ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

489 / 631
第102話「無智の孤島」

 

 この大陸における気象学は基本的に1800年代止まりだったと言っていい。

 

 今までの経験則から予言染みて天候を当てる現地の人間は多いが、学問としてまともに天気の研究をする者は少ない。

 

 この点で現時点における天候予報が出来る国は一部のバルバロスを用いた国か。

 

 研究を真面目にした国になる。

 

 そして、大国たる帝国最大の気象研究における最大の偉人は恐らく北部出の少女だったりする。

 

「アテオラに感謝だな」

 

『それが予報かい?』

 

「ああ、ついでに周辺地形による気象関連事象の詳細だ。風の向きや年間を通した季節毎の空模様が解ってるだけで空飛ぶ連中には宝の冊子だ」

 

 ヒラヒラと気球に揺られながら時速40km近い速度で空を進んでいた。

 

 ウィシャスはほぼ真横に付けており、それ以外の部下は散開している。

 

 周囲の高高度には視認距離で円陣を組むようにして飛行している最中だ。

 

 一種の塔のように縦に長い陣を作っている。

 

 正しく空の物見櫓と言ったところだろうか。

 

 基本レーダーとか無いので相手を見付けるにはこういうのが必須なのである。

 

 幾らヴァーリにあるニィトの施設がヤヴァイとしても、この短期間で相手を捕捉して自動追尾する低速誘導弾は実用化出来ないはずだ。

 

 理由は単純に電子機器ならどうにかなるが、ミサイルの類は液体燃料でも固形燃料でも恐ろしく燃焼制御の為の機構のエンジニアリングが大変だからだ。

 

 特に移動する相手を追尾する誘導弾の類は推力を得る為の燃料の燃焼制御だけで死ねるレベルでデータの蓄積が重要になる。

 

 無誘導ならば、殆ど可能だろうし、特定地点に当てるのも可能だろうが、基礎技術的にはかなりデータが足りないはずなのだ。

 

 そんなのがニィトに置かれていたとは思えないし、簡単に作れるとしたら、恐ろしくマズイが、生憎とプログラムのスペシャリストは存在していなかった為、新規作成には莫大な時間が必要だろう。

 

 あの時点から現地民に学ばせたとしても高度なプログラムそのものが創れるようになるには10年近い時間がいると予測出来る。

 

「そろそろ山脈の中央部に差し掛かる。ここら辺は東からの風が西に吹き降ろす際に強烈な下降気流になるっぽいから山脈寄りに―――」

 

 言ってる傍から猛烈な、で済まない風というよりも低気圧の爆弾がいきなり上空に発生する事が20秒後の未来予測に引っ掛かる。

 

「ッ、全機急速降下!! 空気の爆弾が上から降って来るぞ!! 地表に加速してスレスレで着陸しろ!! この場から散開しながらだ!!」

 

『ッ、気球は!?』

 

「諦める!!」

 

 すぐに飛び乗ったウィシャスの竜に道場して、全人員が急速降下していく。

 

「地面スレスレで山と平地の堺辺りに向かえ!! 猛烈な吹き降ろしが山を駆け上る際に上昇気流に転じる。それに乗って山脈を超えるぞ」

 

「他は!?」

 

「ゾムニスが後でまとめるだろ。オレを狙うなら、離れてた方が安全だ。急げ!!」

 

 言ってる間にも明らかに普通の空だったはずの空中に電気のようなものがパリパリ走ったかと思った次の瞬間には風が猛烈な勢いで渦巻き始めた。

 

 だが、そんな急に天候操作出来るものなのか。

 

 何処から低気圧を作ったのか。

 

 電気エネルギーだけでそんなのが可能なのか。

 

 まったく分からなかった。

 

 少なくとも既存の科学技術の範疇でも無いし、かと言ってバルバロスの力にしても猛烈に理解の難しい代物なのは間違いない。

 

 とにかく今は無事に乗り切れるルートを構築する事が先決だとダウンバーストが一気に襲い掛かって来る寸前にその風を背にするようにして低空を飛行しながら、追い風で加速。

 

「気球……結構、使えそうだったんだけどな。はぁぁ……」

 

 気球は風の爆弾、上空からのダウンバーストで墜落していく。

 

 一応、電源をオフ状態にしておいたので燃える心配はしていない。

 

 頑丈なのも確認済みなので後から墜落したデータと共に回収する事になるだろう。

 

