ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
帝国各地、北部同盟、帝国西部。
あちこちに店舗と人員を配置し始めて数日。
奴隷だけで13000人程を帝都から見送った。
オークショニア達から買い上げた奴隷の金額はそれこそかなりのものであったが、丁寧な説明と今後の奴隷商売の転換。
つまりは高度な人材派遣業の元締めとして自分の配下に加わる権利と引き換えに色々と融通して貰った。
奴隷業が限界に達するまで数十年。
だが、それがやがては大陸で禁止される事は目に見えているという事実を懇切丁寧に数か月以上の時間を掛けて、合理的なデータと真っ当な政治情勢の推移と理屈を盾に分からせたのだ。
事実上、傘下に入った彼らには自分が筆頭理事を務める新たな奴隷商会。
大陸での大規模な高度人材派遣業の奔りとして、それなりの儲けと安定した生活を約束する事で手を組んだ。
オークショニアの半数以上が真っ当な精神構造をしていた事はかなり助かったと言わざるを得ない。
どうやら、元々が御爺様が選んだ人材であったらしく。
人格的な資質は申し分無かった。
逆に地方のオークショニアの大半が使い物にならない中世ファンタジーでエログロリョナを極めた薄い本にありがちな表向きの仕事が出来て愛想が良いだけの凌辱系狂人だったので真っ当な派遣業でぶっ潰す事は決まっている。
数か月後には稼げなくなって破産するだろう。
高きから低きに流れるのは何も金だけの理屈ではない。
生憎と生かしておいても益が無い悪人と使えない狂人には自殺を考える環境と犯罪に対する罰というものしか贈る必要も無いだろう。
潰した奴隷商会を吸収合併合理化しつつ、適性人材を矯正可能ならば矯正して、それが出来ない犯罪歴や罪ではないにしても道徳倫理でアウトな履歴のあるサイコパス、ソシオパス、パラノイアの類は狂人奴隷商共へ押し付け。
悠々自適に自滅するよう誘導する。
その為の工作の下地作りはもう初めているし、軍の情報部の人材を買い取ったら、真っ先に業務としてやらせようとも決めていた。
「~~~♪」
本日に限って研究所はかなりざわついている。
理由は単純だ。
フェグが超人的な様子であの普通な超人枠であるウィシャスと互角に訓練しているからだ。
フェグはこちらを見つつ、ブンブンと尻尾を振る犬みたいなはしゃぎようだ。
ちなみに現在の訓練は徒競走だが、100m8秒で10週目を迎えたフェグは疲れて息を切らしたウィシャスの横に3周程余分に回ってから止まり、汗を拭った。
(これは……そういう力か? マズイな……単なる強化ならいいが、人間の力を引き出して、肉体や精神を摩耗させて使う力だとすれば、かなりヤバイ……)
己の掌を見やる。
治癒させたというよりは改造したような感じだろうか。
フェグが来てから何か体付きがまともになって来たと報告は受けていたし、近頃は健康になって良かったと安堵していたのだが、そうも行かないようだ。
「ごしゅじんさま!!」
駆け寄って来たフェグが期待した瞳で見て来る。
「偉い偉い。だが、余分に回らないように。ちゃんと示された分でやるのも訓練だ。それにあんまり力を使わずに出来るようになった方がいい場合もあるしな」
「?」
「まだ、難しい、か。とにかく、身体を全力で使うような運動は禁止だ。お前の身体の事でまだ解ってない事も多いから、そういうのが解るまでは控えめにやってくれ……いいか?」
「ぅ~~ちょっとする?」
考えたフェグがそうおずおずと訊ねて来る。
「そうだ。一杯はしなくていい」
「ぅん。ごしゅじんさま♪」
ニコニコをナデナデした後。
待っているウィシャスへと送り出す。
晴天の下。
特に医療部門を任せている女医と数名がこちらに寄って来る。
「やっぱり、アレは……」
「ああ、肉体を修復する時にどうやら健康的になる以上の事をしてしまった、と考えるべき状態だ」
「ネズミで実験致しますか?」
「そのネズミが恐ろしい力を付けて、国倉の食糧を喰い尽す。みたいなのは出来れば、避けたい。力は使える内は使うが、改造の類は癒すのとは別に慎重に使う事にする」
「その方がよろしいかと。例のクラゲ……学術調査も致しましたが、100年程前の資料にありました。竜の国の隣国【ドゥリンガム】またの名は治癒者の庵……万能薬の出所です。彼の国のバルバロスの名は【グアグリス】……生命を司る恐ろしき繁殖者とその本では解説があり……このような事例を見るにグアグリスを用いた万能薬の精製が行われている可能性が考えられます」
「覚えておこう。南部遠征時にはそちらにも寄ってみる。まぁ、ウチでの研究も期待してる」
「はっ、必ずお力添えする事をお約束します」
「こちらからも報告が……例の臭気放つ者の胃液及び内分泌系の液体標本ですが、かなり特殊なものである事が分かりました」
「特殊?」
「はい。精革のカニカシュさんから臭気放つ者の体液や骨で革を加工実験してみたいとの話があり、共に研究していたのですが、内分泌系の器官は死んでも尚、どうやら細胞が一部生きているらしく」
「生きてる? 内蔵だけでか?」
「え、ええ……例の機密研究を覗けば、将来性もかなりの成果です」
機密研究。
現在、研究所のリソースによって制作されているとある代物の事だ。
現行、あまりにも不便な物流と移動に関しての最適解な回答を求めた結果。
それは自分がこの世界に再び生を受けてから、色々と積み上げて来た組織による研究開発の現時点での頂点でもある。
