ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第104話「怨みと希望」

 

―――帝国領より35km地点南方国家群領。

 

 アバンステア帝国の南下政策における第一目標だった場所は既に帝国領土に組み入れられたが、その後の延伸はヴァーリの出現により阻まれた。

 

 結果としてヴァーリに取り込まれていない南方の小国や邦のような単位の地方村落や集落規模の集団が治める地域は未だに安全地帯と見なされている。

 

 そんな場所の一つ。

 

 川縁にある集落の議事用の館に帝国領からの客とまた別の客が同時に集まる事になっていた。

 

「これが帝国側からの叩き台です」

 

「こちらが我らからの要望だ」

 

 帝国に連絡があったのは数日前。

 

 帝都からは即座に人員が派遣される事になり、一人の初老の男がやって来ていた。

 

 柔和な面立ちの貴族の男。

 

 彼は今は旅装束を着込んでいる。

 

 その背後には同じ旅装束を着込んだ男が護衛として付いている。

 

 長いテーブルを挟んで数名いる者達を前にして初老の男が出した書類を相手側が見やる。

 

「………これが帝国の考え、ですか」

 

 男達の代表者。

 

 顔に黒い線で化粧した男が他の者達と同様に帝国側と同じような外套姿で訊ねていた。

 

「ええ、西部独立の際に課した制約とほぼ同じモノです」

 

「………帝国からの独立と同時に帝国領との経済協定、賠償協定、教育協定、軍事協定を含む包括協定に署名。国際条約として国内法に優越する形で受け入れ、同時に帝国との友好条約締結後の諸問題には包括協定内のルールに従って問題を解決する事とする。これらが受け入れられ、順守される限り、賠償協定と経済協定による投資と賠償資金は確約する、と」

 

「協定内容は詰める必要がありますが、譲れない協定の核心は二つです」

 

「二つ?」

 

「一つ目は今後、子供達の教育の際に帝国を憎む公教育または私教育をしない事。また、それを同地にいる者達に遵守させる事がまず一点。これは事実は幾らでも教えて結構という事の御墨付でもあります。ただ、教えるなら全てを教えて頂きたい。帝国は悪かったで全て片付けず、我が国の言い分を同時に載せ、教える事が前提条件です。無論、不定期の抜き打ち検査や極秘裏の内部調査の認証は必須です」

 

「………」

 

「二つ目は賠償問題に関しては一括で行う事とし、賠償以後は同殲滅戦における被害賠償は一切行わない事。遡及しての被害者からの訴えは全て棄却。全て個人に一括で賠償が為されます。賠償における額は衣食住の確保の為に帝国から現金以外にも現物支給の形からも選べるものとし、街に対する公共投資以外の私宅の建設も入る事とします」

 

「帝国が住宅を供給すると?」

 

「家が欲しければという事ですよ。そちらの領土に帰属する土地をそちらで被害者に譲渡し、我が方の邸宅供給で即時賠償しても構わないという事です」

 

「………」

 

「ちなみに賠償として同地への食糧供給体制が整うまでの食糧の輸出と自活の為の食糧生産技術の無償譲渡はお約束します。また、生活基盤となる公的施設や公的設備への無償投資と維持管理の為の技術供与と最初期の施設運営も一緒に付けます」

 

「……随分とそちらは余裕がありそうで」

 

「いえいえ、我が国の国庫はカツカツですよ。ですが、賠償というのはそういうものでしょう?」

 

「なるほど。聖女の善行、か……何とも傲慢な話だ」

 

「ですが、悪い話ではない」

 

「違いない。ですが、それで我らの恨みが晴れるわけではない」

 

「無論です。ですが、この協定はそもそも我が方からの持ち出したものです。残る僅かな一族や血族達に安住の地を与えるのと引き換えに涙を呑んで沈黙するというのは大人としてなら末の者達に対しては極めて真っ当な対応では?」

 

「―――何事も真っ当であれば、通ると思うなよ? 帝国人」

 

 代表者の言葉が鋭さを帯びる。

 

「心得ていますよ。皆さんの国々や集落を滅ぼした時から……」

 

「ッ、もしや貴方は軍に?」

 