「冷たいね……鎧が無きゃ風邪を引きそうだよ」

 

 山脈を急激に低空飛行で昇っていく。

 

 だが、それにしても風が強過ぎる。

 

 猛烈な風は嵐レベルだ。

 

 風に体温と体力を奪われながら加速しつつ、猛烈な凍て付いた壁に押されたような心地で山脈に沿うようにして昇っていく。

 

 だが、2000m程まで急速に上昇した途端、今度は脳裏に豪雨後、雷の予報。

 

「……近辺の地図は頭に入ってる。やっぱり登山だ。竜は置いていけ。恐らく、このまま空を飛ぶとまた異常気象をぶっ放してくる相手に引っ掛かる」

 

「了解。それにしても今度の敵は天気を操る何かとは困ったね」

 

「吹雪にされても登山で死にそうにない体だ。走って山脈抜けるぞ。装備は完品だし、バックパックも背負ってる。装備も持って来てるから、何ら問題無い。竜にはこっちで指示して鋼都に戻らせる」

 

「了解だ」

 

 こうして、今度は気象兵器染みた攻撃を受けながら登山となるのだった。

 

 *

 

―――帝国本土の何処か。

 

『野菜の煮込みを10人前』

 

『あいよ!!』

 

『こっちは鳥肉のバリ焼きを42人前だ!!』

 

『はいよ!!』

 

『こっちはエール130人前ぇ!!』

 

『忙し過ぎるでしょ……』

 

 アバンステア帝国において近年人々が最も身近に感じる絶大な異変と言えば、凡そ2つに分けられる。

 

 食料の供給が極めて安定し、家庭や外食産業で出てくる飯が死ぬ程美味くなって食当たりで死ぬヤツが減った。

 

 本が有り得ない怖ろしく安い値段で超大量に流通している。

 

 この二つである。

 

 特に識字率が高い帝国においては更に識字率の上昇の為に国民教育が推進されており、その知識で読む一家に一冊レベルの本が数冊レベルになった。

 

 新規の増刷された本の普及で細々とした生活上の問題の多くが改善、劇的に楽になったのは間違いない。

 

 食事事情も改善した理由は聖女が執筆した複数の料理本に起因する。

 

 料理の基礎知識、衛生概念の強化、よく食中毒で死ぬ人間が多い理由とそれを防止する為の具体的な方法、家庭での時短調理術や新規料理器具の格安での普及、食事をする時の食べ合わせやマナーや出す人間に対しての心遣いや気配り、更には病人食や食品に合うか会わないかの体質や耐性の無い食材によって体を壊すというようなアレルギー情報まで幅広い知識が乗っている。

 

『奥さん!! 南部産の香辛料が入荷したらしいわよ!!』

 

『まぁ、買いに行かなきゃ!?』

 

『そう言えば、自宅で香草は栽培していらっしゃいます?』

 

『勿論!! 姫殿下のお勧めを数種類!!』

 

『あの組み合わせは素敵な香りよねぇ。それにしても土いじりがこの歳で楽しくなるなんてねぇ』

 

『まったく、本当に同意ですわ……』

 

 例えば、現代でも言われていたように温かい穀物類の加工食品は冷たいものよりもカロリーの吸収が良いとか。

 

 便秘に対する改善方法には冷たい澱粉の類が良いとか。

 

 一日の食事量と食品の内訳、味の濃さを使い分けて健康に長生きしようとか。

 

 細々とした知識まで載せられている。

 

 この本を読みたいが為に勉強する女性や料理人達も多数であった。

 

 帝国国内で儲けよりも文化の普及の為に降ろされる各種の生活必需品の多くが、人々の生活を劇的に向上させていたのである。

 

『ああ、本当に姫殿下の調理器具は使い易いし軽いわ』

 

『何でも酒場じゃ調理器具一式買うのに物凄く借金したとか』

 

『知ってるわよ~~何でも勝手にクルクルものを掻き交ぜる道具があるとか』

 

『勝手に……姫殿下の家臣団の方達の叡智は底無しね』

 

『ウチにも欲しいわね。ええと、ミキサー? だっけ?』

 

『お菓子作りの為の色々な道具も近頃帝都を中心に広まってるそうだよ。此処に普及するのも時間の問題だとか』

 

『新しいお菓子のレシピに書かれてあった道具が待ち遠しい!!』

 

