ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第37話「人間よりも暗きもの」

 

 アバンステア帝国において奴隷売買は主に外地と呼ばれる侵略領土内から出荷され、内地と呼ばれる帝都と元々の帝国領土内へと国外から買い入れる形を取っているというのが現状だ。

 

 なので、買い入れられた奴隷達の多くは基本的に国外のかなり離れた土地からやってくる上、帝国領土内に入れても問題無いくらいには優遇されている専業奴隷が大半を占めている。

 

 肉体労働にしても基本的に技能がいるものが主軸であり、他国の奴隷制度で買い入れられる奴隷達よりは随分とマシな現状があるという。

 

 結果として奴隷の多くは使い捨てられる事が殆ど無く。

 

 大半、家事炊事技能職とされる。

 

 この帝都において奴隷達がどのように働いているのかを知れば、多くの国家は先進的ですなと驚くかもしれない。

 

 まぁ、基本的に高級娼婦=愛人役な奴隷と専門職系の奴隷は食事もその他の健康状態を維持する為の衣食住も全て保障されている為、働ける限りはまともな暮らしが出来るし、働けなくなったとしても主人が良い人の類ならば、別の仕事をしたり、主人の御用聞きとして家の仕事、雑用をやったりする。

 

「マヲー」

 

 家に居付いたバルバロスなのだろう黒猫さんは現実世界に召喚されてから異世界に再召喚されたっぽい何かであるが、奴隷どころか。

 

 毎日毎日ぐってりと太々しく。

 

 まるで此処の飼い猫ですよと言わんばかりにこちらの傍で寝そべっている為、北部で買って来たペットなのだろうとメイド連中には可愛がられているらしい。

 

「はーい。猫ちゃ~~ん。今日のご飯ですよ~」

 

「マヲー」

 

 しかも、人間と変わらない量の飯を食い。

 

 ついでに普通の猫には明らかに食えない野菜もバクバク食う。

 

 食う時の皿は人間と同じものを用意しろと先日プリプリ怒っていたのでメイド達も基本的には人間扱いする。

 

 バルバロスには色々いるんだと誤魔化した手前。

 

 ついでに先日の襲撃情報も事前に教えてくれた事を加味しても、家で養うのは吝かではない……のだが、それにしても自堕落な感じなのは否めない。

 

 食事をしたら、ダラダラとこちらの部屋に寝そべり。

 

 学校に行って学内の館に戻ると。

 

 何食わぬ顔で館内部を歩いていたりするのだ。

 

 移動方法も謎だが、普通の猫の移動速度でも在り得ないような場所に神出鬼没で出現する為、背景に必ずいる幽霊写真の主と思っているくらいがちょうどいい。

 

「フィティシラ。今日はお招き頂きありがとうございます」

 

「そう堅苦しくなるな。御爺様に叙勲されたんだから、堂々と称号は受け取っておけ」

 

「そうは言うけど、この帝都に来てからリージさんやゾムニスさんに最低限の礼儀作法とか常識とか色々教えられて一杯一杯だったよ……」

 

 騎士フォーエ。

 

 フォーエ・ドラクリス。

 

 現在、研究所の文芸部門連中に造らせている北部宣伝用の主人公。

 

 竜騎士として正式に帝国に登録された少年はゼンドを中庭に待機させて、黒猫と遊ばせつつ、中庭の見える応接室でお茶をしていた。

 

 見目は良い方なので少年騎士という肩書は左程悪く見えない。

 

「それで御爺様はどうだった?」

 

「そ、その、スゴイ睨まれたんだけど。ウチのふぃーちゃんに手を出したら、解ってるね? とか、言われたよ……」

 

 少し顔が青い少年の言葉に後で祖父に釘を刺しておこうと孫馬鹿加減に溜息を吐いておく。

 

「まぁ、気にするな」

 

「う、うん………」

 

「何か言いたげだな」

 

「その……故郷の事。手紙の事は逐一聞いてるから解ってるけど、やっぱり心配で……早く帰れないかなって……君の手前、こういう事を言うのはアレなんだけど」

 

「それは気にするな。冬には一時的に帰る時間を作る。それに今年の冬に関しては死人が出たとしても餓死以外の理由だ」

 

「うん……鉱山の予備調査も全部終わって、採掘が始まったのは聞いてる」

 

