ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第122話「煉獄を裂く者達Ⅴ」

 

「リージか。老けたな。休暇はいるか?」

 

 研究所内で教授達に色々と便宜を図った後。

 

 ようやく、他の事に取り掛かろうとした時。

 

 背後に数名の官僚風の貴族の男達を連れてやって来たのは正しく右腕なリージだった。

 

 今年で七十数歳のはずだが、まったく矍鑠としているのでまだ後十年以上は現役かもしれない。

 

「随分と待たされましたが、貴女から承った仕事の量からすれば、まだ少し仕事時間が足りません」

 

「そうか……今は帝国議会の議長だったか」

 

「はい。積もる話はこちらばかりのようですが、全体像に付いて把握しているのは恐らく私だけでしょう。研究所の一室を抑えてあります。こちらへ」

 

「ああ」

 

 貴族の男達は途中で畏まって背後で頭を下げていた。

 

「今のは部下か?」

 

「いえ、ウチの息子達ですよ。と言っても派閥の次期トップを競う親密な部下というのが正しいですが……」

 

「ちなみに実際の結婚はしたのか?」

 

「はい。議長になる男が独身では恰好が付かないだろうとお見合いでしたが、良い妻に恵まれました。姫殿下に負けないと負けん気の強いヤツで……まぁ、イゼリアですが」

 

「イゼリアと結婚したのか!?」

 

 さすがに驚いた。

 

「ええ、あの後、貴女の抜けた穴を埋めるのに2人で何とかやっていたら、お見合い相手の覧に名前があったので……2人で決めた事です」

 

「そうか。なら、あいつも……」

 

「今頃はエーゼルさん相手に号泣しまくりですね。恐らく兄弟姉妹達も皆家族を連れ立って研究所の一角で泣いているかと」

 

「そうか。こっちはこっちでちゃんとやれてたんだな」

 

「貴女のおかげでアウトナンバーとの戦いもほぼ勝ち越しました。あらゆる面での社会防衛、社会復興策はそちらの計画の基礎があればこそに過ぎません」

 

「そうか。五十年間の報告を聞こう。長くなりそうだ」

 

「はは、違いない。世界はもう手中にあります。ですが、貴女は別にそれを望んだわけではない。結果論にしか過ぎないというのが何とも……」

 

 部屋に付いてリージが休憩とお茶を挟みつつ話してくれたのは現在に至るまでの大陸の詳しい状況だった。

 

 とにかくバイツネードの狩り出しが終わる前からアウトナンバーと呼ばれるバルバロスが出現し続け、それの対応に軍事力の大半が忙殺された事。

 

 文化や文明、技術力の発展自体は順調だったが、一番の懸案は四つの力がこちら不在で攻めて来た時の対応が今の大陸で叶うものなのか分からなかったという。

 

 結果としてウィシャスとドラクーンの上位層をとにかく強化する方策で軍事力を強化し、その大半の力は全てアウトナンバーの討伐に役立った。

 

 結果として軍事力だけなら文明レベルの数百年先にいる自負があるらしい。

 

「その結果があの艦隊なわけだ」

 

「ええ、それを支える資金力は大陸の発展で捻出出来ました。研究者というのが金よりも好奇心を満たす生き物であり、職業であるという常識が彼らの雇用費の面でも大きかったでしょう。何よりも大陸最高の叡智と技能は今も昔も此処に在る」

 

「大陸中から人材は吸い上げられたと」

 

「ええ、展開されていた大陸規模での情報工作、プロパガンダも極めて強く働きました。文字通り、憧れの世界には優秀でさえあれば行けるのです。それを閉ざす全ての障害は社会から取り除かれていた事もあり、子供達は此処を目指した。男の子はドラクーン、女の子はエーゼルさんのような女碩学や姫殿下のような立派な人物というスタンダードが大陸でも一般的になった」

 

「憧れは何よりも強い動機になるからな」

 

「また、文化面で他国を全て圧倒した事も勝因でしょう。他国の娯楽を下し、旧い時代のものにしてしまった我が国の大規模な娯楽政策、文化政策は他国の民を完全に魅了した。倫理、道徳、社会正義、全てが人々の娯楽によって教本となった。大陸の識字率は現行で99・98%です」

 

「……そうか。本当にご苦労だった……」

 

「貴女の組んだ政策に間違いはなかった。時代にそぐわない場合の適応化の工程すらも貴方が事前準備していた規範に沿った結果として殆どが上手く行われた。惜しむらくは五十年前に産まれて五十年後に生きる全ての人類が青空を今まで知らなかった事、くらいでしょう」

