ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第76話「東部動乱Ⅴ」

 

「ぅ~~~」

 

「まだ膨れるてるのか? 今回はお前らが操られたら困るから船に押し込めてたって説明しただろ?」

 

 フェグが頬を膨らませていた。

 

 リセル・フロスティーナでリギナの地から更に最果ての領地まで辿り着いたのは2日後の事である。

 

 人の心を操る敵みたいな想定がされていたので仲間内の同士討ちや工作を避ける為に船へ押し込めていた事をまだ根に持っているのである。

 

 ツンツンと頬を指で突いて空気を抜きつつ。

 

 仕方なく餌付け用に現地の空いた時間で造っていたクッキーをその口に突っ込んで笑顔にしつつ、袋を押し付けて倉庫内に向かう。

 

 上機嫌になって後ろを付いて来る少女とこの数日何回も同じやり取りをした気がするが、今はいい。

 

「ヴェーナもいるのか」

 

「ん? いるだべよー」

 

 倉庫内でエーゼルの事を興味深そうに見ていた白金の如き肌の訛り少女はどうやら金属類に親しみを感じるらしく。

 

 食事以外の時は自由人として船内をウロウロしている事が多いのだが、近頃はエーゼルの様々な船内の改修や持ち込んだ機材による幾つかの試験的な機材の実機開発を興味深そうに見ていた。

 

「エーゼル。研究所から持って来た開発機材はどうだ?」

 

「あ、はい。姫殿下。こっちはとても良い仕上がりですよ。近頃は船の上での作業も慣れて来たので小規模な実験や姫殿下から発注のあった機材の開発も小規模なら対応可能になって来ました」

 

 今まで北部、西部を回って来て一度帝都で整備したリセル・フロスティーナだったが、この短期間に飛び続けた代償として各種の不具合があちこちで起きていた。

 

 それら一つ一つが次の船の布石として情報となり、エーゼルが現地改修を施しながら色々と難を凌いでいる。

 

 同時にまたそれらの手法及び現地改修方法は帝都の研究所に持ち込まれ、細かい情報から新しい素材の能力目標や現地補修、改修の為の各種の整備方法の確立の為に用いられているのだ。

 

「これから東部の国境地帯に入る。リセル・フロスティーナは危なくて降ろせない以上、帯空しっ放しだ。一時の充電設備は現地軍の基地に揃えさせたし、他にも例の竜の一部を再現した発電設備は持って来てるが、それでも長時間の航行になる」

 

「はい。補修はこちらにお任せ下さい」

 

「後、一時間で国境地帯だ。今は攻められていた各地方の小規模な集団があちこちに浸透して最前線付近で奇襲を続けてるって話だ。竜騎兵による襲撃や下方からの投石もあるかもしれない。必ず外に出る時はウィシャスもしくはフォーエと一緒に出てくれ」

 

「はい。お気遣いありがとうございます」

 

 エーゼルが工具類を置いて、ハンマーで伸ばしていた合金のバネを置いて頷く。

 

「姫殿下~~~」

 

「今行く」

 

 遠間からアテオラの声が響いて、すぐに操舵室に向かう。

 

 帝国東部の地図は現行でも不安定な政情の下で国境が定まっていない地域が多い。

 

 殆どの敵らしい敵は皆殺しにされて、残った殆どの集団も今や少人数がちらほらとしか存在しないという事だったが、それでも安全の確保出来ない近辺の道は一般人の通行が禁止され、帝国軍の東部戦線の端を縫うようにして商人達が陸路や河川を用いている。

 

 元々、大陸東部は群雄割拠の諸国が多い土地柄で300年程前までは正しく戦国時代だったらしいが、現在は商業を中心とした緩い連合制度を取って、水運を生業に豊富な産物を大陸各地に輸出する商人の力が強い地域となっている。

 

 その連合にも属さない少数民族の大半はこの三十年で帝国が文字通りの戦線拡大で絶滅させてしまった為、現行残っている部族や少数民族は本当に少数である。

 

 帝国はその無人の広大な原生林の掌握に酷く手間取って今日に至っているわけだ。

 

 戦略的な戦いは圧勝したが、その後の現地の掌握がおざなりであったというのは帝国軍人には耳が痛い話だろう。

 

「アテオラ。出来たのか?」

 

「はい!! ご要望通りに軍の地図と鈍行しながら来て頂いた空からの計測で大まかな地形は把握致しました。これで国境域までの詳細の無い地域は殆ど網羅したと思います」

 

 いつもながら良い仕事をしてくれる少女が胸を張っていた。

 

 その侍女として働くイメリが複数枚の地図を整理しながら、操舵室に設置した全方位を見やる為のゴツイ高倍率な双眼鏡を覗き終え、こちらにやってくる。

 

「此処でも大規模な治療を?」

 

「ああ、此処は帝国のやってきた虐殺の歴史が積み重なってる。病人怪我人は桁が違うし、帝国に組み入れられた民族の殆どはリギナ人の比じゃない憎悪塗れだからな」

 

「……それを治しに来たと?」

 

「勿論、その通りだ」

 

 イメリの眉が寄せられる。

 

「敵を治しに来たと聞こえるのですが……」

 

「そう言ってる」

 

「そう言ってるって……帝国軍が今まで戦ってきた相手を癒したりしたら……」

 

「勿論、考えてある。だが、必要なんだ。此処で今までの帝国と連中の歴史をきっちり清算しておく必要がな」

 

