ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第85話「凱旋Ⅱ」

 

―――7日後。

 

 帝国議会の議場は本日に限り、帝国陸軍と帝国議会の人員で満員御礼。

 

 広い円形の議場の席の合間もキツキツになるくらいには椅子が並べられ、その上には1人も余さず議員と将官クラスが座っている。

 

「………さて、皆さん。定刻となりました」

 

 議場の議長席には祖父が座っており、更にその上の上座には皇帝が笑みを浮かべて片手で頬杖を付いていた。

 

「これより緊急の帝国議会と陸軍の合同会議を始めさせて頂きます」

 

 ざわめく者はない。

 

 だが、帝国各地の属国領からすらも人員を派遣させたので彩りは良い方かもしれない。

 

「今回の会議が開かれる事になった経緯は省きますが、お手元の資料3頁目から目を通して頂ければ、大体の事は把握出来るかと思います」

 

 登壇中のこちらを護るように数名のドラクーンがデモンストレーション的に剣を石製の壇上の端に付いて固めているのは議会内部ですら異様と呼ばれる事だろう。

 

 まぁ、陸軍も帝都守護職も信用が無いと暗に言われている事は誰もが理解していただろうし、実際に自分達にはその力が無いというのは姫殿下暗殺事件の多発で事実となったので何ら議場に兵を持ち込む事は文句を言われなかった。

 

 先日、東部で使った鎧の正式採用版は基本的に合金の性質で黒い。

 

 僅かにチャームポイントとして兜が竜型でマスク口先の膨らみにガスやウィルスを通さない浄化用の薬缶が入っているが、これならスマートに見えるだろう。

 

 ついでにスマートなロボっぽい見た目なので洗練され過ぎて逆に鎧としては異質と人々には見えるかもしれない。

 

「さて、こうして帝国内だと言うのに何度目になるか忘れてしまうくらいに襲撃が発生し続けているわけですが、これは帝国議会や帝国陸軍のせいではありません」

 

 一応、そう言われて胸を撫で下ろせる人間はいないようだが、力の無さを実感しているらしき者達は複数確認出来る。

 

 今日に限っては情報部門の連中も数名が参加している為、針の筵みたいなものだが、頑張って耐えて欲しいものである。

 

「相手が悪い。南部皇国に本拠を置くバルバロスを用いて超常の力を操る者達。バイツネードが相手ではどうにもならない事もあるでしょう」

 

 誰かがゴクリしていた。

 

「名指しでバイツネードのカルネアードと呼ばれる人物から招待を受けた為、わたくしはこれより従来の計画通り……皆様のお手元の資料にあるように反帝国の機運を静める為にも数週間後までには南部皇国へ出立致します」

 

 ザワリとしたのも束の間。

 

 バラバラと手元の資料を誰もが読み始める。

 

「元々、わたくしが今まで行って来た事は多くの場合、現行の帝国の敵を敵役から降ろす為の各種工作でした。ですが、先日から襲撃を掛けて来ているバイツネード本家と呼ばれる者達は現行の帝国陸軍が抱えるバルバロス研究の遥か先にいる。そして、わたくしが研究している各種の成果をも超える力を持つ真の敵と言えるでしょう」

 

 こちらの言葉に資料を見た者達の顔が次々に蒼褪めていく。

 

 今までこちらが非開示にして来た多種類の研究、工作、お知らせする予定だった情報の殆どが載せられたソレは事態の全容を把握するにしても時間が掛かりそうなくらいにぶ厚いが、それでも彼らに納得や疑問を齎すくらいには正確な情報が載せられた現状把握用の代物だ。

 

「バイツネード本家の能力はバルバロスを用いた問答無用の人心掌握や記憶や感情の操作。消える飛竜による諜報活動。人間をバルバロスに移植する生体移植技術。各種のバルバロスの育成、制御、操作による絶大な戦力化、このようなものとして現れます。ちなみに彼は不老不死に近い存在だと自身を明言しておりました」

 

 本気でざわつく陸軍。

 

 だが、その陸軍の最優層連中だけは動じなかった。

 

