ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第32話「旅立ちへと向けて」

 

 会議6日目の最後の夜が明けた頃。

 

 遠方にはユラウシャの最終列だろう馬車の群れが見えていた。

 

 国民の多くが疲弊していたものの。

 

 何とか無事に辿り着いた様子だ。

 

『此処がヴァドカか~~逃げてきたら石しかねぇ』

 

『逃げて来たんじゃない。商売しに来たんだ』

 

『物は言いようだねぇ』

 

 この数日、軍に大工達と共にヴァドカの周辺に避難民を収容する為の掘立小屋よりはマシくらいの家を簡易に立てさせ、周囲に便所を掘らせ、ついでに河川を用いて船でアルジーナから木材を運ばせ、決済その他も色々と新しい方式を試していたのだが、これで最低限の下地は出来ただろう。

 

 ユラウシャからの定期連絡は逐一させていたが、それにしても大規模な軍による演習という名の工作は各国軍の意外な良さも垣間見せた。

 

 簡単に言うと徴兵している各国の専業従事者達が兵士の仕事をするよりもまともに役立ったという事だ。

 

『おーい。そっちの板をこっちに持って来てくれぇ!!』

 

『縄掛けてくれぇえ!! 牛で引っ張るぞぉおおお!!』

 

『馬車に載せろぉおお!! 大工道具一式だぁああ!!』

 

 農民は農地を耕し、商人は商売をし、大工は家を建て、兵士として戦うよりは生き生きしていた。

 

 なので軍事演習としては確実に不合格だが、単なる兵隊よりはよっぽどマシに使える人材と言えたのだ。

 

 奇しくも各国が徴兵態勢を取っていたからこそ、災害救助や難民援助のような事が行えたのである。

 

 ちなみに大半技能職に付いていなかった連中は大工の力仕事専門でヒィヒィ言っていたが、常備軍でもないので訓練による事故で死ぬよりはマシだろう。

 

『避難民の方は登録後にあっち側から入って下さいねぇー』

 

『誰も住んでない空き家を宛がいますから~』

 

『掃除はご自分で~~男手や女出が無い御老人や子供は軍の方に~』

 

 コレを分け隔てなく組織化してユラウシャに今の内に恩を売っておけと唆したので軍の大将級連中は王の手前何もしないと肩身が狭い為、イソイソと手に職が無い若者に軍略を解く老人みたいなものと化した。

 

 無論、長年の敵国人同士でのいざこざはあったが、今後の北部諸国の同盟成立に向けて王による各国軍への説明と現在北部がどのような状況になっているのかという説明を上手くやってくれたところが多く。

 

 案外スムーズに軍人同士の繋がりも構築されていた。

 

『今、北部を狙う南部皇国の魔の手から我が国が一番に他国を救い―――』

 

『あの仇敵共よりも先に南部皇国を倒し、我が国の優位性を―――』

 

『とにかく今は皇国が敵だぁ!! 他国の連中にちょっかい出すなよぉ』

 

『傭兵共ぉ!! ユラウシャ人に傷を付けたら、後で軍事法廷だぞぉ!!』

 

 無論、他国の王の手前。

 

 民間人に理不尽な暴力を振るおうという輩がいなかったという事にしか過ぎないが、統一軍として再編成するまでの流れは大まかに出来た。

 

 個人の憎悪や憎しみなど少数では大河に流れる一滴に過ぎない。

 

 その向け処を皇国にした手前。

 

 しばらくは一致団結して事に当たれるだろう。

 

 その合間に軍人連中を平和な文化で骨抜きにしなければならない。

 

 軍人の心理的に最も重要な仕事は人殺しに対するマインドセットや武器を置けるかどうかだ。

 

 軍隊よりも刺激的な娯楽を提供し、相手の心を略奪よりも平和的な欲求で満たしてやる事こそ、こういう時代の軍人には必要だろう。

 

「アルローゼン姫殿下ぁ~~~来ましたぞぉ~~~」

 

 イツァルネアの王が媚び媚びな笑顔で遠方からの馬車の群れ。

 

 帝国の苦労人な男や研究所の連中に揃えさせた物資の乗った馬車の群れを見て、自分の手柄だと言わんばかりに手を振っていた。

 

(はは……何かあの無能系王様憎めないんだよなぁ……)

 

 帝国への手紙をイツァルネアを通じて伝書鳩や早馬を通じて出し続けているのだが、これで北部でも十分な活動が出来る事だろう。

 

 やってきた荷馬車の帝国兵。

 

 いや、御爺様の暗部の一人が頭を下げてから、こっそりと数枚の手紙を差し出してくる。

 

 ヴァドカの街の外。

 

 軍の野営地の端での事だ。

 

 届いた荷物をイツァルネア王が直ちにぃいいいいと言いながら指定していた場所へと届けに向かう横で手紙を開く。

 

「………問題は無いようだな」

 

 続いて相手に書いていた手紙を手渡すとすぐにこちらへ頭を下げてから普通の人足に混じって荷降ろしへと向かった。

 

 すぐに荷物の中身を確かめると自分宛の荷が複数。

 

 その木箱の封をナイフで開けてみる。

 

「ん?」

 

 するとヒラリと内部から小さな紙が一枚。

 

 だが、それよりも気になるのは内部に生物が入っていた事だ。

 

「マヲ? ママヲ~~♪」

 

「………お前何処かで……ッ」

 

 黒猫みたいな生物がヨッと片腕を挙げた。

 

 それは本当に人間臭い動作だった。

 

 一応、手紙らしき紙を読んでみる。

 

「ええと、新しいバルバロスらしき生物を捕獲したので北部諸国で心が荒んだに違いない主へ愛玩用に送ります。もう運転資金以外カツカツです?」

 

 どうやら、働かせ過ぎた弊害であちらは大変らしい。

 

「マヲ~~」

 

「お前、あの時、あの黒の塔にいた……お前もこっちに飛ばされて来たのか?」

 

「マヲ~~」

 

 ウンウンと抱き上げた黒猫?のようなバルバロスらしいソレが頷く。

 

「お前がどんな生物なのか知らないが、どうやら人間並みの知性があるようだ。取り敢えず、お前何か出来るのか?」

 

「マヲヲ?」

 

「働けるなら、働けって事だ。こっちは正しく猫の手も借りたいんだがな」

 

 ブルブルと首を横に振った黒猫が荷物の上に駆け上がり、ダラーっと寝そべってカワイイ・ポーズで転がる。

 

「知性ある癖にニート属性かよ……はぁぁ……まぁ、さすがにその手じゃ何をさせようにもな……マヲッとしか喋れないんじゃ、さすがに斥候にもならないか」

 

「マ、マヲヲ~~~!?」

 

 失礼だなぁという表情豊かな顔で黒猫がプリプリ怒ったようなジェスチャーで二本の脚で立った後、地表に降り立つ。

 

