ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
―――合流より10時間後、ハヤシ族領ルー・ガルー。
椰子の木と瓦礫の街の中心部から少し離れた路地。
浮浪者とストリート・チルドレンが溢れる一角に其処はあった。
傍目には桃色な看板が乱立する場所。
要は小さな売春宿か娼館といった風情の微妙に煙が漂う二階建てで少し大きめの建造物。
煉瓦造りで小さな鉄製の門があるだけ、周囲からは浮いているが、その周囲にだけはまるで誰も近付く様子が無い。
それは単純にどれだけ建造物の主がヤバイのかを如実に現していた。
「ふぅ~某もさすがに疲れたでござるよ。護衛はするが、本当に良かったのでござるか? あの三人を先に野営地へ向わせて」
「しょうがないだろ。時間も無い。あの総統閣下とやらとの話し合いやら、これからの予定やら考えると交渉するのがオレしかいないんだから」
「縁殿は交渉技能はあるんでござるか?」
「一応、カードはあるし、相手の出方も想像が付く。やれるだけやるさ」
肩を竦めた百合音を横にして玄関先で木製の扉に付いた鉄輪で二回ノックすると内部に扉が開いた。
「連絡のあったオルガン・ビーンズの方ですか?」
「はい。担当者の方はいますか?」
「ええ、お話は伺っております。どうぞ、中へ」
内部に通されると石造りの内部には品の良い調度品と大きな柱時計が壁に掛かっていた。
ゆったりとした灰色の布地を中東の民族衣装のような感じに着崩した助成に連れられて、通路を進むと目的の部屋の前で扉が内側へと開けられる。
「どうぞ」
「失礼します」
百合音と共に内部に入る。
すると、其処に待っていたのは厳つい顔やインテリ風のオッサンではなく。
妙齢の女性。
少なくとも二十歳は越えているのだろうが、年齢不詳の褐色の肌に黒い瞳の相手だった。
扉を閉めた女性と然して変わらない衣装に鍔無しの灰色の帽子。
笑みを浮かべて緩りと寛いでいる様子は煙管を持っている様子から明らかだろう。
その唇の端からは煙が僅かに零れていた。
「ようこそ参られました。お客人……どうぞ、お掛けを」
紅のソファーに腰掛けるとガラス製のテーブルを挟んで対面に座る彼女がニコリと微笑む。
「当方の名はファーン・カルダモンと申します」
「カシゲェニシと言います」
カルダモンと名乗った女がこちらの様子に僅か目を細める。
「さて、前置きなどは苦手ですので。本題に入りましょう。そちらしても、その方が何かとよろしいのでは?」
「ええ、お気遣い感謝します」
「いえいえ。それで話というのはやはり我が方から協定諸国派への協力停止の件でしょうか?」
「……協力は停止せず結構。ただ」
「ただ?」
「協力をほんの少し遅らせて頂ければ、それでこちらとしては何も言う事はありません」
「ああ、そういう……では、本国で造反の準備が整ったと?」
「想像に任せます。帝国の協定諸国派は少なくとも現在、動けない状況でしょう。ですから、それに加えて、あらゆる協力に付いても遅延を要請したい」
「はて? 我々が動けないとはどういったお話で?」
「昨日、総統から言われたのでしょう? しばらく、手出し無用。もし、そうなれば……と」
女の笑みが消える。
「だとして、それを我々が受け入れるかどうかは別問題では?」
「受け入れざるを得ない状況でしょう。帝国内部での関税騒動なんてものは総統の襲撃事件の前では霞んでしまう。そちらの内情で誰々がやった、なんて話をされても、彼らには関係ない。ペロリストが例え祖国の人間ではなかったとしても、活動していたのは事実。ついでに最初から来訪するという話が来ていながら、その地域をほったらかした責任もある手前。表立って協定諸国派が非難されれば、帝国内部でのある程度の弱体化は避けられない。違いますか?」
「………どうやら、あなた……ただの坊やではなさそうね」
初めて女がこちらを前に視線を合わせた。
「ただのボウヤですよ。お使いに来ただけの」
「ふふ。で、そちらの条件は?」
食い付いてきた事にホッとする。
「遺失物を二十四点。その設計図を十六点。また、研究資料を140頁。これで明日から一週間。あなた方からオルガン・ビーンズ内部の協定諸国派、マイナーソース派に対する支援を遅延させて頂きたい」
「一週間? また、破格の条件で」
女が肩を竦める。
「確約して頂きたいという事です」
「……これは個人的な興味なのですけど、一週間で何が出来ると?」
「一週間有れば、世界が変わります」
「世界? あはは……面白い事を言うのですね。一週間ではマイナーソースのお坊ちゃんを倒すどころか。国内を纏めて、あの老人を迎え撃つ準備すら覚束ないと思いますよ?」
女が苦笑していた。
それは世間を知らない子供に対する哀れみというよりは、物事を知らない子供に言い含めようとするような言い方と見て間違いない。
「それは常識であって、事実でも無ければ、真実でもない」
「………大人の忠告を聞くものですよ。具体的な数字で良ければ、幾らでも述べて差し上げられるけれど」
