ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第155話「覚者は轍と為りて」

 

―――ラグランジュ2宙域。

 

『ジ・アルティメット緊急起動。32秒後の着弾防御を開始』

 

 宇宙空間における初戦闘がオブジェクト相手のトンデモな戦いだった事は記憶に新しいが、同時にまた多くの知見を得たドラクーン達は地球圏に配置された複数の防衛線沿いに設置が開始された巨大な鋼の人型竜……ジ・アルティメットによる防御陣地の構築と戦術、戦略研究によって各ラグランジュポイントへと仮の迎撃拠点構築をようやく終えつつあった。

 

 その最中、第一報は月面裏から少し離れた宙域から発された。

 

 月を掴む指。

 

 四つの力の一つが月から消えたのを確認したドラクーンの1分隊はその後の観測を行う為に周辺に展開しており、月の防衛ラインの外側を構築。

 

 火星宙域から移動してくる四つの力の一つからの攻撃を防御するべく。

 

 常に厳戒態勢を敷いていた。

 

【ジ・アルティメット/14】

 

 最上位勢の一角たる男を筆頭にして船と大型の機械式装甲を纏った21名は新式のゼド機関を用いた巨大な3万km単位のジ・アルティメット能力伝導用である幅広い布状の巨大構造物を構築し、その最も超重元素に近い金属元素で織り込んだネットを火星域へ常に向けた状態で沈黙。

 

 その規模を拡大再生産していた。

 

 だが、広大な宇宙では見えないに等しい程にソレは薄い。

 

 たった厚さ30cmしかない金属布は隙間だらけだ。

 

 何処までも広がる大地のようではあったが、その広さとは裏腹に偽装された光学的に見えないソレは月から離れて地球を隠すように存在すら悟らせず展開されている。

 

『着弾まで残り12秒。蒼力展開―――敵高速弾質量は約459km程の大きさに相当』

 

『思っていたよりも小さい。あちらの偽装方法が判明後は更に観測領域を広げる為に子機の運用は必須か』

 

『着弾します。対物防御、全質量のエネルギー転換開始、消失まで2秒』

 

 その光速の3%程で地球に衝突コースだった巨大隕石らしき超重元素製の質量弾が網の端に接触した瞬間。

 

 網は見えないままに衝撃を受け流しながら、接触面から広がった増幅された蒼力によるエネルギー変換で引責そのものを喰らうかのように消し飛ばした。

 

 しかし、同時にエネルギーが猛烈な勢いで網を伝導し、ジ・アルティメットの片腕を通して流れ込む様子は一瞬だけ光った虚空を閃光が駆け抜けたかのように光らせる。

 

『伝導吸収成功……ジ・アルティメットの秒間出力換算で1.4%程に相当するエネルギーです。超重元素ではない為、本体質量ではない模様』

 

『従来の鎧なら軽く溶解しているエネルギーだが、コイツならたったこれだけのエネルギー吸収でしかないわけか』

 

『巨大隕石を全てエネルギーにしたら、それこそクェーサー並みの瞬間出力が出るんです。ソレをワザとロスの出る方法で伝導中の網にダメージを受けつつ吸収……網そのものは3秒で修復。しかも、こちらに吸収したエネルギーは全てゼド機関で安全に保存。吸収するエネルギーが少なからず常時太陽の全体が生み出す出力の3分の1でようやくオーバーロードするかどうか。これで神の手先にまったく届かないというのだから、我らはつくづく試されていますよ。分隊長』

 

『ドラクーンのジ・アルティメットによる初実戦だ。まずは敵攻撃の防御法の確立が先決……次弾は?』

 

『光速の98%までなら着弾3秒前までに全て分かります』

 

『……感無し。火星域からの同規模の次弾確認出来ません。艦隊による散布した子機による多重防衛観測網は現在のところ機能しているようです』

 

『敵が我々の感知を全て潜り抜けるまでは今のまま手の内は見せなくていいですね』

 

『こちらの様子見か? 狙われているかもしれんな』

 

『侵食及び完全な支配が行われない限りは自爆の必要もありません。気楽に行きましょう』

 

『子機に感有り……当該宙域に到達まで39時間。どうやら、あちらは白兵戦がお好みだそうですよ』

 

『……質量弾にしては小さ過ぎるわけか。あれだけの大きさのものを偽装して、此処まで打ち込んで来る敵だ。これは陽動もしくは……』

 

『こちらを倒す札を持たせた小兵でしょうか?』

 

『相手が合理的な思考だけで物事を考えるなら。今すぐに光速の数十%程まで加速して本星に体当たりすればいい。だが、そうはしない。つまり……』

 

『人間様の戦闘様式に合わせてくれた上で邪悪だと?』

 

『陽動もある。他もある。で、恐らくいいはずだ。姫殿下との訓練が生きたな』

 

『他宙域でも同様のようです。今、連絡がありました』

 

 実際に様々な光が本星より遠方の各宙域で次々に煌めき始めていた。

 

『小規模な波状攻撃による陽動と攪乱。本命はこういった場合はどれも本命。そして、一番の大本命は……まぁ、我らの領分ではないだろう。任せよう』

 

『了解しました。小型はこちらで処分しておきます。全機ジ・アルティメットより発進する。先遣用の躯体を六単位連れて行く。ポッド開放』

 

 ジ・アルティメットの背中に積まれていたランドセル状のカバンに見えるソレが次々に分裂して30cm程の正方形状のドローンとなった。

 

 合計600機程に砕けたソレらが次々に真空の海へ整列する。

 

『衛星軌道上のステーションより、防御幕生成用のシールド・ドローンが発艦しました。光学偽装状態のまま衛星軌道上に投入開始されます』

 

『敵攻撃があるまでは慣性だけで機動させて、後は偽装したままではあちらも発見は困難だ。幸いにも我々には物量がある。あちらはそれを超える超物量だが、距離で生かせるまでには時間が掛かる。月面外の宙域は未だ穴だらけな以上は直撃コース以外は無視していい』

 

『背後の新米連中に任せましょう』

 

『我らは我らに出来る事をする。それが仕事か』

 

『この広大な宇宙では星の中とは違って探索するべき個所が多過ぎる……敵が網に係るのを待つのが最も効率が良い……ふふ、昔なら此処で喜び勇んで戦いに向かっていたな』

 

『我らが我らの仕事をすれば、それだけ相手は制約を受ける。それこそが仕事と……』

 

『諸君。力むな。騒ぐな。待っていろ、だ。例え、本星が滅んでも我らが動かなければ勝利である。信じるとは極論、全てを諦める事だ。訓練で上位勢まで上り詰めた諸君なら分かるな』

 

『分かっていますとも。分隊長殿』

 

『では、帰って来るまで南部産のワインはお預けしておきましょう。飲まないようにお願いしますよ』

 

『勝利の美酒にはまだ早いと思うが、頭の片隅に入れておこう。では、良い戦場を』

 

『良い戦場を。分隊長殿』

 

 彼らはそう軽口を叩きながら、今生の別れになるかもしれない同僚と離れ、ドローンを其々引き連れて各宙域の持ち場へと移動を開始した。

 

 *

 

―――帝都ゼド機関受注企業【タイタン】本社ビル。

 

「専務……帝国陸軍から第一報です。【竜騎士は接敵せり】との事です」

 

「そうか。遂に始まったか……」

 

 アバンステア帝国の経済が極限の青天井を描いていた50年前から現代に至るまで、その力の源泉は常に極大規模の超重元素資源炭鉱と帝国発のあらゆる軍事技術を基礎とする民生品を生み出す企業群であった。

 

 世界最高の技術を研究開発するのが一軍事研究機関である帝技研であるならば、その技術力を民間で次々に商品として売り出して、大陸に普及させ、生活を向上させ、莫大な富の創出を行って来たのは帝国企業だ。

 

 その7割は”帝技研出の無能”と自虐する人々の起こした会社であり、残りの3割はその彼らが鍛えた民間技術者や研究者達である。

 

 帝国の商品の基礎的な販売思想はこうだ。

 

 当事国において高耐久で最低限度の能力を持つものを出来る限り普及させる。

 

 商品で儲ける、ではなく。

 

 しっかりと稼ぐ、でもなく。

 

 出来る限り普及させる、である。

 

 それが彼らのやり方だった。

 

「我が社の新型ゼド機関の実戦投入……賽は投げられましたね」

 

 世界最大のプラットフォーマー。

 

 基礎を築く者。

 

 仕組みの創造者。

 

 帝国外の現代企業が知る帝国企業とは正しく生活を支える製品とその製造工程を普及させた始りの組織だ。

 

 サプライチェーンを構築した分野毎の創業者、先駆者なのである。

 

 他国において帝国に追随する企業の殆どが帝国企業や帝国技研への留学経験があると聞けば、そのあまりにも寡占的な体制がよく分かる話だ。

 

 だが、実際には帝国と親しい企業以外の祖国の企業も商品自体は言う程悪くない上に多くの高性能商品の大半は祖国製というのを多くの国々の人々は知っている。

 

 理由は単純明快であり、帝国はハイエンドな完成品を売る存在ではなく。

 

 あらゆる商品の開発者としてロイヤリティや技術的なパテントや部品や素材を売るのが本業だからである。

 

「ああ、君は知らんのだったな」

 

「はい?」

 

 帝国商品のこういった変化はアウトナンバーが出現し始めてから進行し、今では大陸の主要産業、主要製造業全ての分野において帝国技術を用いない企業はほぼ存在しない。

 

 どんな分野でも必ず重要な位置を占める帝国技術のパテントは各国企業を実質的に支配する枷であり、同時に制御する為の政治的な手札として利用される。

 

 無論、社会的な最底辺層は今も何処だろうと存在するし、彼らの生活を支えるのはとにかく壊れない仕事をする不便だがちゃんと40年保証されてしまう単なる帝国製の最低価格商品である。

 

 殆ど儲けは出ないが、儲けの為にやっているわけではない帝国企業にとって不採算でさえなければ、もしくは企業精神にそぐわない事業で無ければ、帝国製商品が市場から駆逐される事は当事者企業の意向無しには在り得ない。

 

「あれは我らの企業が開発した機関の技術は採用しているが、もう作り直された後だ」

 

「え? ど、どういう事でしょうか? 何も聞いておりませんが……作り直した?」

 

