ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第21話「北部大計Ⅰ」

 

―――北部諸国出発数日前。

 

 歴史においての“流れ”を説明するには根幹となる分野がよく登場する。

 

 農業、工業、商業、林業、畜産業、基礎科学、地政学、その他諸々etc。

 

 だが、大抵の場合はこれが現代であるからこそ理解される叡智と血塗られた歴史の結晶であり、それを理解しない愚民という名の一般人は先進国だろうと諸外国だろうと変わりなく存在する。

 

「という事で、お前らにも見せておこうと思う。本格稼働し始めたばっかりだけどな」

 

 あくまで愚民と表現されるのは愚かであるからではない。

 

 彼らがその時代の知的水準から言っても知識を活用しないか。

 

 もしくは必要性の無いものとして排斥するからだ。

 

 反知性主義は言うに及ばず。

 

 学問の徒と呼ばれるモノ達の中にもそういう愚昧なのは多い。

 

「フィー!! これ!! これスゲーデカいぞ!?」

 

 人々は見たいものを見て、信じたいものを信じる。

 

 それは惨劇や戦争という歴史の轍となって後世に行道を指し示すが、大半の幸せな人々や大半の貧困な人々には無駄な雑学に留まる。

 

 歴史の愚かを学ばざるが人間というのは間違っていない。

 

 歴史は繰り返す……この言葉は正に名言なのだ。

 

「デュガ。触れてはイケマセン!! 天井から糸で吊ってあ―――」

 

 ドンガラガッシャーン。

 

「はぁぁ……後で直させるぞ。お前ら……」

 

 そんな音に溜息が出る。

 

 先日、アバンステア南部の渓谷で見つかったばかりの3mはあるだろう化石の標本が帝国首都に運び込まれた。

 

 石膏で型を取って創ったばかりの模造品が天井の荒縄が切れてホール中央に崩れ落ち、所員達が右往左往しながら、現状に大慌ててで動き出している。

 

『だ、大丈夫かぁ!!?』

 

『ああ!? 結構造るの大変だったのに!?』

 

 そう、白衣姿の所員達は帝国における科学者の卵だ。

 

 その数、数十名。

 

『せっかくのバルバロスの標本骨格がぁあああ!!?』

 

『ロビーの片付け……オレ達の仕事、なんだよなぁ……』

 

 巨大な嘗ての豪商の館を不正蓄財の容疑で10年程前に御爺様が粛せ―――“課税”で破産させ、国家が徴収したソレは今も使い手も無く錆びれていた。

 

 それを2ヵ月程前におねだりして改築し、さっそく集めた人材を在住させて研究所を立ち上げた。

 

 現代日本の基礎知識と模試で全国300番台くらいの学力。

 

 後、マッドな教授から雑学がてら吹き込まれた要らぬ化学知識が自分の生命線となるというのだから、世の中は不思議に満ちている。

 

「(そして、ついでのように仕事が増える、と)」

 

「何か言ったか? ふぃー」

 

「何にも」

 

「ちなみに此処って何してるとこなんだ?」

 

「まぁ、今日は見学だ。職人連中も色々集めたから気になったら見て来ていいぞ。興味があればだけどな」

 

 と言っている傍からデュガが歩いていた通路の先にある研究室の壁がガラス製である事に気付いて不思議そうな顔をした。

 

「なぁなぁ、フィー。おかしくないか?」

 

「何がだ?」

 

「こんな透明なガラス見た事ないぞ?」

 

「ウチの連中に造らせた透明度の高いヤツだ。裏手には実験棟と工房、小型の製鉄用の炉もあるぞ」

 

「コレは……何と……」

 

 さすがのノイテも驚いているようだ。

 

 内部では各種の学問分野毎の研究者達が与えられた知識と課題によって幾つも製品の設計や議論をしていた。

 

 その殆どは現代知識で持って来たものを工業製品化する為の試作品だ。

 

 効果が確かめられたものから順次西部にあるまだ見ぬ領地での大規模生産ラインに載せる事が決定している。

 

