ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第110話「料理と愛情」

 

「まぁ、言葉も分からない以上、君達に解くのは図解や絵、概念図ばかりになってしまうが、私が得意とする高次元領域に関する話には基本的に次元の根本原理に付いて物質世界の解釈方法が最も寄与する。万物の理論というやつだな」

 

 ゼド・ムーンレイクの言葉は多くの研究者達が理解出来ない日本語だ。

 

 だが、彼が図解や概念図を書き始めると研究所の講堂は今や満員電車の如くであった。

 

「万物の理論。これに近い理論は出来た。だが、それそのものを最初にこの世界から読み出す事は私の仕事じゃない。ただ、私は次元が世界に仕舞い込まれているという事実に対して、干渉する為の道具としてブラックホール機関の基礎理論を開発した。元々はコレも新しい次元の観測に用いる為のものだった」

 

 カリカリと男は大量の光の点で囲んだ壺型の図を書き始める。

 

「この世界に仕舞い込まれた次元を展開する為の理論。次元の研究はソレから始まった。そして、次にそれを現実に可能とする為のエンジニアリングが課題となった。つまり、我々、天雨機関の合同研究における成果。ブラックホール機関の基本的な能力において要求された仕様というのはまず何よりも高次元展開、高次元観測を主とする」

 

 カリカリカリカリ。

 

「マイクロ・ブラックホールの生成と維持に必要な理論そのものは古典的な最先端研究を応用して当初に出来ていた。問題はエンジニアリングだが、それは仲間達が担ってくれた。具体的には人類史で初めて安定した超重元素の大量性製を可能にしたマガトの化学とそれを用いた彼女の機器への応用。ブラックホールそのものは古典的な方法で発生させ、それを超重元素を使った発振機数百機による微細な空間振動によって制御する方式だ。この発振器による干渉データを用いて、更にブラックホールによる通常空間内に仕舞い込まれた高次元を展開する方程式を描き出すのが私の役目だった」

 

 書かれた数式や理論は多くの者達にとって未だ未知の何かだった。

 

「展開されたマイクロ・ブラックホールは言わば、広げた地図のようなものと言っていい。そこから観測した高位次元のデータを元に理論をさらに発展させたわけだ。殆どの場合には此処で数十年必要だが、生憎と私は天才だった」

 

 男の書く黒板には白い概念図が描かれ、ブラックホールらしきものが風呂敷のように展開された様子が書かれている。

 

「だが、次の局面。更なる高次元での観測には手間取った。物理量や既存法則が当て嵌まらない事が多い領域だからだ」

 

 人々は大きな円の中に文字が書き込まれ、次々にバツが付けられていくのに相手の言っている事を僅かなりとも理解していく。

 

「何が可能で何が不可能なのか。そして、何がその次元のメインの情報なのかを寄り分けるのに十年以上。光の無い次元、距離の無い次元、質量の無い次元、熱量の無い次元、様々なものが無い高位次元を解き明かしていった。その時の産物として私は何処の次元でも大抵干渉可能だった重力と量子の深奥を見たわけだ」

 

 男が次々に辞書片手に書いた単語にバツを付けて、残る単語に〇を付けていく。

 

「次元には軸がある。その軸を用いる機器を開発すれば、正しく我々は万能と呼ばれても良いだけの機関を生み出す事も出来ただろう。だが、誰もそれを望まなかった。理由は単純明快で我々の世界は……既にブレイクスルーが起きて、同時に()()が多くの問題を解決してしまった後だった」

 

 金属製のボトルから一口だけ唇を湿らせて男は語る。

 

「無限の動力も無限のエネルギーも要らない世界に我々は今更な技術を造ろうとは思わなかったのだ。あくまで我々は我々の好奇心を満たし、我々の知識欲を満たす為にソレを作ったに過ぎない」

 

 男は肩を竦める。

 

「十次元から先の軸に干渉する機関を此処で超重元素が大量に余ってるから作ってみたわけだが、まぁ……精々、無限に動力を詰め込む程度の機関にしておくのが無難というのが私の見解だ。この大陸の人類にはまだ早いという事だな」

 

 男の言葉が解らないはずの研究者達の多くが神妙に聞いていた。

 

 男の書く絵や図が何を言いたいのか。

 

 それを何となく彼らに伝えていたからだ。

 

「だが、あの彼女が戦う事になるのがもしも……私が考え得る限りの万能であった場合に備えて……色々と創っておくのは悪くない。この大陸でエンジニアリング出来るギリギリの設計として単純無欠に高次元を運用する相手すら殴り倒すには……時空間、高次元の力が不可欠だ」

