ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第11話「帝国の台所事情Ⅰ」

第11話「帝国の台所事情Ⅰ」

 

 帝国の台所には大抵綺麗な水が流れている。

 

 だから、実は帝国の上層部ともなれば、その水資源の使いっぷりは現代の先進国並みだったりもする。

 

「フィティシラ様!! こ、これどうぞ!! お、おしぼりです」

 

「ありがとうございます」

 

 ある晴れた日の事。

 

 学院の敷地内ではあまり行われない体育の授業が進行していた。

 

 仮にも大貴族の子女にケガがあってはならない。

 

 だが、健康でもあるべきだとの国の教育方針でやっているのは直接的な身体を激しく動かす代物ではなく。

 

 浅いプールでの半身浴がてらな歩行と水泳だ。

 

 監視員と補助である女性講師。

 

 他にも女騎士達が今日ばかりは水着姿で女子生徒達を見守っており、水辺での戯れを行う者もいれば、泳ぎが達者な子女達が元気よく泳いでいたりもする。

 

 罪深い事に現代式の水着とは掛け離れた布地を程良く胸元と腰元を覆う薄い衣は身体に水気でピットリと吸い付き、体付きが透けて見えているが、此処は女の園。

 

 男子禁制。

 

 という事もあって、開放的に遊ぶ姿は楽園とか健康的エロスに溢れている。

 

「フィティシラ様の水着。とってもよくお似合いです!!」

 

「褒めて頂けて嬉しいです……」

 

 生憎と心は男、身体は女な自分には刺激が強いので僅かに視線を伏せておく。

 

『ああ、あの伏目がちなところが溜まりませんわ!?』

 

『か、カワイイ!!?』

 

『あ、ぁぁ、本当にお可愛らしいです』

 

 何か男として聞き捨てならない雑音が入った気もするが、意識的にシャットダウンしておく事にする。

 

 こんな事なら新しい水着を着込んで来るのでは無かったとも思う。

 

(水路使う時の為に用意してたのコレだけだったからな。普通のもウチのメイド達に頼んでおくんだった)

 

 ちなみに自分が着込んでいるのはビキニ染みた肌にピッチリフィットするタイプの紺色な代物だ。

 

 海獣類の皮を加工した一点ものだが、さすがに現代みたいにはいかず。

 

 少し生地が厚く頑丈で水着というよりは防具みたいな感じかもしれない。

 

 サメだかシャチだか、それっぽい生物の皮を使った腰布が付属しているし、肘膝は痛まないようにと保護する同様な素材のバンテージが巻かれている。

 

「それにしてもこんな水着もあるのですね。姫殿下は物知りでいらっしゃる」

 

 傍で泳いでいた上級生もこちらの水着に釘付けだった。

 

 まぁ、それはそうかもしれない。

 

 帝都で最も先進的と言われた服飾デザイナーを抱え込んで造らせたのだ。

 

 腹や背中はほぼ丸出しだし、こちらの帝都では一切見た事も聞いた事もない代物である事は間違いない。

 

「次の夏季休暇に海辺へ遠出しようと思っていて……」

 

 女性の長い髪は泳ぐ時だけは団子状に丸めるのが礼儀らしく。

 

 誰も彼も頭の後ろや左右がお団子スタイル。

 

 プールの監視員な講師達や女騎士達の視線が何か真顔なのが怖い。

 

『ああ、姫殿下の水着は何て、何てッ、何て言い顕したらいいの!?』

 

『は、破廉恥とはし、死んでも言えませんが、あ、あれでは、あれでは下着のようにも……ッ(ゴクリ)』

 

『ああ、姫殿下、姫殿下!! ああ、あああああああ!! あのように幼いのに暴漢達を打ち倒し、騎士様達を逆にお救いするなんて!? 愛らしくて勇敢で!! ハフハフ(>_<)』

 

『……欲しいですわ。ねぇ、アレ……何処で売っているのか調べて頂戴な。え? お聞きにならないのかですって? が、学院の英雄!! いえ、もう【華】と言っても過言ではない殿下に直接聞くなんて恐れ多いですわよ!?』

 

『フィティシラ姫殿下……お可愛らしい(*´ω`*) 食べてしまいたいくらいですね。隊長……』

 

『ええ、恥ずかしながら守られたあの一件……今度はわたくし達が命掛けで御守りしましょうね。皆さん』

 