 その為に現地に大量の投資やらをしているが、まだまだ成果が目に見えて生活を変えるのは数か月先になるだろう。

 

「基本的には生活用品と生活に必要な公的設備だ。例えば、道の舗装技術とか。新しい車軸を使った馬車とか。工作用の機器だな」

 

「キキ?」

 

「何か作る時にはそれ専用の作業用の道具がいる。大型のものなら炉とかな」

 

 デュガ達と裏手の道に入ると屋敷の裏手の荒れ放題だった庭は今や工場染みた場所として長い建造物の上から煙を上げていた。

 

「おお!?」

 

「帝国の製鉄技術は凄まじいと聞いていましたが……」

 

 開いた窓の内部を除けば、今正に鍛冶師と設計者と冶金学をやっている学者達が出来上がったばかりの部品を検分しているところだった。

 

「アレは一体……」

 

「馬車の車軸に使う部品だ。従来よりも軽いものを作らせてる」

 

「あ、あっちのは何だ!? 何か回してる!?」

 

 近くに流れていた川から動力を引いて、造った旋盤での部品加工現場だった。

 

 一応、動力は確保したが、モーターや蒸気機関はまだ創っていない為、作業は歯車やベルトを用いて必要な時に水車へ接続し、動力を得る方式になっている。

 

 当然のようにパワー不足で加工出来ない硬さの金属があるのはご愛敬だろう。

 

「お前らのとこだと鉄よりも青銅とかが主軸なんだっけ?」

 

「一目で解る……あの鉄の純度……」

 

 ノイテが何か恐ろしいものを見たような顔となる。

 

「おお~~!? あっちで硝子が一杯だぞ!? ノイテ!? それに何か曲げてグニョーンしてる!?」

 

 硝子製造の現場の方に掛けていくノイテはレンズ用のガラスの製造や色ガラスなどを用いた産品を見て、目を輝かせていた。

 

「アレは……硝子の器? 何て透明度。それにこの加工……」

 

 近付いて行ったノイテが冷まされて飾られている硝子製品を見やる。

 

 江戸切子などを参考にして硝子研磨用の諸々の研究をさせているグループの作品は帝都の硝子製品とは比べ物にならない精度の細工と美しさを実現していた。

 

「それは今度、原材料が取れる場所に渡す技術だ。何なら持って帰ってもいいぞ。適当にウチで使ってもいいしな」

 

「あ、後で一つだけ……」

 

 ノイテがちょっと驚いた自分に恥ずかしそうにしながらも、そうモゴモゴと呟いたので女性にもそれなりに受けるだろうことを確信する。

 

 宝飾品用の色付き硝子も並べていたので宝石と勘違いしそうなものだろう。

 

 宝石加工の技術は帝国に元々あったので今後は透明度の高いガラス製品も安価に出回るに違いない。

 

「それで? 私達に見せたいものとは何ですか?」

 

「こっちだ」

 

 工場の奥。

 

 射爆場染みて小規模の砂山を木製の屋根で囲った場所だ。

 

 周囲は高い塀で囲っている為、殆ど周囲から見えない。

 

 元々、周囲は林などが多く、民家が無い為、静かなものだ。

 

「何だアレ?」

 

 デュガが数名の白衣の男達が工具で最終調整していた代物を見やる。

 

 ソレは射爆場の撃つ側の砂山を向いて開けた場所にあった。

 

 台座の上にあるのは握りの付いた筒のような代物だ。

 

「弩弓は知ってるか?」

 

「知ってるぞ。馬鹿にするな。ちゃんと、使ってたからな♪」

 

 胸を張るデュガの横でノイテが何か不吉なものを感じた様子でこちらを見やる。

 

「弩弓よりは威力が無い。飛び道具だ」

 

「おお? 竜を倒せる秘密兵器か?」

 

「無理だな。殆どこっちが記憶頼みで設計出来ても……まともな試射が出来たのは20回程度。今のところ240発で金属疲労が限界に達する」

 

「デュガ、触らないようにして下さい」

 

