ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第44話「季節」

 

 メイドが2人ともグラナンの下へと竜騎兵のノウハウを与えに通う昨今。

 

 ゾムニスはリージと共に帝都と他の地域への資金繰りに直接携わる業務に付いていて、フォーエはその2人の下で学びながら竜騎士として基地に通いながら竜との接し方に付いてのお手本として軍の少年連中と仲良くやっているらしい。

 

 さすがに事前審査で振るい落としたので貴族を鼻に掛ける連中は多くなく。

 

 それっぽいのも誇りと伝統というのが大事な相手なだけらしい。

 

「さて、それじゃ、見せて貰おうか。成果ってヤツを」

 

「は!!」

 

 本日は夕暮れ時の研究所内での成果確認であった。

 

 報告書と簡易報告が上がって来たのはつい2日前。

 

 形にするのに掛かった時間は優秀だろう。

 

 研究所の射爆場には銃の試射用の一角が設けられているが、その周囲には顔面を鉄製のマスクで覆って盾を構えた男達がズラリ。

 

 白衣姿なのを見れば、兵隊ではない事は一目瞭然だろう。

 

「……行きます」

 

 厚い手袋とトリガーを引く指先に少し突起を付けた顔も分からない相手の試射が始まる。

 

 無骨な拳銃はリボルバー方式では無く。

 

 装弾と廃莢を自動で行うオートマチックだ。

 

 連続して引き金を引くのに必要な力は従来よりも弱くても良くなったとの事で引き金が軽い拳銃には安全機構としてツマミを用いたロックが掛けられた。

 

 従来のリボルバーには出来なかった仕様だ。

 

 現代のオートマチックに随分と近付いて来たのは間違いない。

 

 幾ら外観や大雑把な内部機構の構造を教えているとはいえ。

 

 それでもトカレフモドキをこの短期間にほぼ完璧に仕上げて見せたのは紛う事無く研究者達の大きな成果だ。

 

 最大のネックは細く精度の高い部品。

 

 バネや拳銃内部の機構を手作業で何処まで加工出来るかというところにある。

 

 ラインに載せるにしても、そのライン工程が複雑では量産出来ない。

 

 熟練の職人は必要だが、その職人が簡易に造れる部品。

 

 というのが基本的に重要なのだ。

 

 機械式の生産工程も少しずつ取り入れているが、何分技術不足であり、鋳造技術の進展が待たれる。

 

 ただ、そういったライン工程は後少しで細部までマニュアルも詰め終わるとの事。

 

「ッ」

 

 続け様に5発。

 

 試作型オートマチックが連続して撃たれた。

 

 未だ合金の質も悪い為、部品強度が足りないせいで厚く重くならざるを得ない。

 

 ソレは現在のリボルバーと比べても3割くらいは重たいだろう。

 

 大男が握れば、丁度良い感じにデザートイーグルみたいにも見えるかもしれない。

 

「―――続けて四発」

 

 再び撃たれた拳銃が途中でジャムったらしく。

 

 弾が詰まった。

 

「連続で7発か……」

 

 撃っていた研究者が銃を置いて、こちらにやってくる。

 

「申し訳ありません。どうしても精度と各部品の強度の兼ね合いが難しく」

 

「弾倉もあんまり薄くすると衝撃が怖いしな」

 

「はい。一応、内部にはゴム製の被膜を用いる方式も採用してみたのですが、無煙火薬がほぼ暴発しなくなった為、それに加えてギリギリまで薄く鍛造して内部に空間を設ける事で温度差なども緩和する方式を取りました」

 

「一先ずは部品の薬室以外の部品の中抜きと強度の兼ね合いを現在の最適な合金で考えてくれ。一部の部品をプラスチックにする試験はどうなってる?」

 

「はい。部品としては既に……それにしてもあれほどに軽く持ち運びが簡易な“ぷらすちっく”というのはスゴイものですね」

 

「強度が鉄程無いが、摩耗する薬室と稼働部位以外の部品なら恐らく置換可能だろう。衝撃や熱でまだ歪むが、アレに他の素材を入れてどうにかならないか。形成を試してみてくれ」

 

「はッ!! 資料に関しては受け取りましたので数日中には試作を……」

 

 一応の成功。

 

 リボルバーの重い撃鉄を一々起こす必要が無くなるのはかなり大きい。

 

「ライフルの方に関してはどうだ?」

 

「はい。そちらは……おーい!!」

 

『こちらはいつでも行けます!!』

 

「試験開始だ」

 

 先日、巨獣を仕留めたゾムニスの大型の対物ライフルの進化版。

 

 ソレが随分と小さくなった様子で研究者によって撃たれた。

 

 遠間にる木板の標的が吹き飛ぶ。

 

 音はかなり抑えられているようで。

 

 銃身もライフリングの改良で短くなっている。

 

 こちらは銃身を安定させるのにプラスチックと樹木をどちらも使った代物であり、制作工程もより複雑だ。

 

「重量は一世代前から3割落ちました。ですが、やはり、威力のある弾の反動が凄まじく。誰でもというわけには行かないかと思われます」

 

「衝撃を殺す装置が必要なわけだが、それに関しては開発はそちらに全て任せる。とにかく携行火器で大火力。ウチのゾムニスが使える程度にしてくれ」

 

「了解致しました。最後に言われた通りの仕様で御作りしたものですが、本当にあの仕様でよろしかったのですか?」

 

「ああ、先日もまた襲われた。無煙火薬が出来ても威力不足だ。安定性は度外視で銃身の寿命が縮んでもいいから、威力がある携行火器が無いとな。とにかく襲われた時に手札が無い」

 

「心中お察しします……」

 

 研究者達が何だか姫殿下も大変そうだという顔で哀れまれた。

 

 一番奥の台の上には赤黒い金属光沢の大型リボルバーが一挺。

 

 大きさ的には40口径マグナムより更に太い。

 

 ダブルアクションの代物だ。

 

 60口径の怪物拳銃。

 

 専用弾の長さは6cmで重さは160g以上。

 

 薬室どころか。

 

 今まで収集してきた金属を含むバルバロスの遺骸を全てのパーツに用いた特注品。

 

 専用弾には火薬による燃焼ではなく。

 

 専用のニトログリセリンの感度を最低まで落とした爆薬。

 