 企業群の多くが帝国資本、国家資本で運営されている事が多い。

 

 これは帝国企業そのものが社会の歯車として構成された一要素として強く意識された造りである為だ。

 

 帝国の企業とは実質的にはアバンステア帝国そのものを成立させる為に存在しており、企業の“儲け”というのは二の次、三の次であり、その最大の存在理由は人類の技術振興、産業振興、商業振興、軍事振興とも呼べる四つの理由を十全に真っ当に行う為である。

 

 資本主義とは言っても、その分配が大陸全体で儲けられる人間程に儲けに興味が無くなっていくような社会構造と社会通念が何よりも重視され、同時に儲けたら他人が自分で儲けられるように使えというのが帝国人の美徳でもある。

 

 金が無くても最低限度は生きていける帝国という国家において、その福祉と生活が限界まで優秀な者達と優秀な法律と優秀な技術で効率化された世界において、金とは“義務”であり、それらを頼る無能は国家に面倒を見て貰う以上は善良であれというのがまったく以て現在の帝国の最底辺層の自覚だ。

 

 金があるから、贅沢が出来るのではない。

 

 贅沢とは金を使う事ではなく。

 

 感情を満足させる事である。

 

 そう彼らは常々多くの人々にとある聖女様が執筆した聖典染みた書籍を勧める。

 

「帝国は効率を愛する。帝国は合理を愛する。帝国は感情を制御する」

 

「それは……例の本からですか?」

 

「左様。そして、帝国の技術進展速度は今まで音速を超える程度だったが、あのお方のご帰還により、光速を突破する勢いになっている、という事だ」

 

「まさか、この短期間で機関の再開発を? 帝技研ですか?」

 

「いいや、彼らも太鼓判を押す我らの技術の精粋は間違いなく軍用として歴史に名を遺す無限機関だ。だが、新たな見地と新たな叡智が齎された時、それを最もよく知る方が自らの手で機関の名を冠した方とその御仲間達の手を借りて、次なる段階へと至った」

 

「―――!?」

 

 金持ち程によく質素に暮らしており、その大半が自分の資金で孤児院経営だとか開発後進国の国家で教育の私教育に投資したり、あるいは金など持っていたくないと言わんばかりに帝国内での行楽に使って特産品を買うし、特産品を開発する小規模経営の企業に超低金利で貸し出していたりする。

 

 その金が帰って来なくなっても、殆ど彼らは意にも介さない。

 

 満足な使い方がされたならば、それが債務不履行だろうと納得して不利益を被るし、満足な使い方がされていなかったならば、優良債権だろうが平気で法廷闘争をする。

 

 彼らは彼らの満足のいく金の使い方をする為に金を持っている。

 

 その義務を行使するのだ。

 

 そして、自分達が生きていく上で多少の贅沢は行ったりするが、何よりも足りるを知った金持ちという明らかに資本主義社会では絶滅しそうな人種が9割の主流派であり、彼らの資本の使い方は事実上の青天井の賭博に近い人々の幸福と技術の進歩に用いられた。

 

「本望だ。代表取締役からはよくやってくれたと泣かれたよ」

 

「………そう、ですか」

 

「我らは歴史の轍となった。あの方がよくぞ此処まで高めてくれたと仰られていたと。そう聞いている……此処から先は再び新たな技術が下りて来るまで現行のものを更に改良する事が我らの義務となるだろう」

 

「我が企業のエンジニア達が理解出来る範疇の技術や知識であれば、良いのですが……」

 

「抜かりはない。事業部と研究開発部門の合同チームが現在、降ろされて来ている基礎理論の理解の為に毎日12時間程、教育を受けている最中だ」

 

「ああ、それで各部門の上位陣が軒並み有給を……」

 

「脱落した者は現行のモデルのブラッシュアップ用の理論開発。先に行く者は先進技術の基礎理論を得て、新型開発の為に研究を開始する予定だ。まぁ、4年は先の話だが……」

 

「それまで人類が生きていれば、ですか?」

 

「疑わんよ。我らは帝国企業の中でも人類中最も“お願いだから生き残ってくれ”と官民から願われている層の一角だ。我らが信じずして、誰が人類を救う英雄達の心臓を作るのかね?」

 

「帝国技研はあくまで最先端。末端の兵達を作るのは我らの技術……と、言われましても今の高度過ぎる理論の大半は学び続けなければ、とても付いていけません」

 

「それは私とて同じだ。だが、西部の一号機や代替機が先日運用を開始された状態でもう数世代先とも思える技術が出て来ている。恐らく、無限機関ではこれ以上のものは殆ど人類史にも出てこないだろうにな」

 

「同意は出来ます……」

 

「機能の追加や出力の上限上昇はこの先も在り得るだろうが、我らの積み上げて来たモノがこれからの戦局を左右するのは間違いない事実だ」

 

「噂ではゼド教授率いる教授陣と帝技研の最精鋭達が研究所内部で今後の戦局を左右するかもしれない研究開発を行っていると聞きますが……」

 

「恐らくはソレが鍵だ。この状況下で、この環境下で、この人類終焉の一歩手前の状態で間に合うのかどうかは知らないが……やる気なのだろう。彼らは……」

 

「“オーバートップ”の方は空でもう配備が終わったとお聞きしました。アレさえあれば、彼らが例え間に合わなかったとしてもどうにかなるでしょうか……」

 

「耳が早いな君も……ああ、確かについ先日、企業群の合同チームが極秘研究を完成させた。基礎制御理論と各種の問題も全て解決済みと報告を受けている。理論値では最大出力のゼド機関を完全に上回る内燃機関の完成だが……」

 

「何か問題が?」

 

「地表で使う用の試作機はあちらに借り上げられたそうだ」

 

「借り上げられた?」

 

「ああ、帝国技研が新型射撃兵装の動力機関として用いる為に1号機を持って行ったそうだ。急ピッチで今、量産が進められているらしい。宇宙のとは別口でな」

 

「ならば、目的は果たしたと?」

 

「ああ、先日先行試作量産型がデータ取りを兼ねてドラクーンに渡ってバイツネード殲滅戦にて運用されたと聞いている。現在はジ・アルティメット用のものがあのお方の手によって作られている最中とも……」

 

「―――我らの苦労も報われたと言うべきでしょうか」

 

「まだ早いな。それは君と君の家族が生き残ってから言うべきだ。これだけのものを用意しても我ら人類に生き残れる確率は左程高くないともう各地の量子コンピューター群の演算結果が出ているのだから……」

 

「信じましょう。もうそれしかあの方々を我らが応援する方法も無い事は解っていますし……」

 

「そうだな……人材派遣企業が此処まで大きくなった。そろそろ私も引退か。俊英連中はもう上役になってしまったし、上に上がれない無能は身を引くべき頃合いだ」

 

「左様ですか。故郷へ御帰りに?」

 

「ああ、馬でも育てて暮らそうかと思ってな。父曰く、人類をちゃんと救ってから戻って来いとの事だ。数年後には君が次になっているだろう」

 

「悲しめばいいのか。苦しめばいいのか」

 

「はは、好きにしたまえ。タイタンに来て、タイタンの仕事をし始めた我ら東部陣営が此処まで来た。今や親帝国領域内で我ら以上の権力と資金力を持つ組織も早々無いだろうに人類まで救ってしまったら、神と崇め奉られてしまうな。はははは♪」

 

「左程、間違っていないのでは?」

 

「烏滸がましい話になる。父は昔、あの方に一度だけ出会った時、刃を向けた事があるそうで。故に我らが家の家訓はこうだ。【人類の未来を脅かした我らは人類を救わねばならない!!】」

 

「何だかスゴイお話ですね。初めて聞きました」

 

「恥の家訓だと言っていたよ。当時、偽札を刷っていた祖国を救うべく嘆願しにやってきた故郷の偉人達の護衛者だった父は母と母の妹と共にあの方を前にして何とも失礼な態度だったらしい」

 

「なるほど。そういう関係で……」

 

「だが、あのお方はそんな父母を自らの力の一つたるタイタンへ勧誘した。その中で成り上がっていく傍ら、時間が経てば経つ程に父の呵責は大きくなっていたらしい。そして、どれだけあのお方が偉大だったものか。ようやく分かった時にはこの企業があった」

 

「お父上が現代の創造主を殺していたら、我らは生きていなかったでしょうね」

 

「だろうな。だからか。いつか、この企業が、この場所に集う者達が、あのお方の助けとなるように……そう教育された」

 

「果されましたね。その家訓は……」

 

「まだ早い。それは後々に人々が判断する事だ。それを見届けるまで死ねん。だが、何事にも絶対はない。故に君達の同世代中、最も優秀だろう相手にこうして愚痴っているわけだ」

 

「その愚痴、謹んでお預かりします」

 

「よろしく頼むぞ。次の世代が残っている限り、我らの勝利だ。その勝利を積み重ねられるのは、積み重ねるには君のような“優秀な無能”が大量に必要なのだよ」

 

「存じております。プライドなど同世代の有能な同僚達の前でもう随分昔に粉々となりましたから」

 

「覚えておきたまえ。社会は無能で回っている。有能なる者達が、無能なる者達と共に手を取り合って互いを理解して、あるいは共に生活し、生きてこそ、今の大陸があるのだ」

 

「その奇跡を続けていく事こそが……」

 

「ああ、あの方の望みなのだよ」

 

 一つの企業が有するビル群の一角。

 

 窓ガラスから見える空を見上げた一組の男達は同じ時代の同じ空に同じ光景を見る。

 

 夕暮れ時の月が浮かび上がる程の発光があちこちから何度も押し寄せて来る。

 

 それが戦いの始りである事を彼らは理解しながら、隕石が落ち来る前に家族の下へ帰宅する事とした。

 

 これこそ権力者の特権―――緊急時の定時帰宅。

 

 これ以上の特権なんて在りはしない。

 

 世の中、金と権力。

 

 それは実しやかに真実であり、その真実は常に控えめに言って人生の教訓染みて人間の感情を満たすモノなのが、帝国の権力者の現実なのだ。

 

 この現実を前にしては余分な金も要らなければ、面倒な仕事もしようというのが……1人の少女が生み出したかった善良なる隣人達なのである。

 

 *

 

