ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第41話「人材確保」

 

 下水道でゲッソリするクラゲとご対面して数日。

 

 変化した腕は元に戻っても臭わなかったものの。

 

 帝都内にも危険が一杯という事実は理解したので大人しく学院で勉学に励み。

 

 他の時間はあちこちへの指示出しと書類や手紙の返送に当てていた。

 

 近頃の平均睡眠時間は7時間だが、日夜の執務で疲れているという自覚は無い。

 

 休憩を挟みながら、食事と身嗜みと体力を付ける運動も行っている為、スケジュールとルーティンは完璧に限界よりは少し手前で回っている。

 

「………こんなもんか」

 

 サラサラとボールの中身に分量の小麦の細粉を混ぜる。

 

 精錬した食物というのは安全性の面では極めて信頼性が高いのだが、健康面では摂り過ぎに注意だったりする。

 

 根本的に過剰摂取になりがちという点で現代社会の肥満や成人病の大半は精錬食品、加工食品ソレありきなのだ。

 

 これは中世近代における栄養不足や食品の取れる地域の不均衡と未発達な物流による摂取食品の固定化などの弊害とはまた違っている。

 

 要は食品が美味しくなり、何でも食べられる故の偏食が弊害となっているのだ。

 

 昔の精錬しない食品が多い粗食の方が現代ならば長生き出来る事だろう。

 

 無論、安全な水と安全な食品という大前提あってのものだが、現代ですらソレをまともにやれていた国家は少なかった。

 

 塩や油や果糖の過剰な食品が味的にマズイわけない。

 

 だからこそ、健康的には大問題なのである。

 

 食品の大量生産大量消費が当たり前になり過ぎた社会で高血圧や肥満、成人病が撲滅される事は遂に無いだろう。

 

 という点において今後の近代化、現代化を推し進める帝国には最初から正しい食品に関する教育と知識をお教えするのが良いに違いない。

 

 まぁ、それも現実で数十年で変わりそうな常識なのかもしれないが……。

 

「基本、菓子って精錬済みのもんを大量に使うからな。1週間に1回くらいでいいんだろうな。こういうのも……」

 

 本日は砂糖が無いので塩気のある菓子や料理の制作中であった。

 

 一応、帝国や北部同盟で造れる砂糖精製用の植物は輸入したのだが、気候を選ぶものらしく育てられる気象条件の地域の選定に入っている段階だ。

 

 なので、今は上手い酒のツマミみたいなお菓子が関の山。

 

 他にも国土内で育てられるデンプンの大本として大量の品種の芋やトウモロコシを大陸南部から仕入れて温室や屋外で試験栽培を行っている。

 

 従来の品種の改良、新品種の導入。

 

 出来るだけ多種類の野菜を取り入れているが、成果が出るのは当分先だろう。

 

「後はオーブンで焼いて……」

 

 十数分間、学院の食堂横、台所でゴム製の手袋で洗いものをする。

 

 複数のオーブンから取り出した菓子はまだこの帝国に無いものが数種類。

 

 まず揚げ油を使わずに乾燥させてから焼いて最後に油を塗ったポテトチップス。

 

 精錬済みの小麦粉を用いた分厚いものから薄いものまで様々なピザ。

 

 帝国でも親しまれている小麦菓子を大量に。

 

 それからコーンスターチによるスナックを幾つか。

 

「食物加工ライン様々だな」

 

 食物の精錬加工技術は基本的に方法と機材さえあれば、技術的な難易度は低いものが多い。

 

 トウモロコシなどは非常に廃棄部分が少ない為、機械的に胚芽を取り除いて保存性を高めれば、食品産業の一助となるだろう。

 

 その為の精製用ラインの動力を現在は水車などから引いている。

 

 が、これも専門のモーターやコイルの開発が終了したら、逐一蓄電池の類を用いながら転換していく事になる。

 

 原始的な多種類の分野の生産ラインの研究開発は続いているが、恐らくは1800年代後半くらいまで追い付いて来た、と信じたい。

 

(まだ、コーンの方法がまだ雑だな。菓子の仕上がりが今一か。精錬方法がもう少し進化すれば、現代に準じるものになるはず。このゴム製品も形になって来たし、後は物流ルートの開拓か……)

 

 手袋を片付けながら、目を細める。

 

 今のところ電源となりそうな発電方法は水力発電と風車くらい。

 

 此処に蒸気機関を加えて、大規模な生産体制を持つ工業地帯を北部同盟と帝国各地に整備するとの事は技術展示会において国内最大手と見込みがありそうな商人連中を招待して匂わせておいた。

 

