ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第60話「悪の帝国聖女Ⅱ」

 

 ふと気づけば、また夢の中のアルローゼン邸であった。

 

 不穏な気配がするのは前と変わらず。

 

 何かが来る前に逃げ出さなければと現場から即座に逃走経路を練っていた通りに庭のような広い場所を避けつつ、直線距離が短く目視がすぐ切れる角を多用しながら遠ざかる。

 

 門を越えた頃には既に気配は消えており、今回は見付からずに帝都内へと脱出する事が出来た。

 

 一体、この夢は何なのだろうと思いつつ、誰もいない帝都を歩く。

 

 空は蒼く。

 

 此処にも夜は来るのだろうかと考えながら、馬車も無く徒歩での移動。

 

 途中、ディアボロやアンジェラを見てみたが、物はあれど人の気配はせず。

 

 その脚で色々と街を見て回ってから学院にやって来た。

 

 すると、そこには驚く事に人影が数人。

 

 一人は花壇の手入れをしている生徒会長。

 

 もう一人はメイド服姿で学院内のアルローゼンの館で働いているように見える。

 

 ユイヌとデュガシェスだった。

 

 声を掛けようとしたのだが、相手はこちらに気付かず。

 

 また、触れる事も出来ないようで幽霊のように手は擦り抜ける。

 

 周囲を見回していると今度はエーゼルとイゼリアがいて、姿が薄い子供のような朧げな影と遊んでいた。

 

 兄妹達なのかもしれない。

 

「……こいつらとオレの接点。夢での違い。触れ合えないのに見える……」

 

 考えながら学院にそれ以上は誰もいないと確認して、そのまま帝国議会に向かう。

 

 すると、今度は老人を1人見付けた。

 

 また、その周囲には複数人の男達がいて、何やら話し込んでいる。

 

「ユイヌの祖父。議会の副議長ライヌ・クレオル……こいつも関連があるのか? 他の連中は……軍部の上級大将連中か?」

 

 ユイヌの父である現陸軍元帥。

 

 陸軍のトップであるベリヌ・クレオルもいた。

 

 誰も彼も大貴族の軍属でも最優の部類と考えて良い人材ばかりだ。

 

 話声が詳細に聞こえない為、仕方なく今度は帝国で一番偉い人の館へと向かう。

 

 すると、そこには皇帝が寝台で横になって、窓の外を見ていた。

 

「?!」

 

 思わず息を呑んだのは皇帝が見ている部屋の外に青空ではなく。

 

 夜空の月が見えていたからだ。

 

 しかも、それだけではない。

 

 月が指のようなもので握り込まれて、僅かに砕けていた。

 

 禍々しい色合いの赤い月。

 

 それを砕く漆黒の指。

 

 面白そうにそれを見ている皇帝はふとこちらに気付いて立ち上がる。

 

「ほう? 此処まで来れるのか」

 

「っ、話せるのですか? 皇帝陛下」

 

 男は上半身裸に羽織り姿で傍らの長剣の入った鞘を床に付いて、両手を載せ。

 

 こちらを見てニヤリとする。

 

「久しぶりという程でもないか。出会わなければ、それで良かったが、此処まで来れるという事は随分と進んでいるようだ」

 

「進んでいる?」

 

「自分でも解っているのだろう? 己の力が強くなっている事は……」

 

「……つまり、此処はバルバロスの能力を使える人間が共有する夢なのでしょうか?」

 

「聡明な事だ。七割方正解と言える」

 

「バルバロスの力を用いるもの……バイツネードや我々のような存在の夢……でも、こうして繋がっているのは奇妙に感じます」

 

「何処が奇妙だと?」

 

「バルバロスがいない事が、です」

 

「そこに気付くか。それは単純だ。バルバロスは夢を見ない。いや、意識というものはあっても、それを想像力や思考力で補わない。だから、此処に来れるのは人間だけだ……恐らくだが」

 

「随分と詳しいのですね」

 

「まぁ、長いからな」

 

「我が家にわたくしの身体を変質させたバルバロスらしい化け物がいるのですが、その話を聞く限り、どうやら想像力や思考力が高い種族みたいです」

 

「ははは、まるで南部神話の古き神々だな。そうか。そういう類なのかもしれん。まぁ、此処には何も無い。自分の悪夢の牙で食われる前に帰る事だ」

 

「悪夢に?」

 

「強度の問題でな。この夢で存在が確固たるものになるほど、現実での影響が大きいらしい。同階梯まで上がれば、こうして喋れる。干渉出来るという事は夢の中身……悪夢から干渉され得るという事だ」

 

「先日、脚を傷付けられたら現実で変質していました」

 

「もう経験済みか。なら、早々に立ち去るがいい」

 

「一つ聞いても?」

 

「ああ、窓の外のは我が悪夢だ。意味は解らんが、特別な暗喩もしくは単純にそういうものが存在するのかもしれん。何せ、存在を示唆する指なのだから」

 

「……月をも砕く指ですか」

 

 そんなバルバロスがいたら、まぁ普通に考えればお手上げだろう。

 

「どうやら、そろそろ目覚めの時間のようだ」

 

 皇帝が剣を瞬間的に刀から抜き出して振り切る。

 

 こちらの背後にガギィンッと硬質な音と共に火花が散る。

 

「ほう? これがそなたの悪夢か。正しく無貌の悪魔のようだな。振り返らずに目を閉じて、3度呼吸しろ。現実に戻りたいと強く願え。行け!!」

 

「ッ、この借りは何れ!!」

 

 背後からあの気配がして来る。

 

