ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第68話「悪の帝国聖女Ⅹ」

 

―――大陸南西部【永久の沼地フォロンガ】

 

 ゼーテ南方に位置する巨大な沼地地帯。

 

 この南方でも珍しい水気のある泥濘地は周囲に村も無い程に人の手が入っていない、というのも理由がある。

 

 単純に西部の人々の器質的に土地柄が合わないという事。

 

 また、動植物に危険なものが多く。

 

 その場所に病の源があるとされ、半ば毒の沼とも呼ばれているからだ。

 

 それでも希少な薬になる生物資源がある為、一応の管理が為されていた。

 

 そんな大地に今、十万を超える軍が集結しつつある。

 

 川を渡り切った東側の軍勢。

 

 崖下を通って来た北側の軍勢。

 

 陸路で先を急いだ東側の軍勢。

 

 三方向合わせて現在の軍は13万程もある。

 

 その陣は今やテントも合わせて無数に旗と煮炊きの煙を吐き上げ、明日の開戦に向けて急いで陣容を立て直している。

 

 そう、1万以上の軍勢が先走り、地獄を見たのだ。

 

 凡そ100騎の敵は粗末な鎧を着込んだ肌を黒く塗った兵。

 

 だが、その兵が死なぬとあれば、どうか?

 

 勿論、神の名の下に勇敢に戦った者達は多い。

 

 だが、その動揺は今や多くの兵達の間で噂となっていた。

 

 これだけの数がいても未だ勝てるか分からない。

 

 そんな不安を吐き出すように何処の部隊も同じ話題で持ち切りだ。

 

 それは死なぬ兵よりも尚怖ろしい。

 

 ああ、死んで泥の泥濘地に引きずり込まれた味方が蘇るというのだ。

 

 それは実際に目撃された。

 

 先行して打ち倒された100騎の竜が、沼地に沈んだ騎兵が、泥の中から蘇って実際に多くの兵達を遮るように戦い始めたのだ。

 

 死なぬ兵に蹂躙された独断専行した部隊は1万人以上だったというのに……その多くが死なぬ兵と戦いながら、脚を竦ませ、動けなくなって次々に無様に剣で屠られて沼地に墜ちた。

 

「そんな事は有り得ない。あの勇猛果敢なイピリテ様が敵を前に恐怖で動けなくなるなど!!」

 

「止めよ。死なぬ兵や死んだ同胞と戦う。そんな状況にあってはさすがのイピリテも一溜まりも無かったのであろう……」

 

 部隊長級の男達の動揺は兵にも広がっている。

 

 だが、政治的にも教義的にも敵を撃滅せずして後ろを見せる事を許されていない男達はそれでも勝たねばならなかった。

 

「そろそろか」

 

 明け方頃。

 

 宵闇の終わりに乗じて黒い陣刺々しい陣を遠目に見る兵の多くが、正しく神の兵として戦わねばならないという事実に打ちのめされ、誰もが家族の事を誰かと話すやら、神に祈るやら、騒がしいと言わざるを得なかった。

 

 だが、ブンバルドはそれを咎める事も出来ず。

 

 竜騎兵達からの報告を逐次受けていた。

 

 本陣の天幕の内部。

 

 次々に入って来る報告は常軌を逸している。

 

 彼らはゼーテから冬用の防寒具を大量に支給させている。

 

 だが、敵兵は棒立ちで今は陣の全周を覆うようにして100騎が分散しているという。

 

 それも休むことなく立ち続けている。

 

「死人は休まない、か」

 

 もしも、これが通常の戦力であったならば、彼は消耗戦を仕掛け、時には待つという手法を用いる事も出来た。

 

 だが、死人が蘇るなんて馬鹿げた敵の力を前にしてはソレも出来ない。

 

 1万人以上の部隊が沼に沈んだのだ。

 

 冬で固いはずの沼地の表面は固い泥として踏み締められるはずだが、倒された者達は次々に沈んでいったとの事。

 

 もしかしたら、その1万が敵になるかもしれない。

 

 そうなってしまえば、もしもが有り得る。

 

「……我らに負けは許されんのだ。許されはしない、のだ……ッ」

 

 朝餉として肉の入った温かなスープを13万の兵が取る。

 

 それは死出の支度だ。

 

 いつもならば、固い乾物を冷たい水で流し込むだけだっただろう。

 

 だが、今は薪を用いて、大きな鍋で全ての者達にスープが与えられる。

 

 椀を持って朝方に並ぶ兵の多くは泣いている者も多かった。

 

 こうして日が完全に開ける直前。

 

 バルトテル最大最後の歴史に残る戦争が始まる。

 

「これより、総軍で突撃を掛ける。包囲を狭めながら、兵を絶えず戦場へと流し込め。敵が死なぬとしても、死人を蘇らせるとしても、それすらも押し潰す物量で同胞を道にしても沼地を走破せよ!!!」

 

 それは作戦も何も無い本当に単純な力押し。

 

 だが、戦いが長引けば、自分達が負けるという確信があったブンバルドは竜騎兵の力を借りて、命令を出し、巨大な西部の貝を加工した貝笛を次々に指示して高く高く音を響かせた。

 

 此処にバルトテル総軍が動き出す。

 

 彼らの旗にあるのは神と崇めし、名も無き光の獣。

 

 西部の砂漠を顕す砂色の旗に黄金の糸を編んだソレが一斉に振られ。

 

「全軍、突撃ぃいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 

 ブンバルドが自らの曲刀を掲げて、振り下ろす。

 

 大地は人の足音で唸りを上げ、鬨の声が戦場に押し寄せ始める。

 

 その距離、約8km。

 

 しかし、冬の沼地は馬も歩けるほどに固い。

 

 先行する部隊はエリートである神官戦士団だ。

 

 その背後と脇をバルバロスに載った騎兵が固めている。

 

 獣型バルバロスの捕獲技術は彼ら独自のものだ。

 

 通常の動物よりも遥かに強靭な体躯、水と普通の動物よりも少ない食料で動く【ラウフェ】と呼ばれる灰色の獣型バルバロスはオオカミよりも大きいが、馬よりは小さい。

 

 丁度、ロバくらいの大きさだろう。

 

 乗りこなす事は比較的容易で乗る事が出来れば、神官戦士として認められる。

 

 顎の力が強く。

 

 人間を食い千切るのに苦労の無い獣となれば、敵と戦う時は優れた相棒となる。

 