 今まで帝国の食糧事情は他国よりも数歩先にあったが、数十歩先に帝国の国民が到達している事はまったく他国からは驚かれるだろう。

 

 農民は麦酒を毎日飲み、野菜スープや麺麭や穀物を食べ、時折は日々の狩猟や牧畜で得た肉を食うという生活をしていたわけだが、それが劇的に変わった。

 

 質素ながらも他国からすれば複雑な調理工程と安心安全の衛生管理をされた一風変わった味を楽しめるようになったわけだ。

 

『どうやら酒税法が変わったらしいな』

 

『ああ、強い酒には高い税金が掛るんだろ?』

 

『だが、今度新しい酒が出されるらしい』

 

『新しい酒?』

 

『蒸留酒とか言うそうだ。何でも酒気だけを集めた酒は透き通ったもんになるらしい』

 

『ほへぇ~~~』

 

『弱い酒は香料で香り付けされてから売られるんだと。何でも帝都じゃ、今までの強い酒より旨いってんで好まれてるとか』

 

『マジかよ……濁ってねぇ酒か。ちょっと飲んでみたいな。でも、高いんだろう?』

 

『いいや、強い酒より安いらしい。抜いた酒気は全部工業用らしくて、お国が買い上げてるから、その分安くしろってんで酒気を物凄く控えめにして売る連中が儲けてるんだと。いや、酔えない酒ってのも何だかなぁ』

 

『水代わりとはいえ、それじゃあ殆ど水だろうに。ははは』

 

『おっと、工事の時間だ。行くぞ』

 

『おうともよ♪』

 

 如何にも人々の生活は変わり始めていた。

 

 例えば各地で井戸が帝国軍によって大量に掘られると同時に上下水道の整備も大都市に比例して行われていたりする。

 

 その為に帝都の研究所で開発された高耐久の樹脂資材が投下され、プラスチック製の浄水や上下水道管の施設があちこちに敷設され始めた。

 

 基本的な灌漑は帝国時代にも行われていたが、大規模な部分だけではなく山間の山村や小規模な農村のような場所にも大量に現代的な生活に必要なインフラが急速に拡充されつつあり、これらの設置、建築技術を地元民に帝国陸軍が教導して回って維持や新規作成を可能にし始めている。

 

『つまりだなぁ。コンクリートっちゅうもんは水を入れ過ぎちゃいかん!!』

 

『建築技術の講義が終わったら安全性を確かめる事の大切さを―――』

 

『事故を起こさんように人の教育は為されなくちゃならん』

 

『んだ。んだ』

 

『事故っつーのは殆どが人災なんだ!! どんなに面倒でも安全確認は欠かしちゃいかん!! 待ってるおかーちゃんや子供の事を思い出せ!!』

 

 こうして帝国発の新社会思想に必要な多種多様な生活インフラは北部や西部にも普及しており、このままならば10年もせずに山奥の村にすら上下水道と電気インフラが来るだろうとされていた。

 

 恐らくは時間の問題だろう。

 

 大規模な公共事業でなければ不可能な案件も近頃は帝国陸軍による極秘裏の工事。

 

 つまり、バルバロスを用いたものが進展しており、km単位のトンネルや大規模な軍民兼用道路の開発が研究所が新規作成した工事機材や建材も合わせる事で急激に進展した。

 

 工事に必要な資材の多くは北部の高山地帯から出たものが水運で運ばれており、加工が必要なものは技術が必要なら帝国本土内、技術よりも量が必要なものなら西部に回されて、加工後に帝国各地と親帝国地域に流されている。

 

 このような状況から帝国各地の水運は商業的には大活況にあった。

 

『往来規則は順守するように!! 儲けよりも人の命と安全が第一!!』

 

『お前らが幾ら荒くれでもなぁ!! あの御方の心を痛めさせたら、帝国を敵に回す事になるんだ!! 面倒だろうがやれ!! それがお前らを世界一の帝国の水夫にするだろう!!』

 

『規則試験に合格すれば、大きな船の人足として働ける!! 給料だって上がるぞ!! 専門機材を使えるようになれば、更に給料は上がる!! 気張ってやれよぉ!!』

 

 近頃は建築資材を載せる為の船が毎日毎日数千以上往復する。

 

 過密な水運は渋滞も引き起こすが、それ以上に安全確認の習慣や概念、規則の徹底と賃金の適正化で事故は減って来ている。

 

