ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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ごパン戦争の番外編としてプロットを書いていた代物なのですが、新しく出したらPVがほぼ0だったのでこちらに移す事にしました。立ち位置としては正当なる番外編。もしくは同世界観を共有する物語。[終わらない物語の一つ]として、しばらく投稿するかと思います。

ハッピーエンドのその先へ。そして、終わりなき少年が此処にもまた1人……。

プロローグの後、悪役令嬢ものとなります。

では、ごパン戦争の長い長いエンドロールの幕間を覗いてみて下さい。
                                作者より


悪の帝国令嬢無双EX
前日譚 なげーぷろろーぐ-01-


 

真冬の川が冷たいというのを疑う事はあるだろうか?

 

現実に確かめてみなければ、それが本当かどうかは分からない。

 

いや、解るだろ?

 

という野暮なツッコミは川から上がった相手にはNG。

 

だって、温泉とか湧いているかもしれないし。

 

田舎のじーちゃん曰く。

 

自分で体験してみなければ、何事も解ったもんじゃないとの事。

 

「……ぅ………」

 

引き上げた相手の状態を確認する。

どうやら息はあるようだ。

ゆっくりと両腕で持ち上げて歩き出す。

 

「………どうして」

 

「拾ったものはしょうがない。次に捨てる時は言ってくれ」

 

濃いクマの上でこちらを見つめる瞳が俯けられようとして大きく見開かれた。

 

まぁ、問題無い。

川というのは枯れ枝があるものなのだ。

脇腹の端を貫通して抉れた程度。

止血して数十分は持つだろう。

 

周囲の民家に救急車を求めるくらいまで大丈夫なら構わない。

 

ふらつく脚で土手を上がる。

 

「シューの瞳、そんな色、だったんだ……」

 

「ああ、ウチって遺伝病らしくて。生憎とオレは健康だが、じーちゃんの母さんは酷いアレルギーで喰うもんにずっと困ってたって」

 

ポタポタと雫の下たる音。

だが、川から上がって来たのだ。

誰も気付くまい。

 

「ほら、今日も良い天気だぞ?」

 

井の中の蛙大海を知らず。

 

だが、続きを知る者は多くない。

だから、見せて教えるしかないのだ。

 

「……帰ったら、朝飯にしよう」

「…………ぅん」

 

真冬の空に朝の冷え込み。

 

霧が晴れつつある世界に子犬の声が響く。

 

河川敷の道を誰かが走って来るのを感じながら、意識は落ちて行った。

 

これが始まり。

 

生神宗の物語の始りだった。

 

―――数か月後。

 

 天が蒼い日は気が重い。

 

 それがもしも湿度が低かったりしたら最悪だ。

 

 世界がもしも今日滅びるなら、絶対研究室にだけは立ち寄るまい。

 

 理由は単純にして無比だ。

 

―――何も自分から世界の滅びる理由に近付く事も無いからである。

 

『クッセェエエエエエエエエエエエエ!!?』

 

『け、警察!? 警察呼びますか!?』

 

『おぇ、オレ……気分が……プクプクプク』

 

『だ、大丈夫かお前ぇええええ!!? しっかりしろぉおお!?』

 

 今日も我が母校【新祈総合大学《にぃと・そうごうだいがく》】は悲惨を極める阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 

『もうダメだぁ!!? お終いだぁ!? 今日、デートなのにぃいいいい!!?』

 

『あぁ゛ああ゛あああ゛ぁ゛あ゛ぁああぁ゛あ゛ああ!!!? 鼻がもげるぅうぅぅ―――』

 

 周囲ではあまりの激臭に窓を全開にしようとする教職員や学生達。

 

 それを近隣住民からの苦情を畏れて何とか押し留めて区画を封鎖しようと人を遠ざける人々。

 

 げっそりした顔の事務員達が押すやら退くやら問答するやら学内は今日も平和な日常そのものだ。

 

 巨大なキャンパスを有する新祈は県内唯一の総合大学。

 

 物理学、医学、数学、情報学、社会学etc。

 

 諸々の学部を収めた大学だ。

 

 まぁ、その学部そのものの定員がかなり少なく。

 

 規模だけデカイ阿呆ばっかりのFランとかネットで馬鹿にされる事もしばしばである。

 

『学習してないな。他学部の学生か?』

 

 この大学の特徴としてまず上げられる事は並外れた教師陣である。

 

 だが、最も売り込むべきだろう長所は世間一般にあまり知られていない。

 

 いや、大学としては知られては困るというのが本音だろうか?

 

『教授。今度は何零したんですか? アンモニア? それとも酢酸エチル?』

 

 扉を取り敢えず蹴破るようにして開く。

 

 背後では失神者が出たらしく。

 

 悲鳴と怒号と逃げ惑う人々が倒れた誰かを共に引き摺って、まるで撃たれた味方を引きずる新兵みたいに声を震わせながら撤退していく。

 

 昔の自分を遠くに見た気がして複雑な心境。

 

 慣れとは恐ろしいものだ。

 

「やぁ、生神宗(いけがみ・しゅう)学生。今日は早いじゃぁないか」

 

 現在地獄。

 

 いや、現在時刻09時21分32秒。

 

 今日も伝説を創ったらしい教授は化学物質マシマシの実験器具で何やら妖しい代物を蒸留しているやら抽出している器具を左右に何だか割れた大きな実験機材。

 

 透明な箱型機材のアクリル表面にベッタリとガムテープを張っていた。

 

 それでどうにかなるのだろうか?

 

 という疑問は彼にしてみれば、何の事もない話だろう。

 

 まぁ、漏れているのは明らかである。

 

『どーも。言われたレポート提出しに来ました。これでいいんですよね?』

 

 カバンから取り出した用紙数枚をクリップで束ねたソレを本が乱雑に置かれた机の一つに置く。

 

「ああ、そこでいい。今日も元気そうで何よりだ。中肉中背で筋肉はまぁまぁ。日焼けもしてないもやし肌も瑞々しいし、健康そうだな。いや、これでイケメンだったなら、君もモテただろう」

 

『それは一体何の冗談ですか? 教授……ガスマスク姿ですよ』

 

 とりあえず、今の自分の顔面は大抵の人間から殆ど避けられるだろう。

 

 思わず溜息が零れた。

 

「何って、そりゃ、ほら……ウチの研究室に入り浸ってくれる大切なゼミ生の身を案じている世間一般から言われる教育者って奴の片鱗をだな?」

 

『はぁ………で? 何を零したんですか?』

 

 目の前の教授は一般人なら気絶してしまうような悪臭が漂っているのだろうに平然と微笑む。

 

 目の下のクマもそのままに白衣に灰色のワイシャツとズボン姿で猫背気味の彼。

 

 ワカメみたいな髪に細身の体。

 

 40代後半の無精髭。

 

 僅かにこけた頬が不健康そうに青白い。

 

 明らかに繁華街に夜居たら職質されそうな薄暗い気配に目元だけが何故かニコヤカという不審者。

 

【禍斗亮二《まがつ・りょうじ》】准教授。

 

 彼の言葉は一部の学部内の施設を使う者達にはきっとこの世の終わりのようなものだったろう。

 

「んぁ? チオアセトンが漏れちゃってね」

 

『何ですソレ?』

 

「ああ、ちょっと焼肉が食いたくなって……でも、今月金欠で肉を買う余裕も無かったもんだから、適当に香りだけでも楽しもうとウチにある物で合成してたら……」

 

『激臭物質になってしまった、と』

 

「そうそう。事故なんだよ。事故……それに危険物質じゃないし、人体には無害だから問題無い。それにしても君はどうしてそんな映画みたいなガスマスクを?」

 

『自腹で軍事用買っただけです。ええ、人間身に染みると賢くなるんですよ。教授』

 

 遠い目になる。

 

 この教授の下に来たのが一月と少し前。

 

『初めまして。あー……なんだ。禍斗亮二だ。よろしく』

 

 と挨拶した明らかに陰鬱な気配に笑顔を張り付けた相手は実験でアンモニアを前日零したとかで臭そうでは済まない臭いに包まれていた。

 

 げんなりしていた学生達が1人抜け、2人抜け、今では来る者は殆ど無い一室。

 

 ラボとは名ばかりで実際には寝泊まりしていそうなくらいにあらゆる臭いに満たされた彼の私室は学部長があまりの苦情の多さに最新式フィルターを搭載した空調設備を私費で置いたとか置かなかったとか。

 

 マガツ・ゼミ……学内において畏れられる最凶なる称号を受けた教授のゼミ現場こそ此処だ。

 

 ラボへ研究に来るが学生はいるらしいが、一度も見た事が無い。

 

 今はネットとメールの時代だよと肩を竦める不健康そうなワカメ(尊称)は毎日別の匂いを追加しているので鼻がおかしくなって食事が辛いという人間も学内に数多い。

 

「そんなに臭いかなぁ? スンスン……ま、食堂行かなけりゃ怒られんだろ」

 

『そーですね。近付いただけで学食のおばちゃん達が怒り狂って、箒持って追い掛けられますもんね……』

 

「おかげで毎日侘しいカップだよ。外出用の消臭剤も値段は馬鹿にならんのだがなぁ」

 

 肩を竦めた教授が激臭物質に満たされている室内であろうに横に置かれた珈琲カップに口を付けた。

 

『そのまま学部外の食料品店に出入りしたら事件ですよ?』

 

「世知辛い話だ。私は善良で一般的な准教授に過ぎないと言うのに警察は話を聞いてはくれないからな……ああ、誰かの手料理が恋しい」

 

 とか言いながら栄養補助食品が銀のパッケージから取り出されてモシャモシャと咀嚼される。

 

『じゃあ、僕はこれで……』

 

「生神宗学生。悪いんだが、ちょっとお使いに行ってくれんかね? 実は他の学部の教授とちょっとした用事があるんだ」

 

『それ単位に関係あります?』

 

「まったくない。が、引き受けてくれたら君に良いものをプレゼントしよう」

 