 つまり、その燃焼の代わりに爆轟を用いる。

 

 薬室内部がソレに耐えられる事は実証実験で解っており、問題は人間が撃つと肩が外れるでは済まない威力が発生し、爆発の衝撃を使用者当人が被る事だ。

 

(まぁ、たぶん、大丈夫だろ)

 

 全長480mm。

 

 さすがにコレを撃てる普通の人間はいない。

 

 腕が物理的に衝撃で血の染みになるし、薬室から溢れた破壊的な衝撃が腕の長さ分の空間で人体を破壊するのは間違いないのだから。

 

 ただ、最大威力だけで40cmの金属壁を専用弾が貫通するのだから十分だろう。

 

 弾頭に用いられているのはゼアモラの肉体を金属と混ぜて鍛造した代物だ。

 

 あの大学のゼミの狂科学者曰く。

 

 すげー重い物質で出来ているというのに偽りはない。

 

 重量と硬度と剛性が本当に常識外れであるからこそ使える。

 

 今のところ連続試射で砲身が耐えられたのは7発。

 

 だが、爆薬を用いて銃弾を発射するというぶっ飛んだ発想で得られた威力はハンドガンの常識を覆す。

 

(今までの事もある。簡易三脚と外套、ガスマスク。これで行けるかどうかマネキンで試したしな)

 

 金属が加圧された際に流動化して変形するという現象ギリギリまで弾頭を加圧して弾き飛ばすだけで砲弾並みの速度であるというのは間違いない。

 

 小型のRPGみたいなものである。

 

 実際、標的にした金属鎧やバルバロスの毛皮などは当たった場所の周囲が弾けるというよりはあまりの衝撃に流動化して高速で焼き飛ばされるというような惨状になっていた。

 

 金属壁の貫通の際にも恐ろしい事に当たった衝撃で弾けた弾頭の破片が猛烈な速度で金属壁を真ん中から貫徹中に周囲を流動化させて破断したような痕跡が在り、冷えた内部を確認したら、脆く進行方向に向けて放射状に崩れていたのだ。

 

「本当によろしいのですか?」

 

「構わない。外套と仮面」

 

「は!!」

 

 用意されたソレを付けて拳銃持つ。

 

 ちなみに爆発に巻き込まれる他の弾丸が無事なのは単純にゼアモラの同じ材質の薬莢を用いているからに過ぎない。

 

 これが普通の代物だと衝撃で暴発して、いきなりダイナマイトを爆発させたような有様になった事は記憶に新しい。

 

 まぁ、100m以上離れてヤバイ試験は行っていたので死傷者は出ていない。

 

 射爆場の一角が吹き飛んだだけで済んだ。

 

 一応、衝撃を緩和する方式として銃を固定化する銃架。

 

 銃底と接続出来る3脚式の固定化用の折り畳み可能な脚がある。

 

 蛇腹状のソレは展開すると地面に落ちる途中、一定の位置で固定化される仕様であり、硬い地表があれば、そこに衝撃を流してくれる。

 

 重さは拳銃より軽いが余程に安定した場所でないと使えなさそうとの話。

 

「オレの腕が変質するのもこういう時は便利なんだよな」

 

 変質しなくても腕の爪には近頃、色が増えた。

 

 水色のソレが何を吸収したのかは体感として分かるつもりだ。

 

 そして、腕が傷付くか定期的に刃物でちょっと試験しているが、今や変化する模様の広がる腕が刃物どころか炎を当ててすら熱くないというのも超人染みている。

 

 化け物の力を吸収しているような感じは受けていた。

 

 だが、実際に肉体の変化が出て来ると左程衝撃でもなかった。

 

 やはり、死んだ事があると肉体への依存とか肉体喪失への恐怖とかは薄れてしまうらしい。

 

「撃つぞ。離れてろ」

 

 研究所職員達が次々に退避しつつも、鉄と木製の盾を構えつつ、その除き窓からこちらを見やる。

 

 外套で全身を覆って、ゼアモラと臭気放つ者を使った獣型な顔のガスマスクを装着して、銃を展開。

 

 脚がアスファルト製の地面にゴム製の底で圧着し、機構がロックされたのを確認後、重い引き金を引いた。

 

 耳栓をしていても聞こえるヴァゴォォッという音と共に閃光が奔る。

 

 雷撃が落ちたかのような空気を劈く悲鳴染みた激音。

 

 気は失っていなかったが、瞬間的にぶっ壊れた脚とアームから吹き飛ぶようにして予め研究所製のマットレスを敷いていた壁面にドズンッと身体が沈み込む。

 

「く……」

 

 腕はある。

 

 壊れてもいない。

 

 マスクと外套で爆発の衝撃は凌ぎ切った。

 

 だが、その衝撃で肺から空気を強制的に吐き出させられて、思わず酸欠。

 

「っっ、はぁはぁはぁっ、一応……っ、成功か?」

 

 マスクを脱いで腕の中で湯気を上げながら、カッカと赤くなっている銃を見やる。

 

 どうやらまだ危険度は足りないらしく。

 

 腕はいつもの手甲染みた姿にはなっていなかった。

 

 立ち上がり、拳銃を台に戻して腕の手袋を剥ぐ。

 

 すると、自分のいつも見ている文様が奔った手が普通に存在していた。

 

「姫殿下!!」

 

「腕は大丈夫なのですか!?」

 

 すぐに駆け寄って来る男達がこちらの腕が弾け飛んでいないかとやってくる。

 

「大丈夫だ。衝撃吸収用のコイツはもう少し改良してくれ。重量は重くしていい。それと一部狙撃用のゾムニスが使ってた銃架も一緒に改造して寝そべって使う用に一つ制作してくれ。次に来た時にそれでオレが連続試射を行う」

 

「わ、分かりました!? と、とにかく今は医務室へ!?」

 

「ああ」

 

 肩を貸そうとされたが、断って付き添いと共に射爆場を後にする。

 

 40m先にある大きな鉄板は中央から溶け崩れて、放射状の罅を入れて崩れていた。

 

「(未知の元素による一撃。同じ元素を用いるなら、バルバロスだって殺せるはずだ。問題はそれに人間が耐えられる上で強力な運用が出来るかどうか)

 

「マヲー」

 

「?!」

 

 いつの間にか。

 