 従来の祖国の冬とは違う。

 

 集中投資が為されて初めての冬は少なからず事故や事件以外で死人は出ないだろうことはきっと目の前のフォーエにも解っている。

 

 だが、解っているのと心配なのは同居するのだ。

 

「現在、銅剤を配合研究中だ。冬までには採掘した銅の加工と販売も始まる。それまでに計8棟の工場設備の建築も終わる」

 

「僕も一応、役立てるようにリージさんに経済学を学ばせて貰ってるんだ……祖国に帰った時、何か手伝えないかって……」

 

「後から役に立つんだから、そんな申し訳なさそうな顔するな。助けてくれてる連中は儲けと自分の趣味が一致してるから、そうしてるだけだ」

 

「そうは言うけど」

 

「善意や人助けなんて一割もないぞ? ま、数に強いと後から領地経営でも役立つから、そのまま進めておけ」

 

「う、うん。その……それでなんだけど」

 

「?」

 

「覇竜騎士団の団長とか世間で噂が流れてるらしくて……」

 

「ああ、その事か」

 

 南部皇国を秘密裡に結成された帝国の竜騎士を中心にした騎士団が撃滅した。

 

 という噂が現在の帝都には流れているのだ。

 

「嘘だって噂を流してくれないかなぁ……と」

 

「何でだ?」

 

「いや、何か下宿先のリージさんのお店でスゴイ店員さんや他の人達に絡まれちゃって……機密だから言えませんで今は通してるんだけど」

 

「そういう事か……」

 

 現在、リージが殆どディアボロの経営で缶詰になっている為、一番傍に置いておく意味でも二階の倉庫を改修して、一号店の二階に住まわせているのだ。

 

「安心しろ。陸軍の一部にバルバロスを使った陸戦航空支援部隊として諸外国にも少数はいる竜騎士を使う案はつい昨日の帝国議会で議決済みだ」

 

「え?」

 

「後、実験部隊、試験部隊として民間協力者として帝国発の正規部隊に登用する竜騎士としてお前も登録済みだ」

 

「ええ!!? 聞いてないよ!?」

 

「言う暇無かったんだよ。今日までずっと色々なところと折衝してたり、視察したり、勉強したり、諸々時間が取れなくてな」

 

「そ、そんな……な、何を教えるって殆ど技術とか僕分からないよ?」

 

「気にするな。そこはウチのメイド2人が補佐に付く。必要な教科書も書いといた。泣きながら菓子作ってグッタリしたりする元竜騎兵な隊長様と副官様の御墨付だ」

 

「それってデュガさんとノイテさん?」

 

「ああ、今日は菓子作りで精神が擦り減ってたから、休みにしてる」

 

「お菓子作りで心が擦り減るって……何させてたの?」

 

 どうなったら、そうなるんだと訝し気な視線に肩を竦める。

 

「ちょっと、恵まれない子供と孤児院の支援者連中を洗脳する為の小道具だ」

 

「せ、洗脳? 冗談じゃ、ないんだよね?」

 

「解って来たじゃないか。洗脳と言っても、味方になってくれる連中を増やしただけだ。研究所の文芸部門の造った絵本を配ったり、既成事実化する帝都内の工作活動の下地作りだ」

 

「何か、思ってた貴族の寄付とかとは違う感じなんだね……」

 

「普通の貴族のクズは孤児院に寄付して自分の愛人育てさせてるからな。何なら年頃になったら、メイドとして雇って襲うのもスタンダードらしいぞ」

 

「うわぁ……偏見に満ちてない? それ」

 

「そうだな。帝国貴族の2%……1割以下くらいそんなのがいるって話が多いと取るか。少ないと取るかの問題だ」

 

「そ、そんなに?」

 

「別にちゃんと養って、愛人関係を結ぶならまだしも。実質、性奴隷や娼婦状態の若者を使い捨てる連中もいる」

 

「………」

 

「幻滅したか?」

 

「うん。結構……」

 

 フォーエに肩を竦める。

 

「でも、それですら国外の奴隷連中よりはマシってのは奴隷商人やオークショニアの間じゃ通説だ。ま、国外は完全使い捨てだからな。使い捨てる時に殺すのもよくあるとの事を聞けば、まだマシ、くらいの話だが……」

 