『良いもの?』

 

「そう、良いものさ♪」

 

 あ、しまった。

 

 と思うには一言遅い。

 

 ニヤリとした動作で奇妙なくらいに音がしない教授がスススッと近付いて来ると。

 

「はい。これ」

 

 ポンと渡されたのは白い小箱だった。

 

 掌サイズで指輪でも入っていそうなくらいに小さい。

 

『……まだやるとは言ってないんですけど』

 

 思わず汗が額に浮かぶ。

 

「単位は上げられないが、些細な事なら君の望みを一つ叶えてあげよう」

 

『かぼちゃの馬車もガラスの靴も要りませんよ』

 

「無欲な事だ。まぁ、 こちらは正直渡されても使えないものだからね。苦学生にはありがたいだろうとも」

 

 ポンとポケットから渡されたのは小さな切符が連なるような券の束。

 

 学食のランチ無料券だ。

 

 学部の准教授職に渡される代物だが、普通に買えば、束で一万は下らないだろう。

 

『……解りました。で、何処に?』

 

 こうして今日も何だかんだ言いながらも苦学生の背に腹は代えられない一日が始まる。

 

 まぁ、ゼミ生とは教授の使いっぱしりみたいなものである……これで二月分くらいの昼食代が浮く事を考えれば、否とは言えないのが自分。

 

 新祈総合大学文学部1年生。

 

 番号D-33221番。

 

 それが中肉中背で取り立ててイケメンではない今年22歳となる生神宗の現実だった。

 

 

 

 *

 

 

 

 簡易の救護所と化した大学部内の保健室では常備されている消臭剤をスプレーされる学生で溢れ返り、それの波に揉まれてから20分。

 

 ようやく学内でならば、何とか動けるくらいの臭いに落ち着いた。

 

 本日は晴れ後曇りだが、空には雲一つ無い春の終わりの陽射しが降り注いでいる。

 

 巷ではNEET大学と言われる底辺の校内にも春は来るし、成績のよろしくない大学生志望が大量に入学する為、寂れているという印象は無い。

 

 何処に金があるのかは知らないが、最新設備が整っていますとの文言だけはマジだった為、中身はともかくとして外面は意外と良いというのが新祈の現状だ。

 

 だから、何としても()()の起こした不祥事はもみ消される感じであり、全て冗談や名物教授の瑣末な問題として取り上げられない空気が醸造されている。

 

 まぁ、実害を被る学生も大半口を噤むのはこの大学が本当に何処に金があるのだろうというくらいに充実した資金援助……学生の授業料が超低く設備も最新で返さなくていい奨学金がたんまりと出るという事実からである。

 

 問題を起こした生徒は審査ゆるゆるの奨学金も引き上げられる。

 

 援助の金額を思えば、吐いたツバを呑み込むしかないのが貧乏学生の辛い所に違いない。

 

『フゥ……』

 

 一息吐いて別棟に向かう道すがら、他学部の学生達から微妙に避けられながらの鈍行。

 

 広過ぎる学内の敷地面積は優に東京ドーム4個分以上との噂であり、端から端まで歩くのに十分以上掛る為、自転車専用レーンや学内用の自動車用の道路が完備されている。

 

 だが、そんなものと縁の無い学生は学部や別棟間の遊歩道を徒歩だ。

 

「……あ、宗」

 

『あぁ、朱璃《しゅり》か。こんなところでどうしたんだ?』

 

 角を曲がったところで出くわしたのは灰色の毛羽立つ解れたダボダボのパーカーに春もそろそろ過ぎようというのに黒いニット地のよれよれタートルネックにジャージのパンツを履いた中学生に見える少女。

 

 その瞳の下には微妙にクマが浮いているし、瞳は周囲に人がいないか挙動不審だし、猫背っぽい小動物染みている。

 

 俗に陰キャとか言われてしまうかもしれない明らかにインドア派にしか見えない第一印象。

 

 細い手が病的に見えるのは確実にそのせいだろう。

 

 顔はまぁまぁ整っているというか。

 

 そこらの器量良しにも劣らないくらいにはあるのだが、明らかに一見した時の姿で相手はマジマジと見なければ、その中身がそこそこ良い事には気付かないかもしれない。

 

「い、いいい、今、失礼な事考えなかった!?」

 

 思わず目尻を吊り上げた少女がショートカットの癖に長い前髪の狭間からチラチラ見える瞳でこちらの内心を見透かした。

 

 両拳を握って怒りを表現する様子は正しくお子様に見えるが、生憎と飛び級もしてない普通の大学生である為、子供っぽいという印象は間違っていない。

 

『いや? 何のことだ? それより今日はまだ講義じゃなかったのか?』

 

「え? あのクソみたいな校外から来た教授の講演つまんなかったし……って、話逸らした!?」

 

『ああ、そんな事してないって。それより今日は儲けたから昼間にメシでもどうだ? 学食で一番高いの奢ってもいいぞ?』

 

「え!? そ、それは本当に嬉しい……って、また逸らしたぁ!?」

 

 何で話を逸らすんだとプンスコ怒る中学生の解れた髪をポンポンしながら、『また、子ども扱いしてぇえ!?』という言葉を聞き流しつつ、歩き出す。

 

「もういい。はぁ……(´Д`)……で、どうしてこんなところ歩いてるの?」

 

『ゼミの教授に頼まれてお使いだ』

 

「ああ、だから変な臭いしてるんだ。また、あの教授?」

 

 一緒に歩く姿は微妙にひょうきんにも見える。

 

 ひょこひょこと付いて来る姿がやはり小動物だ。

 

 これが普通にカワイイ相手ならば、男子は嬉しいのだろうが、これが見た目で根暗系な家に引き籠ってゲームしてそうな印象だと左程の事も無い。

 

「ッ、また!? わ、私は小動物じゃないぞ!?」

 

 ないぞ!?と怒る姿が本当に小動物が威嚇しているようでカワイイとは思うのだが、黙っておく。

 

『そう怒るな怒るな。そんなに人の心を読んでると疲れるぞ』

 

「ふん。余計なお世話。まったく、本当に失礼なやつだ……」

 

 膨れた少女の名前は【真下朱璃(さなか・しゅり)】……幼馴染という名の小動物だが、人の心を読むのが上手い医学部臨床心理学科のニューホープ(ゼミ教授談)だ。

 

『小さい頃は世界地図を布団に描いていた幼馴染が近頃他人の内心を完全に読み切ってて辛い22の春。字余り……』

 

「むっきゅぁ!? このローニンヤロー!! ヨンロー!! ヨンロー!?」

 

『しかも、人の心をナイフで抉る無軌道な若者になってて草。ヨンローじゃねぇ!! 一年バイトしてたからサンローだっつってんだろ!! いい加減にしないと風呂に沈めて出汁にすんぞ!!』

 

「こ、この美少女である私を出汁にしようとか!? 発想が完全にサイコパスだぞ!!? にゅ、にゅふ♪」

 

『何でちょっと嬉しそうなんだよ!?』

 

 気持ち悪い笑みでニヘェッとなった朱理に溜息を吐きつつ、ギャーギャーしながら数分。

 

 ようやく辿り着いたのは学内の端の端にある棟の3階の外れの一室前。

 

 互いに疲れたので停戦合意は出来ている。

 

 途中、すれ違う数人に見られたが構うまい。

 

『こんにちわー』

 

 研究室前のブザーを鳴らす。

 

「はーい」

 

 女性の声。

 

 初めて来た棟だが、学部は思い出せず。

 

 此処はどんな研究をしてる学部なのかとゼミの名前を確認する。

 

 そこには―――。

 

「あ、此処……」

 

 思わず何かを言い掛けた朱璃だが、言い切る前に扉が開かれた。

 

「あら? 見慣れない顔ね。どちら様かしら?」

 

 出て来たのは20代後半に見えるおかっぱ頭に眼鏡の女性。

 

 榛はしばみ色の垂れ目に左の目元の黒子が一つ。

 

 薄い化粧も愛らしい。

 

 女性らしい花柄のスカートに緑のベストとシャツを着込んだ様子は妙に愛嬌がある。

 

『マガツ教授のお使いで来ました』

 

「ああ、マガト君のとこの。入って入って。今、丁度小休憩だったから」

 

『お邪魔します』

 

「お、お邪魔、します」

 

 さっきとは打って変わって借りて来た猫みたいに大人しくなった朱璃が頭を下げる。

 

 普段の様子に戻ったのを確認して、しばらくは静かだろうと研究室内に入ると入り口は微妙に狭く。

 

 通路を数m進まないと研究室には付かないようで広い場所に出た瞬間。

 

 一気にその異様な空間に目を奪われた。

 

 一階二階三階ブチ抜きの研究室。

 

 螺旋階段すら無く。

 

 何やら3mくらいに見える大きな機械の腕、らしきものが1階の地面からニョッキリ生えており、それに付随する三本指のサブアームが数本。

 

 階層の壁で何やら工作作業をしていた。

 

 溶接するやら切断するやら、中には実験器具らしきビーカーにザラザラと金属粉らしきものを入れていたり、ドリルで何かを削り出していたりと明らかに人智を越えてそうな勢いだ。

 

「ああ、ジュナちゃん初めてだっけ。スゴイでしょう。この子」

 

『ジュナ―――』

 

「―――ちゃん?」

 

 思わず圧倒されつつも首を傾げる。

 

「そう。この子は汎用工作機械のジュナちゃん。私が設計したのよ」

 

『ここ、工学部でしたか……』

 

「あはは、違う違う。ココ、歴史学科よ。考古学よ。考古学」

 

『考古学ってスゲー……』

 

 思わず半眼になったガスマスク内で顔を見られずに済んだ。

 

 変人教授ばかりというのは事実のはずだが、それにしても歴史を学んで何故か巨大マシンアームを設計するとか正しく意味不明だ。

 

 あのクソ教授に勝るとも劣らない強烈な個性に違いない。

 