 

「……準備が役立ったなら、それに越した事はない。だが、それでも儘ならない事もあるか」

 

「アウトナンバーはそちらが倒したと言う時空間に干渉するバルバロスような何かの余波というのは研究からも分かっていました。その残存した影響が何処まで続くのかは分かりませんが、これからは同時に四つの力も動き出すのでは?」

 

「その通りだ。猶予期間が終わったからな」

 

「あちらにとっても異常事態だったわけですか。ならば、ドラクーンとバイツネード。両機関は未だ聖女の剣なりて、采配をお待ちしております」

 

「リバイツネードの連中はまだ現役だろうが、何か変わった事は?」

 

「全員が結婚しませんでしたが、彼らの遺伝子を用いた薬でリバイツネードとドラクーンの一部には特化戦力が整備されています」

 

「あいつらの血統と言えなくも無い連中がいると」

 

「ええ、此処数年の話ですが。それと聖女の子供達と呼ばれていた蒼の欠片の力を使う子供達の能力は【蒼力(アズラル)】と名付けられ、嘗てのバイツネード本家の人員よりも汎用性と能力の拡張、特化などで人間のままに人間を止められる事が解りました」

 

「オレと同じか」

 

「はい。ドラクーンにも彼らは登用しましたが、人間の枠内で限界まで鍛えたグアグリスの遺伝子改良由来の超人たる通常のドラクーンと比べても劣りません」

 

「だろうな。さっき戦ってみたが、ドラクーンは装備無しだと辛いだろうな」

 

「装備込みなら出来る事の幅は違いますが、戦闘や後方支援に関連して言えば、やる事はほぼ変わりませんので」

 

「確かに連中の戦い方は洗練されてたと言っていい」

 

「それでなのですが、御帰還に際して未だ権力そのものは動かせますが、若手の中には独裁主義的な権力行使は喜ばしくないという層もいます。この際、黙らせるのに選挙で議員資格を取って頂きたいのですが……」

 

「全部、任せてもいいか? 一週間程、この大陸の現状の情報が欲しい。精査が必要だ。民主主義は長く続けるのには良いが、決断自体は遅いからな。追認の形で対処してくれると助かる」

 

「解りました。変わっていませんね。貴女は……」

 

「帝都を出てこっちはまだ二週間経ってないからな」

 

「では、こちらで全ての準備を。ああ、言い忘れていました。帝都、北部、ガラジオンの三か所で同時に宇宙開発の名目で月の現状を調査していますが、宇宙に送った人員とウィシャスからの報告があります」

 

「想像は付くが、聞こう」

 

「【我、月を砕く指を確認せり。本体規模は凡そ本星を遥かに凌ぐ10万km単位の“雑兵”】と」

 

「さっき、教授達の情報で相手を倒す為の方策か懐柔したり、洗脳したり、あるいは妥協する方策にするかで天秤が揺らいだばっかりだ」

 

「戦闘なら恐らく可能です」

 

「本当にか?」

 

「はい。ゼド機関は無限機関。そして、戦闘用ゼド機関に関しては10m級の戦略兵装60万本、予備の電力動力炉芯として120万本以上を常に最高効率で稼働させ続けています。毎年1万本ずつ増産中です。この36年間ずっと……」

 

「―――」

 

「来るべき四つの力との戦いの為、動力機関として大陸各地に普及させた無限機関による発電計画。大陸各地に安置したソレらは表向きは電力供給用の発電所という事になっていますが、1週間で兵装への積み替えも可能なゼド機関の動力蓄積場所でもあります」

 

「はは、いつの間にか。オレより陰謀屋になってるな。リージ」

 

「左程の事もありませんよ。現在12年前から製造している艦は公表こそしていませんが、短期間の改修作業で全て宇宙での活動が可能なように設計しています」

 

「よく資金が捻出出来たな。資本主義社会じゃコストだけで計画が潰れそうにも思えるが」

 

「大陸の超重元素資源の6割はゼド機関の作製に使われていると言われていますが、事実としては全て艦と武装、兵器級のゼド機関の製造に使われています。ゼド機関は今や大陸の主要都市の重要動力、電力源。ソレに掛かる製造費こそ高いですが運用コストはほぼ0なのですよ。それを少し帳簿上で誤魔化せば……」

 

「運用コストとして計上出来ると?」

 

「ええ、今まで大陸で支払われたゼド機関の動力に対するほぼ全ての運用費を艦隊、装備、諸々の整備に当てました。文明が救われたなら、画期的な技術でコストがゼロになったとでも言って民間に広く無料の動力を行き渡らせる構想です」

