ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第88話「北部皇国までの道のり」

 

 リセル・フロスティーナによる北部皇国への密入国RTAはっじまるよー。

 

 まず、リセル・フロスティーナに招集した人材が使ってる竜を乗っけます。

 

『ど、どど、どうして呼ばれたんでしょうか!?』

 

『あ、アディル。乗ってたのか?』

 

『呼ばれているとは意外ですね』

 

『デュガシェス様!? ノイテ隊長!!?』

 

 ついでに竜の付属物っぽいぶち犬少女も乗せます。

 

 これで連続高速飛行距離を確保しつつ、最速で北部皇国へと向かいます。

 

『北部皇国で何をする気なのか聞いても?』

 

『ゾムニス。人間が一番やられて嫌な事って何だと思う?』

 

『……大切なものを踏み躙られる、くらいしか考え付かないが』

 

『正解。もっと端的に言うと世界観を壊されたり、常識的な面で良識の無い行動は社会的にはかなり嫌がられるな』

 

『つまり?』

 

『そうだな。例えにすると便所に入ってる時に見知らぬ人間にマジマジと見られて、排便の仕方にダメ出し喰らうとか?』

 

『―――聞かなかった事にしておく』

 

『じゃあ、問題だ。今、正にクソみたいな南部を歯がゆく見守ってる北部皇国がされて一番イヤな事は?』

 

『さっきの例えをどう応用しろと……』

 

『そういうところが繊細だよな。お前って……』

 

『一応、目の前にいるのは世界一文化的な侵略国家のお姫様だった気がするんだが、忘れておこう……』

 

『正解は―――』

 

 北部皇国が戦争中にやってた後ろ暗い事情や後ろ暗い行為を暴露するゴシップな書物を周辺国全土に送付する準備と本そのものを北部皇国のお偉方全員に送ります。

 

『君ってヤツは……本当に君ってヤツは……』

 

 そうすると何故か北部皇国の首都が程近い場所でウロウロしているリセル・フロスティーナを竜騎兵の大群が北部皇国の首都まで送ってくれる盛大な歓待を催してくれるという涙が出そうな歓迎ぶりになります……終わり。

 

「なぁなぁ、すっげー相手が掌で踊らされてる感無いか?」

 

「ですね。普通なら竜騎兵隊にボロボロにされて撃墜されているところをあっさり入れるとは……まぁ、どうやって脱出するのか知りませんが」

 

 操舵室の外に見える北部皇国の首都は元々が統一されていた皇国の当時の第二首都であり、皇族の皇位継承権が高い人物達を住まわせる一種の離宮のような扱いであった。

 

 故に統一された街並みは美しい。

 

 象徴されるのは蒼い装飾と屋根だ。

 

 決して帝国にも劣らない様子である。

 

 だが、やはり帝国と比べると市街地は幾分かこじんまりしていると言える。

 

 帝都と比べなければ、恐らくは大陸でも最大規模の都市である。

 

 平野の広がる地域の中央に位置しており、周辺には帝都と同じような食糧供給地帯となる広大な麦畑や放牧場が整備されており、国力で言えば、恐らくは帝都の2割くらいはあるだろう。

 

 そう、それでも帝都の2割というのだから、如何に帝国がヤバイのかが解ろうというものだ。

 

 2km四方が市街地というだけで本来は他国には驚きなのだから。

 

 この北部皇国の都市は基本的には超巨大な一地方の城塞化という数百年を掛けた都市計画の産物であり、地方を丸抱えして恐ろしく長い堀や10m程の城壁が何処までも何処まで迷路染みて中央都市を囲むように地方全土に伸びて囲いながら広がっているのだ。

 

 その様子は空からも圧巻である。

 

「階層都市なんて言われてるらしいが、さもありなん」

 

「降下合図だ。いいんだな?」

 

 ゾムニスに肩を竦める。

 

「降下準備開始。外に出るのは?」

 

「アディル。ノイテとフェグだ」

 

「ウィシャスはどうした?」

 

「ああ、あっちには外でやって貰う事があるから、此処に来る前にこっそり降ろしといた」

 

「いつものようにこっちは艦内待機か?」

 

「ああ、今回はエーゼルが重要な研究から外せなかったから来てない関係で、無傷で帰らなきゃならない。いつでも船を飛ばせるようにしといてくれ」

 

「了解だ」

 

「(T_T)」

 

「?」

 

「どうしてノイテだけなんだ?」

 

 不満顔のデュガがジト目でこっちを見ていた。

 

「昼間っから、そんな顔で見るな。お前の出番はあっちに付いてからだ」

 

 硝子窓の外にはドーム会場数個分はあるだろう皇族宮殿と呼ばれる尖塔と離宮と庭が寄り集まった一角が見えてくる。

 

 街並みはその周囲は貴族街でそれを覆う壁の外に通りが8本程ある巨大な商店の集まる商業区、更にその先には壁に囲われた歓楽街、その先にはやはり壁に囲われた居住区が平民の上から下まで其々色分けされた壁で囲われて何かのアートみたいになっている。

