ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第48話「帝都の落日Ⅳ」

 

「―――今回の軍の再編は管区を跨いだ全帝国陸軍の部隊。また、全ての軍属にまで及ぶ一大改革であり、これは提出させて頂き、お手元に資料として有る今後予想される対帝国連合を仮称とする一大勢力の反抗作戦を頓挫させるものであります」

 

 各地から帝国の軍高官が集まって数日。

 

 帝国議会への根回しも完了していた為、スムーズに演説に漕ぎ付けていた。

 

 あくまで帝国の安寧を心配する()()()()()()と言う事で軍の会議に無理やり一般人の演説を捻じ込んだ形だ。

 

「お手元の資料にある情報は全て事実であり、今後の帝国は一々弱い者虐めをしている暇は無いでしょう。数か月から数年後までを想定した戦略変更と軍再編と軍そのものの改革、再教育には最低2年以上掛かりますが、これを短縮する為にわたくしの研究所において試作中の様々な兵装のご提供を軍の研究機関と共同で行わせて頂きます」

 

 手元の資料を見ながら、微妙に汗を掻いた高官達の顔色は悪いというよりは奇妙な現実にぶち当たってしまったと言わんばかりだ。

 

 それもそうだろう。

 

 何せ知らない間に出て来た大公の孫娘が何でか自分達の前で帝国軍の改革案と現実的な処方箋を解いているのだ。

 

「帝国陸軍の英雄諸氏には戦争が変わった。時代が変わった。そして、帝国陸軍は無敵でも無ければ、敗北も寸前である事実をまずは実感して頂きたい」

 

 帝国議会の内部にある中央論壇の前にガラガラとゾムニスと数人がフードを被って、背後から台車を鎖で引いて来る。

 

 その僅かに香ってくる腐臭に男達の顔が引き攣る。

 

 巨大な台車は4m四方もあり、ギリギリ大会議場の中心に入った。

 

 覆いが外される。

 

『な、何だアレは!?』

 

『バ、バルバロスの頭部か!?』

 

『あの骨!? もしや、噂の―――』

 

 男達がざわめくのも仕方ない。

 

 ソレは【臭気放つ者】の頭骨だった。

 

 水洗いして乾かして複数体の竜で空輸したのだ。

 

「わたくしはまだ幼い身体ではありますが、先日北部で狩りを行いました。これが獲物です。臭気放つ者……北部においては死の象徴の一体であったバルバロス。帝国陸軍の情報部からもご報告が上がっていた通り、コレは既存の帝国陸軍ならば、5個師団相当の戦力で何とか倒せるかどうかの代物です」

 

 男達の顔はもはや引き攣り気味だ。

 

 そもそも何で報告書の事を知っているのか。

 

 なんて、聞くだけ野暮だから誰も聞かないだけだったりもする。

 

「これはわたくしと竜騎士と見染めた方の連携で倒しました。実質人数が2人。お解りでしょうか? 如何にわたくしが大公家の人間とはいえ、超人ではありません。全ては技術と叡智によって生産される兵装の試作品の成果です」

 

 ざわめきがどよめきに取って代わる。

 

 いや、超人だろとか内心言われているだろうが、生憎とまだ人間は止めていない。

 

 微妙に相手の先を読む能力が近頃は向上したような自覚はあるので、死んでも己の務めを果たした王の能力は少なからず受け継がれているのだろう。

 

「先日の帝都襲撃時、敵は一時的に皇帝陛下も軟禁していました。もしも、彼らが帝都を破壊しようとしてれば、夜間には敵の姿も見えず。ご自慢の対空兵器も打つだけ無駄な代物だったでしょう」

 

 異論が上がりそうなものだが、どの軍人よりも先に小竜姫が皇帝閣下の傍に駆け付け、相手と交渉して撤退させ、帝都の憲兵隊には死人一人出さなかった事は国民の間でも実しやかに噂されている。

 

 というか、噂をディアボロから垂れ流しにしている。

 

 ついでに事実を皇帝が教えて欲しいと言う軍人連中に謁見で喋っていたらしく。

 

 一部の軍の人間には顔が渋くなる事実だろう。

 

