ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第50話「帝都の落日Ⅵ」

 

 帝都内の優良人材で目ぼしい相手の9割を確保し終えた現在。

 

 これで帝都はようやく自分の掌に転がって来たと言える。

 

 陥落した帝都は今や庭みたいなものだろう。

 

 帝都守護職を新しくやる事になった貴族のおっさんに自分の言いなりになるなら、しばらくは地位を安泰にしておくと吹き込んだり、馬鹿みたいに大きな負債を抱えている金庫省……日本で言うところの財務省に新しい金策計画と同時に自分の意見を捻じ込んだり、属国から来てる有力者の一部に新インフラの開発計画の利権を分配したりしたのがようやく終わったのだ。

 

 大物である情報部の雄を抱き込んだのでしばらくはこれで自分を邪魔してくれる要員は消えただろう。

 

 殆どの貴族連中は裏工作に気付いていないし、気付いている連中の大半は沈黙を保つ事を旨にしている。

 

 今更、安泰な貴族生活を捨ててまで怪しい動きをする大公の姫殿下に忠言を吐く忠義者とやらはいないのだ。

 

「さて、帝都も落としたし……次は各地の占領地と属国領だな」

 

「………」

 

 いつもの馬車の中。

 

 ウィシャスが何か言いたげな顔をしていた。

 

「何か言いたげだな」

 

「いえ、何でも……」

 

「そうやって貯め込むのは良く無いぞ? 悩みがあるなら聞いてやる」

 

「……何を以て君は帝都を落としたと豪語するのか気になってね」

 

「今後、帝都でこちらの動きを邪魔しそうな要因が全部消えたから、ようやく好き勝手動ける環境が整ったって事だ」

 

「聞かなきゃ良かった……」

 

 溜息が吐かれる。

 

 ちなみに今日の『お前が寝床になるんだよ!!』の犠牲者であるウィシャスの膝には黒猫が寛いでいる。

 

「帝都が落ちた今、帝国内の不安要因はオレの知らない人材による悪意ある行動くらいだ。滅ぼされた勢力の復讐者とか。属国の反抗勢力とか。現在進行形で残党の掃討作戦をしてる場所とか」

 

「それもどうにかすると?」

 

「情報部は抱き込んだし、工作も可能だ。表向きは従順なフリをしてるだけの不満堪りまくりの連中を国内に置いておけないからな」

 

「まさか……」

 

「殺す理由が何一つ無い。そういう連中には帝国を生かす理由と帝国が滅びたら今よりも酷い事になる理由を同時に与えといた」

 

「……その舌先で丸め込んだのかい?」

 

「人聞きが悪いな。ちなみにこれから情報部の連中に任せられない仕事だ」

 

「何処かの誰かと会う予定みたいだけど」

 

「そうだ。今からそいつらへ懇切丁寧に自分達の不満を感情的に他国に利用されたら、どうなるかを教えてやる事になってる。それが終わったら北部に直行だな」

 

「今年の夏は暑かったよ。うん……」

 

 もう疲れたと言いたげに肩が竦められた。

 

 馬車に揺られて1時間。

 

 帝都近郊にある城下町から更に遠くなっても平野には疎らながらも活気のある店舗が多い。

 

 特に流通業者の殆どは帝都内の小物を届ける業者と帝都付近にまで長距離輸送を行うものとに分かれている。

 

 なので運送業……トラックの運転手みたいな微妙に人相が悪いゴツイ御者が集まる場所には僅かながらも街と呼べる程度の場所があるのだ。

 

 特に帝都に近い地域にある街の多くは規則的な都市開発が実施されており、川や山などの地形が無い限りは大きく形が変わらない。

 

 路は碁盤目状に整理されており、大通りは四つ角のある中央市場が中心だ。

 

 その周囲に荷馬車専用の道が整備されており、宿屋、飯屋、商店、風俗店の類が規則正しい配置と一定距離で置かれ、街が広がらない限りは簡易の木製の柵などで囲われている。

 

「いつ見ても活気があるね……」

 

「前に来た事があるのか?」

 