「内臓から分泌液を回収出来ないかと色々試していたところ。砂糖水や他の飲料などの栄養のある液体を注入すると胃の成分の分解を介さずとも完全に別の分泌物となって出て来るのが分かりまして」
「分析結果は?」
「検体の分泌液に関して内蔵器官毎に検証していたのですが、特に胃酸には大きな可能性があります……どうやら彼ら自身の骨すらも溶解するらしく」
「もしかして共食いするのか?」
「恐らく、ですが……難航していた骨素材と革の精細な加工が可能になりました。現在造っている例のキノウを更に改造出来るかと」
「気を付けて研究してくれ。特に再生能力があったり、毒に侵されても未だに生きてる細胞とか。焼き潰し用の硫酸は必ず常備。研究時には研究観覧用の設備に人を入れて、必ず誰かが見守る事。いいか?」
「了解致しました」
研究者達からの報告を受けながら、フェグを見やる。
長期的な全力運動などでは鍛えられている当人の方が体力は優秀。
逆に短期的な動き。
要は肉体の速度よりも肉体の動かし方や技術が必要な動作ではウィシャスが圧倒していた。
短距離走ならば、良い勝負になっている事からもフェグの能力はあの最初に見た時よりも極めて上がっている事が解る。
(バルバロスの力……一体、何処まで副作用無く使えるもんなんだ? 南部で情報が集まるまではあの子にも無茶はさせられないな……)
研究所での訓練が終わった後。
フェグに近頃与えた自室まで戻った。
訓練中、自分よりも更に身体資質が高くなった人物との全力運動を行ったウィシャスはしばらく休めと休憩させたので今はフェグのみだ。
部屋は研究所裏手の高炉を置いてある別棟が見える一角。
硝子張りの窓に淡い草色のカーテン。
壁紙は花柄で統一させた。
今後、帝国や他国に売り出す為の新式の現代知識マシマシなマットレスを一つ。
軍事用のスプリングを作る為に様々なバネの開発は必須だったりするから、その成果の一つである。
研究所お手製の代物に現在の帝国の手工業で造られたカバーなどを掛けた。
女医に礼節、道徳、倫理を真っ先に覚えさせるように言って時間が経った。
研究所には近頃通っているので変化にも機敏に対応出来るが、今のところは問題が無さそうに見える。
「ごしゅじんさま♪」
抱きっと背後から抱き着かれてヌイグルミみたいに膝の上に載せられてしまうが、現状の肉体の状態を最も直に感じられる上では問題無いだろう。
寝台横のテーブルとソファー。
その上で今日も当人の報告を聞く。
「どうだ? この部屋も慣れて来たか?」
「ぅん!!」
「ならいい。それと研究所とはいえ、嫌な事は嫌って言えよ? それから誰かからオレが言った、みたいな事を言われたら、ちゃんと疑う事」
「ぅたがぅ?」
「そうそう。賢くなれ。後、誰かの食い物にされないように、生きていけるように、何でもやってみろ。此処ではお前には何でも教えるように言ってある。したい事があったら、あの女の先生を通して手配はしてくれるからな」
「ぅ~~~」
「どうした?」
「いっしょ!! ぃっしょがぃぃ」
「まずは社会に出られるくらい準備してからだ。それが終わったら、学院でも何でも通わせてやる。礼儀、貞節、倫理、道徳、その他色々……覚えられたらな」
「ぅ~~~がんばる」
外で話す時よりも甘えん坊な感じが否めない。
だが、それはつまりちゃんと前より成長しているという事だろう。
「その意気だ」
手の中から抜け出してから、来た時は必ず確認している胸元を出させる。
胸部の中央から広がった白い鱗の塊のようなものはブローチ染みているが、どうやら肉体と完全に結合しているらしく。
女医の話では鱗の下の真皮層から完全に結合していた為、痛覚まであるとか。
ヤスリで少し表層を取る程度ならば構わないが、胸元中央から少し離れた鱗を取とうとするのは痛みが奔るはずだからNGにした。
ちなみに鱗を鉄のヤスリで削れず。
最終的にはバルバロスの骨を加工した代物で何とかサンプルは取れたようだ。
結果として後で超重元素製のヤスリが製造される事になった。
ちなみに削ったヤスリ跡が1日後には消えていたので自己再生するのも確定らしい。
今やフェグの胸元はこの研究所で最も物理的に鉄壁だろう。
「……大丈夫か?」
「ぅん!!」
ブローチに近頃は金色に飾られつつある手を押し付けると何となく感覚的な情報が伝わって来る。
心臓は無事だ。
ついでに胸元から生えたブローチの奥。
胸骨、ろっ骨から背骨当たりまで変質している。
恐らくは背骨の変質が肉体変異の大本だろう。
血液を造る為の場所が丸々変わっているのだ。
変質した場所で細胞内に送られる血液が変貌。
数か月単位で代謝する細胞を変化させている。
それが今はきっと体中で進行中なのである。
「もういいぞ」
腕を引っ込めるとちょっと残念そうにフェグが胸元を仕舞った。
「取り敢えず、しばらくは問題無さそうだな。振舞い方や基礎的な物事を覚えたら、ウチに引っ越しだ。それまでしっかり学んでくれ」
「ぅん!!」
近頃、まったく明るくなってニコニコしているフェグが再びこちらを抱き締めようとしたのでササッと避ける。
「むぅ~~~」
「ギューするのは1日1回までだ」
「んぅ~~っ」
ブンブンと両手を握って上下にちょっと不満ですと頬を膨らませる自分よりは大きな少女の頭を撫でておく。
「ちゃんと、食べて、休んで、眠って、学んで、全部出来るようになったら、オレが暇ならしていい」
「ぅ~~わかった!!」
