ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第219話「付いて来た真実」

 行き交う者は音に聞く。

 地を這う者は横に見る。

 星の欠片よりも儚く。

 燃え尽きていく戦士達の物語を。

 目を閉じてもまた、その望みが聞こえるだろう。

 遥か見渡した限りない叡智の瞳に届く惨劇。

 だが、それをまた、彼らにとっての願いだ。

 

 戦場で果てる者の中には僅かばかり永らえて、こう思う者も多い。

 

 どうか、神様。

 

 その行間に何を思う必要も無く。

 人は救いを求めている。

 それが尊き願い足ればこそ。

 神は何一つとして何もせず。

 座して全ての終焉を眺めるだろう。

 

 そうだ。

 

 世界が尊いのは世界が大勢によって願われているからだ。

 

 この世界が今日も続きますように。

 この世界が今日も幸せでありますように。

 

 それはきっと個人の幸福や周囲の人々の幸福という、ちっぽけな願いに過ぎない。

 

 しかし、彼らは行動で示し、己を生かし、他にもまた生かそうとする。

 

 それこそが尊いのだ。

 それこそが支えなのだ。

 

 力のままに振る舞う者達の世界もまた彼らを生んだ母の、養おうとした父の、大勢の誰かによって成り立っている。

 

 例え、それが文明国にしか相対的に多くないだろう偽善と欺瞞の類だとしても、母が父が、親類が、その誰かを望まないとしても、生きる為には……人は他者が無ければ幼少期を乗り越えられないという事実は変わらない。

 

 悲惨を悲惨と知る。

 人と家畜の差はそれだと哲学者は解いた。

 

 不満足な人間だとしても、満足な家畜よりは良いはずだ、と。

 

 戦士達は儚く散り。

 大地に還る。

 それもまた不満足な結果だろう。

 だが、だからこそ、人はより良きを求める。

 不満足だからこそ、その先を願う。

 故に神は座して待つのだ。

 人々が願うように。

 前に進むように。

 その先へ向かうように。

 

 神にもしも上等な倫理観と道徳観とそれを無視出来る合理性と人を慈しみ、達観する心があるならば、だが。

 

「おにーちゃんはロマンチストね」

「……アリスか」

 

 世界には死体が積まれている。

 

 あのちゃぶ台返しで魔王が憎まれるべき存在になった時のように。

 

 今度は幻。

 いや、現実と何ら変わらない脳の認識する本当。

 触れもすれば、嗅げもする。

 温かいし、冷めていく状態すら分かるはずだ。

 しかし、やはり心が動く程の事ではないらしい。

 

「最初におにーちゃんから奪われたものがどうしてソレだったか分かるかしら?」

 

 何処かの世界のアリス。

 月の事を預言した彼女。

 あの時の姿のまま。

 懐中時計を首に掛け。

 彼女は虚空に浮かぶ椅子に腰掛け、紅茶を口にして訊ねた。

 

「オレの最も人間らしい部分だったからだろ」

 

「そうね。おにーちゃんは優し過ぎるわ。そして、人の痛みが分からないと言いながら、確かにそうでありながら、一番想像を働かせられる人だわ」

 

「………」

 

 世界は夕暮れの最中。

 セピア色にも程遠く。

 濁る紅が黒く黒く陰影の中で全てを隠していく。

 

「他人に対する想像力と他人に対する感情は別々のものよ。そして、おにーちゃんは我が事のように想像出来てしまうから、いつもそうしてきた」

 

「そうしてって何だ?」

 

 紅茶の入ったティーカップがいつの間にかアイスティーの入ったタンブラーになっている。

 

「おにーちゃんにとって、他人事って言うのは我が事なのよ。逆に我が事は他人事なの。分かる?」

 

「そうか。まるで分からん」

「分かってる癖に……」

 

 少し意地の悪そうな笑みが零される。

 少女の座る白い椅子はいつの間にか。

 堅い黒曜石のような輝きを放つ玉座になっていた。

 

「あのギュレギュレ野郎もお前もオレを聖人君子や超人と勘違いしてないか? オレは確かに普通の連中とは少し以上に精神的な部分で違うものを持ってたかもしれないが、根本的には平和な時代の平和な世界の平和な場所に住んでた学生レベルの人格なんだぞ?」

 

「……ふふ。おにーちゃん……それがどれだけ……本当にどれだけ貴重な事なのか。自覚はあるんじゃない?」

 

「―――」

 

 少女は持っていたタンブラーを逆さにする。

 琥珀色と白色の混じり合う優しい色合い。

 

 落ちた液体は虚空で宇宙にいる時のように浮かびながら丸く纏まり。

 

 それから紅茶とミルクに分かれていく。

 

「良く紅茶にミルクを入れたモノを元に戻らない例えにする人がいるでしょ?」

 