 目敏く儲ける機会を嗅ぎ取った商人は半数程だが、その先駆者となるだろう投資家達には目先の儲けよりもより安全安心な社会の実現に向けての儲けの少ない環境整備の重大性と莫大な儲けで何をすれば、もっと便利な社会になるかというところをミッチリ叩き込む事にしよう。

 

(社会資本増加による社会の安定と人心の掌握。資本主義に対する規制と節制、自己献身、自己犠牲、弱者の救済と自立支援、聖人的態度による社会的地位の確保と賞賛の規範化……新設の名誉賞や技術関連の賞を与える公平な諮問機関の設置。ああ、仕事が減らない。ついでに邪魔な不合理連中の諸々の論破用資料と合理主義と人権主義の喧伝……もう一人では限界に近いな)

 

 商人連中には投資する資格には教育が必須と伝えてある。

 

 試験も行うし、特定の集団にも入って貰う。

 

 今までの商会の連合のような形ではない。

 

 日本で言うところの経団連も造る。

 

 技術と資本を持つ者が最も幸せな人生を送る為に必要な全てを脳裏に刻み込んで模範的な回答が出せる産業革命での優等生を演じて貰う為の準備をさせなければならないだろう。

 

「まぁあ!? 何て事でしょう!? わたくし共も見た事無いようなものが沢山!? ああ、フィティシラ姫殿下はお料理が上手と伺っておりましたが、納得ですわ!!」

 

 食堂で働くおばちゃん。

 

 この食堂で働くというだけで貴族の女性達なのだが、それにしても結構恰幅の良い女性陣がズシズシと料理用のエプロンを付けてやってくる。

 

「ああ、そちらの一番端のプレートのものは此処の方達でどうぞ。皆さん用です。それと気に入って頂ければ、レシピもお渡しします。そちらに一部ずつ置いてあるのでどうぞ……」

 

「お、恐れ多いですわ!? ああ、これが大公家の料理……か、軽い!? このサクサクとしながらも軽やかな歯ざわりはパイには無いもの……!!」

 

「な、何て事なの!? 芋がこんなお菓子になるなんて?! 焼いているだけでこの歯ざわり……下準備に何か秘密が?」

 

「こ、この丸いの伸びますよ!? 皆さん!? チーズなのは分かるけれど、このチーズは一体……それにこの薄焼きの生地の上のソースと具も!! パイとは違って軽いのにとてもお酒に合いそう……」

 

「ウチの研究所の成果物です。今後、帝国内でも大量に出回る事になると思うので、その時はよろしくお願いします」

 

「お、恐れ多い事ですわ!? そんな!? 頭をお上げになって下さい!?」

 

『(ああ、姫殿下……大公家の血筋ながらも、このように誰にでも分け隔てなく接して頂けるなんて……それにこのような低い物腰……わたくし達のような庶民にすら見えてしまうだろう格の家の者に頭まで下げて……これが大公家の器……)』

 

 何やら恐縮した女性陣から頭を下げ返された後、ニコリとしておいて、料理をさっそく保温用のバスケットや紙製のケースに入れてカートに積んでいく。

 

「その、そちらのお料理は何方かとの昼食用ですか?」

 

「ええ、少し贈り物をしたい方々が出来まして」

 

「まぁ?! 贈り物を!? それはそれは……送られた方はきっと天にも昇る心地でありましょうね!!」

 

 こうしてカートを押して昼食時の厨房から今一度頭を軽く下げてから出ると。

 

 いつもは食堂よりも自分の家の持つ館に籠っている少女達が何十人も通路から内部を覗いていた。

 

 一番多く作ったのは一口で食べられるベリーのコンフィ……要はジャムを入れたクッキーの大皿を食堂のテーブルの上に4つ置く。

 

 合計で恐らく500枚から400枚。

 

 久しぶりに午前中ずっと作業していた為、詳しい数は数えていないが、それくらいの小麦菓子を見て、少女達が目を丸くしている。

 

「この学院の方の為に焼きました。1人1枚……それと学院のまだ知らない方や働いて下さる職員やお付きの方々にもどうぞ。包み紙は此処に置いておきますので」

 

 薄紙を数百枚と折り紙の要領で折ったソレと折り方を解説した絵付きの資料を数枚置いて、頭を下げて道を開けて貰う。

 

 少女達はもう何と表現したらいいのか分からずにポカーンとしていた。

 

『……まさか、姫殿下は学院の方々の為にこのような枚数を御一人で?』

 

『ああ、何という事でしょうか!? み、皆さん!! あの小さな腕でわたくし達の為に姫殿下は午前中ずっと厨房でお料理をしていたようですよ!?』

 

『た、食べて良いのでしょうか……お姉様……』

 

『食べるのももったいないですわね。紋章も付いているようですわ。これを御一人で……何て献身と慈愛……う、涙が……っ』

 

