゃんになって死んだら、悔やんでも悔やみ切れないよ」

 

「ユイ………」

 

 ギュッと正面から抱き締められる。

 

「君が行く果てまで付き合うよ。ううん。そうさせて欲しいんだ……僕の女神様」

 

「………心は男ですよ?」

 

「いいよ。僕だって、心は女だもん」

 

 悪戯っぽい笑みが零された。

 

「解りました。ユイヌ・クレオル……貴女をわたくしの代理人として任じます。盗み聞きしているボランティアの方々を30人預けましょう。10人は貴女の直属。10人は大隧道の警備。10人は基地建設人員の警護……大陸の未来の為、お願いします」

 

「うん!!」

 

『じ~~~~~』

 

 そんな声がしそうなくらいに周囲からの視線が刺さる。

 

「また浮気してる!! シューの浮気者!! ジゴロ!! イケメン!! 女誑し!!」

 

「何か途中に賞賛が入ってる気がするで?」

 

「まぁ、女心だから仕方ないよ。おねーちゃん」

 

「マヲー」

 

「ごじゃ~」

 

 遊興勢が庭先のこちらをパイを片手に白い目で見やるのだった。

 

 そして、盗み聞きしていた反乱系ドラクーン達の半数程が何故か鎧の中で涙を垂れ流しにしつつ、ユイヌと共にその日の内に大隧道のあるブラスタ女学院に向かう事になる。

 

 野営地ならぬ大隧道の入り口の噴水を関所として管理し出した事で学園には激震が奔った。

 

 現在学院に通う子女達曰く。

 

―――伝説の生徒会長の帰還。

 

 そんな伝説が再び産まれた学院ではドラクーンが警備する噴水跡地を天国の門と呼び、出入りするようになるユイヌを心の生徒会長様と呼んで交流を深めていく事になるのだった。

 

 *

 

『ああ、まさか。あの、あの伝説のお二人を再びこの学院でお出迎え出来る事になるなんて!?』

 

『ですわ!! 伝説の生徒会長ユイヌ・クレオル様。大襲撃時の陸軍大将閣下の御子孫にして今は時を超えて姫殿下にお仕えする真の大貴族!!』

 

『この民主主義の時代に今も残る本当の貴族の家系。ああ、何という……この身は今、あの方達のご来訪の予定に打ち震えております!!』

 

『ブランジェスタ様もそう思いますよね!? ね!?』

 

『そ、そうですわね……』

 

『こ~ら。ブランジェスタ生徒会長は連日のリバイツネードとしての出動でお疲れなのですから、あまり迫らないの』

 

『は、す、済みません。そうですよね。アウトナンバーが連日出て、その度に出動なされているのに私ったら……申し訳ありません』

 

『いえ、いいのですわ。わたくしは副官として差配するばかりで実際には後方要員ですから……皆さんにも気遣わせてしまって……生徒会長失格ですわね』

 

『いえ!? そんな事ありませんわ!!?』

 

『ええ!! ええ!! そうですとも!! ブランジェスタ生徒会長のおかげで学院も帝都も今健やかに生活出来ているのです!!』

 

『ふふ、ありがとう。でも、多くの人々が日々帝国民の為に仕事をしているからこそ、帝都の安寧は護られているのですわ。わたくしはその一人でしかない。ですから、皆さんはお仕事をされている軍警の方や公務員の方達がいたら、敬意を持って接して下さいね』

 

『はい!! ブランジェスタ生徒会長!!』

 

 ブラスタ女碩学院。

 

 今も帝国最高。

 

 否、今や帝国外からも大陸最高の女子教育機関として名高いそこでは嘗てならば認められなかっただろう蒼い瞳や赤い瞳以外の帝国系以外の民族の少女達も入って来ている。

 

 革新を旨とした聖女という伝説の存在が消えてから学院は大きく今までの方針を転換したのだ。

 

 伝統的でありながらも革新的な女子教育が推進され、今では帝国の民族以外からも学内での位の高い役職に就く少女達が出ていた。

 

 徹底的な実力主義と同時に聖女が広めたと言われる新貴族主義。

 

 これは他国の貴族が今までの自分を恥じ入るような高潔さの類を持っていた事で今現在大陸に残る象徴王政や貴族制度を大きく変革する事になった。

 

 結果として現在に残る王侯貴族の殆どがこれに習っており、その中心地としてブラスタ女碩学院は倫理と道徳の牙城として貞節や礼節と共に女性教育の最先端とをゆく、各国の者達が羨望する場所になっていた。