「よろしい。食事するまでは一緒にいるから、その後はまた勉強だ。勉強……ちゃんとやれよ? 分からなかったら、幾らでも聞いていい。だけど、自分で考えなきゃダメだぞ?」
「わかった!!」
大きく頷く少女は解っているのかいないのか。
それから食堂で食事をしてから、研究所の玄関でブンブンと手を振るフェグに見送られながら、馬車でその場を後にした。
未だ、あの抜き出した黒い液体状の何かが具体的にどんな作用を及ぼすバルバロスかは分かっていない。
だが、少なからず死んだ液体をネズミに食わせたら、重金属中毒症状で死んだので金属原子が生物の肉体に取り込まれやすい形で分解されている。
もしくはそのまま内包されているのは間違いなかった。
(……行くか)
未だ正午を過ぎた程度。
という事で帝都郊外へと向かう事にした。
*
地球型惑星において化学的な合成を行う遺伝子の台頭は環境そのものを大きく変えて来た。
生物からの恣意的な環境の変更は知能があろうと無かろうと自然環境の変化とは逸脱するものであり、その環境によって更に生物には多様性が発生し易くなる。
ダーウィンの進化論以降。
狭いニッチ、環境には複数種類の生物からの競合による生態系が出来上がり、統合や淘汰的な選択が進む事は多くの者が認めるところだろう。
最新の知見によれば、進化というのはダーウィンが提唱していた以上に複雑であり、ほぼ中立的な進化とやらによって自然淘汰中であろうとも適応出来ていない遺伝子を持つ生物も生き残るし、子孫を増やし得るという話が出ている。
集団の分母の大きさ次第では淘汰されない遺伝子が残り易い確率的な狭い島のような場もある、という事らしい。
環境に適応出来る遺伝子の台頭というのはつまるところ大昔から持っていて、意味が無かったものが、新環境によって日の目を見るような状況。
と、言ってもいいだろう。
要は日々更新されていく生存環境において明らかな器質的な不利のように見える遺伝子も明日にはその環境には超適合した優良遺伝子に化ける可能性がある。
(こういうのを考えるとバルバロスは殆ど進化論とか、中立的な進化とやらから見ても異常なんだよな。まず何よりも物理法則無視してそうな竜とか……)
蜥蜴型の生物に翼があるのは構わない。
だが、その生物が1G環境で飛び続ける事が正当化出来る進化の系統樹や環境を考えると極めてオカシな事になる。
特に酸素濃度が高いわけでもなく。
重力異常が度々起るような事も無い。
現在の大陸の環境は人間に適した現代ともほぼ変わらないものと言っていいのだ。
さすがに大陸の歴史を調べても太古の話は分からないが、問題なのはこの奇妙なバルバロスという生物が明らかに通常の地球環境では過剰スペック。
ついでに問題無く適応して生きているという事だ。
(環境に適応して生まれた生物じゃないとすれば、人造しか考えられないわけだが、まだそういうSFっぽい片鱗は見えないんだよなぁ)
魔法とか。
古代文明とか。
宇宙人とか。
そういうものとは未だにお目に掛かっていない。
バルバロスと人間の結合による能力の増強。
こういうのを見ると明らかに遺伝的にどうなってるんだとか。
そういう事を思うのだが、南部に行くまで、問題の解決は難しいだろう。
(あの竜のような物体を1G環境下で飛ばす為に必要なエネルギーはあの躰の中に航空機エンジン並みの動力が入ってても使えない。なのに、羽搏く動作だけで浮く事が可能な癖に風圧も殆ど無いに等しい……)
竜の飛行原理やバルバロスの巨体を環境に負荷を掛けずに養い続ける方法。
これらはどう考えても通常の科学の域を超えた難問だ。
推測だけならば出来るが、推測だけだ。
教授の話から考えるに現代でも殆ど研究が進んでいなかった超重元素。
それらによる作用が関連している。
重い物質というだけではない。
原子として安定する未知の元素である。
空間に対する作用や時間に対する作用。
ミクロやマクロ、波動と粒子という視点からも、かなり特異なのは間違いない。
例えば、あのバルバロスの体格を賄うエネルギーが通常の酸素や食事以外、超重元素のエネルギーを内部で取り出して得られている、と考えられる。
細胞内で超重元素を用いてエネルギーを発生させる機構、もしくはミトコンドリア的な超重元素を用いるものが存在するとか。
さすがに体内で核融合はしていないだろうし、その当たりが妥当だろう。
酸素以上にエネルギーを生み出せるとなれば、爆発物染みてヤバイのは確実。
空を飛ぶ原理にしても常識的で無いのは間違いない。
常温常圧下でクソ程に重い金属の塊の如きバルバロスである。
軽やかに飛ぶ行為自体から推測して、重量による制限は関係ないだろうと考えていたが、その予測は大当たりした。
そもそも肉体の外にまで及ぶ磁界や電磁力の発生は確認されていないのだ。
研究所で竜を色々と実験した結果。
飛ぶ時の速度や時間は自身の容積と体重の比で決まっていると事が発見された。
(複数体で実験したからほぼ間違いない。重量が重ければ重い程に高高度、加速力が高く、容積が大きければ大きい程にそれが低下、制限される。臭気放つ者のあの大ジャンプもそういう事なんだろうな)
ついでに言うと体重の重さに比例して竜は食事の量が少なくなる。
簡単に言うと重ければ重い程に燃費が良くなることも確認された。