『『『『『はい!!(>_<)』』』』』×一杯の女性騎士達。

 

 帝都は春先でも気温が高いのは生まれてからこの方気付いていたが、カラリとした熱さなのであまり気にした事は無かった。

 

 昼時に少し汗ばむ陽気である為、こうして春の中頃から夏の終わり頃までは涼を取るという学院の習いを知ったのもつい先日の事だ。

 

「( ´Д`)=3」

 

 誰にも聞こえないように溜息を吐く。

 

 結局、あの寄生系ドラゴンをぶっ殺した後。

 

 何とか場を収める事が出来たのは優秀な監視役。

 

 リージのおかげであった。

 

(ホント、あいつがいなかったら面倒事だらけだったな……)

 

 とにかく、あの場にいてはマズイ連中をみーんな馬車に載せて本邸に移送。

 

 その後、帝都の孫馬鹿な御爺様の暗部部隊が使っているセーフハウスへ退避。

 

 ついでに暗部部隊へ現場での工作を指示。

 

 フィティシラ・アルローゼンが竜に狙われたが、護衛部隊が竜を返り討ちで倒したという事になった。

 

 その後、ゾムニス達に帝都を合法的に出られるよう偽装した身分証と交通手形を偽装商会を複数経由して用意。

 

 傷は治っていなかった為、重軽傷者以外に路銀と馬車まで付けて送り出したのが2日後の事であった。

 

 これらの指示や書類処理で計3日は学院を休む事になったのだ。

 

(これは……御爺様の権力を笠に着た悪役令嬢ぶりが板に付いたな……)

 

 その合間に約束した占領地の具体的な改善策を用意するやら、リージを介して軍の良心的なお偉方に接触し、御爺様にも話を通し、現地での占領政策の見直しを提言するやら色々あった。

 

 共同経営者として自分の名前を割り込ませて領地経営にも乗り出したのだ。

 

(リージのヤツが紹介するだけあって、何かやたらと清廉潔白っぽいオッサンだったし、コレでしばらくは約束も守れそうか……)

 

 表向きは大公姫殿下の帝王学を実地で行う為の箱庭として手が回っていない不良債権染みた領地の立て直しをやらせる。

 

 という、極めて大貴族くらいにしか許されないだろう理由が採用された。

 

『大貴族一般のご意見は『大公閣下の姫殿下への贈り物』という事で落ち着きました。あの大騒動を収めた功績を記念して、自分の孫娘に領地経営のイロハを学ばせる為にちょっと国がお粗末な経営をしている領地を任せてみよう。という話です』

 

 リージからの言葉は極めてゲッソリしたが、予定通りではあった。

 

 明らかに大貴族の道楽が普通に受け入れられるブラスタ貴族制には問題があるし、シレッと未だ実質年齢3歳の孫娘に仮にも大国との元係争地を任せても問題視されない大公の権力……ついでに大公姫殿下の評判も諸外国からは最悪だろう。

 

 要は国外から見ると救国の徒を皆殺しにした悪名高い大公の孫娘がその者達の領地経営に名乗りを上げて、経営ごっこして遊んでいるのだ。

 

「フィティシラ殿下? どうかなされましたか?」

 

 カータ講師がもしかして水でお体を冷やし過ぎたのではという恐れからか。

 

 何か不安そうに訊ねて来るものだから、大丈夫ですとニッコリして浅いプールから上がる。

 

「フィティシラ様。これをどうぞ」

 

 メイド姿のノイテが大きなタオルを渡して来て、いつも三人だけならお喋りなデュガも今日に限っては人の目も多いので黙っている。

 

 何やら言いたい事があるらしくウズウズしていた。

 

「後でな」

 

 耳元で囁いてから先に上がる旨をカータ講師に告げて周囲に頭を下げてから、イソイソと現場から野外設置された化粧室へと向かう。

 

『あの物腰……大公家の権力を振りかざす事すらない。貴族はああ在るべきですわね。皆さん……』

 

『はい。さすが我ら女学院の英雄。いえ、次期【華】ですわ。ウットリ(*´ω`*)』

 

 何か背中に視線で穴が開きそうな気もしたが、努めて知らないフリをしておく。

 

 結局のところ。

 

 あの一件によって世間からのフィティシラ・アルローゼンの帝国内の評判はすこぶる良くなっていたのだった。

 