 

 男が語りながら書いていた絵はいつの間にか。

 

 巨大な一枚絵として長い黒板を席捲していた。

 

「君達があの機関を武器に転用したのは驚いたが、アレだと12点だな。現行技術で鍛造可能、成形可能な部品を組み合わせるなら、彼女程の才能が無い私だと……こういう形になる」

 

 それを見た者達は最初……どういう事なのか分からずに見続けていたが、ゆっくりと自らの頭で理解しようとし出した途端にダラダラと何か不都合な真実を見てしまったかのように汗を掻き始める。

 

「まず何よりも彼女の生存を願うならば、それは彼女の体を保護するべきだ。保護した上で支援するべきだ。支援する上で兵器を運用する際に手間が掛かってはならない」

 

 それは人型だった。

 

 鎧と呼んでいいだろう。

 

 だが、生憎とゼド・ムーンレイクの中にある美的センスというのは基本的にアニメやラノベに汚染され尽している為、まったく合理的な構造ながらも趣味的だった。

 

「これは君達にも教えておこう。私は……異世界転生ものが大好きだ。好きで好きでたまらないくらいには大好きだ。だけど、それと同時に……」

 

 男のアルカイックスマイルを見た白衣達は識る。

 

「歌って踊って戦える美少女バトルものも大好きなんだなぁー。これが!!!」

 

 鎧なのにロボットっぽい。

 

 ロボットっぽいパーツを付けてる癖にドレスのようだ。

 

 ドレスのようなのに破廉恥なほどにスカートが短い。

 

 肌は見せないスーツタイプなのに薄さから来るシルエットが逆に煽情的だ。

 

 ああ、本当に不幸な事に……その日、彼がお見せしたのは趣味全開の戦う美少女バトルものにロボットスーツを突っ込みましたと言わんばかりのデザインだった。

 

「さぁ、造ろうか。彼女の為に造ろうか。趣味だよ。趣味……ちょっと世界を救ってくれる美少女に悪い白衣のおじさんからの極めて善良なる贈り物だとも……なぁ? 諸君もやらないか?」

 

 男の差し出した手と笑顔と悪の権化のような趣味全開のロボ装甲マシマシなスタイリッシュ美少女バトルもの系スーツを前にして白衣の男女達は引き返せない程に染まってしまう事になる。

 

 だって、心がトキメクではないか。

 

 鎧のようで鎧でない。

 

 ドレスのようでドレスでない。

 

 機械のようで機械でない。

 

 あらゆるものが混然一体となって、あの敬愛するべき、決して裏切れない、あの彼女の姿を彩るならば、美しいではないか。

 

 それが男の趣味だというのは言葉が分からなくても男の態度と図面と笑顔で解るのだ。

 

 ああ、自分は今悪い事をしていると理解しながらも惹かれない理由はない。

 

 その日、聖女フリークな白衣の研究者達は自分達の趣味を纏う少女を夢想して、その言葉が殆ど分からない叡智の化身の汚染ていあんを甘んじて受け入れた。

 

 仕事であると同時に趣味であるならば、それは彼らにとって意欲が二倍になったに等しい。

 

 労働効率と生産効率を生む原動力となるのは目に見えていた。

 

 こうしてニンマリと男はほくそ笑む。

 

 異世界無双というのはやっぱり楽しくなきゃなという感想と共に……。

 

 *

 

「あなた……只今戻りました」

 

 イーシア。

 

 ウィシャスの姉が涙を堪えた伴侶に向けて微笑み。

 

「お義兄様。戻りました!!」

 

 エーテシア。

 

 元気な妹がそうタタタッと走って足元から抱き着く。

 

 後からやって来た姉が抱き着くと離れながらも2人をギュッと抱き締める。

 

 それを受け止めるウィシャスの義兄は夕暮れ時の最中。

 

 遠間にいるこちらに最敬礼した後。

 

 涙を零すのを隠すように腰を折り曲げた。

 

 それに僅かだけ手を挙げ応えてから背を向ける。

 

 手紙で諸々必要な部分だけ伝える事にした為、水を差す事も無いだろう。

 

 馬車に戻るとしょげ返った幼馴染が俯いていた。

 

「良い奴らに恵まれてたようで安心した。最後までお前に戻らないかって言ってくれるとは……さすがに思わなかったな」

 

「………」

 

 馬車が出る。

 

 此処には二人切りではない。

 

 横にはエーカも一緒だった。

 