「?」

 

 前に出て白衣の研究者達。

 

 鍛冶師連中に進行状況を訊ねる。

 

「で? どうだ?」

 

「はい。言われた各種合金で雛型の試作を。現在、正式採用する予定の例の炸薬と実包で試していますが、殆ど300発を撃つ前に壊れており、最も信頼性の高い合金では現在の精度だと―――」

 

 聞いた限り、あまり芳しくはないらしい。

 

「雷管と薬莢に関しては?」

 

「どちらも構造状は問題無いようです。製造時の精度は雷管が多少低いかと思いますが、不良品は現在のところ40発に1発程。装填済み実包の耐水試験でも少し水に濡れた程度であれば、発火します。ただ、感度がまだ高く。暴発の危険性は未だ在り……」

 

「解った。後で感度を下げさせたものをこちらに寄越す。撃針と安全装置は?」

 

「そちらは信頼性の高いものが出来ました。バネ関連に関しても精度の高い部品で何とかなります」

 

「成程、よく分かった。手袋」

 

「は!? ご、ご自身で撃たれるのですか?!」

 

 思わず驚かれるが、革手袋は受け取る。

 

「そう言えば、命中精度は?」

 

「一応、試射時にばらつきが出ております。一番良かった層のものを分解再構築して、重要な点を洗い出し、最も良い部品で組み上げましたが、15mが限界かと思われます」

 

 研究所内の単位はkgとm統一している為、今や此処だけ見れば、現代と左程に変わるものでもないだろう。

 

「十分だ。どうせ、近距離でしか使わないからな。炸薬の方の取り扱いで事故は無かったな?」

 

「は、はい!! 最初に威力の程は見せて頂きましたので……取り扱いには細心の注意を払っております。ただ、暴発を避ける為にやはり撃つ直前に込める事をご提案致します」

 

「解った。下がってくれ」

 

「は!!!」

 

 手に取るのは回転式拳銃。

 

 用はリボルバーだ。

 

 炸薬と雷管、薬莢の構造自体は中二病的な知識としてネットで調べた事があるので左程苦労しなかった。

 

 問題は銃の素材の強度、部品の強度だ。

 

 まだ製鉄技術が発達したばかりの大陸には火薬こそあったが、それで弾を飛ばすという概念は無かった。

 

 大砲らしきものも無く。

 

 銃という概念は殆どがこっちの持ち込みだ。

 

 そのせいで銃用の強度を保てる合金類は存在しなかったのだ。

 

(精度が低くてもいいなら、案外簡単に出来るって言うのが何とも……鋳物製造の技術もまだまだ現代には程遠い。兵器級の精度と耐久力が必要な部品製造は一年後までには何とかなるか?)

 

 砂山に置かれていた人型の板が数枚。

 

 一発ずつ、手袋をした片手で撃つ。

 

 火薬量そのものを減らしている為、鉛玉を撃っても相手を貫通せずに肌から少し下の筋肉に食い込む程度の威力なのだが、それがまたエグイかもしれない。

 

 まぁ、相手の鎧は抜けない威力という事だ。

 

「……こんなもんか」

 

 バキバキに割れた数枚の板だったが射程20mで当たったのは3発だった。

 

 弾丸も軽量化しているので余程に至近距離でなければ、骨すら貫通しないだろう。

 

「(世界一使われたライフルさんの内部構造とか。描き出さずに済めばいいが、これが今の限界か……無煙火薬と銃身のライフリングの精度が課題か)」

 

 銃とかカッコイイとお年頃には調べていた事もあった。

 

 物覚えも良かったので恐らくこの世界の技術力でも造れる最強兵器なカラシニコフさんも精度さえ気にしなければ、作れはするだろう。

 

 が、その気はまだ無かった。

 

「実包の対衝撃試験は?」

 

「悪路の無人区域で120時間程馬車に積んで走らせましたが、20時間毎に1発から2発程が暴発しました」

 