(これらから察するに恐らくだが、超重元素からエネルギーを取り出せる量が増えたから代謝が抑制されて燃費が良くなる。空を飛ぶのに必要なのはエネルギーの類ではなく。超重元素を用いた原理的な作用の多寡で飛んでる。超重元素の重量が作用の質もしくは量と比例して、容積が大きく為ると空間の広さで作用が低減するってところか)
そもそも20mサイズのバルバロスがあの巨体を跳躍させて着地しても無事なのだ。
超重元素とやらがどれほどに生物細胞の物理強度を上げ、変異させるのかは自身で知るところであるが、それにしてもビルが丸々落ちたような衝撃に耐えるのだから尋常ではない。。
最初に接触したゼアモラに腕を突っ込んでも千切れなかったり、臭気放つ者の内部で押し潰されなかったのも侵食されてる部位が恐らくはバルバロスの超重元素を用いる機能の一部を獲得しているからだ。
しかし、それで同じように高高度から落ちたら侵食されていない部分が破壊されて死ぬ未来が見える。
(原子の内部に詰まってるもんの数が違うだけなのにな。不思議な話だ)
「只今戻りました」
「ああ」
現在、ウィシャスは研究所。
一人で御者も使わずに馬車を繰ってやってきたのは帝都郊外。
現在は民間人の立ち入りが制限された区画にあるグラナン校である。
「どうだ? ゼンドもお前も此処の生活には慣れたか?」
「うん。友達も出来たよ。みんな僕の出自を聞いても君が認めて見出した逸材を劣等種扱いは出来ないって逆にちょっと畏まられるくらい……いや、ホントにどれだけ君が畏れられてるのかって話がかなりこう……」
最後ら辺でそういう苦労が微妙に愚痴っぽいのは竜騎士たるフォーエその人。
現在位置は空が見渡せる校舎屋上であった。
グラナン高の屋上施設は雪も降るから三角屋根なのだが、一部が解放出来るようになっており、竜の発進と格納と止まり木として一部の天井が改造されている。
具体的には金属製の板を用いた屋根を内側から左右に展開するとかなりの重量が支えられる屋上になり、竜数体が乗れるようになるのだ。
他にも一時的に校舎内の中庭まで降ろせる滑車式のエレベーターみたいな仕掛けがあって、降ろされたら地下から近くの厩舎ならぬ竜舎まで歩いたり、台車に載せて運べるトンネルがあったりもする。
さすが帝国。
元々は馬を大量に使う為だけの施設を竜の為に改造したらしいが、それにしても男の子のロマン的なものが盛り込まれた秘密基地の感覚に近い。
「まぁ、今はいい。内心でどう思ってても此処は学校でお前らは同類だ。竜からしたらな」
「それは……そうかもしれないけど」
「此処にいる時点で見込みが無いヤツは連れて来てないし、竜に乗れる素養に関しても試験に組み込んだから問題ない」
「結局、全員乗れるようになったけど、問題が無いわけじゃないんだよね」
「聞いてる。ウチのメイドが厳しいんだって?」
「う、うん。デュガさんは適当にしてていいぞ~って言うけど、遠乗りしてると物凄く細かくダメ出しされて、僕以外の子の殆どが上手く乗れてると思ってた反面落ち込んじゃったり……」
「ノイテは?」
「ええと、とっても厳しいです。はい……」
「ああ、天然と実務担当の差だな。デュガは上に立ってるのが当たり前で有能だからな。ノイテは凡人が限界まで男社会で鍛えなきゃやってられなかっただろうし、現実的に普通に竜へ乗ってた連中より厳しいだろうな……」
「あの2人って竜の国の人、なんだよね」
「ああ」
「友達は僕と同じで敵国人だろうと君が選んだ人間なら問題ないって感じだけど、あんまり広まらない方がいいよね?」
「今のところはな」
「グラナン校長が愚痴ってたんだけど、軍の一部の人には元敵国人を講師にするのはどうかって言ってる人もいたんだって……」
「至極、真っ当な意見だな」
「君ならそう言うだろうと思ったけど、いいの?」
「具体的に2人に問題が起きなかったら別にいい。パフォー……2人の仕事の能率に影響が出るような事があれば、そいつらが地獄を見るだけだ」
「あはは……軍て一応、君の管理下じゃないんだよね?」
「遂にオレは軍権なんて少しも持ってない一般的大貴族だが?」
「権利が無いのに口は出すんだよね。知ってる……」
先日の話は大貴族の間では専らの噂であり、軍の口を重くした挙句に英雄諸氏が小竜姫に発破を掛けられた、ダメ出しを喰らった、これから軍に影響力を持つ為の示威行為である云々言われている。
だが、一つ確かなのは軍の議決はほぼ100%こちらの意見を鵜呑みにしたという事だけだ。
ちなみにバルバロス研究関連の提言内容だけは全面的に蹴られた。
今も軍のバルバロス研究は軍事機密の中でも最大の代物であり、その研究開発に関しては小竜姫と言えども口出し出来ずにいる、という噂もある。
いや、事実なのだが、今のところはそれで問題無い。
問題なのは軍の改善が出来るかどうかで改善出来ているのならば、文句の付けようもない満額回答である。
「それで順調そうだが、仕上がりはどんなもんだ?」
「うん。大人の人達や孤児院の子達が竜舎の方で色々としてくれてる。もう少しで北部から送られて来た卵も孵るんじゃないかって2人が……」
「そうか。竜が増えたら、また今は数頭しかいない竜に乗る軍学校の連中が来る。他にも孤児から相性が良いヤツが来るだろうし、色々と忙しくなるぞ」
「……先日の襲撃で急かされてるみたいに色々と搬入されてるよ」
「首都襲撃。皇帝は軍が護り切れなかった。で、済むはずないだろ? ま、お前らが戦闘に出る事はオレが生きてる限り、可能性が低いと思っておけ。ただ、もしもの事があっても対抗したり、有利に動ける駒としてお前らは自分達を鍛えるんだ」
