ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第63話「悪の帝国聖女Ⅴ」

 

―――第43次最終報告。

 

 金属浸食型バルバロスによる当該事件の最終死亡者数は21名。

 

 浸食後に当該バルバロスの中枢を倒す事で解放された者が432名。

 

 その後、負傷者をアルローゼン姫殿下の治療で治す事で被害は最小限に圧し留められたと言ってよい状況となる。

 

 実質的な不動産の被害はエオリオ王国首都王城と周辺区画のみに留まり、浸食された者達の多くも治療後間もなくして正常に戻った事を確認。

 

 騎馬隊で誘導任務に当たっていた諸国の21名の兵士達の碑が今後建立される予定である。

 

 今回の事件の中心であるバルバロス【土神】に関して、この数十年の間は出現が確認されておらず、情報が風化していた事で対処が遅れた事が発覚。

 

 以後、北部同盟内において歴史研究による対バルバロスの知見を持つ組織が発足する運びになった。

 

 以後、バルバロス研究は文献調査も同時並行して行われ、情報の保管保存普及を急務とし、広く国民教育でバルバロスの平和利用と危険を同時に訴えていく事が決定された。

 

 ただ、当該バルバロスの研究に関しては帝国及び北部同盟でも機密扱いとされており、回収された残渣の保管と移送を早急に行うべく。

 

 現在、対応する委員会が発足し、研究施設への収容を進めている。

 

「……ふぅ(´Д`)」

 

 当たり障りの無い報告書が出来た。

 

 諸外国向けである。

 

 適当に相手国の間諜に流す為の代物であり、左程詳しい事が書かれていない。

 

 というか、43回もこんな報告書を書く訳もないので第一次報告である。

 

『いるだかー。フィティシラ―』

 

 扉が叩かれたのでどうぞと言えば、ぞろぞろと少女達が入って来る。

 

 具体的にはデュガ、アテオラ、イメリ、ヴェーナ、フェグだ。

 

 その背後ではブチ犬っぽい黒竜イクリアの主である少女アディル・ベイガがオロオロしている。

 

「何だ? 生憎とお茶するには此処じゃ椅子が足りないワケだが」

 

「これを見るだよ!!」

 

 デンッと大きなパイがアツアツそうな様子で鉄板の上で焼けており、そのアツアツそうな鉄板をヴェーナが素手で握っていた。。

 

「……何のパイだ?」

 

「芋だで。ふふ、これをこう!!」

 

 ヴェーナは現在、エーゼルに現地で買い込んだ生地による普通の町娘風のパッチワーク柄な北部冬用の衣装を着込ませている。

 

 ワンピースでスカートだが、丈夫な布地で造られており、少し黒味を帯びた赤や褐色の色合いが白い雪の中でも見つけ易い。

 

 簡単に言うと遭難したり、雪の中で行き倒れてても発見され易いものである。

 

 足元はパンツルック。

 

 動き易いタイツ状の革製の布地をモフモフな獣皮で巻いた代物だ。

 

「ふふん」

 

 ヴェーナの片手がナイフを瞬時に閃かせて、パイが切れる。

 

 ササッと横から他の女性陣が薄いキッチン用品用に持ち込んでいた油紙でパイを一切れ包んで、こちらに渡してくる。

 

「ぁむ………」

 

「どうだか? どうだか?」

 

 自信満々に言われては頷くしかない。

 

「美味い。少し欲を言えば、芋の味付けだ。此処には食料品に香辛料があるんだから、好きに使って自分の好みでいいから作ってみろ。塩だけじゃ味気ないからな」

 

 テーブルの上に常備している香辛料。

 

 砂糖と混ぜている甘い代物と辛旨系のヤツを切れたパイに振り掛けてから進めて見る。

 

「はむ。んぅ~~~♪」

 

 アテオラが甘いのを食べて興奮したように片手をブンブン振った。

 

「これは……南部の……懐かしい……」

 

 イメリが思わず目を細めて、辛旨系の香辛料が祖国近辺のものだと気付いた様子になる。

 

「お~~パイ味見してたけど、香辛料だけでこんな変わるのか!!」

 

 デュガがハフハフ言いながらパイをガッつく。

 

「どっちも!! どっちも!!」

 

 両手に甘いのと辛いのを持ったフェグは二刀流でガツガツしている。

 

「旨いだ。フィティシラは料理上手だっただか。うむむ、お嫁さんの味……」

 

「生憎と嫁になる暇も無いし、相手も必要無い。エーゼルだな? オーブン作ったのは」

 

「そうだ。あのねーちゃん、何か料理する道具が欲しいだって言ったら、造ってくれただ!!」

 

『お、おいしい……これが帝国の聖女の実力!!? はぅ!? 女性として負けた気分にぃ……ぅぅ、でもおいひぃよぅ。はむ』

 

 後ろでアディルが一つ貰って食べた後、女性の軍属女性にありがちな料理出来ないコンプレックスを刺激されまくったようでガクリと項垂れつつもハフハフとパイを貪っていた。

 

 感謝しておけよと言いつつ、パイの立ち食いを終えた少女達を私室から追い出して、再び仕事に掛かる。

 

 扉を閉めて、机に座ってデスクのギミックで取り出した研究資料の内、バイツネードのおじさまから引き抜いた例のコアを取り出して、片手をヴェーナと同じ色合いに変質させて触れる。

 

「……やっぱり、この感触……超重元素の塊か。だが、鉱毒による汚染が起きないように細工されてるのは間違いない。あのおじさまの年齢から考えて」

 