「わたくしとしては竜の国、また背後にいる例の山岳部の国家。そして、更にそれを支援していると思われる北部皇国、今まで帝国が滅ぼして来た各種の少数民族、帝国を良く思わない国境が程近い周辺諸国、帝国を潰してお零れに預かろうとする野犬国家、これらに関してを仮想敵として敵対活動の解消に動いて来ました」

 

 多くの者達が資料とこちらを視線で行ったり来たりしている。

 

「北部、西部に関しては引き込む事に成功し、帝国東部の平定と東方諸国との経済的な繋がりの構築で大陸下半分以外はほぼ害が無いと断言して良いでしょう」

 

 水を呷る。

 

「南部に関しても南部皇国は北部皇国と相反する関係にあり、彼らの片方を制すれば、おのずともう片方は我々と良好な関係を構築せざるを得なくなる。これは地政学的な問題であり、事実上の宣戦布告に等しい北部同盟への南部皇国の侵攻とバイツネードの跳梁は我が方の大義名分としては十分なものとして機能致します」

 

 親帝国たる北部国家群への事実上の侵攻である。

 

 これらは帝国が動くのにも十分な理由だ。

 

「南部皇国そのものは大した事もありません。南部皇国の親帝国派閥は既に北部同盟内で取り込んでおり、南部皇国への足掛かりとして遠征艦隊も用意しました」

 

 資料を呼んでいた男達がいつの間にか北部で出来ている艦隊の装備一覧と概要を見て、噂には聞いていても顔を引き攣らせていた。

 

「また、南部皇国に直接向かう兵も僅かばかり六千騎程用意しましたが、今回の襲撃でその内の三千を北部、西部、帝国に分散配置する事を決定し、残りの三千で南部皇国を取って来る事になるでしょう」

 

 初めてそこで手が上げられた。

 

 女学院の親友の祖父である陸軍大将である。

 

「どうぞ。陸軍大将閣下」

 

「話の腰を折って済まない。地獄のような現実を前に如何に衰えたりとはいえ、南部皇国の領土は広い。三千の兵で姫殿下は降伏させると言うが、それは現実的には可能なのですかな?」

 

「ええ、可能です。此処にいるドラクーンは竜騎兵としてならば、単騎で全兵装を使えば、3万を殲滅することが可能ですから」

 

「さ、三万……」

 

 さすがに陸軍大将も驚きの事実である。

 

 騒めきが大きく為る。

 

「ああ、あくまで人間の心を捨てたならば、という但し書きが付きます。ただし、それを可能にする兵装はもう既に開発致しました」

 

 頁を捲る音が早まり、戦術兵装の覧辺りで人々の顔が百面相し始める。

 

 戦略兵装までは及ばないが、それに近しい威力を発揮する戦場の支配者を生み出す兵装である。

 

 単騎で戦術核レベルの威力を投射する為の装備はもうあるのだ。

 

「これはあくまで最終手段を彼らに使わせるならという事です。単なる竜騎兵としてならば、竜の国の上位竜騎兵40人分くらいでしょう。単騎で竜無しならば、武装の射撃兵器の数に依存した人数を相手に損耗させられるでしょう」

 

「随分と新たな兵科に熱心なようだが、本当にそんな事が可能なのですか?」

 

「ええ、新兵器及び新兵科は竜を使わずとも空を駆け、単独で一日で新しい単位でならば340km……凡そ馬の数倍を移動出来ます」

 

 明らかに陸軍の人々の顔が引き攣った。

 

「これは総合的な武装の重量でも変動しますが、そもそも大量の兵を行軍させる為に竜に引かせる新手の飛行用の馬車を用意しました……」

 

「数は……」

 

「700程ですが、兵には現地で食料調達させます。武装のみを与えて各地に創った物資集積所を迂回させる事で大陸の端から端まで迅速に1か月もあれば、何処でも展開出来るようにしました」

 

 こちらの言葉で親友の祖父もやろうとしている事を理解したらしい。

 

 顔色が僅かに剣呑になる。

 

「姫殿下。南部皇国を短期間で落とすおつもりで?」

 

