ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第123話「煉獄を裂く者達Ⅵ」

 

「おはようございます。姫殿下」

 

 目を開けると部屋のカーテンが開けられ、ゼインと以下数名の侍女。

 

 メイド達の中でもやたら貫禄のある層がいた。

 

 10代は1人で後は30代から60代までなので侍従連中でも指折りを連れて来たのだろう。

 

「おはよう。ええと……シュリは後30分は寝かせておいて下さい。フェグは……」

 

「いくぅ……むにゃぁ……」

 

「湯浴みの後にしばらく届けられた情報の精査で執務室を借ります。電子機器の解説書と使用方法を教えてくれる人員を。朝食は1時間後で」

 

「了解致しました。湯浴み前に着替えますか?」

 

「いえ、このままで結構です」

 

 頷いたゼイン達に付き添われて邸宅の風呂に向かう。

 

 もう起きているらしいノイテとデュガが朝から他の十代のメイド達に混じって色々と教えて貰いつつ、家事をしている様子を見る事が出来た。

 

 どうやら、五十年後の常識を今から吸収しているらしい。

 

 見れば、アテオラやイメリも起き出しており、眠そうなアテオラと一緒にメイド姿のイメリが風呂場に近付いて来る。

 

「おはよう」

 

「あ、おはようございます。姫殿下。あふぅ」

 

 アテオラはさすがに眠そうだ。

 

 この齢で波乱万丈過ぎる人生であるから仕方ないところではあるだろう。

 

 選任であるイメリはバッチリといつものメイド姿で抜けているところが無いのはさすがと言える。

 

「ヴェーナやエーゼルは?」

 

 訊ねるとあっちと手で示された。

 

「あ、おはようだよ。ん!!」

 

「おふぁようこふぁいまふ」

 

 エーゼルが目をショボショボさせながら、ヴェーナと一緒にヨタヨタ歩いて来る。

 

「取り敢えず、一緒に入るという事で」

 

 その言葉を理解しているのかいないのか。

 

 メイド業をしていない全員が頷いて脱衣所で脱いで入る事になった。

 

 一応、こちらはタオル装備である。

 

 他も一応タオル装備であった。

 

 ヴェーナとフェグはそもそもそういうのが苦手なので未着用だが、この際仕方ないので何も言わずに湯気の上がる湯舟が見えた大浴場に足を踏み入れる。

 

 どうやら公衆浴場のように銭湯化しているらしい。

 

 中は洋風の銭湯にしか見えない。

 

 前は無かったシャワーやらも完備されていた。

 

 だが、一番の問題はタオル装備のメイドがズラリ並んでいる事だろうか。

 

 しかも、全員が十代から二十代だ。

 

「湯浴みを手伝わせて頂く事になりました」

 

 少女達の代表者らしい相手から丁寧に頭を下げられて、説明を受ける。

 

 どうやら専属で体を洗うお手伝いとやらをしてくれるらしい。

 

 まぁ、湯浴みを手伝う古来の日本で言うならサンスケというヤツだろうか。

 

 欧州では湯女と言えば、売春婦の別名だったりした事もあるが、此処はアルローゼン邸である。

 

 鏡面に行儀よく並ぶと全員のタオルが回収され、背後にメイド達が指示されるか。

 

 もしくは最初に自分でやることを終えるまで待機する様子であった。

 

 ボディソープや石鹸、洗う為の湯浴み用の道具は存在しているようでお湯に浮かべるのだろうプラスチック製の小さなドラゴンはアヒルさんのような立ち位置か。

 

 石鹸で顔を洗って現代にも近いだろうボディソープで体を洗っていると背後から声が掛かったので背中は任せる事にした。

 

 髪は現在、頭の上で結い上げて止めている。

 

「姫殿下の肌はお綺麗ですね。見た事も無いような白さで……」

 

「ありがとうございます」

 

 他の目が覚め始めた面々も自分でもたもた洗っていると背後から声を掛けられて洗って貰う事にした者が多いようで和やかな感じに体が洗われていった。

 

 一応、女性の体は見ないようにしていたので顔のみ確認する感じである。

 

 そして、体の次は髪をシャンプーで洗われ、丁寧にリンスまでしっかりされた。

 

 髪を再び結い上げられて、タオルを再びするのも無粋の極みではあるので……何も見ないようにして風呂場に直行する。

 

 どうやらメイドはタオル姿で湯舟の横で待機するようだ。

 

 視界に入らないように横手で待つくらいの配慮が何か昔の侍従達よりもお世話という面では甘やかされているような気がする。

 

 基本的に昔の侍従達はかなり厳しめというか。

 

 自分で出来る事はさせるようなところがあった。

 

 自分で出来る事をさせている間は不干渉で主を信じておく。

 

 みたいなところがあったのだ。

 

 ちょっと視線を横に逸らして次々に洗い終わったらしい面々が湯舟に入って来るのを見ないようにするのはマナーの内だろう。

 

 さすがに真正面から女性の裸体を覗く趣味は無い。

 

「ふぇへへ~~~」

 

 フェグが背後に回って昔とは大違いだろう大きさの胸を背中に当てつつ、ぐんにゃりしながら頭の上にへばり付いてくる。

 

 気にしない気にしないと魔法の呪文を脳裏で唱えていると湯舟に入った全員が集まって来た。

 

「え、えへへ。姫殿下と湯浴みするのって初めて、ですよね?」

 

 アテオラが少し恥ずかしそうにしながらも手拭を胸元に持ってニコニコする。

 

「そうかもしれない……」

 

 そこでエーゼルが豊満な胸元を腕でカバーしつつ、会話に混ざって来る。

 

「姫殿下はいつもシャワーは御一人でしたから……」

 

「まぁ、一応。気を使ってはいたからな……」

 

 そこで合いの手を入れるのはリリだ。

 

「姫殿下のお肌も髪も取っても綺麗ですね!! 船にいた時も一緒に入れば良かったです♪」

 

「……ありがとう」

 

 此処でいつも基本的に我関せずなヴェーナで箸休めしようとしたのだが。

 

 全裸仁王立ちで天井の硝子張りの場所から日の光を浴びていた。

 

 一応、後ろ姿なのであまり下を見ないようにして訊ねてみる。

 

「何してるんだ? ヴェーナ」

 

「ん? 日光浴だ。近頃、光を浴びると暗いところで浴びた光を出せる事に気付いただよ。近頃は色んな光を浴びるのが日課になってるだ」

 

「……お前日焼けしないもんな」

 

「んだ!!」

 

 白金の体は今も煌めている。

 

 土神の特性であらゆる物質とエネルギーを吸収出来るヴェーナは食物に関しては底無しだし、物質的なものに関して言えば、どんなものでもイケルので事実上は不老不死染みて不死身だったりする。

 

「そう言えば、エーカとセーカの姿が昨日の夜から見えないんだが、何か知ってるか?」

 

「あ、お二人なら昨日、街の方に繰り出していましたよ?」

 

 エーゼルが教えてくれる。

 

「そうだったのか。今、エーカとセーカ、フォーエが何してるか知ってるヤツはいるか?」

 