「自分自身で考えて、もしもの時に動ける人間が必要、なんだよね?」
「ああ、前々から言ってある通りだ。そもそも竜を使って戦争なんてのはオレの趣味じゃない」
「でも、必要なんだよね?」
「ああ、必要だから、こうして色々やってる。だが、それも―――」
「準備?」
「そういう事だ。解って来たじゃないか」
「……だって、君が言う事だし」
苦笑される。
「それで南部や北部で僕はどう使うつもりなの?」
「ゼンドと一緒にオレを運ぶ役だ。一番任せられる人間にしか任せられない事だ。前に御者の事で色々と学んだ。次は失敗しない」
「………その」
「何も言わなくていい」
「でも、僕は……」
「そう思うなら、お前がその分までオレの為に働け」
「……うん」
屋上で数頭の竜の訓練を遠目に見ていたが、大丈夫そうなのを確認したので帝都に戻る事にする。
「じゃあ、後は任せたぞ。北部への皇国の侵攻はもうすぐだ。恐らく、後1月か2月くらいしか猶予が無い。その前に北部へ向かう」
「……短い間だったけど、何か前よりも実感があるんだ」
「実感?」
「ちょっとは君に相応しいくらいに強くなるって目標に近付けたかなって」
「そうか。なら、焦らず緊張感を持って強くなってくれ。今度、ウィシャスが来る。あいつにも竜に乗って貰わなきゃならないから、面倒見てやってくれ」
「す、スゴイ畏れ多いんだけど。一応、僕なんかよりずっと立派に軍で戦ってて、優秀な人、なんだよね?」
「軍人だからな。そうでなきゃ困る。だが、出来ない事は出来ないし、出来る事に竜へ乗れるって項目が入って無い。そして、お前程に竜を乗りこなせもしないだろう。ただ、乗り方だけは覚えておいてくれないと困るってだけだ」
「解った。そうだよね。全員で空路で向かうには貴重な竜を使わないとならない……僕やデュガさんやノイテさんだけじゃ足りないだろうし」
「全員で北部に向かうに当たり、研究所で脚として用意してるものがある。色々と言えない事はあるが、竜を運用する為には1人でも竜の事を御せる人間が欲しい」
大きく頷いたフォーエが次の講義があるからと頭を下げてからノイテの下へと横で待たせていたゼンドに飛び乗って、屋根上の屋上。
船の甲板染みた場所から手を振って飛び立っていく。
今は誂えた鞍に乗り、脚を落ちないように固定化する道具もある。
アクロバティックな飛行をしても、現在はこれで誰も落ちていない。
飛行する誰もが夏の終わりという事で冬着並みの厚木に革製の手袋をしている。
風防は付けようが無い為、今はガスマスクを改良した飛行用のメット、褐色の原始的なプラスチックを形成して塗装した青くてぶ厚めの硝子を嵌めたソレにライダースーツを参考にした肌着の上に付ける飛行スーツとバルバロスの毛皮の防寒着。
装具も含めて全て空での迷彩を考えた斑模様な青い代物だ。
乗っている少年達は最初こそ暑い暑いと言っていたらしいが、空の上を飛ぶと過剰なくらいに防寒着を着せられた理由は降りる頃には理解したのだとか。
まぁ、それもそうだろう。
全て実体験を元にしてやった代物だ。
温かい季節とはいえ。
一ヵ月も空を毎日飛んでいたら、寒かったのは記憶に新しい。
一応、すぐに途中の国で防寒着を買い込んだが、それでもやはり昼夜無く飛ぶと寒かったのだ。
フォーエもノイテもデュガも短期的に行動する以外では竜の速度を制限しないと一気に凍えて死ぬと理解していた為、訓練は厚着がデフォであった。
「さて、今度はお偉方が来てる軍の方だな」
伸びをしてから帝都大本営の省舎がある帝都郊外の基地に向かう事にした。
*
帝国においては製鉄技術。
要は高炉技術の急激な進展と同時に旧来のエルゼギア時代の軍事的要所が整理され、広がった帝都を護る為に帝都から切り離した形で再開発がなされた。
特に都市を囲む形で10kmくらい毎に置かれた幾つかの基地。
その複数個所が大本営として機能する。
これは設備を一律に揃え、もしもの時に要所が落ちても別の要所から立て直す為の代物であり、この複数個所の帝都付きの大本営というのが敵からは難点でもある。
【大本営】が移動式のシステムとして確立されたの興国期の事であるという。
要は簡易指令所……現代のコマンドポストの大規模版みたいなものである。
人員と物資の輸送力を持った旅団級の大本営は戦線各地で現代式の司令部にも劣らない情報のやり取りを用いて広い戦線を支えていた。
この柔軟で本拠を移せるというのが画期的であり、通常は身軽な遊牧民族で無ければ、出来ないし、やらないだろうことを帝都周辺の馬を育てられる豊富な戦略資源を用いて可能にしたのが、帝国の帝国たる由来である。
大量の物資の戦略的、効率的な移動術は正しく大陸軍と称して良い。
これが特に河川の無い地域での戦争では効率的に運用された。
このような戦略機動と馬を軍団規模で用いた兵站の柔軟さが帝国の拡大を現行の技術的な制約において最大まで広げたのである。
また河川の使い方も恐らくは内陸国にあって、ほぼ周辺で一番だろう。
これらは兵站としては極めて合理化されたシステムだ。
一種の軍事的成功事例として軍事関係者ならば、その事実を多くが賞賛する。
まぁ、その先にいる竜の国という新たな軍事ドクトリンを持つ国の登場で現場の生き字引染みた軍人のおっさんじいさんの顔面は蒼白だ。
首都の急所を一時的に占拠されたせいで軍関係者の面目は丸潰れ。
今や新たな電撃戦染みた航空優勢ドクトリン構築は難航しているとの話。