「帝国の男で軍に志願しない者など左程いません。そして、現地の事を知らない人間が出て来ても困るでしょう。だから、この場にいる全ての集団を滅ぼすのに投入された兵士達の中から最も位が高く。同時に現地と現地の人々の詳細を知っている人間が選ばれたわけです」

 

「ッッッ!!? コイツ!??」

 

「此処で会ったか!? 我らの怨敵が!!?」

 

 男達が色めき立ち。

 

 瞬時に剣を抜いた一人の男が帝国側の男の首に剣を突き付ける。

 

「どうします? 帝国との一世一代の大博打の場を此処で〆るのならば、別に構いませんが……帝国の使者を切った方の血族は賠償協定に参加する意志無しとして今後は本協定で扱われる事が無い事は事前に教えておきますが」

 

「こ、のッ!?」

 

 剣が僅かに喉元に食い込む。

 

「命を懸けて挑発するとおっしゃる」

 

「はっはっはっ。御冗談を。帝国はわたし一人程度を失ったところで揺るぎはしません。殺した血族が割を食うだけです。それも殺した者以外はまだテーブルに付けるとお約束しますよ」

 

「ならば、此処で死んでもいいと?」

 

「勿論!! 何の為に此処に来たとお思いで? 此処で死ぬならば、本望。あの方の為に働いたと、何れ来る子供や孫達に胸を張って言える。お前達は決して怨む必要はないとも言ってあります」

 

「ッ」

 

 晴れやかな顔で首筋から血を流しながら初老の男は笑みを浮かべる。

 

 その狂人よりも狂っていると評せる瞳の色を前に剣を突き付けていた男すらも息を呑んだ。

 

「ならば、来た者達を次々と殺せば、血族の怨みの僅かでも清算出来るかもしれませんな」

 

「左様。そして、血族の未来は閉ざされる。ちなみに私以外にも候補者は数十名おります。その誰もが自分の番が来るのを待っています。その人数分だけ復讐者となるかもしれない血族の未来が閉ざされるのならば、我が国の未来も左程暗くはないでしょう」

 

「このッ、言わせておけば!!?」

 

「止めよ。各々方……」

 

「しかし!!?」

 

 血涙を流しそうな者達の顔には悪鬼羅刹も逃げ出すだろう。

 

 だが、代表者の男が被りを振る。

 

「今、此処で帝国の使者を屠っても我らには何ら利が無い。今、死に掛けている子供や孫達の未来を閉ざしてまでやる事ではない……そうだろう?」

 

「くッッ」

 

「……それでこの原案に書かれていない事を聞きたいのだが、いいだろうか?」

 

「勿論です」

 

「軍事通行権に関してはどう取り扱われるのかお聞きしても?」

 

「そちらでお好きになさって下さい。帝国は要請する事もあるでしょうが、断りたいなら断ればいい。逆に我が国を恨む者達の軍を通したいなら通せばいい」

 

「それでよいと?」

 

「国家の基本的な権利だ。お好きにどうぞと言いましょう」

 

「そうなれば、帝国から来る商人や官僚達が死ぬ事になっても?」

 

「ええ、構いませんよ。帝国の商人や官僚が死んだのに他国の者は死なない、殺されないと大陸の者達が考えると思うならば。聊か現実離れした予想でしょうが」

 

「確かに……帝国と隣接していながら、帝国を屠れば、帝国が手を出さずとも領土は干上がるわけだ」

 

「そう考えるのが自然ですな。無論、今後反帝国思想の者達を受け入れて戦力を増強してみるというのも手ですが、お勧めはしません。理由は純粋に皆さんの国を今度は反帝国派が牛耳る事になるだけだからです。誰かの奴隷や他血族や国家、集団の言いなりになりたい未来を歩みたい方向けですな」

 

「だが、帝国に被害を出す事が出来るかもしれない」

 

「帝国に被害を出す前に消え去る事も考慮されては?」

 

「もう一度滅ぼすと?」

 

「逆に考えて見て下さい。そうなれば、帝国は皆さんをもう一度滅ぼせる大義名分を手に入れるのです。帝国としてはそういう存在がいれば、いつでも消してしまえると喧伝出来てしまう。それは明らかに帝国の権威を強くするでしょう。そうなれば、皆さんとは違って上手くやろうとする血族を増やす事も可能だ。皆さんが望むのなら、そんな未来もあるかもしれませんね」

