ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
魚醤連合。
彼の国が歴史上に登壇するのは凡そ62年前に遡る。
当時、大陸東部の沿岸地域には小規模な耐性食材の小国家が乱立していた。
彼らの大半は海運を営む都市国家規模の貿易国だったが、遠洋で取れる魚に耐性が無い国々は沿岸部から離れられない為、他の遠洋貿易が可能な国々の様子を指を咥えて見ているしかないという状況だったらしい。
それでも遠洋で耐性食材が網に掛からなければ、貿易船の船員達は飢え死にするしかなかったのでリスクはかなり高かったとか。
そんな彼らの世界に革命が起きたのは船の帆が石炭による蒸気機関に取って代わった事に起因する。
圧倒的な速さの船が登場した事で少ない日数で貿易が可能となった。
これはつまり食料の消費を最低限に抑える事が出来たという事だ。
以降、蒸気機関式の船舶が増えるに連れて今まで遠洋に出られなかった国々も貿易が可能となり、程無くして貿易商達が都市国家間の連合を求めるようになった。
これが魚醤連合の始まりとされる。
彼らは周辺の沿岸国家を飲み込み。
地域の特産の一つであった海産物を醗酵させる事で得られる調味料、魚醤をシンボルとして共通の耐性者層を生み出す事に成功。
その後、南部との貿易で得た富で多数の船舶を保有し、軍拡を敢行。
近年稀に見る大きな共同体となった。
八年前、共和国への複数国による大規模侵攻の海軍戦力として、その武力を見せ付ける事となったが、戦争最初期から中期に掛けての苛烈な攻勢とは裏腹に敵主力艦隊を叩き切れず。
中期から後期に掛けて共和国海軍の一大反抗作戦において主力艦隊の半数近くを喪失。
壊滅寸前まで追い込まれたが、共和国がその前に飲み込んでいた沿岸国の主力艦隊が身を寄せていた南部から駆け付け、何とか終戦まで戦い抜いた。
オルガン・ビーンズの単独講和によって優勢となった共和国軍が敵連合と早期講和を締結した時点で残った艦艇は三分の一程。
どれも中破から大破の有様でまともな戦力は残っておらず。
共和国との講和内容はかなりギリギリまで要求を呑まされた云々。
現在は内陸との貿易路を確保し、何とか現状を維持しているものの。
とても、再び共和国と一戦交える戦力は無い、かに思われていた。
というのが、どうも今回の戦争のあらましらしい。
1年程前から何やら不穏な動きは共和国の情報部も察知していたらしく。
内部へと間諜を送り込んで情報収集していたとの事。
だが、事実として連合は再び大艦隊を編成し、海兵を主力とする強襲揚陸部隊を多数擁して沿岸地域を確保している。
今回の一件は明らかに単独で為せるものではない。
ならば、何処が連合の裏で糸を引いているのか。
共和国沿岸部が占拠されている今、現在占領と併合作業中のオルガン・ビーンズの要する沿岸地域までも事が延焼すれば、大問題。
早急に敵の内情と裏側を調査せよ。
そういう趣旨らしかった。
「……ずず」
百合音から貰い受けた公国で嗜まれるという緑茶を啜りつつ。
また、これに乗る事になるとは……という微妙な感慨に抱かれる。
飛行船。
オルガン・ビーンズの一件でフレグリオ・マイナーソースが乗っていたソレは現在共和国の技術陣が研究中であるにも関わらず。
今回のEE派遣。
ショッツ・ルーへの潜入調査に使われる事が決定していた。
さすがに技術で他国の追随を許さない共和国と言うべきか。
さっそく新技術の研究に余念が無いらしく。
飛行船内部には数人の研究者達が運用データの観測という名目で一緒に搭乗している。
首都から少し離れた基地に隠匿されていた飛行船は現在空に溶け込むよう少し暗めの青い保護色に塗り替えられており、船内は家具や寝台はそのまま。
何にも阻まれる事無く高高度をスイスイと進んでいた。
地上を見下ろせば、山岳や荒野や海洋が見える。
沿岸部付近を飛行しているらしく。