「……先日は心を操る相手を倒し。今度は死にゆく自分達を絶対に許さない敵を治す。常識外れも此処までくれば、もはや持ち味なのかもしれません」

 

 溜息が吐かれた。

 

「もう布告はしてある」

 

 ゾムニスが操舵輪を握りつつ、また何か始める気かという視線を一瞬だけ呆れさせていた。

 

「これから少し命を懸けて、この地を護り続け、護り切れなかった怨念と憎悪の塊を、そんな連中をちょっと絶望させてから希望で殴り付けてやる予定だ」

 

「希望で殴り付ける? もう何と言ったらいいか……」

 

 イメリが片手で半分顔を覆い。

 

「ま、まぁ、姫殿下には何かお考えがあるんだよ。ね? イメリさん」

 

 あははと汗を浮かべたアテオラが自分の明度の肩をポンポンするのだった。

 

「見えて来たぞ」

 

「これが帝国東部の果て……死満ちる森か」

 

 巨大な原生林が果てまでも続く世界の最中。

 

 草原や平原の先にある暗いものが満ちる世界。

 

 東部諸国の国境域までの凡そ横幅178kmの大森林はこうして真昼にも暗い姿を現したのだった。

 

 *

 

 リセル・フロスティーナが寄港した基地は国境付近から数km離れた森の外れにある河川も程近い場所だった。

 

 帝国と東部からの補給は殆どがこの河川を使ってやってくる。

 

 陸路もあるにはあるのだが、帝国軍の大規模な後退。

 

 いや、撤退によって制圧していた地域にも空白が出来ており、山林を巡回する熟練の帝国騎兵と今まで戦い残った最後の対帝国の少数民族がバチバチと数日に一回は奇襲して奇襲されて、死者を出すやら重傷者を出すやらしながら、一進一退を繰り広げている。

 

 というのも実際には表向きの話だ。

 

 理由は単純明快であり、どうやら姫殿下ご来訪の報を聞いた現地軍が複数の残余の敗戦者達を猛攻撃して黙らせたらしく。

 

 もはや殆どの集団は傷病者だらけで死を待つのみ。

 

 次に襲えば、完全に殲滅可能という具合らしい。

 

 まぁ、それに見合うだけの被害を残留していた守備軍も受けており、半数程が相手の反撃で指や脚を失っているようだ。

 

「き、奇跡だ!?」

 

「こ、これが聖女の奇跡か!? おお、おおおおお!!?」

 

 取り敢えず、この地域にある4つの軍事基地。

 

 砦で順繰りに帝国兵達の傷病を治した後、命令あるまで隊は出撃せず。

 

 砦に籠るか。

 

 各種の命令による土木作業に従事し、戦時は砦が落ちる場合は命を大事にして他の砦へ合流せよという命令を置き土産にして回った。

 

 もはや奇跡IS神的な信仰心に芽生えた軍人さん達に崇められたので顔が引き攣りそうになりつつも最初のステップは大まかにはこれで終了した。

 

 問題は現地の事情に詳しい人間が古参兵にもそう多くないという事だ。

 

 戦略と戦術と物量で森林地帯の少数民族をほぼ滅ぼした帝国軍だが、犠牲が出なかったわけではないし、残されている現地に熟達した兵士達も10年程度残留している者が殆どで最も詳しい将校クラスは現場から引き抜くわけにも行かず。

 

「姫殿下。お初にお目に掛かります。バルタレッタ師団付きの参謀を過去にしておりました。ゴサージャ・エルトエムと申します」

 

 50代の退役軍人のおっさんを紹介してもらう事になっていた。

 

 とある理由で帝国軍内部でも有名な退役者だ。

 

 そんな相手を滞空している倉庫内にフォーエが竜で運んで収容。

 

 ハッチを締めると。

 

 颯爽と降りて来た男は片膝を屈し、白髪の混じる油で固めたオールバックを下げて、こちらに礼を尽くしてくれた。

 

 空飛ぶ船にも動じないとはさすが退役軍人リストでも最優層に分類されていた男である。

 

 細身で糸目。

 

 しかし、ナヨっとしているわけではなく。

 

 細マッチョの類だろう。

 

 戦歴だろう戦傷で右手の中指と人差し指が落ちている。

 

「お顔をお上げ下さい。わたくしは彼方にモノを頼む方で貴方はわたくしに教えを解く者なのですから……」

 

 その言葉に少しだけ驚いた様子になった男が立ち上がり、また一礼してから顔を上げる。

 

 少なくとも元貴族なのは間違いない。

 

 礼節も儀礼用の挨拶も全て貴族でなければ、必要無いものだ。

 

「姫殿下。では、どうかご尊顔を拝するのをご容赦頂ければ」

 

「そう大した顔でもありませんよ。エルトエム殿」

 

「殿などと……申し訳ありません。このような身に礼を尽くして頂ける事、感謝致します」

 

 ようやく顔を上げた男がこちらに向き直る。

 

「しばらくの間、わたくしの我儘に付き合って頂ければ」

 

「如何なる御命令も身命を賭して為し遂げる所存です」

 

「そうですか。では、報告書などの書面だけでは分からない。この地域での情報を詳細にお教え頂きたいと思います」

 

「喜んで!!」

 

「エルトエム殿は軍を離れて数年と聞き及んでいますが、この地に根を下ろした珍しい方との事。軍の情報も解らないところはこちらで捕捉しますので、どうぞよろしくお願い致します」