「?」

 

 指先の爪で何やらガリガリと地表を掻き始めた。

 

『なぁなぁ、遂に猫に話し掛け始めたぞ? やっぱり、疲れてるんじゃないか?』

 

『今はそっとしておきましょう。それと香草茶の用意を……』

 

 背後でかなり失礼な事を言われているようだったが、現実で見た狂人科学者が何か意味ありげに頬擦りしていた生物だ。

 

 それも何か最新科学の精粋によって召喚されたみたいな事を言っていたし、それが本当の事ならば、何かこの世界での活動にも有用かもしれない。

 

「何だ?」

 

「マヲヲ~~~」

 

 カリカリと爪先で地面に何かを書き始めた猫。

 

 それをしばらく見ていると地面には穴が開く程見たようにも思う北部諸国の地図の一部らしい地形が描き出された。

 

 しかも、その一点から何か矢印が伸びて、現在地であるヴァドカに伸びつつある。

 

「……何か来るのか?」

 

 それにウンウンと猫が頷く。

 

「お前、あの教授にも何か教えろって言われてたけど、どういう生物なんだ?」

 

「マヲ~~?」

 

 猫っぽく小首を傾げられた。

 

「取り敢えず、その忠告は受け取っておく。何喰うのか知らないが、何か食いたくなったら、自分が食える物を指差しでもして教えてくれ。用意してやる」

 

「マ、マヲ~~!?」

 

 目をキラキラさせた黒猫は本当に人間臭い。

 

 その身体がヒョイと跳ねるとノシッと肩に乗った。

 

「重いんだが……」

 

「マヲゥヲ~~♪」

 

 何やら上機嫌らしい黒猫が降りる気も無さそうなので仕方なく踵を返した。

 

 背後で何やらヒソヒソしていたメイド2人が何も見てませんと言いたげに視線を逸らしてから敢て黒猫の事には触れず話し掛けて来る。

 

 極めてゲッソリしたのは間違いなかった。

 

 一応、早馬を出して猫の言っていた方角に哨戒任務を言い渡した一部の騎馬隊が慌てた様子で街道沿いから戻って来たのは数時間後。

 

 その第一報を聞いた各国の王で最も蒼褪めていたのはアルジーナ王その人……ではなく……その娘であるメイヤだった。

 

 *

 

「まさか……こんな時期に……」

 

 メイヤが話しがあるとアルジーナ王からの要請ですぐに王城の一室へとやって来たのだが、アルジーナ王は既に他国の王と共に現在の状況確認と対応策を検討中。

 

 残されたメイヤは沈んだ様子でこちらを前に椅子の上で項垂れていた。

 

「どういう事なのか説明して欲しいのですが」

 

「はい。アルローゼン姫殿下は北部諸国のバルバロスを祀り静めている宗教があるという事はもう知っておいでだったはずですが、何処まで内実を御理解していますか?」

 

「それが、あるという事だけしか」

 

「そうですか。北部諸国の幾つかの国家。特に人が殆ど済まない廃国域になった国々の一部には今現在、バルバロスが大量に住み着いているのです」

 

「そうなのですか?」

 

「はい。彼らの多くはその最大の個体。神と呼ばれる太古の昔から存在するとされるモノの群れの長として頂き。幾つかの隣国にある神殿はその土着の神々を祀る事で動きを抑えております」

 

「具体的にはどのように?」

 

「……贄です」

 

「ッ」

 

「ただし、生贄と言っても多くの場合は堕胎された子と戦乱で死んだ者達の死体という形で捧げさせて頂いております」

 

「なるほど……人間の死体を喰らう化け物という事ですか」

 

「……死肉を喰らうモノもおりますが、実際には喰らわずに自らの能力で灰にしたり、腐らせて土に還したりなど……多種多様な方法で葬って頂いているという事もあります」

 

「バルバロスがソレを?」

 

「はい。大昔からの決まり事です。これは北部諸国においては戦乱後の風土病や疫病を防止する意味でも重要な祭事であり、命を自然に返し、御霊を安らかにする為のものでもあります」

 

「……つまり、バルバロスを使って処理し切れない死体を穏当に葬る事が宗教上の重要な祭事であったと」

 

「ええ、ですが、近年はバルバロス達は戦乱が相対的に減少した事により、死肉を喰らう個体達が人の里に下りて来る事も多くなりました」

 

「退けているのですか?」

 

「はい。バルバロスの領域は人の世に在らず。同時に人の世にバルバロスは入るべからずというのが掟ですので……」

 

「それで深刻な様子ですが、発見されたバルバロスらしき群れはどうして、ヴァドカに向かって来ているのか知っているのですか?」

 

 メイヤがこちらを見やる。

 

「自然な流れです。此処数十年大規模な戦乱が無かったと言えど、一度に大量の人間が集えば……」

 

 そこでようやく気付く。

 

「ああ、つまり、戦争になった端からお零れが降って来るのだから、集まってくるのは道理だと」

 

「はい……ですが、実際には死人が出ていないとなれば……」

 

「死肉を喰らうバルバロスは人を?」

 

 コクリと頷きが返る。

 

「では、本当の訓練と参りましょうか」

 

「え?」

 

「穏当に引き返させる事は不可能でしょう。一団の数は4000近いとも聞きます。このまま自然に出た死人を数人放り込んだところで、野生の獣にソレが通じますか?」

 

「ッ―――ですが、バルバロス相手では……かなりの被害が予想されます。元々、幾つかの宗派の巫女達も部隊で墓を漁る相手を何とか追い返していただけに過ぎず……」

 

「問題ありません。必要な装備は全て先程届きましたから」

 

「ど、どうするつもりですか!? バルバロスに人間では!?」

 

 立ち上がって追い縋ろうとするメイヤに苦笑せざるを得ない。

 

「それは逆だと思いますよ」

 

「ぎゃ、逆?」

 

「人間は脆く儚く死ぬのはあっと言う間でしょう。ですが、知恵を付け、群れを成し、技術という火を持って相手を絶滅させるのも人間です」

 

「ぜ―――」

 

「死肉喰らいという事ですが、人の味を覚えた獣はどんな理由があれ、処分するのが社会的な約束というものです。それが言葉も人の情を通わない化け物ならば、尚更でしょう」

 

 メイヤの顔面は蒼白だった。

 

「それとも宗教家として反対ですか?」

 

「……群れの個体がやられれば、最上位のバルバロスが出て来る可能性があります。それは殆ど天然自然の災害に等しい。人間が太刀打ち出来るようなものではありません……」

 

「相手の事を知っているのならば、情報提供をお願いしたいですが……」

 

 こちらの言葉に何一つとして引き下がる様子が無いのを見て、メイヤは重い口を開き始めた。

 