 

 男達が閉口する。

 

 帝国に滅ぼされた者達に再度、領土を返還する。

 

 だが、返還された領土は全て肥大化した帝国内にあるか隣接しているのだ。

 

 そこで事を起こせば、今度は帝国の武力の示威として消される可能性すらもある。

 

 独立国になるというのはそういう事だ。

 

 国家は真っ当な政治が為されなければ、滅びる運命なのだ。

 

 他国と隣接するか文字通り取り込まれた場所に出来た領土で反乱など起こせば、何をするまでもなく結果は火を見るより明らかだった。

 

「何故、今なのですか?」

 

「反帝国連合を切り崩す丁度良い時期だからですよ」

 

 そこで男達は自分達が掌の上で踊らされている事を悟る。

 

 帝国は最初から彼らが何をやっていたのか知っていて協定を持ち掛けて来たのだと。

 

「我が血族達の怨みは深い……」

 

「でしょう。だが、現実問題にソレは優越しますか?」

 

「足元を見るおつもりか?」

 

「いいえ、そんな事はまったく。ただ、その問題は現実なのですよ? 大切な家族や親族を失い。ロクな生活もさせられない事実を前にして、怨みだけで全てが解決する事など無い。それは皆さんがよくお解りのはずだ」

 

「………」

 

「怨みで仕事が貰えますか?」

 

 貰えるわけがない。

 

「怨みで腹が膨らみますか?」

 

 膨らむわけがない。

 

「怨みで凍えずに済む?」

 

 ならば、誰も凍死はしなかった。

 

「怨みで人々から滅ぼされた邦の奴隷だと蔑まれない?」

 

 誰もがその嘲りを受け続け心を病む者が大勢いる。

 

「そんな事が無いのは皆さんがご自身で知っている通りですよ」

 

 男達が絶望的な表情で相手を見やる。

 

 首元にハンカチを当てて止血した男の言った事は事実だ。

 

 他国に居候している彼らは犯罪者や不穏分子や奴隷としてしか見られていない。

 

 国家や所属集団が立派であるという事実を持たぬ根無し草な民がどのような扱いを受けるのかは他国で嘗めた苦渋だけで舌が焼き切れる程に知っていた。

 

「悪辣過ぎる……帝国は我らをどうしたいというのか……」

 

「契約ですよ。とても単純な契約。我が国に仇成すならば、滅びよ。だが、我が手を取るならば、帝国嫌いの友人として相応の援助をしよう。という単純明快な話では?」

 

 その言葉に今まで帝国に滅ぼされた者達の代表者の誰もが沈黙した。

 

「……帝国嫌いの友人、か」

 

「ええ、子供にそういう事を教えないなら、我が国は皆さんに安寧に暮らせる場所をお約束しましょう。無論、監視付きです。当たり前のように契約を破る方もいるでしょうが、そちらは賠償協定において契約を破棄する事が可能なよう条文に書いてあります」

 

「帝国に屈せぬならば、滅びよと」

 

「それ以外のどんな言葉に置き換えて欲しいのかくらいはお聞きしますよ。耳障りの良いおためごかしで血族を騙し、納得させ、平和な老後を送りたい方から署名を。協定発効までの手続きに参加する血族にのみ。我が国は今後も本協定の締結まで全ての労力と当座の間の命を繋ぐ為の援助をしたいと思っております」

 

「……死んだ者達を裏切るか。今生きる者達を生かすか。二択か……口惜しい。もしも、未だこの手が労働に疲れてさえいなければ、この体が病に侵されていなければ、この場で首り殺してやるものを……」

 

 代表者が嗤いながら己の衰えた体と心に絶望する。

 

「署名為さる気か!? 帝国だぞ!? あの、我らの平穏を壊し!! 多くの者達を殺した帝国だ!? なのに貴―――!!?」

 

 他の代表者達が座っている男に詰め寄る。

 

 だが、その男の顔を見て、喉を干上がらせる。

 

「……これは帝国の勝ちだ。他国が我々に何をしてくれた? もはや、病に苦しみ、養えぬ老人や子供の首を、泣きながら首を……絞めるのは嫌なのですよ……」

 

「ッ―――」

 

 男達の誰もが押し黙る。

 

 それは現実だった。

 