 

 昔なら見なかった南部人や西部人、東部人の特徴を持つ少女達が生徒会に入っているのも嘗てならば信じられなかった事だろう。

 

『(それにしても……姫殿下の帰還に伝説の生徒会長の来訪……我々、下々の者には知らされていない多くの真実があるのでしょうね)』

 

 クリーオ・イル・ブランジェスタ。

 

 金髪縦ロールに紅い瞳の少女はそう目を細める。

 

 戦場で出会った姫殿下らしき白い少女は彼女が祖母から聞いた人柄とも違っていたように思えるが、大隊長と会話している様子は正しく今に生きる大貴族の風格があったのは間違いない。

 

 そして、普通なら数十人から百人単位で戦わねばならないアウトナンバーを一撃で倒す手並み。

 

 超人を越えた超人たるドラクーンの最上位層にも匹敵する力だろう。

 

 そもそも二回目に出会った時は鎧など使っていなかったし、最初の時だって武装ではなく素手だったのだ。

 

『(アレが伝説に謳われる者の力……蒼の根源たる始りの人……)』

 

 幼少期に彼女はリバイツネードで最低限の戦闘技能を治めた後、定期的に戦闘訓練をして活動する以外はブラスタ女碩学院に在籍する事になっていた。

 

 が、だからこそ、外側から見てもリバイツネードが持つ本当の力は正確に認識していた。

 

 しかし、実際にその創設者の力を目の当たりにすれば、如何に自分達が雑兵の域を出ないのかがよく分かってしまう。

 

 それなりにリバイツネードでも強いと奢っていた彼女であるが、その鼻はへし折られたと言えた。

 

『(あの気の強い御婆様があんなに嬉しそうに泣いていたのを初めて見ました……姫殿下の帰還とはそれ程の事……個人にとっても、社会にとっても……)』

 

 彼女は今日の業務を終えて生徒会室で最後に鍵で戸締りをして学院を出る。

 

 そこには黒塗りの車両が既に時間通り待っていたが、今日はそんな気分ではなかった彼女は運転手に自宅に伝言を届けさせて、徒歩で玄関に向かった。

 

 しかし、そこで信じられないような光景を見る事になる。

 

『姫殿下。お久しぶりでございます』

 

 複数人の老女。

 

 騎士甲冑を未だ着込む学院の門番の女性騎士達が数名。

 

 他の一族の女性騎士達と共に片膝を付いていたからだ。

 

「五十年現役ですか?」

 

「はい。年寄りの冷や水と言われておりますが、体の許す限りはと」

 

「後ろの方々はお子さんやお孫さんでしょうか?」

 

「我らが時の陸軍大将閣下より与る学院の守護は今も大任であると家々で引き継いでおります」

 

「今日は学院の外を見て回るだけにしようと思っていたのですが、このようにあの頃お世話になった貴女方を見る事になろうとは思いませんでした」

 

「このように老いさらばえ、お見苦しい限りです」

 

「素敵ですよ。良い人生を送っているようで何よりです。ですが、最後の時までお体に気を付けて」

 

「過ぎたお言葉……再び相見えて、そのように言って頂けるとは……人生何があるか分からないものですね……っ」

 

 彼女は衝撃を受ける。

 

 彼女にとって、それこそ女性騎士の一族と呼ばれるようになった学院の門番の人々は人生の模範とするべき相手だったからだ。

 

 その彼女達の心の喜びと笑顔は一度も見た事の無い代物だった。

 

「どうか、任せておいて下さい。貴方達の子供達の未来にわたくしが何処まで資せるものか分かりませんが、アウトナンバーやバイツネードに帝国を滅ぼさせはしません」

 

「おぉ、おぉぉぉ……姫殿下っっ」

 

「この大陸はわたくしが護ります。ですから、わたくしの母校の事はこれからも皆さんに頼みます。未来たる子供達の事をよろしくお願い致します」

 

「その御言葉だけで我らは……っっ」

 

「その忠義……征く果てに至るまで我が心に刻みましょう」

 

「―――」

 

「何れ、お菓子くらいは差し入れさせて下さい。時間が出来た時に我が親友と共にお茶くらいはお持ちしますから」

 

 泣き崩れる筆頭たる女性騎士の老女達を前に微笑む聖女。

 

 それを見た。

 

