ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第43話「手紙」

 

「【領主(マジェスト)】の職を辞した、と」

 

 帝国最悪の将【醜悪将グラナン】。

 

 そう呼ばれている男は現在、お茶菓子を喰いつつ、静かに頷いていた。

 

「ええ、今は単なるグラナンですよぉ……」

 

 ビスクードから部隊の隊長として新規に宛がわれた人材を紹介されて3日。

 

 当時、戦っていた相手が自分の実質的な部下に加わるという奇妙な邂逅から色々と相手の身辺整理が終わってからとの話を聞いて待っていたのだが、本日遂に竜騎兵達を預かる事になる帝都郊外の新校舎。

 

 竜を世話する為の綺麗な水と牧草地帯や岩場がある小規模な300m級の岩山の脇へ男は越して来ていた。

 

 帝都から馬車で30分程のところである。

 

 周囲に民家は無く。

 

 大規模な帝都に食肉を供給する為の牧場が隣接している。

 

「そういう事でしたか」

 

 校舎は帝国陸軍が急ピッチで建てた代物だが、帝都の大工を数百人一気に導引して2週間程で建てたらしく。

 

 真新しい木の匂いがしていた。

 

 普通の木造校舎のように見えるが、通路の殆どが難燃処理をされた木材であり、竜を入れる厩舎はかなり大規模な代物が山の岩肌の窪みなどを利用して建てられており、帝都の水源の一つである湧き水などを用いて下水処理用の水路が一応は整備されていた。

 

 元々は馬を大々的に増産する為の設備だったらしいが、前線が停滞していたこの数年で計画は停止していたとの事。

 

「実は家の長男がようやく領主としてやっていけるくらいの子に育ちましてねぇ。三年前の戦いで脚をやられて、隠居状態だったんですよぉ……」

 

「そこでビスクード閣下に声を掛けられた、と」

 

「まぁ、それまでも新設される部隊の教導官みたいな事はしてたんですけどねぇ……寄る年波には勝てないと田舎で部隊練兵の教本や指導要綱などを書いて生活してたんですよぉ……」

 

「実績はあるわけですか。軍としても人材の引き抜きで前線が痛まないなら、何ら問題無いと……」

 

「ええ、安月給ですが」

 

「貴方のような卑怯な方がまともに老後を暮らせている。くらいの話ならまったく諸手を上げて現在の軍の状況は悪くない、と言えますね」

 

「皮肉ではなく?」

 

「貴方の戦歴と経歴を考えれば、戦争に負けたら敵国から大罪人扱いでしょう。貴方を知る故郷以外の人々もそれには同意するはず。実際、卑怯な事はお得意だったでしょう?」

 

「それは否定しませんよぉ? 戦は帝都で言われているような綺麗事ではありませんし……」

 

「軍の体質的な問題は理解しているつもりです。進んで泥を被ってくれる貴方は正しく軍のお偉方からすれば、重要な役割を担ってもいたでしょう」

 

「はは、そこまで解るんですか?」

 

「軍の現在の行動指針が戦後に面倒になりそうな民族を焼き潰す事なのは想像が着きます。平和な時代になった後、文句を言う少数民族が残っていなければ、土地も含めて正式に所有出来るし、帝国は非難される事もなく安泰でしょうから」

 

「………本当に見て来たように言うんですねぇ。ええ、それを理解出来る者は殆どいないと思っていましたが……」

 

 グラナンがお茶を飲みつつ、感心した様子になる。

 

「一番の卑怯なところは奴隷にされた人々が帝国ではなく。帝国以外の国で勝手に奴隷というだけの理由で絶滅するところでしょう」

 

「……一応、大本営の機密なんですがねぇ……」

 

「戦後処理というべきものを全て他国に押し付けて戦乱の後には殆ど国際的な主張をする程の数も残らない……」

 

「はははは、そこまで見通しているとは……末恐ろしい方だ。貴方も閣下も……」

 

「ですが、それは各国の人権状況が急激に進展せず20年30年経った場合の話ですし、想定よりも多くの奴隷が祖国や故郷を取り返す為に勢力を形成すれば、最終的には軍部の予想が破綻する可能性も高いでしょう」

 

 お茶が再びポットから注がれる。

 

「そうなると?」

 

「兆しがあります」

 

「で、新たな上司たる姫殿下は如何なされるんですかねぇ?」

 

「貴方は本当の卑怯者でしょうが、だからこその仕事があった。此処ではその手法を少し変えて、最も残酷で卑怯な敵として子供達に殺される覚悟で心を病まない程度に教育して頂きたい」

 

「カッカッカ!!! まさか、敵国に恨まれるならまだしも、今度は自国の子供に憎まれ役を買って出る事になるとは……いやはや、我が人生も此処に極まりましたねぇ♪」

 

 大笑いした男がクツクツと笑みながらこちらを見やる。

 

「解りました。その点、重々承知しましたよぉ……最悪の敵となって子供達の超える壁になれと」

 

「物分かりが良くて助かります。こういった点で汚れ役をしてくれる人材は本当に貴重ですから。勿論、その為の今後予想される技術戦術戦略に対する知見と兵器類の対応策も全て供与致します」

 

「……それは子供達が戦線に出る事になると?」

 

「5年後、10年後までには恐らく」

 

 初めて男の瞳が俯けられた。

 

「嫌な話ですねぇ。まったく……これが敵国の最中ならば、別に構わないと思う程度には良心も残っているのですが……」

 

「子供達には自分と部隊を護る術。生き残る術。その為に必要な全ての知識・戦術・戦略、戦わずに勝利する術を授けます」

 