『み、皆さん!! とにかく姫殿下が仰っていたように御一人一枚。それにお優しい姫殿下のお気持ちを侍従達や小間使い達にも分けに行きましょう!!』

 

『ですわね!! 皆さん!! 並びましょう!!』

 

『ああ、あの紙を見て!? 何かの動物のように折った紙がちょこんと……可愛いですわ……あんなものを御一人で御作りになってしまうなんて……さすが姫殿下です!!』

 

 ガヤガヤと後ろが騒がしくなる様子を背後に聞きながらカートを押していく。

 

 本日は別に特別な祝日でもなければ、息抜きに菓子を作っていたわけでもない。

 

「さて、御仕事御仕事……」

 

 学院内で優秀な能力を持つ人間をスカウトし、事務処理用の即戦力を得る為の貢ぎ物として今日の菓子は製造された。

 

 当たりを付けた人間はもう集めてあるので問題無い。

 

 残る軽いカートが自分の武器であり、中身は差し詰め、相手を射抜く矢と言ったところだろう。

 

「事務処理の雑事、仕事を押し付けられる人材……是非、仕留めておきたいな」

 

 権力で出来る事には限界がある。

 

 そして、本当に能力を持っている者はいつだって自分の才能を隠したり、静かに目立たず生活しているものだ。

 

「あ、ふぃー。まだやってたのか?」

 

 待っていろと告げた使用人用の通路に入る分岐点で椅子に座って待っていたデュガは教育用に読むよう言っていた書物を閉じて、暇そうな様子でこちらに近付いて来る。

 

「本は読めたか?」

 

「ええと……」

 

「寝てたな」

 

「し、仕方ないだろ!? だって、これ!! 数字が書いてあるからだぞ!?」

 

「お前は10以上の数字を数えるのに一々、指を使う人間なのか?」

 

「え、普通、指で数字は数えるだろ?」

 

「………じゃあ、指の数で足りなくなったら?」

 

「勿論、一杯だ!!」

 

 これは世界の常識です的なドヤ顔であった。

 

「お前なぁ……はぁぁ(*´Д`)」

 

「?」

 

 後でミッチリ算数を教えようと固く誓うのだった。

 

 *

 

「あ、姫殿下~~!!」

 

 通路の先から見知った顔がやってくる。

 

 イメリを伴ったアテオラだった。

 

 毎日、学院で勉学に励む少女であるが、一部の知識は基本的に博士級の代物であり、実地での調査経験も豊富な為、基本的には数学とか地政学やそれに因んだ歴史の類を覚えさせている。

 

 また、地勢やその産地の産品が大きくその地域の技術にも絡んで来るので参考書として幾つも本を読むようにも言っているが、基本物覚えが良くて素直なアテオラの実力はメキメキと上がっており、数年もすれば、帝国一の才女と呼ばれるのも左程遠い話ではないだろう。

 

「ほら、これ」

 

 パタパタとやってきた少女の口にクッキーを押し付ける。

 

 それに驚きつつもムグムグと口に含んで蕩けたような顔になった少女がゴクリしてから笑顔になった。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「美味かったか?」

 

「はい!!」

 

「………」

 

「そっちにもある」

 

 無言で素知らぬ顔をしていたイメリにも紙に包んだクッキーを手渡すとこちらをちらりと見てから、口にしし、驚いたように固まり、ちょっと恥ずかしそうにポリポリしてから頭を下げた。

 

「さて、これからお前らの仲間になるかもしれない連中を集めておいた」

 

「こ、このお部屋の中にいるんですよね?」

 

「ああ、そうだ。帝国が多民族主義なのは知ってると思うが、主要民族の内から1人ずつな」

 

「どうして民族でお選びに?」

 

「学園内の派閥が勝手に勢力を作ってる現状、自分と同じ民族から選んだなら、民族的な派閥と見なされるからだ。まぁ、能力で選んでたら別民族だったってだけなんだがな。実は……」

 

 現在、総歴:蒼の時代3433年。

 

 ブラスタの大血脈は他の主要民族【エルバ】と【グエル】を友にしている。

 

 エルバは知恵者を多く輩出する帝国の教育関連の基礎を築き。

 

 現在の帝国の主要教育機関と貴族官僚を多く輩出する権謀術数の家柄が多い。

 

 グエルは技術者が過去のエルゼギア時代から大量に雇用されており、帝国の主要技術の大半はグエルによるものだ。

 

 現時点で大陸最高の高炉を生み出した傑出する天才を幾人も排出した経緯から今も帝国の技術関連分野では一手に取り仕切っている。

 

 ブラスタは最大派閥でありつつも、政治と軍事を司る才に長けた者達が多く。

 

