ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第83話「人の來る道と征く道と」

 

―――戦争終結8日後。

 

「………では、それでよろしいか? イオナス殿」

 

 時間の掛る返答。

 

 しかし、集まっていた大人達を前にして少女は頷いていた。

 

 天幕から出て行く者達とは入れ替わりに少女の傍にはお傍付きの女性達がやって来て、代わる代わる看病を始める。

 

 寝台に横たわりながら、少女は目覚めて4日目の朝に自分の敗北を理解していた。

 

「結局、何も残らないのか……」

 

 少女がそうポツリ呟く。

 

「気は済まれましたかな。イオナス様」

 

「ばあや……」

 

 少女は天幕の外からやってくる自分の唯一の保護者に顔を俯けて横に逸らした。

 

「このままならば、後7日程で動けるようになるだろうとの事。医者の見立てでは痕も残らないだろうと……」

 

「屈辱だ」

 

「ふふ、強がりは言えるようになりましたか」

 

 少しだけ少女は頬を膨らませる。

 

「……ばあや。私は負けたのだな」

 

 少女は膨れるのも止めて何かがポッカリと抜け落ちた様子で天井を見上げる。

 

「ええ」

 

「今、他の氏族と残ったアイアリアの総意として、降伏が調印される事が決まった」

 

「ええ」

 

「……頑張ったけど、ダメだった……お父様達を生き返らせられなかった……みんなを護れなかった……」

 

「ええ」

 

 少女の瞳には堪え切れない程に涙が浮かぶ。

 

 それでも最後の矜持か零されないソレが腕で押し潰され無かった事にされる。

 

「ねぇ、教えてよ。ばあや……あいつはどうして……」

 

 少女はその先の言葉を続けられずに俯く。

 

「単純な事でございますよ」

 

「たんじゅん?」

 

 少女は涙を瞳の端に湛えて訊ねる。

 

「イオナス様は頭が弱うございます」

 

「え、あ、あ、あた、ま?」

 

 思わぬ言葉を前に少女が狼狽えた。

 

「ええ、言いたい事は数あれど、5つだけ上げましょうか」

 

「多いよ……」

 

「これでも随分と減らしましたが?」

 

「………聞く」

 

「よろしゅうございます。まず一つ目」

 

 少女は寝台横の椅子に座る老婆に視線を向ける。

 

「死人を蘇らせるよりも、氏族の者達は未来を見たかったのですよ。取り戻せないものよりも、新しい何かを求めていた」

 

「………そっか」

 

「はい……」

 

 素直に受け取れるようにはまだなれない。

 

 しかし、少女は初めて氏族達の心を代弁してくれているのだろう相手の言葉が胸の奥にストンと落ちた。

 

「二つ目は?」

 

「この地にある物は全てあの方が用意したものであるという事です」

 

「っ」

 

 その言葉で自分の寝る寝台を少女が意識する。

 

 今、下半身が少しずつ再生している自分を柔らかく受け止めているのは少女が用意したものではない。

 

 食べるもの。

 

 住む場所。

 

 着るものすらも今は帝国から供与されていた。

 

 それは受け入れ難い事だったが、現実問題であり、生活が立ち行かなくなっていた氏族達にとって久方ぶりの物資的な充足による安堵に繋がっている。

 

 その声は例え嘗ての憎悪が消えずとも決して小さいものではない。

 

「三つ目は魅力不足にございます」

 

「魅力……」

 

「女としての、ではございません。指導者としての、です」

 

「………」

 

 ばあやは言葉を噛み締める少女に辛辣な現実を続ける。

 

 それは少女が一番よく分かっている事に違いないからだ。

 

「四つ目は現実的に未来を思い描けなかった想像力不足でしょうか」

 

「未来を、思い描く?」

 

「ええ、皆が生き返った世界。それを望む者とておりましたでしょう。でも、それよりも具体的にどう生きていくのか。その具体案がイオナス様にはお有りでは無かった。生き返らせた者達が勝手にしてくれると思っていた節があるのでは?」

 

「ッ―――そ、れは……」

 

 少女は知っている。

 

 初めて生き返った者を最初歓迎した人々が今はまだ話せないだけだと言う死人達を見て泣いていた事。

 

 それが決して嬉しさだけでは無かったという事実。

 

 それを見なかった事にした彼女にしてみれば、いつか元に戻るからと自らに言い聞かせながら、最後には全て上手く行くに違いないとそう思っていた。

 

 そう思うしかなかった。

 

 例え、それが楽観的以上に単なる妄想の類であった事を認めたくは無かった。

 

 だが、敗北した時に見た光景は忘れられない。

 

 まだ残っていた多くの人形達が蘇った竜達と共に未だ焼ける炎の壁の近くでドロドロに溶けて朽ちていく光景。

 

 それは絶望よりも尚暗い彼女の罪に違いなく。

 

「最後の五つ目は真に敗北した事です」

 

「……負けたんだ……私……」

 

「ええ、負けました。完全無欠に……勝てたところが一つしかありません」

 

「ばあや。辛辣……」

 

 それは森で朽ちて行った者達への弔い。

 

 その戦いを最後まで遂行した事。

 

 だが、それだけでしかない。

 

「可愛い、愛しい者が敗北して、負けて尚此処にいるのです……どうして辛辣に言わずにいられましょうか。次が無いかと心配せずにいられましょうか……」

 