 すると、この場ではメイド達の筆頭らしい茶褐色の髪の少女が傍に寄って来た。

 

「ご報告致します。ゾムニス様とフォーエ様は明け方に軍の方へご用向きがあると出掛けられました。エーカ様とセーカ様は朝には戻ると言い置かれて、深夜から買い出しに行くと」

 

「何を買うかは?」

 

「そこまでは……申し訳ありません」

 

「構わない。五十年後なのに買うもの? 何か有ったか……?」

 

 その時、ガラッと浴場の戸が開いた。

 

「いやぁ~~疲れたで~~」

 

「おねーちゃんもタオル要らないの?」

 

「風呂にタオルなんかいるかいな。ウチの体には見られて困るところなんてあらへんもん♪」

 

 よく似た姉妹が何やら入って来る。

 

 というか、思わず吹き出しそうになった。

 

 2人とも全裸だ。

 

 ついでに堂々と入って来たので堂々と見られてしまった。

 

 すぐに視線を逸らしておく。

 

「お、メイド連中以外は全員集合やないか。いや? シュリーがおらへん?」

 

「ああ、あいつは基本的に低血圧で朝に弱いからな」

 

「そういやそうやったな。ん~~?」

 

「な、何か用か?」

 

「く、くく、良い御身分やなぁ。シュウ」

 

 エーカがニヤニヤした。

 

「普通の身分だ」

 

「裸の女の子に囲まれて嬉しいやろ?」

 

「そういうのは思ってても口に出さないのがルールだと思うんだが?」

 

「はは、せやかて♪ シュリ―が見たらまた『浮気者~~っ』て叫びそうな絵面やで」

 

「ぅ……」

 

「ま、今は女の子なんやから楽しめばええんや♪」

 

「無茶苦茶言うな。エーカ」

 

「ヨンローはいつでもそうだよね? 女の子に優しいけど、目を瞑れば関係的な問題が喉元過ぎると思ってるし」

 

 グサッと音がした気がする。

 

 主に自分の中で。

 

「でも、そういうの傷付く子もいるんだからね?」

 

「……え、えぇとだな」

 

「言い訳せんと。愉しめばええんや~~せっかく婚約したんやから」

 

 その言葉でメイド達が『うん?』という顔になる。

 

「そもそもや。ウチら10人全員を嫁に欲しいと言っといて今更やろ。まぁ、ウチはええけど、本当に罪作りなヤツやで~~まだ帝都に2人も残しといて。フェグにヴェーナやっけ? 2人ともカワイイやん。もう手は出したんか?」

 

「げっほ!? 出してないからな!?」

 

「誰かに手を出す様子も無いのが問題なんやないか?」

 

「言ってくれれば、ちゃんと夜に相手くらいするのに……これでも私達もう大人なんだからね?」

 

「いや、今の状況でそういうのはちょっと……」

 

「ま、そこまでせんとしても、ちょっとはスキンシップくらいしてや~。あっちで待っとるルシアにも報告したろ♪」

 

 いつの間にかシャンプーもボディーソープもザッと終わらせた2人が……何かニヤリとした笑みで湯舟に突撃してきた。

 

 そして、ざっぷーんとこちらにダイブしてくる。

 

「ちょ、おま!?」

 

「あはは♪ ほーれほれ。おっぱいやで~~」

 

 成人女性的にはしっかり柔らかいものが前から迫って来る。

 

「ヨンローの股間が寂しい間はこっちの方がいいんでしょ? どうせ?」

 

 2人が真正面から抱き着いて当てて来る。

 

 ついでにフェグも何やら負けていられないという顔でグイグイ背後から来る。

 

 そして、それを見ているアテオラ、リリ、エーゼルがちょっと混ざりたそうにしていた。

 

 ヴェーナは相変わらず空から光を吸収しており、植物みたいに動かないまま良い顔していた。

 

「お、お前ら酒の匂いがするぞ?! 飲んで来たのか?!」

 

「昨日はヴァーリへの土産買って来たんやで~帝都の現状を伝える為の品とかな~~。フォーエのおっさんがくれたクレカっぽいのでな~」

 

「そうそう。お酒はおねーちゃんが帰る前にちょっと景気付けしていこうって言って開いてるお店で飲んだよ。でも、甘くて美味しかったから飲み過ぎちゃった……ふや~~~」

 

 どうやら目を回したらしいセーカがクッタリするのと同時にエーカも風呂の中にも関わらず寝始める。

 

「お前らはまったく……はぁ、フェグ」

 

「はーい」

 

 こういう時にご主人様の事をすぐに解ってくれるのがドラゴン少女の良いところだろうか。

 

 2人を左右の手で抱き抱える。

 

「2人を介抱してくる。そっちはみんなで温まっててくれ」

 

 体格差はあるが、それでも今の身体ならば女性二人を抱えるのに問題は無い。

 

 腰を抱いて、そのまま扉まで行こうとするとガラッと再び戸が開いた。

 

「あ」

 

「あ……」

 

 朱理が全裸にタオル姿でこちらを見やり、左右に視線を向けた後。

 

「シュ、シュウの浮気者ぉおおおお!!?」

 

 思いっ切り頬に手型が付いたのだった。

 

 *

 

 朝食前に手型の付いた頬のままに電子機器の説明書を精査。

 

 その後、現代のPCより型落ちな20年前くらいのレベルのPCを起動させ、朝早くに届いていた各種のデータを全て取り込んで展開。

 

 全部、一斉にスクロールさせながら、複数のディスプレイを触手さんに生やした瞳で並列で読み進めて30分。

 

 凡そ1200万字程を速読した。

 

(やっぱり、蒼の欠片で改造しただけあるか。頭の処理能力が事実上は数千倍近く上がってるっぽいな)

 

 執務室にディスプレイが複数台置かれていたのも良かった。

 

 各種のデータと数字は頭の中に入ったが、やはり最も大きな社会の問題はアウトナンバーとの戦いらしい。

 

 時空間変動を伴うフィールドを展開し、その効果範囲で〇〇m級と呼称されるソレらのバルバロスは突如として現れる事もあれば、既存のバルバロスがそうなる事もあり、多種多様との事。

 

 調査結果として解っているのは薄緑色の炎のような光と波動が生き物のように宿る事とその実態がどうやら物質の側に本質が無い事。

 

 これらを霧散させるにはそれが宿った存在の構成物質の9割を破壊するか。

 

 もしくは脳を消滅させるしかないらしい。

 

(基本的には憑依されたような状態の物質を崩壊させるのがマストカウンターなわけだが、昨日の対処法は正しかったと……)

 

 蒼の欠片の力を宿す聖女の子供達と呼ばれる人員の【蒼力】はこれらの波動や光を減退させる効能があり、その点からして物質的な干渉に対して対抗する事で干渉そのものを弱めている云々というデータが機密ファイルとして出て来た。

 

 ちなみにこれらのアウトナンバーを放っておくと破壊の限りを尽くされた挙句に時空間変動が局所的に高められ、その地域の空間が歪んで空が剥落するという事態も起きた事があるとか。

 

