ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第101話「潜入Ⅵ」

 

 国家にとって通貨製造というのは最も重要な経済政策だ。

 

 特に造幣局などは国の重要拠点であり、通常は鉱山付近が首都に近くない限り、大半その現地から原料が運び出されて厳重な警戒が行われる地域で発行される。

 

 だが、この不安定化した大陸では昨今のあまりの政情の移り変わりの速さに通貨の交換レートは乱高下していた。

 

 しかし、此処に来て帝国が新しい通貨政策で自国通貨を属国領に許していた通貨発行権を没収後に既存のパレルに統一。

 

 また、紙の通貨を改良した上で硬貨も廃止する事が決定された。

 

 理由は単純だ。

 

 新しい最強の通貨を作るをスローガンにして帝国で聖女が音頭を取った新通貨開発が始まり、造幣局が最新科学と職人芸を両立するオカシな機関に変貌したからだ。

 

 特に硬貨の廃止には異論が噴出していたが、金本位制を長らく止める機会を伺っていた財務官僚達はこれに便乗。

 

 結果として新しい通貨として新パレルの発行が行われた。

 

 昨今の大規模金融開発がこれに拍車を掛けたのだが、本日遂に帝国と親帝国領土全土における旧紙幣の回収と新紙幣の交換が始まっていた。

 

 帝都の造幣局から先日運び出された紙幣の多くを人々はこれも新しい時代の流れだと見ていたが、その内実をまだ知らない貴族達はようやく紙幣に関する詳しい説明を聞く事なったのである。

 

 今の今までこれらの情報を伏せていたのは新紙幣があまりにも革新的であり、技術流出の防止である説明が為され、会議室ではさっそく白衣の男達が手を黒く染めた造幣局の下請けを担う印刷所職員達と共に数十名の大貴族達を前にしていた。

 

 壁際には印刷された紙を数十枚入れ込んだ解説用の紙芝居形式な黒板のようなものが置かれており、それを前にして覆いが外される。

 

「さて、皆様。これよりパレルの刷新による新紙幣交換に際して、紙幣の新たな特徴と硬貨の廃止理由に付いてご説明致します」

 

 解説者が横に退けて、新紙幣のイラストを全員に見せる。

 

『おお!! これが新紙幣の絵柄ですな!! 八種類もあるようで。緋皇帝閣下、大公閣下、姫殿下は入っているのですな』

 

『更に下には帝国陸軍の精兵の姿もありますか。他の絵柄も景勝地ばかり。全ての紙幣の文様は我らが神ブラジマハターで統一されているというのも実に良い』

 

『確かに絵柄には文句の付けようが無いように見受けられる』

 

『良いのではないですかな。我が領地でもこれならば受けるでしょう』

 

 貴族達が紙幣の絵柄が好評なのを見計らって更に説明が続けられる。

 

「絵柄が好評なのを見て安堵致しました。これらの絵は帝国最高の芸術家の方々に様々な現在の印刷技術で再現出来るギリギリのものを作って頂いた為、中々に良いものが出来たと造幣局一同自負しております」

 

 後ろの紙が引かれて新たな紙が現れた。

 

「さて、此処からは紙幣の特徴に付いてご説明致しましょう。本新紙幣、エル・パレルは四つの特徴を併せ持つ現行では大規模な偽造不能の通貨となりました」

 

『これはまた大きく出ましたな。デミ・パレルなどは結構な量の偽札が出回った事もありましたが……』

 

 貴族達の1人が呟いて、多くの者が同意する。

 

 あの時は印刷している者達を炙り出すのに一苦労だった云々。

 

「まず、皆様に知っておいて貰いたいのは硬貨の廃止はこの紙幣を作る為の致し方ない出来事である。という事です」

 

『それは一体何故?』

 

「実を言えば、この紙幣には金属が含まれており、大量の発行に際して造幣局が用いる年間量に匹敵する鉱物資源をこの紙幣そのものに使っております」

 

 どよめきが走る。

 

 それに次々と彼らに紙幣の見本が手渡された。

 

『これは……特段重いという事は無いように感じられますが、種類毎に指触りが……質感が違いますか。それに重くはありませんが、少し紙としては固いようにも……』

 

 これに金属が使われているのだろうかと首を傾げる貴族達である。

 

「では、一つ実験をしてみましょう」

 

 横合いから実験用の道具が持って来られた。

 

