ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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前日譚 なげーぷろろーぐ-04-

 

「……まったく。あの人は……デミ・パレルが国外じゃ殆ど半値以下の価値になるなんて……授業じゃ教えてくれなかったな」

 

 ほぼ二倍以上の金額を持って来た紙幣で払う事になったウィスは部下達を率いて、一緒に手配して貰った宿屋へと泊まる事になっていた。

 

 下手に宿屋をケチって体力を回復出来なければ、明日以降の食糧輸送にも支障が出る為、形振りは構っていられなかった。

 

 結局のところ1900万では足りないという市場側に彼が提示したのは軍人を数百人程度金策の為に商隊の護衛者として付けるという掟破りの見返りであった。

 

 本来、軍務に就く軍人を他の職種に付かせて働かせるというのは明らかに軍規違反であったが、これを彼は周辺の確保予定地域の威力偵察任務に商人を同行させての長期現地視察という形に落とし込む事を提案。

 

 これに市場側の代表である女は若い癖に大胆な手を使うと話を快く引き受けてくれた。

 

『兵隊さん。いや、お若いの。面白い事を考えるじゃないか。いいよ。そちらの兵隊さんはその体でしばらく引き受けようじゃないか』

 

 これを履行するまでに往復で数日の時間を猶予。

 

 もし履行されねば、本国に照会後に清算を要求するとの念書も提出。

 

 何とか可能な限りの食糧を確保する事が出来た。

 

 取られた宿屋は一般的な旅客用のものではなく。

 

 大商人御用達の造りがしっかりしたところらしく。

 

 虱や蚤に悩まされる事も無いし、野営中のように薬草を用いて煙られながら眠る事も無いというのは同公社の誰にとっても有難かったに違いない。

 

(これで何とか部隊を食べさせる事が出来る。人数は減ったけれど、維持が可能なら師団長が来る半年後まで何とか持たせる事は可能なはずだ。追加の兵糧が来るまで持ち堪えれば……)

 

 無論、彼はそうならない方が確率的に高いだろう事は承知でそう思う。

 

 あの上官がどのような形であれ、自分に歯向かった相手をそのままにしておく事など無いだろう事は彼の目どころか。

 

 部下達にはきっと一目瞭然であった。

 

「中尉殿。では、我々は相部屋なのでこれで……朝一番に起床後、市場で荷馬車と人足達を引き受けて出発します。中尉殿は明日の明け方から一足先に戻っているという事でよろしいのですよね?」

 

「ああ、君達には苦労を掛ける。本来は自分が輸送任務の指揮を執らなければならないところだが、この契約を先にグラナン殿に飲ませる必要があるからね」

 

「心中お察しします。では」

 

 宿屋の中。

 

 あのグラナンにどうしてあんなに出来た部下がいるのだろうと不思議に思いながらも彼はイソイソと士官だからと用意された1人部屋に向かった。

 

 しかし、二階建てでそれなりに広い街随一の宿屋の最中。

 

 隣接する宿屋からの声が解放型の広い通路と中庭越しに聞こえて来る。

 

「うまぁぁあ!? ナンヤコレ!? シューって料理学校出身なん!? そうとしか思えん味なんやけど!? つーか!? どうして、異世界まで来て見知らぬ食材でこの味が出せるん!? 殆どカレーやん!?」

 

「う……明らかに日本人好みのコクと旨みとスパイスの調和が取れた悪魔のカロリーを持つ料理……悔しいけど、悔しいけど……お、おかわり」

 

「セーカがおかわり!? あの自分に厳しいダイエットを難なくこなすセーカが!? なぁ、シュー。もう大学止めて小料理屋開かん?」

 

「お前ら大げさだろ。香辛料だって適当にお前らが買って来た在り合わせだぞ?」

 

「シューのカレー美味しい。うん。やっぱり、これが一番好きだぞ?」

 

 何やらガヤガヤしているのだが、聴き慣れない言語。

 

 こんなところにもやはり商人の街だけあって南国の人間でもいるのだろうかと彼は部屋に入ろうとして―――。

 

「ふふ、シュー様ったら。本当に美味しいです。スゴイんですね。シュー様は……」

 

「―――ッ」

 

 彼が思わず宿の庭の壁よりも先に目を見張る。

 

 開かれた窓際には忘れもしない横顔。

 

 いや、嘗てよりも成長し、何処か大人びていながらも、あの日のように微笑む少女が1人……いた。

 

「ルシャ!!」

 

「え……?」

 

 思わず彼の声に振り返った相手の目が見開かれる。

 

「あぁ、本当にッ、本当に君なのか!? ルシャ!!」

 

「ぁ、う、え……ッ……!?」

 

 何やら気が動転した様子の相手が自分を見て、すぐ何秒かしてすぐに顔を強張らせた時、彼は自分の失敗を悟る。

 

 今、彼が着ているのは間違いなく彼女の同胞を殺した兵隊の制服だった。

 

「!!?」

 

 バンと扉が閉められる。

 

 それに慌てたウィスがすぐに隣の宿に駆け込もうとした時だった。

 

「野盗が出たぞおお!! 南国人だぁああ!! 正規兵崩れ多数!! 今、ゴイム山脈の南方街道より接近中!! 守備隊はもう出てる!! 契約済みの各商隊の護衛者は規定に従って防衛陣地に集合されたし!!」

 

 間の悪いというのはこういう事を言うに違いなかった。

 

 実際、彼にはこの野盗らしき襲撃は関係ない。

 

 だが、彼の部隊を救う為の人員と食料の調達は此処でしか出来ない。

 

「ッッ、クソ!! こんな時に!!?」

 

 思わず二度、部下達のいる部屋への通路と宿屋の部屋を視線で往復させた彼だったが、今の自分が軍人としての責務を果たせずして何を軍の内部で押し通せるわけもないと胸中を波乱を含みながらも部下達のいる部屋へと駆けていく。

 

 それから数秒後。

 

 そぉっと閉められた二階の部屋の木戸が開かれ、周囲を確認した後。

 

 すぐに何やら慌しい音がその部屋からは響いたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

『すぐに防御陣地を固めろぉ!!』

 

『柵持って来い柵ぅ!! 相手は馬だ!! 夜には到達するぞぉ!!』

 

『こっちに水だぁ!! 炊き出しは無料だが、ちゃんと並べよぉ!!』

 

 ガヤガヤと喧しいディオフェンの南方1km地点。

 

 南部との街道を塞ぐ防御陣地が次々に設営されていた。

 

 周辺を山脈で囲まれている街は三差路の中心。

 

 その先は左右を山間の山林に固められた太い街道が一本のみ。

 

 馬で踏破出来る森林地帯ではなく。

 

 周辺の深い森には獣も多いとの事。

 

『穴掘れ穴ぁ!! 敵は待っちゃくれんぞぉ!!』

 

『女子供は市場の中だぁ!!』

 

『客は宿から出して西か東の街道に逃がせぇ!!』

 

 つまり、この商人の街は防御用の地形としては一級品でやってくる敵や略奪者というのは大きくなればなる程に街道を封鎖する事で留める事が可能。

 

 商人の連絡網や偵察用の傭兵を配置している為、早馬で知らせられたならば、すぐに街総出で陣地を構築して、待ち受ける必勝の戦法によって、今まで多くのならず者達を退けて来た。

 

『という事らしいです。シュー様』

 

 というのが言葉半分、絵半分でルシアから説明された。

 

 現在地は防御陣地から少し離れた森の最中。

 

 樹木の隙間に車を止めて、麻布のシートで覆うついでに枯れ枝や枯草を被せたEVのセダン内部であった。

 

「なる程……道理で手慣れてると思ったら、此処自体が一種の独立自治領みたいなもんなのか……」

 

「なぁなぁ、シュー。どうするん?」

 

「どうって?」

 

「ウチら何もせーへんの?」

 

 セーカの言葉に肩を竦める。

 

「何しろと?」

 

「このままやと食料の調達遅れるんやない?」

 

「まぁ、そうだな」

 

「この間、使ったって言うドババァ爆発するんは今回持って来てへんの?」

 

「お前なぁ。もう残ってるのは手持ち花火のあまりだけだぞ」

 

「は?」

 

 後ろ手にボックス内部をゴソゴソ漁って陽動部隊のおっさん達に渡していた代物を取り出す。

 

「この間、あの人らに掴ませてたのはそれなりに大きかったが、残ってるのは線香花火が関の山だな」

 

「うわぁ……陽動に花火持たせたんですか?」

 

 思わず半眼なエーカが呟く。

 

「相手に向けるモノだと学習させちゃったな」

 

「じゃあ、何も出来る事は無いん?」

 

「ああ、今のところ……でも、ちょっと気に掛かる事がある」

 

「気に掛かる事?」

 

 助手席でノートとペンを持って待っているルシアにザザッと聞きたい事を文字と絵で訊ねてみる。

 

 すると、十秒程ですぐに答えが帰って来た。

 

「……やっぱり、ちょっとおかしい」

 

「オカシイ? 何がだ? シュー……あむ」

 

 後ろで幼馴染が干し肉を噛み噛みしながら聞いて来る。

 

 どうやらビーフジャーキーのようで気に入ったらしい。

 

「解り易く言うと正規軍崩れの野盗って話だが、この場所の情報をまるで知らずにやって来たにしては何か釣りっぽい」

 

「釣り、ですか?」

 

 エーカに頷く。

 

「つまりだ。事前に此処が難攻不落というより、かなり死傷者を出さなきゃどうにも突破出来ないと知ってるなら、夜に仕掛けて来るはずで街道沿いから夜半になって走って来るのと夕方に付くのじゃ、まず間違いなく夜半を選択するはずなんだよ。普通はな」

 

「でも、暗くて馬を走らせるのを危険だと思ってなんじゃないんですか?」

 

「カンテラがこの世界にはある。夜の明かりを使わずとも他にも手は色々あるぞ」

 

「色々って何や?」

 

「軍である事を隠して商隊に変装したり、森林の中を行軍して隠蔽しつつ街道沿いを時間掛けて来たっていい。でも、相手はどうやって来た?」

 

「軍装で馬をパカパカさせて、ですよね?」

 

「そういう事だ。単なる蛮族なだけか? いいや? 仮にも馬を預けられるヤツが一兵卒だったとしても軍事に疎いわけないだろ」

 

「……じゃあ、どういう理由があると思ってるんや?」

 

「ま、もしもの時に備えて市場の方に車両を移動させよう。ココが潰されたら、色々困るのは確かだしな。お前の出番だ。朱璃」

 

「ふぇ?」

 

 首を傾げる幼馴染に一働きさせようと肩を竦めるのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 現在、大陸南東部より南。

 

 中央にも程近い地域では継承戦争と呼ばれる戦乱が巻き起こっている。

 

 このとある連邦国家の内紛に端を発した戦いは大会戦となった平原での激突後に大規模に死者を出して両軍の状態共に疲弊。

 

 戦費に苦しむ両派閥の軍が兵士達を次々に徴兵して遠方まで駆り出しておきながら、現地で帰宅して良いとの徴兵の解除を言い渡した事で大混乱となった。

 

 遠方に帰りたくても帰る手段が無く。

 

 僅かな給金だけ渡されて後は好きにしろと言われたのだ。

 

 野盗化待ったなしである。

 

 そして、北東部への玄関口にして複数の山脈に跨るディオフェンに今攻め入ろうとしている者達は正しく戦争の被害者と言う事も出来た。

 

 だが、野盗として他人の物を盗み、甘い汁の味を覚えてしまった現在。

 

 今更に貧しい農村に戻ろうというのは家族が大事だとか、もしくは単純に待っている誰かがいる場合のみ。

 

 殆どは人殺しに為れた挙句に悪党に墜ちた外道と呼ばれる者が大半だろう。

 

『オイ。いいか?』

 

『へへ、この街の連中も家族を人質に取っちまえば、何も出来ねぇさ』

 

『それにしても商隊に複数人ずつ紛れ込ませて街へ入るなんてあったまいいぜ。お頭はよぉ』

 

『そもそもまだ非難を呼び掛ける馬鹿な子供がいたぜ。頭お花畑かよ』

 

『ギャハハハ。違いねぇ!! 何かほそっこくて寝不足そうなガキだったな。あんなのじゃオレの自慢の息子だってヘタレるぜ!!』

 

『ンダンダ。へへ、それにしてもこんなところで女ぁ抱けるとは愉しみだぜぇ』

 

『お前らぁ、何食わねぇ顔で市場の連中に近付け。そのまま背後からザックリよ』

 