 

「はは……」

 

 胸に片手を当てて礼をするエルトエムは今は商人風の風体だったが、森での旅装は極めて現実的な対処の為のものと見える。

 

 腰には縄の他にも錆び難い用途別の合金による小道具が下がり、外套は雨風を凌ぐだけではなく保温や湿度の調節にも優れた様子なのは見れば解った。

 

 バルバロスの体を用いた特有の特産品はこの地域独特のものとの事。

 

 帝国内で殆ど知られていないのは未だ軍が掌握し切れない地域が多いからだ。

 

 何せ森林にいた700万近い少数民族の連合を現行で1万人未満まで減らしたのだ。

 

 30年という歳月は血水泥の虐殺に次ぐ虐殺の歴史であるが、同時に安定した場所が無く入植も進んでいないという事実でもある。

 

「では、お聞きしましょう。この地域で30年の長きに渡り戦い続けた貴方の言葉を……長くなっても構いません。この地域の現実をわたくしに御教授して下されば幸いです」

 

「……仰せのままに」

 

 僅かな沈黙の後。

 

 こうして、歴史は紐解かれ始めるのだった。

 

 *

 

 元々、帝国軍の大半は30年前の時点で緋皇帝が率いる本隊と各地の地域を平定する地方軍に別れていた。

 

 新興の帝国を最初は何処の国もエルゼギアの後釜に座っただけの若い国と侮っていたが、その隙を逃がさなかった緋皇帝とその配下は各地の地方軍と本隊の役割を分割して侵攻を開始。

 

 本隊となる皇帝の近衛軍は大規模戦略を用いなければならない属国としたい国を落とし、地方軍は少数民族や少数部族の取り込みと同時に殲滅を担った。

 

 少数ながらも危険な思想や危険な力を持つ部族は元々帝国領土となる各地で小勢力。

 

 軍閥程ではないにしても、かなり多かったのだが、これを地方軍は次々に撃破。

 

 上からの命令で滅ぼすものは滅ぼし、取り込むものは取り込んだ。

 

 以降、殆どの少数民族はこちらに下り、残された殲滅されるべきとされた部族や民族は各地で帝国の武の前に消えていった。

 

「此処、東部の大森林地域は東部諸国との陸路として期待されていました。ですが、森林地帯の殆どの部族が連合せずに内紛で骨肉の争いをしており、帝国軍上層部。姫殿下の御爺様を筆頭に詳細を数か月で集めた参謀連はこれらの殲滅を決定」

 

「以降、連戦連勝を続けている、と」

 

「それは聊か語弊があります」

 

「語弊? 苦戦していたとの記述は年度別の重要報告書にも載っていませんでしたが」

 

「苦戦はしませんでした。ですが、危険な者達は確かに存在していました」

 

「危険な?」

 

「はい。数百もの氏族が犇めき合っていた森林地帯ですが、其々が森の特異な産物や生物を用いて武装化しており、彼らは更に殆どが自分達の部族が全てを支配するだとか。自分達の神に全てが平伏すべき。もしくは我が民族こそがこの森林地帯の本当の王である。という類の思想に染まっており、それは単一部族内では疑われる事無き常識だったのです」

 

「成程……よく苦戦しませんでしたね」

 

「帝国の戦術故です。相手を釣り出し、村を徹底的に焼き。後方を遮断して、一切の近距離戦闘を避け、森そのものを乾季には焼き払う事もしました」

 

「相手が干上がるまで待ったと?」

 

「ええ、連合出来なかった部族はこれらの後方を徹底的に蹂躙する戦術、戦略の前には武力を誇っても無意味であり、相手との近接戦となれば、集団戦術が牙を剥いた」

 

「個の武勇や兵器の特異性を距離で殺して、敵の利点を徹底的に排除した、という事ですか?」

 

「はい。この手の話は時の将軍達にも一定は顔を顰められたものですが、姫殿下は平気なご様子……もう少し深く話してもよろしいでしょうか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

「結局、我が方の戦略と戦術を前にして殆どの部族は武勇を誇った者すらも潰えて行きました。1人だけ生き残っても仕方ないと突撃してきた剛の者。森の中ならば、無双であった暗殺者。毒矢で何万もの兵を殺せるだろう戦巧者。誰もが最後には膝を付いた」

 

「死んだ殆どの者は軍が連れて来た犯罪者だったとか?」

 

「ええ、敵の怒りを誘発させ、動きを単調にした後、そういった死んでも構わない囮部隊を随時戦線で応戦させ、彼らに引き付けられている間に戦術目標や戦略目標を達成する。これが大まかには我らが無敗と言われた理由です」

 

「報告書とも合致しますね」

 

「事実、数百万の民族をこの30年で絶滅させた手管は南部でならば、神も許さぬ所業と言われるのでしょうが、我が帝国軍将兵の命に代えられるものではなかった」

 

 エルトエムが失礼と言って、片付けられた操舵室内で出されたお茶に口を付ける。

 

「軍の大本営戦略もまたこれらを後押ししました。相手はあらゆる物資を森に頼り切っていた為、森の焼失や切り倒しによる各地での資源への攻撃も痛かった」

 

「この豊かな森で食うものにも困ったと?」

 

「ええ、各種の自然に分解される毒を水源地や食料となる果樹、生活に必要な樹木に注入し、一定期間だけ食べられないようにしたり、触れられないようにするというような戦略も取り入れた結果。互いを補う事をしなかった殆どの者達は凡そ400万が餓死もしくは中毒死。残る者達は連日続く超広域での戦線圧迫で次々に死んでいきました。他部族の領域に踏み込み同士討ちも多かったかと」