(資料では見てたが、大きいな……)
数十年ぶりに一か所に各地方軍の大本営司令官達が集まった折。
帝都郊外の第三基地がその器となっていた。
陸軍省が置かれる帝都内。
そこでやられている書類仕事は貴族官僚軍人達の庭。
だが、本当の上位層。
それは現場の叩き上げ集団だ。
彼らが今も最上位指導層なのだ。
そちらの方が陸軍内でも思想的に主流であり、彼らの後方たる帝都。
これを護る陸軍省は名ばかりの大貴族が席を置く場所。
言わば責任を取る部署として使われ久しい。
というわけで大本営そのものである人々のいる場所には現在、陸軍省管轄の軍情報部……今や針の筵状態で左遷というよりは解雇に近い形で今回の事件に対応出来なかった人々の一部がイソイソと居を移していた。
(ま、かなり地位が落ちてくれて干渉し易いって点では竜の国に感謝しかないな)
彼らは陸軍省と帝都守護職と呼ばれる帝都の治安を護る役職の下に働く者達ともまた別であり、帝国内の裏の顔そのもの、泥も付く事が多い。
が、それにしても帝都内に突如として多数の竜が飛来して、一時的に帝都中枢の占拠が行われた時点で彼らの風評は最悪。
あまりの衝撃に情報部の人々の半分くらいの首が飛んだらしい。
実質的には地方の治安と諜報を現地で行え(怒)という処分らしいが、その現実に耐えられないエリート意識の高い貴族系の人員は退職。
残りは既に末端がいる地方行きを控えて、イソイソと陸軍省から離れた大本営で長い出張先が決まるのを待っている。
つまり、人生を終えるまでそこで頑張ってね(ハート)と言われるのをだ。
これが現行の軍内部での噂であった。
「………見えて来たな」
三重の堀と星型の壁に囲まれた300m級の要塞。
エルゼギア時代から数えて600年もの間、帝都守護に用いられてきた年季の入った古代遺跡染みた場所である。
この30年で置かれた基地とは違う。
本物の要衝。
戦費の為に結局、コレが一番古くても硬くてデカくて権威もあって信頼性も厚い(迫真)と言われて整備されたのが此処。
星の要塞と謳われる【アルバチュラ】であった。
無骨な岩壁と石材で造られ、未だに改修工事が続いている区画もある。
開かれた大門は今も大量の馬車が行き交う軍の顔だ。
巨岩を刳り貫いたらしき四方10mの門の上には全能竜ブラジマハターが彫刻として鎮座しているのである。
此処を通るのは殆どが軍用か帰宅する軍人貴族の私用車である。
その最中、イソイソと自分で馬車を引いてやってきた軍用には見えない大貴族の馬車がある。
それも小さな女の子が御者をしている。
そして、内部には誰も彼も不在。
ついでに貴族の家紋が扉には一つ。
帝国で数家だけに許された紋章を見て、顔色を青くした衛兵達がこちらの顔に気付くとすぐ様に何用でしょうかと懇切丁寧に訊いて来るので先日取っていたアポを盾に取って数分で全力疾走してきた男からゴーサインが貰った。
悠々馬車で内部に入ると。
帝都内にある勝利の学び舎にも構造が似通っている建造物群が30棟。
唯一違うのは要塞中央部に小規模ながらも湧水する泉がある事だ。
周囲には籠城用の畑が半分以上も広がっており、エルゼギア時代に戦った時の戦訓から今も物流が途絶えた時の籠城戦に備えて備蓄倉庫も大きく作られていた。
凡そ10000人が6か月はまともに食料を食えると聞けば、アバンステアの国力が並みでない事は誰もが理解するだろう。
『小竜姫殿下が御越し遊ばされた!?』
『一体、大本営に何の用があるのだろう?!』
『まさか、閣下達をご解任なさるおつもりでは?』
『いやいや、さすがにそのような事は出来ぬと思いたいが……』
『とにかく、これは大事件になるぞ!! 周囲の連中にはあまり近寄ってご機嫌を損ねないようにと!!』
『そ、それにしてもあの小さな体で軍装……それも御者役を1人で……大公閣下のご教育だろうか?』
『並みの大貴族ならば、卑しい仕事は下々に任せておけで済むだろうが、大公閣下の家では何でもやらせるのかもしれんな。どうやら馬にも竜にも載れるらしいぞ』
『そういや、貴君の娘さんは確か……』
『あ、ああ、前に興味本位でどういう方なのかと娘に訊いた事があるんだ。でも、『貴族子女の世界に大人が口を出すようになるとは帝国の男子も遂に横暴が極まりましたね。お父様……』とか冷たい視線で言われてね!?』
『お、おぅ。そう言えば、お前のところは恐妻家で娘に甘々だったな……』
『前まではお父様お父様って可愛くて可愛くて……いつの間にあんな冷たい子に!?』
『そういう年頃なんだろ。女の事は解らん。奥方に任せておけって。な?』
『うぅ、学院の話を聞いたらやんわりと女の園の話をするものではありませんよ。あなた……とか!! やっぱり、視線が冷たい……ぅぅ』
『そ、それよりもどうやら裏手に回るようだぞ』
『あちらに何かあったか? 倉庫以外で』
『ああ、そう言えば、先日から情報部の連中が来てたな』
『何か御用なのだろうか……』
『解らん。解らんが、左遷させられた連中だ。どうにも嫌な予感がする』
『何も見なかった事にしろ。処世術はそういうもんだぞ』
『そうしよう……』
巨大な倉庫が複数ある裏手。
その一角の未だ使い続けられているだろう旧い木造の縦長な庁舎が一つ。
衛兵こそ足っていなかったが周囲を木製の壁で囲まれた場所は日当たりも悪く微妙にジメジメしていた。
すぐ傍に馬車を止めて繋ぎ。
門のところから呼び掛けると軍服ではない貴族風でもない街の労働者のような衣服を着た50代くらいの疲れた顔の男が1人出て来て、こちらを見て目を見開き。