 だが、それを見る事なく。

 

 生暖かい吐息が背後から掛かる事もそのままに大きく息をして目を閉じて呼吸をした……そして、目を開けると其処は自分の飛行船での私室。

 

 リセル・フロスティーナの個室だった。

 

 特別製である時計を見る。

 

「ふう。何だ朝か……30分どころじゃねぇ……クソ!!」

 

 飛び起きて、猫が描いて行った地図を確認後。

 

 そのまま身支度を整える間もなく歩き出すしかなかった。

 

 *

 

―――数十日前、帝都エレム【新文芸術商会】舎屋広場前。

 

 アバンステア帝国において文化というのは根本的には鉄と略奪である。

 

 鉄とはつまるところ戦争。

 

 略奪とは簡単に言えば、優しく吸収。

 

 取り込んだモノを自らの糧として維持発展させる事。

 

 それが嘗ての奴隷身分であった彼らにとっての流儀だ。

 

 良いものは良い。

 

 悪いものは悪い。

 

 後、使えそうなものは是々非々で使う。

 

 この節操の無さが帝国を帝国たらしめる。

 

 ついでにそこで独裁者が真面目に自国民を育て、周辺国家や民族を全うな戦争で併合したので帝国そのものの様式がスタンダードとなった。

 

 その地域における初めての帝国主義は人々の生活そのものとなったのである。

 

 結果として帝国の男は民族毎に3種類くらいに分類され、帝国の上限関係も2種類となったわけだ。

 

 今までは主義主張思想政治派閥民族氏族etc……とにかく多種多様な人々が混沌として渦巻く坩堝だったのが鍋のごった煮くらいの種類で色が定まった。

 

 教育者、技術者、政治家。

 

 帝国民、劣等種。

 

 この区分を造るだけでも随分と帝国の上層部は苦労しただろうが、そのおかげで安定した生活を多くの帝国民が享受している。

 

 ある意味で大国規模の地域の総合的な結合、統合を初めて成し遂げた者こそ帝国なのだ。

 

 ただ、この最中の技術者や教育者と言う類のの中にそのどちらとも言えない区分の者達が男女の別なくいる事を人々は知っている。

 

 殆どの人々は『ああ、ああいう人達ね』くらいの感覚で語るが、その数は少数ではあるものの決して過少ではなかった。

 

「書けましたよ!! これぞ、最高傑作!!」

 

「ほほう? よく出来てますな。ですが、構図が少し甘いのでは?」

 

「む、むぅ……そうでしょうか?」

 

「ここを、これにして……画家連中の方の技術を少し使いましょう」

 

「いや、ですが、それだと速度がどうしても出なくて……」

 

「複数人で作業を分担せよと姫殿下は仰られていたが、中々に凝りたい者には難しいところではありますな」

 

 帝都の中流層が住まう賃貸住宅が広がる郊外。

 

 多くが帝都に出て来た地方からの単身者用として大半が軍人などの家として使われている。

 

 しかし、実際にはその数%くらいは軍人ではなく。

 

 商人やその他の人物達が使っている。

 

 技能労働者であり、有り余る帝都の労働力の殆どが軍備と日常生活に関わる仕事へ従事する最中。

 

 何故か短期労働者としてしか働かない層というのがいたりもする。

 

 彼らの事を多くの者達がその場凌ぎの労働者。

 

 つまり、食い詰め者と呼ぶ。

 

 が、実際には彼らにしてみれば、働く場所が違う。

 

 もしくは働くのは自分の趣味の為である。

 

 という層がいる。

 

 これは短期労働者とは然るべき区別が必要な人々だ。

 

 仕事が出来るヤツと仕事は出来るがその仕事に興味が無いヤツ。

 

 この差は大きいし、仕事が出来るヤツと好きな事を仕事にしていないヤツはやはりまったく違うのだ。

 

 こんな彼らにも彼らの言い分があった。

 

「この物語はよく書けていますが、姫殿下の言っていた要素が少し弱い気がします」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

「それに子供向けというわけでもなく。吟遊詩人のような大人向けでもない。万人向けという事を考えるなら、もう少し、この部分をこう……」

 

「お、おお?! そ、それは少し過激では?」

 

「いえいえ、姫殿下も言っていたではないですか。女性にも男性にも食い入るように見られる理想を描いて欲しいと。こればかりでは行けないが、これが無いのもまた……」

 

「そういうものか。ならば、ここをこう!!」

 

「い、いい、それは……グッと来ますな!!」

 

「いやぁ、あっちの棟で生活してる男向けのアレを書いてる友人から色々と教わってまして……露骨に書かなくてもグッと来る感じには出来そうでね」

 

 芸術とは高尚なものである。

 

 アバンステア前に存在した国家にもあった。

 

 が、それを市井にも解り易くという試みは行われなかった。

 

 そんな最中、各分野において吹き溜まりに集まるような凡愚と評された芸術家の成り損ない達は案外と数が多い。

 

 特に現在の芸術界の界隈において酷評された人々などはもはや首こそ括らないが、いつか自分達を批判した連中の首を括らせてやる。

 

 くらいの意気込みで自らを磨いたり、腐ったり、悔し涙に暮れていた。

 

 そんな時だ。

 

 彼らが評価されるのは少なくとも後半世紀も後。

 

 あるいは一世紀二世紀の先。

 

 または不世出のままに寿命を迎える。

 

 そうなるはずだったのに……何故か生前時点で彼らに国家の未来をお願いしますとか、そう精神攻撃してきた馬鹿な貴族が来たのは……。

 

「夢みたい、ですね。こんな日常が来るなんて……」

 