「この際、仕方ない。梱包材の方に手を加えてくれ。それと梱包時の密度も少し減らそう。新型の安定した炸薬が製造されるまでは辛抱して欲しい」

 

「とんでもない。此処でこのような先端技術の開発に携われるだけで我々は十分に報われております。我々のような名も無い技師や鍛冶師をこうして温かく迎え入れて下さる場がある。それだけで十分です」

 

 帝国各地で燻ぶっていた優秀な若手研究者達は世間から大抵が変人扱いだったり、まともな職にもあり付けずに個人的な規模の研究しか出来ていない者が殆どだった。

 

 軍などの科学者の大半は堅実な時代に速した研究をしていたが、まだ若手の研究者達はその成果も出ず、結果を認められないという最中で潰れていく云々。

 

 そういうのを集めて見れば、帝国規模の国家でも優秀そうなのに無名なのが200人近くリストアップ出来たので今は帝都の研究所へと続々と御爺様の暗部が送り届けている最中だろう。

 

「ん?」

 

 ノイテの方に向き合うと。

 

 相手がかなりこちらを睨んでいた。

 

「ソレは?」

 

「弩弓の矢を玉に変えて、火薬で打ち出す装置だ」

 

「……あの威力なら、至近で人が殺せますね」

 

「威力は抑えてある。柔らかい急所に当たれば、殺傷出来るだろうが、頭蓋が貫通出来る程の至近距離ならナイフの方が早いだろう」

 

「……見せたかったのはソレですか?」

 

「お前らにも護身用に持ってもらう。使い方とレクチャーをみっちり叩き込んでからな」

 

「……断る権利は……あるわけなかったですね」

 

「そういう事だ。他にもお前らには北部出立前に色々と此処で造った成果物に関して色々と使い方をレクチャーさせて貰う」

 

「なぁなぁ、ふぃー」

 

「何だ?」

 

「ソレ作る意味あるのか?」

 

「有るんだよ。今のところは……あくまで護身用だがな。それとどんな道具も使い方次第だ。刃物一本で森に生きる事も出来れば、人を殺す事だって出来る。そういうもんだろ?」

 

「ん~~」

 

 デュガが繁々とリボルバーを見ていた。

 

 安全装置諸々の類は簡単な機構なので付いているのだが、未だ海のものとも山のものとも分からない武器は評価し難いのだろう。

 

「急所や大きな血管が通ってない場所なら死にはしない。金属片を抜くのが麻酔無きゃ死ぬほど痛いだけだ」

 

 こうして研究所の一部を見せて、メイドへのレクチャーが始まる。

 

(後はあの教授の知識を元に化学産業のラインに載せられるかどうかだな。ハーバーボッシュ法が活用出来るような大型の農業資材プラントの開発が出来るかどうか)

 

 未だ化学関連の研究は危険が伴うモノが多く。

 

 現代から知っている知識以外で補完しなければならない部分が多過ぎる為、安全な実験機材の開発や知識の集積が急務だった。

 

「手札は多いに越した事は無いが、あんまり危険なのもなぁ……」

 

 愚痴りながら、北部諸国でのプランを脳裏で詰めるのだった。

 

 *

 

―――現在、北部諸国沿岸域まで230km地点。

 

「ホント、酷いな……」

 

 軍隊の行軍というものは大抵、住民からの徴発やら焦土作戦やら歩くだけで多くの問題を引き起こすものだが、ヴァドカの進軍ルート上ではそういった徴発こそ行われた様子だが、軍の婦女子への無法が働かれている事は無かった。

 

 だが、それよりも問題なのは軍の移動経路に付随して各地からの物流が途切れたせいで食料と生活雑貨が異様に値上がりしていた事だ。

 

 ハイパーインフレとは言わないが、物の値段が2倍まで上がっており、一時の生活の困窮は避けられないだろう小国は多かった。

 

「この先、3万程の軍勢が一山先にいるようです」

 

 小規模な村の大通り。

 

 モノの値段で一揆でも起きそうな店舗のあちこちで聞き込みしていたノイテが小川の傍に止めた馬車まで戻って来る。

 

