ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
鈴の音が聞こえる。
これもまた夢か。
だが、いつもとは少し違うようにも思えた。
砕け散った無限の己が折り重なるような。
記憶とも記録とも付かない宇宙めいた星々の最中でパチンと意識が覚醒した、ようにも見えるが実際には違う光景が思い出される。
振り返れば、そこは外が見える嵌め殺しの窓が付いた部屋だった。
内部は殺風景を通り越して打ちっ放しのコンクリート。
寝台とトイレがある以外は何もない四畳一間だ。
外部は灰が戦線の先から降って来ていたが、誰も気にする事なく。
マスクと外套姿で過去ならばドヤ街のような場所なのだろう猥雑な雰囲気の街並みは視線の遥か彼方に続いている。
外では超酸染みた霧が立ち込めていて、街行く人々の姿は煙る最中の原色の看板に押し潰されそうだ。
ぼやけた世界から振り返れば、今日も扉は開かない。
そう知っているが、そうでもないとも知っている。
ギィィと合金製の扉が錆び付いた音を立てて開けば、其処には少女が一人。
「あ、お父さん。まだ生きてたよ!!」
「こら失礼だろう」
「え~でも、大抵此処に来ると死んでるもん。一緒に来て初めてじゃない?」
最初に入って来た彼女はこちらを見てから目を細めてこう言う。
「初めまして。何処かの誰かさん♪」
そして、彼女の後ろから現れた白髪に白毛の優男。
中肉中背で小奇麗な革製の外套を来た男がこう言う。
「初めまして。過去からの旅人よ。私は白の鳩会の世話人。レッド・ライトフォードと言います。今日から君の後見人であり、所有者という事になるかな」
「所有者ねぇ。で、このクソみたいなSF染みた世界は一体何なんだ?」
「そうか。君は旧い時代の人間なのか。では、簡潔に……第三次世界大戦だ。それも数万年規模で今現在も続いている」
「……本当にSFか……はぁ……」
「途方に暮れる気持ちは汲もう。ただ、君がどんな時代から来たにしても、この場所で朽ちていくよりは僕らと来た方がいいじゃないだろうか?」
「……オレはただ飯を抜いて寝てただけなんだけどな」
「君がどのような状況で発見されたかは知らないが、バイオ培養槽に入っていたそうだから、恐らくは記憶の欠落などもあるだろう。君が自分でどう生きていくのかを決めるまでは僕の実家で面倒を見よう」
「……有り難くて涙が出そうだが、その理由は聞いてもいいか?」
「僕の実家は過去の人々から情報を引き出し、それを保全する活動を政府からこの数千年依頼されてる。君の時代に考古学って概念があるかは知らないが、僕らにとって君は貴重な化石や情報そのものなのさ。だから、心配しないで欲しい。君を売り払ったり、過剰労働させたりはしない」
「……解った。今はその話に乗ろう。ライトフォードさん」
「ああ、僕の事はレッドでいいよ。この子は娘のバイオレット」
大人の話が詰まらない少女は15くらいだろうか。
年齢より少し幼そうな言動だったし、今も退屈そうに欠伸などをしていた。
名前の通り。
地毛が紫色だ。
また、瞳の虹彩も。
父親と同じ外套を羽織っていたが、その腰にはヘルメットらしきものがプラプラと揺れている。
一見すれば、ショートカットの北欧系の雀斑の残る純朴そうな少女に見えるが、日本語がペラペラで気まぐれな様子は都会の猫といった風情か。
「……(´Д`)」
「こら、バイオレット」
「ぇ~~だって、この人……知識人には見えないよ? インテリそうだけど」
「く、微妙に痛いとこ突いてくるな。お前」
「お前じゃないわ。バイオレットよ。何処かの誰かさん」
肩を竦めた少女はこちらを明らかに値踏みしている。
これからこの如何にも使え無さそうな奴をどう料理してやろうかという感じか。
「オレは縁。縁だ」
「エニシ? へぇ~~凄い古語を付けてくれる親御さんだったんだ」
少しだけ驚いたような顔になった少女の後ろでレッドもまた驚いていた。
「ええと、大断絶の前って事は……三万年? その頃に生体凍結系の技術はあったかな……」