 落第芸術家達は今や職に苦労する事も無く。

 

 短期間労働者として働く事も無く。

 

 数百mに渡って新築された新たな芸術の最前線。

 

【新文芸術商会】

 

 なる商会が後援して建てた【卵の庵】と呼ばれる舎屋で日夜パトロンである一人の少女の依頼の元、自分達のやりたい芸術を造ると共に新しい仕事として絵画、彫刻、書物、音楽、あるいは舞台芸術などに関する研究と作製に取り掛かっていた。

 

 10棟ある総合住宅は二階建てで数百人近い画家志望、芸術家志望、吟遊詩人志望、舞台芸術志望な若者やおっさんおばさんで溢れている。

 

 歳を喰って今や若者とも言えなくなった者達。

 

 未だに熱意を捨てられない彼ら。

 

 普通に暮らせと家族や友人に言われながらも道を諦められない出来損ない。

 

 その彼らこそが此処では主役であり、その為に彼らには時間と新たな気付きを齎す莫大な情報が湯水のように与えられていた。

 

「姫殿下のご期待に沿えるものを。そして、我々が良いと思えるものを。我々が国家を支える文化の礎だと。そう頭を下げてまで頼まれたのだ。これほどの環境。これ程の叡智たる無尽蔵の本や絵画。何よりも仲間達!! これはやるしかあるまいて」

 

「そういや、舞台芸術の方にいるおっさんが舞台背景や小道具の形を依頼してたぜ。掲示板で……もしやってくれたら、短い話なら舞台の種にしてくれるかもって話だ」

 

「おお、それはいい。新しい事は何でも試せ。知らない事は好きなだけ調べろ。と我らが姫殿下も仰っていたからな」

 

「そういや、新しく卸された本を見たんだが、アレは相当に新しい話だったぞ。ちょっと、作者の頭の中を見てみたい感じの」

 

「おお? 題名は?」

 

「小説と言うらしいが、分厚くてな。未来……この国の遥か先を題材にしているのだ。未来夜話と言ってな。数百年後の話だ」

 

「はは!! 数百年後か!! 面白いじゃないか!!」

 

「ああ、何でも連載が決まったらしくて、一般に安価で出版する本類の一部として書かれたらしい」

 

「ああ、あれはスゴイよな。アレは……」

 

「何でも空を飛ぶ乗り物もあれば、地の果てまで馬車の何倍もの速度で走る乗り物もある。ついでに女は男のようになり、男は女のようになる。らしいな」

 

「どんな世界だよ。ははははは!!」

 

「いやいや、そこまで行くと法螺話もまったく大したもんだ♪」

 

「それどころか。太陽や月の果てまで行く乗り物まで出るんだ。それをやってるのが姫殿下の子孫て設定らしい」

 

「そういや、髪を短く切る女がいるらしいぞ」

 

「おお、その女の父母や親族にはまったく同情するばかりだが、それで誰にも泣かれない未来だと聞いたぞ?」

 

「あははは。最後のだけはかなりありそうだ」

 

「そうだな……今も女の各分野での進出は凄まじいものがあるからな」

 

「医者にも女がいる時代だ。今更だろう」

 

「まぁ……姫殿下が最たる例なのだから、それはそうだ。そのご子孫ならば、未来でもきっと……何に書かれずとも、とんでもない事をしていなさるさ」

 

「人々に感動を。人々に心を動かす物語を、か」

 

「人々に涙を、怒りを、哀しみをとも言われたな」

 

「ああ、戦場の悲哀を、奪われる苦しみを、復讐の絶望を……そう言っていなさった……我々がいるアバンステアの現実を書いて欲しいと」

 

「……各々方、急ごう……我らの国が無くなる前に……あのお方が言う未来を紡ぎ出す為に……人の心を変えるのは我らが育みし文化であると、そう確信すると言われた……ならば、男として……いや、男女の別なく応えるのは我らゴミのように蔑まれて来た何者でもないあぶれ者の仕事だ」

 

「「「おう……」」」

 

 芸術家として何も為せずに労働者として疲れ果てて病に朽ちていくはずだった彼ら。

 

 その彼らこそが国を、未来を、国民を救うと。

 

 本当にただ真顔で言い切った少女が彼らの全てに頭を下げた時。

 

 彼らの物語は動き出した。

 

 人々は数か月も待たずに知るだろう。

 

 名も無き者達が生み出した文化が大衆に幅広く娯楽として浸透していく最中で。

 

 この世界の圧倒的な現実を。

 

 娯楽という皮を被った現実を。

 

 そして、同時に物語の中へ見るのだ。

 

 自分達が言っていたオタメゴカシの都合の良い言葉ではない。

 

 本当の徳や誠というものが何であるのか。

 

「努力、友情、勝利」

 

「恋、愛、悲恋」

 

「狂気、淫靡、憎悪」

 

「おお、全てを望むは我らが小竜姫か!! と、吟遊詩人共は謡ってくれるだろうな」

 

「「「「ははははっ」」」」

 

 それは知的階級に関係なく解るよう書かれた絵物語かもしれないし、あるいは感動的な言葉や音楽、狂気の罪人が描かれる事で理解される恐ろしい悪の形かもしれない。

 

 広い知識と現実の情報に裏打ちされた圧倒的な文化とは形を変えても中身を変えても秀作である。

 

 例え、凡愚と謗られる天才ではない者達が描いたとて。

 

 確かにその集まりは天才の芸術に勝る。

 

 それは質ではなく。

 

 圧倒的な量と分かり安さと普及出来る容易さによってだ。

 