「アテオラ。この時期の天候は崩れ易いか?」

 

「え、ええと、雨天がこの時期から夏に掛けて大体22日間。ですが、軍の脚を止める程ではありません」

 

 小さな背中がサササッと鉛筆で白紙に地図と天候に付いての情報を書き出していく様子は魔法のようだ。

 

 筆記用具を最初に作ったのは間違いない事だっただろう。

 

「前年度の事を考えると雨の降る確率は低く。小雨くらいではないかと」

 

「有難い。ホント、有能だな。アテオラ……」

 

「え、ええ?! いえいえいえいえ!? て、帝国の技術には驚かされてばかりでぇ~~あぅぅ~~~!?」

 

 超恐縮している頭を一応撫でておく。

 

「ちなみにこの時期の海洋側の天候は解るか?」

 

「そ、それはさすがに……ただ、周辺の海洋での天気は北部は荒れ易く晴れ易いと聞きます」

 

「そっちも期待しておこう」

 

 メイド二号。

 

 デュガが入れた紅茶を口に含みつつ、外で見張りをしているゾムニスが開いている馬車の戸の前でこちらを振り返った。

 

「出立から4日。夜間以外はほぼ休みなしで此処まで来たが、馬もいい加減疲れて来ているのは明白。どうするのかな?」

 

「馬自体は当てが無い。近付いて来たら、そのまま馬車を置いて乗馬になるな」

 

「ちなみに軍を後方から追い越すなら、恐らく此処まで近付けば可能だが、先にユラウシャに向かう案は?」

 

「却下だ。まずヴァドカを止めなきゃ時間制限のある中でユラウシャと交渉しなきゃならなくなる」

 

「……解った。だが、君の行く道はまだまだ険しそうだ」

 

「何?」

 

「お客さんが来た。ヴァドカ軍の軍馬だろう。土煙が上がってる。馬車は?」

 

「此処で一々、時間は喰ってられない。轍までは消せないし、此処に止めておいていい。食料と水だけ退避させといてくれ」

 

「了解した」

 

 ゾムニスが車体の後ろに積んであったワインを蒸留してアルコールを抜いた飲料の大樽と食料が入ったパンパンの麻袋を担いで森の奥へと消えていく。

 

「野盗紛いだったらぶっ倒すか?」

 

「殺すなよ。後で交渉の席に響く」

 

 血の気の多いニコニコなバーサーカーだろうデュガに溜息がちに言い聞かせる。

 

「了解。腕とかぶった切っていいか?」

 

「良い訳あるか。結局、死ぬだろソレ。医療設備は大事に使いたい資源なんだよ。単なる野盗に使ってられるか」

 

 帝国の研究所で造らせた医療キットは高純度のアルコールと清潔な大量の包帯と幾つかの薬で構成される。

 

 化学関連で安心して使える成果は少ないので稀少なのだ。

 

 メスと縫合用の糸や針は何とか揃えたが、使わずにいられれば、それが一番良い。

 

 特に麻酔関連では麻薬の原料となる植物自体が帝国内でも自生していたので精錬して、もしもの時の為の鎮痛剤として成分を抽出、結晶状にして保存している。

 

 人体で使うのは避けたい。

 

 帝国軍の野戦医療用に降ろす計画だけはあるが、まだ実用段階としては適切な量も殆ど分かっていないのだ。

 

 経口摂取でも沈痛作用が出るのはネズミで実験したので恐らく大丈夫だろうが。

 

「アテオラ。毛布被って荷物の後ろに」

 

「は、はぃいぃ~~~」

 

「ノイテ。後ろのメイヤ姫の馬車に取って返してさっきの街に隠れるよう言ってくれ」

 

「解りました。ですが、よろしいのですか? 彼女の名前を出せば、物事は上手く運ぶのでは?」

 

「そう思うか?」

 

「ええ、協定中の国家の要人を無碍にする事は無いと思うのですが」

 

「ヴァドカに人質に取られて、今後の侵攻の足掛かりにされるかもしれなくても?」

 