 

 最下層の貧民街も左程に暗くはなく。

 

 その先にある広大な穀物算出地帯や牧場は人気もあり、国の3分の1でも並みの大国と同等と言われるのも解る様相だった。

 

「アディルはいいのにどうしてダメなんだーおーぼーだぞー!!」

 

「後でお土産買って来てやるから、そんな顔してもダメだ。ま、もしもの時はこの艦も爆破しなきゃならないし、お前くらいだぞ。頼めるのも」

 

「そんなあっさり……これ、高いだろ?」

 

「お前らの命に代えられる道具なんてのは無い。使い潰したら、エーゼルと研究所の連中に謝って二隻目作るからいい。とにかく、お前とゾムニスはお留守番だ。ゾムニスと一緒に船を見張っててくれ」

 

 何故か、こちらの説明に少しだけ気を良くした様子で敬礼が返された。

 

「仕方ないなー。りょーかーい」

 

 それを何故か複雑そうな顔で見ていたノイテがメイドに鎧姿で剣を腰に差していたが、それも外させておく。

 

「もしもの時の備えなのですが……」

 

「今回、武器は無しだ。そんなの無くてもオレが既に全身凶器だから問題ない。武器が欲しかったらいつもオレが使ってる剣を軽くしてくれてやる」

 

「はぁぁ……解りました。拳銃は?」

 

「オレが二挺持っていくから、困ったら貸す」

 

「あ、あの~~ウチの子の面倒は?」

 

 アディルがおずおずと訊ねてくる。

 

「しばらくデュガに見て貰え。それとお前が着て来た衣装は持って来たな?」

 

「あ、はい。言われていたので」

 

 アディルが襲撃者としてやってきた時の衣服をカバンの中から出した。

 

「すぐに着替えてくれ。出る時はその恰好でな」

 

「わ、分かりました~~只今~~!!」

 

 すぐに私室へと向かって行ったアディルを見送ると黒猫が頭の上でダラダラしていたので掴んで捨てようとしたら、コレが離れない。

 

「……ま、いいか。オイ。余計な事すんなよ?」

 

「まぅを~~~」

 

 のんびり声の応答に溜息一つ。

 

「さ、行くか」

 

 こうして北部皇国首都。

 

【中央都市ゼルゼナム】

 

 この臨時首都とは思えない規模の古い国の片割れに降り立つのだった。

 

 一応、ハッチを解放して使いを迎え入れていた為、すぐ降り立つのに問題は無かったのだが、降りる許可が出された場所は中央都市の宮殿域が近い基地らしい一角だった。

 

「お招き頂きありがとうございます」

 

 使いの竜騎兵達がさすがに左右に割れて地面で待機していた。

 

 背後の三人と共に2m程を飛び降りると待たされていたらしい馬車がやって来た。

 

 蒼塗りの馬車というのも珍しいだろう。

 

 こう言う点だと帝都や帝国の美意識はかなり古風というか。

 

 アンティークな落ち着いたものを好むので派手好きくらいしか使わないかもしれない色使いだった。

 

「どうぞ、こちらに……中央宮殿の方で御方と皆様がお待ちです」

 

 兵隊達は誰も彼も貴族の親衛隊っぽい感じな人選らしいが、その背後にいる明らかに空気が違う古強者らしい顔に刃物傷だらけで白髪交じりな50代がノイテをチラリと見てから視線を逸らして内心の溜息をグッと堪えた様子だった。

 

 馬車に載る前に左右の連中に一礼してから内部に入るとすぐに暗幕が外から降ろされるが、内部にはランタンが灯されていて明るさは問題無く。

 

 そのまま走り出した。

 

 ハンドサインで大丈夫聞かれてないと教えるとノイテも何処か溜息を吐いていた。

 

「で、竜の国の誰なんだ? 親衛隊っぽいのを統括してた男。顔馴染みだろ?」

 

「………父です」

 

「は?」

 

「まを?」

 

 黒猫がフェグの頭の上で首を傾げる。

 

「ですから、父です」

 

「ああ、あの溜息をグッと耐えたのは娘が生きてるのにどうしてか帝国の大公姫に仕えてたからか」

 

「ええ、まぁ、そういうところでしょう」

 

「………」

 

「な、何ですか?」

 

「似てないな」

 

「ッ、母親似なのです!!」

 

「悪い悪い。そんな怒るな。確かに髪の色は似てるか。目元は似てないが、頑固そうなのは似てるっぽい気がする」

 

「ッ―――」

 

「そ、そのぉ……」

 

「お前も知り合いか?」

 

「え、ええ、竜に乗る時の総合演習での訓練官でした。とても、お世話になりました。はい……フードで顔が隠れて無かったら、死んでたかもしれません」

 

「ああ、だから、何か死ぬ程緊張してたのか。単にこれから殺されるのかとビクビクしてたのかと思ってたら……」

 

「あ、あはは……はぁぁぁ、バルハザト様。怖かったぁ……」

 

 大きく胸を撫で下ろしたアディルがプルプルしていた。

 