三日目にしてもう敵国の首都に差し掛かっているとの話だった。
(技術進展速度が異様に早い気がするのは気のせいなのか? このままだと数年後には航空戦力が普通に普及してそうだな……それまで共和国が在ればの話だが……)
割り当てられた部屋は壁際のそれなりに良い場所だったので生活するのに支障は無いのだが、チラリと横を見れば、二段ベッドの梯子が目に付く。
その上からスヤスヤと穏やかな寝息が聞こえている。
限界まで人数を載せているので一人部屋はさすがに使わせては貰えなかったのだ。
現在、フラムは軍服で二段目に上がり、そこ以外では浴室でしか着替えない。
さすがに付き合いが長くなってきたので覗いたら殺す的な事は言われないのだが、基本的に起きている時は殺気というか。
圧迫感が半端ないので落ち着かないというのが本当のところだろうか。
リュティさんに毎朝の如く身嗜みを整えてもらっているのだが、その様子を見ていると露骨に変態を見るような視線を向けてくるので、寝台で休んでいるという事も出来ず。
船内をウロウロする事となる。
基本的に内部を出歩くのは許されているので、オルガン・ビーンズの一件では見られなかったところまで詳細に船体を見て歩くのが乗船してからの日課になりつつあった。
結果として分かったのは飛行船がどうやらヘリウムで浮いているらしい事。
また、後部にある推進機関はどうやら内燃機関ではなく。
電力で駆動している事。
それと同時にやはり思っていた通り、共和国にとっては未だ正体不明に近いエネルギー。
マイクロ波的な電磁波を空の上から受け取っているらしいという事だった。
設計図というか。
確認した船内の図に燃料タンクは一切詰まれていない。
乗っているタンク類は基本的に予備のヘリウムと生活用水のみ。
連続航行は最大で二週間。
汚水を遣い回す為の浄化機能らしきものが乗っているらしく。
ヘリウムの入った上部構造下の船体は大まかに推進機関、居住区画、上下水道設備、艦首艦橋という感じになるらしい。
倉庫は居住区画の真下に位置しており、開閉式のハッチが複数存在するとの事。
(こういうのが好きなのは男の性だと思うんだが、こういうのばかりも飽きる。それも本当のところなんだよなぁ……)
勿論のように操縦系統には触らせて貰えないので詳しく調べようにも不可能だ。
今日には予め潜入させていた工作員が決めた合流予定ポイントで下船予定という事になっているが、結局は敵国内である。
どうなるか分かったものではない。
『総員速やかに起床して下さい。合流予定ポイントを確認。ただちに担当下士官は下船準備をお願いします』
バッと見えない寝台の上で飛び上がる音。
ザザザッと衣擦れの音が響くとすぐに軍服姿のフラムが降りてきた。
「行くぞ!! エニシ!!」
「分かった。リュティさん呼んでくるか?」
「馬鹿を言うな。この時間ならリュティはとっくの昔に起きて準備している」
「分かった。こっちもすぐに行くから、待っててくれ。荷物だけ確認する」
「私は先に下船する準備をしておく。遅れるなよ」
ジロリと睨んで来た美少女は靴を履くとスタスタ部屋から出て行った。
事前に纏めておいた旅行用のトランクが一つ。
数日分の着替えと携行食糧。
ナイフやマッチなどの雑貨。
もしもの時の為の現金(周辺国が発行する金貨と銀貨を数十枚)。
全て確認し終えて通路からハッチに向う。
すると下船準備を終えた若い男達の中にフラムとリュティさんが当然のような顔で紛れ込んでいた。
「カシゲェニシ様。おはようございます」
「おはようございます。リュティさん」
「今日はお早いお目覚めだったとか」
「ちょっと、貰ったお茶を」
「そうですか。それは良うございました」
いつものメイド服姿、ではない。
オールイースト家のメイド服は黒ゴスっぽいものなのだが、どうやら普通の白黒ドレスにエプロン姿。
昨日までは邸宅と同じものだったので、変装ではないにしても、お嬢様のお付風にしたのだろう事が分かった。