「戦いもしないのに勝つと?」

 

「戦闘よりも戦闘の後や前の方が難事である事の方が多いのです。貴方はそれに精通している」

 

「さすがに持ち上げ過ぎな気もしますが?」

 

「貴方は敵を滅ぼす事に特化して卑怯であり、嘘を用いた。これは単純に裏返せば、その逆ならば、敵を敵にしない時間稼ぎや相手に本気を出させないという類の対話による工作にも繋がる」

 

「つまり、子供達には吾輩や吾輩が考える最悪の悪夢。そのような輩に対する術と吾輩とは逆に敵の戦意を挫く為の術を授けろ、と」

 

「敵と和解する術や敵を敵にしない術の方が今後の苦戦以上の敗北を経験するだろう戦闘ではよっぽどに役立つ。これは軍の教練ですが、子供達には話術、対人交渉術などにも知識を与え、幅広く網羅させて下さい」

 

「まるで工作員を育てるかのようで……」

 

「数がどうしても少ないので部隊単位で使うよりも工作員のように使う方が多くなります。それ故に単独で生き延びられる生存能力と、どうしても戦わなければならない場合に少しでも単独で戦闘を優位に運べる知力が必要です」

 

「まるで英雄を育てろと言われているような?」

 

「今の将校は過去の人々からすれば、十分に英雄的な戦いをする事もあるでしょう。ですが、それは戦う事ではなく。それ以外の面でという事が多いのでは?」

 

「ふぅむ。確かに……」

 

「もはや戦争は個人の戦闘技能ではなく。兵器の質と兵員の教養による高度な戦術、戦略における大規模化する戦闘への適応で成り立ちつつあります」

 

「それに根本的な対処として優秀な兵員は必要ではあるが、その中身はより高度化していると?」

 

「徴兵ではもはや兵員を賄えなくなるでしょう。ならば、この際、少数精鋭の特殊工作員と外交的努力、経済的な戦術を用いた敵のやる気を削ぐ方針の方がずっと現実的なはずです」

 

「泥沼に消耗せよと?」

 

「人命以外の社会資本は今後の内政で賄います。その分の稼ぎを他国に輸出して()()()()にするのです」

 

「あははは、帝国はもはや相手を骨抜きにする毒の類ですか?」

 

「ええ、どんな相手も稼がせてくれる相手、自分の財布への比率が大きく為り過ぎた相手ならば、気に掛けるし、それとなく後押しもしてくれるでしょう。無論、その方がイジメるよりも稼げれば、ですが。それで帝国の打倒はより困難になる」

 

「他国との仲介を?」

 

「ええ、仲裁や講和時でも有利に働くでしょう」

 

「……今の帝国の強行な態度で出来ますか?」

 

「ええ、帝国が弱っていると。対外的な工作を開始している最中です。勿論、軍部の方とは別に……」

 

「敵に攻められませんかねぇ?」

 

「そもそもが時間の問題です。早まるのならば、時間が解るという事。それまでに準備が出来るという事に他ならない。そして、早めたら相手だって早まった故の対応をせざるを得ない」

 

「こちらに優位な形で泥沼に引き込んで消耗を抑制……ふむ。光明くらいは見えて来ましたか……」

 

 グラナンが僅かに目を細めて頷く。

 

「明日には子供達が来ます。それまでに役柄を固めて頂ければ」

 

「解りました。全ては貴女の言う通りに……小竜姫殿下」

 

「では、これで」

 

 立ち上がると僅かに背後から声が掛かる。

 

「こちらは任せておいて下さい。ああ、そう言えば、彼に付いてなのですが」

 

「ウィシャス中尉ですか?」

 

「ええ、彼は色々と現在面倒な立ち位置でしてねぇ。出来れば、優しく扱ってやって下さい」

 

「優しく、ですか?」

 

「はは、間違っても社会悪的な面は出さない方が良いでしょうねぇ。彼の正義は少なくとも帝国にすら牙を剥くでしょうからねぇ……」

 

「覚えておきます」

 

 現場となった校舎奥。

 

 グラナン用の隊長室を後にして玄関先に向かうと玄関で直立不動の軍装姿の青年が周囲の警戒をしつつ、こちらを向いた。

 

「ご苦労様でした。姫殿下」

 

「苦労はしてません。物分かりが良過ぎて涙が出るくらいに優秀なのが心底ありがたくなっただけです」

 

「―――そう、ですか。グラナン卿は此処で竜騎兵の隊長、教官として教練をする予定との事ですが、自分に付いてはどうなっているか伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「竜に乗りたいですか?」

 

「御命令とあらば……」

 

「では、竜の乗り方だけは今度この学校で学んで下さい。それとウチのメイド達がいない場合、代わりに日常の警護を。閣下から貴方の優秀さは聞いております」

 

「ご期待に沿えるよう粉骨砕身する次第です」

 

「……その言葉遣いも結構。余計な修飾も要りません。それともしもの時の為に必要ならば、姫殿下ではなくフィーと呼ぶ事を許します」

 

「恐れ多い事です。承知致しました」

 

「口調……」

 

「わ、分かりました。こ、これでいいでしょうか?」

 

 さすがに狼狽えたウィシャスが口調を治す。

 

「よろしい。敵と遭遇した際に明らかに身分を隠す必要がある場合などにはそのようにお願いします。こちらも日常的には学院以外では会話であまり畏まった物言いをする事はありません」

 

「ハッ」

 

「今後、北部同盟や西部への遠征。更には南部皇国に向かう際には男のような言葉遣いも必要。という事で……」

 

「?」

 

「これからはこんな風に話す事になる。慣れておくように」

 