「それがあいつの名前か。で、竜の国での立ち位置は?」

 

「軍団長付きの片腕です。時には1万騎を預けられることもありますが、父は参謀役や竜の調練や乗り方の指南役をしていました」

 

「そいつが付いてるって事は今も北部皇国は竜の国と繋がりが深いってのは本当らしい。事前情報に無かったから厳重に情報封鎖してたんだろうな」

 

「それでこれからどうするのですか?」

 

「北部皇国の皇帝は情報を集めた限りでは問題無い。だが、何事も自分の目で確かめないと分からない事が多い。特に善人の類はな」

 

「……その表向きの顔が嘘だと?」

 

「それを調べに行く。ついでに竜の国に行く為の話題作りもする」

 

「話題作り?」

 

「そんなにすんなりお前の祖国にリセル・フロスティーナで乗り付けられるなら、こんな場所まで来てないって事だ」

 

「全て掌の上ですか」

 

「その言い方は正確じゃない。掌の上でオレ達も踊ってる最中だ。バイツネードの連中の一番上は恐らくオレと同類で色々とお膳立てが好きなようだしな。気は抜くな。何を何処に仕込まれてるのか。解ったもんじゃない」

 

「解りました。それこそ父を殺せと言われても動じはしませんよ。少なくともウィシャス様よりは状況もマシでしょう」

 

「……お前、出会った頃と違って変わったよな」

 

「そうもなるでしょう。貴方の為にどれだけの仕事を押し付けられてきたものか」

 

「便りにしてるさ。付いたらオレの後ろに控えてろ。フェグ」

 

「はーい」

 

「まをー」

 

「2人で問題起こすなよ。何があってもお口は閉じてろ」

 

「りょーかーい」

 

「まをを~~」

 

「お前ら、何かデュガシェスに似て来たな」

 

「「?」」

 

「まぁ、いい。友達ってのはそういうもんなんだろ」

 

「「?」」

 

 こうして喋っている内に宮殿の内側。

 

 大門内の正面玄関に付いたらしく。

 

 外から声が掛けられて先に降りたノイテに続いて馬車を降りると。

 

 左右に縦列した官吏らしい貴族の男女がズラリと並んでおり、決して良い顔色では無かった。

 

 中には太々しいやら、見定めようとする視線もあるが、殆どの人間は出て来たこちらを見て、何やら驚きを貌の内側に隠すのに精一杯の有様。

 

 結局、3割くらいは同様を隠せない様子だ。

 

 その三割が殆ど20歳代の若い貴族で占められている事からも革新派と呼ばれる事もある北部皇国の盟主は新しい風を吹かす人物であるらしい。

 

 と、状況証拠は言っていたのだった。

 

 *

 

 北部皇国。

 

 正式名称【ザルデアス・ザナ皇国】。

 

 白の陣ザナ家。

 

 白き改革の御旗を掲げる旗手として継承戦争を勝利で飾った勝者。

 

 南部皇国。

 

 正式名称【ザルデアス・ディアス皇国】。

 

 黒の陣ディアス家。

 

 黒い武勇の御旗を掲げた保守の巣窟であった継承戦争の敗北者。

 

 この二つの皇国が現在は南部の最大版図を持っていた大皇国と呼ばれる国家の成れの果てであり、国力だけで言えば、帝国とほぼ互角という古い格式ある国である。

 

 選定公家と呼ばれる9人の貴族を選出する家々の当主がどちらかに付いて票を投じる事で皇帝を輩出するシステムをとっており、一対の皇家はこれでバランスを保ってきたとされる。

 

 平時の平和な時代には内政に優れる白のザナ家を。

 

 戦時の武勇が必要な時代には軍事に優れる黒のディアス家を。

 

 この二つの家はライバルではあるが、互いを追い落とす事は慎むよう選定公家がコレを制御する事で今まで多少のいざこざはあれど、お家騒動も左程無く。

 

 多人数が皇帝を選ぶというシステムの為に半ば、どちらもどちらを廃滅出来ないジレンマの中で暗闘して来た。

 

 しかし、その関係が崩れたのは数年前。

 

 ディアス家が選定公家の廃滅を国民に訴える暴挙に出て、これを支援し始めた事で関係は悪化し、最終的には当時のザナとディアス両家の時期当主である若者達を神輿として継承戦争が皇国を真っ二つに割って行われた。

 

 最初期こそディアス家の武勇が圧倒するかに思われたが、此処でザナ家は隣国である竜の国に助力を願い……傭兵国家はそれに応えた。

 

 結果として二年にも渡る戦いがザナ家を推す竜の国と国の暗部であったバイツネードの間で繰り広げられ、どちらの軍にもかなりの被害を出しながらも正規軍の半数以上が付いたザナ家が最後の戦いを勝ち抜き現在に至っている。

 

 以降、ディアス家は3分の1以下の領地と旧首都を握って互いの領地を狙う仮の国境線沿いに軍を展開して今も睨み合っていた。

 