 アルコールランプと水槽。更にハンマーと釘と木製の板だ。

 

「皆様。紙幣とは燃えるものでしょうか?」

 

 その言葉にピンと来た男達がまさかという顔になる。

 

 見本紙幣がアルコールランプに火が灯されてから翳される。

 

『な、何と!? 紙が燃えない!!?』

 

 どよめきが奔った。

 

「この紙幣は姫殿下の家臣団の方達が研究した超重元素と呼ばれる金属を用いた燃えぬ紙を下地にしており、普通の炎では燃やす事が出来ません。実験してみたところ4週間程竈に入れて燃やし続けてみても単なる薪や油の炎では燃えませんでした」

 

 誰もが手品を見たような顔となる。

 

「また、この紙幣はとても汚れに強く、洗いやすく、破れ難い性質があります」

 

 紙幣が板の上に置かれて、釘がハンマーで思いっ切りぶっ叩かれた。

 

 だが、釘は横に転がり、破れている様子もなく紙幣が翳される。

 

『何と―――』

 

「また水に濡れてもまったく性質は変わりません。水に濡らしても紙は水を弾きます。水に入れっ放しにして3週間経ったものを用意しました」

 

 水から引き上げられた紙幣が貴族の男達に渡される。

 

「破こうとしてみて下さい。引っ張っても良いですし、千切ろうとしても良い。他の方と一緒でも構いません」

 

 言われた男達が実践してみて、そのあまりの頑丈な紙幣の強さに驚く。

 

『こ、これが紙幣……俄かには信じられませんな!!』

 

「これが新紙幣の力です。パレル紙幣はこの世界において最先端の技術を用いた不滅の通貨となったのです」

 

『不滅の……通貨?』

 

 男達の多くはこれが何を意味するのか。

 

 まだ分からない様子だったが、金融に詳しい男達の一部は戦慄しただろう。

 

 紙幣そのものがこれ程の強度を持つとなれば、商人が飛び付かない理由が無い。

 

 それがもしも経済戦略の一部だとすれば、正しく姫殿下と呼んでいる相手は恐ろしき金融の神として大陸に君臨する事を意味する。

 

「水洗いしても良い事から、洗浄すら可能です。今までの紙幣とはまったく異なる代物である事は皆さんにもご理解頂けたでしょうか」

 

 次々に男達が拍手し始める。

 

 これ程の偉業は恐らく大陸規模で見ても多くはないのだ。

 

「ありがとうございます。ですが、これも全ては姫殿下と家臣団の方々のおかげです。この紙幣一枚辺りの値段は最低価格の紙幣の価値の1.24倍から2.32倍程となりますが、原価は高くても大量生産で値段は下がります」

 

『なるほど。最初から大量に刷る事を前提にしているわけですな』

 

「硬貨に使っていた各種の金属も用いている為、通常よりも割高となります。ただ、この紙幣の性能であれば、納得でしょう。また、紙幣の劣化で回収する必要が無く。破れたものを交換するだけで良いとなれば、紙幣の大量の増刷で更に製造段階での値段は下がり、同時に耐用年数も数十年から百年程を見込んでいます」

 

『ひゃ、百年。いや、確かにこの性能ならば、納得か……』

 

「通常の金属を紙幣に用いているのは手触りを変化させる為ですが、偽札と差別化する為でもあります。技術的な水準が帝国に迫る国ならば、これに近いものは出来るでしょうが、造るだけで大量生産は不可能であり、絵柄を似せるのも質感を出すのも不可能でしょう。そもそも破れない、燃えない、濡れないという機能を再現するのはほぼ無理と言っていい」

 

 男達は成るほどと理解する。

 

「現在、姫殿下による大規模経済改革と金融開発によって、パレルは一躍世界最大の国際通貨となりました。今までの既存のパレルをこの紙幣に全て無償で置き換える事をあの方は望んでおられます」

 

『無償で?』

 

「このパレルが世界に流通した時の事を考えて見てください。どれだけ国家に帰属していようと商人達の心情は正直です。不滅の通貨を謳えば、彼らがそれに手を出さない理由が無い。これを他国の外貨。債権と交換する事は同時に帝国の通貨安を招くでしょう。ですが、今の帝国が通貨安となれば……」

 