 少女が俯けた顔を上げる。

 

 そこには穏やかに瞳に涙を溜めた笑顔があった。

 

「ばあや……」

 

「良かった。本当に……このばあやより先にあちらへ征こうと言うのなら、この歯で齧り付いてでも止める気でしたが……」

 

「あはは……痛そう」

 

 その言葉に少女の額がツンと指で突かれる。

 

「あぅ……」

 

「……イオナス様。ようやくあの頃のお顔に戻られましたね」

 

「っ、そう……なのかな」

 

「ええ、ばあやの知るいつもの顔にございます」

 

「………ねぇ、ばあや」

 

「はい」

 

「あいつ……あの女は?」

 

「先程、他の氏族の長達と歩いているところを見ました」

 

「胴体、縦に割ったんだけどな……」

 

「本当のところは分かりません。でも、一つだけは確かでしょう」

 

「一つ?」

 

「命を懸けて、イオナス様をあの方は救おうとした」

 

「っっ、そんな事……」

 

「貴女が立ち向かわねばならなかったもののほぼ全てをあの方は今も引き受けて下さっている……例え、憎悪の火は消えねど、我らはその事に感謝せねばならない」

 

「―――私が負けたから?」

 

「はい」

 

「……不合理と不条理と悲しみと痛みと、か」

 

「それは?」

 

「私が戦わなきゃならないものだって……はは、あいつ凄過ぎるよ。どうして、そんなものを相手に戦ってられるの……勝ち続けられるの……」

 

 少女は身を縮めて拳を握る。

 

 無くなったはずの拳を。

 

 それが出来るのはやはり生えて成長して元に戻されたからだ。

 

「……もうご自分でもお分かりでしょう?」

 

 少女は無言のまま天井を見上げる。

 

 そして、長い沈黙の後。

 

「ぅん」

 

 そう一言呟いた。

 

「さて、そろそろお暇します。また来ますので好き嫌いをせず。何でも食べる事……そして、敗北を噛み締めるのです」

 

 少女とて解っている。

 

 負けて命を取られていないだけで奇跡。

 

 負けて大切な者と語らえる事こそ奇跡。

 

 負けて食事に困窮していない事こそ奇跡。

 

 負けて尚、この大地に生きられる事が奇跡。

 

 森の掟はそう甘くない。

 

 そして、もうこの森では嘗ての森の掟も通用しないのだろうと。

 

「イオナス様……どうか次はお勝ち下さい。それがどんな類のものであれ、争いよりもまた氏族の者達を護り、喜ばせ、導く事で……」

 

 少女はそうして初めて敗北の味を知った。

 

 苦く苦く。

 

 命すら取られない責め苦。

 

 その苦く甘く狂おしい程に絶望するに足る相手との力量差。

 

 須らく、彼女はそれが人を導く道の始りだと理解し、脳裏に思い浮かべた顔に約束だけはしようと誓う。

 

 あの優し気な顔を敗北で歪めさせるまで戦いは終わらない。

 

 それが戦争でなくても。

 

 少女の敗北の物語と新たな時代の幕開けはこうして森の最中に来るのだった。

 

 *

 

―――帝都南区画ディアボロ4号店内。

 

「その者、身を投げ出して敗者を救い、自らを炎の中に投げ込まん。されど、嘆くなかれ。聖女の輩、その身を竜に変じて空を駆け、白金の乙女と共に炎の壁を越え腕を取らん……今や痛みに沈む者も久しからず起き上がろう……」

 

 シィンと酒場の中が静まり返った後。

 

 弦楽で引き語られた物語は伝説となる。

 

 それはまるで英雄譚。

 

 いや、英雄よりもまた尚、この帝国においては語り継がれるだろう。

 

 憎悪と死の森で百万を超える軍勢を前に1人で立ち。

 

 亡者の群れを雷で穿ち、炎に還して、全ての者達を救おうと戦った。

 

 それは1人の聖女の物語。

 

 1人の英雄の物語。

 

 しかし、誰もが理解しているのだ。

 

 それはきっと尊くも我が身を削って誰かの為に在ろうとする。

 

 そんな一人の少女の物語。

 

 だから、誰もが涙を浮かべ、時には流す。

 

 病や怪我に人生を終えるはずだった者達。

 

 もう生きていても死んだように絶望だけを見ているはずだった者達。

 

 ありふれた人生の嘆きと痛みに寄り添われた誰もが。

 

 彼らは知っている。

 

 その身を削る奇跡を起こす者の名を。

 

 そして、だからこそ、その荒唐無稽の物語でしかない吟遊詩人すら泣いている話の結末に胸へ手を当て祈るのだ。

 

 たった一人の少女の安寧を。

 

 それを人は信仰と言うかもしれない。

 

 けれど、そんなものでは説明が付かない程に大勢が最後には静まり返った酒場から夜風に吹かれて掃けていく。

 

 酒に潰れていたはずの者達さえも涙を流して寝入っている。

 

 それは人々が共有する幻想。

 

 同時にまた帝国を包む空気そのものであった。

 

「閣下。また此処でしたか」

 

「いや、諸君。今日もご苦労」

 

「生憎と東部での活動関連の報告書と決裁書だけでまだ4日分終わっていません」

 

 襤褸の外套を羽織ったおっさんが1人。

 