 天才の質には敵わなくても、努力と多くの時間を費やされた考証は堅固であり、その幅広さと種類の豊富さだけで個人を超える事は言うまでもない事であった。

 

「マヲ~~♪」

 

 パラパラと黒猫が片手で本を捲って娯楽に興じる屋根の下。

 

 やがて、数世紀後には真なる天才とは言われずとも真に文化の探究者にして普及者であると言われる者達は……画期的であり、革新的であろう新たなる礎の先駆者として時代の先に名を残すだろう。

 

 それがどれだけ後世の世界において文明の発展と礎を築き、人々の生活や人生や思想、主義主張、国家の未来さえも変えたのか。

 

 それは未だ【もしも(IF)】の出来事に過ぎない。

 

 しかし、確かにその場に集う者達が喧々諤々と議論する広場。

 

 その中央には真実が鎮座する。

 

 一つの彫刻が人々を見下ろす。

 

 それは竜の刻印を背負いし美しき衣を纏う幼くも偉大なる聖女の像。

 

 彼らの中の誰かが見た時のまま。

 

 その誰かさんは片腕を胸に当てて、深く頭を下げる前の仕草で固まっていた。

 

 台座にはこう刻まれている。

 

【真なる高貴にして偉大なる者は頭を垂れん。我らその信徒足らんと欲す】

 

 それは彼らにとって真理であり、この己の全てを賭けても惜しくない。

 

 そんな自らを認めてくれた者への感謝と献身の言葉に違いなかった。

 

 だから、そんな数か月後を生きる者達の一部は、北部に送られた原稿を元に書かれた安過ぎる本を見ていた一部の知識層は、正しい判断をしたのだ。

 

 だって、帝国印のマンガと呼ばれる文化で言っていたのだ。

 

 バルバロスは恐ろしいものであり、軍隊でも敵わない事がある。

 

 どうにもならないと感じたら、とにかく逃げて多くの同胞の為に避難を呼び掛けるのが重要である、と。

 

 彼らの懐にある一冊の本は大陸において新文芸、文化に列なる始りの書。

 

 もしくは世界で一番売れた物語として後世語り継がれる事になる。

 

 世界で初めてバルバロスから人々を救った大衆娯楽の奔りとして……。

 

 *

 

―――フェブル王国領石屑の街。

 

 この大陸北部最大の宝石産出地である石屑の街と呼ばれる都市国家は簡単に言えば、世の中の鉱山労働の恐ろしい現実を詰め込んだ悪夢の玉手箱だ。

 

 児童労働。

 

 鉱山災害。

 

 鉱毒病に煤塵病。

 

 これらが降り掛かる街の別名は肺病みの街。

 

 もしくは毒夫の溜まり場。

 

 ついでに燃える屑石炭で暖を取っている為に空気まで悪い。

 

 単純に煙突から立ち昇る煙だけで冬は通常の曇り空以上に暗い世界となる。

 

 街は要塞化されており、天然の城壁となる山間の窪地。

 

 カルデラと狭い峡谷と峡谷を遮る鉱山から切り出された屑石の壁で遮られているのだが、これがまた不法投棄染みて道を危険にしており、宝石の輸出にも命掛けだったりする為、商隊は良い商売になると食い物や水を高額で売り付けていた。

 

 そんな場所であるからして、貧富の差は激しく。

 

 病に倒れる奴隷の死体が冬は燃料代わりに燃やされているという地獄である。

 

 このような現実を忘れる為にアル中が多く。

 

 子供を売り飛ばす両親も多い。

 

 そんな悪夢が閉店終了したのは数か月前。

 

 だが、その恐ろしき後遺症はようやく改善の兆しが見えている。

 

 帝国式のあらゆる生活改善、思想改善、アルコールの完全登録専売制。

 

 児童養護施設と児童相談所の開設。

 

 最後に人々を蝕む身体の方の病は一応取り除いた。

 

 心の病は少なくとも今後数十年を掛けて全体的にゆっくりどうにかするしかないだろう。

 

(何もかもが足りないなとはこの事だな……)

 

 人員は帝都から送り込んでいる。

 

 精神安定剤としてハーブなどの古来からの方法を取り入れ、カウンセリングの知識を入れた帝国の良心的な子女達を先生役に推薦。

 

 ついでに危ない道になっていた宝の山……殆ど見向きもされていなかった大量の希少金属類を帝国製の高炉の作製と同時に精錬を開始。

 

 その過程で出た鉱毒マシマシ状態の排水や屑石を入れた尾鉱ダムにグアグリスを放流し、数か月……秋も終わり、冬の最中にも縮んだグアグリス達が貯め込んだ新たな精錬済みの鉱物の塊は再度加工精錬する事によって今までよりも簡単に資源産出量を増大させ、ついでのように水を綺麗にしてくれていた。

 

(問題は排水量と鉱毒の種類毎にグアグリスを分けないと猛毒の塊ばかりになる事だが……各金属の単離方法の確立と浄水ダムの温度管理システムの構築が急務か)

 

 排水基準に到達した水は殆ど純水レベルまで濾過されており、水に溶け出していた多くの毒性の高い鉱物も別の鉱物との化合物として分ける事が可能になったのは画期的と言っていいだろう。

 

 飲み水としてはまだ使っていないが、飲料水以外の生活用水としてならば、問題は無いと考えて良い。

 

 水は試験栽培している農業用水路から溜め池へと移した。

 

 元々、カルデラ内部で水路を用いていた関係で水が溜まる池が付近にはあちこちにあったのだが、この数十年で汚染され尽していたのだ。

 