 ヴァドカ周辺へとバルバロスの群れが到達したのはそれから6時間後。

 

 各国を統制し、迎え撃つ為の陣を敷けたのは正しく彼らが毎日のように連隊して土建業に精を出していた成果であり、陣の中央にはライナズ率いるヴァドカ軍がその新たなる脅威へ牙を剥く顎として口を開けたのだった。

 

 *

 

―――ヴァドカ軍最前線中央部。

 

 相手のバルバロスの種類と特徴、その他の情報を聞き出した脚でライナズと各国の王に陣容を整えさせた。

 

 ギリギリまだ配置が間に合わない。

 

 6kmの鶴翼陣を敷いたのは殆ど相手の習性を知ったからだ。

 

 適は死肉喰らいのバルバロス。

 

【臭気放つもの】

 

 四脚獣型の犬に近い見た目らしい。

 

 その硬質な毛皮は剣で切り裂く事は極めて困難で横合いから大の大人が満身の力を込めて地面に突き下ろす切っ先でようやく何とか貫通するとか。

 

 打撃武器の方が利くらしいが、全長が小型は子犬程で大型は3m弱。

 

 高速で移動しながら追って来る狩人であり、その口から洩れる臭いは屍を喰らい続けた事で墓場の臭いがするという。

 

 鼻はどうやらあまり利かないらしく。

 

 発達した瞳で周囲の状況把握を行う云々。

 

 幸いにしてバルバロスの襲撃から警戒して本国に必要な装備を送らせていたので対バルバロス用の攻撃手段は数百単位で揃っている。

 

 また、ヴァドカから必要な物資を買い入れ、アテオラによる天候予測も終わった。

 

「……後は結果を待つだけですか」

 

 陣内を見下ろせる簡易の4m程の櫓の上。

 

 隣にはライナズが座っている。

 

 背後のはしごの下にはハラハラしている男達がいるようだが、何も問題は無い。

 

「各国へ煙を吐き出す矢の色で指示を出す、か。一応、この数日試験的に行っていたとはいえ、そう簡単に動くか?」

 

 ライナズに肩を竦める。

 

「今後の戦場においては情報伝達速度がモノを言います。敵国と戦う際は予め決められた色合いを使う事で軍の部隊の行動を制約し、連続した戦闘になる場合は色合いの意味を直前に変更通達する事で敵軍からの諜報も防ぐ仕様です」

 

「兵が混乱するのでは?」

 

「そこは慣れでしょう。それに長期戦ではなく。あくまで短期戦で使います。同じ色合いのものを何度も使えば、聡い兵や将は気付いてしまいますから。複雑な信号の組み合わせは士官だけに教えて、後は部隊指揮を任せれば問題ありません」

 

「面白い試みだ。コレが遠くに飛ばす為の弩弓か」

 

「夜間は激しく燃焼する火の色で。明るい間はよく見える煙で3つまでこの煙筒に入った色合いで動きを指示します」

 

「兵の質が高く無ければ、出来ん芸当を雑兵でもやれるようにするわけか」

 

「混乱している兵には声が届きませんから」

 

「今回のバルバロスの襲撃で更なる災厄が降り掛かる可能性があるとあのアルジーナの姫の話だったが、大物はどうするつもりだ?」

 

「こちらで対処します。その為の兵器は既にこちらに届きました」

 

「期待しておこう。何なら止め役を譲ってくれてもいい」

 

「相手が死ななかったら考えておきます」

 

「では、迎撃と行こう。それにしても、この遠くを見る望遠鏡と言ったか? 随分と便利な代物だ」

 

「御譲りしますよ? 北部諸国が統一された後に結成する軍へ大量に卸売りする事になるでしょうが」

 

「もう先の話か。まずはヴァドカを無傷で護り切れたら考えようか」

 

「軍も無傷で戦いを終わらせられるよう努力してみましょう」

 

「言うではないか」

 

「逐一指示には従って頂けると考えても?」

 

「我が軍が主力。他国が助攻なのだろう? ならば、有用な献策を期待する。一応の陣の配置理由と戦術には納得しているが、具体的にはまだだったな。時間が無かったのも陣の設置には痛い」

 

「では、見えて来た敵軍を引き込むところから始めましょう。左翼右翼から敵が抜けて来る森の端から点火」

 

 ライナズが発煙信号弓……未だ信号弾開発中な為に窮余の策として弓矢を用い左右に合図の弩弓を討ち放つ。

 

 鏃には円筒形の発煙筒が括り付けられており、もう着火済みだ。

 

 飛んだ筒は一定距離で煙を吐き出しながら燃えて、空を双眼鏡で眺めていただろう観測役達によって情報が指揮系統に伝達。

 

 即座に両翼の平原地帯で大量の油が散布された一帯に火が入れられる。

 

 それは切れ間なく燃え上がり、敵の群れを中央に誘い込むようにしてV字の形を取っていった。

 

 敵は獣。

 

 だが、今回のバルバロスは気性が荒いという話。

 

 遠間から見るのではなく。

 

 敵からの攻撃を受ければ、すぐに突っ掛かって来るだろうとの事。

 

 なので、ついでに中央部の遠方から当たらない矢も投射が開始される。

 

 こちらに攻撃してきたという事実を教える為だ。

 

 それに怒り、戦場だろうと構わず突入してくる獣は炎こそ畏れたものの。

 

 すぐに群れを成して鏃の如くヴァドカ軍前方へと流れ込んで来る。

 

「次です」

 

「撃つぞ」

 

 ライナズが二回目の指示を討ち放つ。

 

 次の色は青だ。

 

 その煙が靡き軍の上を横切るとすぐにヴァドカ軍が更に敵を間延びさせるように引き始めた。

 

 その脚並みは左程早くないが、敵の誘因には成功しただろう。

 

 獣は逃げるモノを追う習性があるのだ。

 

 そして、数十m下がったヴァドカ軍へと一気呵成に襲い掛かろうとした黒い光沢のある毛皮の獣の一団の最後尾が森の中から抜けた時。

 

 三度目の指示が左右に飛ぶ。

 

 後背地を囲うようにして騎馬隊と馬車が数km先の両端部から森を途絶するように迂回して回り込んでいく。

 

 馬車を出来るだけ用意させていた為、数百名が一瞬で森を封鎖する位置へと向かったわけだ。

 

「まずは第一波を仕留めましょう。次を」

 

 ライナズがまた発煙筒を発射する。

 

 一応、複数の手でモテるタイプの弩弓を用意しておいて発煙筒も込めておいたので着火して手渡すだけだ。

 

 今度の色合いは黒。

 

 攻撃開始。

 

 ヴァドカ軍の戦列歩兵が木製の盾で壁を作る合間から大量の発煙筒と同じタイプの煙筒を鏃とした矢が一斉に放たれる。

 