 部下達に囲まれていた。

 

「解った。今日はこの辺で切り上げよう」

 

 取り敢えず、最新の報告書を呼んで顔色が百色くらいになりそうだった彼。

 

 不動将と呼ばれる男はいつもの私的な傭兵スタイルで外に出る。

 

 今や暗がりの最中に街をポツポツと彩るものがある。

 

 その明かりは電球と言うらしい。

 

 街のあちこちにある水路に錆び難い合金製の薄い羽根を持つ小型や中型の水車を複数設置し、そこから得た動力で明るくしているのだ。

 

 という話だったが、彼にしてみれば、夜の帝都が明るいのは月明かり以外では違和感しかなかった。

 

 まったく、幻想でも見せられているかのような。

 

 夜中に配慮した静穏馬車が呼ばれており、全員で乗り込む。

 

 4頭立ての大型馬車であるが、彼らを載せて走る様は何処か夜中の怪物。

 

 その中にいる彼らは正しくバルバロスか化け物かという類にも思えて。

 

 苦笑するしかない。

 

「閣下?」

 

「ああ、いや、済まない。随分と帝都の夜も変わったとな」

 

 帝都の夜。

 

 煌々と光るものが街のあちこちには置かれている。

 

 それは細い鉄の棒の上に硝子細工が括り付けられた代物が立ち並ぶ風景だった。

 

「それは間違いなく。まだ試験的な街灯政策ですが、動力さえあれば、夜間にも永続的に明るく出来るというのは優れものです」

 

「窃盗を生業にする者の殆ども困っているようだと」

 

「聖女の街灯を壊してはどんな罰があるか分からない。しかし、聖女の街灯があっては忍び込む事が出来ない、とか」

 

「いやいや、本当に……姫殿下とその部下の方達には驚かされてばかりだ」

 

「そうだな。諸君……だが、本当に何でもご自分でやろうとされて、こちらの胃は持たんよ」

 

「……あの爆薬というのでしたか? 巨大な熱と衝撃を出す代物を本格的に戦闘で実戦投入……数十万の兵を焼き尽くし、天候を操り、雨と雷を降らせる。遂には空まで飛んで敵将を討ち取る事すらせずに救って見せる……」

 

「何が真実で何が虚偽なのか」

 

 部下の男達が心労に息を吐く。

 

「解っているだろう。全部真実だ。全て報告書が上がって来ている。例の鎧の試作品をご自分の力で改良したとの話。帝都から運び込ませた例の特殊爆薬。爆薬を用いた巨大な熱源と雷を産む超重元素を用いた天候操作と雷雲の発生……」

 

「はは……これが人の手によるものだと言うのが恐ろしいですな」

 

 もはや言葉も無い様子で男達は肩を竦める。

 

「諸君。時代が変化したのだ。最初にその変化に適応しなければ、帝国は時代に呑まれて消える運命だ。解るな?」

 

「は……胸に刻んでおきます」

 

「ドラクーンの本格始動まで、もう時間が無い。竜騎兵他、諸兵科連合による神速の行軍と新たな兵装による新戦術、新戦略。山ほど我らの詰める仕事はある」

 

「その途中に息抜きに来た方を連れ戻しに来たのですが?」

 

「はは、それは言いっこ無しだ。我らはこれより南部皇国に侵攻する。その大戦略は全て諸君らの仕事に掛っている。次こそはあの方に付いて行って戦場の肥やしとなるぞ」

 

「そこはお助けになるの間違いでは?」

 

「今回の事でハッキリとした。あの方は優し過ぎる。そして、それ故にいつか本当にあの力を持っていてすら命を落とさんとする時が来る。その時、その場所であの方の大切にする者の代わりに我らが命を張るのだ」

 

「……それが帝国の未来を掴む事に繋がるのですね。閣下」

 

 不動将と呼ばれて尚飄々とした立ち振る舞いで変わり者と言われる男は頷く。

 

「ああ、帝国の誰があの方の為に働き命を落とす事に否があろうか。我らの戦友数百万諸氏に否があろうか。死んだはずの命。生まれ変わらせた奇跡。人生に自らケリを付けねばならぬ程の大病と怪我を負って苦しみながら、それでも生きねばならなかった同胞達……それは我らにはどうにも出来なかった事だ」

 

 男達が沈黙する。

 

 その拳は握られていた。

 

「どんな事があっても、あの方を護るのだ。命を張らねばならない我らがあの方の戦場では無力だとしても、何もせずに指を咥えて見ている事など出来ようか」

 

「勿論出来るわけがありません!!」

 

「ああ!! 頂いた命の!! 多くの親族家族への、御恩を忘れる事など!!」

 

「ならば、諸君。やるぞ……我ら将官がすべきは一つ。死なない程度に死ぬ程働く事である……食事と息抜きはしながらな?」

 

 シニカルに笑む男に敵わないなという顔の部下達は頷く以外無かった。

 

「対帝国の機運も各国で上がり始めたと聞く。これから更に忙しくなるぞ」

 

 男達が同意する。

 

「奥方に着替えを用意出来るだけ用意して貰え。官舎に付いたシャワーや蒸気機関もある。あの方の庇護の下、何不自由無い帝都の我らが戦場のあの方よりも仕事が出来ねば、年齢差だけで笑われるものではないぞ」

 