 膠着状態を作り出した後にバイツネードが殆ど消えた事を確認した竜の国はザナ家の背後に隠れる形で関係を続けていると噂されていたが本当だったらしい。

 

【戦塵百名家】

 

 それがバイツネードの俗称だ。

 

 百名家というのはそもそも本当に百いるのかも分からないのだが、それ程に多い本家から別れた家が大量にあるという事である。

 

 そんな連中の頭目からのお誘い前に起きたウィシャスの事件が無ければ、時期的には北部皇国への来訪は後になっていたはずなのだが、今回は身内の犯行なのでしょうがなく予定を繰り上げたわけだ。

 

「………」

 

 宮殿域の内部はさすがに歴史ある皇国なだけあって数百年前から作り込まれていた大量の彫刻と装飾で荘厳であった。

 

 基調が蒼なのは此処でも変わらないらしい。

 

 蒼い塗料と宝石と彫金が施された各種の壁や柱や硝子の天蓋などは極めて歴史的な価値も高いだろう。

 

 そんな大広間の通路を50mは歩いただろうか。

 

 大量の貴族連中が左右に縦列する中でも遠目に見えていた玉座には誰も座っていなかった。

 

 玉座と言ってもこじんまりしたものではない。

 

 人が寝そべれそうな横幅のある金色の塊を更に宝玉と彫金で加工した代物だ。

 

 ただ、わざと色褪せさせ歴史を感じさせるような装飾が施されている為か。

 

 ギラギラした感じはしない。

 

 荘厳な椅子としてならば、一級品だろう。

 

 階段上になっている玉座のある場所の一歩手前で立ち止まる。

 

「これがお目に掛かるのは初めてなのですが、皇国の主はどうやら恥ずかしがり屋らしいと記憶しておきましょう」

 

『!』

 

 椅子の後ろから驚いた様子になった相手がそっと顔を半分出してこちらを微妙に怯えた猫みたいな様子で見ていた。

 

「ど、どんな大女が来たかと隠れておっただけじゃ。その腕で百万の軍勢を薙ぎ払い。その息吹で南部の大艦隊を沈没させたのであろう? そち」

 

「いいえ、陛下。わたくしは単なる大公の威を借る小娘にございます」

 

「………知っておるぞ。そちはバルバロスの力を用いる超人。あの表向きは単なる武勇の名家を気取っていた連中の親玉と同じかそれ以上の力を得ていると」

 

「個人の力など、何れは人の叡智と人の狡知によって敗北する程度の代物です。世界を滅ぼせる力があったとて。相手が言葉を交わせる知性と良心を持ち合わせるならば、それは友や知己ともなりましょう」

 

 ようやく影から顔を覗かせていた少女がおずおずと出てくる。

 

 年頃は14くらいだろうか。

 

 だが、年齢よりも何処か幼い様子なのは甘やかされたせいかもしれない。

 

 華美でこそないが、それにしても蒼いドレスは南部らしく汗を掻かせない薄い造りになっていて、風通しの良さそうな素材で出来たワンピースタイプだった。

 

 ただ、そのドレスの刺繍の細かさは極まっており。

 

 職人が何年も掛けたような秀作であった。

 

 それを着こなす少女は南部人らしい飴色の小麦色の肌に蒼い瞳。

 

 幼児体系と言えば、聞こえは悪いが……何処か猫を思わせる切れ長の瞳と愛嬌のある仕草や表情は何かアニメ張りに見える。

 

「そちがフィティシラ・アルローゼン……北の新興帝国の姫かえ?」

 

 少女がススッと出てくる。

 

 その様子に周囲の貴族達は何処かホッとした様子だった。

 

 宰相らしい男が椅子の隣で直立不動でこの成り行きを見守っていたが、何も言わずにジッとしていた背後の手は汗で湿っている。

 

 何処か想像の中の孔明染みた軍師にも見えるのは40代くらいなのに若作りでゆったりとした法衣の類を着込んで余裕顔を作っているからか。

 

 南部の宗教家が着るものの中でも最上位のソレは何処か中華風っぽかった。

 

「ええ、わたくしはアバンステア帝国大公の孫娘をしております。帝位継承権第二位となる大公姫フィティシラ・アルローゼンと申します」

 

 軍師が少しだけ羽扇っぽい昆虫の羽を張り合わせたような扇で口元を隠しながら、少女に耳打ちする。

 

「さ、さようか。ならば、こちらも名乗ろう。我が名はザルデアス皇国の皇位を継し43代目皇帝エンカ・ティル・ザナ・ザルデアスである」

 

「これから末永くよろしくお願い致します。陛下」

 

 頭を下げる。

 

「そ、そうか。く、くるしゅ……あ、頭を上げよ!? 我らはこの場では対等のはず!?」

 

「そうですか。では、対等の身分という事で今後はお話致しましょう」

 

 こちらの言葉で横の孔明が明らかに悪手を踏んだ主の事をチラリと見たが、内心はおくびにも出さずにシレッとした顔でいた。

 

 まぁ、それも含めて演技の類なのだろうが。

 