 それを勿論のように獣は目が良いので回避するだろう。

 

 だが、回避した後の事までは分からないようだ。

 

 次々にマグネシウムによる閃光と他にも混ぜた発煙用の材料が連鎖的に燃え上がり、大量の閃光と煙が敵軍の前方集団の中で溢れ返る。

 

 相手は目が良い。

 

 ならば、まず光で混乱させ、更に煙で状況認識能力も低下させる。

 

 煙りには刺激臭がするように材料に細工をしてあるので鼻も使えなくなる。

 

 無論、それだけでは相手の出鼻が挫けただけだ。

 

 しかし、次に撃ち込まれる攻撃はそう温くない。

 

 混乱している間に二回目の弓矢による一斉射。

 

 次の筒に仕込まれているのは帝国の研究所で造らせていた対バルバロス用の生物毒の煙だ。

 

【ギゥ!?】

 

 毒蜘蛛とか毒草とか毒キノコとか。

 

 世の中には実際人間に危険な毒は沢山ある。

 

 だが、実は人間程に毒に耐性のある生物も珍しい。

 

 人間には無害でも他の生物には有毒な物質というのが実は多い。

 

 犬猫に玉ねぎを食わせられないのと同じだ。

 

 探したら、人間の食用には向いているが、他生物には劇毒の類という種類の植物は幾らか存在していた。

 

 それらから毒となる成分を抽出後に精錬。

 

 ネズミなどを用いて実験したが、結構強力なものが出来た。

 

 勿論、人間には効き目が殆ど無いものだ。

 

 それを煙に混ぜるとどうなるか?

 

 アボガドを焼いていたら、小鳥が死ぬみたいなレベルの一般常識的な話である。

 

「風向きも良し。これから数分間、ヴァドカ軍にはあの弓を敵軍の奥に撃たせておいてください」

 

「何処に行く?」

 

 席を立つとライナズがこちらを見つめていた。

 

「親玉が来る前の準備です。来なければ、来ないで構いませんが、準備は必要でしょう……」

 

「好きにするがいい。だが、それにしてもあの犬共の苦しみよう」

 

 ライナズが手渡した小型の望遠鏡を片手で覗いて、相手の獣達がまともに戦えもせずに悶える姿に目を細める。

 

「最初に言っていた通り、毒が回るまで時間が必要です。それと確証はありましたが、バルバロス相手に試したのは初めてですので、身動きが鈍くなって弱り切ったところに突撃を掛けさせて下さい。動けるようになる前に叩くべきです」

 

「合図はこちらでしておく。だが、大型がどうやら数頭、森の方へ退却していくようだぞ。このままでは封鎖が間に合わんのではないか?」

 

「それも追撃してきます」

 

「解った……何とも味気ない戦いになったな」

 

「これが人間にも応用出来る世界が来ています。準備を怠る者は前の戦の武勇を幾ら誇ってもあっさり死ぬ世界ですよ」

 

「ふ、覚えておこう」

 

 櫓を降りて待機させてあった馬車に乗り込む。

 

 アテオラは王城でお留守番であるが、メイド2人に御者はゾムニスだ。

 

 フォーエには一面が見渡せる城壁の上で待たせてあるので合図をすれば、すぐに来るだろう。

 

「さ、狩りの時間だ」

 

「どうやら前線のバルバロスは酷い有様のようですね」

 

「ちょっと人間に試す前の戦術の犠牲になって貰っただけだ。飼い慣らせない人食い化け物はNG」

 

「えぬじー?」

 

「こっちの話だ。行くぞ」

 

 ノイテとデュガに届いた対バルバロス用の武器を積んだトランクを抱かせて、馬車を出させる。

 

「それで大物狩りという事ですが、森の封鎖は?」

 

「間に合わなかった。だが、小型は殆どが未だ檻の中だ。逃げ出したのを叩くぞ」

 

「なぁなぁ、この箱の中に入ってるのって、どういう武器なんだ?」

 

「先日、手に入ったバルバロスの遺骸で造った秘密兵器だ。人間が倒せない類の大物を倒す為のな」

 

「うわぁ……」

 

「安心しろ。空飛ぶ相手に当てられない」

 

「それは何も安心ではないのですが……当てられないなら、当てられる距離で使えばいいとか言い出しかねない方を知っているので」

 

 ノイテが微妙に半眼でこちらを見つめる。

 

「使い捨てだからな。勝てなかったら逃げるか死ぬだけだ」

 

「それを私達でやる意味は?」

 

「機密保持。実験結果の詳細な記録。だが、一番大きいのは大規模な設備が無くても現場でバルバロスに対処出来るように手順を作る作業ってのが大きい」

 

「手順、ですか?」

 

「バルバロスが無敵の怪物ではなく。駆除出来る害獣になれば、帝国以外でも被害は減るだろうしな」

 

「ウチの国的にはすげー大問題っぽいぞ」

 

 呆れたようにデュガが肩を竦める。

 

「でしょうね。バルバロスを害獣扱いとは……」

 

「利用出来る益獣なら保護と養殖も考えるがな」

 

「養殖って……貝とかじゃないんだぞ?」

 

「同じようなもんだ。犬猫みたいに飼い慣らせなくても害が無いならいいが、致命的な害が出るんじゃ倒すしかない」

 

 言っている間にも馬車が戦場の横に広がる炎を避けて森に迂回して向かっていく。

 

「どうやら中央部はあの毒煙で大半が討ち取られ始めたようですね」

 

 平原の奥では人の波が黒い獣を次々に蹂躙していく様子が見て取れた。

 

「あんなのは弱ったのを囲んで棒で叩けば、誰だって出来る。問題は囲んでも包囲を突破されて逆に喰い殺しに来る方だ」

 

「どうするのですか?」

 

「これを使う。お前らにも護身用じゃないのを渡しておく」

 

 リボルバーを6挺。

 

 クイックローダーと共にトランクから取り出して渡しておく。

 

「護身用ではない。という事は?」

 

「撃つ時は出来るだけ両手で撃て。威力が欲しいなら片手でも構わん。それと弾は現場に近付いたらすぐに込めて腰の後ろのホルダーに収めておく。この弾が付いたヤツは合計4つ。専用の腰に下げて置くポーチに入れておけ」

 

「使えないのが使えるようになるのか?」

 

「使わなかっただけだろ。本当に有用だから持って来たんだ。まだ、暴発の危険性が高いから色々と工夫してな。相手の攻撃を受ける時は絶対に弾を自分の体から離した状態で受けられるようにポーチもすぐに捨てられる着脱式だ」

 

「おー? パッチンパッチン言ってる」

 

「ベルトは金属製の嵌るボタンにポーチもホルダーも嵌め込める方式だ。危なくなったら捨てられるようにな」

 