 

「ゼド機関以外の内燃動力は?」

 

「石炭を主軸とした蒸気機関は電力を引くとコストが高く付くのに費用対効果があまりない地域で長期間運用を前提にした動力として使用されています」

 

「僻地用か」

 

「はい。観光資源にもしました。風光明媚な地方で蒸気機関の動力を使った地域として経済の仕組みそのものを特例設計。文明と技術の維持という名目で特区指定する事で廃れないようにしました。また石炭は今も地方では主力の暖房用燃料です」

 

「なるほど。他の内燃機関に付いては?」

 

「石油などの化石燃料に関しては燃料を運用の主軸とせずに化学的な運用を。ただ、電力で動かすモーターよりも馬力が必要な機械などではよく動力機関の燃料として使われます」

 

「例えば?」

 

「土建業の機器、重機では主力です。これらは油圧機構の技術発展維持の為にも使われていて、どちらも土木建築現場では主流です。モーターでも可能なのですが、運用の用途は残しておき、技術も引き続き開発せねばならないとして、大陸のインフラ建設で未だ多数の需要があるかと」

 

「資源の再利用計画に付いては?」

 

「そちらはグアグリスが主要な計画の要となるのは変わりませんが、化学的な還元方法や再利用関連の技術開発には随分と投資しました。超重元素を触媒に用いた様々な加工手法は現在の文明を築いた化学の基礎的な技術となっています」

 

「今の状況なら資源の浪費を抑えて、永続的に消費活動を継続出来るか?」

 

「少なからず1000年は保障します。文明と技術の発展が先行している状況下ですが、現在の人類の総数は凡そ123億人。地域差こそありますが、人口は今もゆっくりと増えている現状です。ですが、人類総人口を養うだけの食糧を含めた備蓄も準備も増え続けています」

 

「……じゃあ、低開発国の人間も食べられるようになってるか?」

 

「はい。生活水準は五十年前に比べれば、ほぼ現代水準。やはり社会保障費の殆どが万能薬によって抑制されているのが大きいでしょう」

 

「命に掛けられる金が少なくて済むわけか」

 

「恩恵は絶大です。医療、特に薬学そのものは神掛かった発展を見せていますし、寿命を延ばしたいだけなら、グアグリスを用いた統一政体管理下の一部の薬でも可能になりました。殆どの外科手術というのがやはり万能薬のせいで開発が遅れ気味ではありますが、何とか進歩速度は維持しています」

 

「万能薬自体の値段は?」

 

「低開発国でも一般の貧困層が2か月分の借金をすれば、買える程度です。緊急時と重病証明が無ければ使えませんが、人口のほぼ十割が国民皆医療制度の恩恵を受けた為、老衰と通常の事故事件を含めなければ、10万人の死亡者数は年10人から0.3人程です」

 

「格差的には貧しければ死ねと言われなくなったと解釈してもいいんだな?」

 

「はい。万能薬の政策が無ければ、今頃我々の多くの政策が頓挫していたでしょう。アウトナンバーやバルバロス被害は例外的に年間でも12万人近い即死での被害が出ていますが、初期対応で間に合わない相手が殆どであり、対応さえ出来れば人死には殆ど出ていません」

 

「人口問題なら少子高齢化問題や地方の衰退はどうだ? 一応、対策は最初からしていたが、ほぼ起きていないと考えていいのか?」

 

「それは最初期から対処していたおかげでほぼ止まりました。地方産業の転換や現地の産品の開発、地方企業の創設、諸々と地方優遇政策と中央集権化を並列して断行、首都圏に住まう住民の事務的な労力の増加で大都市への極度の人、物、金の集中を防いだりもしましたね」

 

「色々と批判も出ただろうが、お疲れ様だ」

 

「結果的には何がしかの優秀な能力があるか。真面目に働き者でなければ、首都圏に住めない。というのが認知され一般化したので。左程の批判は出ませんでした」

 

「そうか……ある種の篩には掛けたと」

 

「はい。首都圏から出ても地方で活躍、地方で住み良く暮らそうとする流れも出来たので今のところは大丈夫でしょう。そもそも浮浪者政策の一貫でしたしね」

 

「そちらの方は?」

 

「先進的な不動産政策と言われました。軸となる国民皆居住制度のおかげで社会的な弱者の大半は国営社宅入りしましたし、始めた当時はかなり元奴隷や移民の方にも感謝されましたね」

 