「本当に出来たお人やなぁ。自分を攫った人間相手にああまで引き留めようとするなんて……普通に出来る事やないで?」

 

「そこらへんにしといてやってくれ」

 

 その言葉で涙を零しそうになった幼馴染の為に似非関西弁少女にストップを掛ける。

 

「せやかて。ぶっちゃけるけど、ウチとか普通に殺そうかどうか迷ってたもん」

 

「そういうのは心の中だけにしとけよ。オレの中で女性怖い病が発症したらどうしてくれる?」

 

「あはは、女の最後の敵は女なんやで?」

 

「知りたくない事実だな……はぁぁ……」

 

 思わず溜息を吐く。

 

「綺麗な子達やったな。それに心も優しかった。ま、汚れ仕事してるウチらからすると眩過ぎて目も眩まんばかりって感じや」

 

「これからはそういうのはしなくてもいいように計らう。命掛けてまで誰かを殺したり、殺されたりするなよ? 一応、帝国にはそういう事を専門にしてくれるヤツらもいるにはいるからな」

 

「……そこらへん取ったら、ウチは普通の女になってまうで?」

 

「普通じゃないだろ。だが、自分からそういう事をやるにはお前らは優し過ぎる。そういうのは餅は餅屋って言うんだよ。黙って外注しとけ」

 

「へ~い。でも、そういうのを元敵国におんぶにだっこかぁ……まったく、世の中は儘ならんな」

 

 その何処か沈んだ苦笑にポリポリと頬を掻くしかない。

 

「別に今までの裏仕事を白状しろとかは言わないから安心しろ。だが、自分から似合わない苦労や責任を背負い込もうとはするなよ? そっちの方がよっぽどにオレにとって面倒事だ」

 

「それ確実に鏡案件やない?」

 

「そこら辺はもうオレ自身は完全に割り切ってる。だが、お前らはまだそういう事から遠ざかっても生きていける位置にいる。だから、言ってるんだ」

 

「……スゴイ反発したくなる事言うなぁ」

 

「だろうけども。自分の後ろにいる女にそんな事させてたんじゃ、男が廃るどころの話じゃない。格好付けたいオレに付き合ってくれるなら、頷いといてくれ」

 

「……ズルイなぁ。ズルイズルイ。ホント、ズルイわぁ」

 

 連呼されて思わず困る。

 

「何がズルイか聞いても?」

 

「あんなぁ。そういうのは口説き文句って言うんやで?」

 

「いや、そんな大そうなもんじゃ……」

 

「あるんや!! ホント、鈍いヤツやな。どうして、こういうとこでそういう風になるんだか。わざとやってるんやないかと疑いたくなるわ」

 

 ジト目で言われた。

 

「シュー。そういうのはアレだから……」

 

 そこで今まで黙っていた幼馴染からポツリと仕方なさそうに呟かれる。

 

「あはは、せやな♪ アレやな」

 

「アレって何だよ……」

 

 本当に困る以外無い。

 

「アレはアレでごじゃるよ~」

 

 ニュッといつの間にか馬車の中に乗っていた黒髪幼女が黒猫を頭に張り付けた様子で座っていた。

 

「いきなり出てくるな。後、その移動方法は人間がするもんじゃないからな? 猫は許容してもいいが、人間だと問題ありまくりだからな?」

 

「ごじゃ~~~遅れてるでごじゃる~~~」

 

「そういや、シャクナやっけ? 結局、そこの黒猫と同じで神様みたいなもんなん? アンタ」

 

「ま、同じ軸を弄れる仲間でごじゃる。ね~~?」

 

「マヲ~」

 

 息ピッタリに黒猫と幼女が確認し合う。

 

「いつの間に仲良くなったんだ?」

 

「秘密でごじゃる。乙女の秘密は多いのでごじゃ~~」

 

「あ、そう。結局、あの船でも色々聞いたが、お前は本当にただ危ない連中をぶっ倒しに来た神様みたいなもん。で、いいんだな? 扱い的には」

 

「おっけ~で~ごじゃ~~~」

 

「じゃ、オレの周囲で好き勝手やっていいが、船で言った基本的な約束は守れよ?」

 

「りょーかーい」

 

「約束って?」

 

 朱理に肩を竦めておく。

 

「オレ達がどうにもならなくなるまでは黙って見てろって事だ」

 

「それって……その……それでいいの?」

 

 おずおず聞かれるが頷く以外無い。

 

「いいんだよ。神様なんぞに頼ってもロクな事にならないし、そういうのは困った時にするもんだ。オレは今困ってない。少なくとも帝国で5%以上の人口がいきなり減るくらいじゃなけりゃ、不干渉が一番良いと判断した。もし何かを頼むとしても条件は付けるだろうしな」