 

「それは恨まれますね。帝国は……」

 

 エルトエムは頷く。

 

「ええ、そうでしょうな。ですが、これで帝国は東部に殆どの敵を排する事が出来たのです。また、吸収した一族もこれらの行いから、帝国を畏れ、過激な反応をすれば、このようになるという事実を前に沈黙し、現在は帝国の民として、帝国人として凡そ2世代育ちました」

 

「エルトエム殿の村はそちらでしたか? 確か」

 

「はい。老人や当時の事を知る50代もそれ程の時間は掛からず寿命で死んでいくでしょう。後世への反帝国主義的な教育はしておりませんし、それらを禁止し、事実で歴史教育をする反面。物資面や生活環境では満たされている……これが姫殿下の御爺様の取った最上の侵略手段なのです」

 

「さすが御爺様と言ったところですか。もはや組み入れられた帝国人としての各部族の生き残りは世代として完成し、今後は時を重ねて帝国領の開拓民として森林を統治するという事ですね?」

 

「はい……」

 

 中々に興味深い事が聞けたと言っていい。

 

 だが、帝国の悪辣さはきっと後世に残るだろう。

 

「では、現在残っている一族と各地での近日中の動静は?」

 

「承知しております。大まかには、ですが」

 

 エルトエムが帝国軍の地図を前にして駒を配置していく。

 

「現在、残っている絶滅寸前の氏族は3つ。一つ目はアイアリアの氏族」

 

 森の端を通る河川の近くに竜の駒が置かれる。

 

「二つ目はオーデラニカの氏族」

 

 華の駒が森林の中央部に置かれる。

 

「三つ目はウルタイアの氏族」

 

 反対側の山岳部に虎の駒が置かれる。

 

「現行、彼らの数は各氏族が其々3000人弱で戦える男達は3氏族合わせても合計で300人を割るでしょう。先日の姫殿下来訪に合わせての討伐戦で各氏族の部隊はその8割を損耗したと聞き及んでおります。全て男達で構成されていた為、来年の冬は女子供達だけでは越せぬでしょう」

 

「成程……女の情念で呪い殺されそうですね」

 

「御冗談を。そのような事になれば、正しく帝国の怨念でこの森そのものが朽ちましょう」

 

 ゾムニスはえげつないなという顔で横に立っており、ウィシャスは自国軍の事とはいえ、それでも聞き及ぶよりも凄まじい内容に顔にこそ出さないが拳を握り締めていた。

 

 フォーエなどは顔を蒼褪めさせてから、何とかグッと腹を据えて覚悟完了した顔で聞いている。

 

「先日の戦闘で壊滅したとの話ですが、生き残った者もそれでは殆ど死に体という事でしょうか?」

 

「恐らくは……滅ぼした各氏族の技能の多くは収拾されております。毒矢の類から他の相手を効率的に狩る為の森での訓練まで全て帝国は取り入れました。今や当時の1割にすらも満たぬ数でこの地域一帯を維持出来ているのは歴戦の兵達が取り込んで来た森林での戦い方の賜物です」

 

「さすが帝国の最前線、と言うべきですが、褒められるのは戦果と忠誠心だけですね。帝都の女性なら顔を蒼褪めさせて失神していますよ。今の話……」

 

「どうか、ご容赦を……それが帝国軍で後方の不安を取り除く策の一つでしたもので」

 

「ですが、最後の戦いでは随分と被害を出したようで」

 

「決死の敵、最後に残った古強者相手に重軽傷者を多数出しました。こればかりは致し方ありません。味方の数が減り過ぎました」

 

「それはこちらの責任です。解りました。では、彼らにトドメを刺す為にも彼らの命を救いに行きましょう」

 

「は?」

 

 思わずポカンとした様子でエルトエムが目を瞬かせた。

 

「彼らにとっての最後の戦争を行う為にわたくしは来たので……」

 

 また何か言い出したよこいつ……みたいな顔になるクルー達なのだった。

 

 *

 

 馬に揺られて2日程の旅路を山岳で行うには相応の準備が必要だ。

 

 そして、その準備はしっかりされていたのでまったく問題無く旅程は進んでいた。

 

「一つ訊ねてもよろしいでしょうか? 姫殿下」

 

「何でしょうか?」

 

「どうして、彼らを救いに?」

 

 恐らくは最終確認だろう。

 

 エルトエムが背後の馬から訊ねて来る。

 

 荒涼とした山岳の尾根から続く景色は漠然と寂しいものだが、雄大であり、美しいというのはまったく妥当な景色を映し出している。

 

「そうですね。では、逆に幾つか訊ねましょうか」

 

「?」

 

「帝都の人間と帝国属国領の人間。もしも、戦から避難する時に2人同時に通れない橋に彼らが通り掛ったら、どちらから先に通すべきですか?」

 

「ふむ……この場合は背後の状況にも因るでしょうが、その人間の地位や若さ、戦や戦後のその人物に期待される総合的な価値で決めるべきだと思いますが」

 

「正しい判断です。ですが、殆どの現実の現場で同じ事が起きたならば、属国領の偉くて優秀な人間よりも帝都の無能な役人の方が優先されます」

 

「それが今回の件とどういう関係が?」

 