「軍には改革が必要です。それは既存の軍閥、派閥、政治との兼ね合いよりも優先される事項です。そうしなければ、護れない。いえ、もう既に護れなかった前例が出来てしまった以上、これを拒否する事は軍の怠慢でしょう」

 

 聞き捨てならない者はそれなりにいるが、相手が大公の孫娘でついでに正論と事実と結果で殴り付けているので反論など出来るはずもない。

 

「軍の威信などは犬に食わせてしまいなさい。わたくしは自国の軍隊が無能な事をまるで顧みないのならば、軍人よりも自分で戦う事を選びます。それを言わせたのは貴方達で多くの国民も不安を隠し切れてはいない」

 

 地方で戦い続けていた軍人の多くは此処でようやくこちらにまともな視線を向けるようになっていた。

 

「わたくしは帝国陸軍に対し、既存の不合理な制度の是正及び廃止。新制度の確立と早期運用。新装備の供給と練兵の見直し。軍兵站の完全な改良と兵站部隊の大規模拡充。大多数の敵に対する為の多方向からの同時波状攻撃を前提とした大規化する複数戦線での長期耐久戦略。戦術論、戦略論、政治論としての敵後方、市街地での戦闘原則禁止。そして、帝国陸軍全体の完全常備軍化、少数精鋭化と国家統制する民間軍事力の創生、陸軍単体での交戦規定と降伏に付いての新たな詳細、帝国陸軍の敗北時における我が国の優位的な全面降伏、もしくは白紙講和を行う為の終戦後の長期被占領適応化計画、条件付き講和における帝国議会への全権限の委譲。要は負けた後の準備……これら全ての試案の上奏を行う事と致します」

 

 ニコリとしておく。

 

「ああ、それと帝国陸軍の英雄諸氏には悪いですが、臭いですよ。奥方や娘さん達に嫌われないよう生活習慣改善用の素案と現状の陸軍の生活雑貨、消費財などの消費の仕方やそれ自体の更新も合わせてお知らせしておきます。では、これが一臣民の意見である事を忘れる事なく。しっかりと受け止めて頂き。健全で懸命な議論の程をお祈り申し上げておきます」

 

 お祈りメール並みの渋さを感じてくれるように言い置いて。

 

 壇を降りる。

 

 跡には何もかも語る必要が無いくらいの沈黙と一人頭550頁の書類。

 

 微妙に臭う骸骨だけがポツンとしている。

 

 遂に誰も追い掛けて来て殺そうという輩は1人も出なかった。

 

 まぁ、まともな人間ならば、まともに議論して、まともな提案をまともにやってくれるものだ。

 

 それが上からの圧力を伴った単なる命令という名のお願いの類だとしても……。

 

「………何か言いたげだな」

 

「いや、何でもない」

 

 帝国議会の通路上。

 

 ゾムニスは空いた口も塞がらない軍人連中の様子に何か元々敵だった癖に憐憫染みた顔をしていた。

 

「………一人の軍人としていいかな」

 

 反対側からはウィシャスが呆れたというよりは溜息がちにこちらを見やってくる。

 

「何だ?」

 

「……やり過ぎだ」

 

「良薬は口に苦いし、飲みたくないし、結局飲む事になるんだから、病気やケガを前にしたら素直に渋い顔で飲んでおけって事だよ」

 

「はぁぁぁ……ビスクード閣下が君との繋がりがあるって言うから、他の人達から会議前でさえ質問攻めだったのに……顔が死人みたいだったよ……」

 

「有能な人間には有能なだけの働きをして貰おう。有能でも犯罪は犯すし、自分達の為に嘘だって吐くのが人間だ。軍の最優の層にも良薬は飲んで貰わなきゃな」

 

「君って人は……」

 

 もう言葉も無い様子でウィシャスがフードを被り直す。

 

「ちなみに反抗しても無駄だ。お膳立ては当の昔に済んでる。軍の事は軍で決める時代も終わった。帝国議会から同じような内容の改善勧告も出される。これで従わないヤツがいたら、軍法会議行きだな。陸軍大将だろうが同じだ」

