ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
―――「必ず帰る。お前らのところに……」
耳元から水音がする。
星空は深く深く真紅、黄昏、蒼穹。
流れていく空は彩られたまま。
ふと、此処に自分を見る。
周囲は一面空を映し出す湖面のような世界。
その湖面に映るのは銀よりも金に近い白金の糸を流したような長い髪。
人形と言ってしまえば、動かないだけで誰もが納得するだろう人離れした顔立ち。
補足長い眉に切れ長の瞳は蒼い。
だが、その片頬にあるのは黒鉄を思わせる亀裂のような筋だった。
その湖面に手を伸ばし掛けて。
『シュー』
誰かに呼ばれたような気がして、腕を前に向けようと―――。
「ん……」
其処は講義中の講堂内。
サラサラとインク壺から薫る匂いが鼻を擽くすぐる。
「我らがアバンステア帝国はこうして成立しました。皆さんの御爺様達の世代にこの大きな決断があったからこそ、此処までの国家を我々ブラスタの血族は―――」
眠気を振り払って前を向く。
すると、周囲には真面目な顔でノートを取る女学生が30名弱。
誰も彼も個性の無い制服を着込んでいた。
と言っても、最上級の大貴族達の子女達が纏うのだ。
華美という程ではないにしても長く膝丈まである草原を思わせる色合いのスカートに其々の家の家紋を刺繍したものが刻まれている。
ブレザーよりは軍服寄りだろう薄紫色の上着には少し厚手の金糸の刺繍が施され、羽織っている姿は誰も着崩す者が無く模範的だ。
中には手鏡で髪の手直しをする者や友人とのお喋りに興じるものもいるが、講義を真面目に聞いている者もおり、講師の話を聞いていない者も静かに邪魔せぬように配慮などはされている。
その落ち着いた様子はさすが大貴族の子女と言ったところかもしれない。
講師にしても愉しそうにお喋りに興じる生徒達の様子を微笑ましそうに見ている辺りが元日本人からしたら驚きの光景だが、決して荒れているというわけではない緩くも穏やかな空気が流れていた。
「はい。今日は此処まで。では、もし興味のある方がいれば、家の者に筆記物の提出をするように頼んで頂ければ幸いです。では……」
年配の女性が少女達の様子に微笑んで頭を下げてから退出していく。
本日の午前中の講義は終わり。
後は校内のクラブハウスのような学内の派閥。
近い家同士の子女が集まる学内閥の個人や家の所有棟へと向かうか。
あるいは家に帰るか。
または友人達と共に帝都の繁華街に繰り出すというのがお定まりだろう。
講義中に書いていたレポートを提出して帰ろうとしたところで背後に視線を感じるものの無視して歩き出す。
貴族子女達の通う学び舎に入って2日。
未だ家名のせいか。
あるいは単純に家の当主の威光が強過ぎるせいか。
誰も話し掛けて来る様子は無かった。
大講堂は貴族らしい華美な彫金の装飾と飴色の歴史を感じさせる建材や大理石の類で固められているが、それは通路も変わらない。
通路の周囲には立ち働くメイド姿……子女の歳若い侍従や乳母である女性達や学内で雇われている女性達が行き交っている、という事もなく。
徹底的な分離が行われているせいで掃除婦しか見掛けない。
少女達の殆どのお付き達は彼女達個人や家が所有する学内のクラブハウスの方や子女達が入らない裏の通路を使っているのだ。
「………」
毎日働いている掃除婦達を怖がらせるのは本意ではないが、職員室。
つまり、裏方に属する者達の通路の先にある場所へ向かう必要がある。
窓ガラスがふんだんに使われた通路は裏方であろうと変わらない。
中庭から反対側の日陰にある場所も薄暗くはあるが、掃除は行き届いており、厳粛な空気が漂っている。
「失礼します」
ノックを3回。
それだけで内部がガタガタと一瞬煩くなっていたが、致し方ない。
こちらの事を思えば、そうならざるを得ないのだろうから。
ドアノブを回して内部に入れば、何食わぬ顔の女性講師達がにこやかな顔でこちらを出迎えてくれた。
軽く会釈してから内部に入り、先程講義をしてくれていた女性講師。
今年24歳になるという中級貴族出の雀斑がチャーミングな如何にも勉強が出来そうな瓶底眼鏡なラーリア・カータ講師の席の前に辿り着く。
「カータ講師。本日の分の提出物を持って参りました」
「あ、は、はい!! ど、どうもありがとうございます。フィティシラ殿下」
カータ講師の目は泳いでいる。
無理もあるまい。
世の中は金と権力。
そして、金と権力のある大貴族の子女は地雷の類だ。
人格的に優れてポワポワしてるヤツも要れば、明らかに悪女まっしぐらな連中も少なからずいる。
こんな子供の時からギスギスした貴族社会を疑似的に学内の派閥で再現して、慣れさせているのだから、まったく自分のような大物の孫娘は見える魚雷みたいなものであろう。
「どうぞ」
自分の手で提出する女生徒は皆無らしいので職員室に入る女生徒も皆無。
なら、自分がその第一号。