「ッ―――ハッ!!」

 

「違うな」

 

「……分かりました。フィー」

 

「それでいい」

 

 一瞬、こちらの変わりように驚いた様子だったが、すぐに冷静になったウィシャスが敬礼を解いて、校舎前で待っていた馬車に同乗する。

 

「では、これからお前に預ける装備に付いて解説する。細かい疑問や問題点の類はこの資料に書いてある。説明の後、暗記したら燃やせ。書かれてない問題点に気付いたら、すぐに報告してくれ」

 

「解りました」

 

 場車内部に持ち込んでいた一通りの拳銃と弾の扱い方を教える。

 

「こんなものが……」

 

「バイツネードも同じようなものを使ってくる。先日の襲撃の際に持ってたのはこれよりも大型で取り回しも悪く命中精度も知れているものだったが、改良が進めば、コレよりも飛距離が長い矢より強力な得物として使ってくるだろう」

 

「避けられませんか?」

 

「常人に避けられる速度じゃない。それこそバイツネードのバルバロスの一部を埋め込んだヤツでもどうかな……」

 

「つまり、相手の射線に入らないか。相手がこちらを照準するより速く動くか。または相手に撃たせないかという事になるのですか?」

 

「そういう事だ。お前に渡した銃弾は全て通常弾だが、まだ暴発の危険がある。衝撃と熱は銃弾の天敵だ。暴発したらケガじゃ済まない」

 

「それも含めて危険な兵器という事なのですね」

 

 ウィシャスが渡された拳銃を見やって握り締める。

 

 その手はあの時のテイザーによる大電流が奔った後。

 

 火傷が袖の奥に続いていた。

 

「運用方法は伝えた通りだ。実際の試射はウチの研究所内の射爆場で行ってくれ。研究所内部は軍人であるお前に見せられない情報や技術の山だ。極力、自分が使う装備や情報以外には触れないように」

 

「解りました」

 

「研究所内で腕を磨くのに幾らでも銃弾は使ってくれて構わない。ただ、まだ暴発の危険から弱装弾。威力と暴発時の破壊力が低いものになる。指が折れたり、肉が抉れる、火傷するくらいのケガは覚悟してくれ」

 

 ウィシャスが頷く。

 

「後、この装備は現在も軍に装備させるつもりはない。理由は暴発の危険性が高いだけでなく。相手に奪われても全方位が敵である帝国には致命的だからだ」

 

「回収されては事ですか?」

 

「軍の改革、教育が済んでいない現状、これは回収する事を前提にしてでしか国内で軍への供与も使用も許可しない。例外は研究所内の人間と貸与された人間だけだ」

 

「つまり、自分のような協力者にのみ?」

 

「量産化は進めてる。それを製造する為の工場も含めて来年までに1000挺。その殆どの試作量産品は全て北部と帝国の竜騎兵への装備とする」

 

「竜の機動力と超射程を生かす装備、ですか?」

 

「竜騎兵の正式採用装備は三種。制空兵装、対地爆撃兵装、最後に戦略兵装だ」

 

「戦略?」

 

「……この兵器は竜騎兵の標準装備となるが、もしも敵となる存在が来たならば、数と練度で押し潰される。故にそれを押し返すだけの質が要求される」

 

「それを竜騎兵となる子供達に?」

 

「北部同盟で先行試験中だ。だが、最後の戦略兵装だけは国が滅びても使わない。威嚇用の代物になる」

 

「威嚇用?」

 

「……国を亡ぼすのに足るという事だ」

 

「ッ」

 

「無論、それを喧伝する為の兵器になる。相手もまた同じような兵器を竜騎兵のような航空戦力に積む可能性が高い。なら、どちらも相手を必殺出来る切り札を防げないならば、どうなる?」

 

「事態が膠着する?」

 

 半ば呆然とウィシャスが呟く。

 

「そういう事だ。戦略兵装は同時に二つ以上互いに予備となる形で離れた場所に保管して運用する事になる。現時点では帝国と北部同盟に一つずつ。更に不安定化した西部にも……」

 

「どうして自分に?」

 

「倫理と道徳に優れ。相手を畏怖させるに足る戦果を残せる実力を兼ね備えた上で相手が使用したら使用する。そういう事を相手に印象付ける存在が必要だからだ」

 

「………それは」

 

「閣下からの報告書ではお前が前線から軍に抗命した上で敵国の重要情報を持つと推測される民間人を連れ帰った事も書かれていた」

 

「はい……」

 

 ウィシャスの顔が僅かに引き締まる。

 

「重度の火傷を負った民間人のその後までは調べられなかったが、当時の閣下の寝所に押し掛け、もしもの時の為に師団長級の人材に預けられる万能薬を供出するよう掛け合った旨の噂は後方に戻った人間にも残っていた」

 

「………自分は重要な証言が見込める民間人を救っただけです」

 

「救ったという事は生きているのか?」

 

「お答え出来ません」

 

「それはお前にとって今の上司に等しい相手からの命令でも?」

 

「………」

 

「理由は?」

 

 さすがに何も言わずというのは苦しい。

 

 そう思ったのか。

 

 しばらくの沈黙の後。

 

「……あの時、自分は閣下に情報をお約束しましたが、【彼女】は記憶を失っておりました」

 

「………それが軍の報告書にも記載されていないお前が閣下に重用される事になった切っ掛けか」

 

「肯定です」

 

「つまり、今の話を総合するとお前は抗命罪で処刑される事を猶予されている代わりに閣下の子飼いとなり、救った民間人は記憶を失っていた故に罪無しと何処かで保護している。という事とこちらで勝手に理解する」