「では、例えを変えましょうか。帝国の奴隷と他国の奴隷。橋を渡る時、帝国の奴隷が死に掛けていて、他国の奴隷が不自由なく生きているならば、どちらを先に通しますか?」

 

「それは……難しいですね」

 

「他国に恩を売れる、かもしれない。帝国の奴隷は生き残る、かもしれない。こういう場合、人間は悩むものです。逆に数の問題や背後の状況で幾らでもそういう問題の答えは変わります」

 

「ええ、はい。確かに……」

 

「ではエルトエム殿。死に掛けた氏族に帝国の門を潜らせる時、彼方ならば、優先順位を付けますか?」

 

「味方に取り込むおつもりで?」

 

「優先順位は?」

 

 再度訊ねる。

 

「付けますね。ただし、また別の恨みを買うのを覚悟してになるでしょうが」

 

「わたくしもそうします。今、死にゆく氏族達にわたくしは優先順位を付けました。理由は単純です。彼らにはそれだけの価値があると認めるからです」

 

「価値、ですか? 故にお助けになると?」

 

「ええ、そして価値を優先順位を付けられない人間程に悲しいものはありません。殺される順番さえ運の類だとしたら、正しくソレは人間にとっての悲劇でしょう」

 

「………何をおっしゃりたいのか。浅学菲才の身では分かり兼ねますが、どういう事でしょうか?」

 

「相手を認めてこそ。本当の戦争が出来る。認められていない相手を殺しても、それは戦争とは呼ばれないし、呼ばせません。名も無き兵士と名の在る将の首が同列に語られはしないでしょう?」

 

「ふむ……此処での戦いが戦争ではなかったと仰る?」

 

「ええ、わたくしは此処にわたくしが認める相手と戦争をしに来たのであって、虐殺しに来たわけではない。という事です……今までの帝国のおざなりな戦いの尻拭いですよ」

 

「尻拭い……」

 

「納得行きませんか?」

 

「誤解なく言わせて頂けるなら、将官が聞いたならば、ムッとするでしょうな」

 

「当然です。ですが、帝国軍の下っ端は彼らの価値を認めず。十把一絡げに一緒くたにして全てを滅ぼしてしまった。結果として残された彼らもまた未だ本当の戦争を知らない」

 

「本当の戦争?」

 

「戦う事を戦争とは言いません。争う事を戦争とは言いません。規模が大きく為れば、内乱や動乱という言葉も使われましょう。ですが、この帝国、この現代の帝国が、まったく戦争という名の飯事をしていたと後世の歴史家に言われたくないなら、人々を単なる道の石畳にしただけだと言わせたくないなら、しっかりとした戦争で、彼らに解る戦争で、彼らに敗北を知らせる必要がある」

 

「敗北を、知らせる?」

 

「彼らにとっての戦争は嘗て小さな氏族同士の争いだった。しかし、初めて帝国という現代国家として唯一立った巨人を前にして同じものだと思って戦いを挑み負けた。しかも、彼らの戦争には無かった言葉が沢山使われた」

 

「戦争に無かった言葉?」

 

「虐殺、後方、補給、戦略、戦術……」

 

 その言葉に僅か後ろのエルトエムが息を呑む。

 

 思ってもみなかったのだろう。

 

 帝国がやった事は戦争ですらない蹂躙でしかない。

 

 なんて、話をされる事になるとは。

 

「法を知らぬ蛮族を平定して退けたのだ。なんて言うのは帝国の悪しき貴族主義の側面に過ぎません」

 

「聞かれたら、誰かに怒られそうですな」

 

「ええ、ですが、事実です。単なる虐殺は戦争ではありません。だから、彼らに戦争と戦争に負けるという事がどういう事なのか教えなければならない」

 

「その為に来たと仰るわけですか?」

 

「それが適わなければ、帝国は単なる虐殺者としてしか歴史にも名を残さないでしょう」

 

「……姫殿下は歴史家のような事を仰いますな」

 

「歴史は大事なものですよ。特に新興国である帝国はエルゼギアの二番煎じではないと未だ力でしか知らしめる事が出来ず。だからこそ、この森林での戦いは戦争では無いと言い切られてしまうでしょう。今後は大勢の人々に」

 

「……帝国の名誉の為に戦争を……仕掛けると?」

 

「ええ、後世の者達の為、此処で帝国は戦争に勝たなければならない。それが茶番という見方もあるでしょう。ですが、人々の認識を変えねば、同じような悲惨な事が繰り返され続ける」

 

「認識、ですか……」

 

「我らの望んだ戦争は決して単なる虐殺ではないのだ。将来、帝国をそう言えない国家としない為、また彼ら敗者が己を敗者と認められるだけの戦争の先にこそ、平和という名の果実はある」

 

「平和……」

 

「この最前線では響きを聞くのも久方ぶりかもしれませんが、此処が戦地や戦場跡地と呼ばれる為にはまだ時を要します」

 

「それは解る気がします。確かにこの地の空気は未だ戦場のままと言えましょう」

 

「それを戦後とする為、わたくしは全力を注ぎましょう。いつか敗者すらも生活するだろう森に戦の終わりの鐘を響かせる為に……」

 

「相手を滅ぼすだけでは足りない、とは……姫殿下は欲張りでいらっしゃいますな……ご懸念と方針は理解致しました。ですが、良かったのですか?」

 

「2人旅なのは相手を必要以上に刺激せぬ為です。問題ありません。わたくしが彼方の身柄は保障します」

 