パラパラと受け取ったレポートに目を通したカータ講師がこちらの提出物の内容に思わずカタカタ震え出す様子は何かイケナイものを出した気分だ。
「そ、その、こ、これは悪く受け取らないで頂ければと思うのですが、フィティシラ殿下はその……家で家庭教師の方から学んでいるのでしょうか?」
「いえ、そんな事は……独学です」
「ど、独学?」
「はい」
「そ、そう、ですか……はい。何も問題ありません。よくこれだけの内容を……本当に才能がお有りですよ。ええ、ええ!!」
何度も頷いたポニーテールに眼鏡の女性教師のソレはおべっかなのか。
それとも単純に驚いたのか。
区別が付かず。
「では、これで失礼致します。カータ講師」
「は、はい。殿下もお、御一人での帰宅はどうか、ほ、本当にお気を付けて……」
曖昧に笑んでから失礼しますと頭を下げて、その場を後にする。
扉を閉めると。
聞こえっ放しだというのにガタガタとカータ講師の周囲に女性陣が集まってガヤガヤしている様子が聞き取れた。
『カータさん!! 殿下は、殿下は今度どのような文章をお書きになって?!』
『み、見せて下さいませんか!? どのような内容なのですか!?』
『そ、それが……講義内容が全部先取りされているようで……さすが大公閣下の御息女としか言いようが無く……』
『特別な教育を施されているのかもしれませんね……』
『だから、御一人で帰宅を? ああ、恐ろしい!? いえ、大公殿下の孫であらせられる方に手を出そうとする貴族などいないとは思いますが、お供の1人も付けずにとは本当に……ああ、ああ……どうしましょう!?』
『も、もしも何かあったら、わたくし達の首が直接にと、飛んでしまいますわぁ!?』
『きゃぁ?! あ、眩暈めまいが……』
『うぅ、気分が優れません……』
『だ、大丈夫ですか!? ああ、保健室!? 保健室から誰か手を借りて来てぇ!? 三人倒れたわよぉ!?』
女性講師陣に内心謝りつつ、その場を後にする。
下駄箱というものは無い為、普通の子女ならば、御付きに持たせるカバンを1人で持って無駄に豪奢な玄関先を潜る。
何処かの宮殿か王宮か。
という装飾の凝りようである。
が、実際には壁がシックな装い。
色合いも控えめという事もあり、歴史と伝統という面ではあまり上っ面で品が良くないという事もない。
あくまで装飾の細かさや落ち着いた赴きのある貴族の邸宅の玄関口と言った風情であった。
『あれが大公閣下の?』
『ええ、目を合わせてはいけませんわ』
『御一人でお外に? ああ、恐ろしいですわ!?』
『で、でも、殿方のような颯爽とした様子でもあるような……』
『さ、さすが大公閣下の……』
ヒソヒソ声を横にして外を見やる。
学内は左右に4棟が立つ大規模な学校施設だ。
名前を【聖ブラスタ女碩学院じょせきがくいん】と言う。
市井の人々からの通称はブラ女学院もしくはブラ女……特に奴隷階級からはよくよくそう略されているらしいが、これはブラスタの血族である女性大半への別称でもある。
アバンステアの帝都の中央から東に掛けて存在する街4区画程はあろうかという大規模な貴族子女の為の高等専門教育機関こそが此処だ。
実際には学力というものは左程に必要とされていない様子である。
テストというものも存在しない上に基本的には貴族社会に出る前に実社会の真似事をさせる意味合いで造られた場所らしく。
貴族子女同士の社交場くらいの感覚で運営されているようだ。
本当に学びたい子女もいるにはいるが、本流ではない。
だから、殆どの学問関連の施設が運営されてこそいるが、人気が無い。
あくまで彼女達の居場所は学内の本棟と呼ばれる学習施設の周囲に立てられた別邸染みたクラブハウスなのである。
「………」
周囲の女生徒達の大半が遠巻きにする最中。
左右を校舎、長い中央には薔薇や幾つかの花壇。
その周囲にはベンチが設置されており、談笑に華を咲かせている少女達もいる。
そんな場所を通り過ぎようとした時だった。
「やぁ、フィティシラ殿下。御機嫌よう」
「はい。御機嫌よう。生徒会長様」
花壇の中からひょこりと現れた少女はボーイッシュを地で行く15くらいの少女。
髪を御団子状に束ねているが、その衣服は制服ではなく。
野良仕事用の土で汚れた少しフリルの付いた灰色の作業着であった。
声は快活そのもの。
顔立ちは中性的ではあるものの、髪型や言葉遣い一つで変わるだろう。
ユイヌ・クレオル。
今年15らしい現陸軍元帥の息女。
赤み掛った金髪。
癖っ毛らしい前髪が僅かにカールした様子は何処かの往年の少女漫画に出て来そうなくらいの男装の麗人っぽさを醸し出している。
「ユイヌと呼んでくれていいと昨日話したのに……」
肩を竦めて微笑む様子は気にしたようでもない。
「いえ、未だ若輩の身。生徒会長様には敬意を払わせてもらえれば……」
「そう君が言うなら、仕方ないね。それで今日も一人で帰宅するのかい?」
「ええ、少し図書館に寄ってからになりますが」