「それでお話があるとの事で竜騎兵の方々に船を先導して貰ったのですが、どのような御用件でしょうか? 実は大陸南部に用があって通りかかっただけなのですが」

 

「そちらについての話し合いはこちらで致しましょう。未だ陛下は勉学に邁進なされている身。難しい政治の話は聞くのみに留めて頂いておりますので」

 

「う、うむ。後は任せるぞ。イグナイル」

 

 孔明の言葉に背後の椅子に座って聞く姿勢になったエンカ皇帝である。

 

 その意気込みは買いたいのだが、椅子に座った途端に何かドッと疲れた様子になったので緊張感が解けてからの様子は何だか年相応よりも低い年齢の子供そのものである。

 

「ああ、そちらが北部皇国の立役者イグナイル・ケレス閣下でしたか。ご挨拶が遅れました」

 

「いえいえ、こちらとて陛下が失礼を……見て頂ければ分かる通り、まだ御勉学の途中でして……皇帝としては未だ道半ばなのです」

 

「では、御用件の向きに関しては閣下との話し合いという事でよろしいのでしょうか?」

 

「はい。それでさっそくで申し訳ないのですが、この怪しげな書物に付いて御知りではありませんか?」

 

 パラリと北部皇国の主要な貴族連中にばら撒いた皇国の後ろ暗い事全集が出される。

 

 製本した薄い小冊子である。

 

「ああ、はい。それはウチの国の報道機関が作っていたものですが、どうやら一部紛失したとの報告がありまして。そうですか……北部皇国に流れ着いていたのですね」

 

「報道、機関?」

 

「ええ、実は民間で様々な情報を取り扱う事を許可し、それを民衆に売るお仕事を近頃新しい税収の柱の一つとして据え始めたのですが、他国の醜聞にも敏感でして。面白可笑しく不実なまったく噂程度の事でも真実のように広めてしまうので困っていたところなのです」

 

「そうでしたか……」

 

 この大陸では報道機関というものはほぼ存在しない。

 

 理由は単純であり、情報を大々的に民衆に売買する習慣が無く。

 

 そういった方法論で稼ごうというのは一部のアングラな連中ばかりだからだ。

 

 ちなみに帝国報道機関の胴元は勿論自分である。

 

「大衆文化の創造というのも儘ならないものですね」

 

「では、これは何かの悪質な悪戯で貴国から持ち出されて、誰かが周辺国の外交官やあちらの国の高官にばら撒こうとしている、と」

 

「そうなのですか? ですが、こんな荒唐無稽な話。誰も信じはしないでしょう」

 

 受け取った冊子をパラパラと捲る。

 

「例えば、北部皇国軍が相手側に協力した国民の一部を女子供まで虐殺したり」

 

 そこで微妙に少女の顔が青くなる。

 

「例えば、戦争中に出た北部皇国軍側の兵士の遺族に遺族年金を支払えないからと死ぬような歳になるまで払わない事を後から成立させた法律で強行し、民間には前々から言ってた事だ。みたいな騙し討ちをしたり」

 

 やはり、少女の顔が青くなる。

 

「例えば、北部皇国の継承戦争時の神輿である皇帝陛下がバイツネードに攫われた挙句に暗殺されていて、今の陛下は替え玉。とても良く似ていた腹違いの前皇帝の妾腹の子と取り換え、侍従を皇帝陛下と騙っているなんて。まったく、馬鹿げた話です。そんな事があるわけないではありませんか。単なる噂や粗野な者達が愉しむ馬鹿話ですよ。ええ」

 

 少女の顔が絶賛深海染みて蒼くなる。

 

 まぁ、表情を読める人間には読める程度の心理だが、心音までは無理なので自分くらいなのだろう。

 

 真実が真実らしいと分かるのは。

 

「ええ、本当にその通りだ。他にも北部皇国軍のまったく根も葉もないデタラメが書き込まれているコレはとんでもない品だと言わざるを得ない」

 

「そうですか。では、処分はお任せ致します。何分、盗品ですのでわざわざ持って帰るというのも……」

 

「……本国ではこれらの書物が大量に存在しておられるのでしょうか? 姫殿下」

 

「はい。帝国のこういった噂が好きな者達もいるので。それを相手に商売をする者達も今は大勢おります」

 

「さすがに我が国のこのようなまったく根も葉もない悪評の噂を立てられるのはこちらとしては目に余るものがあるのですが」

 

「貴族が気にする程の事ではないのでは? それを言うなら、我が国の帝国陸軍の悪評の方がよっぽどに諸外国では大きいですとも」

 

 孔明の顔色がさすがに硬くなる。

 

「ですが、今の我が国にはこのような無智蒙昧な噂であっても痛手となる事が多いのです」

 

「つまり、それはお願いの類でしょうか?」

 

「……有体に言えば」

 

 渋い口元を羽扇内に隠した孔明=イグナイルである。

 

「ですが、民間の国内では問題になっていないものを処分させるというのであれば、かなり問題になります。何かしらの取引の形でならば、本国の人々も納得するのでしょうが……」