 

「………」

 

 ウィシャスの顔はまったく揺るがなかった。

 

「その民間人が生きているのは別にいい。敵国の人間とはいえ、重要な情報を持っていたかもしれないなら、命令に背いても救う価値はあっただろう。だが、もしも相手を情報を持っていないからと放って置いているなら問題だ」

 

「……民間人とはいえ。重要人物であった為、敵国に再び返す事も出来ませんでした。故に今は信頼出来る場所で養生して頂いています」

 

「そうか。なら、こちらから言う事はない。お前は正しく、今閣下の師団が相対している国からすれば、極めて重要な立ち位置にいる存在という事になる」

 

「……そう、かもしれません」

 

「これからお前の名前を使って閣下には戦略兵器の情報をそれとなく流してもらう事になる。憎まれる準備をしておけ」

 

 その言葉に青年はこちらを見つめる。

 

「その覚悟ならば、軍で初めて人を殺した時に終えています」

 

「そうか。軍の機密で塗り潰された報告書が多くて当時の情報には分からない事も多かったが、それなら問題無い」

 

「問題?」

 

「自分の家族を護れるだけの力を付けろ。復讐や憎悪によって駆り立てられた人間がお前の大切なものを破壊しても取り乱さないくらいの強さをな」

 

「……それは軍人として、ですか?」

 

「生憎と人間として、だ」

 

 無理難題を言われたようなものだろう。

 

 だが、ウィシャスの瞳はこちらの言葉を真正面から捉えていた。

 

「どんな悲劇も憎悪も、感情を前にしても受け止め、背負いながら歩き続けるだけの強さが無ければ、これからお前が持つ事になるだろう力は大き過ぎる……」

 

 こうして馬車が帝都へと戻る最中。

 

 話し込みながら、相手の性格と現在の状況を分析していく。

 

 これから何が起こるにしても、自分の事だけは秘さねばならないだろう。

 

 転生。

 

 それが魔法か科学か超常的な理由か。

 

 そのどれだとしても現状の自分の周辺環境を変えてしまう切っ掛けになるかもしれない事は間違いないのだから。

 

 *

 

「これから何処へ?」

 

 帝都まで戻って来た馬車を降りたのは帝都の大通りから少し離れた貧困層……と言っても帝都内では貧困な方であるというだけのダウンタウン。

 

 要はエルゼギア時代の旧市街地だった。

 

 アバンステアの首都エレムになって以来、商業と政治の中心が北寄りの宮殿域の方へと更に移された為、現在は帝都でも複数の市場がある地区は徴税的にも帝都財源の全体の20%と新興商業街には及ばない。

 

 それでも帝都民の多くは従来のエルゼギア時代から変らず市場の周囲では活発であり、治安があまりよろしくないとはいえ、それでも男が1人で夜出歩く程度ならば問題無いくらいには収まっている。

 

「ちょっと、視察だ」

 

「視察?」

 

 女性ならば、悪い連中に言い寄られるくらいの事はあるが、さすがに暴行事件や婦女に対する誘拐事件は起こっていない。

 

 現在の祖父が帝都で行った苛烈な犯罪者への恐ろしい刑罰の数々は未だ人々の脳裏にあり、あまりにも畏れられた結果として犯罪者紛いの連中でさえ、一線は引いており、必要以上の犯罪には手を染めない。

 

「今稼働中の工場で作ったものを帝都で売ってるんだ」

 

「商品の売れ行きを見に来たという事ですか?」

 

「ああ、色々と文化的なもので思想に革命を起こしてやってる最中だ」

 

 拉致誘拐や婦女暴行などの奴隷売買以外の人身に対する棄損は最たるものであり、一定金額以上の賭博、詐欺や相手の人命や四肢に障害が残るような暴力案件も徹底的に取り締まった。

 

 それも当時、大貴族や自派閥の人間すらもその範疇に入った事で大きな波乱もあったそうだが、その殆どが処刑された事で誰もが大公の名の下に今まで正当化してきた平民農民への日常的な蔑みや暴力沙汰の隠蔽が不可能になり、かなり庶民には畏れられつつも好意的に見られたとか。

 

「思想? 革命?」

 

「まぁ、見れば解る」

 

 フード付きの外套を被って昼時の帝都を歩く。

 

 貴族のお忍びというのは帝都ではあまり珍しくない。

 

 理由は単純である。

 

 治安の維持と共に物好きな貴族の市場での買い物は帝都民も見て見ぬフリをする優良顧客獲得の機会だからだ。

 

 他の国々からすれば、理路整然と整備された市場用の巨大な街区の一角は四方300m程にも及び。

 

 数百の露店や店舗の店が帝都の営業許可証を専用のポーチに入れて腰にガッシリとベルトで固定している。

 

「いつ来ても此処は賑わっていますね」

 

「軍憲兵も此処で食事を摂ったり、ここから出前を頼んでるからな」

 

 帝都の商売は全て認可制。

 

 その上で違反があれば、今年と来年の各種税率が上乗せされる仕組みだ。

 

 更に商売をしている者が悪どい事をして逃げられないように帝都での決済は常に一週間毎の売り上げを銀行的な役割をしている商会組合が預かり、常に1週間分の売り上げが遅れて手元に来る仕組みである。

 

 この売上の預かり入れは元本が保証された上で日常的な保険料及び税以外の組合への入会金や各種組合の仕組みに入る時の資金が差っ引かれている。

 

 これで毎日のように売り上げを集計し、担当省庁の役人によって週毎に帝都内での売り上げが商会を通じて無料で公表される。

 

 情報公開を国側が強制的にやる事で透明性が高まるという事だ。

 