 猫が頭に乗っていた。

 

 驚いた職員達だが、それが近頃研究所内をブラブラしているアルローゼン家の家猫(という事になっている相手)だと気付いて、何か感心した様子だった。

 

 何も言わずに医務室に入ると内部では保険医は不在。

 

 すぐに呼んで来るという所員達に頷いて一人待つ事になった。

 

 窓から入る陽射しの最中。

 

「マヲヲー」

 

「何だ? どうして、今日に限って乗って来る?」

 

「マゥヲウヲ~~♪」

 

 猫が医師用の執務机の上に飛び乗って、こちらにテシテシと片手を出した。

 

 まるで手を出せと言われているような気分。

 

 先程、拳銃を撃った手の方を差し出すと黒猫がテシッと手の甲に自分の手を置いた―――途端、ペキペキという音と共に腕に奔る文様が緩やかに剥がれるような音を立てて形を変えていく。

 

 そして、ペキンと軽い金属音を立てて、ソレが銀色から黄金色に変化した。

 

 爪の色だけがそのままだった。

 

「オイ。一体、何した?」

 

「マゥヲ~~」

 

 何やら良い仕事したぜ。

 

 的に額を器用に片手で拭った黒猫がヒョイと再び頭に乗る。

 

「お前が何かヤバイのは解ってる。知性があるのも……だが、一体何なんだ? あの狂人そうな教授はブラックホール機関使ったら出て来たって話をしてたが……そもそも生物なのか?」

 

「マゥヲ~~?」

 

 まるで『どうかな?』と笑って惚けているような声。

 

 もはや、何を聞いても意味は無いのだろう。

 

 そもそも、この躰で解っている事など殆ど無いのだ。

 

 自分の腕を解体して研究するのは最後の最後にしたい。

 

 そもそも、この力が信用出来る類のものなのかも分からないのである。

 

 騙し騙し使っているが、発動しなければ死んでいる事は多い。

 

 自分の命を護っているのか。

 

 それとも自分を因子とする何かに反応しているのか。

 

 どっちにしても、この黒猫が操れる程度のヤバイ何かなのだ。

 

「この腕が侵食し切ったら、人間已めるかもな。そうしたら、自分で自分を止める方法とか……はぁぁ、気が滅入る話だ」

 

「マ、マゥヲ~~~♪」

 

 何だか黒猫がゲラゲラと笑い出した。

 

 もしかしたら、こんな事言い出すとかと笑っているのかもしれない。

 

「お前にも名前くらい付けるか? ブラックホール猫とか?」

 

「マ、マヲヲヲ!!?」

 

 慌てた黒猫はそんなの断固拒否と床に降り立つと両手でバッテンを描いて、シタタタッと背後で医者が開けた扉から逃げ出していく。

 

「はぁい。姫殿下。あ、男連中は出入り禁止よ~~」

 

 医学知識の多くも一応、研究所に降ろしているが、医者と研究者を駆け持ちする良い人材は帝国でも限られており、その中でも女医というのは珍しい。

 

「また無茶したのですか~~? 先日、帰って来た時も言いましたが、今のお薬は痛みと炎症くらいにしか聞かないんですから、傷はあんまり作らないで下さいよ~~あ、添え木は要りますか~?」

 

 化学薬品の調合も行う女医さんは薬品の匂いをさせながら、ニコニコとこちらの手当を開始する。

 

 集めた天才の中でも薬品と未だ一般的ではない外科手術の研究をする死体洗いの女は一角の人物だ。

 

 解剖と腐乱死体の匂いに塗れた墓がホームな狂人に大人しく栄養剤と打撲治療用の抗炎症剤を出してもらうのだった。

 

 *

 

「何か雰囲気が変わってないかい? フィー」

 

「そうでしょうか?」

 

 夏もそろそろ終わりという頃。

 

 本日は水着で水浴び授業であった。

 

「その腕や頬の文様とか。前は違っていたような……」

 

「そういう事もあるかもしれません。育ち盛りですから」

 

「育ち盛りで君みたいに髪の長さが半分に成ったら、ご両親が泣くよ?」

 

「御爺様は気にしてません」

 

「いや、うん。ごめん……君の家の事って言えない事だよね……」

 

「母は生きているようですが、父は誰なのかさっぱりです」

 

「それ、自分で言うのかい?」

 

「誰かに聞いてもらう程の話の種でも無いのですが、気にする必要はありません。わたくしも御爺様も気にしていませんし、家の者達も普段は忘れて暮らしているでしょうから……」

 

 水辺で今日は椅子に寝そべっていた。

 

 革を漂白して裁断。

 

 横に隙間を開けて張ったビーチ用の代物だ。

 

 ユイヌも研究所の試験品という事で試しに寝そべって貰っている。

 

『ああ、姫殿下!? 腕や足に輪のような跡!! あれが音に聞く北部で化け物と相対した時の……お、お労しいですわ(泣)』

 

『な、何を言っていますの!? あの傷は正しく勲章!! それに同じ位置に綺麗に輪になっているところなど、もはやあの方を飾る代物ではなくて!?』

 

『た、確かにそうですわ!? それにあの不思議な文様!! ああ、あの美しいお顔に腕を飾る金色!! あのようなお化粧!! あの方にしか似合いませんわ!?』

 

『本当にお綺麗……あんなお化粧が似合ったら、きっとどんな殿方もイチコロでしょうね』

 

『先日までは銀色だったのが今は金色……爪まで色合いが……ああ、この気持ちは一体……』

 

『隊長……姫殿下。本当にお綺麗になりましたよね?』

 

『………隊長?』

 

『は!? そ、そうですね!! ああ、あの方が北部に行った時、お傍に居られたなら、あの長く美しい御髪を身を挺してでも護ってみせたものを……!!』

 

『そのお気持ち分かります!! きっと、我々にしてくれていたように北部の方々を護る為に御髪を……な、涙で前が見えません!!』

 

 何やらが外野が騒がしい。

 

 ヤバイ・ブラックホール猫に文様変えられました。

 

 とか、意味不明なので部外者には何も言っていないのだが、ノイテやデュガは『……今度は何と戦ったの?』と疑ったくらいだ。

 

 猫に変えられたと言っても信じて貰えないだろう。

 