(つまり、例の本体が出て来ようとしてたわけか。ま、全部阻止されて一安心だろうが、まだ気は抜けないな……)

 

 社会思想、社会制度、それら設計は間違っていなかったようだし、帝国の国家開発をパッケージングして低開発国や他国の開発にも使う計画も上手くいったようだ。

 

 問題は基本的には外部要因。

 

 現在の帝国を中心とする大陸の政治軍事経済は全て順当に成長しつつも、出て来た歪みはその都度、陰謀論者も真っ青の手法で民主主義的な力が及ばぬ場合には即時潰されているのもリージから貰ったデータでは確認出来た。

 

 独裁者の台頭を許さず。

 

 軍の横暴を許さず。

 

 衆愚政治に民主主義が堕する事を許さず。

 

 各国の軍備の法規と大陸統一軍編入はほぼ完了であるとの話だ。

 

(此処からだ。此処からどう文明を導いていくか。そして、その結果を連中に納得させらられれば、妥協ルートが成立する。だが……まだ、その地点まで予測でも可能性が出て来ない。何かしらのイベントか要素が必要な可能性が高いな……)

 

 また、思想や主義心情に関して民間では現代式のヤバイ思想の大半を誰にも知られないようにこっそり法律で禁止して、それが恐ろしい事であるという事をしっかり教え込む教化を重点的に行う事にもなった。

 

 共産主義、反知性主義、反出生主義等に代表される人類史を見ても害悪的な結果を齎している思想はやってもいいけど、公的に排除されても良いならどうぞという感じになった。

 

 その他にもそういった欠陥がそもそも露わになったプロトコルで構成される現実での社会集団や思想集団の弾圧も行った。

 

 弾圧と言っても組織集団に解散命令を出すわけではない。

 

 基本的には社会へのプロパガンダ、情報操作、教育による三連コンボを喰らわせ続け、人々にそういった主義思想団体が目指す世界が完全無欠に頭のおかしい結論と思わせただけだ。

 

(やってる事は確実に管理社会だが、生憎と此処で歴史に学ばずグダグダと東西冷戦や資本主義と共産主義で陣営組んで核戦争なんてやってる暇無いし……)

 

 迷信や不確かな情報の排除、合理的な思想の浸透。

 

 これらそのものがそういった前時代な考えという体で教えたソレら主義主張を古臭くあまりにもダサイものである、という常識で固定化した。

 

 これによってあらゆる国家内からそれらに染まりそうな層を最初から取り込んで、思想を最初期の発生段階でウィルスみたいに駆逐する事に成功したのである。

 

 人間生きて百年である。

 

 若者に拒否された主義主張や思想は基本的に悪として歴史的に断じられて消えていく定めだ。

 

 そういうのを永遠に葬っておく事で面倒な戦争や無駄な社会維持の労力を削減した事で本来しなくて良いはずの仕事は消え去った。

 

 これらの地獄を善意で敷く主義思想の代わりに日本式のお天道様が見ている的な標語を大陸標準にするよう事前準備をしていたのだが、どうやらそれを実現する段階になってからは“聖女様が見てる”というのが大陸基準の倫理の下地として標語になったとか。

 

(リージも首を傾げるレベルで浸透してるとか。オレのせいで自然発生してる感じなのか……)

 

 人々には利便性や平和は有償であるという事実を特に意識させる事が重要であると説いて来たが、殆どの国家はこれに異を唱えなかった。

 

 真の民主主義という名の衆愚政治をやり始めそうな人々の意見も最小化され、大陸の常識に乗らないように気を使って主義思想の制御も行われていたので文明を衰退させたり、崩壊させかねない危ない芽は摘まれていると考えていい。

 

(どれもこれも四つの力に引っ掛かりそうなワードだからな。実際にはそういったものを克服する過程が必要とされたかもしれないが、結果が同じなら連中は過程そのものが過激でない限りは左程重視しないはず……)

 

 国家主義、全体主義、帝国主義、覇権主義。

 

 そういった現代にまで蔓延っていた現実をこの大陸は一部こそ経験しているが、殆ど一か国以外ではする必要が無くなったのだ。

 

 歴史の必然的に出てくるものが最初から克服された形の理想形に近いようにお出しするわけだから、恐らくあちらは過程を重視しろとお怒りだろうが、結局結果も見るおかげで帳消しくらいになってると嬉しいというのが本音だろうか

 

 正しく、アバンステア帝国は大陸の全ての歴史の必然を己で受け持ち、実践する代表者、覇者でありながらも、その多くの滅びて来た主義達の歪みと構造的な問題を解決するに至った超克者でもあるのだ。

 

(結局、どんな主義主張も中身の人間次第。そして、その人間を腐らせる構造的な問題を排除しさえすれば、どんな主義主張も最後には中庸へと近付いていく……)

 

 全ては上手く行かなくても、人を育てる事、人を大切にする事、人を進ませる事を意識して社会制度を組む体制を整えれば、後は歯車が回るだけだ。

 

 制度の設計がしっかりしているならば、自分の手は必要も無く社会は維持され得たし、それは現実となった。

 

「さて、食事にするか」

 

 腰から触手を引っ込めて立ち上がると扉を叩く音。

 

 すぐに出て、ゼインと共に食卓に向かうとテーブルにはフォーエやゾムニスも付いていた。

 

「お帰り。どうだった?」

 

「ああ、君のせいでどうやら未来は楽し気なようだ。部下の遺族からは遺書だけ受け取って来た。姫殿下の裏方であったという事すら殆ど家族に話さなかったようで、国から少しだけ聞かされて初めて遺書を渡す相手や意味を知ったとか」

 

 ゾムニスが遺書は私室に置いて来たらしく。

 

 軽く帝都の現状を見て来た感想も話してくれた。

 

「そうか。基本的なものはオレ達が計画したものだが、微妙に求めていたモノとは違うような差異が散見されると」

 

「悪い意味ではないが、理想の誤差と呼ぶべきか」

 

「誤差、か」

 

 こちらが僅かに目を細めるとフォーエがフォローするように発言する。

 

「それは確かにあるよ。でも、まずは食事にしないかい?」

 

「ああ、そうだな。じゃあ、全員で食べようか」

 

 頂きますと手を合わせたこちらに全員が付き従う。

 

 それを背後で見ていたメイド達が何か納得したような顔になっていた。

 

「?」

 

「ああ、済みません。我らの一族では姫殿下に倣い。食事前に手を合わせるので。形式的なものだったのですが、言う程の事でも無かったので若い者達は由来を知らない者が多く」

 

「問題無い。やりたいヤツだけやればいい。命を頂く時には敬意を払う。それだけだからな」

 

 こうして食事が始まる。

 

 アルローゼン邸ではフォークやナイフの食器の他にも個人的な食事を作る時には研究所製の漆塗りの箸を使っているのだが、全員分の箸が食卓には添えられていた。

 

 それに為れない様子で使う者もいれば、使わずに食べる者もいる。

 

「そう言えば、箸は帝国で一般化したか?」

 

「いえ、一部の食事を取る時に使う以外では左程……ただ、ドゥリンガムの調味料を使った食卓を囲む料理などではよく使われています」

 