『利しかありませんな……現状、他国からの輸入品は全て食料などの消費財ばかりであり、他は全て加工商品や人間の行う事に対して払われている。物資的なものは入って来てこそいるが、加工商品の殆どは戦略物資ではなく。高資源性の付加価値が高いものばかりだ。通貨安となれば、飛ぶように売れるのでは?』

 

「その通り。帝国はパレルをばら撒くと同時に帝国の戦略資源ではないが、技術の粋を格安で他国へ売り、人々を帝国漬けにする事が出来る。同時に他国は帝国の先進文化と帝国の重要性を大いに認識する」

 

『いやはや、姫殿下の計画は迂遠ながらも先進的であられる。このような陰謀……他国の誰にも真似出来るものではないでしょうな……』

 

 その言葉に他の貴族達も同様の感想を抱いた。

 

「他国から取り寄せる商品の全ては極めて安い食料品を大量に買っているだけであり、それも各国の財政的には帝国というのは有り難いお得意様だ。つまり、新紙幣を増刷する事は同時に帝国を買う客を増やす効果を更に推し進め、多くの国がパレルを外貨として欲し、帝国内にも資産を形成しようとする一助となる」

 

『成程。帝国に投資し、帝国に養ってもらう国を増やすわけか。為替においても姫殿下の金融政策は正しく他国には甘い毒でしょうな』

 

 貴族達は此処に来てようやく新通貨の発行の思惑に気付き始め、その深淵なる目的を背景にした造幣局の者達を重く見るようになっていた。

 

「我々は金融業界においてパレルを世界最強の通貨にしたいのです。大陸にパレルが積み上がった時、世界が帝国に欲するのですよ。ああ、もっともっと帝国を!! 帝国をくれ!! とね?」

 

 どよめきは奔らない。

 

 あの会議に出席していた帝国議会のお偉方しか此処にはいないのだから。

 

 狂気的な程に造幣局の説明者はアルカイック・スマイルだ。

 

「姫殿下は未だ起こらぬ今大戦以後、帝国の成果を世界の全ての国家に売り付け、帝国を中心とした一大金融網を生み出す為に奔走しておられるのです。その下地としてパレルは人々の中に燦然と輝く通貨の王様とならねばならない」

 

 コップから水が一口される。

 

「その為にも今はとにかく他国にパレルを押し付けるのです。皆様にはあらゆるものを“パレルで決済出来るように”して頂きたい」

 

『外貨との交換比率は割安でもいいと?』

 

「ええ、その為にも他国ではパレルで買い物をして頂きたい。国内市場の大規模化の為に奴隷と莫大な人口を養う為の日持ちする穀物や原料を買うのは必須でしょうし、彼ら自体の国内供給にも金が掛る。ですが、それすらも実際には今年から本格化した大規模農業経営と農業合理化案、先進農業計画で数年後までには必要なくなるでしょう」

 

 彼らはその造幣局幹部から聞く深淵なる戦略にゴクリしつつも理解する。

 

 この男もまた聖女の計画を進める重要な人物に違いないのだろうと。

 

「今後、技術的な水準は帝国に追い付く国も出てくる。ですが、それまでは恐らく30年近く掛かる。その到達までに我々は更に技術開発を推し進め、世界の全ての分野において帝国が席捲する事を望むのです」

 

 汗を浮かべながらも悪い顔をする人々が増えていく。

 

 それは金の亡者ですらない。

 

 国家の為に金を体に撒いて戦うベスト&ブライテスト。

 

 戦う金融愛国者達の誕生だったのかもしれない。

 

「帝国が売る決して他国には作れぬ商品の牙城が崩れぬ限り、帝国の金融掌握によって大陸経済の主導権は我らがものとなる。此処に集めたのは金の重要性を理解しながらも、金に踊らされない者達。本質的な金の意味を理解する者ばかり……貴方達には姫殿下からの伝言をお預かりしております」

 

 それに喜悦すら含んだ汗を浮かべる顔が目を見開かせる。

 

「『他者を富ます者……他者に幸せを押し付け、他者に敬意を持たれて初めて……貴方達は本当の経済の支配者になるでしょう』との事です」

 

 集められた者達。

 

 帝国内でも領地経営に秀でた真なる有能者。

 

 帝国において最優の兵がドラクーンだとすれば、帝国において最優の商人……否、経営者こそが、領地経営と商売を両立成功させて来た彼ら大貴族だった。

 