『いいかぁ。あせんなよぉ。すぐにヒトジチに出来なきゃ意味ねぇんだ』

 

『お愉しみだからって外の連中に狼煙上げるの忘れんなよぉ。げひゃひゃひゃ♪』

 

『お、奴隷ちゃんもいるらしいぜぇ? こりゃ、お愉しみが捗るぜぇぇ……ぐひ』

 

 明らかに人相風体を隠した男達の侵入は外敵の襲来によって防衛陣地を築く街の者達には想定外であった。

 

 今や街の中には彼らの仲間がゾロゾロと夜陰に身を隠しながら今か今かと合図を待っている。

 

『ありゃ? おかしいな。歩哨が立ってねぇぞ?』

 

『お? こりゃ、良い機会じゃねぇか!? あいつらこっちはがら空きか!! いっちばんのりぃ!! かわいこちゃんはオレの下でアヘアヘ言わせてやんぜぇええ!?』

 

『あ、オイ!? 不用意に!? ちッ、しょうがねぇ。あの馬鹿に盗られるのも癪だしな。オイ!! 合図だ!! 笛を吹け!!』

 

『了解でさぁ!!』

 

 街の中央市場はもう扉が閉められていたが、すぐに1人の男が飛び出して扉に突撃していくのを見て、合図が出された。

 

 ピュイイイイイイッと笛の音が上がると同時に次々と広場から数十人の男達が市場内部へ続く扉に殺到していく。

 

『壊せぇえ!! 待ってろよぉ。かわいこちゅわぁあん!!?』

 

 剣や斧が振り下ろされる戸が叩き壊される寸前だった。

 

 内部へ後一撃で押し入れると身を乗り出した男の頭部中央から鋭利な刃が生える。

 

『え―――』

 

 それが蛮族と呼んで差し支えないだろう男の最後の言葉となった。

 

 ドスドスドスドスッと木の戸の中から飛び出した穂先が次々に男に突き刺さり、そのままに持ち上げ、ブンッと反対側へと突き落とされる。

 

 男は既に人間を止めて冷めていく物言わぬ血肉の塊となった。

 

『な、何だぁ!? どうしてだぁ!? な、何で―――』

 

『アバンステア帝国軍である。この地においての乱暴狼藉は我々が許さない。直ちにこの地から退去せぬ場合、貴様らはそこの男と同じ末路を辿るだろう』

 

『なぁあ!? 帝国軍!? まだ、こっちまで来るには早ぇだろぉよぉ!? クソぉ!? 適当な事抜かしやがってぇえええ!? か、掛れぇ!! 数で押せば、勝てる!!』

 

 次々に男達が剣と斧を構えて扉に突撃する態勢を取ろうとした時だった。

 

 中央市場の二階から何かが投擲され、すぐ傍の道端に到達した瞬間、次々に火矢が射掛けられた。

 

 ボボボッと小さいながらも道を焦がすように炎が立ち昇り始める。

 

『へ、へへ!? な、何だよ!? 驚かせやがって!? 怖くて火種を小さくしたってかぁ!? 中に入ってるのは油かぁ!? ははは、まったく、商人様はそんなに商品がだい―――』

 

 カァンと喋っていた男の兜の下に覗く瞳が貫かれた。

 

『火が小さいのは狙いを付け易ければ、それでいいからさ』

 

 扉の奥で紅い瞳が細められる。

 

『な!? 盾込みの戦列歩兵にきゅ、弓兵!? ま、マズイ!? に、逃げ―――』

 

『遅い!! 全隊展開!! 動く者を全て打ち倒せ!!』

 

 ウィスの号令で建物から飛び出した盾持ちの歩兵が周囲を制圧し、その隙間から弓兵が次々に野盗達をハリネズミにして行く。

 

『ギャァアアアアァア!!?』

 

『ひ、ひぃ!? 助けてくれ!? た、助け―――』

 

『死にたくねぇ!? こ、こんなところで死にたく―――』

 

『ならば、野盗は止めておくべきだったな』

 

 駆けたウィスの細身の片刃が相手の首を刎ね飛ばし、その地を浴びるより先に潰走し始める野盗達へと弓兵達が次々に距離を取って襲い掛かっていく。

 

 中央広場まで続くストリートを抜ける青年の行く道の後ろには跳ね飛ばされた首だけが大量に転がっており、血の雨が正しく道となって流れていた。

 

『さすがグラナン卿が言っていただけある……』

 

『中尉殿はどうやら実戦を経験済みだったようだな。ああまでして剣で首を狩るのは尋常の技ではない』

 

『広域探索に入るぞ!! 中尉殿を援護しろ!!』

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 一斉に勝鬨を上げる部隊。

 

 その後ろからも複数の商人達が必死に野太く声を上げる。

 

 この大音声を前にして完全に腰が引けた野盗達は数が勝っているにも関わらず次々武器を投げ捨てて闇の先へと一目散に走り出す。

 

 取り敢えず、狩るだけの敵兵が尽きたのを確認したウィスが宿屋の中から漏れるカンテラの光に照らされながら、薄っすらと遠方から響いて来る音に戦いがもう始まっているのを確認する。

 

 そこに部下の1人が走り込んで来た。

 

『中尉殿!! 伝令です!! 現在、野盗集団と陣地で交戦中!! 敵は正規兵のようですが、陣地前で弓に切り替えて交戦し、突入してくる様子が無いとの事です』

 

『そうか。やはり、こちらが本命。だが、あちらを逃せば、また同じことが起こらないとも限らない。野盗の排除が終わった段階で森林から迂回して相手の退路を断つ形で奇襲を掛ける。各員に伝達。長い夜になると伝えて欲しい』

 

『了解しました。では、集結地点への合流を急がせます』

 

『ああ、頼んだ』

 

 剣から血を振り落として一先ず窮地を脱したウィスが市場の方角を見やる。

 

『それにしても相手の装備や数が殆ど抜けていたのは大きい。その上、こちらの数を大きく見せられるように鬨の声を数合わせするなんて、商人が考え付くものなのか?』

 

 彼が防衛陣地への援軍を自ら願い出ようとした時。

 

 市場側から不審者の発見と敵の攻撃は陽動で本命は市場の制圧ではないかという話がいきなり飛び込んで来たのだ。

 

 速やかに合流した彼に市場の女責任者は売買した食料に三割増しの色を付ける事を確約して戦力を動員。

 

 帝国軍向けに輸出していた武器や防具などを殆ど剣以外持たなかった彼らに支給して万全の態勢で戦う事が出来た。

 

 ウィスには単純だが、相手の数の利点を潰す為の作戦が素人のものには思えなかった。

 

(だが、今はいい)

 

 まだ、戦いは終わっていない。

 

 それを遠方の戦闘音が途絶えぬ事からも理解する彼は闇の中を走っていく。

 

 そして、明け方までに部隊を纏め上げて迂回突撃。

 

 後方通路を遮断して、戦列歩兵と弓兵、槍兵を合わせた三兵戦術を駆使した彼が初めての大規模な戦闘を終えた頃には空は白み始めていた。

 

「ようやく、終わった……」

 

 戦闘後の後始末を部下に押し付けるのを悪く思いながらも、全滅させた野盗の死体の最中を急ぎ足で街の方へと向かう。

 

 その行く先は例の部屋だ。

 

 だが、当然のように其処には誰かがいた痕跡はあれど……何者の姿も無くなっていた。

 

「ルシャ……この制服はもう君の敵になってしまったんだね……でも、僕は……」

 

 何にせよ。

 

 彼女の生存を確認出来た。

 

 見紛う事なく確信出来た。

 

 それだけが彼にとって、この食料調達遠征での成果。

 

 その瞳に苦悩を滲ませながらも、必ず相手を救う事を誓った青年は僅かに残る料理の芳香に空を見上げて、開けた空の下、部下の仕事を手伝うべく部隊のいる防衛陣地へと戻っていく。

 

 次なる戦場の先に彼女の姿を探し求める為に………。

 

 

 

 *

 

 

 

 村の男達が走らせる馬車がカタコト揺れるのを後方に見ながら、オサナナジミがご機嫌斜めな様子なのを見て苦笑する。

 

 昨日、襲撃者探知器代わりに夕暮れ時の街を走らせた事をまだ根に持っているらしい。

 

 が、アバンステアの帝国軍の部隊が来ているとの情報から幾らかの作戦とテコ入れ以外は全てあちらに戦力として働いて貰ったのだ。

 

 苦労は殆どしていないと言って構わないはずだ。

 

「いやぁ、それにしても昨日は大活躍やったね? シュリーは」

 

「へ?」

 

 活躍という言葉に面食らった様子になった幼馴染がそんな言葉には騙されないと長距離走を走らされ、不満タラタラな生徒みたいな顔になった。

 

「それにしても何で解ったん? その人達が野盗の仲間やって」

 

 エーカが訊ねると視線が外に逸らされる。

 

「誰でも解る。瞳の動きを細かく観察すれば……」

 

「そんなんで解るんか? へ~~~」

 

「挙動不審。緊張して歩き方も変だったし、早く逃げて下さいって宗が言っても逃げる素振りもその気も無かった。ヤマシイ事を隠そうとする独特の行動も出てた。分からない方がどうかしてる」

 

「さ、さすがやなぁ……本当に心理学的な知識豊富なんやね」

 

「そうでも、ない」

 

 微妙に頬を染めて嬉しそうなのはこちらにも解るが、それは言わないのが花というヤツだろう。

 

「おねーちゃんて褒め上手だよね」

 

「へへ、人の良いとこ見るの結構好きやからな!!」

 

 妹の言葉に得意げな姉である。

 

「もう。調子いい事言って……昨日、涙目で戦ってるところ遠くから見て顔を青くしてた癖に……人を褒める前に自分の事を労ってよ」

 

「はは、さすがになぁ。ああいうもん日本じゃ見る機会なんて絶対無いし……」

 

「……悪かったな。もしもの時の連絡役にさせて」

 

「ええねん。シュリーの方が危なかったやろ? だって、野盗の近くで確認する作業やもん。ウチなんか夜に明かりで照らされて少しだけ遠くに見える戦いでちびりそうになったし……はぁ、もっとお仕事せなあかんな」

 

「十分だ。こっちは殆ど暇だった。もしもの事を考えて、こっちは食糧倉庫の方で張ってたからな。馬車を数台、車で一時的に引くかもしれなかったってだけで蓋を開けて見れば、仕事ゼロ。帝国軍が全部やってくれたようなもんだ」

 

「………」

 

「あ、悪い。少しナンセンスだったな」

 

「なんせんす? 何? シュー」

 

 ルシアが何か言ったと小首を傾げる。

 

「いや、何でもない。それにしても昨日から少しソワソワしてるみたいだが、大丈夫か? さすがに怖くなったなら、帰ったらしばらく村で休んでても」

 

「だ、大丈夫!! 大丈夫、です」

 

 ルシアが慌てたように心配されている事を察してかぎこちない笑みを浮かべる。

 

「まぁ、今はとにかく食料を持って帰るのが先だ。後ろの馬車も後で村の奴らに還して貰わないといけないし、あっちからレッカーやトラックも出来れば、持って来なきゃだし、往復は大変そうだな……」

 

「とらっく?」

 

「後で教える。今はとにかく護送が完了するまで気を抜くなよって事で」

 

「うん!!」

 

 それから数時間後。

 

 今日の明け方まで戦いがあったばかりだというのに契約第一と荷馬車を30台ポンと馬と共に出してくれた市場側の好意で村に到着。

 

 村人達は今まで見た事もない量の食糧に目を丸くしながらも、すぐに搬出作業へと取り掛かってくれた。

 

(これで4か月は持つ計算だ。後は輸送が終わった後だな……)

 

 村から再び秘密のトンネルを抜けて学内まで戻り、すぐに教授が用意していたレッカーとトラックを使ってエーカと自分で食料をピストン輸送。

 

 それが終わったら、教授に必要な鉱物を届けるべく樽に詰められた各種の鉱物資源を全て満載して学内の倉庫へと搬入。

 

 何か月も外にいたような気もするが、それが数日の出来事であるとは思えない程に濃い数日だった気がした。

 

「よ、ようやく終わった……」

 

 その日の夜半。

 

 必要分の最後の鉱物資源を運び終えて、樽を総出で屋内施設に積んだ後。

 

 車両を近くに止めて、ガレージへと赴けば、レン邦長と教授が何やら臭そうなでは済まない薬品と死臭が沁み付いた場所で酒を酌み交わしていた。

 