「兵士になってからよく通ってたから……」

 

 街の周囲に広がるのは国策で大規模開拓された巨大な穀倉地帯だ。

 

 帝都周辺だけでも凡そ中小国ならば、総国土面積で見ても上回るだろう穀物と野菜と畜産の農場が広がっている。

 

 将来的に開拓する為の場所は手付かずで残っているのも御爺様の手腕だろう。

 

 路、街区の拡張、川の埋め立てや治水。

 

 その為の余白もちゃんと残されているのだ。

 

 未だに険しい場所などは木を切り倒してから焼き畑で消し去り、後に生えて来た草花を家畜の試料用として放牧地にもしている。

 

 帝都近辺の街まで人口の数だけで言えば、周辺国を合わせても足りない数。

 

 それを賄う為の一大農耕産出地帯。

 

 それが帝都周辺の事情である。

 

 それでも病院は日々増加する人々で満床だし、看護師看護婦に当たる医者と助手の女性達は人気の高給取りな職業だ。

 

 街の人口比で1万人に付き、大型病院が1件。

 

 それに付随して負傷後の兵士の面倒を看る養兵院と呼ばれる戦後補償政策用の病院が2件必ず設けられている。

 

 特に家族が面倒を看るのには不可能な程の傷でも命に別状なく生きていられる生き地獄系負傷兵達の多くは病院に運ばれてから安楽死も含めて選択肢として示され、家族の為に生きるのを止める者や家族と最後まで生きていくと決めて両手両足の何処かが無いままに簡易の義手義足で病院の仲間達と助け合いながら生きている、という事もある。

 

「………」

 

 病院を通り過ぎて宿屋街の一角。

 

 規制のおかげで過密でもなく。

 

 程良く人混みで溢れる宿の前に馬車が付くと。

 

 周囲からものの見事に人間が慌てた様子で消えていく。

 

 この30年。

 

 ブラスタの血族とはいえ、貴族に列された多くの者達が帝都を中心に活動しており、一般人からしてみれば、大貴族の家紋入り馬車なんてのは地雷である。

 

「それで今日は?」

 

「裏手のところで御者と一緒に待っててくれ。今日は属国領の外交団だ」

 

「解りました……くれぐれも迷惑を掛けないように……」

 

「それオレが迷惑を掛けられるの間違いじゃないか?」

 

「それは正気で言ってるのかい?」

 

「酷い話だ。まぁ、刃傷沙汰にはならないから問題ない」

 

「それ以外があると聞こえるようになった僕はかなり毒されてる気がする」

 

 馬車から降りて宿屋の中に入ると前々から入れていた話だったので、宿屋の総員が頭を下げて道を作っており、左右の者達はともかく。

 

 宿屋の主人だろう40代くらいの男が浮かれた様子でもなく。

 

 何処か顔色も悪そうな様子で頭を下げて待っていた。

 

「面を上げて下さい。皆さんは?」

 

「は、はい!! 二階でお待ちです。さ、お前達は仕事に戻れ!! くれぐれも近付かないように!!」

 

 主人の掛け声で従業員10人程が次々に玄関から消えていく。

 

 案内で二階に上がり、目的の部屋の前でノックを二階。

 

 どうぞの声で入ると。

 

 すぐに主人が背後で扉を閉めて慌てた足音が去っていく。

 

 室内は帝国貴族が泊まれるレベルの内装で壁紙やら硝子製の窓やらクローゼットも備え付けではあるが、存在していた。

 

 中にいるのは凡そ5人の男女だ。

 

 2人が70代程の男性でどちらも皺枯れた老人ながらも矍鑠とした様子の眼光もキツイ様子である。

 

 片方は細長い感じでもう片方はドッシリしており、両方タキシード姿だ。

 

 残る三人は旅装でこそ無いが、見慣れないカラフルな赤と青の礼服らしいものを着た歳若い男性1人……恐らくは護衛役。

 

 更にまだ年若い20代の女性が1人に少女らしい年齢の15くらいの相手が1人。

 