「それで……そういう話をするって事は……その何かあるんだよね?」

 

「解ってるじゃないか。そういう事だ。貴族らしい仕事第一弾だな」

 

 フォーエの前に書き上げたばかりの計画書を差し出す。

 

「師団構成……これって、本当にあの噂を?」

 

「ああ、試験部隊と言っても各地の訓練大隊や軍学校からメイドの助言に従って子供連中を集めてる。具体的には竜が相棒として育てられるギリギリの年齢だな」

 

「そ、それってどういう事?」

 

「お前もだが。バルバロスに乗る殆どの連中は何かしらの理由から子供の時にそいつを育てる事で乗る事が可能なんだそうだ」

 

「そっか。僕はゼンドを拾って育ててたから……」

 

「メイド連中が昔いた国では数多くのバルバロスを人工飼育して大量の子供に面倒を見させて、誰でも乗れるように慣れさせるんだとか」

 

「つまり、竜を大勢の子供に世話させないとダメって事?」

 

「そういう事だ。幸いにして北部の山岳国家には竜を飼育するところもあったし、竜の養殖で卵を売ってるところまであったからな」

 

「……今までの流れから察するに……その……孤児の子達を竜の世話をさせる、とか考えてる?」

 

「安全には気を遣うし、大人も同伴する。子供の副業としては破格だろ? 勿論、相応に物心が付いて、自分の命を懸けてって自覚が出来る者に限る」

 

「危険を冒しても……お金が必要って事なんだね。此処は帝都なのに……」

 

「残念ながら、そういうのを今すぐに真っ当に立て直してやれないオレや帝国の官僚貴族の力不足だ」

 

「……僕みたいな子がいつかいなくなればって思うけど、今はまだ無理なんだよね……」

 

 フォーエが僅かに拳を握る。

 

「それは平和な時代が来たらの事だ。帝都の孤児はこれでもお前のとこや他の国よりも恵まれてる。それでもやっぱり足りないものは足りない……」

 

「いつか、故郷で孤児がいなくなるように……仕事するよ。僕」

 

「そうしろ。ま、それでも子供だって一端に自分の手で戦う事は出来るようになるってだけだ。お前と同じようにな。だから、今はその理想を手放さないで心の中に仕舞っておけ」

 

「うん。解った……それで話を戻すけど、竜は人の手で増やせるって事でいいのかな?」

 

「あくまで竜の卵を産ませるところまでしか出来なくて、竜の飼育知識は洗練されてなかった感じか? お前と同じように感覚重視で意気投合出来る竜に乗る連中がいるってだけだった」

 

「そんなところもあるんだ……」

 

「山岳国家から予算で卵を購入。兵隊は軍学校に入ってる貴族の子弟と成績優秀者、基本的に人格と能力が認められた連中を使う」

 

「命掛けって事だよね?」

 

「ああ、そうだ」

 

 フォーエが気付いた様子で僅かに俯いた。

 

「竜がそんな簡単に手懐けられるなら、幾らでも竜を使う国はあるだろ。そうならないにはならないなりの理由がある」

 

「子供に竜を慣れさせて、それをそれより年長の軍学校の子達が育てるって事でいいの?」

 

「ああ、そうだ。そして、軍経営の軍学校に入ってるんだ。最前線程の危険は無くても命を掛けて訓練や調教をする事になる」

 

「その指導を僕に?」

 

「お前は自分が感じたままを伝えればいい。技術や知識はこちらで補う。空飛ぶ機械が出て来るまではお前が北部を護る空の覇者になれ」

 

 その言葉に何故か苦笑が返された。

 

「君が言うと全部、本当に聞こえるから性質が悪いと思う……まったく」

 

「嘘は言ってない」

 

「ふふ、そうかもね。なら、僕は君の騎士として。いや、竜騎士として恥ずかしくない人間になるよ。フィティシラ」

 

「ああ、そうしてくれ。竜だけじゃなくて、色々と北部で見つかったバルバロスの幼体で手懐けられそうなのも持って来る予定だ」

 

「え、竜以外にも?」

 

 さすがにそれは自分の手でどうにか出来るのだろうかと言う顔になるフォーエだが、今は何事も危険と隣り合わせで挑戦して貰うしかない。

 

 それが上手く行かずに死んだり、再起不能にならないよう気を付けは出来ても、やらないという事は在り得なかった。

 