「ええ、そもそも短期間にならざるを得ない。南部皇国そのものはかなり追い詰められていますし、こちらが崩壊させるよりも先に崩壊すると事後処理だけで死ねます。バイツネードも本家人員以外が枯渇しているならば、攻め時でしょう」

 

「なるほど……」

 

「十全な戦力で狙うのは南部皇国の首都とその周囲の北部皇国への主戦派で鞍替えしそうにない人間の屑と言ってもいいだろう大貴族、その郎党」

 

「三千の部隊がそのまま敵の私兵を倒して首を獲る、と」

 

「ええ、彼らの派閥の首を123人。既に選出済みです。それと南部皇国の皇帝は生死問わず。バイツネードに関してはわたくしが行きます」

 

「上手く行きますか?」

 

「いかせるのですよ。その為の準備です。わたくしがやって来た事は単純に言えば、常識の更新です」

 

「常識の?」

 

「空を単騎で飛び。高速で移動しながら竜騎兵よりも長く戦える兵士。そして、彼らは装備でそれを為す以上、竜を揃えるよりは楽でしょう。工業力と国力を動員して戦える兵を数年もせずに増やせる」

 

「竜騎兵の育成に対比した場合の利は何処にあるのか訊ねても?」

 

「今言った生産現場と原料さえあれば、量産が利く。そして、竜よりも圧倒的に数の多い兵士を転用出来る。安上りなのですよ。その分、選定が必要となりますが、そこは帝国の人口の多さでどうにでもなる。その上で竜以上の火力を三次元的に投射出来るのです。使わぬ理由がありません」

 

「三次元?」

 

「お手元の資料にもありますが、今後は竜騎兵は切り札として空軍を創設致します。この空軍は陸軍との連携により、物資の運搬、あらゆる空域の制圧による竜騎兵の排除、空からの対地航空支援攻撃、これらをこなす役割となります」

 

「……ふむ」

 

「彼らを撃墜するには空で高速飛翔する相手を追尾する攻撃が必要ですが、それは現状では恐らく例の南部山岳国家及びバルバロスを用いる国家。バイツネードの三者と未知の勢力が持っている程度でしょう」

 

「未知の勢力?」

 

「報告書にもあるようにこの大陸には多くの秘密がある。北部や東部で出会った【黒き裁定者】とバイツネードの首魁が呼んでいた何かは戦った感触から行って人類と大陸を滅ぼせるものでしょう」

 

 ここでざわめきが最高潮になる。

 

「例の死者蘇生の能力を東部の氏族長に持たせたという正体不明の物体ですか?」

 

「ええ、それは人工物でした。そういったものを造れる存在……正しく神のような事が出来る存在が大陸には存在していた。もしくは存在しているのは確定。そう言って構わないでしょう」

 

「ですが、死者の蘇生が出来たとて、世界を滅ぼせますか?」

 

「人間程度なら強大な歩兵戦力で済みます。ですが、これが永遠を生きるような強大なバルバロスの復活なら? もしくはそういうものを生み出せるなら?」

 

「―――なるほど」

 

 ようやく大将閣下も理解出来たらしい。

 

「帝国陸軍が持っているバルバロス研究の機密もその類でしょう。そして、我々も南部皇国のバイツネード達もバルバロスの恩恵を受けた民族という点では似通っている」

 

 初めて話を聞いたであろう帝国陸軍や議員達の大半が分厚い資料を慌てて掴み、索引から目的情報を見付けて読んでいく。

 

 その顔色はもう土気色である

 

「姫殿下。多くの機密を本日、全ての者に開示する理由は?」

 

「もう止めにしませんか? 大将閣下。あらゆる秘密などはいつかバレるものです。そして、世界が破滅する寸前にバレるよりは世界が破滅する前に対策するのに使うのが良いとわたくしは思いますよ」

 

「帝国が滅びるのではなく。世界が破滅すると仰るので?」

 

「人々が信じられないような事が、この帝国には起こっている。その筆頭たるわたくしが断言しましょう。たった一人の個人が世界を滅ぼせてしまうのに世界が滅ぼせないと考えるのはまったく不合理です」