 

「では、貴国との友好の為にもこちらは最大限の努力を致したい」

 

「そうですか。何と慈悲深い事か。閣下のそのような振る舞いは北部皇国の体面的にも大いに我が帝国の民の心を揺さぶるでしょう」

 

「それでは具体的にはどのような事を致せば良いものでしょうか。何分、貴国の事に付いてはお恥ずかしながら詳しくなく」

 

「ああ、いえ、そうですね。では、幾つかの候補の内の一つからお選び下さい」

 

「選ぶ?」

 

「ええ、一つ目はそうですね。この表に名前のある人物達が貴国の人間であるかどうかの確認を……実は帰りに問い合わせようと思っていたのです」

 

 相手に懐からリストの書類を渡す。

 

「これらの名前は?」

 

「ええ、怪しい動きをする外国人に対しては今現在取り調べをしているのですが、自白して頂いたら、何故か貴国の諜報部門の者だと言い張る不届きな方々がいまして。これらの認否をして頂きたく」

 

「もしも、これらの名簿の者達が我が国の手の者であった場合はどうなされるおつもりで?」

 

「勿論、このような我が国の危機的な政情下では死刑が妥当です。まぁ、認否に付いては他の要件を聞いてからお答えなさるかどうか決められると良いかと」

 

 周辺の貴族の顔色はリストの内容が聞かれた辺りから悪くなっていた。

 

 それもそうだろう。

 

 基本的にこの国の諜報員は貴族の手勢だ。

 

 大量の手下が処分されたら、彼らの下に情報は入らなくなるか遅くなる。

 

 それはこの不安定な北部皇国にとって政情不安や内政の遅延に繋がる病傷となるだろう。

 

「二つ目は貴国の諜報員と言い張る不審者の方々からの情報で解ったものなのですが、どうやら我が国に攻め入ろうとする南部の国々が大陸下には大勢いるという話なのです。これらに貴国が関わりあるのか。その認否に付いて」

 

「成程。貴国にとっては重要な情報ですな」

 

「ええ、貴国のような白のザナ家を筆頭とする改革と民衆の旗頭たる国が我が国を脅かそうとする。なんて、風説にしても酷過ぎますが、一応は民の代理として聞いておかねば方便も立たず……」

 

「まったく、貴国も今は大変なようだ」

 

「はい。中々にして地獄のように仕事が舞い込んでくるもので」

 

「ははは」

 

「ふふふ」

 

 相手の握り込んだ手の汗はマッハで滝になっている。

 

「最後に竜の国にご紹介頂けないでしょうか。実は少し用事がありまして」

 

「それが最後の?」

 

「ええ、全てを為さって頂く程の案件でもありませんし、どれか一つ認否を明らかにするか。もしくはご紹介為さって頂ければ。一筆と紹介で構いません」

 

 孔明が僅かにこちらを羽扇も無しにマジマジと見ていた。

 

「では、最後のにさせて頂きましょうか」

 

「解りました。では、そろそろ船に戻らせて頂きます。船での仕事が残っていますので。後でお届け頂ければ幸いです。明日までは滞在する予定ですので。本日は楽しい時間をありがとうございました。陛下。それと閣下」

 

 頭を下げる。

 

 そして、孔明ではなく。

 

 少女を見やる。

 

「ッ」

 

「これはこのような時間を儲けて頂いた陛下に対する些細な感謝として、なのですが……」

 

 相手の瞳は何処か怯えていた。

 

「そのような椅子に座るより先に砕いてでも売り払って国庫に当てた方が民の未来と国の行く末は明るいものとなるでしょう。何事も民在っての国です」

 

「!?」

 

 周囲の貴族達がどよめきこそ起こさなかったが、それでも不敬極まりない事を言う小娘の様子に慄いた顔となる。

 

「歴史とは物ではなく。国家の礎たる民が語り継ごうと思う物語であり、人が口に昇らせざるを得ない、人の胸を熱くする時代の事を言うのです」

 

「………」

 

 皇帝陛下は微妙に強張っていた顔を呆けたようにこちらに向けていた。

 

「嘗ての先人達の行いが人の胸を打ち。あるいは滾らせていたからこそ、今に語られる英傑達は常に見知らぬ果ての世にも人の規範や目指す目標となって来たのですから……」

 

 カーテシーを決めてからニコリとしておく。

 

 周囲の貴族は唖然としていた。

 

「では、これにて。何れまた会いましょう」

 

 こうして宮殿を後にする。

 

 一言も発しなかった文字通りの猫被りなフェグは眠たげだ。

 

 途中から何て事をーみたいな表情になっていたアディルはようやく此処を出られるとホッとした表情になり、ノイテは呆れ過ぎて溜息も出ないようでジト目だった。

 

 *

 

 怪異が到来したと貴族達が口々にして帰途に付いた宮殿内。

 

 衛兵すらも遠ざけた玉座のある謁見の間で1人の軍師はドッと疲れた内心を癒すように飴を一つ口に入れて持っていた竹製の水筒で流し込んでいた。

 

