ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
月蝶。
月面下世界において神殿の総本山を要する国家。
神殿会と呼ばれる神の代行者達の集まりが指揮する神官部隊と国軍は果たしてこのような世界が滅び去る寸前だった、などという月兎の反乱軍の宣伝に何かを考える間も無く……絶望的な消耗戦を繰り広げていた。
月蝶の国家を為す種族は凡そ人類種の中でも
そんな彼らの悲鳴は現在、絶賛戦線で拡大中だ。
「クソが!? あのクソトカゲ共!!? クソ、クソクソクソ!!? 魔王もクソだ!! 暗がりのせいであいつらの速度を追えなくなった途端にコレかッ?!!」
最前線における戦闘が長期化するに連れ、月蝶側は戦線を押し込まれつつあった。
小柄な妖精の兵士達は常人に比べれば3分の2程の身長しかない。
子供程の背丈の軍服。
背骨部分のみ肌が見え、モスグリーンの子供服のようにも感じられる戦闘服は今のところ泥と味方の血と魔術の炎によって汚れ煤けている。
他の人類種達が見れば、異様に背の低い中年男が毒づく姿は一見して奇妙なものに思えるだろうが、妖精は神に愛された種族と自分達を言って憚らない魔術の素養に優れた存在だ。
最初に胡乱な表情になったとしても、次の瞬間には妖精の怒りが魔術で降り注がないかと逃げ出してしまうかもしれない。
「隊長、もう此処は放棄するしか……」
「ばっかやろう?! 左翼に一部でも隙間があったら、連中雪崩れ込んで来るぞ!! 本隊からの援護が、戦略級が幾つもあっちの陣地には落ちてんだ!! 警戒網を抜けて来る“半壊”野郎だけを相手にしてるオレらは正面本隊の連中に比べたら、損耗率なんぞ無いに等しい!! いいか!! 此処は死守だ!! 後続から部隊が補充されるまで持ち堪えるぞ!!」
無精髭な中年妖精がまだ20代程の新兵を叱りつけつつ、塹壕から僅かに相手の方向を覗き込む。
新兵はその上司のお叱りの横で半泣きだった。
というのも、その理由はすぐ傍にある。
死体だ。
妖精が数体。
そして、緑黒の鱗を持つアジのヒラキみたいに下ろされ、完全に内蔵を抜かれ切って頭部に剣を突き刺された3mはあるだろう爬虫類と人間の中間にも見える生物。
そのようなものが一緒に血の海へ沈んでいるのだ。
小柄な妖精の男達は顔を半分食い千切られるやら、腕や手足を失くすやら、酷い有様だ。
そして、その一部が横でまだ仄かに温かい内蔵の山に混じっている。
「うぅ、カスパー、グーノさん、皆さん良い人だったのに……」
新兵は涙半分、前日まで食事をしていた同世代や先輩の驚愕と恐怖がこびり付いた頭部や頭部の一部、茶褐色に汚れた蠅の集る瞳にブルブルと震えた。
「泣いてる暇があったら、敵兵の熱源感知だ!! 幾ら半壊してるっつっても、オレ達は御覧の有様……外皮に直接魔術が働かせられない以上、やれる事は限られてる……こいつらの中身を抜き出して再生不能に出来なけりゃ、死んだ連中みたいに奴らのクソになるしかねぇ……」
「―――ッ」
仲間の血で塗れる新兵は文言も唱えず。
瞳に魔術を働かせ、周囲を見渡すように動く熱源を監視し始める。
敵、麒麟国の兵は精強だ。
だが、何より脅威なのはその再生能力だろう。
肉体が7割損失していても、頭部が半壊していても、再生する時間と栄養素、血肉があれば、幾らでも復活するのだ。
倒す方法は限られており、最も安易なのは敵兵の栄養素の大半を蓄積する内蔵を魔術で上手く外から強引に絞り出して頭部を再生不能の状況下に追い込む。
その上で灰に出来れば上等だが、戦場で一々煙を上げていたら、幾つ命があっても足りないだろう。
肉体的に人類種の標準的種族の大半に劣る妖精達にしてみれば、近付かせずに中距離から殺せれば一番良いのだが、そう上手くはゆかない。
相手は完全体ならば、恐ろしく速く。
また、攻撃で致命傷を受けた程度なら、蘇生をそう長くない時間でやってのけるタフさを持つ。
戦線を受け持つ部隊の大半が相手の速さを何とか魔術とトラップで上手く殺して集中攻撃で倒している最中、世界が影域のように暗く染まった。