「控えめに行きませんか? 極力低姿勢で。多くの帝国商人の方々と同じように。相手を侮らず。相手を蔑まず。決して奢らず。冷静に見て。合理的に解釈し。人々の感情を把握するのです」

 

 聖女がいつもしているように。

 

 そんな事を言われずとも彼らはそれを見て来た。

 

 聖女の動静に気を配れば、合理性を投げ捨てているとしか思えない商売でも、最終的には上手くいった事例が数多い。

 

「人々が望むものを我々が大勢にも行き渡るように売り続けるならば、帝国の繁栄は……遥か未来の末までも決して……そう、決して千年などという時間で収まるものではない時代の果てまでも続くでしょう。我々はそう信じます」

 

 こうして帝国においてまた一つ陰謀が始まる。

 

 帝国の為に、自分の為に、人々を幸せにする。

 

 誰かの為に働く事が最も自分を護る為の手段として重要なのだと理解する人々の本気の経営が始まるのだ。

 

 それは帝国そのものの張り巡らす帝国の存続と世界の平和の為の手段の一つであったが、全世界に跨る巨大金融網を影から掌握する者達の始りでもあった。

 

 *

 

 帝国大改革時代とも称されるようになった現在。

 

 その最高機密を狙う他国の諜報員の多くはあらゆる方法で密入国を行う。

 

 だが、その半数が国境地帯で連行され、残りの半数の内の更に半数が帝国内で何だか異様に勘が鋭いとしか思えない官憲に検挙される。

 

 そして、残る25%が陥っているのは現状の恐ろしき監視社会と化した帝国内で身動きも取れずに現地で溶け込む事だけであった。

 

 だが、その内の1%にも満たない者達はこのまま検挙されて、いなくなった同胞達のようになる前にと行動を起こそうとしている。

 

 という情報が帝国陸軍情報部のあぶれ者の部署には毎日届いていた。

 

 先日、帝国最大の支援者がポイーッと無駄に活動資金として大金を彼らに渡してくれた上に官憲達の職質訓練(何処かの元異世界転生者がテレビで見た知識)新式マニュアルが渡されたので活動資金や諜報員のお仕事で困っていない彼らである。

 

 その半数は帝国外の国外諜報活動の工作員として現地に飛んでおり、残りの半数は帝国内で情報部(本部)が握っていない細々とした小さな事件を扱いつつ、国内の敵国諜報員達の誘導と統制を行っている。

 

 統制と言っても、緻密に時間帯を指定して警邏の数を増やしてみるだとか。

 

 諜報員達に物資が届かないように妨害してみるだとか。

 

 泳がせながら、彼らの手練手管を研究して他国の諜報活動の練度を図るという当人達が聞いたら血管が切れそうな事ばかりだ。

 

 無論、帝国民に危害が加わった場合は即確保。

 

 死人が出れば、即死刑ならぬ私刑で闇から闇に葬られる。

 

 殺しのライセンスとは正しく現在彼らに与えられた任務そのものに他ならない。

 

 だが、そんな彼らにとって今日は面白いものが見られる日だった。

 

『あ、来ましたね。いや~~ホント悪辣ですね~~ウチの上層部も』

 

『いやいや、我らが大公姫殿下に仇成す若年層暗殺者の一斉蜂起だぞ? 間違いなく見物になる』

 

『あんたら~~これ任務だって忘れないでよ~~』

 

『『うぇ~~い』』

 

 現在、奴隷として入り込んだ他国の諜報員には若年層が実はそれなりの数含まれている。

 

 奴隷に甘いと言われた帝国の弱点を突く国境突破方法である。

 

 帝都にまで入り込んだ優秀な奴隷の10歳以下から15歳くらいまでの少年少女が南部の特定の国で訓練された少年兵というよりは暗殺者だなんて話を聞いたら、まったく彼らの祖国の怠慢に憤慨するのが帝国人だ。

 

 子供は国の宝である。

 

 それを奴隷として潜入させて、使い捨ての駒にするなんて、まったく人道的ではないと考えるのが極々一般的な帝国のお花畑な貴族層である。

 

 そういう事実を知っている情報部のあぶれ者達にしてみても、余程に優秀でなければ、そんなのは愚策というのが実際に思うところだろう。

 

『それにしてもわざわざ処刑する犯罪者の脱走を仕組んで裏情報が流出しました、なんて形を取るとはなぁ』

 