「そうか。勉強熱心なのは良い事だよ。でも、あまり根を詰めるのは良くない。君の綺麗な顔にクマが浮いたりしたら、周囲の子達が心配で倒れてしまうからね」
冗談を言う様子は正しく気さくな相手という風情。
「どちらの意味で、でしょうか?」
その言葉の意図を汲み取った彼女は微笑む。
「ふふ、どちらの意味でもさ……ああ、失敬。そう言えば、まだ今日中にやる花壇の世話があって、これで失礼するよ」
「はい。どうぞお気を付けて。それとご自愛為さいますよう。生徒会長様」
「あはは、返されてしまったよ。僕もまだまだだね」
そう朗らかに笑ってユイヌ・クレオルは片手に
その後ろ姿にホゥッと熱い吐息を吐く女性徒は多数。
現在、此処に通うのは8歳から17歳までという話だったが、年齢もバラバラな少女達はさすが生徒会長という目で自ら手を汚して学内の花壇を維持する【
学内の顔。
もしくは代表者くらいの意味合いがあるこの尊称で呼ばれる者は多くない。
(絵に描いたような好人物だが、中身はどんなもんなんだろうな……)
人の目がこちらから離れている内に図書館へ向かう事にした。
*
図書館は人気が無い。
人がいても広大な空間に数人。
地下書庫まで合わせると日に4人も出会わない。
そもそもの話として、その内の1人が司書という事でどれだけ誰もいないのかが解ろうという話だろう。
貴族の子女にとって書物というのは正しく恋愛系のラブロマンスが置いているのでも無い限り、童話か御伽噺を読むのが精々。
アバンステアが集めた歴史や叡智など彼女達には何一つ魅力的ではないだろう。
それが魅力的なのは生憎と戦う男連中やヲタクな技術者ばかりである。
レアな稀覯本きこうぼんの類も存在しているとあって、一応は書物の貸し出しは記録されるのだが、30くらいの貴族出な女性司書は基本的にやる気があるのか無いのか。
カウンターでお茶を嗜んでいるところしか見た事が無い。
それでも大半ガラス製の屋外が見える温室を完備している辺り、贅ぜいの限りを尽くしてはいるのだろう。
無いのは人的なサーヴィスくらいである。
「オジャマシマス、と」
幾つかの棚から昇降台を用いて書籍を拝借。
最新の軍の広報資料やら周辺市場の動向やらを記した商人用の商会が出している会報やらを漁りつつ、貸し出して貰った木製の台車をキーコキーコ押して本を大量に収集して一番奥の机。
日当たりの悪い誰も来ない場所に積み上げていく。
「ふぅ……」
ある程度の筋力がいるのだが、生憎ともう姿形が過去とは違う。
一苦労しながら書籍を全て机の上に置いて、パラパラと読み込める限りの速度で自分の中に流し込んでいく。
歴史、文化、軍事、経済。
必要な情報は多種多様だ。
ついでに市場動向や遠方の国の情報。
他にも軍の動向を探る為の大量の諸関連の雑誌。
雑誌と言っても簡易の情報であるから羊皮紙が多い。
製紙は高価である為、落とせるインクの類で書かれた羊皮紙が多用されるのだ。
まぁ、かなりお高いし、水で滲むしで高い癖にナマモノな相場情報のような変動するものや軍事機密の類にしか使われないのだが。
「……大丈夫か。まだ……」
最新の情報を毎日確認しながらの読書は心に悪い。
だが、ようやく知りたい事を知れる環境が出来たので勉強不足という文字は無い。
こうして数時間の読書を終えた帰り道。
すっかり暮れ掛けた本校舎周辺にはもう誰もいなくなっていた。
もう学外に待たせてある馬車や付き人に連れ添われて帰るか。
クラブハウスで派閥毎に集まっている頃だろう。
「行くか……」
黄昏時の帝都へ出る正門では屈強な軍人、ではなく。
女性騎士というらしい。
騎士家系の女性達から選抜された準軍属の特別待遇な女性士官達が軽装の鎧姿で歩哨に立っていた。
現代でならば、薄い本の餌食であろう彼女達もこの平和な帝都エレムにおいては人倫と能力のある優秀な暇人という惜しい人材に分類されるだろう。
「アルローゼン様。今日もお付きや侍従無しでのお帰りでありましょうか?」
「はい。気苦労を掛けますが、今日もです」
「……本来はご忠告差し上げるか。もしくは家の方々にお止めして頂くのが良いのでしょうが、我々にはその権限も権利もありません。ただ、であるからこそ、申し上げます。どうか本当にお気を付けて」
年頃の女性を見守るという事を考慮して選抜されたらしい駐屯する女性騎士達は20代前半で固められている。
学内のほぼ全ての公務は女性である為、悪い虫が付かないというのも女学院には必須な要素なのだろう。
故に歳若い門番たる女性騎士達に軽く会釈するのは当たり前の気遣いだ。
「では、また明日……お仕事ご苦労様です。御機嫌よう。皆さん」
「は、はい。では、アルローゼン様もどうか道中お気を付けて。これから暗くなります故……」
数名の女性騎士達に頷いて獅子と薔薇のレリーフが掘られた鉄扉が開かれる。
巨大な正面の門は馬車がギリギリ通れるくらいのものであり、特定の時間以外は彼女達が開け閉めしているのだ。