「そっちは手探りで研究してもらう事になる。大人には出来ない。だが、子供には危険過ぎる。そういう任務だ」

 

「任務……」

 

「オレからお前への初めての公式任務だ。大人と一緒で命が掛かる。いや、子供だからと手加減される事が無い点で言えば、相手は同じ生き物だが、人間相手より性質が悪いぞ?」

 

「……やるよ。やってみせる。それが君の望みなんだよね?」

 

「ああ、オレも命を懸けて北部の発展に尽力しよう」

 

「うん。必ず……」

 

 素直な少年を地獄に送り出す自分は正しくメフィストみたいなものだろう。

 

 だが、それを承知で頭をポンポンしておく。

 

「あ、う、フィティシラ? は、恥ずかしいよ。それ……」

 

「気にするな。弟分は丁度いい人間になれって事だ」

 

「お、弟分て……僕の方が見た目はお兄ちゃんじゃない?」

 

「姉より優秀な弟になれ。ふふ」

 

 手を引いて、相手に他の資料も押し付ける。

 

 それを読めるように必要な辞書に付箋も張ってプレゼンド。

 

「頑張れ。まずは勉強からだがな。部隊発足まで2か月。それまでに必要な事は一通り出来るようリージへ教育を頼んである。フィティシラ・アルローゼンの竜騎士を名乗る以上、相応の格を軍の坊ちゃん貴族連中に見せられるようにな」

 

「うん……頑張るよ。君の騎士として舐められないように……フィティシラ」

 

 こうして今日のお仕事の一つ目が終わる。

 

 フィティシラ・アルローゼンに休みなど無い。

 

 人を戦わせる以上、銃後の世界、帝国こそがこの身の主戦場だった。

 

 *

 

 本当の陰謀というのは一見して地味な事の積み重ねだ。

 

 基本的に社会的な仕組みと社会の動かし方を熟知して、必要な手札を揃えつつ、その手札の動かし方を考え、その結果を積み上げる事で物事を動かす。

 

 現代でも軍事関係のステルス・マーケティングは行われていたし、独裁国家なら情報統制を掛けるのもよくあった話だ。

 

 民主主義国家の中でだろうとも工作員が様々な仕事に従事していただろうし、その中には第三国経由での資金や人材を用いる事も多かっただろう。

 

 根本的に自分で手を下さない。

 

 回りくどい事をやるのが工作員だ。

 

 生憎とそう言った手法を使わず。

 

 社会に存在する単なる一般的な事象を用いて社会を誘導する事は原因と過程と結果に理解があれば、可能な範囲の事だろう。

 

 戦争をする時に儲かる企業に投資するような話だが、リスクは常に分散させている為、左程に失敗する事は無い。

 

 無理な目標や無理な手段を使わない事。

 

 こちらからの資金や人材の持ち出しも目標や方法次第でどうにでもなる。

 

 足場固めで地道に孤児院の改善案を出したり、貴族連中の情報を集めたり、内情を探って現在の帝国内の勢力図を明らかにしたり、やる事はやっぱり山積みだ。

 

「ふぅ……」

 

 だから、自分に出来る一番穏便で回りくどい工作活動は手が抜けない。

 

「あ、あの、ほ、本当によろしいのですか!?」

 

「大丈夫です。これも社会経験の一助となるものですから……」

 

 現在地は帝都にある幾つかの孤児院の一つ。

 

 そこで養育者となった人々の手伝いをしていた。

 

 弱者救済というよりは弱者の内実を知る為の作業だ。

 

 経営実態を把握する為に一番品の良い孤児院に訪問して、前日に作った菓子が食べられた後、問題が無かったかを確認。

 

 ついでに孤児院の現状の問題を実地で学んでいる最中でもある。

 

 荷下ろしを手伝っていたのだが、もはや養育者達は恐縮し切りだった。

 

 子供達は遠巻きに眺めていたが、現在は近くに寄って来ている。

 

 馬車から荷を下ろした後。

 

 お手伝い用のエプロンと軍手姿で孤児院の経営を冷静に分析。

 

 施設構造や老朽化具合も確認。

 

 養育者達の人格と能力も大まかに内心で人物表に書き加えていく。

 

「これで今日の分はお終いですか?」

 

