ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第223話「知恵の実を焼く者」

 

 お菓子は科学だ、という言葉がある。

 

 実際、複雑な工程の必要な菓子はその国における科学知識と文化のバロメーターだろう。

 

 実際、計量と正確な手順を踏まないと途端に味に粗が出る。

 

 プリン然り。

 パイ然り。

 

 チーズケーキの中でも特に蒸し焼きにする系統のものは極めて芸術的な代物だ、とは母親の談である。

 

 懐かしい話だが、いつも近所の菓子屋で出していたチーズケーキのようなフワフワシットリ、味、触感、見た目、全て満たすモノは中々無くて海外で絶望したとはよくケーキを頂く時の定番な話だった。

 

 それ何回目だよというこちらの言葉にも耳を貸さず。

 

 贔屓のお菓子屋さんは潰れないように常連になるべきという説教染みたカシゲ家の家訓は日本ではまぁまぁ実践されていた。

 

 母が食べられるお菓子はそう多くなかったはずだ。

 

 それを思えば、近所の菓子屋のソレが特別製の部類だった事も想像が付く。

 

 だからこそ、息子にその話をする母がお茶だけを嗜む姿は子供ながらに少しだけ切なかった。

 

 その気持ちが分かったのはパンの国に来てからだ。

 実際、お菓子に飢えてしまうのもしょうがない話だっただろう。

 

 小麦菓子は本来多用なものであるが、食材耐性がその複雑な工程を大半許さないせいでロクなものが無かった。

 

 バターやチーズや牛乳に耐性が無いと食えない高級菓子の分野は殆ど発展途上だった上、リュティ―さんもさすがにオールイースト邸ですら作った事の無い複雑な工程の菓子には手を焼いていた。

 

 食べる人間が1人しかいない事も手伝って、1日一回おやつ時に改良版が常に出され、レシピを二人で検討したりしたのは今となっては……本当に実際役立つ自分の経験を元にした知識だろう。

 

「こら、そこ。目分量しようとするな。しっかりと計量しろ。そっち、見えてるぞ? 果実を剥く時は丁寧にだ。厳つい料理番の方がお前らより上手いメシを作ったら、悲劇だぞ? 男を射止めるのは胃袋からって格言がこっちにもあるんだろ? お前の好きな男を射止めるのが厳つい兵隊だったりした方がいいやつだけ手順を守らなくていい」

 

 現在、艦隊の襲来まで14時間を切った時間帯。

 

 さて、しかし、魔王閣下と魔王応援隊は何故か月兎大使館の屋内にある一室で料理教室などを開いていたりする。

 

 いや、何を言っているか絶対傍目には分からないと思うが、実際もうやる事がソレくらいしかないので時間は余ったと言える。

 

 広い元々体育館くらいありそうな付随倉庫内は金属製の食器やら金属製の家具やらがもう運び出された後だ。

 

 空っぽの場所には急遽引かれた上水道と下水道のキッチンが数十台。

 

 料理器具はセラミックで食器は木製だ。

 

 魔王応援隊の面々はプロパガンダに駆り出されると思っていたらしいが、そういう時期はとっくの昔に過ぎている。

 

(まだ気持ち悪い……全身の神経網に珪素と重金属類のアモルファス被膜とか。普通の人間だったら、激痛で狂死してるって話だし……まぁ、しょうがないか……)

 

 こっちは死ぬ気で常人が食ったら死ぬだろう血肉に取り込んで来た各元素……主に鉄分や重金属類を胃に入れて、血中に取り込みながら、体内細胞の増殖と肉体の再建をやっている最中。

 

 魔術で細胞そのものをモールド・ドローで増やしても良かったのだが、唯一神の干渉などが怖かったのでやっていない。

 

 如何に自分の身体が特別製の細胞の塊とはいえ、短期間で前までの状態に戻すのは不可能だ。

 

 この月に来てから毎日のように細胞に取り込める元素をこっそり摂っていたし、食事の量もかなり増やして来た。

 

 このメシマズ世界では苦行に等しい話ではあったが、肉体の細胞密度、血液濃度、それらを出来る限り万全の状態にしておく為、カロリーと元素を常人には不可能な単位で貯め込んでいたのだ。

 

 皮下脂肪どころの話ではない。

 

 身一つで武器防具を生成する事すらあると踏んでの肉体への蓄積は栄養素に限らない。

 

 カロリー源としてのグリコーゲンだけでも極めてヤバい量だったのはヒルコが途中で健康診断していた時に呆れていた事も手伝って実感はあった。

 

 ぶっちゃけ、あらゆる値がオーバーしている。

 重油みたいな濁った色をした血液とか化け物の部類だろう。

 

 普通の人間だったら、一滴舐めたら、致死量に近い劇物の塊である。

 

「バターが融け出さないよう気を付けろ。さっと生地は折り畳め。重ねる回数はキッチリ20回だ」

 

「できたー」

 

 にぱーと何故かいつの間にか魔王応援隊の間で同じように反乱軍というか、魔王軍のエンブレムが入った白いエプロンをしているのはユニだった。

 

「おお、良く出来たなお前。一番乗りか……とオレが頭をナデナデしてやれるような状況に見えるか? 仕事は?」

 

 魔王応援隊の面々がいつの間にか混ざってパイ生地を畳んでいたユニに驚いて目を丸くする。

 

 キッチリ畳まれた生地は幼女の腕前か。

 