 何を言わずとも彼らの日常だった。

 

 減った血族を嘆きながらも、子供を減らし、老人を減らし、何とか食い扶持を稼いで地べたを這う。

 

 生きる為の絶望を前に……その圧倒的な絶望の現実を前にしては、怨みなど。

 

 そう、怨みなど、人間は捨ててしまえるのだ。

 

「ああ、呪いあれ……我が名と帝国に永久に終わらぬ呪いを……うぅぅ」

 

 無論、同じように怨みで破滅するのも人の性だろうが、此処にいるのは誰もが僅かでも生活を立て直せるかもしれないという希望に縋ろうとした者達だ。

 

 それ故に彼らは絶望するしかなかった。

 

 縋った希望は彼らの家族や親族や大勢の仲間達への裏切りで出来ているとようやく……本当にようやく気付いたのだから。

 

「悪魔の如き帝国。滅びよ。帝国。ああ、何故、こんな国が我が大地の傍にあったのか……」

 

 ボロボロと泣きながら、男は首筋をハンカチで抑える者に飛びっきりの嗤みを浮かべる……それは少なくとも狂人の笑みだったが、何よりも合理的に狂うまでもなく屈した者の卑屈さを備えていた。

 

「恨むぞ。我が怨み、決して消える事はない」

 

「はい。ご自由に。怨みで滅ばぬ方よ。我が国は貴方を、貴方達を忘れない。歴史として永遠に刻みましょう。怨みは晴れず。だが、苦渋を呑み込んで尚、他が為に絶望する賢人よ。偉大なる帝国は貴方を交渉相手として認めましょう。それは……真なる対等であると。あの方より給わる権能において断言致しましょう……」

 

 2人のやり取りに背後にいた者達も汗と涙を浮かべながら、拳を震わせながら、クソゥと呟く。

 

「さぁ、絶望を売り渡す方々よ。代価を得る為、存分に傲慢となられるがいい。この協定において対等である以上、我が国は貴方達の要求を最大限汲み取る用意は出来ています。それが合理的で我が国にも資する利があると考える限り、わたしは貴方達の味方となり、本国の大貴族達相手にその要求を呑ませる為に戦いましょう」

 

 こうして嘗て帝国に滅ぼされた少数民族、小国、集団の内の幾つかが帝国との交渉のテーブルに着く事になった。

 

 そして、その波はゆっくりと大きく為っていく。

 

 帝国を滅ぼすよりも帝国から利益を引き出そうという者達が反帝国連合から抜けるのはまったく以て意外でも何でもない現実であった。

 

 *

 

 時計の針の音を懐かしく思ったのは時計というものが存在しない世界に長くいたせいだと彼女自身は思う。

 

 この数年で変化した事を挙げれば切りがない。

 

 造り笑顔が巧くなった。

 

 身長が数cmも伸びた。

 

 髪が長くなった。

 

 脚も長くなった。

 

 成長期はとっくの昔に終わっていたと思ったら、違っていた。

 

「………」

 

 だが、彼女の傍には最もいて欲しい人が居ない。

 

 それはとても人生の中でならば、陳腐なくらいに誰の人生にも起こり得る事。

 

 伴侶と死別した女など吐いて捨てる程、世界には溢れている。

 

 そうでなくても、結婚もしていない男が傍から消える事など人類が発生してから終焉を迎えるまでどれだけの回数起こり得る事だろうか。

 

 だから、彼女は自分が不幸などとは思わない。

 

 思う必要も無い。

 

 全てにケジメを付けるだけの事が彼女にとっての全てになっただけだ。

 

 生憎と帝国を内部から崩そうとした矢先に始まった帝国の聖女とやらの大改革で彼女の帝国を地獄に突き落とすあらゆる努力が無駄になった。

 

 まったく、全ての努力が無為に終わった。

 

 しかし、それでも彼女は不屈の二文字を以て諦めず。

 

 最後に帝都を脱出しようとした際に幸運に恵まれた。

 

 嘗て仲間だった者達。

 

 2人の姉妹の来訪で安全にその場から離脱し、最低限の状況は創る事が出来た。

 

「ちぃねーさま?」

 