 

「はぁぁぁぁ……本当に君ってヤツは……」

 

 何か物凄く情けない感じな溜息が吐かれた。

 

 頭が痛いと言わんばかりである。

 

「それで先程の具体化で何が変わるのか聞いても?」

 

 ゾムニスに肩を竦める。

 

「軍の戦力を増大させる為に軍の徴兵を終了させる。完全志願制で専業制にする」

 

「数を絞るのか?」

 

「ああ、そうだ。烏合の衆は要らないし、逆に害悪だからな。それとこれは耐久戦略なんだ。少数が戦い。背後の軍属化した元軍人が民間人として各種の分野で軍を支える軍民一体型の自給自足戦略でもある」

 

「……街を攻撃されないか? 今まで帝国がやっていただろう」

 

「だから、相手もやってくるとなれば、覚悟が必要だ。だが、考えても見ろ。一体、誰がその帝国の尾を踏むんだ?」

 

「帝国の尾?」

 

「帝国はやり返されないように今まで少数民族を殲滅した挙句に奴隷として各国の内部で復讐者を処分してたわけだが、つまりはその反抗作戦に加わる人数が居ないって事だ」

 

「帝国に酷い事をされていない連中は後方の街を焼けないと?」

 

「それも奴隷で今にも滅びそうな少数民族の報復の為に国家を危険に晒すとでも? 帝国軍は中小国以上のところには相応の紳士さで接していたわけで、帝国をそれ程に憎む纏まった分母の共同体はこの世界に無いんだよ」

 

「……それでもやろうとするところはあるのでは? それにああいう事をしていた連中に遠慮は要らないと群れた国家は暴力性を発揮する可能性も高いだろう」

 

「それを抑止する為の航空戦力。戦略兵装だ」

 

 ゾムニスも話は聞いていたのでようやく合点が行った様子になる。

 

「つまり、戦場だけで殴り合う事が交戦規定として機能する、と」

 

「互いの後方を必殺出来る切り札があれば、戦争になっても容易に報復手段として街を焼かなくなる」

 

「理想論だろう……それに少数の復讐者が君の言うような大きな力を手に入れれば、迷わず使うはずだ」

 

「それに対抗するのはこっちの仕事だ。帝国内での少数の復讐者による被害を食い止める為の対復讐者テロリスト用の特別諜報部隊を設立する」

 

「まさか? 軍の情報部を買うという話は……」

 

「そういう事だ。軍の人員を削減しつつ、軍の高度化と人材の確保もこれでようやく始まる。来年までに始動して、竜の国が本格的に来る前に戦略兵装を喧伝する。その内容はこうだ。我々は街を焼く者には容赦なく街を焼く準備がある。だが、真っ当な戦場での戦いに敗北したならば、それに何かを言う事はない」

 

「考えたな。これで更に対帝国の動きが鈍化すると君は考えたのか」

 

「そういう事だ。問題は時間だ。内部を固め切って時間を稼いで、他国を経済同盟で取り込むまで最短でも恐らく3年は掛かる。今、御爺様の伝手で元外交官を使って周辺各国で経済連携協定の下地作りをしてる」

 

「……上手くいけばいいが」

 

「絶対上手くいかない事を想定して、オレは動いてるぞ?」

 

「それを自分で言うところが恐ろしい……」

 

 ゾムニスが溜息を吐いた。

 

「取り敢えず、必ず一度以上は対帝国の侵攻作戦が発動されるはずだ。それを内部から切り崩しつつ、帝国も身銭を切る形で周辺国の利益となる事が最終的には全ての面において帝国に資する。本当の陰謀って言うのがあるとすれば、それは善意の皮を被った保身であって、悪意の皮を被った合理性じゃない」

 

 その言葉にウィシャスが何か言いたげだった。

 

「……軍は合理性であのような蛮行をしていたと?」

 

「軍の報告書は読んでる。蛮行が推奨されていたのは多くが短期間で取り込めない強行な少数民族や思想に難有りとされた民族。そして、強大な力を持っていると推測された民族ばかりだった」

 

「………」

 