そこでハタと気付く。
「そう言えば、お前は軍服のままなのか?」
訊ねるとフラムがジロリとこちらを睨んだ。
「あっちの工作員のアジトに衣裳は用意してあるそうだ」
「でも、見られる可能性もあるんじゃないのか?」
「そんな場所に下りると思うか? 下船場所は目的地も近い山中の開けた場所だ。誰も迷い込まない獣道の先にある。そこで着替えて商隊に化ける予定だ。問題無い」
「なら、いいんだが……」
「それより貴様、身奇麗過ぎるぞ。いつものお坊ちゃんスタイルではないか!! ちょっとは汚すなりなんなりしろ!!」
「獣道歩いたら汚れるだろ。絶対」
「……これから貴様はわ、私のい、許婚的な相手として商隊の若という体で動いてもらうのだからな……む、そうか……あまり、汚れてもらっても困るのか……」
そこでようやく思い出す。
カバーストーリーというやつを渡されたのだが、フラムと許婚設定なのだ。
商隊を率いる若い商人と恋人とメイド。
これがオールイースト家の住人に与えられた仮の身分だ。
偽名(本名を横文字にしただけの何の捻りもないイツモのアレ)もあるし、カレー帝国から来た乾物の買い付け商人という役柄である。
ぶっちゃけ、そこまでしてもバレる時はバレるだろうとは思うものの。
やらないわけにも行かないのでとりあえず確認してみる。
「フラム。緊張してるのか?」
ちょっとだけ勇気を出して、そっと手に触れてみた。
「ふぁ?!」
思わず美少女が思わぬ程に可愛らしい声を上げて、周囲からの視線に晒される。
「……普通に返せないと恋人には見えないんじゃないか?」
「くッ?!! 乙女の心を弄びよって?!! これが任務でなければ、弾丸をお見舞いしているところだぞ?!!」
思わずガッと吼えた美少女の様子に他の工作員達が知らないフリして視線を逸らした。
どうやらフラムが良いところのお嬢さんでそれなりに権力を持っている事は知れているらしい。
触らぬ神の祟り無しという態度がすぐに分かった。
「潜入中は弾丸禁止じゃなかったのか?」
「ぅ……」
「じゃあ、もう一回やってみるか。自然に受け答えすればいいんだから、簡単だろ」
「首都に帰ったら覚えておけよ!!」
恨みがましい視線を他所にもう一度、フラムの手へそっと触れる。
「フラム。緊張してるのか?」
「ぅ……別に違います。カシゲェニシ、様……」
一応、恥ずかしそうに。
というか、実際演技するのが恥ずかしいのだろうが、赤くなってしおらしい事を言うフラムは軍服姿でさえなければ、まぁまぁ……いや、たぶんかなりお嬢様っぽく見えた。
「……ちょっと笑い出しそうになった」
「貴様ぁあ?!」
素直な本音に美少女が目を怒らせたのも束の間。
既に着陸態勢へ入っていたらしい。
ハッチの先の景色が見る見る高度を下げていた。
「そろそろ着くな」
「く、覚えていろ!!?」
「おひいさまもすっかりお嬢様が板に付いてきましたね」
「私は最初からお嬢様だ!? リュティ!!」
メイドに茶化されて、頬を僅か赤くしたフラムが僅かな振動と共に機体が着陸したのを見て、顔を軍人のものに切り替える。
『下船開始して下さい。皆様に総統閣下の加護在らん事を』
船内放送が終わり、ハッチが開かれるともう地面へ続くタラップが下ろされていた。
次々に男達が降りていく。
フラムに続くリュティさんの後ろ。
最後尾を歩いて降り切ると。
すぐにタラップが自動で収納され、ハッチも内部から閉められる。
高度を即座に上げた飛行船は二分もせずに再び空の上に舞い上がり、何処かの空へと消えていく。
「では、行くぞ。エニシ」
「ああ、分かった。それで現地の工作員ってのは何処なんだ?」
「もう待っているかと思ったが、予定よりも早く付いたか。一応、地図はある。それに沿って行けば、問題ないだろう。出発するぞ!!」
フラムの声と共に男達が頷いた。
どうやら、この中ではフラムに指揮権があるらしい。
開けた丘状の山間だ。