視認性が一気に下がり、尚且つ未確認の敵兵の死体が増えた事で蘇生するかどうかを確認するまでに時間が掛かり過ぎ……あちこちの戦線が“死に掛け”や“蘇り”で溢れ、強襲されている状況なのである。
「麒麟国の連中……粗方魔術と秘薬で強化されてやがる……前はここまで大きくなかっただろ……」
『ぐ、ぐぐ……』
「「?!」」
思わず、新兵と中年が同時に頭部を貫いたはずの死体の方へ振り向いた。
其処には内蔵を完全に抜き取られ、肉と骨と皮はあれど、頭部すら剣に貫かれた蜥蜴の日干しが……ある。
しかし、その瞳には再び僅かな光が戻っていた。
「なッ―――コイツ?!!」
『せん……ぞ、がえ……りよ』
「せんぞ? 先祖返りって言ったのかコイツ!!?」
『おぉ……いだいなるぐれん……あかきものよ……わがみたまをうけとりたまえ……』
新兵がその手に魔術を発動させ、頭部を完全に消去らんと動く直前。
中年が、新兵を連れて、高速で塹壕内を超低空飛翔。
そのままの勢いで通り抜けていく。
「ど、どうしてですか!?」
「頭を下げろ。口を開け。耳を閉じろッ!! 来るぞ……今だ!!」
中年が飛翔を止めて、地面に擦れるように転がりながら、伏せた自分達を覆うように魔術によって障壁を、出来る限り傾斜を付けて展開した。
次の刹那、カッと眩い光が溢れたかと思えば、新兵は自分達を覆う衝撃と上に逸らされて吹き荒ぶ爆風の嵐に絶句した。
一秒、二秒、三秒。
世界が全てが再び宵の如き暗さを取り戻すも、同時に遠方からも光や轟音が連続して鳴り響いてくるのに新兵も中年も気付いた。
「じ、自爆?!! こいつら自分が死ぬのを知ってて―――ッッ?!!」
「頭に仕込んでやがった……クソトカゲ共め……今度は頭部を絶対残せなくなったな。こりゃ……」
新兵があまりの事に喉を干上がらせる。
「戦線は恐らく崩壊したか。チッ、一度後退だ。こうなったら、穴だらけの巣穴を守るようなもんだろうよ。敵側の攻勢が来るぞッ」
何度も頷いてすぐに後退しようと動き始めた新兵だったが、その瞳が敵陣側から膨大な熱量の波が迫って来るのを捉えた。
「―――炎だ……あいつら炎になって押し寄せて来るッッ!!!?」
「低空を高速飛翔だ!! 奴らの槍に串刺しにされたくなけりゃな!! 行くぞ新人!! 防御用の方陣は張るな!! 狙い撃ちされたくなけりゃ、気合で避けろ!!」
地面スレスレを飛翔し始め上司を黒く染めた光の翅で追い掛ける新兵は死の物狂いで付いて行くが、後方からの原始的な投げ槍が次々に自軍陣地の塹壕内に落ちては起爆し、仲間達が飛び散る姿を目撃してしまう。
「あぁ、これは、これはもう!? 我々はッ―――」
風を切る中年が前方で叫ぶ。
「負けてない!! オレ達はまだ負け―――」
それが彼らの最後の言葉となった。
地表へ遥か上空から光の筋が無数に降り注ぐ。
最初、それはまるで神々しいモノのようにも見えたが、最前線を象るように降り注いだ細い光柱はしかし、その数秒後……直撃地点を中心に半径1kmを抉り取るように中心点から猛烈なプラズマ球を拡大させて、全てを蒸発させていった。
それは戦略核にも等しい熱量。
しかし、完全に制御された力は発動後、内部の全ての存在を焼却した後。
フッと消え去り、融解した地面のみを残した。
紅い津波。
そう新兵が評した麒麟国の大攻勢はしかしその速度故に陣地を食い破る最中に主力が光の効果範囲に全て入っていた。
『ギュレ?』
遥か上空。
数十人の神格達が麒麟国の観測に入ったのを横目に今日は紙袋な頭部の主神ユークリッドがタートルネックにジーンズ姿で月面地表付近で起こっている戦闘にチラリと視線を向けた。
『戦術最適化と敵攻勢存在の情報蓄積開始』
『4サイクル目の個体は43時間内の記憶を消去の上で本国の召喚陣へ。人格構成に変容が出た個体は次のサイクルで前線到着前に取ったバックアップに中核情報を入れ替えろ』
『敵主力の個体解析……どうやら3文明前の先祖返りしている個体が2割、4文明前が4割、他は新系列のようです』