 そう言っている間にも三本指のサブアームの一つが一階に置かれた壁際のコーヒーメーカーから珈琲を器用に入れて、こちらの3階壁際までカップを持って来る。

 

 日本は工作機械において世界でも指折りの輸出国だが、動くロボ染みたアームが考古学をやるらしい研究室で稼働しているのは明らかに冗談の類だろう。

 

「お、おう。あ、あ、ありが、とう……ございまふ」

 

 思わず噛み噛みで朱璃が挙動不審を通り越して圧倒された様子になりつつ、マシンアームから受け取った珈琲カップをマジマジと見ていた。

 

「大丈夫。中身は普通の市販品よ」

 

「ずず……あ、ホントだ。ちょっとイイやつだ。しかも……」

 

『何納得してるんだか……』

 

 朱璃が物怖じしまくりだというのに珈琲には口を付けてそう評価する。

 

「ああ、そう言えば、まだ名乗ってなかったわね。ワタシは才華。【久遠才華《くおん・さいか》】……此処で教授職をしてるわ。よろしくね? マガト君のお弟子さん達。ふふ」

 

 そう言って微笑んだまだ年若い研究員くらいにしか見えない女性考古学者は微笑んだのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「此処は元々は郷土史関連の研究室で小さな場所だったの。3年前にワタシが来てから考古学関連の業務を請け負って発掘調査関連の最新鋭の技術開発もしてるのよ」

 

「へ~~スゴ……」

 

 いつもならばオドオドしている朱璃が珈琲を片手に二階のソファーで寛ぐ。

 

 周囲には確かに古い本や大昔の地層から出て来たのだろう琥珀や石器やらが飾られている。

 

『技術開発……』

 

 あの大きな腕が動き出し、3人も載せて人を運ぶというのも信じられなかったが、人間が載ると柵がアームの指の間から出てきたりしてビックリ・ドッキリ・メカ感が強かった。

 

 ジュナちゃんとやらは高性能らしい。

 

 ほぼ無音の駆動系、そっと二階に腕を降ろした時の精密性。

 

 そもそも人間を乗せて微細な動きをする巨大アームは明らかにモーターや姿勢制御のプログラムも秀逸に違いない。

 

 無骨でメタリックな癖に部品点数が多い外見は間直で見れば、思わず唸りそうな程だ。

 

『久遠教授は工学系の知識もお持ちなんですか?』

 

「ええ、と言っても昔の仲間の物真似くらいよ。ジュナちゃんが大きいのも小さく出来なかったからだし……マガト君みたいにスペシャリストとしては考古学と博物学ね。古い遺骨の鑑定もするから法医学も齧ってるわ。医師免許もあるし。総合的には文化人類学者の分類かしら」

 

『そんなに多彩な学問を修めてるなんて……才女って言うんですかね」

 

「ふふ、そんなんじゃないわよ」

 

 そう苦笑した久遠教授が軽く肩を竦める。

 

「生神君と真下さんみたいな頃から仲間の修めてる学問を一緒に齧って見ただけだもの。歴史に関してもシェークスピアみたいな古典文学とか過去の戦国時代の合戦とかに興味があって娯楽で嗜んでたら、いつの間にかこういう道に入っちゃっただけだしね。食わず嫌いの文系ってだけよ」

 

「か、かっけぇ(っ・ω・)っ 教授で歴女とか!!」

 

 何を思ったのか。

 

 朱璃の目がキラキラしていた。

 

 どうやら強い女性というよりはその個人的な才能と気取らない人柄が気に入ったようだ。

 

 いつもならば、大人を前にしてオドオドとしつつ顔を俯けがちなはずだが、短い間に心を奪われてしまったらしい。

 

「それでマガト君のお使いって事だけど、何かしら?」

 

『あ、はい。これを……』

 

 カバンに仕舞っていた白い小箱を取り出してテーブル越しの相手に差し出す。

 

「ああ!! 頼んでたものが出来てたのね。すっかり忘れてた……あはは、昨日まで欧州で発掘調査だったから……いや、お恥ずかしいわ」

 

 ちょっと自分が忘れていた事に照れた様子で小箱を受け取った久遠教授がこちらを見て微笑む。

 

「ありがとう。確かに受け取りました。彼にありがとうって言っておいてくれる?」

 

『はい。確かに……』

 

「じゃあ、ここでちょっとゆっくりお茶でも飲んで行って……って言って上げたいところなんだけど」

 

『「?」』

 

「実はちょっと研究が立て込んでてね。ごめんなさいね……忙しくて時間取れないのよ。これからすぐに他のゼミの研究室で助っ人頼まれちゃってるの……」

 

『いえ、お構いなく。こっちも学生の本分を全うしなきゃなりませんし、すぐにお暇する気でしたから』

 

「そう言って貰えると助かるわ。数日中は無理だけれど、一週間くらいしたら落ち着くと思うから、その位してから次来てくれれば歓迎しちゃうわよ。今度はお菓子も用意しておくわね」

 

『恐縮です』

 

「久遠教授優しい(´Д⊂ヽ」

 

 用は済んだ。

 

 立ち上がり、もはやメロメロになったらしい見た目ヒキコモリなゲーマーをヒョイと首根っこを捕まえて持ち上げる。

 

『今日はありがとうございました。じゃあ、僕らはこれで……』

 

「ええ、またいらっしゃいな。それじゃあね」

 

 頭を下げると手を振ってくれる様子。

 

 掴まれた朱璃がブンブンと笑顔で手を振り返していたので善人の類なのだろうと感心しつつ通路を出てから手を離した。

 

『で、お前はこれからどうするんだ? こっちは講義が午後からだが……』

 

「幼馴染を敬え~~!! 具体的にはコーバイで超級メロンパンをオゴレー」

 

『その幼馴染ムーブでメロンパンをセシメヨウという魂胆がもはやオサナナジミではない。少しはゲームや漫画の幼馴染を見習え……』

 

 そんなやりとりをしながらも結局購買へ向かう事になった。

 

 オサナナジミとはそういうものである。

 

 まぁ、太るぞと脅すのは忘れなかったが……。

 

「ファ~~~♪」

 

 数分後。

 

 購買横の軽い休憩スペースで目をキラキラさせた年相応……いや、幼い気もする幼馴染の子供っぽいキラキラな笑顔を横に肩を竦めていた。

 

 午後の講義までに諸々の学業用の雑貨を買い足そうと広さ20畳程の店舗内に戻ると周囲は今日も戦場のように忙しい店員の品出し風景が目に入る。

 

 品々は既製品を安くがもっとーの【ニィト総合購買部】は既製品の一割分の値段を常時大学側で負担する事によって貧乏学生にも優しい学生の拠り所だ。

 

『大変そうですね。カミカさん』

 

「その声は宗君? ちょっとちょっとスゴイ・カッコね。そのガスマスクどうしたの?」

 

 20代後半で白いエプロンでキツメの目元にアイシャドウも濃いスニーカーにジーンズとワイシャツというラフな格好の御仁が持ったダンボール越しに振り返る。

 

『いつもの騒動で必要になりまして』

 

「ああ、そゆこと。ウチに入る時は気を付けてよねぇ。この間もあの教授が通り掛っただけで具合の悪くなる生徒を保健室に運んだんだから」

 

『ウチの教授がご迷惑をお掛けしてるようで……』

 

「迷惑っつーか。この大学全体的におかしいものだらけでしょ。ま、キューリョーいいから働くけどさぁ」

 

 愚痴りつつもテキパキと濃い目の化粧をして働く彼女。

 

【上夏早南《カミカ・サナ》】は品出しに余念が無い。

 

 肩まで伸ばされた髪には幾らか紫色のメッシュが入っている。

 

 パンクかロックでもやっていれば、それっぽいシンガーに見えなくもないだろう。

 

 と、言うのも元々は音大卒のロッカーだったとの話は大学入学時に購買に一年生合同で連れて来られた時の自己紹介で明らかになっている。

 

「いつもの彼女さんも連れてんの?」

 

 パンを補充しながら訊ねる彼女に思わず苦笑が零れた。

 

『彼女じゃなくて幼馴染ですよ』

 

「ちょっとちょっとー♪ あんま否定すると彼女泣いちゃうよぉ?」

 

 ニヤリとした年上の口元はまるで何処かの国のアリスに出て来るチェシャ猫みたいだろう。

 

『生憎と外見が好みじゃないのでご心配して頂かなくても大丈夫です』

 

「HAHA♪ 人生何があるか分からんもんだよ? ま、大人だろうが子供だろうが天の采配つっーのは平等なもんだし。結構ね」

 

『運命、とか? そういうの気にする方でしたか……』

 

「今日の運勢くらいはテレビで見るけど、これはそういうんじゃないの。少し君より先を生きてるおねーさんの実体験よ」

 

『はぁ……そうですか』

 

 よく解りませんという顔になるこちらを見て小さな笑み一つ。

 

「その日が来れば解るよ。戦争がこの世界から無くなるなんて思ってなかった人が大多数だったようにね」

 

『そんなもんですか?』

 

「そんなものよ。あ、暇ならちょっと手伝ってくんない?」

 

『報酬は?』

 

「あの子にもう一つメロンパンを献上出来る権利を上げよう。若者君」

 

 彼女の指先がチョイチョイと半分程も大量のホイップクリームとカスタードクリームの入ったパンを平らげて、口元をベタベタに汚す微笑ましい幼馴染を指す。

 

『……おやつにしますよ。午後の』

 

「あ、そ。ご自由に」

 

『で、どういう? 品出しなら間に合ってそうですけど』

 

「ああ、実はね。これを持ってって欲しいのよ」

 

 カミカさんが取り出したのは黒い小箱だった。

 

 掌に乗るような指輪でも入っていそうな作りの良さそうな代物だ。

 

『……それ、流行ってます?』

 

「何の事? 取り敢えず、仕入れたんだけど持ってく時間無くてさぁ。昼までにはって話なんだけど、こっちも忙しくて。お願い!! ね?」

 

 ウィンク一つ。

 