 

「シュー。具体的過ぎると思う……」

 

「出来ない事は出来ない。出来る事は出来る。頼るもんは頼る。使えるもんは使う。でないと何も護れないし、何も残せない。オレが蒸発した後、気付いた事だ。開き直りともいう」

 

「それ自分で言うんだ……」

 

「そうでないなら、どうしてオレがこんな大量の仕事しなきゃならないんだって事だよ。後悔ばっかりだ。今更だと気付いても遅い。挙句の果てにお前らが敵側で迂闊に連絡も取れやしなくなってたし、もっと何か方法があったんじゃないかと今だって考える」

 

「ぅ……その……ごめん」

 

「ま、ウチらもそれは同じやったかもしれんな……」

 

「だから、オレはもうお前らに容赦や加減はしないし、言う事は言う。もう後悔したくないからな」

 

「シュー……」

 

「はは、ウチらもそうしたいもんやな」

 

「そうすればいいさ。全部、受け止める気でお前らを連れて来た。あの場所にいる連中も此処にいる連中も今まで出会って来た連中も……巻き込んだ奴らは全部オレが面倒を見てやる。だから、何でも言ってくれ……オレが可能な限りは必ず聞く」

 

「「………」」

 

 思わず2人が黙ってしまい。

 

「取り敢えずは美味い料理くらいは確約する」

 

「ごじゃ~~~♪」

 

「マヲー♪」

 

「お前らの分も今日は用意しておくから、しばらく引っ込んでてくれ」

 

 約束でごじゃるよ~~と幼女が黒猫と共に瞬きの間に消える。

 

「それじゃ、帰ったらしばらく厨房に籠るからお前らは4人用部屋で待っててくれ。話は夜にも聞くが何か動き出すのは明日以降でいいか?」

 

「「………」」

 

「どうかしたか?」

 

 並ぶ2人を見やると何かグッと決意されたような感じがした。

 

「シュー……」

 

「何だ?」

 

「その……色々終わったら、して欲しい事ある」

 

「解った。その色々が終わったら言ってくれ」

 

「ウチも!! ウチも聞いて欲しい事あるで!! でも、取り敢えずはシュリーの後でええよ」

 

「解った。順番にな」

 

 頷いた後、いつものように書類仕事に戻ろうとしたら、2人が互いに視線を合わせた後。

 

 何故かジャンケンを始めた。

 

「何してるんだ?」

 

「三回!! 三回勝負だから!! エーカ」

 

「さいしょはグー、じゃんけん―――」

 

 そして、2回先に勝ったのは朱理だった。

 

「ま、しゃーないな」

 

 肩を竦めるエーカが苦笑していた。

 

 その後、真面目な顔の朱理がこちらに寄って来て、隣に座る。

 

「どうした?」

 

「……ちゃんと、言えて無かったから……」

 

「?」

 

「これからは一緒にいるから……自分でもちゃんと頑張るから……だから、その……今までありがとう。シュー……」

 

「………ぁあ、お前が大人みたいな事を言い出すと何だかな。少しだけ寂しい気分だ。でも、悪くない……これからはお前にも頼っていいか? 朱理」

 

「う、うん!!」

 

 変わらぬ笑顔。

 

 例え、あの日から身長も伸びてすっかり大人びてしまった幼馴染はそれでもやはり変わらないのかもしれず。

 

「じゃ、次はウチやな。今はまだ大変かもしれへん。でも、色々と終わった後にして欲しい事があんねん」

 

「して欲しい事?」

 

「せやで。姉妹揃っての願いや」

 

「いいぞ。何だ?」

 

 朱理とは反対側付けて耳元にコソコソと囁きが呟かれた。

 

「―――」

 

「ふふ、言質取ったからな~~♪ 約束やで? 精々、苦労しいや」

 

「シュー。何言われたの?」

 

「……秘密だ」

 

「ず、ずるい!! 教えて!! シュー!! シューったら」

 

「あはは。女の秘密を聞くのは野暮やで~~♪」

 

 帝都には未だ風が吹いていた。

 

 それが嵐になる前にやるべきことをやろう。

 

 それが出来なければ、後は死を待つだけである事は何となく解っているのだから。

 

 少なからず、また戦う理由が、生きて先に進む理由が出来た。

 

 今はそれだけで良かった。

 

 *

 

―――帝都奴隷移民教育局。

 