 

「それは……ご自分の事を言っておられるので?」

 

「我が研究機関で開発されている特殊爆薬に関してですが、本当に世界が滅ぼせてしまう事が確定となりました。故にわたくしはわたくしよりも更に深淵を覗く人々が世界なんて滅びると言えば、信じますし、その対策もしましょう」

 

『――――――』

 

 議場に沈黙が降りる。

 

「……貴女の言う事だ。信じましょう。ですが、それを多くの人間に知らせて何としますか?」

 

「わたくしの仕事の代わりをして頂きたいのです」

 

「仕事の?」

 

「世界を護り、救うのですよ。人の心とバルバロスの力と国家の総力で」

 

 あまりにも大言壮語。

 

 その時点でもう皇帝陛下は苦笑を通り越してニヤニヤしていた。

 

「わたくしは自身の安寧の為に戦って来ました。多くの人々を導く家に産まれ、自らの為に動かす事が出来る。その代価としてわたくしは人々の安寧を約束したいと考えた。ですが、それは一つの国では出来ない事でしょう」

 

「確かに……」

 

「では、わたくしの最終目的をお話しましょう。いえ、その資料の最後の頁を見れば、お解りになりますよ」

 

 そして、誰もが恐る恐る最後の頁を見て……呆けたようにその字面を見ていた。

 

「わたくしは世界平和の為に世界を繋げようと考えます。これらは国境や国家に縛られますが、その国家間の繋がりを強制、強要するものであり、同時に大陸全ての国家の意思統一を行う統一政体の発足を以て完了とします」

 

「………ふ、ふふ、ふははは、世界征服と来ましたか」

 

 呵々大笑。

 

 大将閣下は本当に面白そうに笑う。

 

「出来ますか?」

 

 そして、何よりも見定めるようにこちらに瞳を細くした。

 

「秘密を握る者達を全てわたくしの手で叩き潰す事が出来れば、後は消化試合です。現行、世界を滅ぼす兵器は出来ましたが、そんなものが無くても人々は平和を希求している」

 

 誰もが見つめる中で確固として伝えねばならない事を伝える。

 

「後は全ての不合理と不条理を力で砕き。あらゆる政治家と軍人が真っ当でなければ、権力が握れなくなる世界にするだけです。簡単でしょう?」

 

 もう議会には紙を指で捲る音すら聞こえない。

 

「もしも、これが貴女の口からでなければ、誇大妄想であると切って捨てるところですよ。姫殿下……」

 

「ええ、重々承知です」

 

「了解致しました。つまり、我らは仲間を増やして世界に秩序を打ち立てんと戦えばいいのですな?」

 

「ええ、お願い致します。出来れば、陸軍諸氏数百万の命の7割くらいは生き残って頂きたいですね」

 

 その具体的にも聞こえる数値に誰もが慄くと同時に思うだろう。

 

 今、自分達は歴史の中にいるのだと。

 

「これから攻めてくる反帝国の軍団は強力なものとなるでしょう。故に我々が世界を取るか。もしくは帝国が敗北し、その力を失うか。結果はその二択なのです」

 

 もはや、議員も軍人も誰もが沈黙して、こちらを見ていた。

 

「これは人類史に残る。いや、人類史に載る世界最大の戦争となるでしょう。そう……世界大戦です」

 

「世界、大戦……」

 

 その言葉に誰もが汗を流し、唾を呑み込んでいる。

 

「戦いは決して剣だけで行われるのではない。軍事のみならず。経済や外交、他国への工作、そういったものを通して行われるべきであり、それらを半ば大陸の上半分では達成致しました」

 

「確かに……この書類を見れば、一目瞭然ですな」

 

 結論を自分から導き出せる者は多くなかったが、今まで北部や西部、東部でしてきた多くの成果の結実が何であるかは見る者には分かるだろう。

 

 一生懸命、紙を捲っていた不動将閣下などは半分くらい読んで一番最後の頁を見た瞬間には何か昇天したような顔でガクリしていた。

 

