ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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前日譚 なげーぷろろーぐ-02-

 

「シュー……シュー……もぅ朝だよ?」

 

「後、三回目覚まし止めてから……」

 

「もぅ……しょうがないんだから、じゃあ……とっておき、してあげるね?」

 

 甘い声。

 

 今日は土日だっただろうか。

 

 根暗で挙動不審な幼馴染を起こす事は有っても起こされる事は遂に無かった気がするのだが……どうやら、まだ夢の中にいるらしい。

 

「じゃあ、お目覚めの……」

 

 幼馴染はギャルゲーの幼馴染ではないし、オサナナジミは基本的に心理読み読みの猜疑心MAX系挙動不審者だし、こんな事はきっと在り得ないのでやっぱりゆ―――。

 

「―――ちゅー……40代中年のワカメ教授と♪」

 

「?!!!」

 

 ヴェッファァアアアアアア。

 

 と思わず吹き出した瞬間、実際に寝ていたマガツ教授の顔がドアップになっていて、死ぬ程後ずさろうとしてゴインと固い壁に頭をぶつけた。

 

「~~~~~?!!!」

 

「おはよう。宗……目、覚めたか? ああん?」

 

 不穏な笑顔のオサナナジミが顔をピキピキさせている。

 

「何で怒ってんだよ!? って、どうしてこんな固ったそうなとこで寝てたんだ? オレ達」

 

 思わず周囲を見やれば、着の身着のままで固い床に雑魚寝していた。

 

 周囲を見渡せば、長いコンソールらしきものがある場所の前方の虚空には巨大な配管と大量の機材に囲まれた何かしらのチューブが巨大な鋼鉄の匣の内部を貫通している。

 

「確か……昨日……」

 

「思い出せ!! シューが残業したせいなんだぞ!! あ、あんな化け物っぽいのに襲われるし!! 思わず施設が暴走して死にそうになったし!! 頬大丈夫って嘘付いて寝るし!!」

 

「そう言えば、そうだった……いや、もう痛くないからそんな心配するなって」

 

 寝ていたのは粒子加速器の現場の中央実験設備のある場所だ。

 

 本来は遠隔で使用する為、整備用のコンソールがちゃんと動くか不安だったのだが、何とか無事に止められたのだ。

 

 教授と手分けしてシステムを順次手順を踏んで止めて行ったのだ。

 

 実験工程を初期化するまで数分。

 

 落ち着いて来た時にはもう3時間弱立っていた。

 

 あちこちの関連設備の稼働率をゆっくりと落としていくのは神経をすり減らさざるを得なかった。

 

 電力の過剰消費だのもすぐに正したし、全力運転状態になっていた複数の設備もゆっくりと停止状態に持って行く努力が為された。

 

 結果として数時間張り付いたままだったのだが、ようやく運転を停止させられた時には夜中。

 

 しかし、エレベーターの運転も停止させた為、外からあの化け物みたいなのもやって来ないだろうと粒子加速器関連施設内部の保安用プログラムで入室者や退出者、その他の反応が無い事に安心して今日は眠ろうという事になったのである。

 

 生憎とコンソールのある現地の中央制御室には保守点検用の要員の為にトイレも備蓄食料も置かれていた為、何とか固い乾パンと水で急場は凌げた。

 

「ちょっと覗いて来る」

 

 コンソールを操作してメインのディスプレイに寝ている間に何か無かったを確認するもすぐに問題無しである事が解った。

 

 入室者も退出者も無し。

 

 つまり、昨日の化け物も入り込んではいないようだ。

 

 もし入り込んでいたら確実に死んでいるだろうから此処でちゃんと朝を迎えられているというだけで確認するまでも無いのだが……。

 

「教授。6時ですよ。起きて下さい」

 

「……ん、ああ、君か。ん? 何か顔がべとつくような」

 

 さっきの唾が思いっ切り掛かっていたが笑って誤魔化す。

 

「それよりも教授。外の状況が此処からじゃ解りません。どうしますか? あの化け物みたいなのはまだいるかもしれません。でも、此処に何日も籠ってられるもんでもなさそうですよ」

 

 教授が白衣の袖で顔を拭ってから横合いに散らばった緊急用の保存食を見やる。

 

「2リットル入りのペットボトルが2つか。3人だと厳しいな。保安用の機材が確かココに……」

 

 中央コンソールから外れた壁の一角を何やらゴソゴソしていると内部からテイザー銃らしきものが数本出て来た。

 

「あった。人に向けて撃ってもいい銃だ。使い捨ての電池式だが、人間なら喰らった瞬間に心臓発作で死ぬ程度の代物だから、化け物にもある程度は利くだろう」

 

「……もう外に出る気満々ですね」

 

 思わず半眼になる。

 

「護身用の薬はまだ備蓄も十分にある。テイザーがあれば、距離的にも安心だ。まぁ、銃弾と違って当たり所は関係なく、胴体や四肢に当たれば行動不能にして勝ちだからな」

 

「解りました。どっちにしても上が気になります。でも、もしもの時の為に此処で―――」

 

 そう言い掛けるとギュッと袖が掴まれてジロリと上目遣いに睨まれた。

 

「イク」

 

「はぁ……あのなぁ。だから、人の言いたい事を先読みするなとあれほど」

 

「絶対、ツイテク!! 置いてったら呪ってやるからな!!」

 

 絶対、1人じゃ残りません。

 

 だって、怖いもん!!

 

 という本音が確実に漏れ出ている幼馴染の様子に溜息一つ。

 

「そういう事になりました」

 

「案外あっさり認めるんだな。君は」

 

「こう言い出したら聞かない奴なんで」

 

「まぁ、好きにしたまえ。もしもの時は教育者として先にこちらが餌食になるくらいの時間稼ぎはしよう。もしもの時はその間に逃げる事だ」

 

「案外あっさりって、こっちの台詞じゃありません?」

 

 そんなに目の前の相手に好かれていただろうかと首を傾げざるを得ない。

 

「なぁに……使えるゼミ生を失っては研究が続けられなくなるからな」

 

「そういうのは本職の研究員の方に言って下さいよ」

 

「データ整理が優秀過ぎる君が悪い」

 

「え? オレのせい?」

 

「シューはお人好しなんだから。まったくもう……」

 

 ちょっと膨れた幼馴染の全部お前のせいオーラが強まる。

 

「じゃあ、朝食後に向かおう。エレベーターから外に出る時はテイザーと薬は構えておくという事で」

 

「了解です」

 

 こうして……今日も朝は来る。

 

 それが長い長い一日の始まりである事を感じながら、乾パンをガリガリやる嵌めになったのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「3、2、1、今!!」

 

 三人でテイザーを構えながら通路に飛び出しつつ、左右の通路を見るも予想した相手はいなかった。

 

 上からどうやら埃もパラパラ降って来ていた様子で通路は電灯の硝子が散乱していたが、歩けない事も無さそうだ。

 

 前後に注意しながら一番近い通路に向かうと。

 

 階段から先の明かりが朝日を教えてくれる。

 

 慎重に外へと出た時、目の前に広がっていた風景は遠方の中央にある黒い塔の周囲が完全に崩れ落ちて、ついでに幾つかの棟が地震でもあったかのように崩壊しているという光景だった。

 

「こりゃ酷いな」

 

「……その、こう言っちゃなんですが、教授の研究室大丈夫ですか? 汚染物質垂れ流してません?」

 

「それに付いては大丈夫だ。専用の薬品保管庫は耐熱性能4000℃だし、そこらの建材で潰れていても傷一つ無いはずだ。内部から漏れ出る事もないだろうし、衝撃で内容物が破損する心配もない」

 

「ならいいですけど。とにかく外部からの救助を―――」

 

「シュー!!? 人だ!!」

 

「へ?」

 

「オーイ!!」

 

 ガスマスクを腰にブラ下げて手を振った朱璃が声を張り上げる。

 

 すると、遠方の学外から走って来た人影が朝日の中でゆっくりと輪郭を描き出し。

 

「あれ……エーカじゃないか?」

 

「誰?」

 

「いや、友達。お? どうやらセーカもって、どうしてあいつら走ってるんだ? まさか、あの化け物に狙われて!? 教授!!」

 

「いや、どうやら違うようだぞ。生神宗学生」

 

「え?」

 

「上だ」

 

 言っている合間にも物凄い必死の形相で走って来る2人の姉妹達が滝のような汗を流しながら何から逃げていたのかが露わになる。

 

 天だ。

 

 彼女達の上空からまるで猛禽類のような鍵爪が迫り、咄嗟に走り出してテイザーを襲撃者に向けて撃った―――途端。

 

 ズガァアアアアアアアン。

 

 という爆音と共にソレが空中でスパークして一瞬で墜落し、2人がその落下に巻き込まれるようにして粉塵が上がる。

 

「エーカ!!? セーカ!!? 大丈夫か!!?」

 

「ああ、シュ、シュゥ~~~~~!!? ほ、ほんまにシュウなんか!? イケガミ・シュウ!? ほんまもんか!?」

 

 エーカの声がしたと同時に風が吹いた。

 

 倒れた2人に慌てて駆け寄る。

 

「お前ら、無事だったか!! ケガしてないか?!」

 

「あ、ああ、今のところはピンピンしとるで!!」

 

「おねーちゃん。それよりも今は……」

 

「と、とにかく距離取らな!!」

 

「あ、ああ、それにしても何なんだ!? アレ!?」

 

 2人を上空から狙っていたのは巨大な物体だった。

 

 全長3m程ありそうな翼に鱗を持つモノ。

 

 翼を端から端まで広げれば10mはあるかもしれない。

 

 巨大な紅い煌めきと蜥蜴のような顔と尻尾。

 

 翼持つトカゲ。

 

 つまりは……。

 

「何って見て解らんか!? ドラゴンや!? ドラゴン!! RPGに出て来るアレや!?」

 

「ス、スゲー……でも、ドラゴンじゃなくて、これって種類的にはワイバーンとか。そういう感じだろ? ディティールも微妙に貧相だし」

 

 背後からやっと追い付いて来た朱璃がマジマジと背後から襲って来たドラゴンを見やる。

 

 数mの距離を取っているとはいえ。

 

 それでも迫力が違い過ぎる実物は未だ白目を向いてビクビクしながら泡を吹いていた。

 

「その……教授。心臓発作させる程度って言いましたよね?」

 

「ああ、そのはずだが。ああ、いや? あいつ……改造したな」

 

 何やら溜息が吐かれる。

 

「えっと、コレ人に向けられます? 思いっ切り雷みたいなの出ましたけど」

 

「恐らく魔改造品だ。訂正する。人に使うと黒焦げになる程度だ」

 

「今はいいです。とにかく2人の手当の為にも一端地下に……」

 

「おねーちゃん。助かったよ。私達……」

 

「せやな。宗のおかげや。ありがとな? 宗」

 

 本当に心の底から安堵した笑顔にあんなのに追いかけ回されていれば、さぞや心細かっただろうと持って来た乾パンと持っていたペットボトルに移し替えた水を渡す。

 

「今はとにかく落ち着ける場所まで行こう。話はそれからだ。それにしても何なんだ? この怪物……こっちも昨日襲われたんだ。別の奴に」

 

「そうなんか!? 大丈夫か!? 怪我せんかったか!?」

 

「え、あ、いや、そんなベタベタ触らなくても大丈夫だって!?」

 

 何やら本気で心配そうな顔の心配性な相手に苦笑する。

 

「ごほん。ごほんごほん!! おねーちゃん!! 今はそんな事してる時じゃないでしょ? ドラゴンまだビクビクしてるし、仲間もいるかもしれないし、とにかく屋内に行かないと」

 

「シュー……(T_T)(ジト目)」

 

 何やら周囲の視線が痛い。

 

「君達、ラブコメもいいが、今は状況確認が先だ。2人とも聞かせてくれ。どうして、外からこの広い学内の方に逃げて来た? 田舎とはいえ、外の市街地には家もあったはずだが、救助はどうなってるんだ?」

 

 マガツ教授の言葉に2人が思わず何かを思い出したかのように口を噤んだ。

 

「どうした? エーカ?」

 

「そ、そのなぁ?」

 