 赤黒い石を凝集精錬したような宝玉。

 

 それを更に限界まで純度100%近くまで精錬可能かどうか。

 

 手を吸い付かせて、僅かに取り込みと指示を出してみる。

 

 基本は念じるだけだ。

 

 手の中のそれがゆっくりと掌に呑み込まれていく。

 

 そして、完全に腕の内部には入り切らなそうな体積が掌から消えて後。

 

 二十秒程で掌にソレが浮き上がって来る。

 

 二つの玉だ。

 

 丁度、取り込んだ玉の体積分くらいはあるだろう。

 

 片方は凡そ小指の第一関節分くらいの赤い宝石状の何か。

 

 もう片方は体積の殆どを占めていたらしい黒い塊。

 

 だが、黒い塊の方は覚えがある。

 

「これ……炭素の塊か? という事は本体はこっちなわけか」

 

 瞳を電磁波観測モードに意識的に切り替えて、紅いソレを机の上で見やる。

 

 放射線も出していないし、電磁波も確認出来ない。

 

 磁化もしてないように思える。

 

 が、通常の未だ完全単離出来ていない超重元素と比べてもまるでルビーのような―――。

 

「……ふむ。炭素を圧縮凝集しつつ、超重元素と混ぜた人口の宝石みたいなものだったとすれば、コレ単体の力が強過ぎるのか。あるいは炭素と混ぜないと使えない代物だったのか、だな」

 

 その宝石をそっと手に取って見た時だった。

 

 スゥッと例の如く掌の中にソレが勝手に吸収された。

 

「ちょ、ま―――」

 

 だが、出ろ出ろとブンブン手を振り回して念じてみても、それらしきものは出て来ない。

 

「オイオイ。この間、何か金属生物っぽいのを取り込んだばかりだろ。どうすんだよコレ」

 

 片手に離し掛けてみるが、勿論答えが返って来る事も無い。

 

 油断していた、と言うべきだろうか。

 

 基本的にバルバロスしか取り込まないと思っていたのだ。

 

「後でおじさまに訊ねてみてなきゃな……」

 

 仕方なく今日の研究は切り上げて指の爪に色合いが追加されていない事を確認。

 

 不破の紐にも影響が無いのを確認して外を見やる。

 

 そこには峻厳な山々が連なって雲間から顔を覗かせているものが複数見えている。

 

 現在地は北部を出て西部に向かう途中であった。

 

 西部は乾いた荒野と大河。

 

 もしくは巨大な山岳が迷路のように連なる地域。

 

 このような構成要素で成り立っている。

 

 元々は西部の大国であった隣国との戦いで手に入れた地域は広大ではあったが、統治するにはかなり苦労する事が当初から帝国内でも囁かれていた。

 

 特に砂漠と隣接する平野部の大半は耕作に不向きな石が多い土地柄の場所が比較的広く。

 

 西部の砂漠地帯は隣国との国境部分との境界が分かり難い。

 

 帝国西部は北部から荒野に迫出した複数の山脈が物流を分断するように隔てている所も多く。

 

 帝国首都からの目が届き難いという事実から軍部に優秀人材を取られていた本国から適当な貴族の中でも実力こそあるが、問題ありそうなあぶれた連中を封じておく場所になっていたのである。

 

 それがつい数か月前に大公家の直轄領として再編されて、少しはまともな連中を送り込んで今までのは首にしたのでかなり変化して来ているとは報告を受けているが、何事も自分で見なければ、真実など分かるものではない。

 

(特にゾムニスからの報告でも前の連中から続く問題はまだまだ山積みみたいだしな)

 

 本格的に冬に入った北部では吹雪に追われるようにして西部までやって来たわけだが、西部の冬は風の冬と呼ばれており、雪こそ降らないが、だからこそ寒い。

 

 極寒の北部に比べれば、絶対的に温度は高いのだが、温度が高くても吹きすさぶ風によるあらゆる生物への温度の奪われ方が北部よりもエグイとの話。

 

 今では西部最大の大河周辺の大都市では水場がスケートリンクらしく。

 

 スイスイ出来るとか。

 

「そろそろ時間か」

 

 操舵室へと向かう。

 

 内部に入ると今はゾムニスが舵を握っているらしい。

 

「来たか。今、丁度見えて来たところだよ」

 

「初めて見る直轄領、か」

 

「帝国が西方に位置する祖国【バルトテル】と激突するのは不可避だった。だが、国境侵犯後にあそこまで大敗するとは思っていなかっただろうな」

 

 リセル・フロスティーナの先に見えるのは1km四方はあるだろう西部でも有数の都市圏。

 

「アレがバルトテルの華と称された古都【ゼーテ】か」

 

「そうだ。一度しか行った事しかないが、良い街だった」

 

 街の数km先には西部最大の【イルター大河】が北から南に向けて流れている。

 

 この下流域には複数のバルトテルの都市があったが、約12の都市と24の街、430の村々のある広大な西部の3分の1が現在は帝国の管理下にある。

 

 ここから更に西に向かうと西部最大の砂漠地帯【ヴィラ漠砂】が南東に弧を描くように横たわっており、バルトテルの首都と殆どの国力を有する地帯はその先にある。

 

 帝国はこの地域一帯を奪取する事には成功したが、その先の砂漠までは進行せず。

 

 バルトテル側も講和条件が砂漠を挟んで西側の本拠地よりも重要度の低い一帯の割譲であった事から受諾。

 

 一気に帝国は戦争での国力増大に成功した。

 