 他にも新しい船として石炭を用いた動力付きの巨大な船が竣工されたり、既存の船の大規模改修などで貨物の激増にも何とか対応出来ていた。

 

 これらの変化は何も水運だけではない。

 

 各地に延ばされた連結前の鉄道に大量の動力付きトロッコが用いられ、短い区間でも既に川が無い場所では物資の運搬に利用されている。

 

『これよりビスクル砦前に発車致しま~~す。お降りの際は安全線の内側にお降り下さ~~い。これよりビスクル砦前に―――』

 

『到着致しました~~エーゼル号に御乗車の方はお降りの際には段差にお気を付け下さ~~い』

 

『これが大型トロッコ線………う、動いてるな。本当に……』

 

『あのモクモクしてる先頭の箱がグイグイギュイーンって引っ張ってるらしい。ついでにバルバロスじゃないらしい』

 

『だが、何だ……この気持ちは……う、美しいのではないか? この鉄道車両とやらは……』

 

『解る……だが、本線が開通したら、これに部屋が連結された本当の鉄道が走るらしいぞ』

 

『本当のッッ!!? 鉄道ッッッ!!?』

 

『あ、薬が割れないように気を付けろよ~~山間部の山に届けるもんなんだからな』

 

『あ、ああ……本当の……本当の鉄道……ふふ、楽しみだな。実に絵になりそうだ……』

 

 線路の建築資材のみならず余剰積載出来る部分へ高価な医薬品や貴重品が載せられている事からも事実だ。

 

 数kmという区画を進むだけでも未だ開通してないからと無料で人々に利用させている為、多くの人々が利便性を感じていた。

 

 世は正に蒸気機関による産業革命時代、この世界でならば、スチーム・エイジとも呼べる時代に一足先に突入したのだ。

 

『あ~~熱いお湯をこんなに贅沢に使えるとはなぁ』

 

『お湯を沸かして拭うのが普通でしたもんね。今までは』

 

『軍に宮仕えしてて良かった~~~』

 

『シャワー。ですか……先進文化ですね。燃料代の事さえ考えなければ』

 

『北部の石炭採掘は順調らしい。経済を回す為に適正価格で買いまくろう』

 

『我ら財務官僚の腕の見せどころか……儲けは人々の生活の為に……姫殿下は贅沢という言葉を知らないのかもしれないな』

 

『儲けは全て帝国と帝国の同胞たる者達の為に使うと公言しているからな。いやはや、業突く張りの商人共が習うというのですから、我ら帝国官僚貴族が習わぬ道理もないですな』

 

『然り。金は戦略的には貯めるモノだが、それは国内に回す為にこそと書かれていたな。教書にも……』

 

『帝国新紙幣の流通と同時に我々の仕事も忙しくなる。やるぞ。諸君』

 

『『『『応!!』』』』

 

 帝都では既に蒸気機関の基本構造が完全に作成され、試験的に国営施設と大貴族の一部の家々にはボイラーが導入、好評を博している。

 

 必用となる石炭の多くは北部から水運で運ばれて来ており、今後は更にその量も増大していくに違いない。

 

 また、電気回路の開発が進展し、電気利用による街灯政策や冬場の暖房に薪ではなくヒーターを用いる試みも開始された。

 

 現在試作された数百にも及ぶ発電用の水車や風車と電源となるバッテリー、熱源となるヒーター本体が各地の軍施設に運び込まれており、永続的に燃料要らずで暖を取れ、熱で温水も造れる優れものとして屋内での運用が開始されてもいる。

 

『お湯まで作れるとは……本当に……何と言えばいいものやら』

 

『砦に薪も無く水が流れる力で温水まで作る。姫殿下と家臣団の方々の叡智はまったく驚かせてくれますね』

 

『この温水で食料の生産もするそうだ。帝都周辺の砦のようにな』

 

『此処でもですか? ですが、用地が足りないのでは?』

 

『心配するな。地下に建設する。他にも糞尿などは全て硝石の抽出に使ったり、発酵させて堆肥にするそうだ』

 

『確か硝石は……例の射撃装備に使う原料になるんでしたか?』

 

『北部で大規模な鉱山が幾つかあるそうだが、備蓄と肥料にも回すそうでな。少しは足しにしたいとの事で砦の近くの地下に製造元を作るそうだ』

 

『なるほど。そう言えば、その射撃兵器の音が先日から近くで聞かれていますが、アレは? 兵達が噂していますが』

 