 他主要民族を取り込むことで此処までアバンステアを拡大させた。

 

 徴兵されるのも主にブラスタの氏族が主である為、エルバとグエルはどちらも帝国内の地位が安泰ならば、他の事に口は出さないというのが基本だ。

 

「さ、2人はこれから出て来た奴らにコレをやってくれ」

 

 アテオラとイメリにカートの下から出した紙袋を手渡す。

 

「これは何でしょうか?」

 

「制服だ。主にこちらの業務に付く者への贈り物。これに手を出せばどうなるかって目印だ。じゃ、行ってくる。デュガ!! 2人と一緒に待っててくれ」

 

「りょーかーい」

 

 通路の端にある角部屋。

 

 あまり使われる事の無い二重扉の防音な応接室。

 

 時に学園の理事達が秘密会議に使うそこへと足を踏み入れる。

 

 絨毯こそ丁寧に手入れされているが、月一で使う事も珍しい為、使う前は埃っぽいとは聞いていた。

 

 だが、急遽こちらが使いたいと言った為、慌てて掃除されたらしく。

 

 扉内部は埃一つ待っていなかった。

 

 ギリギリ6人が左右のソファーと奥の蜘蛛った磨りガラスと黒檀のデスク。

 

 左右に座っているのは17くらいだろう普通ならば女子高生の高学年。

 

 そろそろ大人の女性へと向かいつつある少女が2人。

 

 無遠慮にカートを押して入って来るとは思っていなかったのか。

 

「!?」

 

「?!」

 

 一瞬、瞠目した後。

 

 すぐに顔を伏せるやら、こちらをジト目で睨むやら。

 

 どうやら事前調査した通り。

 

 性格は正反対であるらしい。

 

 カートを横に止めて2人の中間に戻り、まずは頭を下げる。

 

「本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます」

 

「……それで大公姫様が私達みたいな没落貴族に何の用?」

 

「ね、姉さん!?」

 

「いいのよ。噂の小竜姫……遠目からは見てたけど、本物は怪しいの塊じゃない」

 

「す、済みません。フィティシラ姫殿下!? ね、姉さんがこんな事を!? 無礼はお詫びします。で、ですから」

 

「ああ、構わずに。怪しいのは自覚がありますから」

 

 左のソファーにいるのはエルバ民族の特徴である白い肌に黒髪。

 

 厚みの薄い身体。

 

 女性は特に胸部回りが残念がられるキツメの美人を絵に描いたような少女。

 

 赤黒い頬から喉まで伸びる太い曲線を左右に持ち。

 

 こちらを睨む少し小柄な彼女の名は―――。

 

「イゼリア・フィグよ。どうぞお見知りおきを。怪しい小竜姫様」

 

「ね、ねぇさん!? もう?! ほ、ほんとに無礼で申し訳ありません」

 

 そんな敵意というかコイツ怪しいという顔でこちらを見て来るイゼリアをフォローするのは姉よりも高身長で胸部も豊満なおっとりした様子の少女。

 

 赤髪に僅か浅黒い肌。

 

 グエルの女性に多い資質を体現したかのようなスタイルの良さながらも普段ならのんびりした様子だろう彼女の名は―――。

 

「エーゼル・ライグです。ほ、本日はお招きに預かり、こ、光栄です。姫殿下……」

 

 恐縮し切りに頭を下げるエーゼルに頷く。

 

「さて、お二人を今日呼んだのは他でもありません」

 

 窓際のデスクに腰掛ける。

 

「お二人に御仕事を斡旋しようと思ってお呼びしました」

 

「仕事? 何よ? ソレ」

 

 イゼリアが目を細めて、こちらを訝し気に見る。

 

「お二人が異母姉妹である事は学院でも有名ですし、理解しております」

 

「それで?」

 

「没落貴族という事も理解しています」

 

「嫌味ね」

 

「事実ですから。そして、その没落ですらいられなくなりそうなのも理解している、と言ったらお解りなのでは?」

 

「―――」

 

「ね、姉さ―――」

 

「アンタは黙って為さい。こっちで話はするから」

 

 エーゼルをイゼリアが遮った。

 

「え、で、でも……」

 

「いいから。アンタにこんな最上位貴族連中の相手が務まるわけないでしょ」

 

「う……はぃ」

 

 イゼリアが妹の代わりだと言わんばかりに顔を取り繕って、こちらを見る。

 

「こっちの家の事情はお見通しってわけ?」

 

「ええ、調べましたから。没落貴族フィグとライグは元々から同じ仕事をする家だった。しかし、一世代前。つまり、お二人の御父上が両家の子女を同時に身籠らせた事により、お家騒動になった、かに見えた」

 

「……よく調べてあるじゃない。嫌味ね」

 