門そのものに小さな屯所が詰め込まれており、歩哨が行き交う事が出来る壁は分厚いだけではなく高さだけで10m近い。
これ程に厳重なのは将来此処にいる少女達が大貴族達の母となるからだ。
『……このような卑賎の身に労いの言葉とは……アルローゼン家の御息女は本当に……他家とは違うようですね』
『はい。少尉殿……我々に今まであのような挨拶をして下さる方はおりませんでした……』
『どうやら、この時間まで図書館で勉強をしているとか……聞いた話ですが、講師の方々があの歳で次の【華】になるのではと噂しているようです』
『……家の教育の賜物か。あるいはあの方がそのような気質なのか。どちらにしても末恐ろしい……いえ、ああでなければ、あの家の者では居られないのかもしれません』
『あの大公閣下の孫娘ともなれば……ですが、好ましい方というのは間違いないでしょう』
『ええ、我々のような身分の低い騎士家系の……それもお飾りの女騎士にああしてお言葉を掛けて下さるのですから……』
何やら帰りの坂道には背中に視線を感じた気がした。
帝都の大通りへと続く貴族街。
大貴族達の邸宅が連なる一角は夜になれば、夜会が無い限りは馬車も左程通らない静かな場所だ。
そこを夕暮れ時にテクテクと歩く。
周囲には歩く人影など一人もいないが、だからこそ、見咎められる事も無い。
貴族街の出入り口には関所が設けられているが、生憎と金と権力がある家の人間が金と権力をチラ付かせる事もなく通り過ぎる事は可能だ。
理由は純粋である。
他家を蹴落としたい貴族の息が掛かった兵隊は何もしない事で何処かの貴族を助けている。
そして、現在自分の家に敵対する者がその番人の上にはいるという事だった。
(これからどれくらい潜る事になるもんかな……)
石作りの関所を抜けて大通りに出る。
貴族街の傍はまだ治安も良い。
大貴族御用達の日用雑貨を扱う商家が多いからだ。
事実上は最も儲けが大きい一角は警邏任務を負う警察……この場では帝都付の憲兵師団でも貴族階級の者が治安維持を担っている。
『………!!』
「ご苦労様です」
無言で敬礼する憲兵達は剣で武装こそしているが、その大半は鎧も身に着けず。
軽装の蒼い制服で帽子を被っている現実にもいそうなくらいの警官スタイルだ。
それでも大貴族の子女にモノ申す事は無くても敬礼するのは自分達の保身故だろうが、それにしてもご苦労様なのは間違いない。
彼らがいなければ、少なくとも自分が自由に動き回れる場所というのは極めて限られているのだから。
『お、おい。また挨拶されちまったぞ!? オレ達!!』
『あ、あの子、何処の子なんだろうなぁ……』
『こ、これは関所のヤツから聞いたんだが、どうやら大公閣下の家、らしい』
『ま、マジかよ!? え、会釈されちゃったというか。させちまったぞ!? だ、だだ、大丈夫だよな!? オレのウチ、断絶させられたりしないよな!?』
『家格の低い貴族だからなぁ。オレ達……ああ、竜神よ。あのような天使が悪魔から生まれるなんて本当に貴方は何という試練を我が国に……』
『今の上司に報告したら、オレらの首が本当に飛ぶな……はぁぁ……』
一角を抜けると今度は大通りから少し喧騒が大きい帝都随一の通りが見えて来る。
学園から歩いて3km弱。
周辺の空はすっかり暗いが、家々には蝋燭程でなくても獣や植物性の油の明かりがランプやランタンで灯っており、繁華街という事もあって人通りも多い。
帝都でも貴族や商人の次に多い中産階級は上位に位置する者達だ。
そんな人々の盛り場である。
派手な看板もあるし、明かりの数は建物によっては電気が通っていた現代と遜色が無い程に煌々と灯っている場所もある。
紙などを用いた間接照明が近頃は流行っている事もあり、夜は薄ぼんやりと明るい店は帝都でも珍しくない。
その街角の一角にあるダイニングバー。
つまりは大衆食堂よりは少し高級だろう場所に入る。
周囲には人込みが並んでいるが、こちらが貴族の子女だろうと分かるとさすがに退いてくれる市井の人々は大勢。
こんな夜中に貴族の子女がお供も連れずにカバン一つで夜遊び。
まったく、貴族様は何を考えているものか。
という顔になる者達も大勢だが、気にしない。
さすがに客商売ではあるものの。
地方や帝都の郊外のような治安の比較的悪い場所にある売春宿も兼ねているような場所とも違って内部は活況ではあったが、猥雑では無かった。
ダイニング内のカウンターテーブルの奥。
「リージはいるか?」
客に現在大人気のカクテルを作っているバーテンの男に訊ねるとすぐ店の裏手を手で示された。
そちらに向かって入っていく。
『何だ何だ!? シェフさん。あの子は一体どなたなんだい?』
『ああ、お客さん。それは此処ではご法度でして』
『聞いちゃならない事だったかい?』
『はい。出来る限り、見なかった事にするのが良いと思いますよ』
『いや、でも、貴族だろうとはいえ、あの若さ。さすがにこんなところに来るのはちょっと気になるよ。やっぱり……』
『……此処だけの話ですよ?』