 *

 

「なぁなぁ、ふぃー」

 

「何だ?」

 

 プールから上がれば、本日の講義は終了。

 

 水気を拭って、ようやくシャンデリアが元に戻った学院内の館に戻る最中。

 

 擦れ違うメイドや学院の用務員達に軽く会釈しながら通り過ぎたところで背後からはもう我慢出来なくなったらしいデュガの声が掛かった。

 

「【ゼアモラ】の死骸はどうしたんだ? この数日、ゴタゴタしてて聞いて無かったからさ」

 

 先日襲撃された寄生再生能力在りの竜の事は2人から聞いていた。

 

 何でも元々は鉱物資源を食い荒らす竜の一種として知られていて、竜の国の軍団では戦術兵器として敵陣からの攻撃を凌ぐ為の近接防御兵器として使われていた云々……聞けば聞くだけゲッソリしそうな超常現象の使い方であった。

 

「さすがにすぐ動かせなかったから帝都守備隊の正規師団が持って行った。後、調べ終えたら引き取る契約になってる。実際、もう検死検分が終わったって事でウチのお抱えの施設で引き取ったぞ」

 

「施設?」

 

「オレの用意した研究所だ」

 

「けんきゅーじょ?」

 

「今、資産形成中だから、人材と最低限の機材と教育、工作設備だけしかないがな」

 

「……難しいのは偉くないかんな!!」

 

 もっと簡単に話せと頬が膨らませられた。

 

「デュガ。要は軍団の参謀役や鍛冶師連中の集まりみたいなものに投げ込んだという事かと」

 

「おお!! そうならそう言えよぉ~♪」

 

 分かり難いやつだなぁと肩が叩かれる。

 

「それでいいのか? お前……」

 

「?」

 

 不思議そうに首を傾げられた。

 

 もう一人の竜騎士メイドを見やるが、素知らぬ顔で視線を逸らされる。

 

 本当に部隊を率いて戦っていたのだろうかと思わざるを得ないが、カリスマというのは誰にでもあるものではない。

 

 その点で言えば、ノイテという部下に心底慕われているというか。

 

 世話を焼かれているデュガは合格なのかもしれない。

 

「それにしてもお前らの国もヤバイもん持ってるな。帝都の襲撃時にも思ってたが、何で継承戦争で負けたのか分からん。そもそも竜を使っておいて囮で全滅寸前とか。相手はどんな超人集団だったんだ?」

 

「バイツネードです」

 

「バイ……なんだって?」

 

 そのノイテの言葉に転生前の記憶が引っ掛かる。

 

 死ぬ寸前。

 

 奴隷として売られ、逃げ出した姉妹。

 

 戦えると言っていた2人が確か言っていた南部の武芸に秀でた家の名。

 

 懐かしいと思うよりも先に未だこの世界の情報を必要な分野から最優先で調べ続けている弊害で軍事分野での固有名詞にまで手が及んでいなかった事を自覚する。

 

「南部では有名な人間を越えた人間を産む家々の総称ですよ」

 

「あいつらやべーくらい強いんだぜ~♪ ホント、何べんも死に掛けたしさ」

 

「へぇ……嬉しそうだな。お前……」

 

「強いかんな。あいつら♪」

 

 頭蛮族系な気もする元戦闘国家お姫様の言である。

 

「我々、竜の国は傭兵稼業ですが、あちらはどちらかと言えば、各国毎に定住する一つの血筋から別たれた戦術戦略と武芸の専門家集団。家の力は各国に及んでおり、他国との利害調整に噛む事もあれば、分家同士で争う事もあるとか」

 

「それが宿敵なのか?」

 

「竜を滅ぼせる者達です。貴女のように……」

 

「怖い話だ」

 

 一言多いメイドに肩を竦めつつ、館の扉を潜る。

 

 すると、人影があった。

 

「ああ、ようやく帰って来た。お帰り……フィー」

 

「ユイ……見ないと思いましたが、此処でしたか」

 

 すぐにお嬢様モードになると後ろの視線が『こいつのぶりっこの方がヤバイよなぁ』というものになっている気がした。

 

「はは、実はどうにも水だけは相性が悪くてね」

 

 生徒会長。

 

 ユイヌがこの学院に出て来て2日毎日のように学院の館に遊びに来ているのは新しい日常の変化だろう。

 