「味付けも味噌に醤油……ドゥリンガム風が多いな」

 

「はい。この五十年で定着した味です。“帝国発のドゥリンガム料理”の殆どは現地というよりは姫殿下のレシピを用いたものが全ての発祥となっています」

 

「やっぱりか……」

 

「どういう事? シュウ」

 

 普通に芋と鶏肉を醤油と出汁、砂糖などで炊いたものを箸でモクモク食べていた朱理が首を傾げていた。

 

「嘗て、ドゥリンガムに調味料を要請した時に帝国にはこんな料理無かったはずなんだ。だが、この料理はオレのレシピだ。しかも、殆ど再現されてる。確か、アルローゼン邸で一回しか作ってない」

 

「これらの料理は殆どが我々を受け入れて下さった侍従長を筆頭とした方々が再現されて、レシピを真似て姫殿下の味だと後世に残す努力を……」

 

「そういう事か。あの一回でよく……」

 

「それ以降、刊行された料理本は数多くの帝国料理の一角を担う重要な位置を占めました。姫殿下のレシピとして人々の胃袋を満たして来たのです。姫殿下が当時作者不明で創った料理本に乗せたお菓子や凝った作り方の料理、素材の味を引き出す為の調理手法、食品衛生概念、多くの食卓を護る術は1200種類程の料理と共に帝国の繁栄を支えております」

 

 思ってもみなかった程に料理は浸透しているようだ。

 

 前は取り敢えず料理で死人が出ないようにと創ったレシピばかりを本にさせていた。

 

 料理人の中でも評判の良い連中に日本式の素材を生かす調理法とフランス料理のような凝った調理法をどちらも合うと思った相手に調理技法読本として配ったのだが、思っていたよりも早く大陸では浸透したようだ。

 

「これらのレシピは帝国貴族の子女の方々。特にブラスタ女碩学院の方々の手で護られ、特別に姫殿下自らが御作りになったものとして今も貴族の子弟達には馴染み深いものでしょう。イゼリア様を筆頭として今も姫殿下が個人的に残されたものを引き継ぐ方は多いですよ……」

 

「……ありがたい事だ」

 

「当時の学院の講師の方々が著した姫殿下に関する書物も数多く。貴重な当時の資料としてよく学会では引用されております。戦争当時の歴史情勢や姫殿下の偉業の多くの典拠資料としても用いられており、それが現代帝国文化の勃興であった事は誰もが認めております」

 

「そうか……」

 

 煮物を頬張る。

 

 それは懐かしき母親の味というヤツだったが、言ってしまえばありきたりで子供に食べ易いようにと作られたものでもある。

 

「姫殿下がご自分で御作りになり、多くの方々に振舞われたお菓子や料理は相手の事を考えての味付けばかりだった。現帝国の料理をする母親には脈々と受け継がれております。自分の食べたいものではなく。家族が食べられる味を。その理念は今や大陸全土にも料理の基本の心構えとして全ての料理の本に刻まれるものとなっているのです」

 

 まったく、いつの間にか大仰になった話に苦笑を零す事も出来ず。

 

 静かに朝食を取る。

 

 本日の献立は芋と鳥肉の煮物に葉野菜のお浸しに焼き魚とみそ汁だ。

 

 日本食を食べ慣れていなければ、良し悪しがそもそも分からないものもある。

 

 嘗ての帝国式ならば、魚はムニエル、芋と鳥肉はパイ。葉野菜はサラダ。

 

 味付けはコンソメというのが一般的だろう。

 

 ついでに言えば、小麦ではなく。

 

 米に近い南部の穀物を炊いた代物が主食に収まっている。

 

「今日の調理を担当したのは?」

 

「孫娘の1人であるリーセです」

 

 ガチガチに緊張した17くらいの少女が頭を下げてゼインの前に進み出る。

 

「どうして、今日はこの献立に?」

 

「あ、はい!! その、昔から姫殿下の献立は食べていたのですが、私は姫殿下の献立を作る時に食べる相手の事を思うならと考え……」

 

 ゴクリと唾を呑み込んだ少女が恐々と呟くように語る。

 

「お疲れになり御帰宅されたばかりの姫殿下と家臣の皆様には油っぽい事も多い帝国料理よりも調味料を用いて薄味で素材の味を引き出す姫殿下のドゥリンガム料理の方が良いかと思い……」

 

「なるほど」

 

「当時は調味料がドゥリンガムから調達出来ていなかった時のレシピでしたが、姫殿下が直接調味料をドゥリンガムから大規模に取り寄せるように言われたのだとドゥリンガムの姫君からお聞きして……もしも今姫殿下がレシピを作るなら、現代式のものを好まれるのではないかと……」

 

「とても、美味しいですよ。本当に……わたくしがこの献立を作るとしても、この味にします」

 

「ッ―――あ、はい!!」

 

「良いものを食べさせて頂きました。明日の夜にはこちらで人数分調理しましょう」

 

「よろしいのですか?」

 

「これから大仕事が待っているので。その息抜きですよ」

 

「畏まりました。大半の食材と調味料、香辛料は取り揃えがありますが、何か特別なものがあれば、事前に取り寄せも可能です」

 

「では、帝都で揃うお菓子用のお酒と香辛料を。それと生クリームのような生ものや果物に関しての取扱いはありますか?」

 

「無論です。帝都は大陸最大の菓子見本市が開かれる場所。帝都の甘味は世界一だと言われるほどですので」

 

「柑橘類と豆類、油の多い果実類をお願いします」

 

「万事抜かりなく明日までには」

 

「よろしくお願いします」

 

 食べ終えたので御馳走様と手を再び合わせて立ち上がる。

 

「この家で働く全ての侍従の方達にまず言っておかねばならない事があります」

 

 ゴクリと唾を呑み込んだ若いメイドさんが複数。

 

「わたくしは貴族として生まれ。今は人間の心にバルバロスと呼べる体で生きております。また、貴族としてのわたくしはこのような体裁を取りますが、政治、軍事、あるいは気の置ける者達との会話では、“オレはこんな喋り方をする”だろう」

 

 最年長の者達は驚かなかった。

 

「どちらも仮面です。人は人の為に仮面を被る。決して、自分の為に仮面があるのではない。どちらもわたくしであり、どちらもオレだ。故に左程気にせず。仕事に励んで下さい。親や教師、仲間や子供の前で表裏無く話し方も変えない事は稀なのと同じだと考えて頂ければ」

 

 ニコリとしておく。

 

 それにいつもの面々は何か今更だなーという顔になっていた。

 

「さて、それじゃ……食べ終わった者は直ちに準備を終えて車に同乗。必要な情報を全て各省庁へ取りに行くぞ。送られて来た情報は精査したが、一部不備がある。理由は単純明快……不正で甘い汁を吸ってる頭の良い奴らがいるからだ。各員の能力的に不正の中身を詳しく指摘出来る。その為に必要な知識の類はもう紙に書き出しておいた。これを頼りにして狡猾な違反者を是非摘発して欲しい」

 