「う、うん。信じて貰えないかもしれないけど……」

 

「何だ? 昨日から信じられないもんばっか見てるからな。多少の事なら信じられるぞ?」

 

「それがな? 今、外は―――」

 

 ドラゴンを背景に2人が外の情報を伝えて来る。

 

 たぶん、驚かなかったのは色々と麻痺していたからに違いなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ホ、ホントだ」

 

「マジか……何処だよ。少なくと疎らな山林に氷河が削ったような地形……左右後ろが険しい山岳で大きい谷みたいになってるのか?」

 

 未だ他の生存者も見つからないまま。

 

 2人が学外に出るのは危険だという進言の下。

 

 学外の情報を確認する為に出たのは近くのまだ崩れていない校舎屋上だった。

 

 広い学内の端にる棟の手摺から先に近くの偶然有った写真部の部室の鍵を抉じ開けて拝借して来たデジカメではないフィルムカメラの一眼レフで適当に外を覗く。

 

 どうやら学内の現在地は高原らしい。

 

 平地の方には何やら建物らしきものが見えるが、それよりも何よりも問題なのは大学そのものが今まで存在していた日本の平地にはないという事実だ。

 

 そして、何よりも困惑するのは全員がカメラを覗いても同じ光景が見えるという事実である。

 

「な、なぁ!? ウチの言った通りやろ!!」

 

「ああ、信じるしかないのは解った。どうやら道っぽいのも見える範囲じゃ無いな……草が茂りまくりじゃないし、乾燥してるみたいだからある程度は病原菌が付いたりも無いだろうが、参ったな」

 

 カメラから顔を離すと何やらエーカが何やら微妙に困ったような顔になっていた。

 

「何だ?」

 

「なぁ、何か落ち着いてへん?」

 

「え? いや、もうかなり驚き疲れたから……」

 

「驚き? それってシェルターに入ってた正体不明の怪物や血溜まりって事?」

 

「ああ、それにお前らが生きてるのでホッとしたのかもな。知り合いがとは思いたくなかったし」

 

「そ、そーか……何かスマン。ウチらも心配させてたんやね」

 

「別に謝る事なんかないさ。で、どうして学内にいたんだ? 此処に来る途中、学生はまったく見掛けなかったし、学生も許可が無けりゃ帰ってる時間帯だったろ?」

 

「いやぁ、教授に出されたレジュメ忘れてもうたんよ。課題に使うヤツ。で、こっそり……」

 

 エーカがアハハハ悪い悪いと頭に手を当てて笑って誤魔化す。

 

「はぁぁ(*´Д`)」

 

「な、なんやその顔!?」

 

「まぁ、お前らしい。で、朝までどうしてたんだ?」

 

「何か大きい音がしてロッカーのあるとこから外見たら、何か時計塔が崩れそうだったやん? で、セーカが危ないからさっさと帰ろうって言い出して、ウチと一緒に学外に出ようとしたら、避難誘導路って文字見付けて走ったんや。その最中にパリンパリン電灯割れて硝子が落ちまくって、何とか周囲にある放送室に入ってな」

 

「そこで夜を明かしたと?」

 

「地震だったら助けが来るだろうし、そうじゃなかったら隠れてやり過ごしてから、巻き込まれない内に帰ろうって私が言ったの……」

 

 何処かシュンとした様子になる妹の言葉に姉がニコニコしてみせる。

 

「そう。そうしてウチは妹に九死に一生を得させてもろうたわけや。ウチの妹は賢いで。な~?」

 

「お、お姉ちゃん……スキ!! 愛してる!! 結婚して!!?」

 

「おうおう。この見知らぬ異世界召喚待った無し状態から帰れたら焼肉でも結婚でも奢ったるで!!」

 

 目がハートな姉大好きシスコン妹に気前良く言いつつ、あしらいながらも……やはり女の子らしく僅かその脚はプルプルしていた。

 

 ドラゴンに追いかけ回された事を思い出したらしい。

 

「それにしてもラノベか。異世界とか……」

 

「ねぇねぇ。宗」

 

「ん? 何だ?」

 

「右端の斜面の先……誰か昇って来る人がゾロゾロしてるみたいだぞ」

 

「はぁぁ?!」

 

 この状況で人間。

 

 敵か味方か。

 

 そもそも日本の公僕みたいに助けてはくれないだろう。

 

 カメラをズームしてピンとを合わせる。

 

「―――何だ? 毛皮や鞣革の衣服に槍や弓?」

 

「貸してくれ」

 

「あ、はい」

 

 教授にカメラを渡す。

 

 そうして何度か観察した様子でフムフムと独り言をブツブツ言い始めて数秒。

 

「原始的な狩猟民族というわけではなさそうだ。顔立ちと骨格は中世より少し昔辺りのアングロサクソンや広義で言うアーリア人種に似ているな。中央アジア寄りの顔立ちもいる」

 

「そんなん解るものですか?」

 

「友人の耳にタコが出来る受け売りだ」

 

 教授が肩を竦めた。

 

「武器は青銅ではないから製鉄技術はある。槍を見れば一発だ。弓は原始的なようだが、少なくとも普通の和弓のように大きく引くタイプもある。毛皮は鞣しの技術がある事の証明。靴は見る限り麦やイネのような植物を編んだ草鞋? みたいなのじゃないかと推測する」

 

「結構、文明レベル高い系なんですかね?」

 

「さぁ? 問題はそれよりも連中がこちらに来る事。そして、歩く中に女子供、赤子まで混じってる事だ」

 

「え……それって……」

 

「マズイ事になるかもしれんぞ。とにかく日本語が通じるかも分からない。だが、一番の問題は相手が疲れた顔してるって事だ」

 

「どうしてソレがマズイんですか?」

 

 セーカの言葉に教授が肩を竦める。

 

「戦争に負けて土地を追われた敗残兵と村を追われた難民が言葉も分からない異郷の圧倒的少数派が何か水と食料を持ってるの見たら、どうすると思う?」

 

「え?」

 

 どうやらそういう事になるらしかった。

 

 

 

 *

 

 

 

―――総歴:蒼の時代3430年。

 

 時に大ナフティア時代と呼ばれる事になる大陸の歴史において人々が大陸中央各国を巻き込んだ巨大な戦乱の内実に民族毎消えてなくなるというのは極めて容易に起り得る出来事であった。

 

 この大民族自決主義によって大国同士が争う時代。

 

 一定数以下の少数民族が辿る道は近い部族と合流して新たな結合を果たし、戦乱に躍り出る駒の一つになるか。

 

 あるいは異なる民族に侵略され、吸収合併という名で奴隷に墜ちるか。

 

 または流浪の民となって名すら失くすような無限の苦悩を味わうか。

 

 その何れかであったからだ。

 

 そんな中、大陸北東部の新興大帝国【アバンステア】は大小40にもなる【ブラスタの大血脈】と呼ばれるブラスタ族を筆頭とし、他に例を見ない三民族統治による強力な連帯と国土東側に連なる大山脈【ベルゼスト】より豊富に産出される鉱物資源を背景にした製鉄産業を富国強兵の基軸に版図を広げつつあった。

 

 そして、山脈より下り肥沃な大地が広がる【タニア丘陵】とその先に広がる小さな邦領【ヴァ-リ】は今、存亡の危機に陥っている。

 

 世界は彼らヴァーリの民が思っていたよりも広く。

 

 東に版図を広げる新興国にとって、山脈の先にあるこの小さな国……いや、村々は平和裏に版図へ組み入れるまでもなく。

 

全てを奪い去るにちょうど良い奴隷の狩場だったのである。

 

「姫様。見えますか?」

 

「ええ、爺。見えますが、アレは一体……要塞?」

 

 タニア丘陵はヴァーリの民にとって狩猟採集先として長らく管理されてきた場所だ。

 

 伝承では嘗て巨大な氷の河が流れていたとも言われているが、伝説というヤツはいつでも大げさなものであると酒のつまみと笑い話の種だ。

 

 だから、このヴァーリの地が蹂躙され、もはや民すら何処にも行き場が無いという事実に突き当たった時、彼らが逃げるのは更に東や南北にある交流のある他国ではなく。

 

 昔ながらに癒しと恵を求めた丘陵以外無かった。

 

 アバンステアの兵による略奪によって家々や畑は奪われ、飲み水すらも殆ど無くなった彼らには丘陵にある水源と僅かばかりの地政学的な立地。

 

 山の高台に陣を構えるという事が最良に思えたからである。

 

 それがもはや女子供しかいない最後の抵抗の類だったとしても。

 

「こんな短期間にあの場所に何故あんなものが……アレもアバンステアの力だとすれば、我々にはもう……」

 

「まだ諦めるには早いですぞ。【馬堕《ばだつ】の名手と呼ばれた我が強弓と志願した兵が6名。なぁにアバンステアの匹夫共など日が暮れる頃には全てあの巨大でおかしな要塞より消し去ってみせましょう」

 

「爺……あの子達はもう戦えません。大人も兄達も全て失った彼らに死ねとは言えません。私は……」

 

「……ですが、姫様。何とか守り切ったとはいえ。それでもこれ以上もう赤子も母親も子供達も限界でしょう……」

 

「私の身柄一つで貴方達くらいの人数ならどうにかなるかもしれない」

 

「それは―――それだけはどうか……どうか……この爺に……赤子の時におしめを変えた事すらある爺にそんな光景は見せんで下され……ならば、我が身命に掛けて四肢をもがれようが、首を落とされようが、何とかしてみせまする故……」

 

 夜中より何とか昇り終えた総勢400名の女子供は幽鬼のようでもあり、感情が擦り切れた顔で先頭をゆく一団の背後をゾロゾロと付いていた。

 

 背後に3名。

 

 前方に3名。

 

 その前方の集団に守られた唯一の男。

 

 いや、老人と言えるだろう彼が付き添う少女とも女とも言えぬ妙齢の年頃が1人。

 

 殆どの丘陵を昇る者達が革製の衣服か麻で編んだを纏う中。

 

 その衣は薄絹を張り合わせた様子で戦闘にも向くようにとの配慮か。

 

 肘や膝の関節と胸元には薄いプレートの装甲。

 

 脚運びが見えぬよう丈の長い筒状のスカートの装甲には金銀の細工で杖と天秤の象形が鏤められていた。

 

 小柄な老人の無骨な戦鎧が着られているように見えるならば、その彼女の衣装は戦場の女神かと物静かながらも威圧感を放っている。

 

 それは正しく今その装いの中にはち切れんばかりの激情か。

 

 はたまた、大きな諦めを隠す為の空虚な威勢かもしれなかった。

 

「爺。やはり一緒に行きましょう。でも、盾になって下さい。貴方の屍を腕で覆いにしても必ず言葉は届かせます」

 

 少女の鼻梁は整っており、薄ら白い肌に初雪に咲く紅の野花を思わせて可憐であった。

 

 しかし、細身ながらも均整の取れた体付きは武術を嗜んでいる者が持つ力に満ちている。

 

 今は土に僅か煤けた顔立ちは逆に凛々しく。

 

 燃え上がる紅蓮の双眼は怒りよりもまた民の為に全てを捧げる覚悟であろう覇気に満ちている。

 

 擲つ、とは―――今正しく彼女の全てを承知で走狗に自らの全てを差し出す覚悟の事であろう。

 

「姫様!! せ、斥候のリーオが人影と恐ろしいものを見たと!!」

 

 バタバタと小さな少年が息を切らして彼女達の下に駆け降りて来る。

 

「ひ、姫様!? 大変です!! あ、あの砦!! ヤバイです!?」

 

「これ、リーオ!! 姫様の前じゃぞ!! ちゃんとした言葉で話さんか!!」

 

「ザグじいは黙っててくれ!! とにかくマズイ!! あの砦マズイですよ!?」

 

 少年は神を後ろで束ねている。

 

 童顔にクリクリとした瞳は愛嬌もあり、女の子みたいに愛らしいと言えるかもしれない。

 

 ヨレヨレの革製の衣服は斥候としてせめて矢が貫通しないようにと集めに造られて、僅かにダブダブだったが、そのまるでひょうきんにも見える姿も慌てた涙目ではより一層の絶望を引き立てる小道具にしか過ぎなくなっている。