 以後、西部域は食料や資源というより、税の徴収先、策源地として開発。

 

 その為には優秀な帝国貴族官僚が必要だったのだが、生憎といなかったので三流が回されて、好き勝手にやっていた、というのが事実だろう。

 

「高度を下げる。例の基地は整備済みだと報告は受けている。降ろすぞ」

 

「ああ、次はどうなる事やら……」

 

 帝国にとっては北部諸国よりもある意味では重要度が低かった事も禍した。

 

 小規模河川で武器を流し、トンネル開通後は更に大規模な武器輸出をして稼いでいた時には宝飾品の原料として宝石が良く帝国の倉を潤していた。

 

 だが、西部は利用出来る資源が乏しく。

 

 鉱山も殆ど北部とは違って優良な採掘地が見付からなかった事から、半ば悪化せぬようにと捨て置かれたのである。

 

「お~~綺麗な街だなぁ……みーんな白い石作りだぞ」

 

 デュガ操舵室の窓に張り付いて近付いて来る街を見ている。

 

 街の中央には高さ20m程の城が建っており、尖塔が四隅に4つ。

 

 更に中央には大講堂のようなものが聳えていた。

 

「元々は数百年前にバルトテルが併合した地域一帯を束ねていた【ゼーテ聖真国】の首都だったとされている。ゼーテの元々の王族が現在も封ぜられ、現地の制度もそのままにバルトテルが使っていたせいで未だ独立心も旺盛……表向きはな」

 

「表向き?」

 

 デュガが首を傾げる。

 

 解説してやる事にする。

 

「バルトテルがこの広大な地域をあっさり手放した理由は単純だ。抑えられなくなったからだ」

 

「抑えられなくって……ああ!! 解った!! 恭順する気無しなのか!?」

 

「御名答。そういうのは解るんだな……」

 

「ふふん。これでもてーおーがく? とか言うのは習ったぞ!! 10割寝てたけどな!!」

 

「誇るな。はぁぁ……」

 

 思わず溜息を吐く。

 

「ちなみにバルトテル本国からの兵が帝国兵と戦って5割以上損耗。だが、ゼーテの軍は丸々まったく損耗無しで引き籠っていたって話だ」

 

「じゃあ、まだ戦えたんじゃないのか? そのゼーテって?」

 

「ゼーテ以外の直轄域以外の地域はバルトテルが実権を握って兵士を徴用、投入してた。ゼーテも数と練度と場数が違う帝国に早々に降伏した。降伏条件は2つ」

 

「恭順するから領主は変えるなとか?」

 

「いいや、一つ目はゼーテ以外の地域は帝国式でいいが、ゼーテの政治や経済、軍事態勢はそのままにしといてくれって話だ」

 

「え……それ、通るか?」

 

「通るんだよ。帝国は足を見られた。事実、バルトテル相手の戦闘で大勝したはいいが、兵糧が枯渇寸前だったって事だ」

 

「略奪すればいいだろー」

 

「無理だな。帝国が前々から大規模な民族以外には厳しいってのは聞いていたはずだ。それでゼーテの当時の領主はこの地域の民は全てゼーテの民である。ってお触れを出した」

 

「あ~~~もしかして?」

 

「そういう事だ。帝国の泣き所を良く心得てるヤツがいた。少数民族だから略奪して狩り尽くせーみたいな野蛮な事をしたら、この地域全てが敵に回る。それも今度は消耗戦になる。嫌だろ?」

 

「それはやだなぁ……せっかく大勝して兵を死なせずに本国へ返せそうなのにもう一回今度は削り合いで死なせるのはなぁ……」

 

「結局、ゼーテの直轄以外は帝国式にする事を条件に御爺様はゼーテを事実上の属国領内でも特別の地位として約束した。勿論、ある程度の搾取は前提だがな」

 

「ちなみに二つって言ってたけど、二つ目は?」

 

「ゼーテの領主の娘を帝国の有力貴族に嫁がせる事」

 

「へ~~策略結婚とか言うやつか?」

 

「それを言うなら政略結婚だ。あくまで婚姻だがな」

 

「帝国の良いとこと結婚させようなんて貴族とか王族が考える事って皆同じようなもんなんだなー」

 

「お前はそういうのはいなかったのか?」

 

「ん~~何か部隊を指揮し始めた頃から、相手の方が断って来る事が多くなったって家族は愚痴ってたぞ」

 

「まぁ、だろうな……」

 

 地形をどうのこうのする婚約者は確かに自分にしてみても遠慮願いたいものである。

 

「基地上空に到達………誘導の竜を確認。地表の信号伝達が出ていないようだが、まだ設備が整っていないのか? どうする?」

 

「フォーエを先に出せ。その後、竜騎兵連中に総員に街の方で食料の買い出しを頼む。一緒に行くヤツは行っていいって声掛けとけ」

 

「りょーかーい」

 

 すぐにデュガがイソイソと出て行くとすぐに街に出たい出たいという姦しい声が大量に響いた。

 

 年頃の少女達にしてみれば、二週間近くも現場で缶詰に等しくお仕事をしていたわけで息抜きは必要だろう。

 

『じゃ、行ってくるぞ~~♪』

 

 デュガの声に続いて、ノイテ、アテオラ、イメリ、アディル、エーゼルの声が竜の嘶きと共に後方ハッチの解放と共に消えていく。

 

「野に放たれた獣だな。あれは……」

 

「獣で済むか?」

 

「だと思いたいもんだ」

 