 それが今はグアグリスの放流と鉱物毒の抽出で秋の終わり頃には急激に水質が改善し、藻や水生生物が蔓延るようになった。

 

 今後は短く定期的な検査を行いつつ、食料生産にも使えるように水質の更なる改善が期待されるし、工業廃水の濾過による工業地帯化も捗るだろう。

 

 そんな街から鉱山の一角へと急ぎ足で向かって数十分。

 

 現地の監督役達に現地人の生き字引を連れて来て貰い。

 

 そのまま鉱山内部へとお邪魔する事になっていた。

 

「いやぁ、御貴族様。いえ、聖女様を鉱山案内とは……天の伴侶に良い土産話が出来ました」

 

「それなら良かった。ですが、申し訳ありません。このような朝から急に……」

 

「いえ、あの暴虐の王から街を救い。孫の病を退けて下さった方の頼みですから……何の事もありません」

 

 ランタンを持った老人がようやく導入された帝国式の最新ヘルメット。

 

 プラスチック製のそれを被ってニコヤカに坑内を先導する。

 

「もう随分と生きましたが、まだ孫が幸せになるまでの時間くらいは見ていられそうだ。これ以上の慶びはありませんですじゃ……」

 

 現在、横には危険な坑内を案内する目的でウィシャスとフェグがいる。

 

 一番身体能力が高い2人を一緒に連れて来たのはもしもの時の対処があるからだ。

 

 勿論のように二人ともガスマスク姿にメット姿である。

 

 坑内はガスの噴出、出水、炭塵爆発の危険性が常にある過酷な場所だ。

 

 大量の木材で坑内を補強していると言っても、落盤や崩落は日常茶飯事くらいの感覚で起きており、もはや露天掘りしようかと近頃は考えている。

 

 坑内はガスに引火しては事だからと特殊なランタン。

 

 バルバロス性の生物の光を使うのが帝国では一般的だが、ここら辺ではガスが出ていない場所のみに限定して使われている。

 

 後は暗い場所で延々とツルハシによる採掘が殆どらしい。

 

「それで示した場所なのですが、此処では有名なのですか? 知っている方が殆どいないとの事でしたが……」

 

「ええ、実は坑道を造る時は事前に色々と調査するもんなんですが、あの王の一族が来る前に封鎖した一角がありまして」

 

「封鎖?」

 

「何分、ワシが子供の頃の事ですじゃ。当時は無理に掘らない坑道も多く。当時のババの話ですと土神様がいたのでそっとしといたとの話で」

 

「ツチカミ?」

 

「ええ、大昔から……あの王達が来るまで我ら山の民は土神様と暮らしておったんです」

 

「土着の神、ですか?」

 

「ええ、土神様は鉱山の奥に時折いるもんでして。いつもは寝てるのですが、起きると工夫を喰うってんで、土神様がいる場所は掘っちゃなんねぇって掟がありまして」

 

「初めて聞きます。それは此処の鉱山だけなのですか?」

 

「いや? どうだったかな。昔は他の鉱山でも土神様が出たって話は聞きました。ただ、この数十年は出て無いんじゃねぇですかねぇ……」

 

「……土神様はどういうものなのですか? バルバロスというのは知っていますよね?」

 

「ああ、はい。獣の神さんの事はええ……ただ、土神様はああいう生き物って感じじゃないですじゃ」

 

「生き物じゃない?」

 

 老人が頷きながらランタンを片手にもう舗装されていない道を歩いて行く。

 

「ええ、見た目は鉱物で。それも白金に似とります」

 

(プラチナに?)

 

「土神様は寝てる時は鉱物みたいに大人しい鉱脈みたいに見えるんですじゃ。ですが、一度でも刺激を与えて怒らせると工夫を喰って、動ける躰を手に入れちまって、大騒ぎになると」

 

「食べて、動けるようになる?」

 

「はい。昔、一度だけ土神様に食われた人を見た事がありまして。その人は腕を喰われて、土神様の言う通りに動かされちまうってんで、腕を斧で切り落として何とか一命を取り留めて……腕は元の場所に戻し埋められました」

 

「土神様は人を喰うと何をするのですか?」

 

「ババの話だと何百年か。あるいは数十年に一回はどっかの鉱山で土神様に食われた山の民の集落が消えると言っとりました」

 

「集落を……」

 

「土神様は人を一定の数だけ喰った後は物言わぬ鉱物に返るみたいなんですがね。何でも北部の伝説にあるような武器は土神様が返った後の身体を使って作ってたとか……」

 

「武器に?」

 

「ええ、それが他の獣の神様。バルバロスに良く利くってんで、神様を追い払う為の神器に使われてるそうですじゃ」

 

「ジンギ……」

 

「いやぁ、戦乱が無くなってからは神器を造るところも減ったって聞きますが、まだ巫女様達のところは作っているんじゃないですかねぇ」

 

「その土神様を止める方法はあるのですか?」

 

「ええと、それはとても簡単ではあるんですが、何とも……」

 

「何か言い難い事でも?」

 

 老人が僅かに黙る。

 

「土神様は人の頭を喰らうと話し始めるんですじゃ」

 

「話す?」

 

「へぇ……それでお頼みするんです。どうか、お帰り下さい。これ以上食べないで下さいと」

 

「………それで意思疎通出来るのですか?」

 

「昔、隣近所のババが言ってました。妹を土神様にして帰って貰った事があると。妹は悲しそうにしながらも頷いてくれたと……」

 