 金属製のスナップボタン。

 

 二つで一つのはめ込み式のソレは正しく現代の代物だ。

 

 造らせるのに苦労した上。

 

 未だ、完成品を作るのに職人の手作業が必要とされるので量産に向いていない代物なのだが、まともなオートメーション式のラインも無いのに少数なら生産可能。

 

 という時点で研究所の鍛冶師達に頭が上がる事は無いだろう。

 

「……自分には何か無いのですか?」

 

「あるぞ。まぁ、撃つ時はゾムニスに頼る事になるが」

 

 トランクの一つを開ける。

 

「デカ!? 何だソレ!? それにその色合い何処かで……」

 

 思わずデュガが目を丸くして、気付いたらしいノイテが手を額に当てた。

 

「そういう事ですか」

 

「従来の素材よりも随分と良さげだったからな。使わせて貰った」

 

 言っている間にも馬車が森の内部にある道へと入った。

 

 横転こそしないものの。

 

 馬が戦場の音でかなり気を荒くしているのか。

 

 ゾムニスも扱いに苦労しながら速度を出しているようだ。

 

「さ、弾込めを始めるぞ。一応、コレも金属版で4cmまでは貫通したらしいから、さすがに利くだろ。そっちは目とか口とか鼻とか毛皮じゃないところに使え」

 

「巨大なバルバロスにこの程度のものが利くとは思えないのですが……」

 

「特製の生物毒が仕込んである。一発の分量で馬3000頭が一瞬で死ぬくらいのものは用意させて貰った。金属製の相手に利くよう色々と考えて造ったから、恐らく問題無い」

 

「恐らく……」

 

「ただし、一発でも自分に撃ち込んだら何処から当たっても即死だから気を付けてくれ」

 

「……はぁぁぁぁ、再就職先を間違えたかもしれませんね」

 

「いつもの戦と同じだぞ? いつだって、死ぬ時は死ぬしな♪」

 

 メイドが両方共に無茶な状況に対応してくれるらしい時点で涙が出るかと思うくらいに自分は恵まれているに違いなかった。

 

―――20分後。

 

 森の道を馬車で往きながら、周囲をメイド達と共に双眼鏡で索敵した結果。

 

 存外に早く包囲を抜けたと思われる敵個体を3頭発見した。

 

 目標は300m先で既に息も荒くゼエゼエと舌を出した黒い巨獣。

 

 どうやら僅かなりとも毒煙は効いているらしく。

 

 水辺でガブガブと馬鹿みたいに水を飲んでは悶えている。

 

「さ、まずはオレからだ。相手が接近して来たら、さっき教えた戦術で行くぞ。ゾムニス!!」

 

「ああ、解った。これでいいかい?」

 

 ゾムニスが車内で組み上げた大口径対物狙撃用ライフルを担ぎ出し、馬車の上で三脚を立ててソレに寝そべるようにして銃床を肩に当てる。

 

 それは斑模様の色合いの金属で出来た対物ライフルの試作品だ。

 

 例の公園で撃破した血吸いの再生するドラゴン。

 

 いや、化け物と呼んだ方が良いだろうアレを用いた代物である。

 

 ちなみ24倍率のスコープ付き。

 

 勿論、一点もの。

 

 ついでに代えの部品も無い。

 

 全体的なシルエットは小型のライフルを大型化したものだ。

 

 遠距離で撃つ為、無理やりに銃弾の火薬を増やして鍛冶師特製のフルメタルジャケット弾を使う点でコストは天井知らずだ。

 

 足りない合金の強度をバルバロスの遺骸で補った事で薬室内を強化。

 

 リボルバーライフル方式を採用したので極めて不格好でもある。

 

 引き金も重く。

 

 高圧のガスを防ぐ部品などを付けるのにも苦労したとの話。

 

 試射時には固定台が壊れたという事で肩で支える銃床にはゴム製のクッションが入っており、三脚は金属製で取り外し可能。

 

 命中精度はスコープ内の敵に素人が撃って200mで4割程。

 

 標的の大きさが丁度3mならギリギリ当たる程度。

 

 ぶっちゃけると対大型バルバロス用の代物だ。

 

「全員、耳栓しろ。オレが狙いを付ける。お前は打ち終わったら、弾込めして近接で撃つ用意だ。恐らく骨は砕けないだろうが、肩くらいは外れる威力だと思ってくれ」

 

「もう驚かないと思っていた自分を殴りたい……」

 

 ゾムニスがもはや諦観したように首を横に振った。

 

「なら、殴れるように生き残れ。スコープ借りるぞ」

 

 ゾムニスの下に潜り込むような形で敵の位置を微調整する。

 

 一応、狙撃用のマニュアルと狙撃時のセオリーは知っていたので研究所で何度も小型のライフルで研鑽したが、やはり狙撃するには銃の精度が甘く。

 

 小さな人間の頭部のような的にはついに当たらなかった。

 

 大型化した事で飛距離を伸ばし、同じように大型の敵を撃つ為だけに開発したので使い道は限られるだろう。

 

 全員が耳栓をしたのを確認してスコープを覗き。

 

 適切な倍率に切り替えていく。

 

(コリオリを計算、弾道は弓なりの軌道を描く。風は今は殆ど無風。相手のど真ん中から外れてもいいなら、何処にでも当たる。当たってくれというのが実際のところか。行けるか? 行けるな?)

 

 三脚の上のライフルをゆっくりと傾け。

 

「撃て」

 

 ゾムニスが引き金を引いた。

 

 途端。

 

 耳栓をしても聞こえた爆音が森に響く。

 

 しかし、音よりも早く秒速1300m程だろう銃弾が胴体のど真ん中を狙ったのに首筋を半分抉って弾けさせた。

 

 と、同時にこの世の者とは思えない絶叫が響き。

 

 ズシンッとその巨体が傾いて、スコープ内でグリンと白目を剥いた身体が倒れ込んで川縁に沈む。

 

 それとほぼ同時に相手がこちらを見付けた。

 

 理由は硝煙だ。

 

 ライフルの三脚固定を即座にピンを抜いて解除。

 

 耳栓を取るとゾムニスは肩が外れるかと思った様子で肩をゴキゴキと回し、すぐにその長大な対物ライフルに一発同じ弾を込めて、ガチンと元に戻す。

 

「成功だ!! 来るぞ!! ゾムニス!! お前は馬車の上で牽制しろ!! 馬は放して構わない!! 後、もう一回耳栓」

 

「ああ!!」

 

 最初から決めてあった通り、馬が縄を斬られて、鞭打たれ、すぐに啼き声を上げて囮として現場から走って消えていく。

 

 それを追ってくれるかとも思ったのだが、どうやら敵は賢いらしく。

 

 その巨躯を林の隙間に捻じ込むように猛烈な速度でこちらに迫り、2連射の銃声が同時に二つ。

 