―――帝都心理調査庁会議室。

 

「プロパガンダの極意は君達も知っているだろうな。だが、世の中は分からないものだ。いや、分からなかった事を分かろうとした挙句が現代とも言える」

 

 会議室の内部には防音防諜用のシステムが備えられていた、りはしない。

 

 だが、同時にどんな類の彼らを聞く相手もいない。

 

 理由は定かである。

 

 彼らには顔が無かった。

 

 のっぺらぼうな仮面が付けられていたからだ。

 

 だが、彼らの声は何一つとして偽りなく昔から変わらない。

 

 去る者はいるが、入って来る者の多くは彼らに為れない。

 

 スーツ姿に無貌を意味する白いだけののっぺりとした仮面は何一つとして個人的な性質を有さないという意思表示だが、そんな事が不可能なのは彼らも分かっているので、あくまで戒めの意味合いでしかなく。

 

 昨今の創作物に出て来るような秘密結社でもなければ、大げさな中二病的な陰謀論を紡ぐような雰囲気も無い。

 

 その仮面越しの会合はあくまで会合でしかないのだ。

 

「あの方からの評価が下った。功罪在り。許されるものではないが、必要な事でもある。その上で任せた事に悔いは無く。全ての罪は自らの責として解消する。だそうだ」

 

 その場には十数名の人々がいる。

 

―――心理調査庁。

 

 庁とは付いているが、帝国内の経済産業省と司法省の管轄下に合同で置かれた大陸の知性ある存在の心理状態を観測、制御する為の事実上の独立機関である。

 

 彼らの多くは50年前にスカウトされた人々であり、彼らの部下はこの50年で1万倍に増えたりはしたものの……多くは彼らの知識の一端を得るのみで臨床心理学的な研究は一部の限られた部下だけがひっそりと行っている。

 

「我らの50年は人間の心を紐解き、読み解き、解析し、蓄積し、叡智として記し、あらゆる悪意から大陸を護った。これに誰も異論は無いはずだ」

 

 心理調査庁は特に巨大な大陸社会においては司法と経済とそれに対しての人事権に対して“心理適正評価”という形で人物評価の絶対基準を確立した旗手だ。

 

 良い人間ならば、知識が無くても高い位に付ける。

 

 無論、ちゃんと教育されるべきという注釈も付く。

 

 だが、どんなに教育されて高い知性や知識を得ても、彼らや彼らの息が掛った人間がダメだと言えば、絶対にその人間は目的の社会的地位に付けない。

 

 このあまりにも理不尽でしかない絶対的な権限を帝国の金と権力と絶対的な論理的に無謬だろう悪意と善意の価値基準の創出を以て判断したのが彼らだ。

 

 故に彼らは普通の人々にとっては左程に興味を抱かれる者達ではない。

 

 どころか。

 

 彼らにレッテルを張る側であるという事実を以て、多くの人間が畏れる。

 

 だが、彼らを見る事、正確には彼らの部下を見る事は多くない。

 

 彼らは基本的に社会的な地位を得られる人物への国家からの絶対評価基準の一つである心理評価を下すモノであり、機械よりも正確に人間を把握するプロだ。

 

 つまり、権力者を裁定する権力者が彼らである。

 

 一般人には国家の重要な地位や仕事、技術知識の取得に関わらない限り、縁が無いのだ。

 

「人の可能性を我らは心で見た」

 

「だが、我らの行いは確かに一線を越えてもいただろう」

 

「あの方の基準を採用していたとはいえ、実行者は我々自身だ」

 

「あらゆる司法に介入し、心理鑑定を行う我らが人の悪意を見逃す事は不可能」

 

「故に功罪在りとされる程度の事は我らとて理解している」

 

「人間嫌いが集まった結果だが、人間観察とは得てして最も他人に対して臆病な人間の得意技だ」

 

「人を愛せばこそ見る者というのは存外少なかったな」

 

「もしくは我らしか集まらない程にあの時代が腐っていたのか」

 

 彼らは自己の腐敗を相互監視する役を以て互いの言動を確認する事を義務付けられており、結果として無駄にも思えるような頻度での会議は行われ続けて来た。

 

「必ずしも親は子供を愛さなかった」

 

「必ずしも子供は親を必要としなかった」

 

「資質はあっても不適格な人格の者に技術は渡せない」

 

「人を見る以上、司法の人員すらも選別は不可避だったな」

 

「人の心が見え過ぎて、病む者も多かった」

 

「然り。だが、昔程に苦労しなくなったのはあの方の治世のおかげか」

 

「はは、だからこそ、我らが最も責を負うべきだな」

 

 一定以上の資産と人員を誇る企業の役員の心理査定は大陸においては完全に受け入れられた常識であるし、公務員の心理査定は公務員に為る必須条件だ。

 

 また、特定の学問の門戸は固く。

 

 彼らの心理評価における合格無しには絶対に学ぶ事が出来ない。

 

 これは高度化する技術が安易に社会不安を増大させ、秩序や倫理、道徳、その他のものを犯そうとする人間の手に渡るのを防ぐ目的で乱用される。

 

 同時に彼らはメンタルヘルスの守護者であり、人間の心の管理を公に行う医者の側面も持ち合わせるカウンセラーでもある。

 

 彼らの部下達の多くはそちらであり、大陸人の心の健康を守る為に邁進している民間の精神医学者達は正しく人々にとっては心のお医者様であろう。

 

「嘗てならば、気の狂った者達に永遠の狂気という安寧のままに死なせてやれた。だが、今は全ての現実を押し付けて正気にすら返らせる事が出来る」

 

「大陸の精神衛生に一家言。だが、結局はあの方の技術と叡智便りだ……既に完成されていた人間の心を知る術と博学の知識にこそ、全てが帰結した」

 

「人々の知るべきではない気持ちを明らかにし、あるいは全てを封じ込めて歴史の闇に葬る。我ら程に他者の心を殺した者も隠した者も無い。救えたと言える者がどれだけいた事か」

 

「戦闘を行う者達のマインドセットや心を殺すスキル。人間を誘導して操る術。何もかもが人々に畏れられて然るべきだ。それでこそ我らが未だふんぞり返っていられる。それこそが問題だがな」

 

「我らの傲慢さは多くの家族を引き裂き」

 

「我らの力が多くの人生を狂わせた」

 

「だが、必要だと言えてしまう」

 

「絶対に必要だと思えてしまう」

 

「ああ、それほどに醜い社会だった。だが、今は……」

 

 仮面の男女が思い出すのは一人の少女の姿だ。

 

「50年後の未来にもあの方は変わらず」

 

「やはり、何一つ変わらず」

 

「心が見え過ぎるようになった我らにもようやく少しだけ分かる」

 

「……あの方はあの50年前に我らを今も超える目と耳を持ちながら、それでも人の心の醜さに絶望せず、あの頃の人々を変えようと、社会を変えようと奮闘していたのだ」

 

「何故、絶望しなかったのか」

 

「どうして、我らを見捨てなかったのか」

 

「こんな怪物に育つと分かっていながら……」

 

「人の心を心底に信じられぬ我らを選ばれたものか」

 

 だが、その言葉に1人の男がゴトリとレコーダーを取り出してテーブルの上に置いて再生ボタンを押す。

 

『人間は醜い。残酷だ。憎悪すべき対象だ。人の心は獣の如く。あるいは悪徳と醜悪と傲慢に充ちている。でも、だからこそ、何者をも信じられない貴方達には何にも騙されない真実を射抜く目と人の言葉を疑う耳がある』

 

 誰もが沈黙する。

 

 そして、レコーダーを凝視した。

 

『もしも……もしも、貴方達が要れば、人々は偏った考えを疑うように育ち、数多くの表現の自由を謳歌し、どんなに残酷で醜悪で畏れるべき表現を前にしても然るべき方法で知って尚人間として生きていける』

 

「―――」

 

『もしも、貴方達が要れば、人を真に殺す他者を暴き、数多くの子供達を救い、同時にまた他者を殺す子供すらも事前に対処する事が出来る」

 

「―――」

 

『もしも、貴方達が要れば、人の上に立つべきではない人間を見つけ出し、本当に人の上に立って欲しい人間をその場所に付ける事が出来る』

 

「―――」

 

『もしも、貴方達が要れば、本当に富と名声を任せられる人間が正当な対価を得て、同時に義務を果たす事へ同意させる事が出来る』

 

「―――」

 

『傲慢な話でしょう。ですが、貴方達のおかげで嘗ての世界に溢れていたモノは是正された。それはわたくしの罪です。ですが、罪だからと罰を授けられる程、わたくしは甘くありません』

 

「「「「「―――」」」」」

 

『自由と規律、自由と義務、自由と責任、どれも誰も彼も貴方達以上に果そうと思えた者は無い。ドラクーンですら、人を虐げて尚、果せる者は多くないでしょう。だから、貴方達はしっかりと仕事を果たしたとわたくしは考えます』

 

 誰もが沈黙していた。

 

『わたくしは絶対的に甘い方です。貴方達のようには出来なかった。だからこそ、罪はわたくしの罪。貴方達の功績は貴方達の功績。それがわたくしの限界で……貴方達にしか任せられなかった不出来な責任者の真実です』

 

 僅かに仮面の下に水滴が一つ二つ。

 

『それに驚きました。その知識と技術はきっと悪用されていると思いましたから……だから、何一つ恥じる必要も己を卑下する事もありません。誇って下さい。わたくしを思惑を超えて人の世の心を救いし守護者達……貴方達こそ、世を拓く我が代行者……その誇るべき気高き意思に賛辞と祝福を』

 

 仮面がゆっくりと誰の顔からも外されていく。

 

 この数十年、互いの顔もまともに見られなかった彼らがそうした時。

 

 誰もが同じ顔をしていた。

 

 笑えばいいのか、泣けばいいのか、分からない様子で。

 

『本日を以て、貴方達の任を解きます。わたくし個人からの50年前の依頼はこれで完了とし、その後の事は自ら決めて下さい。組織に残るも民間に戻るも自由です。今は亡き方々も含め……本当に……本当にお疲れ様でした』

 

 あの頃、一人の少女と結ばれた契約。

 

 それはとても単純でとても純粋でとても忘れられたものではない。

 

 その声を今一度、全ての者達が思い出していた。

 