「ですが、実際にはブラスタ民族でも大貴族の家系であった御父上の援助で二つの家は持ち直し、当主がほぼ同時期に死んでいた事から両家はどちらも御当主の代行として御父上に統括され、大貴族直轄の家として存続」

 

「そうよ。そして、父が亡くなって今や後ろ盾が無いあたしと妹の家は没落一家になったわけ」

 

「ですが、問題はそこではないでしょう」

 

「っ」

 

 イゼリアがさすがに顔色を悪くする。

 

「お二人の家には共に15人のご家族がいる。お二人のお母上は大家族の長として御父上が亡くなった後も家を支え続けましたが、昨年ほぼ同時期に他界された」

 

「………」

 

 イゼリアが苦い顔となった。

 

「家長として家督を継いで驚いたでしょう? 家計はギリギリでお二人の母上が自らの体を売って支えていた」

 

「ッッ、母さん達を悪く言うな!?」

 

 イゼリアが吠える。

 

「悪く言ったつもりはありませんよ。多くの寡婦が子供を育てる為に男達に身体を売って、娼婦紛いの事をするのは我が帝国では公然の事実です」

 

「な―――」

 

 この手の話題は多くが沈黙と暗黙の了解の中で秘されているが、そういう寡婦の多くが金銭目的で再婚して何とか家計を立て直し、子供を育てているのを見れば、とても合理的ではあるのだ。

 

 無論、悪い男に引っ掛かれば悲惨な人生が待っているのは何も現実だけの話ではないし、この人権や男女平等などクソ喰らえ世界では女性の方が割を食うのは間違いない事だろう。

 

「この学園に通う子女の大半は18までには嫁に行くのが通例。それが事実上の卒業になりますが、一部は22まで勤め上げて教職員になったり、自分の学んだ分野で活躍する事も多い。お二人は後者。後5年で卒業する事になっていた」

 

 イゼリアが拳を握って、こちらを睨む。

 

「そうよ……」

 

「お二人がご自分で合計30人の家族を養うにはお二人の専攻しておられる簿記や経営、数学、工学では厳しいでしょう」

 

「ッ……」

 

「殆どは商会勤めや国営の省庁に入る事になるでしょうが、その中で結婚してというのが今は当たり前であり、お二人の手でご家族を養える程の大物と結婚するのは難しいでしょうし、娼婦紛いの事をしたくないのならば、尚更に厳しい」

 

「そんな事を言いに私達を呼んだの?」

 

「いいえ? だから、わたくしが御仕事を頼むと言っているのです」

 

「御仕事……如何わしいのじゃないでしょうね?」

 

「とても帝国の為になる御仕事ですとも。それに娼婦や愛人とて仕事としては重要ですよ。男達の獣欲を制御する者達がいなければ、帝都とてそういった犯罪が多くなるのは確定的ですし、愛人のいる貴族の多くは精神的に安定して日々の仕事をしている。彼女達がいなければ、好きでもない妻といがみ合う家庭に疲れ切った方も多くいらっしゃるでしょうしね」

 

「それをアンタくらいの子が言うのね……」

 

「事実ですから。御爺様が水商売を全て認可制にしているのも厳しい規制を敷いているのも帝国内の犯罪や不和を制御する女性達に一定の地位を保証する為ですし」

 

「……仕事の内容を聞かせ為さい」

 

「これを……」

 

 カートの内部から取り出しておいた書類を2人に提示する。

 

「経営学を学んで簿記にも強いイゼリア様には我が研究所が立ち上げる合同資本財団の筆頭理事として事務処理の御仕事をして頂きたいのです」

 

「は?」

 

「数学と工学にお詳しいエーゼル様には我が研究所の研究統括の1人として研究開発の長期的な計画立案とその工程の設計。基礎的な先進教育の基礎を構築して欲しく思っています」

 

「え? え?」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!?」

 

 エーゼルが混乱している合間にもイゼリアがこちらに叫ぶ。

 

「はい。何でしょうか?」

 

「い、一体、何を言ってるの!? 筆頭理事って!? 財団!? アンタは見知らぬ人間に何か重要な役割を任せようとしてるって事なの!?」

 

「ええ、優秀なのはお二人が出した課題を見れば、一目瞭然でしたので。現状で能力が足りているのならば、問題は無いと思いますが?」

 

 思わず頭を抑えるようにしてイゼリアが何とも言えない唸り声を出す。

 

「あ、あのねぇ……私達くらいの小娘にサラッと何で莫大な資金をやりくりする仕事をさせようとしているのよ」

 

「え、そ、そうなんですか? 姉さん?」

 

「コイツの話は一部の商人連中から聞いてたの。そもそも北部諸国を数か月で同盟させて、その上で大量の資金を北部諸国の事業に投下してるって話だったわ」

 