『移民と難民と奴隷の違いが判るか?』

 

『唐突だな。同胞……』

 

 現在、帝国には莫大な数の奴隷達が流入している。

 

 その奴隷達や移民としてやってきた者達を相手にする部局が創られたのは真っ当だろう。

 

 彼らに国家予算の12%近くが預けられる事になったのも聖女の一声があってこそだ。

 

『移民は要注意集団、難民は教育対象、奴隷は生活扶助と言語教育を第一に。ウチの標語だろう……』

 

【奴隷移民教育局】

 

 彼らの最も重要なお仕事は外国人と一括りにしてしまいたい欲求に駆られる多種多様な地方の民族達にあらゆる規則と規律と言語を叩き込む事である。

 

 福祉の中でも最も重要な事項が言語による意思疎通であると説かれ。

 

 彼らにあの手この手で言葉と文字を学ばせ、出来れば最低限度の算数までやらせるのが彼らの使命だ。

 

 この為だけで帝国の1割以上の年間予算を彼らは与えられているのである。

 

 帝国において奴隷や移民達にまず求められるのは法律の順守だ。

 

 その遵守に必要な教育は言語が解らなければ行えない。

 

 故にその最低限の下地を作るのに莫大な予算が降ろされている。

 

 彼らのやる事は単純に教育する帝国人を集め、育て、言語教育者として地方に派遣する事であるが、内実が大陸規模でも類を見ない高度教育を膨大な人々に行うものである為に4万人規模の読み書きが出来る貴族で内外団体を構成され、外国語も堪能な元外交官や外交官の一族が上層部へ大量に勤めている。

 

『この資料は三階のイース公に回してくれ。こっちはイグリー子爵に』

 

 彼らのいるオフィスは研究所お手製の建材を用いた最新式だ。

 

 だが、その真っ新なオフィスも今や大量の名簿と資料に埋まりつつあった。

 

『我々が何故、教育者なのか。そして、あの方がどうして福祉の枝葉である言語教育にこうも大きな資金を掛けて下さるのか。それが解ってこその教育局だ』

 

『……奴隷が八割で移民や難民が二割。これが答えだろう?』

 

『正解!! さすが、同胞。君には解るか……』

 

『移民や難民は聖人じゃない。生きている生身の人間でついでに嘗ての国家の常識や倫理や道徳が更新されてない……奴隷とは根本的に置かれてる立場が違う。その精神性も……』

 

『そういう事だ。奴隷達の多くは素直に我らの帝国式を受け入れる。だが、それ以外の者達はそうではない。だからこそ、あの方は我らに奴隷よりも熱心に移民と難民から権利を剥奪し、彼らの常識を諦めさせ、宗教を取り上げ、言語をまずは教えよと言ったわけだ』

 

『帝国式を教え込めなければ、我らの敗北か……』

 

 オフィスの中。

 

 お喋りしながらも、まったくペンを止めない男達は次々に資料を書き上げ、印刷部門への配送を部下に任せ、あらゆる決済書類に目を通していく。

 

『そうだ。あの方の理想では宗教が仕事や生活に優越しない。古い大陸の倫理や道徳での私刑は行われ得ず、勝手な自民族だけの儀式、集会もお断りだ。同時に権利は義務と等価でもある。奴隷達には奪われていた権利を戻したに過ぎない。だが、移民や難民達は権利を持ちながら、利益の為に此処へ来ている』

 

『その利益を諦めさせ、公正な場での競争を約束し、誠実に帝国法を護るならば、その全てを受け入れる。ただし……』

 

『その帝国法こそが先進性の塊であり、過去の遺物そのものたる人間がこれに反発する』

 

 肩を竦めて男達は軽口を叩きながら仕事を進めていく。

 

『我々もその一部だがな』

 

『はは、違いない。だが、だからこそ、我らに仕事が回って来た』

 

『国外の者と付き合いが最も長い一族ばかりだものな……』

 

『ああ、故に移民と難民達へ最初に我々が言っているわけだ。帝国法を覚えられない移民難民にはこの国に住まう資格が無い。帝国法を護れない人間にはこの国で生きる資格が無い。帝国法の名の下にあらゆる思想、主義主張、宗教は優越しない。他国の現地の人々を尊重出来ない者に他国で利益を得る資格はない、か』

 

『ああ、そうだ。多くの移民難民達は帝国法に従う旨の拇印及びサインを必ず最初に書かせている。その重さを最初に懇切丁寧に母国語で教える程に帝国は寛大だ。これが他国なら、いきなり十年後に遵守しろと言うところだからな』

