ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第45話「覚醒」

 人が狂気に飲まれた時。

 夢の世界を見るとしたら、きっとその光景を幻視するに違いない。

 王城の地下へと続く通路。

 それも皇帝のみに知らされた秘密の出入り口を潜った瞬間。

 一面に広がった景色は確かに名状し難い極彩色に彩られた毒々しい硬質だった。

 城の端に点在する枯れ井戸の一つ。

 其処が老人に渡された地図に記された場所。

 

 内部に下りる縄梯子を下って暗い穴を歩いて数分で辿り着いた其処は寂れた鋼の扉を潜った刹那から人間の瞳を捉えて離さない。

 

 どんな意味があるのか。

 

 薄暗く冷たいグラデーションの掛かった複数の色彩が壁一面を絵画のように染めあえている。

 

 遠近感の酷く狂う施設内部。

 

 壁内部が内包する有機的な模様の変化がまるで其処を生物の臓器内部のようにも見せて、薄気味悪い以上に嫌悪感が競り上がってくる。

 

(ぅ……何だコレ……想像していたのと違う……心理学で色は感情を現し、左右する力を持ってるが……この悪趣味な壁にどんな意味がある? 頭痛がしてきそうだな……)

 

 通路はすぐに幾つかの分岐を見せていたが、地図は頭の中に叩き込んで来た。

 少なくとも迷う事なく行けるだろう。

 角から手鏡で人がいない事を確認しながらの潜入。

 

 こんなのはそういう訓練をした人間にやらせたいところだったが、パシフィカの状態が分からない以上、悠長に待っている事も出来なかった。

 

 最低限以上の準備を済ませ、百合音に情報を伝える方法を老人に教えて、頼んでいたが……果たして来るのは何日後になるのか分かりはしない。

 

(この通路を左、それから右の突き当たりから階段を下りて左、地下の最奥は王城の建造された丘地表部分に繋がっていて、内部が大空洞になってる……施設を降りていく途中のセキュリティは全てマイナーソースが破壊しているから、歩哨以外は大丈夫って話だが……コレでどうにかなればいいが……)

 

 片手に持たされている武器を見やる。

 ショットガンだった。

 

 それも中身をMUGIやKOMEの混合細粉にしたソレは発射と同時に粉を前方にばら撒く【食工兵《しょっこうへい》】という何時ぞやメイドさんが言っていた兵科の武装だった。

 

 豆の国も例外無く食べられない食料を吸い込めば、死ねる人間しかいない。

 

 肌に付着した方がアレルギー症状は重くなるのが常である以上、この夢世界でこれ以上に強力な生化学兵器というのもそうそう無いだろう。

 

 だが、地図通りに通路を進んでいくも、誰一人としてソレを撃たなければならない人影を見掛ける事は無かった。

 

 ようやく大空洞を見られる通路の一角へと出る。

 

 たぶんは三階程の高さがあるだろう壁際から窓を覗けば、下層階にズラリと並ぶ施設と同じ模様と色の人間一人入れそうなポットが並んでいた。

 

 その奥には壁そのものに埋め込まれるようにして金で飾り立てられた系統樹の如き意匠の施された祭壇が存在しており、一番上には下に並ぶものとは比べ物にならない豪華な装飾を施されたポットが半ば空中に迫り出すような形で大きな四本のアーム状のものに支えられている。

 

(パシフィカか?!)

 

 その曇り硝子越しに見える姿は朧げだったが、中にもう誰かがいる事は間違いないだろう。

 

 大声を出して呼び掛けるわけにも行かない以上は迅速に静かな行動あるのみだと周囲を観察する。

 

(何処かに制御装置が……あった!?)