「息を合わせて隙間を作るな!! 誰か一人でも陣の中央にいる悪女を討ち取ればいい!! バルトテルに栄光在れぇえええええええ!!」

 

 第一陣の先行する騎兵部隊は全方位から殆ど隙間らしい隙間もなく次々にkm単位の沼地を駆け抜けていく。

 

 無論、途中で程々に休ませながらだが、それでもその進軍速度はかなり早い。

 

 通常の馬が疲れた場合は【神騎獣】に載った者達が風から護るように列を組んで走り易くもする。

 

 こうして、ほぼ1km圏内まで1万騎に近い騎兵がそう時間も掛からず到達。

 

 そのまま敵を蹂躙して押し潰すかに見えた。

 

 だが、しかし、そうはならない。

 

 次々に彼らの後方集団が脱落し始めたからだ。

 

「な―――」

 

 彼らは一瞬後ろを振り返って、見てしまう。

 

 沼地の底から無数の黒い手が出ていた。

 

 それが次々に馬やバルバロスの脚を引っ張っていたのだ。

 

 しかも、勢いが付いた最中に脚をやられた騎獣の大半が転がるやら脚を折られて、乗っていた者達を投げ出し、落馬と鎧の重さで気を失うやら衝撃で内臓をやられた者達が吐血しながら、一緒に自分の相棒と共にその無数の黒い手で泥の中へと引きずり込まれていく。

 

「ひ?!!」

 

 それはまるでこの世の終わりに飲み込まれていくかのような恐怖で彼らの足並みを乱し、次々に立ち止まる者や背後の友人や同僚を救おうとする者達を同じ目に合わせて腕の餌食にしていく。

 

「振り返るなぁあああああああああああ!!! 前を見て走り続けろぉおおお!!!」

 

 聡い者達はそう叫びながら、数十mの先の陣まで到達しようとしていたが、黒い幕に覆われた陣内部から放たれた大量の低速弾の弾幕で騎獣を打ち倒された。

 

 彼らは陣の一部の幕が弾けて消えるのを見ただろう。

 

 そこには百にも満たないだろう黒い不死の兵隊達が得たいの知れない射撃兵器を構えていたのだ。

 

 それは無骨なショットガンの群れだ。

 

 低下力で広範囲をカバーするわざと殺傷力を抑えて飛距離と命中率に重きを置いたソレは特殊な薬液で内部にある小さな鉄のボールを火薬の勢いで飛散させる。

 

 遠距離だと威力が無い散弾であり、彼らとの距離で最低威力で撃ち抜ける限界で放たれた事でソレは極めて高い能力を発揮する。

 

「ぐぁ!? だが、この程度ッ!! 進―――ッ?!」

 

 肌に食い込む小さな小さな鉄球に怯まず陣地に突入しようとした男達の多くが最後まで言葉を紡ぐ事も出来ずに落馬していく。

 

 威力の無い散弾は肌に食い込む程度だが、すぐに効果を露わにしていた。

 

 仕込まれていた痺れ薬。

 

 実際には調合された筋弛緩剤でコーティングした散弾の鉛玉が男達と騎獣の下半身から回ったからだ。

 

 かなり強い薬であり、肌から浸透しても威力がある為、散弾の表面程度に塗られている分でも十分に効能がある。

 

 今までバルバロスを倒して来た生物毒の研究は一段階先に進んだと言える。

 

「が、からだ、が……ぅ……」

 

 運悪く肺や心臓近い場所に被弾した者達は次々に呼吸困難に陥りながら、横隔膜を痙攣させつつ、再び地面から伸びて来た黒い腕によって泥の中に引きずり込まれていく。

 

 しかし、その騎兵の有様を見ても、全軍突撃は続いていた。

 

 走れ、走れと急かされた兵達はジワジワと沼地を制圧しつつあり、後続から次々に騎兵に遅れるなと歩兵が押し寄せて来ている。

 

 2時間もせずに戦場は男達の脚で走破されるはずだった。

 

 無論、何も障害が無ければ、の話である。

 

 最初の歩兵の戦闘集団が1km付近に差し掛かった時、その行く手には黒い腕が沼地から這い出し、次々にバルトテルの兵が付けている鎧姿の黒い肌の兵が上半身を起こして波濤のように押し寄せて来る兵に対して剣を向けた。

 

「死者が出たぞおおおお!?」

 

「う、うわ、あ、あぁあ!?」

 

 死して神の手で復活する事も出来ず。

 

 現世に悪の手先として再誕し、二度と蘇る事が出来ない。

 

 西部宗教の教義を幼い頃から刷り込まれた人間程に恐怖で立ち竦むのは確定的である。

 

 しかも、相手は死なない兵なのだ。

 

 どうやって勝てばいいと言うのか。

 

「狼狽えるなぁああああ!! 押し潰して先に向かえぇええええええ!!!」

 

 だが、例え、死なない兵だろうと数が上回っているのならば、大多数の兵士は陣地に突入出来るはずだと損耗覚悟で指揮官達は突撃を敢行。

 

 泣き叫び、やけっぱちになった兵士達の自暴自棄な突撃で次々に死なぬ兵は生きた兵に圧し潰されるようにして呑み込まれていく。

 

 だが、無論のように次々に沼地から湧き出す兵に捕まって切り付けられたり、その兵を抑え込もうとする兵が脱落していき。

 

 その数は全体でも1割にも届いただろう。

 

 それでも未だ9割の兵が進み続けている。

 

 後方からも大河の如く流入する人の波が押し寄せて来る。

 

 後詰の部隊までも投入しての一気呵成の攻めは数千の死なぬ兵達の壁を突破して、遂には陣地の400m先まで迫っていた。

 

 *

 

「まったく、優秀過ぎて有難い。臆病者が少ないってのは助かるな」

 

 正しく戦場の中心となった星型の黒い陣地の中央。

 

 石製の玉座に座ったまま。

 

 素足を地面に付け、戦場全体を俯瞰するように沼地の下に走らせたクラゲの脚を沼地の端の泥の中まで伸ばした後、僅か出して偵察する瞳や耳で情報収集していた。

 

「ぅ……気持ち悪い。やっぱ、映像音声の複数処理は普通の人間の脳には無理があるんだろうな……」

 

 僅かな吐き気を抑えながら、沼地の内部に殆ど全てのバルトテルの兵が入った事を確認して、小竜姫そう呼ばれる存在は肩を竦める。

 

「……将官クラスは最後方か」

 

 死なぬ兵士など存在しない。

 