『ああ、アレはバイツネード狩りだ』

 

『バイツネード狩り?』

 

『現在、姫殿下が従えた者達以外の本家に仕える者達を全て帝国内から狩り出している最中だ。殆どの死骸は現地でドラクーンが処理して幾つかある研究所に送られるとか』

 

『我々では役不足、と……』

 

『仕方あるまい。敵は傷を再生し、強化された五感を有し、バルバロスの体に頭を移植された何かだとの話だ。倒すには火矢程度ではどうにもならず。千の兵の屍を築いても倒せるか怪しい』

 

『……まだまだ自力が足りませんか。新たな武装と戦術、戦略に関しては明日には訓練開始との事ですが、そちらで射撃兵器も?』

 

『此処には約400挺調達されたらしい。北部同盟の工場で造られ、帝都を中心に出回っていたのがようやく各地の末端にも配布されるとか。事前にウチからも数名、帝都に向かっていただろう?』

 

『ああ、弓矢や弩弓の扱いに秀でた連中をそう言えば、送りましたが』

 

『彼らは極秘裏に各地で訓練をしていた。彼らが戻ってくると同時に最前線であるこの城塞に配備され、例の新しく作った地下室で訓練が開始される運びだ』

 

『間に合いますか?』

 

『機械銃弩その他の訓練は完璧だ。問題は運用と護り方であって、言う程に我々は射撃兵器を使わんだろう。壁の外に向けて撃っても当たらんのでは意味が無い。相手とて同じものやそれ以上を使ってくるかもしれんと言われている。なら、屋内戦闘が主任務だ。上手く戦い消耗させるのが仕事になる』

 

『その為に後退する事を前提にしているのに周囲に塹壕や地下坑道を作っているわけですか?』

 

『最初は屋外でもある程度の削り合いが必要だ。その後は相手に塹壕を奪わせて、相手そのものの行動も縛る。面白いだろう? 区画そのものを相手を消耗させる罠とするのだ。これも姫殿下の戦略教書の一部の叡智に過ぎないが』

 

『故に無用な反撃や攻撃で我々が消耗しては意味が無い。防御に徹する、と』

 

『対空防御。籠城戦。これが一番だ。敵は結局人間を突撃させねば、制圧出来んのだからして』

 

『確かに……』

 

『砦を完全に破壊する為のバルバロスや兵器が出て来たところで意味は無い。ソレが使われれば、後方で情報が解析され、対応策が立てられる』

 

『時間稼ぎに持久戦ですか……』

 

『我らは犠牲を最小限にしつつ、相手をとにかく消耗させて更に後方の城塞に撤退……帝国の領土の広さを存分に使って陸軍を足止めするのが仕事だ』

 

『相手側の空軍への対処は?』

 

『それこそ、彼らに任せるしかあるまいよ。機械銃弩を用いた迎撃とて、上位の竜騎兵連中には無力なのだからな。小手先が通じる小兵を撃って、本命が出てきたら、さっさと破壊される前に逃げるさ』

 

 遠く遠く遠方の夕闇に僅かな影が混じる。

 

 ソレを要塞から空を見上げていた一部の兵だけが見るだろう。

 

 巨大な竜のようなものや大きな四脚獣のようなもの。

 

 あるいはバラバラにされた首の長い生物らしきもの。

 

 ドロドロに溶けた何かの残骸。

 

 そういうものが一緒くたにされて大きな網や小さな網を多数使って数十騎の竜によって運ばれていた。

 

『バイツネード。あんなものと彼らは戦って勝利したのか……我々ですらどれだけ犠牲を出せば勝てるか分からないモノ相手にあの数で……』

 

『いいや、アレらを倒したのはたった3騎だそうだ。今朝伝令が来た。彼らは死骸の移動を迅速に行う為に集められたに過ぎん。機密性の高い輸送任務はドラクーンそのものが担うとの事だ』

 

『た、たった三騎で……』

 

 夕闇に溶け込むようにして死体を運ぶ者達は消えていく。

 

『大戦は近い。気を引き締めて掛るぞ』

 

『は、はい……』

 

 帝国各地で準備は進められていく。

 

 砂時計の砂が落ち切るまでもう少し。

 

 大陸各地においても次々に極秘裏に挙兵の為の準備は進んでいた。

 

 大陸最大の国家。

 

 アバンステア帝国。

 

 その力の簒奪を狙う者達の胎動は日に日に大きく為っていたのである。

 

