ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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間章「真説~恒久界の商売事情~」

 

 

 恒久界。

 

 それは今現在1万年以上は続く時代そのものとも言える。

 

 その根本的な文明の発展は凡そ新しい魔術の発明と古代の遺跡からの再発掘。

 

 そして、何よりも超越者達が神々より発展の基礎となる叡智を広く民に開示するところから始まっている。

 

 時代時代に彼らが辿って来た道筋は正しく人類の歴史そのものだろう。

 

 そんな叡智の中にあるのが通貨の発明であり、商売の発達である事は論を待たないとされる。

 

 恒久界の商人達は時に神に導かれ、時に必要に駆られて、あらゆる商品をあらゆる場所に売る事を夢見て規模を拡大し続けた。

 

 結果として最も商売を制した月猫は恒久界最大の市場であり、商売人達の坩堝となって久しい。

 

 彼らはあらゆる地域で取引をするトレーダーであり、様々な商品を産むクラフターであり、ひらめき1つで商売を成功させるアイディアマンであり、その力は軍事政治にも存分に投影され、時に一国の王を上回る権力を得る事もある。

 

 さて、そんな恒久界における商売が激変した事は言うまでもないだろう。

 

 最初こそ大国間の大戦にホコホコ顔であった商人達であったが、破滅の足音は言う程に大きく無く……静かに忍び寄っていた

 

 魔王降臨。

 

 最初こそ大きな商売相手が出来たとほくそ笑んでいた彼らの顔がゆっくりと青褪めていったのは言うまでもない。

 

 最初期に行われた大量の仕入れ以降。

 商人達の大半は魔王軍と全うな商売をした事が無い。

 

 その拡大が起こってからの事を順次上げて行けば、もう破産寸前という人々が大半を占めたのも無理からぬ話だったりする。

 

 最初の異変は魔王軍があらゆるものを純金で買い始めた事にある。

 

 ようやく商売が出来ると恒久界のほぼ全ての商会がその要望に応えてみせた。

 

 その物資は正しく天文学的な金によって一斉に同時多発的に買い占められたのだ。

 

 異変に気付いたのは彼らが金相場の不安定を知った頃からだ。

 

 続いて魔王軍による奴隷及びあらゆる売り買い出来る人的資源の枯渇によって奴隷相場は超絶的に高騰。

 

 それすらも魔王軍が買い上げた為、完全に取引は0に近くなった。

 

 続いて戦乱の起きていた月兎、月亀において物価が大規模に下落した。

 

 それこそ今まで高止まりしていたのが殆ど10分の1以下にまでだ。

 

 通常の価格に対してすら半値以下を切ったのだから相当という事が分かるだろう。

 

 理由は単純だ。

 魔王軍が物資を配給し始めたのだ。

 それも恒久界中で買った代物を配布しているのではなく。

 魔王軍印の物資が恐ろしい勢いで民間に供給された。

 

 商売人がこれで破産した事で一気に魔王軍による商売環境の乱高下を誰もが肌で感じるようになっただろう。

 

 だが、破産してすら、殆どの商売人は首を括らずに済んだ。

 この理由もまた魔王軍であった。

 彼らの言い分はこうだ。

 迷惑を掛けた。

 新しい商売をしよう。

 

 こうして多くの商会が食べる為に魔王軍の軍門へと下っていった。

 

 彼らは我が目を疑っただろう。

 

 そこに用意されていた商品、アイディア、サーヴィス、その全てが恒久界において未だに無い代物ばかりだったのだから。

 

 見知らぬ工芸品から衣装から食料から何もかもを魔王軍は売れと言ったのだ。

 

 それは買われた奴隷達すらもだ。

 だが、奴隷は奴隷とすら呼ばれず。

 

 それどころか普通の商売人達以上に高級取りなサーヴィスを売る労働者として売り込めと彼らは言われたのである。

 

 そして、全ての決済は魔王の下に一元化された。

 あらゆる商売に手を出し始めた魔王軍の手は早かった。

 

 お水の商売は完全な業務の転換に迫られたりもしたし、その場にいた商売人の大半は渇いた笑いしか出なかっただろう。

 

 彼らは変わらなければ死ねという暗に言われたのだ。

 

 笑顔の脅しに屈し、同じようでいて別の商品を売るようになったのだ。

 

 このようにして改革が施された分野では多くの労働者が最高の品質と最高の効率を求められるようになった。

 

 だが、そこで競争原理の落伍者が大量に出るかと言えば、そうでもなく。

 

 魔王軍はどんなに酷い出来の商品でも買い上げた。

 だが、それには値段が付けられた。

 

