ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第66話「悪の帝国聖女Ⅷ」

 

 大陸における加工食品の技術は左程進んでいない。

 

 精々が塩蔵や他の発酵食品と乾燥食品の類だけだろう。

 

 そんな最中。

 

 梱包する為の入れ物、硝子瓶の技術を更に工夫させる事は帝国にとっても、歴史的に重要な出来事であったと言える。

 

 現実において保存食となれる大量のタラが大航海時代を支えて、歴史を変えたように。

 

「ははぁあ!? オイ、おめぇら!? 工場の出資者である小竜姫様が来て下さっただぞ!! そこのオメェ!! 早く此処にあるので一番のお茶を持って来いだ!?」

 

「いえ、お構いなく。しばらく、作業を見学させて貰えれば、すぐに退散しますので」

 

「そ、そそそ、そうですかぁ!? こ、これはしつれーしましたぁ!?」

 

 訛った西部の男達女達が働く拵えたばかりの食品加工場の視察であった。

 

 衛生観念をかなり強化し、内部規則を厳しくし、その上でそれを護れそうな人間を現地の人選で男女の別なく個人契約。

 

 未だ高価な薄く軽量で頑丈なガラス瓶を大量生産態勢が整ったおかげで大増産で割安にして帝国内から輸出し、西部で中身を詰める典型的な外注用工場である。

 

 現在、安価な缶詰用の素材と缶詰の試作を行わせているが、如何せん金属の大量生産能力が今の帝国ですら低いのでまだ上手くいっていない。

 

 原価と加工の手間を考えて大増産態勢を整えている最中であり、北部でもそういった新型の包装、梱包、容器の類を同時に開発させているが、これも時間が掛かるだろう。

 

 という中でこの世界で簡単に増産態勢が敷けた硝子の瓶詰加工場がこちらの息の掛かった場所には近頃現地で作成可能な工場ラインを用いて複数存在している。

 

 工場内はこちらの厳しい基準で造り、現地人の教育にも力を入れているだけあって稼働して間もないとはいえ、綺麗なものであった。

 

「皆さん。気持ち良く働けていますか?」

 

「そ、そりゃぁ!? もちろんです!?」

 

「はい!! こんな仕事が出来るなんて、夢見たいです!!」

 

「これで家族が養えています。本当に、本当に、何と感謝すればいいか……」

 

「まずは皆さんが心地良く働けている事が第一です。体を気遣い、無理はせず。しかし、新たな事に挑戦し、失敗しても大きな成功を収められるよう願っています」

 

「「「しょ、小竜姫様ぁ!? は、ははぁあああぁあ!!?」」」

 

「………(ラニカのクソデカ溜息)」

 

 現代の食品加工現場程ではなくとも60人の人間が6時間労働で4ループする24時間操業で加工を続けている為、既に量産の高価は出ていると言えるだろう。

 

 夜は遂に先日届いた電球20個程で問題を解決した。

 

 今やそこには帝国から直接輸入した硫酸入りのバッテリーが置かれており、今後は2週間に1回の点検を受けながら、操業は続いて行くだろう。

 

 この加工食品業であるが、元々は大陸でもメジャーな方の輸出商材事業だ。

 

 本来、加工食品に付属の容器が付くと高いというのが大陸での常識である。

 

 が、その便利さは旅をする商隊や貿易関係の人間には解っている事だ。

 

 なので、現地の人間の収入源として少し割高に設定しても、高額という程ではない。

 

 そもそも殆どの加工食品というのは発酵食品か乾燥食品、要は乾物である。

 

 だが、この瓶詰ならば、乾燥させずに一定の水分量を確保したまま食えるので発酵食品を詰めて保存性を上げてもいいし、食材によっては高級志向か、更に長期保存出来る常食の類として売り出すにも良さげと言える。

 

 帝国内初の瓶詰めの一番のネタは高耐久で安価な硝子の製造方法や封の仕方、運ぶための物流梱包の方法をざっくりテレビ番組で見ていて覚えていたというだけの事だったりする。

 

 日本のモノ作りの歴史や下町工場探訪系番組というのもアレはアレで役に立つらしい。

 