 女性陣はどちらも青年と同じ色合いだが、年頃の女性らしい礼服姿であり、軍装に外套一つの自分とは偉い違いだった。

 

 こういうところで元男というのは何か微妙に女性的な面で負けているかもしれないが、負けたままでいたいと切に思う。

 

 誰も彼も印象的なのは銀の瞳と浅黒い肌だ。

 

「どうも。初めまして……フィティシラ・アルローゼンと申します。リギナ領外交団の方々……」

 

 軽く会釈すると僅かに少女が驚き。

 

 ジットリとした汗を浮かべる女性が目を細める。

 

 2人とも美人の類だが、20代の方はキツメの如何にも出来ます風な敏腕というのが透けて見えるような化粧もバッチリな相手である。

 

 のに対し、少女は未だ化粧も薄く……いつもならば柔和なのだろう顔をシロクロさせていた。

 

 貴族は頭を下げない。

 

 属国領の人間にならば、尚更だ。

 

 というのはつい先日までの話であり、日本人たる自分は礼儀の上では頭を下げるのがデフォになっている為、何か噂では物腰の低過ぎる大貴族としても人気、らしい。

 

「初めまして。アルローゼン姫殿下。リギナ領の命により参りました。ガイゼルと申します」

 

 細い方の老人が立ち上がって頭を下げ。

 

「リギナの命により参じた。我はガロンと申す。よろしくお頼み申す」

 

 筋肉で太い老人が頭こそ下げないが、軽く軍人らしく敬礼をした。

 

「では、掛けてもよろしいですか?」

 

「ええ」

 

 どうやらガイゼルが話を主導するようで三人でテーブルに着く。

 

「背後の者達は気にせず。我々の護衛と秘書でしてな」

 

「そうですか。よろしくお願い致します。皆様」

 

 ビクリとした少女があたふたしつつも、女性に肘で小突かれて、すぐに男性と共に一緒に頭を下げてくれた。

 

「さて、それでは単刀直入に申しましょう。リギナ領の裏切りに付いて、帝国は不問にしませんが、わたくしが不問にしましょう」

 

「「―――」」

 

 老人達は辛うじて耐えた。

 

 さすがに男性は僅かに目付きが鋭くなり、腰の業物に手を掛ける事こそ無かったが、それにしても殺気的なものを内側に覆い隠し……秘書役の女性は顔は変えなかったが瞳が動揺を示し……少女だけが何の話だろうという顔で頭にハテナーマークを浮かべていた。

 

「それはどういうお話でしょうか? 我々はリギナ領より、帝都からの徴税に関する重要事項があるとの話で招集されたはずなのですが」

 

「ええ、その一件に付いてです。皆様には言うまでもない話ですが、現在の帝国領内と認識される属国領の国内通貨は全て紙幣で賄われており、その交換に関しては基本的に帝都が握っているというのは一般常識ですね?」

 

「ええ、それが如何しましたかな?」

 

「わたくしが調べましたところ。リギナ領で不法に紙幣の増刷が確認されました。ついでにその増刷された資金の大半が何故か国内で使われるわけでもなく。海外に流出しているようで……恐らくは属国領のものではない、帝都で刷られるはずの紙幣かと思い。こうしてリギナ領の方々を招集したわけです」

 

「……まさか? そのような悪事がリギナの地で行われていたとは驚きですな。無論、そのような事があるとすれば、我々は全く帝都からの信頼を勝ち得るべく。全面的に協力致します」

 

「いえいえ、そちらが大まかにどれくらい関わっていたのかが知りたかっただけなのですよ」

 

 予め紅茶セットが置かれた台から紅茶を入れて自分で一口する。

 

「ふぅ……まぁ、言わずとも良かったのですが、これは純然たる厚意である事は予め言っておきます」

 

「厚意?」

 

「ええ、親切心というヤツですよ」

 

 ニコリとしておく。

 

「リギナは29年前の第一次興国会戦で皇帝閣下に敗北した後。第一の属国領として征されましたが、凡そ死者だけで当時の人口の1割。それも全て働き盛りの男性ばかり……随分とご苦労されたとか」