(鉱物に喰われる……生物の脳を乗っ取るのか? だが、哀しそうという事は当人の可能性も? SFにあるような侵食するような金属生命体や金属細胞の類だとして、意識があるまま侵食を受けて別生物になるのか。もしくは侵食されて記憶を引き継いだ別の人格になるのか。とりあえず)

 

 老人がランタンを地面において単なる木製の壁のように見える場所を前に立ち止まる。

 

「此処ですじゃ……土神様を置いた通路は再び採掘される事が無いように印が付けられておりまして。この黒い朽ちた木材の壁も実際には専門に焼き付けたもので……」

 

 老人が壁を調べてから背負っていたつるはしで壁の一部から木製の杭を引き抜いて壁板を外していくと内部に続く通路には黒い布状のものが垂れ下がっていた。

 

 どうやら光を遮断する為に上に杭で括り付けられていたようだ。

 

「どうか土神様を起こさぬようお気を付け下されば」

 

「善処します。ありがとうございました。ウィシャス。フェグ」

 

『こちらが先に』

 

『フェグはうしろー』

 

 後ろからぎゅーされながらランタンを持ったウィシャスが先導する形で内部に入っていく。

 

 老人が背後で頭を下げていた。

 

 そうして歩き出して10分程。

 

 数百mは坑道を抜けたと思われた時。

 

 角を曲がると急激に“穴の外”が見えて来る。

 

 その眩さのせいでランタンが霞むような日光にも負けない光量。

 

「オレが先行する。2人は後ろだ。いいな?」

 

「対処出来るのが君だけなのは何となく解るけど、それが自分としては兵隊として看過しかねるんだけどな……」

 

「なら、横に並べ。もしもの時は一列の方が護る面積が減る分、オレが楽なだけだからな」

 

「……兵隊泣かせだね。解った。真後ろでいつでも掴んで逃げられるようにしておくよ」

 

「よろしい。フェグ。咄嗟に前に出ようとかするなよ?」

 

「わかったー」

 

 2人を背後にして光源の先に進む。

 

 そして、穴の先で僅かに目が眩みそうな光の最中で光の出所を例のバルバロスの瞳の能力で見る事になった。

 

「村?」

 

 凡そ30m四方の空間。

 

 換気ダクトが無い為、内部の空間は窒息する危険もあるかと思ったのだが、内部には畑と一件の岩窟を掘り込んだと思われる家がポツンと置かれていた。

 

 土は腐葉土らしきものが敷かれており、周囲には岩窟を通る小川らしきものが壁の端から端まで流れており、周囲には外でも見掛ける樹木が青々と十数本程茂っている。

 

 川の近くの畑には大量のトウモロコシらしきものが植えられて、収穫されたらしいソレが実だけの状態で麻布らしきものの上に並べられていた。

 

 だが、一番の問題は明かりの出所だ。

 

 岩窟の天井にあるものが蠢いている。

 

 熱量も光も出しているが、放射線らしきものは観測出来ない。

 

 だが、それにしても眩過ぎる光量の出所が蠢く鉱石だと気付けば、顔も引き攣りそうな話だ。

 

 取り敢えず、今の瞳で解るのは電気らしきものが発生し、蠢く岩の表層で光になって放出されているという事実のみである。

 

 超重元素を用いた生きた光源という事だけは確かだろうが、それにしても莫大なエネルギーをその内部に生きていそうなソレが貯め込んでいる事だけは確かだろう。

 

「!」

 

 フェグが背後から腕を引っ張って、ついでのようにウィシャスの首を掴みつつ、畑の横まで跳ぶ。

 

「ご、ごめんなさいだべ。驚かせただか?」

 

 その声に相手を見やる。

 

 すると、其処には少女の形をしたモノがいた。

 

 岩というよりは滑らかな鉱物を思わせる白金を流動させたような肌色。

 

 人間の肌の質感に溶けた金属を混ぜ込んだような不思議な色合い。

 

 恐らくは10歳くらいだろうか。

 

 麻布を織ったような少し荒い原始的なワンピースな衣服を一枚着込んだ少女は見目も整っている事もあり、一種の彫像のようにも見える。

 

 髪の毛が完全に白金を糸にしたような質感なので美しいというよりも精工な作り物めいて感心する感情の方が先に立つ。

 

 容姿だけで言えば、幼い貴族の子女のようにも思えるだろう。

 

「貴女が土神様ですか?」

 

 フェグに後ろ手で降ろせと合図してウィシャスが少し咳き込むのをフェグに任せつつ、僅かに前に出て対応する。

 

「か、神様だなんて……ウチはええと……神様でねぇんだ。むがしにでっけぇ神様に食われちまって、今はこうして生活してるんだ。うん……もしかしてフェブルの人だか?」

 

 鈍っている少女の問いに頷く。

 

「今、フェブルに滞在している者です。少しお話を聞かせて貰ってもいいですか?」

 

「ホントか? んだ、んだ、んだば、ウチに教えてけろ。フェブルは、ウチの村はまだ外さあるだが?」

 

 少女が近付いて来て、真剣な瞳で訊ねる。

 

「ええ、今も沢山の人がいますよ」

 

「んだが……そうだが……うん、うん……よがった、よがっだだ……」

 

 少女が少しだけ涙目になりながらも、その瞳を腕でゴシゴシ拭った。

 

 すると、涙らしきものが僅かに周囲にキラキラと散らばる。

 

 どうやら金属的なものらしい。

 

「ぐす……っ、ご、ごめんな。人に会うのは久しぶりで……家さ来てけろ。旅の人……お話、聞かせてけねーべが」

 

「解りました。オジャマシマス」

 