「現場の人間には殆ど何も知らされず。単にこういう事をして、動員した死んでも問題無い。つまりは軍としては惜しくない人材の有効活用現場、悪く言えば処分場でもあったみたいだな」

 

「ッ………」

 

 さすがにゾムニスがウィシャスの顔色にこちらへ何か言いたげになる。

 

「帝国陸軍は合理性の塊だ。特にその戦争における長期の戦略構想に関しては時代の先を行ってる。だが、その方法は悪辣だし、残酷だ。そして、大きく為り過ぎた帝国の性として動きが鈍い」

 

「それを君が変えたわけか」

 

「ここから先は力に力で対抗しても限界が来る。だから、逆の発想が必要なんだ。戦争に負けてもいい。上手な負け戦をするんだ、とな」

 

「君が言うとソレは実質的な勝ちなのではないかな……」

 

 ゾムニスがもはや字面通りには受け取らなくなった様子で肩を竦める。

 

「解って来たじゃないか。戦争の残酷さを受けたくなければ、努力しろって事だよ。実際、もう帝国はこの先も十分に生きていける核心的な利益は得てるんだ。後は戦争を終結させて平和に賠償生活を送るだけで将来安泰だったりする」

 

「核心的な利益?」

 

「地政学的に重要な部分は全て帝国に集まった諸民族が暮らす地域になった。他国が帝国に勝っても帝国民を現地から追放するのは旨みがまったくない。現地に蓄積された人材、社会資本、物質的な現金、資材、文化、社会機構……全てあれば、小国や中核都市として自国の経済を大きく発展させられる」

 

「つまり、他国にとって帝国は宝の山だと?」

 

「資源地帯は取られたら痛いが、問題無い。もう帝国の3割以上の儲けはサーヴィス業の()に払う仕事の結果生まれるものだ。地政学上の重要拠点と付近にある街区の多くがソレを主産業にしてる」

 

「つまり、儲けは資源や生産物の売買で得られたものじゃないわけか」

 

「そうだ。それを相手国が知っていれば、負けても搾取の方法が過激に出来ないように出来る。最悪、人間さえ避難させれば、領土の獲得は無意味だ。残った建物や資材だけじゃどうやっても帝国みたいな利益は出せない」

 

「……それが君の成果ではなく帝国の成果だとすれば、帝国は……」

 

「主に御爺様の戦略だ」

 

「悪虐大公と呼ばれるわけだ……」

 

「ちなみにオレはあらゆる手段を用いて同盟国予定の国々でも外交官や商人連中を通じて、搾取の仕方教育ってのも始めてる」

 

「本場帝国の搾取教育……」

 

 もはや笑いも起きない様子でゾムニスが複雑以上の心境にやれやれと被りを振る。

 

「オレはオレが失敗してもいいように予備の準備を欠かさない。オレの計画の殆どにはそういうのがちゃんと置いてある」

 

「さぞや優しく厳しいんだろうな」

 

「西部では商業規制に人材の扱いに対する項目を入れて、色々テコ入れしただけで3割程の仕事が増えたな」

 

「それは……認めよう。仲間からも西部では今好況になって来ているし、食べていける家が増えたと報告があった」

 

「オレが直接手を下さなくても、合理的で人間に配慮した政策をやってれば、それくらいの事は出来るんだ。問題はその地域に生きる人間を全うに暮らさせてやれるだけの中身を為政者が用意出来るかどうか」

 

「だが、今まで西部は酷い状況だったが?」

 

 ゾムニスの言葉は重みが違う。

 

 その酷いが、どれだけのものかは情報では知っていても、直接まだ見ていない人間がどうこう言うべきではないのだろう。

 

「殆どは西部を管轄してた貴族連中が無能で互いの罪を隠してたからだ」

 

「……君が領主になってから随分と改善されたのは解っている。だが、それを信じ切れないというのも西部の者の本音だろう」

 

「理解したつもりではいる。それを拭ってやれる程にオレは有能じゃなくて済まないが、成果が出てる限りはお手柔らかにして貰いたいもんだ」

 

「はは、少なくとも君以上に今適任がいるとも思えない。今後も上手くやっていきたいものだ」

 