『そもそも脱出のお膳立てする前に遅効性の毒飲ませてたから、逃げても死ぬんですけど』

 

『反応したのが把握している若年層奴隷の中でも最優秀層ってのが笑えないな。つーか、この案件仕組んだヤツは地獄に落ちるだろ。本物の機密情報を一緒に混ぜて情報の信憑性を上げた上に密かに移動ルートを看視する最下級の諜報員を動員して、それっぽく護衛を付けた相手が姫殿下の替え玉。二重に顔の上に変装、とかさぁ』

 

『だよなぁ。というか。今後の戦争に向けて新しい新兵器を軍に分配する際の話合いとか。物凄くそれっぽい話にしてるけど、そもそもそれもう数か月前に話付いてるし』

 

『ホントホント、もう秘密裡に軍の教導隊に竜郵便で納入済みなんだよなぁ。新兵器そのものが。そいつらが地下施設で地方のやつらを誰にも感付かれないように訓練してるとか。相手も想像してないんじゃないか?』

 

 帝都の中央にも程近い二階建ての建築物の屋根の上に俯せになった男達が正しく正式採用型のピカピカのライフルを構えて月明かりのある夜道を見つめる。

 

『あの姫殿下と同年代の護衛は大公家で預かる侍従見習いの方々だそうだぞ。何でも例の東部で姫殿下を暗殺しようとした氏族で養育されていた本物の暗殺者だとか』

 

『聞いた聞いた。それが姫殿下がお許しになって仕える事になったんだよなぁ。いやぁ、我らが大公姫殿下の懐の深さは底無しだね』

 

『今の囮の方もその子達らしい。姫殿下の為にお役に立ちたいとリージ様の話を聞いてた時に立候補したんだとよ』

 

『ああ、だから、あんな様になってんのね』

 

『おお、相手も動いたな。良い動きだ。ついでにやられ役連中を蹴散らしてんな。おお、おお、元気元気。襲撃時に周囲の監視役も同時に襲ってるとはそこらの諜報員連中よりもちゃんとしてるじゃないか』

 

『だな。基本的には相手の殺害が困難だと解ってるから、あっちは時間稼ぎで死ぬ覚悟だぞ? 子供にしとくにゃ勿体ないなぁ』

 

 男達がライフルのスコープ越しに予想外が起きないようにと幼い暗殺者達の奮闘に頑張れ頑張れと子供のテストを見る親のような気持ちで微笑む。

 

 まぁ、それでも死人が出そうになったら、その相手を射殺するのが彼らの役割なのだが、そんなのはシレッとした顔でやる血も涙もある冷徹な愛国者達である。

 

 傍目からは呑気に見えるものだろうが、その内実はとある少女以外には誰にも分からないかもしれない。

 

『ここは任せて先にいけ!! 必ず任務を!!』

 

『済まない。行くぞ!! 必ず小竜姫を倒すんだ!!』

 

『ああ!! これがオレ達に出来るあいつらの為の最後の任務だ!!』

 

『八時方向に敵影4!! 出会い頭に無力化して!!』

 

 馬車を襲撃した15くらいまでの少年少女達は約30人弱。

 

 その内の18人が周囲の監視役の大人達を誘導して引っぺがす役割を演じて、残りが馬車周辺を油と油の多い樹木を使った煙幕で攪乱。

 

『姫殿下を護れぇえ!! 今こそ恩を御返しする時だ!!』

 

 馬を足止めする為の仕掛けを路に施して相手の退路を断った上で3頭立ての馬車に油壷を遠投。

 

『全班包囲陣敷けぇ!!』

 

『投擲準備!!』

 

『敵は遠距離武装を持っていない!! 削り殺すぞ!!』

 

 火矢で燃やして、すぐに外に出て来た侍女見習いの元暗殺者少女達に突撃して乱戦に突入した。

 

『お~侍従の子達も中々だが、襲撃して来た子達も中々……お、数人くらい尋常じゃなく強いのがいるな』

 

 次々の侍従の少女達が投擲する投げナイフが数人の襲撃者を脱落させていくが、その中でも2人の少年と一人の少女が回避しながらバラけた彼女達を一人ずつ無力化していく。

 

 剣で腕を切られ、蹴りでアバラを折られ、タックルで吹き飛ばされ、負傷した侍女達の多くも仲間を庇って後退して態勢を立て直す。

 