 

「リーオ。落ち着いて。貴方の見た事を話して頂戴。心配無用!! 私がどんな困難だって張っ倒してあげるから。ね?」

 

 飛び切りの笑顔で、もしかしたら矢で貫かれて死んでしまうかもしれないというのに偵察を請け負った自分よりも幼い勇者に彼女は姉の顔で、微笑む。

 

「姫様もお言葉遣いが乱れております。はぁぁ……」

 

 半ば本心、半分少しでも空気が軽くなればと溜息を吐くザグじいと呼ばれた老人が肩を竦める。

 

 栗色の髪を肩までに切っている少女は白髪のお供に苦笑しつつ、黒神の少年に訊ねる。

 

「それで何があったの?」

 

「小火竜!! ワイバーンが殺されてます!!?」

 

 その場の空気が固まった。

 

 そして、少年はこう続けた。

 

「そいつを殺したらしい若い男が竜の上で見張りしてるんです!!?」

 

 彼女達の絶滅までの道すがら、その行く手に待つのは如何な美丈夫も叶わぬと言われ、勇者か伝説の騎士の類しか、はたまた軍の連隊くらいしか相手せぬだろう存在。

 

【竜種《ドラコル》】を死体に変える個人らしかった。

 

 

 

 *

 

 

 

『あのーめっちゃ驚かれてたんですけど、さっきの子に……』

 

 ガスマスクをしたまま。

 

 口元のインカムにそう呟く。

 

「いいじゃないか。それがいいのさ」

 

 何故か、学内に有った学内移動車両などを運ぶレッカー車でやってくる異邦人達に一番近い入り口へとドラゴンの死体を運んだ教授は……どっから見付けて来たのか。

 

 注射器でヤバげな無味無臭の液体を泡を吹かなくなったドラゴンの尻付近にある穴の粘膜にブスリ。

 

 トドメを刺して一言。

 

「取り敢えず対等に喋れるようにしようか」

 

 ドラゴンが即死したようだったが、何も聞かない方が良い気がした。

 

 何で自分という話をしたような気もするが、言語学系のスキルがあって、年頃の男で、一番良く見えそうだから、という合理性を告げられてしまっては断れない。

 

 つまりはこうだ。

 

【ボクはドラゴンだって倒せる言葉の話せない()()()()()異邦人だよ!!!】作戦。

 

「いや、無理があるやろ。このもやし肌にドラゴン退治出来るわけあるかいな」

 

 さっそく関西弁少女によってツッコミが入ったのだが、とにかく此処にあるもので工夫しなければ、何一つとして良い方向に転がらないだろうとの話である。

 

 仕方なく頷いたのは教授や幼馴染や友達にそんな危険な事をさせられないという曲がりなりにも男としての矜持くらいは残っていたからだ。

 

「まぁ、ガスマスクで不気味さと威圧感をマシマシにしてドラゴンの神輿があれば、不用意な事はして来ないだろう。たぶん……」

 

 インカムはまだ使えるが、いつまで電池が持つかも分からない。

 

 ブルートゥースって便利~~とか言ってられる状況でもない。

 

 スマホが圏外な世界である。

 

 現実を受け入れておくしかないとはいえ。

 

 現実に喰らうと人生エストラ・ハードモードになった気分なのは間違いない。

 

 一歩間違えば、友と幼馴染と教授と道連れにあの世行きなのは武器を持つ相手がいるだけで十分に理解可能だ。

 

「おっと、来たようだな。取り敢えず、強者っぽくボディランゲージしてくれ。コミュニケーションを取りながら糸口を見付けるんだ。相手が強く出られず、こちらから施して恩を売れる立場になるのが第一だと考えてくれ」

 

 ブツンと声が途切れる。

 

 相手は2人。

 

 フードを被った相手と鎧を着た老人。

 

 老人の手には弓が握られ、背中には槍が備えられている。

 

 フードはどうやら腰に剣を佩いているらしく。

 

 チラチラと剣先が足元の外套の内部から見えていた。

 

 相手がこちらの死体の前にやってくると同時に竜の頭の上から腰を上げる。

 

「――――!!!」

 

「(んん?)」

 

 相手が声を発したが、やはり聞き覚えの無い言語だった。

 

 だが、微妙に苦し気にも聞こえるのは相手の方が怯えているからかもしれない。

 

 老人は背後に控えているが、弓はいつでも引けるように手には力が込められている。

 

 取り敢えず、まずは発音で共通認識を図るのが第一。

 

「ドラゴン」

 

 相手が初めて声を発した瞬間に僅かビックリした様子になる。

 

 指差しながらもう一度ドラゴンと発する。

 

 そして、自分を指して。

 

「シュー」

 

 単純化して喋りながら繰り返す。

 

 すると、フードが取られた。

 

 驚いたのも無理はないと思う。

 

 少なくとも最新のCGを用いたモデリングで美少女を造ったらこうなりました。

 

 と言われた方が頷ける相手だったのだ。

 

 戦争で土地を追われた難民という教授の話は聞いていたが、それれにしても本当にファンタジーらしくお姫様でもやって来たのか。

 

 そうだとすれば、年上の男相手にジェスチャーで意思疎通を図る様子だけで幾分気も引けずに上手くやれるかもしれない。

 

「RU ER SIYA」

 

「ル・エ・スィヤ? シーヤ?」

 

 相手の声を聞き取りながら発音する。

 

「ルエ・シーヤ」

 

「Varli」

 

「ヴァーリ?」

 

 その言葉に何度も姫(仮称)が頷く。

 

「ルエ・シーヤ・ヴァーリ?」

 

 その言葉で少し考えた相手がもう一度発音する。

 

「Rusya Varli」

 

「ルシア・ヴァーリ?」

 

 ウンウンと相手が頷くのを見て相手を指差す。

 

「ルシア?」

 

「シュー?」

 

 相手もこちらを指して発音する。

 

 それに何とか意志疎通の第一歩を認めたのでマスクを脱ぐ。

 

「ルシア。そっちは?」

 

 今度は相手の老人を指差す。

 

 こちらのマスクを脱いだ様子に驚いたルシアが今度は相手を指差して発音する。

 

「Zagnal」

 

「ザグナル?」

 

 ウンウンとやはりルシアが頷く。

 

 これで場は整った。

 

 今度は指差して呼称を確認していく。

 

 人々の事はヴァーリ。

 

 つまり、恐らくは民族か種族名。

 

 こちらの事は【ニホンジン】と紹介する。

 

 地面に棒で絵を描いて相手のヴァーリと同じように自分と他の相手を丸と棒で書いた人間をニホンジンと呼称して次々に共通認識を確立していく。

 

 ドラゴンはあちらの言葉ではドゥラグ、ドラコル。

 

 山はマゥ等々。

 

 ある程度の語彙をボディランゲージと絵と会話で補いながらやり取りし、ようやく本題。

 

 こちらからペットボトルと乾パンを取り出して相手に見せるようにして齧って飲み。

 

 相手にソレを勧める。

 

 それを見た相手が僅かに何か躊躇するように後ろのザグナルという老人に確認したが、老人は静かに頷いただけだった。

 

 恐らくは背後の民を差し置いて食べるのは気が引けたのだ。

 

 明らかに文明レベル的に中世くらいなのに苗字があるのは高位の家系だろう。

 

 それを食べて飲んだ後。

 

 ルシアが拳を握って、ヴァーリと民の方を指差して手を広げて一杯というジェスチャーをした。

 

 そして、自分の持つボトルと乾パンを指差してやはり一杯というジェスチャーをする。

 

 最後に手をこちらに差し出した。

 

 その顔は迫真というくらいには鬼気迫っている。

 

「……教授。積み終わった食料と非常食人数分お願いします」

 

「了解した」

 

 学内と外を隔てる壁の向こうからガラガラと台車に人数分だけペットボトルと乾パンを出して引いて来るのはエーカとセーカの姉妹だ。

 

 その台車と姉妹の姿を見て僅かに老人が緊張したようだが、すぐにルシアが何か耳元で囁くと何か憮然としながらも静かに元の姿勢へと戻った。

 

「ルシア。これはやる」

 

 手を相手に差し出すようにして台車の後ろからジェスチャーするとルシアが何度も目を瞬かせてから、こちらに近付いて来て、手を握ってから涙を堪えた様子で何かを捲し立てた。

 

 それに慌てた様子になった老人だが、何か手を出せない様子で苦い顔になり、溜息を吐いた。

 

 その後、更に絵でやりとりし、学外の壁の傍まで相手方を誘導。

 

 数百人分の配給を三度続けて台車で行い。

 

 乾パンの高カロリーの説明や1日分の量に付いてを何とか相手に伝えるやらしている内に昼も夕方も過ぎて行った。

 

 まだ、学内に入れるには相互理解が色々と足りないのは明白。

 

 食料と水を分けて回るルシアに名前を連ねて名簿と名前の発音を訊ねつつ、実は山登りが趣味らしい姉妹達に学内にあった野外飲食やイベントに用いる簡易のテントを設営してもらいつつ。

 

 過ぎて行く時間。

 

 ルシアが寝床として提供した簡易のテントやらテーブルやらパイプ椅子やら災害時の避難所にするのが決まっていた経緯で備蓄されていた毛布などに痛く涙腺を刺激されたらしく。

 

 最後ら辺はもう完全に涙で顔をグシャグシャにしつつ、何やら何度も同じ言葉を繰り返していたので、それが感謝の意味だと知る。

 

「……色々聞かないとな」

 

『美人に鼻の下伸ばすとか。シューの癖に生意気だ(ひそひそ)』

 

『美少女に抱き着かれる勢いでお話して、ウチらに力仕事させるとかお大臣やね。シュー(ひそひそ)』

 

『やっぱ、ヒモテドーテーヨンローヤロウですね。イケガミ・シューは(ひそひそ)』

 

 姉妹と幼馴染がいつの間にか女に仕事を押し付ける男を白い目で後ろから見ていた事は確実だったが、意志疎通を疎かにして殺したり殺されたりするよりはいいだろうと顔は引き攣りつつも語彙を増やして書き留めていく1日となったのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「思っていたより事態は深刻なようだな」

 

 そう平然と話す教授は常のように何かを蒸留か抽出か反応させている。

 

 実験器具がアルコールランプで煮えているのを横目に2日目の朝を迎えていた。

 

 研究室での纏まっての雑魚寝。

 

 化け物がいた地下道への道は看板や瓦礫で一応封鎖しておき、通路の大半を入られないように制限したのが昨日の夜の事。

 

 さすがにこの中世っぽい世界でも夜の明かりをランプ染みたもので取るという事はやっているらしく。

 

 驚かれる事は無かったが、それにしても野宿する大量のヴァーリの民間人を受け入れる態勢は数人の働きでは殆ど出来ていなかった。

 

 一応、体育館の類はある為、急ピッチでダンボールを敷くやら簡易の避難所用寝具を敷くやらしているが、それも今日中に終わるかどうか。

 

「人出が足りませんね」

 

「水も足らんで。今、飲料水に関しては避難所の集めとるが、あの人数じゃ数日持つかどうかや」

 

 マンパワー不足を指摘するとエーカは水も限界が見えていると溜息を吐く。

 

「他にも配管が何処かで途切れてるせいか。蛇口は出て来ませんね」

 

 セーカが肩を竦める。

 

「ほ、他にも備蓄食料もカロリーベースで見たら恐らく2週間持たない。乾パンだけじゃ何処かで限界が来るぞ。絶対」

 

 ボソボソと一応会話に参加する朱璃が備蓄食料の目録らしきものを見て、クマのある瞳を更にドンヨリさせた。

 

「ふむ……」

 

 それを聞いていた教授がヘラッと笑う。

 

「いやぁ、八方塞がりだね」

 

「笑いごとじゃないですよ? どうにかしないと数日中にこの関係も崩壊します。それ以前にルシアから聞き出した話だと麓の集落を襲った連中がいつやって来るか分かったもんじゃありません」

 

「それは今、放っておいていい。水源に付いては周辺にあるらしいって、あのお姫様の話なんだろう?」

 

「え? ええ、一応は水の出所が付近にあるらしいです」

 