―――どうか、この世の全ての民の心をお頼みします。

 

 そう頭を下げた彼女の為に戦い続けた50年。

 

 権力と自らの行いの前に腐敗して朽ちるはずの心を今も何とか保ち続けていたのは何の為だったのか……途中で寿命を迎え、あるいは派遣先でアウトナンバーの襲撃によって死んだ同胞達の事を思い出しながら、彼らは胸に手を当てる。

 

『わたくしには人を物理的に救う力はあっても、心に寄り添って救う事は出来ない。その指導者にあるまじき不出来を補ってくれた貴方達がいなければ、此処までわたくしは辿り付けなかった』

 

 一人一人の手が再び、その仮面を、己の顔に当てて。

 

『これは任務ではなく。とても卑しい。いえ、卑怯なお願いです。もしも、まだこの無茶な事ばかり言う小娘に力を貸して頂けるなら……』

 

 そこで再生がストップされた。

 

「これ以上、あの方の苦し気な声を聞く必要を認める者はいるか?」

 

 その最初にレコーダーを置いた男の言葉に誰もが頷いた。

 

「では、各々方!! これより我らは単なる一個人として、此処から先の未来へと歩んで行こう!! なればこそ、今ここで議決を!! 共に再びの任に就く者は立ち上がりたまえ。今が、その時だ!!!」

 

 その日、とある会議室で陰謀にも満たない一つの事が決められた。

 

―――まだ、当分の間は一人の少女の治世が続くであろう理由が一つ増えたのだった。

 

 *

 

 大陸上空で光の乱舞が観測された頃。

 

 夜に向けて飛んでいた少女は巨大な時間障壁の上空に到達した後。

 

 スルリとその障壁を抜けて巨大な山間の都市を望む山岳部の要塞へと降り立った。

 

「お待ちしておりました」

 

「議長閣下。本日は受け入れて頂き感謝します。ただ、見ての通り……現在、惑星規模での攻撃が始まっており、観光案内は遠慮させて頂ければ」

 

 要塞の最も高い塔の上。

 

 待っていた男。

 

 無名山の議長たる男は空に無数の光が乱舞する光景がゆっくりと収まりながらも、緊張をはらみ続けている様子に肩を竦める。

 

「機会があれば、という事で。では、地下までの直通路まで案内しましょう」

 

 彼の後ろには何か物凄く気まずそうな漆黒そのものを纏う少女と彼女の女性の上官が1人。

 

「先日ぶりですね」

 

「……こういう時はその喋り方なんだね」

 

 その挨拶に漆黒の少女は何処か渋い顔になっていた。

 

 議長がさすがに自分の部下の言葉遣いに注意しようとしたが、すぐに気安い態度を取られた当人から片手で制止が入る。

 

「どちらもわたくしです」

 

「そう……」

 

 目が逸らされる。

 

「部下の非礼をお詫びします」

 

 隊長が頭を下げ、いえいえと微笑む聖女様が塔の内部に続く階段を降りて、私設を数十m移動後に通路最奥のエレベーターに乗り込む。

 

 厳重な管理もされていない様子だったが、確かに直通路らしい場所へと入っていく箱の中。

 

 今は侵食痕までも内部に取り込んだ自分の片手を見た聖女当人の目が細まる。

 

「……質量保存の原則が無視されている。地下施設そのものが巨大な現実改変能力を得た存在という事ですか」

 

「入った途端に気付かれては勝ち目も無いですな……」

 

 議長が呆れた様子でさすがに聖女を見やる。

 

「アウトナンバーが地下にいる事は解っていました。ですが、思っていたよりも危険度が高い。まさか、地下施設そのものが巨大なアウトナンバー化したバルバロス。いえ、貴方達の言葉にすればオブジェクトですか」

 

「御想像の通りですよ。我らに勝ち目はあっても、我らの望む未来には為らないと幾ら予測しても出て来るばかりなので教えますが……今、このエレベーターが下りている領域内部が既にサイトであり、ケテル・クラスのオブジェクトです」

 

「……周囲から感じられる殆どの材質に覚えが無い。未知の物質。超重元素でもない。ですが、存在の変質よりも変化を拒絶するような雰囲気がある」

 

 冷たいエレベーター内部は何も変わらない。

 

 だが、その言葉に心底呆れたような顔で女隊長は大きな溜息を吐く。

 

「ふむ……通常の元素とは違うのですね。ですが、宇宙的な規模で存在はしていない物質。どちらかと言えば、特異な法則下でしか生成されない質量の真似事をする未知の素粒子? ああ、完全にエキゾチック・マターの集合ですか」

 

「……付きました」

 

 議長がもう何も言わずに義務的にエレベーターの外に出て通路を案内し始める。

 

「无ではなく。虚数。虚だから、現実改変に耐性がある? 0に何を掛けても0ならば、変化そのものが発生しない。でも、アウトナンバー化はする……なるほど、神の一歩下辺りですね。なら、檻が広がっているのはこの存在が成長しているから、なのでしょうか?」

 

「―――何一つ説明していないというのに……我らの言葉はもう必要無さそうで困りますな」

 

「理解しました。つまり、サイトそのものがこのアウトナンバー化した現実改変耐性を持つ巨大生物を制御する為の檻であり、同時に操縦桿であると。そして、同時に確かな合理性を感じます。コレの内部に世界を破滅させる力を収容しておくのは極めて良い判断と賞賛するところですね」

 

「我々としては最高機密をこうも簡単に案内しただけで看破されるのは寒気を通り越して絶望しかないのですがね……」

 

「それは失礼。ですが、これなら確かに……勝てるのではないかと思われても仕方ありません。まぁ、可能性としてはあらゆる面を考慮して99.99923%くらいは負けますが……」

 

「残りの小数点くらいは勝てると?」

 

「勝つよりも我が方の未来を変質させるだけなら7割可能です。その意味では彼女には救われたと言うべきですね」

 

「彼女? 例の……帝都地下にいたという?」

 

「ええ、わたくしの母親であり、時代の復元前のわたくしです。彼女からの停戦の申し入れで閉ざされていた未来が拓けた」

 

「閉ざされていた? 単なる破滅がやって来るのではないと?」

 

「未来予知の類にも色々とあるのですよ。そして、わたくしの考える限り、大きな転換点は過ぎました。そして、どうすればいいのかも分かりました」

 

「………どうすれば、未来が拓けると?」

 

「なりふり構わず。使えるものは全て使えという事ですよ」

 

 案内された先の扉を潜り抜ければ、リノリウム製の床の先は広場のようになっている。

 

 そこに実働部隊の長達なのだろう者達がゾロゾロと整列して待機していた。

 

 これを見た聖女様はスタスタと緊張する事もなく議長の横を歩き続け、最終的には用意されていた席に着く。

 

 どうやら談話室か休憩所らしく。

 

 食事をする場所では無さそうだったが、それでも集まる場所としては適当。

 

「現実改変能力者の部隊。先日の方達ですか。お仕事に励まれているようで何よりです」

 

「………」

 

 その言葉に女隊長だけが僅かに額へ汗を流す自分すらも改変して対処する。

 

「それで貴方達の最後の抵抗がコレですか?」

 

 その言葉だけで歴戦の彼らの喉が干上がる。

 

 今まで何でも自分の思い通りにしてきた彼らが何一つ自分の思い通りにならない現実を前にして挫折してきた事はしきりであった。

 

 だが、それにしても今ほどの分の悪い賭けで最悪の気分になる事は無かっただろう。

 

「現実改変耐性のある建造物。いえ、生物内部ならば、確かに貴方達の能力を限界まで使う事が出来るでしょう。能力制御の方面でも特定の事象のみに限ってリソースを割くならば、随分と外よりも余裕が出来る。でも、こんなところでは?」

 

「何を言っているか。まるで分かりませんな」

 

 議長が肩を竦める。

 

 その現実すらも能力者達が造った作り物の姿でしかない。

 

 焦燥、諦観、反抗、何もかもが入り混じる最後の賭けの前に男はあまりにも無力だった。

 

「それで? わたくしの能力の99%が消えたとして……残り1%をオブジェクトでどうにか出来ると。そう踏んだのですね? 議長殿」

 

「………戦争は終わりました。だが、試せるものなら試してみたくなるでしょう。我々は犯罪者ではないが、そういう連中の子孫である事は……この身の卑しさが心根から抜け切っていないのを感じれば、空しくも理解しようというもの。今時の言葉で言えば、反骨精神とか。ロックとか。そういうものに近しいのですよ」

 

「理由をお聞きしても?」

 

「貴女ならば、我らの最後の抵抗をちゃんと受け止めてくれるだろうという甘えと驕りだと言えば、十分でしょうか?」

 

 言われて、確かにと苦笑する以外無い少女は肩を竦めた。

 

「よろしい。素直なのは好きですよ。そして、聖女は能力頼みの単なるひ弱な少女である事をお教えしましょう。もしも、負けたら、ひ弱な少女一人にすら劣る貴方達は大いに己を恥じて、今後の戦争では最前線送りになる事を覚悟して下されば……」

 

 誰も彼もが咄嗟に引き金を引いていた。

 

 相手の今の能力はひ弱な少女、ひ弱な少女と言い聞かせながら、オブジェクトが抜き打ちされる。

 

 複製された幾つかのオブジェクトは単純明快な相手を行動不能にする為のものだ。

 

 行動不能にすれば、脳髄を時間を掛けて全力で洗脳まで漕ぎ付けられる可能性はあった。

 

 あった、と彼らの用意した幾つかのオブジェクトによる解析が終わっていた。

 

 行動不能にする為の仕掛けは数個程度ではない。

 

 此処に来るまでに通って来た通路。

 

 吸っていた空気。

 

 見ていた景色。

 

 そのあらゆる媒質を通して弱体化させる為だけにオブジェクトが数十以上使われたのだ。

 

 通って来たオブジェクトは入った者に枷を化す物であり、通路毎収容していたものを配置転換した代物であり、通過時間に比例して内部の対象の肉体能力を割合で削減する

 

 吸っていた空気はそもそもが嘗ては危険なケテルであった地下から湧き出す無味無臭のガスだ。

 

 吸った者の戦闘の意欲をやはり限界まで削ぐ。

 