 そして、ソレらが使うのも妖し気な呪いや魔法の類ではないのだ。

 

 高々、北部で量産していた試作品のショットガンとライフル用の散弾を用いた合わせ技にしか過ぎない。

 

 元々、弾用の資材は積んでおり、組み上げるだけで良かった。

 

 コツコツカスタムした弾は正しく重要な役割をしてくれている。

 

 そもそも竜騎兵が最初に釣れた事は極めて幸運だったというのもある。

 

 そして、事前の準備で吊れた1万人弱もしっかり使わせて貰っている。

 

(ま、今は沼地の下でスヤスヤ寝てるけどな。全員分の衣服、鎧、便、屎尿、ありがたく頂いた)

 

 そもそも未だ殆ど死者など出ていない。

 

 竜騎兵を撃ち落とす際もギリギリまで惹き付けたので100騎中2人が落下時に即死で蘇生が間に合わなかった。

 

 やはり、脳がショック死するような場合だと脳波は短期的に戻らないらしく。

 

 今は仮死状態だ。

 

(周辺の水草を原料にしてクラゲさんを肥大化。樹木と沼地の水を取り込んで凡そ100トン前後の警戒網……人間の細胞を真似てガワだけそれっぽくしてバレないように黒く偽装。まったく、グアグリスに脚を向けて寝られないな。オレは……)

 

 全ては計算を元にした巨大な檻にしか過ぎない。

 

 沼地という環境はグアグリスの生育に必要な水分と必要な栄養分であるタンパク質を持ち。

 

 冬の寒さでも泥の下は一定温度に保たれているという好条件。

 

 コレを更にグアグリスの細胞同士を擦り合わせて温度を上げて、固まった泥の数m下では網目状のクラゲさんの手足が蠢いている状態なのだ。

 

 その脚の上に植物を大本の栄養源として適当な人物の細胞で人型を形成。

 

 それを根から離れないように脚を付けさせたまま。

 

 ガワに鎧を付けた代物が死なない兵士の正体である。

 

 竜の方は散弾で撃ち落とした後にすぐに蘇生して侵食。

 

 空を飛べない状態もしくはクラゲの脚が見えない地面の上にちょっと浮かぶ程度の浮遊する乗り物として騎兵のように移動させて使っている。

 

 破壊されても死なない人形兵士をこれに載せて軍勢は出来上がりである。

 

(そもそものタンパク質が足りない。沼地で動かせる人形の数は3万が限界。これを壁にして空を跳べない竜騎兵100を騎兵として運用。それでも10倍差は短期戦だと押し切られるな。コレ……)

 

 言う程に最強無敵の力ではない。

 

 環境に左右される為、砂漠地帯などでは殆ど役にも立たない大規模戦闘用の能力としてグアグリスを運用しているだけだ。

 

(人形の方は最初から命令をして、自動で設定した事しかしないから必要になったら都度命令を送らないと柔軟に運用出来ない、と)

 

 しかも、相手の兵を極力殺さぬよう麻痺用の薬液を足元から空中に漂うクラゲの見えざる触手で少しずつ兵士達に注入して身動きを封じる関係上。

 

 最低でも20秒は動かれてしまう。

 

 動けなくなったものを今現在は次々に沼地に引きずり込み。

 

 すぐに背骨から侵食して、相手の血流を操作して一時的な酸欠で昏睡させつつ気絶という形を取っているが、繊細な作業である為、逐一足元から伸ばした警戒網と直結する細胞の管から命令してやる必要がある。

 

 幸いにも人間そのものからある程度の糞尿が取れるので若干リソース管理が楽である事以外は綱渡りなオペレーションだ。

 

「……ようやくお出ましか」

 

 数百m先から走って来る一団があった。

 

 当に馬は地面に吸われ、泥塗れな様子ながらも脱落する部隊の隙間を縫うようにしてやってくるのは間違いなく大将首だろう。

 

「ブンバルド。だったか?」

 

 一応、調べはしたのだが、基本的には名前と外見くらいしか分からなかった。

 

 それにピッタリ合致しそうな神官戦士の親玉っぽい相手が走って来れば、それは確定だろう。

 

 他の者達を次々に腕で脱落させながら、男一人になるように誘導する。

 

 また、本陣に到達しそうな部隊に対しては遠方からの虎の子の散弾でとにかく遅延行動を試みた為、後1時間は本陣到達まで時間が掛かるだろう。

 

 出来過ぎなくらいに周囲の部隊が最後尾から来た神官長と呼ばれているらしい男を助けて、脱落していく。

 

 その行為は正しい。

 

 事実、この身一つ切り裂けば、それで戦争は終わるのだ。

 

 短期決戦を選択した上で計算づくのゴリ押しで不可思議な敵軍を圧倒。

 

 もしも、これで自分が討ち取られたならば、西部ではブンバルドの名は正しく世紀を跨いだ英雄譚として末永く西部の子供達に愛されるだろう。

 

「が、残念な事にここで西部の宗教国家バルトテルはお終いという……悪い事したな。いや、本当に……」

 

 しばらく待っていると黒布を切り裂いて只管に猛進してきた武勇も体力も軒並み桁外れだろう超人が息を切らしながらも本陣の中心に何とか到達していた。

 

 最後の一枚が切り裂かれ、男が息を整えるように歩き、数m先までやって来る。

 

「貴殿がッ!! 帝国の敵将!! 小竜姫フィティシラ・アルローゼンか!!」

 

「さようです。玉座にて失礼します。ブンバルド殿……」

 

「これが、こんな小さな貴殿がッ、この地獄の軍団をッ!! 帝国ッ!! 神に徒名す反逆者!! 何と言う事だ!! これが悪虐大公のやり方か!!」

 

 男は世の無常を憂うようなやり切れない様子ながらも、ゆっくりとこちらに近付いて来る。

 

 どうやら小さな女の子の姿では斬るのも一苦労だと思ってくれるらしい。

 

 人間は出来ているようだ。

 

 これで宗教基地外でなければ、案外人の良いおじさんなのだろう。

 

 何事も断片的には解らない事が多い。

 

 一応、軍服にしているとはいえ。

 

 それでもそのこちらの小ささは折り紙付きらしい。

 

「取り敢えず、お茶はありませんが椅子ならば、あります。そちらにどうぞ」

 

 黒い腕で組み上げた椅子を勧めてみる。

 

「悪いが、外では我らが信徒にして部下達が命を張っているのでな。その御命頂戴仕る」

 

「そう言うのにどうして椅子に御座りに?」

 