 頷いて小箱を受け取ってポケットに突っ込む。

 

『それで何処の何方に?』

 

「ウチの時計塔、あるじゃない?」

 

『ええ、ありますね。中央にデカデカと」

 

「そうそう。あの黒くてテカテカしてぶっといヤツよ」

 

『その形容は色々と危ない気が……ガチで60mあるとか聞いて灯台かビルかって最初は吃驚しましたけど……』

 

「ウチの時計塔って此処の量子物理学部の所有物っつーか。費用が其処から出てて、そいつらの溜まり場みたいになってんのよ」

 

『そうなんですか?』

 

「そうそう。重力波天文学用の高価な機材も兼ねてるから、クッソお高いらしくて関係者以外はパスが無いと入れないの。で、入れる人間が基本は関連する研究室のゼミ生なわけ」

 

『そして、例外は購買や事務の関係者って事ですか?』

 

「ナァイス。話が早い。はい。コレ」

 

 渡されたのは白いカードが入った首から下げる形のパスだった。

 

「入口のセンサーが勝手に読み取ってくれるから。入ってすぐの扉が開いたら、中の332研究室のゼド教授ってのに届けて頂戴。お願いね」

 

『解りました。届けるだけで?』

 

「うん。代金はもう前金で振り込まれてるから大丈夫。じゃ、頼んだわよぉ~あ~忙し」

 

 会話を切り上げたカミカさんがスタスタとまた店舗裏に品の詰まったダンボールを取りに行く。

 

 それを見送り、パスと一緒に渡されたメロンパンを回収して朱璃の下まで戻る。

 

 メロンパンはどうやら食べ尽したらしいが、その目は爛々とこちらの握るメロンパンにロックオンされていた。

 

『……太るぞ』

 

「太らないもん!!」

 

『ほら、半分で手を打て』

 

「ちぇーまぁ、いいだろう」

 

 クリームが溢れそうになるメロンパンを割りながら、次のお使いへ。

 

 結局、暇な2人で旅立つ事になったのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 新祈の各学部の設備は少なからず世界最高と謳われている事は学生なら知らぬ者は無い真実というヤツだが、そのせいで雑多な文系も理系も相手の事が良く分からない上で住む世界が湧けられている。

 

 総合大学の名に恥じぬ学部数は10学部以上にも及び。

 

 その下の学科はその四倍あるのだ。

 

 学内が広い事もあって右から左まで行き交う者は多くない。

 

 結果として学部内の移動が乗り物で自動化されるわけだが、誰もが使うのは購買と講堂くらい。

 

 それ以外となれば、見知らぬ場所というのが多々ある。

 

 しかし、例外が一つ。

 

 敷地の中央に立つ黒い時計塔。

 

 それだけは必ず正面玄関からも裏手の駐車場からも見える為、学生ならば一度はこの時計塔を近くで見物する事だろう。

 

 だが、すぐに一部の人間以外は入れないと知って時計塔の文字盤以外には興味を失くすのも早い。

 

 だから、詳しい事を知ろうとする者はあまり多くない。

 

 その例に漏れない自分が中に入るというのもかなりの幸運だろう。

 

 直上まで60m、シャトー染みた長方形状の漆黒なビルっぽいソレは大きな文字盤を四方に持っている事を除けば、正しく巨大なモノリスみたいにも見える。

 

 言われた通り、地下道の玄関先に入るとすぐ前にある扉が横手のコンソールの画面にOKとの文字。

 

 2人で入り込んだ内部は普通の地下通路と言った具合だったが、所々に立ち入り禁止の札が掛った暖房空調ポンプ類のある部屋がゴウンゴウンと音を立てている。

 

「ねぇ、これスゴクね!!」

 

 結構、ワクワクしているというか。

 

 人がいなければ、物怖じしない性格というか。

 

 人と対峙しなければ図々しさとか厚かましさ全開の幼馴染がゲームやガジェット大好きな目をキラキラさせている。

 

 初めて入る場所というのは子供に限らずワクワクするものだが、それにしても普通の地下通路でも初めてならば秘密基地に入るみたいな気分なのかもしれない。

 

「行くぞ」

 

 エレベーターには何階に研究室があるかという事が一目で解る案内板。

 

 すぐに最上階一角にある研究室を見付けてボタンをポチる。

 

 左程の時間も掛けず。

 

 エレベーターを降りれば、少し面食らったというのが第一印象だろう。

 

 一応、マスクは外しておく。

 

 危ない教授に顔を覚えられない為の防壁の意味でも出来れば、関係者に会う時は掛けておきたいのだが、一応は初対面で二度と入らない場所にいる人間である。

 

 警戒の必要性も無いだろう。

 

「宗?」

 

 朱璃の顔が外からの降り注ぐ陽光で照らされている。

 

 何も幼馴染の子供っぽい横顔に見とれていたわけではない。

 

 オカシイというのがすぐに解ったからだ。

 

 外観から一切の白を排除した黒いシャトー。

 

 そんな外見の時計塔である。

 

 明らかにこんな光量が外側の壁面から降り注ぐわけがない。

 

「………何でもない」

 

 取り敢えず、騙し絵のような状況に内心で首を横へ振った。

 

 気にせず端にある研究室の扉を見付けて歩き出す。

 

 通路はあまり広くは無かったが、光が入るせいで圧迫感は無かった。

 

 インターホンを押すとガチョンと少し大げさな金属音と共に普通の扉にしか見えない鉄扉が開き始め、その重厚な動きに思わず少し固まった。

 

 厚さ15cm近い扉の端には複数の穴が開いており、かなり厳重なロックが掛けられている。

 

「たのもー」

 

 ゴンゴンと扉が朱理が何処からか取り出した中身入りのペットボトルで叩かれた。

 

「お前、無礼過ぎるぞ?」

 

「え~~? でも、中から誰も出て来る気配無いし、入るのちょっと怖いし、いいじゃん」

 

「はぁ……」

 

 待てど暮らせど扉の奥。

 

 薄暗い通路の先から誰かがやって来る気配も無く。

 

 十秒程待ってからイソイソと内部に入る。

 

 通路を数m行くと曲り角の先から明かりが漏れており、オジャマシマスとの掛け声をしてから共にその先へと出た。

 

「マヲ?」

 

 黒猫が一匹。

 

 だらけた様子で高い一本足のスタンドチェアの上に置かれたクッションに背中を預け、こちらの声に気付いた様子でクルリと振り返った。

 

「「………」」

 

 思わず呆然としたのも仕方ない。

 

 その柔らかそうなニクキューには何故かマウスらしきものが握られている。

 

 猫は猫だ。

 

 だが、ツルリと滑りそうなものなのにマウスはそのまま張り付いたように離れない。

 

 思わず無言になった後。

 

 イソイソと部屋から通路の角を戻る。

 

「―――い、今、猫がマウス持ってた!! イスの上でパソコンの前に座ってた!!?」

 

「ア、アレが教授である可能性を想定してみよう……うん。無いな……きっと何かのホログラムとか猫型ドローンとか。そういうタネがあるに違いない」

 

「つ、つまり、この室内の教授は猫愛好家のマッド?」

 

 ゴクリと唾を呑み込む朱璃の顔は真面目だ。

 

「きっと、猫耳バンドを被った良い年のニャン属性のおっさんに違いない……」

 

「ひぃい!?((((;゜Д゜))))」

 

 思わず想像したおっさん。

 

 きっと教授職にあるまじきスーツの上に猫耳尻尾肉球付きのコスプレイヤーみたいな相手の事を想像して、幼馴染の脳裏ではモザイクが掛かってる。

 

「な、何か泣き声も普通じゃなかった気がする!!」

 

「趣味、だな。恐らく……」

 

「か、帰ろう!! 関わっちゃいけない!! 深淵を覗く時、また深淵に覗かれている事を忘れるなって昔の偉い人も言ってるぞ!!」

 

「メロンパン食べただろ。もう……引き返せない!!」

 

「そんなぁ(´Д⊂ヽ もうダメだぁ!? お終いだぁ!?」

 

 これから猫好きのHENTAIとお知り合いになってしまう事を想像した朱璃が顔を青くする。

 

 この新祈において変人とは教授職の事であり、無駄に能力が増し増しで有り余っていて、暇だとロクな事にならないのは入学者の共通認識だ。

 

 その最たる教授のゼミになってしまった自分には幼馴染の恐怖が痛い程解る。

 

 この学内において変人と関わるという事は迷惑を被るという事と同義なのだ。

 

 仕方なく逃げようとする小さな襟を引きずりながら覚悟を決めてもう一度室内に入る。

 

 すると、やっぱり猫が椅子に座って今度はマウスをカチカチクリックしてパソコンの前にいるようであり、長い尻尾がタラリと椅子の横合いから垂れて、ヒクヒク動いていた。

 

 マスクを被り直して声を掛けてみる。

 

『ゼ、ゼド教授はいらっしゃいますかぁー!!』

 

「カエルカエルカエルゥゥゥ!!!」

 

 逃げ出そうとする小動物を引き留めつつ、声を出してみる。

 

 すると、リアクションがあった。

 

「お、お客さんかな?」

 

 その声が壁際のPCの乗ったテーブル奥から聞こえて思わずガン見してしまう。

 

 すると、モソモソと白衣がゆっくりと下から現れて、繋がっている裏手のコードの中をゴソゴソと移動しながら横手にカニ歩きでテーブル背後の狭い道から脱出。

 

 ようやく人間の顔が見えた。

 

「いや、済まない。配線をやっててね。あはは……で、レポートかな? それとも卒論?」

 

『あ、いえ、コーバイから頼まれまして』

 

 出て来たのは朗らかな髭面の50代。

 

 細身で口髭を蓄えているが、小柄でまるでフレンドリーな上……明らかな相手であった。

 

 髭の半分が白く。

 

 口ひげの廻りには微妙に埃が付いている。

 

 恐らくは外国人なのだろう。

 

 顔付や骨格が日本人離れしていた。

 