 

 そのパシフィカの囚われたポットの左下に如何にもなコンソールが備え付けられた長方形型の台が置かれており、天井や周囲と大きな白いケーブルで繋がれている。

 

 其処にあのマイナーソースの姿もあった。

 幸いなのかどうか。

 その周囲に人影はまるで見当たらない。

 

 もしかしたら、あの自称皇帝陛下は皇帝管理化の枝を全て個人で占有する為、下々の者を施設に入れていないのではないかという考えが浮かんだ。

 

 あの出会った時の会話や態度から察するに自分以外は下層民と卑下しているようにも思える。

 

 もしも、そうならば増援を呼ばれない限りはあの男一人を相手すればいいという事だ。

 

 やれるかは分からないがやらなければ後悔する。

 

 本格的に部下を呼ばれれば、パシフィカが廃人になるか死ぬまで指を咥えているしかないのだ。

 

(此処から最短であの男の背後に向うルートは……)

 

 脳裏で地図と現状を照らし合わせ、歩き出す。

 

 一分程で最下層までの階段を下り、大空洞に複数ある入り口の最も近い扉へ辿り着いた。

 

 自動ドアの類ではない。

 というか、ドア自体が破壊されていた。

 どうやら煤けているところからして爆破したらしい。

 周囲を確認するが、やはり部下達はいない。

 

 忍び足で空洞内部に入ると更に気色悪い壁と同じ色のポットを真直に見る事となり、気分が優れなくなってくる。

 

 もしかしたら、壁そのものが慣れない人間に対する対人罠の類なのかもしれない。

 

 約10m。

 

 背後を完全に取った時、聞こえてきたのはマイナーソースの薄気味悪い歓喜の声だった。

 

「ふはは、くくくく、もうすぐだ。もうすぐ全てが手に入る!!」

 

 気配を隠せそうな遮蔽物は既に無い。

 ならば、後はやれる事をするだけだ。

 ショットガンを構えて、少しずつ近付いていく。

 出来れば、パシフィカの事を考えても周囲に細粉をばら撒く事はしたくなかった。

 そして、ようやく5mまで近付いた時。

 マイナーソースに決定的な隙が生まれた。

 操るキーボードの操作音が消える。

 それと同時にモニターから何かの終了を告げるように軽やかな音がポンと鳴る。

 絶叫にも近い歓声を男が上げ始めて1秒後。

 床を蹴り付けて走り。

 その後頭部目掛けて思い切りショットガンの銃底を叩き付けた。

 

「ガァアァっ?!!?」

 

 一発で気を失わせる事など出来なかった。

 

 しかし、反撃が繰るよりも先に振り抜いたショットガンを捨てて、頭部から血を滴らせた男が振り返るより先に台へマイナーソースを押し付けるようにしてタックルして倒れ込む。

 

 背後からの痛打。

 

 振り向こうとした瞬間に鋼の台へ即頭部を強か打ち付けた男はそのままドッと倒れ込む。

 

「………やったか?」

 

 殺したかもしれないが、人をガスで眠らせた挙句に20m以上下のゴミ捨て場に廃棄を命じた男だ。

 

 正当防衛ではないにしろ。

 地獄に落ちろというのも本当のところである。

 興奮が冷めやらぬまま。

 それでも殺したかどうかは後で確認しようとまずは相手の持ち物を漁る。

 衣服のポケットには拳銃が一丁。

 後は男には似つかわしくない複雑な形状の鍵らしきものだけだった。

 拳銃を取り上げ、弾を除いて反対側の見える方へとばら撒く。

 更に拳銃は腰に挿して、鍵を奪っておく。

 

「ぅ……」

 

 未だに呻く男の頭部から多少血は流れていたが、構っている暇は無かった。

 すぐにモニターを見やるとコンプリートとの文字。

 嫌な予感に今モニターに映っている全てのコマンドを中止するべく。

 アプリケーションを確認する。

 

 内容を精査する限り、英語で読める場所にあるプログラムはどうやらテンプレートとやらを作成しているものらしい。

 

 2次修正の完了という文字を見つけて、それ以上進まぬようにキーボードで中止を選択。

 更に複数のプログラムを中断した。

 

 アームロックとやらの単語を確認し、数分操作してようやく英語だらけであまり読めないポットの駆動に付いての項目を感覚で掴む。

 

 ロックの解除を選択すると同時にアームがゆっくりと掲げていた豪奢なポットを床へと下ろした。

 

 内部はまだ見えない。

 ポットに駆け寄ってその表層を確認する。

 

 外側から緊急で内部の人間を排出可能なように作ってあるだろうという考えは正しかった。

 

 真下側に一部、外れるようになったカバーがあり、それを開けば、緊急用との文字と腕で回すのだろうバルブがあり、急いで回せば……プシュリと音がして曇り硝子の部分が下方へとスライドして内部が露になった様子だった。

 