「え、ええ……ですが、本当にご無理は為さらないで下さいね……」

 

 心配そうな40代の女性養育者がハラハラした様子でいるものだから、大丈夫だと笑顔を浮かべてから施設内の隅々にまで案内して貰い。

 

 あらゆる問題を内心で書き出していく。

 

(やっぱり、人員配置が問題か。それと孤児院の老朽化も深刻だな。今度、研究してた建材の実地での運用試験名目で各地の孤児院立て直すか)

 

 応接室まで戻って来ると薄い紅茶が出されて、恐縮し切りの女性が対面に座り、不安げな様子でこちらを見ていた。

 

「子供達はお菓子を喜んでくれていたでしょうか?」

 

「え、ええ!? それはもちろんです!! こんなの初めて食べたと何度も何度も喜んでいて……それに子供達の為に製紙の絵本まで本当にありがとうございました」

 

「いえ、帝国の孤児院の困窮を見過ごしては帝国貴族の名折れでしょう。本来、福祉分野にはもっと国家予算を掛けるべきですが、今は戦中で此処まで資金は廻って来ない。となれば、貴族が身銭を切るのは当然の事です」

 

「ッ―――」

 

 何かこちらの話を聞いた女性養育者。

 

 イルイナ・エマソンが涙目でシクシク泣き出した。

 

「エマソンさん。此処では貴女が子供達の母親なのです。そのように泣いていたら、子供達が不安になってしまいますよ?」

 

「す、済みません。先程のように言って下さる方に初めてお会いしたもので」

 

「わたくしは今後の帝国で出る孤児達がまともに生きていけるような環境を整える事を目指して、このような活動をしています。現在の孤児院の経営が不健全だと危機意識を持つ故に……」

 

「危機意識、ですか……」

 

「ええ、多くの孤児院が貴族の寄付だけではなく。貴族の慰み者になる子供達を養育している事も原因です」

 

「ッッ」

 

 一気にエマソンの顔が蒼褪める。

 

「別に非難しているわけではありません。それで食べている子供達がいるのも承知しております。ですが、やはり、子供達の環境としては歪でしょう」

 

「………っ」

 

「社会に出たら、貴族達の愛人にされるというのは貴族の悪習でもある」

 

「それは……その……っ……わ、私は……っ」

 

 涙目なエマソンがガクリと肩を落として震える。

 

 エマソンはそもそも孤児院出だ。

 

 ついでに貴族相手にそういう仕事をして子供達と何とか生活している被害者であり、加害者でもある。

 

「ですが、今後の帝国内においてはそういった事は起こらなくなるでしょう」

 

「え?」

 

「孤児院の子供達を社会で働く人材として発掘し、労働者としてまともに食べさせていく為の事業と制度を起こす事にしました」

 

「じ、事業?」

 

「今後、寄付ではなく。孤児院の経営は将来的に子供達が働く働き口となる商業団体からの租税を原資として行う事が帝国議会で決定致しました」

 

「そ、それはどういう?」

 

「簡単に言えば、徒弟制度の間口を広げて孤児達に専門教育を施し、まともな労働先となる商会や技能の必要な労働者として養育致します」

 

「徒弟……」

 

「ええ、これらの租税は将来的な人材確保における投資という立ち位置となり、人数に比例して孤児院へ運営資金を一括で毎月分降ろす事になるかと」

 

「そ、そんな法案が? き、貴族様方の会議では……」

 

「無論、抜き打ちの監査もあります。また同時に貴族からの寄付に付いては個人で年間予算の1%までと制限させて頂きます。要は金と引き換えに愛人を養育する仕事では無くなります」

 

「―――そう、ですか」

 

 その言葉に何を思ったのか。

 

 今にも警邏が入って来て拘束されるのではという想像すら貴族が支配する世界では想像の範疇かもしれない。

 

「運営資金は人数比ですが、それ以外の施設の改築や立て直し、消耗品に関しては耐久財も含めて国の管理下で余ったものを寄付する事になるかと」

 

「………アルローゼン姫殿下。貴女は孤児達をどうなさりたいのですか?」

 

 今まで忙しく泣いたり、蒼くなったりしていたエマソンが最後には何か切実な表情でこちらを見ていた。

 