 柔和な様子からは変人というよりも気の良いオジサンと言った風情が漂っている。

 

「ああ、購買!!」

 

 ポンと手を打った髭モジャ教授が片手で髭を伸ばす。

 

「すっかり忘れていたよ。ははは」

 

『は、はぁ。取り敢えず、頼まれてた品を知り合いから頼まれまして』

 

「そうか。助かるよ。実は最後のパーツが足りなくて苦戦してたところなんだ」

 

『そうですか……では、どうぞ。後で受け取った胸をお知らせして頂ければ幸いです』

 

「いやぁ、すまんすまん。夢中になると色々と忘れっぽくて」

 

 頭を掻いたゼド教授の様子が温和そのものだったからか。

 

 大人しくなった朱璃が背後から顔を覗かせるようにして相手を見ていた。

 

『お前、失礼だぞ。さすがに……』

 

 少し窘めるとそれに手を前に出して制止したのは当人の教授だった。

 

「いやいや、いいんだ。これでも人に選ばれる方だとの自覚はあるから。さてと、じゃあ、これを……」

 

 そう笑った教授が何やらパソコンにUSBケーブルで繋がるテーブル横の黒い硬質な鋼で出来た正方形の匣はこのようなものに向かい合うとソレをカチャカチャとやりだし、数秒でパカリと開いて、小箱の中身を取り出して何やらカチリと背中を向けて押し込み、もう一度匣を閉める。

 

「これで良し!!」

 

『その、じゃあ、僕らはこれでお暇―――』

 

「おっと、そう言わないでくれたまえ。君達にはコレを持って来てくれたお礼に世界の転換点に立ち会う権利をプレゼントしよう」

 

『転換点?』

 

 そう訊ねた時、『あ、しまった』という内心の声が次の否定の言葉として出掛る寸前。

 

 振り返った相手の顔を見た朱璃がビクゥッと反応して後ろに隠れた。

 

 それもそのはず。

 

 自分にも解る程、その笑顔の意味が変質していた。

 

 目の光が、輝き方が違う。

 

 爛々《らんらん》というのはそういう目を言うのだろう。

 

 何かに取り憑かれたような、というのはきっとその目の事だ。

 

 奥に秘めたものが情熱か狂気かは自分で判別するまでもなく相手が教えてくれる。

 

 この大学において変人で天才、変人で秀才みたいなのは山程いるが、誰もが教育そっちのけで自分の研究を大学生達に喋りまくりだ。

 

 そんな教授陣の大半は教師役には向いていない。

 

 だが、向いていなくてもソレが世界最先端だという自負は一人前以上にあるし、事実として優秀なせいで付いて来れる奴だけ付いて来い状態。

 

 知識と知見はくれてやる。

 

 後は自分でやれ。

 

 というのが学外に伝わらない新祈の基本方針であり、事実として付いていけない連中は中退である。

 

 その点、まだまだ持っている方な自分や朱璃は認めたくない事だが、それが理解出来る器質というのを持っているのかもしれない。

 

「君は此処が何学部か知ってるかね?」

 

『量子物理学部でしたよね……プレートに描かれてました』

 

「ああ、じゃあ、君は異世界というものを信じるか?」

 

『異世界?』

 

「ああ、異世界。並行世界や多次元宇宙でもいい。異世界転生小説とか知らない?」

 

「……確か実験で否定されてませんでしたか? 並行世界は……」

 

「おお、最低限の知識はあるようだ。ああ、そうだ。量子力学分野において並行世界というのは否定された理論だ。まぁ、実際に実験結果として我々の時空においては認識後は量子的な状態の物質はどちらか一方にしか収束しない。ミクロの世界の常識に関してであれば、それは正しい」

 

『は、はぁ……』

 

 言っている合間にも猫からマウスを取り上げたゼド教授が何かに取り憑かれたようにディスプレイ内の大量のフォルダの一つからファイルを呼び出して、椅子を横に退ける。

 

 映っていたのは二つの地球だった。

 

 どうやら講義で使うものを映し出しているらしい。

 

「偏在する存在が有るとしても常に二つの状況を取り続けられる状態は多くないんだ。そこで私は画期的な考え方をする事にした。ミラーユニバースの変形だな」

 

『ミラー? カッキテキ?』

 

 それ以上、野生動物にエサを与えるなという顔になっているに違いない幼馴染がグイグイ帰ろうと後ろで背中を引っ張るが、さすがに一応は聞いておかないと相手への印象も悪いだろうと却下する。

 

「そうだな。0でもあり1でもあるが、どちらでもない。これが本質であると仮定して理論をこねくり回している我々だが、此処に更なる二次元にもう一次元足すような概念の付け足しをしてみるのだよ」

 

 二つの地球が重なるかに思われた。

 

 が、その画面端から次々に更に大きな地球が現れて多重に重ねられていく。

 

「我々の物質世界に重ねられている0と1は中間を取っているように見えて、実際にはもっと大きな概念の上で小さく重ねられたミルフィーユやパンケーキの一部なのではないかと考えたんだ」

 

『そ、そうですか……』

 

 ほとんど意味が分からない。

 

「そして、紐で形作られている物質は実際にはあらゆる層となった領域を繋いでいるのではないかと何度も思考実験を重ねた。私はこの【メンブレン・フィルター】効果を用いた新世界領域の実在を提唱している」

 

『は、はぁ……そのぉ、そろそろ帰っ―――』

 

 よく分からないが、取り敢えず普通の研究ではなさそうだ。

 

「そして、遂に!! 遂に私は辿たどり着いてしまったのだ!! 禁断の叡智に!! 世界の真理に!!」

 

 帰ろうとする前にクワッと目を見開いた教授の様子がディスプレイに映る。

 

 相手はまるで狂人。

 

 いや、完全にあっち側である。

 

「高次元領域の話の多くは対象を量子化したりする事で夢が大きく広がるのだが、私は高次の領域そのものがヒモを通すトンネルだと考えた!!」

 

 地球が次々に団子のようにいきなり横合いから出て来たヒモで串刺しにしていく。

 

「私はこの理論を実証するだけの機材をエンジニアリングする事に成功した!! おお!! 学長ありがとう!! ウチの粒子加速器は世界一ぃいいいいいいいいい!!!!」

 

「ひぅ?!!;つД`)」

 

 思わず朱璃が背後で『こ、こいつやべぇ』と呟いているのが聞こえる。

 

 いきなり、興奮して叫び出す科学オタク。

 

 まったく同意見だが、一応最後まで聞いておく事にする。

 

「畳み込まれた6次元を加速器を用いて特定の重元素をミニブラックホール化させる事で通常空間から引っ張り出し、展開するプログラムを私は開発してしまったのだぁあああああああ!!!」

 

『ス、スゴイデスネ』

 

 天井を仰ぐゼド教授がギョロリとした瞳でこちらを見た。

 

「そうか!! 分かってくれるか!! 解ってくれるね? ああ、長かった!! 永かったぁぁ!!! そして、つい先日!! 私はこの展開された六次元を用いて結果の収束を覆した!! そう!! 粒子はどちらにも当たるようになった!! 観測してすらな!! そして、その次元の解析によってぇえ!!」

 

 ドンッッッ!!!?

 

 そんな擬音が聞こえた気がした。

 

「ブラックホールの拡大で少し世界が滅び掛けた気もするが、この子を手に入れたのだ!!」

 

「マヲ?」

 

 今まで椅子の上のソファに座って一緒にご高説を聞いていた黒猫が首を傾げた。

 

「おーよちよちカワイイですねぇ。マヲンちゃん!! 早くあっちの高次領域の事をおはなちしてくれると助かるんでちゅよぉ~~((≧▽≦))」

 

 ムンズと掴んだ猫をニヤケ顔で頬を紅潮させつつ頬ずりするイカレたゼド教授の姿に『やっぱ、この大学辞めようかな』という気持ちになったが、世の中は結局のところ金である。

 

「ラノベを読み始めて早30年!! もはや私に行けない異世界は無い!! 君達がご老人になっている頃にはきっと異世界だろうが並行世界だろうが並行宇宙だろうが多次元世界だろうが高次元領域だろうが、何処にでも行けているはずだ!! 是非!! 愉しみにしてくれたまえ!!」

 

 と、言いつつ、ポチッとマウスがクリックされて、何かのファイルが実行された。

 

 だが、何も起こらない。

 

 そこでようやく我に返った教授が少し恥ずかしそうにニコリと先程の笑みを浮かべる。

 

「ちょっと興奮してしまった。ははは、いや……お恥ずかしい」

 

 恥ずかしいで済まなかったが、スルーしておく事にする。

 

『そのぉ……ちなみに何のプログラムを実行したんです?』

 

「ああ、今加速を始めたから明日くらいにはまた詳細なデータが取れるはずだ。そう言えば、まだ自己紹介していなかったな。すっかり舞い上がっていたらしい」

 

 照れたままに髭の教授がにこやかな笑顔を浮かべた。

 

「ゼド。ゼド・ムーンレイク・立花だ。ドイツのハーフ。いや、今はクォーターだったか? ドイツ系の3世でね。日本で生まれて五十年。いや、日本文化は人類を進歩させるし、救うな!! 異世界転生だって夢じゃない!! ははは」

 

 どうやらマッドは何処にでもいるという事実を忘れていたようだ。

 

 握手してからソソクサと場を後にし、2人ベンチの上でボーッと強烈だったお使いの傷を癒していたら、いつの間にか昼時だった事だけが事実であった。

 

 

 

 *

 

 

 

 学食のおばちゃんに白い目で見られて、慌ててガスマスクを取った昼時。

 

 激烈過ぎたお使いのダメージは大きい。

 

 お家帰りたい病を発症した幼馴染に何とか学業をさせる為、無料で好物であるカラアゲ定食を投げ付け、自腹でパフェを与え、水まで持って来た。

 

 食堂端のテーブル席では冴えない顔でモクモクと肉をリスみたいに頬張る朱璃がドヨンとした瞳になっているが、自分も変わるものではない。

 