「帝国は世界など欲しません。わたくしもまた世界など要りません。けれど、悪意を正し、憎悪を清算し、人々により良い日々を送らせるには不合理で不条理な人々が政治と軍事と経済の分野に多過ぎる」

 

 それは帝国内でもそうだというのは言わずともこの場の人間ならば理解しているはずであり、その事実は改革というものを通して改善されて来ている。

 

「我々の戦いはそれらの人々を歴史から退場させ、真っ当な人々が上に立つのを手伝う事なのですよ」

 

「その基準に貴女は為られる、と?」

 

「逆に問いますが、今この世界でわたくしよりも仕事をして、わたくしよりも優秀で、わたくしよりも世界の全ての国家に詳しく、わたくしよりも合理的に物事を考え、わたくしよりも軍事力と経済力を持っている個人は、実力と結果を併せ持つ者はいるでしょうか?」

 

 そこでようやく堪え切れなくなった様子で緋皇帝が大笑いし始める。

 

「はっはっはっ、お前の負けだ」

 

 その言葉で大将閣下が大きく溜息を吐いた。

 

「皇帝陛下。笑いごとではありませんよ……」

 

「若い芽を潰すよりは賭けてみればいい。生憎と此処は民の意見ではなく。貴族と軍人の意見を通す場だ。意味は解るな?」

 

「はっ………了解致しました。大公閣下……よろしいのですな?」

 

「孫娘の細やかな願いを叶えぬ祖父などいるはずもない」

 

 その言葉で軍人も貴族も等しく蒼褪めた顔で天を仰ぐ。

 

「大丈夫ですよ。皆様……これは分の悪い賭けではありません。上手に負け戦をするだけの簡単なお仕事です。連戦連勝をしてきた帝国が本当の勝利と小さな敗北と真なる平和を勝ち取る為の……」

 

 やれやれと言いたげに皇帝が肩を竦める。

 

「故に死ぬのならば、敵の刃ではなく。仕事のし過ぎで死んで頂きたい。此処にいる誰もがわたくしの100分の1も仕事をすれば、帝国は滅びず、世界は一つとなり、人々は大いに次なる戦争までの長い長い平和を享受するでしょう」

 

 こうして最後の頁に書かれていた計画はようやく実行に移される。

 

【世界統合大綱】

 

「勿論、わたくしは貴方達を仕事のし過ぎで死なないようにお手伝い致します。各種薬物による強化。また、わたくしの能力による肉体の賦活。規則正しい生活と集中力の確保。仕事の効率化。諸々はお約束します。簡単に死ねるとは思わないで下さい」

 

「……まったく、老体には堪えそうだ」

 

 諦めの境地となったらしい陸軍大将が大きく肩を落とす。

 

「ええ、ですが、何事も一仕事を終えた後の一杯は格別だと思いますよ。それが世界を平和にした後なら、尚更、ね?」

 

 ニコリとしておく。

 

 それに議場の誰もが絶望的な戦いの始りを感じて立ち上がり、敬礼する事で何とか自分を保つ事になった。

 

「その資料に貴方達の為すべき指針は全て書かれている。後は備えるだけ……我が名と御爺様の名を以て戦時特例条項を発令致します」

 

 それは未だ戦争になっていない時に発動された事の無い代物だ。

 

 簡単に言えば、悪法レベルの国家総動員法に近い。

 

「これより帝国は戦時体制を整える為、全ての国力を富国強兵と備えの為の軍民の演習、避難訓練、経済活動の躍進政策、戦時下での耐久戦略の要となる体制作りに注力し、今後来る戦いに耐え抜く為の各種の法令整備と高度教育を推し進めます」

 

 今までのものとは違う。

 

 完全に戦闘に巻き込まれる事を前提とした民間人への協力要請。

 

 その具体策は国民を国民の手で護り、軍の後方を盤石にし、あらゆる戦いに耐久する為の各種の施策の集合だ。

 

「さぁ、始めましょうか。フィティシラ・アルローゼン一世一代の大仕事を……」

 

 ゴクリする人々にカーテシーを決めて、微笑み掛ける。

 

 それに大将閣下もさすがに額へ汗を浮かべるのだった。

 