 

「ええ、まぁ……」

 

 ガイゼルが何を言われているのか何となく察しながらもお茶を濁す。

 

「当時の事を調べましたが、御爺様が最初期に施行した政策も全てリギナで試されて後、他の属国領に広められた。この点でリギナはかなり同情に値します」

 

「………そうですか」

 

「理由は以下の通り。リギナ国民の帝国民化を推し進める為、死亡した兵士の寡婦を混血政策上の優遇税制やその他の好待遇政策で取り込んだリギナの常識的な婚姻制度の破壊。また、リギナ領内の幾つかの領域を全て帝都直轄にして、その後のリギナで産出される殆どの新しい鉱脈が帝国に渡った直轄領政策」

 

「………そんな事もありましたな」

 

「リギナの指導者層には帝国の大貴族との婚約が生まれた時から交わされ、今では実際に100名程の帝国名家の三女四女くらいの子女がリギナに嫁いでいる。帝国の指導者層の同化と取り込みに関してリギナの40代より上は極めて否定的だとか?」

 

「………そういう事を良く思わない不心得者の噂もあるとは聞きますな」

 

「ですが、何より許せないのは悪虐大公と名高い御爺様がリギナに課した大転換政策……元々は遊牧民として数百年前から連綿と続いて来た生活を定住で固定化させ、指導者層を封じて広い大地を馬で駆け回る事が出来なくなった領土封建だとか」

 

「それは……我々としても長年、毎年のように訴状と建議は上げております」

 

 ガイゼルの口がさすがに動いた。

 

「外部から聞けば、左程の事でもない政策でしょうが、御爺様はリギナの事をよくよく調べていたという事です。婚姻関係を重視するリギナ人の思想を強制的に転換させる為に一番嫌悪感は強いが反抗出来ない程度の政策をやったという事でしょう」

 

 こちらの言葉に老人達がピクリと反応した。

 

「思想?」

 

「帝国化というのは何も帝国人になれという事ではないのですよ。簡単に言えば、帝国人に迷惑を掛けない程度に大人しく文明的に表面上だけでも学ばせる政策。だから、今まで上げた以外の帝国からの押し付けは真っ当だったり、適当に裁量権が与えられたのです」

 

「……どのような思想をリギナから帝国が取り除こうとしていたと?」

 

「要は血縁の為に血みどろの内戦、略奪、部族毎に殲滅戦を繰り返していた貴方達の文明化です」

 

「文明化……まるで、当時の我々には文化が無かったとでも言いたげな話だ」

 

「事実として殺し合いは多かったし、この数百年で30以上の部族が滅び。現行では6部族しか存在しない。それは淘汰というよりは恣意的な婚姻と部族間の取り込みが過激だったせいでしょう」

 

「………」

 

 ガイゼルが押し黙る。

 

「御爺様はそういうところを嫌ったのですよ。だから、部族毎の思想として最重要視されていた血統、婚姻を外圧で強制的に画一的にさせて、その後のリギナにおいて血統や婚姻への悪癖が忌避され、嫌悪されて、人々から薄れるように様々な政策を取った」

 

「……初耳、ですな」

 

「新しい資源も部族間の争いで内紛や内乱を起こされても困るから、適当に取り上げただけでしょう。そして、最大の懸案である封建制度は簡単に言えば、リギナ人が信用出来なかったのですよ」

 

「信用?」

 

「リギナ人は遊牧民です。ですが、その遊牧の範囲がかなり広範囲に渡っていた。遊牧を許せば、帝国領土を無理やり広げる拡張戦争にも成りかねない。他国へ助けを求められても困る。ですが、貴方達の馬と草原は是非とも欲しかった」

 

「だから、それを我々から取り上げた?」

 

「いいえ、それを固定化して、貴方達との妥協案を造ったのです」

 

「妥協……」

 

 ガイゼルの目が細まる。

 

「馬の産出と国内の遊牧地の管理。そして、定住、固定化による農耕の発達や貯財による資産の大切さ……それを説きたかったのですよ」

 

「資産の大切さ?」

 