「湧き水でも飲める事は飲める。建築資材でパイプがあれば、水も引ける。濾過用の機材もあるが、そちらは残しておいて園芸部の持ってた農業資材で簡易の濾過装置を作った後、煮沸消毒でイけるだろう」

 

「燃料は?」

 

「高原にも木材くらいはある。人出を募って木材を大量に切った後、レッカーが使える内に貯め込もう。チェーンソウから鋸まで確保は終了した。車両も後30kmは走れるはずだ」

 

「人出を募るって言っても殆ど女子供ですよ? どうやら青年くらいの人はいないみたいです」

 

「小さな共同体だ。成人男性や青年が一族を守る最後の盾になった、みたいな話なら納得だろう。働ける奴は全員働く事でどうにかなると信じるしかないな」

 

 その言葉に周囲の空気が重くなる。

 

「本当に異世界、なんですね」

 

 セーカの重苦しい言葉に教授が苦笑する。

 

「我らの地球国家と左程変わるものかな? 未だに民族浄化は存在するし、何なら拷問の歴史は南米やアフリカのギャングを見習えば、左程中世より昔と残虐性で変わるものでもない」

 

 最もな話だが、事もなげに言って見せる教授がいつもの栄養補助食品をもそもそと齧る。

 

 その顔には聊かも重い話をしている様子がないのを見れば、その神経の図太さは折り紙付きだろう。

 

「赤子の世話は母親と幼い子供に任せて、他は水と燃料の確保に移ろう。食料はまだ持つ。簡易トイレの使い方も覚えたようだし、糞尿の処理は園芸部の持ってた堆肥処理設備に運び込めば問題無い。まだ処理用の微生物のチップやら諸々はあるし、関連本も確保済みだ」

 

「すっげースラスラ言ってますが、それ教えるのオレですよね?」

 

「勿論。期待しているとも……唯一残ったゼミ生のお手並みを拝見だ」

 

 思わず息が零れた。

 

 解りましたと言うしかないのだ。

 

 どちらにしても逃げ場所は今のところないのだから。

 

「各員。食事をしたら行動開始だ。麓から軍隊とやらが上がって来る前に籠城用の設備も整えなきゃならん。樹木の伐採は生神宗学生。君に任せる。運転免許は?」

 

「あります。ペーパーですけど」

 

「レッカーには車を吊る用のクレーンも付いてる。マニュアルはあったから、それでやってくれ。積載量に気を付けて最低3往復。20本は確保して来てくれ」

 

「解りました。教授は?」

 

「例の化け物のいる区画を物理的に封鎖してくる。昨日から農業資材である程度は抽出したからな。まぁ、作れもするが、時間が無かったから楽をさせてもらった」

 

「抽出?」

 

「ああ、農業資材やウチの倉庫の資材で清々可能だったからな。グリセリンをちょっと」

 

「グリセリンって?! まさか!?」

 

「取り扱いには気を付ける。問題無い。通路を所々崩して迷路にするだけだ。友人にもしもの時の為に崩すポイントは聞いている」

 

「崩すポイントって何ですか……最初から崩す為の爆破ポイントでもウチの大学あるんですか?」

 

「まぁ、ウチの設計をしたのはサバゲー好きの建築家だったという事だ。建築学部の教授だよ」

 

「ハハ、ソウデスカ……はぁ……」

 

 女性陣三人が何やらもうウチの学部のヤバさに為れた様子で平然と脳死状態で話をスルーしつつ、乾パンと購買からくすねて来た日持ちしない食料としてパンだのアイスだのを平らげ、今日一日の英気を養っていた。

 

「なぁなぁ、彼女さんはシューの何処が気に入ってるん?」

 

「か、かかか、彼女ぉ?! だ、断じて彼女ではない!! オサナナジミ種オサナナジミ科の生き物として共生関係にあるだけだぞ!?」

 

「おねーちゃん。彼女さんに失礼だよ。ヨンローの彼女だなんて言ったら、激おこになっちゃうよ?」

 

「お・ま・え・ら」

 

 頭痛がしてきそうな会話に額を抑えつつ。

 

 今日のお仕事は始まるのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「シュー!!」

 

「ああ、今行く」

 

 朝からジェスチャーと絵と言葉でコミュニケーションを取りながら付近にある森林へとレッカーで乗り付けるまで1時間弱。

 

 何とか避難所を開設し終えた後、ヴァーリの避難民を体育館に収容。

 

 燃料確保に動き出すのに20分弱。

 

 男子の半数以上を引き連れて次々に工具を渡し、樹木の切り出しに取り掛かっていた。

 

 一応、経験がある人数を聞き出して3割程に鋸を配布した。

 

 鋸はどうやら初めてらしく。

 

 殆どは斧が主流だったようで性能に驚かれた。

 

 が、すぐに使いこなし始めた男児達は半日を股がずに何とか針葉樹を十本近く伐採開始。

 

 もっと手こずるかと思ったのだが、刃物の使い方も樹木の切り方もまだ中学生くらいや小学生くらいの年齢でも慣れている様子。

 

 燃料の確保は日常的に行われていたのかもしれない。

 

「シュー!!」

 

 ルシアが今日中に切れる本数を両手の指を折りながら教えてくれる。

 

「ありがとう。ルシア」

 

「A、aRu?」

 

「ありがとう、だ」

 

「Aるガと?」

 

「そうそう」

 

 相手にこちらの言葉もある程度教えつつ頷き。

 

 倒れた樹木の周囲から離れた子供達を確認しながら、レッカーを移動。

 

 慎重にマニュアルに従って端から樹木を荷台へとクレーンで慎重に移動させていく。

 

 途中、荷台に押し込むやらなにやら手伝って貰いながらの作業が終わると汗が噴き出した。

 

 人数分のペットボトルは渡されている為、一口。

 

「シュー!!」

 

「あ、ああ、ありがとう」

 

 何やら麻布らしき布巾的なもので口元を拭かれた。

 

 どうやらモテナシというよりはご機嫌を取られているらしい。

 

 まぁ、今のところあのドラゴンを倒した相手という事で敬われているのだろう。

 

(今日中に道無き道で材木を運び切らないとならないとか。結構、無理難題だな)

 

 いつまでもレッカーが動くとは限らないし、動く車両から出来る限りガソリンを抜くのは遠慮したいというのが本音であった。

 

 一応、把握した分の車両は全て駐車場の一角に纏めてブルーシートで覆っているが、それも数台。

 

 レッカーが最もガソリンが入っているのは間違いない。

 

 高原付近の傾斜はそれなりにある為、周囲の木を子供だけで運ぶのは不可能。

 

 となれば、燃料問題の為の伐採も今のところはその場凌ぎでしかない。

 

「シュー?」

 

 顔が覗き込まれた。

 

「ああ、何でもない」

 

 何とか不思議そうな顔の御姫様にそう返して、再びレッカーを移動、樹木をクレーンとチェーンで荷台へという作業を繰り返そうとした時だった。

 

 森林に入っていた複数の子供達が何やら叫びを上げながらこちらに走って来る。

 

 その声へすぐルシアが機敏に反応した。

 

 子供達に何やら待避を命じながら樹木の先へと向かっていく。

 

「ちょっと待て!? ルシア!?」

 

 慌てて追い掛ける。

 

 子供達がレッカー車の周囲に集まるのを確認しつつ、腰に下げていたテイザーを手で触っていつでも抜けるように意識する。

 

『もしもの時の為に二挺持って行きたまえ。野生動物などで危険を感じた場合は躊躇せず使え。言うまでもないが、この未知の土地で怪我をすれば、破傷風はともかく。知らない病原菌に侵される可能性が高い。小さな傷でも真皮以下に到達すれば、それが致命傷になる可能性もある。十分に気を付けろ』

 

(気を付けてもドラゴンなんか出てきたら撃つしかないですよねソレ……後、消毒したけど、頬まだ痛いし、こっちの方がヤバイ気も……)

 

 朝、外に出る時の回想に突っ込みを入れておく。

 

 実際、医者ではない教授には診断が出来ない為、幾ら薬があっても貴重なソレを詳しい病名が解らなければ、使っていいものかどうか神のみぞ知るという話はされていた。

 

 新祈の医学部は周辺の医学部から研究を請け負う施設しかなく。

 

 根本的には寮と研究設備を貸しているに過ぎないという特殊な面があった。

 

 患者こそどうやらいないようだが、医薬品と医療器具は存在している。

 

(早めに医者を確保するか。医学を学ばないとアウトって事か……)

 

 健康が一番だが、それがどこまで通用するかは今後の行動次第。

 

 覚悟を決めて森林の奥に踏み込むと。

 

 猛烈な声が響いた。

 

 獣のような。

 

 というのは少し違うだろうか。

 

 まるで人の絶叫を巨大な洞窟で増幅したような重低音を含む音。

 

 それと共に生温い吐息のようなものが周囲に溢れる。

 

「ドラゴンの次は巨獣か……オレはゲームのハンターじゃないんだぞ?!」

 

 顔が引き攣るのも無理からぬ事である。

 

 4m程の四足獣らしきものが凶悪な刺々しいハリネズミみたいな毛皮を膨らませていた。

 

 僅かな異臭に顔を顰める。

 

 それは相手の口からではない。

 

 複数の遺骸らしきものの革がまるで鞣なめされたように針の根本に引っ掛かっていた。

 

 幾らか白い骨がプラプラとまだ千切れない関節で繋がって揺れている。

 

 相手の針は褐色。

 

 だが、一番マズそうなのは相手の質感だ。

 

 毛並みが金属風なのだ。

 

 メタリックな容姿は確実に堅そうだ。

 

「ルシア!!?」

 

 獣を前にしてお姫様が腰に下げていた剣を抜くなんて馬鹿げていた。

 

 串刺しになって物言わぬ死体になるのが関の山だ。

 

 思わず背後から駆け付けると今までにない真剣な様子で後ろに庇われた形となる。

 

 何処かが串刺しになれば、未知のウィルスに掛かって死ぬ。

 

 それよりも先に失血死かもしれないが、相手はこちらを完全に嘗め切った様子でゆっくりとアギトを開きながら、ゴロゴロと幸せそうな猫っぽい声を発した。

 

 これは完全に今日の食糧が非弱そうで幸せになった泣き声ですねハイ。

 

 そんなのすぐに解る。

 

 ルシアの脂汗を流す横顔は覚悟が決まり過ぎで泣けてくる。

 

「ほんと……女の子って本来こういうのなんだよなぁ。それに比べてウチの女共は可愛げはあっても絶対こういうとこで弱音とか見せないし……」

 

 思わず愚痴りながらルシアをグイッと引いてテイザーを前に向けた。

 

「まぁ、じーちゃんも言ってたし、いいだろ。こういう時くらいは男の方が命掛けた方がカッコ付くってな」

 

 相手が口を開いて噛み付こうとした刹那。

 

 内部に向けて引き金を引いた。

 

 巨大な激音と共にスパークが発生。

 

 明らかに通常のテイザーではない。

 

 完全に雷撃という類の電流が針の先の空気層を劈き相手の口内に飛び込む。

 

 ブボンッ。

 

 そんな音がした瞬間、次々にハリネズミのように膨れた化け物の身体からトゲが四方に散逸した。

 

 咄嗟にルシアの手を引いてすぐ傍の樹木の影に潜り込む。

 

 上空にも飛んだトゲが見えたからだ。

 

 数秒でザクザクと樹木にトゲが上空から突き刺さる音。

 

 ドシンッと今まで止まっていた化け物の身体が崩れ落ちる音。

 

 そうしてルシアを抱えながらそーっと化け物を見やると口の内部からシュウシュウと音がして白目を剥いていた。

 

 巨体の心停止は確実だろうが、いつ動き出すとも限らない。

 

 もう一発いっておくかと反対側のテイザーに手を掛けたが、すぐ止められた。

 

「ルシア?」

 

 何かちょっと赤い顔になったお姫様がフルフルと顔を横に振って、剣を前に翳して見せる。

 

 それに察して頷くと。

 

 彼女がこちらよりも前に出て歩き出し、倒れた獣の頭部に剣を振り上げて、跳躍したと思ったらドスンと剣先を打ち込んだ。

 