 見てしまった彼女は思う。

 

―――ああ、これが帝国の聖女。

 

―――これが現代を創りし女神。

 

―――真なる貴族にして帝国の所有者かと。

 

 彼女は踵を返して奥の遠回りの通用路。

 

 彼女の持つマスターキーなどでしか開かない扉から出て、そのままディアボロ1号店へと向かった。

 

 彼女のお気に入りの店だ。

 

 旧くは酒場の食事処だったが、今は夜の9時までは子供が出入りしても構わないカフェである。

 

 昔から殆どメニューが変わっていないらしいが、そのメニューだけで数百種類存在しており、その殆どは聖女のレシピであるとされる由緒正しい店である。

 

 途中で街中の貸ロッカーに預けてあるリーフボードを取り出した彼女はその脚で専用コースを低空で奔り、店舗の裏手にある駐ボード場に止めて、内部に入った。

 

「あら?」

 

「………」

 

「大隊長」

 

「ああ、ブランジェスタ女史か?」

 

「どうしたのですか? 珍しいですわね。大隊長がお気に入りの店はリバイツネード本部の方にあるカフェでは無かったでしょうか?」

 

「いや、近場にいると呼び出される事が多くてな」

 

「何か本部からお仕事を?」

 

「ああ、基本的に割のいいバイトなんだ。心身の摩耗にさえ目を瞑ればだが」

 

「?」

 

「気にしないでくれ。ちょっとした愚痴だ。そうか。君の行きつけは此処だったのか」

 

 すぐ傍の席に彼女が腰掛ける。

 

「ええ、本来は家族との食事を蔑ろにするような事はあまり好きではないのですけれど、時には1人になりたい時もありますから。そういう時は此処に……」

 

「それにしても君のような人が……何かあったのかい?」

 

「……どうしてそう思うのですか?」

 

「顔に書いてあるよ。複雑だ、とね」

 

「そうですか。大隊長に隠し事は出来ませんわね。実は……」

 

 こうして縦ロールな少女は近頃の学院の出来事を語る。

 

「そういう事か。伝説の生徒会長の帰還。学院の隠された秘密に通じる通路。それに女性騎士達の家系に感謝する姫殿下、か……はは、あの方はどうやら何処でも事件の中心にいなさるらしい」

 

「その物言い。大隊長も何か姫殿下と?」

 

「ああ、実は案内役とリバイツネード内での護衛役を承ってね」

 

「なるほど。それは確かに心身共に摩耗しそうですわ……」

 

「オレ達にとっては青空というのが美しい以上の話なんて無いと思っていたが、どうやらそれは違ったらしい」

 

「同年代どころか。わたくし達の親の世代ですら多くが涙を流したと言うのですから、それは正しいかと。でも、それは始りに過ぎなかったようです」

 

「だろうな。50年前、姫殿下が行方不明になった当時の情報は何処も曖昧に暈されているものが多い」

 

「対外的には当時の帝国陸軍の情報操作。聖女殿下が大した事の無い人物である事を隠す為のプロパガンダや隠蔽がなされたと言われていますが……」

 

「帝国外の常識だな。今の大陸の歴史書の大半は現実主義的に書かれてあるのが、当時を知る老人達の多くが空想や夢物語のような伝説を信じている。そう、思われていた」

 

「思われていた、ですか?」

 

「君だって小さい頃に小竜姫説話。紙芝居は見ただろう?」

 

「ええ、毎日楽しみでしたわ。アレを見ていない若年層は帝国ではいないでしょうし、大陸ですら少数なのではないでしょうか?」

 

「あの荒唐無稽な話を我々は喜んで見ていたし、少しモノが解るようになってもスゴイと思っていた。そして、それなりに知恵が付いて来た頃には物語だと思うようになったが、現実の姫殿下の功績の膨大さに老人達が神話のようにしたい気持ちも分かる。そう思っていた……」

 

「ええ、解ります。聖女殿下の物語を信じていいのは子供の時だけ。なんて、言われますものね。そして、現実の姫殿下の功績の多さに脱帽する子供は多いはずですわ」

 

「オレは更に当時の方々の話を聞く事があって、その頃にそういった思いは強くなったよ」

 

「当時の?」

 

「ああ、特に物語では大見栄を切って仰々しいと有名な騎士ウィシャスの話を聞く事があってね」

 

「それは……とても希少な体験ですわ」

 