『お、どういうのだい? 酒の肴にはしないから教えてくれよ』
『……オーナーの方です』
『オーナー……此処の?』
『はい。此処の……』
『………オレはぁ何も聞かなかった。聞かなかったぞぅ!! オレが一生掛けても作れねぇ店をあの歳で持ってるとかぁ……』
『はい。聞いておりません。こちらも……』
『と、とにかく例の酒作ってくれよぉ~~カクテルってんだろ?』
『ええ、それとシェフではなく【バーテン】と呼んで下さい。それが此処のルールですので』
『はいはい。何語なんだか。ホント、お偉い貴族の方は学があるようで……ま、何でもいいからお願いね!!』
『へい。じゃなくて、はい。畏まりました。産地直送!! 美味い酒に美味い料理!! ウチは鮮度が命ですからね!!』
『はは、ホント、どうやったらあんな新鮮なもんを店で出せるんだか♪』
何やら姦しい背後を後にして店の裏手に行く。
すると、厨房では10人近いシェフ達が大量の注文票を見ながら、次々に料理を仕上げていた。
それを邪魔せぬように後ろを通り抜けて店舗の金庫が置いてある一室に入る。
複数個のカンテラが吊るされた室内には1人の青年がいる。
今年20歳になるとの話。
自分に付けられた侍従。
よく見れば、貴族然とした風貌の優男。
だが、優しそうな笑みを浮かべた男の身体は鋼の如きものである。
相手は元軍人。
風貌こそ優男だが、その身体は野生の動物の如く漫画染みた背筋や腹筋に覆われており、その腰には旧そうな柄の帯剣が一本下がっている。
安酒場で一杯引っかければ、何処か大成したような落ち着きと甘いマスクに幾らでも女給さんが引っ掛かりそうである。
が、生憎とその二枚目の裏には獅子の顔が覗く。
「リージ。今日の売り上げ予想は?」
「ああ、ようこそおいで下さいました。麗しき我が主」
「お世辞はいいから。売上は?」
言葉遣いを男のものに戻して訊ねる。
「このリージ・ストレイクが暗算したところ。前日の一割増くらいでしょうか」
「……客の単価は?」
「高止まり中です」
「客層に変化は?」
「ありません。少し大貴族の方が混ざっているようですが、お忍びでしょう」
「……現在の動かせる資金は?」
「2400万と少し。そうですね。中規模な貴族の別宅なら新築で買えてしまえるくらいはあるでしょう」
元軍人の優男。
リージ・ストレイク。
祖父が付けた護衛兼小間使い兼監視役。
元々は帝都の軍学校の首席らしいが、戦で功を立てたところを拾い上げられて今はこうやって数奇な運命の下、食堂酒場の経営をしている。
「その金で明日中に此処と同じ器具を揃えて同じような立地で同じような店を二店舗構えられるか?」
「―――明日中、ですか?」
「皮と中身だけ揃えられればいい。人材はこっちで用意する。開店は1週間後」
「……恐らく、人足を雇うのに1000万程不足です」
「オレの名義で複数の商会から100万ずつ借り入れていい。担保はこの店の経営権だ。問題あるか?」
その言葉に男がフゥと苦笑する。
「問題しかありません。経営権を分割するおつもりですか? そんな話聞いた事が無いのですが?」
「商人連中が食い付いて来たら、残りの権利は他の商人連中が持って行く可能性があるって言って煽っておけばいい。正式な書面にしといてくれ。ウチの印を入れてな。短期償還で期限は3か月から1年だ」
「……解りました。何とかしてみましょう」
「それと大貴族が混じってるって言ってたな。その連中のリストと人相書きも明日中だ。絵、得意だって言ってたろ?」
「ええ、1週間前にご紹介された時、言いましたが……今から?」
「ああ、今から。優秀な人間に難しい仕事が任される。世の常だ」
「……解りましたよ。我が主」
思いっ切り溜息が吐かれた。
苦笑いされる。
「料理のレシピが飽きられてきたら言ってくれ。新しいのを用意する。じゃあ、オレはこれから人材確保してくるが、馬車は?」
「いつものように裏口で待たせてあります」
「営業が終了したら帰っていい。それと店の連中に売り上げが昨日より上がってたら今日少し飲む分くらいの金を渡してやれ」
「よろしいので?」
意外そうというよりは大金を動かす前に使っていいのかという顔。
「レシピを知ってる人材に逃げられるよりマシだ。労いの言葉も忘れないように。大事にしてやれ。それが長く働いてもらうコツだ」
「了解しました。では、こちらに労いの言葉は?」
リージに思わず半眼になる。
「この程度で大変だとか言い出さないと思ってたが、間違いだったか?」
「ははは、ご存じでいらっしゃるようですので催促は止めておきましょう」
よく分からない男、と言う程にはポーカーフェイスな笑顔だった。
だが、経歴だけを見れば、単純に軍の横暴が嫌になったと見る事も出来る。
ただ、重要なのは心の内はともかく。
現在進行形で自分をサポートしてくれる相手という事実。
実際の社会に働き掛ける為の手足としては恐らく最高の手札だ。
だが、ジョーカーはババであるかもしれないという事は留意する必要がある。