「ありがとうございます。それにしても何故2日も掛けて?」

 

「帝国の姫が辿り着いたという話は既に森林中に伝わっているでしょう。ならば、彼らも心の準備が出来ているはずですよ」

 

「成程……彼らの戦う姿勢が整うまで猶予したと」

 

「その通りです。監視もされていますしね」

 

「気づきませんでしたが、左様ですか……」

 

「このまま向かいましょう。敵はしっかりと待ってくれているはずです」

 

「御慧眼の至り……まるでこの世の全てを見通していらっしゃるようですな」

 

「ただの予測と推測です。帝国軍と自前の情報を集め、きちんとした方法論を知っていれば、誰だとてこの程度は出来ますよ。向いている方ならば、ですが」

 

 岩場を馬で進む。

 

 朝日が昇る直前頃。

 

 その集落は見えて来ていた。

 

 敗戦兵。

 

 そう呼ぶべきだろう切り傷に古傷に手足や指、耳あらゆるものを欠損して尚、その一団は杖を付くモノすらも一人くらいなら道連れにしてやるという気迫を持って佇んでいる。

 

 近付いて行くと男達は合図さえあれば、どのような状況だろうとこちらを射抜かんと槍も弓も構えて決死の覚悟でいた。

 

 その男達の手前。

 

 一人の40代の男がいる。

 

 隻腕の男は無骨ではあったが、垢染みたところもなく。

 

 恐らくは一張羅。

 

 死に装束なのだろう山岳部族らしい革製の鎧と希少だろう鋼の胸当て。

 

 伸びた髪には油が射され、これから一世一代の負け戦を勝ち戦にしてやろうという意気込みは伝わって来る。

 

 だが、その横にいる70代くらいだろう古老の老人も同じような装束を身に纏ってこそいたが、こちらを何処か観察するような気配があった。

 

 薄い朝霧の最中。

 

 そろそろ陽が昇る。

 

 馬を降りて、背後のエルトエムに待つよう言ってから布陣する男達の前に立つ。

 

「初めまして。ウルタイアの氏族の方々。わたくしはフィティシラ・アルローゼン。貴方達が悪虐大公と呼ぶ帝国の最高権力者。彼の孫娘に当たる者です」

 

 こちらの言葉を終始聞いていない男達である。

 

 まぁ、そんなものだろう。

 

 思わず苦笑が零れた。

 

 聞いているのは目の前の煮え滾った殺意を内に秘めながらも指令を出す地位にある老人くらいなものだろう。

 

「何を嗤うか。帝国の姫よ……」

 

「いえ、誰も貴方以外に話を聞いてはくれなさそうだと思っただけです」

 

 老人が前に出て、息子なのだろう次期氏族長、男が飛び出さぬように圧し留める。

 

「話を聞くだと? 我ら一族の数はこの30年で10分の1まで減った。もはや、語る舌など持つはずも無かろう」

 

「それは異なことを……貴方は最後の賭けとして此処に立っていると思いましたが、違うのですか?」

 

「ッ……食えぬ狐め。我らが何を賭けたと言うのか!!」

 

「わたくしの噂はこの大森林にも届いているとの事。どのような相手かを見極め、一族に死を命令するか。もしくは我らが果てたら降伏しろとでも言っていたのでは?」

 

「―――まるで見て来たような事を言いおる」

 

 老人の顔色が変わる。

 

「単純な推測です。此処に貴方達が布陣する理由は声や合図が届くかどうか。なら、そんな合図をする理由は? もう勝敗は決している以上、避難や逃避を促す理由も無いでしょう」

 

「……なるほど。聞きしに勝る聡明さ。だが、我らウルタイアの氏族残り三千。死兵となれば、首は取れずとも帝国に思知らせるくらいは出来ようて」

 

 その言葉に族長の息子の方が驚いたようだった。

 

「アレルカよ。我らは殺すつもりでおったが、どうやらそれは敵わんようじゃ。その帝国の姫をよく見よ。我らを超える真なる呪いの保有者……これが帝国の本性よ」

 

 稜線からの旭が昇り始め、ようやくあちらもこちらをよく視認出来るようになったのだろう。

 

 バルバロスの呪い。

 

 祝福と西部では言われていた力もこちらを見れば、森の人間にも一目瞭然らしい。

 

「な―――どれ程の!?」

 

 初めて隻腕の息子アレルカと言うらしい男が喋った。

 

「心配せずとも大丈夫ですよ。今すぐに死ぬような事はありません」

 

 肩を竦める。

 

「それにコレはわたくしがわたくしの力で旅の中に得て来たもの。誰かに与えられたものではありません」

 

「……本題に入ろう。帝国の姫よ。我が氏族最後の地に何用か!!」

 

「戦争のお誘いに来ました」

 

「何ぃ?」

 

 瞳を細めて訝しむ老人である。

 

「皆さんが知っているように争いは日々姿形を変えて人を蝕む。そして、貴方達を苦しめた争いは戦争では無かった。結果として帝国はまともな戦争をこの地でしていない」

 

「我らを鏖殺しておきながら、その言い草……やはり、帝国は帝国か」

 

「二つ勘違いを正しておきましょう。一つ。わたくしは貴方達の後方にいる女子供の身の安全と生活の保障をしに来ました。二つ。それには戦争で貴方達がちゃんと負ける必要があるのですよ」

 

「どこまでも人を弄んでくれる。解るように話せ!!」

 