「………どうして、そう呼ぶの? 今の状況で親しい呼び方なんてしなくてもいい。前に説明した通り、貴女達には何もしないけれど、あの男は必ず殺す。出来る限り、絶望させながら、焼き殺す。そう言った」

 

 金髪の少女が僅かにしょんぼりとして口を紡ぐ。

 

「エーテシアに他意はありませんよ。シュリー」

 

「微笑む必要だってない。間違いなく貴女達に酷い事をしているのは私で……これからもっと酷い事すると決めてる。なのに……」

 

 金髪の歳若い美女が苦笑する。

 

「そうですね。ええ、軍人の家系です。いつか、そういう事で死ぬ覚悟だけはしておけと両親には言われて育ちました。幼い頃の話ですけれど……でも、だからこそ、貴女の復讐は妥当だと理解します」

 

「理解?」

 

「あの子が、ウィスが人を殺す軍人として巣立った時から、軍人の家に嫁いだ時から、その怨みで骨肉と心が朽ちるとしても文句を言うのは潔くないでしょう。そうあれと望んだ家に産まれ、そう育ち、そう生きてきた以上は……」

 

 ニィトにある学生寮の一室。

 

 拾い3人部屋の寝台に腰掛けて、彼女イーシアは微笑む。

 

 それは何処か哀し気なものだった。

 

 ウィシャスとエーテシアの姉たる彼女は帝国軍人の家系に生まれた事を今も誇りに思っているし、そのせいで殺されるとしても覚悟だけは出来ていた。

 

「シュリ―……貴女の大切な人を直接であれ、間接的にであれ、殺したのがウィシャスならば、私はこの結末に異を唱えません」

 

「……それが帝国軍人の家に生まれた女の生き方だとでも?」

 

「いいえ、それが帝国で生きる全ての人間に本質的には圧し掛かる逃れられない呪いだからですよ」

 

「呪い……」

 

「帝国は勝ち過ぎましたし、殺し過ぎました。二世貴族の多くは帝国が対外的に酷い事をしているとすら半ば知りません。帝国領が肥大化したままに自己完結した弊害として多くの国民は国外に向かう商人でもなければ、中々外の意見というのを聞く事も無いですから。貴族となれば、尚更です」

 

「そういうのは知ってるんだ……」

 

「ブラスタ女学院でも教えてはくれませんでしたが、一応は軍人の家系として知らなければとこっそり学んだ事が有ります。当時は涙が止まらなかった……帝国の悪辣さが怖かった。けれど、それはあまりにも傲慢な苦しみで、それは本当の意味で死んでいった人々への冒涜だろうと気持ちを検めました」

 

「………」

 

「だから、相手の為に嘆くのではなく。もしもとなれば、力無い貴族の女の1人として受け入れようと決めたのです。帝国が滅び、もしも復讐者達に殺される事があれば、辱められる事があれば、潔く死を選ぶくらいの覚悟です。貴女の覚悟には及ばないかもしれませんが……それが軍人の妻になった私の覚悟なのです」

 

 黒髪の彼女。

 

 まだ十代後半くらいにしか見えない少女は沈黙する以外無かった。

 

「シュリ―。貴女は自分の愛する人を殺され、その相手に救われ、あの地において復讐を誓いながら、それでも我々と微笑み合う関係となった……その苦しみも痛みも絶望も私達には想像する事すら出来ません。ですが、だからこそ、貴女に本当の意味で寄り添えなかった事を苦しく思います。貴女の心に少しでも平穏があると信じて痛みを与えていたとすれば、哀しく思います」

 

「………もう行く。学生寮からは出ないで」

 

「ぁ、ちぃねーさま……」

 

「………」

 

 最後に姉妹に背を向けた少女は何処か寂しそうな声には振り向かず。

 

 鍵も掛けずに扉を閉めた。

 

 そして、戻ってきたニィトの学生寮に与えられた私室へと向かう。

 

「もういいの?」

 

「うん……」

 

「そっか」

 

 彼女の歩く通路に背を凭れさせていた歳若い女が1人。

 

「で、どうやって復讐するか決めた?」

 

「人質を取って、相手に燃焼材をブチ撒けて、家族を殺されたくなければ、焼け死ねって脅す……」

 

「うわ。案外エグイ……でも、ちゃんと考えてるんだ」

 

「少しでもシューの死に際の苦しみを味合わせて殺すだけ」

 