 何でも君が心配になって仕方ない。

 

 また、無茶をしないかとハラハラしてしまうのだとか。

 

 そんな理由で来られたところで館の主としては色々とやる事があるのであまり対応出来ないのだが、お茶をしたら帰っていくので仕事がてら少し気を使いつつ、あしらう事になっていた。

 

「すぐにお茶を。デュガ」

 

「へーい」

 

 此処では力を抜いているデュガシェスがメイドに促されて、言葉も短く炊事場へと向かっていく。

 

 館の一階にあるお茶用の半屋外のテラス席には書類の置かれたデスクが一つ。

 

 昨日の今日で心得たユイヌがこちらが席に着くと対面に座った。

 

 サラサラと帝国内での幾つかの口外出来る計画の書類や報告書を確認し、印鑑を押して決済していく。

 

「それにしても吃驚したよ。君が手広くやっているのは知っていたけれど、色々な分野に進出してるなんてね」

 

「書類の口外に関しては大丈夫だと思いますが、ご内密に」

 

「それは勿論!! それにしてもあんな事があったんだ。普通ならもう少し休んで欲しいよ。僕としては……ね」

 

「仕事がありますから」

 

 対面のユイヌが少し苦笑していた。

 

「仕事というのは普通、大人がするものじゃないかな?」

 

「自分で課して自分でやるのも仕事の内です」

 

「飲食業はまだ解る。君みたいにお店を持っている子だって知ってるからね」

 

「そうですか……」

 

「でも、これは……子供がやるにはちょっと眉を顰められそうな仕事が多いんじゃないかな?」

 

 ユイヌが決済済みの資料を一枚ペラリと持ち上げた。

 

「水道事業。新式水路の開発と導入。帝国併合地域の農業水路と上下水道の設備投資計画……明らかにコレ軍務とかやってる人がやりそうなのだよ?」

 

「新しい水路が思い付いたので各試験を終えて性能が解ったものを随時、試験的に投入する事としました」

 

「君がやる事になった領地経営とかに使うのかい?」

 

「はい。現地で安価で作成修繕可能な耐久性に優れた水路は現地の住民の生活安定と軍事には不可欠だと御爺様と知り合いの軍人に説いたので」

 

「君の御爺様に説かれたら帝国で否と言える人はいないよ」

 

 苦笑というよりは苦笑いかもしれない顔で肩が竦められる。

 

「今年中には帝国各地に導入されるでしょう。数日後には東部の併合地域で試験的に作成が開始されます」

 

 ユイヌが今度は別の一枚を取り上げる。

 

「新型輸送用馬車の統一規格化。新型車体の作製工法と工場建設計画。軍閥のお偉方の名前満載なんだけど、これもやっぱり軍人さんの仕事じゃないかな?」

 

「各軍閥の話の分かる方々を御爺様に説得して頂き。今までの各地の馬車の規格を統一。こちらで設計した代物を中央から一括作成配布使用する事を義務付ける事になりました」

 

「それ軍閥の利権持ってる人に良い顔されなさそうだね」

 

「彼らを説得する材料が必要と言われたので軍管轄の輸送航路を使う統一規格の馬車には税関免除の特権を付ける事にしました」

 

「……それ輸出入で合法的に脱税されない?」

 

「脱税して頂く事を前提にした造りです。軍閥が今まで有していた利権をこちらに乗り換える事を前提にして、統一規格と輸送販路を一手に握る事が出来ます」

 

「だから、それって軍事にスゴイ絡んでるんじゃ……」

 

「軍のお偉方と軍用馬車や商業行路の利権関係者の方々には特権の方へ食い付いて頂いてます。そもそも輸送、兵站の重要性を認識している方が殆どいないのは助かりました。これでこちらの商売もやり易くなります」

 

「助かるって?」

 

「将来的に軍へ間接的に影響力を持てるという事です」

 

「あはは……君が大公閣下の姫殿下である事を思い知らされる気分だよ……」

 

 思わず汗を浮かべたユイヌであったが、後ろからやってきたノイテがお茶の準備を終えてカップを置くと静かに嗜み始めた。

 

「これは新しい公衆衛生?」

 

 紅茶一口。

 

 片目で資料を斜め読みするお嬢様が呆れたような顔になる。

 

