ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
この世で最初にされた約束は一体、何だっただろう。
食べ物を必ず取って来る事か。
はたまた必ず生きて帰り戻る事か。
そんな事を話した時、終末の時代に考古学をしていると臆面もなく言ってのける男は他愛ない話に扱く真面目な回答を寄越した。
それに感心していたのは束の間の事。
男の娘が割って入れば、何を話しているのかと。
まさか、また危険な遺跡に入る事を計画しているのじゃないのかと。
そう、睨まれてしまった。
2人で苦笑いした事は確かに思い出せる
「上手くなったな……料理」
当然だと言わんばかりに無い胸を張る少女は何処か誇らしそうだ。
あの頃とそう変わらぬレシピ。
しかし、味だけはマシになっただろう。
当時、調味料が貴重なせいなのかどうか。
塩と砂糖の違いも然してよく分かっていなかった少女の作る食事は毎日が毎日、味が奇妙だったり、極端だったりした。
それに比べれば、バランスの取れた味付けになっている事は格段の進歩に違いなかった。
「美味しい?」
「ああ、昔の味が懐かしくなるくらいな」
「それって褒めてないでしょ?」
「さて、どうかな」
すぐに膨れて見せる少女。
しかし、すぐにクスクスと笑い始めた。
「……オレが振り翳した勇気は結局、お前を幸せには出来なかったな」
「え?」
「バイオレット。覚えてるか?」
「何を?」
「オレとお前が初めてした約束と最後にした約束を」
「勿論!! 勿論、覚えてるわ!!」
「初めての約束は?」
「……一緒に笑えるような生活をしよう」
「ぁあ、オレがお前と共に生きていた時、初めて祈った事だ」
「え……」
「旧い地図をなぞるみたい誰もが望む事だ。夜を超えて共に歩んでいきたい人間に……オレは初めて出会ったんだ」
「エニシ……」
少女がポツリと噛み締めるように呟く。
「飛び立つ鳥もいなくなった世界に……それでもお前とお前の親父さんは……レッドは確かに飛び出そうとしてた……それがオレには羨ましかったんだ」
「エニシがいたからだよ。夢が見られた……」
「オレは夢のつもりなんて無かったさ。だって、お前らがいた。一緒なら、きっと……幸せな結末ってヤツが待ってると。そう思えたんだ……」
拳を握って胸に当てる。
「見上げた星がいつかと違っても、オレは……お前にただ笑っていて欲しかった。レッドだってきっとそうだった……でも、その願いが死んだお前を此処まで変えた……変えてしまった……」
「―――」
「お前は頑張った。だけど、頑張り方がそれしかなかったしても……やっぱ、間違えてる……それは……だから……」
立ち上がれば、少女もまた立ち上がる。
「お前を連れて行く」
「……ふふ、変わらないんだね。エニシは……」
「残念ながら、この時間はオレのものじゃない。この時代の、この時に生きるオレのものだ」
少女は吐息を吐き出す。
「そっか……でも、でもね……エニシ……頑張って、頑張って頑張って、頑張って頑張って頑張って……ようやく此処まで辿り着いたんだよ? エニシに会いたくて……また、新しく始める為に……何年も何十年も何百年も何千年も何万年も……だから、コレは私の我儘なの……」
全てが朱く染まる。
世界の彼方までも全てが耀きの粒へと変換されていく。
世界がようやく姿を顕す。
北極星すらもズレ過ぎた時代。
嘗ての栄華すら忘れさせる荒野。
全てが載った人口の大地。
全てが朱く染まって、地平までも平らになっていく世界に渦巻くのは情念。
否、少女が全てを掴むまで重ねた年月そのものか。
天を覆う天蓋が消えた青い世界は今、確かに星を包む程に輝き。
「カシゲ・エニシ。貴方を永遠に私のモノにする。紛い物じゃない……本物の貴方を……私が私である為に……あの神を嘯く特異点なんかに渡しはしないッ!!」
少女の身体が朱に包まれていく。
「軍人が嫌い。戦争なんて嫌い。私を傷付ける全てのものが嫌い。おべっかを使う奴、裏切る奴、幸せそうに笑ってる奴、私が苦しくても……何一つ知らずに生きている奴……」
黒く黒く顕現していくモノ。
それは世界にただ死を齎す為に創られた。
少女の怨嗟と絶望の形。
「エニシ、好きだったでしょ? ロボット……だから、この形にしたの……悪い奴を許さない形にしたの……」
「悪い子だ。なら、叱るのはオレの役目だ。連れて行くのも、お前を倒すのも、泣いてやるのも、笑ってやるのも、一緒に眠るのも……一緒だ……」