 それを横目に自分の分も取って来ようと毎度毎日の日課である定食を求める亡者染みた腹ペコ学生の行列に並ぼうとした時だった。

 

 トンッと。

 

 背後からの不意打ち気味の軽い衝撃に少し前へつんのめる。

 

「あ、ご、ごめんなさい!!」

 

 思わず反射的に誤って後ろを振り返ると……。

 

「―――」

 

 思わず顔が引き攣った。

 

 それもそのはず。

 

 筋骨隆々の2m程ありそうな人影がそこにいた。

 

 しかも、こちらを凝視している。

 

 まるで死んだ魚の目のような無感動さでジッとこちらを見下ろしている。

 

 だが、問題なのはそれよりもその姿だろう。

 

 完全にボディービルダーかと思われるような筋肉がパツパツの相手は……女、だった。

 

 恐らく40代くらいの女性だと思われるのは極めて彼女の顔がゴリ―――厳ついからだ。

 

 彫りの深い顔立ちとメイクされた顔は何処か劇画チックというか。

 

 アニメやマンガに居そうなくらいに濃ゆいが、辛うじて男ではない事をアイラインやまつ毛、二本ある編みにされたオサゲ髪が主張している。

 

 唇には薄くルージュも塗られているし、ピンクのスカート姿だし、パツパツの衣服は辛うじて少女趣味のワンピースである事も……それが女装ではない事を丁寧に丁寧に主張している。

 

「―――」

 

 何も言わない魚の目をした女性にゴクリと唾を呑み込んだ瞬間。

 

 パチクリと瞳が瞬いた。

 

「あ、ごめんなさい。こちらこそ。大丈夫ですか?」

 

 その声を聞いて気が遠くなる。

 

 声が思い切りアニメ声だったからだ。

 

 例えるならば、何処から出したのかというようなか細くて優し気な響き。

 

 発音にしても何かポワポワとしていて、声を後ろから誰かが当てているのではないかと疑うような……正直に言えば、似合わない声であった。

 

「は、はい」

 

『もーダメだよ。ミヨちゃん教授♪』

 

『ミヨちゃん教授は初対面だと絶対誤解される方だから』

 

「も、もぉ!! そんな事言って!! 怒りますよ!! 皆さん!!」

 

『ゲラゲラゲラ―――』

 

 思わず周囲を見れば、彼女に気安く話し掛けて茶化す学生達が複数。

 

 それに対して頬を赤らめて怒る様子は少なくとも外見はともかく乙女だ。

 

『一年だろ。ミヨちゃん教授の事許してやってな。実は人見知りで思わず男性を前にすると固まっちゃう癖があるんだよね』

 

『そーそー♪ ホント、オレ達も最初はすげー吃驚したもんな!! はは』

 

 周囲から言われて取り敢えず話を半分聞き流しつつ頷いておく。

 

 それにしても学生達からフレンドリーに接され、慕われているような筋骨隆々乙女サンはどうやら教授職らしい。

 

 今まで学食はそれなりにお世話となっていたが、見た事の無い姿だったのでまったく不意打ちだったという事は否めない。

 

「済みません。驚かせちゃいましたよね? わたくし、【安頭頼未夜(あずらい・みよ)】と申します。この新祈で農学部の教授をしている者です」

 

「こ、こちらこそ驚いちゃってスイマセンでした。アズライ教授」

 

「学部の子達からミヨちゃん教授と呼ばれてまして。もしお嫌でなければそちらで呼んで下さい。近頃は学生とスキンシップを取るのも奨励されてますから、問題になったりはしないので」

 

「そ、そうですか。では、これからはヨミちゃん教授、と……」

 

「はい♪」

 

 ニッコリと笑んだ彼女が差し出した自分の2倍以上ありそうな手に思わず握手しようと手を出した瞬間、周囲が止める間も無かった。

 

 ―――ギュゴ。

 

 そんな音がして人差し指と中指が一瞬で激痛に見舞われる。

 

「あ、ごごごご、ごめんなさい!? だ、大丈夫ですかぁ!?」

 

「カフッ、ゆ、指が、うぐぐぐ……」

 

 思わずプルプルとその場で蹲る。

 

 手が痺れていた。

 

 あまりの握力に指が潰れるかという痛みに耐えて脂汗が顔に浮く。

 

「す、済みません?!! すぐ医学部の方に!?」

 

「い、いえ、だ、大丈夫ですから!? それにもう定食取る順番来ちゃいましたし」

 

 何とか激痛が過ぎ去った後の手の痺れを受け入れてからソソクサと定食に券を払ってすぐに朱璃の下へと戻る。

 

『本当に御免なさいぃ!! 何かあれば、農学部の方の私の研究室に来て下さい!? ちゃ、ちゃんと治療費はお支払いしますからぁ!!?』

 

「は、は~い……」

 

 何とかそう返した。

 

 トレーの上のとんかつ定食に想いを馳せる事もなく。

 

 今まで定食に夢中で気付いていなかった幼馴染に怪訝な顔をされながらの昼食となるのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 今日も波乱しか起こらなかった大学にも夕暮れ時が迫る。

 

 午後の講義を一通り熟した後の黄昏は雲間から薄っすらと見えるのみ。

 

 学外へと帰っていく学生達の群れを建物の外に見ながら、今日は遅くならないと言っていた幼馴染の取っている講義を通路側のイスで待っていると。

 

 ふと、あの黒い時計塔が目に入った。

 

 四方に巨大な文字盤を置くソレは大学の象徴的なモニュメントとしても扱われている。

 

 夕暮れ時に見れば、何処か眺め続けていたい風景の一部として溶け込んでいる事もしばしばだが、同時に景色によっては悪霊の住処かというおどろおどろしい感じに思える事がある。

 

「………」

 

「あ、シューやん。何しとんの?」

 

 声がした背後を見やると快活な笑みを浮かべた小柄な中学生みたいな少女と微妙にこちらを半眼になって見やる小学生みたいな少女の二人組が歩いて来るところだった。

 

「何だ。エセ関西弁か……」

 

「ちょ?! 出会って早々にエセ関西弁て失礼過ぎやない!?」

 

「でも、お前関西弁キャラ作ってるだろ? エーカ」

 

「何かアタリきつくない? 何かあった?」

 

 頬を膨らませた少女の名は【夜見詠歌《よみ・えいか》】。

 

 金髪に染めたショートカット。

 

 カジュアルな左程女の子らしい衣服とは言えないだろうデニムのジーンズにワイシャツ姿の器量良し姉妹の姉の方だ。

 

 日本美人というよりは欧米のラテン乗りなおねーちゃんと言った風情の相手は実際関西出ではない為、関西弁は正しくノリと勢いのキャラ付けであろう。

 

「おねーちゃん……このクソデカ・カメムシ=サンに近付くの止めようよ。失礼だよ。今きっと発情しててホルモン放出中だから気が立ってるんだよ」

 

「誰が激臭虫だ?! つーか、そっちの方がよっぽど失礼だよ!?」

 

 思わずツッコミを入れてしまったのはエーカの背後に立っている器量良し姉妹の小学生染みた妹の方。

 

【夜見聖歌《よみ・せいか》】

 

 黒髪ロングな姉にそっくりな顔付ながらも慎ましい雰囲気やら女性らしい蒼いスカートに白いワンピース姿の傍目には可憐そうな相手だ。

 

 姉の快活な様子とは裏腹に冷静沈着なツッコミ役だったりする

 

「セーカ。そんな言い方したらあかんよ。幾らシューがヒモテドーテーヨンローヤローでも人間としてちゃんと生きとるんやから……」

 

「うん。おねーちゃんが言うならそうなんだよね。きっと……ごめんね。ヒモテドーテーソーローヤロー?」

 

「何か悪化してんぞ!?」

 

 可愛く首を傾げて謝罪という名の罵倒を仕掛けて来る妹に突っ込みを入れている間にも近付いて来たセーカがゴソゴソと片手に下げていたハンドバックを漁って、こちらに何かを突き出した。

 

「はい。これ」

 

「何だ?」

 

 ジャブを打ち終わった後。

 

 取り敢えずストレートで攻めて来るかと身構えていた自分の目の前に差し出されたのは小さな10円くらいしそうな紙に包まれたチョコだった。

 

「ウチが人伝に聞いた話によると何や大変やったんやって? あの教授連中に無理難題でも押し付けられてたんやないかと思ってな。そういう時は糖分が大事や。イライラしたらアメちゃんかチョコが一番!!」

 

「……あ~~悪かった。ちょっと疲れてて」

 

「はは、いいんやいいんや。ウチらもゼミの教授には色々苦労させられとるしな」

 

 謝った後、横長の椅子に腰掛けたエーカの横でジト目のセーカがこちらを見ていた。

 

 その瞳は言っている。

 

 ウチの姉に手を出したら殺す。

 

 あるいはヒキ肉にしてやる、と。

 

 姉大好きシスコン妹はヤンデレ風味なのだ。

 

「で、お前らはどうしてココにいるんだ? 学部違うだろ?」

 

「あ~~それがなぁ。実は心理学部のゼミの教授へウチの方の教授からお届け物を頼まれてな」

 

「それ、本当に流行ってるのか? 何か今日同じような事を何回も頼まれてたんだが……」

 

「せやなぁ。ウチの教授が言うには何か近い内に大規模な学内の研究発表があるんやって」

 

「そうか。何か皆忙しそうにしてたのはそのせいなのか?」

 

 話を聞けば、納得である。

 

 誰もがその発表とやらに追われていたのかもしれない。

 

「なぁなぁ、シュー。あの彼女さんとは上手くいっとんの?」

 

 ちょっと下世話なヌフフというおばちゃん顔でエーカが訊ねてくる。

 

「だから、彼女じゃないとあれ程言ってるだろうに……幼馴染だよ。オサナナジミ」

 

「やらし~な~♪ 大学生にも成ってオサナナジミとベタベタするんは十分脈在りなんちゃうの?」

 