 戦う行為の愚かしさを自己増殖するガスが教えてくれるのは吸った人間を最終的には無力化した後にガスを噴き出す苗床にする気体の化け物だからだ。

 

 彼が通って来た通路の電灯から発される光は人間には知覚出来ない明滅速度で人の意識にサブリミナル効果による変質を齎す。

 

 光によって知覚する生物で脳が存在している相手ならば、効果が適応された後、明滅する光の下で電灯を複製する為に働くモルモットと化す。

 

 あらゆるオブジェクトはそのような調子でたった一人に向けられていた。

 

 勿論、普通なら彼らにも影響が出るものだが、自身を対オブジェクト用の収容者として鍛えて来た彼ら。

 

 その手には人間らしい意味での危険に身を投じた際の躊躇が無い。

 

 今の聖女は人間に毛が生えた程度の超人。

 

 それこそドラクーンに勝る事も難しい程の弱体化ぶりなのは特別収容プロトコルを複数同時に行い続けている彼らにとって瞳の耐光波系オブジェクト用の対策品であるコンタクトに映る情報からも分かっていた。

 

 最後の賭けは此処だと彼らが撃った銃は時間に干渉する代物だ。

 

 それが同時に40発。

 

 連続して800発。

 

 前後左右上下無く弾道を能力で曲げて放たれる。

 

 少女が今から何処をどう回避軌道を取ろうとも過去現在未来においてそこを通過している銃弾のどれかには必ず当たる弾の密度であり、状況であった。

 

 詰められた弾丸もまたオブジェクトだ。

 

 当たった対象の意識を肉体から弾き飛ばす代物だ。

 

 魂と呼べるべきものを分離して、抜け殻になった肉体の脳を短時間で全力で洗脳すれば、元に戻した時には全てが完了する手筈であった。

 

 呪いの弾丸というよりは元々が地球において悪魔祓いをしていた宗教の一部の人間が銀の十字架を鋳溶かして作った漫画の道具染みた代物である。

 

「―――弾かれる?」

 

 少女のやっている事はシンプルだった。

 

 そして、誰もが全ての弾を使い切って呆然としていた。

 

 能力は殆ど無い。

 

 殆ど無いのだ。

 

 彼らの超人的な肉体からすれば、微々たる能力しかない。

 

 だが、それでも目の前の少女の手が躍るように弾いた弾丸の弾が濁流の如く周囲に散らばっていく。

 

 動きは遅い。

 

 彼らの目には止まって見える。

 

 だが、彼女に命中する全ての弾丸が、同時に当たる直前に何かによって弾かれ続けていた。

 

 前後左右背後肉体の中に直接時間を超えて出現するはずの弾丸を全て避け切った上で動いたら当たる弾丸が全て何かによって弾かれていた。

 

「爪、か……」

 

 少女の指から伸びた見えざる何かが10本。

 

 まるで少女を囲むカーテンか。

 

 もしくは少女の扱う剣の如く。

 

 虚空から現れ続ける弾丸を弾き、弾いた弾丸で更に出現する弾丸を弾き、ピンボールでも行うかのように現実改変で補正が掛る出現済みの弾丸を次々にたった10本の指の伸びた見えざる爪で誘導していた。

 

 落ちた弾丸は指先の詰めで切られた瞬間には誘導する現実改変能力の補正が切れて再始動出来ないものばかり。

 

 だが、それにしてもあまりにも理不尽だった。

 

 能力が殆ど無い超人。

 

 そう、単なる超人域の肉体で全ての弾丸を弾き、切り裂き、誘導し、その上で時間と空間を無視して現れる弾を全て回避しながら逃げ切った少女が弾丸の打ち終えた彼らが呆然としている間にカーテシーまで決めて見せる。

 

 全ては処理能力のなせる技だ。

 

 何処かに必ず当たる弾丸の位置すらも予測して、現在時点で出現した弾丸を全て弾きながら誘導し、あちこちに出来る隙間に体を捻じ込みながら相手の弾幕の密度を減らしつつ、未来の弾丸までも避けて見せる。

 

 全ての弾丸の弾道予測、出現予測が完全で尚且つ全ての弾丸を誘導出来る小手先の技術と肉体の動きが可能なら出来る……みたいな理不尽を汗一つ掻かずにやり果せるとすれば、それは少なからず超人ですらない。

 

「良い攻撃です。殺す為のものならば、それなりにスリルのある回避に為ったでしょうが、生かしておくのが前提条件で蘇らせる事も出来ない以上は無理難題であったと言うべきですね」

 

「「「………」」」

 

 議長と漆黒の少女と女隊長がもう無言で今後の責任の取り方を脳裏で描いたのも束の間。

 

 ゴボンッという音と共にサイト内部が振動した。

 

「何だ!? どうした!? ドラクーンか!?」

 

『こ、こちらサイト監視主室!! 何者かにサイト外壁を爆破されました!!?』

 

「何ぃ!?」

 

 思わず議長が少し粗野に叫ぶ。

 

 まるでチンピラ染みた様子が素なのだろう。

 

「ああ、ちなみにドラクーンでも無ければ、わたくしの友人知人の類でもないのは言っておきます。ドラクーンには例えわたくしが死んでも動くなと厳命してありますし、内心で血涙を流させたので」

 

「ならば、何処が!? 四つの力でも我が方のサイト外壁を爆破する力な―――」

 

「あるではないですか。帝国から飛び立ったエラーコード。彼らは貴方達と同じオブジェクトの集団です。どうして襲われているのかは分かりませんが、予測してみるに彼らにとって重要なオブジェクトが此処に収容されていて狙われているのでは?」

 

「ッ―――直ちにDクラス連隊を投入!! 全ユニットに号令を出せ!!」

 

「そ、それが!? 破壊された外壁内部がDクラス・ユニットの居住区画です!?」

 

「読まれているのか!? クソ!? D以外の全職員を隔離区画に待避!! 収容プロトコルD-323を発令する!! 全ての人員は退避!! 退避だ!!」

 

 議長が慌てた様子で今までの戦闘など無かったかのように部下に指示を出していく。

 

「どうやらお忙しいようですね」

 

「見れば分かるでしょう!? 我らの事は後で如何様にもしていいが、此処から収容していたオブジェクトが溢れ出せば、世界を何度滅ぼされるか分かりませんよ!? 出来れば、手伝って頂きたい!!」

 

「まぁ、その必要も無さそうですよ」

 

 言ってる傍から次々に部下のいない通路の先から停電が起き始めていた。

 

 その先から何か来るのを察した漆黒の少女と部隊長が同時に手を翳して、能力による攻撃に備える。

 

「初めまして。フィティシラ・アルローゼン姫殿下」

 

「貴女は?」

 

 顔の認識出来ない秘書風のスーツの女性。

 

 だが、スーツのはずなのにスーツの色も分からない相手に少女が首を傾げる。

 

 その相手は真横にいたのだ。

 

「戦争を止めた方の秘書をしておりました。名前はありませんが、便宜上はSとでもお呼び下さい」

 

「ッ、姫殿下!?」

 

 思わず議長が銃口を突如現れた秘書に向ける。

 

 認識出来ない相手はそれでも意に介した様子もなく。

 

「死んだと聞きました」

 

 議長の銃口が弾丸を打つ前に世界が静止する。

 

「死ぬという状態とは実際には異なるのですが、世間一般的にはそういう状態でいいでしょう。二度と会話出来ないという点でならば同じようなものです」

 

「それで? 今日は此処に何を?」

 

「001を取りに来ました。ああ、コレそのものではなく。この中に収容されている偽装された001の幾つかが必要になったので」

 

「貴方達もオブジェクトという事は財団の関係者なのですか?」

 

「いえ、どちらかと言えば、オブジェクトの中から財団の真似事をしている者達が集まって出来た組織と言えます」

 

「つまり、わたくしの母親がその代表者だったと?」

 

「ええ、ですが、お隠れになりましたので外部と交渉出来る者が居らず。我が船で不躾ながら乗り込ませて頂きました」

 

「ふむ。死傷者は?」

 

「我が方の現実改変能力者がD-クラス職員を確保して意識を閉ざした状態で寝かせてあります。ミーム汚染の後遺症でちょっとあらゆる存在が芋虫に見える事があるかもしれませんが、あまり気にしないで下さい」

 

「それは……お気の毒な話です」

 

「ああ、でも近頃は美少女にも見えるので。遠近法を無視した芸術染みた世界が一部見えたりとか。そんなに正気は削れないかと思います」

 

「それはそれで地獄のような?」

 

「取り敢えず、数個程偽装001を持って行きます。勿論、貴方の使うべきモノには手出し致しません」

 

「……いいでしょう。目的を達成すれば帰るという事で?」

 

「はい。我が方の船の内部で001群は厳重に運用させて貰います」

 

「ちなみに訊ねますが、あの船もオブジェクトなのですか?」

 

「ええ、この宇宙の内部で発生していない正真正銘のオブジェクトですよ。此処の方達にしてみれば、世界最大のオブジェクトであるこのサイトと同格のものです。大昔に何かの手違いで船体だけ、この宇宙に漂着したとの話を聞きました。一対の力と同じ世界の代物だとか」

 

「ふむ。分かりました。では、あまり誰かに迷惑を掛けないよう撤収して下さい。それで見逃しましょう」

 

「心より感謝致します。姫殿下……あの方の子供である貴方には全てを背負わせてしまった手前。傅いて傘下に加わるべきなのですが、今はまだ我らには我らの仕事があります故……どうかご容赦を……」

 

「構いません。もしも必要になれば、助けを求める事もあるでしょうが、そんな日が来ない事こそが一番であり、わたくしの役目だと思いますので」

 

「ふふ、本当に……長い間あの方にお仕えして来ましたが、そっくりですね」

 

「それはどうも」

 

「では、これで」

 

 電灯が明滅した刹那には秘書は何処かに消えていた。

 

「何だ!? 何が起きた!? あの秘書は!?」

 

 また時間が停滞していたせいで会話も聞かれていなかった少女が先程の秘書の話をしている間にも監視中の管制室からの連絡が響く。

 

『収容違反を確認!! こ、これは―――001が軒並み!? 世界が滅ぶぞ?!! ああ、こんな事が―――』

 

 絶望した声の主が思いっ切り狼狽えていた。

 