 勿論、これらの制度には諸外国ならば賄賂だの汚職だのが付き物だろうが、大公の就任以降、人間らしい死に方をしたい商人は役人に賄賂を送ろうなんて事はしていないし、裏帳簿も付けていないらしい。

 

「見えて来たぞ」

 

「ああ、あれは……近頃、市場で見掛ける新しい店、ですよね? 店舗型で色々と売っているのは聞いていますが」

 

「店名はエンジェラだ」

 

「……もしかして」

 

「勿論、オレが任せた商人連中に経営させてる。工場からの直降ろしだし、送料もオレが馬車の製造を取り仕切るようになってから掛かってない」

 

 どうやらウィシャスが半笑いになっているようだ。

 

 市場の一番悪い場所を頼むと言って商店を出したのが数か月前。

 

 次々に現代知識でこの時代でも造れる商品を売り出しているのだ。

 

 自前の馬車と御者による物流専用商会を立ち上げたのは北部出発前の話だ。

 

 送料無し+固定費の売り子の人件費は現在孤児院の経営者や孤児院出の若者などをこちらで取引している商会の連中に教育させながらやっている。

 

「大きいですね」

 

「ここらで一番治安が悪く、立地が悪く、最も荒くれ者が集まる一角に出店したからな。土地も格安だったぞ」

 

「何でそのようなところに?」

 

 大規模と言っても街にあるちょっと大きな本屋くらいの店舗には大量の商品を印刷した厚紙の札が下げられている。

 

 店構えは立派だし、それなりにディティールもまともで控えめなものにしてくれと言っていたので店舗としては悪くない作りだが、その商品が見えないという時点で首を傾げる者は多数。

 

 だが、ホクホク顔で出来ている列に並ぶ人間を怪訝そうに見やる者の幾人かは紙を売っているのじゃないと行列に並ぶ人々に聞いて、驚いているようだ。

 

「帝都の識字率って知ってるか?」

 

「いえ、その高い方ではないかとは思いますが」

 

「7割だそうだ。ちなみに農民及び貧民になるとこれが途端に5割まで下がる」

 

「それと出店にどんな意味が?」

 

「アレはな? 教育用の店舗だ」

 

「教育用?」

 

「あの掛けられてる厚紙は現在稼働してる製紙工場で出た屑紙を再利用して印刷した代物だ。それを店舗の店員に持って行くと商品が奥から出されてお買い上げって仕組みだ」

 

「為るほど……」

 

「此処で一つ問題がある」

 

「問題?」

 

「ここに降ろしてる商品は基本的に貧民層の為の代物だ。だが、貧民層は文字が読めないヤツが5割だ」

 

「ああ、つまり、読めないと買えないわけですか?」

 

「そういう事だ」

 

 並んでいる帝都の貧民層の多くがみすぼらしい恰好をしているが、それでも他の都市とは違って洗濯もしていれば、小ざっぱりした格好な者が殆どだ。

 

「ちなみに文字が読めない方向けな講座もやってる」

 

「講座?」

 

「商品が買えるように読み書き計算を全て無料で教えてる」

 

「そんな事まで?」

 

「講座を最初から最後まで受けた人間には毎日最後に売れ残った食品の内で消費期限が近いものが渡される」

 

「まさか、無料で?」

 

「どうせ廃棄するなら、その方が合理的だ。そもそも渡される物は食当たりしたり、その上で死んだりするかもしれない可能性が無きにしも非ずという触れ込みで配布してるわけだ。金のあるヤツは欲しいと思うか?」

 

「それは……無いでしょうね」

 

「そもそもだ。講座での拘束は4時間もある。それに最後まで付き合えたかどうかは来て最初に渡すカードで二重に確認してる」

 

「それ程の時間を読み書きを学ばせるわけですか……」

 

「単に商品が欲しい連中が入ったとしても割に合わない商品だしな。少なくとも同じ時間働けば、五倍以上の値段のものが買える」

 

「長い時間拘束されてまで欲しいヤツはいない、と?」

 

「そういう事だ。最初、無料で食料をせしめようとしてた連中はすぐにいなくなった。講座中はそこら中を憲兵がウロウロしてる」

 

「食料を後から強奪しようとする者は……この帝都にはいないでしょうね」

 

「そういう事だ。その程度の品を強奪して監獄暮らしするのは馬鹿らしいだろ?」

 

「良く考えられているようで……」

 

「ちなみに子供以外の連中には過去の自分の体験談や生活に必要な知恵や御伽噺や噂、街の雑多な情報を教える知恵袋的な事をさせてる」

 

 言っている合間にも昼間の営業が終わって、人が掃け始めた。

 

 無料で家さえ教えれば、時間をある程度指定して配達するのも請け負っている為、注文して現地で受け取らなくてもいいというスタイルでも商売しているので受けているらしい。

 

 鐘楼の鐘が鳴る頃には周囲から明らかに貧民層の子供達や少年少女が集まって来て、店先にテーブルや椅子が出されると座っていく。

 

「青空教室ですか」

 

『オレいっちばーん!!』

 

『あたしはにばーん!!』

 

『ぼ、ぼくさんばん!!』

 

『はーい。みんな集まって~~今日も講座に集まってくれてありがとね~~みんなが大人になって一杯働けるようになったら、是非ウチを御贔屓にねー』

 

 優しい女性店員がニコニコと少年少女。

 

 他にも働けなくなった高齢者などにも優しく対応している。

 

「……あの立ち振る舞い。貴族の方では?」

 

「教育者志望の女子は帝都だと多いからな。ウチに入れないくらいの学力でも十分に読み書きを教える事は出来る」

 