 満身の力を込めて刃が半ばまで埋まったところで息を吐いて汗を拭う。

 

 その姿はラノベや漫画やアニメに出て来る戦う美少女そのものだ。

 

 こうしてようやく化け物は完全に蘇る可能性を断たれたのだった。

 

「スゴイな。ルシアは……」

 

 思わずそう呟く。

 

 本日まだ10時台である。

 

 今日のノルマに森林伐採どころか。

 

 死体処理も仕事に加わったが、何とかなると信じたいところであった。

 

 

 

 *

 

 

 

「姫様ぁ!!? 本当に!! 本当に大丈夫なのですか!?」

 

「爺。先程から同じ事しか聞いてません。本当に大丈夫ですから、そう心配しないで下さい」

 

 夜、奇妙な高原の要塞に居を据える事になったヴァーリの民を統べる姫。

 

 ルシャ・ヴァーリ・クフィエルは過保護とは言えないだろう第一の臣下。

 

 いや、乳母にも勝るお目付け役ザグエル・マッキンドーの狼狽えた姿に苦笑していた。

 

「これが心配せずにいられますか!? 高原の主【狩針獣《がしんじゅう》】に喰らわれるところだったのですぞ!?」

 

「ホント、姫様って勇気あるよなぁ」

 

 体育館の一角。

 

 姫様の寝所だけは特別だと持ち込まれた天幕用の布で覆われた一室には彼らも初めてみるような洗練されたランタンが陰影を産んでいる。

 

 獣油を用いないものは稀少品のはずだが、奇妙な要塞の主達から提供された代物は多くが彼らが知るよりも上等なものばかりであった。

 

「こら!? リーオ!? 何勝手に入って来とるんじゃ!?」

 

「いいんですよ。爺……リーオには伝令役として走って貰っていますし」

 

 特別に誂えられた厚い敷布に何の獣の毛かも分からない毛布の上。

 

 椅子に座る主たる姫の言葉でザグナルがゴロゴロする少年に溜息を吐く。

 

「知らせを受けた時は心臓が止まるかと思いましたぞ。ですが、どのようにあの主を? 一度血肉を穿てば、三日三晩で死に絶える猛毒の針に覆われた彼奴をどんな手管で?」

 

「それが……シュー様が」

 

 続けて語られた言葉は老人を驚かせるものだった。

 

「雷の弓、ですか?」

 

「はい。ええ、見た事もない指で仕掛けを押すだけで雷を放つ代物でした。あの時、死を覚悟した私を抱き抱えてシュー様がソレで主を打ち倒してくれたんです。でなければ、とてもあの主にトドメを刺す事なんて……」

 

 僅かに俯いてルシアが呟く。

 

「面妖な……ですが、この要塞都市と言うべきでしょうか。コレがこんなところにある事自体がそうとも言える。この獣臭くない毛布一枚。この大国の議事堂にも劣らぬ巨大な建造物の数々。そして、数百人からなる我々を養う兵糧に水。一体、彼らは何者なのか」

 

「はは、んなの考えたって仕方ないってザグ爺。とにかくアバンステアの連中じゃないってんなら大歓迎さ。今は女子供しかいねーし。ロクに戦えもしねーのばっかだし」

 

「お前とてもう今は斥候をしているではないか。もしもとなれば、お前くらいの子達には刃を取って貰わねばならぬ」

 

「そうは言うけどさ。実際、どうにか出来るの?」

 

「それは……」

 

「そもそも、此処の人達だって変な服こそ着てるけど。あのシューとかいう人みたいなのばっかりだったら、絶対どうにもならないだろうし、乗っ取るのも無理じゃない?」

 

「そ、それは……しかし、侵攻軍の殆どは準備を整えれば、数日中にも此処まで登って来るはず。あちらは何処まで知っているのか……」

 

 前日、此処を乗っ取ってどうにかする事も考えねばと言っていた物騒な老人である。

 

「爺。シュー様達は協力的です。昨日のような考えはもう捨てて?」

 

「うむむ。それはええ……」

 

 主の言葉に老人が頷く。

 

「危険である旨は何とか伝えました。ですが、あちらの方々は我々を養う為に骨を折ってくれている様子。実際、水や食料や木材が無ければ、今後は厳しい。それを理解すればこそ、ああして忙しそうに働いてくれているんです」

 

「それはそうですが、何か手を打たねば……また二の舞になりかねません」

 

「でも、そもそもの話……幾らシュー様がお強いとはいえ、連隊規模のアバンステアの前には……馬だけで三千頭近く。騎兵も歩兵も弓兵もあちらには……」

 

「ついでに鎧も剣も鏃も鉄製だもんなぁ。どうしようもねーよ」

 

「ヴァーリの子が何と意気地の無い!?」

 

 あきらめムードのリーオに思わずザグナルが言うものの。

 

 それで倒せはしない事は彼が一番よく解っていた為、シュンと肩を落とす。

 

「後、5年。いや、10年若ければ、敵将の首くらいは狙えていたものを……老眼だけは如何ともし難い」

 

 クッと最後の戦いに赴けなかった事に歯噛みするお目付け役にルシアが手を掛ける。

 

「貴方がいなければ、此処まで来れませんでした。爺……だから、そう自分を責めないで?」

 

「姫様……うぅ、我が身の不徳……」

 

 思わず涙もろい老人に溜息を吐くリーオが肩を竦める。

 

「で、姫様。あの人達どうするつもりなんですか? このままじゃマズイって解ってるなら、何とか準備しないといけませんよね?」

 

「明日またシュー様に訊ねてみましょう。もうみんな疲れたでしょう。今日はゆっくりお休みなさいと働いていた子達に……」

 

「解りました。じゃ、これで」

 

 リーオが幕の覆いを潜って出て行った。

 

「姫様。それではこの爺もこれで失礼をば」

 

 続けて去ろうとする老人の背に声が掛けられる。

 

「爺。リーオの手前何も言いませんでしたが、シュー様達は戦うつもりのようです」

 

「どういう事でしょうか?」

 

 振り返った相手にルシアが死体の片付けをしていた時のやり取りを思い出しつつ語る。

 

「あの【小赤竜】と主の死体をあの馬も無く動く鋼の台車で持って行ったんです。何に使うんだと聞いたら、答えは剣や弓の絵になりました」

 

「まさか? あれだけの主達の遺骸を武具に鍛えるつもりだと?」

 

「解りません……ですが、どうやら明日には森で針の採取をするつもりだとの事です。その時にはまた何か手袋のようなものを渡すとの事で」

 

 その言葉を聞いた老人が何か大きく息を吐いた。

 

「まるで御伽噺だ……そう、獣と龍を打ち倒す蒼き瞳の剣士の故事。そういうものと我々は相対しているのかもしれませぬ」

 

 こうしていつの間にやら戦争に巻き込まれた彼らは意図せずして英雄の如き何かと被せられて見られ始める事になる。

 

 それがどのような結果となるものか。

 

 それは未だ誰にも解らなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 木材切ってたらまた化け物倒しちゃったよHAHAHA!!!

 

 と、大学の知り合い達に話す夢を見た異世界生活3日目。

 

 ドラゴン倒して、巨獣倒して、今日は危ない針というよりは槍染みた化け物の危険物処理。

 

 昨日用意されたかなり厚手のゴム手袋を用いた回収作業は身振り手振りでレクチャーし、慎重に慎重に進められた。

 

 ルシア側からも針は危険である旨が絵などで示されたからだ。

 

 時間の概念は朝昼晩の絵。

 

 危険な事は×などが用いられた。

 

 ルシアとのコミュニケーションは飛躍的に進んでいる。

 

 この短い間に書き留めた単語はもう100以上になっており、ある程度の翻訳も可能になって来ている。

 

 針と木材を回収して戻って来た昼時。

 

 彼女と別れて今や教授の根城になっている崩れた時計塔付近の建物の一角に戻る。

 

 すると、午前中までは無かったブルーシートらしきものがあちこちの建物の屋上に見えた。

 

 それらの傾斜先にはチューブらしきものがあり、何処かの配管に流れ込んでいる。

 

「ん? エーカか?」

 

「シューか? ご苦労さん」

 

 何やら本と図面らしきものを片手に配管付近で仕事をしていた姉が屋上で大工仕事をしていた。

 

 付近にいつもの妹の姿はない。

 

「何してるんだ? 避難所の方の仕事はいいのか?」

 

「そんなんとっくの昔に終わったで? 今は教授が探してきた学内の図面と配管からまだ使えそうなとこを閉めたり閉じたりして水溜める用のタンクに集めてる最中や」

 

「雨水使うのか?」

 

「濾過装置込みでフィルターを教授が作ってくれたさかい。案外簡単やで? 少なくとも山でサバイバルするよりはな。道具込みの時点で時間さえあれば大抵のものは作れるしな」

 

「ホント……見た目に反して逞しいよな。山登りにキャンプが趣味なだけある。DIYもお手の物か」

 

「結構無理してるんやで? 化け物の話もドラゴンに追われて無かったら信じられんかったやろうし」

 

「ご苦労様。教授は何処にいるか知ってるか?」

 

「確かあのドラゴンとハリネズミの解体しとるはずやで。自動車部のガレージ前でやっとるらしい」

 

「了解。あんまり無理するなよ」

 

「あはは、それこそ無理な相談やな。バケモン相手に頑張る男の子に言われちゃ百倍やらなきゃ女が廃るってもんや」

 

 手を振ってから自動車部の持っているガレージへと向かう。

 

 大学の裏手の方にある油臭い場所だが、今は人気も無く。

 

 薬品と死臭らしきものが漂っていた。

 

 まだ血生臭いと呼べるだけで済んでいるのは死体が新鮮だからだろう。

 

 車が数台は止まれそうな壁に囲まれた駐車スペース。

 

 裏手の角を曲がった其処に辿り着いた時。

 

 思わず声が出そうになった。

 

 医療用のマスクと防護服に身を包んだ白い男が1人。

 

一体のドラゴンの骨と血の染みを前にして削ぎ落した内蔵を透明な大型のポットらしきものに薬品と共に漬け込んでいた。

 

 その周囲には本来車の部品を置いておく為のものだろうキャスター付きの巨大なラックが数列。

 

 そこには何かの薬剤で磨かれたような鱗や牙、大量の針が並べられている。

 

「―――教授!! 残っていた現地の針を回収して来ました」

 

『生神宗学生。量は?」

 

「はい。ドラム缶数本分くらいだと思います。樹木に刺さったものもソレ毎回収してきました」

 

『よろしい。後で此処に搬送しておいてくれ』

 

 次々に滑るような軽さでメスを振るう教授が次々に目の前の切り分けた部位に数滴ずつ薬品を垂らして反応を見つつ、次々に薬液の入ったポットにドボドボ内蔵を入れて蓋を閉めていく。

 

 数十秒もせずに手際よく終えた後。

 

 何やら簡易のシャワー室のような場所に入って数秒。

 

 出て来てマスクを外してこちらへとやってくる。

 

「ふぅ。この歳になると肉体労働がキツイな」

 

「ご苦労様です。それで何か解りましたか?」

 

「ああ、こっちへ」

 

 中央のドラゴン=サンのお骨を遠回りしてラックの裏手に回る。

 

「今、遺伝情報は緊急時用のコンデンサから電源を取ってシーケンサーを使って解析中だが、化け物の生体はかなりアレだな」

 

「アレ?」

 

「物理法則に反しているという事だ」

 

「え~つまり、本来は飛べないくらい重いとか?」

 

「そういう事だ。何らかの外部要因を操作して飛んでいるのが解っただけだ。ちなみにそっちのハリネズミ君もだが、身体が大き過ぎる。消費カロリーがどうやってもこの環境では恐らく補えない。何らかの莫大なエネルギー摂取方法が存在する」

 

「なるほど。何か有用に使えそうですか? 武器とか防具とか施設とか」

 

「ああ、それは収穫が大きかった。この鱗を見てくれ」

 

 ラックから大きなドラゴンの鱗を取って車体整備用の大きな台車の上に持って来ると大きなハンマーがおもむろに打ち下ろされる。

 

 だが、予想に反して音がしなかった。

 

「柔らかい?」

 