祖父の付けた枷である事もまた事実であり、使い処が限られるという意味では不便な相手でもあった。
初日で本性というか。
こういう性格である事は見抜かれていた事を思えば、人を見る目はあるだろう。
「では、今夜はこれで」
「ああ、また明日……」
「そう言えば、まだ言っていませんでしたが、お気を付けになられた方がよろしいと思います」
「何に?」
「現在、帝都に敵国の間者かんじゃが複数入り込んでおり、何かしらの工作をしているようだと……」
「解った。気に留めておく」
「お気を付けて……」
「ああ」
その場を後にして裏手に回ると確かに馬車が一台待っていた。
御者に行先を告げて中に入る。
一頭立てとはいえ。
貴族用のものは内部の座席が革や綿が詰められている為、乗り心地は最悪という程でもない。
街を流す馬車は街道沿いに走りながら幾つかのブロックを越えて20分程で目的地へと到達した。
大商会が所有する倉庫を改装した競り場の一つだ。
(こういうところが堂々とやってるくらいにはしっかりしてるんだよな。帝国って……)
元々は貴族もしくは一般人でも上流階級の人間を受け入れる為のオークション会場と言った意味合いの場所だが、木製の大規模な倉庫街は本来が物流の為のもの。
馬車を使う関係上は馬糞の臭いがする為、貴族でも来る者は少ない。
そんな場で特定の商品を競る場合だけ開かれるオークションは月に幾日かある。
その商品が並ぶ会場には現在、仮面を被った者が半数。
身元を知られたくない者は顔を隠すのが決まりだ。
木製の椅子が並ぶ会場の裏手からはもうゾロゾロと商品が品出しされていた。
『おろせぇええ!!?』
『オイ。こら!? 静かにしねぇか!?』
そんな奴隷市場の奥からは今日に限って喧騒が響いている。
近付いて行くと裏手の関係者ブースらしき場所の付近で奴隷達の1人が騒いでいる様子であった。
奴隷と言っても帝都に出品される
健康管理や様々な面で待遇は他の地方諸国とは天地の差である。
衣服をちゃんと着せられるし、食事や沐浴もしっかりされる。
変わらないのは手枷足枷くらいだろう。
『お前らぁ!? こんなところに連れて来て何する気だぁ!?』
『何する気だっておめぇ奴隷なんだから売られるに決まってるだろう?』
騒いでいるのは歳若い少女らしい。
ショートカットの枯草色の髪の毛と肉食獣染みた顔付き。
野獣の如き眼光は鋭いが、如何せん子供っぽい為か迫力が足りない。
オークショニアの下働き達の1人が木の棒で両手両足の枷を潜らせて、括り付けられた狩られた獣みたいな少女に肩を竦めている。
『こんな事してタダで済むと思うなよぉ!? あたしの仲間に皆殺しにされても知らないからなぁ!?』
『がはははは!!! うんうん!! 元気なのは良い事だ!! 新しいご主人様のとこ行ってもそれくらい元気でやれよぉ? おめぇみたいな気性のが好きな貴族もいるかんなぁ。子供出来たら、奴隷じゃなくて愛人に昇格かもしれんしなぁ』
ゲラゲラ嗤う男達を前に涙目で降ろせ離せとやってる少女は実際言っている事は勇ましいが生憎と身体は貧相というか。
明らかに男達に比べてもやせっぽっちである。
オオカミどころか。
精々が子犬と思われているのは傍目にも明らかだ。
『だぁれが、クソ帝国のクソ野郎の子なんざ孕むか!? 南部の女舐めんなよぉ!?』
『ばぁか!! その南部で負けたから、此処にいるんだよ!! 奴隷は奴隷らしくキャンキャン啼いとけ。がはははは!!!』
『くっそぉおお!? ぜ、絶対にぶっ飛ばしてやるぅうぅぅ!!?』
微妙に漫才チックなやり取りであった。
男達も本当に何一つ相手が出来ないと確信するからこそ笑って済ませている節があり、そうでなければ、商品だからと言っても傷物にしない程度に痛めつけるくらいの事はしているかもしれない。
「オイ。お嬢ちゃん。此処は立ち入―――」
オークショニア直々の許可証を片手で広げてから、仲間達に何やらヒソヒソ耳打ちされて顔を蒼褪めさせた人足の男が頭を下げてからガクガク震えて下がっていく。
「降ろしてくれるか。オークション前に見分させて貰う」
裏手はゴチャゴチャしているが、男達は忙しそうではあったが、すぐに慌てて頷いて少女を降ろした。
枷はさすがに外さないが、それでも不思議そうな顔で相手がこちらを見た。
「お前……お前も奴隷にされたのか?」
『ッッッ?!!!』
その言葉に周囲の大人達の顔が一斉に蒼褪めた。
まぁ、似たようなものだが、相手が少なくとも動物並みに勘と観察眼がある事は解ったので無表情を決め込んでおく。
「お、お前何て事を!?! すぐに謝れ!!? こ、この方はなぁあ!!?」
「いや、いいです。この子と。それからいつものを」
「へ、へい!! す、すぐに!!」
すぐに男達の1人がリストの羊皮紙を持って来る。
それを見てから背後に足枷、手枷姿の男女数十人を歩きながら観察する。
年齢、性別、手足の状態、歩き方、諸々だ。