 ちなみに現在の文様は何処か幾何学模様というよりは腕を飾る装飾染みている。

 

 曲線がまるで葉のようにも波のようにも見える。

 

 問題は微妙に腕の付け根から鎖骨当たりまで文様が拡大した事か。

 

「……近頃は勝利の学び舎に行ってるそうじゃないか。御爺様が手が早いってぼやいてたよ?」

 

「そうですか。現役の陸軍の上層部には頭の痛い問題でしょうね」

 

「一体、何してるんだい?」

 

「少し軍の人事を御爺様の権力と外圧で変更しただけです」

 

「だけですって、それスゴイ事なんじゃ……」

 

「無能で無用な働き者の方達には幸せな後方任務地に行ってもらいました。今のところは満足しているようですし、この調子で5年くらいは前線と中央には戻って来ないようにして貰いたいですね」

 

「……相変わらず、君が言うと物騒で冗談には聞こえないよ」

 

「現在、陸軍の再編を行っているのです。殆どは御爺様の一声とこちらからの支援でやっています。陸軍内部の派閥事情は考慮していますが、問題は再編速度ですね」

 

「何でそんな事を?」

 

「これから戦争を仕掛けるのではなく。仕掛けられる方になる前に最低限の準備を終えておく為です……」

 

 その言葉にようやくユイヌが少し沈黙した。

 

「帝国が戦争を仕掛けられる?」

 

「1年から3年を目途にして。もしくはそれよりも早く。帝都で騒ぎが起きても近頃は箝口令が敷かれているのはご存じですよね?」

 

「う、うん……って、まさか? 何か関係が?」

 

「ええ、先日から合わせて3回も戦争を優位に運ぶ為に敵国から襲撃されました」

 

 思わずユイヌが椅子から降りて傍に来て、ヒソヒソと言葉を紡ぎ始める。

 

「だ、大丈夫だったの!? それよりも襲撃されて君はどうしてこう!? もうちょっと蒼褪めてたり、慌てたりしてくれないと分からないよ!?」

 

「ユイが慌ててどうするのですか? 問題無く撃退しました。近頃は優秀な護衛が増えましたので」

 

「それって、先日学院の前で一緒に馬車へ乗っていたウィシャス様の事かい?」

 

「知っているのですか?」

 

「う、うん。彼は僕の家と繋がりが深いヴァンドゥラー家の方だから」

 

「そうでしたか……」

 

「この数年、南部の前線に行っていたって聞いてるけど、大きく為ってもお変わりない様子なのを見て、少し安堵したんだ。3年前に大ケガをしたって聞いてたから」

 

「大丈夫ですよ。傷跡は大きいようですが、健康に問題はありません。ウチの研究所の医者達のお墨付きです」

 

 電流による火傷跡など中々お目に掛かれないだろう代物がざっくり全身にあるらしいが、健康上は問題無いらしい。

 

「それにしてもリージ中尉もいるのにウィシャス様まで……君の傍には優秀な方々が多いよね。先日、紹介してくれたアテオラ嬢も凄く地理に詳しいみたいだし」

 

「全員、御仕事仲間です。ウィシャスは先日、ビスクード閣下からお借りした人材の1人ですよ」

 

「ビ、ビスクード閣下ってっ、あ、あの方が帝都に!?」

 

「お知り合いですか?」

 

「お、お知り合いって言うか……家の親戚で将来的には僕はヴァンドゥラー家の方か、あの方に嫁ぐと思っておけってお父様が……」

 

「そうですか……歳は離れていますが、寡婦になる覚悟さえあるなら、ビスクード閣下は愛妻家になって下さりそうで良い選択だと思いますよ」

 

「……君はまたもう。そんな簡単そうに言って。こういうのは普通、女子にとっては大問題なんだよ?」

 

「いつも男性調に話されている様子を見ていると結婚にはご興味が無いものかと思っていたのですが?」

 

「そ、そりゃぁ、そういう面はある気もするけど。そ、それとこれとは別なんだ……」

 

 ちょっと拗ねたようにユイヌが視線を俯ける。

 

「ウィシャスは……まぁ、夫としては分かりませんが、少なくとも悪い事にはならないでしょう」

 

「あ、それも……呼び捨てとか。はしたないよ?」

 

「御仕事仲間ですので」

 

「御仕事……君のお仕事って具体的には北部同盟とか西部の領地の経営、って事だよね? 戦争になるってそういうところと関係あるの?」

 

「そんなところです。襲撃者を操っている国に来年くらい喧嘩を売りに行く予定も立てています」

 

「け、喧嘩って……本当に君は一体誰と戦ってるの? 僕としてはあんまり口を出したくないけど、危険なのは……」

 

「心配しなくても大抵は生きて戻りますよ。死んで戻っては学院の方を泣かせてしまいますしね」

 

「……その中に僕は入ってるかい?」

 

「勿論」

 

 乾いたので再び水へと入りに行く。

 

 周囲の女騎士達がそれとなく溺れても大丈夫なように距離を開けて見守ってくれていた。

 

 テロリストが攻めて来ない限りは学院内で日常的な危険で死ぬ事も無いだろう。

 

「ふぅ……」

 

 女性陣や生徒達をあまり見ないようにしながら口元まで水に浸かる。

 

『あぅ~~熱いんだぞアソコ~~~』

 

『頑張りましょう。デュガシェス様』

 

 山がある為に水気がある分、涼しいかと思えば、帝都郊外の竜騎兵達の宿舎はどうやら蒸し暑いらしい。

 

 山間の竜を養育する施設の方が涼しいらしいのだが、基本的にマニュアルと細かな注意点などを教本にする作業をしている2人は竜の卵が孵化するまでは大概子供達に竜の扱い方の事前訓練を施す以外は書き物が仕事。

 

 という事で窓を開けっぱなしにして鉛筆と紙相手に睨めっこしているようだ。

 

 いつもの面子がいないので学院内では書類などの整理や荷物持ちが多少大変ではあるが、個人で出来る範囲である。

 

 お嬢様達の多くは使用人達に荷物持ちを頼んでいる事が多いので驚かれている様子だが、何故かその横で研究所製のお手製鞄が話題を呼んでいたりする。

 

「姫殿下~~♪」

 

 パシャパシャと水を掻き分けてプール端に来たのはアテオラだった。

 