「いや、鱗は鉄よりは固いがタングステンよりは柔らかいくらいの素材だ。だが、鉄と比べても10分の1の軽さで恐らくは表面の被膜構造や分子構造そのものが衝撃を吸収する特殊な代物だ。テイザーで心筋を止めていなければ、トドメは不可能だっただろうな」

 

「はは……刃や銃の類なら攻撃は無意味だったって事ですか?」

 

「そういう事だ。真皮層までは全て何とか剥いだが脂肪は殆ど無く筋肉は硬過ぎてチェーンソウで切断した。骨格強度はチタン合金並みで関節を外すのがせいぜいだったよ」

 

「全身兵器ですねソレ」

 

「どうやら骨もカルシウム以外に金属元素や炭素が多量に含まれているようだ。まるで汚染というよりは重金属を内蔵から骨や外殻に移動、蓄積させて利用しているようでもある」

 

「それって金属とかは毒にならない生物って事ですか?」

 

「ああ、水銀汚染されるどころか。水銀を食ったら、毒の骨や鱗や爪が出来上がりそうだ」

 

「一体、どんな生物ですか……」

 

「生物兵器か。あるいは独自の進化が必要な環境が起原なのか。どちらにしても一般的な生物学では説明の付かない逸脱のある情報を持つ生物だ」

 

 思わず呆れる。

 

「で、何か具体的な用途は?」

 

「あるとも。病原菌や病原体になる可能性もある為、血液は薬品で完全に凝固させて密閉封印。内蔵は使い道が解るまで雑菌の繁殖出来ない薬液で保存。鱗や革、骨は軟骨を溶かして解体」

 

聞いているだけでお腹一杯になってくる。

 

「一端オゾンで消毒してから外部からの影響で痛まないように酸化鉄で被膜処理しているところだ。丈夫な何にがしかの材料に、という具合だな」

 

「それでヴァーリの敵であるアバンステアが来るまでに何か有効そうな防衛設備作れます?」

 

「人出も理解も足りない。現状況では時間も足りないな。槍や剣くらいにならなりそうだが、いるかね?」

 

「い、いいえ……そういうのはちょっと……」

 

 そんなものが使えるなら苦労はしないし、人間を殺す為に刃を振るうという類の覚悟は持ち合わせが無いし、そもそも銃くらいの射程距離が長い武器でなければ、まともに使う事も無理だろう。

 

「まぁ、護身用に試作はどの道する。ちなみにあのお姫様から忠告のあった針に付いてだが何の毒かと検査してみた。が、毒物は検出されなかったぞ」

 

「え?」

 

「だが、針の構造を調べて見たら、針の先端がミクロ単位の針だらけでそれも脆い。恐らく折れたソレが血流に回ると血管や細胞のあちこちを傷付けて回るのではないかと推測される」

 

「それって……」

 

「肉体内部の細胞単位から裂傷を受けてグズグズに細胞を壊されて死ぬんじゃないか? 要は過剰な放射能に被爆したような状態になると推察される」

 

「……嫌な死に方ですね」

 

 刺されなくして心底良かったと安堵する。

 

「針の加工だけなら数日で完了する。何かしらの罠にするか。それとも適当にバラ撒くものにするか。それが嫌なら使わないという手もある」

 

「……学内の使える資材で数千人単位の部隊を撤退させられる仕掛けは作れませんよね……この針で相手の悲惨な死体を増やす武器でも造って貰うのがいいのかもしれませんが。それはさすがに……」

 

 思わず言い淀む。

 

「いや、此処の資材だけでも仕掛けだけなら作れるぞ?」

 

「へ?」

 

「君は何か勘違いをしているようだが、我が新祈は国際的に見ても公的に重要な施設を幾つも抱えている重要拠点だ。国内5例目の特殊研究設備などもある」

 

「特殊研究設備?」

 

「門外漢だが、数日も時間があれば、相手を撤退させる事くらいは出来るだろう。そもそもの話として此処が異世界であるならば、外的要因が致命傷になるのはお互い様だ」

 

「致命傷?」

 

「つまり、此処の一般的な風土病も我々には不治の病かもしれないが、それはあちらも同じという事だ」

 

「それって……」

 

「彼らは我々より知性的で科学的な知識の下に動けるような相手なのかね?」

 

「ま、まぁ、科学的な知識は左程無さそうですけど」

 

「ならば、人類史において最も人を殺したのは銃でもなければ、地雷でもないという事を君はまず知るべきだな」

 

 教授は事も無げに言って見せる。

 

「人の命など正しき知識を身に着けていなければ、科学の前では風前の灯である。という事を人類は人類絶滅を為す技術の精粋でもう経験済みなのだよ。生憎とな」

 

 その笑みに、虚空のような瞳に何も言えなくなる。

 

 どうやら異世界転生ラノベにあるまじき番組倫理審査系組織も真っ青な地獄がこの異世界には顕現する可能性があるらしかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 その夜、自転車部の用いていた自慢のマウンテンバイクを借り受け、音を出さない自動車部の違法改造EV車スポーツタイプに乗りつつ、麓まで偵察という名の地獄の釜を開ける作業に従事する事となった。

 

 一応、数時間で急造されたドラゴン=サンのお骨製の柄と鱗を工業用接着剤で張り付けた装飾と指先の鍵爪を剥いでチェーンソウみたいに互い違いに付けた禍々しい芸術的な図工作品を持って、である。

 

 一体、何処の伝説の呪われた武器だよ(RPGやり込み組並み感)。

 

 という感想を持ったこちらとは違って。

 

 薬品のせいで黒紫色。

 

 光沢出す為に適当にプラモ部のメッキ加工用の諸々を調達した教授は本当にプラモ感覚でウットリこのヤバイのを仕上げていた。

 

(マジで呪われてそうなのが何とも……)

 

 しかし、こちらは知っている。

 

 見慣れない金属塗布用らしきフッ素樹脂スプレーだの耐熱スプレーだの掛けてルンルン気分で武器を組んだ狂人が本当に使えるものとしてソレを造り込んでいる事を。

 

 そもそも骨や刃となる爪に金具を埋め込む際、金属の接合に使う方法、某グリセリンのアレを塗って爆発させ、爆圧で圧着させていたのだ。

 

 ガレージ内に響く位の音だった為、外には聞こえていなかったが、その合間のワカメ(尊称)は物理学や薬学をやってる教授というよりは完全にあっち系のマッドに見えた。

 

「シュ、シュー?」

 

 考え込んでいた為、気が回らなかった。

 

 横の助手席にはルシアがオズオズとシートベルトを締めて不安そうな顔でこちらを見ている。

 

「大丈夫大丈夫」

 

 そう安心させるように嗤った後、現在可能な走行距離を確認。

 

 出来る限り静かに近付いて、もしもとなれば、荷台に付けたマウンテンバイクで走行。

 

 マガツ教授が医学部の研究施設の方から持って来たアンプルを相手の生活区域。

 

 出来れば、食事をする場所やトイレに投げ込むだけの簡単なお仕事である。

 

 何を投げ込むのかは聞いていない。

 

 が、少なくとも軍は穏便に瓦解させられるかもしれない、との事。

 

 しかし、後部座席には姫様の付き人らしいザグナル。

 

 更に連絡役らしい少年リーオが載せられていた。

 

 鎧は外させた為、今は普通のおじーちゃんというには少し眼光が鋭い老人にしか見えない。

 

 姫様は絶対鎧外すの禁止!!

 

 と、言って聞かなかったらしく。

 

 少しルシアは窮屈そうだ。

 

 ガレージにあった襤褸布を巻かれた剣を荷台にマウンテンバイクと一緒に括り付け終わったのが数分前。

 

 相手の真夜中に到達するよるよう計画は鈍行となっていたが、道無き道を行くのは現代日本の最新鋭の商材である。

 

 もしもとなれば、爆走する嵌めになるだろう。

 

 オフロードカーではないが、すぐに壊れないと信じて走らせるしかない。

 

「宗。ちゃんと朝飯前には帰って来るんだぞ?」

 

「心配してくれるのか?」

 

「ば、ばっか!? お前がいないと料理出来る奴いないんだぞ!?」

 

「まぁ、菓子パンも喰い切ったし、アイスも無くなったしな。帰って来たら缶詰とか調理してやるから、そう怒るなって」

 

 外にはエーカ、セーカ、オサナナジミの三人が勢揃い。

 

 これから学園外周まで見送りにも来ていない教授の狂気の研究室ガチになっているガレージへお手伝いに向かうとの事でご愁傷様なのだが、それは言わぬが仏であろう。

 

「シュー……お姫様にやらしー事したら……もぐで?」

 

 笑顔のエーカが物騒この上無かった。

 

「ニッコリしながら何言ってるんだ。この関西弁は……この状況でそんな事するわけないだろ。いい加減にしろ下さい」

 

「おねーちゃん。男は皆オオカミなんだよ。そんなに近付いたら妊娠しちゃう」

 

「オレは何なんだよ!?」

 

「セイジュー?」

 

 何を言っているんだお前はという顔を妹にされた時点で溜息しか出なかった。

 

「じゃ、もしもの時は打ち上げ花火を上げるという事で。夜中起きてろよ」

 

「りょーかい♪ 捕まったらウチがカッコよく助け出したるからな♪」

 

「静かにひっそりやってくれ。じゃ」

 

 窓を閉めて、未だおっかなびっくりなギミック満載、最先端な現代の二本車に乗り、不思議な馬車だなぁという顔の三人を連れてエンジンをスタート。

 

 ガレージあった鍵であるリモコンをポケットに突っ込んだままにゆっくりと下り坂へと突入していく。

 

 一応、車両が通れる道幅を考えて誘導してくれというのは何とかルシアに理解して貰った為、ルシアの誘導頼みであった。

 

(さて、地獄に落ちるのはオレなのか。蛮行しまくりなアバンステアとやらなのか……)

 

 それは真夜中までには決まるだろう。

 

 席の下に置いた鈍い色のボックスの中身だけがそれを知るに違いなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

―――総歴:蒼の時代3430年春の月。

 

 新興の大帝国アバンステアの雄姿は建国以来30年の月日によって周辺国には轟いていた。

 

 西方に位置する大国【バルトテル】との国境侵犯を主にする戦争に圧倒的大差を付けて勝利し、東方の小国の連合、俗に東方諸国と呼ばれる地域との不可侵条約と巨大な交易通路を開通。

 

 国内の河川を用いて貧しい北方の中小国に武器を売り付け、内戦を後押しして一儲け。

 

 そして、南東部地域に跨る大山脈での鉄鋼業による巨大権益。

 

 正しく順風満帆を地で行く帝国最良の時代とすら言われる我が世の春である。

 

『ふぅ。これで劣等共の死体は大半運び終えたな』

 

『おーい。薪《まき》持って来てくれぇ!!』

 

『金目のものは剥いでおけよぉ』

 

『うぃーっす』

 

 故にその影は暗く濃く。

 

 周辺の小国や小邦と呼ばれるような殆ど空白地域と大国間に見られる場所にも他国の目が有ってすら食指を伸ばした事はまったく傲慢ではあったが、許される雰囲気であった。

 

 その策源地として吸収された地域の民族の奴隷化と奴隷貿易。

 

 文化的な搾取による乗っ取り。

 

 それを為す為に奴隷に成りたくなければ、産品を献上せよという過剰な税とノルマ。

 

 国内に取り込んだ者達の不満は奴隷貿易で海外に輸出する関係上、反乱の心配も殆ど無いという構造。

 

 このような事実が相まってブラスタの血族と呼ばれる者達の大半は大増上慢の上に傲慢を重ね塗る油絵の如くボッテリと肥え太り、正義の名の搾取によって栄華を誇る。

 

『いやぁ、それにしても手間ぁ掛けさせてくれやがって、この劣等共がよぉ』

 

『でも、本隊と女子供は逃がしちまったって話だぜ?』

 

『お愉しみも無しかよぉ』

 

『あのチョビ髭が見付けたら早い者勝ちで所有物にしていいって言ってたぜ?』

 

『おっしゃ!! ウチに帰れたら娘に奴隷やるって言ってたんだ。儲けたぜ!!』

 