『殺されないように侍従の子達が負傷者を下がらせてるみたいだ。あの三人。どうやらバルバロスの呪いを受けてるみたいだな』

 

『お、出番か?』

 

『ああ、でも、最後の壁が突破出来てないなぁ。ゼインって言う子だったかな』

 

 馬車の手前で侍女達に庇われている少女の前に立つのは東部で軽くフィティシラ・アルローゼンにあしらわれた幼い暗殺者達の纏め役の少女だった。

 

『あの子達の筆頭らしいけど、普通の人間で能力者に対抗出来るって相当に訓練されてるな。ああ、ウチの上級連中と鍔迫り合うくらいだわ。ありゃ』

 

『すげーな。その子……』

 

『何かドラクーンの兄さんから聞いた話だと姫殿下と唯一戦えたらしいから』

 

『すげーな。いや、マジで』

 

『お、でも、さすがに人数がなぁ。侍従の子達も命を大事にと命令受けてるとはいえ、さすがにバイツネード・モドキくらいの力になると無理か』

 

 周辺の炎に気付いた者達で騒がしくなり始めた帝都。

 

 しかし、まだ僅かな時間しか経っていない。

 

 次々に周辺の監視役と戦っていた子供達が実力差と数に制圧されていく。

 

 その最中で死に物狂いで侍従の少女達を退けた暗殺者の子供達が残り3人。

 

 最後の1人であるゼインを退けて、その背後にいた姫殿下役の少女に殺到しようとして、彼らの上空から数人の男女が刃を向けて降り注ぐ。

 

『お、待ってました!! 真打登場!! ホント……姫殿下はあの階梯のバイツネード相手に指一本使わず勝つって言うんだから、何も言えんな』

 

『間違っていますよ。彼らは生身です』

 

『へ?』

 

 男達の背後にいる黒い影の女性らしき声が告げる。

 

『姫殿下に能力の中核を引き抜かれて常人にされたと報告にありましたよ。つまり、あの動きをしている彼らは生身です。身体や五感の能力は10分の1以下だとか』

 

『『……どんだけバイツネードは強いんだよ。ホント』』

 

 彼らは事の行く末を見つめる。

 

 尋常ならざる気配を宿した者達は能力も無いのに3m上から敵を襲撃して地面に降り立ち、まったく堪えた様子もなく背後に替え玉を庇いながら颯爽と帝都に夜に降り立ったのだった。

 

 それが彼らの公式記録において初めての記述であった。

 

―――誰だ!?

 

 そう襲撃者最後の3人の1人。

 

 少年が上から降って来た男女に叫ぶ。

 

「フン。今のを躱すか。まぁ、ウチならば、中の下にはなるか」

 

 傲岸不遜な中高年の男が剣を鞘に納めた。

 

「ああ、妹の力となれるなんて、兄としてこれ以上嬉しい事はない」

 

 優し気な笑顔の青年が胸に手を当てて、ホウッと恍惚の息を吐く。

 

「子供だからと侮らない方がよろしいのでは?」

 

「いや、殺しには馴れて無さそうだよ?」

 

 今、四人の男女が三人の相手を前に何処か哀れそうな瞳になっていた。

 

 大陸北部で諸々の仕事を終えて、帝国に招集されたバイツネード分派。

 

 いや、新しい組織。

 

【帝国異種開発機関】

 

 と紅い剣のエンブレムを付けられた灰色の制服姿の者達である。

 

 動き易い軍装にも見えるが、彼らの様子は1人の青年を除いて何処か緩慢だ。

 

 理由は単純。

 

 何か自分達の仕事とは関係ない事に狩り出されたからだ。

 

 やる気があるわけもない。

 

 バイツネード本家を裏切ったマルカスおじさまと姫殿下が妹に見える青年ご一行様である。

 

 北部の港町から装備製造を帝国から請け負った何処かの新進気鋭の王様のいる国に行って、装備製造時にバルバロスに関する知識を供出して、協力が終了した後に帝国に呼び寄せられていたのだ。

 

 元バイツネードの襲撃者達は正しく人生メリーゴーラウンド。

 

 あちこちを移動させられたせいで今ではすっかりバイツネード時代とは違って現場では顔が悪い意味で売れている。

 

 曰く、帝国の小竜姫に仇為し屈服させられた元悪の組織の幹部として、である。

 