「ッ―――ぐ、か、体をッ!? 怪しげな力を使ったな!?」

 

 神経の侵食は此処に来るまでに気付かれないようにこっそりと触手さんで済ませてある。

 

 まぁまぁ、バレないようにしたし、椅子に座れば、もう物理的に動く事は不可能だ。

 

 神経がそもそも全てこちらの掌握下では気合や精神論ではどうにもならない。

 

「ぐ、ぐぅぅっっ」

 

 歯が割れそうな程に食い締めて抗うものの。

 

 遂にはその椅子相手の体は座ってしまう。

 

「帝国ッ、邪悪なり!!」

 

「邪悪なのはそちらの教義だと思いますよ」

 

「何ッッ!!? 我らが教義を愚弄するか!?」

 

「どうやら、何故今回のような戦を我々が起こしたのか。まだ、分かっていないようですね」

 

「何だと!?」

 

 どうやら、自分達が攻めていると思っていたらしい。

 

 それは間違っていないが、どちらにしても西部の独立と同時にバルトテルには大人しくしてもらう為に色々と画策はしていたのだ。

 

「そもそもの話として、バルトテルは戦争をする理由が無かったのですよ? 国土の回復なんて無駄な事をしようとするのがまず不合理でしょう。帝国との消耗戦で勝ち目があると思っていたのが敗因ですね」

 

「何だと!? 我々が帝国に負けるというのか!?」

 

「こうして負けているのでは?」

 

「ぐ、これはそちらの怪しい力のせいだ!? 神を冒涜する異端者め!?」

 

「……異端者、ですか。ならば、まずは歴史から紐解く必要がありそうですね」

 

「何を言っている!?」

 

「貴方達の教義、宗教の正当性の話ですよ」

 

「正当性だと!?」

 

 ブンバルドは武闘派らしく何が何やら分からない様子だが、これが本国の大神官のようなクラスになれば、きっとピンと来るのだろう。

 

 本国では恐らく秘密や機密の類な情報はこちらの古い歴史資料には数多くある。

 

「取り敢えず、結論から言えば、バルトテルはエゼルギア時代に我々帝国の三民族から派生した一部のバルバロスの力を用いた高位の能力者。バルトテル風に言えば、祝福の力が強い者達が立ち上げたブラスタの血族の傍系なのですよ」

 

「な―――何を言っている!?」

 

「まぁ、聞いて下さい。わたくしは西部を預かってから、西部の成り立ちに付いて歴史資料などがエゼルギア時代から残っている場所で書簡などを歴史家の方々の力も借りて研究していたのですが、バルトテルの創立期のエルゼギア内の情報にブラスタ他の民族の中から出奔者が出ているという記述を見付けました」

 

「それが我々の祖先だと?! 馬鹿馬鹿しい!? 何を根拠に!?」

 

「そう言われるだろうと思いましたが、共通点は最初からあったのですよ。貴方達の神である光のバルバロス……神としか俗称されていないソレはどうして名前を持たないのか。そして、それがどうしてだったのか」

 

「貴殿にソレが解ると!?」

 

「理由は単純です。当時は奴隷身分だった各三民族もまた【ブラジマハター】を崇拝する者達であり、分派として出奔した彼らには名前を使う事を許さなかったようなのですよ」

 

「―――?!!」

 

 ブンバルドの顔色が変わった。

 

「そ、それだけで証拠になるというのか!?」

 

「貴方達の国家では過去の創立期の事は神話としてしか伝わっていませんが、こちらには古い文献と書籍がしっかり残っていました」

 

「デタラメだ!?」

 

「独立した分派の者達の容姿は今の西部の者達と同じだったそうです。その頃の西部は未だ開拓地としては未踏でした。理由は殆ど人間に砂漠が越えられなかったから」

 

「ッ」

 

「そちらの創世神話にも同じような個所があるはずですよ。高祖は遥か東の果てから来たらんとか? 暈してますが、エルゼギアです。彼らは奴隷身分に嫌気が差した優秀な能力者。祝福の力を用いて砂漠を越え、新たな理想郷を求めた開拓者だったのですよ」

 

「だ、だから、何だと言うのだ!? そうだとしても、もはや我々は独立国家だ!!」

 

 少しずつブンバルドにも余裕が無くなってきているようだ。

 

「恐らく、当時の教義は本家であるエルゼギアから持ち込んだ教義を厳しい砂漠や西の果ての海辺で暮らす団結の為、厳しいものにせざるを得なかった」

 

「………ッ」

 

「それは当然でしょう。人数が少ない上に当時の医療技術は発達していなかった。薬の知識とて多くは無かったし、砂漠や海辺で獲れる産物ではエルゼギア周囲で出来た高度な加工品である薬品の類も出来なかった可能性が高い」

 

 ブンバルドがようやくこちらを厳しいながらも、何処か困惑も混ぜたような視線で見ていた。

 

「当時は厳しい教義で良かった。それが人々の生活の安定と命を護るものだったから。しかし、いつの頃からか。血筋や継承される位が固定化された事で教義は教条的に解釈されるようになり、融通が利かないまま、変更も無いまま、権力者の玩具になってしまった」

 

「ッ、貴殿に我々の国の何が解る!?」

 

「宗派の内部の人間で意にそぐわない者や新しい事をしようとする者を弾圧し、合法的に殺す為の法が作られた。それも大半は代々神官を継ぐ家系を維持する為にです」

 

「それ、は……ッ」

 

「このような部分は帝国と似ていますね。問題はバルトテルが国家として拡大していくに連れて本来的な意味での宗教が単なる集金機構、資産や労働力を民から吸い上げるお題目になってしまった事です」

 

「ッッ」

 

 どうやらグサリと心に来たらしい。

 

「バルトテルの内部事情を聞けば、さもありなんというところでしょう。今や祖国は宗教で人を食い物にする頭の固い者達の巣窟。国家の指導がそんなのに務まるとでも?」

 

「言わせて、おけば……ッ」

 

 悔しいらしい。

 

「その点では帝国は優秀ですよ。残酷さは持ち合わせていますが、基本的に新興国であり、最も優秀な人材達は民族を生かす為に他者を殺し尽す事で周辺から有事の目を摘んで、帝国の基盤を盤石にした」

 

「帝国の蛮行を誰も許すと思うな!?」

 

「ただ滅ぼしただけではないのですよ。相手の文化やその他の細々としたものを拾い集めて繋ぎ合わせ、無理やり一繋がりにして取り込んだ。お解りですか? バルトテルが挑んでいるのは―――」