「教育は人生のおける幼少期において一番重要な要素です。今後、子供達は浮浪者や低賃金労働者として日雇いでこき使われるのではなく。まともな職に就いて頂き、その上で税を納めて頂く。単なる貴族の合理的な経営手法ですよ」

 

「それにはその……凄くお金が……」

 

 誰でも知っているだろう。

 

 高度な教育には大量の資金が必要だ。

 

「そうでもありませんよ。徒弟制度の間口を広げるという事で子供達に様々な仕事の現状を教え、将来的な顧客と弟子に成り得る人材を確保する為、多くの商工会の現場から福祉の一貫として優秀な人材に教育指導の派遣を行わせます」

 

「派遣、福祉……」

 

「商業母体側は職人や労働者の確保と社会貢献する事で帝国からの別の租税の一部免除を受け取り、子供達は高度な専門技能職に数多く触れて、教育されながら、その中に自分の未来を見付ける」

 

「……す、素晴らしいお考えだと思います」

 

「御冗談を。穢い大人が穢い利益を得る為に群がるだけでしょう。それに子供達へ往々にして危険な仕事も斡旋する事になります」

 

「き、危険な?」

 

「バルバロスの幼体の世話が今後の陸軍では重要視されるようになる為、その世話係として子供が必要なのです」

 

「そ、それって、りゅ、竜とか、でしょうか?」

 

「ええ、今まで言っていた方策で引っ張って来れる予算は恐らく帝都どころか帝国中の孤児を全て真っ当に養える程のものではありません」

 

「それは………」

 

「なので、子供達を飢えさせず、まともに養育してやる為の原資として最も国家予算を食っている陸軍から資金を引いて来る事になりました」

 

「危険、なのですよね……」

 

「何もかも子供にさせるわけではありません。勿論、専門家や大人達が随伴し、必要な安全措置も取ります。帝国陸軍とて子供を死なせては世間体が悪いし、背後からの視線には敏感です。真っ当に子供達を護る方策も取らせます」

 

「………本来、あの子達には……」

 

「危険な事をさせずに育てたい。そう出来れば、最上でしょう。ですが、現実はそう上手くは行きません。それが是正されるのはまだ当分先の事でしょう」

 

「大人として情けない……っ……そのお話を蹴れるくらいに私は……」

 

 エマソンが唇を噛みながらもどうにもならない現実に項垂れる。

 

「お気になさらず。というのは無理でしょう。ですが、子供とて残酷、子供とて時には罪も犯す。でも、だからこそ、命を懸けて何かをやろうという気持ちもまた持ち合わせている。大人達と同様に。多くの人々と同じように」

 

「……そう、ですね。あの子達は決して無力ではないと、私も思います」

 

「それで子供達が真っ当な教育を受ければ、例え商会職員や技能職にならずとも、誰かが真っ当に育てるなら、立派な大人にはなってくれる」

 

「立派な……」

 

「彼らが知識と未来を用いて自分達の商売や自分達の生活の為に新しい試みを始めれば、それをまた国が支援し、国家は大いに富むでしょう。それが出来ない子とて誰かの良き隣人として必死に生きて行こうとすれば、それはそれそれだけで素晴らしい事なのですよ。」

 

「………わ、私には難しい事は分かりません。ですが、貴女が本気だという事だけはこの胸にしかと刻まれております。姫殿下……」

 

 エマソンが初めて貴族ではなく。

 

 目の前の相手を見たような顔になる。

 

「人は壁、人は城、人は国家そのものなのです。それを蔑ろにする帝国ならば、それは滅びても文句は言えない」

 

 そう、それは何処でも変わらぬ話だ。

 

 人類社会の主体が人間ではなくて何なのかという話でもある。

 

「そうならぬ為にわたくしは皆さんの生活と未来に具体的な補償を約束せねばならない。それが子供に危険な事をさせる事しか出来ていない事は極めて遺憾ですが、何れ……危険な事をせずとも子供達が真っ当に育てられるだけの環境を作るとお約束します」

 

「そんな、平民にしか過ぎない私相手に約束だなんて!? お、恐れ多い事です」

 

「そう、畏まらず。それが帝国貴族の務めというだけなのですよ」

 

 エマソンがこちらの言葉を聞いてから、何か衝撃を受けた様子になり、最後には深く頭を下げた。

 