「もし、あの子達を助けようとしたら?」

 

「動いたら両手両足の指を一本ずつ切り落とす」

 

「うわ。やっぱりエグイ……でも、まぁ、妥当かな」

 

 姉妹の片割れ。

 

夜見聖歌(よみ・せいか)

 

 旅装束の外套姿で未だに過ごしている少女が肩を竦める。

 

「止めないの?」

 

「止めて欲しいの?」

 

「………そんなんじゃない」

 

「あのヨンローが苦労してたわけが今更解るなんてね。まったく、世の中って儘ならないなー」

 

「苦労?」

 

 学生寮のテレビが置かれた談話室のソファーに座った朱理の横にセーカが座る。

 

「あの頃、ヨンローにおねーちゃんがすっごい猛烈に粉掛けてたのに一切靡かなかったどころか。毎日毎日早寝早起きのジジババかいなってくらい門限に煩く帰るもんだから、おねーちゃんと一緒にインドア派だなぁって言ってたんだ」

 

「ぇ……そ、そぅ……」

 

 挙動不審な朱理が横を向いた。

 

「それですぐに貴女の事が解ってさ。彼女いるなら仕方ないって事でおねーちゃん諦めたんだよね。遊び仲間として何とか別れたりした後の後釜に滑り込める位置をキープするんや~~って笑ってたけど、うん……ホント、馬鹿だよねぇ。初恋だったんだよ?」

 

「え?!」

 

 思わず俯けていた顔が上げられる。

 

「妹から見ても完全無欠に恋に墜ちてたね。いや、今もか……」

 

 呟くように姉の事を妹は語る。

 

「そ、その……ぇと……」

 

「あ、別に当時の事で何か言いたいわけじゃないんだよ。だって、ヨンローが早め早めに帰ってたのって全部、貴女の為だったわけだし。勝てる要素0だし」

 

「ぅ……」

 

「最初からおねーちゃんは負け戦だっただけの話だし。でも、そうだね……何が違ってなくても、貴女はヨンローが大好きだったって事だけは認めてもいいかな」

 

「………」

 

「さ、取り敢えず落ち着いてきたし、今日からはニィトのカウンセラー業務お願いするからね? 働かざる者食うべからずってやつなわけで」

 

「解ってる……これからよろしくお願いします……」

 

「ふふ、よく出来ました。あ~~こんな事なら、おねーちゃんに譲らずに私も乗って置けば良かったかなぁ」

 

「ぇ?」

 

「ふふ、まぁ、今更かもだけどね」

 

「………」

 

 2人が共に大学構内に戻っていく。

 

 その背中は何故か似ていた。

 

 背丈も姿も性格も何もかも違うのに。

 

 *

 

 人生において人との別れなんてのは有り触れたものであるはずだ。

 

 仲の良い友達が死ぬ事など中年から老年に掛けては普通の事だろう。

 

 永遠を愛すと誓った伴侶とて、最後には無に帰す。

 

 静寂の言葉の行間を読むのが人ならば、月の明かりに愛を載せるのも人間だ。

 

 人の死と愛を嘗ての詩人達が謡うのは決して単なる伊達や酔狂ではない。

 

 人の命が遥か軽かった時代にも人々はその幻想を求めた。

 

 ならば、それが人にとっての全てであるかと言えば、それは違う。

 

 愛にも命にも興味が無い者達とていた。

 

 遥か浪漫を追い掛けて、天下を我が物としようとする者とていた。

 

 理不尽な歴史の流れに巻き込まれ。

 

 理不尽な死に抗えずに戦いの中で朽ちていく事すら普通。

 

 ならば、彼らは不幸だったのか?