 ニヤニヤと愉し気な顔は正しく噂好きのオバハンみたいである。

 

「あいつ……昔はヒキコモリだったからな。頼まれてるんだよ。あっちの両親に……オレ自身も放っておけないってのもあるし……」

 

「あ~~えっと、あんまツッコミ入れん方が良かった感じ?」

 

思わず真顔になった少女が済まなそうな顔になる。

 

「別に隠してるわけじゃない。それにヨンローしてる間はあっちの家にイソーローしてたしな。ほとんど兄妹、家族だって言った方が正確か」

 

「何や複雑なんやね。シューも」

 

「ウチは家系からして結構色々あるんだよ」

 

「色々?」

 

「分家とか本家とかあるだろ? 本当に漫画みたいにウチ、分家だし。本家はすげー大人数で女系家族だったりするし、爺ちゃんはスゲー若いし、その上めっちゃハーレム体質だし」

 

「お、おぅ? お盛ん? なんやな。シューの家のお爺ちゃん」

 

「その上、ばーちゃん連中もめっちゃ若作りで美人で日本人じゃねーし」

 

「シューの外見て何か日本人かどうかすら曖昧な感じするもんなぁ~。ばーちゃんが一杯とか確実にアレやな……」

 

 実家は定住する外人系の大家族との話に好奇心満々な笑顔がもっと聞かせてとねだってくる。

 

「じーちゃんのせいだ。言っとくがウチの本家分家の女性陣は美魔女も真っ青だぜ? ウチのばーちゃん連中の年齢確実に十代としか見えんし……それに本家の男連中も大半めっちゃ美少女だからな」

 

「意味が解らん……」

 

 思わず汗を浮かべたセーカに肩を竦める。

 

「何か男の娘率が異常なだけだ。普通にスカート履くし、女形やらしたら女だろってクレームくんじゃないかってくらいカワイイし、綺麗だし……」

 

「もういっそ一回見てみたいな。ソレ」

 

 興味津々な様子のエーカがそう真顔になる。

 

「長期休暇になったら数日は帰るのが毎年の行事だ。東京の外れの外れ。山奥にあるからキャンプだと思えるなら遊びに来てもいいぞ」

 

「おねーちゃんをふしだらな遊びに誘わないで貰えますか? ヨンロー?」

 

 ニッコリ笑顔のシスコン美少女に言われて、『あ、はい』と顔を背ける。

 

 姉の事になると鬼女にもなる妹の迫力は不動明王並みである。

 

 そんな風に駄弁っていると講義が終了した様子で扉から次々に人が吐き出され始めた。

 

「じゃ、オレはあいつ回収して帰るから、またな」

 

「今の約束忘れんといてなぁ♪」

 

「おねーちゃん!!?」

 

「あはは♪ ホント、セーカはヤキモチ焼きやなぁ。そういうとこがカワイイんやけど!!」

 

「も、もぅ……おねーちゃんたら。あ、今日は帰ったら夕食はおねーちゃんの大好物、カラアゲにしよっか? 良いお肉買っても―――」

 

 妹の操縦も上手い姉から軽くウィンク一つされたので苦笑しつつ、その場を離れる。

 

「宗?」

 

 そして、こちらもまた元ヒキコモリな幼馴染と共に帰途に就く事にするのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 素直に帰れると思った?

 

 残念!!

 

 という、天の声が聞こえて来そうな午後9時。

 

 大学の事務すら人が帰った後。

 

 用務員と居残りの研究員か教授くらしか残っていなさそうな大学構内。

 

 明かりも消された廊下には静まり返った闇だけが横たわっている。

 

「いや、済まんね」

 

 ガスマスクを幼馴染に貸して現在地はマガツ教授の研究室手前。

 

 どうして、こんなところにいるのかと言えば、単純である。

 

 帰ろうとしたら目の前の不健康そうな教授に見付かって頼み事をされたからだ。

 

 曰く。

 

 忘れていた研究データの整理の締め切りが明日までに迫っており、助けて欲しい。

 

 もし、手伝ってくれたら自腹で好きなものを奢る。

 

 ついでにウチの大学の教授職しか使用申請出来ない設備の使用許可も好きな時に取っていい。

 

 との事である。

 

 仕方なくゼミの一室にあるPCでデータの整理を文字通りぶっ続けで終わらせた。

 

 指が痛い。

 

 だが、それと同じくらい幼馴染の視線が痛い。

 

 一応、素面で会えるくらいにはかなり異臭には耐性が出来ているのだが、大量の消臭剤で臭いを落として来た教授はそれでも染み付いたような微かな何とも言えない香りを漂わせている。

 

「それにしても本当に君のおかげで助かってるよ。いやぁ、電子工学部所属」

 

「単なるゲーマーですよ。プログラム書く以外は殆ど不得意ですし」

 

「そう謙遜するな。友人が言ってたぞ。今時、マシン言語をそのまま読めて言語学の独自の論文まで出すとか。近年稀に見る逸材だとか」

 

「持ち上げ過ぎです……ウチ、外国人の家系なので」

 

「例の新プログラミング言語の開発。お声が掛ったそうじゃないか」

 

「ええ、まぁ……」

 

『………』

 

 後ろからガスマスク越しにもそろそろ帰れという無言の圧力を感じた。

 

 なので話を切り上げようとした時だった。

 

 不意に扉の奥から漏れている明かりが明滅する。

 

「停電か?」

 

 マガツ教授が首を傾げている間にもガリッという何か固いものを引っ掻くような音がして、音の出所を探して視線を周囲にやった時、ソレが見えた。

 

 黒い巨塔。

 

 時計塔の最上階付近の一部が何かに切り取られるようにして抉れていた。

 

 そこが丁度何処なのか分かってしまうというのは構造計算なども講義でやらされているからだろうか。

 

「ゼド教授の研究室?」

 

 呟いている合間にも何やらマガツ教授が同じ光景を見て、懐から取り出した携帯端末を弄り始めた。

 

 高速で何やら検索しているようだが、すぐにこちらへ顔を向ける。

 

「悪いが、すぐに此処を離れた方がいい。今すぐに駆け脚でだ」

 

「どうしたんです? 一体、何が?」

 

「解らん。だが、学内のネットワークに過剰な電流が―――」

 

 言っている傍から周囲の伝統が一瞬明滅して、咄嗟に朱璃を庇うようにして伏せさせた次の刹那。

 

 パァンと電灯が一斉に破壊されて大量のガラス片が降り注ぐ。

 

 思わず目を瞑っていたが、すぐに上を向くと白衣でこちら2人を庇うようにして覆い被さっていたマガツ教授がブルブルと狗のようにワカメ髪を揺らして硝子を振り落とした。

 

「どうやら遅かったようだな。靴は履いてるな? 2人とも」

 

「は、はい」

 

『う、うん』

 

 塔の方を見上げれば、まるで虫食いのチーズのように丸い穴が次々に開いた外壁が内部まで見渡せるような形で露出。

 

 ドッという音と共に根本から粉塵が舞い始める。

 

「に、逃げるぞ!! 地下だ!! ウチにはもしもの時用に核シェルター並みの隔壁の避難用シェルターがある!!」

 

「核シェルター並みって金掛かり過ぎじゃないですか!?」

 

『シュー!! 早く逃げよ!! 崩れ始めてる!?』

 

 もう振り返る事無く。

 

 三人で近くの通路を駆け降りるとほぼ同時に建材が避け曲がるような巨大な鈍く金属音や落下音やボフンという誇りが舞い上がる音が追い掛けて来る。

 

 一気に地下の駐輪場付近に向かうのは電灯無しでは難しかったが、階段をよく使っていた為、脚を踏み外さないように手摺を頼りに何とか到着。

 

 だが、バリバリとガラス片が散乱した通路や階段を踏む音だけでもかなりの恐怖だった事は間違いない。

 

「大丈夫か!! 足にケガは無いか!?」

 

『う、うん!! シューは!?』

 

「ああ、こっちも大丈夫だ。教授!!」

 

「ああ、心配してくれるなんて君は良い奴だな。非常灯は灯ってるようだが、学内の回線や配線が軒並みショートしてるかもしれん。配電盤も今は近づけるものじゃない。慎重に行くぞ。こっちだ」

 

 広い学内の地下通路を教授の先導で歩く。

 

 暗闇に目が慣れて来ると非常灯下の通路がLEDの破片や電光掲示板の破片で一杯なのが見えた。

 

 過度の電流で爆発したらしき痕跡もあるが、消化剤などは散布されている様子も無く。

 

 ホッと一安心しつつ歩む事1分弱。

 

 外から猛烈な粉砕音らしきものが聞こえるに連れ脚が早まる。

 

「此処だ。 ん、どうやらお客さんがいるようだな。オーイ!! 誰かいるのかぁ!!」

 

 辿り着いたのは普段は用が無い通路の奥まった場所の角の先。

 

 入り口の大げさな分厚い金属扉はまるで潜水艦のロックみたいな金属棒で閉ざす仕組みだったらしく。

 

 開いている様子は何処か非常灯の効果も相まってホラーゲームで何かが出て来る時のようだった。

 

『シュー……』

 

 震える体が寄り添ってくる。

 

 さすがにこういう時は女の子だなという感想を抱いた瞬間だった。

 

 カーンと何かを蹴ったような音が真っ暗な室内から響き。

 

 一瞬、明滅したシェルター内の電灯の下の光景がハッキリと焼き付く。

 

「ひ?!」

 

 その刹那に見えたモノに思わずガスマスク内の声が零れる。

 

「どういう事なんだよ!?」

 

 再びの明滅が室内を映し出した時、ようやく非常灯が灯った室内の床には大量の肉片らしきものが並々とスープのように広がっていた。

 

 その内部に大量の衣服やカバンらしきものが散乱している。

 

「―――生神宗学生!! 此処を閉めろ!!」

 

「は、はい!!?」

 

 開いていた扉を咄嗟に閉めようと2人で扉を押した時だった。

 

 ガグンッと扉がゆっくり締まる途中で反対側へと押し戻されそうになる。

 

『い、いやぁ?!!』

 

 思わず女の子らしい悲鳴を上げた朱璃が目にしている。

 

 ―――細長い指だった。

 

 だが、明らかに人間のものではなかった。

 

 正しくエイリアン系の映画にでも出て来そうな禍々しい漆黒に青を溶かしたような蒼褪めたまだら模様の指先が、人を殺せそうな程に長く鋭利な爪が、僅かに締まり掛けた扉から突き出ていた。

 

 一瞬、その指先が右頬を掠める。

 

 それだけでザックリと頬が上からメスで斬られたかのように割れた。

 

「左ポケットの中身をソレに掛けろ!!」

 

 教授が必死に押し返されそうな圧力を体全体を扉に押し付けるようにして封じ込めながら叫ぶ。

 

「は、はい!!」

 

 言われた通り、自分でもまた扉を押しながら、瞬時にポケット内部から取り出した試験管のコルク栓を抜いて今にも出て来そうな禍々しい長い指に数滴掛けた。

 

 ―――f;あjrげいlgjmなえおrgんまお;いらえ4!!!?