リストにある顔と照らし合わせてから10人程を選び出した。
基本的には歳若い女子供の家族と技能のある男ばかり。
そのまま裏手から男達に連れ出させて、オークショニアのいる部屋の横を通り、待機している複数の荷馬車を前にして振り返る。
人足達が次々に男女の枷を外して、こちらに頭を下げてから引っ込んでいく。
奴隷身分になっていた誰もが不可解なものを見るような顔でこちらを凝視する。
「今から3年、ウチの店でこれから働いてもらう。そっちの利益は3つ。まず奴隷身分から解放する。そして、故郷に帰るなり、この帝都で暮らすなり、別の場所に行く準備がお前らには出来る。同時に準備中も衣食住の保証はする」
ランタンが灯った裏手には馬車が数台。
だが、その陰った男女の顔にはやはり不可解さだけが浮いていた。
「このまま逃げても帝都からは出られないし、路銀が無ければ、帰る事も不可能だ。働き口はウチが合わなくても其々の個人に合ったものを紹介する事も可能だ。自分の値段は自分で取り戻せ」
誰もが呆然としている最中。
何故か片手を挙げたのは先程の枯草色の少女だった。
肌は南部人らしく薄い滑らかな褐色。
子犬風味なのは手枷が無くても変わらなかった。
「なぁなぁ、どうしてそんな事してくれるんだ?」
少女が小首を傾げる。
「人材を必要としてる」
「ジンザイ?」
「働くヤツが必要だって事だ。此処にいるのは元料理人や大工、お針子に……まぁ、そんなのだ」
「わ、私や小さい子は?」
「おまけだ」
「おまけ?」
「ウェイトレ……女給。給仕。メシを配る事くらい出来るだろ?」
「え? うん。それくらいなら……って、何かハグラカされてないか?」
「とにかく、このまま逃げ出してもロクな事にならないのはよく考えれば解る事だ。そこらの奴隷みたいに使い捨てて死なせる事も無いから安心しろ……って言ってもまぁ無理か」
殆どの人間の顔は未だ晴れていない。
「どうするにしても此処は二択だ。このまま奴隷としてあっちで競り場で見知らぬ奴らに普通の奴隷として買い叩かれるか。こっちの職場で働くか」
また少女が手を挙げたのでそちらを見る。
「何だ?」
「名前」
「名前?」
「お前の名前、何て言うんだ?」
「………知りたい話か。ソレ今」
「うん」
アッサリと少女に言われて溜息を吐く。
「フィティシラだ。此処のオークショニアには話を付けてある。一緒に行くヤツはこの馬車に乗れ。行かない場合は此処であの場所に戻れ、とは言わないが……戻らない場合は憲兵に見付かったら連行されるとは言っておく」
その言葉で渋々という程ではないにしても逡巡した男女数人が自分の子供と一緒にイソイソと馬車に乗り込み始めた。
自分も一番手前の馬車に乗り込むと。
何故か、横にズカズカと少女まで乗り込んで来る。
「お前、フィ、フィテシ? 面倒だからフィーでいいや」
「何か今スゴイ図々しい事を言われた気がする……」
「お前良さそうなヤツだから、信じてやる。良かったな♪」
「あ、そうですか。はい……」
マイペースで何やらニコニコ(*^▽^*)している少女はやはり何処から見ても尻尾を振る子犬っぽい。
「あはは、面白いヤツだなぁお前。いや、フィーって」
何やら今度は肩に腕組までし始める。
「……出してくれ」
構わず御者に言うとすぐに馬車がコトコトと走り出した。
「じゃあ、オレも聞こうか。お前の名前は?」
「あたしの名前? デュガシェス。デュガシェしゅ・ゼーヴェア」
「今、噛んだな」
「い、言い難いんだ!? 仕方ないだろ!? お前の名前だってムズカシーだろ!!?」
「デュガシェス。じゃあ、お前はデュガだ」
膨れる少女がすぐに顔を笑顔にして助けて貰って悪いなぁと何やら親し気にしてくるものだから、何だか迷子の子犬を拾って懐かれた気分になる。
「それで南部から奴隷になってやって来たデュガさんは何か出来るのか? それと歳は?」
「戦えるぞ!! 歳は元服前だから数えで10だ。スゴイだろ!!」
無い胸を張る少女は子犬だ。
戦えるぞとはじゃれ合えるぞの間違いではなかろうかと溜息を吐く。
「戦う必要無いからな。とにかく、まずは―――」
いつもの場所で飯でも食わせようと口を開こうとした瞬間。
ガンガンと鐘楼の金が狂ったように鳴り始めた。
それに思わず御者達がざわめく。
「どうした!!」
『そ、それが!?』
御者台に投げ掛けるとすぐに西の方角から火の手が上がっているようだとの話。
「火元に近付かないよう、いつもの場所に遠回りでもいいから迂回してくれ」
『りょ、了解しました』
その時だった。
次々に西方から夜空を黒い影が複数通り過ぎ、その周囲から火球らしきものが次々に街へと降り注いだ。
「ッ―――火竜? 小火竜か!? 何だ!? 襲撃されてるのか!?」
思わず馬車の横の窓から外を見やる。
「おぉ!? アレ、【
「何だ? ハイシュ? それより助けに来たってお前をか!?」
「うん!! 帝国は鉄の国だけど、竜の国の敵じゃない!! つまり、あたし達は戦争には負けたけど、帝国はあたし達の敵じゃない!!」