顔だけが突き出た黒の神。
未だ全体像も見せず。
恐らくはkm単位の構造物の中枢。
遥か彼方までも山は黒く。
遥か空の彼方までも変色していく空は光沢を持ち、自分と相対する顔はしかし昔と一つも変わらず。
「この星が滅んだって知らないよ?」
「だとしても、お前を嫌いになんてなれない」
「……ふふ、馬鹿なんだから」
少女の顔が遠ざかっていく。
世界が物質で構成されているというならば、物質ある限り、その技術の終点にいる者は決して滅びない。
「ああ、大馬鹿だとも」
「まだ見ぬ明日を求めて……オレはとりあえず、あいつと共に生きる事とした。そう日記へ書いてた癖に……此処まで来て、こんなに未来まで来て……それでもやっぱり、貴方は……私のものにならないんだね」
「カッコ悪いが、まだオレは童貞だぜ?」
「ソレ、今言う事じゃないよ。絶対」
少女の笑みが極大の世界に向けられた悪意と共に顕わとなっていく。
全長45km。
動くだけで恐らく地球の大気表層が全て消し飛ぶ。
その“小ささ”で驚くべき性能は恐らく実際に惑星規模の物体を完全に制御消滅させる事すら可能だ。
それはまるで嘗ての世界のアニメに出て来そうな人型のドラゴンにも見えた。
だが、背中から尾に至るまでが太く。
強靭な腕と反比例するかのように脚は存在しない。
広げた翼は正しく天地を隔てる数百kmの台風の如く。
大陸北部を暗黒に染めて、その装甲は正しく邪悪と言っていい。
物質、エネルギーで貫くのならば、太陽の数倍の規模の物質を亜光速で加速して何とか貫けるかどうか。
そして、そんな規模の物質はこの宙域に存在しない。
存在したとしても加速する装置が無い。
正しく最初から分かり切った終末論であった。
「陰り滅びゆく世界にお別れを、裏切り者には制裁を、愛する者には抱擁を、見知らぬ者には死を、数千年も前に創ったの……規模は小っちゃかったけど、それでも数億人は殺せたんだよ?」
「ああ、そうかい。残念ながら、見知らぬ人間が何兆、何京、何乂死んだって関係ない。オレが止めたいのはオレが愛した……オレが本当に傍にいてやりたかった女……そいつが好きだった、共に笑い合えた世界を壊す……そんな、悪魔だけだ」
「カッコ付け過ぎ」
「いいだろ? 地球を掛けてるんだ。神話くらいにはなるさ。お前の手が他の奴と繋がってるなんて嫌なんだ」
「自己中心的で独占欲が強いって言われない?」
「無論、百も承知だ」
「私がソレをしたらダメなの?」
「ああ、好きな女にはいつまでだって綺麗でいて欲しい。幸せでいて欲しい。傍に居て欲しい。泣かないで笑っていて欲しい。馬鹿な男の理想だ。必ず、叶える」
少女の顔は見えない。
しかし、確かに見える。
声が聞こえる。
傍に感じる。
そして、だからこそ、世界の冷たさに心魂の朽ちる音がした。
「無理だよ……私の手は……」
「無かった事にはしないが、洗う事は出来るさ。命の儚さも温かさも、失われるから、だから……いいんだよ」
「失われるのが?」
「失われないものの価値が低くなるのは世の常だろ?」
「無常だからいいなんて。そんなの……」
「この世が嫌になったって言うなら、オレが逆にしてやる。女を待たせた分くらいは……恰好付けるさ」
「―――馬鹿……後40秒……この星を全部消す」
「なら、それまでにお前を救ってやる」
「今の私はあの神と特異点を除けば、確かに万能無限だよ? 少なくとも、この地球そのものが私の動力源で構成材質であらゆる物質が私そのものを補強してくれる。勝てるわけない」
少女の言葉は本当だ。
量子転写技術。
その極地に近付いた者のみが使う事を許された無限の力。
物質の続く限り、規模を拡大し続けられる。
今や地球全土を覆う彼女の力は確かに全ての物質を瞬間的に昇華して、己の力として還元する一歩手前まで高まっている。
だが。
「こういう時、悪役に正義の味方や主人公が何て言うか知ってるか?」
「……何て言うの?」
「決まってるッ!!」
跳ぶ。
己の全てを掛けて少女の顔がある傍まで。
世界が小さく見えるくらい高く高く。
それを少女は止めなかった。
どんな技術もどんな能力も彼女の力を前にしたら、同等の量子転写技術無しには絶対に倒せないし、止められない。
物質世界の神。
それこそが量子転写技術を扱う者の称号だと知っている故に……しかし、それは本当に真実だろうか?