 ゾムニスと駄弁って誘導に従っているとフォーエが慌てて買い出し組の後に続いて出た。

 

「僕も行かないとダメかい?」

 

 背後からウィシャスの声。

 

「行ってこい。あいつらに死なれたらオレが困る」

 

「君に死なれたらってのは言わなくても良さそうだ」

 

「解ったならさっさと行け。目を離すなよ」

 

「ああ、必ず」

 

 すぐにウィシャスの声が走って後方に消えていく。

 

「ここにいるー」

 

「んだ」

 

 フェグとヴェーナが背後にやって来ていた。

 

「お前らも行って良かったんだぞ?」

 

「ウ、ウチはま、街なんか怖くねぇだぞ!! で、でも、肌の色とか色々あるがんな!!」

 

 どうやら気にしていたらしい。

 

「お前は……まぁ、いいか。近頃はウィシャス相手に短時間なら相手出来るようになったしな」

 

「ふぇぐ、つよいー?」

 

「強い強い。でも、その強さの使い処、間違えるなよ?」

 

「うん!!」

 

 後ろからぎゅーされてしまう。

 

「着陸する。ロープ降ろすぞ」

 

「ああ、フェグ付いて来い。ヴェーナ。オレも降りるが一緒に行くか?」

 

「ぅぅ、此処で戦士の人と待ってるだよ」

 

「解った。じゃあ、後でな。ゾムニス此処が終わったら降りて街に行って来てもいいぞ」

 

「生憎と戦区も故郷も此処から更に北西だ。此処には若い頃には憧れがあった、くらいものさ」

 

「でも、情報位は集められるだろ。構わず行って来い。これもお仕事だ」

 

「君に言われたら、仕方ないな。了解だ」

 

 2人を置いて、フェグを後ろにハッチを開いて1m下の地面にそのまま着地する。

 

 すると、帝国軍の軽装を着込んだ黒い制服姿の男達が馬で駆け寄って来るとすぐに降りて敬礼し、その背後から帝国軍の士官の制服を着込んだ青年と少女が共にやってくる。

 

「これが噂の……帝国の空飛ぶ船ですか」

 

「お兄様!! お空を飛んでます!! 御船が!! 御船が!!」

 

 少女は目をキラキラさせて、リセル・フロスティーナをわーすごいなーとミーハー感丸出しで見ていた。

 

 浅い灰色の肌をしている事が多く。

 

 野生的な獣のような風貌な事が多い西部人は人種的には西部の砂の民を起源とする。

 

 僅かにくすんだ銀髪も特徴的だろう。

 

 兵士達も青年も少女もそうだ。

 

 その様子はまるでオオカミの群れでも見ているようにも思える。

 

「失礼。田舎者の身では帝国の最新技術に触れる事は殆どありませんもので。この地で帝国軍西部方面隊ゼーテ守備隊の隊長をしております。ラニカ・ゼーテと申します」

 

 青年が黒い帽子を取って深く頭を下げた。

 

「あ、リ、リリ!! リリ・ゼーテと申します!!」

 

 青年は18から20くらいだろうか。

 

 若い優男なオオカミだとすれば、少女はオオカミに食べられそうな十代前半の赤ずきんちゃんと言ったところか。

 

 少女は愛らしい。

 

 後、何故軍装なのかと考えざるを得ない。

 

 愛嬌のある笑顔で軍装を着込むのはどう考えても相応の理由があるだろう。

 

「ゼーテという事はこの地の領主ゼーテ候のご子息の方でしょうか?」

 

「ええ、お恥ずかしながら、家柄だけで守備隊の第三小隊の隊長を仰せ付かっております。妹の事は一時的に軍属として当時の国難を凌ぐのに使った官位が未だに残っていまして。あくまで役柄だけのものとお考え下さい」

 

「解りました。フィティシラ・アルローゼンと申します。どうぞお見知りおきを……」

 

「御高名は予々……西部の大改革の立役者にして新たな指導者の帰還。心よりお待ちしていました」

 

「いえ、そう持ち上げて貰っても困ります。わたくしは見ているだけの人間です。西部を立て直しているのは現地の人々の労働と献身です。何もしていない人間は卵でも投げられているのが割に合っている。そういう仕事ですよ」

 

「卵を、ですか?」

 

 少しだけ青年が控えめにこちらを見つめる。

 

「少なくとも今まで帝国貴族に虐げられてきた人間にしてみれば、上が少し変わった程度で今までの恨みが消えるわけでもないでしょう」

 

「……私の口からは何とも……」

 

「為政者の仕事は人々から石を投げられる事です。その覚悟はして来ました」

 

 やはり青年の顔は何処か訝しむようなものだった。

 

「改革案の進捗と今後の予定に付いて、更に詳細に詰める気で来たのです。御父上にもお手紙は差し上げていましたから、明日には謁見が可能だと思うのですが、どうでしょうか?」

 

「それに付いては父から聞き及んでいます。明日の正午までには歓迎の準備も整うとの事で、それまでは御身の護衛の事も考え、申し訳ないのですが、基地の最上級士官用の部屋をご用意致しましたので。そちらに御滞在を……」

 

「感謝します」

 

 話していると基地の方から馬車がやって来た。

 

 それに乗り込むと数百m先の木造の基地の庁舎前に連れて来られる。

 

 基地で待ち構えていた兵士達が最敬礼で出迎える最中。

 

 帝国陸軍の勲章を付けた老人が介添えの女性を伴って歩いて来る。

 