 その背後のプールサイドをメイド姿のイメリが静々とタオル片手に追って来る。

 

「アテオラ。水に入るのには慣れたか?」

 

「は、はい!! 皆さんとっても良くして頂いて……イメリさんにも頭が上がりません……それにしても贅沢ですよね。こんなに綺麗なお水に入れるなんて……」

 

 どうやらアテオラにしてみたら、北部で考えられない風習らしい。

 

 まぁ、河遊びというのは何かと危険が付き物だ。

 

 それに比べて浅いプールなら、かなり危険は少ない。

 

 大人の泳げる女性騎士が複数人監視していれば、早々事故にもならない。

 

「そっちの仕事は順調みたいだし、冬まではゆっくりしてくれ」

 

「冬、ですか?」

 

「ああ、南部皇国に向かわせた人員から情報が入った。港に大量の軍艦。更に揚陸用の兵隊が周囲で準備してるそうだ」

 

「そ、それって予期されていた皇国の……」

 

「真冬前。恐らく航行可能な天候ギリギリで攻めてくる。今度は相手も本気だ。前みたいに上手くは行かない。あっちでの天候の情報に関しては今収集してビダルに送って貰ってる」

 

「そうですか。急がないといけませんね……」

 

「天候に詳しい人間もこっちに来るそうだから、海域の天候情報の蓄積と解析はそちらに任せた。詳しい気象予報と状況の把握さえ出来れば、後はこっちの仕事だ。地図の作製と並行してもらって心苦しいが、頼むぞ」

 

「は、はい!! 必ず!!」

 

 一応、相手をナデナデしておく。

 

「え、えへへ……」

 

『まぁ!? 姫殿下に撫でられて……な、何か羨ましいですわね』

 

『そう不思議な事でもないでしょう。あの方は姫殿下が自ら見出した方というお話ですし』

 

『あのように和やかなお顔で……わ、私でもお役に立てれば、あのような事をして下さるのでしょうか?』

 

『姫殿下は本当に愛らしいですね? 隊長』

 

『ああ……とても良い。本当に……』

 

 周囲が騒がしくなってきたのでそろそろ上がるからとイメリを見やるとタオルは二人分用意されているようだった。

 

「どうぞ……」

 

「助かる」

 

「………」

 

「何か言いたげだな」

 

 イメリがこちらを見て、ヒソヒソと囁くようにして会話する。

 

「貴女はこの学院の方々から随分と慕われているのですね」

 

「帝国最大の権力者の家だからな。相応の扱いをして貰ってる」

 

「……そういう事ではないように思えますが、今はいいです。それよりも彼女と話していた事は本当に?」

 

「ああ、その内にそっちも一緒に行ってもらうぞ。現地に拘留してる穏健派の連中の取り込みが完了した旨の通知が来た」

 

「っ」

 

「冬直前までに北部へ出立する。自分の祖国がどうなってるのか。その一端を学ぶ良い機会だろ?」

 

「………その前に先日の襲撃者達の件が先ではないのですか?」

 

「ああ、そっちは今日中にケリを付けて来る。アテオラにはゾムニスを付けるから、放課後はこっちに付き合ってもらうぞ」

 

「解りました」

 

 こうして夏の終わりにも時間は過ぎて行く。

 

 放課後、ゾムニスにアテオラを預けて、校門前から研究所の方へと向かった。

 

 研究所内の拘留室へとイメリと共に……。

 

 *

 

「あいつの顔に見覚えはあるか?」

 

「い、いえ……」

 

「お前と同じだ。あいつの上司は潔く装備を燃やして自決。使い捨ての駒として使う予定だったようだが、その暇もなく帝都憲兵隊に確保された」

 

「本当にこちら側は見えていないのですか?」

 

「ああ、光の屈折率の関係であちらからこちらの姿はこの見えないが、こちらからはあちらが見えるって硝子窓だ」

 

「不思議な道具ばかり。こんなものを作る相手に我々は喧嘩を売っていたのですね……」

 

 近頃、ようやくマジックミラーの開発が終了した。

 

 色々と便利な代物なので研究所内部を覗けないようにするが、採光はしたいという場所に使う予定なのだ。

 

 無論、かなり作るのに苦労した。

 

 特に鏡としての鏡面と光の透過を両立させる為の鏡部分の蒸着作業が難航したが、何とか安定した品質のものを作れるようになったのでさっそく採用したのが、この相手を入れておく為の尋問室だったのだ。

 

「見覚えは無さそうだが、何処の所属か分かるか?」

 

「いえ、訓練されていた時は皇国の首都の方で教育されました。でも、同じような子は沢山いましたが、あの子は見掛けた事がありません」

 

「成程な。新しくお前みたいなのを教育する場所を作ったか。あるいはバイツネードの方の人材なのかもな」

 

「どうするつもりですか?」

 

 イメリがそう言うのも分かる。

 

 相手の姿は正しく物乞いのような恰好の少女だった。

 

 だが、恐らく歳は16か7くらいだろう。

 

 相手の事前の身体検査は終えている。

 

 肉体内部にオカシな仕掛けも無かったし、寄生虫の類も無いか検査薬や虫下しを飲ませて見たが無し。

 

 最終的にはバルバロスの欠片も埋め込まれていないようなので問題無いと判断されて、着て来た衣服を纏わせたままお部屋にご案内したのだ。

 

「まぁ、取り敢えず。お話しないとな。此処で見ててくれ」

 

 隣室から出て予め研究所内の人間に頼んでいた食事を載せたカートを押して部屋に入る。

 

 分厚い採光用の嵌め殺しの窓。

 

 その光に照らされたのは背は中背の痩身の少女だった。

 

 恐らくアバラが浮き出るギリギリの体重。

 

 白み掛かった髪はお河童頭でボサボサで枝毛塗れ。

 

 瞳はギョロリとしており、青白いと評せそうな肌は不健康に見える。

 

 まぁ、それでも健康診断をした女医の話ではあくまで体質。

 

 つまり、健康体らしい。

 

 多少の疲弊はあるものの。

 

 躰には旅で付いた傷らしいものもなく。

 

 足の指の皮が厚くなっている事から随分と歩かされたのではないかとの事。

 

「初めまして」

 