 こうして部下達に発破を掛けながら、男は空を見つめる。

 

 まだ一つ一つの地上の星は小さい。

 

 しかし、やがては空すらも覆う力が帝都に顕現する事を彼は疑わなかった。

 

 *

 

「はい。あーん」

 

「あーん」

 

 フェグがいつも通りの様子で口を開けたので内部を光源で照らしながら確認する。

 

 ついでに細い触手を口内から入り込ませて、各部位を侵食して確認。

 

 大丈夫なようなので本日の検査を終了とした。

 

「もういいぞ」

 

「はーい」

 

「マーウ」

 

「いや、お前はそもそも猫だろ」

 

 黒猫が座ったフェグの頭部に張り付いていた。

 

 戦闘の集結から一週間。

 

 残された三氏族間と帝国の間で終戦協定が結ばれた。

 

 三氏族はこの焼けた大地を居住地として帝国民として組み入れられる代わりに自治州としての権限を属国領と同じ地位で得る事を条件として降伏。

 

 帝国はこの地域の帰属を帝国の属国領と同じ法において承認。

 

 最終的に帝国内に組み入れられた森の氏族達と帝国領内から来た希望を引き合わせる会談の場は砦の内部となっていた。

 

 会談前の最後の予定を終えたので予定場所に向かう。

 

 そうして数分後には会談場所が歴史の教科書にも載るだろう状況となっていた。

 

「……まさか?」

 

 ウルタイアのアレルカが思わず顔を名状し難いものにしていた。

 

 オーデラニカのシリンも同様だ。

 

 彼らの前にいたのは二十人近い森の氏族達に近しい化粧などをしながらも、何処か雰囲気の違う民族衣装姿の者達。

 

「彼らは我ら側に付いた氏族の者達の一部だ」

 

 そう説明するのはエルトエムだった。

 

 その背後には十数名の少年少女達が何処となく怯えた瞳で2人の氏族長を見ていた。

 

「彼らはまだ分かり合えると思えた氏族の中から帝国が選んだ方々です。氏族の総覧と同じ氏族出身の方の名簿をお渡しします」

 

 それを覗き込んだウルタイア側もオーデラニカ側も驚いた様子になる。

 

「まだ、姉妹達がこんなに……ああ、知っているぞ。この名前……嫁いでからもう会う事は無いかと……」

 

 シリンは特に知った名前が多いのに驚いたようで半ば涙を堪えていた。

 

「どうして、彼らを我々に合わせようと? それに大人達がいないようだが」

 

 アレルカが首を傾げる。

 

「合わす顔が無いからだと言っていました。裏切り者である自分達には子供達のようには行かないと」

 

「それは……」

 

 アレルカが思わずこちらに渋い顔になる。

 

「現在、彼らの人数はその総覧に乗り切らない名簿分だけで45万人程もおります」

 

「な―――どういう事だ!? そんな事まったく知らないぞ!? 極僅かな者達だけがそちら側に付いたのでは無かったのか!?」

 

 アレルカに肩を竦める。

 

 エルトエムが説明を請け負ってくれた。

 

「彼らの多くは現地帝国兵の一部が説得した際にこちら側に付いた者達だ。だが、氏族達の多くは横の繋がりが薄かった事から、帝国はこれらを秘匿し、また森に帰る事をいつか必ずと約束し、秘密協定を担って森から離れた後方地域で集落。いや、複数の街を築いて貰っている」

 

「そんな事が……この三十年、一度たりともそんな話は聞かなかった……」

 

 アレルカの背後には前氏族長が目を見開いており、そんな彼に1人の少女が近寄るとお母さんからですと数枚の手紙を渡す。

 

 それをすぐに開封するように言うとアレルカも横から手紙を覗き込んで愕然とした様子で瞠目していた。

 

「彼らは森の氏族達との戦争が終結した時、己がそれまでの人生で築いて来た資産の全てを森の再建の為に寄付する契約で帝国内において数多くの職に就きました。彼らの30年はこの時の為に在った。帝国ではなく。森の同胞にいつか手を差し伸べる為に数多くの文化と氏族達の遺物を収集し、保管し、いつか復活させる為に現在まで数多くの産品の製造法までも受け継いで来たのです」

 

 エルトエムが手紙を渡した少女の手を取ると。

 

 少女が嬉しそうに御父さんと微笑む。

 

「―――そういう、事か」

 

 前氏族長が苦笑にも似て嘆息した。

 

 それは何処か苦しくも穏やかで。

 

「ご紹介が遅れました。娘のラニです。そして、ご報告が23年程遅れましたが、娘さんを娶らせて頂きました。エルトエムと申します」

 

 深く頭が下げられる。

 

 それにアレルカが天を仰いだ。

 

「姉さんは……無事なのですか。襲撃に逸って死んだものとばかり……」

 

「ええ。当時、軍務で森に出向いていた私は参謀役として、この地で働いていました。そして、生涯の伴侶たる彼女に襲撃された。私は此処で死ぬなら仕方ないと避けられないならば潔く散るつもりだった。だが、彼女は自分が持っていた妹からの手紙を見て、その刃を降ろしたのです」

 

「あの子が……」

 

 前氏族長が落涙した。

 

「憎くて憎くて溜まらない。これからも氏族達を容赦なく殺すだろう参謀役の男にも家族がいると知って……此処で殺せば、帝国と同じだと言って……だから、自分は同じ人間として……彼女の命もまた救われるべきだと思った」