―――大陸南部中央合同軍事演習場。

 

 近頃、多くの南部の国々が平和維持を謳って他国との合同軍事演習をする事は日常的になって来ている。

 

 最初は小さな演習が主だったのだが、今では一個師団規模の演習を行う者達が近隣の無人の平野部や森林地帯で戦術や戦略を試し、木剣や鏃の付かない色を付ける木の実を用いたペイント弾でやったやられたという事をしているのである。

 

『はぁ~~~疲れた』

 

『いやぁ、本当に近頃は何処も戦争が終わっちまったなぁ』

 

『んだな。それに演習つって兵を出す時も金は出して貰えるから、結構食えるでよ。かーちゃんにもアンタさっさと行って来な、なんて言われちまって』

 

『でもよぉ。それにしては気合入り過ぎなんだよなぁ。何処の王の直轄軍も師団の上が激飛ばしてるっつーし』

 

『また戦争始めるのかってくらいには激しいなぁ』

 

『怪我人はそんな出て無いけど、きっついぜ……でも、何か北からの馬車が大量に城塞近くに来てるって話なんだよなぁ。本当に戦争かもしれん』

 

 兵達は山林でガヤガヤと夜半の影に愚痴る。

 

 だが、多くの兵が思っていた事だ。

 

 近頃はおかしな形の弓を持たされて訓練させられていた。

 

 両手で持って、引き金というものを引いて発射する弓。

 

 彼らの国には無かった兵器だ。

 

 それを大量に数百丁、数千丁も用意して、敵味方問わずに配布した国々はこれを主軸にして攻撃方法を転換していた。

 

 弓矢よりも簡単だが、威力を敢て抑えた色の付く木の実とゴムで覆ったそれは突き刺さらないが当たれば勿論のように痛い。

 

 男達はまったく見知らぬながらも本当に威力を高めれば、体も貫通しそうなソレを用いて毎日の訓練を続けていた。

 

『中隊集合せよぉおお!!! これより超長距離遠征訓練に出発する。本訓練に関しては隊長よりご一報がある!! 整列!! せいれぇええつ!!!!』

 

 伝令兵の声に男達が何事かと慌てた様子で集まって来て、自身の部隊の集合地点へとわらわらやってくるとすぐに整列し始めた。

 

『……総員1200名集まりました!!』

 

『よろしい。では、始める。諸君!! これより我々は北部の演習区域に向かう為、総合遠征訓練を行う!!』

 

 男達が鳥の声さえ静まり返った森の中でざわめく。

 

『本演習は決して訓練ではない。また、君達にはかなり北部にあるヴァーリという国の装備一式が与えられる。以後、複数か国の軍との合同演習の為に装備受領後に北を目指すものだが、2日の猶予を与える。家族に会いたいものは装備受領前に帰るように。この装備を受領し演習に参加する者には現地での収奪許可が下りる。では、解散!!』

 

 男達はあまりの事に思わず頭部に疑問符を浮かべたが、すぐに頭が回る者が顔を蒼褪めさせている事に気付いて問い詰め……演習という名の長距離遠征、長距離行軍への帯同を要求されている事を知った。

 

 こうして微妙に解り難い防諜上の言い回しでやんわりと戦争に行く事を告げられた兵達は今度こそ戦争に向かう事を理解し、ざわめきながら歩みを進める。

 

 だが、まだ疑問に思う者達もいたのだ。

 

 自分達の国を脅かす北部の国すらも演習に参加していると知っていたからこそ、こう思わずにはいられなかった。

 

―――一体、何処の国と戦争をするのだろう?

 

 その疑問はすぐに氷解する事となる。

 

 彼らに渡された見た事もない戦闘用装備一式は装甲も殆ど無い軽い制服らしい物だったが、その装備には見た事も聞いた事も無い射撃兵器らしいものが一丁。

 

 そのライフルと呼ばれる事になる兵器を1人1つ担いだ彼らは出発する。

 

 北の果て。

 

 大陸に新興国として確固とした地位を築いた超大国。

 

 彼らにも解る最新鋭の兵器を渡される程に怖ろしき相手は一つしなかった。

 

 アバンステア帝国。

 

 この大陸最大版図を有する恐ろしき国家の主要人種ブラスタの血族の顔の造形を描いた絵が渡され、こいつらが敵だと言われて、彼らは遂に戦場へと赴く事になったのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。