 カートを押して入って来る自分に一瞬ギョッとような表情をした少女はカートの上にあるのが食べ物の類だと気付いて、安堵したようだった。

 

 取り敢えず、カートの上にある食事。

 

 研究所の食堂で造ったレシピ通りのラーメンと焼き餃子と湯で麦をご飯染みて持ったヤツにスプーンとフォークを付けて相手の前に並べる。

 

「……ぁ、ぁ、ぁの……」

 

「?」

 

「……どぅして?」

 

 まるで蚊の鳴くような声だった。

 

 引っ込み思案で僅かに掠れる声。

 

 声帯の状態は精神や肉体の健康状態にも左右されるが、若い内に掠れ気味であるというのは珍しい気がする。

 

 子供の時に保育環境が良くなかったか。

 

 低体重などで生まれて来たか。

 

 少なくともあまり良い環境ではなかったのではないかと推測出来る。

 

「これはお前の分だ」

 

「……?」

 

「何も入って無い。いや、ウチの食堂の材料だけしか入って無い。安心して食べていいぞ」

 

「………っ」

 

 ゴクリと少女の喉が鳴る。

 

 それと同時にグギュルと少女の腹部も鳴った。

 

 拷問と尋問はこちらでやると憲兵隊には根回ししていたので乱暴はされなかっただろうが、それにしても怯えた瞳が食事とこちらを交互に何度も見やる。

 

 挙動不審というよりは落ち着かない状況で出された食事をどう考えるべきか分からないのだろう。

 

 だが、それを考えられるというだけで現状では理解力に問題は無いと判断出来る。

 

「こうやって食べるんだ」

 

 スプーンで湯で麦やラーメンのスープを掬って口に運び。

 

 フォークで麺を巻いて口に入れ、餃子も付き刺して食べる。

 

「……香辛料の配合間違えたな。これ……はぁぁ(*´Д`)」

 

 安全性を見せてから料理の皿を相手に押しやる。

 

 顔色が青白い少女はおどおどしながらも震える手で食器を持って、先程食べていた自分を真似して食事し始めた。

 

 パクリ。

 

 というよりは控えめにハムリ。

 

「ッッッ――――」

 

 思わず食器を器の上に落として口元を両手で抑えた少女が……吐くかとも思ったが、数秒後にボタボタと大粒の涙を流し始めた。

 

 それからすぐにフォークやスプーンで料理を掬って泣きながら食事し始める。

 

 その勢いは凄まじく。

 

 どうやらお腹は空いていたし、まともな食事も食べた事が無かったらしい事は解った。

 

 それから夢中で食べる少女が落ち着いたのは全ての容器が空になってからだった。

 

 猫や犬ならば満腹だと安堵した表情になっているだろうところ。

 

 少女は口元を汚したまま。

 

 涙を袖で拭いて、こちらを見やった。

 

「な、なに、すればぃぃ? それともフェグの、からだ、使ぅ?」

 

 どうやら元奴隷か娼婦当たりなのだろう。

 

 おずおずと代価を訊ねて来る当たり、虐げられまくりな人生を送って来たようにも見える。

 

「話が聞きたい。今までのお前の話を……聞かせてくれるか?」

 

「フェグのはなし?」

 

「ああ」

 

「ぅん。ぅん。ぃぃょ……」

 

 どうやらフェグと言うらしい少女はポツポツと自分の身の上話を始めたのだった。

 

 *

 

 端的に言うとあちらでの奴隷と左程変わらない最貧層の虐げられた人間らしい。

 

 スラムで日常的に暴力に晒されたり、男を取って娼婦をしてたら金も貰えず強姦被害にあったり、思い出してメソメソし始めた少女である。

 

「ぅぅ……ぁぅ~~~(泣)」

 

「よしよし。で、どうしてお前は此処まで連れて来られたんだ?」

 

「え、ぇさって、言ってた。フェグ、買った人。ぇぐ」

 

 鼻水を涙塗れの顔をハンカチでフキフキ聞き出す。

 

「エサ、餌?」

 

「バル、何とかに食べさせるって、ふぐぅ~~~?!」

 

 フキフキ。

 

「なるほどなるほど。もしかして、ゼアモラの餌扱いだったのか? 最初から帝国に居ない人間を使えば、維持費用で人間を消費してもバレないと考えたのか? それとも……」

 

「ふぐぅ~~~~っ」

 

 ようやく泣き止み始めたフェグはこちらを見つめて来る。

 

「まぁ、身寄りがないなら近くの孤児院を紹介してやる。真っ当に飯が食べられて、普通にお手伝いすれば、長く居座っても怒られないところがある」

 

「ほ、ほんと?」

 

「ああ、落ち着くまでは此処にいていい。食事はまた持って来るから、それまでこの部屋使っていいぞ。毛布だの何だのは運ばせる。それと身体はもう一回隅々まで洗ってから新しい服も支給する」

 

「ふく?」

 

「その着てるヤツより着心地良いのをやる。それ以外持ってないって話だが、必要無いなら後で捨てといてもいいか?」

 

 コクコクと少女が頷いた。

 

「じゃあ、飯はまた持って来るから、しばらく此処で―――」

 

 席を立ってカートをその場を後にしようとした時だった。

 

 視線を離した瞬間。

 

 片腕が突如としてドスリと痩せっぽっちなフェグの胸元に指先を突き入れていた。

 

「―――ぁ」

 

 同時に猛烈な勢いで血ではない青黒い何かが胸元から噴き出し、悲鳴を上げるかのようにビチビチと粘性を帯びて周囲に散らばり、動かなくなっていく。

 

「殺すな……」

 

 ビクリとこちらの剣幕に反応したかのように変化していた腕が通常のものへと変化して沈黙する。

 

「ぁ、ぇ?」

 

「血液、血管の中にいたのか……さすがに見つからないわけだ……」

 

「ぃ、ぅ……」

 

「目を閉じろ。ゆっくり……」

 

 フェグの内部で腕が動かないように固定化しながら、指先が貫いた胸元の動脈の先から何かが溢れていくのを感じて唇を噛む。

 

「ヤバイ力だって言うなら、人間一人助けてみせろよ。クソ……」

 

「ぁ、ぅ、へ、ふへ……」

 

「どうして笑ってるんだ……お前……」

 

「だれかに……やさしくぅ……はじ、めて……らか……」

 