「足りないものは取って来ればいい。というのがリギナの伝統的なことわざだとか。それを取って来る場所が他国や他部族なのは御爺様的には論外だった、という事です。略奪民族であるリギナの血生臭い国民性を改善する制度。それが皆さんに押し付けられた圧政の正体ですよ」

 

 遊牧民族特有の資産が家畜という文化は帝国内では通用しない。

 

 全ては帝国紙幣との商売や物々交換である。

 

 それでもリギナが良い暮らしが出来ているのは帝国において馬の一大産出地帯であるからに他ならない。

 

 帝都周辺が現代の地理的にはチェルノーゼムと呼ばれる肥沃な大地そのままな大穀倉地帯ならば、リギナの大地は広大な牧草地そのものだ。

 

「まぁ、今のリギナ最大の資産である馬は資産としては微妙になっていますが……今のリギナの馬の数は昔より増しましたが、質はどうでしょうか?」

 

「な、何故、それを……」

 

「ちょっとした知識と現実の数字を見れば、一目瞭然ですよ」

 

「……っ」

 

 帝国が馬の質を維持出来るのは主に馬で巨大な物流を支えつつ、その馬の食糧となる様々な栄養面で評価出来る馬草を移動させながら与えられているからだ。

 

 リギナの馬は今や往年の力も無く。

 

 固定化された地域から出て帝国軍に出され初めて、主戦場となる戦域各地に生える馬草や運動面から立派な軍馬として確立されるのである。

 

 30年前と比べてもリギナの馬が痩せたというのは当人達が一番感じている事に違いないし、何なら現地では馬が「帝国病」に掛ったとすら言われている。

 

「……小竜姫殿下」

 

「何でしょう?」

 

 ガイゼルが本当に思わずという顔でこちらを見ていた。

 

「それを我々に話す理由は?」

 

「竜の国や南部のあの国に帝国紙幣を流しているのは別に構いませんよ。ただし、皆さんがしている事はリギナ人が帝国以外の国々から地獄を見せられる可能性の高い行為である事はお教えしておきます」

 

「―――」

 

 ガイゼルが思わず真顔で無言になる。

 

「言っておきますが、皆さんはもう遊牧民ではありません。30年の月日は世代として立派に定着し、定住の良さを認めている者も多い。リギナ人という括りで教育しているようですが、それは帝国内だから通用する言い訳です」

 

「言い訳?」

 

「言っておきますが、帝国は優しい方ですが、他国ならリギナ人なんて正しく帝国に与した民族として確実に差別、圧政、略奪、奴隷化、虐殺……そういうのの対象になります」

 

「ッ、どういう、事でしょうか?」

 

「皆さんは帝国という優しい悪の圧政者から正義の圧政者に切り替えられたら、リギナの地がどうなるか思い描けていますか?」

 

「……悪と正義だと言うのならば、どちらが良いかは自明のように思えますが」

 

「御冗談でないとしたら、甘過ぎると言いましょう。これを……」

 

 持って来た鞄から書類を取り出してガイゼルに差し出す。

 

「これは?」

 

「読めば解ります」

 

 それから数分。

 

 ガイゼルが資料を読み始めて、ゆっくりと顔色が悪くなっていった。

 

「これは……こんな事が帝国の外では当たり前だと言うのか?!」

 

 思わずの叫びが悲鳴染みて零された。

 

「リギナ人は丸くなり過ぎました。それは定住の効用であり、帝国の圧政の効用であり、同時にまた時代の効用でもある」

 

「……我々がもう戦えない、だと!!」

 

 震える声でガイゼルが呟く。

 

 だが、現地人ならば、理解出来るだろう。

 

 今のリギナは反帝国主義を隠さなくても生きていけるくらいには帝国嫌いだが、その姿は何ら他の帝国人と特段に代わるものではない。

 

 普通に定住したからこその衣食住が提供され、まともに働けば、帝国人として扱われて、帝国本国の人間を嫌っても表立ったお咎めはない。

 

 しかも、それも何処か出来レース感が漂っており、大人が帝国は敵だと言うから敵にしている。

 