「報告!!」

 

 議長の叫びが響く。

 

『ほ、報告致します!! 複数個の001の収容違反を確認!! また、動作不能区画が外壁の修復と共に復旧!! ただし、サイト内部に敵性存在を認めず!! 隔離していた人員にミーム汚染の兆候ありません!! 現在、Dクラス職員が居住区でほぼ全て倒れているようです!!』

 

「収容違反というよりは盗まれたというのが正しいか。まさか、この瞬間を狙われていた?」

 

 議長が頭痛を抑えるようにして片手を頭に当て、チラリとこちらを見やる。

 

「気にせずとも、しばらくはそちらも大変でしょう。何処か落ち着ける一室を貸して頂ければ、混乱が収まるまでなら大人しくしていましょう」

 

「………もう手はありませんよ。共に滅びる事すら先程の様子を見れば、可能かどうかも妖しい。そして、例え貴女をどうこう出来たとしても、それが分からぬドラクーンでもありますまい」

 

「なら、何故ああいう明らかに最後の手段を使ってみたと言わばかりの方法を取られたのかお聞きしても?」

 

 言い難そうに議長が僅かに視線を俯ける。

 

「O5の御命令です」

 

「オーファイブ。それがこのサイト管理者の名前ですか……」

 

「我々無名山はこのサイトの内部で生まれた者と外部からの移住者達の子孫で構成されている集団なのです。外部的には情報統制を敷いていますし、多くの無名山の者達は知りませんが、守護者と呼ばれる無名山の実働部隊の半数はお山の地下で生まれていると多くの者達が承知しています」

 

「……なるほど。つまり、最初から此処にいた先住民と後から来た居住者が共に互いに利する事で互いの生活を支え、同時に外部に対しての隠匿を可能とする共同体を作っていたと。このサイトが過去からの遺物ならば、つまりは貴方達もそのサイト管理者には頭が上がらない。事実上の影の支配者と言ったところですか」

 

「今回の件ではO5もまた殆ど力無き方でしかありません。あの方は数多くのオブジェクトを管理する故に多くの呪いを受けて来た。ミーム汚染に始り、多数のヒューム異常……だが、それでも未だこうして我らの庇護を続けてくれている」

 

「……随分と慕われているようで」

 

「我らがアウトナンバーと化して尚、終了させる事無く。理性的な者を何とか掻き集めて初めに議会を作ったのはあの方なのですよ……」

 

「分かりました。では、会いましょうか。つまり、わたくしを此処に招いた最大の目的はわたくしの洗脳。もしくはそのあの方とやらに合わせる事だったと考えてよいのですよね?」

 

「……何一つ貴女は畏れないのですね。先程まで自分を別のものに変えようとしていた我らを前にして……」

 

 思わず苦笑が零された。

 

 議長は初めて、本当に初めて、目の前の怖ろしき怪物を前にして感情を忘れる。

 

「貴方は自分の民を畏れる指導者なのですか?」

 

 その言葉は時に侮辱であり、時に嘲笑にも聞こえたかもしれない。

 

 だが、確かにその時、無名山の事実上のトップとして君臨する男は見惚れたのだ。

 

 まるで憂いなく。

 

 何一つ奇を衒う事なく。

 

 誰に言おうとも変わらないだろう声。

 

 その真っすぐで深淵にも似た蒼き瞳。

 

 緩やかに微笑む少女は確かに―――指導者が持つだろうモノを持たない。

 

 いや、それを知っていて、それを体現していて、それを受け入れ、自然体に全てを血肉としていた。

 

「敵わないわけだ」

 

 己に吐き捨てるように苦し気な顔で彼は言う。

 

「?」

 

「聖女殿下。貴女はとても傲慢であまりにも尊大で何よりも強大で誰よりも賢く……なのに……民に殺されるのを良しとされるのか……」

 

「何を当たり前の事を……指導者とはそういうものでしょう? わたくしはそうすると決めた時に覚悟は済ませてあります。誰かを殺し、誰かを虐げ、誰かの人生を諦めさせる政治家が先ず自分の命を諦めずして何を社会に求めるというのです?」

 

「「―――」」

 

 自然体にそう言い切った少女を前に漆黒の少女と女隊長。

 

 2人の意見は一致する。

 

 この化け物に本当の意味で自分達が勝つ事は果たして在り得るのだろうかと。

 

 だが、同時に納得してもいたのだ。

 

 いつも、その身を最前線に置いて、指導者としてあまりにも無謀に思える力を己で振るい続け、挙句の果てに命を捨てるのではなく諦めて戦う。

 

 そんな事が今の自分に出来るだろうか。

 

 それを見ず知らずの誰かの為に出来るだろうか。

 

 そう考えた時、おのずと答えは出るのだ。

 

「ふ、はは……己が死んでも良いと?」

 

「この世に絶対はない。あっさりと死んでしまう事はいつだとて在り得る。貴方達に洗脳されるまでもなく。わたくしはわたくしを殺せる手札無くして、本当の意味で自分を使い切れるとは思いません」

 

「覚悟が、違うか」

 

「それこそ大仰な誤解です。ただ、誰もが見なかった事にしているだけではないでしょうか。人の最たる覚悟は死ぬ事ではなく。何よりもただ己を諦める事です。なればこそ、開き直った人間程に怖ろしいものはない。わたくしはそんな誰もが出来る覚悟を誰にもさせない時代が創りたいと思った」

 

「ただ、それだけだと?」

 

「……わたくしを救ってくれた。多くの名も無き多くの人々に報いる時、彼らと同じ気持ちで戦う事。それが出来なくて、どうして支配者を名乗れるでしょうか? それだけの事ですよ」

 

 こうして聖女への挑戦を終えた無名山側は完全に戦意を喪失したのだった

 

 *

 

―――帝都大闘技場控室。

 

 わたしが初めて剣の道を修めた時、いつも思っていたのはこんなにもツマラナイものに命を懸ける価値は見いだせないだろうという事だった。

 

 今も実際にツマラナイ。

 

 ついでに言えば、多くの人々が言うような価値は感じられない。

 

 精神修養的な側面でも生物学的な優位性を示すという点でも同じだ。

 

 わたしにとって剣は常にツマラナイ。

 

 何も価値が無いと思っているのではなく。

 

 自分にとっての価値が無いのが目に見えているという点では不動の価値観になっている。

 

 だからこそ、相手に申し訳なくなるくらいに自分の戦いは徹頭徹尾自然体に剣を使えば、勝利と敗北については7割、9割向き合っただけで分かる。

 

 これを超えられた結果は事は左程無く。

 

 細部まで自分を制御していないか。

 

 もしくは相手が読み切れる程の存在ではないか。

 

 この二択となっている。

 

 大まかなゲームで言う内部処理を実感で感じれば、恐らくはこんなものだろう。

 

 万能でも全能でもない一個人が持てる観測技術や五感精度には限界がある。

 

 そして、ドラクーンやリバイツネードなどに類する軍事組織の門戸を叩かなかった自分にはソレを使う理由も資格も無い。

 

「チェェアアアアアアアア!!!」

 

『此処で勝負に出たぁ!?』

 

 別に戦う事自体が嫌いなわけではない。

 

 だが、才能や資質という点で戦う事そのものに精神性が追い付いていない自分は間違いなく戦うべきではない人間だろう。

 

 それが許されるか微妙な時代でこそあるが、個人の自由がある程度は尊重されている現代において、望外に自分が恵まれているという自覚はある。

 

「ガァ?! ク、ソ、ガァアアアアアアアアアアアア!!?」

 

 50年前ならば、間違いなく自分は単純に兵士として徴用されるか。

 

 もしくは家柄もあって、剣術の師範代のような事をせねばならなかっただろう。

 

 軍務に就いていたならば、恐らくは指揮官職に就く為の厳しい訓練を毎日受けていたに違いない。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 そして、何故か今日も流されるままに剣を振っている。

 

 剣はやはりツマラナイのだけれど、戦う事は嫌いではない。

 

 この何とも中途半端な精神性こそが自分そのものであり、わたしという人格がこの時代の転換点で注目されてしまうという過失を半ば投げ槍に見ている理由だ。

 

『優勝まで後一戦!! だが、壁は厚いかぁー!! ワールド勢からの出場枠最後の一人が今打ち倒されましたぁ!!』

 

 何もかもを破壊してしまう兵器が大量にある昨今。

 

 個人的な能力の上下もまた資質と努力と周囲からの完全なバックアップさえあれば、大抵どうにかなる。

 

 こんな時代に力となり得る才覚を強く持ってしまったのは悲運と呼ぶには聊か困る程度には喜ばしい話ではある。

 

 だが、精神性という点で剣に魅力を感じない人間に才覚があるというのも神の気まぐれだろう。

 

 銃弾や超常の技たるバルバロスや蒼力を相手にしてみれば、剣の力など圧倒的な物量や質量や火力を前にして不要論を出してしまいたいくらい無力だ。

 

 人間の体の機動限界、物理限界を超えられない動きで通用する相手は現代だとかなり限られる。

 

 一般人や超人の極限られた底辺相手以上だと剣術や剣技というものの類はそれと同等の威力や五感や反射が可能な存在でなければ、対処が極めて限られる。

 

 そうすると真っ先に運頼みのような戦術戦略しか取れなくなる。

 

 であるからして、自分は本来ならば、銃やそちら側の超常の力を得ているべき精神性なのは間違いないのだが、剣にしか才能が無いと来た。

 

 これがもしも神の気まぐれならば、正しく意地悪も良いところだろう。

 

『一時間後、個人無差別級の決勝戦を行います!!』

 

 わたしがイソイソと現場を後にする。

 

 背後からは歓声と悔しそうな呻き声。

 

 手加減されたと理解している相手の悔しさは万倍だろうが、手加減しなければ、重症を負わせねば勝てなかったのでギリギリの戦いだったのは間違いない。

 

「面白い戦い方をするのですね」

 

「!」

 

「ああ、済みません。自分が戦う相手の敵情視察だと思って下さい」

 

「黒騎士様……」

 

「ウィシャスで結構。年配者に対する配慮も要りません。貴女のような人は物珍しかったもので……」

 

「その……不敬な戦い方で申し訳ないです」

 