 

 エルトエムが遠くを見つめる。

 

 それはきっと過去のその時に向けてだ。

 

「そして、私は自分と同じように森の氏族達と関わり合う中で彼らを何とか保護する方法を模索していた同士達と共に彼らを受け入れる共同体を立ち上げた」

 

 少年少女達がエルトエムを見る瞳は正しく氏族長を見つめる瞳に等しく。

 

「三氏族の他氏族に嫁いだ血縁者も合わせて2万人程がおります。他の滅んだ氏族達の血縁者も……そして、戦争が終わった今こそ、我らは貴方達に御返しせねばなりません」

 

「何を返すと?」

 

 シリンが拳を握りながら、まだ生き残っている同胞がいる事と同時に帝国に寝返った裏切り者達という二つの感情の間で両天秤の壊れそうな表情で訊ねる。

 

「森に住まった氏族達の生活と文化。その多くを他の氏族は知らない。しかし、それは人々の生活として根付いていた事は間違いなく。我らはその知識と実践を以て、最後まで戦い抜いた貴方達に森の未来と我らの30年をどうか託させて欲しい」

 

 エルトエムが三人を前に膝を付いて土下座していた。

 

 それに若者達も従う。

 

「どうか、共に森と我ら。いや、この子達の未来の為に手を取って頂けないだろうか!!」

 

 エルトエムの頭を見下ろしていた者達がボタボタと落涙しながら、こちらを憎々し気に睨んだ。

 

「卑怯だぞ……ッ、帝国……ッ、こんな、こんなッ、これでは手を取り合うしかないではないかッ、我らはッ、まだ1人ではないだと!? クソゥッ」

 

 シリンがテーブルを拳で叩き。

 

 それでも嬉しさも哀しさも憎しみも混ぜこぜのまま。

 

 部屋の外から見ていた者達の1人である夫に背後から抱き締められて、思わず泣き出してしまう。

 

「……お顔をお上げ下さい。エルトエム殿」

 

 前氏族長が床に膝を付いてエルトエムの顔を上げさせる。

 

「我らは帝国をこれからも憎みましょう。ですが、未来の子達にまでそうさせるつもりはない。貴方達に頭を下げさせてまで……自分達が森の守護者等と言える立場にも無い。息子よ……」

 

「解っている。姉さんが死んだ時、帝国を絶対に許さないと誓った。姉さんが生きていて、帝国に寝返っていたとしても、その時の気持ちに偽りは無い。だが」

 

 エルトエムの前に膝を付いたアレルカは真っすぐにエルトエムを見やる。

 

「……それでも、それでもなぁ。死んでいたはずの誰かが生きていて嬉しくないわけないだろう!! それが家族なら尚更だ!!」

 

 アレルカが男泣きに号泣していた。

 

「帝国との間に生まれた子だろうと関係など無い!! 我ら氏族はいつだとて他氏族と共に戦いながら、逢瀬を交わし合いながら生きて来たのだ!! 帝国が幾ら憎かろうと帝国という氏族に寝返った家族や同胞までも憎めるはずが、無いではないかッ」

 

 その言葉で砦内の奥で事の成り行きを見守っていたウルタイア、オーデラニカ、アイアリアから出ている血筋の大人達が押し掛けて来る。

 

 それでようやく周囲は号泣するやら謝るやら、許すやら近況を聞くやら、氏族長達は嬉しい悲鳴に塗れて、子供達はエルトエムが引率して引き上げていく。

 

 こうして数時間も語らった後。

 

 最後に現場へ顔を出したばあやが他の二氏族の者達と打って変わって静かに微笑みながら自身の氏族出の者達と短く語らい。

 

 会談場所の近くの部屋でこの三十年の事を互いに報告し合い始める。

 

「いや、まったく。敵いませんな。貴女には……」

 

 前氏族長がようやく涙の乾いた紅い瞳で他の者達と同じようにこちらを見やる。

 

「これが、貴女の策ですか」

 

「いいえ、これは御爺様の策ですよ。三十年前には策定されていた。ですが、時代は変わった。そして、帝国も貴方達も変わった。戦争に勝敗が付いて、貴方達が素直に現状を受け入れられるようになったからこそ、この会談を設定したのです」

 

「……我らを三十年にも渡って謀って来た。謀略で叶わぬわけだ」

 

 シリンが泣き腫らした瞳で強くこちらを睨む。

 

 だが、その口角はまだ引き締められていないようだった。

 

「この森の受け継ぎ手として、彼らはこの30年を費やした。貴方達はこの30年の粘りで勝利条件をもぎ取った。実質、貴方達は勝利したに等しいですよ」

 

「どういう事だ?」

 

 アレルカに肩を竦める。

 

「御爺様が描いていた絵に貴方達は恐らく入っていない。確率的にはかなり低いと思っていたはずです。ですが、貴方達は生き残った。そして、この場所まで辿り着いた。帝国と貴方達の彼我の戦力差を勘案するのならば、結末として最上でしょう」

 

「最上……ふふ、まったく……」

 

 ばあやが苦笑を通り越して呆れた様子で笑う。

 

「これ以外はどうやっても全滅後に再入植以外の道は無かったのですから。そうならば、この地には氏族達のいた痕跡も少しずつ消されていたでしょう」

 