 

『はは、違いない。そして、犯罪者は一律に国外追放か実刑なわけだ』

 

『重罪なら当然、自国民よりも更に重い罰が降る。他人の家で好き勝手していいわけないわけだからな。それが例え、家の事情だろうが、一族の事情だろうが、民族の事情だろうが、帝国法に抵触する限りは一切の考慮はされない。最初に聞いた連中の絶望的な顔ってのはまったくいつ見ても笑えるものだ』

 

『その帝国法こそが恐らくは今世紀最高に合理的で人々に優しいとは誰も思うまいよ。この世の楽園で好き勝手しようとした連中程に顔が蒼いなら、それは良い事だろう。下手に抜け道を探されるよりはずっといい』

 

『自分達の倫理や道徳や主義主張の一切を帝国法によって担保される事は有り得ないと分からせた後が仕事の本番というのが疲れる事この上ないが……まぁ、人間相手だ。しょうがないな』

 

 男達は忙しさを忘れたかのように笑いながら書類を一部の隙も無く書き上げ、部下達に投げていくわけだが、その様子を遠目に見る一般の非貴族層から取り上げられた役人達は戦々恐々と彼らの会話を聞いていた。

 

 移民、難民、奴隷の教育を扱う彼らにとって、幹部級の貴族出の最優秀層は完全無欠の仕事が出来る完璧超人に等しい。

 

 幼い頃から徹底的な英才教育と思想教育の末に産まれる資質を開花させて伸ばされた真の帝国貴族……二世貴族の中でも軍に多い人々の一部ともなれば、もはや天地の差を感じるのが一般庶民出の役人達である。

 

 同じ人間であるとは解っている。

 

 解っているのだが、それにしても人間らしい能力には見えないのが彼らだ。

 

 一日に数十もの重要案件を決済する彼らの下には下級貴族の男達が黙々と書類の不備が無いかどうかを確認し、円滑に書類をあちこちに届ける為に局から迅速に鳥の如く各地に飛ぶ。

 

『移民犯罪は1月で1万件弱。奴隷達の方が多いにも関わらず1000件に満たない事からも奴隷と移民の精神性の違いは明らかだな』

 

『まぁ、祖国の流儀で帝国法における犯罪が押し通せると思っている馬鹿には縛り首か追放刑が妥当だろう』

 

『先月の一番目に付いたのだと子供を殴って酒をかっぱらわせたヤツはそう言えば、死刑だったか?』

 

『ああ、移民だったんだが、国境域の監視に引っ掛からなかったらしい。単なる人間のクズには監視の目も通用しないって事だ。他にも現地人の男を抱き込んで子供を作って帝国人だから、福祉にただ乗り出来ると売ってた母親は子供を産めんようにしてから追放刑だったりもしたな』

 

『大規模なのだと移民に薬をばら撒こうとしていた組織はドラクーンが壊滅させたんだったか? この間、子爵が苦行のような量の書類を書いていたが……』

 

『ああ、売人や元売りは鏖殺。悪意があり、改心が見込めないヤツは基本的には現行犯で斬殺だったと思うぞ』

 

『例の連中が心を見てくれるようになったおかげで迅速に面倒な相手を消せるのは大きいな』

 

『生かしておいても人の不幸で飯を食う性格が治らんのだから、仕方ない』

 

 男達は何でも無さそうに惨劇を会話のネタにしながら一部の隙もなくペンを奔らせ続ける。

 

『そう言えば、この間の移民や奴隷を食い物にしていた貴族がいたが、アレはお前の方の管轄だったはずだが、どうなった?』

 

『ああ、廃人になって失踪したらしい。ま、移民や難民の子供を自分の欲望の捌け口にした落とし前として豚が好きな連中にくれてやったら、尻穴が閉まらなくなった当たりで壊れて、近くの湖に自分からボチャンと』

 

『なるほど』

 

『ちなみに大雨濁流、誰もいない河川敷で一刻生きられる体ではない。これで生きていたら正しく奇跡だな』

 

『それはそれは……あの一族も難儀なヤツを育てたな』

 

『違いない。貴族の名に値しないヤツを育てた以上は後何代続いたものかな』

 

 男達はまるで社交界でジョークを飛ばしているかのように優雅な笑みであった。

 

 それだけで周囲の一般職員の顔からは血の気が引いているのだが、彼らが気付く様子もない。

 

『被害者は例の連中が家臣団の方の薬込みで持って行ったからな。今頃は記憶を失くして元気にしているか。普通に回復して生活に戻っているだろうよ』

 