 いつもならば、化け物の死体の一部が載っているはずの曇ったステンレスのテーブル上には日本の17年物のウィスキーが置かれている。

 

 周囲には何処から持って来たのか。

 

 酒の当てにだろう小さな缶詰が複数開けられていた。

 

「生神宗学生。戻って来たな。お嬢さん達は?」

 

「もうとっくの昔に寝かせましたよ。今日だけで7往復。積み込み作業も手伝って、帰ったら自分の持ち場でお仕事の引継ぎ。明日の朝は寝坊確定です」

 

「ははは、実に健康的で結構だ」

 

 さぁ、座れと教授とレン邦長の中央の下座に座らされる。

 

「それでこれは何の会なんですか?」

 

「ヴァーリと本格的に国交を樹立したお祝いだ。些細なものだがね」

 

「国交?」

 

「そうだ。これから独立研究機関としてヴァーリに技術支援の見返りに人出と教育するべき子供達を提供してもらう。そして、兵器及び戦術、戦略、複数の領土回復と防御の為の支援工作業務を始めようと思う」

 

 その真面目な言葉に思わず沈黙してしまう。

 

 レン邦長を見れば、ニコリとしてサラサラと日本語が掛かれた。

 

 そこに連なる文字は『驚いたかい?』だった。

 

「……言い回しとかニュアンスとかも完璧です」

 

「そうかい? いやぁ、若い頃以来だよ。こんなにも猛勉強したのは」

 

 サラッと日本語で言われて、数日で学習し切るとか天才かよと思わず内心呟く。

 

 日本語は地球においても他の言語よりかなり習得が難しい。

 

 漢字、ひらがな、カタカナ。

 

 文字が半端なく多いのだ。

 

 ついでに同音異義語のオンパレードである。

 

 これにアニメを見たくて日本語を学ぶ大半の外国人の心が折れるというのにレン邦長のイントネーションは過不足ないものだった。

 

「それで今のお話が本当なら、これから色々としなきゃならない事があると思うんですけど、どうするんです? 実際……」

 

 それにはレン邦長が答えた。

 

「我がヴァーリは正しく風前の灯だ。だが、君達に死ねというつもりはない。先日もまさか会談中に襲ってくるとは思っていなくてね。あのクソ野郎のクソさを見誤っていた私の落ち度だ」

 

「本当にペラペラになりましたね。何を教材にしたんです?」

 

「日本語の辞書に日本語の物語が掛かれた本を読んでね」

 

「何万語もあるんですけど。翻訳すらかなり面倒なはず。辞書だけでどうやって……」

 

「これでも歴代のヴァーリの邦主の中では最も賢いと言われた事もある」

 

「納得です……」

 

「昔は学者に歴史を語る者に成りたかったし、一度見た事、聞いた事、覚えた事は忘れない」

 

「はぁ……その才気、正直羨ましいですよ。それで?」

 

 もう日本語ペラペラおじさんと化した邦長がニコリとする。

 

「実際、もう私の命を使うくらいしかヴァーリの民を奴隷化から救う方法は無いと思っていた。しかし、君達は顕れた。何の因果か。あるいは何者かの意図か。それとも本当に運命とでもいうのか」

 

「………」

 

 饒舌というのは彼の為にある言葉なのだろうという程に言葉が溢れていく。

 

「男達の大半は死んだが、まだ数十人はいる。それに食料も手に入った。女子供がいれば、何れ民の数も増えるだろう。だが、問題は独立を保つ為には帝国を屈させる以外無いという事だ」

 

「それは……そうでしょうけども……」

 

 ルシアから聞いた帝国の話を総合する限り、勝つ事は限りなく不可能だろう。

 

 例え、優れた技術や兵器があったとしても、国力というものが違う。

 

「故に我らヴァーリは相手国を疲弊させる戦略を取らせて貰う」

 

「疲弊……戦略、ですか?」

 

「そうだ。まずは足場を固める。あの侵略者共をまず国土から叩き出すか。大人しくさせる。後、何日もせずに襲ってくるだろう相手を兵の消耗無しに押し返す。その為にドクター・マガツと君に手伝って貰いたい」

 

「解りました。生き残るのにはソレしかないでしょうし……」

 

「ああ、よろしく頼む。我ら産まれは違えど、今は一つの目的の為に……」

 

 邦長がウィスキーを手づから注いで渡してくれる。

 

「そのぉ……その言い回し、何処から学びました?」

 

「ん? アレだが」

 

 ガレージの端には何やらゴミの日にでも出そうかという大量のマンガがあった。

 

 紐が大量に散乱している為、わざわざ解いて読破したのだろう。

 

(誰だよ。此処で三国志とかフランス革命関連の……しかも、漫画版読んでたヤツ……)

 

 どうやら日本語の辞書という名の戦史ものまで読んだ男の戦いは此処から始まるらしい。

 

 乾杯してみたものの。

 

 自分はそもそも酒など飲んだ事が無いという事をすっかり忘れていた馬鹿が翌日どうなったのかは誰も知る必要がない出来事であった。

 

 

 

 *

 

 

 

 体育館の奥。

 

 特別に設えられた一角。

 

 天幕の最中にカンテラの光が小さく灯っていた。

 

『ルシャ!!』

 

 そう自分の名前を読んだ相手の事を彼女は覚えていた。

 

 いや、違う。

 

 忘れていなかったと言うべきだろう。

 

「ウィシャス……ううん。ウィス……」

 

 あの時、何とか彼女は仲間達に誤魔化したが、見間違えるはずもない。

 

 アレは嘗て彼女と共に育っていた帝国からやって来た少年。

 

 彼女が剣で打ち負かしていた泣き虫の少年だった。

 

 大貴族の一員になる事が決まり、故郷の地に戻っていく日。

 

 彼女は大きくなったら、また此処に来てねと言った。

 

 しかし、それ以来音沙汰は無かった。

 

 それが帝国軍の制服を着ていた。

 

 つまりは敵という事になるだろう。

 

 それを理解すればこそ、彼女は何も見なかった事にしたのだ。

 

 もしかしたら、これから戦う相手の中に想い出の中の少年がいるかもしれない。

 

 それは同時に相手に殺し殺されるかもしれないという事実。

 

「……ウィス……」

 

 きっと、立派になったのだろう少年は青年と言うべきか。

 

 だが、彼女はその邂逅が暗いものならば、いっその事出会わないようにと願う。

 

 その思いを図る術は無く。

 

「もう寝よう……」

 

 明かりが吹き消された後、体育館内には静かな寝息だけが闇に響く。

 

 彼女が……夢の中で出会う少年はやはり泣き虫の紅い瞳の優しい相手であった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ふぁあ……あふ……んぅ……」

 

 近頃は体育館が手狭になったという事で男達は夜間哨戒活動を行うという建前で野営しているが、それにしても日本の避難所用の備蓄。

 

 要は毛布やらテントやらはかなり喜ばれた。

 

 広い学内の防衛は現実的ではないので外側へ均等に見張りを配置しているのだが、今のところ夜襲を受けたり、偵察が来ているという話は聞かない。

 

 だから、安心して今日も眠い目を擦りながらもまだ残っている歯ブラシを使い。

 

 顔を洗ってタオルで拭いて、エーカがセーカと共にこの数日で水場から引いて来たパイプから給水される水の冷たさに有難みを感じるわけだ。

 

 今日もきっと朝から邦長含めヴァーリの男達は気に入ったのだろう朝シャンならぬ水浴びに勤しんでいるに違いなく。

 

 下流には大量の石鹸水が到達しているに違いない。

 

 臭いはさすがに数日の水洗いでどうにかなったし、教授の消臭スプレーの効果もあって、学内での異臭は無くなっている。

 

 いや、一か所だけ例外はあるが。

 

「……ガレージ。行っておくか」

 

 朝から水で一応身体を洗ってタオルで拭いた後、洗い物として洗濯籠に入れる。

 

 今日からはヴァーリの女達が炊事と洗濯を一手に引き受ける事になっており、水の供給は体育館内にも活気を齎していた。

 

 男達の完全に汗と垢と血が沁み付いた戦装束も女性達によって順次洗われている様子であり、通り過ぎる間に何やら凄い深く丁寧に頭を下げられて、思わず顔が引き攣り、いいですよと笑顔で返す事しか出来なかった。

 

「ふぅ……救世主でもあるまいに……」

 

 教授がやって来る前にガレージ内の昨日の飲み会という名の一方的な邦長によるお酌地獄の後始末をせねばと二日酔いにはまだなっていない頭でツマミの缶詰を洗って片付けようとした時だった。

 

 開かれっぱなしのガレージのテーブルの前に何やら人影が二つ。

 

「ん?」

 

 まだ朝焼け前という事で薄暗い室内を覗き込んだ時。

 

 殆ど3m程手前には襤褸布を纏った何かが物凄い勢いで残った缶詰をガツガツしていた。

 

「ゼスさん。それは食べ過ぎです。こ、こっちにもそれ下さい!!」

 

「え、おねーさまはさっきあっちのちょっと辛くて美味しいの独り占めしてたじゃないですか!!」

 

「そ、それはほら。人間はやはりご飯を食べなければ死んでしまうという本能に抗えず。止むを得ない飢餓のキンダンショウジョーだったんですよ!!?」

 

「むぅ。ご飯を平等に食べようと言い出そうとした十分前の自分が恨めしい」

 

「こ、今度からは半分こしますから。ですから、その美味しそうなのをこっちにも……じゅるり」

 

「しょうがないですね。これからは半分こですからね? おねーさま」

 

「は、はい。それはもちろん!! ああ、三日分の空腹と飢えが満たされていくぅぅう!!」

 

「お水もうちょっと持って来れば良かったですね。奴隷商人連中を出し抜いて樽に入れたのは幸いでしたけど、あんなに昇ったり下りたり……う、思い出したらまた……」

 

「と、とと、止めて下さい!? また、あの時みたいに衛生環境を護る為とはいえ、お口同士でゲ〇の押し付け合いはしたくなひぃぃぃ……」

 

 何やら恐ろしい過去に気分が悪くなったり、涙目になったりと忙しく漫才を繰り広げる人影達の周囲には山脈の上から射した光が射す。

 

「それにしても美味しいもの持ってますね。此処の人達。やっぱり、この要塞……先生が言ってた別の世界とか言うのから来たんですかね?」

 

「そうかもしれません。だとしたら、此処が先生の探していた場所なのかもしれませんね」

 

「あ、こっちのお魚の油漬けも美味しい。ああ、後はパンかメンがあれば……」

 

「それはさすがに……主食をくすねると見付かる可能性があるので我慢するしか……」

 

「パンくらいならかったいので良ければ、まだ腐る程あるぞ」

 

「ああ、主食がようやくこの奴隷身分に落とされた身にも!! 奴隷商人の連中!! 今度、出会ったらぶっ殺す前に主食副菜抜きの水だけ拷問してやります!!」

 

「はい。おねーさま。ふふふ、食べ物の恨みは万年覚えてやがれ……あのクソ商人共……絶対、後でナカシテヤル」

 

「ゼスさんも一緒に奴隷商人を滅ぼす会の会員です!! 復権したら、まずあのクソ奴隷商人共を標的に法律改正してやりましょう!! そうですね。法律名は奴隷商人絶対ぶっ殺す法ですかね?」

 

「ダメですよ。おねーさま。明け透け過ぎます。此処は奴隷商人絶対許さない法にしましょう!!」

 

「どっちもどっちじゃないか?」

 

「取り敢えず、今はご飯をくすね―――もとい補給する事に勤しみましょう」

 

「そうですね。おねーさま。それでさっき言ってたパンて何処にあるんですか?」

 

「え? ゼスさんがそれは知ってるんじゃ?」

 

「え?」

 

「ぇ……?」

 

「ああ、オレが知ってる。お食事が済んだら、ちょっとあっちでお話聞かせてくれるかな? お嬢ちゃん達」

 

「「………(恐る恐る振り返って涙目でニッコリする少女達の図)」」

 

 野盗を撃退したら、どうやら今度は日本語を喋る食い逃げ少女達がやってきたようだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「クッサァァアアア⊂⌒~⊃。Д。)⊃ あ゛あ゛あ゛!?」

 

「グラナン卿!! お気を確かに!?」

 

「そ、それでぇ!? 結局、食料はどうなったんですかねぇ!?」

 

 早馬を乗り継いでウィシャスと共につい先ほど戻って来た隊員の1人がグラナンの詰める私室へと報告に来ていた。

 

「中尉殿の機転のおかげで何とか数百人の商隊の護衛の代わりに無事予定の半分は何とか確保致しました」

 