 

 どうやらブンバルドにも解ったらしい。

 

 顔色が蒼褪めていく。

 

「継ぎ接ぎだらけの怪物かもしれませんが、何一つとして進んでいない貴方達を超える数多くの力を取り込んだ本当の巨大国家。資本力だけでバルトテルの20倍以上の差がある存在なのですよ」

 

「―――く、怪しげな力を使うの間違いだろう」

 

 溜息を一つ。

 

「その怪し気な力こそが、貴方達の自慢だったはずでは?」

 

「何だと!? 我らの力を侮辱するのか!?」

 

「いいえ、バルバロスの呪い。いえ、祝福でしたか。神官戦士はバルバロスの一部を体に取り込ませて、強さの質を上げているという事ですが、どうして高祖のような奇跡染みた力が使えないのか。考えた事はありませんか?」

 

「な、何、それでは貴殿は使えるような口―――?!!」

 

 どうやら気付いたらしい。

 

「帝国はバルバロスを滅ぼす力に長じていた。それはバルバロスを知っていたから。その力を使っていたから。けれど、それを公にはせず。軍という母体に知識と研究を移譲したからなのですよ」

 

「ま、まさか……この力は!?」

 

「ええ、南部でならば、バイツネードが持っている力。北部ならば、土着宗教の神官や一部の王なども短命になるのを承知で取り込む事があるそうです。ほんの少しだそうですが……」

 

「二つの民族。元々が同じであるというなら、そちらが……」

 

「奇跡は分かたれましたが、その片方は止まったまま。もう片方は進み続けた。最初から勝ち目があるわけもない」

 

「ッッッ」

 

 ブンバルドの体が僅かに震え始める。

 

「貴国バルトテルは失敗しました。もしも、貴方達が帝国よりも早く。進む事を選択していれば、バルトテルはエルゼギアを併合し、我々はその中に組み込まれていたでしょう」

 

「……だが、我々はッ」

 

「ええ、道を誤ったと分かったところで時間は巻き戻らない。そして、帝国の軍部はこういった事を公にせずに上層部の中だけで隠していたのでしょうが、その温情も貴方達は裏切ってしまった」

 

「おん、じょう?」

 

「帝国がいつもの調子で西部を攻めていたならば、もっと早くに真っ当ではない方法でバルトテルを滅ぼしていたはずですよ」

 

「馬鹿な……そんな事あるわけない。あるわけが……」

 

「それこそバルバロスの力を用いて……しかし、軍上層部は真っ当な戦争で勝つ事を優先し、その後も殆ど放り投げていた。理由は一応は同胞である民族への同情、くらいしか思いつきませんね」

 

 ブンバルドが項垂れる。

 

「……ふ、ふふ、真実、か。儘ならぬものだ……」

 

「信じるのですか?」

 

「ああ、信じていいとも。だが、な……それでも我らは負けん。切り札は最後まで残しておくものだ。フィティシラ・アルローゼン!!」

 

 ブンバルドの瞳が燃え上がる。

 

 その時、最後方の兵糧を持って来ていた馬車の中から次々に何かが飛び出してくる。

 

 それは白かったが毛が無く。

 

 ツルリとした人肌を思わせる表皮と口しかない顔。

 

 そして、異様に膨れ始めた体を震わせながら、6メートル程になったソレらが次々に口内を全開にして空に向け、濛々と何か白い煙のようなものを吐き出し始めた。

 

「バルバロスの類ですか?」

 

「死なぬ兵とて殺して見せよう!! 我らが切り札を味わうがいい!!」

 

 男の口内から白い小さな瞳のようなものが顔を出す。

 

「操る為の力だと……ふむ」

 

「もうこちらを殺しても遅い!!」

 

 ガチュンと男が瞳らしきものを噛み潰す。

 

「これで我らの勝利だ!! 【イムル・サミ】は高祖が使いし、神獣!! その息は空虚なる器の肉となりて、巨大な獣へと変貌する!!」

 

 言われた通り、沼地に入る寸前の車列から出て来た白いウナギっぽい頭部の四足歩行の何かが吐き出した白い息が次々にこちらの人形に群がって、開放されたものが素早く陣地目指して走り出す。

 

(この熱量? ハチみたいな戦い方だな。小規模な蟲のようなバルバロスが押し固まって、連携する事で中心温度を爆発的に上げる……もう120度を超えた?)

 

 大量の白い煙は蟲のような何かだ。

 

 次々に黒い人形を攻撃したソレらは周辺の掃除が終わると吐き出したバルバロスに憑依するかのように寄り集まり、巨大化していく。

 

 それは本陣からすらも見えた。

 

 凡そ10mのものが20体。

 

 それが猛烈な速度で走り出すと慌てた兵達が歓声を上げながら道を開けていく。

 

「終わりだ!! フィティシラ・アルローゼン!! 面白い話だったが、バルトテルは再び西部を治め、お前達帝国を滅ぼすだろう!!!」

 

 狂気的な笑みでブンバルドが叫ぶ。

 

「本当に……聞き分けの無い子供を見ているようですね」

 

 こちらが余裕な様子に男が僅かに汗を浮かべる。

 

「お前は既に負けている!! 潔く―――」

 

「群体生命と共存している生物、ですか。ですが、それらの対策は既に終わっていますよ」

 

 理由は単純だ。

 

 南部から輸入して、祖国の地下道にいるのは正しくソレの類だったからだ。

 

 上空に玉座に立て掛けて置いた銃を上空に打ち上げる。

 

 信号弾である。

 

 北部で休んでいる時に研究所で開発が終了した試作品だが、試験もバッチリ通過した代物であり、これならば雲くらいなら空かして上空にも光の合図が届く。

 

 紅い輝きが空に撃ち上がった後。

 

 煌々と燃焼して周囲を照らし出した。

 

「仕方ありません。出来れば、使わずに済ませたかったのですが……」

 

「な、何をする気だ?!!」

 

「切り札は最後まで残しておくものだ。という事ですよ」

 

 ニコリとしておく。

 

 玉座の後ろに数百本程本国から輸送させていた無数の超重元素の塊を加工した電磁石をコイルで覆ったソレを触手で固定化して回転させる。

 

 内部で始まるのは電気の量産だが、重要なのはそこではない。

 

 今までオートで操っていた人形を全て回収。

 

 地面内部の経路を用いて、養分を丘へと集約。

 