「君が大隊に入る前の事だ。騎士ウィシャスがドラクーン候補やそれに列なる子供に話をする機会があったんだ。それに運よく参加させて貰ってね。子供達の中には物語みたいな相手を想像していた子もいたのさ。実は密かにオレもそんな想像をしていた」

 

「それで、どうだったのですか?」

 

「とても静謐な方だったよ。笑顔の優しい好青年と言っていい。でも、彼が話す事を聞けば、戦場の苛烈さと戦いの厳しさが伝わって来た。現実が一気に押し寄せて来たような気分になったな。あれでドラクーン候補を止めた子もいただろうな」

 

「それほどに?」

 

「ああ、彼は軍人貴族の名門であり、同時に帝国軍事の最前線で教育された最も優秀な世代だ。当時の甲冑を使って戦っていた頃の現状を聞いて震え上がった子は多かった。鎧の中に下を漏らしっぱなしにして戦い。ロクな食べ物が無くても行軍は続けねばならない日々。人を刺し殺した夜に泣いた話。耐え続ける事が兵士に求められた最たる力だった事。戦場で敵を倒す為に為された騙し討ち、裏切り。今も言われるような嘗ての旧帝国陸軍の悪辣な戦術、戦略、戦法が如何に有用で人間の心を失くしたものだったのか。何もかも話して下さって……」

 

「それは……」

 

「でも、姫殿下の話をする時はとても短かった」

 

「短かったのですか?」

 

「ああ、何処の本にも書いてある話だからねと笑っていたよ」

 

「それで現実はあんな物語ではないと思ったのですか?」

 

「ああ……でも、今になって思えば、それは言葉通りだったんだろう」

 

「言葉通り……っ」

 

 そう、その言葉で彼女もまた理解する。

 

「たった一枚の手紙で北部最優の兵を率いた王子を退け」

 

 それは彼女も彼も知る物語の粗筋。

 

 互いに語っていくとしても何ら齟齬が無いはずのもの。

 

「北部の物流の要たる時の大豪商を仲間に引き入れ」

 

 時に子供達が熱狂した世界で一番知られた御伽噺。

 

「数十隻の大艦隊と数百の竜騎兵からなる南部皇国の軍隊を一人で退け」

 

 子供達が次のお話はまだかなと夢見た冒険譚。

 

「嘗ての敵や暗殺者と共に巨大な大海の化け物を打ち倒し」

 

 まるで非現実的なのに湧き出すのは楽し気な気持ちばかりで。

 

「諸国の王を纏めて大国の軍を退け」

 

 それは子供心に焼き付いた英雄譚。

 

「人々を病やケガから奇跡で救い、破滅の使者を退ける」

 

 だから、彼ら50年前から生まれている世代の事を対外的にはこう言うのだ。

 

「「我ら聖女の子たらんと欲すれば、世は正しく“聖女の世代”である」」

 

 互いに苦笑が零された。

 

「馬鹿馬鹿しいですわね」

 

「ああ、馬鹿馬鹿しい」

 

 同時に彼らは思う。

 

 それが真実であるならば、全て納得は行くのだ。

 

「そして、御伽噺は現実となった」

 

「姫殿下の帰還。帰って来た少女……紙芝居は現実になりましたわね」

 

「ああ、でも、今なら分かる。アレを書いた者達はきっと信じていたんだ」

 

「姫殿下がいつか帰って来る。そして、その時にこそまた大きな歴史の転換点がやってくる」

 

「姫殿下の公式の功績を挙げれば、本当に切りは無いが……多くの御老人が今も伝説を信じている理由はそれが真実だからなのだろう」

 

「巨大なバルバロスくらいならアウトナンバーでない限り、わたくしとて倒せますわ。でも、手紙一つで軍を引き返させるなど、不可能でしょう」

 

 彼らが話し込んでいる間に食事と飲み物が出て来た。

 

「ご注文の塩鴨のローストサンドとカフェ・アルローゼンです」

 

「カフェ・アルローゼンと赤鶏のバリ揚げです」

 

 やってきたサンドを齧る少女と鳥の揚げ物を齧る青年が黙々と平らげていく。

 

「互いにどうやら厄介な事になっているようだ」

 

「アウトナンバーとの戦いよりもですか?」

 

「どうかな。これからはそれよりも厄介なものと戦わねばならないかもしれない……」

 

「それはどういう?」

 