『まったく、帝国製万能薬の試験とはいえ。我らには出来ぬ芸当だ。この国で帝国法とは何であるか。それをちゃんと理解した連中は少なそうだな。まだまだ……』

 

『帝国法があの方そのものであるとは未だ知るまい。賢い一族や集団、個人は左程多くない。無能な連中もピンキリだからな。その賢い無能連中を教育者にするのが我らの任務なわけだが……』

 

『そこらは東部のあの方くらいに骨を埋める覚悟でやらなければ、成果は出んよ。東部の氏族連中を纏め上げた男の原動力に比べれば、我らの動機など不純そのものだからな』

 

『確かに……殺しに来た氏族の族長の娘と愛の道を征く等とは我らでは口が裂けても言えんな。精々があの方の尻を追い掛ける大きなガキの戯言くらいなものだ』

 

『然り。あの方の御心を痛めさせる者は……』

 

『何であれ排除する。それが我らの使命だ。違うか? 同胞』

 

『大いに同意だとも!! 同胞』

 

『『はははははははは♪』』

 

 こうして戦々恐々とする部下達の一部から悪魔の如く畏れられる若き貴族の俊英達は今日も数百件もの案件を決済して聖女通が通うディアボロ一号店で一杯やる為に定時で退勤するのだった。

 

 彼らと入れ替わりに入って来る夜勤の貴族達もまた庁舎のオフィスで大勢に畏れられるだろう。

 

 何を言わずとも聖女フリークな貴族の者達は多い。

 

 それが優秀な人間程に比率が高くなる傾向がある事を未だ多くの者達は知らない。

 

 優秀であるからこそ。

 

 その仕事の理由が見えてしまう者達にとって、フィティシラ・アルローゼンは真に仕えるべき主にしか見えなかったのである。

 

 *

 

 厨房を貸し切って人数分の料理の仕込みをしていると横から飽きれた視線が飛んで来た。

 

「こんなところで何をしているのですか? 1人で大人数の仕込みをしているように見えるのですが」

 

「ノイテか。仕込みはもう終わった。手伝ってくれ」

 

「解りました」

 

「デュガは?」

 

「今、寝台と部屋の掃除をしているところです」

 

「そうか。今日は人数分にお代わりもあるって後で伝えておいてくれ」

 

 剥き終わった芋の澱粉を抜いた代物を水道の前のザルからあげておく。

 

 根菜類は全てスープの方に回して、キノコ類はソテーしてリゾットに使う為に油漬けにしておいたものを冷凍庫から持ち出して常温に戻しておく。

 

 葉物野菜は水に浸けたり、灰汁を抜いたり、氷水に浸けたりやっている最中。

 

 冬の間に仕込んで置いたハムとベーコンは常温でも保存できるくらいに水分を抜いてカッチカチにしておいたのでハンマーとノミで削り砕いてから原始的な耐衝撃硝子を用いたフード・プロセッサーでミンチにして隠し味として使用。

 

 メインとなる生肉は一か月ほど熟成させた後の代物を香辛料で軽く浸けたものを用意した。

 

 この世界でも亜硝酸塩を生成出来たのは大きいだろう。

 

 これでかなりハライタで死亡する連中はいなくなった。

 

 食中毒とはいつの時代も無くならないものである為、今後はそれで死ぬ人間も激減するだろう。

 

「これでよし、と」

 

 火入れする為の調理器具はフライパンと網焼き用の道具と調理場を一式を揃えた

 

 現代調理器具であるサラマンダーも一応は原始的な電熱線使用で用意したので問題無く運用を開始している。

 

 こういった現代知識でガッツリ作った道具の半分はメイン食材を調理する為の代物だが、もう半分は甘いもの専用だ。

 

 とにかくお菓子は科学であり、専門道具が必要だ。

 

 汎用的に欲しいラップなどは今の技術では未だ造れていないし、モーターとプラスチック、回路で出来る調理器具にも限度がある。

 

 色々と工夫して時間と手間を惜しまないようにしなければ、ロクなものは出来ないのだ。

 

 特に砂糖や果糖や小麦を用いる為には専門の知識が必要であり、道具も専門性の高いものが重要な事が多い。

 

 小麦のグルテンやメイラード反応に関する知識。

 

 チョコレートならば、テンパリングなどの知識も必須。

 

 マカロンの作り方などは芸術の類だし、チーズケーキは神の奇跡が必要なくらいに造る代物によって様々な条件を揃えて最高の仕上がりにする為の努力と運を要求される事がある。

 