 約束通り、公的な機関として出迎えられた彼らはバルバロスとバイツネードの技術の開示、秘匿、研究などの分野で講義をする立場となっていたのだが、それが今日は何故か若年層暗殺者に立ちはだかる最後の駒として用意されてしまったのだ。

 

「な、何だこいつら!? こいつらもバルバロス持ちか!?」

 

「下がれ!? こいつらの気配尋常じゃない!?」

 

「だ、だめ……何これ!? 何なの!? この人達、バルバロスの力が無いのに勝てない未来しか見えないよ!!?」

 

 少女が少年達に絶望的な未来を告げる。

 

 それにマルカスが少し目を見開いた。

 

「ほう? 未来予測か。その能力を持っているという事は大陸南部最南端の地域に縁の在る者のはずだが……まぁ、今のお前らではバルバロスを失った我らにすら勝てはせんだろうな。だが、その程度の能力であの化け物を殺そう等とはお笑いだ」

 

 奴隷の少女がマルカスをカタカタと肩を震わせながら絶望的な顔で見つめる。

 

 彼女には見えていた。

 

 目の前の壮年が本気になれば、彼女達三人は3秒も立たずに首を圧し折られて死んでいるのが見えたからだ。

 

「叔父上。そこの2人はウチの分隊長格くらいはありそうですよ」

 

「はは、一応は隊長格、か……この程度の連中に使われる程、我らの力は落ちたわけだ。もう笑いしか起きん」

 

 疲れた溜息でマルカスが本気で気を抜いた様子になる。

 

「「「―――」」」

 

 それだけで三人の幼い暗殺者達が固まる。

 

 男のあまりにも無機質に自分達を見る瞳に釘付けとなったのだ。

 

 そう、自分達を無価値として危険とすら思っていないのが彼らにも解った。

 

「適当にやっておけ。この程度で呼ばれた理由は何だ? この部隊の連中の上司に抗議し―――」

 

「あ、あたしだよ。アンタらを呼んだのは」

 

 今度は年嵩の女の声が上から降ってくる。

 

 スタリと落ちて来たのは近頃30代くらいまで若返ったと話題の元バイツネード本家の人員にして現在は姫殿下の家の掃除婦見習いな女だった。

 

「お前は……報告書にあったぞ。そうか。そういう事か」

 

「今やご同輩だろ? そんな顔すんなって。本家とはいえ、もう切られちまったし、今じゃ何の力も無い子持ちだ」

 

「フン。アルシャンテ、か……名前も知らんのに他人の気がせんというのもおかしなものだな」

 

「こっちはアンタを知ってるけどねぇ。ま、分家筋としてのアンタは正しく伝説だろうし、下の連中の中じゃ一番使い勝手が良かったって前任者に聞いてたよ」

 

 年嵩の男女が何かもう襲撃中というのも忘れたような口ぶりで話し始めるに当たり、少年達が短気を起こした。

 

「こ、こっちを見ろ!! 戦闘中だぞ!!」

 

「あ、ダメ!?」

 

 少女が制止するよりも先に常人の数倍以上の超高速で少年の1人がマルカスに斬り掛かる。

 

 だが、すぐ傍に控えていた中年の取り立てて外見的な特徴の無い男にケリを一発入れられて吹き飛び。

 

 燃えていた馬車を横倒しにしてめり込んだ。

 

 正直に言えば、その場の誰もまともに反応出来なかった。

 

 これが能力者を止めた常人の能力と言われても頷けないだろう。

 

 実際には常人を止めたところで彼らが非常識に強いのは変わらないが、小竜姫単体の能力が高過ぎて彼らの評価が常人並みだっただけであったりする。

 

「ガァアッ?!!」

 

「ッ、すぐにあいつを連れて逃げろ!!」

 

「に、逃げるって!? 逃げ場なんて何処にも!?」

 

 残った少年が少女に言うものの。

 

 少女には少し先の未来が見えていた。

 

 数秒先だ。

 

「に、逃げてぇええ!?」

 

「え?」

 

 残っていた少年が自分よりも早いとしか思えないような速度で横にいる青年の拳で腹部を撃ち抜かれ、胃液を吐きながら吹き飛ばされて、先程の少年と同じ馬車に突っ込んで破砕させた。

 

「グァッッ?!!」

 

 2人の少年は完全に気を失っているようで燃えていた馬車も衝撃でバラバラになっている為、火傷をする事も無いだろう。

 

「叔父上。正直鈍ってる気がします」

 