「1つ聞きたい。今は西暦何年だ?」
「―――西暦!? 君はまさか!? 統一歴以前の人間なのか!?」
「暦が変わったのか……」
「もう何万年も前の話だよ。僕だって、古代人に会うのは初めてだ……やったぞ!! これで僕の研究も!! はは、バイオレット!! お父さんやったぞ!! 念願の古代人だ!! 古代人だぞ!!?」
目をキラキラとさせて、こちらを見る三十代の優男とソレを見て白い目になる少女……それが“このエニシ”にとって始まりだったらしい。
その日、専用の防護服を与えられて連れて行かれたのはバイオトープのような薄い球体状の半透明な外殻に覆われた2階立ての英国風の館の中だった。
その敷地面積は極めて広く。
ドーム球場かと思った事だけは確かだろう。
それが果ての先に辿り着いたエニシの止まり木だった。
―――人類滅亡から2か月前ニューヨーク未来予測研究所応接室。
「……?」
「どうかしましたか?」
「いや、繋がってるせいでどっかから電波受信状態なんだよ。まぁ、無意識下に沈めてあるから発狂はしないだろうけど」
「はぁ、そちらはそちらでとても大変そうですね」
蜥蜴人類。
とでも言えばいいのか。
確実に月面下世界たる恒久界の麒麟国の民に似ている。
そんな相手にお茶を出されてソファーで啜っているというのもシュールな事に違いなかった。
「日本語なんだな……」
「ええ、貴方のおかげで財団は英語と日本語がダブルスタンダードですから」
「……で、人類の滅亡寸前な理由は
「1つです」
「1つ?」
「ええ、最初の西暦では2400年頃に発生しました」
「何が起きた? 人類の自滅以外のはずだが……」
「ええ、それは保証しましょう。我々は人類の自滅以外の外的要因によって全滅し掛けました。当時の人類を導いた救世の巫女ファースト・クリエイターズのアトゥーネ様の発案により、旧人類の9割は地球圏を離脱し、他の恒星付近の地球型惑星に移民しましたが……残る一割は地球脱出を拒否しました。その中には人類の永続が図られるのと同じく。オブジェクトの管理を行う我々財団も入っていた」
「なる程。救世の巫女ねぇ……本人が聞いたらまた引っくり返りそうだな。で、外的要因てのは?」
「
「何? この時間軸でのオレは至高天に殆ど手を付けてないはずだぞ。いや、そのせいか?」
「分かりません。我々が観測した結果だけを申し上げるならば、西暦1990年代から2500年代までの間の情報が繰り返し、再現され……人類の一部が一瞬で時代毎に入れ替わり、消滅したり、未来の国家が即時、この時代に出現するようなケースが多発しました」
「……人類には変わりないが、今までそこで生活してた連中は完全に消滅するのか?」
「ええ……いきなり10億人が別の時代の人間になるような事になれば、世界が混乱するのも想像出来るでしょう?」
「まぁ、そうだな……」
「至高天に接触しようと試みましたが、それも財団の科学力では無駄でした。現実改変系オブジェクトの殆どを用いましたが、至高天が存在しない世界への改変や直接の干渉を指向しようとするとその能力が停止した。恐らくはオブジェクトの再現時にリミッターが内蔵されたせいでしょう。結果として2500年代より先まで進んだ時代も遠くない未来に破綻するという事になった。その度に我々財団は全滅に近い人類を復興させる為、北米大陸のアレを用いて人類をより至高天の影響を受け難い生物として再生させてきました」
「……あいつらがオブジェクトの研究成果じゃないのは当初から調べてたから何となく分かってた。だが、あの物理現象を無視する能力やらは根幹の原理が魔術に似ていた。が、魔術そのものじゃなかった……あの能力は一体何なんだ?」
「ハッキリとした事は分からないのです。ですが、幾つかの空間系オブジェクトを試した時……繋がったのですよ。この宇宙ではない宇宙に……」
「オレは至高天が記録した別の地球で生まれた技術辺りだと思ってたんだが、別の宇宙だと?」