「奴隷、移民、難民の同化政策は?」

 

「完了しました。現在も移民難民は引き続き受け入れていますが、基本的には帝国式の日常を受け入れられない者は放逐するという基本は変わっていません」

 

「引き続きそれで頼む」

 

「また、無料の国営住居に入居している間は選挙、政治活動、政治家、政治及び公務員への接触は違法とした事で衆愚政治の類は不可能になりましたし、移民難民の派閥化も全て潰しました。政治に口出しするなら能力と倫理と道徳。帝国の範を自ら示し、帝国人として立つべき。というのが一般常識となりましたので」

 

「さすがに帝国でも衆愚政治は困るからな。教育資源が限られているとはいえ、国民皆教育による知識層の拡大は政策上必須だったし、貧困家庭の中でも酷いような人材に教育格差で低倫理、低道徳人材を再生産されても困るし」

 

「彼らの教化に関してはかなり教育部門の方々のお力を借りました。悪人をいきなり善人するような魔法染みた彼らの熱意と情熱が無ければ、帝国は移民問題難民問題で内部分裂でしたよ」

 

「後で何か送っておこう」

 

「弱者救済策はそもそも万能薬から始まって教育の義務の履行などで教育弱者自体が減った事も起因して批判も小さかった。特に今言ったような教育者の方々の力と国家教育基本法による大改革で多くの子供達も救われました」

 

「例の政策は?」

 

「無論、完遂を。親の義務の厳格化、性の自由化と同時に警察権力による家庭に優越する子供の保護の義務も加算した事で無暗な妊娠も減りましたし、避妊率も上がりました。堕胎率も9割減でしたね。親に相応しくない者達の検挙と排除も進みました。特に子供の精神と健康の維持に対する養育被害は非親告罪化したのが効きましたね」

 

「存在を許されない“ダメな親”を国が定義した事で曖昧になっていた家制度内での被害も防止ってのが目的だったが、何処まで行った?」

 

「家庭内での暴力や養育放棄、養育不足、養育上の不備、倫理道徳違反も現行8割方消えましたよ」

 

「それでも二割はあるのか……さすがに根深いな」

 

「ですが、子供を持つには向かない人間や子供を虐待する人間を徹底的に取り締まり、炙り出す為の義務を背負わせた結果として、実際に家庭で絶望する子供は減ったかと」

 

「数は減少傾向か?」

 

「勿論です。精神衛生関連の医療機関、心理診療機関での治療数は子供達に関して言えば、年々増加していますが、結果としては重度と診断される者の割合は当時から比べれば9割近く低下しています」

 

「そうか……」

 

「そもそもが貧困層の意味が嘗てとは違います。貴方が掲げた貧困層の定義にほぼ近くなった。食べられない。学べない。住めない。そんな貧困は無くなりました」

 

「何よりだとは思うが、それでも無くなりはしないのがそういう概念だからな……」

 

「子供達の現状も親が相応しいかを心理的にも経済的にもほぼ資格的なものとして示さねばならなくなった為、子供を作る親達の多くは出産に対して昔よりも真面目に考えていますよ」

 

「はは、お前もか?」

 

「ええ、普通に当時は様々な検査や審査を受けましたから。ダメ親は社会的に最下層で地道に生きて下さいというのが我が国どころか今や大陸の基本的な価値観ですし、先進国の基礎的な教養として布教されました」

 

「子供の命がまずは第一だから、そこは社会が変わっても譲らなくていい」

 

「心理調査が行われる以上は嘘が付けない。人間のクズに人間の親の資格は無い。正しくその通りの社会だと今なら言えます。少子高齢化は議論されていますが、そもそもの先程言ったように堕胎数が嘗ての10%以下、現行の社会で中流層が育てられる子供の数と出産数が4人以上7人未満で安定したので悪くない数字かと」

 

 リージが瞳を細める。

 

「ちなみに万能薬の出産前、出産後の一時投与による障害や遺伝子異常の是正は医療技術の未発達な地域でも多くの家庭を救いましたし、医療的や擁護に医療的に手の掛からない子供が圧倒的になった事で出産に対する思想も変化しました。捨て子や堕胎もほぼ行われなくなったのは偉業でしょう」

 

「民主主義やってるとそこらへんが緩いからな。クズに優しい社会は一般のクズじゃない人間に厳しい世界と同義だ。これからも徹底してくれ」

 

「はい。ちなみに犯罪を犯した親と認定された親元から離れた子供達もしっかりと教育施設を親元とする集団や学園などの複数の社会集団に組み込む事で孤立化を防ぐ試みにも成功しています」