「それにしても高齢者や体を患っている方も来ているようですが」

 

「そいつらに対処する養老院関連に就職希望な連中を斡旋もしてる。勿論、査定する連中もいる。問題があるヤツは途中で弾かれて消える運命だ」

 

「……人材の教育、顧客の開拓、人材の選別、他にも新しい商売を試しているように見えますが……」

 

「ちなみに現在、エンジェラは帝都内で8店舗経営してる。全て、治安が一番悪いところでな」

 

「儲かりますか?」

 

「帝都全体で見れば、総合的にはあらゆる問題の抑止で資金以外の社会資源は増加中だ」

 

「社会資源?」

 

「治安の改善。子供の教育。老人の介護問題の抑制。街の雰囲気を明るくすれば、犯罪を家業にする連中も帝都から逃げ出していく」

 

「人の目が多く街頭にあるから、ですか?」

 

「解ってるじゃないか」

 

 肩を竦める。

 

「戦争中で若者が消えて、親世代を養う連中がいない。幾ら御爺様が老後保険をやらせてても限界はある」

 

 ウィシャスが子供達が文字を教えられる様子は読み書き出来ない高齢者達が子供達に何やら自慢話や昔話、様々な言い伝えやら噂で華を咲かせているのを見て、目を細める。

 

「それを人を雇って補えば、こんな店舗の売り上げはすぐに吹き飛ぶ。だが、こうやって補えば、人は人の為ではなく。己の為にやっているのに同じ効果があるわけだ」

 

「………これで改善されない問題は?」

 

「あるとも。それも随時、こんな感じで解決中だ」

 

「閣下が言っていた通り、末恐ろしい方ですね。貴女は……」

 

「これは改革の一端に過ぎない。まだまだ何もかもが足りない。帝都が戦争に巻き込まれるのも遠い未来の話じゃないんだ。だから、オレはこうして準備をしてるわけだ」

 

「準備。アレが準備だと?」

 

「人間は善意でこそ戦争の準備にも協力してくれる」

 

「………」

 

「お前には今後、大きな役目を担わせる以上、考えておけ。これが戦争に続く道だとしたら、お前はオレを悪党だと思うか? ウィシャス・ヴァンドゥラー」

 

 その言葉に遂に応えが返る事は無かった。

 

「さて、今日はこのくらいにして帰ろう。明日までにやらなきゃならない事が山積みだ」

 

 待たせている馬車のところまで戻ろうとした時だった。

 

 ウィシャスがそれとなく自分の横に来て、すぐに袖を少し引いて狭い路地へと誘って来る。

 

 それに無言で付いて行くと。

 

 途中からウィシャスがこちらの腰を小脇に抱えて、走り出した。

 

「失礼します!!」

 

「誰だ?」

 

「解りません。ですが、少なくとも軍人が4名以上。しかも、我が国の人間ではないと思われます」

 

「外套は研究所製だが、まだ制服は支給してなかったな。対刃、対火性能のある代物を開発中なんだが、これが終わったらすぐに支給する」

 

「言っている場合ですか!?」

 

 さすがにウィシャスが呆れた様子になった。

 

「此処でお前に死なれても困る。軍の機密もまだまだ調査中なんでな」

 

「……自分の口から語られる事は無いと切に願いたいですね」

 

「必ず口を割らせてみせよう。お前の意思で話してくれる事を期待する」

 

「……後方40前後を追尾されています」

 

「ああ、後な。今度、ウチで距離や重量の新基準の名前とか覚えてくれ」

 

「だから、言ってる場合ではな―――」

 

 ヒュトッとすぐ横の路地裏の怪しげな店の看板に何かが突き刺さる。

 

 ソレが少なからず吹矢の類なのは分かった。

 

「良く遠間から息だけで吹き矢なんて使えるな。肺活量だけでざっと常人の数十倍はあるんじゃないか? ウチの軍部にバルバロスの一部を人体に移植して使おうとか言う極秘計画でも無い限りはアレ絶対バイツネードだぞ?」

 

「無いと信じたいです。というか、軍から追われるような事をしているのかと問い詰めたい気分です」

 

「止めておいた方がいいな。知らない方がいい事は軍じゃなくてもあるんだよ」

 

 また、数本の吹き矢が路地のあちこちに突き刺さる。

 

「外されてるのか? どうして当たらないんだか」

 

「とにかく今は―――」

 

「追い込まれてるかもしれないぞ」

 

「ッ」

 

「この路地の右に行き止まりがある。お前の身体能力とオレの体重から言って、昇り上がるのは可能なはずだ。横合いからの狙撃に注意。この外套に毒は通らないし、銃弾の類も一応は防ぎ止める。骨くらいは折れるかもしれないが」

 

「その口が憎たらしくなった気がします」

 

「生憎と産まれ付きだから治らない」

 

 言っている間にも路地の行き止まりへと走ったウィシャスがあの時と同じように脅威的な身体能力を発揮して、行き止まりの壁へと加速。

 

 右端、左足と小さな突起を蹴り付けて飛び上る。

 

 と、同時にまるで待っていたかのように何処からか何かが飛来。

 

 が、その一発が外套の一部を突き抜ける事なく何も無い虚空へとこちらを引っ張って空中で横に引っ張られる。

 

 ウィシャスがこちらを抱き込んで外套を広げて照準を狂わせたのだ。

 

 つんのめりつつも3mくらい下の壁際にブーツをブレーキ代わりにしつつ斜めに摺り減らしながら着地。

 

 ギリギリで躰は痛めていないが、こちらの外套に引っ掛かったせいで首が締まった。

 