夢や希望を語る子供に現実とやらを教えてやろうという傲慢さと自分達の立場を知った方が後で楽ですよとでも言いたげな優しさが混ざる笑みだった。
「一週間です。それ以上は要りません。勿論、八日目にあなた達が銃弾を送ろうが兵を送ろうが文句などありません。高みから笑って眺めているだけでもいい。愚かだとあなたの常識が告げるなら、そこに何を我々が差し挟む事もありません」
そこまで言われてようやく。
女から甘さも消えた。
「一週間と一秒目には後悔しますよ?」
「構いません。此処に来たのはその一秒目を得る為ではないので」
女が煙管を口に加えて、僅か沈黙した後……頷いた。
「いいでしょう。無駄な努力と嘲笑われると知りながら、己の不利を承知で提示しに来た人間に満額回答を出すくらいには帝国の力も偉大です。その一翼を担う者として、見届けさせて貰いましょう。あなたの言う一週間で本当に世界が変わるのか。それとも単なる世迷言だったのか」
「……今日はありがとうございました。こんなボウヤに付き合って頂きまして」
片手を差し出すと女もまた手を差し出した。
そうして、短い交渉が終わりを告げ。
百合音が持ってきていたトランクをテーブルの上に置き、開き、中身を全て相手へ確認させる。
「よろしい。確かに本物を受け取りました」
その中身はハッキリ言って、アレだ。
物凄くチープな言い回しでいいなら、日用品のガラクタだ。
百円ライターだの。
小さなガシャポンの景品、ではなく……その上下に分けられるプラスチック製の安っぽいボールだの。
シャーペンだの。
もう動かない小型電卓だの。
錆び付いたり、もう色や形が変形して何に使うのかも分からないような日常雑貨ばかり。
さすがに茶色く変色した薄い風邪用のマスクだの、料理用の便利グッズや文房具の類まで入っているとなると、本当に相手との交渉材料になるのか怪しいと思ったのだが、お気に召したらしく。
不満はどうやら無さそうだった。
「覚えておきましょう。カシゲェニシ君……お客人がお帰りよ」
背後でドアが開く。
軽く会釈して背を向けて歩き出せば、門の外まで三分も掛からなかった。
路地に戻ってくると百合音が欠伸をしていた。
「縁殿は本当に面白いお人であるなぁ」
「今の何処に面白ポイントが隠されていたのか教えてくれないか?」
美幼女が肩を竦める。
「アレ、協定諸国派の中でも2番目にヤバイ奴でござるよ」
「本当か? 中堅辺りが交渉に来てたんじゃないのか?」
「オイル協定諸国は基本的に油が出る食材に耐性を持つ国家の連合でござる。それ自体が一つの組織と言えるが実質的には大国の大物達の私物みたいなもんであって、事実上のトップみたいなのは居らぬ。ちなみにあの女は協定諸国派の超実力者。カルダモン家は【
思わず顔が渋くなった。
「マジかよ……どうしてそんなのがこんな場末の危ない場所にいるんだ?」
「確か現在のカルダモン家の当主は変わり者とか。ま、あの奉公人の練度から察するにかなりドギツイ裏方の家なんであろう」
「奉公人て、あの案内してくれた人か?」
「うむ。服の下に暗器四つ銃器二つ。非耐性食材系の粉末入れた袋を複数。中々どうして良い教育をされているようでござったが」
「聞かない方が良かった気がする」
「それで時間は大丈夫でござるか?」
「おっと、そうだったな」
懐からシーレスに借り受けてきた懐中時計を引っ張り出すと。
既に時間は迫っていた。
「今回の縁殿の企みは不確定要素が多く。また、時間とタイミングにかなり左右される。とにかく前倒し前倒しで詰めていかなければな」
百合音が歩き出しながら真っ当な事を言うので僅かに内心で驚く。
「自分で頼んでおいて何だが、後で物凄い要求されそうだよなオレ」
「んふふ♪ 勿論、仲間にも何人か声を掛けた故。この貸しは高く付くでござるよ」
「はぁ、それでもオレに関しての事なら、大概安く付くんだよな」
「それは己の価値を低く見過ぎでは?」
「自分を過大評価する気はないし、そんな大そうなもんじゃないのは自分が一番良く分かってる」
「の、割りにはかなり大胆な作戦。いや、世界が引っくり返るような案を出したように思うのは気のせいであろうか?」
「気のせいだろ」
自分で提案しておいて今更なのだが、パシフィカ達に差し出した作戦はかなり常識から懸け離れているかもしれない。
それでも今まで知り得た情報。
分かっている各組織、各国の状態。
出会った人々の行動指針。
全てを総合して判断するなら、自分が出せる答えはたぶんそれしか無かった。
素人が考えた単純明快な計画とすら呼べないお粗末なソレは根本的に物事を解決する事なく。
ただ、純粋に人々の行動を誘導し、ある程度の方向付けを行う為の代物だ。
どれだけの効果が上がるかも分からないし、不確定要素は大盛りだったが、それでもやらないよりはマシな結果になる可能性が高いと幾つかの修正をシーレスやヴァルドロックが加えながらも一時間で仕立てられた。
青写真が吉と出るか凶と出るか。
それは誰にも、案を出した当人にすらも分かりはしない事だけは確かだった。