 教えていた早打ち用の方法で2人が一体の獣に同時に売った弾丸は3発。

 

 毛皮によって阻まれて逸れ……一発が鼻面に命中した。

 

 途端、やはり絶叫を挙げた一体が鼻を抑えて転がりながら林の樹木にぶつかり、傾斜のある地面を転がって何度も何度も身体を地面に叩き付け、最後にはゴドンッと巨躯を岩にぶつけて止まる。

 

 だが、最後の一体は恐らく学習した。

 

 残り10mという至近距離。

 

 ゾムニスの銃口を警戒した様子で、その射線から逃げるようにして直角に機動修正し、銃口から外れるように動き回りながら周囲で踊るように林を迂回していく。

 

「ダメだな。完全に覚えられた。という事でオレの出番だ」

 

 フラッシュグレネード。

 

 閃光オンリーの花火の玉染みたソレを相手が見易いように上空へと点火してから放り投げる。

 

 勿論、対閃光防御用の色付きなサングラスさんの出番だ。

 

 さっとソレを瞳の前に翳した途端。

 

 黒い色ガラス製のソレが遮光している一瞬の間にグレネードが発光。

 

 グラスを投げ捨ててゾムニスが一発、地面で態勢を崩して転げた相手を撃った。

 

 上半身が思わず仰け反る。

 

 だが、外れた。

 

 相手が見えないなりに銃口が動くのを予測した様子で身体を上に跳躍させたのだ。

 

 だが、それを見逃すメイド2人ではない。

 

 残りの銃弾が次々に撃ち放たれ、顔を向けて襲い掛かって来る3mの化け物の目と口に銃弾が飛び込んだ。

 

 途端、相手が再び態勢を崩して横をすり抜け、樹木に激突。

 

 ゴロゴロと傾斜を転がって他の樹木を薙ぎ倒しながら藻掻き。

 

 最後には樹木を八つ当たり気味にその鋭い爪で切り裂いて、バタンッと電池が切れたように動きを止めた。

 

「勝ったな。風呂入って来るってのは言い過ぎか。連中が親玉かどうかも分からない以上は……」

 

 耳栓を外して全員の無事を確認する。

 

「こんなに簡単に獣型のバルバロスが?」

 

 自分で使って驚いた様子になったノイテが銃をマジマジと見やる。

 

「すげーなコレ。つよ……」

 

「全部、毒のおかげだ。ついでに致死量に到達してるか怪しいから気分的にイヤかもしれんが、追い打ちで鼻や目に後、数発撃っておいてくれ」

 

「そうか? 死体にグサグサ槍とか刺してちゃんと殺す後片付けとか軍だと普通だけどなー」

 

 パンパンと軽くデュガが倒れたバルバロスの顔面に銃弾を撃ち込んでいく。

 

 どうやら、思っていた以上に戦の申し子属性らしい。

 

 全員で倒れたバルバロスの死体に追い打ちを掛けてから、馬車に戻ると。

 

 馬が数百m先でウロウロしているのをデュガが見付けて連れ戻したので馬車も再び動けるようになった。

 

「で、これからどうするんだ?」

 

「一端陣地の方へ戻る。どうやらあっちはそろそろ終わるようだしな」

 

 よく見れば、遠方からは煙が霧散している様子で薄くなっているのが解った。

 

 ゾムニスに馬車を走らせて煙が届いていない平野部まで出て来ると。

 

 既に炎は消えており、通行出来るようになった平原地帯では鬨の声が上がっているのが見て取れた。

 

「全滅させられたなら、それでいいが……次が来る可能性もある。すぐに再編と被害の報告も受けなきゃならない。それから論功行賞用の情報も……また仕事が増えそうだな」

 

「それ自分でやろうとするからだぞ?」

 

 言われた通りだが、全て必要な事なのだから仕方ない。

 

 今回の一件は自分が軍を集めなければしなくて良かった戦いだったのだから。

 

「神は細部に宿るって言うんだよ。何だろうと一緒だ。丁寧にやらなきゃ、どっかで歪みが出来て、悪い方向に流れてくからな」

 

 陣地まで戻って来るとライナズが出迎えてくれた。

 

「森の方で大型を3頭仕留めました。まだ、大物が来る可能性もあります。軍を戦場から一端引かせて再度配置転換して頂けますか?」

 

「また大物を相手によくそんな軽く言えたものだ。こちらの被害は軽微だ。軽傷者こそ出たが、まだ死人は無し。あの毒煙も本当に人間には害が無いようだ」

 

「自分で試しましたから」

 

「く、くははははは!! その言葉、後で手記にでも書き残しておこう」

 

 ライナズが大笑いした。

 

「それで大型を倒したとの事だが、最も強い個体を何日待つ気だ? そう全力で何回も動けんぞ?」

 

「聞いてきましたが、どうやら同族の血の臭いなどを嗅ぎ付けて現れるとか」

 

「つまり、数時間後にもやって来ると?」

 

「メイヤ姫殿下の話が確かならば。それと毒煙で相手の鼻が鈍っていなければ、でしょうか?」

 

「承知した。では、後2日。諸国の王とも合議して態勢を構築しておこう」

 

「お願いします。こちらは超大型用の装備の組み立てを行いますので、いつでも移動させられるよう最前線の中央部に配置します。敵が迂回した場合などを考えて、ヴァドカとユラウシャの民には避難用の計画をお伝えください。もしもの時は王城の城壁で籠城します」

 

「了解した。守備隊に話しておく」

 

 避難計画の骨子を30枚程ライナズに手渡すとすぐに部下を呼んで士官達に手渡し、守備隊へと避難計画を伝えさせていく。

 

「とにかく犠牲を出さない事が第一です」

 

「大型のバルバロスすらもその人数で駆逐する手並み。吟遊詩人共が騒ぎそうな逸材が現れたものだ」

 

「是非とも騒いで欲しいものです。宣伝になりますから」

 

「フン。織り込み済みか」

 

 こうして火も暮れ始めた頃になると黒犬の死体は次々に軍によって処理され、現地で皮が剥がされて、肉は削ぎ落された後に地下深くに穴を掘って埋められ、骨はこちら側の要請で近くの河で水洗いしてから軍に設営された保管所へと移送。

 

 アルジーナ王とメイヤが肉と内蔵を削ぎ落された場所に埋葬されたバルバロス達の眠る場所で簡易の鎮魂の儀を行って夜は更けていく。

 

 剥がれた毛皮は水で暫く晒された後、こちらから持ち込んでおいたバルバロスを再利用する為に作った鞣し革用の超高濃度のタンニン液を使用させる事になる。

 

 バルバロスの再利用法が確立されていない現在。

 

 帝国が最優先で取り組むべきなのはバルバロスの生態の解明と利用方法だ。

 