「イグナイル……?」

 

「ああ、陛下。気にしないでください。本当の傑物というのに当てられるにはどうにも根気がいったもので」

 

「大丈夫でしたか?」

 

「大丈夫、とは言い難いでしょうね。あれが帝国の聖女。物の本よりも幼いように見えたが、皮の中身はそこらの大貴族連中より厄介でした」

 

「……バレてましたね」

 

「まぁ、でしょうね」

 

 男が苦笑する。

 

 今では宮殿内で誰も口に昇らせないような皇帝の正体への疑義やら国の問題を全て真っ向から問い質して見せた相手である。

 

 もはや、自力が違うというのは解り切っていた。

 

 彼らとて、一つの戦争を潜り抜けては来ていた。

 

 だが、それにしてもあんなのを前にした事は無かったのだ。

 

「ですが、私はあの人間に直向きに向き合う為政者が一番恐ろしい」

 

「どういう?」

 

「あの怪物は我々の国の事まで気にしてやれる程の余裕と真に畏れるべき資質を持っていた。それも竜の国の使者まで取り込んでいる様子でした。アレは見せ付けていたのでしょう」

 

「……確かに」

 

「恐らく、あの感触から言って貴族の間諜達も助かるでしょう。ですが、命は助かっても同じ仕事にはもう付けないでしょうね」

 

 今一度、溜息が吐かれる。

 

「あの書籍の中に書かれてある事実は本当に我が国の機密そのものだった。それを知らない貴族とて、あの場にはいた。しかし、彼らは知ってしまった。今のこの国の実態を……少しずつ変えて来たとはいえ。それでも我らの手は真っ黒だと再度自覚してしまった」

 

「それって……」

 

「我らは掌の上で遊ばれていたに過ぎない。全て計算の上での所業でしょう。我々の反応を操作しての優位な条件の引き出しや国内の統制に対する牽制と我が国の大貴族達へ自分と敵対した場合にどうなるか。そのような印象操作まで行った。あの手腕は熟練の陰謀家連中も顔を顰めるでしょうな」

 

「そんな事が?」

 

「その上、言い訳が異様に上手い。というより、あれは解説だったのでしょう」

 

「解説?」

 

「要は自分がしに来た事を説明し、それをやらせるだけの理由を我々に与えて反応を見ていたのですよ」

 

「……ディアス家よりも難敵ですか。イグナイル」

 

「間違いなく。あちらはバイツネードがいなければ、自滅寸前の地獄だ。しかし、真に畏れるべきはあちらではなく。先程まで我らの前にいた者でしょう」

 

「フィティシラ・アルローゼン」

 

 少女が今思い出しても明らかに年相応とは言えない怖ろしい程に洗練された姿を思い出して身震いする。

 

 一部の隙も無いというのはああいう相手を言うのだとそれなりの時間を政争の場で過ごして来た彼女には解っていた。

 

「人の心の内は分からない。だが、我らの不備と無能を糾弾し、民草の為に玉座を売れ等と他国の頂点にいる者へ諫言するのはどう見ても行き過ぎた幼稚な行為だ。しかし、あの場では誰もがそれに聞き入っていた。それどころか。それをまるで子供のように受け入れてしまっていた」

 

「っ……」

 

 それは少女にも解る気がした。

 

 その言葉に無礼だと怒る者すらあの場には無かった。

 

 それは少女の放つ気配や空気。

 

 独特の間合い。

 

 そういった明らかに常人とは違う呑まれてしまうような何かを感じたからだ。

 

「いいですか? 陛下……あれが本当に歴史を動かす者達の声であり、姿なのです。彼女は間違いなく後世の歴史家を悩ませる人物となるでしょう」

 

「あれが……」

 

「我々などは同じ時代に産まれたというだけで歴史書の片隅に書かれる瑣事になってしまうのかもしれません……」

 

「演技していたのも見抜かれていたのでしょうか……」

 

「当然、そう見るべきです」

 

「………」

 

「竜の国や大恩あるバルハザト連隊長には悪いが、ああいった人物を今は敵に回したくありません……」

 

「それは確かに……」

 

「ようやく回復して来た国力ですが、噂や吟遊詩人共が謡う非常識なソレが真実だとすれば、戦争となれば、こちらも相当の被害が出るでしょう」

 

「勝てませんか?」

 

「勝てても被害が大き過ぎては意味が無い。例の件は白紙撤回こそしませんが、後方地域としての協力のみに留めてはと具申します」

 

「……全て任せます。あの方はそれでも……我が国が自国への戦争を企てていてさえ、我が国の民の為に怒ってくれたのですね」

 

「さて、それが真実なのかどうか。ああいった者の心情は推し量り兼ねますが、一つだけは事実です。この玉座……きっと、今なら砕いて売っても誰からも文句は出ませんよ。あの口煩い大貴族達からも……」

 

「こんなものを護るより、民の為に売れ。だなんて……」

 

「妹様も仰っていましたね。あんなものに座るより、売って民の為に役立てた方が良いと」

 