「……協定中に違反を行うと?」

 

「ユラウシャに勝てれば、問題は無いだろう。だが、接戦となれば、人質を取って、無理やりに参戦させようとするかもしれない。オレ達が止められない場合も考慮して、そういう可能性は潰しておく」

 

「解りました」

 

 すぐにノイテが御者と御付き数人が入る大型馬車で止まっている後ろのアルジーナ勢に説明しに行く。

 

 馬車の護衛として数騎の騎馬が帯同し、そのトップには騎馬隊の隊長自身が付いているのだが、ノイテの説明で何やら納得したらしく。

 

 すぐに馬車を引き換えさせ始めた。

 

 それから数分後。

 

 ゾムニスが言っていた通り。

 

 遠方から騎馬隊が数名駆けて来る。

 

 一応、ゾムニスに仕掛けをさせたので今や馬車は立ち往生中という様子に見えるはずだ。

 

 少しスコップで粗末な道を掘って、車輪の一部を嵌ったように見せ掛けただけの工作である。

 

 何でわざわざ逃げるにも追うにも不便な事するんだ?

 

 とは、デュガの言葉だが、生憎と殺し合いよりはお芝居の方が性に合っている。

 

『何だ何だぁ~~~オイ!! こんなところで立ち往生かぁ!!』

 

 馬車の外に出て困り顔をしておいたら、いきなり話しかけて来るのはヴァドカの軍服姿ではないが、ヴァドカの鞍を付けた馬に乗る風体は山賊と言った様子の男達だった。

 

 とにかく人相が悪い。

 

 ついでに風呂にも入っていないし、汗も拭いていない様子で不衛生。

 

 垢染みた服からはピョンピョンと蚤と虱が跳ねていそうだった。

 

「オイ!! お嬢ちゃん。アンタ貴族かぁ!?」

 

「ああ、ヴァドカ軍の方々ですか!? ああ、何と言う天の助け!? おじさま達は今、御仕事中でしょうか!?」

 

 満面の笑みで目をキラキラさせながら訊ねてみる。

 

「お、おう? な、何だぁ!? お、おじさまだぁ!?」

 

「はい!! ヴァドカの兵は勇敢だとお聞きします。その御姿も勇猛に戦う中で泥と汗に塗れた証でしょう!! その屈強な兵隊の方達がこんなところに!! これは天の助けと言う他はありません」

 

 もしもの時の為に馬車内部で待機させていたデュガが思わず吹き出した様子でゴホゴホ言い出した。

 

 どうやら何かツボったらしい。

 

「ああ、デュガ!? 困りました。侍女は身体が弱く……今、馬車が立ち往生してしまって……街に人を借りに行かせているのです」

 

「そ、そうかぁ……そ、それでアンタは一体、何者なんだ? お嬢ちゃん」

 

 体調らしき眼帯で小柄で禿げた山賊スタイルな男が思わず訊ねて来る。

 

「はい。実は帝国より争乱の話を聞き付けた祖父の命でこの地方の戦乱の橋渡しをせよと仰せ付かり、此処まで……」

 

「は、はぁ!? アンタ、ただの貴族じゃねぇのかい!?」

 

「はい。御爺様からは詳しい事は何も……ただ、ヴァドカとユラウシャの戦で多くの困難を手助けして来なさいと……」

 

「あ、あんた一体、な、名前は何て言うんだ?!」

 

「ああ、申し遅れました。わたくしはフィティシラ・アルローゼンと申します。御爺様は帝国で大公のお仕事をされているのですが、ご存じですか?」

 

「―――ぁ?」

 

 それだけで相手の顔が真っ青になった。

 

 どうやら、山賊スタイルの人にも知られるくらいには祖父の悪名は響いているらしい事は事実のようだ。

 

「おじさま達にお願いがあるのです。馬車を何とか道に戻して頂けないでしょうか!? 侍従達は今、あのように苦しんでいて、非力な者しかこの場にはおりません。うぅぅ」

 

 涙目になってみる。

 