 最低限度の品ならば、人間が毎日を食べていける程度の額が支払われ、最高品質ならば、それこそ極めて高額な単価で商品が売買された。

 

 結果として恒久界の商品の生産者の全てが前よりも高級取りになったと言える。

 

 画一化された規格を個人が高める事を是としたこれらの取引は確実に魔王軍側の持ち出しの方が多いはずだったが、それをまったく苦にもしなかったのだ。

 

「ガンドー商会、ハルチェ商会、アンドレ商会―――」

 

 今、彼ら恒久界に存在する全商会の会頭達は月猫の首都シュレディングのドームで自らの商会の名前が呼ばれるのを待っていた。

 

 魔王軍の競売で競りに掛けられたものが自分達の下に入ってくるかどうかを。

 

 普通の競りではない。

 職業技能集団がその場で競売に掛けられているのだ。

 

 今現在、世界が滅びるか否かという現状に対して魔王軍は商会とその傘下の生産者全てに対して大号令を掛けている。

 

 人類の為に商品を造って売れ。

 

 だが、全ての商会の生産者集団には得意分野毎に新たに集合した団体を作らせて合理化し、同時にその集団そのものを競売に出すというのである。

 

 この数週間で編成された各生産者集団は魔王軍の傘下でそれなりの生産性を示している。

 

 彼らは競売に掛けられた後、魔王軍からその金額の半値を受け取り。

 

 労働者達に分配。

 魔王軍は後の半値を受け取る。

 軍の商会への言い分はこうだ。

 最も優秀な生産者集団には最も高い金額を払え。

 そして、それに相応しい環境を用意してみせろ。

 これはつまり金を産む卵に金を注ぎ込んで育てろという事である。

 

 各商会が労働時間や賃金、職場の環境を魔王軍にアピールしつつ、高い値を付けて集団を競りに掛け、魔王軍が最終的に最も労働環境と賃金の高い者に落札させる。

 

 そして、商会はその集団の生産した商品を売買し、決済し、今現在三国内にいる全ての人類の為に商売する。

 

 ちなみに資本を置いて来た三国以外の商会には魔王軍が現地にある資産の自己申告に対して無利子、無期限である程度の巨額を貸し付けてくれる。

 

 だが、賄賂は無駄な上に評価が下がるという事実を以て、彼らは魔王軍傘下の商売人という立場で技能集団の獲得に心血を注いでいた。

 

 人類が再び世界を取り戻した時。

 最も稼いだ奴が次の時代の覇権を握る。

 そう分かっていたからだ。

 仕切っているのは月猫の役人達だ。

 

 だが、判断を下すのは魔王軍であり、魔王軍において縁故や賄賂が意味を為さない為、最も公平な判断が下される事には変わりがない。

 

 ただ、この日の為に大きな商会の大半が中小規模の商会を吸収した。

 

 その統廃合のおかげで今現在、ドームの会場にいるのは恒久界全体から来ている商会の数だというのに会頭達の数は2000人を超えない。

 

 競りに掛けた資金もまた魔王軍に還流するが、それは再び社会福祉政策と軍資金に当てられる。

 

 商売環境を護る為の資金。

 命有っての物種。

 

 と考えれば、彼らとて高い安いの感覚も麻痺しそうな超高額を支払えるというものであった。

 

 名前が呼ばれた商会はやはり昇華の地に本拠を構える者達が多い。

 

 だが、影域の者達も割りと高度技能集団の獲得順位で上位に食い込んでいた。

 

 今の今まで最低の生活をしてきた者達がまともに魔王軍に申告するはずもなく。

 

 しかし、彼らの感覚ですら超々高額の競り落とす為に必要な金額ですら、昇華で商売をしてきた人物達にしてみれば、生涯を掛ければ払い切れる程度の代物。

 

 ただ、影域の商売人達は自分達が昇華の地の商会相手に競り勝った部分があるという事実によって溜飲が下がり、また自己申告した金を払い切る為に背中に冷や汗を流しながらほくそ笑む。

 

 軍の脅し文句はこうだ。

 

 世界を手に入れてたに等しい相手に借金を踏み倒そうという馬鹿がいるなら、そいつは恒久界に名を馳せる馬鹿に違いない。

 

 つまり、魔王軍に借りた金を返し終える程に稼がなければ、彼らとて枕を高くしては眠れないのだ。

 

「あらあら、我が国の連中も大した事無いわね。二割も取れてないじゃない」

 

 そんな大戦争中のドーム内。

 お茶を嗜んでいるのは月猫の女傑だ。

 フィクサーとして名高い彼女。

 芋虫から解放された後。

 月猫の立て直しに尽力している老婦。

 オリヴィエラ・チェシャ。

 