「随分とお詳しいようで」

 

「コイツはね? 国一つを今経営してるのよ。いや、西部も含めたら国を二つ今実質的に所有してるのと変わらないわ」

 

「そ、そんな事が?」

 

 イゼリアの言葉にエーゼルが呆然としている。

 

「お二人には一律に月500でどうでしょう? ちなみに年末は1月分の給与を更に上乗せして、年給は6500」

 

「ご、ごひゃく?」

 

 イゼリアが顔を引き攣らせた。

 

 ちなみに普通の官僚貴族の一月の給与は120くらいが相場だ。

 

 三倍以上となれば、天地の差がある。

 

「それでも15人を養うには少し余るくらいでしかありませんが……」

 

「う、ぐ、ぐぅ……」

 

 もはやイゼリアからは唸りしか出ていない。

 

「勿論、援助は他にも。教育に関しては男児の方には勝利の学び舎への入学試験を行う権利を。女児の方には当学院への入学を。どちらも保障致します」

 

「ッ………アンタはどうして私達に仕事を任せようと思ったの? そもそも育児に忙しいアタシ達がまともに仕事が出来るとでも?」

 

「仕事なら出来ますとも」

 

「夕方には当然帰らなきゃならないし、使用人連中にだって給与を払えず暇を出した没落貴族そのものなアタシ達に……それが出来ると?」

 

「ええ、可能でしょう」

 

「どうしてよ?」

 

「それ自体も含めて、今後の帝国の基礎的な社会秩序の構築に一役買うからです」

 

「社会秩序?」

 

「変革期なのですよ。今の帝国は止まれない馬車のようなもの。このままではコケて滅びるでしょう。だから、色々と変えて行かなければならない」

 

「ほ、滅びってアンタ……」

 

「その為にお二人には今後の女性の一生と御仕事に関して、優秀な女性ならばという前提は付きますが、どんなに大変でも家庭に入らずとも生きていけるし、家庭に入るにしても女性にも選ぶ権利が発生し得る、という事実を作って頂きたい」

 

「選ぶ権利?」

 

 エーゼルがポツリと呟く。

 

「実績を積み上げて欲しいのです」

 

「積み上げるって……アンタはアタシ達をその秩序とやらの先駆者にするつもりなの?」

 

 イゼリアに頷く。

 

「お二人はお若く聡明で学もある。最終的には学が無くても、人格的に優良でさえあれば、生きていけるような社会が望ましいですね」

 

「馬鹿でも生きていけるようにしてやるって? とんだ傲慢ね」

 

「女性にも男性と同様の権利を。同時にまた女性が女性らしくあるように、それ以外の選択肢もある。という事をお二人には証明して頂きたい」

 

「証明、ですか?」

 

 エーゼルに頷く。

 

「貴方達への御仕事の依頼は根本的に人生を掛けて立派に生きて頂きたいという事なのです」

 

「立派に、生きる……」

 

 長身な妹が呆然としながらも、こちらを見つめる。

 

「わたくしは女が娼婦のように生きる事に文句を言う事はありません。ですが、不本意にそういう状況に陥って、他者がそれを固定化する事は望みません」

 

 あくまでそういうのは自分でやりたいならやればいいという話だ。

 

「そもそも衛生的な状況が維持出来なければ、御爺様と同様にお仕事にするなとも思います。自由意志に基いて国の規範と政策の下では好きにしろ。という事です」

 

「まるで、それを妨害するなら死ねとでも言いたげね」

 

「そう言っているのですよ」

 

「な?!」

 

「指導者達の役割は国民が自分の行為に責任を持ち、己の人生に納得出来る環境を整える事です。だから、社会環境は常に最善を保つよう心掛ける。その為の法律、その為の規制です」

 

「自分ならそれが出来るって?」

 

 イゼリアが傲慢というより高慢だろうソレはという顔になる。

 

「学が無い人間が上に立っても悲劇しかありません。その点で優秀である事は指導者の最低限度の義務でしょう」

 

「それを妨害するやつは敵だと……」

 

「ええ」

 

「これが大公家の血筋ってヤツなのね……」

 

「……自分でやりたい事には責任を持て。責任が取れないならちゃんと食える社会規範と政策の中で黙って仕事をして、まぁまぁ人生を愉しんでいろ。って事です」

 

「「………………」」

 

 ニコリとしておく。

 

「お二人は幸いにも不幸にも優秀です。だから、選択肢がある。選択肢も無く家族を養子に出して半ば売るようにして離れ離れにならずとも済む」

 

「本当にそんな事が……」

 

「その環境をわたくしが用意しましょう。乗るも反るもご自由にどうぞ。ただ、この条件以上に良い仕事先は帝国内には無いと断言しておきましょう」

 