「時代が変わったのです。戦争も変わりました。此処であった虐殺もまた時の移り変わりによって見方は変わっていく。帝国はこれより皆さんにしたような敵後方の村々や集落を襲うというような事を出来なくなりました。時代の変化は貴方達が思っているよりも早く。貴方達の戦いを無意味にしてしまった」

 

「何が言いたい!! 我らの戦いが無意味じゃと!?」

 

「ええ、此処で帝国は皆さんを滅ぼせはしますが、それでは帝国法が納得せず。歴史は決して帝国に味方せず。また、これより皆さんとは違い。本当の戦争をしなければならない相手に与する結果になってしまう……」

 

「それは一体……」

 

「つまり、帝国の理由で帝国が変わり、帝国の利益の為に貴方達を滅ぼせなくなった。だから、戦争をしようと言っているのです」

 

「何とも面妖な……我ら男を殺すだけではないのか」

 

「それも含めての戦争です。ですが、実際には貴方達は帝国を憎む気持ちを捨てられないでしょう?」

 

「親族、家族の消えた数を競う気ならば、我らに勝てる者は無かろうとも」

 

「そうでしょう。ですが、自死を選ぶのは勝手ですが、それでは帝国の面目が立たない。故にわたくしはもしも貴方達が後方の人々に死ぬように合図するならば、それよりも早く殺さねばなりません」

 

「そんな事が―――」

 

「出来ますよ」

 

 上空に信号弾を打ち上げる。

 

 途端、遥か天空から地表に例の狙撃銃の一撃が数十m離れた位置に着弾する。

 

 その際の激音で山肌の一部が崩落し、落石が次々に山間に響いた。

 

「わたくしは貴方達の集落を一撃で合図よりも早く殲滅する事が出来ます。ですが、それは最終手段であり、わたくしとしても不本意な結果になる」

 

「―――く」

 

「ウルタイアの氏族長。帝国はこれより貴方達を含め、残る三氏族に宣戦布告致します。ただし、新たなる帝国は卑劣を良しとせず。戦う場所を用意しましょう。最後の戦いに赴く全ての兵士達に家族の帯同を許し、全ての氏族はこれに参集すべしと勧告致します」

 

「帝国が我らに指図とはな……恥じを知らんと見える」

 

「ですが、これが最後の機会でしょう。貴方達は虐殺される程度のカヨワイ氏族だったと歴史に記されるのが嬉しいのですか? それで先祖と多くの死んでいった者達や祖霊達に顔向け出来ますか?」

 

「ぐ、むッ……」

 

「もしも未だウルタイアが己の矜持を持って、この提案に載るのならば、わたくしの命を取る機会を与えましょう」

 

「小娘一人の命と我らの命が釣り合うと思うか!!」

 

「思います。わたくしが死ねば、帝国は滅びますよ?」

 

「………ッ」

 

「ただし、わたくしを殺せなかったのならば、大人しく負けを認め、敗北者として帝国に組み入れられなさい。それが貴方達にわたくしが提示する戦争です」

 

「ッ……」

 

 こちらのニコリに老人が僅かに思案する。

 

 それを氏族の男達もまた凝視していた。

 

 老人が天を仰ぎ。

 

 その天に座す黒い船に気付いて息を吐く。

 

「いいだろう……本当に女子供に手を出さぬのだな?」

 

「帝国法と帝国貴族の名誉に掛けて。もしも、現場の兵がコレを無視した行いをした場合、わたくしの名の下に貴方達に断罪して頂いて構いません。無論、わたくしの名誉も傷つくでしょう」

 

「いいだろう……付いて行けばいいのだな?」

 

「ええ、ですが、そちらには病人怪我人が多い様子。わたくしの力で貴方達の傷は治しましょう。死に掛けた敵を倒しても帝国は何ら得るモノがない」

 

「弱った敵では意味が無いと?」

 

「ええ、自らを殺すだろう竜を屠ってこそ、人々は帝国の威信に平伏するのです。貴方達を万全に戦えるようにして、その全てを氏族達の前で打ち破らずして。この地は決して戦後にならないのですから……」

 

 老人の瞳はまっすぐにこちらを見据えていた。

 

「噂は聞いている。傷を癒し、失くした腕を生やさせる程の力。バルバロスの力を持っていると」

 

「今更、殺せる人間に仕掛けをする程度の事も必要ありません。その気ならば、皆さんを虐殺する事は正しく簡単な事です。その傷付いた身体では満足に抗えもしない。で、ある以上……この治癒は必然的に受けて頂きますよ。ウルタイアの氏族長」

 

 老人が息子であるアレルカを見やる。

 

「今の氏族長はこいつじゃ」

 

「では、アレルカ氏族長とお呼びしましょう」

 

「父上!! こんな話を受けるのか!?」

 

「無念を晴らす最後の機会じゃ。この姫が言うように今の弱った帝国が名誉と矜持が傷付く事はすまい。実際に外では巨大な戦に帝国が負けたとも聞く。つまり、これは帝国の巻き返しの為の策……戦意高揚や国内の維持の為のもの。我らが茶番に付き合う理由は帝国に傷を付けるだけで構うまいて」

 

「だが!!」

 

「此処で無用に女子供を殺される方が不名誉じゃ。事実、この姫の合図一つで我が集落は全滅するじゃろう。自らの死すらも許されぬとなれば、帝国の懐に入り込み。その傲慢を砕く以外に道は無い。我が息子アレルカよ。人を導くというのは……並大抵のものではないのだ。このお嬢さんのようにな……」