偉そうな子犬が何やら自慢げにしている間にも次々に火球が降り注いでいた。
(体内で可燃物を精製して、吐き出すと同時に着火。球体は喰った動物の骨や残り物……ゲロが攻撃になる生物とかホント、ファンタジーは……)
どうやら軍事拠点と都市の流通の要である通りを封鎖する形で火球を吐いているらしく。
炎で街を焼くというよりは相手を閉じ込めている様子であった。
そして、空を高速で行く闇夜の影の一体が吐いた炎の塊が後部の馬車とこちらの中間地点に落ちて、馬が嘶く。
「御者は逃げろ!! 後ろの連中もだ!!」
分断されたままに馬が泡を吹いて倒れた。
御者にすぐ近くの建物に載せていた元奴隷達と共に避難するように言って、馬車を出る。
こちらもデュガと共に近くの建物に入ろうとしたが、突風が吹いて身動きが拘束された。
「く?!」
巨大な図体。
数mはあるだろう黒い鱗を持った首長のドラゴンがその獣のような四肢で地面に着地した。
その背後には鞍が載せられていて、竜と同じ色合いの鎧を着込んだ兵らしき者が降りて来る。
『デュガシェス様ぁ!! おりませんかぁ!!』
「あ、ノイテだ!? おーい♪ ノイテェ!? 此処だぞぉ~~~!!」
『!!?』
鎧の人がこっちで手を振っている
デュガに気付いて走って来る。
だが、その腰から引き抜かれた剣がかなり剣呑だ。
「ちょっと待て!? 斬り殺されるのは勘弁だ!? 仲間なら何とか言え!?」
「ノイテぇ~~コイツいいヤツだから斬っちゃダメだぞぉ!!」
すぐ目の前まで走って来た鎧の人がその剣を降ろさないまでも下に下げた。
「デュガシェス様!! よくぞご無事で!!?」
「ノイテも久しぶりだなぁ♪ 軍団は? お父様は?」
その笑顔のデュガの様子に青銅らしき兜の下の黒布で覆われた口元が手で押さえられた。
「ゼーヴェア様は……敗北の折、傷が祟って病没されました!!」
何やらくぐもっていたものの女性の声だと分かる。
どうやら重い話らしい。
「……そっか。お父様は最後までちゃんと戦い抜けたか?」
「はい!! はい!! 敗北したりとはいえ!! 相手の軍団長を全て討ち取る活躍ぶりでありました!! 南部では敗北を喫しましたが、既に散り散りになった兵団は再集結地点へと向かっております!!」
「そっか。じゃあ、今は誰が軍団を?」
「兄上のアズルノード様です」
「アズにぃが? そりゃ心配だなぁ。アズにぃってひ弱だから……」
「言っている場合ではありません!! ささ!!? とにかく、ここから逃げなければ!! 今しばらくは帝都も我らの技の前に沈黙するしかないでしょうが、いつまでも此処にいては捕まります!!」
「うん。解った。あ、フィー。お前どうする?」
「どうするって何だ……」
思わずツッコミを入れてしまう。
「だって、お前も此処で囚われてるんじゃないのか?」
相手の観察眼の高さに困る。
それはかなり自分の核心に近しい。
「……半分くらいはな」
「じゃあ、残り半分は?」
「やらなきゃならない事がある」
「そっか。ん~~何かして欲しい事ないか? 助けて貰ったしさ!!」
「いいのか?」
「勿論!!」
「じゃあ、此処から南東の山脈の先にあるヴァーリって邦の長に―――」
そう続けようとした時だった。
空が紅に輝き。
何かが雲の先で猛烈な光で夜空を染め上げていた。
その身に覚えのある状況に顔が引き攣る。
「まさか?!!」
この3年忘れる事の出来なかった光景。
咄嗟に少女を鎧の方に突き飛ばして上を向く。
黒い空があの日と同様の有様になっていた。
あの時、あの場所で見た光景。
「クソ?! またか!? 一体、何が―――」
自分を狙っているのか。
そう呟こうとした時。
頬に激烈な痛みが奔った。
「ガッッッ?!!」
思わず俯こうとするものの。
それよりも早く。
あの光の筋がこちらに到達しようと迫った。
その時、勝手に片手が持ち上がる。
同時に紅の光の筋が手に当たった瞬間、まるで何かに弾かれるかのように四方八方に分散して跳ね返った。
掌が手首から先―――。
「?!!」
硬質だが同時に透明感のある装甲で鎧われ、禍々しい鋭利さと有機的ながらも重厚な籠手染みた何かになっている事に気付く。
次々に光が手の上で弾け、周辺区画に降り注ぎ。
一瞬で全てを焼き尽くすかのような熱量が区画のあちこちで火柱となった。
だが、あまりの熱量も瞬間的なものらしく。
炎の柱も地面を消し炭にしてすぐ消え去る。
その後、すぐに光の筋が上空で途切れ。
視界が酸欠の為か。
または痛みの為か。
意識が強制的に墜ちていく。
「……クソ、どうなって……」
掌を見る。
その勝手に動いた手には黒い爪が見えていた。
鋭利なソレは確かに似ている。
そう……あの日、あのシェルターの中から飛び出して、自分の頬を裂いた指先に―――似ていた。
「……マジかよ」
思わず呟いて倒れ込む。
誰かが叫んでいた。
あの日、死んだ日に聞いたオサナナジミの声は今も耳を離れなかった。