「パシフィカ!! 迎えに来――」

 

 世界が暗転したような衝撃に僅か出し掛けた手が震えた。

 

「パシ、フィカ……?」

 

 少女は何も身に着けてはいなかった。

 だが、それはいい。

 そんな事は問題ではない。

 血が、全身から……僅かに噴出していた。

 曇り硝子の内部。

 

 薄紫色のイボ場の寝台には無数の細い細い針が剣山の如くポットと肉体を繋ぐ役目を果たしている。

 

『要は……脳髄がショック死する限界近くまであらゆる情報を五感から与えられ、情報を吐き出すよう強制される』

 

 老人の声が響く。

 そう、それはたぶん五感に情報を送り込む為の針。

 細胞を押し潰さず。

 神経系へと直接的な伝達を行う為の装置なのだ。

 キュルキュルと音がして、針がポット内部へと引かれていく。

 滲む肌は赤く。

 目から、鼻から口から耳から、粘膜から雫が零れて―――。

 

「パシフィカ!!? パシフィカ!!!」

 

 叫ぶ。

 まだ、呼吸はあった。

 薄くともあった。

 ならば、まだ。

 

「…………?」

 

 少女の目が僅かに開いた。

 

「パシフィカ!!」

 

 その充血した瞳。

 血を零す少女の口から小さな声が、零れる。

 

「ぁぅ~?」

「は……?」

 

 少女は今にも途絶えそうな声でほんの少しだけ、こちらを見て……声を……いや、微笑んだ。

 

「ぁ~~ぁ~~ぅ~~」

「――――――」

 

 その時、何かが背中から冷たい音を立てて。

 

「ぁ……」

 

 激痛。

 

 吐血した刹那。

 自分を覆う赤を、更に自分を染めていく紅に、首が傾げられる。

 

「く、許されぬ!! 許されぬぞ!! この、この皇帝たる私に!!? 我が身体に傷を付けただと!!? 殺す!! 殺す!! 殺す!! いや、殺さぬ!? 殺さずに殺す!!! 貴様を永劫殺し続けてやる!!?」

 

 振り向けば、マイナーソースが顔面を血に染めて、憎悪の表情でこちらに何かを投げ放った手もそのままに歯を剥き出しにしていた。

 

(マズイ?! これはナイフ? クソ!? 血が!? 胸か!? あ、ぐ、ぅ―――?!?!?)

 

 奔る痛みに気が遠くなる。

 だが、男は更に自分の足元からナイフらしき刃を掴み出すと続けて投げてくる。

 

 避けられない。

 避ければパシフィカに当たる。

 

 ドスドスと人の身体に無断で押し入る鮮烈な痛みが逆に拳を握らせた。

 

「は、はは、どうだ!! 痛いか!! 私は、私はもっと痛かったんだぁあああああああ!!!?」

 

 叫ぶ男が僅か台に身を預けてよろめく。

 

「くく、その薄汚い娘なら、もう助からない!! 無駄な事をしに来たな!!」

「どう、して、だ……」

「あん?」

「パシフィカはまだ、お前にとっても……」

 

 何とかナイフの刺さる激痛で意識を明滅させながらも維持し、振り向く。

 

「ばぁ~~か。あの老人は破壊したつもりだっただろうがな!! もうそいつの卵子と遺伝子は採取済みなんだよ。ははははっ!!! あの装置さえ使えば!! 幾らでも()()()()()()()!! そいつを限界まで酷使して作ったこいつでなぁ!!?」

 

 男が嗤いながら、小さなUSBメモリーらしきものを見せ付けてくる。

 

(遺伝子操作。クローン……そういう事か!?)

 

 データを搾り取って、同じ肉体を使い聖女という鍵を量産する。

 如何にも合理主義者が考えそうな事だ。

 

「そんなゴミみたいな下層民の為に死ぬなんて馬鹿過ぎる!! 無駄死にだ!! いや、何の意味も無い!!」

 

 男の表情が愉悦に崩れる。

 致命傷、なのだろう。

 三本のナイフのどれかが確実に肺を貫通している。

 地表にいながら溺れそうになる。

 急激に息が苦しくなっていく。

 

「そいつの頭はもうグズグズさ!! 弄繰り回してやったんだ!! 身体は隅々まで細胞を取ってもやった!! 泣き叫びながら、痛みに耐えて、一体誰を待ってたんだろうなぁ?」

