ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
『エマ……人の願いは君の作るものに似ていないか?』
『なぁに? いきなり……』
『例え、明日壊れても、君はきっと治してしまうんだ。新しく、強く、気高く、次へ迎えるように……』
『大げさね……』
『……委員会はもう月を凍結するだろう。再開発までどれだけの間、封印されるか……でも、君はこのプロジェクトから降りるつもりはない。きっと、どれだけの地位を渡されても……』
『………』
『でも、だからこそ、そんな君に送りたい。この言葉を……君が―――』
途切れた映像。
星見る世界に浮かぶ蒼の球体。
嘗て、世界の外に飛び立った者だけが知っただろう地球という宝石を背景に男女の笑顔は向かい合っていた。
それはきっと、とても個人的なライブラリ。
その先は残す事すら無粋だったから、ただ一人それを受け取った彼女の心の中だけに納められた。
何処か深いところから明るい場所へと歩き出す。
そんな夜明けを思わせるメロディーが流れ、その研究室内部の全ての機器が煌く夕景の映し出された壁の中、黄金の埃の最中に無限とも思える文字列を、映像を、画像を、数式を、遺伝子を、脳波パターンを、分子組成表を、グリア細胞間のネットワークモデルを、彼の笑顔を、二人の笑顔を、彼らの笑顔を、人々が月の先へと託そうとした全ての文化と遺産を……無限の渦として投影する。
「これが遺跡……いえ、こんなものが?」
困惑する表情。
しかし、何処か憧れを含むような声。
「何も変わらない……この人達も……私達と……」
紅き角持つ竜の女。
アステ・ランチョンの姉たる彼女はそう呟く。
そうだ。
神と呼ばれていた者達の過去。
この月に次なる世界を見出し、この先へ旅立ちたいと、この先にこそ自分達の未来あると信じ、走っていた者達の日常が其処にはあった。
時にいがみ合い、時に殴り合い、時に殺し合う事すらあっても、彼らは互いに連帯し、互いに認め合い、互いに目的を共有して、進んでいたのだ。
それが他の人類の犠牲の上にあったものだろうと、その根幹は何も他者と変わらない。
彼らが文字通りに食い物としていた人々と比べてすら、何も違いはしない。
社会の差が世界の差だったとしても、根本にある感情は、彼らの姿はきっと何処にでもいる若者や中年や老人で……その自分の置かれた社会基盤の中で必死に生きていた。
「オールコンクプリート。ダウンロード完了」
遺跡の奥。
システムに閉ざされていた一室。
其処は恐らくはアシヤさんが遺した未来への贈り物。
自らの墓所。
エジプトで考古学者がピラミッドの内部に古の人々の世界を思い描くように、彼女もまたそうされるべきだと願うものを其処に遺した。
例え、ストレージの情報に身を窶しても、決して途絶えさせたくない事があった。
それが、一人の神から人へと伝えられ……いや、一人の女から女へと受け渡された事はきっと自分だけが此処を見るよりも僥倖だったのだろう。
此処にはきっと全てがある。
「この人……さっきまでこの人と幸せそうだったのに……」
愛した人の形見か。
情報の最後、銃を一つ抱いて泣き続ける彼女がいた。
けれど、その涙が枯れた後。
まだ、彼女の瞳には輝きが灯っていた。
例え、人類である事は辞められても、そうそう人である事は辞められない。
それが良くも悪くもあの唯一神とその下にいる神々とやらの違いなのだ。
全ての情報を引き継がれた途端。
情報がゆっくりと景色の中で崩れ溶けていく。
初期化によって消されていく彼女の部屋だった場所はやがて、夕闇が落ちれば、後はただの何もない鋼色な正方形の部屋と化した。
研究室すらも彼女が遺したかった形の一つだったに違いなく。
(これが……貴女の願い……アシヤさん……)
神剣の機能でコードを実行。
あの小神の遺跡で手に入れたグリップ式の端末を構成する。
得られたキーコードを入力。
すると、デバイスを通して網膜投影された情報の濁流がこちらを取り囲む。
(この世界が滅び掛けている理由……それがコイツなのか?)