 化け物達が到達するまで一分程だが、問題など無い。

 

 それよりも早く陣地に集積され始めたタンパク質と各種の栄養素で下地は出来ている。

 

 全ての細長いモーター。

 

 尖端がドリル状になったソレを地面に突き刺して内部へと穿孔。

 

 丘の下で全てのクラゲさんの触手を統括している母体にジャックイン。

 

 この冬の寒空の下で泥の壁で保温していたソレは与えられた電気による熱で猛烈な速度で本来の増殖速度を取り戻す。

 

「―――地面が?!!」

 

 動いた丘が崩れ去っていく。

 

 その下から輝くものを露わにしていく。

 

 だが、その形はそもそもが自在だ。

 

 馬鹿正直に正体を晒す必要も無いのならば、相手が最も戦い難いものに擬態するのは常套手段であろう。

 

 椅子が丘からずり落ちて開放されたブンバルドを下に見ながら、形態変化させたソレの全身にモーターを配置し、その周囲に電流で熱量を発生させ、活性化を加速させると同時に輝かせる。

 

 まぁ、簡単に言えば、原理的には原始的な有機EL……テレビのご先祖様みたいなものだ。

 

 電界を印加すると専門用語で言うらしいのだが、要は有機物で電気によって発光する物質を作っておけば、LEDみたいに光るのである。

 

「輝く、竜?!! だと!!?」

 

 丘が雪崩のように押し流されていく。

 

 この世界において超重元素を用いる生物が時々発光しているのは有機物が電流で輝いているからなのだ。

 

 基本はLEDや有機ELと違わない。

 

 問題はそれが自然物としてこのような振る舞いをする事にある。

 

『あ、あれは何だ!? 輝く巨大な―――アレではまるでッ、まるでッッ!!?』

 

 兵士達に動揺が広がる中。

 

 熱量で活性化して、輝き始めたスライム状のソレが鱗を生やしていく。

 

 いつも便利に使っている例の鱗さんである。

 

 剣に出来たり、盾に出来たりするので重宝しているが、超重元素を事前に摂取していないとちょっと尋常ではない硬さの鱗でしかない。

 

 バルトテルの前に出現するのは輝く黄金の巨大竜。

 

 馬鹿げた話だが、ブラジマハターを記した最古の古文書に描かれたものと同じだ。

 

 問題はソレが西部のバルトテルにおいても主神である事だろう。

 

 今は時代の芸術家達が生み出した象形がブラジマハターとして通っているが、最初はこういうありきたりな姿だったのだ。

 

 さすがに僅か驚いた様子になった神獣とやらだったが、すぐに飛び掛かって来る。

 

 だが、大きさはこちらの方が上だ。

 

 20mの巨体の腕から生えた鱗を剣と無し、横薙ぎに切り裂く。

 

 両断された神獣だが、その体内から這い出して来る白い蟲の群れがこちらに取り付いて熱量で焼き払おうとした。

 

 だが、猛烈な温度というのはこちらにしてみれば、有難いものだ。

 

「さて、行くぞ」

 

 熱量を鱗を通して電動されたグアグリスは更に活性化し、駆動するモーターからの電気と熱を使わずに維持出来るようになった部位からモーターを触手で打ち出し、幾つもの神獣を穿ち、死んだ獣から飛び出す蟲の大群の熱量で更にグアグリスが増殖していく。

 

 未だ呆然自失となっている男達は数百m先で起る怪獣大乱闘に放心中だ。

 

 沼地全体の地下にも熱が伝導し、活性化するおかげで戦闘効率もこちらは上がっていく。

 

 その合間にもそろそろ身動きし難いくらいに蟲が湧いて来たので半数をコイルの中心部にあるヤスリ状の中心を叩き付けて外層を剥がし、全身に群がるソレを削り落とす。

 

「さっぱりしたな。やっぱり、蟲はちょっと……」

 

 現在、頭部の上の玉座に座ったままの自分に近付いて来たのは蠅獲り紙よろしく粘性を増したドーム状のクラゲさんの触手で受けて取り込んでいる真っ最中。

 

『アレは、アレは我々の神なのか!? だが、神獣様を―――』

 

 次々に剣で切り伏せていく神獣はどうやら白い蟲と共存関係にあるらしいが、共存先に認めるかどうかはどうやら温度に耐えられるかで判断するらしい。

 

 普通に戦えば、並みの軍隊ならば、成す術もない。

 

 帝国軍でも対抗策が無い部隊は全滅だろう。

 

 しかし、生憎とこちらはとても相性が良いクラゲさんである。

 

 熱量を放出し終えた蟲達が今度は何を思ったか。

 

 次々にこちらのクラゲさんの内部に潜り込んで、こっちを侵食するでもなく生物の回復を早めるような分泌物や傷の痛みを殺す為の麻痺用の物質を放っているようで細胞の活性と同時に僅か動きが鈍くなる。

 

「……共存先を殺さずに使う為か?」

 

 バルバロス脅威の生態である。

 

 最後の神獣を切り伏せ終えた竜は後で普通に解体しようと思っていたのだが、どうやらそうも行かないらしい。

 

 このままグアグリスを融解させれば、内部に潜り込んだ蟲が新しい宿主を探して西部は人間も含めてあらゆる生物が大惨事である。

 

 蟲に群がれて大丈夫だった人間は更に全身を寄生先にされて悍ましい病で死ねない患者みたいな状況になってしまうのは解り切っている。

 

(このまま取り込んで融解させようとすれば、防衛本能で何を分泌されるか分かったもんじゃないし、仕方ない……)

 

 この沼地に封印する事を決定しつつ、竜の形をした口内に遺伝情報から男の喉を無数に生成して声を出せるように全身の小さな穴から吸気。

 

 肺は無いが、そのような調子で風が流れるように調整する。

 

『………愚かなる者達よ。我が名を讃えよ』

 

 CVゾムニス×400くらいの声帯での大音声。

 

 今、神獣を殺し終えたばかりの光輝く竜が言えば、それは正しく神話の世界。

 

『古の昔、西の果てに旅立った者達よ。何故、我が名を思い浮かべられぬのか』

 

 知らないからだ。

 

 だが、その自らの信仰するモノへの興味と確信が事実である以上、何れは誰かが言い出すだろう。

 

 その数を極大化してやれば、こちらのやる事など殆どありはしない。

 

『太古より大地を守護せしは我が聖名(みな)である』

 

 戦場は静止している。

 

 声は途絶えている。

 