 

 そう考えた時、その世界の常識が後押しする。

 

 要はだ。

 

 何だかんだ言いながらも、歴史の轍となった者達は命と生を刻んでいる。

 

 それは一日の終わりに呑む麦酒だったかもしれないし、安い売春宿で買う女を抱いている時かもしれない。

 

 幻想は常に人々の間にある。

 

 だから、現実を見ろなんて言葉は空しい。

 

 今、正に自分が押し付けているのは自分の幻想にしか過ぎない。

 

 合理主義と成果主義を突き詰めても人が幸せになれないように、どんな幻想も永遠の幸せを誓ってはくれない。

 

 そう知るならば、せめて瞬く人生において満足な日々を見る為、戦う事は妥当だ。

 

「………」

 

 山脈を越えようという時。

 

 自分達を囲んだのは凡そ人類が知らない光景だっただろう。

 

 30m近い人型の竜の群れに包囲されていた。

 

 ガラジオンのものではない。

 

『ようやく来たか』

 

 山脈の反対側に抜けようと頂上を越えようとした時。

 

 いきなり景色が変わったのだ。

 

 今まで予測にも引っ掛からなかった為、相当な偽装が施された施設だろう。

 

 半径500m規模の円形闘技場のような古代建築のような半地下の神殿。

 

 壁際にズラリと並んで囲う人型竜の群れ。

 

 そして、その中央の大地にメイスのようなものを持って佇む同種類のドラゴン。

 

 だが、その赤黒い鱗というよりは巨大な装甲を持つ何者かは外に出られなくなったこちらを見下ろしながらやってくるのを待っていた。

 

 最低でも予測能力を誤魔化し、偽装隠蔽を完璧に行う生物。

 

 しかも、理性的な瞳に日本語まで話すとなれば、バルバロスの上位存在。

 

 今まで片腕が喰らって来た連中にも匹敵する相手だと分かった。

 

 強面だが、反面言葉は冷静なのが救いか。

 

「こんなところに竜の巣があるとはな。それも人語を解する上位種か」

 

 赤黒い竜が片膝を折って、こちらに顔を近づける。

 

『……お前があの方の選んだ者か』

 

「あの方?」

 

『あの国に長年仕えた方だ。最後に力を得たはずだ』

 

「……もしかして、あの巨大な地方みたいな竜の事か?」

 

『左様。お前達の事はずっと見ていた。先だって誘導した事は謝罪しよう』

 

「さっきのはお前らか。で? 何か用か? 今、オレは忙しい」

 

 こちらの言葉に竜が瞳を細める。

 

『この大地に危機が迫っている。我ら百八種は敗残兵の成れの果て。しかし、奴らに対抗する為にこの繰り返す人の歴史の最中に力を紡ぎ続けてきた』

 

「また、その類か。繰り返すって文明の初期化の事か?」

 

『そうだ。時が近付いている』

 

「具体的には?」

 

『恐らく数日中に蒼の奏者が起動する』

 

「そういうのはせめて色々終わってからにして欲しいんだがな。それで? そいつをオレに止めさせたいわけか?」

 

『本来、まだ猶予があるはずだった。だが、急激に歴史が動いた。世を揺らす戦いの始りに予備執行権限と本体顕現の為の段階調査が行われる』

 

「………何が起こる?」

 

『全人類規模で精査前の調査の為に凍結が行われる』

 

「凍結?」

 

 赤黒い竜が指を弾くと同時に脳裏に映像が流れ込んでくる。

 

「―――凍結、ね」

 

 瞳に映ったのは全ての動作を留められた生物達の様子だった。

 

 樹木から海から空からあらゆる流動するはずの物質ですらも固定化されている。

 

 まるで空気すらも固体のように止まっている。

 

 生物達は生命活動が停止しているというよりも時間が止まったようにも思える。

 

 公転軌道上の惑星が止まっているか。

 

 もしくは動いていても物質的に停止させられているとすれば、恐ろしいでは済まない技術力と干渉能力。

 

 そのフェイルセーフという何か達は本当の意味で神様染みた力を持っている事になるだろう。

 

『予備執行は全人類の精査前に行われる選別だ』

 

「選別? 篩に掛けるのか?」

 

『……其々のフェイルセーフは互いに足りない能力を補い。互いの執行権限の補佐を行う。最もマズイのは蒼の奏者による全執行存在の精査前の事前準備……全ての物質を留める物質世界の静止だ』

 

「時間すら止めるってのか?」

 

『疑似的なものに過ぎない。だが、そうなった時、我ら百八種と我らの力を継ぐ者以外は例外なく全てが止まる』

 

「その蒼の奏者ってのは何処にある?」

 

『黒の裁定者の一部が崩壊した事に起因し、前回の初期化時に散っていた蒼の奏者が集積され始めている。最も大きな欠片は数百年前にエルゼギアと呼ばれていた国に顕現した』

 