「身体を綺麗にする為の薬用消耗品の開発計画。こっちは食料備蓄と輸送の為の倉庫を衛生管理する商会の立ち上げ。これは新型の帆船? 君が何をしたいのか僕にはさっぱりだ……」

 

 お手上げな様子でユイヌが息を吐く。

 

「他にも軍の戦列歩兵の福利厚生や傷痍軍人や遺族の皆年金制度。商会での労働者改革や商会の新規制と新規事業開拓、新しい雇用法に関するものもありますよ」

 

「近頃何か議会が騒がしい理由ばかりな気がするけど」

 

「ええ、御爺様に適当に議会へ捻じ込ませたので。御爺様もこちらからの株が上がってホクホク顔でした」

 

「……君の御爺様がやり出した大改革の中身そのものに見えるけど、君の発案だったのかい? 僕にも解り安く教えて欲しいな」

 

 複数の案件の書類を決裁終了後。

 

 ユイヌに向き合う。

 

「不便なんです。帝国は」

 

「不便?」

 

「ええ、ですから、便利にしたいんですよ。ユイ」

 

「……便利。僕は今の生活に不便と思った事は無いけれど」

 

「それは大貴族が享受している特権です」

 

「特権? ソレは確かに僕らは恵まれているとは思うよ。でも、これは……」

 

「ええ、帝国領土内全てにおいて進める計画です。だから、私達が帝国の何処に行っても、どんな場所でも同じ便利さを受け取れる。そういう事を目指してるんです。お解りになりますか?」

 

「……誰もがソレを受け取れるのかい?」

 

「ええ、()()()、です」

 

 その言葉にユイヌが僅かに考えた素振りで顎に手を当てて考え込む。

 

「でも、これを全て実現するのは不可能じゃないかな。さすがに大公閣下の姫殿下でも……」

 

「御爺様へすぐに無理なものは東部での経営状況に応じて帝国内で採用して頂く約束を取り付けました」

 

「成果が出ればって事かい?」

 

「はい。必要な資金と現地人材が圧倒的に足りないという事以外は大半実現可能でしょう。来週から少し北部に金策と人材確保へ行く事になりました」

 

「え……それって」

 

「少し遠出をしてきます」

 

「君には学院は狭過ぎるのかもしれないね……」

 

 ユイヌが困ったような笑みを浮かべる。

 

「そんな事はありませんよ。重要なのは居心地の良さですから」

 

「どういう事だい?」

 

「見知った人間のいる場所が一番落ち着くという事です」

 

 カップが空になっていた。

 

 ユイヌが少しだけ微笑んでから腰を上げる。

 

「悪いね。今日も長居して……」

 

「いえ、いる時はいつでも来て下さって構いません」

 

「そう言ってくれると助かるよ。生徒会も君みたいな人が沢山いればなぁ……」

 

「ご苦労お察ししますが、それはご自分でどうぞ。それも貴族の子女の嗜みの一つかと思いますから……」

 

「あははは。うん……うん……そうかもしれない。困った時は頼って欲しいな。フィー……」

 

「はい。それはこちらからの台詞でもあります。その時は遠慮なく言って下さい。我々はお友達なのですから。ユイ」

 

「……うん。そうだね♪」

 

 その笑みはきっと今までで一番の笑みだった気がした。

 

 こうして()()()の書類の決裁が完了した後。

 

 今日は早めに学園を後にする。

 

 背後に付いたデュガとノイテを伴い向かったのはいつもリージがいる経営する飲食店【ディアボロ】の一号店だ。

 

 名前の由来は何も教えていない。

 

 夕暮れ時にはまだ早いという事もあり、人はまばらだ。

 

 いつもの事務室に行くとリージが書類の山に埋もれるようにしてガリガリと書類を決裁していた。

 

「やってるか?」

 

「ああ、これは我が主。お早いお付きで」

 

「例のものは?」

 

「全て揃えました。無茶と無謀を履き違えない主の采配で2日徹夜でしたが」

 

「部下を付けたはずだが?」

 

「教育しなければ、使えないの一文が抜けてます」

 

 実際、リージの目は微妙に血走っていた。

 

 眠気に耐えている事は丸解りだ。

 

「それも含めてやっておいてくれ。使えるようになれば、眠れる。それに来週からはしばらく休暇だ」

 