「いえ、怒る者はきっとドラクーンでも少数でしょう。実際には負けた方を慮っての言葉以外では何も貴女に言う者はいませんよ」

 

「え?」

 

「強さと精神性は両立出来れば良いですが、それが出来ないから訓練だの最新技術だの、理解出来なさそうな学問の知識を無理やり詰め込むわけで……」

 

「ええと、その」

 

「その態度は不真面目ではありません。いや、逆に真面目過ぎるくらいです。ウチの連中にも見習わせたいくらいには……」

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

「資質があっても努力する意気が無いとか。それでも戦い続けている相手がいれば、さすがにそれでいいのか? と、人生的な大人の視点から苦言は呈しますが、貴女は学生でちゃんと自分の意見を持っていて、努力もしている。怠っているのは精神修養ではなく決断の方であり、その決断にしても今のご時世なら真っ当な部類の悩みでしょう」

 

「―――そこまでお解りになるものですか?」

 

「戦う者の性で戦う人間に詳しくなるのは職業病です。貴女の練度は最低位ドラクーンよりは上ですし、それがツマラナイのだとしても、戦う事が嫌いなわけでもない。一般人として生き残ってくれたら嬉しい資質の持ち主というのが僕を含めて他のドラクーンの所感でしょうね」

 

「……戦わなくてもいい時代で助かります」

 

「正直でよろしい」

 

「どうして、ここまでお話を? その……そんなに目立っていましたか?」

 

「優勝するのは9割貴女でしょう。もし、貴女が別にそれほどの力を持っていなくても、話し掛けはしましたよ。貴女には才能がある」

 

「才能……」

 

「ああ、剣の才能、ではないので悪しからず」

 

「え?」

 

「我々、ドラクーンにとって貴女のような才能。剣に付いてのものならば、最上位層を探せば、何人かいます。それよりも稀有なのは貴女の力の振るい方です」

 

「力の振るい方?」

 

「自分の実力をしっかりと把握するからこそ、貴女は毎回毎回本当に丁寧に対戦相手が出来れば傷付かない方法で倒している」

 

「ッ、あ、ぅ、ぃえ、その……」

 

「そういう傲慢さと優しさは両立しますし、分からない人間には分からない。けれど、分かる人間には分かる。そして、その上で相手に敬意を持って、申し訳なさそうな顔をしている人間を他にも知っているのですよ」

 

「そんな人が私以外にも他にいるんですか?」

 

「ええ、ですから、そういう戦い方を見ていると。未熟ながらも指揮官や司令官のような職に欲しいと思えます」

 

「わ、わたしは……その……」

 

「今は我々のようなのがまだ沢山いるので問題ありません。ですが、これからはそうもいかない時代が来ようとしている」

 

「……スカウト、ですか?」

 

「いえ、民間人の中から使える人々を編成し、我々が“擦り切れた場合”の保険を作るというのが近頃の任務の一貫でして」

 

「ッ、それって……」

 

「本当にマズイ状況まではまだ猶予があります。ですが、民間人が民間人を出来なくなる日がきっと来る。その時、貴女の手を導く者がいなければ、不本意な地位や不本意な役を被る事になるでしょう」

 

「………」

 

「これは選択肢の提示です。紙切れ一枚で申し訳ありませんが、貴女が必要になるかもしれない職の幾つかの候補です」

 

「やっぱり、破滅は近いんですね……」

 

「はい……貴女のように普通に暮らしている人々の中で資質を持つ方々に登録をお願いするくらいには……情けない話ではありますが、現実的な問題なもので」

 

「誰もが理解していながら、口に出さない事は真実。本に書いてました」

 

「そうかもしれません。登録先の仕事は人類が絶滅する案件もしくは幾らかの地域が壊滅するような非常時にのみ使用されるリストとして保管され、そういった事態が発生した場合にだけ専用の端末もしくは複数の方法で行動や活動用のサポートが自動で開始されるという運びです」

 

「分かりました。お受け取りします」

 

 わたしにとって、剣はツマラナイものだ。

 

 けれど、目の前の人は剣ではなく。

 

 考え方が資質なのだと言う。

 

 リーダーなんて柄ではないと自分では思うものの。

 

 自分以外からしか分からない事もきっとあるのだろう。

 

「では、これで。もし、剣がツマラナイのならば、剣を捨てて戦ってみるのを勧めますよ。剣を剣として使わなくても、剣でさえあれば、やり用はあるでしょう」

 

「剣でさえ……少し考えてみます」

 

「好きにしてみるといい。実のところ、剣技で貴女に勝てはしません。貴女にも分かり易く言えば、同じ肉体、同じ条件なら負けます」

 

「……軽く言うんですね。案外」

 

「事実は事実。そして、人より遥かに積み上げた別のものを使って貴女に勝つのでは大人げないとの謗りは我らの中では免れませんしね」

 

「なら、どう戦います?」

 

「殴り合いでもいいし、格闘技でもいい。あるいは……おっと、すみません。どうやら、仕事のようです」

 

「もしかして延期、でしょうか?」

 

「いえ、まだ出る幕は無いと言われました。ただ、他にもやるべき事はあるので。申し訳ありませんが、こちらは愉しくとは行かないようです。もしもの為に剣でお相手しますよ」

 

「分かりました。答えは立ち会う時に」

 

「それではまた」

 

「はい……」

 

 その日、剣と格闘技半々で戦って見た感想は一つ。

 

 ツマラナク、はないだった。

 

 力を入れていない相手の威力を殺すだけの剣相手にはボロ負けだったのだけれど。

 

 確かに剣を初めて一番楽しい試合だった事は間違いなかった。

 

 人々が空の破滅の輝きに目を奪われていなければ、拙い考えはきっと大いに笑われていたに違いない。

 

 わたしの剣を続ける目的は一つ増えたと思う。

 

 剣と格闘技でわたしが愉しい戦い方を作る。

 

 それは戦える人間として初めて持つ目標に違いなかった。

 

 蒼力も銃弾も今まで戦って来てまるで怖いものではなかったのに。

 

 剣で受けに徹しているだけの人が自分が斬った中でも最大のアウトナンバーよりも怖いというのだから、世の中はまったく理不尽で面白い。

 

 そんな今日の終わりにわたしは表彰台で天を仰ぐ事にした。

 

 世界に降り掛かる暴力を凌ぐにはきっと……こんなツマラナイ剣技でも必要だ。

 

 それが解る優勝トロフィーの重さだった。

 

 *

 

―――帝都陸軍本部庁舎地下総司令部。

 

 帝都地下大深度。

 

 行政区画からは離れた場所に総司令部は存在する。

 

 敵主力となる存在の攻撃に対して岩盤と大地を盾とする大深度基地。

 

 アバンステア内でこの場所に続く殆どの通路は現在陸路では4本。

 

 空間の距離を弄るゼド機関による空間圧縮で瞬時に到達させる通路が2本。

 

 そして、基地内部に詰め合わせてある菓子折り染みた隊員は間違いなく誰もが一級品で揃えられており、ドラクーンが常時500名常駐し、各地への虎の子の遊撃部隊として備えている。

 

 本星周囲の宙域が投影されたディスプレイ内部では次々に飛来する隕石群の軌道予測情報が更新されながら表示されており、殆どの人間が関係各所に連絡を取って緊急時の対処を開始している。

 

「……無名山地下での振動を検知。重力反応を確認。何らかの攻撃を外部から受けている模様」

 

「姫殿下の仰られた通り、あの場所に向かった途端に色々と動き始めたか。各ラグランジュ宙域の方はどうだ?」

 

「一端、大規模な陽動と思われる隕石群はほぼ全てエネルギー転換で完全に消し去りましたが、まだ100万km圏内に敵と思われる反応多数。破片や1m未満のものが多数落下コースに乗りました」

 

「迎撃部隊の展開は?」

 

「完了しております。凡そ各宙域の迎撃を擦り抜けた隕石群が約9300個から2万個……これが敵雑兵である可能性を考慮し、大気圏外の衛星軌道上でオーバートップによる広範囲迎撃網の稼働が開始されました」

 

「重粒子線放射機によるカーテン……薙ぎ払い続けられるかどうか」

 

「隕石群大幅に増速しました!! 衛星軌道上の予定迎撃宙域に侵入。迎撃開始まで残り32秒……尋常の速さではありません。やはり、敵の雑兵であるようです」

 

「目標の増速を光学観測で目視!! 宙域殲滅開始します!!」

 

「オーバートップによる初の領域殲滅戦の開始か」

 

「【フォールドーン】機関出力上限10%。超重元素332……124kgの爆縮を開始。全システムの動作確認。発射」

 

 本星を囲い込むようようにして360°の宙域に展開されていたモノが露わになっていく。

 

 それはまるで扇のような砲身を横長に引き延ばしたような、巨大な施設群。

 

 全長200m強のソレらは精々が縦に20メートルも無いような薄さながらも、開いた扇の先端にある横長の砲口の奥を赤熱させた。

 

 排気が僅かに構造物外に儲けられた廃熱口から噴き出した途端。

 

 人間には視認出来ない加速された重粒子と光の咆哮が猛烈な横薙ぎとなって宙域を薙ぎ払い始める。

 

「掃射角微調整誤差0.12を維持……射程8万kmまでの全領域において物質昇華を確認しました」

 

 本星を覆うように配置された123機もの構造物の大半は数百㎞にも及ぶ新しい宇宙の大地に備えられる固定砲台の衛星化版だ。

 

 本星を完全に外界から遮断しつつ、その猛烈なエネルギー放射が排熱口からの運動エネルギーによって振り切られ、瞬時に広大な領域が星間物質の反応した爆光によって埋め尽くされる。

 

「………自動シールド展開ありません。敵隕石群の殲滅を完了。廃熱放射版ハーフ・スライド。次弾装填。射出可能まで残り120秒……」

 

 ボシュリと真空の海で巨大な鋼の扇の地球に向けた片面が内部をスライドさせて、エネルギーで完全に灼熱地獄と化した機関内部を冷ますように開いた。

 

「本星上からの観測結果上がって来ました。各天文台からは空が今度は赤く染まったのかと思った、との感想が来ております」

 

 司令部内。

 

 オペレーティング・カウンターの前でオペレーター達が情報を即座に集計しながら、異常が無いか監視報告を密にしつつ、次波に備えていく。

 