 鈍った少女と共に岩窟の一軒家へと向かう。

 

 作物は見る限り、普通だったが、明かりを放つ岩は未だ蠢き続けていた。

 

 *

 

「そうだが、そどはそんなに時間が経っただが……もうエルゼギアが無ぇなんで信じられん話だ。ん、ん……」

 

 何度も自分に頷くようにして自己紹介されたヴェーナという少女と岩窟を掘り抜いた家の居間で話をしていた。

 

 家の内部には竈と収穫したらしいトウモロコシが詰まった袋。

 

 麻と樹木で造ったハンモック式の寝床にテーブルと椅子が数脚。

 

 それ以外では農業用らしい木と鋭い岩製の刃で造られたクワなどが立て掛けられていた。

 

「此処では時間が解らないのですか? ヴェーナさん」

 

「んだ。とぎどぎ、鉱山が揺れで、ああ、あだらしい坑道できだんだって解るだけだ。でも、一つの坑道できるんだば、時間かがるの解るがらよ……そんな気はしてだんだ……」

 

「そうですか」

 

 エルゼギアの事を知っているかと訊ねると少女はさすがに知っていた。

 

 ついでに聞き出した人間を止めた頃の世情を疎いとはいえ知っていた少女の話から年代もすぐに150年程前だと推定出来た。

 

「それでどうして此処にいるのか訊ねてもよろしいですか?」

 

「え、えっどな? 土神さんの話は知ってるんだよな?」

 

「ええ」

 

「ウチがそどにいた頃、出て来だ土神さんはとんでもなぐおおぎがったんだ」

 

「大きい?」

 

「んだ。でも、そのどぎ、村にいたおどなはみぃんな流行り病で……それでも仕事してだんだ。もし、1人でも居なぐなれば、みぃんな飢え死にするしがねぇ……んだがら、子供から選ばれで……」

 

「………」

 

「本当はウチだげでダメだば、姉もって言われだんだ。んだがらよ。頑張っだんだ……ウチ一人でお願げぇしますって……祈ってだ……したら、土神さんがぜぇんぶウチのながに入ってまってよ」

 

 ポンポンと少女が自分のお腹を片手で少し叩く。

 

「中に全部……」

 

「んだ。それがらずぅっとこごさいるんだ。最初はなぁんもながっだ。でも、採掘中におぢだんだと思うもんがいぐつがあったんだ……モロコシの種とツルハシの木と脚についでだ土だ」

 

「それを使って、此処を?」

 

「んだ。神さんは力は強ぇんだ。材料さえありゃ、土も作ぐれるし、木も切れ端から苗だって出来るんだ。こんな感じで……」

 

 ヴェーナの手がテーブルの端から少しだけ指で木材を“千切り取って”手に載せて目を閉じる。

 

 すると、手の内側に木材が引き込まれるようにして消えて、数秒後に手の上に種らしきものが浮かんで来た。

 

「……これは……」

 

「土も岩のクズを使うとでぎるんだ。麻はウチの服だったもんがらでぎるようになって、この収穫終えだら、植えられるようになるんだ。ん、ん」

 

 思わず真顔になりそうだった。

 

「……その、あの天井で蠢くのは土神なのですか?」

 

「アレは暗ぇなぁっで思っでだら、指がらちょっど血ぃ出てよぅ。それが上で光るようになっで、それがら寝だい時に暗くなるようになっだんだ」

 

「成程……お水は元々此処に?」

 

「んだ。よぐ坑道にはお水出るべ? それがちょろちょろ流れでだんだ。それをもっと川くらいねぇがなぁって思ったらよ。天井にいる神さんの一部が掘っでくれだんだ」

 

「そうですか……それでそれ以来ずっと此処に?」

 

「おっかぁの言い付けだ……出ちゃなんねぇ。出ちゃなんねぇって……泣きながらよ……」

 

 少女は少し肩を落とす。

 

 その言い付けをずっとずっと護って来たのだろう。

 

「そどの話、聞かせてげるが?」

 

「解りました」

 

 そうして、それから数十分程、外に出来事を知る限り教えていく。

 

「んだが、ひでぇやづがいだんだな。でも、助けでくれだんだが……ありがとぅよぅ……」

 

 少し涙目でグスグスしたヴェーナはまた涙を拭う。

 

「此処はこれからもっと大きくなります。きっと、鉱山も大きくなっていくでしょう」

 

「んだが……良いこどだ。ん、ん……」

 

「ですが、それだと実は不都合があるかもしれません」

 

「ふつごう?」

 

「坑道が大きく為ったりすると恐らく此処まで伸びて来る可能性があります。それに土神の事が広まれば、また良からぬ輩を招き寄せる可能性も……」

 

「っ、それはダメだぁ……ようやぐ、みんな食べられるようになっだんだ。それじゃぁ、ウチは……」

 

「坑道を封鎖したりしても、崩落や落盤で此処が崩れたり、あるいは大勢の人の目に見られるようになれば、また別の問題もあります。土神の力は大きいと仰っていたように、それを使おうとする者はきっと後を絶たないでしょう」

 

「どうすれば、いいんだべなぁ……」

 

 少女が自分の存在そのものが街に厄介事を押し付ける事になるという話にしょげる。

 

「もし良ければ、私の国に来ますか?」

 

「国?」

 

 顔を上げた少女に片腕の手袋を脱いでグアグリスの粘体を出して見せると驚いた顔になる。

 

「私も同じような力があるんです。バルバロスの力を持つ者の悩みは解るつもりです」

 

「……ウチを利用するだが?」

 