 奥歯が割れるのではないかと思う。

 

 だが、それは今必要無い感情だ。

 

 見送られるのならばまだしも、こうして自分の力の無さで誰かを見送るなど、それは正しく敗北だ。

 

 少女の命一つ護れず。

 

 幼馴染一人最後まで面倒も見れず。

 

 未だ探し回っても見つからない。

 

 そんな無能の敗北なのだ。

 

「―――何かして欲しい事はあるか?」

 

「このぉ……まま……」

 

 薄っすらと出会ったばかりの少女が目を閉じていく。

 

 溢れていくものが指先から零れて―――。

 

「マヲヲ?」

 

「ッ」

 

 黒猫がそこにいた。

 

 テーブルの上でラーメンの器を見て、いいな~と何か羨ましそうな顔でいた。

 

「マゥヲ~~?」

 

 不思議そうな顔で首が傾げられる。

 

 その片手が自分の腕を示していた。

 

「この力でどうにか出来るって言うのか?」

 

「マーヲ」

 

「生憎とやり方が分からないな」

 

 トントンと肉球が自分の頭をテシテシと突く。

 

 それはまるで考えろと言われているかのようだった。

 

 考える。

 

 思考する。

 

 自分の肉体が変化する。

 

 一度も自分の思い通りにならなかった変化した腕を使う。

 

「………血を止めろ。血管を修復しろ。肺の傷を塞げ、骨を繋げろ」

 

 命令してみる。

 

―――途端、だった。

 

 溢れ始めていた血管からの出血が指先から何かが出ると同時に止まった。

 

「!?」

 

 ゆっくりと一人手に腕が引き抜かれ、その正体が露わになる。

 

「クラゲの……」

 

 あの透明な粘体の触手に似た何かが死に掛けているはずの少女の胸元から引き抜いた指先から出て、開いた穴の先の傷口を塞ぎ。

 

 剰あまつさえ、その指先の傷がゆっくりと細胞の増殖からか熱くなり、破れていた動脈が周辺からの細胞片の急激な増殖で塞がっていく。

 

 そうして、フェグの胸元の食道や肺までも傷付けていた傷口。

 

 ソレの先から再び黒い何かが透明な粘体を通して床に吸い出されて動かなくなっていく。

 

 最後の一滴が指先から下に滴った後。

 

 胸骨を割っただろう場所に白い鱗状のものが生え始めて、内部に穿孔。

 

 ソレが断ち割れた骨を埋めているのだと分かった。

 

「コレは……イメリの?」

 

 貫かれた胸元の中心部からまるでブローチのような鱗を張り合わせたような部位が肌を覆うように出現してコキコキと何かが成長するような音と共にピシッと最後に固まり切って止まった。

 

 まるで、止まっていた時が動き出したかのようにフェグの身体から力が抜けてクッタリとしたが、腕には脈がある。

 

 すぐにバタバタと周囲から人が集まって来たのが解った。

 

『大丈夫ですか!! 姫殿下!!』

 

「ああ、消毒用のアルコールと抗炎症剤、鎮静剤、それから危険液状標本採取用の道具と生物災害を焼き潰す硫酸を持って来てくれ」

 

『はい!! 直ちに!!』

 

「んぅ……ぁれ?」

 

「……悪いな。巻き込んで」

 

「フェグのこと……使ぅ?」

 

「ああ、こうなった以上、オレがお前のご主人様だ。死ぬまでくらいは面倒を見てやる。だから、簡単に死んでくれるなよ……」

 

「………ふぁぁ……ぅん」

 

 何故か顔を綻ばせて、少女は良い笑顔で頷いてから意識を失った。

 

「お前もそろそろ何があったのか教えてもら……いないのかよ」

 

 黒猫はテーブルの上にはもういなかった。

 

 神出鬼没である。

 

 もしかしたら、幽霊のような実態の無い類か。

 

 あるいは空間を超越した存在なのかもしれない。

 

 *

 

「あ、あの~~~姫殿下はこちらにいらっしゃいますか?」

 

 研究所の一角。

 

 医務室でフェグが精密検査を受けている最中。

 

 通路の角から姿を現したのはエーゼルだった。

 

 姉は未だ講義を履修中らしいが、彼女に限っては学院で学ぶ事の大半は才媛と称される程度には全て理解している。

 

 ついでに電気関連の技術研究論文をひっそり図書館に寄贈していたので姉との昼食や図書館での調べもの以外の研究関連の時間は多くが研究所に現場を移す事になっていた。

 

「こちらにいます」

 

「は、はい。その……大変だったそうで……お怪我が無くて良かったです」

 

 おずおずとやって来た彼女がそうホッとしたように息を吐く。

 

「何も良くありません。血液に潜むバルバロス。恐らくは罠として使われたゼアモラよりも更に性質の悪い寄生型です」

 

「はい。お話は他の方から……」

 

「血液、血管内部に潜られては現在の検査方法では発見しようが無いという点においては致命的です。いきなり、動脈を切り裂いて寄生されているかどうかを確認するのは無理があります」

 

「……その寄生していたバルバロスは?」

 

「死体の一部を回収後、殆どは濃硫酸で焼き潰してから建材毎運んで他の生物細胞を破壊する薬品を念入りに投入。後日、硝子に混ぜ込んで固めて岩盤の厚い場所を選んで埋葬処分します」

 

「ね、念入りですね……」

 

「正体が分からないままでは仕方ありません。もしも空気感染する類の代物だったら、今のところは手の施しようがないですし、接触感染する類のものなのかも不明です」

 

 溜息を吐く。

 

「今日から毎日血液検査を義務付けて、接触者や同じ空間にいた人間は随時、血液に異常が無いかを各種の検査薬と目視で確認します」

 

「解りました。それで用があって呼ばれたとの事なんですけど」

 

「はい。貴女には当施設の顕微鏡に付いてはお話しましたよね?」

 

「え、ええ。アレはスゴイと思いますが」

 

「他にもこれから電気関連の研究機材開発が始まります。現在の研究の多くは工場の生産現場の為のものですが、貴女には研究機材。実際には電気を用いた複数の実験器具の開発をお任せします」

 

「実験器具。つまり、この研究所で使われている機材の電気を用いた新たな道具の作製、ですか?」

 