「しっかりとした規則の順守。身綺麗にされた皆さんの身嗜み。丁寧な仕事の内容。とても安心しました。これからもどうか帝国印の最も世界に影響を与えるだろう商材。瓶詰の加工現場として誇れる仕事を大切にしてくだされば……」

 

「そそそ、そんな!? お、お顔をお上げくだせぇ!?」

 

「ああ、ほ、本当にこ、こんな!? 我々のようなものに……こ、こちらこそ。う、ぅぅぅ……」

 

「め、女神様だ……」

 

 何か最後まで工場内はガヤガヤしていたが、いつも通りに頭を下げてから、現場を後にする。

 

 すると、背後には工場の人間が総出で頭を下げてくれていた。

 

 ゼーテの郊外に新設した加工場は今のところ大丈夫そうだと手帳に改善用の案を幾つか書いてから仕舞い込む。

 

「………」

 

「何か言いたげだな」

 

 現在、ラニカ以外に馬車に同乗する者はいない。

 

 戦争の為の準備があるからだ。

 

 ついでにこの状況ではゼーテ側からの護りで最も信頼出来るのが彼しかいない。

 

 今は馬車に帯同する乗合馬車に見せ掛けた護衛が一緒に付いている。

 

「貴人があれほど簡単に頭を下げる様子に驚いただけです」

 

 さすがに先日よりは冷静にラニカの口調も元のものに戻っている。

 

「敬意を表すべき相手にそうしただけですよ」

 

「敬意? 下々の者に仕事を与えたのに貴方は敬われるのではなく。敬意を持つというのか? 熟練した者達にならば、分からない話ではないが、彼らはまだ始めたばかりのはずだ」

 

「どうやら、貴方の目は節穴のようですね」

 

 姫殿下口調でニコリとしておく。

 

「何!?」

 

 思わずラニカが眉を顰める。

 

「その短気さも欠点ですが、為政者にとって最も大切な事が解っていない」

 

「どういう、事だ……」

 

 さすがに聞き捨てならなかった様子でラニカの表情が険しくなる。

 

「彼らの脚を見ましたか? 彼らの服は? 彼らの顔は? 手拭を首に掛けていましたよね? それに口元には覆いも。しっかりと規則を護って作業していた。それは出来ない人間には出来ない事なのですよ」

 

「何? それは一体……」

 

「彼らは優良な人材です。身分や年齢や門地は関係ありません。勿論、働いた分のお給金が払われている限り、彼らは真っ当に続けて行ってくれるでしょう。その偉大さが分からない限り、貴方はゼーテの上に立っても、真に指導者層の一員とは言えないでしょうね」

 

「……帝国の貴族は平民にああも頭を下げるのが普通だと? あのまだ仕事を始めたばかりの彼らが偉大だと? 何かの謎掛けか何かに思えるが」

 

 苦笑が零れた。

 

 まぁ、これが一般的な大陸の貴人の考えというヤツだろう。

 

 ラニカは他の連中よりは程々な感じだろうが、傲慢が服を着て歩いているというのが貴人、貴族やその類の層にはありがちな思考方法だ。

 

「頭を下げているのはわたくしが本当に頭を下げるべきだと思えた相手だからですよ。それは単純にわたくしの気持ちを表しただけに過ぎません。ですが、彼らの何が偉大なのか。それを知って何故為政者は頭が下がるのか。貴方はその事実にいつか気付くべきですね」

 

「分からないな。帝国を手中に収めた家の娘が言う事とは思えない……」

 

「だから、貴方はまだあの方達からラニカ坊扱いなのですよ」

 

「何?!!」

 

「この世の中には悪徳が満ちている。ですが、それ以上に多くの事が感情を理由に見過ごされている。それを規律と倫理で征する時、人がどれ程に社会において葛藤を抱えて来た事か。彼らの直向きさと素直さに救われているのは間違いなく工場を運営するこちら側だという事がいつか貴方にも分かるでしょう」

 

 ラニカはやはり分からないと言う顔をして、妹と合流予定な地域に入るまで視線を俯けて考え込んでいる様子なのだった。

 

 *

 

 ようやく会えた王は文通相手としては極めて苦労性なのが伺える文面を送って来る基本的には疲れたサラリーマンみたいに内心では思っていた。

 

 それは間違っていなかったらしい。

 