「商人連中と毎日会う休暇ですか?」

 

「毎日、定時で家に帰れて眠れるなんて最高だろ?」

 

「ははは、御冗談を。家に帰って寝ても夢で仕事をしてそうですよ」

 

「……昼間には人材の採用もあるぞ。占領併合した地域の言葉を全て話せる自分の有能さを恨む事だ」

 

「ははは、過去の自分の努力が恨めしくなる日が来るとは……」

 

 リージが大きく溜息を吐いてから肩を落とす。

 

「採用基準は使えるか使えないか。使い物になるか。使い物にならないか。であって、門地人種民族性別は関係無いからな」

 

「教育して使えれば、仕事減りますかね?」

 

「ああ、採用人数の方が仕事量の増加よりも早ければな。頑張って使えるのを採用してくれ。人材の名簿は持って来た。連中の情報も全て暗部の他の連中に調べさせてある。ほら、これ」

 

 ドスンとノイテが持っていたカバンがリージの机の上に置かれる。

 

 その音だけで相手の顔が多少引き攣ったが、肩を竦めるのみに留まった。

 

「昔の同僚が愚痴ってた理由が今、解りました」

 

「御爺様の敵対者がいなくなって久しいし、暇だったんだろ? 仕事が出来て良かったじゃないか。その同僚も……生きがいは誰にでも必要だからな」

 

「ははは、はは、は……はぁぁ……ソウデスネ」

 

 ゲッソリしたリージが肩を落とした。

 

「資金繰りは再来月までには改善するはずだ。それまでは待っててくれ」

 

「はい。それにしても同行者は本当に後ろのお二人だけで?」

 

「ああ、別に切った張ったしに行くわけじゃないからな」

 

「護衛くらいはさせて欲しいものですが」

 

「帝国の護衛がいたら、逆に危ない地域だぞ?」

 

「……大陸北部。あそこは魔窟ですよ? 治安もよろしくありません」

 

「知ってる。だから、行かなきゃならないんだ。御爺様にも話したら、現地の協力者を用意してくれるって事だ。涙目でスゴク留められたが……」

 

「それはそうでしょう。自分のカワイイ孫を人間が住まう場所ではないと言われた戦乱の激しい地域に行かせるとなったら……」

 

「その分、利益は取って来るつもりだ。楽しみに待っててくれ」

 

「解りました……それで、ですが、一つ保険を用意しましたので」

 

「保険?」

 

「ええ、入ってくれ」

 

 声が大きく響く。

 

『ああ』

 

 声と共にギィッと部屋の奥の扉が軋み、巨漢が入って来る。

 

「ゾムニス?」

 

「しばらく派遣先に合流出来ない仲間達が多い。帝都での連絡要員も必要だ。それと約束を果たしてもらうまで、そちらに死なれては困る。そういう事で同行させて貰ってもいいかな?」

 

 柔和な顔で大男が肩を竦める。

 

「……傷は?」

 

「治った。そちらの御仁のおかげで」

 

「全治半年って言われてた気が……」

 

「それなら、ウチの方で治しました」

 

 リージの言葉に思わずそちらを見やる。

 

「あのケガで?」

 

「南部の一部の国で使われている治療薬がありまして。傷口を塞いで内蔵の損傷を治癒させるものがあるのですよ」

 

「そんなものが?」

 

「はい。随分と高価なものですが、さすがに護衛も付けずに行かせるわけには行かないので……自腹で取り寄せました」

 

「後で予算に計上しておいていい」

 

 チラリとゾムニスを見やる。

 

 穴の開いていた腹が衣服が捲られて見せられたが、そこには腹筋と塞がったらしい傷があるだけだった。

 

「では、約束を果たす為にも行きましょうか」

 

 ゾムニスが頷き。

 

 背後のメイド2人組もようやく帝都から離れられるのかという顔になったのは間違いないだろう。

 

 自分の未来の為に必要なのはまずお金。

 

 先立つもの。

 

 資本。

 

「目指すのは北部戦乱域。3つの国とそれに追随する都市国家群が争う地方です。この地の平定もしくは終戦を達成し、影響力を得て資金と人材を調達する事。これを為して初めて帝国と周辺地域の安定化は始まるでしょう」

 

 世知辛い事実であるが、台所事情の改善無くして自分の目的を達成する事は出来ないという事だけは本当であった。


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