 それも北部諸国で行う活動の一貫として色々な薬品を持ち込んでいた。

 

 こうして夜が更けて、開けた朝食時。

 

 一晩中避難用のマニュアルやらを書いたり、夜の内に陣地で超大型用の兵器を組み立てたりして夜を明かした。

 

 さすがに眠くなったのでしばらくの仮眠を傍に控えていたフォーエに伝えようとした時だった。

 

 遠方からカンカンカンと非常用のベルが鳴らされた。

 

「来たぞおおおおおおおお!!!? な、何てデカさだ!?」

 

 すぐに櫓まで行って遠方を双眼鏡で観察する。

 

 明け方の空には陽光が昇って来ているが、薄っすらと今日は冷えている。

 

 だが、その冷えているという事実を差し引いても肝が冷えるというのはさすがにしょうがないとは思うのだ。

 

「オイオイオイ。あの大きさ……どうやったら維持出来るんだ?」

 

 怪獣と言っていいだろう。

 

 20m強のビルくらいありそうな図体の漆黒の何かがノソノソと歩きながら、軍に近付いて来ていた。

 

 3mでも大迫力だったのに至近で攻撃なんてしようものならば、四肢の一振りで大半の兵士が肉の塊になるだろう巨大さである。

 

 まぁ、幾ら巨大だろうともやる事はやったので勝機はあるだろうが、それにしても人死にが大量に出そうな敵に違いなかった。

 

 すぐに櫓を降りて陣地の中央部へとノイテとデュガを連れて向かう。

 

「ゾムニス」

 

「もう見たぞ。アレをこれでどうにか出来るのか?」

 

「迫撃砲三列じゃ足りなさそうだ。コイツは牽制に使う事にした。アレはオレが空からやる。直ちにライナズの部隊と一緒に相手を足止め出来るように散らばって戦場中央に威力を集中出来るように移動させておけ」

 

「了解だ」

 

 言い置いて、弓で合図を出す。

 

 すぐにフォーエが後方から一分と立たずにゼンドと共に上空から降り立った。

 

「行くの? フィティシラ」

 

「ああ、今度は大物狩りだ。機動力が要だと思ってくれ。ゼンドには少し無茶な機動をさせる事になるが、オレが言う通りに」

 

「解った。乗って」

 

「ゾムニス。こちらの合図と共に一斉射。それ以降はとにかく相手の直撃よりも移動先の制圧だ。近接した場合の手順は読ませたマニュアル通りに」

 

 65mm迫撃砲。

 

 小型の取り回しの良い代物だが、砲弾数が馬車2台分しかない虎の子だ。

 

 鋳造技術が低くても何とか成形して大戦期くらいの大きさのものを作った。

 

 試作中の無煙火薬の出来損ないを樹脂で固めた弾頭は形こそ真似させたが、ライフリングの精度から言っても命中率に難が在り、未だ実用には後一歩足りない。

 

 ゼンドへ共に跨り飛び上がる。

 

 すると、のっそのっそと歩く獣が上空から見えた。

 

 だが、すぐに気付く。

 

 獣が歩いた周囲で急激に草木が変色し始めている事に。

 

 枯れているというよりも急激な薬の作用で変色しているようにも見える。

 

「臭気放つ者か。臭気? ガス? 前線の兵士がとにかく臭かったと言ってたが……まさか、毒ガス放ってるんじゃないだろうな? 重金属類の混じったガスとか、洒落にならないだろ……」

 

「フィティシラ。ゼンドが近付きたくないみたいだ」

 

「だろうな。まずは全方位からの足止めを始める。弓を射って下が爆発したら、一撃離脱だ。合図を出せ」

 

 ゼンドの鞍に付けられた内部にゴムが詰まった複数のトランクの一つを開く。

 

 内容物である大型のフラスコ数本を両手で持って、空のトランクを投棄。

 

 そのまま合図が弓で出された。

 

 すぐに地表の軍で黄色い発煙を確認。

 

 続いて中央から広げられた軽迫撃砲モドキが次々に砲弾を放ち。

 

 バラバラながらも相手を囲うように爆発が生じた。

 

「今だ!!」

 

 ゼンドがほぼ直上から急降下して、20m頭上まで迫った瞬間、相手にトランクの中身である大型の黒いゴムで包んだフラスコを一斉に投げ付ける。

 

 そのまま角度を変えて低空で森林地帯の上に抜けて離脱。

 

 途端、頭上からの攻撃に対応出来なかったらしい相手の背中で小規模な爆発が起こり、同時に猛烈な腐食性のガスが巻き上がる。

 

「王水と逆王水。ついでに全身に浸透するように爆風のおまけつきだ。あの再生竜の遺骸はこれで溶けたが、どうだ?」

 

 急激な変化と言っていいだろう。

 

 ギョロリと獣がこちらを見やる。

 

 だが、その様子は禍々しい程に威嚇する顔が般若の如く。

 

 空にも聞こえるゾブンッという何かしらの体表組織が奏でるのだろう金属音がした次の瞬間。

 

「右に回避しろ!!?」

 

「う、うん!?」

 

 旋回したゼンドのいる虚空に地表を前脚で削ったらしい大量の石礫が通過していった。

 

 それからすぐ苦悶の表情を浮かべながらも猛烈な咆哮が周辺地域に響き渡る。

 

 巨大な獣が奔った。

 

 だが、その背中から下が恐ろしい事になっている。

 

 ズルリと何かの皮でも向けるように筋肉質の繊維が露わになり、莫大な黒い質量が地表にボチャボチャと落ち、ダラダラと血潮が噴出しながら、その漆黒の獣がこちらを追尾して来る。

 

「な―――汚染された毛皮を自切した!!? イモリか!?」

 

 黒い化け物は血潮を噴き上げる上半身から下半身に掛けてのズル剥けの筋肉だけで走り出し、猛烈な速度で跳躍。

 

 ゼンドに急上昇指示を出したフォーエが顔を青くする程の跳躍力で高度200mを軽々と飛び越し、反対側の森林地帯へと猛烈な土埃と血潮の煙を上げながら樹木を薙ぎ倒して着地していく。

 

 だが、どうやら相手の痛みは相当らしく。

 

 途中で筋肉剥き出しの下半身に突き刺さった樹木の一部のせいで上手く姿勢を制御出来ずにズズンと倒れた。

 

 だが、それだけだ。

 

 すぐに態勢をその場で立て直した獣が今度は周辺の樹木を齧り取って、次々に上空へと凄まじい速度で投げ付け始めた。

 

 下方から散弾染みて破裂する樹木や一緒に付いて来た根に絡まる土や石を鑑みて、広く距離を取って回避するが、それでもゼンドの身体の一部にカンカンと小さな礫が当たっている。

 