泡を喰って屋内に向かい何事かを叫んだ。
その数秒後。
大量の足音がガタガタガタッと庁舎の内部でけたたましく。
最後にはシーンとしてから、眼鏡の50代の男。
貴族風のタキシード姿が少しタイが曲がった様子でやってくる。
白髪交じりの金髪。
頭頂部が少し薄い以外は口元にチョビ髭。
柔和な笑顔を作っているが、焦った様子からジットリした汗が額には浮いていた。
「お待たせ致しました。いやいや、本当は待っているつもりではあったのですが……何分、昨日職員の友人の伝手で届けられた知らせなもので真偽の程が解らず。申し訳ありません」
「いえいえ、皆さんまだお元気そうで何よりです」
その言葉にピクリと口元が引き攣りそうになったのを覆い隠した男が手袋を付けた手を差し出す。
「情報部元課長のイドス。イドス・マックルと申します」
「フィティシラ・アルローゼンと申します。昨日届けたばかりに皆様を混乱させてしまった事。申し訳なく思います」
「い、いえいえいえ?!! ご来訪の報をしっかりと迅速に精査してなかった我々の落ち度ですので。御用件の方はあちらで」
「ええ」
玄関先で左右に並び。
こちらが通り過ぎると頭を下げていく男女が総勢で40名程。
「此処に飛ばされた方は情報部の殆どの部署から来たとのお話ですが、事実でしょうか?」
「え? は、はい……」
通路はやはり窓が少ない精で薄暗い。
ランタンの明かりは今点けたばかりのようで僅かに植物性の油の薫りがした。
応接室に通されると既にお茶の入ったカートが用意されており、内部の執務机はどうやら片付ける暇も無かった様子で書類が散乱している。
「お、お恥ずかしいところを。失礼……」
すぐにイドスが書類を片付けてデスクに仕舞い戻って来る。
対面に座ると紅茶を勧められ一口。
「それで……その……本日はこのような場所にどのような御用件で?」
「軍の情報部からあぶれた変わり者や切り捨てられた人材。これはつまりまともな情報戦とやらが出来なかった無能の烙印を押されたに等しい。と、多くの軍関係者は思っているでしょうが、どちらかというとわたくしの考えは違います」
「は、はぁ……?」
「皆さん。結構な愛国者であるのはウチのリージが確認致しました。帝国内外で新しい情報網を構築する情報部の新型計画の責任者と末端ですよね? 皆さん」
「―――そのぉ、一応機密なのですが?」
「機密なのでウチの御爺様の机にはありますよ?」
「あ、はぃ……そうですか」
何かヤケに理不尽な事を言われたような顔をされた。
「取り敢えず、軍情報部そのものから独立した情報が欲しかったというのが一点。それと現実として軍情報部でこの事実を知っているのは恐らく情報局長とその信頼する人物が数人くらいでしょう」
「は、はぁ、ご内密に願えれば……」
「ええ、ですが、皆さんが左遷させられた事は間違いありませんし、現実的に今までのように予算が付くわけでもない以上、お金に困っていらっしゃいますよね?」
その言葉に物凄く何か言いたそうな顔をされた。
「どうやら我々の内情はお察しのようで……」
「御爺様の暗部の創設にも関わっていらしたようですし、今もわたくしの情報くらいは仕入れているのは知っています」
「ッ、ご気分を害されたならば、謝罪しま―――」
「いえ、逆に偉いと感心したのですよ」
「か、感心?」
「皆さんは真に愛国者です。自分から泥を被って裏仕事に就く事は中々出来る事ではありませんよ。だからこそ、内外的には左遷組の皆さんが活動する為の資金……これを援助したいと思いまして」
「資金援助、ですか?」
「軍情報部の資金が年間国家予算に占める割合は多くない。そして、その資金の中でも更に皆さんに渡る資金は微々たるものでしょう」
「はぁ、台所事情までお見通しという事ですか……」
「それにわたくしの行っている施策関連の情報を書き上げていたのも皆さんだとか。報告書は読ませて頂きましたが、実によく書けている。報告者の分析も実に的確です。推測に関してはかなり曖昧ですが、学ぶべきところがある。の下りは実に情報部内では物議を醸しそうですよね」
「はは、ははは……はは……お、お許し頂けませんか?」
「いえ、怒っているのではなく。褒めているのですよ。皆さんの具体的な計画は想像も推測も出来ますが、少し修正しませんか?」
この時点でようやく中肉中背で冴えないオッサンの皮を被ったイドスという名の誰でもない男の顔付きが変わった。
どうやら、皮を着込んで半笑いしている場合ではない事に気付いたらしい。
「………修正、ですか?」
「ええ、皆さんには見るところがある。そして、お金に困っている。わたくしは出資者として少しばかり皆さんの愛国心へ具体的な数字で報いて、真っ当な経営と合理的な方策をお教えする。そういう取引なのですが……」
イドスが目を細めた。
「報告書で聞いていた通り、ですか」
「何か問題でも?」
「いえ、大公閣下の家に上げていない報告書もあるという事です」
「それはそれは……情報部として面目躍如と言ったところですね」
「……本来、我々は国内の大貴族の個人情報も集めていますが、貴女に関しては我々にも知らされない。いえ、軍の最高責任者達からきつく詮索する事が無いようにと厳命を課されていまして」
「成程。つまり、皆さんにとってわたくしは触れては為らないが、最も触れないと情報部の仕事に差し障る難物だったわけですね」