「隕石群の観測結果として殆どが高度16000km付近で消失。残っていた物体も殆どが増速したまま大気圏に突入後、断熱圧縮でほぼ燃え尽きた様子です」

 

「現在、メインサーバーで事後評価中。敵の微細化工作への対策が完全に機能していれば、地表で表出する敵性物体の出現確率は2割以下との事です」

 

「最も大陸で微細塵が落ちた地域のリバイツネードに準戦闘待機命令を発令。また、観測班による地域の広域観測を厳とせよ」

 

「宙域観測隊からは未だ“白”と思われる物体を確認出来ず。宙域内部での異相穿孔もしくは長距離空間圧縮による移動で消えている模様との事です」

 

 その言葉に次々に発令されていく様々な情報が専用回線からリバイツネードへと送られていく。

 

「これは? 報告。全隕石の軌道を再計算、確認しました。最も多く落ちると予測された地域はどうやらルイナスのある大陸中央域及び、無名山一帯と推測されます」

 

「相手もやってくるか。新規バルバロスの集中発生も想定される。ドラクーンの広域観測を継続。地下及び異相にも気を配れ。中枢にそのまま何か現れる可能性もある。ルイナスには屋内退避命令を」

 

「既に姫殿下名義で屋内退避が進んでおり、2時間後には完全に完了すると」

 

「……現時刻を以て各司令部での対処は準戦闘待機で固定。リセル・フロスティーナ加盟国内の全軍に対して非常招集。初の星外侵略活動を認定。議会に統合作戦要綱に沿って、対処案Rで民間への勧告を勧めさせてくれ」

 

 総司令部内は重苦しい雰囲気に包まれながらも然るべき仕事を終わらせる為、誰もが忙しく立ち働き様々な場所へとコンタクトを取り始めた。

 

 動き出した星外からの攻撃の初動を受け止め切った事で緊張の度合いは増しながらも誰もが対処出来ていると感じていた。

 

 その最たる理由が現在聖女がお出かけしている無名山との戦闘だった事は間違いないだろう。

 

 知見の無い宇宙での戦闘が一回でも行われた事で多くの者達が心構えと同時に多くの対処案の内実に対して納得し、理解を深めたのだ。

 

 そんな無名山の裾野に広がる都市域。

 

 各地では混乱が広がっており、多くの者達が地表に燃え尽きるように落下して来た数cmにも満たない“何か”の落着に驚いていた。

 

 同時に起こった爆発でドラクーンが攻めて来たのかとも騒めいていたが、すぐにそれがまったく別の者である事を知る羽目になる。

 

『空が赤くなって落ちて来たってよ!?』

 

『何だ今の爆発はぁ!? お山の守護者連中は!!?』

 

『い、今、お山から出動してる部隊がここら辺に来るらしい。とっとと逃げねぇと戦闘に巻き込まれるぞ!!』

 

『ネット探ってる連中から隕石が降って来るだってよ!! 何か新しい宇宙からのバルバロスみたいなやつが来るんじゃねぇかって!?』

 

『た、退避ぃいいいいいいいいいいい!!! 退避だぁあああああああ!!』

 

『何だぁ!?』

 

 混乱している都市各地で次々に悲鳴が上がる。

 

 無理もないだろう。

 

 落下して来た数cm程度の何かが爆発した地表周辺からヌッと黒塗りの滑らかな何かが立ち上がったのだから。

 

 音も無くヌッと立ち上がる黒い巨体は無機質で硬質なようにも見えたが、半透明で反対側までも透過している。

 

 その質感は正しく黒い幽霊というような感じであり、何処か現実感に乏しかった。

 

 だが、内部に入り込んだ周辺の建物が急激に崩れ去る上にあらゆるものが劣化したようにカサカサと風化する。

 

 こんな状態を見た次の瞬間には周辺の誰もがとにかく逃げろと散らばって消えていくのも無理は無かった。

 

 塵や砂に帰っていく現代建築が自分の肉体に置き換わるのはあまりにも簡単だろうと彼らはその異質で異様な何かを畏れるだけの成れがあった。

 

 正しく、お山の守護者達が扱う超常の力を彼らは直に見ていたからだ。

 

 そんな、逃げ散っていく矮小な人間の様子を黒い人型のようなソレが観察しているような様子は無く。

 

 視線は山岳部の要塞に向けられていた。

 

 そして、ソレを待っていたかのように次々に地表から新規バルバロスと呼ばれる様々な生物の特徴を持ち合わせるキメラ型生物が溢れ出して産声を上げる。

 

 一体として同じモノが存在しないのは正しく生物を粘度のように捏ねて混ぜ合わせたかのようだ。

 

 10m程の黒い幽霊1体に対して二十体のキメラが付き従う光景は正しく悪夢。

 

 だが、お山と呼ばれて親しまれる山岳から急行してくる爆走中の装甲車両群の一角から次々に砲弾が避難民も構わずに大量斉射された。

 

 まだ距離が数kmあるにも関わらず。

 

 その弾丸の殆どが誤差もほぼ無く。

 

 化け物達の集う地点に殺到。

 

 キメラ型が対応する間を与えず。

 

 巨大な衝撃と大量の爆炎が上がる。

 

 榴弾でけではない。

 

 ナパームのように高度な燃焼を引き起こすテルミット弾に類する超高温焼却用の弾頭が大量に紛れていたのだ。

 

 無論のように周辺が灼熱地獄で逃げていく者達を軽度の火傷を負わせるが、浸食されたり、諸々の殺傷力の高い能力で完全に死ぬよりはマシだろう。

 

 少なからず現実改変能力者達はあちこちで20、30単位で市街地から要塞へと侵攻を開始した幽霊とバルバロスの群れを焼却処理していく過程で傷付いた者達を次々に見えざる能力で回復させながら、視認可能な範囲でサイコキネシスでも使ったかのように浮遊させつつ移動させていく。。

 

 しかし、超高温となった市街地内にあっては入り組んだ現場から自分の脚で逃げ遅れた者も多い。

 

 そんな者達には現実改変で安全地帯まで直接転移させている。

 

 治安維持、防衛活動を行う能力者達がその傍らでキメラ型とは違ってまったく攻撃が効いている様子の無い黒い幽霊の巨人に目を細める。

 

「威力が透過している? 黒いのに一切ダメージが通ってないな。存在毎抹消系の連中の能力も効いてる様子が無いようだ」

 

 彼らは知っている。

 

 この手合いは自分達にはどうにも出来ず。

 

 完全にオブジェクトによる処理以外ではどうにもならないと。

 

「オブジェクトの使用許可が出た」

 

 各部隊の通信兵がすぐに司令部からのゴーサインを通達する。

 

 彼らの持ち寄った強力無比の射撃型のオブジェクトの大半はあまりにも危険度が高く。

 

 それ故に当たれば、少なからずドラクーンにすら通用するものだったからこそ、敵によっては使用許可が最初から出されていない場合も多い。

 

 各々が持ち寄っていた攻撃用のオブジェクトが次々に装甲車の側面や天井の窓から上半身を出した兵士達の手で放たれる。

 

 銃に見えるモノもあれば、スリングショットや水鉄砲のようなものまでも見受けられるのはソレが異常性の高いものである証左だろう。

 

 玩具を戦場に持って来る馬鹿はいないが、玩具みたいな凶悪過ぎる兵器なら幾らでも彼らは持っているのだ。

 

 だが、幾つか投入された射撃兵器は効いているものが少数だった。

 

 黒い幽霊的なサムシングの多くが体の一部を溶かされた様子で動きに支障を来していたが、構わず進軍し始める。

 

「効果適応確認。94433だ。各分隊に通達!! 94433を複製し、直ちに攻勢を開始せよ!!」

 

 最もダメージを与えたのは水鉄砲だった。

 

 カラフルな現実でならば、アメリカ辺りで売られていそうなライフル型のものだ。

 

 黄色、赤、青のプラスチックパーツで形成されたソレの引き金が引かれる。

 

 だが、水は射出されていない。

 

 何も出されている様子はないが水鉄砲の射線上にいる敵の肉体は1発で数十cm近く抉れていた。

 

 次々に配布されていた水鉄砲が現実改変能力者達の手の中で複製されて水も放たないソレの引き金が引かれる度に敵が溶けていく。

 

「敵はミーム汚染系の攻撃に脆弱だぞ!! 同系統の射撃用武装をありったけ持ってこい!!」

 

「は、はい!!」

 

 分隊の攻撃が優勢になり始めると次々に後方に連絡した分だけ最初に効いた兵器と同系統の手持ち式のオブジェクトを持った増援が転移で駆け付けて来る

 

 相手の数はそれなりだったが、市街地を焼き尽くす事なく何とか対処が終えられそうだと、もしもに備えていた部隊の多くが内心で胸を撫で下ろした。

 

 燃える市街地を見下ろしながら、山岳部の要塞内部から次々に部隊が山の下にあるサイト内部への入り口へと向かう。

 

 幾つかある出入り口の一つ。

 

 砂漠付近には数百名のサイトの防衛部隊が展開しており、何処か宇宙を思わせる深い色合いに満点の星を鏤めたような壁を前にしていた。

 

 その壁への出入り口から次々に負傷者が運び出されており、その多くがDと呼ばれる一族の者達だ。

 

 彼らを収容する砂原の野戦病院のテント内では現実改変能力者と通常の医師を兼ねる技能者達が寝かせた隊員達の検査を行っていた。

 

「Dクラスの収容を完了。身体的な異常無し。意識の昏睡は……数時間内には恐らく覚醒すると見られる」

 

 初見を即時小型端末で無名山側の情報網に上げた医師達は入り口の付いた壁が時折、僅かに震えるのを見て、内部でどれだけの異変が起こっているものかと想像する以外無かった。

 

 そのテントの外では終結している兵士達の上級士官が次々に集まって合議しているが、内部からの報告を聞いていた為、まだしばらくは静観し、外の部隊と合流するべきではないかという話が持ち上がっている。

 

 そんな無名山側の混乱や対応するのを横目にしたごじゃるな幼女が1人。

 

 いつもの姿で歩き出し、“偶然にも誰も見ていない入り口”へと入って、早足で先へと向かう。

 

 そして、何処かへと愉し気に消えていくのだった。


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