周囲には森しか見受けられない。
そのまま男達を前にして歩き出せば、すぐに道は獣道のようになっていく。
だが、それでも最低限の行き先が分かるのは獣道の端々に目印や折り曲げられた草木の後や刈られた雑草が打ち棄てられているからだ。
数分もせずに山道らしき場所に出た。
その遠方には山小屋のようなものが見える。
「あそこだな。装備を受領するぞ」
砂利も敷かれていない道を歩き出した時だった。
不意にフラムが指を軽く弾いた。
その小さい音を聞いた途端に男達がさり気無く軍服の腰元に手を触れさせる。
歩いたまま。
無言でフラムは顔色一つ変えなかったが、この時点でもうかなり嫌な汗が背筋を伝っていた。
もしもの時の合図だ。
敵が待ち構えているかもしれないと感じたら1回。
囲まれていれば2回。
指を鳴らす事になっている。
男達がその腰に下げたホルスターから拳銃を引き抜くよりも早く。
フラムが山小屋の閉った木戸に向けて目にも止まらぬ早撃ちを披露した。
刹那、男達が咄嗟に横へと飛び退り、片手でリュティさんを引っ張って地面に伏せさせる。
撃ち返された銃声が一発。
「―――く」
横に飛び退いた瞬間に激痛で意識が眩んだ。
たぶんは左足。
「各自散開!! クソ?! 大丈夫か!! エニシ!!」
その言葉が終わるより先にもう一発、周囲の地面で弾丸が弾ける音。
どうやら敵は団体さんではないらしい。
「ぅ―――?!! ぐッッ!?」
痛みで声を発する暇も無い。
だが、遠方から何やら眩く耀くものがヒュ~~ンという音と共に打ち上がる。
『照明弾だと?! マズイ!? エニシ!! こちらに来い!! 複数の敵が向ってきているぞ!! 死にたくなかったら死ぬ気でこっちに来い!!』
「わ、るいがッ!! 無理!! だ!!?」
『意気地の無い!?』
今にも気を失いそうなのだ。
それを耐えて動くという時点でかなりの無理ゲーだろう。
だが、非情にも時間は待ってくれない。
次々に弾丸が周囲で弾け始めた。
『確保する気か!? こいつはこちらで何とかする!! 敵を引き付けながら後退しろ!!』
周囲の林から一斉に男達が潮の引くような動きで遠ざかっていく。
『エニシ!! よく聞け!! 殺す気なら貴様はとっくの昔に殺されている!! だが、連中は貴様を確保する気だ!! 少なくとも口を割らない限り殺される事も無い!! 一端、私はリュティと共に態勢を立て直す!! 私が迎えに行くまで死ぬなよ!! 後、もしもの時のマニュアルを思い出せ!! 分かったか!!」
「わか……った」
『各自、後退!! 後退だ!!』
本気で悔しそうな声が林の中、遠ざかっていく。
リュティさんの姿が最後にチラリと見えた時にはもう周囲に対して銃弾が発射される事は無くなっていた。
(―――今まで銃で撃たれて即死してきたらしい身からすると今更なんだろうが!!! 痛過ぎるッッ?!! ぐッ!!?!)
口から泡が零れそうなくらいに歯を噛み締め、耐える。
その時、不意に空を見上げた瞳が何かが落ちてくるのを見た。
それは確かに空の上から落ちてくる。
いや、降っていたと言うべきか。
見えるのだ。
その耀きは確かに天空からのものだった。
直後、山小屋が一瞬にして燃え上がり始める。
それと同時に扉から脱出したらしき影がゴロゴロと林の中に転がり込んでいく。
(何、だ?! 今のはまさか?! マイクロ波照射!? 塩の化身の力はもう制御出来ないはずだろ!?)
何が何やら分からないが、普通の人間には視認出来ない波長の光が見えたりする瞳となっている現在の自分に確認出来る時点で確実にSFの産物が動いているのは確かだ。
このまま焼き殺されるのかと。
いや、焼き殺されながら再生したら地獄だろうなぁ、と。
ロクでもない想像に顔が引き攣って、視界が暗転していく。
(ッ……意識が……も……ぅ………)
最後に見えたのは林に転がり出た何者かが立ち上がって向けた銃口。
そんな命の危機だけがハッキリと記憶に焼き付いたのだった。