 *

 

―――まずは人間のクズの掃除から。

 

 帝国内に敷いた情報網から入って来る悪党の類を数万名。

 

 リストアップした片っ端から法令に従って厳正に裁判で当たり前の死刑もしくは再起不能にする事から始めた。

 

 被害者名簿を作成し、被害者団体を組織して、その上で犯罪被害者の救済基金と救済団体を国の機関として設立。

 

 国民に周知徹底した上で迅速化した裁判にそれらの人間を完全に裁けるだけの自供と自白をグアグリスで強要し、冤罪0の完全無欠に真っ白な証拠と調書を作成。

 

 弁護人もしっかり付けて3日で結審する安全安心な上に国民からも信頼される裁判制度を確立して1週間。

 

 極めて人道的と中世では言われていたギロチンを被害者への限定公開で被害者当人にボタンならぬレバーを引くか選べる刑場まで作った。

 

『犯罪被害者の方にはしっかりとした保障を』

 

『ああ、そちらは例の部署から心理評価査定が出ています』

 

『偽装被害者は全て弾くように法規と規則は組んでいますから、安心して被害者救済は積極的に……』

 

『そちらの資料、法務に回しておいて下さ~い』

 

『例の方達からの心理診断所見書類届いてますよ~』

 

 結審後速やかに即日行われる刑執行。

 

 被害者の悲劇を強調し、被害者を決して国と司法制度は見捨てないというプロバガンダを展開。

 

 情に熱い裁判官さん達を登用して、今後もグアグリス無しでは裁判期間こそ10倍以上になるが、それでも迅速に徹底して調べられ、争われる法廷を生み出した。

 

 グアグリスによる自白と自供を強要する能力はかなり高いので罪人の類からはこれで数千倍は早く情報が取れる。

 

 その為、数日に1回の一斉診療で国家の檻に入っていた連中は無罪、有罪、死刑がしっかり別れ、同時に同じ能力でも持っていなければ偽装のしようもない程簡単に明暗が分かれた。

 

『オレはやってねぇ!? オレはや―――すいませんやりました。オレが殺しました。凶器は鉈で自宅に隠してあります。場所は戸棚の下の地面で床を外すと出てくるよ―――』

 

『オレはやってねぇ!? オレはやってないぞ!? やって……ません。ただ、ちょっとだけ、偽装を手伝っただけだから、刑は軽くなると信じている!!』

 

『いや、有罪なんだよなぁ……(近頃忙しい調書を獲る官憲の溜息)』

 

『や、やったぁあああああああ!!? 無実、無実が証明されたぞおおおおおおお!!? おお!? この六年長かった!!! 帝国の聖女に幸あれぇえええええええ!!!』

 

 まぁ、国民にとっての犯罪抑止としてはこれでいいし、国家情勢を不安定化させる犯罪者の類は牢屋で臭い飯どころか国家の食糧計画と人体実験の被検体として美味しく命掛けな料理を食べて生きて行ってくれるだろう。

 

 その他の情状酌量の余地がある者以外は人間の心にすら働き掛けられるようになったグアグリスとバイツネード本家の力の一端、副棟梁のバルバロスの能力で良心を極端に増幅して、死ぬより苦しい己の心に圧し潰されても廃人になれない生き地獄を味わってもらう事になった。

 

 特に人を不幸にしまくりそうな犯罪に加担した者達はもはや犯罪など犯す事すら出来ない……どころか。

 

 他人と社会に奉仕しなければ、己の心に殺され続ける事になったので問題行動はもう起こさないだろう。

 

「………姫殿下。やり過ぎです」

 

 頭を抱えるのは不動将閣下ばかりである。

 

 理由は単純だ。

 

「何がです?」

 

 本日は帝国議会のある付近に立てられている裁判所内である。

 

「不良軍人が大量に犯罪者として誘拐もとい検挙されたのですが?」

 

「ええ、新型の治安維持用装備に身を固めた国民が目をキラキラさせてしまうような正義感の強い方々から選抜した官憲に捕まりましたね」

 

「……連中の家族や親族が不満そうですが?」

 