高度管理者権限の譲渡。
ラスト・バイオレットを待っていた意味。
あのノアの箱舟モドキの星間移民船所有者が何を司るのか。
その全容に近付く情報が幾つも視界の中を流れ去っていく。
「……あの芋虫、昔から色々やってたようだが……そうか……まったく、迷惑な……思考電磁窃取……神の屍の直接制御を可能とする神の網はアシヤさんの派閥の遺産……そして、彼女は知ったのか……人類に次の破滅が迫っている事に……」
「魔……セニカ殿。今のはどういう?」
「色々こっちにも事情がある。そして、此処は大きな災厄に対して最後の抵抗をしていた人物の墓所……いや、遺産だ。あの芋虫共が最も恐れたのはあの唯一神でも、不死身の神格達でも、全てを引っ繰り返そうとする蜥蜴共でも無かったって事だな」
「どうやら、複雑な背景があるようで」
「ああ、だが、その大半がまた此処の情報で片付いた。これからオレはこの足で月竜に行くが、アンタはどうする? 一応、部隊の連中を拘束させる為に戦力を回させてるんだが」
「……月竜の真実が見たい。あの芋虫達が何をしているのか。我々がどうして操られねばならなかったのか。それが……知りたい」
「いいだろう。じゃあ、次の機会にもしまだ真実をお望みならお前にだけは教えよう。この世界の知らなくてもいい情報を……だが、覚悟しておくことだ。アンタにはこのまま何も知らずに生きていくって選択肢もある。それを投げ捨ててまで自分の正気を削りたいのかどうか。狂人の仲間入りを果たしたいのかどうか。よく考えろ……アンタには少なくとも家族がいるんだからな」
「ああ、今回の事で随分と迷惑を掛けてしまった……」
クルーテルの表情が沈んだ。
「その気持ちがあるなら、まずは謝りに行かなきゃな。じゃあ、此処を出るぞ」
「了解した」
クルーテルと共にその場から出ようと元来た一本道の長い通路を出ようとした時だった。
不意に脳裏にエマージェンシーコール、レッドアラート、何でもいいが、赤文字の表記と視界への緊急時自動投影が濁流となって流れた。
「!?」
そのコールの出所は“天海の階箸”のメインフレームからだ。
あの唯一神の時はそもそも通信が遮断されて誤魔化されていたようだが、それが無い状態において何処かでこちらの身に消滅級の危険が迫っている場合にのみ発されるヤバい代物。
危機が何であるのかはすぐ危険度順に3D映像で構築された状況再現で映し出される。
それはこちらの現在位置から高度。
否、距離8万6000km先。
月軌道周回コースに乗った複数の高熱源体。
望遠レンズが最大で捉え、補正された敵正体が次々に映像に映し出されていく。
「宇宙、艦隊?」
そう、そうとしか形容の出来ない船が40隻近く。
それも流線形の船体とは裏腹に限りなく胡散臭い鳥類のエンブレムと―――。
「
デカデカと自らの所属を示す英語三文字を冗談のようにペイントしていた。
その艦隊中枢、一隻がその船体内部から分離させた砲身らしきものを局所的に展開していく。
それはまるで拳銃の砲身が大砲の砲身になるような、虚空で無数のパーツとなってカシャンカシャンと音がしていそうなパズルめいた動作で展開され、その中央に何かしら金属製の球のようなものを孕んでいた。
それが輝きながら光を発し始め、それに向けて、砲身が元々あった艦船内部から弾頭のようなものが迫り出し。
―――外部兵装無効、外部兵装無効、ラストバイオレット権限保有者は電磁的防御手段を講じて下さい―――敵種別構造体解析完了―――類似反応、機器65件。
「敵名称は何だ!?」
殆ど八つ当たり的に聞けば、こう答えは返ってきた。
―――超磁力減衰式軟ガンマ線収束砲。
「もっと分かり易く!!?」
―――重元素プラズマ張力応用砲。
「俗称は!?」
―――【リーサルウェポン】
「最終兵器ってッ、アレは何だ!?」
【天海の階箸に搭載されるはずだった主砲《マグネター・ブラストキャノン》です】
「マグネター?! まさか、超新星爆発関連か!!? クッソ、小型中性子星とかSFも大概にしろ!? 物理法則はどうなってんだ!? 防御用の基礎コードを全て開放!! デバイス・リミッター解除!! ヒルコッ!! お前に制御は任せる!! オレが増やしたアレを特定座標に向けてただちに多重展開!! 天海の階の対電磁防御兵装も立ち上げろ!! 地表への落下物阻止に階箸へ搭載されてた第8世代防衛核兵器群の使用を許可する!! 兵器庫を外部ハッチに直結!! 何か落ちたらフルレンジで撃ちまくれ!! 地表に何も落とすな!! 沿岸地域には全てのチャンネルを使って避難勧告を!!」
言っている間にも3D映像内の敵照準地点がkillマークよろしく此処を指した。
思わぬデストラップ。
恐らくはラスト・バイオレットを特定する仕掛け的なものがあったのだ。
それがアシヤさんの遺跡にある理由は分からない。
だが、とにかくやる事は決まっている。
頭部以外の9割以上を全て黒羽根成分に生成しながら多重集積CNTを形成していく生きた壁として、外に出た瞬間に上空と地表へと放ち。
魔術コードで先程と同じように自己分裂を等しい水の結界を展開。
瞬間的な生成限界まで頭数を増やし、全ての処理能力をたった一つの魔術に注ぐ。
「モールド・ドロオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
世界の再改変に使われた時と同じ。
月下の全てが紅の領域と化していく。
それが終わるよりも早く。
艦隊の中枢から輝きは放たれ。
光速にも近しく月寄りの宙域から放たれた巨大な磁力と粒子線の本流が本来星間に大量の塵でも無ければ見えないだろう輝きを、粒子線と超磁力による巨大なエネルギーの輝きを発射地点からリング状に形成し、全周囲に放射。
確かにその時、映像内での星の位置が僅かにズレた事を知覚した時点で、世界の全てが輝きに呑み込まれていった。