 不格好なところは何処にも無くバターも融けていないようだった。

 

「おしごとー……おわりー……しょーりつ~ごわり~♪」

 

「さよか。終わったって事は後は大抵流れは変わらないわけだな?」

 

「そーだよー」

 

「じゃあ、まぁ、いいか。適当に座ってろ。この生地にリンゴ……この世界だとリゴーだったか? こいつを甘く煮たやつを入れて、すぐに魔術で焼いてやる。もし上手くいったら、仕事漬けの連中に配ってやってくれ」

 

「はーい」

 

 幼女が台に載せて運んできた生地で手早く煮終えて冷ましたリンゴを包み込んで形成、卵黄を塗っていく。

 

 そうして、石製の台の上に木べらで載せて、指を弾く。

 魔術はこういう時、極めて便利な代物だ。

 加熱調理を食材内部から行える。

 つまり、一瞬で火を通せるし、火加減も自在。

 

 焦げないギリギリでパリッと焼き上がるかどうかは調整次第だが、すぐに結果は出た。

 

「成功だな……この魔術は後で魔術具に刻んでおく。道具として適当に売り出そう。ほれ、食ってみろ。仕事に対する報酬の一部だと思ってくれ」

 

「これ、なーにー?」

 

「まぁ、だよな。うん……知らないでキレイにやれてたのは能力で予測してオレの言い付けを破らないよう行動してたからだろうし……コイツはパイだ」

 

「パイー?」

 

「ああ、この世界に無いお菓子だ。リンゴパイってやつだな」

 

「リゴーパイー?」

 

「まぁ、名前は適当でもいい。熱い内に食え。香辛料も控えめで子供にも食べ易いはずだ。割ってから火傷しないようにフウフウしてな」

 

「ハーイ(・ω・)ノ」

 

 白いハンカチで包んで渡せば、その長い尻尾がウネウネしながらクエスチョンマークを象り、匂いを嗅いだ後にはピンと逆立った。

 

 猫耳幼女はそーっとハンカチの中でパイを割る。

 

 サクッとした衣の小気味良い音が響いて、周囲にはフワリとバターと小麦……いや、雑穀の奏でる香ばしさ、そして果実と砂糖と香辛料の甘く酸味も残る香りが噴き上げた。

 

「ふぁ~~~♪」

 

 目をキラキラ輝かせて、その照り映える黄金色の果実にふぅふぅと息を吹き掛けた幼女はそっと赤い舌でチロリと果実をなぞり、あちちとすぐに引っ込めつつも……最後には意を決した様子でカプリとパイに噛み付いた。

 

 サクッ、クチュ、ハフハフ。

 

「――――――ッ」

 

 雷に打たれたようにピーンと背筋まで伸びた元々猫背なユニがふにゃっとした顔で笑み。

 

 ペタンとその場で腰を下ろした。

 

「おいしーよー♪ まおー」

 

「良かったな……食ったら、連中のとこに持ってけ……こいつらの分が出来たら、関係者全員に配るから、その時はまた食えるぞ」

 

「かんけーしゃー? ぜんいんぶんあるー?」

 

 ユニが首を傾げる。

 

「そっちは此処で焼き立てを複製する。まぁ、出来立てだ。構わないだろ」

 

「お~~まおーじるしーリゴーパイー♪」

 

「腹が減っては戦が出来ぬ。人が人になる前からきっと変わらない世の真理だ。命を掛けさせるんだ。これくらいは上に立つ人間の配慮の内だろうさ」

 

 そう呟くも、幼女の興味はもはやパイにしかないらしく。

 

 聞いてはいなかった。

 

 フゥフゥしながら甘味に夢中な子猫の様子に応援隊の面々も何やら微笑ましそうな顔になって、作業を再開する。

 

 ついぞお菓子作りなんてした事の無かった自分がリュティさんの真似事で此処まで出来るのだから、本職ならきっと更においしいものが作れるに違いない。

 

(今頃、何してるんだろうな……無事ならいい……無事なら……全員……生きてろよ……)

 

 嵐より先に積み上げるモノが武器と弾薬だけではない事が人間らしいと言えるのならば、まだ自分は人間だろう。

 

「お前ら!! 時間までには包み終えるように!! 例えオレがどんなに優しい魔王様でも時間も守れない焦げた料理しか出さない奴はお断りだ。お前らが今作ってるモノは誰かに対する思いの形だと思え。誰かの為に、今戦う全ての連中の為に、お前らの気持ちを込めろ。これもアイドル業ってやつの一環だ。他人を特別にしてやれない人間が、他人から特別に思われる事なんてありゃしないんだ!! 自分の気持ちを相手へ届けようとする限り、お前らは何処にいても誰かにとっての特別だろう」

 

 人間くらい嫁の為なら止めていいと本気でやってきたからこそ、そんな少しだけ甘い香りが……人々の幸せの象徴が、平和の日々にこそあるべきものが、今にも崩れ落ちそうな具合の悪さにも立って動くだけの力をくれた。

 

『ハイ!!!』

 

 唱和する声の中。

 

 少し声を張り上げて疲れた溜息を呑み込むようにパイを一斉に焼く準備に入った。

 

 もういっそ、魔王を辞めてパンの国に戻ったら菓子職人にでもなろうかとふとそんな未来を想像する……それがきっと叶いはしない話なのだとしても……。


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