 

 歯が軋む。

 

「A24が助けに来てくれるわ!!? 約束したんだから!!? だとさ!! そのお前はこうして私の前で無様に全てに後悔しながら死んでいく!! ああ!! 死ね!! 死ね!! この私の美しい顔と身体に傷を残した罪!! 万死を持って贖え!!?」

 

 哄笑が響く。

 歯が軋む。

 唇が裂ける。

 

「可哀想に~~あ~~約束したのに~~あうあうしか言えなくなって~~機械に貞操まで奪われて~~死んでいくぅ~~ひゃははははははッッ!!!!!?」

 

 拳に血が滲む。

 肺は溺れる。

 血が込み上げて来る。

 

「ぁ~~ぅ~~」

 

 耳が痛い。

 脳裏が白くなっていく。

 涙だけは出なかった。

 

 *

 

「陛下!!!」

 

 地下空洞へと男達が雪崩れ込んでくる。

 その数、10人。

 

「遅いぞ!!? 馬鹿者がぁあああああああ!!! あの男を撃ち殺せ!!! 後ろの台座には傷を付けずだ!!! あの腐った生ゴミを中から排除したら、一緒に片付けろ!!!!」

 

「了解しました」

 

 男達が拳銃を向けてくる。

 

「そのゴミと一緒に死ね!! 絶望しながらなぁ!!!?」

 

 銃の引き金が引かれる。

 

 激音。

 激音。

 激音。

 

 硝煙の臭いが鼻を突く。

 音を置き去りにした鉛球が、骨を抉り、血肉へ潜り、主要な臓器を傷付けていく。

 

「は……?」

 

 マイナーソース。

 その男が、部下達の姿に声を出す。

 誰もが信じられないような瞳で銃を取り落とす。

 十人の男達はただ己の味方に弾丸を撃ち、相打ちの末に絶叫と呻きの中で倒れ込んだ。

 

「な、何をし―――ひ?!」

 

 皇帝とやらの顔色が変わる。

 何を恐れているのか。

 こちらを見つめて、顔を引き攣らせていた。

 あまりにも、不愉快な気分。

 凪ぐ。

 

「う、うぁあぁああ!? お、お前!?」

 

 赤黒く細い糸。

 肉の糸。

 それが数mの距離を制圧している。

 身体から出ているものは数十本。

 しかし、それは同時に牙のように硬質な表皮を備える。

 

 血管の如きソレから生えた牙が、男達の手首を折り曲げていたソレが、腕と連動し、強靭な柔軟性を発揮して、壁へと爪痕を付ける。

 

 絶叫、吹き上がる血飛沫。

 男達の手首はどうやら削り尽くされたらしい。

 舞った何本もの手がマイナーソースの周囲に転がる。

 

「お前に一つだけ……感謝してやる」

「へ、へ?」

 

 糸が戦慄いた。

 

 吹き上がり、血溜りから栄養を啜り上げるソレが首を擡げ、勢いよく空洞の壁へと突き刺さる。

 

 薄気味悪い色彩が罅割れ、停止し、張られた糸が身体を持ち上げていく。

 そっと、パシフィカを糸で持ち上げて、腕の中に抱き締める。

 もう意識すら保てなくなったのか。

 穏やかな顔をしていた。

 

「お前がただ死んで欲しいだけの下種で良かった」

「?!」

 

 後ろに下がる男を睨む。

 虚空の中。

 糸が増える。

 増えていく。

 男達の残骸はもう無い。

 全てが糸の材料になった。

 咀嚼された様子に腰を抜かしたのだろうソレに歯を噛み締める。

 身体を固定する以外の糸が全て、皮膚を縮め、力を溜め込む。

 

「ぅ」

 

 声が。

 喉を震わせて。

 ただ、思いが、溢れた。

 

 ぅ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"―――。

 

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 ただ、身体だけが熱かった。

 何かが壊れる。

 何かが崩れる。

 何処までも糸が伸びていく。

 その最中、頬に何かが触れて。

 全てが消えていく轟音の最中で呟きが零される。

 

―――泣かないで……A24は男の子なのよ?

 

 それを最後に何もかもが感じられなくなっていった。


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