「必要なのはバルバロスの実験と検証が出来る精密機材です。貴女が作っていた電気回路などを用いて、更に簡便で使い易いものをよろしくお願いします」

 

「わ、分かりました!! そのお話、確かに!!」

 

「これから先、回路を小型化、集積していく事になるでしょう。その方式と機材の企画、その他の幾つかの基礎的な技術はお渡しします」

 

 その言葉に初めてエーゼルが驚いた様子になる。

 

「電気回路による計算器の開発。まず目指すはソレです。本来ならば、技術蓄積と実現に数十年以上掛かるところですが、こちらの知識で保管致します」

 

「その……その知識は何処から? まさか、御一人で……?」

 

「秘密です。基礎的なわたくしが与える知識以外の部分はとにかく実験と検証を繰り返すしかありません」

 

 本当の才能というのだろう。

 

 エーゼルは個人的に極めて原始的ながらも電気を用いる回路を作っていた。

 

 基本は銅線に原始的な電池染みた硝子容器と硫酸を用いた代物だ。

 

 何でも大昔から散見された雷を用いようとした研究者達の文献を集め、自分で考えてこういう物質で雷が出来ないだろうか。

 

 出来るのならば、それを流して使えないか。

 

 自宅にある倉をネズミや小動物から護れないか。

 

 というところから研究をスタートしたらしい。

 

 貧乏貴族の最下級である男爵位である実家における大勢の兄弟姉妹を食わせる為の代物であると聞けば、涙する者も多いだろう。

 

「期限はお有りでしょうか……」

 

「今後、各方面から研究所に専門家を更に集める事になっています。そちらの200人からなる研究班の統括も共にお願いします。期限は切りませんが、足踏みも出来れば避けて下さい」

 

「足踏み、ですか……」

 

「朝昼晩。3交代制で昼夜無くの研究スケジュールです。その為の機材の確保はもう終了しました」

 

「機材?」

 

「こちらです」

 

 通路を歩いて先日から硝子製品を作っている研究班の製造ラインに向かう。

 

 研究所の奥の奥。

 

 そこでは硝子を溶かした炉の温度で未だ熱いでは済まない熱気が工房の奥から吹き抜ける風にまで乗っている。

 

「皆さん。よろしいですか?」

 

 扉の前でそう言うと奥から次々に汗だくの職人たちがやって来た。

 

 白衣の研究者、現場の技術者共にガスマスク姿だ。

 

 だが、その襟元は垢染みているし、中には上半身裸で捩じりハチマキ一つという相手もいた。

 

 金属加工の現場と同じく金属を蒸着してマジックミラーを制作したのも彼らであり、その技術力は確かに日進月歩であった。

 

「姫殿下!? このようなお見苦しい場所にわざわざ!?」

 

「ど、どうも!? ああ、参ったなぁ。こんなナリですいやせん」

 

「姫殿下自らこの場所に脚をお運びに……ありがたい事です」

 

 頭を下げる全員がガスマスクを外した。

 

「皆さん。例の品はもう必要分出来ていますか?」

 

「はい!! アレですね?! 全館分は終わりました。現在暗室で試験900時間を超えたので1か月以上は持つ計算ですよ」

 

「よろしい。アレの実装と施工を前倒しします。皆さんの汗と努力の結晶をエーゼルさんにお見せ下されば」

 

「わ、分かりました!! すぐに」

 

「一体、此処で何を?」

 

 エーゼルが困惑している間に男達の1人が木箱を持って来て、こちらがいるテーブルの上で開いた。

 

「この雫型のコレは……内部に線?……ッッ」

 

 エーゼルは気付いたらしい。

 

 ソレが何なのか。

 

 形とその他の部分に付いてもすぐに何がどうなれば、自分に繋がるのかが解ったようだった。

 

「これはもしかして……電気で光を灯すものですか?」

 

「ええ、電球と言います」

 

「でん、きゅう……昼夜無く。そういう事ですか……まさか、この方達が?」

 

「原案はこちらで。形にして下さったのは皆さんの功績です」

 

「そ、そんな事ありませんよ!? 材料の指定や太さ長さ、何から何まで適切で本当にもうコレは姫殿下がいなければ、出来るようなもんじゃありません!?」

 

「ええ、ええ!! 本当に姫殿下の指導無くては無し得ねぇもんですよ!!?」

 

 エーゼルが電球を凝視して、マジマジとソレがどうなっているのかを確認して、こちらを見やる。

 

「これより帝国中から研究者を集め、この研究所も大きく為ります。皆さんは多くの方々と此処で交代しながら、研究開発をして貰う事になる」

 

 ゴクリと班員が大きく息を呑んだ。

 

「皆さんは先駆者です。後続の方々の目標となり、また切磋琢磨し、基礎的な知識の集積を軸にどんな加工、どんな要望にも応えられるよう技術力を、精度を、それを可能にする道具を、それを使いこなすご自分を整えて下されば幸いです」

 

 男達が軍隊みたいに背筋を伸ばして敬礼してくれたのでこちらもそれで返す。

 

「では、エーゼルさんには此処で一つ最初の仕事らしい仕事をして貰いましょう」

 

「仕事らしい仕事、ですか?」

 

「全館への施工時に電球を安全に作動させ、停止させる事の出来る回路と機材の開発を命じます。確率は低いですが、落雷時でも壊れない。緊急時には一斉に点灯と消灯までこなせるような機材が必要です」

 

 その言葉にエーゼルが、ゴクリと唾を呑み込むものの頷いた。

 

「では、後は皆さんの仕事です。まずは作る事。そして、それを実用化する事。最後にその実用化に必要な資源や資金を技術力で少なく出来ないか見当。これらが今後の研究所の基本となるでしょう。よろしくお願いします」

 

 頭を下げると下げ返される。

 

 後は皆さんでどうぞと言い置いて厨房に向かい。

 

 暑い場所に冷たいお茶の差し入れを頼んでから研究所の外に視線を向ける。

 

 外にはもう青々とした葉だけではない。

 

 枯れ葉が落ちる樹木もちらほらとあった。

 

(容赦なく潰させて貰おうか。バイツネード……秋も冬も春もあっと言う間だぞ?)

 

 季節は加速していく。

 

 それは間違いなく過ぎ去り始めるのだ。


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