 誰もがこちらの言葉に瞳を俯けていた。

 

「これで会談は終了となりますが、協定の発効は既に為されました。今後、帝国はこの地の統治を三氏族の共同体と同時に執政をエルトエム殿を中心とする氏族保護団体をそのまま議会として再編する事になります」

 

「これで我々は帝国の民となったわけか」

 

 アレルカに頷く。

 

「わたくしの仕事は此処までです。これからの発展は皆さん次第。一応、帝国内での都市の建設です。複数の優遇政策と最新の技術は供与しますので、後はご自分達の手で次の時代を御作りになって下さい」

 

「……これから何処に向かうつもりだい? 帝国の姫。いや、フィティシラ・アルローゼン」

 

 シリンに肩を竦める。

 

「南で大仕事がありますから。一度帝都に戻ってから、少し他国と戦争をして来ます。ああ、それと帝国はこれから本格的に戦争状態になるでしょう。皆さんも死にたくなければ、帝国民として残った者達をしっかりと守って下さい。帝国軍は引き上げさせますが、この地の帝国軍は必要です。勿論、お解りですよね?」

 

 誰もが沈黙しながらも、こちらを何か言いたげな瞳で見ていた。

 

「無論!! 帝国軍に守られては氏族の名折れだ」

 

「我らがこの地の帝国軍として立てと言うならば、名前は変えさせて貰おうかい」

 

 アレルカが吠え、シリンが獰猛に笑む。

 

「よろしい。では、またいつか会いましょう。最後に一つ。アイアリアのお嬢様に伝えて貰えますか?」

 

「はい。何でございましょうか?」

 

「森の王は確かに間違っていなかった。あの力はこの大陸を……世界すらも滅ぼせてしまう」

 

『―――?!』

 

 ばあや以外の誰もが驚きに息を呑む。

 

「その力を破壊し得た英雄がいなければ、帝国もまたこの大地と共に消えていただろう。森の王の末裔達に未来の救われた帝国から、真に心からの感謝を……そして、もしもまだ戦う気があるのなら、次は戦ではなく別の事で競おう、と」

 

「―――確かに承りてございます」

 

 会談場所を後にすると外で半分寝て待っていたフェグが黒猫と一緒にスヤスヤしていたのでずっと遠間の通路脇で背中を壁に預けて待っていたウィシャスに任せて歩き出す。

 

「終わったかい?」

 

「これでこの森でオレが直接やる事は全部終わった。帝都に戻ってから忙しくなるぞ。今の内に休んでおけ。次は―――」

 

「大仕事になる、だろ?」

 

「そういう事だ」

 

「リージさんから新しい報告書を預かってる。大至急と言ってたよ」

 

 ウィシャスから報告書を預かって手紙を開く。

 

「……東部の奴隷を治してきて下さい、だそうだ」

 

「東部の奴隷ってもしかして例の東部諸国からの?」

 

「ああ、何でも随分と酷い扱いをされてたせいで生きているの不思議な女子供が大量らしい。骨折、欠損、性病、感染症、内臓疾患、薬物中毒、廃人多数……」

 

「まだ、そんな人々が……」

 

「明日までについでに造ってた東部用の大規模会場で420万人一斉に見てくれってさ。どうやら東部の公式の奴隷数は大幅に捏造。いや、数値が間違ってたそうだ」

 

「よ……」

 

 思わずウィシャスが絶句していた。

 

「持たせるのにかなり物資と資源を使ってるから早めに行かないとまた資金難に成りかねないらしい……はぁぁ、フォーエと一緒に行ってくる。フェグの事を注意深く見守っててくれ」

 

 ドラゴンになってしまったフェグだが、数日過ぎる前に鱗が全身から剥がれて普通の肉体に戻っていた。

 

 どうやら主人の危機的な状況を野生の勘で確信した途端に鱗が生えて巨大化したらしいが、体重は10kg減っただけで済んだらしい。

 

 それもそのはず。

 

 剥がれた鱗を確認したら、まるで膨らんだパンみたいな構造で内側はスポンジ状な上に超軽いが表面は恐ろしく硬いという変な構造だった。

 

 その鱗を張り合わせたドラゴンは正しく鱗で造ったハリボテ染みた構造だが、フェグの体から伸びる神経節のようなものがそれをしなやかに連結して動かしていたというのがこちらの見立てである。

 

「それにしても、そんなに大量の奴隷をよく買い集められたね」

 

「これは氷山の一角に過ぎない。帝国からの物品との交換だ。最底辺層以外は今まで帝国民と一緒に見て来たが、こいつらは助かる確率が一番低い層として手厚く保護してた連中みたいだな」

 

「ええと、つまり?」

 

「今から見るのは東部諸国で二束三文のガラクタとして売られてた、本当の意味での使い捨ての連中って事だ」

 

「―――」

 

「救える確率の高いのはオレが今までやった診療で一般市民に混じってた。だが、こいつらは症状の緩和や持たせる為の医薬品、医者、その他諸々、人員の輸送や世話人も含めると一か所に集めるのにも時間が掛かる。言いたい事、分かるな?」

 

「合理的にやって最短で最大人数を救おうとすると、どうしても遅れざるを得なかったって事かい?」

 