 全てはまるで劇画のようだろう。

 

 暗雲が立ち込める最中。

 

 もはや、言葉もないブンバルドがただこちらを見上げていた。

 

『古くは隷奴に身を窶した者も富める者も我が名を呼んでいた』

 

 男達の視線を集めるように竜に兵達をグルリと睥睨させる。

 

 それにへたり込む者多数。

 

『しかし、その人の生に耐え切れず、西の砂原を越えて逃げ延びた者達がいた』

 

 威厳のある声はパターナリズムの基本だ。

 

 家父長制度が染みついた男達にはキャピキャピのアイドルの声よりも父親の優しい声の方が誘導には向いている。

 

『だが、その末は今や我が名を忘れ、自らの始りを忘れ、この大地を血で汚さんとしている』

 

 カランッと剣を取り落とす者が出始めた。

 

 それを責める者は無い。

 

『我が名を秘し、自らが成り代わらんとした愚かなる者達に踊らされ、何故に我が名の在るべき約束の地へ争いに征こうと言うのか』

 

 憤怒よりも嘆く声の方が人間は聞き易いものだ。

 

 悲嘆とは人間にとって怒りよりも長い付き合いである故に。

 

『新たなる試みを止め。自らの子を先へ導こうとせず。我が名を騙る愚かなる血筋は今もそなたらの揺り籠となった地で酒精に酔っているというのに……』

 

 元々、徴兵中の兵なんてのは信仰と共同体からの同調圧力、他には戦争での略奪目当てというのがかなり多い。

 

 だが、大仰な言い回しは基本的に文字を知らない教育指数0な国民にも真剣に聞けというお国柄なので何を言っているのか分からない者もいないだろう。

 

 部隊というのは最低限の男の教育も担う面がある。

 

 それは大抵、相手の言葉を理解するという命令系統、指揮系統の確立に必須な能力を決して疎かに出来ないからだ。

 

『我が巫女はこの母なる大地を統合せし、新たなる革新の先駆けである』

 

 この手は出来れば、使いたくなかったのだが、しょうがない。

 

 プランを幾つか組み合わせて切り替えつつ、次の西部独立までの諸々の計画変更を脳裏でやっておく。

 

『我が力、我が腕、その全てを与えし後、やがて大陸に真なる安寧を齎すだろう』

 

 剣を自らの腰に同化させるようにして溶かしながら消して、地表へと沈み込ませていく。

 

 現在、沼地全体に声が響くように泥の中から同じように声帯を再現した触手が声を上に届けているが、誰もが共鳴するように沼地全体から響く声に全てが此処から発されているものと勘違いしてくれる事だろう。

 

『我が巫女の名において、新たなる生と癒しを与えん。全ての愚かしき行いを清算する為、己の揺り籠の地へと戻るがいい。然る後に未だ愚か為れば、我が鉄槌にて汝らの大地を滅ぼさん』

 

 ズブズブ沈み込んでいくグアグリスの体を覆うように周囲の土を再び地下茎にも似た触手で盛り土にして丘の上に溶け掛けた鱗の剣を突き刺さった感じに置いておく。

 

 倒れないように地下にも土台となるプラモのスタンド染みた場所を生成して繋げて置いたのでこれでそれっぽく見えるだろう。

 

 後は剣の下に玉座を置いておくだけでいい。

 

(お、ようやく始まったな)

 

 地下で眠らせて置いた者達の意識レベルを酸素を供給しつつ上げて、地表へと泥の中から浮かび上がらせるようにして排出する。

 

 鎧の下の衣服はそのままなので寒さはそこらの兵士と変わらないだろう。

 

 また、今回の戦争で出た怪我人を治療するべく。

 

 体を麻痺させて、こちらに意識が向いている間にこっそり脚から侵食したクラゲさんが細胞単位で治癒させておいたので複雑骨折や内臓破裂も頭部の損失及び即死で脳波がフラットになった者以外は前よりもよく動くに違いない。

 

(しばらくしたら、また来なきゃな……)

 

 グアグリスに命令をして蟲達と共に休眠状態にしつつ、ようやく玉座から降りる。

 

 その頃には空の上からリセル・フロスティーナが降りて来ていた。

 

 周囲には状況を見極めようとしていた数百騎の竜騎兵達がいる。

 

 彼らが戦闘を停止しているのは単純な理屈だ。

 

 条件付き降伏と同時に無条件講和と西部の独立を保障する旨の事を命掛けでウチの優秀な竜騎兵の皆さんに言わせていたからだ。

 

 今まで高高度に逃れていた船から飛び立った竜騎兵の強さは尋常ではない。

 

 というのは、戦場で戦う相手ならば、分かった事だろう。

 

 そして、戦場での出来事を雲の下でずっと聞かせていたのだ。

 

 囲い込んだ竜騎兵は結局最後までこちらに攻撃を仕掛けて来なかった。

 

 それは状況もそうだが、自分達の正当性が揺らいだ上に帝国は手打ちにする事が出来る相手だと思ったからに他ならない。

 

 次々にやってくるのはゾムニスを除いた四名。

 

 デュガ、ノイテ、フォーエ、ウィシャスの面々だ。

 

 一応、他の者達の手前。

 

 顔色はいつものように呆れたものにはしていなかったが、それにしてもやりやがったなという瞳だけは隠しようも無かった。

 

「では、戦後処理と往きましょう」

 

「「「「………(・ω・)」」」」

 

 誰も何も言わなかった。

 

 周囲を見渡してみれば、20m程先にブンバルドが愕然としたまま。

 

 今も屹立する巨大剣を見上げていた。

 

 傍まで行くとガクリと項垂れる。

 

「これが我らの敗北か……」

 

 もはや戦う気は無いらしい。

 

「いえ、これが貴方達の本当の始りです。古の文書に書かれてあった貴方達の高祖の言葉を伝えましょう」

 

「何……?」

 

「もし、我が子らが潰えたならば、この大地に帰れるようどうか碑を一つ立てて欲しい。しかし、その末達が自らの手で国を勝ち得たならば、その行く末を見守って欲しい。それが争いの種だったならば、共に歩める国となるまで待っていて欲しい」

 

「………」

 

「ブンバルド殿。わたくしは待ちましょう。貴方達が自らの祖国を本当に持つ日まで。また、西部は独立して頂いて結構。ただし、帝国に資する形において。条件付き講和です。今後も帝国と関わり合い。共に歩める国として立てるまでは気長に育つのを待ちましょう」

 