「そんな文化的例えは何年前に絶滅したんだろうな」

 

「じゃあ、紅茶じゃなくて炭酸飲料にしましょう。色の付いた砂糖水。でも、根本は同じよ。何かを混ぜ合わせたら、もう元には戻らないと誰かは言った」

 

「それで?」

 

「でも、これを元に戻そうというのが科学だと思うの」

 

「科学……」

 

「フィルターを作ればいいわ。色だけなら元に戻せるかもしれない。おにーちゃんはこの混じり合う液体の元々の片方。純粋で香りの良い透き通った琥珀色の液体なのよ」

 

 虚空に残された紅茶だけが少女の上に向けた指先でキュルキュルと渦巻く。

 

「何が言いたい?」

 

「元々、アジアの地にある国が世界の経済において権勢を誇るなんて有り得ないはずだった。確かに島国でもそういった事は可能だったかもしれないわ。それを為し得た国家は帝国とすら呼ばれた」

 

 大英帝国。

 世界の全てを手に入れたと豪語しても構わなかっただろうソレの話か。

 

「けれども、文明の優劣を人種の優劣と勘違いした人々にしてみれば、それは正しく奇跡のように思えた事でしょう。況してや、彼らが自分達の敵として巨大な損害を与え得る対等以上の存在として認識されるなんて……それは一種のパラダイムだったのよ」

 

「歴史の講釈は生憎と一人で画面と向き合ってしたいタイプだ」

 

「ふふ、彼らは知った。其処には自分達と同じだけの文明が急速に発展していくと。そして、それは二度の戦争の後、三度目が始まるまでに決定的なものとなった」

 

「で?」

 

「………当時、最も進んだ科学技術を持つ先進国の一つにして、経済力において超大国と地位を二分し、戦争に負けた国だというのに文明に溢れ明るく、経済的な興亡は幾度か経験したとしても、その地位と価値を保ち続け、世界一平和な先進国と呼ばれ、主要先進国中最も犯罪率の低い国の名を欲しいままにし、世界一独創的な文化を創造し、人々が人口の減少に悩むほどに他者に依存しない個人的欲求の充足と社会システムの成熟に直面し、その民族性を讃えられた彼ら……あなたはそんな国の一般人なのよ?」

 

「我が祖国の評価どうもありがとう。で、その国の一般人たるオレに何を言いたいんだ?」

 

「第三次世界大戦以降。多くの国が、多くの共同体が、多くの社会が、直面したのはね? そんな過去に悩まされる日々だった」

 

「過去に、悩まされる?」

 

「科学は進んでいったわ。技術も向上したでしょう。知識だって厚みを増したに違いないし。減ったのは総人口と平均寿命って言うのが相場だったけれど……委員会すらも一つだけ納得せざるを得ない事実があった」

 

「それは何だ?」

 

「過去の第二次大戦後、半世紀を過ぎた頃のあなたの祖国と比べても、人々は幸福では無かった。暮らしの質も、精神的な質も、人を根幹と為すあらゆる社会的な豊かさが、失われ続けていた」

 

「文明が何度も起こったんだろう? それなのに本当にそんな事有り得るのか?」

 

「………どうして“双極の櫃”が旧日本の領土内に設置されたと思う?」

 

「地理的な要因は断層から見ても最悪だったはずだが……まさか、そんな理由でパンの国の地下にあったと?」

 

「あなたの国がどうして特別な事例と成り得たのか。分析した結果を言うわ。奇跡なのよ」

 

「奇跡?」

 

「そう、遺伝的な適応、地政学的な要因、政治的な趨勢、技術的な進展、精神的な成熟、歴史的な過程、あらゆる要素が偶然にも生み出した必然。当事者達は幸せではないという人が多かったのかもしれないけれど……彼らの常識は、彼らの世界観は、彼ら程の豊かさを享受した共同体は、恐らく二度と再現されない類の奇跡と呼んで差し支えない確率の産物だった」

 

「そんな大そうなものかよ」

 

 こちらにしてみれば、呆れるしかない。

 

 確かに外国暮らしが長かった身からすれば、日本の豊かさは身に染みて分かるものがあったが、ヲタク的な部分以上にはそこまで絶賛されるものとも思えない。

 

「一時期、その人種を取り込もうと様々な勢力が躍起になっていた。その名残は今も各地にあるわ」

 

「例えば?」

 

「大陸の西ではね。あなたの祖国の古語を由来とした言語体系が尊名を付ける時のスタンダードになっている。大陸標準言語は日本語そのものをベースとして一時期、あらゆる組織が人員を勧誘する名目で使い始めた事が起源となっている。その名残を委員会が、空飛ぶ麺類教団が利用して統一したの」

 