「げほ……」

 

「大丈夫ですか!!」

 

「お前は平気そうだな。さすが最優と言われただけはある」

 

「褒めても自分には命を保障して差し上げる事しか出来ませんよ」

 

「それで充分だ。相手はまだ巻いてないぞ。銃を装備しろ。基本射程で馬車9つ分くらい先までなら当たるだろ」

 

 ウィシャスが先程与えた拳銃を片手に持った。

 

「追い込んだ先で仕留めたら、すぐに運ぶ手はずだったはずだ。でなけりゃ、あの衆人環視の最中に撃ってればいいんだからな」

 

「つまり?」

 

「この先にある連中の移動手段もしくはオレ達の配送手段がある。そいつを乗っ取れ。それが出来ないなら2人で迎え撃つぞ」

 

「解りました」

 

 それから10秒程ウィシャスが通路を奔った先。

 

 見すぼらしい乗合馬車があった。

 

 馬車の内部に人影は無し。

 

 ついでに乗合馬車の御者台には誰もいない。

 

「幸運に感謝しつつ、帝都郊外に撤退する」

 

「どうしてですか?」

 

「罠は二重三重にしておくだろ。普通」

 

「帝都の奥に戻る道の方が危ないと?」

 

「オレも御者台に出したままでいい」

 

「解りました」

 

 追い掛けて来る足音よりも先に馬車に乗り込んだウィシャスが発進させる。

 

「これも罠だった場合は馬車に仕掛けがある。もしくは馬車の行き先で馬車を止める手立てを持った連中がいる」

 

「対処方法は?」

 

「オレを置いて相手を無力化して来い。こっちは殺されないはずだ」

 

「助けに行くべきですか?」

 

「その必要は無い。何故なら、この一手で相手は詰んでるからだ」

 

 腰に差していた色付きな発煙筒を発射する弓矢が一つ。

 

 腰裏のポーチから予め符号として軍憲兵に通達しておいた色合いで上空に発射する。

 

 同時に撃ち上がった色合いは緑、赤、青。

 

 現在の符号は周辺を囲め、だ。

 

 こちらが打ち上げた途端、今まで追って来ていた足音が遠のいていく。

 

「気付いたな。この先にいる連中が撤退してなかったら、相手は相当に本気だと見ていい」

 

「軍憲兵を突破するのでは?」

 

「オレは実に健全な投資家でもある」

 

「はい?」

 

 ウィシャスが本気で何を言い出したんだこいつみたいな顔になる。

 

「帝都憲兵にはこちらのお願いを聞いて頂く代わりに研究所で造っている装備品の実用試験を無償で行って貰ってる。主に防御力重視で」

 

「悪魔ですね。防備を固めた憲兵に数で消耗戦……自力解決を不可能にして自殺させるか。もしくは………」

 

「ちゃんと鎮圧用の兵器だって用意した」

 

「……見えて来ました。でも、どうやら相手は本気じゃなかったようですね」

 

「隠れてるのは警戒しておいてくれ」

 

「はい」

 

 甲高い警笛が大量に鳴り始めていた。

 

 帝都中がバタバタと騒がしくなる。

 

 それもそのはず。

 

 先日の襲撃後、帝都の警備計画に首を突っ込む権利を得たので帝都守護の要職に付いていた大貴族の方にはしっかりとした防備計画をこちらで出した。

 

 相手に否があるはずもない。

 

 無能の烙印を押されて、大公閣下に睨まれたい大貴族はいない。

 

「交差路に人影は無し。だが、人気が無い……何かを仕掛けられてるな。先日も同じような事があった。一撃を警戒しろ。それとこういう時に囮を使われる可能性がある。よく見て動け」

 

「……歴戦の兵を相棒にしたような安心感なのは困りものですね……」

 

「生憎とこちらはカヨワイ女の子だ。間違っても盾にはしてくれるなよ?」

 

「覚えておきます」

 

 馬車が減速して人気の無い帝都郊外の一角で止められる。

 

「見えるか?」

 

「いえ……ですが、妙な匂いが」

 

「あんまり嗅ぐなよ。どうやら、人間を誘導する匂いらしい」

 

「はい」

 

 袖で口元を覆いながら、周囲に視線をやったウィシャスが警戒する。

 

「……仕掛けて来ないようですが」

 

「まだ、な。仕掛けが大掛かりだったり、時間経過だったりするとマズイ」

 

「ですが、この場に不審なものは……」

 

「ッ、馬車から離れろ!! オレを抱いて跳べ!!」

 

 咄嗟にウィシャスがこちらをまた抱えて跳んだ。

 

 途端に馬車の下からいきなりバリバリと音がして馬車そのものが破砕された。

 

「ギリギリでした!?」

 

 ウィシャスが肩に弾けた馬車の一部を受けた様子だったが、すぐに着地すると同時に片腕で外れたらしい関節をゴキリと戻した。

 

「死ぬほど痛そう……」

 

「言っている場合ですか!? 来ますよ!?」

 

 馬車を破壊したのは何処かで見覚えのあるグニョグニョとした流動する化け物の姿だった。

 

 死人のような斑色の肌と鱗。

 

 それは忘れたくても忘れられない学院へゾムニス達が襲撃を仕掛けて来た時に初めて相対したバルバロス。

 

「ゼアモラ? 二番煎じは客に嫌われるって相手は知らないようだな。何かしらの強化がしてあったら、困りものだが……」

 

「報告書にあった竜ですか!?」

 

「ああ、そうだ。どうやら人間の血を啜って再生するらしい。南部皇国も使ってくるらしいな。竜の国だけの専売特許じゃないみたいだ。ちなみに焼く以外の方法だと倒し方が毒殺しかない」