 今までの会話を聞いていたウィシャスがゾムニスに視線を向ける。

 

「ゾムニスさんは西部の出身で?」

 

「ああ、詳しくは言えないが、元々はこのお嬢さんと部下達と共に敵対していた。だが、命を救われ、西部の為に働けと言われて、こうして此処にいる」

 

「そうですか……」

 

 チラリとこちらに視線が向く。

 

「何だ?」

 

「いえ、自分は君がもっと人間を脅迫して従わせているのかと思っていたから」

 

「あのなぁ……普通に話せとは言ったが、臆面もなく貶してくるのはどうなんだ?」

 

「そういう事実がありそうに思えて仕方なかったよ……」

 

 シレッと言われた。

 

「そういうヤツもいる。だが、脅迫にも仕方があるだろ」

 

「仕方って……脅迫なんて、どれも同じじゃないか……」

 

「それはモノを知らないヤツが考える脅迫だ。本当の脅迫はな。いつでも相手が従いたくなるものなんだよ」

 

 よく祖母達が言っていた。

 

 祖父、じーちゃんの脅迫に掛かったら、大抵の人間は自分から言いなりになってしまいそうだった、と。

 

「意味が分からない」

 

「相手に自分の要求を呑ませる時はそれよりも大きな別の利益を提示する。交渉ではなく強制であるからこそ、脅迫には技術や知識が必要なんだ」

 

「その君の情報源が何処なのか……君の見ている帝国の教本の類を一度全部見てみたい気分だ」

 

「生憎と単なる経験則だ」

 

 喋っていると。

 

 帝国議会の外。

 

 馬車が数百台止められた場所に来る。

 

 あちこちで御者達が馬の世話をしながら厩舎に馬を戻し、管理人達と共に馬糞の後処理やブラッシングをしている。

 

「さて、帝国陸軍の皆様には適当に無駄な議論と決まってる議決をして貰うとして、後はオークショニアからの連絡待ちだったところに向かおうか」

 

「連絡待ち?」

 

 ゾムニスに御者をして貰って走り出す馬車の最中。

 

 ウィシャスがまたロクでもない事を始めそうだな、的な胡散臭げな表情をした。

 

「人材不足がこれである程度解決する」

 

 そうなるとイイと思いつつ、実際の出来栄えはどうなったか見に行く事にした。

 

 *

 

『皆さん。これより皆さんのご主人様がいらっしゃいます。どうか、非礼無きように……貴方達はあの方に見染められた真に幸運な人間なのですから……』

 

 何か無駄に持ち上げられた気がする奴隷市場。

 

 オークショニアが主催するオークション会場の裏手。

 

 出荷場の片隅に数百人の奴隷達が並んでいた。

 

 だが、その状態はパッと見では一般人の専業職な人々と見分けが付かないだろう。

 

「お久しぶりです。バッカニ子爵」

 

「ああ、お待ち申し上げておりました。姫殿下……」

 

 頭を下げたのは頭の禿げ上がった60代のオークショニアだ。

 

 子爵位を持っているのは30年前の興国期に軍人として成果を上げたせいである。

 

 今は奴隷市場を仕切るオークショニアであり、奴隷専門の商会をしている髭面子爵と二つ名を持つ界隈の有名人でもある。

 

 タキシード姿の男は恭しく頭を下げるとすぐに並んだ奴隷達に背を向けて、建物に入っていく。

 

 仕事をし切った以上はもう彼の手を離れたという事。

 

 客が満足し切ると自信が無ければ、此処から彼が離れる事はない。

 

 ウィシャスは大量の一般人にしか見えない奴隷達に少し気後れしているようだ。

 

「初めまして皆さん。わたくしがこれから皆さんの主。雇い主となるフィティシラ・アルローゼンです。どうかお見知りおきを……」

 

 軽くカーテシーを決めて頭を下げる。

 

 僅かにざわめきが奴隷達の間に奔った。

 

「皆さんにはこれから各専業従事者として各地に展開する店舗での商業活動行為。つまり、商売をして頂きます。現場では専門職として一月分の給与を全額前払い。これは通常の専門職の方の給与の半額となっており、極めて安い事は念頭に入れて置いて下さい」