「キィイイィィイ?! あのガメツイ商人共めぇ!? デミ・パレルくらい扱いなさいよぉ!?」

 

「いや、しかし、これでしばらくは部隊を維持出来ます。兵糧が来たら連れ戻せば良いわけですし、脱走兵も恐らくは食料を求めて近隣の邦や街に潜伏しているはず。その捜索も出来て一石二鳥の案ですよ。これは!!」

 

 バチコーンと部屋の中で報告していた男がグラナンの案外痛い拳に吹っ飛ばされた。

 

「げは?! な、何を!?」

 

「何をじゃないでしょぉぉ!? 部隊の人数が、充足率が下がったら、あの劣等共を倒す戦力が足りなくなるじゃないですかぁ!? クサァアア⊂⌒~⊃。Д。)⊃!!?」

 

 あまりに興奮したせいで更なる地獄を味わって寝台にひっくり返る男が涙目でウググと何とか身を起こして吹っ飛ばした部下に支えられつつ息を整える。

 

「く、まぁ、過ぎた事を言っても仕方ありません。それで部隊の再編制は終わったのですかぁ!?」

 

「は、滞りなく!! 現在300名を山岳猟兵装備で充足した部隊を高原に昇るルート上に再配置致しました。馬を可能な限り集めましたが400頭が限界で騎馬部隊もそれに比例した数となります。残り1500名ですが、山岳用の装備が不足しており、高原では後方の退路の確保と戦略予備として待機任務に当たらせます。商隊護衛もこの部隊の一部に割り振ります」

 

「よろしいぃ!! なら、後は兵糧が届いた後。強行偵察と行こうじゃありませんか!! 先日の戦闘である程度の数は把握しています。もう相手が100名に足りない程度ならば、山狩りでジワジワと追い詰めてやりますよぉ!! ほほほほほほほ!!!」

 

「は!! では、事前計画通り、遊撃部隊に騎馬を当てる事とし、他は弓兵と戦列歩兵、槍兵で固めて万事抜かりなく!!」

 

「騎兵は弓を持たせて竜騎兵として使いなさいぃ。高原は上り坂とはいえ、機動力が無いあちらは戦力が無ければ、背後や横腹を突かれた瞬間に瓦解するでしょう」

 

「了解しました!!」

 

「もし抵抗が頑強なら森林地帯を焼き払っても構いませんからねぇ!! はははは、は―――」

 

 ポロッと嗤った表紙に鼻から紙が抜ける。

 

「クサァアアア⊂⌒~⊃。Д。)⊃!?」

 

「グラナン卿ォおおお!? お気を確かにぃいい!?」

 

 こうして小さな部屋の中。

 

 洗っても洗っても臭いが取れない男達の手でヴァーリ最大の窮地は産まれようとしていたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「で、ええと。誰なん?」

 

 朝一番に寝ぼけ眼のエーカがそう訊ねて来る横では妹が目を開いているのか閉じているのか分からない有様で突伏しそうになりながら口元に乾パンを運んでいた。

 

「さっきオハナシを聞かせて貰ったところ。どうやらウチの関係者で別にこの世界に来てたヤツがいて、そいつを先生にして日本語を習ったとか。ちなみに日本語ペラペラだから、かなり頭良いぞ。それとあの街の奴隷商人に買われてて、何とか逃げ出そうと食料の樽に入った云々」

 

「あ~~倫理観ゼロ時空やもんなぁココ。奴隷とか普通にいるとかドン引きやな。まぁ、ええんやない? 詳しい話聞いて、後で洗ってあげな」

 

 ノソノソとエーカは妹の隣に座るとモクモクと乾パンを一緒に食べ始める。

 

 まだ、昨日付いたばかりの食糧は配給されていないのだ。

 

 レン邦長が今日中に配給の割り当てを決めるらしいが、まだ寝起きの人間ばかりなのだ。

 

 昨日の食糧備蓄の積み下ろしは男手を総動員した為、殆どの人間が寝不足である。

 

 動き出すのは午前中の遅い時間帯になるだろう。

 

「という事でまだ飯食うか?」

 

 振り返った少女達が何やら面食らったというか。

 

 何か表現に困る様子で顔を見合わせる。

 

 その後、襤褸布のフードがゆっくりと剥がれた。

 

「まず勝手に食料を盗み食べた事を謝罪させて頂きます」

 

 出て来たのは薄紫色の髪の少女だった。

 

 と、言っても高校生くらいだろうか。

 

 全体的に頬がコケている。

 

 が、眼光はしっかりとしており、食事をした事もあってか。

 

 生気は戻った様子で先程話を聞いていた時よりも幾分か受け答えする声もハッキリしているように思える。

 

 本来は美しいのだろう鼻梁や鋭い視線は何処か凛とした印象だが、左頬から喉元に掛けてが少し焼け爛れた跡があり、僅かにカサブタが見えている。

 

「ああ、スイマセン。奴隷商人に捕まっていた時、奴らの拷問でお湯を掛けられた場所なんです。お見苦しい場合はまたフードを……」

 

「いや、構わない。そのままで話してくれて。後で躰を洗った後、火傷の治療に使えそうな品を見繕って来よう」

 

「え、あ、あ、ありがとうございます」

 

 頭を下げる相手の横。

 

 少しだけおねーさまとやら心配そうにしていた相手がこちらに頭を下げる。

 

「お願いします。おねーさまも女の子なので」

 

「一言余計ですよ!? ゼスさん!?」

 

「あはは。すいません」

 

 ゼスと呼ばれたのは薄い色の金髪な少女だった。

 

 中学生くらいだろうか。

 

 姉といいつつも顔立ちは似通っておらず。

 

 姉が焼けた菫すみれを思わせるような育ちの良さを感じさせるのに対して、妹は枯れた向日葵ひまわりを思わせる。

 

 というのも両手から肌からカサ付いていた。

 

 乾燥肌か病か。

 

 どちらにしてもボロボロな唇や爪は明らかに栄養も不足していそうだ。

 

 だが、その姉と笑い合っている様子には悲壮感も無い。

 

 その瞳は確かに力強く。

 

 姉と似ているのはきっとそういうところなのだろう。

 

「そっちは身体洗ったら消毒してからハンドクリームだのリップクリームだのだな」

 

「しょーどく。くりーむ。また、知らない単語……先生と同じ世界の人なんですね。あなたは……」

 

「先生、か。まずは体調や躰の不調をどうにかしてから聞こう」

 

「そのぉ……ありがとうございます。不潔なままこんなところまで案内までして頂いて……」

 

 姉の方が頭を下げる。

 

 確かに2人はアンモニア臭い。

 

 仕方ないとはいえ、樽の中で缶詰だったのだから、どうなっていたのかは言わぬが花だろう。

 

 現在地は教授の私室がある棟の横。

 

 雨水式のシャワーが併設されている簡易食堂の外側だ。

 

 水を張り巡らすパイプ系の資材が足りない為、飲料水や生活用水を使う場所を一元化した為、側溝に流す形で今は身体を洗う事が出来た。

 

 シートを天幕状に張った簡易シャワー室内は紐で括られただけの代物だが、棟内部の食堂から外は丸見えな為、使っている最中は見えないとしても男子禁制となっている。

 

「セーカ。この2人の身体を洗う時に付き添ってやってくれ。まだシャンプーと石鹸はあるから、幾ら使ってもいいから綺麗にしてやってくれ」

 

「解った。あ、ご飯は?」

 

「さっき食ってたが、取り敢えず電源使っていい。電子レンジで何か温かいスープの類でも」

 

「了解だよ。さ、じゃあ、さっさとそこから立ち退いてね? 男子」

 

「解った解った。悪いが着替えはお前らの方から出してくれ。後でレン邦長に余りが無いか。あるいはヴァーリの女性陣が作れないか聞いて来る」

 

 朝から低血圧らしいセーカがニッコリしつつ、こちらを追い出しに掛る。

 

「あ―――」

 

「今から必要な衣料品取って来る。取り敢えず、名前だけ聞こうか。二人とも」

 

「え、ええと、私は……ランテラ。ランテラ・クロル・レクシギンと言います」

 

 紫髪の少女が名乗る。

 

「あ、私はゼストゥス・レウ・イルテラって言います」

 

「オレはイケガミ・シューだ。まぁ、まったりしててくれ。悪いようにはしない」

 

「は、はい。本当に、本当に……お世話になります」

 

「おねーさま。ようやく私達奴隷身分から解放されましたよ!! うぅう」

 

「ゼスさん!!」

 

「おねーさま!!」

 

 ヒシッと安心した様子で抱き締め合う姉妹にセーカがウンウンと姉妹愛が深い子は好きだよ的な視線を向けるのもそのままにその場を後にする。

 

 そして、教授の私室に医薬品を取りに向かうのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「うぅ、数か月ぶりです。さ、さっぱりしました!!」

 

「でも、あぅ。ちょっと、私の方は何か肌が沁みる感じが、うぅ」

 

「だ、大丈夫ですか!? ゼスさん!?」

 

「は、はい。やっぱり、この肌じゃ、お水で綺麗になるのはいいですけど、気持ちよくなるのは難しいみたいです」

 

「お薬が効いたら、きっと治りますよ!!」

 

「それはおねーさまの方こそ必要だと思いますよ?」

 

 姉妹達が互いに労りながら、シャワーを浴びる最中。

 

 新品のスポンジを持ったセーカが優しくボディソープや石鹸などで少女達の垢を落とすやら、髪の毛を念入りに洗うやらしていた。

 

 それが終わってタオルで身体を拭いた2人が互いを労る様子にこれぞ姉妹という何やら彼女の中の姉妹基準に合格した2人には電子レンジでオートミール風の朝食も出された。

 

 温かいものを口にした2人がガツガツとスプーンを使う様子は姉妹であるエーカにも微笑ましく映った様子で自分が食べていた乾パンやら缶詰もお裾分けされた。

 

「それにしても日本語バリバリやなぁ。2人とも」

 

「え、ええと、ニホンゴは解ります。ただ、方言や訛りの方はちょっとまだ」

 

「あはは、気にせんでええよ。何となく解ればええんや。あ、まだ2人はブラ要ら……いや、妹ちゃんの方にはいるな」

 

「ブラ?」

 

 エーカがガサゴソと学内の更衣室内にロッカーを抉じ開けて入っていた衣服を集めたダンボール箱の中を漁り、ポイポイと必要な下着やら肌着やらを後ろの妹の手の上に放り投げていく。

 

 そして、その内容を見たランテラが一つしかない女性用胸部下着と妹の胸部と自分の胸部を見てから、ニッコリ笑顔で涙一粒。

 

「ああ、傷付かないで下さい!? おねーさま!? これからですよ!? 私達、成長中じゃないですか!?」

 

「い、いいんです!? それ逆に慰めてませんからね!? ぅぅぅうぅ」

 

 姉妹達の漫才にエーカがようやく全ての衣服を選び終えて振り返る。

 

「ランテラちゃんやっけ? ホント、アンタら仲良しやなぁ」

 

「おねーちゃん……私、これから仲良し度をアップする企画を儲けるべきなのかなぁ?」

 

「あ、はい。取り敢えず、ウチらも仲良しだから、その企画はボツという事で……」

 

 妹の自分も姉と仲が良いよね?という無言の圧力染みた確認に姉は屈しつつ、ロクな事になりそうにない企画は拒否する。

 

 それを見ていたランテラとゼスの2人が何処かホッとした様子になった。

 

「あ、着替えは手伝うから、大丈夫やで~」

 

「今、あのヨンローが薬とか持って来るだろうから、手当して落ち着いたらお話って事でいいと思うよ。それまでは私達が面倒見るから」

 

 2人の姉妹達の笑顔に何か感じ入った様子の2人が同時にちょっとウルッと来た様子でまだ体を拭くのに使ったタオルで目元をゴシゴシ拭った。

 

「何や何や~~? 泣くのはまだ早いでぇ~~人生色々やからな。その女の武器は好きな男でも落とす時の為に取っとき~」

 

 あははと笑うランテラとゼスが頷く。

 

『持って来たぞ~~扉開けてくれぇ~~』

 

「さ、さっさと着替えんと見られてまう。パパッと着替えさせたるからな♪」

 

「今入って来たら、ぶっ飛ばしますよ。ヨンロー」

 

『あ、はい……』

 

 こうして元奴隷少女達は少しブカブカな衣服を着込んで改めて人心地付いたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「成程? 元々、南部にある国の良いとこの子だったんやね?」

 