 資料を読むように促す。

 

 そして、数分後。

 

 イゼリアは深く長い溜息を吐いた。

 

「確かにこれ以上の条件のところはない。でしょうね……」

 

「ご確認して頂けましたか?」

 

「……初対面のあたし達をこんな風に扱う理由は?」

 

「最初の人として都合が良かったからです」

 

「最初の人……つまり、アンタの言う秩序とやらに従う女として?」

 

「ええ、聡明な方に一々貴族風に遠回しな言葉は不要でしょう。そもそもそれを愉しむ余裕は無いのでは?」

 

「言ってくれるじゃない……」

 

 その言葉が明らかに強がりなのは彼女自身も分かっているに違いない。

 

「明日には貴方達を買う貴族達の集会が開かれますが、本日中にそのお話は流れるでしょう。理由はわたくしがもの好きな貴族連中に可哀そうな異母妹達を引き取る算段を立てていると噂を流したからです」

 

 驚愕。

 

 そんな事実をどうやって知ったのか。

 

 父の親族連中が自分を嫁にしようとしている。

 

 という話は彼女が一番警戒していた事だろう。

 

「―――大貴族だっていたでしょ。そこまでしてあたし達に価値があるって言うの?」

 

「ご自分をもっと高く評価しても良いと思いますよ。貴方達は例えるなら、まだ原石です。ちなみに美しさは付加価値でしかなく。貴方達の本質的な価値は自分の積み上げて来た努力による技術と叡智と実績そのものですよ」

 

 イゼリアが物凄い顔でこちらを複雑そうな顔で睨んだ。

 

 怒りたいのに怒れないような感情の渦がその胸中には見て取れる。

 

「………出勤は朝9時で退勤は夕方6時よ」

 

「構いません」

 

「毎日、半分寝ぼけて仕事するかもしれないわよ」

 

「ちゃんと成績さえ問題なければ、学院で寝ても構いませんよ?」

 

「そ、そもそも学院に通っていいって言うの!?」

 

 もう冷静さを保てなくなった様子でイゼリアが吠える。

 

「それどころか学院に御家族を連れて来て面倒を見ても構いませんよ。さすがに館内部に託児所を作る事になるでしょうが」

 

「ッッ、面倒見させるヤツの給与払えると思うの!?」

 

「無料にしておきます。ウチの侍女達で良ければ、お貸ししますよ?」

 

「………姉さん」

 

「エーゼル?」

 

「私は姉さんくらいに聡明じゃありませんけど、この人が無茶苦茶な事を言っているのは分かります」

 

 今まで口を挟んで来なかった少女がこちらを真剣に……というよりは全てを見通すような冷たい瞳で見ていた。

 

「フィティシラ姫殿下。貴女は私達を金と権力でお買いになると言うのですね?」

 

「貴女達の人生を仕事という形で切り売りして頂く取引を持ち掛けています」

 

「それは善意ですか? 悪意ですか?」

 

「どちらでもありません。必要な人材に必要な代償を提示し、その上で長く仕事を続けて頂けるように取り計らっているだけです」

 

「それで貴女が苦労する以上の利益が得られると?」

 

「はい。その利益はきっと世界すら手に出来るものとなるでしょう」

 

「………私は貴女がどういう方なのかはまだよく分かりません。でも、貴女が嘘を言っていない事は分かります。だからこそ、怖い……貴女は自分の為に私達を切り捨てるように思える」

 

「当たり前では? 何事も自分の為に行うのです。それは誰も同じ。そして、その上で他人に期待せず、己を信じて来た貴方達だからこそ、わたくしの目に留まる程の力を得た」

 

「力……」

 

「その力を十全以上に必要な仕事をご用意します。その力を十全に振るえる環境を用意します。そして、貴方達は切り捨てられないように頑張って成果を出す。成果が出せなければ、見捨てられる。御仕事であるなら、妥当でしょう?」

 

「………」

 

「勿論、見捨てる時にもちゃんと勤続年数に応じて退職金をお支払いしますし、次の仕事先の斡旋もしますよ?」

 

「貴女は……」

 

「逆に訊きますが、貴方達を切り捨てた帝国貴族社会。ブラスタ貴族制は歪んでいますが、不合理は他国に比べて少ないという事を御存じですか?」

 

「歪みが少ない?」

 

「貴方達が長女とはいえ、他の貴族達に数か月以上放置されていたのも貴方達の手腕が少なからず評価されていたからです」

 

「そんな事があるのですか? 単なる家督を継げるだけの長女ですよ。私達は……」

 

 長男が継ぐか。

 

 もしくは傍系の男児を養子に取るというのが大陸での話。

 