「チェシャ閣下。その二割近くで最高の技能集団を大半取ったのですから、それ以上は寡占でしょう」

 

 彼女の周囲には月猫の者のみならず。

 

 月兎、月亀、月狗、その他大勢の大商会の重鎮達や政治家、軍人が大集合状態であった。

 

 会頭達は2000人程だが、その背後にはその数倍以上のお付きや政経軍のお偉方が揃っている。

 

「それにしても魔王軍も全て接収するなら、そう言えばいいものを……何故、このような回りくどい事をするのか」

 

 月猫の経済界の重鎮の一人が不可思議と目を細める。

 

「フェシー卿。彼らは為政者じゃないのよ」

「それは分かっておりますが……」

 

「彼らはね。やるなら平等にやれ。だが、平等にやる前の時点である程度の格差は是正しろ。ついでに儲けたら、儲けただけ社会と民に公正な基準を以て還元しろ。ついでにそれが常識になるからよろしく、って言ってるのよ」

 

「は、はぁ……何とも……確かにそのような感じではありますが……彼らからの要請は大抵が徹底的且つ断固とした過剰な部分の是正という方向なのは分かります……」

 

 その言葉に周囲の者の多くが内心で同意した。

 魔王軍のやり方は一々ややこしい。

 その上で様々な全体像が把握し難い。

 いや、完全に相手へ把握させる気が無いというのが事実だろう。

 

「ねぇ、この世の全ての富を得たとして、我々は放蕩の限りを尽くしたとして、ずっとそれに満足し続けられるものかしら?」

 

「は?」

「魔王軍。いえ、魔王はね。それを見越してるのよ」

「見越している?」

「商売人が商売するのは何の為?」

 

「それは無論のように地位や名誉や金そのものが好きという者もあるでしょうし、それで贅沢な暮らしもしたいと願うでしょう」

 

「じゃあ、貴方は毎日のように飽食してブクブクと肥え太った豚みたいな商人が意地汚く食べ散らかしている様子を見せられながら、食事をしたいと思う?」

 

「え、いや、それは……まぁ……程度や状況にも拠るかと」

 

「そうね。だけど、彼が言っている事はね。商売をする全ての人間に対してそういう“独り善がり”が他者を傷付けるし、虐げもするって事なのよ。私達が不快な人間に見える者がこの恒久界には多過ぎる。じゃあ、どうすれば、お金を持っていても、人々から不快に見えない人物になれると思う?」

 

「それは……人徳や施しを……」

 

「それもあるけれど、一番良いのはね。お金を持っていても羨ましくならない社会でお金を持っている事が権利であり、同時に責任であり、尚且つ尊敬される事なのよ」

 

「権利と責任と尊敬、ですか……」

 

「日々を暮らし、人生を最後まで生きるのに必要な以上のお金を持っている人間に彼は“独り善がり”を許さないと言っているの。そして、それが私達にとっても良い生き方になるはずだと示したいのね」

 

「具体的にはどうなると仰るので?」

 

「貴方がこの世の全ての富を持つ商売人ならば、あなた以外の民は貴方を妬むでしょう。いつか暴動になるかもしれないし、賊に家へ押し入れられるかもしれない。家族を誘拐されるかもしれない。泥棒に入られるかもしれない。皆殺しにされるかもしれない。家を出ても貴方が富を全て持っているから、外の世界はみすぼらしくて不潔で見るに絶えない悍ましい世界かもしれない。でも……あなたが毎日見る事になる家を死ぬまで見て過ごすだけの人生は面白いかしら? これは極端な話だけれど、それが真実に成り得ないとは誰も言えない」

 

「つまり、我々に世界を変える権利を行使させたい、と?」

 

「貴方以外が富めば、貴方以外は暴動を起こさず、賊に入らず、誘拐せず、泥棒も行わず、皆殺しにもしない。外の世界に投資すれば、世界は輝くし、綺麗になるだろうし、いつまでも見たい夕暮れ時の街並みになるかもしれない。死ぬまでに沢山のものを見て、沢山の人に笑い掛けられて、尊敬されて、貴方が大きなお金を持っている事に納得してくれる人ばかりなら、その世界は素晴らしいのじゃないかしら?」

 

 その言葉に多くの周囲の人々が無言だった。

 

「子供達にだって友達が出来るかもしれないわ。その子供の好きな子の両親が貴方の息子なら安心だとその子にお付き合いを続けるよう後押ししてくれるかもしれない。そして、貴方の子供が一人で出歩いても誰にも虐げられず、沢山の人と笑い合って安全に暮らせる世界、他者から妬まれたり、僻まれたり、後ろから刺されたりしない世界になったなら、貴方は嬉しくない? 勿論、皆が皆そうなるわけにはいかないでしょう。でも、お金って言うのは元々そういう幸せを買えるものなのよ。使い方さえ間違えなければ、ね」