「ッ」

 

 どちらの話にも心当たりがあり過ぎる。

 

 それこそ崩壊させたのは自分だろうし、エルゼギアはアバンステアの前身であり、現在の軍部が担っている機密はバルバロスを生み出す程の何かだ。

 

 正しくソレなのだろうと推測しても何ら矛盾はない。

 

『だが、問題は蒼の奏者の欠片の濃度が局所的に高まらざるを得なくなった地域に顕現するサブタイプの方だ』

 

「サブタイプ?」

 

『本来の欠片ではない。予備執行用のプログラムは本体機能の一部を代行する権限を有している。そして、このヴァーリに現れた似姿達の要塞と特異点がその活性化を促した』

 

「……ニィトが元凶か。そのサブタイプってのをぶっ倒せばいいのか?」

 

『サブタイプの顕現後72時間で世界の全ての物質の流動が制止する。我らの大本となる重き石……お前達が超重元素と呼ぶ物質を持たぬ存在は一切の流動を許されない。それまでに顕現したサブタイプを破壊しろ。人の世を未だ保つのならばな』

 

「お前らはどうする?」

 

『我らは干渉出来ぬ。嘗て、幾多の者達に我らは力を分け与え。その初期化を阻止せんとしてきた。だが、それを留められた回数は4割にも満たない』

 

「ふむふむ。森の王もその類か。バイツネードやブラスタの血族の本当の目的も見えてきたな。いいだろう……さっきまでの邪魔は見なかった事にしてやる。サブタイプとやらはオレが破壊する。だが、一つお前らに対価を要求する」

 

『対価……』

 

「お前ら百八種と連中の情報を寄越せ。一々、何も言わずにやらせられるのはそろそろお終いにして欲しいんでな」

 

『それは……』

 

「お前らが人類を誘導してる理由は想像が着いた。だが、何も知らずに動かされるのは面倒なんだよ。振り回されて予定を妨害されるのもな」

 

『蒼き瞳に列なる者よ。いいだろう……我らの叡智をお前に留め置こう』

 

 竜が指を差し出した時、その竜の頭部にあった紅い角のようなものが根本から崩れて、ふわりと目の前に降りて来て凝集して細身の片刃となった。

 

 優美な曲線を描く剣の材質には覚えがある。

 

「アグニウム……何gあるんだコレ?」

 

 掴んだ瞬間、想像を絶する重さに顔が引き攣る。

 

 恐らく、4000kg近い重量があった。

 

 それでも何とか片手で柄を握ると鞘らしき黒いものが凝集して剣を覆っていく。

 

 同時に重量が300kg程まで落ちた。

 

『サブタイプの破壊と同時に我らが叡智はお前のものとなるだろう。行くがいい。輪廻の果てにこの世に顕現したお前には我らの見る世界を識る権利がある』

 

 言葉と同時に目の前が白く霞み。

 

 風が吹くと霧が晴れたように普通の山頂の連なる場所にいた。

 

「ウィシャス。今のを見たか?」

 

「君が竜と何かを会話して、何かを貰ったのは見てたけど」

 

「悪いが、お前の家族を助けた後。すぐ戦闘になる。ヴァーリを救わないと人類が滅びるらしい」

 

「……相変わらず君が言うと簡単に聞こえるよ」

 

「お前の命を使うかもしれない。今からお前の戦闘能力を増強する。ついでに簡易的だが、世界を滅ぼせる武器もやる。上手く使えよ」

 

「そんなのとっくの昔に覚悟は出来てる。君に力を貰った時からね」

 

「一時間で終わらせる」

 

 振り返り、腰に剣を差して鎧姿の青年の喉元を掴む。

 

「オレが現在自分に使ってない知識でお前の肉体を補強する。人間に戻して欲しくなったら言え」

 

「はは、今更じゃないかな?」

 

「始めるぞ。気を楽にしてろ」

 

「ああ……君といると本当に何もかも……」

 

 沈黙し、心を凪のように静止させた相手を前に始める事とする。

 

 世界を滅ぼす何かと戦う事が無難に出来る程度の存在にまでウィシャスを昇華するのはかなり人倫に反するだろう。

 

 だが、何もかもが滅んでから後悔するよりは良いはずだと思いたかった。


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