「はい。先生とは家の庭で知り合いました。どうやらいきなり其処に飛ばされて来たらしくて。2年前の事です」

 

 エーカに頷きが返される。

 

「つまり、時間軸がズレてたのか。2年前……まぁ、世界を跨ぐなら時空間を超越してるって事だし、時間も関係無い、のか?」

 

「何かスゴイ話ですね。私達まだまだ自分達の状況を何も知らないのかもしれません」

 

 セーカの言葉は確かにその通りだった。

 

「で、何でまた言葉も解らんヤツを先生になんてしたんや?」

 

「それが大きなケガをしていて、先生を慌てて看病した事が切っ掛けで……言葉は解らずとも先生が位の高い家の人間。あるいはしっかりとした教育を受けている人間である事は明白でしたので」

 

 ランテラが過去を思い出して僅かに薄く唇の端を曲げる。

 

「成程なぁ。言葉は分からない異邦人なりに礼儀正しかったと」

 

 エーカが納得している間にもゼスが話を続ける。

 

「そうです。丁度、その頃から私もおねーさまの家に御厄介となっていたので一緒に先生から様々な事を学ばせて貰いました。こちらはあちらの言葉や知識を、私達は世間の情勢を教えたりして……」

 

 その言葉を黙って聞いていて、とある人物が思い浮かぶ。

 

「なぁ、その人って女性で眼鏡姿の大人しめな笑顔で工作が出来るヤツじゃなかったか?」

 

「え……ど、どうしてソレを……まさか、本当に先生の探していた場所が此処でお知り合いなんですか?」

 

 詳しく話を聞くと先生としか名乗らなかった女性はかなり先日出会った相手に似ていた。

 

 ササッと近頃上達した絵で相手に確認すると2人が目を丸くした。

 

「せ、先生です!!」

 

「は、はい。そっくりですよね?! おねーさま!?」

 

「そういう事か。あの時、あの人も巻き込まれてたわけだ」

 

「何や何や!? シューその先生と知り合いかいな!?」

 

「ウチの歴史学科の教授だ。マガツ教授の知り合いだって話で一度話した事がある。あの異世界へ来る直前の異変当日にな」

 

「マジか~~~という事は外にもあの時、学内にいた何人かが一緒にこの世界に来てるかもしれへんね……あ~という事は生き残ったり、帰る方法の他にも巻き込まれた誰かを探すってのも大きな目標に入るな。やる事多過ぎやろ!!」

 

「生き残った誰かがいるなら此処を有名にするってのも手になるな。取り敢えず、帝国の戦力を返り討ちにしない限りは全滅だ」

 

「ぜ、全滅?!!」

 

「お、おねーさま。も、もしかして私達……」

 

 姉妹が何かに気付いた様子で周囲を見渡す。

 

「ようこそ。今現在、2000人以上の帝国の部隊に狙われてる学び舎へ」

 

 ヘタッと少女達の髪のシンから萎れて魂が抜けたような顔になったが、それもこれも生き残れるかどうかは自分達の行い次第。

 

 その主役は間違いなく今日もノッソリ私室を置き出して、適当に朝食を食べて、ガレージで作業しているに違いない。

 

 本格的な侵攻がある前に済ませる準備は今日から山のようであり、その成否はそんなに遠くない内に答えが出る事だけは確かだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「で、何作ってるんです? ハリネズミもドラゴンも解体し切ったみたいですけど」

 

 死体が消え失せ、清掃用の薬剤で死体の染みも綺麗サッパリ消え失せたガレージには男達がこの数日作っていたと思われる小さな木工らしきものが大量に箱で積まれていた。

 

「何です? コレ」

 

 小さな木組みで造られたと思われるパーツは十字架のようだ。

 

「ああ、人間が完全に屈服する仕掛けだ」

 

「屈服する仕掛け?」

 

 イソイソと教授が小さな小皿に黒い粉をサラサラ入れていく。

 

「……それ、もしかして……」

 

「黒色火薬だよ。ちなみに全部で20キログラムしかない」

 

「それでこの小さい十字架っぽいのをどうするんです? 今から銃と弾丸でも造りますか?」

 

「ははは、冗談はその辺にして作業手順を説明しよう」

 

「あの~~これ全部、オレ達が何か作業するんですか?」

 

「女子供に指が吹っ飛ぶ作業を任せたり、異世界の剣しか振るった事の無い兵隊に火薬を任せていいとでも?」

 

「解りました。やります。で、これどういうものなんですか?」

 

「宣伝用の兵器だ」

 

「あの……今から宗教を広めるのはちょっと……」」

 

「いやいや、恐らく一番効果が出るものだとも。天変地異が起きれば、恐らく相手は撤退する。だから、起こしてやるだけだ。この世界ではありふれた……そう、ありふれた破滅を……」

 

「何かスゲー嫌な予感……」

 

「近頃、口が悪くなった気もするが、異世界で逞しく生きる君のような若者にも是非、手伝って欲しいね。毒ガスで相手を全滅させるよりも手間は掛るが人道的だよ?」

 

「最後の手段ですか……一時的に護るだけじゃダメだと?」

 

 この教授なら適当に毒ガスを風下に流すだけで相手の部隊を虐殺する事は丸っと簡単な話に違いない。

 

 それは毎日のように化学物質を合成していた様子からも明らかだ。

 

 ある程度の鉱物資源があれば、それを用いた劇薬とガスの生成は思いのまま。

 

 的確に使えば、夜になると山から風が吹き下ろす高原は絶対的に敵の死地と化す。

 

「相手を屈服させる。これしかないのならば、相手にはより良く我らを恐れて貰う必要がある。単純な兵器の差は大国が本気になれば、人数差で埋まる」

 

 見て来たように教授が肩を竦める。

 

「何処かの物語のように超絶の能力があろうとも意味は無い。戦術や戦略が優れていようと物質的な資源量的な限界に行き当たる可能性が高いからだ。それが克服出来て相手を絶滅させたところで周辺へ無限に敵を増やすだけだ」

 

「教授なら出来そうなのが何とも嫌ですね。で? それなら、どうするって言うんです?」

 

「お祭りは好きかね?」

 

「へ?」

 

「悪いが、敵部隊には日本のオモテナシを受けて貰う事にしよう」

 

 悪い笑みの大人は肩を竦めて設計図らしきものを目の前に広げたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「す、すごい。何を作ってるのか分かりませんが、何かすごいです」

 

 ランテラがヴァーリの男達の半数以上が何やら大掛かりなものを材木で造っているのを見て、目を丸くしていた。

 

 あちこちでは生木を切るやらヤスリを掛けるやら形を整えるやらと今から家でも建てるのかという量の部材が鋸やカンナ、その他の大工道具でザックリ行われている。

 

『す、すげぇ……このギザギザ良く切れるな……』

 

『こっちの削るのも何か削れる。すげー削れる。生木だろ? どうなってんだよ』

 

『こっちのも見た事ねぇ刃だけどザックザック彫れるぜ?』

 

 男達は日本の大工道具(用務員の私物セット+部活のDIYセット)を前に喜々として設計図を見ながら、あーでもないこーでもないと言いつつも何やら大きなものを作っていた。

 

「おねーさま。やっぱり、先生のいた世界ってスゴイものが沢山あったんですね」

 

「そうですねぇ。半分眉唾みたいに思ってましたけど、本当だったみたいです」

 

「精度のある金属の部品が無いと何も作れないとか。言い訳してると思ってましたもんね」

 

「いやぁ、幾らかホラを吹いてるかもしれないとは思ってましたから」

 

「あはは。本人が聞いたら膨れちゃいそう……」

 

 ゼスが今頃あの人はどうしているだろうかと思いつつも、姉と共にその場から離れて学内の体育館傍へと向かう。

 

 すると、子供達があちこちで自分達よりも小さな幼児の面倒を見つつ、母親達の炊事や洗濯を手伝っていた。

 

 体育館前の側溝前には何処から持って来たのか大きなシンクが複数台置かれていて、食器の水洗いや洗濯が行われている。

 

 遠方から引かれたパイプからは水がそれなりの水量で溢れ出しており、子供達の声が姦しい。

 

「……いいですね。こういう光景……それが戦争で壊されてると思うとホント……わざわざ問題も無いのに戦乱起こそうって輩はどうして減らないんでしょうか。はぁぁ……」

 

「おねーさま……だ、大丈夫ですよ!! 命は助かったし、お薬も塗ってるし、ご飯だってあります。前と比べたら天地の差ですし、これなら本国に帰って裏切り者を粛清するのも簡単に出来ちゃいますよ!! ね!?」

 

 溜息を吐くランテラをゼスがそう励ます。

 

「まずは生き残る事を先決にしましょう。もしもとなれば、奴隷身分だろうとも何をされようとも……」

 

「おねーさま……はい。必ず」

 

 姉の暗くも固い決意に妹も頷く。

 

「まぁ、それはともかくとして何か彼らも秘策があるようですし、我々も手伝うべきですね。こういう居心地のいい場所です。反撃の狼煙を上げる前線基地としては打って付けそうですしね!!」

 

「はい。おねーさま!! じゃあ、さっそくあのヨンロー?とか言う人に御仕事や私達が出来る事を教えて今の状況を打開する策を何か……」

 

 2人の少女が話し合っている途中。

 

 大きな笛の音が学内に連鎖して響いた。

 

 すぐに女性達が子供達を連れて体育館に慌てて非難していく。

 

「ほう? これは警戒の笛ですね。恐らく」

 

「帝国軍でしょうか?」

 

「まず、間違いなく。でも、相手はこちらの十倍以上。避難民の女子供を戦わせられない以上、兵数は数十人。威力偵察でも十分にヤバイですよ」

 

「……おねーさま」

 

「解ってますよ。ゼスさん……このヴァーリの邦長へ会いに行きましょう。途中であのヨンローとか言う人を拾って」

 

「はい!!」

 

 2人の少女が駆け出した。

 

 未だ、決戦までの時間は来ていないが、窮地である事はまず間違いない出来事であった。

 

 

 

 *

 

 

 

 こちらですと通されたのは学内の前数百m地点に置かれた防衛陣地。

 

 多数の切り出した木材と在り合わせのワイヤーとで鉄条を絡ませた柵を並べた最前列から少し離れた場所であった。

 

 一応、馬を侵入させないようにとの工夫が見て取れるが、最も問題なのはまだ落とし穴が三分の一程しか掘れておらず。

 

 供給したスコップでの土木作業。

 

 この場合は塹壕染みた落馬用の堀や泥濘地にする為の場所まで水を供給するパイプが伸びていない事か。

 

「よく来てくれた。悪いな。まだ作業中だっただろう」

 

 部隊の指揮を執るレン邦長がテントの下のテーブル前で手書きしたという周囲の地図を前にして難しい顔をしていた。

 

「敵部隊を確認したとか?」

 

「ああ、まだ馬は確認していないが、恐らく偵察がてら我々を疲弊させに来た部隊に違いない」

 

「現在、何処から?」

 

「この山は西を背にして東に開ける高地だ。高原の傾斜は左程でもないが、問題は殆ど遮るモノが無く。高原の広さが20km程のなだらかな傾斜となっている、というところだ」

 

 地図の説明から入るレン邦長が次々に情報を説明していく。

 

「実際にはヴァーリもこの傾斜地の一部だが、殆ど感じられないくらいの角度で家々と街は大規模に先人達が嵩上げしている為、あちらは少しずつ高原に向かう過程で疲労する事になる」

 

「なる程? 元々、高原地帯は避難場所として考えられてたんですか?」

 

「そうだ。敵はこのヴァーリの街。と言っても今は廃墟だが……あの場所から左右に分かれて山脈の脇から森林地帯を抜けて来ているらしい。斥候は街から幾らか離れた場所に山岳兵装備の部隊が分散配置されている様子だと言っていたが、恐らくは山狩りをしながら平押しする為の兵だろう」

 

「じゃあ、今回のは小規模な嫌がらせの部隊だと?」

 

 レン邦長がこちらを少し驚いた様子で見る。

 

「案外解るんだな。そちらの世界でも戦争は多いのかい?」

 

「ああ、いえ、平和な国に産まれましたが、遊びの範疇で戦略に関しては学びました」

 

「遊びで、か。ふふ、男の子はそういうのが好きというのは何処の国でも一緒か」

 

 苦笑した邦長が恐らく勘違いしているだろうが、そのまま続ける。

 

「数は左右に100ずつで200名程だと報告があった。どうやら剣と盾しか持っていないようだが、馬の姿が無いのは君のおかげかな。まずは一当てして様子見。圧し潰せそうなら嫌がらせに相手の数を減らそうという魂胆だろう」