 天気、湿度、温度、道具、食材、調理で味や見た目が敵的に変わるお菓子というのは正しく計量と経験値が欠かせない。

 

「………一つ聞いてもいいですか?」

 

「何だ?」

 

「戦ってる時より真剣な表情なのはどうにかなりませんか?」

 

「そうか?」

 

「人が死ぬのを無表情に眺めているような緊張感があるのですが……」

 

「生憎とお菓子を作るのは人を殺すよりも難しい。ついでに失敗が許されない点では研究所の連中の取り扱う試験管の中身と左程変わらない」

 

「そんな大げさな……」

 

 呆れられた。

 

「久しぶりに食わせたい人間に食わせたい料理がある。それだけで真剣になる理由には十分だろ?」

 

「……まるで恋人に初めて料理をする乙女みたいですね」

 

「はは、そうかもな。そうかもしれない……」

 

「色々とあの機内で聞きましたが、大切なのですね。彼女達が、あの場所に生きる人々が……」

 

 ノイテとデュガには今まで秘密にしていた事を手紙として渡して読むように言っていた。

 

 他の教えるべきだと思った相手にも手紙を複数枚書いて、現在最も信用出来る人物であるノイテに届けて貰い、その場で読ませてから燃やして貰ったばかりだ。

 

「どうする? こんな秘密を抱えて祖国に戻ったら、褒美は意のままかもしれないぞ?」

 

「嘗められたものです。今の貴方が創る料理やお菓子以上に女が価値を見出せるものなんて、きっと好いた男や仲の良い家族くらいのものですよ」

 

「そうならオレも手は抜けないな」

 

 電気式のオーブンから焼き上がったスポンジ生地を取り出して、すぐ様に温度を調節、そのまま次の生地を放り込んで別の鍋の中身を透視し、煮え過ぎないように火を消しておく。

 

 低温殺菌した生クリームを其々の菓子用に泡立てたり、ナッツ類を混ぜたバタークリームを冷凍したりと忙しい。

 

 空調ダクトの換気と同時に今日の湿度の変化を目で空気中の水分の反射する光量で確認し、そのままお菓子と料理中の食材の間を行ったり来たりしながら、ノイテに指示出しする。

 

「ふぅ……こんなもんか」

 

 それから数十分。

 

 大体の調理が終わった後に洗いものを原始的な食洗器に入れて、少し息を吐いた……体は疲れてはいないが、精神的な集中は心が疲れる。

 

「動きが早過ぎて、何をしているのか分かりませんでした。残像が見えるって何です? 戦っている現場じゃないんですよ? 此処は……」

 

 ノイテの本気で呆れた声に肩を竦める。

 

「本気で調理するなら、一秒も無駄に出来ないからな。料理は相手が食べるまでの時間を計算して作るもんだ。今やってるのは時間が経って程良く一番美味しい感じになる料理だ。後は食べる直前に料理する。もう上がっていいぞ。氷菓やケーキ類は冷蔵庫に入れたり、冷ましてる最中だしな」

 

「……解りました。では、後はお任せします」

 

「ああ、何かあいつらが困ってたら頼む」

 

「言われるまでもありませんよ。さっき、デュガがあの2人と話して何やら盛り上がっていましたから」

 

「内容を後で報告して欲しいが……」

 

「お断りします。女の秘密を元男が識る必要があるとでも?」

 

「……解った。夕食を楽しみにしててくれ。菓子類は4種類のアラカルトにした。一つずつ珈琲と紅茶に合うように作ったから、食後には期待していい」

 

「はい……」

 

 ノイテが背を向けてから途中で止まって振り返る。

 

 本調理前に今まで使った道具を片付け始めた時だった。

 

「二つ聞いてもいいですか?」

 

「何だ?」

 

「……貴方は今も女を抱きたいと思いますか?」

 

「―――オレはまだ心は男のつもりだ」

 

「解りました。それともう一つ」

 

 振り返るより先に訊ねられる。

 

「これからも時折は……一緒に料理をしてもいいですか?」

 

「勿論だ。料理に必要なのは正しい知識と必要な道具と食べさせたい食材。それと」

 

「?」

 

「一緒に食べてくれる相手や一緒に作ってくれる誰かだからな」

 

「っ……はぃ」

 

 振り返った時にはもうノイテの背中は厨房から出て行くところだった。

 

 すぐに調理道具の確認と同時に調理に入る。

 

 まずは人数分のフライパンを大量のコンロの上に並べ始める事とした。

 

―――『女を誑し込む才能だけは認めてあげますよ。フィティシラ……』


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