「フィティシラ。それ本当かい?」

 

「ああ、数値上の不備は無くても、実務上の不備は口頭諮問で隠し切れるもんじゃない。各省庁にざっと……14人くらいか」

 

「案外、不正とは無縁だと思っていたが……」

 

 ゾムニスが帝都を少し回って来た感想を呟く。

 

「連中は不正で過剰な利益を得ない。だが、一部の極些細な権力の私物化で人よりも楽に生きてるだけだ。だが、それをこそ戒めるように社会の仕組みは組まれてる。その穴を熟知して悪用する人間を放置しておくのは不合理だ」

 

「つまり、君の玩具にされる人間が決まったと」

 

 ゾムニスが人聞きの悪い事を言う。

 

「玩具だなんてとんでもない。優秀で高度な社会制度の穴を突くような連中にはもっと相応しい職に就いてもらう。給料も上げてやるし、他者よりも立場がある状況にしてやるだけだ」

 

「ああ、そういう事か。心底に同情するよ。彼らはもう私的な悪事すら働けない社会の歯車になるわけだね……」

 

 お茶を啜ったフォーエに微笑みだけ返しておく。

 

「単なる日常業務だ。犯罪者に犯罪者心理を突く職務をして貰うだけの簡単なお仕事だとも」

 

 午前中に回った省庁のあちこちで人材をスカウトするという体で集めた人々に車両移動中に書き出しておいた誓約書と契約書を差し出してサインさせたのだが、何か猛烈に涙を流されて償わせて欲しいコールを受けた。

 

 なら、どうして一々そういう制度の穴を突いていたのかと思わないでも無かったが、途中から加わったリージが大抵の役所に勤める人員は聖女フリークだからですよと肩を竦めて、彼らを有効利用する場所。

 

 各省庁の特別監査を行う部署へと彼らを引き取っていったのだった。

 

「ふぁ~~~あふぅ」

 

 頭の上には今日もフェグが乗っている……。

 

 *

 

 各省庁の穴をそのままに新しい獲物が掛かるのを期待しつつ、午後になる前に昼食時となった。

 

 適当にレストランにでも入ろうかと思ったのだが、まだ数日は検問が厳しい為に帝都の中枢近くの飲食店は閉まっており、開いているのはガランとしたファストフード店だけだった。

 

「いらっしゃいま―――」

 

 何か途中で顎が外れたような店員がお出迎えしてくれたので、大勢で一角を陣取る。

 

 現在はデュガ、ノイテ、イメリはアルローゼン邸で現代のメイドの必修スキルや知識を追加で学んでいる最中で傍にいない。

 

 また、エーゼルもイゼリアと昨日に引き続き久方ぶりの家族ぐるみでの再会を楽しんでもらっている。

 

 ついでに事情の説明や50年間の技術的や家族の進展に関しての話を聞く為に集合場所である研究所へと向かった後だ。

 

 リリとラニカは西部の親族と当時彼らを半ば育てていた西部三賢人と今では称されている老人達の親族との間に連絡を取り、西部の把握へと動いた。

 

 残ったのは朱理、エーカ、セーカ、アテオラ、フェグ、ヴェーナである。

 

 昨日に引き続きバンデシスの孫であるアルジャナ。

 

 更に昨日は外での見張りを引き受けたジークが帯同している。

 

「取り敢えず20人分でいいか?」

 

「んだ。いつもは30人前頼んでるだよ」

 

「いや、お前は別会計な? そもそも給料貰ってるだろ?」

 

 ガーンとヴェーナが衝撃を受けつつ、10人前くらいを個別に頼んでいるのを横目にアルジャナに人数分のファストフード……昔帝都に料理本で広めたハンバーガーを頼んでもらう。

 

「この五十年でこういう場所は結構出来たのか?」

 

「ええ、それは間違いなく。今や低開発国の殆どにも浸透してるわ」

 

 ジークが頷いたのを見て、メニューをザッと眺める。

 

「……地域色が出てるようで結構。物流も上手く機能してるみたいだな」

 

「メニュー1つでそこまで分かるものなの?」

 

「当たり前だ。あらゆる商業店舗の成果物は商品の物流で決まる。北部の開発だって物流を最優先にしたしな。帝国発の空輸事業だってほぼ相手国に負担を負わせない形で流通を掌握する代わりに物流網を使わせてるだろ?」

 

「昔、物流系の会社の人間と会った事はあるわ。主神は聖女様って言ってたけど」

 

「そういう事だ。そう言えば、この50年で大陸全土に統一鉄道網が張り巡らされたって聞いたが、案外便利だろ?」

 

「確かに……今じゃ旅客と物流どちらの線路も帝国式の国際鉄道会社が一手に仕切ってるし、小地方や寒村、僻地には小規模の鉄道接続地域からの空輸宅配が欠かせない。全部、帝国式なのが気に食わないけど、殆ど料金を取らないアレが無きゃ、生きていけない人は多いわ」

 

「基本は赤字だからな。だが、その赤字は帝国がほぼ全て被ってる。それが物流支配の代価って事だ。それにお前何処で帝国語を覚えた?」

 

「っ」

 

 ジークが息を呑んだ。

 

「オレが五十年前にやってたのは共通規格。共通認識。共通言語、共通意識の確立だ。世界共通の金融決済網、世界基軸通貨と現実的な世界物流網がこれを促進する。国境はそのままでも人の流入で帝国は繁栄するし、繁栄した分の金は大陸規模でのインフラの維持に使われる」

 

「……メレイス様の言う通り、敵わないか。今も昔もね」

 

 ジークが降参のポーズを取る。

 

「原産地表示見れば解るだろ。2000km先から届く食材でファストフードが成り立つってのがオレの敷いた網に各国が釣られてる証拠だ」

 

「グゥの音も出ない。そもそも今の帝国言語の下地って、貴女が用意していた各種の造語や新語で成り立ってるってメレイス様が言ってたわ。各国から調達した言語を取り込んでるから何処の国の人間にも難しいけれど、第二言語として最初から学んでれば親しみ易いとか何とか」

 

「そういう事だ。メニューに帝国語以外の言語で同時明記されてても、何となく大陸各国の言語しか分からない連中も表したい意味は分かるだろ?」

 

「その上、何なら貴女の掌の上じゃないのかしら」

 

 何か溜息が吐かれた。

 

「皆さん。お待たせしました」

 

「ああ、済みません。一人にさせてしまって」

 

 やってきたのは大量のトレーを持ったアルジャナだった。

 

「い、いえ!! 姫殿下のお役に立てるなら、このアルジャナ如何なる困難も、もぉおぉぉ!!?」

 

 落しそうになった複数枚のプラスチック製のトレーを即座に受け取って、各員に分配する。

 

「す、済みませんでした。お、お許しを……」

 

「いえ、これからは1人ではなく誰かに声を掛けて頂ければ」

 

「は、はい。ジーク殿よろしくお願い致します」

 

「私も悪かったわ。貴方一人にさせて」

 

「ジーク殿(´;ω;`)」

 

 ブワッと嬉し涙するアルジャナを前にジークの内心が読み取れるようだ。

 