 

「今、こちらの部隊の配置はどうなってますか?」

 

「今は斥候と監視と連絡以外は全て土木作業と工作に割り振っていて、彼らは安全なルートで戻って来たばかりだ」

 

「つまり、此処に全員?」

 

「ああ、山狩りで追われては貴重な役目を担える人材が減るからな。数の差は偵察部隊だろうと我が方の4倍以上、今、攻め込まれたら一溜まりも無いな」

 

「何かしらの策はお持ちですか?」

 

「いや、兵力を温存して戦うとなれば、陣地に立て籠り、突撃してきた兵を弓矢で打ち倒すくらいが関の山だろう。何よりこの数では如何な策を弄しても弓矢一つで相手1人減らすのも一苦労だ」

 

「でしょうね。解りました。一応、こちらに用意があるので部隊の半数は引き受けます。ですが、もう片方はさすがにそちらにお願いする以外無いんですが、どうでしょうか?」

 

「あの部隊を撤退させる方策が?」

 

「はい。それとそちらに手伝いたいと言っている子達がいるので彼女達の話も聞いて頂けませんか?」

 

「解った。一体、誰が? あの子達はこういった事には疎いかと思っていたんだが」

 

「いえ、それが―――」

 

 と、言っている合間にも背後から例の姉妹達が入って来る。

 

『お初にお目に掛かります。ヴァーリの邦主様』

 

 ランテラが恭しく頭を下げる。

 

 確かに良家の子女と言った風情だ。

 

 一生ニート生活の文字が掛かれたTシャツを妹共々着込んでいなければ、だが。

 

 明らかに衣服を任せる人選をミスった。

 

 きっと、あの姉は妹から『おねーちゃん。それはどうかと思うよ……』と言われているに違いない。

 

 医薬品を持って戻った時にはまだ上に布を被ってテルテル坊主みたいな状態だったので知らなかったのだ。

 

『私はシュー様が兵糧確保の際に忍び込みこの地へ辿り着いた元奴隷。名をランテラと申します』

 

「奴隷?」

 

 こちらに視線を向ける邦長に事情を説明する。

 

「なる程、南部の高位の家の子女がする所作や仕草。確かに偽りは無いようだ」

 

 日本語で言うとそれにニコリとランテラが微笑む。

 

「ええ、我々はどうやら同じ世界の方々に助けられた身のようです」

 

「ッ、ニホンゴ……そうか。君も彼らと同じような境遇の相手を知っているのか」

 

「はい。当家は南部で継承戦争中の【戦塵百名家バイツネード】の一つでした。ですが、戦争で裏切りを受けて奴隷に身を落としていたのです」

 

「―――バイツネード。百名家の御仁か?」

 

「バイツネードって何です?」

 

 聴き慣れない言葉に首を傾げるとランテラが補足する。

 

「ちょっと、南部でヤンチャ?って言うんでしょうか。そういう事をしている集団の一つです」

 

「はは……他国に聞こえるバイツネードの御息女か……解った。それが真実なら君達の献策に期待してもいいだろうか?」

 

「はい。邦主様……お力添えをお約束致します。しばらくはこの地に身を置く覚悟。兵を10名、弓を8つお貸し願えれば、100名の犠牲者を追い返してご覧に入れましょう」

 

「それが真実だと?」

 

 ランテラがニコリと笑った。

 

「では、ご説明させて頂きましょう」

 

 と話が纏まり掛けて、クイクイと彼女の後ろからゼスが袖を引いた。

 

「……解りました。先程のは訂正を。兵を0名。弓を4つ。矢をあるだけ頂ければ」

 

「「?」」

 

「ご紹介します。妹のゼスと申します。私の義理の妹ですが、兵10人程の働きはお約束します」

 

「戦えるのか? ゼスちゃんて」

 

 その言葉にランテラが苦笑する。

 

「近年、継承戦争が始まるまでに討ち取った敵の数ならそこらの兵士よりも多いですよ。まぁ、武器が弓の限りにおいて、ですが……」

 

「おねーさま酷いです!! 剣だって出来ますよ!!」

 

「そちらは死人が出ない。こちらは命を懸けて証明する。もしもの時の為に兵を後方の陣に控えさせておくだけでいい。どうでしょう?」

 

「……解った。此処で嘘を言う理由も無いはずだ。君達に掛けてみよう。シュー殿。そちらは任せても良いだろうか?」

 

「ああ、任せてくれ。一応、教授と一緒に考えてた事はあるからな。高原の何も無い場所に出る前に叩いて来る」

 

 こうして、歯車は廻り出す。

 

 女性陣に人殺しを覚えさせるわけにもいくまい。

 

 案外、そういうところで祖父の教えが効いている気がした。

 

 いつもの女性陣が見知らぬ兵士に蹂躙されてから嬲り殺しにされる未来よりは相手を無常に処分する自分という未来の方が随分とマシに思える辺り、自分もあの祖父譲りにお人好しの類なのかもしれない。

 

 

 

 *

 

 

 

「どうして、そんな無謀な事を!! 相手が高原に立て籠っているなら、逆に被害を出さずにしばらくは包囲戦でいいでしょう!!」

 

「そんな事言われましてもねぇ。それにちゃぁあんと兵達には言ってありますよぉ? 女子供に手を出したら、軍事裁判で死刑だってねぇ」

 

 ようやく臭いが連日の水場での洗浄によって失せて来たグラナンが寝室で戦装束を身に着ける傍ら、背後のウィスをあしらっていた。

 

「ッ、だからと言って!! 無駄に兵を損耗させるのは―――」

 

「普通の作戦ならもうとっくの昔にケリが付いてるんですよぉ。そもそも部隊の数は圧倒的にこちらが上なんです。被害を出してもいいなら百名に満たない部隊が立てこもったところで2、300の損耗で無理やり潰せるところを……そちらの顔を立てて、こうしてわざわざ強行偵察なんてまどろっこしい事をしている。というのが分からないんですかねぇ?」

 

「く……なら、自分を特使として部隊に合流させて下さい」

 

「それは無しの方向ですよぉ。劣等の女子供に容赦してやるだけでも温情です。男共を皆殺しにするのは兵として戦場に立っているならば、何の問題もない出来事でしょう?」

 

「ッッ、無用な戦闘を回避しないと?」

 

「無用なものですか。完全に相手の心を折るんですよぉ。女子供がもう偉大なるアバンステアに牙を剥かないように完全な敗北を刻み付けるんです!! 怒りが諦観と絶望にとって代わり、渋々だろうと我らの傘下として生きていけるようにねぇ。おお、何と優しい事か」

 

 芝居掛ったグラナンの言葉に内心で舌打ちしたい気分となったウィスだが、その彼の言う事が事実である故に何も言い返せなかった。

 

 本当の強硬派はグラナンとは違って完全に相手を人間とすら見ていない。

 

 劣等は喰えない分、家畜にも劣るというのが彼らの考えであって、そういう貴族を五万と知ればこそ、グラナンの譲歩は恐らく戦場においてはアバンステアの最大限の代物だと断言出来た。

 

「……解りました。では、部隊の監視をさせて頂く」

 

「ご自由に御坊ちゃん。ですが、人は付けさせて貰いますよぉ? あくまで貴方は部隊の監視役。戦闘には参加せず。戦いの顛末を見届けて相手が降伏して来たら、そちらで纏めといて下さい。まぁ、善戦したところで結果は知れてますがねぇ。ほほほほほ」

 

「一つ、お忘れですよ。グラナン卿」

 

「何をですかぁ?」

 

「仮面の男」

 

「ッ―――あ、あれはきっと何かの見間違いで……」

 

 余裕が消え失せ、僅かに早口となるグラナンが目を泳がせた。

 

「見間違いで毎日、河川が濁り、兵が脱走し、多くの馬を失い、千載一遇の敵の首魁を倒す機を逸した、と?」

 

「ッッッ、フン!! こけおどしですよぉ!! 我がアバンステアの国旗が【全能竜ブラジマハター】だと知っているんですかぁ? 竜は我らが象徴!! おお、国旗を上げよ。あれこそは我らを顕す紋章!!」

 

 恐怖を適当に自分を鼓舞して押さえ付けるグラナンは大きく息を吸って吐いてを繰り返してから、最後に具足を履いて、椅子から立ち上がって振り返る。

 

「それに殺す算段は出来てるんですよぉ? ははは、如何に竜の剣のようなものを持っていようと所詮相手は人間でしょう? 弓矢で貫く!! 火を射掛ける!! あの戦車だか馬車だか分からない馬のいない薄気味悪い乗り物とて罠を張れば、仕留められるはずですよぉ!! はははは」

 

「何処に行かれるのですか?」

 

「見れば解るでしょう? 配置した部隊を回るんですよぉ。貴方のせいで部隊連中に略奪をするなと釘を刺す必要がありますからねぇ。精々、素行の悪いのを何人か血祭に上げてきましょう。指揮統制が取れない部隊なんぞ単なる案山子なので……では、失礼。御坊ちゃん」

 

 扉からグラナンが出ていく。

 

 ウィスが拳を握り潰さん勢いで固くし、すぐにその場から相手とは反対側の通路を行く。

 

 爆破された旧邦主邸より離れた場所にある街の外れの一軒家。

 

 邸宅と呼ぶには少しこじんまりした家は今や土足の帝国軍に踏み荒らされていたが、彼には懐かしい場所であり、同時に過去を思い起こさせる。

 

 そう、当時、姉と共に住まった本邸より小さな作りのそこは嘗て彼らの家だった。

 

「……レン様。自分は……」

 

 だが、今自分に出来る最善の事を。

 

 そう思えばこそ、彼は近くに止めている馬に跨り、今も進軍している強行偵察部隊に追い付くべく。

 

 そのまま高原の左右にある森林地帯へと向かうのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 森林地帯を昇り始めて数時間。

 

 昼頃には森林を抜けるだろうという右翼から出撃しあ部隊は山間の川に沿って歩を進めていた。

 

『隊長!! 兵共が疲れたと喚いてます』

 

『構わん。どの道、強行軍だ。戦場に出れば、疲れなどと言ってられんさ』

 

『それにしても倒木が邪魔です……ここら辺一帯は殆ど手入れされていないようですね』

 

『大方、主のような何かがいるんだろうさ』

 

『出会ったらどうします?』

 

『逃げるだけだ。部隊の1人か2人を交戦させておけば、交戦中と言い張れる』

 

『それであのグラナン卿が納得すれば、ですがね』

 

『今回はあの臭いを嗅ぐようになってからどうにも調子が悪い。その上、略奪するなと来た』

 

『こっそり、しときます?』

 

『止めておけ。あの男の義理堅さと冷酷さは折り紙付きだ』

 

『……例の御坊ちゃんが来てから、ケチ付きっぱなしですね』

 

『死人に口無しだ。生き残りたいならば、黙って任務に従え。無論、命が優先だがな』

 

 山間部は殆ど人の手が入っていない為、倒木や足元に枯れ枝の山があり、行軍速度は満足にも速いと言えるものではなかった。

 

 が、高原を真っ正直に昇っていくよりは奇襲性も高く。

 

 夕方頃には敵の陣地があるらしき場所まで到達出来るだろうと踏んでいた。

 

 部隊は挟撃の形を取る為、どちらか一方が崩せば、数で劣る相手は音を上げる。

 

 だから、後一歩で森林地帯を抜けるというところで人影に遭遇した時、多くの兵達は相手の斥候が来たのかと剣こそ構えたがすぐに追撃するでもなく。

 

 周辺の警戒をするのみであった。

 

 東に落ちていく陽光。

 

 それを受ける斜面は現在、中天の光の下の雲によって影が出来る。

 

 薄暗がりの疎らな林の中。

 

 それが何かを知らない彼らは人影。

 

 襤褸布を被った何者かがユラリと自分達に何かを向けたのを見て、新手の武器だろうかと思った刹那―――。

 

 炎が虚空に奔った。

 

 辺り一面に焦げ臭い灯油の薫りが広がり、山の風で風下の部隊全員がソレを嗅ぐ。

 

 一瞬の事だ。

 

 炎を見た瞬間、思わず盾を構えた男達だったが、すぐに気付いたはずだ。

 

 自分達の盾は木製であるという事に。

 

 カチン軽い引き金の音が響いた。

 

 途端、襤褸布を纏っていた相手が自分達に向ける何かが火を噴くという現実に部隊が恐慌を来した。

 

『ほ、本当だったんだ!? やっぱり、火竜の呪いを持ったヤツがオレ達をや、焼き殺―――』

 

 猛烈な勢いで大量の灯油が周囲に撒き散らされつつ炎がソレの跡を追う。

 

 猛烈な爆炎。

 

 火事でしか見た事の無いものを個人が行うという事実に彼らが燃え始めた周辺の樹木から遠ざかり、すぐに後ろを振り返って倒木だらけの道に絶望し、何も無い平原中央へと向かうべく転びながらも次々にその場から離脱していく。

 

『な、何をしているぅううう!!? ひ、怯むなぁああ!!? 戻れぇえええ!!』

 

 と、隊長核の男が言うのだが、その男が真っ先に命惜しさに逃げているのだから、誰も従うわけがないのは一目瞭然であった。

 

 数日、雨が降っていなかった事も禍して、火が次々に枯れ木に燃え移り、すぐに樹木の間から山火事が発生する。

 

 強制徴募兵である男達の大半が顔を引き攣らせ、炎に包まれる林を見て、ガクガクと震えながら何とか林を出たところで踏み止まった。

 

 が、それも長くは持たない。

 

 何故か?