「彼らの罪はちゃんと重さに従って裁かれます。弁護人も付きます。後、彼らをそのように育てた者達などにも国家基盤を作る職から排除。徹底的な改革と弾圧とグゥの音も出ない正論で叩き潰します。勿論、ちゃんと納税して普通に生きていくには問題ありませんが?」

 

「……新型装備更新の為ですか?」

 

「ええ、馬鹿に刃物は渡せない。犯罪者予備軍にも、ね? 後、明らかに人格的に人を傷付ける者達には公の舞台から退場して頂く。彼らにはまだ裁く程ではないにしても簡単に捕まえられる程度の余罪もありますので、問題行動を起こせば、即座に監獄行きです」

 

「そのぉ……どうやって?」

 

「自白してくれる良い子ばかりで助かります」

 

「なるほど」

 

「ちなみに現行では殆どの罪の追及は無期限で可能になりました。遡及法ではありませんが、罪は永遠に追及される可能性がある事は頭に入れておいて良いかと」

 

「はぁぁ……解りました。清廉潔白、血で汚れていても心理的に優良な方にのみ配備するつもりである旨、大将閣下達に連絡しておきます。ついでに犯罪を犯せば、いつまででも貴女の掌の上で転がされるだろうとも」

 

「どうぞよしなに……」

 

「それで今日は呼び出されたわけですが、此処で何を?」

 

「簡単に言うと今後の軍政改革、経済改革でこちらを良く思わない人々の一番上の人達を一纏めにして呼び付けておきました」

 

「粛清でもなされるおつもりで?」

 

「いいえ、そんな無駄に血が流れる事など致しません。彼らが無駄な抗議や改革の遅滞を戦術的に行えないように新規業務を言い渡す為ですよ」

 

「業務? 何故、此処で?」

 

「場所はわたくしが此処に用があったから、それだけです。他に時間が取れなかったので。ちなみに業務についてですが、市場原理の効いた相場に投げ込みます。これで彼らを公共の福祉の為に追い落とすわけですね」

 

「公共の福祉? 市場原理?」

 

「ええ、彼らが合理的に為れないなら叩き潰されるでしょう。ま、9割以上は調べた限り、普通に詰みですね」

 

「色々と聞きたい単語や説明を求めたい事が多いのですが……」

 

「ああ、そちらはこれらの本をどうぞ」

 

 通路の長椅子の上に座る不動将その配下の方々にカバンに入れた一式の本を全てドッサリと押し付けて置く。

 

 その重さに誰もが汗を浮かべていた。

 

「単純に言えば、厳しい原理の働く世界で儲けて来いという事です。今後、軍の重要な民間からの様々な物資調達は徴発ではなく買い付けになります。他にも様々な商売の形で民間にも国からの補助金で色々とやらせます」

 

「それらの重要部門をそういった者達に任せると?」

 

「ええ、後任も見付けてあります。他の人々にも聖女からの要請で新しい商売をさせて貰えるという事実を無理やり押し付けます」

 

「敢て失敗させる、と?」

 

「いいえ、敢て選択肢を与えるだけです」

 

「選択肢?」

 

「国内の9割以上の商会の掌握は既に終えております。彼らにはこれらの人々と上手く商売をせよという事を呑み込ませますが、彼らの資質、彼らの性格、彼らの資産、彼らの生産性から考えて、絶対に失敗します。彼らが自己を検めない限りは……」

 

「つまり、改革に載れば生き残れるわけですか……」

 

「その可能性が飛躍的に上がりますね。ちなみにわたくしに配慮して延命させる事は無きよう。商売は商売だと厳しく商売相手として当然の商いをして頂くようにと全ての商会のトップには言い置いております」

 

「つまり、聖女の威光も無く。彼らは新しい事をせねばならなくなり、それを失敗する故に零落するわけですか。手厳しいですね」

 

「何も死ねと言っているのではありません。公権力を握るのを止めて一般市民に戻って頂くだけです」

 

「一般市民……」

 

「それが嫌で死ぬ方にまで優しい言葉を掛けていられる程暇ではありません。彼らの失敗から後任の方々も学ばれるでしょうし、来期以降はこれらの商売も軌道に乗るでしょう」

 