 実際、僅かに疲れた様子の男は威厳こそあるような風格と覇気を感じさせたし、柔らかい薄緑色の落ち着いた服を着込む様子は華美を好まない堅実さの表れに見える。

 

 だが、絶望的に目の下のクマが取れていないし、僅かによろめくような姿を見れば、心労が積もっているのは間違いないだろう。

 

 本日は王城見学が最後に行われているわけである。

 

 謁見の間には素知らぬ顔で例の老人達が三人控えている以外、他の家臣達や護衛達も姿も無く……扉一枚隔てて大人しく控えているらしい事からもかなり気を遣わせている事は間違いない。

 

「初めまして。エーウィル王」

 

「止して下され。王という柄ではないのは一番よく自分が心得ていますよ。姫殿下」

 

「お疲れのようですが、バルトテルとの折衝はどうやら暗礁に乗り上げたようで」

 

「ッ……ふぅ。やはり、貴女に隠し事は出来ませんな……」

 

 男が僅かに息を吐いた。

 

 そして、老人達が僅かに驚いた様子で自らが王と崇める男の様子を見ていた。

 

 それは1人だけ若者として控えているラニカも同様だったようだ。

 

「貴女と手紙を交わすようになってから、色々とご相談しましたが……結局はこのざまです」

 

「初日に不在だったのはバルトテルにこちらの身柄の交渉をしていたからですか?」

 

「お見通しでしたか。彼の御老人には色々とそれとなく忠告は受けていましたが、事態が動いても我が身の不足を思うばかりです」

 

 蓄えた白いものが混じり始めた髭を撫でて、男が玉座から降りて来る。

 

「父上!?」

 

 謁見の間で玉座から王が降りて来るというのはかなりアレな出来事だ。

 

 ラニカもきっと父のそんなところは一度も見た事が無いに違いない。

 

「バルトテルとの事は我が不徳と力不足の為に民と家臣達の手によって御身がこの地を預かるより先に計画されていた事……もし、戦後というものを我が目にする事があるならば、その罪は我が罪として裁いて頂きたい」

 

 膝は折らないものの。

 

 それでも片手を胸に当てて頭を下げる男は正しく安月給で取引先に頭を下げるサラリーマンさながらであった。

 

「お顔をお上げ下さい。少なくとも貴方が主導したとは思っていませんし、誰が主導していても罪に問える程に帝国は此処を良くは治めて来ませんでした。問題は両者にあったでしょう」

 

「お心遣い。痛み入ります」

 

「裁く日が来ても貴方の罪は今までの功績と比べても大きくはありません。それにこれからバルトテルには歴史の上から退場してもらう事になる……」

 

「我が身に何か役目があると?」

 

「ええ、歴史の立会人として貴方にはこれからもこの地を治めて頂きたいと思っています」

 

「手紙で思っていた通り、恐ろしいお方だ。貴方は……ですが、我が身の処遇は本当にそれでよいのですか?」

 

「あの手紙には貴方の気持ちが確かに書かれてあった。それは具体的な内容ではなくても、筆跡や文面から読み取れるものです。そして、貴方はわたくしが思っていた通りの人間に見える」

 

「褒められているのか。責められているのか。僅かに怖ろしくも感じますな。この歳で誰かに試験の結果でも見られているかのようだ。はは……」

 

「「「「ッ」」」」

 

 その僅かに苦笑した王に老人達もラニカも驚いた様子だった。

 

「エーウィル王。これをお納め下さい」

 

 懐から手紙を取り出して渡す。

 

「これは……」

 

「わたくしからの貴方へ送る私的な最初で最後の手紙です。わたくしが死んだ時は封を開けて、この地の治め方に付いての知見をどうぞ」

 

「物騒、ですな」

 

「ええ、ですが、戦争をしようというのです。何事にも絶対は無い。違いますか?」

 

「……成程、確かにその通りだ。解りました。これは出来る限り、開けられぬよう願いながら……我が墓の中まで持って行きましょう」

 

 エーウィル王が頷く。

 

 謁見の間には僅かな沈黙が流れた。

 

「わたくしからのお話はこれで終わりです。バルトテルとのあれこれは何にしても全てが終わってからにしましょう」

 

「よろしいのですか?」

 