「そうだ。明日までにってのも恐らくは死にそうな連中が許容出来ない数出そうだってことなんだろう。人間の力で持たせられるだけの最大限の努力はした。だから、後は神頼みならぬバルバロス頼みになったって事だ」

 

「行ってらっしゃい。僕はどうやらまだまだ君を護衛出来なさそうだ」

 

「ああ、行ってくる。帰りはリセル・フロスティーナで向かえに来てくれ。フォーエ!!」

 

 砦の外ではいつでも飛び出せる状態でフォーエが愛竜の傍で待っていた。

 

「仕事が入った。帰還予定を一時変更。指定場所に飛んでくれ」

 

「う、うん!!」

 

「それとデュガ、ノイテ」

 

「お~戻って来たのか~」

 

「随分と遅かったですね」

 

「感動の再会に水を差し難かったんだよ。お前らには今から指定する航路の安全確認をして貰う。帝国内だからって気を抜くなよ」

 

「りょーかーい」

 

「分かりました」

 

 こうして今日もお仕事は積み上がっていくのだった。

 

 *

 

―――14時間後。

 

「………………」

 

 結跏趺坐。

 

 要は胡坐を掻いて地面に座りながら、腰から伸ばした触手さんを大増殖させながら、15km四方の巨大な何も無い原野に造られた堀と診療会場に詰め込まれた奴隷達を前にして目を閉じて、流れ込んで来る症状に対する治療をグアグリスを通して細かく指示し続けていた。

 

 周辺には帝国陸軍の部隊が警戒に当たっており、区画毎に伸ばし続けた触手さんは足から入って寝込んでいる半数以上の患者達の治療を行っていく。

 

「………………」

 

 特に酷いのは女奴隷の性病と薬物中毒症状だろうか。

 

 それから性器回りや子宮も痛めつけられて酷い有様である。

 

 骨が折れている者はともかく。

 

 内臓の損傷が治り掛けた先から損傷したような跡を持つ者も多数。

 

 東部奴隷には森の出身者も少数ながら混じっているようだったが、一番多いのは南部人というのも大きな戦争後だからか。

 

 奴隷同士や主人の子供を身籠る者も多く。

 

 人種的にはかなり混血が多い。

 

 そして、混血した者達が殆ど新しい人種並みに固定化されている。

 

 ような感じもする。

 

 グアグリスを通して流れ込んで来る情報を捌くのは近頃かなり上手くなったが、それにしても奴隷を増やす目的で奴隷の女に取り敢えず工場染みて子を産ませてもいたらしく。

 

 混血どころか近親相姦による血の濃い故に遺伝レベルで変異が出ている者も数千分の1くらいの感覚で存在していた。

 

 これらを遺伝体質毎治すのはグアグリスでも無理なのだが、一部の足りない遺伝子の座位……要は部分を足したり、増えたところを削ったりして肉体レベルでは問題無いくらいまで真っ当な遺伝状況に落ち着かせる事は出来る。

 

『ぅ……ぁ……ぁ……ぁ?』

 

『い、ぅ、ぅぅぅ……ぅ?』

 

『ぃたぃいたぃいたぃ、ぃ?』

 

 無論、脳にまで働き掛けられる代物だが、こういった遺伝関連の対処治療は他の本来の患者本人の遺伝情報を持つ細胞で置き換わっていく為、状態は少しずつ悪化するだろう。

 

 他にも難病奇病の類、細菌やウィルス関連にも働き掛けられるようになったが、遺伝病の類はやはり対処療法では限界がある。

 

 肉体の代謝速度によっては治した細胞で構成される臓器も一年も立たずに置き換わるので総合的に見るとグアグリスの治療を毎年受けねば命を落としそうな者もそれなりに多い。

 

「………………」

 

 こういった複雑なオペレーションが必要な患者とそれ以外に分けて段階的に命を落とさない事を主軸として症状を改善して数時間。

 

 通常のケガや病気とはまるで違う者達には4倍近い時間が掛かっていた。

 

 万能薬もこれらを治すには恐らく足りない為、難病奇病の類は定期的にグアグリスで治療する事がやはり必要。

 

 ついでに廃人連中には悪いが、今現在の状況で精神衛生を担う人員がまったく足りないので脳内の海馬に働き掛けて廃人になるエピソード記憶の類を消去するようにグアグリスに命令させて貰った。

 

 特に焼き付いているような酷い記憶程に消去対象となるように指示したが、それで恐らくはかなり安定するだろう。

 

 これらの事からも自分以外にもこの力を与えねばならない時がきっと来る。

 

 そう思えば、まだまだ仕事は天を突き抜ける勢いで高くなる気がした。

 

「―――処置完了しました」

 

 立ち上がってグアグリスを一か所に集め始める。

 

 自己分解するように命令して周囲を見やると何やら心配そうな顔の兵達が慌てて近頃帝都から軍用品として出回せているタオルを大量に持って来る。

 

 よく見れば、滝のような汗が流れていた。

 

 すぐに兵達から革袋の水を貰って飲み干す。

 

「お疲れ様でした。今まで怨嗟の如く響いていた呻きが嘘のようです」

 

「そうですか。奴隷の皆さんの各地の商業区画への割り振りと新規雇用先までの護衛と誘導。どうか、よろしくお願い致します」

 

「お、お顔をお上げ下さい!? 必ず!! 必ず遣り遂げてご覧に入れます!!?」

 