『バッカ。気ぃ付けろよぉ? 女奴隷なんぞ持ってったらカミさんや娘から白い目で見られるぜ?』

 

『がははは、違いねぇ。まぁ、国に帰る前に愉しんどくさ♪』

 

 国外への侵略体制は軍部が仕切り、国内は軍部の暴虐など殆ど見る事もなく。

 

 綺麗な倫理の上に胡坐を掻いていられる、という事実も文化的には他国との付き合いで高尚である面を補強する一端となっており、侵略国家にあるまじき()()()()というのが【ブラスタ貴族制】と呼ばれる政治体制を見る時の他国からの評価であった。

 

「これはどういう事ですか!! グラナン卿!!?」

 

 歳若いまだ10代後半くらいだろう痩身痩躯の青年が静かな怒気を内に抑え込むようにして、目の前の相手を睨んでいた。

 

 白い軍服。

 

 貴族用の御用達だろう衣服は華美な装飾こそ施されていないが、青年のスラリとした立ち姿を強調するように金の蛇が細かく彫金された金具と金糸で出来た翼の刺繍が人目を引く。

 

「何、と言われましてもねぇ……」

 

 それに相対するのは運び込ませた黒檀のデスクの上で脚を組んだ中背のチョビ髭にマッシュルームカットの中年の男であった。

 

 青年が細身の美少年もしくは美丈夫と言える容姿に何処か野性味を帯びた豹の如き鋭い肉食獣の目付きの相手だとすれば、男は貧相な肉体に華美な勲章を大量にぶら下げた外套を纏う管理職と言った風情だ。

 

 その瞳は青年ではなく自分の爪を削る爪ヤスリに向いている。

 

「この地域一帯の小国は文化的な価値も高く。このような侵略者の行いをする事は本国から禁じられていたはずです!!」

 

 その侵略者の行いという声にピクリと白髪の混じった男が目付きを鋭くして、手品染みて何処からか葉巻を取り出し、先端をカット……咥えると火も付けずに視線を向ける。

 

「これは【大本営】からの指示ですよぉ? ヴァンドゥラーの御坊ちゃん」

 

「ッ、家名の事は関係ありません。一軍人としてこのような蛮行は見過ごせないと言っています!! 何故、話し合いが持たれているはずの地域にあれだけの兵を!? 外の死体は言い訳出来ませんよ!?」

 

「話し合ぃ? あははは♪ どうやらまた広報は耳障りの良い事を……」

 

 何処かシニカルに男が嗤い。

 

 手際の良い騙り屋共の仕事に苦笑した後。

 

 わざとらしくシナを作って見せる。

 

「御坊ちゃん。何か勘違いしているようですが、その本国で貴方が見た情報には具体的な事は書かれてあったんですかぁ?」

 

「話し合いで解決する事が可能であると書かれていましたよ!!」

 

「なら、問題無いじゃないですかぁ!? だって、話し合いは決裂しましたから♪」

 

 楽しそうに男は言う。

 

「な!? 地域の平定に出てまだ4ヶ月ですよ!?」

 

「外交的な努力は払われている。それが軍部の立場なんですよぉ? こんなの査定に響くから1月で〆たいところを……4か月。野蛮だからと軍に席を置かない方々は何とも悠長でいらっしゃる……」

 

「軍部はこれを黙認しているというんですか!?」

 

「ええ、黙認ではありません。()()・してぇ・いるんですよぉ」

 

「な―――」

 

 ニタリと嗤う男のあまりの言葉に青年が声を失う。

 

「御坊ちゃん。陛下の遠縁とはいえねぇ。軍部は普通の貴族社会とはまた違っている事を貴方は知るべきですねぇ……それともこんな山脈の外れに住む劣等の蛮族が生息する地に何か思い入れでも?」

 

「―――報告書を。提出して頂きたい。今すぐにだ……」

 

 もはや豹どころか。

 

 獅子の風格を宿した青年の怒気の籠った視線にも暖簾に腕押しで肩を竦めるだけの男がデスクから取り出した資料を手渡す。

 

「自分はこれで。仕事がありますので……」

 

「それは良い心掛けですよぉ。御坊ちゃん。劣等の糞尿に塗れた大地を存分に駆け回り、何故に劣等が劣等であるのかをその目で見るといいですよぉ。社会見学の学生さん一名ご案内ぁい♪」

 

 バタンと少し強めに扉が閉められる。

 

 青年を見送った男はクルリと椅子を回して後ろの窓際から夕景を見やる。

 

 そこには瓦礫と消し炭になった家々が軒を連ね。

 

 そして、縛り首にされた敵兵達の死体が野焼きされた煙が煌々と火の粉を天へと運んでいた。

 

 だが、聊か男の視線が細くなるのはその死体の数が割と少ないという事実からであった。

 

「さぁて、どうなるでしょうかねぇ?」

 

 煙りはまだ燻《くゆ》らない。

 

 それは勝利の美酒程雄弁に白黒が付いた時にこそ美味いものだと男は知っていたからだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「一体、一体何なんだ!? あの司令官は!? 本当に軍部はこんな事を正当化しているのか!? 本国での話とはまるで真逆じゃないか!! 自分は、僕は、オレは……こんな、くッ……」

 

 何処か顔を失望とも苦悩とも燃える死体への憐憫あるいは悔恨とも付かぬ様子で歪めて。

 

 彼は書類を握り潰した。

 

 ブラスタの血族の大統合。

 

 これによって生まれた貴族制度において皇帝とは血脈の宝石に等しい。

 

 【始祖の直系】と呼ばれる者達は皆が皆貴族でも高位として登録される。

 

 その証は蒼い瞳だとされ、彼らは須らく【帝都エレム】の貴族街と呼ばれる宮殿に近い中央区画に邸宅を構える大貴族だ。

 

 少なからず、その末席に名を連ねていれば、それはアバンステアの殆どの公的な面において融通が利く本当の特権階級という事に他ならない。

 

「ヴァンドゥラー本家に報告して手を……いや、ダメだ。そんな事をしたら、姉さんやあの子達に迷惑が掛かる。でも……こんな状況じゃ……ルシャ……君は無事なのか……」

 

 唇を噛んで焼け墜ちた家々の消し炭の最中を歩く青年は嘗て賑わっていたヴァーリの地の幻影を見た。

 

 本家に招待される事も稀な分家の末席。

 

 だが、本家に姉が嫁いだ事で本家に呼び戻された家族。

 

 両親も早くに他界した彼はその本家に向かう日まで帝都から離れた辺境の地で妹の静養で来ていた。

 

 そのまま貴族である事を忘れたように過ごしていたのはもう十年近く前。

 

 しかし、そこには帝都にない本当の人情味というものがあった。

 

『ふふ、ウィシャスったら。泣き虫なんだから。妹さんに笑われてしまいますよ?』

 

 帝都の貴族の末を受け入れたヴァーリの邦主はその娘と共に彼らを持て成してくれた。

 

 ルシャ・ヴァーリ・クフィエル。

 

 ヴァーリの主の娘。

 

 分家の娘を養子に貰ったのだという話を聞いてもさもありなんというのは幼いながらにも解った。

 

 彼が感じる程に彼女は聡明だったのだ。

 

 泣き虫な彼に笑顔と何事にも物怖じしない勇気をくれたのは間違いなく彼女だった。

 

 ウィシャス・ヴァンドゥラー・アカシム。

 

 同じく本家に養子のように取られた彼は分家の名を残しながらも何とか帝都で自らの居場所を手に入れようと勉学に励んだ。

 

 それは最も文武両道として最栄たる帝都軍学校【勝利の学び舎】の序列3位へ食い込む程に。

 

「……探さないと。彼女さえいれば、まだこの邦は……」

 

 その先を彼は言わなかった。

 

 燃えるような紅蓮の瞳。

 

 白い肌をした青年は最も惜しいと言われた最高ではない二番目の瞳。

 

 赤い眼光で夕暮れ時の嘗ての故郷に唇を噛みながらも決断したのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ちょ―――」

 

 思わずハンドルを切った時、セダンの車体はギリギリで樹木に激突せず。

 

 僅かにスリップして林付近の沢の手前で止まった。

 

 元々人が歩いていた場所が道として有った程度。

 

 車両が通れる程の道は高原に大型の馬車で乗り付けて狩猟する時や森林地帯でしか取れない薬草や樹木の採取の時だけだったらしい。

 

 その道を覚えていたルシアの誘導で何とか道無き道を通って来たのだが、夕闇が落ちそうな時に人影が一瞬前を横切って慌てるしかなかった。

 

 すぐに慌てて外に出ようとした時、バンッと窓に人の顔が張り付く。

 

「此処で見つかった!?」

 

 思わずバックしようとした時、ルシアがこちらの運転を手で制止した。

 

 そして、すぐに横の扉を開けて欲しいと指差したので大丈夫かと思いながらもシートベルトを外してドアを開ける。

 

『ルシャ様ぁあああああああああああ!!?』

 

 大声と共にドっと数人の男達がルシャの膝に縋り付く。

 

 オイオイと涙目で何やら捲し立てていた。

 

 恐らくは良かったぁああという類の事を叫んでいるのだろう。

 

『モレン!! ルージ!! クレー!! それに他の方々も!! お父様の親衛隊がどうして此処に!? お父様はまさかまだ生きていらっしゃるのですか!?』

 

 縦長と太っちょとチビのおっさんが煤けた顔と切り傷のある山賊みたいな風体で背後に数人を控えさせ、何やら猛烈な速度でルシアと会話し始める。

 

『はい!! この牙のモレン!! 何とか御父上を護り抜いたのは良いのですが、ルシャ姫様の跡を追えと仰せ付かりまして!? 良かった!! 本当に良かった!! ご無事で!!』

 

『姫様!! この盾のルージ!! お父上様を、邦主様を確かに御守り致しました!! ですが、殆どの同僚は若手を守らんと討ち死に!! 若者達は御父上様の策により、今は山脈の反対側から大幅に迂回する道で高原に向かっております!!』

 

『主幹のクレーです!! お父上様からもしもの時の資金源として隠し鉱山の位置と隠れ里の話を持って参りました!! どうかお耳を!!』

 

 ゴチャゴチャしてさすがに複雑な会話は聞き取れない。

 

 何やらザグナルが相槌を打っているので話は進んでいるようだ。

 

『して、邦主様は!! お館様は何処に!!』

 

『ザグナル殿。それが……お館様は残った僅かな中年の手勢と共に敵司令官であるあの卑怯者のチョビ髭グラナンだけは討ち取ると!! 現地で夜襲の準備をしておいでです!!』

 

『な、な、何じゃとぉおおおお!!?』

 

 何やら驚くような事があったらしい。

 

『何故、逃げんのじゃぁ!? 確かに憎っくきあのチョビ髭は倒さねばならぬが、今は態勢を立て直さねばならぬ時ではないか!? 何故、お館様はそのような無謀な行動に!?』

 

『それが……あのグラナンが戦の最中に駐屯兵団の事をベラベラと……到着は凡そ半年後。ですが、相手が弛緩している今しかグラナンを討ち取る機会は無いだろうと!!』

 

『ど、どういう事じゃ?!』

 

『あやつめが半年後までいれば、此処を更に統治する事になるとの話だったのです!!』

 

『グラナンさえ討ち取れば、まだ帝国の本国へ訴え出られる可能性があると申しておりました。そうなれば、属国になろうと民の奴隷化だけは回避出来るのではないかと……』

 

『な、何という事じゃ……ひ、姫様、如何しますか!? このままではお館様が……』

 

 何やら視線がルシアに集まっていた。

 

『我々の……我々の目的は偵察です……シュー様と共に敵地の陣容を確認した後は再び戻ります』

 

『な、何を!? お、お館様は今にも敵地に飛び込んでしまわれるのですぞ!?』

 

 何やらザグナルがルシアの言葉に慌てていた。

 

『ザグ爺。耄碌すんなよ。今、飛び出て行ったって何も出来ずに死んじまうって……姫様だって助けに行きたいに決まってるだろ。でも、まだあそこに何百人も待ってる奴らがいるんだぜ?』

 

 リーオが車両の背後。

 

 高原の暗くて見えなくなった大学の方を見やる。

 