「恐ろしい方だ……」

 

「一番恐ろしいのは無能な働き者や有能な犯罪者。怠惰で変わろうとしない味方、悪意ある狂人に悪意なき狂人というだけですよ」

 

「地味に多いですね……」

 

「彼らから権力を剥ぎ取り、正しく持てる者に付け替えて、その上で彼らに自分の身の丈に合った人生を送らせる。その相手の感情を全て合法的に諦めさせるのです。例え、戦争に敗北してすら、彼らはもう同じモノを握ろうとはしないでしょう。わたくしが整備した法規、わたくしが整備した常識、わたくしが整備した社会がそうはさせません」

 

「理不尽な程に強力ですね……並みの権力者には出来なさそうな芸当だ」

 

「不合理や不条理の是正をさせる事の一体何処に恐ろしさや芸があるものやら」

 

 肩を竦めておく。

 

「……それを一般的には独裁と言うのですよ。姫殿下」

 

「独裁者なら死刑にしろの一言で足りますよ?」

 

「回りくど過ぎて誰にも理解されないだけなのでは?」

 

「それなら大歓迎です。理解されなければ、負ける事もありませんしね。ちなみに彼らの出す軍や補助金の損害は結局、国民に還元され、税金で戻ってきますから、大局的には問題となりません。軍の不名誉が一つ増えるだけです」

 

「……はぁぁ、分かりました。つまり、我らに彼らの手綱を引けと」

 

「一応の身元引受人みたいなものです。そちらに迷惑は掛けさせません」

 

「処理が完了したら降りても?」

 

「来期以降の実績で名声くらいは上がりますから、しばらくお願いします」

 

「期待しておきましょう。それまで延々と書類地獄でしょうが……」

 

「では、よろしくお願い致します。わたくしはこれから国の未来を担う者達の下に向かわねばならないので……引き受けて下さり感謝致します。不動将閣下」

 

「後はやっておきます。どうぞ、存分にお働きを……」

 

 頭を下げるおっさんは呼び出された理由もちゃんと呑み込んでくれる優良人材筆頭の1人である。

 

 後で何か仕事に必要な贈り物でもしようと思いつつ、次の現場に向かう事にするのだった。

 

『あれが姫殿下ですか。初めてお傍で見ましたが……その……圧がスゴイ方なのですね』

 

『何と言うか。全てを見透かした上で動かれているのですね。あの方は……』

 

『それにしても、このカバン……本が大量に……』

 

『諸君。これから君達の仕事にそれの暗記と考え方を取り入れる事になる。よくよく勉強しておけ。人数分同じ本があるようだしな』

 

『閣下……これは一体……』

 

『あの方が執筆したものだろう。今、各学会、各部門、各分野の為にあの方が執筆している本は【聖女の教書】と呼ばれて一番上に立つ人々の愛読書になりつつある。その知識量、その発想、どれを取っても現状、世界最高の知識だと各分野の者達が絶賛する代物だ』

 

『もはや敵無しですか……』

 

『国内の地盤固めは殆ど出来ていた。その上で更に不安要素を徹底的に取り除くおつもりだろう。それが今後の戦争、戦後に備えての準備、なのだろうさ』

 

『敵いませんな……そう言えば、ドラクーンの三千騎が約千の隊に別れて、ようやく分散配備されたとの事。残りは国外の工作と最前線から先の国々で例の傭兵稼業に従事しながら情報収集中だそうです』

 

『その内の帝国本土守備の遊撃隊に組み込まれた部隊は閣下の指揮下に入る事になっていましたが、国土のあちこちに分散している為、直接指揮下に出来るのは400人程のようです』

 

『彼らがどれだけの力を手に入れたものか。楽しみにしておこう。何事も報告書や文書からでは分からんしな』

 

 裁判所を後にして国内の法規と治安維持の準備は終了。

 

 此処からは福祉の改善に当てる時間にする。

 

 国内最後の心配事に向けて脳裏で必要な手順を組み立て始める事にした。

 


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