 

 ソレが、ゆっくりと彼らに向かって歩いて来るからだ。

 

 ズシャリズシャリと炎の中を悠々と歩いて来るからだ。

 

『あ、あの面は!? 面はぁあ!?』

 

 目を剥くのはあの日、目撃していた者であった。

 

 奇妙な馬のいない低い馬車から降りて来た何者か。

 

 その持っていた剣に目を奪われていたのはあの場にいた当事者だけではなく。

 

 背後に控えていた部隊も同じ。

 

 炎に巻かれた林の最中。

 

 ソレは顕れる。

 

 襤褸布が炎によって焼け散っているのに何故燃えない?

 

 炎に巻かれて死なない?

 

 煙りに巻かれて死なない?

 

 あの面は何だ?

 

 あの異様な面は?

 

 男達の頭に焼き付くのは見た事も聞いた事も無い敵らしき何か。

 

 そして、その相手の姿が露わになった時。

 

 彼らは顔を引き攣らせる。

 

 鎧、なのだろうか。

 

 竜の鱗で造ったのだろう外套は炎の最中に鈍色に煌めいて炎を映し、装束はあの熱の中でも焼かれた様子も無く。

 

 薄ら濡れた指が外気と炎に晒されているのに焼け爛れている様子も無く。

 

 その剣が彼らに向けられる。

 

『あの剣、剣は!? りゅ、竜の男だぁああぁあ!?』

 

 そう、仮面の男。

 

 竜の男。

 

 あの怪しげな輝きを放つ剣を持った誰か。

 

 朧な噂として囁かれていた者が現実となって出て来た。

 

 髪は兜を被っている様子も無いのに焼けていない。

 

 それはきっと火竜の加護。

 

 そうとしか彼らには思えなかった。

 

『ひ、怯むなぁあ!? 人間なら殺せる!! 殺せるはずだぁああ!! 第一部隊!! 構えぇえええ!! 突撃準備ぃいいいい!!?』

 

 ヤケクソに叫ぶ部隊長の声に従う者は百名の内の20名に満たなかった。

 

 だが、他の男達も隊長の命令に動けないままだとしても逃げ出す事は無かった。

 

『と、突撃いぃいいいい!!』

 

 盾を投げ捨てて、剣を刺突するように突き出して走り出した男達が林の前で止まる何者かを攻撃しようとした時だった。

 

 バッと外套が靡くと同時にその内部に備え付けられた多くの武器のような何か。

 

 そして、煌めく外套の中の全身鎧らしきものを彼らは目撃する。

 

 関節以外の各部を鎧う鋼にビッシリと鱗が埋め込まれたような装甲。

 

 胸部は角錐上で角が湾曲しており、各部位の装甲を繋ぐ黒い部分は曲げ伸ばし出来る様子であり、動きを阻害しない。

 

 胸部装甲、腰部スカート、肩部装甲、四肢を覆う縦長の装甲。

 

 全てを見れば、それこそ平地で使うべき重量であるはずであったが、その装甲を纏う相手の動きにはまったく淀みも無かった。

 

「悪いな。あいつらの為に、オレの為に、死ぬより酷い目を見てくれ」

 

 彼らはその腰の後ろの一抱え程もあるタンクのようなものを見る。

 

 相手の外套の内側にあった小脇に抱える黒い何かの長い棒のようなものが自分に向けられている事に気付く。

 

 カチンと男がソレを押した瞬間。

 

 炎が突撃中の男達を襲った。

 

『ギャァ゛アアアアア゛アア゛アアア゛アア゛アァァアアア―――』

 

 犠牲者は数名だった。

 

 一瞬で上半身を炎に飲まれた男達が剣を取り落として次々に顔や燃え上がる衣服を抑えて転げ回る。

 

『ひ、ひぃいぃい!? か、火竜の吐息だぁああああああああ!!? やっぱり、あいつは火竜の加護を受けてるんだぁあああああああ!!? し、死にたくねぇ!? 死にたくねぇよぉ!?』

 

 遂に脱走者が続出し、部隊長の戻れとの声にも関わらず部隊の誰もが逃げていく。

 

 残された男達は土を自分の腕に掛けるやら、周囲に()()見付けた小川に飛び込んで火を消そうと躍起になって兜やら防具を脱ぎ捨てていた。

 

 男達には解らなかっただろう。

 

 最初とは炎の臭いが違っていた事が……灯油ではなく。

 

 ガソリンに切り替わっていた炎は揮発性の高さからすぐに燃え尽きて、火傷を負った男達は恐怖に泣き叫びながら、痛みに溺れるようにして転がるように這うように高原を降りていく。

 

「地獄に落ちるな。これは……でも、まぁ、殺されるよりはマシだ……本当……もっと、吐き気でも込み上げて来るかと思えば……オレもじーちゃん並みに図太いのかもな」

 

 呟く声は誰にも届かず。

 

 火竜の男はそうして産声を上げる。

 

 竜の装甲を身に纏い。

 

 竜の剣を持ち。

 

 竜の火炎を操り。

 

 竜の加護を持つ。

 

 何者かも分からない怪しげな面を使う相手。

 

『あれが……竜の……あんなものが存在するって言うのか?! レン様!? 貴方は一体何を呼んだのですか!?』

 

 馬で数km先から一部始終を見ていた青年がいる事もまた誰も知らない。

 

 ただ、その彼の視線は今度は反対側へと向き。

 

 蒼白な顔を更に歪めさせる事となるのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「宗!! 大丈夫か!? ケガしてないか!?」

 

 戻って来ると丁度、異世界側の姉妹も戻って来た様子で数百m先の反対側でも何やら男達に少女達が群がれていた。

 

 どちらにも傷一つ無かったようだ。

 

 声は歓声となっている。

 

 ガスマスクを脱いで吐息一つ。

 

「ケガは無い。教授様々だな」

 

 学内に入ってすぐに駆け付けて来た幼馴染にそう言って、無駄に重い外套を脱ぐ。

 

 鎧は表側だけで、背面は外套を装備する事が前提で無防備。

 

 ついでに鎧も見掛け程の重さが無いものの。

 

 それでも5kgは下らない重量である為、鍛えていない身からすれば、かなり斜面を昇るのに疲弊していた。

 

「ケガは無いかね? 生神宗学生」

 

「教授……外套が重過ぎます」

 

「そう言わないで欲しいな。もしもの時の為の装備をあるだけ入れたんだから」

 

「それにしてもサバゲー部のサブマシンガン改造するやら灯油ヒーターのタンク改造してコンプレッサー詰めるやら……火炎放射器なんてよく作りましたよね」

 

「まぁ、普通の人間は使えないがね」

 

「このワセリンみたいなののせいですか?」

 

「そうだ」

 

 頷く教授がこちらの手や剥き出しの肌、頭の髪や頭皮に少し厚ぼったく塗りたくっていた薬剤の被膜を見て、フムフムと頷く。

 

「しっかりと冷却は出来たらしい。熱く無かっただろう?」

 

「ええ、まぁ……水の分子を閉じ込めて熱を受けると揮発して内部を護るジェル、ですか。良くこんなの……」

 

「一般の企業が売り出してる代物だ。レシピと原材料を保有し、特許の中身を知ってれば作るのは容易い。此処の実験機材は最新鋭だよ。電力や燃料は喰うがね」

 

「そうですか。ちなみに熱でこっちのフレーム溶けましたよ」

 

 サブマシンガンを見せる。

 

 要は少し特殊な水鉄砲だ。

 

 勢いよくコンプレッサーで灯油やガソリンを霧吹きの要領で散布して、少し銃口から離れた場所に電池の火花を作って着火。

 

 熱に耐えられるように色々と作ったらしいが、そもそもの造りが鉄ではなく樹脂やセラミックである。

 

 熱で全体的に歪んだサブマシンガンはもう使えないだろう。

 

「シュー。大丈夫なら、少し休んだ方がいいぞ。疲れてる、だろう?」

 

 幼馴染が瞳を覗き込んで来たので頷く。

 

「まぁ、そうだな。だが、その前に色々と詰めなきゃならない事が多い。夕飯までには戻るから、そっちの夕食はお願いしていいか?」

 

 頷く幼馴染が本当に気を遣うからこそ、コクリと頷いてから、何度か振り返りつつも体育館の方へと戻っていった。

 

「……良い子だな」

 

「ええ、自慢の幼馴染ですから」

 

「どうやら白兵戦にはならなかったようだが、鎧自体の強度は剣では貫けないものだ。そこは安心していい」

 

「疑ってませんよ」

 

「ありがとう。ただ、関節部位で攻撃を受ける時は装甲で受けるように。黒いスーツ部位には極力当てない方がいい。貫通しないが打撃や斬撃、刺突の威力は通るからな」

 

「つまり、運動エネルギー全般は受けると」

 

「ああ、あくまで斬れない貫通しないだけだ。割れないゴム風船で肉を覆った状態だ。変形可能な限りの変形をする以上は骨も折れるし、肉も潰れる」

 

「あくまで破断しないだけ……押し倒されてメッタ刺しにされたら、死ぬより苦しそうだ……次があるならマスク込みで兜もお願いします」

 

 思わず想像して肩を竦める。

 

「了解した。元々が大量の炭素、グラフェン系素材の合成方法確立の為の設備。そこに残っていたカーボンナノチューブ、ナノファイバーの線維化した布地だ。着心地は良かっただろう?」

 

「ええ、まぁ……あっちの世界だと製品を軽量化するのに自動車や航空機のフレームにも使ってるとか何とか聞きますけど、確かに布地の部分は軽かったです」

 

「ああ、そうだ。時間が足りずに工作し切れなかったが、これそのものが一種の電子回路や電池の類として使用する事が出来る」

 

「通電や充電出来るんですか?」

 

「ああ、私も関わっていた研究の一貫でね。一体成型可能な通電、回路化と空気電池の素材ともなる。これらを纏めて一体成型電子放充電回路パッケージ素材と呼んでいる」

 

「何かスゴソウですね……名前長いですけど」

 

「通称は【ハイ・マルチ・グラフェン・シート】HMGSだ。開発は既に終わっている。後はそれの大量生産と工作工程を簡易化。量産設備を、という事になっていたわけだが」

 

「この騒ぎですか」

 

 教授が頷いた。

 

「1人分なら何とか賄える。質とコストを下げていいなら、更に数百人分は賄えるだろう。だが、工作工程が複雑でそれ専用のチップセットの束は見付けたが、専門性の高いプログラミングが出来ない上に代替となる電子機器もスマホやPCくらいしかない」

 

「次世代フェアラブル端末の素材も今は単なる破れない服、と」

 

「頭の回転が速いな。君の想像の通りだ。バッテリー化には1週間以上の工作時間がいる。それまでの代替に薄型のバッテリー自体は組み込めるが、荒事に繊細な既存の薄型大容量バッテリーは向かないという欠点がある」

 

「どうするんです?」

 

「電力を静電気もしくは装甲内に仕込んだ超小型バッテリーで充電して使う方式にカルノーサイクルを用いた熱量から運動エネルギーを取り出すスターリング機関でモーターを回転、充電させる端末を実用化しようと思う」

 

「それって潜水艦に乗ってるのですよね? 一応、作動原理や機構の構造は知ってますけど、やっぱり何かスゴソウとしか思えないです……」

 

「将来的には衣服そのものが電池化、回路化、高度な防御能力を有するようになる。その第一歩だよ。此処の設備をフルで使えない以上は玩具以上じゃない」

 