 

 ざわめきは僅かに低くなる。

 

 奴隷に給与を払うのか。

 

 という意見は各国の奴隷事情においては様々だ。

 

「まず、皆さんに与えられる保証に付いてお話します。労働時間は日に10時間。朝7時からの5時間、昼過ぎの1時からの5時間。夕方六時には定期で商店から必ず退社し、絶対に勤務先で時間外労働はしない事。これを行った場合、皆さんには罰則が科されます」

 

 ウィシャスが何か奇妙な事を聞いたような顔になる。

 

「罰則時には1日分の強制的な休業と1日分の給与の減額を言い渡します。週に関しては週休二日。祝日は絶対に休んで下さい」

 

 奴隷達も何かオカシなことを言われているような空気になる。

 

「また、仕事中の小休憩は労働時間内で行い1時間毎に1回最低10分は必ず休むように。これの間の給与の減額は致しません。その中で厠などには行くようお願いします」

 

 懐から取り出したメモ帳で細かな規則を確認していく。

 

「衣食住の食と住はこちらで確保しております。現場は住み込みの宿舎が併設されており、宿舎内部には二人一組で入居。一緒に入る方は各自交渉して下さい。宿舎は無料ですが、住環境が気に入らなければ、ご自分で別の場所に居を構えても構いません。ただし、就業時間には必ず辿り着く範囲内にして下さい」

 

 メモを捲る。

 

「皆さんが帝国内にいる限りは各地に置いた監督役の方に奴隷の状態でも恋愛、経済活動、副業が許されます。ただし、就業時間以外でやって下さい。また、皆さんの身柄の保証はわたくしの名前で出しています。皆さんが犯罪を犯した場合はただちにわたくしの下へと報告が来て、奴隷法に基いて決済されます」

 

 さすがの奴隷達もゴクリし始める。

 

「注意事項です。皆さんが帝国を出ていきたいと思った場合は自分が買われた時点での値段分で買い戻して下さい。これらはわたくしとオークショニアの合意から一律にしており、この点は誰もが平等です」

 

 パラリとメモを捲る。

 

「買い戻し方法は全て現場で配られる資料にあります。その残金には利子のようなものは付きません。凡そ皆さんが節制に勤めれば、約7年で完済出来る学です。また、これをもしも監督役が誤魔化していると思うならば、現地の他の正規職員に直訴して下さい。こちらで監査致します」

 

 パラパラとメモを捲る。

 

「皆さんがケガをした場合には現地に駐在させる専門医各4人が手当に当たります。怪我、病気、妊娠や性病、心の病などです。皆さんの人生が未だ商品である以上、必ず現場において最善の治療法。もしくは大ケガや病気で苦しみ抜いて死ぬのが嫌ならば、安楽死も含めて対応致します。全ての死亡予定者には遺書の執筆と届けて欲しい相手への配達と現地での埋葬と墓石の支給が確約されます」

 

 メモに更に幾つかを書き足していく。

 

「また、出産後に出来た子供は奴隷ではなく。現地の人間として帝国国籍と帝国人の権利が保障されます。現地人との間に出来るか奴隷間で出来ても同様です」

 

 ざわめきが大きくなる。

 

「また、皆さんへの刑法の扱いですが、暴行や傷害や帝国法内で相手側に厳しい保障費用を課す事になりますし、それの周知も行われます」

 

 奴隷制度を出来るだけ改革するのは骨が折れる。

 

 特に前例のない事をやらせるのだ。

 

 監督する人間の数が未だに足りていないのはガチに厳しい。

 

「逆の場合は厳しい懲役刑を覚悟して下さい。労働環境の改善事項は随時更新されます。現場からの要望や意見も募集致します。それが反映されない場合はそれを報告しない人間の問題として処分も実行されます」

 

 さすがに軍で演説してきたので少し喉が疲れた気がする。

 