「……何れ分かる事だ。もしかしたら、我々は戦う事すら無いのかもしれないが……あの方のお気持ち次第だろう」

 

 こうして隊長と副長の晩餐は続く。

 

 その背後に近頃一号店に出没する白い少女が通り過ぎていく様子も見ずに。

 

―――ディアボロ一号店奥リージ邸。

 

「しばらく帝都を出る。リバイツネード側からの要請を受諾する事にした」

 

「左様ですか。ですが、時間変動の件はどう致しますか?」

 

 奥でイゼリアが娘と孫娘と共に料理をしているのを見やりながら、リビングでリージと今後の予定を詰める。

 

「今はほぼ解消されたし、例の地域群でも減少傾向だそうだ」

 

「そうですか。ようやく観測結果が取りまとめられたのですね」

 

「ああ、それで研究所で車両と船に載せる例のシステムの試作機が完成した。ついでに時間変動を限界まで外界と内部で減らす為の装置も開発して貰った。帝都に本体を置いて基準時間として設定すると時間変動を低減する装置だ」

 

「この短期間で良く……」

 

「OSの開発は最終段階にある。後4日後にはデバックも終わるし、今後戦闘で用いる各種の基本システムと専用のアプリ。車両、軍艦、軍用装備一式にも応用可能なプログラムも幾つか作っといた」

 

「デタラメですね。あの頃から変らず」

 

「人間止めたからな。これくらいは普通だ。試作機の試運転が8日後。データの蓄積に1週間。それを更に土台として万全にするまで6日。3週間後には例の地域群に出立する準備が終わる」

 

「勝てますか? 一応、聞いているとは思いますが……」

 

「問題無い。目標は派遣した戦力と現地の状況確認。時間変動の中枢にいる狂人。いや、王や領主、皇帝、自らを権力者と名乗り、人間を殺し、搾取する連中の消滅だ」

 

「騎士ウィシャスの前には形無しのようですが、逃げられる程度の実力はある連中だと」

 

「聞いてる。まぁ、今のオレが見逃さない限り、どうにかなるさ」

 

「時間すら止める相手でも、ですか?」

 

「時間止めた程度で奢ってれば即死だ。どれだけの能力。どれだけの個体数を揃えて、どれだけの戦力があっても意味は無い。対策が終わればな」

 

「はは……はぁぁ、本当に意味が無さそうで困りますね」

 

「生憎とこっちには神も裸足で逃げ出す怖い白衣が大量に付いてるからな」

 

「一部、同意しておきましょう」

 

「それと人員の選定だが、ウィシャスとオレは確定として、アテオラ、フェグを連れて行く。他は待機だ。あいつらにはまだやってもらわなきゃならない事が山済みだからな。最初の場所が終わったら増員するかもしれない」

 

「最初期とはいえ、少なくありませんか?」

 

「だが、通常のドラクーンを連れて行っても恐らく左程の意味が無い。護って貰う人員が増え過ぎても困るから、ドラクーン並みに戦えて自分を護れる重要な仕事に付いてない実力者が欲しい」

 

「なるほど。つまり、雑用ですか」

 

「そういう事だ」

 

「では、リバイツネード側からもしもの時の戦力以外で適当な人材を見繕って貰っては?」

 

「それもありか。解った。あっちに打診しておく」

 

『出来たわよ~~さぁ、手伝って頂戴。そこの聖女様もね』

 

 イゼリアの奥から聞こえて来た言葉に少女と老人が苦笑する。

 

「今日は御馳走になって行こう」

 

「実は女として、あの聖女に負けるのは癪だからと料理を昔習って今では料理人くらいの実力ですよ。イゼリアは……」

 

「お手並み拝見しておこう」

 

『聖女様~~一緒にご飯食べて行ってくださいませー』

 

 孫娘のカワイイ声に相好を崩す部下に笑みを零す聖女様である。

 

 その噂を聞き付けたかのように何処かの店舗ではくしゃみが一つ。

 

『っくしゅ』

 

『風邪か?』

 

『何か嫌な予感がしますわ』

 

『今日は食べたら切り上げよう。明日以降もアウトナンバーが出続けるだろうからな。出来る限り、体調は崩さないように頼む』

 

『心得ていますわ。大隊長』

 

 すぐ傍で新たな戦いの火蓋を切る準備が進んでいるとも知らず。

 

 少女と青年は黄昏を過ぎて薄紫色の宵闇に沈む帝都の空を遠く眺めるのだった。


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