「……教授ってやっぱりスゴかったんですね」

 

「気付かなかったのかね?」

 

「ええ、まぁ、日常の評判は気にした方がいいですよ。いや、マジで」

 

「心に留めておこう。では、こちらでブラッシュアップしておく」

 

 イソイソと鎧を脱がされて回収。

 

 そのままゆっくりと歩き出そうとして。

 

「……案外、繊細なのは母親似なのかもな」

 

 手が震えていた。

 

 僅かだけだが、それなりにショックは受けていたらしい。

 

 慣れたくは無いが、恐らくこれから嫌でも無ければならない。

 

 コンマ数秒の躊躇いが幼馴染や多くの人間の死に繋がるのならば、人を傷付けて尚震えず立ち向かえるようにならねばならない。

 

 震えてもいいと言える程に現状は甘くなく。

 

 差し迫った危機は後数日もせずにやってくるはずなのだ。

 

 拳を握り締める。

 

 それをジッと見ているなんて明らかに苦笑してしまうくらいにシリアスだが、それもきっと今だけは必要だ……割り切れない人間が生き残れる優しい世界は此処に無いのだから。

 

「あ、あの……」

 

「ああ、悪い。そっちも無事だったのにすぐ顔を出さなくて」

 

「い、いえ!?」

 

 ゼスが慌てて手を胸の前でオロオロさせた。

 

「ああ、初陣で震えていたんですか? 大丈夫ですよ。そういうのは回数を重ねれば、慣れますから」

 

 ゼスと共にランテラもまたやって来ていた。

 

 姉妹が何処か心配そうな笑みでこちらを見ている。

 

「こういうのはあっちの世界じゃ、中々無い事なんだ。いや、オレ達のいた国では、って言った方が正しいか」

 

 ランテラがオズオズとこちらの傍に寄って来る。

 

「それを気にしていられる貴方はちゃんと向いています」

 

「そうか?」

 

『何に?』とは聞かなかった。

 

「初めての負傷で戦えなくなる。一生の傷で障害を負って働けなくなる。あるいはそのせいで家族から見捨てられて惨めに道端で死に絶える」

 

「………」

 

「今、こう思いましたよね? 酷いって……でも、私達のしている事ってそういう事なんです」

 

「ああ、そうだ。そうだから、少しは感情だって動く……」

 

 言われずとも理解はしている。

 

 最初から自分に人殺しだの命を懸けて足止めだの向いていない事くらい。

 

 何とか火計の策があって、近隣の森林地帯が使えただけだ。

 

 事前に燃えやすいかどうかも確かめてあった。

 

 本来は大群で押し寄せられた時に迂回されるのを防ぐ目的で建てていた作戦であり、森林の大部分が消失した以上、二度も同じようには使えない。

 

「いっそ殺されていた方がいい地獄を相手に押し付けるんです。一生、糞尿の世話を誰かにさせなきゃ生きてイケなくなるなら死んだ方がマシだと死を選ぶ誰かを作る事もあります」

 

「……悪い。戦争で奴隷って話だったよな。そっちの方がよっぽど、オレより……」

 

「はい。ですから、無事な幸運に感謝して、自力を磨いて、祈る前に手を動かしましょう。物思いに耽る時間は戦場に不要です」

 

 それはこの世界で奴隷にされるまでに得た経験則か。

 

 あるいはそれまでに悟った実感か。

 

 どちらにしても……戦場で考え事などしていては死ぬというのは真っ当な意見だろう。

 

 それを思えばこそ、そうしてアドバイスしてくれているのは理解出来ていた。

 

「死ぬ前に済ませる事は自分が死ぬ事と死より惨めに生きる事、それを相手に押し付ける覚悟。最後に殺した相手を忘れても、殺し傷付けたのを忘れない事です」

 

 その歳でそう言える相手は日本の常識で言えば、異常なのだろう。

 

 だが、少女達の心配する顔は年相応だ。

 

 その言葉が例え、どれだけの屍の上に在ったとしても、ありがたい事には変わりない。

 

「ありがとう。ランテラ、ゼストゥス。ちゃん付けは……失礼か」

 

「共に戦う者同士です。出来れば、友と呼ばせて下さい」

 

 ランテラが差し出した手を取り、握手する。

 

「わ、私も……おねーさまみたいに頭は良くないですけど、一緒にが、頑張りましょう!!」

 

「その気持ちだけで救われるな」

 

 ゼストゥスとも握手した後。

 

 グゥと腹が鳴る。

 

 それに思わず笑って、共に食堂へ向かう事にした。

 

「それでどうやって弓と矢だけで相手を?」

 

「ああ、最初は真っ当に相手を誘い込む場所を作って、樹木に張った縄梯子の上を通って移動しつつ、夜半まで釘付けにして持久戦でもしようと思ってたんです」

 

「それで100人倒すのはキツクないか?」

 

「ああ、いえ、こちらは囮で地表からも弓矢で狙って移動した相手を更に撃つ、みたいな事をすれば、大抵はどうにかなります」

 

 そんな簡単なものだろうかと首を傾げる。

 

「要は上に陣地があって、下にも敵がいる。昇ろうとすれば、隙が出来ますし、あちらを追おうとする者を真っ先に狙います」

 

「いや、でも、それもやっぱり盾で防がれたりするんじゃ?」

 

「はい。ですが、火計を用いればどうでしょう?」

 

「まさか、火を?」

 

 確かに遠方を見れば、自分とは反対側の場所にあるはずの森林地帯がメラメラと燃えた黒煙が立ち昇っていた。

 

「気付きませんでしたか? ええと何て呼べばいいですか? ヨンローさん」

 

「いや、オレはヨンローとかいう名前じゃないからな?」

 

「「え?」」

 

「いや、ハモるな?! シューだ!?」

 

「それは苗字なのかと」

 

「テッキリ、長い名前の一部なのかなって」

 

 セーカに後で文句を言っておこうと固く誓って。

 

 姉妹達と共に食堂へと向かうのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 辛うじて200名の相手を追い返したのも束の間。

 

 陣地の構築と工作は急ピッチで進められていた。

 

 ガレージでの地道な作業は火薬を十字架らしい木工製品に塗ってペタペタと接着剤でくっ付けるという地味な代物であり、1人でやるにしても飽きる。

 

 だが、こういうところで危険な事をマンパワーで解決しないところが微妙に教授の非合理的で人間染みたところなのかもしれず。

 

 イソイソと単純労働に勤しむ事は今後の命を左右する努力だろう。

 

 そんな時間が続いて2日。

 

 全ての木工を火薬と接着剤で塗ったソレは数枚の平たい板のようになっていた。

 

「あのーそれでコレ一体何なんです?」

 

「ん? ああ、先日の剣を爆圧で接合した場面は見ていたはずだが、解らなかったか」

 

 高圧高熱の金属は原理的にあらゆる金属を破断する。

 

 対戦車兵器などはソレを用いて、分厚い装甲を抜くのだが、この原理は金属を爆発の圧力で強固に接合する事が出来る。

 

 というのは雑学の類で知っている者もそんなにいないかもしれない。

 

「あのドラゴンの剣作る時に使ってましたよね」

 

「ああ、あれから色々調べているが、あのドラゴンの重金属が蓄積された部材だが、どうやら通常の物質以外にも現在の地球では生成されていない人工元素より重い物質が大量に混じっている事が発覚した」

 

「え……それっていわゆる……」

 

「未知の物質、というヤツだ。が、原子核魔法数は大体推定された。300番台の重元素。いや、【超重金属元素】……ウランよりも随分重いな」

 

「で、これがそのスゲー発見と一体どんな関係か?」

 

「まだ、その物質は研究中だが、かなりの優れものなようだ。鱗を溶かして精製まではやった。だが、耐熱温度が高くてインゴットにするのが手間で既存金属へ粒子状で塗って何回かグリセリンで爆着、クラッド鋼にした」

 

「何かお腹一杯です。それ聞いてるだけで……」

 

 思わず溜息が出る。

 

「だが、今度はそのインゴットの加工が手間でプレス機が壊れそうになってね」

 

「つまり?」

 

「その火薬を塗ってくっ付けた板をインゴットに重ねて薄く延ばし成型するのに使う」

 

「何で一枚板にしなかったんです? というか、木材でいいんですか?」

 

「火薬の衝撃で粉々になってくれた方が形成する時に何かといい。破片は焼いて落とせばいいしな。ちなみにその木工自体に感度を下げたグリセリンを沁み込ませてある」

 

「……落としたら死ぬじゃないですか。この量……」

 

 思わず自分の前にある数枚の板を見て冷や汗が出た。

 

「君の性格と精神状態を考慮に入れた結果だ。意識すれば、手元も乱れる。君の彼女の入れ知恵だよ? 何か大事な事をさせる時はプレッシャーを掛けない方がいいというのは」

 

「あいつ……はぁぁ……それで?」

 

「君は何も問題無く完成させた。さぁ、後はこれを使用するだけだ」

 

 イソイソと何処からか板状の銀板のようなものを持って来た教授がガレージ内のコンクリの床の上に何やら箱状の型を何箱か持って来て、何やら凹凸のある底部の上に金属版と出来上がったばかりの板を交互に敷き詰め始めた。

 

 最後にザラザラと黒色火薬の残りを肩に詰めた後。

 

 点火用らしき起爆ボタンとコードを箱の上に被せた蓋の上に設置して、金属性のボルトでキュコキュコと箱と蓋を接合。

 

 閉め終えたら、フゥと息を吐いて、その箱を台車に積んでガレージの外に持って行き。

 

 学外のすぐ外。

 

 壁から先にある高原の岩がある辺りに運んで並んで設置。

 

 100m程離れた学内の壁の中まで戻って来ると用意していたらしいプラスチックの盾っぽい代物を持って来て、一つ此方に寄越した。

 

 もうゲンナリしていたが、付き合わないわけにも行かない。

 

「では、行くぞ」

 

「あの……周辺への避難勧告は?」

 

「レン邦長に頼んでおいた。あの周囲には誰もいないそうだ」

 

「あ、はい(用意周到かよ)」

 

「何か?」

 

「いえ、何でもないです」

 

「では、今度こそ。3、2、1、起爆」

 

 今度こそ覚悟を決めたが、教授がコードの伸びたボタンを押した瞬間……何も起きなかった。

 

 教授が不思議そうな顔で『おっかしいなぁ?』と首を傾げて、何回かカチカチ押してもやっぱり起爆しないので君も押してみたまえとボタンを寄越される。

 

 何でこっちに投げるんだと思いつつも押そうとした瞬間。

 

 閃光が奔った。

 

 と、同時に爆発の衝撃がこちらを盾毎吹き飛ばし、思わず後ろに倒れる。

 

「ウググ……きょ、教授~~」

 

「あ、ああ、感度が悪かったようだ」

 

 何とか2人で起き上がって、爆発した跡を観察すると。

 

 数個の匣は完全に破壊されて砕け散り、その場には何も無くなっていた。

 

 失敗かと思われた次の瞬間。

 

 ドスドスドスドスドスッと。

 

 上空から何かがほぼ目の前に降って来て、地面に突き刺さる。

 

「―――ッ?!!」

 

 心臓が止まるかと思った。

 

 だが、シュウシュウと湯気を上げる複数個のソレを教授が何処からか手袋を取り出して付け、突き刺さった場所から引っこ抜いた。

 

「おお、失敗かと思ったが成功したようだ」

 

「で、爆圧で流動化させて曲げたんですね。何作ってたんですか? 宣伝用の兵器って言ってましたけど、宣伝するのはあっちのヴァーリの兵士のおっさん達に任せてる方じゃないんですか?」

 

「はは、象徴が必要なんだよ」

 

「象徴?」

 

 まだ少し熱を持っているソレから土と木片の消し炭を払って出て来たのは―――。

 

「これって……」

 

 プレス機が悲鳴を上げたらしいソレが弾性限界を超えて圧力で流動化した金属が型に嵌るようにして見事変形していた。

 

「後は残りの要らない部分をインゴット製のモーター駆動ヤスリで削り落として、幾らかの塗装メッキ皮膜処理をして、内部に特性フィルターを詰めて完成だ。ふむ……案外良い出来だな」

 

「……これが象徴……」

 

「ああ、彼らが今一番恐れているであろうモノ。そして、ヴァーリの者達が口々に噂するモノ。それこそがアバンステアの畏れるべきモノだ。生神宗学生」

 

 肩を竦める教授を前に仕方なくソレを見つめる。

 

 それはガスマスクとソレを覆うドラゴンの頭部を模したメットの前部だった。


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