 その程度の30代以下が殆どだ。

 

 帝国式の教育などはそのまま受けている為、生活様式に多少遊牧民族の名残があって、良く馬に乗るし、放牧中の馬を追い掛け回すというだけの者は多い。

 

 それを嘆く大人達という構図は社会現象らしい。

 

 それとて14くらいまでの事だ。

 

 教育後の進路としては遊牧よりも街での生活に必要な各種の人材として若者達は出稼ぎするか街に暮らしており、その姿は少し逞しい帝国人程度の認識で他から見られている。

 

「ちなみに悪の帝国は優しいというのは国外から見れば、共通認識です。そして、大陸全土の遊牧民の大半は今や帝国に面倒を見て貰えたら、天国染みて帝国の為に是非働きたいと言う人間ばかりでしょうね。何も知らぬはリギナ人ばかりですよ」

 

 ニコリとしておく。

 

「見せてくれ」

 

 ガイゼルが相棒なのだろうガロンが資料を求め、それに頷く。

 

 資料を読み始めたガロンもまた顔色が悪くなった。

 

「嘘だと言うのは簡単であろうな」

 

「ご自分の手で調べて見ても構いませんよ。何なら皆さんの背後にいる方々に同じ資料を請求してみては如何でしょうか? 恐らく、数か月で同じような資料が出来上がって来ると思いますが」

 

「……大陸において遊牧の民はもはやこれ程の仕打ちを……」

 

「仕方ないでしょう。戦争戦争また戦争。そして、戦争において貴方達が帝国に馬を与えたせいで今や大陸の何処の国も馬を増産する為に大量の遊牧民を引き入れたりしていますが、彼らの生活はリギナ人のように甘くありません」

 

「………っ」

 

 帝国内で()()され、国外の情報を意図的に御爺様が制限していた効用がこんなところで発揮されるというのも何か嫌な話だ。

 

 こうなるとは思っていなかっただろうが、リギナ人を変える為に色々と悪い事を考えていたのは間違いない。

 

 帝国が集めた資料には地獄ばかりが載っていた。

 

「皆さん。アバンステアは悪の帝国ですが、悪の帝国が無くなったら一番困るのは悪の帝国を倒す正義の国家群かもしれませんよ?」

 

「「………」」

 

「お二人ともよろしいでしょうか?」

 

「見てみろ。エルネ」

 

「拝見致します」

 

 秘書役らしいキツメの女性エルネが資料を見てから、視線を細くする。

 

「これが、現状だと?」

 

「ええ、そうです。遊牧民の役7割がこの30年で消えました。理由は帝国式を学ぼうとした各国によって好き勝手に自治もなく同化吸収されたから」

 

「つまり、これも帝国のせいでは?」

 

「間接的にはそうなりますが、人間の本性でしょう」

 

「………」

 

 女性秘書エルネが沈黙に墜ちた。

 

「婚姻は完全に遊牧民同士では否定されていますし、戦で数の少なくなった男達の代わりに自国民を宛がって、子を産ませ、遊牧の民の技術と知識だけを取ったら、後は虐げて奴隷のように使い潰す。皆さんもきっと理解出来ると思いますよ? 帝国の圧政がどれほどに甘いものだったか」

 

「……一つ伺っても?」

 

「どうぞ」

 

 エルネ女子がこちらを殆ど睨み付けるように見る。

 

「これが事実だとして、もしもリギナが他国からの介入で帝国の打倒に一助するとすれば、このようにはならないのでは?」

 

 一応、自分達は理屈を言っているだけ、という体で彼女が訊ねる。

 

 だが、現実は小説よりも奇なり……どころか。

 

 ガチガチに暗黒面でアンラッキー極まる地獄だ。

 

「皆さんは解っていませんね。国際的な悪の帝国を倒すのに一か国でどうにかすると? 貴方達の交渉相手はそう言うかもしれません。ですが、実際に帝国内に攻め込んで来るのは絶対に一か国では済みませんよ?」

 

「………そのような者達がやって来る、と?」

 