「おお、姫殿下。お久しぶりですな」

 

「ええと、会うのは初めてかと思うのですが。ベラード卿」

 

「ははは、会うのは“あの馬鹿”の家に行った時以来、要は御身が赤子の頃の事ですぞ」

 

 祖父をあの馬鹿呼ばわりしたのはこれで数人目であるが、誰も彼も帝国の重要人物ばかりだった事から考えても、目の前の老人は帝国の歴史そのものだろう。

 

「そうでしたか」

 

 矍鑠とはしつつも、杖を突いた皺枯れた小柄な老人。

 

 目はまだ死んでおらず。

 

 眼光も鋭いが、柔和さと老獪さが両立した老将軍というのはこういうのを言うに違いない。

 

 彼こそは西部の立て直しに退役軍人貴族の中から選んだ人間の中でも一番の大物だ。

 

 グロッジ・ベラード。

 

 三十年前の興国戦争でも40代だった軍の参謀総長だった男である。

 

 若き緋皇帝と共に双璧と言わしめた戦略眼は基本的に現代戦の基礎を作った。

 

 大本営システムもまた男の手による傑作であり、その機動力と戦略単位での物資兵站システムの細かい部分を担当した男の手腕失くしてあの緋皇帝も終戦まで戦い抜けはしなかっただろう。

 

「それにしても昨日まで赤子だった御身が今やこうして出歩いているというのは……いやぁ、ワシが老人になるわけだ」

 

「まだ十分にお若いですよ。ご老体」

 

「ははは、その言葉だけで後20年はこの世に彷徨う残骸として戦えそうですな♪」

 

 男がニヤリとしてから、僅かに遠い目をした気がした。

 

 きっと、自分の出生の秘密を知っているのだろう。

 

 事実上、未だ4歳くらいである自分の特殊な状況をまるで意に介していないというのはそういう事に他ならない。

 

「おう。ご苦労ご苦労。ラニカ坊、リリ嬢ちゃん」

 

 馬を厩舎に戻して歩いて来た2人の兄妹にそうベラードが声を掛ける。

 

「ベラードおじーちゃん。リリ少尉只今戻りました!!」

 

「ん~~ん~~カワイイのう。飴をやろう」

 

 好々爺染みてリリに小さな油紙に包まれた飴を手渡した老人が青年に視線を送る。

 

「基地内の案内はお任せ下さい。ベラード閣下」

 

「はは、閣下は要らんさ。此処には人生最後の仕事に来ただけで、今じゃ軍属扱いだからな」

 

「ですが、閣下の伝説的な話は此処まで響いて来ており、例えどのような軍の中でだろうと語られるものです。そう簡単に軍属扱いは出来かねます」

 

「言ってくれる言ってくれる。ああ、姫殿下。ここの案内はこの2人がしてくれます。政治畑の話は今度、大仕事が終わってからにしましょう」

 

「解りました。では、今日は昼食を愉しみに案内されておきましょう」

 

「ワシはこれから街の方の連中と会合がありますので。これで……」

 

「ええ、よろしくお願いします」

 

 老人は数人の騎兵に護衛されて、こっちの乗って来た馬車でそのまま街の方へと向かって行った。

 

「あ、じゃあ、案内致しますね!! 小竜姫殿下!!」

 

「よろしくお願いします」

 

「リリ。失礼の無いように……それと小竜姫殿下は俗称で姫殿下とお呼びしなさい」

 

「あ、ご、ごめんなさい。気付かなくて……」

 

「いえ、仲間にもそう言われていますので。それと後ろの子は侍従ですのでお気になさらず」

 

 三棟ある官舎をそうしてリリに案内して貰い。

 

 帝都で組んだ通りの工程と設計図通りに造られたかどうかを確認。

 

 あちこちの細かい部分まで一応見つつ、後ろで荷物持ちをしながらニコニコしているフェグとリリを連れて三人で回った。

 

 それが終わる頃には官舎の食堂内で食事が出され、リリと共に摂る事になった。

 

「姫殿下。本日の献立は西部式ですが、軍の糧食という事でご来訪の時期がズレた事もあって、ええと……」

 

「お気に為さらず。あの船の内部では軍用の糧食と現地で買い込んだ食料を何とか調理して食べる有様でちゃんと温かい料理というだけで随分と助かります」

 

「よ、よかったぁ……あ、いえ、そういう意味じゃなくてですね!? 近頃は食料事情もあまり良くなくて……いえ!? 姫殿下が統治して下さるようになってからはとても改善された事は間違いないのですが、それでもやはり西部はあまり穀物類が取れず。家畜も左程得意ではなく……」

 

 オロオロしながら、帝国の姫の食い物じゃないに違いないと信じているのだろう西部の食事事情の事をあたふたと伝えようとするリリである。

 

 フェグと両隣で食堂の長椅子長テーブルに付きながら少女を落ち着かせる。

 

「大丈夫ですよ。こう見えても少食ですから。それに食べ物はちゃんと食べて大丈夫なものなら、お腹も壊した事はありません」

 

 正確には()()()()()()()()()になっている事が個人的にも研究所の所員的にも予測されている。

 

「うぅ、申し訳ありません。お兄様からはそそっかしいのだから、もう少しゆっくり喋るようにと言われていたのに……元王族失格です」

 

 ちょっと、しょんぼりした少女に苦笑しつつ、頭をポンポンしておく。

 

「その歳で軍にいるだけでも大変でしょう。その点、貴女は帝国のそこらへんにいる貴族の子女達よりも立派ですよ。リリさん」

 