「ええ、貴方とて勝利していない人間には肩入れ出来ないでしょう。王の重責の何たるかを知る者は多くはない。だからこそ、この先の話は勝者として前に立つ者を相手にするべき……左程、時間は掛かりません。本日からゆるりと待って頂ければ、そう遠くない日に結果が出るでしょう」

 

 目の前の男が深く息をしてから瞠目した。

 

「……貴方がこの地に来ると聞いてから、いつかこんな日が来るような気はしていた。少なからず敵とならぬよう心を砕いて頂けた事に心からの感謝を……そして、これは王としての要請なのですが、市街地での戦闘はどうかご容赦願いたい……」

 

 懐に短剣を持っている男の言葉は真摯だった。

 

 それはこちらに向ける為のものではない。

 

 自害用だと気付けば、苦笑も零れるというものだろう。

 

 見えざる細い細いクラゲさんの触手は今や広げれば、どのような相手も掌握出来る手札だし、色々と状況を調べるのにも便利なのだ。

 

「最初から戦う場は街の外と決めていましたし、バルトテル側も挑発を素直に聞いてくれるでしょう」

 

「心配せずに良いと?」

 

「はい。断言しましょう。まぁ、あちらとて表立って基地を制圧しには来ない。一応は帝国の目もあります」

 

「……謝るべき時期は当に過ぎている。それを承知で言わせて頂けるだろうか」

 

「何でしょうか?」

 

「生涯、この汚点は……我が命に刻みましょう。そして、ゼーテ。いや、西部の民に貴女が与えようとしたもの、与えてくれたものを必ず御守りすると誓います。新たなる時代の騎手よ」

 

「……それは悪くない賞賛です。エーウィル王……ええ、本当の王に言われて、これほどに嬉しい言葉も無いでしょう。では、わたくしはこれで……何れまたこの場所で会える事を楽しみにしています」

 

「こちらこそ。会えて良かった」

 

 握手した後、下がってカーテシーを決め、静かに退場する事にする。

 

 背後には呆然としつつも慌てた様子でラニカが付いて、『あの父上をどのような手段で懐柔したのだ!!』という顔で睨んでいた。

 

 *

 

「我が王よ。先程の様子……まるでご友人と話されるようでしたな」

 

「そう見えるか? 我が将よ」

 

「はい。あのようなお顔は子供の時以来かと」

 

「そうであったか。ならば、今の来客がそれに値する人間であったという事だ」

 

「さようで。我らはどうやら最も重要な砦を最初から落とされていたようだぞ。二人とも」

 

「そうねぇ……」

 

「違いないようだ。それにしても、手紙のやりとりだけであそこまで信用出来るものですか? 我らが王よ……」

 

 老人達が自分達よりは若いがそれでも未だ20歳以上は若いだろう男に視線を集める。

 

「悪いが、この地で出会った誰よりも聡明で老獪であったよ。あの歳若き姫は……」

 

「誰よりもと来ましたか。王もまったく舶来のものがお好きなようですわね」

 

「済まないな。だが、事実なのだ。今までやり取りした手紙は書類も含めて9つ程になるが、それで十分だ。その手紙の内容、手紙自体の質、インクの質、筆跡……何一つとして我が手では為せないだろう」

 

「そこまでのものなのですか? いえ、分かる気はしますが……」

 

 老女に王は頷く。

 

「叡智、空の果てより高く。武勇、歴史に比類なく……吟遊詩人共の大げさな身振り手振りで唯一、大言壮語では無かった人物……まったく、あのような本当の英傑と同じ時代に産まれるとは……我が身の才の無さが恨めしくなるな」

 

 老人達は思う。

 

 この一角の王としては正しく西部を治めるに足る男。

 

 自分達が英才教育してきたはずの相手にそこまで言わしめるのがあの少女かと。

 

「お前達も一度でもいいから、帝国がこの地に作ったものをよく見てみる事だ。それが帝国の怖さであり、力であり……あの竜と称される方が真に畏れるべき相手である証左なのだから」

 

 老人達は思う。

 

 それを最初から見抜いていたゼーテの王。

 

 彼らが幼い頃から見守って来た男が彼らと同じ時代に生きながらも瞳が未来を向いているという事実を……それは西部に戦争などとは違う新たな風の到来を知るには十分なものであった。


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