「いいですか? さっきも言いましたが、悪の帝国が滅んで一番困るのはその相手なのです。理由は単純……帝国程の美味しい得物をどうやって分割して取り分を得るのですか」

 

 そこでようやく秘書エルネの顔も悪くなった。

 

「つ、つまり……交渉相手に関係なく。帝国を倒す程の勢力ならば、それは連合した各国であり、その各国の思惑の下でリギナも弄ばれると?」

 

「考えても見て下さい。リギナ人は馬で戦う事以外に何が出来たんですか?」

 

「な―――」

 

 さすがにその誇りを傷付ける言葉に青年の顔が限界を超えて歪み。

 

 その手が剣の柄に掛った。

 

「止めろ……この方を責めるのは筋が違う」

 

 冷静にガロンが青年に言うと当人の顔が俯けられた。

 

「悪い意味ではないのですよ。この30年で骨抜きになった皆さんリギナは思っているよりも時代に乗り遅れているという事です。もはや馬ですら単なる道具でしかない。それも何れは別の手段に取って代わられる」

 

「我々はもはや戦えない、と?」

 

 エルネの言葉に頷く。

 

「ええ、もしも帝国打倒が叶ったとしても、帝国を打倒した人間達はまた帝国の領土と富を求めて争うでしょう。それが戦争の形を取ら無くなれば、逆に危険です。理由は単純明快。今の内に持てるものを持ってさっさと帰ろうとする軍が大量に出たら……リギナの国民の何割が遊牧の大地に残るのでしょうか?」

 

 そこで誰もが顔を蒼褪めさせた。

 

 それもそうだろう。

 

 それこそ嘗てのリギナの実態だ。

 

 正しく、蛮族呼ばわりされていた当時のリギナのやっていた事が今度は自分達全てに翻って来るとなれば、蒼褪めもするだろう。

 

「これが皆さんリギナのしている事の結末です。ちなみに殆ど外れないと思いますよ? これの理由も単純です。皆さんには力が無い。帝国人を嫌い、帝国人のように生きて30年。もはや帝国陸軍に入らなかったリギナ人でまともに現代の戦いを行える人間はいると思いますか?」

 

 青年が苦渋の表情を浮かべる。

 

 リギナ人でも帝国軍には入れる。

 

 入ったら、かなり一族から謗りは免れないらしいが、帝国法は行き届いている為、私刑も無ければ、村八分もリギナ人以外の役人達に罰される。

 

 治外法権ではないのだ。

 

 あくまでも帝国法が通じる属国領である。

 

 悪癖の改善という名の下に帝国のお役人による属国領の人々の思想改良や悪癖、悪習の改変は日夜行われていたりする。

 

「わたくしから言える事は二つです。帝国の崩壊が皆さんの生活の崩壊です。30年間の平和の代償。いえ、平和を買わされた貴方達の代金の取り立てはこの悪の帝国以外から受けるべきではありません。それが一番皆さんのご家族と親類、大切な人を護るに値する方法だと述べさせて頂きます」

 

 誰もがもはや言葉も無いようだった。

 

 回された資料には他の裏付けとなる全ての事実を列挙した上で合理的に推論し、その論拠が補強されるようになっている。

 

 感情以外でコレを否定してもいいが、そんな事が出来る外交団を送って来るようならば、正しく帝国議会は属国領を見捨てていいと感じるに違いない。

 

「わたくしが厚意と言ったのは帝国からの被害を被った方々に事実をお教えしておくべきだとそう思ったからです。本当に帝国が貴方達の思っているくらいに悪辣ならば、何も言わずに、何も分からないまま、皆さんを頭数へ入れずに放置するでしょうから」

 

 ガイゼルがこちらを見やる。

 

()()()()。どうして、我々にこの事を教えて下さる。そして、何故裏切りを確信していながら、このような我々にこの事実を?」

 

「帝国をこれから仕切るに辺り、帝国の悪行をある程度は清算する事にしたのですよ。それが一番、帝国の内側にいる人々にとって誠実な対応だと思いますから」

 