 

「く……」

 

 こちらをアレルカが睨んで来る。

 

「では、話は纏まったと思ってもよろしいですね? では、これより皆さんの治療に入らせて頂きます。まず手足や体の一部を失っている方には食料と水を用意してあります。それを腹に満たしてから、治療を受けて下さい。血肉を創るに当たり、食事が必要なので」

 

 こうして一人で集落に向かう。

 

 出来た男であるエルトエムは馬に積んだ荷をすぐに男達に引き渡すとその場で待つ事にしたようで何も言わずとも頭を下げて見送ってくれた。

 

 集落は岩場から数百m先にあったが、出て来れなかった負傷兵とそれを看護する集落は血で黒く染まっていない場所は少なく。

 

 女子供も飢餓一歩手前のようだ。

 

「帝国製の乾麺麭です。極めて硬いですが、一欠けで腹は膨れずとも栄養は取れます。今すぐに腹を空かせて死ぬ事は無いでしょう」

 

 荷を解いて、氏族長の号令の下に配布された麺麭が割られて、水と共に摂られていく。

 

 勿論、こちらを見る憎悪の視線はもはや怨念染みていたが。

 

「水を多めに摂って下さい。皆さんが移動出来るだけの体力は回復させますが、その先では用意してある食料を食べて頂く事になります」

 

 周囲にある朽ちた木製の家や糞尿溜まりや井戸から水を組み上げさせて用意させながら、不審そうな連中の前でクラゲさんの触手で全てを取り込んでいく。

 

「ひ!? ば、化け物!?」

 

「動揺するでない!! そんな事は解っていた事じゃろう!! 殺すならとっくの昔にやっておる。治療を受け、戦いに赴くのじゃ!! 此処を立つ準備を集落総出でせよ!!」

 

 氏族長の一括で触手を畏れた集落の住人達も食事をしてすぐに震えながら触手を握るというだけの治療を受け入れた。

 

 だが、手足の再生が目に見えて傷を癒していくと。

 

 さすがに驚きと共に震える者がこちらを何なんだという顔で見つめ始める。

 

「本当に手足が生えて来よったか。報告と同じとは……やれやれ、歳は取りたくないもんじゃ」

 

「まだ耄碌するには早いですよ。ご老体……」

 

「息子の腕も治るのか?」

 

「ええ、水と食料を十分に取って下されば、こちらの力で治せます」

 

「………」

 

 感謝は出来ないが、罵倒も皮肉も出て来ない老人が手足の生えた同胞に驚きつつも、良かったなとも声を掛けられない様子の息子アレルカに近付き、何やら肩を叩いて励ましていた。

 

「……ッ」

 

 しかし、子供の視線がまったく痛い。

 

 恨み骨髄である。

 

 ざっくりと憎悪以外の光が見えないので後ろでも振り向けば、あっさり刺し殺しに来そうな感じと言えば、問題無い。

 

 まぁ、血の気が多いのは良い事だ。

 

 この戦国乱世の終わりに未だ血気盛んならば、帝国に負けるなと武力以外に訴えるなら、一角の大人になる者も出て来るだろう。

 

 振り返ってニコリとして見る。

 

 それに驚きつつも、すぐに視線を逸らし、感情を御すくらいには未だ理性も失っていなかったので取り敢えずは刺される心配だけしていればいいだろう。

 

 こうして三千余の氏族の治療を初めて数時間後。

 

 やって来たフォーエの竜に載せられ、低空を飛行するリセル・フロスティーナで次なる氏族の下へと向かうのだった。

 

『父上……あの帝国の姫は本当に我らと戦争をするつもりなのでしょうか」

 

『考えて帝国の事が解る程、我々が奴らの事を最初に知っておれば、こうはならなんだ。ならなんださ……』

 

『では、行き先は間違いなく帝国軍基地でよろしいですね?』

 

『お前が決めい。これでも引退した身じゃ。事もあろうにあの姫……小屋の死に掛けを……』

 

『何か?』

 

『我らが馬たる【鋼牙獣(イルサイス)】を全て治して行きよったわ。女子供や老人を載せるのに必要でしょう、とな』

 

『何処までも馬鹿にされているのか。あるいは何かモノノケの類に化かされているのか。本当にあんなものがいるとは……』

 

『お前にも解ったか。なら、そういう事だ。あの姫は確かにこの大森林の嘗ての王達が持っていたモノを持っている。いや、それ以上の力なのやもしれぬ』

 

『時代と言っていましたが……我らはもはやそのようなものに呑み込まれてゆくしか無いのかもしれません』

 

『だとしても、ウルタイアの氏族は獣と共に百戦錬磨の騎獣兵よ。戦い果てるとしても決して我らには恥じる事が無いと証明してみせねば、あの姫の言う通り……単なる弱き民としてしか名も残らぬだろう。それは確かに彼奴の言う通り、我らが始祖に申し訳が立たぬ』

 

『我らの事を調べ尽くしてやってきた。今までの連中とは違う……』

 

『ならばこそ、最高のもてなしをしてやろうではないか。あの首に届かせるだけの全力を、あの姫の言う通りに叩き込むぞ』

 

『はッ』

 

 遠ざかっていくウルタイアの地からは逃げる素振りも無ければ、留まろうとする素振りも無い。

 

 窓から見える景色は再び朝霧に隠されていくのだった。


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