「貴女には今後も期待させて頂きます。イルイナ・エマソンさん。貴族の穢さと人間の醜さを知りながらも、自らの身を粉にして子供達を護る貴女こそ、本当の愛国者なのですから……」

 

「ッ―――」

 

 顔を上げて、泣き出しそうになったエマソンがやはりまた深く頭を下げる。

 

「お顔を上げて、また数分後には子供達に笑顔を見せられるように致しましょう。もしも辛くなったのなら、その時はわたくしでなくても役所や福祉の専門部署が貴女を助けてくれるよう、改革が終わるのをお待ち下さい」

 

「姫殿下……」

 

「時間は掛かるかもしれませんが、子供達の、何よりそれを支える貴女のような方々の、より良い未来の為に……一帝国貴族が戦う事もある。それだけ覚えていて下されば、幸いです」

 

「ッ………はい!!」

 

 その日の夕暮れ時。

 

 孤児院を後にすると子供達には睨まれてしまった。

 

 それもそうだろう。

 

 自分達の母親に等しいエマソンが泣いていた事を敏感に感じ取り、この貴族の女はお母さんを泣かせたと思われてしまったのだから。

 

(これは改革の前哨戦に過ぎない……既得権益を崩すのも一苦労だな。ふぅ)

 

 帝国本土内の改造計画はゆっくりとだが、動き出した。

 

 まだ、それを理解出来る程に実感する者達はいないだろう。

 

 だが、水面下で御爺様に帝国議会へと提案させて成立させている一見して地味な施策の数々は全てが全て下準備に過ぎない。

 

 福祉政策は金食い虫だし、リターンは遥か未来で受け取る事になる年金染みたものが多い。

 

 多大なコストに見合うリターンを短期的に受け取る事は不可能だが、その福祉で短期的な人気は獲得する事が出来る。

 

(まずは国民を味方に付けないとな……)

 

 人の感情を満足させる方法としては下の下だが、元々足りない場所に補充するだけならば、資金的な制約こそあれ、その制度や事業は始動可能だ。

 

 そして、社会的な人材不足を理由に商会や事業体を動かす事も不可能ではない。

 

 戦後の将来を見越した目敏い大商人連中と地域福祉の名の下に社会貢献という名声と栄誉を引き換えに教育リソースを得るのは悪くない手法だろう。

 

 無論、その内容も吟味するし、精査するし、コストを掛けさせるので問題無い。

 

 要はやらなければ、人でなしと謗られる空気を醸造してやればいいのだ。

 

 常に美談は美談であるが故に評価が裏返った際の圧力はスゴイものがある。

 

 半ば義務付けて、面倒でも真っ当にやらなければ、白い目で見られるようにしてやる事で儲け以外に興味が無い連中もやらざるを得なくなるだろう。

 

「さ、次だ」

 

 馬車の中で伸びをしながら、夕暮れ時の帝都を駆ける。

 

 夜には夜の仕事が待っている。

 

 陰謀は続くのだ。

 

 何処まででも………。

 

―――帝都南部孤児院-ヒイラギの森-。

 

「エマソンさん大丈夫!?」

 

「お母さん!? あのこにひどい事されたの!?」

 

「いいえ、いいえ、貴方達……私のカワイイ子達……よく覚えておきなさい。今、貴方達が見送った方こそが、この先の帝国で唯一信ずるに値する方であると」

 

「え?」

 

「綺麗な子だったけど」

 

「どういう事? お母さん」

 

「まだ、解らなくていいの。でも、いずれ……いずれ解る日が来るわ。その時が来たら、貴方達にも本当に頭を垂れるべき相手が解る。本当の貴族の事が……」

 

「ほんとうの」

 

「きぞく?」

 

「え~きぞくってあれだろー。えらそーなのだよ!!」

 

「ふふ、そうね。今はそうなのかもしれない……でも、本当に偉人となる方を前にしたら、そんな風には思えなくなるわ……」

 

「いじんってなーに?」

 

「本当に仕えねばならないと感じられる人の事よ……全てを知って尚、こんな私を愛国者だなんて……今度、お礼の手紙を書きましょう。あのお菓子のね」

 

 年長の子供達は気付いた。

 

 昨日人生で初めて食べた本当に甘いお菓子。

 

 それが誰の手によるものなのかを。

 

 夕暮れ時の景色に馬車はまるで陽炎のように消えていくのだった。


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