「期待しております。このような大規模な人々の送り出しや誘導は必ずや今後来るべき戦において民を護る為の役に立つでしょう。現場での改善案も積極的に出して効率化を図って下されば、幸いです」

 

 大の男達が祈り染みて大きく両手を組んで頷くものだから、内心でいや信仰はいらんからという言葉は飲み下しておく。

 

「では、皆様もどうかご自愛下さい。お酒は程々に仕事が終わってからにして頂ければ……」

 

「ッッ!!? し、失礼しましたぁああああああああ!!?」

 

 あまりの大変さに夜に酒を呷っていたらしい兵の一部が平謝りに号泣。

 

 隊長級が思わず謝らせてペコペコさせるものだから、あまり怒らないで上げて下さいとまたニコリしなければならなかった。

 

 外に出ると昼夜無くやっていたせいで時間間隔も無くなっていたが、もう夜も明けて昼に近い頃合いだ。

 

「合流しますよ」

 

「うん」

 

 ゼンドと共に待機していたフォーエに載せて貰って空に舞い上がる。

 

 水分を補給した体には風が心地良かった。

 

 しばらく乾かしたらいつもの法衣の上に外套でも羽織ろう。

 

「お疲れ様。フィティシラ。アレ」

 

「アレ?」

 

 フォーエの視線の先。

 

 遠ざかる地表から歓声のようなものが上がっていた。

 

 どうやら、こちらに叫んでいるらしい。

 

「叫んでるみたいだよ。きっと、感謝してくれてるんじゃないかな」

 

「取り敢えず、元気になったなら、それでいい。ま、各地の食糧はギリギリだが、東部と北部と西部から現地の食糧を買い付けてるから、今年の夏までは大丈夫だ。それ以降は各地の大規模農場での食い扶持稼ぎや就業訓練をやらせて街を20か所新設して膨らませつつ、初期投資……まだまだ金が掛かるな」

 

「そう言えば、ウチの銅鉱山が元奴隷で鉱山労働者だった人達を沢山雇用して街に活気が出て来たって姉さんが……」

 

「何処の分野にも奴隷がいた。そして、働けなくなったら使い潰して別のを仕入れてた連中が大量だったんだ。そりゃ鉱山の専業奴隷もいるだろうな」

 

「そっか……」

 

「そいつらを殆どタダ同然で買い取った。奴隷連中は治した後はすぐに働ける状態で各地の資源産出地帯に労働者として投入。勿論、安全や健康に配慮して労働時間も制限した健全な労務とやらに付いて貰ってる」

 

「ただ同然で解放されるって事?」

 

「解ってるじゃないか。だから、そいつらが何処に行こうとも構いやしない。だが、この地域から祖国に帰ろうにも金がいる。結局、働くしかないなら働くだろ?」

 

「結局、強制的に働かせなくたって自分で働かなきゃならない状況になるって事? ホント、君には誰も敵わない気がするよ」

 

 苦笑が零された。

 

「人材が必要な分野は多い。だが、やりたい事をやれる人間は多くない。でも、真っ当な賃金と真っ当な法律と真っ当な雇用主がいれば、人材不足の分野は無くなっていく。手に職も付くしな」

 

「人材がちゃんと育てば、何処も今は好景気だから、食えるって事?」

 

「ああ、そうだ。国の借金てのは本来そういう事に使うべきなんだよ。食えない人間を食えるようにして、まともに税収が上がれば、その税収をまた食えるように仕事として再分配し、その仕事が人々の生活を支える社会資源として積み上がっていく。これは金や物よりも時には価値がある事なんだ」

 

「社会資源……」

 

「金は貯める事に意味がある。だが、死んでも持っていけない以上は何処かで吐き出さなきゃならない。金は人が人生を愉しみ生きる為に使われるべきであって、極論として家族がいない人間は死ぬまでに貯金は使い切ってくれた方がいい」

 

「そもそも貯金なんて概念、殆どの人は知らないんじゃない?」

 

「ああ、だから、今はそういう連中に賢い資金の使い方と貯め方を覚えさせた上でそういう知識が無くても安心して老後まで暮らせるように国が面倒を見る機構を作ってやる必要があるわけだ」

 

 フォーエが本当にどうやったら、こんな事を考え付くのか。

 

 そんな顔で口元を呆れたように緩めていた。

 

「みんな、感謝してるよ。沢山の人が……」

 

「そんなのは別に望んじゃいない。オレはただケジメを付けてるだけに過ぎない。人を導くなんて大そうな事をしてる以上は最善、最上を目指すのは当然だってだけだ」

 

 空に雲は無く

 

 遠く遠く。

 

 視線の先に我が家染みた船が見えて来る。

 

「フォーエ。次の南部では全員に動いて貰う。勿論、悪くすれば、お前らの中から死人だって出る。だから、お前は強くなれ。そして、その強さはオレが用意する。だが、心だけはどうにもならない。お前に求めるのはソレだ」

 

「―――うん。解った」

 

「覚悟だけじゃ足りない。冷静に、合理的に、感情を忘れず。そして、何よりも自分の判断を信じて進め。後で間違っていたと気付いてもいい。それでも生きて戦え」

 

 答えは無い。

 

 だが、確かに少しだけ自分の前に竜を乗りこなす背が伸びた気がした。


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