「ええ、貴方の言っている事は方向性自体は間違っていません。推測していた通り、あの子達は我々の地球ではない人類の血統です。遺伝構造は極めて似ていますが、脳機能の一部に付いて、我々の宇宙内で知られる物理法則ではない類の法則が働く部位が発見されました。お気付きだったでしょうが……」
「まぁ、妙な現象が働く脳の部位がありゃそりゃそう思うだろう」
「恐らくは西暦5000年辺りと推測される時代に別宇宙、別世界からの技術導入や異なる法則性の下で発達した高度な知性体の情報を人類にテコ入れしようとした財団内の一派が行ったものだと思われます。今現在、彼らに類する機能を持つ人類は全体の1%にもなり、彼らは我々が選抜し、こちらの技術で能力を伸ばすカリキュラムを与えて育てています。まぁ、能力の体系化はかなり難航していて、殆ど進んでいませんが……」
「あいつらの事は分かった。それでどうしてお前らはこの星を捨てなかったんだ? 別宇宙や別の地球への移民……考えないわけじゃなかったんだろう? 至高天の影響範囲から離れるなら、宇宙で暮らすだけで良かったはずだ。コロニー建造をお前らなら継続して続けられたと思うんだが……」
「……最初の西暦時に月には数多くのオブジェクトが収容されました。その中には人類を何とか維持する為に現実改変系オブジェクトによるフェイルセーフが設けられたのです」
「フェイルセーフ?」
「ええ……具体的には地球在住の人類9割の死滅もしくは入れ替わりが発生した場合に最初期の西暦1990年代の
「……つまり、移住しても移住してもこの地球は無くならないし、人類も無限に湧いてくるし、移住し切れない、と」
「ええ、そもそも人類だけを最初の頃に戻しても繰り返すだけになってしまう。ですが、財団による方式で生まれる新人類は極々僅かながらもリバイバル・ハザードからの被害が減ったという事実がある。これは単なる生物の生存能力の向上のみならず、財団の人類再生の方向性が正しい事を示した。この事実を以て今も月のフェイルセーフは環境維持のみを用いて人類の永続を図っている。でも、ただ、1つだけ再現されないものがあった……そう、あなた達ですよ。ファースト・クリエイターズ」
「……この世界にもオレがいたはずだが、繰り返す歴史の度にオレが来るような事にはならない、と……やっぱり、お前らの目的は最初から過去の改変じゃなかったわけだ。というか、オレ達そのものを再現しなかったのか?」
「出来なかったのですよ。至高天に類する事象として改変不可能な事象として扱われた為に……偽物を創る案もありましたが、未来予測によれば、偽物ではあなた達のように上手くはいかなかった。あなた達の行ったような奇蹟的なバランスの上に世界を進める事は……出来なかったのです」
「そういう事か」
「至高天にアクセス出来るのはカシゲ・エニシだけだ。ただ、何の能力も持たない者ではなく。様々な技術や叡智を持ち、地球中心部に至る事が出来る者のみ……だが、この時間軸の未来には貴方のようなカシゲ・エニシが生まれる余地が無いと予測研究結果で回答が既に出ていた……」
「そして、オレを呼び込む為に過去へあいつらを送ったわけだ」
「苦労しましたよ。あの車両の未知のシステムをAIの予測演算を用いて実に数千年……僕の代で終わるとは思っていなかったですから」
「一応、オレの時系列世界は宇宙規模で救ってきたが……此処では至高天を停止させるだけでいいのか?」
「現実改変系オブジェクトがあれば、同じような事が出来ます。リバイバル・ハザードさえ止められれば、未来へは進めるのです。途中で滅び掛けるとしても未来予測さえ高精度ならば、それを踏まえた人命が関わらない範囲での改変を施す事も出来るでしょう」
「つまり、オレが来た時点でお前らは勝ったわけだ」
「はい。彼らには感謝しかない……」
「最後に1つだけ訊ねたい」
「何でしょうか?」
「財団の中身はどうなってる」