「仕切る。それに誠実な、か……噂通りどころか。我々はどうやら何もかも侮っていたようだ。帝国も……お嬢さんも……」

 

 ガイゼルが大きな溜息を吐いた。

 

 この時代で70と言えば、もはやいつ死んでもおかしくない大御所だ。

 

 それが2人も来ているのだから、判断は今までの経験則に裏打ちされて早い。

 

「ちなみに皆さんに関連した情報は軍情報部の人に口止めしておいたので、陸軍からの横槍が無い限りはお咎めは無いでしょう。ですが、これからも続けるのならば相応の覚悟をしておいた方がいいですね。陸軍は有能の集まりなので」

 

「いつ知れるか分かったものではないわけか」

 

「これで皆さんへ教える事の大半は伝えました。後はお好きに為さって下さい。やるもやらぬもリギナ次第です」

 

 立ち上がると青年もさすがに後ろから斬り掛る気概は無くした様子。

 

 項垂れているのを少女が何やら慰めるようにして背中に手を当てていた。

 

「ああ、ちなみに帝国北東部にある属国中、リギナと同じことをしているところが後3つ。これから同じようにお教えしなければならないのですが、もし出会う事があれば、元気が無かったら励ましてあげて下さい。後、これを」

 

 最後に一枚だけ資料をテーブルの上に置く。

 

「人材派遣商会【タイタン】?」

 

 エルネが瞠目して呟く。

 

「わたくしが仕切っている商会です。皆さんがもしもまだ帝国内で安穏として過ごしたいと願うのならば、出来れば優秀な方や伸び代が有りそうな方に就職の斡旋をお願いしたいのです。今、人材が足りておらず困ってまして」

 

「我々にこのような事実を突き付けておいて、何もせずに帰る。いやはや、お嬢さんは確かに……そう、確かに……今も目に焼き付いて離れん。あの大公の血筋だろう……」

 

 ガイゼルが資料を受け取り、僅かにこちらへ頭を下げた。

 

「ガイゼル様!?」

 

 青年がさすがに驚いた様子ですぐ横に付いて肩を持つ。

 

「いや、止めてくれるな。アゼル……」

 

「ですが……」

 

 老人ガイゼルが目配せするとガロンもまた同じ姿勢となる。

 

「本日のご提案。誠に有難く。この御恩は必ず。また、本国において、これらの話と共に出来る限り、止める努力を確約致しましょう。フィティシラ・アルローゼン姫殿下」

 

「皆さんの前途に幸多からん事を……それではこれで……」

 

 扉を開けて外に出ると。

 

 何故か黒猫が待っていた。

 

「マヲー」

 

 やっと片手を上げた猫に本当に神出鬼没だなと雑に片手で持って肩に載せる。

 

「マヲヲ!!」

 

 もっと優しく載せろ的な声が聞こえたが無視して馬車に戻る事にした。

 

 店の裏手に止められていた馬車ではやはり呆れた顔の男が1人。

 

「聞こえてたよ……」

 

「お前、耳もいいのか。本当に超人だな」

 

「フェグちゃん程じゃないさ」

 

「あっちはオレの被害者だ。しょうがないな……取り敢えず、後何件か他の外交団と接触する。必要な資料は全て揃えてある。後は連中次第だ」

 

「君が言うと、どんな悪党も心変わりしそうだ」

 

「自分のやったことの責任は自分で取るというだけの話だ。行くぞ……これが終わったら、いよいよ北部で南部皇国との対決だ」

 

「そうだね。そろそろ行かないと間に合わないか」

 

「いいや? 間に合うとも……北部同盟北端まで3日で行ける乗り物を手配した」

 

「は?」

 

 人間、抗い続ける限り、どんな類の壁も大抵は突破するのだ。

 

 そう現実を知った外交団に期待したい。

 

 もしもダメならば、リギナや属国領をマジックハンドみたいにもどかしい感じにあの手この手で操作しなければならないのだから。

 

 是非とも真っ当な属国領として立ち直って貰いたいところであった。

 

 時間も身体も足りないので自分が行ける場所は多くないのだから……。


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