 何かまた面倒なのを押し付けられた気がする、と。

 

「美味しいですね。コレ……地図を書いてる時はちょっと零しそうで怖いですけど」

 

「お、結構美味いで♪」

 

「あ、ホントだ。これってヨンロー風って書いてある」

 

「聖女風? 聖女風って、シューの味付けって事? でも、そんな感じしないけど」

 

「うまー」

 

 朱理達がハンバーガーを齧りながら、上手いけど何味なんだ?という顔になっていた。

 

 醤油を使ってはいるが、香辛料が地球とは違うので日本風とも言えない独特の風味になっている。

 

「ああ、聖女風というのは帝国発のドゥリンガム風という事です」

 

 ジークが捕捉する。

 

「そうか。朝も色々と聞いてはいたが、全般としてはそっちの調味料風って事でいいのか」

 

「はい。メレイス様は『いや、ドゥリンガムの調味料使っとるんじゃからドゥリンガム風でいいじゃろ?』ってぼやいていましたが、聖女風の方が売り上げが良いらしくて、ドゥリンガム風は流行りませんでした」

 

「はは、そういう事もある……」

 

 味噌や醤油などの発酵食品を作ったのは殆どミヨちゃん教授である。

 

 今度、時間があれば、日本酒だの、納豆だの、日本での発酵食品を作れる酵母とか菌とか開発出来るならして貰おうと考えつつ、エビカツバーガーを齧るのだった。

 

―――同店舗帝都中央区ディアボロ43号内従業員休憩所。

 

「ええと、聖女来訪なう、と」

 

 十代の女性店員が近年流行り出していたSNSに写真は写しはしなかったものの。

 

 そっくりさんの来店を投稿していた。

 

 小型電子端末は今や若者のマストアイテムだ。

 

 実名登録専売制を取っており、政府からは各種の犯罪に使われない限りは情報を取得されないという形で制約を受けて彼らは便利な通信手段としてソレを持っているわけだが、それにしても様々な教科書で乗っている顔にそっくりな聖女様(仮)が来店した事を思わず投稿したのは彼女の好奇心というやつであった。

 

―――店内でエビカツバーガー齧ってるみたい。一緒に来た子達もカワイイ感じ? 何か服が大昔のレトロシックなのだけど。

 

 このようなSNSへの書き込みに次々若者達の一部が反応していく。

 

 その中には陰謀を信じて疑わない殆ど真実だけ言い当ててた陰謀論者とかもいた。

 

―――は!? つまり、これは復活した聖女殿下が来店したんだよぉおおおおお!!?

 

―――な、何だってぇえええええ!!?

 

―――昨日から帝都が封鎖された。公式には青空の出現のせいだと言われている!! だが、帝都上空を最新鋭軍艦らしきものが飛行し、研究所方面へと向かったのが確認されてる。

 

―――つまり……そうか!!? 姫殿下が御帰還されたんだ!!

 

―――50年前の戦乱にて行方不明となったと政府は公式発表したけれど、未だに聖女殿下の御資産は帝国中央銀行内にて複利にて預けられているという話だ。

 

―――確かに……死んだ人間の資産は10年口座に動きが無ければ没収のはずだからな。政府は聖女殿下が死んでいないと知っていたという話になる!!

 

 彼らは大盛り上がりで、帝都の封鎖中の区画の店舗に行こうと準備を始める。

 

 しかし、そこに水を差す者達もいた。

 

―――ばっかだなぁ。お前ら……先日から封鎖中の区画で行われてた今年の聖女殿下を演じる若年層女優のオーディション知らないのか?

 

―――今年の映像舞台で放映されるのは例の姫殿下が女性好きだったとかいう噂に触発されて彼の大文豪が書いた【秘されし姫の物語】だぜ?

 

―――あ~~あの再販されずに値段が200倍になったヤツか? 確かウチの親がけしからんて連呼しながらもこっそり全話集めてたわ。

 

―――確か姫殿下の恋愛模様でデュガとノイテの主従との間に展開される禁断の三角関係なんだよな? ええと、途中から生徒会長が親友枠で入って来るけど、本当の気持ちに気付いた姫殿下がそっちと結ばれて四人で幸せな感じに過ごすヤツ。

 

―――姫殿下の行方不明時に消えた人物を使ってるからな。ちなみに書く時に文豪さん自身が時の陸軍大将閣下に許可を求めて家に出入りしたとか。

 

―――ウチの国の文豪って大抵その点だと命知らずよな。バルバロスの事を知りたいから、夏場のグアグリス観察に出掛けたり、他国の性事情に詳しくなりたいから、性病覚悟で各国の娼館に出入りしたり、姫殿下の食卓を書きたいからって性転換して例のアルローゼン邸の一族に弟子入りしたり。

 

―――今年もカワイイ子だといいな♪

 

 すぐに真実は現実の常識で上塗りされて行こうという輩は消えていく。

 

 聖女様のそっくりさんは帝国だと女優枠として優遇される事が大半だ。

 

 そういう事態の大本は大陸規模で展開された紙芝居が大本になっている。

 

 聖女の物語は大戦末期。

 

 それこそ反帝国連合との壮絶な戦いの中で行方不明という伝説を以て事実となり、それを多くの帝国の創作者達がこぞって作品化したのだ。

 

 紙芝居では数百万の大軍勢を前に仲間達を護る為に1人で戦いに行った姫殿下が軍の消滅と同時に消えたところで物語は終わり……当時の子供達を大いに泣かせた後、後日談が展開され『帰って来た少女』というのが流行語になった。

 

 こうして紙芝居は子供達の心に決して癒えない傷と感動を与えたりしたのだ。

 

 史実を元にしたという創作物は後に電子機器によって音声化、映像化されて、今では毎年のように帝国の国営放送で全52話の聖女近辺の話が大河ドラマ的に放映されていた。

 

 その主役として選ばれる聖女役に抜擢された少女達は大抵が二十代で女優や歌手の地位を確立し、多くがスターとして大成している。

 

『ふぅ……ドラクーンに通達。不審者を減らす事に成功せり。無用に人生が詰む若者はいなかった。いや、それにしてもやはり一般人に手軽な情報連絡手段を持たせると面倒な事になるな』

 

『これからはその点でも教育が進むそうだ。全て50年前に策定された通りにな……』

 

『全てか。未来すら見通す瞳……我らの姫殿下はまったく御慧眼であられるな』

 

『違いない。CPより各機へ。帝都内の治安は確保せり。引き続き高高度戦略偵察任務を続けられたし。地表でのルート確保は帝都守備隊陸軍情報部が受け持つ』

 

『ドラクーン9211了解。高高度狙撃防御を続行』

 

 密かにSNSに潜む帝国陸軍情報部による緻密な誘導により、聖女の秘密はひっそりと護られつつ、物騒な警護は続けられるのだった。

 

 *

 

『デュガ……ああ、ダメです。わ、わたくしは……大公家の……』

 

『ずっと、ずっと、姫殿下を、お、お慕い申し上げておりました!!』

 

『―――お二人とも昼食に、ッッ!!?』

 