 ちょっとだけジト目の少女がこっちを見極めるように目を細める。

 

「今の私の国は悪い事を沢山して、それをようやく止められる時期に来ています。そして、大勢のその悪い事を知らない大半の国民が恐らくはこのままだと戦争で死んでいくでしょう」

 

 少女が僅かに驚いた顔になる。

 

「でも、それは自業自得ではあるのです。人を蔑む人は蔑まれる。殺す人は殺される。でも、知らなかったで済ませないで、その先にその人達を連れて行く。謝る事も出来れば、怒っていても誰かと手を取り合えるような人達にしたいと私は思っています」

 

「その……ずっと気になってんだけどよぅ。お前さんて偉いんだが?」

 

「一応、あの国で一番恨まれる人の孫娘ですから」

 

「―――お姫さん、だが?」

 

 思わず苦笑してしまう。

 

 そんな言い方をされた事は今まで無かった。

 

 悪虐大公の孫娘ではなく。

 

 単なるお姫様等と自分を評するのはきっと何も知らない人間か。

 

 幼馴染くらいのものだろう。

 

「申し遅れました。フィティシラ。『フィティシラ・アルローゼンだ……よろしく。ヴェーナ』」

 

 こちらの言葉の変化にまた驚いた少女がこっちの手を見てから、再びこっちの顔に視線を戻し、どうしたものかと思案した様子になる。

 

 そんな時、ふと天井の蠢く岩が明滅した。

 

 と、同時にヴェーナが思わず腹部を抑えるようにして縮こまる。

 

「大丈夫か?!」

 

「ッ~~~これ、この感じ……他の土神さんが暴れてるだ」

 

「暴れてる?」

 

「んだ。時々、ハライタになる事があって、それが土神さんが暴れてる時だったのが解がるようになったんだ……んでも、こんなっ、んく…・・・っっ」

 

 思わず両目を閉じて、アブ汗ならぬ油的な金属っぽい雫を落としたヴェーナの肩に手を当てる。

 

 その途端、ゾワリと本能的に手を離しそうになった。

 

 理由は単純明快に侵食されたからだ。

 

 だが、グアグリス取り込んだ腕だ。

 

 浸食勝負で負ける程に軟ではない。

 

 こちらのグアグリスよりも硬い鉱物という特性のある細胞は通常の生物が用いる遺伝子らしきものは無いにしても、流動する以上は単なる金属でも無いのだ。

 

 グアグリスが金属を溶かし体内で精錬出来る以上、細胞同士の力は恐らくパラメータ的に何処が強くて弱いみたいな勝負になるレベルだと踏んだ。

 

「だ、ダメだぁ、喰われちまぅぞ!?」

 

「大丈夫だ。問題無い。問題があっても、手を差し伸べない事の方が問題の事の方が多い」

 

「ッ」

 

 ヴェーナの肌からの侵食にグアグリスの侵食機能で拮抗しながら、相手の状態を見る。

 

(電磁波から察するに通信? いや、受信か?)

 

 パチンと指を弾いて、条件付けしていたグアグリスの触手で繊細な操作を行う。

 

 外套の懐に忍ばせている試験管の一つが抜き出された。

 

 磁界を発生させる為に急いでグアグリスの精錬能力で凝集、押し固めて、持って来ていた銅線を周囲に巻いてコイル状に形成。

 

 それを数本、周囲の壁付近で触手内部で回してみる。

 

「っ……ん? どうして……」

 

「ちょっと周囲の電磁波を攪乱してみただけだ」

 

 コイル内部の超重元素の塊がギュルギュルと回転しながら放電というよりは磁場を形成、電磁波を垂れ流す感じで人間にはまったく無害だが、普通のFMくらいなら聞こえなくなるだろう感じに外部からの電磁波を掻き乱している。

 

 周波数帯は見えていたので妨害電波のチューニングは自力である。

 

「大丈夫か?」

 

「ぅ、ぅん……おめぇ、すげぇんだな。ん、ん」

 

 自分の考えに頷くようにしてヴェーナがこちらを繁々と見つつ、何かを考え、数秒後には真剣な瞳でこちらを見据えた。

 

「ええだよ。ウチの事なんて、もうだーれも知ってる連中なんていねぇんだ……ウチの村を救ってくれだおめぇに付いでぐってのもいいべ。でも……」

 

「解ってる。この耳障りな声を止めてからだな?」

 

「っ、聞こえるんだが!?」

 

「いいや、見えるんだ」

 

 その言葉にヴェーナがこちらを見て、頷く。

 

「んだが……おめぇも怖いもん知っでるんだな……」

 

「ああ……」

 

「気に入っただ!! このヴェーナ・ヴェゼルダはおめぇに付いでぐ!! だがら、よろしくおねげーしますだ!!」

 

 頭を下げ後、少女に手を差し出す。

 

 それを一瞬だけ躊躇した少女が、手を握り返した。

 

 今度は侵食されない。

 

 そう、きっと少女の優しさが無ければ、少女の中の土神はどんな相手も呑み込む化け物のように使えてしまう事だろう。

 

 それを抑え込む精神力。

 

 孤独に溺れながらもいつか人と話そうと己を保ち続けた強固な意思。

 

 少女は誰に言われずとも巌。

 

 否、鉄の心を持つ人に違いなかった。

 

 今の仲間達とは違う意味で近い存在である少女との握手は確かにこれから起こる事件を思わせて強く強く。

 

 まだ北部から西部に向かうには時間が早いようであった。

 

「むぅ~~~」

 

 後ろでは何故か微妙に膨れたフェグが頬を膨らませているのだった。


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