 

「上手くいったか……」

 

「はい。やはり、いつでも頼って来て良い国営の窓口として孤児院を含む教育機関を子供達にとって公的な権利を持つ“家庭”として整備した事は間違いでは無かったと思います」

 

「孤独、孤立は人間にとって毒だからな」

 

「実際、多くの子供達や大人になった者達に様々な事を訊ねて情報を収集していますが、今は共に育った仲間が家族で、施設の長が親のようだと思っていると8割は答えています」

 

「なら、良かった。独立後の孤立化は貧困と犯罪への転落の第一歩。助けてくれる国営の信頼出来る組織や集団に所属し、そういう人材に対して普通の暮らしを提供する。これでたぶん問題無いと踏んでやってみたが、成功したようだ」

 

「はい。当時の孤児達の9割以上は貧困層を脱した事も確認されています。これら国営組織内部の問題の監査役である心理の担い手たる“彼ら”によって社会内部の不正義、不道徳の是正や倫理の強化も大きく進展したので維持は比較的容易です」

 

「反腐敗の機構そのものが腐敗するものだと思えってスローガンにしたしな」

 

「今の国営組織の腐敗率は1割を切っています。その腐敗した行為の半分は1年以内に検挙。残りは3年以内です」

 

「無くなりはしないのも想定内だ」

 

「何れも致命的なものは更にその内の1割に満たない。行政組織の半数以上は今のところ不定期の健診でも10年以上大規模な不正は無いと。小さなものは色々とありますが、殆ど初期対応で済ませられています」

 

「今後も組織の管理は厳しめに頼む」

 

「喜んで」

 

 ふうと息を吐く。

 

「大体は事前予測と準備通りに推移したと認識しておく。後で電子媒体で送ってくれ。というか、そう言えば、アルローゼンの家はどうなってる?」

 

「今も存在します。嘗ての侍従の方々は家政学校をして貰い。残した若手の者達は史跡の管理者として観光地化したアルローゼン邸の維持の名目で現在も職務に従事中です」

 

「……忘れてたんだが、東部から連れて来た連中は?」

 

「それは―――」

 

 扉がコンコン叩かれた。

 

 ついでに声を返す間もなく開かれる。

 

「おう。帰って来たって? 我らの姫殿下ってヤツが」

 

「……何で生きてるんだ? 副棟梁」

 

 エズヤ・エンヤ。

 

 嘗て本家の情報部門を仕切っていた女だ。

 

 あの頃とまるで変わらないのに姿だけは今日に限っては控えめなセパレートのドレス姿でやって来た彼女は変わらない様子で肩を竦めた。

 

「死んでると思われてたのか。まぁ、確かに寿命的なもんは回復してもかなり削れてたからね。ま、生きてる理由は簡単さね。リバイツネードの連中に寿命を延ばして貰ってね。ご意見番として連中の面倒を見る奴らをウチで輩出してる」

 

「排出?」

 

「ウチの子供達はあの後、家業的にアルローゼン邸を維持してるが、同時に結婚して子供を産む子も出て来てね」

 

「ふむふむ」

 

「あの広い家に住まわせて貰う代わりに特殊な家政婦として一族総出で派遣業をしてる。特にリバイツネードやドラクーンの身の回りの世話ってのは色々と秘密が多くて問題だろう?」

 

「傍で彼らを世話するなら、それを知っている者が良いわけか」

 

「ああ、そういう事だ。今じゃ、どっちもお得意さんでウチの子達と結婚する連中もいるくらいだ。子供の頃から教え込んでるから、戦闘での支援も完璧だしね」

 

「表向きは主を待つ侍従の一族。実際には元暗殺家業的戦闘術に家政婦業と……」

 

「その主が帰って来たんだ。見にも来るだろう普通?」

 

 肩が竦められた。

 

 五十年ぶりという程の話をしているようには見えない。

 

 その変わらない様子に何か安堵した気持ちになった。

 

「それで家はそのまま?」

 

「ああ、大公閣下とそっちの部屋は今も普段は使用せずに特別なお客様用の部屋として維持してるよ」

 

「特別な?」

 

「騎士ウィシャスにフォーエ殿、リージ様。他にも縁のあった方々に使って貰ってるのさ」

 

「別に構わないが……そうか」

 

「嫌だったかい?」

 

「使われないと痛むから仕方ない。家の管理、ご苦労。本家がこの世界に復帰するまで時間が有るか無いかも分からない。早急に色々と揃えたり、手伝ってもらうぞ。ウチの連中全員をすぐ泊まらせられるか?」