「ゼーテと地域一帯を手放すと?」

 

「ええ、この一連の戦争で多くの西部の人々が傷付きました。帝国もまた自らの為に多くを犠牲にして来た。しかし、時代は移り変わるもの。それを拒絶する事は罪なのですよ」

 

「罪……か。進めぬ我らが敵わぬわけだ……」

 

 男は狂気がすっかり抜け落ちた様子で血を僅かに口元から零す。

 

「失礼」

 

 少しだけ傍に寄って、細い触手で口元に潜り込ませる。

 

「ぐむ?!」

 

「すぐに終わります。しばらく、大人しくしていて下さい」

 

「うぐぐ……ん?」

 

 口内の欠損部位からバルバロスの影響を除去するまで二十秒程。

 

 ついでに体内の癌を除去して神経障害の起きていた口蓋周囲を修復しておく。

 

 傍から離れると言葉も無い様子で男が口元を片手で抑えていた。

 

「病は直しておきました。この力は不安定なものでバルバロスの影響は除去できますが、いつまた病になるかも分かりません。ですが、少なくとも……貴方が祖国に帰り、家族と会う時間くらいは何事も無く過ぎると保障しましょう」

 

「病の事が解るのか? そなたは……」

 

「近頃はこの力で多くの方を癒して来ましたが、不安定なのは変わりません。もしかしたら、この力で癒した方が酷い病やバルバロスの呪いを受ける事もあるかもしれない。そんな時の為に今は帝国でこういった力を研究しています」

 

「……ふ、ふふ、ははははは……何だコレは……戦争をしに来て、我々は……我々は……」

 

『ブンバルド殿ぉおおおおおおおおお!!』

 

 遠方から馬に乗ってやって来る細身の男があった。

 

「まさか!? イピリテか!?」

 

 すぐに馬で寄って来た男が降りて座り込んでいるブンバルドの背中を支えた。

 

「大丈夫ですか!? ブンバルド殿!!」

 

「あ、ああ、イピリテ……まさか、生きておったとは……」

 

「あの声を聴いたのです。そうして、目を開いたら、鎧もなく愛馬と共に横たわっておりました」

 

「そうか。他の者達は?」

 

「はい。まだ、目覚めぬ者もおりますが、傷のある者はおりません。まるで奇跡……いや、奇跡、なのでしょうな……」

 

 最初に軍の鎧を強制的に提供してくれた部隊の長らしい。

 

「お初にお目に掛かる。我が名はイピリテ・アルマン……貴女が神の言われていた巫女か?」

 

「さて、どうでしょうか。全ては戦場の……ただの御伽噺だったのかもしれませんよ?」

 

「ッ―――」

 

 ニコリとすると男が汗を隠せず。

 

 大きく息を吐いた。

 

「竜騎兵達に聞きました。この戦……我らの勝利だとか」

 

「ええ、条件付き降伏、講和です。我が帝国はゼーテの独立を容認致します。ただし、今のバルトテルに返還は致しません。あくまで帝国に組み込まれた領土をゼーテに渡しての痛み分けという形に致します。無論、影響を排除しようという動きには反対致します」

 

「左様か……だが、もはや我らは戦えぬ。あの声を聴いた兵の誰も我らが大義を信じようとはせぬだろうからな……」

 

「それでどうなさいますか?」

 

「……ブンバルド殿。神官長……我らは如何するべきか? あの声があったとて、貴方が戦えと言うなら、地の果てまでも戦いましょう。ですが、付いて来る者は多くないでしょう」

 

「憑き物が落ちた、か」

 

「は?」

 

 ブンバルドが立ち上がる。

 

「フィティシラ・アルローゼン殿」

 

「はい」

 

「今の言葉に偽りは無いな?」

 

「勿論。この西部の全てに付いて我が名以上に帝国で勝る者はおりません。それが例え、我が祖父であろうとも……」

 

「相分かった。ならば、これで我が方の勝利として我が軍は撤収する。また、先程の神の如き何かの声によって、我が軍はもはや帝国に仇成す事も出来ぬだろう。兵の命と傷を癒した者にまた刃を向けてまで、神に逆らおうという者もな……」

 

「そうですか。では、これを……」

 

 懐から取り出した本を相手に渡す。

 

「これは?」

 

「わたくしが我が国の歴史家達と共に編纂した歴史書です。典拠資料は全て実在しており、エルゼギア時代の書庫に眠っているものは今後、全て再販する運びになるでしょう」

 

「……歴史、か。それが望か? 小竜姫よ……」

 

「貴方達がどのような道を歩もうと我が帝国は見守りましょう。友となるなら、無論のように歓迎します。ですが、敵となるなら我が名と戦場の幻影の名において、再び戦となるでしょう」

 

「戦場の幻影……ふふ、まったく、どうやら我々はとんでもない相手を敵にしていたようだ」

 

 その言葉でイピリテが胸を撫でおろしたようだった。

 

「ですが、もしも我が国の力を求めるならば、その時は頼って来て下さい。我が国は我が覇道と共に歩む者には自らの叡智と新たなる時代の先駆けとなる力を与えましょう」

 

「覚えておこう。イピリテ!! 直ちに軍を再編するぞ!! 本国に帰還する!! ()()()、手伝ってくれるか?」

 

 その言葉に何かを理解した男はすぐに頭を下げて畏まった。

 

「ブンバルド殿。どうか、この拾った命、存分にお使い下さい」

 

「詳しい講和条件は我らが文官をゼーテに待たせてある。そちらと詰めて欲しい。我々は本国に帰り、再び戻って来る。今度は進んだ姿を見せにな……」

 

 ブンバルドがこちらに背を向けた。

 

「お待ちしております。生憎と祖国は留守にする事が多いのですが、その時はご一報下さい。可能ならば、戻り待つ所存です」

 

「……また、会おう。神の巫女よ」

 

 イピリテが周囲の兵に呼びかけ、呆然としていた男達は死んでいない事と戦争の終結を知らせる声に喜ぶやら泣くやら丘に突き立つ剣に涙して祈るやらしている。

 

「さて、帰るぞ。お前ら」

 

「なぁ、ふぃー……あれって何処まで本当なんだ?」

 

「さぁ? そういうのは言わないお約束だ」

 

 デュガにそう返してリセル・フロスティーナに乗船すれば、すぐにゼーテへの空路へと載った。

 

 背後を竜騎兵達すら追い掛けて来る事は無く。

 

 バルトテルの()()との戦争はこうして終了する運びになったのだった。


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