「そうだったのか……それで……でも、言っておくが日系の3世や4世が現地人と同化したら、日本人要素なんて人種的特徴以外無くなるなんて、普通に聞く話だったぞ? 民族の血統的な優位性なんぞありゃしないだろ?」

 

「あはは。うん……じゃあ、同化出来ない民族がどうなったか聞いてみる?」

 

「何?」

 

()()()()()()()彼らは優秀だったの。結果から、数字から見たらの話だけれどね。難民移民の問題はいつでもあらゆる意味での同化が為されなかったからこその事よ。それで世界各地の少数民族は消えたわ。基本の絶対数が300万人を割っていた人種は他の人種に呑み込まれて遺伝的な特徴として残るのみなのよ?」

 

 少女が肩を竦める。

 

「イデオロギーで一つになった共同体すら、あなたの祖国のように均質な世界観は生み出せなかった。それを望んでいたのにね。遺伝的な性質だけじゃない。その時代の、その場所にあった全てが相互作用を及ぼし、彼らは形成されていた。カシゲ・エニシはそんな時代の、そんな場所の、そんな国家の、そんな人々の、そんな一般を象徴する豊かさの、残された最後の偶像《アイコン》なのよ」

 

「オレにアイドル業でもやれってのか?」

 

 フルフルと少女は首を横に振る。

 

「嘗て、WW3以降の時代において、こんなお伽噺が罷り通っていたわ。昔、極東の島国には幸せな国がありましたって」

 

「………」

 

「そこでは美味しいものが手の出せる適正な価格で売られ、人々は多くの場合、偽証せず、毎日のように水で体を清め、数多くの愉しみを身に着け、街には殆どゴミが落ちておらず、浮浪者が国民の六割を占めず、犯罪に巻き込まれる事は飛行機が事故で落ちるような確率で、行政は人々の為に行われ、子供達は売買されず、臓器を抜き取られる事もなく、自由に意見を表し、他国を信じて戦争をしなくてもいいはずだと法律に書かれ、スパイを取り締まる法律すら無く、持つ者と持たざる者の差は他国とは比べものにならない程に低く、なのに自分達が幸せには程遠いと頑張って社会を良くしようとする人々がいました」

 

 アリスはまるで謡うように紡ぐ。

 

「嘘、大げさ、まぎらわしいかしら?」

 

 ウィンク一つが投げられ。

 頬を掻く以外無い。

 

「聞く奴によっては『こんな国!! 外国に比べて酷く遅れている!!』と、罵声を飛ばされそうだな」

 

「でも、大抵は当て嵌まるわよね?」

「ある程度は頷ける豊かさはあったと認めてもいいが」

 

「でも、これはあなたの国の人が言い出した話じゃないのよ? 他国の、それもその時代を生きたあなたの祖国以外の人達からの評価だったの。そして、数多くのお伽噺。いえ、伝説が造られた。その国になれるように、そんな国を作れるように。そう人々は頑張ったわ。けれど、実現しなかった」

 

「委員会のせいじゃないのか?」

 

「いいえ、委員会がいなくなっても、当時のあの国以上の豊かさをあの規模で維持できる国家は地球上に無かった。それは深雲も押す太鼓判……」

 

「日本帝国連合は?」

 

「国家共同体はね。そもそも名乗った国の元々の国民が2割にも届かないくらいに他民族混合だったの。日本帝国連合、アメリカ単邦国、ユーラシア・ビジョン、EUN、ASEAN・O……他にも色々あったけれど、どれ一つとして名乗る圏域の民族が4割を超えるところは無かった。それ程の民族大移動、それ程の破滅、それ程の天変地異、それ程の地獄……委員会に下っても文化的な生活と言いながらも管理は国家共同体以上、人々の幸福度はどれだけ知らべてもどっこいどっこい」

 

 そろそろ夕闇。

 宵が迫る。

 

 その最中、いつの間にか白い日傘を差して回している彼女は周囲の虚空を歩く。

 

「カシゲ・エニシ……おにーちゃんはどんな時代のどんな国のどんな場所でも同じように生きたわ。そして、同じように人々に影響を与えて来た。タウミエルに指定した連中は分かっていたのでしょうね……それこそが、あなたこそが……」

 

 その先を言い掛けるより先に闇が世界を閉ざして、全ての光が消え去っていく。

 

「今日はこの辺にしましょう。さようなら。おにーちゃん♪ 今度はなでなでしてね? 可愛い妹からのお願いよ♡」

 

「生憎と歴史を語れる妹はお断りだ」

 

「ふふ、また、会いましょう。未知の踏破は道半ば……頑張ってね♪ 蒼き瞳の英雄さん♪」

 

 ブツリと接続された何かが途絶える。

 意識はゆっくりと見知らぬ奈落へと落ちていった。


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