 

「無論だ。敷地内の奥を少し増設して普段生活する区域と維持の為に生活する屋敷で使い分けてる。今すぐ全ての部屋を前の状態で全員に使わせられるよ」

 

「解った。此処での仕事が終わったら、すぐに頼む。屋内の施設や設備の増設は?」

 

「現代式のものを全て一定期間で最新に入れ替えて使ってる」

 

「解った。直ちにいつもの全員分の支度を頼む」

 

「了解だ。じゃあ、失礼するよ。今はリバイツネードで老後の嗜みで寮母なんてやってるもんでね。我らが主殿」

 

 エズヤが手をヒラヒラと後ろ手に振って、その場を後にした。

 

「はぁぁぁ、忘れてるというか。忘れさせられてるというか」

 

「?」

 

「猫と幼女に過去を弄られまくりって事だ。良い方に、なんだろうがな」

 

「どうやらまた色々と面倒事を背負っているようで」

 

「詳しく聞かなくていいが、黒猫と幼女には気を付けろよ。あいつら加減しないからな」

 

「マヲー?」

 

「それはかなりアレな発言でごじゃるよ~~ね~~?」

 

「マーヲ!!」

 

 いきなり自分の背後にいる声に驚いたリージがすぐに苦笑を零した。

 

「覚えておきましょう。我が主も畏れるモノが多いらしいと」

 

「そうしといてくれ。取り敢えず、引率はゾムニスに一任しよう」

 

 こうして頭にへばり付いて難しい話が分からずに寝込むフェグをそのままに研究所内で新しい仕事を始める事にするのだった。

 

 *

 

『おお、何という事だ!! あの悪魔卿が動き、ドラクーンの総動員。これは恐らく―――』

 

『あの御方の御帰還。となれば、青空の回復は吉兆であったか』

 

『そうであるならば、我らも馳せ参じるべきだが、今は止めておこう。あの御方の邪魔をしてはならない。今は御命令があるまで待機せねば』

 

 帝都の中枢が封鎖される夜。

 

 貴族の社交場の一角では老貴族達が集まり、何処でも口々に噂していた。

 

 そして、一部の者達は帝都に帰還した者の事を静かに語り、それに反応する老貴族の多くが涙を流して喜ぶやら、震えながら酒を飲んで感情の爆発を耐えていた。

 

 殆どは五十年前には聖女と呼ばれる者を知り、見ていた者達だ。

 

 その様子を見る六十代以下の貴族達は老人達の異変を感じ取りながらも、一体何が起こっているんだと噂し、研究所は帝国議会が封鎖されたとの事実を知って、情報を集めながら、明日も空は蒼いのだろうかと思いを馳せつつ、真相に近付いていた。

 

『地方の貴族の多くも今、帝都のホテルを貸し切る準備をしているそうだ』

 

『そうか。政府からの発表はまだか。いや、存外掛かるかもしれんな』

 

『今日帝都に出たアウトナンバーに付いて面白い情報がある。謎のドラクーンというのだが』

 

『ほう? それはそれは……聞こうじゃないか』

 

 貴族達がこの調子であった為、政治経済軍事のお偉方以外からは殆ど情報が出て来ず。

 

 帝国の経済的損失があるにも関わらず、帝都が事実上封鎖されている事に対して不満を口にする一般人は数多かった。

 

 無論、厳重なのは政治と研究の中枢だけであった為、商売そのものは左程影響を受けていなかったが、夜の検問、移動車両の検問、帝都の主要幹線道路の一定距離での検問にうんざりしている者は随分と多く。

 

 帰るのに2時間近く掛かる者もいて、十数年前から発達した電子空間上のコミュニケーションツールを用いたSNSや掲示板のような場所では事件を大きく取り上げていた。

 

 無論、各報道はこれに追従するかと思われたが、上からの総ストップが掛かって明日の一面を飾る事が無いというので記者や報道関係者の不満が爆発。

 

 だが、局長級以上が全てこれに盲目的と言えるまでに従っていた為、多くの者達はあの帝国自由報道の牙城たる人々が何故に報道せぬのかと首を傾げた。

 

 その極一部は上司から絶対にオレが言ったと零すなよと念押しされて、予想という名の真実を教えられ……翌日の朝刊が青空特集になる事を納得した。

 

『お~~我がカワイイ娘よ!! 御父しゃんだよ~~~』

 

『ね~ね~とーしゃん。きょうもおしごとなの~?』

 