「そ、そう言って頂けると助かります!!?」

 

 今度は目をウルウルさせる少女である。

 

 そうこうしている内に厨房から料理が運ばれて来た。

 

 食い切れないだけ出すのは下品とは分かっている様子であり、給仕役はリリの兄であるラニカがやってくれた。

 

 実際、その様は堂に入っている。

 

 貴人の世話をするのは貴人というのは貴族社会の常識だ。

 

 そこで賄えない部分を少し格の下がる家にやらせるのが本当の上流階級であったりする。

 

 まぁ、貴族というのは身分や位の事ではなく。

 

 実際に貴族社会の中で家というものを重んじ、格式に対して護ろうという理念を持つ者である事は言うまでもないが、成り上がりや成熟していない社会における貴族は人々が思うところの傲慢な貴族のイメージで合っている場合も多々ある。

 

「どうぞ。西部の家畜肉と塩山の塩で味付けし、香草と共に炊いた祝い料理です。本式はもっと大きいのですが、ご来訪の時間に間に合わせる事が出来ず。申し訳ありません」

 

「いえ、十分です。今の西部での塩の価格を理解すれば、ごちそうなのは明白ですし」

 

 背後でラニカが驚いたような顔をしているようだ。

 

「っ……塩の公売価格を御存じなのですか?」

 

「今までの為政者達、帝国の三流貴族連中は知りもしませんでしたか?」

 

「い、いえ……済みません。食事時に関係の無い話を……」

 

 ラニカが慌てて頭を下げて食事を出して後ろに下がる。

 

「どうぞ。ゆっくりと……お食事には朝採れの果実を絞ったものも用意しております。帝国式の冷蔵庫と言いましたか。あの技術は素晴らしいとウチの厨房の者達も言っています」

 

「そうですか。ですが、殆どは物流の為のものでしかありません。あれが一家に一台、店に数台というのが今後の理想ですね」

 

「……御冗談を。皆、あれを持とうと思ったら破産してしまうかもしれません」

 

「ええ、今の値段なら……ですが、それを誰もが持っていて当然になる日がいつか来る。それを為す為にこそ政治家というのは身を粉にする価値があると思いますよ。利便性だけの問題ではありません。その利便性一つで何かを共有出来るという事はそれだけできっと人の生が変わるという事ですから」

 

「まだ若輩の身には有難いご教示です」

 

「いえ、若輩なのはわたくしですから、西部の作法はお教え下されば幸いです」

 

 こうして、肉を香草で蒸し揚げたハムの一歩手前くらいの料理や揚げた穀物類を果実酢で和えた西部でも標準より上くらいだろう料理で小腹を満たしていると。

 

 ふと、横のリリがコテンと寝入ったのを見付ける。

 

 ついでにどうやらフェグも欠伸が出ているらしい。

 

「西部の料理はどうやら眠たくなるくらいに美味しいようですね。ラニカさん」

 

「―――ッ」

 

 背後のラニカが明らかに動揺したのが解った。

 

「それと外の兵士が40人弱と言ったところでしょうか」

 

「はは……まさか、あの噂は本当でしたか。小竜姫殿下はバルバロスすらも下す超人であらせられると……嘘を吐いても仕方ないからお教えしますが、何故に大熊も昏倒する薬を七服盛られて、まともに動けているものか……普通の人間なら1服で2日は寝入りますよ」

 

「それを普通の人間が何回も盛られたら、中毒死するのでは?」

 

「いえ、調合次第では寝入りの時間を延ばす事が可能でした。まさか、侍女まで少し眠いで済まされるとは……西部の調合師の腕が落ちたならば、嘆くだけで済ませたのですが」

 

 背後で弓矢。

 

 実際には軍に降ろしている新型クロスボウの装填音。

 

 しかし、フェグは欠伸をしているが危険にも思っていない様子で未だに薬入りの食事をもっちゃもっちゃしている。

 

「別に付いて行かないとは言っておりません。貴方が望む場所に付いて行きましょう。ただし、縄や猿轡、目隠しは無しで、ね?」

 

 食事を全て平らげてから立ち上がり、背後を振り返る。

 

 フェグもまた食事を終えて、グッと伸びをして、こちらの頭に顎を付けてダラーッとし始めた。

 

 わざわざ薬入りの食事を平らげてから振り返ったこちらにかなり常識人らしいラニカの顔が引き攣っていたが、自分を落ち着けるようにクロスボウを降ろす。

 

「いいでしょう……行くぞ!! 撤収準備!!」

 

 ラニカの声と共に食堂に突入して来た男達が予定とは違う様子に驚きながらもキビキビとラニカの指示に従って、こちらを馬車に誘導する。

 

 そうして、基地の裏手から回された黒塗りの馬車にラニカと共に乗り込むと街に向けて動き出したのだった。

 

 *

 

「それで一応訊ねておきますが、西部の謀反は何処の仕込みですか? 北部皇国と繋がりのある竜の国やその周辺。もしくは南部皇国側のバイツネード。どちらかが背後に付いていますよね」

 

「―――何もかも見通していなさるようで……」

 

 ラニカが真顔で対応に苦慮していると言わんばかりの顔になる。

 

 ちなみにリリはラニカの横でコテンと凭れて、寝息を立てていた。

 

「それで、どちらですか?」

 

 馬車に揺られながら、午後の街に繰り出したわけだが、馬車はどうやら最初から決められていた順路を回っているらしく。

 

 まだまだ目的地に辿り着きそうには無かった。

 