『ノ、ノイテ、こ、これは……』

 

 ズチューッとテイクアウトしてきた南部の茶葉を使ったらしき紅茶を紙のカップから紙のストローで吸いつつ、何かやたらと美化された百合百合しい学園もの大河ドラマの撮影所に御通しされていた。

 

 理由は単純明快である。

 

 各省庁を点検し終えて、研究所に向かう道すがら、何か印刷局の連中に拉致られたからだ。

 

 いや、元印刷局と言った方が良いだろうか。

 

 複合的な出版報道である帝国大印刷は出版放送業界を牛耳るようになった国立にして世界最大の印刷企業だ。

 

 嘗ての約束通りにプロバガンダをやり終えた者達の継承者でもある。

 

 その重役と部下達が情報収集能力を極限まで使ってこちらを捕捉したらしい。

 

 車両が来る道で土下座で止められては話を聞かぬという事も出来ないだろう。

 

「姫殿下。このような場所にお忙しい最中、こんな形でお誘いした事、真にご不興の事かと存じまず。ですが、お怒りを買う事、重々承知で如何なる処罰も受ける所存。どうか、我々の話を聞いて頂けませんでしょうか」

 

「大丈夫ですよ。そこまでのものならば、わたくしにとっても重要な事でしょう。それに若い貴方達にそうしろと言い置いて消えた女にまだこのように忠義を尽くして頂けるのです。その言葉を聞かずして、聖女などと褒めそやされているわけにもゆきません」

 

「お、おぉぉ、何と寛大な!? その御心に尽くせるよう全ての者が誠心誠意であるとお約束します」

 

 嘗て、印刷局で話をした相手達の中でも若手であった者達の顔には見覚えがあった。

 

 この撮影所を使ったのも恐らくは情報封鎖の為なのだろう。

 

 まぁ、周囲にドラクーンが数名紛れ込んで私服姿でうろついてはいるが、今は周辺の警備に下がらせているので仲間達に撮影所を観光させていると思えば、左程の事でもないだろう。

 

「それでお話というのは?」

 

 数名の70代の重役連中の1人が進み出る。

 

「嘗ての姫殿下の御下命によって我ら帝国大印刷及び複数の出版印刷企業の多くはプロパガンダや情報操作に従事し、現在も帝国議会の要請で一般の情報操作全般を手掛けております」

 

「存じています」

 

「は……その上で帝国による大陸規模での思想誘導と教化を娯楽を用いて行って来ました。姫殿下が御作りになった学び舎から育った数多くの文豪と大衆文化、大衆芸術の偉人達が大陸娯楽の基礎を築き、大陸は帝国の手中にあります」

 

「はい。五十年で随分と苦労された事でしょう。歴史的な経緯や事件、関連する情報は頭に入っています」

 

「ですが、その中で姫殿下御自身の御意向によって姫殿下そのものを扱う際はどのような創作に使われようと自重を求めたり、一切の罪に問うような事があってはならない。倫理や道徳の為という形で止めさせる事もしてはならない。そう我らは言われ、この五十年で多くの姫殿下を題材とした創作物が産まれました」

 

「まだ、本屋には行っていないのですが、何か問題が?」

 

「そ、それが……嘗ては姫殿下における創作は格式高く。また姫殿下を直に見た者も多かった為、不埒な創作に使う者は少なかったのですが……今では性描写をそのまま行う創作物にも姫殿下の名前こそ出ませんが、そのような人物として描写される事も儘あり……」

 

「ああ、世の男性に何やら姫殿下じゃないか? みたいな顔で途中見られていたのはそういう事ですか。つまり、何処かしらでわたくしの顔をした創作物内部の女性に男性はお世話になっていたと」

 

 ダラダラと汗を流した重役達を見ていた50代から40代の男達がプルプルしていた。

 

 どうやら、お世話になった者は多そうだ。

 

「男性のみならず女性にもその傾向はありまして……げ、現在把握しているところによると年間で大陸で出される出版物の凡そ3.5%程に姫殿下を模した人物が出され、その内の成人向けの代物が44%。全年齢向けの中でも直接描写が無い代物が49%。残りは自費出版となっております。中にはとても口では言えないような過激なものも含まれており、法律上でも公人とはいえ、個人に対しての出版時の法規は―――」

 

「構いません」

 

「ッ―――」

 

「歴史とはそういうものでしょう。百年前に死んだ偉人が美しいからと現代の男性の慰めになる。だからと言って、その方が文句を言う事は無いでしょう。それが遺族ならば権利はあるでしょうが、生憎とわたくしは生きていますし、嘗ての言は今も変わりません。わたくしの代わりに権利を持つ方は今のところおりません。そして、五十年も行方不明だった人間が文句を付けるのはお門違いでしょう」

 

「ひ、姫殿下……っ」

 

 重役達が平謝りしている状況で目を潤ませていた。

 

「それよりもわたくしを多くの人に知って頂き。どのような形であれ、その創作物を通じて感心を持たれ、わたくしが目指したものを知って貰えたならば、これほどに嬉しい事もありません」

 

「そ、そのように……おぉ、ぉぉぉぉ……何と……何と寛大なっ、う、ぅぅぅぅ」

 

 重役達が全員ボロ泣きであった。

 

「ただ、わたくしはともかく。他の子に関しては後で色々とこちらで対応する事になるでしょう。まぁ、全てが終わった後ですが……」

 

「や、やはり、南部皇国の件は未だ?」

 

「ええ、ですから、それも含めて今後も貴方達にして欲しい事があるのです。無論、帝国議会、リージを通しての依頼となるでしょうが……」

 

「おお、悪魔きょ―――ゲホゲホ。リージ議長閣下からのご依頼となれば、必ずや!!」

 

 どうやら悪魔みたいなリージさんは相当に畏れられているらしい。

 

「それと撮影所というのはもっと狭いかと思っていましたが、屋外にこのように邸宅を再現する程の規模とは……よく出来たセットですね。街並みも嘗ての時代を思い起こさせます」

 

「そ、そう言って頂けるとこの場所で働く者達も大いに喜ぶものかと」

 

「ただ、物語とはいえ。やはり、自分が口付けしているシーンを撮られているのは少し恥ずかしいですね」

 

 と、いつもの営業スマイルでちょっとだけ恥ずかし気な顔にしておく。

 

 これでプロパガンダ機関の再掌握完了と思ったところで声が響く。

 

『あぁあああ!? ちゅーしてるぞ!! ちゅー!! ノイテとあたしは家でそんなのした事ないぞ!?』

 

『まぁ、今更でしょう。これからする事もあるでしょうし……』

 

『はぅ!!? ひ、姫殿下と皆さんはそんな関係だったんですね!!?』

 

『いや、現実はもっと酷いという事を先日知ったばかりですよ。アテオラ……というか、自分が出てる物語が撮影されているとか。これはもう恥ずかし過ぎて死にたくなるような気分です』

 

『ふぇぐもいるー♪』

 

『んだ。ヴェーナもいるだよ~~♪』

 

『リ、リリは……いません』

 

『妹よ。オレもいないから気にするな』

 