『ごめんな~~本当にごめんな~~でも、とうしゃん今日は帰れないんだ~~』

 

『どらくーんのおしごと?』

 

『そう。そうなんだ!! 我が娘よ。今日は尊い方が帰って来たんだ。だから、しばらくは帰れないかもしれない』

 

『とーといかた? あ、ひめでんかでしょ!! ひめでんか、いつかはかえってくるって!! ごほんでよんだよ!!』

 

『あははは、我が娘は賢いなぁ~~』

 

『ひめでんか。みんなのためにずっとおいのりしてるってかいてた~』

 

『ああ、そうだ。姫殿下の祈りは遍く世界に届けられている。だから、我々は……』

 

『とーしゃん?』

 

『はは、何でもない。何でもないぞぅ。あ、お母さんに代わってくれるかな?』

 

『はーい。おかーしゃん』

 

『はい。代りました。貴方……遂に帰って来たのですね』

 

『はは、世の中は分からないものさ』

 

『左様ですか……我がアルローゼン邸の一族の悲願が遂に……となれば、すぐにでも招集が掛かる。この子は隣の姉に一端任せて、馳せ参じねばなりません』

 

『そうか。お前も頑張ってくれ。その子にもいつか話せる日が来るといいな』

 

『今の内から教育はしております。侍従長たるゼイン母様も恐らく地方視察から帰って来ているはず……しばらくは互いに会えないかもしれませんね』

 

『数日でこの騒ぎも収まるはずだ。帝都が正常に動き始めてからが本番だろう。大陸規模での騒動になる。邸での動きにはくれぐれも気を付けてくれ』

 

『この子を残しては死ねませんよ』

 

『おかーしゃん?』

 

『さ、今日はもうお休みしましょうね』

 

『はーい』

 

 帝都の異常が人々共有されていく最中。

 

 一部の聡い権力者と呼ばれる人々の多くは帝都を目指した。

 

 世界はそうして青空と天空の満月の下、動き出したのだった。

 

 *

 

 数多くの人々が動き出し始めた最中。

 

 現在、アルローゼン邸周辺が封鎖され、ドラクーンが数十人態勢で超高高度から警護をしている。

 

 研究所から観光用の大型車両一台でやって来た面々が帝都の史跡扱いされている外観となり果てた立て看板付きの家を見つつ、数十名のメイド達による出迎えを受けていた。

 

「当邸にてお帰りをお待ちしておりました。姫殿下」

 

「……もしかしてゼインか。立派になったな……」

 

 中央に立つのは正しくこれぞ侍従という佇まいの齢を重ねた女だ。

 

 その言葉だけで60台に入ろうという彼女が瞳の潤みをグッと耐えた。

 

「あの日、我らを受け入れて下さった事。我らが母を御救い下さった事。今も忘れません」

 

「そうか。永の暇の間、家を護ってくれた事……礼を言う」

 

「勿体なきお言葉……痛み入ります」

 

「過去に勤めていた侍従長以下殆どの者達が亡くなってるのは聞いてる。彼女達の墓に出向けるかは分からないが、彼女達に勲一等を授与する事はリージに言ってある。母共々、今後も家を護ってくれ」

 

「はッッ!!! この身命に代えましても!!」

 

「さすがに命は掛けさせられないな。家は壊れても治せばいいが、お前達に代わりはない。見た事の無い顔もいるが、今後も留守気味の我が屋を頼みたい」

 

 頭を下げると驚きと同時に涙を零す侍従達が70代から10代前半まで幅広く頷いてくれた。

 

「玄関口で待たせ過ぎました。ご案内致します。史跡となった部分は全て民間にも開放されておりますが、私室の方は関係者以外には開放しておりません。五十年前と違うのは設備のみとなります。使い方から含めて全てこちらで案内致しますので……皆さん」

 

 侍従達が仕事人の顔になった。

 

『お帰りなさいませ』

 

 その軍隊よりも統率の取れた一糸乱れぬ腰を折った一礼。

 

 それは嘗て自分を迎えてくれた侍従達を思わせた。

 

「只今、戻りました。今夜は疲れているので夕食は軽めに。明日以降、盛大に食事会を開きます。明日の朝に説明を」

 

「了解にてございます」

 

 ゼインの言葉を誰もが復唱した。

 

 今の今まで背後で頭にべったりくっ付いていたフェグに突っ込み一つ入れない出来たメイド達の横を通り過ぎて、全員で帰還する。

 

「ゾムニス。取り纏めは任せた。明日は出来るところから手を付けてくれ」

 