「どちらもです」

 

「ほう?」

 

「正確にはどちらからの誘いもありましたが、どちらの誘いも蹴って、西部単体で元祖国側からの協力が取り付けられて、今日に至っています」

 

「つまり、講和条約を破ってバルトテルがゼーテの企みで動いていると」

 

「ご理解も早くて助かります」

 

「講和条約の内容を知っていたら、かなり危険な賭けなのはご存じで?」

 

「ええ、講和内容による軍事関連の反故もしくは不履行はトンデモナイ額の賠償金になる事は存じています」

 

「それで尚という事は勝算がお有りという事。ですが、用意周到にとなれば、わたくしの西部改革よりも前に練られたものですね」

 

「何処までも見通されている気分ですね……」

 

「単純な推理ですよ。わたくしの西部改革後にそんな大そうな計画を作る理由が無いというだけの事です。実際、計画の推進者辺りは後何年か早く改革が始まっていれば、なんて愚痴っていませんでしたか?」

 

「………ふぅ。貴方はまるで見て来たようにおっしゃるのですね。小竜姫殿下」

 

 ラニカが特大の溜息を吐いた。

 

 どうやら大当たりらしい。

 

「ですが、余程に三流の統治は堪えたという事なのでしょうか? 表向きも裏向きもギリギリ統治の最低水準は満たしていたように思えますが……」

 

「ギリギリだとご理解されているのならば、西部の不安定化が帝国の怠慢であった事はお解りでしょう? 西部内の反帝国の機運はこの数か月でかなりナリを潜めましたが、それでも根深いとお考えを」

 

「ウチの者にも西部を憂いてわたくしを殺そうとした人間がいましたが、まぁ妥当な判断ですね」

 

「そんな人間が貴方の元にいると?」

 

「ええ、片腕ですよ……ただ、今回の一件で判断をしている人間の殆どが現実よりも理想を追い求めている二流である事は疑いようもないようです」

 

 ラニカの瞳が僅かに剣呑となる。

 

「二流?」

 

「現実が見えていない。もしくは分かっていてやっている辺り、国民、民に対しては悪辣ですらあると糾弾しておきましょう」

 

「それはどういうお考えからの事でしょうか?」

 

 まぁ、帝国の姫に言われたら、さすがにブチ切れ案件だろうとは思う。

 

「だって、そうではないですか? 今、良い方向に向かっている流れを前々からの計画だからとぶった切った挙句に謀反。いえ、元々の主権回復の為の抵抗運動、ですか? それを今の西部がしても何ら旨みが無い。いや、害悪的な動きでは?」

 

「帝国をそこまで信じろと?」

 

「帝国がそこまで馬鹿なら別に……ああ、そういう事ですか。はぁぁ、御爺様にも困ったものです。ご自分でやるのが穏便に済まないから、わたくしにお仕事を投げていたわけですね」

 

「ど、どういう事だ!?」

 

 思わずラニカがこちらの言葉に不穏なものを感じて、語気を荒げる。

 

「恐らくですが、御爺様。悪虐大公と名高い彼の老人は本当に単なる善意で孫娘へ教材代わりにこの地をどうにかしろと投げたのでしょう。自分がやると基本的に人死にが多いからと」

 

「な―――我々の計画がバレていた!? そんなわけ!?」

 

「実はおかしいとは思っていたのです。一応、帝国貴族の最優層で勇退した退役軍人から良さそうな方に声を掛けていましたが、ベラード卿が最初から乗り気だった事には……」

 

「ま、まさか?! そんな素振りは一切!?」

 

 思わず腰を浮かし掛けた青年に苦笑するしかない。

 

「ご自分で言っていたではないですか。伝説だと。まぁ、半ば知っていて何もしていないのでしょうね。あの御老人は……」

 

「何もしていない!? どういう事だ!?」

 

 さすがにもう狼狽してしまった青年に肩を竦める。

 

「あの方はご自分の事を残骸だの何だのと言っていましたが、人間としては枯れているようですし、世捨て人型です」

 

 それは恐らく確かな事だろう。

 

 燃え尽き症候群になるようなものだ。

 

「それがこんな帝国本土から離れた西部で余生を過ごそうというのは本当に最後の仕事が発生した場合にご自分に出来る事をして、人死にをあまり出さずに物事を治める為なのでしょう」

 

「そんな……そんな事が……」

 

「そもそも御爺様を馬鹿呼ばわりする人間にまともな相手はいないというのを忘れていましたね。彼ら御老人からすれば、西部がこれで滅ぼうが、あるいは単に衰退しようが、どうにでもなる出来事の一つでしかないという事なのでしょう」

 

「在り得ない!? 西部が丸々攻めて来てどうにかなると!?」

 

「逆にそうでなければ、あの方々が半ば黙認状態で投げやりにやっている理由が無いのですよ」

 

「な、投げやり?」

 

「ええ、貴方達が相手にしているのは百戦錬磨の帝国の悪鬼ですよ? 何故、自分達が上手くいっていると思っているのか理解に苦しみます」

 

「………ッ、嘘だ。それじゃあ、我々は……」

 

 信じたくない様子で青年が手を震わせる。

 

 最初から掌の上で転がされ、自分で押し留まるかどうか見られていた。

 

 という話な事くらいはラニカにも理解出来たようだ。

 

「わたくしが行っているのは確かに先進的な改革案でしょう。ですが、西部の改革自体は恐らく軍内部でも見当されていたはず。ただ、後回しで良いとされていたのでしょう」

 