「……北米の装置によって生み出された新人類が99%を占めていますよ勿論。我々は最初の西暦2700年代に創られた管理者を管理する為の種族です。人間ではない為、人間を用いるリバイバル・ハザードには巻き込まれない唯一の例外……中には新人類として地球を掌握しようという輩もいましたが、そういうのから真っ先にハザードに巻き込まれた……我々としてはこの人類はこの人類の力で永続するべきであって、過去の人類の遺物に縋る理由はありません。それが災害を生み出すモノならば尚更でしょう」
「分かった……その願いは聞き届けよう。ついでにオブジェクトで滅び掛けてる地球圏を適当に救っておく。平和な時代が来たら、後は自分達でやれよ?」
「言われなくてもそのつもりですよ」
「じゃぁ、明日までには諸々準備を終えて置く。ついでにこの宇宙の方もどうにかしとくから、そのつもりで。それでいいな?」
「一日で終わりますか?」
もはや、苦笑気味な相手は今までの懸案が明日には片付くと言われて何処か諦めにも似た目の前の何かの力に呆れていた。
「明日が終わるまでには。リバイバル・ハザードとやらが何故連続しているのかもついでに調べておいてやる。二か月後までには表向きのオブジェクトとの戦争も終わるだろう」
「……表向きでも滅びそうなのですが、此処に至ってはサポートする以外出来る事は無いですね……よろしくお願いします」
「自分のやり残しを終わらせに来ただけだ。そういや、別星系に移住した連中はどうしてるんだ?」
「何分、改変のどさくさであちらとの通信方法を喪失してしまいまして……光速に近しい速度での航行のせいで遠未来です。最初の移住時、加速中の船団は
「……本人には聞かせないでおこう。あ、今回の一件に関しての報酬として財団には幾つかの要求がある。お前らにしてみれば、簡単な事だ。ちょっと、オレの宣伝に付き合ってくれ」
「は、はぁ、宣伝、ですか?」
「何、少し違法動画な円盤を売ってくれってしだけだ。宇宙の平和とオレの日常の為に是非、協力してくれ」
世の中にはそっとしておこうで片付けられる事が沢山あるらしかった。
―――パチリと目が覚める。
今度こそ現実らしい。
周囲を見回してみたが……まるで最初の記録のように嵌め殺しの窓に殺風景のコンクリート壁。
トイレと寝台以外には何もない。
鋼鉄の扉が開く。
「………バイオレット?」
「ッ」
軽い足音。
抱き着かれた。
あの日と同じ姿の少女が一人。
泣いていた。
「お父さんの事、覚えてる?」
「ああ、レッドの事は残念だった……」
ゆっくりと首筋から離れた少女が涙を拭ってニコリとする。
「蘇ったばかりで色々と混乱してるかもしれないけど、
少女はあの時と同じ姿だったかもしれない。
しかし、その言動と違和感は拭い難く。
「此処は何処なんだ?」
「此処? それじゃ一緒に行こっか」
手を引っ張られた。
そのまま走り出す相手に釣られて外に出る。
通路は内部とは違い。
妙にツルリとした光沢のある質感の壁面で道の終端には光が射す外への出口らしき場所があった。
「あははは♪」
嬉しそうに笑う少女が飛び出した先。
目が眩んだかと思えば、其処には大空が広がっていて。
ようやく自分が巨大な空飛ぶ何かの側面にある部屋にいたのだと気付く。
甲板横には手すりがあり、その先には灰色の大地と巨大なクレーター。
そして、透き通るような大空に虹が掛かっていた。
クレーターがゆっくりと近付いてくるところからようやくその巨大な飛行物体が降下しているのだと解る。
だが、それよりも驚いたのはクレーターが中央から真っ二つに割れ始めた事だ。
それでようやく其処が人工物。
基地の類だと知る。
「もう形も変わっちゃって普通の人も住んでないけど、あそこがグリンカだよ」
「……あの街が……」
「ふふ、中を見たらもっと驚くと思う。ユーラシア・ビジョンの作戦、大成功したんだから……みんな縁のおかげだって言ってた」
「……あれから―――」
何年だと訊こうとしたが、それよりも早く少女が再び手を引いて走り出す。
見せたい事はまだあるのだと。
そう語る背中は跳ねて弾んでいた。