 

 オリヴィエラが横のテーブルからカップを取り、紅茶を嗜む。

 

「だから、魔王は誰にも富を分け与えているの。働けば、見返りがある。働かなくても、暮らしてはいける。だけど、素晴らしいものを得る為にこそお金は必要なんだと。その為に商売をする人々がいて、その人々が尊敬されると同時に大きな責任を持つと人々が知る事……そして、それが多くの人にとっての常識となる事。それが今、彼のやっている事の全てなのよ。限界の無い富の使い方を彼は身を以て我々に示してくれている」

 

「魔王軍は……勝てるでしょうか」

 

「勝って貰えなければ、死ぬだけでしょう。もし魔王軍が戦争を遂行し終えたならば、此処に集まる多くの人々がまた祖国に帰っていく。その時にこそ、商売人は他者から富を奪うのではなく、与える人間であり、与えられるからこそ権利と義務を持ち、人々が彼らに敬意を持つよう計らう……この競売の本質はソレよ」

 

「それが民草に分かって貰えると?」

 

「大々的に人々へ商売人達が自らの私財の一切合切を擲って人類と生存の為に商売をし始めたって宣伝するらしいし、実際貴方達もスッカラカンじゃない」

 

「今後の為の投資です故……」

 

「分かってる奴は分かってるわよ。宝石や黄金じゃ腹は膨れないし。幸せな生活も送れない。金で買えないモノは無いって銭ゲバはこの業界にも多いけれど、私はそれが人々にとって良い言葉として浸透する時代になって欲しい」

 

「良い言葉……ですか」

 

「そうじゃなきゃ生きてて楽しくないわ。だって、私達お金に魅入られているでしょう?」

 

「………」

 

「金で買えないモノは無いって言葉が本当に多くの人々を幸せにして自分も幸せに出来るものとして人々が使うようになる世界。それを私は出来るなら生きている内に見たいわね。勿論、その為には稼いで稼いで投資しましょう。自分の為、家族の為、親族の為、友人の為、知人の為……人にチヤホヤされて、愉しい老後を暮らしたいもの。それこそが金で買えないモノはないって事なのよ。私にとってはね」

 

 チェシャの言葉に多くが沈黙したままだった。

 彼らの一体何人がそんな商売をしてきたか。

 それを思えばこそ。

 

「それに競争相手がいる事は悪い事ばかりじゃないわ。もしかしたら、競争相手を出し抜こうと必死になれたら、もっと大きな成功をするかもしれない。商売に掛ける情熱がお金も使わずに得られるなら、それこそ濡れてにアワーという奴ね」

 

 恒久界の代表的な穀物類。

 それで財を成した者もその場には多い。

 

「私財を擲って良い事しろって言ってるんじゃないのよ。商売人らしく商売で私達が住みやすい世界を勝ち取れって言ってるの……それは少なくとも商売人が侮蔑される今じゃない。貴方達を呼んだのはこれからの商売の為の話よ」

 

 チェシャの瞳は競売を見つめていながら、果たして多くの後ろにいる者達に見えるような輝きを湛えていた。

 

「これからの恒久界では商売って言うのは本質的にお金を集める為のものじゃなくなる。自分達の意見を反映させる為のものとなる……誰が勝とうと勝った者が世界を創る。だから、その参加資格のある商会と人材を私が勝手に選んで此処に呼んだわ……今の言葉をよく考えて……これからの日々を商売人として戦うならば、掛かって来なさい。私は私の人生の為に逃げも隠れもして、お金でこの世の中を変えてみせる。月猫が優先、なんてほんの少しの差が作れたら、それだけできっと私の幸せな世界が到来するから、ね?」

 

 後ろを振り向いてウィンクした老女はまるで童女のように五十代には思えない魅力的な笑みを浮かべていて、その姿から誰もが目の前の女傑が根っからの商売人なのだなと再確認した。

 

「取り敢えずは見守りましょう。後で皆さんも会頭を交えて会食などはどうでしょう。大きな店を複数抑えてあります。貸し切りですよ」

 

 誰かがそう言った後も競売は続いていた。

 

 その最中で恒久界の今後の趨勢を占う会合が行われていた事を彼らは後に自らの会頭へ熱意を持って語るだろう。

 

 それは熱い競争の時代が訪れる事を意味し、また多くの人間の情熱が交錯する事を示唆するものだろう。

 

 金で平和を買った女の物語はまだ始まったばかり。

 

 後世、それがどう評価されるものであるかは……まだ全てが闇の中であった。


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