「ご理解が早くて助かります。どうやら、あの不動将や醜悪将を味方に付けたようですが、だからと言って我々の貴女への意見は聊かも変わりません。いえ、逆に補強されてすらいると考えていい」
「ほう?」
「貴女は危険だ。フィティシラ・アルローゼン姫殿下……貴女の施策、貴女の思想、貴女の実力……全てを分析した結果が何もかも……」
「帝国を滅ぼせる可能性がある?」
こちらの言葉に相手の顔は微妙に渋くなった。
「―――そこまで理解していながら、護衛も付けずに我々の部署に来る度胸。益々我々が危険視すると知りながら来る豪快さ。嘗ての閣下を思い出させますな」
「もしかして御爺様も危険分子扱いされていましたか?」
「……公には言えない事ですが」
「そうですか。家族冥利に尽きるとでも言えば、喜ばれるかもしれませんね」
「それでそこまで理解していながら、我々に出資なされる理由を尋ねても?」
「帝国を穏便に歴史から退場させる為です」
「退場……」
「具体的には帝国を分割して他国との間に緩衝地帯となる幾つかの国家を作り、事前に敗北を避けます。同時に経済同盟の加速と人権主義と経済思想を用いた全大陸規模での平和時代の推進とかもやる予定です」
「………本気で仰って……いや、いるのでしょうな。貴女ならば」
もはや、男の顔は限りなく渋いというよりは困ったような溜息に支配されている。
「予測するに帝国は後10年持ちません。全ての大陸の経済軍事政治活動の精査が先日ようやく終わったのですが、流れは確実に大戦前夜です」
「タイ、セン……?」
「大陸規模の超重物量戦です。幾ら帝国人の数が多いとは言っても全てが敵になっては勝てないでしょう」
「貴女は我々が長年掛けて気付いたソレをそう呼ぶのですね」
「ええ。なので、勝てずに占領されてから面倒な事になるような無駄な時間を造らない為に帝国を別の形に変えて、世界の目を欺きつつ、経済による主導的な経済地盤の確保と内在的な帝国を壊すなという他国からの圧力を獲得する事を目的に活動しています」
「……他国からの圧力で我が帝国が滅亡せずに済むと?」
「関係が深いという事は断ち切ったら痛手で済まないという事を意味するのです。だから、今から帝国は良い人になる必要がある」
「良い人……」
「軍大本営の原理主義者や帝国を脅かし得る思想や力を持つ小勢力の完全な殲滅も元々は情報部からの情報が無ければ、不可能だったのでは? それを思うならば、帝国の為に今度は善人の仮面を被ればよろしいだけです」
「仮面ですか。貴女が時折着けておられるような?」
「ええ、あなた達は悪人でも善人でもない。だから、どちらかの仮面を被れる。今更、悪人面をしておいて、善人面が出来ないと言い張る理由は貴方達の感情くらいの事では? それが御せない人間が此処にいるとも思いませんが……」
「まったく、傲慢ですな……アルローゼン家というのは」
本当に大きく溜息が吐かれた。
「いえ、御爺様とわたくしがそうなだけですよ。たぶん」
「……それで如何程を御用立てて頂けるので?」
「全ての隊員が毎年のように家族と長期旅行に出られるくらいですかね」
「……一つお聞きしても?」
「何なりと」
「貴女は人間なのですか?」
「真顔で聞いて来たのは貴方が1人目ですよ。イドス課長……まだ、人間ですよ。これからどうなるかは経過観察中。それともしもの時の為の色々な処置の仕方については貴方達にもお教えしておきましょう」
手袋を脱いで相手に見せておく。
「……処置?」
「わたくしが人の心を失ったら、貴方達に暗殺して頂ければ幸いです。でなければ、危なくてこのような力も使えません」
フワリと指先から水のような粘体の触手が一本出て来る。
「それは南部の……」
「ええ、色々あって同じような体質になりまして」
「怪物になったらではなく。人の心を失ったら、ですか」
「ええ、姿や行動が怪物なのは今更わたくしを見たら、見る者次第ではそう見えるでしょう。でも、人の心を失ったら人の形をしていても容赦せずに構いませんよ。その時のわたくしが今後提案する処置の方法で倒せる程度の存在のままならば、ですがね」
まるで、何時間も話していていたかのような特大の息が吐かれた。
そして、イドスがようやくまた笑みを浮かべる。
「いやはや、ここまで来ると……指導者というよりは求道者ですな」
「そんな風になった覚えはありませんが、誉め言葉として受け取っておきます」
「それで? 我々にどのような仕事を押し付けたいのですか?」
「話が早くて助かります。取り敢えず、皆さんには帝国内では書類的に死んで頂いて、他国で奔走して欲しいのですよ」
ガタガタガタッと部屋の外で多くの人員が音を立て、イドスが頭が痛そうに片手で額を抑える。
「失礼……ウチのネズミは大きいもので」
「いえいえ、ネズミではなく皆さんには猫になって欲しいのです」
「猫?」
「ええ、にゃ~と啼く大陸の何処にでもいるカワイイ隣人に、ね?」
ニコリとして紅茶を一口。
マヲーと啼く家猫はNGである。
まぁ、今日は何故か馬車に乗って丸まっていたが。
「何とも……これでも昔は黒い翼なんて呼ばれていたのですが……」
「なら、今後は黒い翼付きの猫と呼ばれて下さい。大陸を統一したら、好きなだけ新しい恰好良さげな名乗りをご自分で名乗れますよ?」
「はは、冗談にしておいて欲しいですな……」
「自伝くらい出版します?」
「………お話を伺いましょう。小竜姫殿下」
イドスの額には脂汗が浮かび上がり始めていた。