 

「どうにかなりますか?」

 

「二番煎じなだけならコレで終わりだ」

 

 腰の後ろにあるポーチから特性の弾頭を一発取り出して拳銃に即座装填。

 

 ウィシャスがこちらを抱えて後方に跳ぶ瞬間。

 

 襲い掛かって来る一度倒した敵の口内へと向けて銃弾を発射する。

 

 が、ドヴァンッと拳銃が弾け散った。

 

 暴発である。

 

 一応、事前にウィシャスの顔と自分を覆うように外套を被り、変化する腕の方で撃ったのだが、どうやら拳銃が耐え切れなかったらしい。

 

「う!? 大丈夫ですか!?」

 

「ああ、ちょっと、特性弾を撃っただけだ」

 

 やはり、自分の危機に対して反応し、変化した腕からはバラバラと拳銃の部品が地面に落ちていく。

 

 だが、撃ち放った弾丸は大きな相手の口内に命中。

 

 そして、背後に更にステップを踏むように後退していくウィシャスの前から外套を取り払う。

 

「竜が止まった?」

 

 その光景に驚きを隠せないらしい。

 

「いいや、浸食されてるんだ」

 

「侵食?」

 

「周辺警戒は続けてくれ。アレは先日造ったばかりの生体兵器だ」

 

「セイタイ兵器?」

 

「ナマモノだ。もしもの時の為に外套被ってて良かったな。今度、暴発原因を究明しておく」

 

「な、生もの? 生き物を弾丸に入れたのですか?」

 

「先日、面白い生物を採取した。急激に熱されると水分が蒸発し切るより先にどうやら自分に似た寄生先に跳び付いて増殖する機能もあるらしい。正しく、クラゲ様々だ」

 

「く、くらげ? ええと、報告書では下水道の主でしたか?」

 

「見ろ」

 

 ウィシャスと共に見やるゼアモラは先日の斑模様の肌に金属光沢の鱗を猛烈に蠢かせながら、銃弾が当たった内部から透明な粘体を溢れさせ始めていた。

 

「アレは元々南部の高温多湿な世界で生きて来た代物だ。地下の下水道みたいにかなりの湿度と温度、水が無い限りは個体分裂ではなく自己増殖を選ぶ」

 

「自己増殖、浸食……まさか、バルバロスを内側から食い殺す?」

 

「どちらかと言えば、乗っ取りに近い。寄生して自分に優位な環境がある場所へと誘導するらしい」

 

「そんなものをどうやって銃弾に……」

 

「干物にしてそれを弾頭に入れただけだ。銃弾で生命の活動限界ギリギリまで加圧加熱されて、撃ち込まれた先で急いで水分を吸収して活性化する」

 

「そして、増殖して相手を内側から?」

 

「あの化け物の傍に丁度良さそうな下水道の蓋もある事だし、人的損耗も無し。これで丸く解決だ」

 

 ゼアモラが、急激に内部から溢れ出した透明な粘体に融合したかのような姿のソレが、何故かこちらから遠ざかるように下水道の蓋。

 

 マンホールを器用に持ち上げるとズルズルと内部に吸い込まれていく。

 

「……水道局の職員が心配です」

 

「気にするな。秋になるまで地下は出入り禁止だ」

 

「はは、笑えばいいのか。疲れればいいのか迷います……」

 

 ウィシャスが半笑いになる。

 

「問題が起きたら、その時にどうにかする。今の帝都の下水道はバルバロスを食い殺す蟲と危ないクラゲとクラゲに侵食された怪物が徘徊する魔窟になったが、案外生態系が生まれて吊り合いが取れるかもしれないしな」

 

「それに畏れられる貴女の方が自分には恐ろしいです。正直に言って……」

 

「オレを畏れてるんじゃない。腕が怖いんじゃないか?」

 

「そう言えば、その腕は……」

 

「最高機密だ。ちょっと変化する」

 

「それでちょっと、ですか……」

 

 相手が半眼になるのを確認してから外套の下に腕を隠した。

 

「周囲に敵影は?」

 

「未だ確認出来ず。数百先から憲兵の騎馬隊が駆け付けて来てます」

 

「目が良くてよろしい。出来れば、後はもう家に帰って仕事をさせてくれって気分だな。帰りが遅れたせいでオレの睡眠時間が2時間は削れそうだ」

 

「事情聴取には?」

 

「任せる」

 

「解りました。答えようのない事には?」

 

「事情は全て帝都守護職に小竜姫殿下がご説明なされるとでも」

 

「今回の襲撃者はどうしますか?」

 

「死んでるなら軍憲兵に引き渡していい。もうその手の襲撃者の最終的な行先はウチの研究所になったからな。生きてるなら、軍で丁重に扱って拷問したり、尋問したりしないように投獄しとけとオレの名前で言っておいてくれ」

 

「解りました」

 

 駆け寄って来る帝都軍憲兵達の姿を見ながら、バラバラになった馬車の方を見やる。

 

「?」

 

 弾け散った欠片の中に金属製の輝きを見付けて、近寄って変化した方の腕で拾い上げるとソレは小箱のようだった。

 

 指先で留め金を外して開くと小さく折り畳まれた紙が一枚。

 

 片手のままで開いてみる。

 

「………『後日、お伺いします』……か」

 

「フィー?」

 

「どうやら、敵はオレが死なない事は想定してたらしい。これは手強そうだ。館の防護と研究所の警備機構をちゃんと完成させないとな」

 

 世の中、そう簡単に諦めてくれる人間ばかりではないらしかった。


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