「ええ……妹が言っていた事を平然と言う人がいるなんて……おかしいくらいに懐かしかった……」

 

 少女が静かに瞳を俯ける。

 

「もしも、妹様が無事だったならば、きっと面白いヤツだと気に入っておられたでしょう」

 

「……イグナイル」

 

「はい。陛下」

 

「戦後というものがもしも我々にもあるのであれば、それとなく今日の分くらいは我が民の為に怒ってくれた者の為に会議へ口添えしましょう」

 

「よろしいかと。彼の者が生きていようと死んでいようと例の計画は大陸最大、史上稀にみる大戦となるはず。その功罪は在れ。その大戦の英雄や周りの者に助力すれば、我が国の未来にも大いに資する結果となるでしょう」

 

「それにしても……竜の国への案内状。それを得る為だけにこのような事をしたのかと考えると少し腑に落ちませんね」

 

「さて、今の軍団長たる彼は一度会っているとの話でしたが……竜の国が途中から計画を慎重に推し進め始めた理由がようやく分かりました。あちらにもこちらからすぐに手紙を出します」

 

「お願いします。反帝国勢力による一大反抗宣言……どうなる事か……」

 

「南部の馬鹿共が北部同盟諸国と帝国の軍事同盟が結ばれた矢先に北部へバルバロス欲しさに侵攻を掛けたのが響いています。あれの大失敗で殆どの勢力が海軍力よりも空軍力と言った様子で戦力の整備でかなり出遅れました」

 

「ヴァーリという切り札があっても難しいでしょうか?」

 

「我が国は彼らに戦後の立て直しで恩を売った方が今後の国家運営にも硬いはず。竜の国への説明にも後で出向きます。親皇国の何カ国かにはそれとなく今回の計画からの離脱か本腰を入れるのは止めて置いた方が良いと進言を」

 

「ええ、その方向でお願いします」

 

「模索された早期終戦計画がもしかしたら、我々の予期しない状況で終結するかもしれません。何にしろ……これを機だと見て、出兵する国々は悲惨な事になるでしょう」

 

「解りました。それに対する応急策はこちらでやっておきます」

 

「……それにしてもバイツネードの本家当主には会った事があるのですが、あれにも勝るとも劣らない。どれだけのバルバロスの力を取り込んでいるものか」

 

「個人的な戦力も相当であると?」

 

「ええ、生憎と戦ったところを見た者は諜報している者にもおりませんが、その残渣だけは常に壮大であった事だけは確かです」

 

「本当に吟遊詩人が謡うような?」

 

「……最新の情報では敵を屠る為に平地に巨大な窪地を作る程の火を放ったとか。バイツネード本家の刺客と何度も互角に渡り合ったらしいとの話からも、街一つ消し去る力は有ると見るべきでしょう」

 

「大艦隊を単騎で退け、巨大なバルバロスを狩り出し、人々を奇跡の技で救い、見えざる竜騎兵団を用いて禍を払う……御伽噺は卒業したはずなのですがね」

 

 苦笑する少女に肩が竦められた。

 

「真相は闇の中。全てがバルバロスの力だとしても、空飛ぶ船は実在したし、実物は我々の想像の範疇では無かった。これが現実です」

 

「……イグナイル。今日ほどわたくしは皇帝として苦しいと思った事はありません。そして、何処かホッとしている自分に気付きました」

 

「陛下……」

 

 少女が怒れも悲しめもしない様子で顔を歪める。

 

「誰かから糾弾されたかった……きっと、そちらの方が楽だから……何とも浅ましい自分が嫌になります。でも、糾弾されて初めて……本当に初めて……命令を下した時には震えなかった手が……あはは、皇帝失格ですね」

 

 男は少女の小刻みに動きながらも握り締められた手に手を重ねる。

 

「民を救う為に民を殺す。妹はこんなものをずっと背負っていたのに……わたくしは何も知らなかった」

 

「それは貴女のせいではありません。陛下……」

 

「あの子の代わりになると決めたのに……弱いわたくしを笑って下さい」

 

「それは誰もが思う事であり、貴女は正常です。あの怪物にもそんな一面があるといいのですが、我らが敵とするには聊か荷が重いかもしれません」

 

 男と少女はまだ知らない。

 

 帝国と軍事同盟を結んだ北部同盟に自分達の半身が手を出した意味を。

 

 現実の、この状況下で、帝国の聖女が自分の手札を見せて、南部皇国への侵攻が在り得るという事実を相手が気付くかどうか確認していたという事実を。

 

 空飛ぶ船。

 

 その非常識さを彼らは上手く認識出来なかった。

 

 そうして彼らは何も理解しなかった。

 

 後に帝国の歴史を知る者があれば、それがターニングポイントであると。

 

 歴史の分岐点であると知るだろう。

 

 常人にしか過ぎない彼と彼女は用意する事を怠らなかったが、未知を理解する事もしなかった。

 

 南部皇国の運命はその時、確かに一人の人間の手に転がり込んだのである。


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