ファンタジー衣装姿の連中が大半の最中。
一人浮いた主神は部下達の話も聞いておらず、全ての波を奪い去る黒の塔によって邪魔されつつも、断片的な戦闘の現状観戦を続ける。
報告される話も耳から耳に抜けていっているようにも見えるだろう。
そんな主の様子にも構わず。
神々は自陣側の攻撃で死んだ神官部隊と月蝶の兵達を後方の司令部周囲にある【召喚陣】……そのような名の空気中の元素を使って人体を無限複製する陣内部へと再度“喚ぶ”。
肉体の構成は一瞬だ。
全ての生命の情報が彼らの手中にある以上、その再構成された身体は生前の身体と何ら誤差を持たない。
魔術方陣、上空へと立ち上る紅の本流の中からゾロゾロとまだ前後の記憶も定かではない月蝶と各神殿の神官達が装備毎復元されて現れる。
彼らは偽の記憶……後方から前線を支える為に送られる兵としての信念に溢れた顔をして、次々に“本国から神の力で転移した”という体で……出発する馬車の群れに呑み込まれ、崩壊した戦線を再構築するべく旅立っていく。
『……縛りプレイ、というものか?』
ギュレン・ユークリッド。
その前にはAIが彼らの持つアーカイヴから参考資料を拾い集めており、次々に全裸な上で亀甲縛り姿な男女の画像が虚空へ陳列されていく。
『???……曖昧性の排除を指定』
そう呟きが零れると今度はちゃんとしたゲーム雑誌らしきものが浮かび上がった。
【4×××年電子広報4月号―委員会側の機体を倒さずにミッションクリア編―】
“大戦初期の新兵教練用プログラム”……つまり、ドローン操作系のゲームにおける高難度ミッションの手引きである。
それを手に取ってパラパラと内容を読んでいた主神はその紙袋に書かれた赤い唇を歪め、パチンと片手の指を弾く。
『ギュレ……』
すると、途端に恒久界内に僅かだけ異変が起こった。
それはとても些細な“変更”だろう。
神の気まぐれ。
あるいは“最初からそうだったと神々にすら分からぬ改変”が人々の服飾に関する常識を少しだけ変容させた。
唯一神が再び眼下に広がる戦場を見やれば、月蝶の本隊には傭兵部隊が複数混ざっているのが見えた。
その中には耳元が薄緑色のパーツで覆われた月亀の者達も見える。
彼らは全員が黒いロングコートを纏っており、参戦する為にやってきた様子で手には武器を持っていたが……何故か大半の月蝶の妖精達から引き気味に見られている。
そうして、彼らが屈強な身体で本隊の前線に向かう傍ら、風が吹いた。
それが外套をバッと僅かに肌蹴させる。
其処には……股間に褌を締めて、全身を荒縄で一部亀甲縛りとした屈強な肉体が汗を滲ませつつ、ヌラヌラと光って……いた。
それに怯えるように妖精達が顔を引き攣らせ、そそくさと目を逸らしては自分達の司令部業務に戻っていく。
『ギューレギュレギュレギュレ♪』
愉しげに楽しげに怪神はご機嫌な様子で“自分のゲーム”へ戻る事とする。
その日、月亀と呼ばれた国家には数人の例外を除いて新しい要素が付け加えられた。
まるで発売されたばかりのDLC要素が試されるかの如く、彼らは自分達がそうである事を疑わない常識を手に入れる。
恒久界の人々曰く。
女も男も独特な服飾を好む質実剛健な人々……ぶっちゃけ、裸族の変態種族が爆誕した事をまだこの時、戦闘に夢中な月面の少年は知らない。
此処は男が創った実験場。
故に殆どの事柄において自由にならない出来事など、彼ギュレン・ユークリッドに有りはしなかった。
「………僕らはまた一つ常識を失ったようだ」
それを知覚するのは麒麟国本陣の奥。
天幕の最中にいるガスマスク姿の若き革命家。
天井を透かして、その先にいるだろう男を睨むのはロート・フランコその人。
唯一神が自由に出来ない例外の一つたる彼が無限に沸いて出る敵軍すら眼中に無い事を殆どの部下達は知らず。
しかし、一部の重鎮達はその呟きにまた世界が変容したのだと理解し、人の絶滅を祈る。
悪辣なる、卑劣なる、生命の敵。
人間《ヒューマン》への憎悪を胸に………。