「皆さんがもっと高い賃金を望む場合は自身を買い戻した後、同じ職に就いている場合、帝国人の従業員と同額お支払いします。帝国人以上の技能や知識が豊富である事を検定試験で示せば、通常の帝国人以上の金額もお支払いしましょう。この場合の優秀さが試験と実績で示せた方には年額の1割の追加給与を年度末にお支払いします。ただし、税金は奴隷上がりで国籍の無い方は一律に通常の帝国国籍の方の1割増し。更に給与が幾らあっても帝国国籍の取得が出来ない場合は各種の帝国内の制度をご利用頂けない事は承知して下さい」

 

 メモ帳には書く事が山の如くである。

 

「帝国人として国籍が欲しい方に関しては兵役が課される可能性があるので慎重に検討して下さい。主な注意点はこれだけです。確認出来るように資料はお渡ししますし、紛失しても現場には同じものを置いておくのでいつでも確認してください」

 

 メモを仕舞って頭を下げる。

 

「これから皆さんには現地で働いて貰いますが、皆さんは幸いです。それはわたくし達が与えたものではなく。皆さんの資質や知識、技能が評価されての事です。ですが、皆さん程に要領の良くない方は沢山いらっしゃいます」

 

 事実、奴隷市場の中から選んだ者達の中には目の前の人々程には優秀になれない者も多い。

 

 そもそも対人能力が壊滅的だったり、精神病を誘発して体調も壊していたり、精神を病んだ為に廃人になったりという人々もいるにはいる。

 

 そういう風な壊れ方をしていなくても、資質的に憶病だったり、卑しいレベルで虚言壁があったり、そのようなあまり表だって目立たない問題を抱えた者もいる。

 

 特にコミュニケーション能力が低い相手は奴隷に掛けられる社会資源が豊富でもない為、基本的にどうにもならないので放置状態だったりもする。

 

「皆さんは恵まれた労働者です。自らの手で掴み取った幸運をよく考えて、貴方達程に幸運ではなかった人々にどうかその手を差し伸べる機会が多からんよう祈っています」

 

 胸に片手を当てる。

 

「恵まれ、優秀である人間には責任が伴う。その自覚を持って行動して下さい。それが出来る人間を此処にわたくしは選ばせて頂きました。今後のご活躍を期待させて頂きます」

 

 オークショニアの部下達が次々に馬車へと人々を載せていく。

 

 これから各地に仲の良い人間や家族、親族、友人単位で向かうのだ。

 

 車列に頭を下げてから、オークショニアに言伝を人足達へ頼んで馬車に戻って出させる。

 

『……まったく、どちらか奴隷か分からないな』

 

 呆れたような苦笑が御者台から零された。

 

「ゾムニスさん。さすがにその物言いは……」

 

 ウィシャスが一応は窘める。

 

「お前、自分で思ってる事は否定しなくていいぞ。為政者ってのは国民の奴隷であり、導くのは想像以上の労力がいるもんだ」

 

「それは、いえ、しかし……ぅ……」

 

 言い返せずにウィシャスが奥歯にものが挟まったような顔になる。

 

「人より優秀な人間は安定した社会の中じゃ優秀じゃない人間を押し退けて生きてるか。だから、せめて礼節と自制心くらいは持つべきなんだよ。一般人や民間人なら尚更な」

 

「まるで……それが君にあるような言い方だね」

 

「それが難しい連中が多過ぎる。そして、優秀な連中は優秀だからって清く正しいわけじゃない。そういうのを矯正したり、他社と橋渡ししたり、適材適所に置いてやる人間。優秀でありつつも自己管理出来る人間は社会上層部には絶対に必要だ。その方が効率的だし、合理的だし、より多くの人間に快適な生活を供与するのに不可欠なんだ」

 

「君がそれをすると?」

 

「とんでもない」

 

 肩を竦める。

 

「それをやる人間を育てて配置してやるのがオレのお仕事ってヤツだ」

 

 もはや、何を言ってもやり込められそうなんて思ったものか。

 

 ウィシャスがやはりゾムニスと同じように呆れた視線になる。

 

「さ、後同じような場所を20か所。今日中に回るぞ」

 

「『………』」

 

 沈黙は金なり。

 

 そんな言葉を体現し始めた護衛達なのだった。


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