 どうやらメイド三人衆もラニカ達も合流したらしい。

 

『うぅ、偽物のシューの浮気者~~~!?』

 

『まぁ、有名税や。有名税』

 

『その内、私達も出られるかな? おねーちゃん』

 

『さぁ? そもそも新約聖女物語みたいなもんでも出ない限りは無理なんちゃうん? あ、これも後でルシアに教えとこー』

 

 ダラダラと重役達の汗が再び額に浮く。

 

「ど、どうやらご本人達もいるようで……」

 

「あの子達があまり傷付かないよう公共放送などでの取り扱いの場合は報われる物語を心掛けて頂ければ……」

 

「か、必ず……」

 

 と言うところで重役達から過激本のリストなるものを受け取って、ちょっとした小一時間のお仕事は終わったのだった。

 

(やれやれ……)

 

 後で現在演じている人間や今まで演じて来た人間に色々と手紙を書く事にしようと決めて、騒がしい仲間達をまだまだ見たそうな現場から引き剥がし、研究所へと向かう事とした。

 

 *

 

「ようやく来たわね」

 

 研究所の玄関先で出迎えてくれたのはスーツ姿の老女だった。

 

「イゼリア。随分と待たせました」

 

 面影がある。

 

 だが、刻まれた皺は少なからず幸せだった事の証明だろう。

 

「他人の夫の心を今も鷲掴みにしてる人の言う事は一味違うわね」

 

「生憎としばらく老後を提供出来る程の平和には程遠いと思いますが、それも遠くない時間には終わるでしょう」

 

「あっそ。こっちに言う事無いの?」

 

「帝国の資金繰り。ご苦労様でした」

 

 頭を下げる。

 

 実際、どの予算、どの決算の書類を見ても見事なものだった。

 

 当時の財務官僚とは比べ物にならない緻密な見積もりや予算、決算書類は全て目の前の相手が多くの部下達と共に毎年作り上げた芸術だっただろう。

 

「御弟妹の方達はどうでしたか?」

 

「昔別れた自分の孫みたいな齢の兄弟姉妹を見て、久しぶりって泣いてたわ。ついでに孫連中も連れて来て、ワイワイやってる」

 

「そうですか……エーゼルさんとは?」

 

「泣く前に帰るのが遅いって怒っちゃったわ。そしたら、泣かれて……泣いちゃった……」

 

 その笑みを浮かべる瞳の横は僅かに赤かった。

 

「姉妹で本来過ごすはずだった時間。いえ、多くの家族から時間を奪った事は生涯背負っていくつもりです」

 

「そんなの誰も望んじゃいないわよ。あのねぇ。何でこの研究所に色んな人間の遺言が集まってたと思うの?」

 

「っ」

 

「……アンタらがいつ帰って来るか分からなかったから、全てを姫殿下に任せると決めて、関係者で高齢の誰もが遺書を認めたの。あの子達を貴女がいつかの未来まで護り抜いてくれると信じて」

 

「……はい」

 

「だから、いいのよ。時間を背負うよりもあの子達の未来を頼んだわ。それに貴族らしく愛人囲う事に決めたんでしょ?」

 

「ええ、まぁ……」

 

「エーゼルが嬉しそうだった……私達姉妹を助けた貴女に感謝しなかった事なんて無い……だから、胸を張って歩いてよ。この世界を造った神様なんかよりもずっと貴女の方が人々を幸せに出来ると証明して頂戴」

 

「―――命の限りに必ず」

 

「そう。なら、後は言う事も無いわ。そろそろ全て後輩に託す気だったから、退官後は此処で研究予算の管理でもするわ。偶には来なさいよ。それと妹を泣かせたら承知しないんだからね?」

 

 頷くと傍に置かれていた車両に部下達と同乗して背中は遠ざかっていった。

 

「……泣く~?」

 

「泣かないさ」

 

 フェグの言葉に軽く拳を胸元で握る。

 

「此処からだ。全部……」

 

 背後の少女達に気を遣わせてしまっただろうが、そのまま研究所内に入る。

 

 やるべき事は山積みに違いなかった。

 

―――同刻帝都外縁部。

 

「これが帝国の……」

 

「誠に恐ろしい事だが、今あの帝都の一区画に配備された火力は大陸を軽く30回は滅ぼせるものだ」

 

「これがたった一人……たった一人の為の警護だと言うのか」

 

「我らが父、祖父達の代においては正しく神とすら称された者の力。時にそれは神話の時代の力すらも凌駕したと噂にはあるが……あの火力で戦うべき敵など正しく統一皇国旧首都に封じられたという伝説の組織くらいだろう」

 

「今や大陸は帝国そのものとなってしまった」

 

「多くの国がそれを良しとしたのだ。合理的であり、理性的な回答を良しとする親帝国閥でなくとも、多くの良識人、知識人、軍人、政治家、商人の回答は一緒だ」

 

「事実上の大陸支配。だが、支配が真っ当である限り、この一強は崩れない」

 

「そして、今の帝国人は驕らない。嘗ての方が御し易かったとすら言われる程の倫理と道徳の申し子となれば……」

 

「我々が付け入る隙は一つしかないだろう」

 

「帝国の聖女か……」

 

 呟かれた言葉は小さく。

 

 周囲には沈黙が漂う。

 

 彼らが見ていたのは協力者によって齎された帝国中枢たる帝都の封鎖された地域を丸ごと覆っているレーダー情報であった。

 

 そこに映る恐ろしい程の数の見えざる光点は数百にも及び。

 

 何も無いように見せられている空が正しく王城の如く警備されているのが分かる。

 

 それでなくても帝都の一部区画が検問によって事実上封されているのだ。

 

 経済的な損失がかなり出ているはずだが、何処の業界からも疑問の声どころか怒りの声すら上がって来ない。

 

 政府のやっている事を静観している風なのは全ての分野の上層部が一致した見解を持っているからに他ならない。

 

「50年前のバルバロスによる大襲撃ですら、ドラクーンと各地の兵で500万近い化け物を処理し切ったのだ。それもアウトナンバーにすら迫る力を持った個体ばかりだったとの話……現有戦力はそれよりも更に進んだ兵装を持っている」

 

「漏れ聞こえてすら来ないが、ドラクーンの上位層が用いる兵器は正しく物語の中の代物だとの噂は真実だろう」

 

「そうだな。事実、あの研究所から出された研究発表内容の殆どを現行の大陸でも有数であろう他国の学者が理解し切れないと言うのだから」

 

「聖女の二剣と称された片方のドラクーンだけでコレだ。アウトナンバーを今も屠り続けているリバイツネードを含めれば、もはや我々が正攻法や邪道でどうこう出来るとも思えんな」

 

「だからこそだ。この作戦はそういった現実を超過する泥臭さで実行するしかない」

 

「………決行は帝都封鎖が解かれる直前だ。同志より事実上の回答があった。我らに力を貸す。ただし、その後は命を以て償う為、何一つ協力出来ない。だそうだ」

 

 ひっそりと郊外の小さな封鎖された酒場では静かに十名近い者達の計画が進んでいくのだった。


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