「了解した。残してきた部下達の遺族会があるらしい。明日は最初にそちらに顔を出してから研究所に行ってくる」

 

「フィティシラ」

 

 ユイの言葉に背後を振り返る。

 

「?」

 

「僕は……家に行ってくるよ。リージさんが僕がいなくなった後に産まれた弟達を集めてくれたらしくて……たぶん、数日戻れないと思う」

 

「解った。行って来い。待ってるぞ。親友」

 

「っ、うん」

 

 家というのはきっと誰かがいてくれるから家なのだと。

 

 そう思える久しぶりの帰宅。

 

 侍従達の一部はこちらの様子を何か物凄く感動した様子で見ていたのだが、一挙手一投足に感動されるような自分ではないので後で事情を聴いてみようと決めるのだった。

 

 *

 

「なぁなぁ、ノイテ」

 

「何ですか?」

 

「今日、夜這いに行かないか?」

 

「そうですね。夜這いにでも行きま―――ゲッホゴホゴホ!!?」

 

 2人のメイドが久しぶりに帰った自室での事であった。

 

「い、いきなり、何を言い出すかと思いましたよ?」

 

「でも、何か増え過ぎじゃないか? 周辺の人間関係」

 

「ま、まぁ……それは有りますが、すっかり忘れていた2人も今は居ますし」

 

「フェグは五十年間のご褒美だって、しばらく好きにさせるみたいだし、幼馴染なシュリーは膨れつつ一緒に寝るらしいし、何か遠慮してるとあっと言う間に家庭内の序列が下がりそうだなーって」

 

「ま、まぁ、切実な子の手前遠慮する子ばかりですから」

 

「アテオラ、イメリ、リリ、エーゼル、ルシア、案外みんな奥手だよなぁ」

 

「幼馴染と一生面倒見ると最初に言っていた奴隷という立場が強過ぎます。ヴェーナ嬢は元々、客将のような立ち位置で好奇心の塊。衣食住さえあれば、文句の無い様子。序列争いには参加してませんし、此処での序列なんてどうでも良さそうですが……」

 

「アズにぃもエジェットも大変だけど夫婦になったって言うし、リニスもピンピンしてるらしいし、今度ちゃんと会わないとな」

 

「そうしましょう」

 

「ノイテは家族に会わなくていいのか?」

 

「色々と終わったら兄妹達に会いには行こうと思っていますが、しばらくは無理でしょう」

 

「だな……明日からまたずっと篭りっ切りになるらしいし。つまり、今日は夜這いに行くぞ」

 

「はぁ、仕方ありませんね。付き合いましょう。熱い内に何事もしておくのは良い事ですよ」

 

「ノイテが言うと何だか含蓄無い気がする……」

 

「よ、余計なお世話です!! デュガ!?」

 

 こうしていそいそと2人のメイドが夜の通路をうろつき。

 

 一人の少女の私室に赴く。

 

 こっそり、扉を開けて入り込んだ2人の足音を消す様子は泥棒も舌を巻くに違いない。

 

 広い部屋の巨大な寝台の上では中央でもぞもぞする塊があった。

 

「んふ~~~♪」

 

 寝言でモゾモゾしているのはフェグだ。

 

 そして、中央で寝ている部屋の主には横になって向かい合う傍目から見れば、美しい黒髪の少女が寝ていた。

 

「おじゃましまーす」

 

 こそこそしながらベッタリしているフェグや向かい合う幼馴染とも違う第三勢力として足元に入り込んだ寝間着姿の2人だが。

 

「(……何か違う気がする)」

 

「(疲れてる相手の上に乗るわけにも行きませんし、何れは左右を取れるように頑張るというので今日は妥協しておくべきでは?)」

 

「(まぁ、いきなり五十年後で皆疲れてるしなぁ)」

 

「(じゃあ、何故この状況で夜這いしようなんて言い出したのかと疑問になるのですが?)」

 

「(ちょっと寝顔が見たくなっただけだぞ。ふふ……)」

 

 ふぅとノイテが仕方なさそうな笑みで息を吐いた。

 

「(頑張り過ぎる伴侶を癒すのも妻の務めでしょう)」

 

「(明日は早起きしなきゃな。あふ……おやすみ)」

 

「(ええ、お休みなさい。デュガシェス様……)」

 

 2人が自分達にやってきた理由も放棄して、少女の寝顔に満足しつつ、足元の掛布の中でモゾモゾしながらスヤスヤし始める。

 

 その夜、穏やかな部屋の中にはフェグの幸せそうな寝言だけが響いていたのだった。


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