 だが、このアバンステアにおいては長女も家督が継げる旨が他国とは違う。

 

 こういった些細な違いの多くは祖父による貴族制度の創設時に造られた規定であり、意外にもそれなりに使用されている事が多い。

 

「男社会とて女傑が蔓延る隙間はありますし、貴方達を買おうという男性諸氏の大半も自分の家に優秀な人間が欲しいから、嫁として真っ当な扱いをする層ばかりでしたよ。御父上は随分と貴方達の将来を気に掛けていたようで、そういう時が来たら頼むと言われていた方も多いとか」

 

「あのクソ野郎がそんな事するはず―――」

 

 イゼリアが思わずそう叫ぼうとして、妹に制止された。

 

「お父様は確かに私達の事をそう頼んでいたんですか?」

 

「ええ、人伝に情報を集めた際にはそういう話を複数の優良人材から聞きました。人を見る目だけはお有りだったようですね」

 

 苦い顔でイゼリアが顔を横に背ける。

 

「済みません。父とは色々あって……」

 

「そうですか。とりあえず、子供は多過ぎると思いますが、どんな形にしても家族の未来の事は考えていたという事実は覆りません。交渉時に感情が表に出るようではこの先困る事になりますよ。此処は減点対象という事で」

 

 イゼリアがコイツ……という顔でこちらをジロリと睨み付けて来る。

 

「この場で決定せずとも結構。明日までに回答を頂ければ幸いです。それとこちらのカートには御家族へのお土産にお菓子を入れて置いたので詰めてある紙袋をどうぞ。馬車は呼んであります。本日に限っては早退しても病欠扱いになりますので」

 

「はは……何もかもお膳立ては済んでるって事ね」

 

 イゼリアはもう呆れるというよりも、もはや自棄気味な声だった。

 

 指で額を抑えている。

 

「交渉事に対するご自分の力の無さを思うのならば、自分の立場と地位を固める事です。それはきっと貴女が社会において何を為すかで決まるものですよ」

 

「何を為すか……アンタは何を為したらそんな風に為れるって言うの?」

 

「ちょっと自分の全てを賭けて大勢の人間を巻き込んだ争乱の最中、戦争を止めたり、人間を騙したり、真実で相手を殴り付けたり、ちょっとまともに政治をしろと王様連中を叱ったり、商人を破産させたり、犯罪者を放逐したり、国を買ったり、海賊家業に勤しんで艦隊を壊滅させたり、最後に城の城壁くらいの大きさの黒い獣の口の中に飛び込んで戦う勇気と帰還出来る準備があれば、可能です」

 

「「………」」

 

 もはや2人の年上の少女に否は無いようだった。

 

 その言葉を冗談とは受け取らなかったらしい彼女達は何を相手にしているのだろうかという畏れよりもまず気圧された様子でこちらを見やり。

 

「小竜姫……ああ、アンタは本当にそういうのなのね……」

 

「噂って当てになる事もあるんですね。姉さん……」

 

「では、わたくしはこれで……良いお返事をお待ちしております」

 

 部屋を出ようとしたが、相手の様子が背後からも分かって振り返る。

 

 2人の姉妹は互いに手を握り合い、立ち上がり、こちらを強い眼差しで見つめていた。

 

「その仕事、引き受けるわ!! もしも働きが良いなら、給与を上げて貰うわよ!!」

 

「そうですね。弟妹達もまだまだ食べ盛りですし、お金は幾ら有って困るものじゃないですから……」

 

「左様ですか。分かりました。では、その契約書二枚にサインを。二組の内の半分はわたくしが預かります」

 

 頷いた2人がすぐにサインをした二枚の書類。

 

 それにはちゃんと全ての契約事項が書かれてある。

 

 聡明な少女達にはこれがどういうものか分かっている。

 

 その上で即決してみせるのは早った若者特有の無謀ではなく。

 

 苦渋を嘗めて前を向く女の狡知だろう。

 

「契約成立です。週休二日。学院で勉学と小休憩以外の時間は全て執務に当てて頂きます。勿論、祝日や他の空いた日にも。ご活躍をご期待させて貰っても構いませんか?」

 

「やってやろうじゃない!!」

 

「はい。やってやります!!」

 

「良いお返事です。では、これで……仕事に必要な書類全てはカートの中に鞄と共に入っているので一緒に持ち帰って下されば」

 

 言い置いて、ようやく新しい人材の確保に成功した事に胸を撫で下ろしつつ、顔には出さないように部屋を退出する。

 

 本日の講義に関するレポートの提出を行う為に廊下のソファーで待っていた面々に後を任せつつ、次の仕事に取り掛かる。

 

 帝国内の態勢を整えるのにはまだまだ時間が掛かりそうだった。


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