「ッ―――」
大気に肌を焼かれながら、断熱圧縮で焼け付きながら、大気圧の消失に晒されながら、確かに45kmの直線を渡り切り。
その線を世界に刻んで少女の顔を包み込むようにして触れる。
天地はもはや虚空と灰色の星のみ。
嫌になる程、それは地球とは思えない世界の終焉の先。
「愛してる。バイオレット。ずっと、ずっとずっと一緒だ。オレと生きてくれて―――ありがとう」
「ぁ―――」
幸せで涙が零れる事なんて現代で一度でもあっただろうか。
己の命が確かに途切れ、量子転写技術によって再生させられながらも……確かに精神が薄れていくのを感じているだろう少女が驚きに目を丸くしていた。
物質的には完全なはずの己が何故?
その疑問を胸に抱きながら答える。
「お前を蘇らせたのは誰だと思ってるんだ? あのオブジェクト……凄い皮肉な効果でさ……結局、軍人になって探すのに時間掛かっちまった。蘇らせてオレが死ぬ時になったら言うつもりが……お前が生き返る寸前に死んだ馬鹿がいたって話だ」
「………ぷ、くく……ふふ……あははははははは―――」
少女は笑うしかなかったのだろう。
もし、自分だったとしてもそうする。
物理現象は少女を絶対に殺せない。
確かにそれは事実だ。
しかし、物理など何一つ関係ないモノが命を本当は繋いでいた。
笑ってしまう程に解決法は単純で明快。
「負けた……好きにして……もう、一番欲しかったものは手に入っちゃったから……」
「ああ、そうさせて貰う。例え、宇宙が滅んでも滅ばない。オレのお家にご招待しよう。あ、ただし、一つだけ言っておくぞ」
「?」
「オレが一杯だからって浮気するなよ?」
「自分で言ってて恥ずかしくない?」
「恥ずかしくない!! どうせ、もうバトンタッチだからな。現実世界なんぞ知った事か。オレはオレが好きなものを永遠に愛でて死んでる事にする!!」
「ッ~~~馬鹿!!」
「ああ、そうだとも? この時代のオレが盛大に恥じを掻くだけだ。だから―――」
「ん―――?! ん、っく、んぁ、ぁ、んッ~~~~?!!」
その唇は確かに甘く馨しかった。
「全世界、月面、太陽系内に同時放送だ!! オイ、お前ら!! 馬鹿な争いなんぞしてないで、傍の誰かに言ってやれよ!! 愛してる!! 好きだ!! 傍にいてくれ!! 人間は結局一人じゃ生きられない。世界が滅びる日に悪事を働いてどうなる!! 他人を蹴落として、見栄を張ってどうなる!! 戦争なんぞしたってお前らを最後に満たしてくれるのは血でも銃弾でもない!! 単なる隣人なんだ!!」
未だ茫洋として意識を旅立たせている少女をもう離さない。
「コレはオレからの、オレ達からの祝福だ……お前らが世界を滅ぼそうと共に命を育もうと全てはその手の中だ。いつか誰もが知るだろう。其処に至るまでに……幸せに生きて眠れ。人を継ぎ、
邪竜。
嘗て、亡骸を道として世界に滅亡の未来を敷いたソレが砕けていく。
紅い燐光が急激に溢れ出し、地表を渡り、地球全土を覆っていく。
「後は好きにやれ。答えの無い結末にお前なりの決着を付けてみろ。じゃあな、ハーレム野郎」
紅に沈みながら、全てが蒼く蒼く、昔何処かで聞いた言葉を思い出す。
地球は蒼かった。
そう、それは確かに間違いない事だろう。
今もまた全てが蒼く蒼く―――少女の瞳と同じ色をしていた。