「マズイ。今ので倒せなかったのが痛過ぎる。後残ってるのは爆発物が3本と生物毒の原液が1本……だが、今の賢さを見る限り、どれも避けるな」

 

「どうするのフィティシラ!?」

 

「今の状態でもあの獣は軍じゃ恐らく倒せない。生物毒の煙の致死量が足りないだろうし、戦場を覆う程の量も確保出来てない」

 

「つ、つまり?」

 

「逃げられたら終わりだ。後からしつこく食い下がって来るとこっちは対処が不可能だ。此処で倒すとしたら、この原液をヤツにブチ込むしかない。低空飛行で追い掛けさせてくれ。その間に色々と試したい事と知りたい事がある」

 

「わ、解った!!」

 

 ゼンドが急速に地表に向けて近付き、速度を落とした。

 

 それを機と見て、獣が追い掛けて来た。

 

「ギリギリまで惹き付けろ。速度は今のを維持、危なくなったら上昇だ」

 

「う、うん!!」

 

 フォーエの顔が青くなっているが、仕方ないだろう。

 

 襲ってくる獣の様子はどう見ても正気を失ったように見える。

 

 地表の草が舞い上がり、踊る様子すらも見える最中。

 

 相手が叫びながら開口する。

 

 少しずつ近付いて来る相手を後ろに見て観察。

 

 内部の歯はどうやら普通の獣類と左程変わらないようだ。

 

「ふむ。問題は舌だが、ウチの連中の外套に期待だな」

 

「な、何してるの!? フィティシラ」

 

 まだ保持しているトランク内から引き出した外套とガスマスクを着込んで装着していく。

 

「フォーエ。これからあいつの喉の下で爆発を起こす。どうにかして、喉元に直撃させられるコースを考えてくれ」

 

「ええ!? ちょ、ちょっと待って!? え、ええと、ええとッ」

 

 フォーエが慌てながらも数秒で何とか考え付いたらしく。

 

 瞬時にゼンドの手綱を引いて急速に速度を落として、更にほぼ地面ギリギリまで高度を下げた瞬間。

 

「今!!」

 

 2本のフラスコがほぼ相手の胴体の下に潜る瞬間に顎に直撃し、こちらはそのまま後方へと抜けた。

 

 無論、爆発した瞬間に顎から上で猛烈な爆風を喰らった相手から置き去りにされる炎が迫り、慌てたフォーエがゼンドを急上昇させる。

 

「今のってどんな意味があるの!?」

 

「もう一回、あいつの前に出てくれ。それと同時にオレをゼンドの尻尾で相手側に投げ飛ばす事は可能か!?」

 

「え、ええ!? ど、どうするつもり!? さっきのちょっとは効いてるみたいだけど、毛皮が焼けただけみたいだよ!?」

 

 実際、化け物は未だに僅か顔の辺りが焦げただけで更に猛烈な怒りを露わにして、こちらを睨み付けていた。

 

「解ってる。相手がこれで更にブチ切れるのは確定的だ。まぁ、死人が大量に出るよりはマシだろ。死ぬ気は無い。だから、やってくれ」

 

「―――解った。信じてる!!」

 

「ああ、それで十分だ」

 

 再び挑発的に地面ギリギリにまで戻って来るこちらに獣が吠えた。

 

 そのまま襲い掛かって来る相手が追い縋る状況で速度を上げさせる。

 

 戦場となった平原をグルリと一周するようなコースで直線距離に入った。

 

 猛烈に追い上げて来る相手がこちらを噛み殺そうと牙を剥く。

 

「今だ。オレを尻尾で投げ飛ばしたら、急上昇しろ!!」

 

「フィティシラ!!」

 

 鞍から落ちるようにして背後へ。

 

 それを尻尾が確かに殴打する。

 

 ほんのコンマ数秒の出来事だ。

 

 その瞬間には身体を捻って相手の方へと向きつつ、背後の地面に投げた爆薬が起爆。

 

―――シビアな状況で更に爆風による加速が乗った躰を丸めて相手が食らい付こうとする瞬間に意図的に相手の口内へと飛び込む。

 

 齧られる前に、だ。

 

 タイミングを外された相手が口を閉じる速度は顎の異常で通常よりも遅くなっているはずという読みはギリギリ通った。

 

 フードを被ったままに身体を丸めて、腕と身体で囲むようにして薬品の入ったフラスコを護る。

 

 猛烈な臭気がガスマスク越しでも解る程に滲んでいた。

 

 相手の喉にジャストヒット。

 

 途中の舌で猛烈にヤスリ掛けされた全身であるが、例の遺骸を用いた外套の硬度はどうやら巨獣の舌には勝ったらしく。

 

 ギャリギャリと火花を散らして通過。

 

 喉奥から瞬間に口内へ戻される前に身を縮めて更に奥へと―――途中、フラスコを気管の辺りから壁に殴り付けて割り捨て。

 

 臓腑内部へと向かう。

 

『ぐ……ッ』

 

 胃に出る前に外套内部の壁面をナイフで切り裂きながら減速。

 

 だが、すぐにナイフの方が音をを上げて拉げ。

 

 猛烈な速度で四方八方から肉の壁に殴打され、圧し潰されそうになる。

 

『クソッ。薬が回り切るまで大人しく―――』

 

 胃の底の胃酸がヤバイものだった場合、即死。

 

 故に落ちるのは論外。

 

 だが、根本まで折れそうなナイフにぶら下がりながら、肉の圧力と四方から掛かる慣性に翻弄される。

 

 薬は肺にも流れ込んでいるし、相手は咽せているが、押し出そうとする圧力で口内まで戻されれば、噛砕かれるのは確実。

 

 胃の中にも口内にも戻れない。

 

 周辺の肉の圧力も毒によって弱まりつつあったが、それでも胃の底から吹き上がってくる胃液混じりの激臭のせいか。

 

 シュウシュウと全体的に外套が白い煙を上げ始めた。

 

『……悪いがお前を殺してオレはまだ生きるッ!!』

 

 利き手のナイフが胃液の臭気で脆くなったようで崩れた瞬間。

 

 本能的にその手で傷口を掴もうとして、ボヂュンッッッといつの間にか変化していた利き腕の装甲染みた禍々しい指が相手の傷口に突き刺さる。

 

 途端、だった。

 

 猛烈な勢いで次々に飛んだり跳ねたりと身体を揺さぶられる。

 

 暗闇の中。

 

 肺から叫ぶ為の空気を吐き出させた相手が完全にこちらを圧し潰しに掛かる。

 

 ミシミシと身体が悲鳴を上げるが、それよりも腕を内部に潜り込ませて、圧し潰される前に目の前の肉の壁を抉り取って空間を確保する。

 

 それでも全身の骨が砕かれそうな圧迫感に意識は霞んでいくのだった。


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