 それに気圧されたらしい山賊達が目を白黒させている。

 

「勿論、お助け頂いたご恩は決して忘れません。公爵家の名の元にしっかりと後にお礼もさせて頂きます。今は路銀以外は高価なものと言えばこれしかないのですが……」

 

 元々用意していた工芸品。

 

 宝飾品関連用に作っていたクリスタルガラスを職人に研磨させた偽ダイヤを人数分だけ事前にデュガに入れさせたソレを取り出し、1人1人の手に手を取って握らせていく。

 

「すみません。このようなものしかなく。ですが、おじさま達のお力をお貸し願えれば、もう少しあの子を安静にしていられる場所まで送り届けられると思うのです。どうか、どうか、お願い致します」

 

 その場で跪いてお祈りポーズまでしてみせると。

 

 何だか水音が響いた。

 

「?」

 

 少し顔を上げると。

 

 大の男達が頬を上気させてボロボロ泣いていた。

 

(え? 此処は仕方ないな。連れてってやるか。他に何か無いのか? とか、山賊らしい事を言うシーンじゃない、のか?)

 

「た、隊長ぉおお!? オレ!? オレ!? がん゛どう゛じま゛じだぁあ゛ぁ゛!!?」

 

「助げて゛あげまし゛ょうよぉぉお!!?」

 

「いい゛こ゛だぁあ゛あぁ。ご、ごん゛な゛ごみ゛た゛ごどねぇよぉ!!?」

 

「(えぇぇ……ドン引きなんだが)」

 

 何だか涙腺の緩い山賊(ヴァドカ軍)は極めて泣き落としに弱かったらしい。

 

 一度、血の気を引かせていた男達が次々に馬を降りると馬車の片側に集まって、左程でもない溝から馬車を引き上げてくれた。

 

「ああ、ありがとうございます。本当に、本当に、おじさま達のおかげでこの子を近くで休ませる事が出来そうです」

 

「お、おう!! おじょ……ふぃ、フィティシラ姫様はこれからどうするんだい? 近くの街に取って返すのかい?」

 

 まだちょっと目元が紅い眼帯の隊長がグスグスと鼻を鳴らしながらこちらに訊ねて来る。

 

「はい。ですが、この子を休ませた後、すぐにでも戦場へと向かわねばなりません。御爺様から承った大切な命を護らずして、きっとわたくしは家に帰る事も出来ないでしょうから……」

 

「そ、そうなのかい……な、何てこった!? フィティシラ姫さんのような良い子が戦場に……」

 

「それが御爺様のお言い付けであり、アルローゼンの家名を背負う者の使命ですから……本当にこの度は助けて頂いてありがとうございました」

 

 深く頭を下げる。

 

「ぐす……い、いや、オレ達何か、本当に別に大したことは無いんだ!! それよりも戦争の仲立ちや和解の為に来たんだろ? なら、オレ達が先導しよう!! なぁに、心配無い!! ヴァドカの上に取り次ぐくらいは訳ないさ!!」

 

「お、おじさま達にそこまで迷惑は……」

 

 一応、こっちにはこっちの段取りがあるのだが、相手の食い下がり方が善意からなので妙に押しが強い。

 

「だ、大丈夫っすよぉ!? 山賊崩れなんて言われてますけど、オレ達、ヴァドカの王太子の子飼いなんすよ!!」

 

「後ろからどっかの軍が来てねぇか探って来いって言われて。でも、こんな子が戦争を止めに来てるなんて!? うぅうぅぅ―――」

 

 サラッと重要情報が出た。

 

「そ、それが本当なら、はい!! もしご迷惑で無ければ、ヴァドカの今の軍の総指揮者の方の元へ案内して頂ければ……戦争は痛ましい事ですが、世の常……微力ながら、おじさま達が戦わなくても良いよう、精一杯に勤めさせて頂きます」

 

『う、ぅ゛ぅ゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛お゛ん゛ッッッ!!!?』

 

 何故か、再び山賊騎馬隊の面々の涙腺は崩壊したのだった。


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