『では、では、このままお館様を見捨てねばならんというのか。ヴァーリの兵として、ワシは……ワシは……ッ』

 

 何やら深刻な話らしい。

 

 取り敢えず持って来ていた絵で会話する用のノートを取り出し、車両内の明かりを付けてペンと共に渡した。

 

 それから数分後。

 

「なるほど? ルシアの父親が悪い侵略軍の親玉に特攻しそうって事か……」

 

 困った話だが、戦力差が明白な場合、悪くはない手だろう。

 

 それが実現可能かどうかは置いておくにして。

 

 指揮官1人を失う事で前近代よりも前の軍隊が案山子になるのは十分にあり得る。

 

 それこそ時間稼ぎになる可能性は大いに高い。

 

「まぁ、助けに行けばいい。状況が違うからな」

 

 こちらの言葉は左程まだ分かって貰えていない為、また絵で助けに行くという事を伝える。

 

 それにブルブルと首を横に振ったルシアに大丈夫大丈夫と宥めに掛かる。

 

 一応、逃げ切るだけなら、可能だろうというくらいの装備は教授から持たせて貰ったのだ。

 

 馬がいるとか。

 

 馬車があるとか。

 

 どれくらいの規模の相手から最悪逃げなければならないかを念頭にしてザグナルやリーオの足元には大きいボックスが積まれている。

 

 屋根のバイクや剣はおまけや最後の手段というヤツであって、後部のトランクにはヤバイモノもギッシリである。

 

「失敗したらごめんな。でも、やれるだけはやらせてもらう」

 

 所詮、他人事。

 

 しかし、この異世界においてその他人こそが生き残る術である以上、人的な損耗やらは最小限度に留めなければ、何事も立ち行かないだろう。

 

 数人で学内を使い切れない以上、やるべき事は人材の確保なのだ。

 

 腹を括って人を切り捨てないと決めたならば、後は野と成れ山と成れ。

 

 本気になれば、人間は木の根っこだって食べられる。

 

 大抵の動物よりも毒物耐性だって高いのだ。

 

 数人や数十人増えたところでタイムリミットが数日減る程度だろう。

 

「じーちゃんも言ってたしな。涙目の美少女は取り敢えず助けとけって」

 

 何やら雰囲気は伝わったのか。

 

 涙目で少女の頭は深く下げられたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 ヴァーリの集落の数km手前の雑木林。

 

 まだ傾斜がある馬車用の未舗装ながらも広い場所からは野営しているらしき駐留者達の起こす火が無数に見えた。

 

 一つのテントに数人としても数百は下らない数が街の中央付近に陣取っているらしい。

 

 馬でこちらに追随してきた数名の領主の部下達に何やらザグナルとルシアがあれこれ説明している様子だが、まだ不審がられている。

 

 そりゃそうだろう。

 

 馬の引かない馬車。

 

 いや、この世界にも戦車があれば、そういうのの一種を持った自分は妖しい人間だ。

 

 窓の外には積んで来たシートを張って光を遮り、周辺の詳しい地図や道を出来る限り詳しく描いて貰っていた。

 

「ええと……街の中央北側は後方が山脈から流れて来る河が通ってて、西と東に別れて中央が大通り。オレ達がいる馬車用の道が南の街道から入るところで高原は西側に立地……」

 

 確認する限り、敵地に陣取っている軍はルシアの本宅を根城にしているようだ。

 

 数部隊が街の外に配置されており、敵襲に備えている。

 

 即応待機している部隊が歩哨以外に100人弱。

 

 真面目な軍隊の練度は高い、らしい。

 

 しかし、此処まで状況が解っても最大の懸案はまったく解決していない。

 

 ルシアの父親がどのように敵地を攻めに行くのかが分からないのだ。

 

 どうやら部隊を分けた事でもしも追手に捕まった場合、情報が漏れないようにとの配慮らしかったが、何処かにいる父親の部隊の襲撃時に相手を無事に回収するという無理難題になる。

 

 敵軍の手前、合図のような事もする事が出来ない。

 

 となれば、出来る事は限られていた。

 

「陽動するか。出来れば、こっちが早く仕掛けるべきだな。そうすればあっちも動き出すだろうし、車両の速度で合流自体は可能。後は追手の馬を行動不能にしてお終いってのが現実的か」

 

 何とか父親が仕掛ける前にこちらで陽動して父親を見付けてから合流しようとの案を伝える。

 

『姫様。この男は何と?』

 

『恐らく。こちらで陽動を仕掛け、お父様達の援護と同時にお父様達へ合流。そのまま逃げる算段のようです』

 

『可能なのですか? いえ、この妖しい馬車。いえ、戦車は確かに動きますが……』

 

『詳細な地図が欲しいのはこの馬車がしっかりと動ける立地かどうかを確認しているんです。そうでなければ、この大きな箱は身動きが取れなくなってしまうから……』

 

『姫様。我々はどのように?』

 

 外の男達の1人。

 

 背丈の低い奴が何やら訊ね、ルシアがこちらの方はどうしようかという意志を伝えて来る。

 

「……まぁ、これくらいが妥当か」

 

 急いで絵を描いて次々にルシアに渡す。

 

 と、同時にボックスに積んであった攪乱用のブツを相手に渡していく。

 

『これに火を付けて相手を誘導して欲しいみたいです』

 

『これは一体、何なのでしょうか? 火種となる石は一応持ち合わせていますが』

 

『ええと……火の花が咲く、らしいです。これを持って走り回って相手が釣られたら逃げて欲しいと』

 

『面妖な。そのような事が本当に?』

 

『相手に向けて使うもの、だそうです。でも、弓矢が出てきたらすぐに捨てていいと』

 

 ルシアに外の男達が頷く。

 

 一応、こちらの作戦の為に動いてくれるようでホッと一安心。

 

 こちらは陽動された野外の部隊の間隙を抜けて本隊を強襲。

 

 混乱に叩き込んだ後に敵司令官がいるだろう本宅まで一直線だ。

 

 それでルシアの父親が出て来れば、ルシアに説得させて撤退。

 

 それまで時間があれば、ルシア宅を燃やす事になるだろう事は伝えておく。

 

 それに大きく頷いた彼女は覚悟を決めたようだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 ウィシャス。

 

 親しい友人にはウィスと愛称で親しまれる彼は今、小さな邦の焼け果てた様子を夕暮れ時の空の下で目に焼き付け、帝都から輸送して来た軍用の白馬を街の外の部隊も駐留する一角で離して1人野営していた。

 

 高位の貴族の中でも軍務を忌避する者は多く。

 

 実技という点では優秀な帝都の軍学校でも野外演習の点数は惨憺たるものという生徒は多い。

 

 そのせいで大半は宿を取りながら指導官すら外での野営は遠慮するという者が多い。

 

 それでも最高位の得点を出す為に野外演習を真面目に取り組む者もいる。

 

 そんな1人である彼は恐らく同級生の中で最も普通の野外活動が出来る人材だ。

 

 焚火の為に枯れ木を集めて薪にし、火打石で火を付け、帝国製の野外装備であるポットに水を入れて火に掛け、夜陰の風を外套で凌ぎ、番をする。

 

 その様子は屋外の遠目の一般兵達から見ても隙が無く。

 

『物好きな貴族の士官様もいたもんだ』と肩を竦められていた。

 

(さすがに僕へ話し掛けて来るモノ好きはいないか……当然だ……だが、ルシャ君は違った……)

 

 彼の手にはあの司令官から奪い取って来た報告書が数枚握られていた。

 

―――邦主レン・ヴァーリは逃走。

 

―――唯一の親族であるルシャ・ヴァーリは行方不明。

 

―――攻撃前に何処かに逃がされた可能性在り。

 

―――然る後、捜索隊を編成し各地に派遣。

 

 ―――最も可能性が高いのは西部の大山岳に続く高原地帯と思われる。

 

(君は物怖じせず。男勝りでもないのに剣の腕は僕より上だった。あの頃は君の御父上レン様に泣きごとを零していたっけな。ルシャって本当は男なんじゃないかって涙目で……よく怒られなかったものだ)

 

 旧き良き日はあっと言う間に過ぎて、彼は今になって思うのだ。

 

 人生最良の日とはああいう日々に違いなく。

 

 だからこそ、彼の祖国がこんな地獄にしてしまった小邦を放っておく事は出来ない。

 

(必ず。君を奴らより先に見つけ出す。恐らく、今の僕の地位なら此処の領地経営くらいは任せて貰えるはず。もう平定軍への転属希望も出した。師団長である彼にも嘆願書と共に任せて貰えないかとの旨は上申した。後は……君と逃げた人々を何とかして……)

 

 そうウィスが思考に耽っていた時。

 

 ヒュゥウウウウウウ、パン。

 

 そんな音がした。

 

「何だ?」

 

 続けて同じ音が連続して三度。

 

 それと同時に幾つかの幕屋の付近で声が上がった。

 

『火事だぁあああああ!!! ヴァーリの連中が火を仕掛けて来たぞおおお!!』

 

「何? この状況で夜襲……いや、あの聡明なレン様がこんな外縁で無暗に攻撃を仕掛けるとは思えない……」

 

『馬を出せぇえええ!! 連中は南の平原に逃げたぞ!! 火の明かりを追えええええ!!!』

 

(わざわざ火を付けたまま逃げる? これはやはり陽動!! 何処だ? レン様は何処から仕掛けて来る?)

 

 彼が火に掛けたポットからお湯を火元に掛けて消化し、片目を瞑って馬へと跨った。

 

 次々に兵達が馬でヴァーリの兵を追っていく。

 

 街から外に配置された部隊は迅速に情報を伝える為、全員が騎馬で構成された軽装の竜騎兵だ。

 

 この闇夜では弓も当たらないだろうが、相手を索敵するには十分な威力を発揮する。

 

 馬が全て出払って数秒後。

 

 周囲を静かに見回していたウィスが片目を開けて夜闇に何かを見出せないかと目を細めた時だった。

 

 今まで聞いた事の無い音が響く。

 

 ウィイイイイイイイイイイイという音と共に何かが石を擦り削るような……馬車の音ともまるで違う音が兵達の野営地を通り過ぎていく。

 

「何だ?!! 今、何かが通り過ぎた!? 馬の蹄の音は聞こえないのにあの速さは一体!? ハイヤァ!!」

 

 彼が馬に声を掛けて、その音を追う。

 

 だが、闇夜の最中、彼の声を聴いて追随する兵はいなかった。

 

 遠目に謎の物体の背中を捉えた彼は戦慄する。

 

 馬よりも早い速度で闇夜の平地を駆け抜けるのは馬車にしては車高が低く、戦車にしては大き過ぎるシルエットだった。

 

 必死に馬を走らせる彼が遠目にその得体の知れないモノが向かう先を見て目を見開く。

 

「本隊の野営地だと!? 何のつもりだ。自殺しに来たとでも―――」

 

 止める間も無かった。

 

 彼の目にはその車体の後ろから何かが投げられた事が見て取れた。

 

 とても小さいものだ。

 

 そう、小瓶位の大きさだろうか。

 

 その刹那。

 

 カッと閃光が夜空に奔った。

 

「な?!!」

 

 驚いた馬を何とか止めた彼の行く手は大混乱に陥っていた。

 

 兵達が一斉に出られるようにと広く道を取られた野営地のあちこちで爆発が連鎖する。

 

 驚いた馬達が次々に荒れ狂い逃げ出していく。

 

 また、そのナニカが向かう先にあるモノに彼が気付いてマズイと思った次の刹那。

 

 一際大きな炎の柱が上がった。

 

「やられた!? 兵糧を根こそぎ!!?」

 

 馬は未だ興奮状態。

 

 次々に脱走し、倒れた馬に圧し潰されたり、馬に蹴られた者達が絶叫が響く中。

 

 もはや彼が追い掛けようにも周囲の混乱は目に見えて収集が付かず。

 

 その場を迂回して追い掛ける以外の道は無かった。

 

「く……あの速度ならすぐにでも本宅まで!? レン様。一体、貴方は何を……迂回路は確かこっちのはず。ハァッ!!」

 

 ウィスは大幅に現地への到着が遅れる事になる事を承知で別の道へと走らせ始めたのだった。


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