 

 名状し難い人間の声帯では出せない絶叫にも似た音が響き渡り、瞬時に指が削れるのも構わず乱雑に動いた指先がこちらの手を掴もうとして、手から離れた虚空の試験管を掴むようにして引っ込められる。

 

 ドガンッと内部で何かが転げ回るような音。

 

 しかし、瞬時に教授が扉のコンソールが死んでいるのを確認して手動の閉鎖用ハンドルらしいものを目一杯の速度で回す。

 

 すると、回し切る寸前に内部からゴドンッと扉に向けて力一杯体当たりするような音が数度。

 

 しかし、ハンドルを回し切って扉が締め切られた後。

 

 数秒に一回の激突音はやがて聞こえなくなった。

 

 まるで心臓がエンジンか何かのように早鐘を打っていたのも束の間。

 

「どうやら、何か危険生物がいるようだ。シェルターはもうダメだな。だが、この扉なら破られる事はさすがに無いはずだ。とにかく此処を離れよう」

 

『い、いい、今の何なんだ!?』

 

「生憎と答えを持ち合わせていないが、少なくとも人間の腕の象形に似た部位は持ち合わせている生物と見ていいだろう。生きていれば、化け物かもしれないが、あの中身を身体に触れさせて死んでいれば、殺せる生物だろう」

 

「何なんです?! さっきの中身……」

 

「護身用の毒物だ。まぁ、フッ化物の一種だ。此処も汚染される前に戻ろう」

 

「何で護身用で化け物が殺せそうな毒物持ってんですか……」

 

 思わず口に出た。

 

 しかし、気軽に肩が竦められる。

 

「気にするな。研究者の嗜みというヤツだよ。バンソーコーが確か此処に……特性だから、数日付けていれば切り傷も塞がるはずだ」

 

 絶対違うとは思いながらも、殆ど現実逃避気味にバンソーコーをバチッと張って三人でその場を離れる。

 

『さ、ささ、さっきのみたいなのが此処にいるの!? 完全にホラーゲームじゃん!!? ロケラン!? ロケンラン欲しい!? うぅぅぅうぅぅッ シューも怪我して、ど、どうしよう!?」

 

 涙目というか、半泣きな幼馴染の頭をポムポムしようとして教授に視線を向ける。

 

 ヤバイ薬に触れたかもしれないからだ。

 

「大丈夫だ。毎日、ウチに来る時は例のハンドクリームは付けてるだろう?」

 

「ええ、まぁ、ゼミ初日に渡されましたし」

 

「フッ素の大半は身近なものだ。ちゃんと取り扱いには気を付けてるからな。気にするな」

 

「……それにしても何処に向かってるんです? さっきのみたいなのは勘弁ですよ。教授」

 

「生憎とこちらも考えあぐねている。少なくとも遺伝子工学で人遺伝子に対する改造は既存の技術では左程の効力がない。肌の色を変えたり、筋力を増させたりというのは可能だが……」

 

「さっきのウチの医学部にある遺伝子工学科のじゃないですよね?」

 

「そもそも先程の手の大きさを見る限り、身長が3mはある生物だ。腕の大きさは身体の大きさに比例する。相手が完全に人型でアレが片腕だった場合の話だがね」

 

「よく見てましたね。そんなの……」

 

「体細胞モザイク薬の類は現在、何処の先進国も研究だけはやってるからな。臓器を特定の部位に生やす薬というのは言う程遠い未来の話でもないのだよ」

 

「……で、こうやって何とか気分をごまかして話してるとこ悪いんですけど……」

 

『と、閉じ込められた!? ちょっと!? どうすんの!? シュー!? ど、どうしよう!?』

 

 プルプルしていたガスマスク姿の幼馴染が絶望的な声を上げる。

 

 来た道を戻って見れば、もう上部は瓦礫か土砂で完全に塞がれていた。

 

「……仕方ない。立ち入り禁止区域の方に行こう。あそこは礎もしっかりしてるし、化け物がいたとしても各種の隔壁や点検用の小部屋には事欠かないからな」

 

「立ち入り禁止区域?」

 

『うぅ、もう何でもいいから休める場所ぉ……』

 

 思わずしゃがみ込む幼馴染の手を取る。

 

「もうちょっと頑張れ。歩けなくなったら負ぶってやる。まぁ、アレが追い掛けて来た時に一番最初に後ろから狙われたいんだったら、だが?」

 

『もう!? 絶対、シューより長生きしてやるから!? 絶対!! 絶対!!』

 

 こちらの言葉に奮起した様子でガーッと両手を上げて生きて見せる宣言をする朱璃にその意気その意気とニヤニヤしつつ、頭をポンポンしてやる。

 

「あ~~いちゃつくのはその辺にしたまえ。1人身の独身男性の前だぞ」

 

「『いちゃついてません!!』」

 

「ソレをいちゃつくと言うんだがなぁ……」

 

 被りを振った教授が先導して歩き出す。

 

「さっきの疑問に答えると立ち入り禁止区域は粒子加速器がある。ウチの学長が設計した代物だ」

 

「加速器……ゼド教授も確かそんな事言ってたような?」

 

「ああ、ソレだ。【メビウス型粒子加速器】……通称はヨモツヒラサカ。まぁ、この学内の地下400mに埋まってる地下大深度建設された地熱発電で殆ど電力を賄う最新モデルだ」

 

「何か聞いてるとスゴソウなんですけど」

 

「従来の粒子加速器と違って極短距離で加速出来る。超出力のシンクロトロンとしては世界最大出力の優れものでもある」

 

「すげー言い難いんですけど、そういうのって国家プロジェクトですよね?」

 

「生憎と大学単位の有志が作った小型実験施設で国には申請してある」

 

「ウチの大学。ホント、どうなってんすか?」

 

「気にするな。昔馴染みの有志連中で造っただけの高価な全部乗せ玩具に過ぎんよ」

 

 言っている間にも通路の端に行き止まりの壁で教授が手探りで何かを探し、突起らしいものを引っ張った途端に壁が内側へと沈み込んでゆっくりと下に格納された。

 

「ビックリドッキリの忍者屋敷みてぇ……」

 

『何でもいいから、安全な場所確保が最優先!! ボサッとしてたら置いてくからな!! ちゃんとしたところで消毒もしなきゃだし』

 

「はいはい……」

 

 空元気なのは解っているが、何とかそう返して通路を進むと非常灯に照らされたエレベーターらしきものが見えて来た。

 

「どうやら独立電源が生きてるという事は逝ったのは地表部分だけだな」

 

 エレベーター横のタッチパネル式のコンソールを操作した教授が扉が開いたと同時に内部に入れと指示し、ようやく電灯の明かりにホッとした様子になった朱璃が地下へ降り始める辺りで安堵の息を吐く。

 

「で、これからどうするんです?」

 

「助けが来るかは分からないが、あれくらいの化け物ならウチの連中が掃除してくれるだろう。しばらく、加速器の管理用の施設で過ごそう。あそこにも緊急時の備蓄が3か月分くらいは置いてある」

 

「もうツッコミませんけど。そう願いたいですね」

 

 こうして数十秒程エレベーターで地下に降りた時だった。

 

 エレベーター内部のコンソールが何やら英文を吐き出し始める。

 

 それを同時に読んだ教授と自分に解った事は2つ。

 

「施設の稼働率が2000%って見えるんですけど」

 

「……そのようだな。粒子加速器が限界を超えて粒子を加速しているのか? いや、最終フェイルセーフが働いていない?」

 

「一つ聞いていいっすか?」

 

「何かな? 生神宗学生」

 

「地下、灼熱地獄になってたり……」

 

「そういう問題はない。問題は膨大な電力消費を一定以上の出力が出ない地熱発電で補う関係上、何処かで電力が不足してシステムの一部がブラックアウト、制御不能になる事だ」

 

「どうなるんです?」

 

「ブラックホールの生成シークエンスと消滅処理操作が不可能になる」

 

 言っている間にもカチカチとコンソールを操作している教授に一番聞きたい事を訊ねる。

 

「ヤバイのは解りました!! つーか、発生したり、消したりって、それノーベル賞ものでしょ!? 地表に今から戻れます?!」

 

「生憎と保安用のシステムとしてエレベーターは一方通行。ついでに反対側のエレベーターに向かうまでに粒子の衝突用の機材がある中央制御室を通る。一応、現地の機材のメインコンソールは使えるはずだが、システムのブラックアウトする時間がこのコンソールでは分からない」

 

「つまり?」

 

 キンコーンという古めかしい音と共にエレベーターが開く。

 

「走って止めに行った方が早い!!」

 

『え!? シュー!!?』

 

「走れ!!」

 

『やっぱ、この大学退学しとけばよかったぁああああ?!!』

 

 教授と共に地獄の時間制限マラソンを開始する事になる自分は心底付いてない気がした。

 


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