「だろうな。だが、我らは机仕事だ。貴様も自分の指くらい大事にしろ。仕事が進まんとまともに居住空間にも帰れん」

 

「ふぅ。それで我々を呼び出したのはどういうわけで? お嬢さん」

 

 青年が中年の女に訊ねる。

 

「はは、お嬢さんか。アンタには分かるんだね。さすが、全てを見抜く瞳。変質した瞳自体はそのままなだけある。若き才覚者」

 

 副棟梁と。

 

 とある少女に呼ばれている彼女。

 

 本名アルシャンテが肩を竦めた。

 

「あの姫さんの伝言だ。暗殺者してる若年層を教育して一般人にするには無理があるから、適性のありそうなヤツはこっちで引き取って、学校に通わせつつ、真面目にちょっと特殊な公務員として養育しろ。だってさ。あ、これ手紙」

 

 青年が受け取った紙面を瞳で追ってから、燃える馬車の上に投げて灰にした。

 

「叔父上……」

 

「面倒事を増やされたと。つくづく我々は下働きか……」

 

「仕事です。なら、仕方ないでしょう」

 

「オイ!! 此処の管轄をしている上司に告げておけ。ここで回収した連中は我ら【帝国異種開発機関】リバイツネードが引き受けた!! 大公姫殿下の御命令だ!! 馬車と薬と手当用の看護兵を数人呼べ!! 我が機関に搬送する!!」

 

 やけくそ気味に大声で叫んだマルカスである。

 

「それと一番優秀そうなそこの三人はお前に任せる」

 

「え?」

 

「自分で言い出した事だ。まさか、嫌とは言わんな?」

 

「解りました。機関長の叔父上の手を煩わせるわけにも行かないでしょう」

 

「これでいいのだろう!! ドラクーン!!」

 

 マルカスが天空を見上げるが、夜空にはそれらしき影も見えない。

 

 だが、多くのこの茶番を見ていた者達は夜空の上に何かいるように思えた。

 

 ドラクーンは見えざる竜騎兵。

 

 そう、それは常人には見えない超高高度を竜と共に飛行しているからだ。

 

 というのが、彼らの共通認識である。

 

 闇夜の中では見付けられるものではない。

 

「不愉快だ。帰らせて貰う。後、貴様には時間が出来たら過去の事で幾つか聞かせて貰うぞ。本家のアルシャンテ」

 

「その名前はもう捨ててエズヤって名乗ってんだが、まぁいいさね。それともう本家じゃないんだけど……」

 

「お前もあの姫に牙を抜かれた口だろう。その程度は喋って貰わんとな。我らがどれほど悪辣に本家に使われていたものか。一度、聞いてみたいと思っていたところだ。その方が今後来る連中にも言い訳し易いしな」

 

「それが理解出来てるところが、何とも……ああ、いいよ。飲み明かそうじゃないか。我らバイツネードの敗残兵。いや、捨て駒にされた同胞に乾杯だ」

 

 こうして帝国の夜は静かに更けていく。

 

 最後に残された少女は震えながら目を閉じ、自分の見る未来が瞬間的にフラッシュバックするかのように焼き付き、1人の背中を見た。

 

 あまりにも巨大な恐ろしい未来の何かと対峙する背中。

 

 その背中に付き従う無数の人々。

 

(なにこれ!? 世界が滅びそうになってるの!? なのに……なのに……どうしてこの人達は……)

 

 笑顔で何かへと向かう者達の背中。

 

 その微笑の意味を未だ少女は知らず。

 

 だが、確かに彼女達が今まで見て来たどんな大人ともどんな人間とも違う事を彼女は未来に知る。

 

 誰も自らの死にも等しいものを前にしても決して歩みを止める事は無かった。

 

【お前が誰かは知らないが、見てるならよく覚えておく事だ。人間、面白そうな連中に付いて行った方が人生愉しめるぞ】

 

「―――?!!」

 

 いつかの未来。

 

 その先から自分に語り掛ける誰か。

 

 そんな、あまりにも非現実的な誰かの声を脳裏で反響させながら、少女は確かに破滅の先に光が溢れるのを感じたのだった。

 

 それが世界の終わりなのかどうかは分からないとしても、確かに彼女は悟ったのである。

 

 この世には決して自分達の力……いや、バルバロスの力ですら届かない、及ばない人間がいるのだという事を……。


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