 事実、自分が西部を治めるに当たり、軍内部から横槍が入ったという事実はない。

 

「恐らくですが、西部本土をどうにかする案が軍には既にあり、その準備も万全になっている。故に何か起これば、致命的な崩壊が起きる前に鎮圧……そういう算段が何処かで付けられている、という事かと」

 

「全て貴女の推測に過ぎないでしょう!?」

 

 肩を竦める。

 

「では、その推測に幾らかの憶測を重ねて、貴方に訊ねてみましょうか。西部で軍の管轄に恐らくですが、水関連の部署が専門に置かれていませんか?」

 

「ッ、それは在りますが」

 

「後、帝国人のみで構成された部隊が重要な部分に置かれているはず。何処とは言いませんが、西部全域に影響を及ぼせる場所……そうですね。水源管理とか。塩山とかでしょうか」

 

「た、確かにそこには部隊が駐留しているが、それで我々をどうにか出来るわけが―――」

 

「わたくしなら水源に毒や毒に類する使用不能もしくは使用したら戦えなくなる類の細工をします」

 

「馬鹿な!? 現地住民を皆殺しにするつもりか!?」

 

「だから、皆殺しにするのですよ。それくらい帝国陸軍はあちこちでやっていました。でも、ゼーテが上手くやったから、回避されただけに過ぎません」

 

「ッ」

 

「特に塩山は共に石炭などが出る小規模な採掘場所も一緒にあったはず。となれば、鉱脈毎焼き払って西部の財政の3割を占める塩の専売事業そのものを焼くというのもありですね」

 

「な―――」

 

 思わず絶句した青年である。

 

「知っておられますか? 鉱山での火災は数百年にも及ぶ事があるのですよ。その鉱山が大きければ、地域一帯に甚大な被害が出るくらいの話です」

 

「じ、甚大な?」

 

「人の住めなくなる土地が増えるという事です」

 

「………」

 

「それに帝国は水源を汚染する手札自体は持っていました。バルバロスという形で……先日、有効活用し始めたばかりですが、もしかしたら知っていて放置していたのかもしれませんね……」

 

 グアグリスの事は思い当たるはずである。

 

 何せ帝国陸軍が肝入りで管轄する鉱脈付近で色々やっているのは彼らも知っているのだ。

 

「何て、事だ。そんな、そんな事……そんな事になったら……」

 

 ラニカもどうやらリアルというヤツが解って来たらしい。

 

 蒼褪めた顔が僅かに歪む。

 

「そう悲観するものでもありません。西部がまともにこれから帝国と付き合って行けば、自然と部隊も撤退するでしょう。正確には半世紀から1世紀くらい大人しく“帝国をする”とかの条件で」

 

「ッッ」

 

「馬鹿にしているわけではありませんよ。西部は甘かった。帝国に抜かりは無かった。後は人の信頼がモノを言う。だから、そうなったらなったでどうにかする手札は置いておいた。それだけの事です」

 

「これが……帝国のやり方か」

 

「逆に帝国に一矢報いただけで出し抜けると思った層が間抜けなだけでは? 帝国は基本的に自国民の命を大切にする事が上手いだけで、消耗戦や悪魔のようなやり口をしないわけではありません」

 

「話には聞いていた。聞いていたが……」

 

「何故、帝国が多くの中小国に死ぬほど畏れられているのだと思います? 彼らは知っていたからですよ。真直に滅ぼされた少数民族や原理主義者達の地獄絵図を……」

 

「西部がそう、なると?」

 

 ラニカの顔色は悪い。

 

「今のままで表立って反乱が始まれば、そうなるでしょうね」

 

「………」

 

「ラニカさん。貴方は少なくとも西部でそれなりに平和な時代を享受して来られた若者なようです。ならば、平和の尊さが理解出来るはずです」

 

「私に何をしろと?」

 

「どんなに最低な平和でも少しずつ前に向かっているならば、いつかは問題も克服される。それを強引な手段で達成した時の歪みは思っているよりも大きい」

 

「……貴女の話を聞いている限り、でしょうね」

 

「西部にまだ帝国とまともに付き合っていく気持ちがあると証明出来るのなら、わたくしがその計画を潰して差し上げますよ」

 

「ッ―――」

 

 ラニカがようやく初めて、こちらを前に震え始めた。

 

「貴女は、貴女は今、私に寝返れと言ったのか?」

 

「いいえ、寝返れだなんて。ただ、貴方に西部の民を護りたいという気持ちがあるのならば、穏便に事を済ませようと言っているのです。勿論、ある程度の計画の推進者達には生死問わず責任を取って頂く事にはなるでしょうが……」

 

「く……ようやく、ようやく理解した……ああ、吟遊詩人達の言葉を戯言と笑っていた過去の自分が恨めしい……帝国は、いや、帝国の聖女……貴女の伝説はどうやら真実だったようだ」

 

「吟遊詩人達の創作ですよ。一人で軍を退けたり、艦隊を潰したり、バルバロスを倒したり、見えない竜騎兵師団を持っていたり、人のケガや病を治したり……そんな人この世にいると思います?」

 

「………」

 

 まぁ、この西部では未だ噂に過ぎない事実は相手にとっての真実かどうか其々である。

 

 口を噤んだ青年と共に馬車に揺られて二時間弱。

 

 白い街の一角。

 

 王城よりも離れた位置にある大きな商会のような場所に黒い馬車は入り込み。

 

 そして、兵士達が固める裏口から内部に入る事になったのだった。


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